現在の戦術において狙撃はまず加味されない。ある種の荷電粒子を飛ばすビームは収束率、減衰率の関係から長距離狙撃には向いていない。レーダー精度の著しい低下も接近戦への移行を助長した。ビーム・ライフルは精度よりも扱い易さが優先された。また、その高い攻撃力の恩恵を受けるため、モビル・スーツはことごとくビーム・ライフルを装備するに至った。
ビーム・ライフルという装備の存在が会敵距離を著しく縮め、レーダー性能の不安定化はそれを助長した。
戦術から狙撃という概念が廃れようとしていた。
ドッペンホルン・ストライカーという火器がある。現代では珍しい実弾銃器であり、それは妥協の産物であった。ミノフスキー・クラフトを搭載したバック・パックの爆発的普及はモビル・スーツの急速な世代交代を招いた。ミノフスキー・クラフトを搭載しないモビル・スーツは旧型に追いやられ、ストライクダガーもその中に含まれる。ストライカーは急遽バッテリー内蔵型のものが新造され、ストライクダガーは辛うじてミノフスキー・クラフトを身につける出力を得た。バッテリーの容量の関係上、大型ビーム砲を使用することはできず、火薬式の実弾を用いるほかなかった。
ドッペンホルン・ストライカーは妥協の産物である。
バッテリーの不足からビームを使用できず、新型モビル・スーツの量産も遅れていた。すでに旧式に追いやられた機体と、技術革新に追いやられた枯れた技術。
しかし、実弾を用いる大型砲には一つの利点があった。砲身はモビル・スーツの頭頂と同程度と長く、集弾率が高い。実弾である以上、ビームのように粒子の拡散による急速な威力の減衰もない。
雨が降り止まないボパールの空を、雨を弾き飛ばしながら一発の弾丸が飛翔した。それは音速を超える。目標となった者が発射音を聞くのは着弾、つまり撃たれた後である。
ザフト軍ピートリー級陸上戦艦はその大きなキャタピラーで残骸の山と鉄骨の木々でできた森を突き進んでいた。その時のことだ。たった一発の弾丸がキャタピラーの接合部分を正確に撃ち抜いた。破断するキャタピラーによって、ピートリー級は片足を失ったも同然である。その進路は大きく右に逸れ、そのまま一際うずたかく積もった残骸へと衝突する。
敵襲である。
周囲のヅダたちが即座に周囲の警戒を開始する。ライフルを構え、それぞれが互い互いの方向へ目を向ける。
しかし、これは何の意味もなかった。すぐに弾着と発射音の落差から発射地点、その距離が測定されたからだ。それは、1km以上離れた位置であった。
ありえない。そう、ザフト軍は浮き足立つ。ビームでそのような遠距離攻撃などできない。レーダーが不十分な現在、では目視で狙撃に必要なすべての情報を集めたというのだろうか。そんなこと、ありえないはずなのだ。
ではこれをどう説明しようか。1機のヅダ、その腹部を撃ち抜かれ血液の代わりに残骸をまき散らしながら倒れたのだ。やはり、発射地点は数km先と計測される。
もはや疑っている余裕はなかった。ヅダは一斉に散開し、敵に狙いを絞らせまいと動きまわる。ピートリー級は必死に残骸から抜け出そうとそのキャタピラーをめまぐるしく回転させる。
戦闘が予想される距離にはまだ到達していなかったが、すでに戦いは始まっていたのである。
ザフト軍から離れた残骸の上に、黒塗りのストライクダガーがあった。
それは通常の機体とはその色合いの他にもいくつもの点で異なっている。左腕に大型のシールドを保持していることも目を引くが、何より、そのバック・パックに特徴があった。2本角を意味するドッペンホルン・ストライカーは本来、左右一対2門の主砲を備えている。しかし、このストライクダガーに限っては右側にしか砲身がない。
三度、片角が火を噴いた。
雨水を吹き飛ばしながら砲弾が突き進み、数km先のヅダの腕を吹き飛ばした。
通信が飛び交う。
「狙われてる! 敵だ、狙撃だぁ!」
「馬鹿を言うな! 狙撃なんていまさら狙撃なんて……!」
「ありえない。ありえないぃ!」
ザフト軍にとってありえない出来事に見舞われていた。まるで、魔法にでもかけられたかのように。
狙撃に特化するため、ドッペンホルン・ストライカーの左の砲身を取り外した。重たいシールドは重心を機体中心に保つためでもある。ゆえに片角と呼ばれる。
実弾を用いることでビームにはできない遠距離の攻撃を可能とする。それはもはや迷信のように語られる狙撃である。それはもはや魔法のよう。
よって、この狙撃を成し遂げたセレーネ・マクグリフは異名で呼ばれる。片角の魔女と。
次のどれを狙い撃とうか。そう、セレーネ・マクグリフは獲物を弄ぶ。
ミネルヴァの格納庫には警報音が鳴り響く。
別の方角から進行中であった友軍が敵の攻撃を受けたのだ。それも狙撃されたらしいとの情報に、パイロットたちは一様に浮き足立った様子を見せていた。敵が一気に正体不明になってしまったからだ。従来の地球製モビル・スーツでは実行できないはずである。ならば新型機の可能性も捨てきれない。
すでにピートリー級の中には足を奪われ集中攻撃を浴びているものもあるらしい。
出遅れを取り戻そうとインパルスガンダムたちがカタパルトへと向けて歩き出していた。それにも構わず、レイ・ザ・バレルは各機へと通信と飛ばしていた。
「不確かな情報だが、敵は狙撃を行ったらしい。詳しい説明をしている時間はないが、このガンダムの時代において非常に不可解な戦法だ。どのような機体を使ったにしろ簡単なことではないだろう。また、狙撃がされた回数もどうやら限定されているようだ」
ヒルダが通信越しに急かす。
「つまりどういうことですか? 無駄話を聞いている余裕はありません」
「ボパールにはセレーネ・マクグリフというファントム・ペインがいるらしい。この狙撃はおそらく、片角の魔女の異名をとるこの女性の仕業だろう。この1人を仕留めることができれば相手の攻撃力を大きくそぎおとすことができるはずだ」
次に返事をしたのはヒルダの同僚であるヘルベルトとマーズである。
「つまり大将首を挙げろってことだろ」
「大事の前の小事。とっとと片付けましょうや」
そうして、ヒルダをはじめとする3機のインパルスガンダムが出撃していった。
続いてシンもまた自機をカタパルトへと移動させた。他のパイロットたちがフォース・シルエットを装備する中、1人だけ2本の大剣を背負ったソード・シルエットである。汎用性に優れたフォース・シルエットで大概のことはこなしてしまうため、インパルス乗りは自然とフォース・シルエットしか使わなくなる。そんなことを、シンは正規軍と行動を共にするようになってようやく耳にし始めていた。少なくとも、ここには5機のインパルスガンダムがいるが、ソード・シルエットを使用するのはシンだけだった。
空を覆う黒雲。降りしきる豪雨の中、戦いは始まった。
片角の魔女、セレーネ・マクグリフを討ち取る。それがザフト軍の目標として設定された。赤道同盟軍に所属するファントム・ペインの攻撃は継続しており、ピートリー級陸上戦艦が砲撃にさらされている。これ以上、狙撃を許せばザフト軍は貴重な戦艦を失うことになる。
地球侵攻を再開したザフトにとって、陸上戦艦を失うことは今後の展望に影響する大事と言えた。
よって、片角の魔女を討ち取ることは急務であった。
ヅダが鉄の森を突き進む。狙撃を恐れ飛行は控えられた。鉄筋の枝の間を滑るように移動し、汚染された泥と水とを吹き飛ばしていく。
そんな中、1機のヅダがストライクダガーをその視界に捉えた。雨を浴びる漆黒の機体が瓦礫の山の上に鎮座している。ドッペンホルン・ストライカーが片方だけの明らかなカスタム機である。
その姿は片角の魔女に違いなかった。
ヅダは襲いかかる。ブレイズ・ウィザードの多数のミサイルさえ内臓している大型バック・パックが雨を弾きながら輝きを増し、その鋼鉄の機体を宙へと舞い上がらせた。ストライクダガーの頭上をとるとともに放たれるビーム・ライフル。降雨とは言えその程度で減衰するほどビームの出力は甘いものではない。たやすく瓦礫の山を巨大な爆発で吹き飛ばす。
しかし、片角の魔女は逃れていた。爆発の中から何かが飛び出して来たと思うと、それは砲撃をヅダへと打ち上げた。ビーム・ライフルが破壊されるが、ヅダのパイロットは思い切りよくライフルの残骸を投げ捨てると肩のシールドに内蔵されたビーム・アックスを手に急降下を仕掛ける。
激突する2機のモビル・スーツ。ビーム・アックスはストライクダガーの大型シールドに防がれ、触れた雨をことごとく蒸発させる。
ストライクダガーが押し返すと、ヅダが飛び退くように両機は離れた。しかしヅダはすぐに攻撃に戻るつもりでいた。目の前には片角の魔女がいる。仕留めることさえできたならエインセル・ハンターののど元に刃を突き立てることができるのだ。
ザフトのパイロットたちの士気は高い。
そんな光景が、この毒と鉄の森の中、至る所で繰り広げられていた。
別のヅダが片角の魔女と戦っていた。鉄筋の森の中、木々を挟んでビームを撃ち合っていた。
また別の場所では、2機のヅダが片角の魔女を追っていた。鉄の森の中を縫って加速するストライクダガーを上空から追いながらビームを降らせ続けていた。
さらに別の場所では2人の片角の魔女がそのドッペンホルン・ストライカーによる集中砲撃でヅダを引き裂いていた。
ザフト軍が今、この森で何が起きているのかを把握するまでに時間はかからなかった。片角の魔女、その乗機がストライクダガーのカスタム機であることは間違いなかった。また、それが片方の砲身を除外した漆黒のストライクダガーであるという認識もすべて正しい。
ミネルヴァのブリッジでは通信を担当するクルーが情報を把握仕切れず要領を得ない報告を繰り返していた。片角の魔女の位置が報告の数秒後にはそこから数km離れた地点に移動したかと思えば、複数箇所が同時に報告に上がることもあった。
艦長であるタリア・グラディスは普段見せないほど焦りを見せていた。妙齢の女性として、部下に悪く言えば舐められぬよう毅然とした態度を崩さない彼女にしては珍しいことである。
「情報が錯綜している……?」
戦場においてそれは珍しいことではない。パイロットたちは必死に戦っている。その心理状態の中で正確な情報を伝えることは難しいからだ。しかし、この状況は異常と言えた。極限状態では説明しきれないほどの混乱ぶりなのである。
タリアは軍帽をかぶり直した。この行為そのものに大した意味はない。ただ、混乱し、艦長からの命令を待つクルーたちに応えるまでの時間を稼いだだけなのだから。そのわずかな間に、タリアはその状況を素直に受け入れることにした。
「これほど情報が混乱することはあり得ません。すなわち、報告はことごとく正しいことを前提に判断する必要があります。つまり……」
ここで、タリアは一度自分の考えを見つめ直すための一呼吸を置いた。
「片角の魔女は1人ではないと考えます。正確には、あれほど高度な狙撃能力を持つ者はセレーネ・マクグリフただ1人なのでしょう。しかし、同じ機体を複数そろえることでその正確な位置を隠し狙いを絞らせないようにしていると考えます」
そう、片角の魔女は1人ではないのだ。
魔女の呪いは、解けてしまえば呆気ないものだった。クルーたちは明らかに表情から錯乱した様子が消え、その職務に戻っていった。
しかし、当のタリアの顔色は優れない。理解していたからだ。まだ、魔女の魔法は解けていないのだと。
仮にタリアの推測が正しいとして、しかしセレーネ・マクグリフの正確な場所はわからないのだ。いや、把握することはできるだろう。だが、ザフトにはそのことを認識することができない。最後の1人を倒すまで、魔女の死を確認することはできないのである。
事実、情報に惑わされたモビル・スーツ部隊は鉄の森の至る所に拡散し、組織だった部隊行動を行うことができなくなっている。加えて、片角の魔女の狙撃は続いていた。ピートリー級のキャタピラーを集中的に狙っているのだ。機動力を削がれた陸上戦艦であれば、狙撃するほどの能力がなかったとしても十分に狙うことができる。すべてのセレーネ・マクグリフがピートリー級を狙うのである。
ここで陸上戦艦を失うことはザフト地上軍にとって大きな損失を意味する。しかし、ここにエインセル・ハンターがいる以上、撤退はあり得ない。長期戦を強いられ、そして、戦いが長引けば長引くほどピートリー級は失われていく。
ザフトは毒と鉄の森の中、魔女の術中にはまっていたのである。
魔女は1人ではない。そう、情報が共有されたところで、戦況はザフト有意に傾くことはなかった。それどころか目の前の魔女がセレーネ・マクグリフではないかもしれないという意識が、パイロットたちを浮き足立たせていた。
ヅダが片角の魔女の左腕を撃ち抜いた。これで魔女は盾を失った。
しかし、その時のことだ。また新たな狙撃が行われたと通信が入った。目の前の魔女は砲撃を行っていなかった。つまり魔女ではない。
そんな失意とも、他の魔女へ意識が奪われたとも言える一瞬の注意の散漫があった。その一瞬が、そのパイロットからすべてを奪った。ドッペンホルン・ストライカーが火を噴いたのである。ビームとは異なる実弾の持つ運動エネルギーがモビル・スーツの装甲に衝突する衝撃は雨を散らせながらその力の大きさを見せつけた。
ヅダは、その脇腹が完全に欠損しそのまま瓦礫の山に叩きつけられる。モノアイから輝きが消え、雨が打ち付ける。
コクピットは凄惨たる有様であった。破壊されたハッチから泥水が大量に入り込み、何十年も放置されていたかのような様相を作り出していた。モニター入り込んだ泥が画像を大きく歪ませていた。
そこに、緑のノーマル・スーツを身につけたパイロットが下半身をすでに泥水に浸していた。フェイス・ガードは汚れその顔をうかがうことはできない。外側は泥で汚れ、内部は血が張り付いているためだ。その手が、血まみれの手が震えながら顔の前へと上げられる。
「この血が……、エインセル・ハンターのもので……、あったなら……」
この呪詛と引き替えに、魔女は1つの魂を受け取った。
事切れたパイロット。それを乗せたままのヅダが屍の山に疲れきった戦士のように背中を預けて動かない。
空では、黒い雲がいつまでも晴れることがない。
魔法の正体が判明したことで、ザフト軍は理解した。自分達が混乱していると自覚したのだ。
ヴィーノ・デュプレはインパルスガンダムで森の上空を飛び回っていた。文字通り、ただ飛びながら同じような場所を回っているのである。
「なんだよこれ!? 魔女ばっかじゃん!」
特に広い範囲を見下ろしているヴィーノには、その範囲の中に少なくとも7人の魔女を確認していた。その魔女の中から狙われる度、ヴィーノは慌てた様子で機体を逃げさせた。
同じ部隊であるはずのシンやレイとはすでに別行動になっている。魔女の姿を追う中、森の深く深くへと誘導された。その結果、いつの間にか仲間とはぐれていたのである。
その頃、レイ・ザ・バレルは自機であるローゼンクリスタルを戦場の中心地から離れた地点にたたずませていた。直属の部下であるシン、ヴィーノとはすでに分断されている。アスラン・ザラから預かった3人のパイロットはレイの指示を受けるつもりはなかったと思われ、レイもまた彼らの指揮を執るつもりなどなかった。
「雨とはな。これではローゼンクリスタルの性能は発揮できんな」
ここで、レイはその端正な口元を歪ませた。果たして晴れていたなら、ローゼンクリスタルが十分に戦うことができたなら積極的に戦いに乗り出したかと言えば疑わしいことを自覚したからだ。
ローゼンクリスタルは純白のガンダムである。その体には黄金のラインが走り、背負う大型のリングはまるで後光を背負っているかのような印象さえ与える。その力がひとたび発揮されれば虚空に突如、ビームを発生させることが可能となる。
しかし雨の中、ローゼンクリスタルはただ全身を輝かせたたずむだけであった。
魔王を打ち倒さんと舞い降りた天空の騎士達が魔女と鉄の森で戦いを繰り広げている。
そんな中、風変わりな戦いが行われていた。
ザフト軍のガンダム・タイプであるインパルスガンダムと、地球軍の最新鋭機であるウィンダムによる空中での白兵戦である。
インパルスのパイロットはシンだった。2本の大剣を振り回し、雨を水蒸気に変えながら敵ウィンダムへと斬りかかる。対し、ウィンダムはビーム・サーベルとシールドでその猛攻をしのいでいた。
シンにはこのウィンダムがカーペンタリア基地での攻防戦で自分をこともなげに撃墜した機体だと理解していた。白く染まったカスタム機だったからだ。
しかし、両者の戦いは伯仲し、2機は幾度となく切り結んでいた。
残念ながらシンがこの短期間で急成長したのではない。機体は同じでもパイロットが異なっているのだ。
「翠星石には悪いけど、こいつは、あいつじゃない!」
シミュレーターで幾度となくエインセル・ハンターと戦わせてくれた緑の少女のことを思い出しながら、シンは同時に意識を加速させようと努めていた。
ウィンダムの攻撃が来たなら、まず跳び上がってかわす、と思いきや即座に剣を振り下ろし、攻撃が命中したことを確認することもなくもう1本の剣をなぎ払いウィンダムを切断する。そう、予定を組み上げる。
そして、ウィンダムがビーム・サーベルによる突きを繰り出した時、シンはインパルスを浮かび上がらせる操縦のすぐ後に剣撃を一撃、二撃と流れるような仕草で行った。しかし、敵もまた、シンと同等の速さで一撃目をかわすと、二撃目はシールドを強引にぶつけることで防いだ。
「こいつも意識の加速ができるのかよ!?」
速さでは互角ということになる。
シールドに食い込んだ大剣は膨大な熱量で盾を融解させながら食い込んでいく。無論、このまま両断させてもらえるほど生半可な相手ではなかった。ウィンダムはシールドを強引にひねるとそのまま投げ捨てた。突然のことに反応が間に合わなかったシンは、大剣を1本、絡め取られる形で捨てさせられた。
そう、認識した時には、インパルスのコクピットを激しい衝撃が襲っていた。ウィンダムの体当たりをまともにくらったのである。相手はシンが予測を立てた数手先を文字通り行っていたのである。
70tにも及ぶ鉄の塊が衝突してきたのだ。インパルスはシンに声を上げさせる余裕を持たせないほど激しく揺さぶられ、大きく高度を落としていく。シンは操縦桿を握り、必死に機体の体勢を整えようとしていた。
しかし、意識の加速が疎かになっていた。
敵は既に次の行動に移っていたのである。上空からミノフスキー・クラフトの加速を頼りに急降下すると、インパルスに強烈な蹴りを食らわせた。
再び空から振り落とされていくインパルスガンダム。バック・パックがミノフスキー・クラフトの出力増大に比例して輝きを増し、シンは足を下に鉄の森の泥の地面に轍を刻みながら辛うじて着地を成功させた。落下も同然の無理な着陸にインパルスはフレームが軋み、損傷を知らせる警告が全身から発せられていた。
だが今は戦闘中である。シンはすぐにつぎの行動に移ろうと敵の位置を確認しようとした。そのこの自体が、すでに敵に遅れをとったことを意味していた。敵はすでに次の行動に移っていたからである。
モニター一面にモビル・スーツの手が映し出されていた。
コクピットを握りつぶされるのかと思わず身震いするシンだが、モニターに映し出されている映像はモビル・スーツの頭部に搭載されているメイン・カメラのものである。ウィンダムはインパルスの頭部へと手を伸ばしているのだ。
そして、ウィンダムは着地の状態のまま、中腰のインパルスの頭部を掴んだ。
「何がしたいんだ、こいつ……?」
シンがこう考えたことも無理はない。いくらモビル・スーツといえども素手で機体を引き裂くことはできない。しかし攻撃以外にも相手に触れる意味があることを、シンはすぐに思い出した。
接触通信がある。モビル・スーツの装甲の振動を利用した極めて限定的な通信方法である。
冷めた少女の声が聞こえてきたのは、すぐのことだった。
「聞こえる? あなたはシン・アスカでしょ?」
シンにはこの声に聞き覚えがあった。たった一度出会っただけの相手の声によく似ていた。
「ヒメノカリスなのか……?」
オーブで献花台の前で出会った少女のことを、シンはその純白のドレス姿とともに思い出していた。その鮮やかな桃色の髪とも相まって人形とも、どこかの姫君のようにも思えた少女の、不釣り合いなほどに冷淡な表情が記憶に焼き付いていた。
「シン・アスカ、あなたのことを調べた。オーブ出身のザフト軍パイロット。母はマユ・アスカ。フィンブル落着の際にはミネルヴァ所属の部隊として参加した。そうでしょう?」
「エインセル・ハンターの娘であるここにいるなら、やっぱりエインセル・ハンターはここにいるんだな?」
「確認させて、シン・アスカ。スティングを殺したのは、あなた?」
シンは同じように口の中が乾く感覚を味わいながら、記憶を甦らせていた。ヒメノカリスが話していた。弟も言える人を戦いで亡くしたのだと。シンは自分こそが仇だと考えながらそれを明かすことはできないでいた。
ウィンダムが掴む腕に力をこめ、そのことで跪いた姿勢のインパルスがさらに体を深く沈ませることとなった。
「答えなさい、シン・アスカ」
「そのスティングて人が、緑のイクシードに乗ってたなら……、間違いない。俺が殺したことになる」
「あの時、私はあなたにお父様が仇だと明かした。あなたはどうして明かさなかったの?」
「俺が殺したって確信がもてなかったし、それに、……俺に責任を負う資格があるのかわからなかった。別に言い訳するつもりなんてない。でも、あの時の俺はおかしかった。まるで、夢でも見てたみたいに意識が曖昧で、いつの間にか殺してたんだ……」
こんな言い訳染みた理由が果たして通じるのか、シンとて自信はなかったことだろう。しかし、ヒメノカリスは意外なほど冷静な様子であった。姿は見えないが声に怒りだとか激昂を感じ取ることはできない。
「これで、あなたは私たちの仇になった。あなたがお父様を殺そうとするように、私もああなたを殺そうとできる。違う?」
「そうかも……、しれない」
「まだお父様を狙うつもり?」
「あいつは、母さんを殺したんだ!?」
「あなたの母親に、あなたに仇ととてもらうほどの資格があるの?」
シンは心臓をつかまれたような不快感とともに一気に鼓動が早まったことを自覚した。そんなシンのことを構わず、ヒメノカリスは抑揚のない声で言葉を重ね続ける。
「マユ・アスカは1人であなたを産んだ。結婚歴も離婚歴もない。だってそうでしょう。あなたに父親はいない。あなたは、精子バンクで販売されていた精子の人工授精で生まれたから。マユ・アスカは大金を支払って優れた遺伝子を手に入れて、そして調整まで施してあなたをコーディネーターとして産んだ。教育熱心だったんでしょう? 実際、あなたは成績優秀だった。お母様は褒めてくれた? テストで満点をとれた時、かけっこで一番になれた時?」
シンは途中からヒメノカリスの声が耳に入らなくなっていた。4年前に亡くした母のことを思い出しながら、しかしその耳は確かに純白の少女の口から漏れたある言葉を聞き逃すことはなかった。
「あなたのお母様はあなたを愛してたの? それとも、優れた子どもだったらあなたでなくてもよかったの?」
「お前に!」
シンは思わず叫んでいた。
「お前に何がわかる! 俺と母さんの何が!」
「あなたにはわかるの! 私とお父様のことが!」
モビル・スーツ2機分の装甲を介して、2人の少年少女はその思いを真っ向からぶつけ合った。
外では雨音が激しい。周囲の戦闘も激化の一途をたどっている。しかし、コクピットの中は静謐の一言に尽きた。思わず声を張り上げたシンの荒い息づかいだけがインパルスの中には響いていた。
戦いは遠く、雨は兵器によって阻まれる。シンが乗る、戦争の道具によって。
「私はお父様が愛しい。だから奪わせない。誰にも」
父を思う少女が見せたのは意外な行動だと言えた。
「シン・アスカ。お父様はあなたに興味を持ってる。それはなぜ?」
ウィンダムが手を放し、インパルスを置いて歩き始めた。弟の仇を前にすることには思えない。それ以前に、ヒメノカリスは尋ねておきながらシンに答えるだけの間を与えることもなかった。
最初からシンが答えを知っているはずがないと高をくくっていたのだろう。あるいは、答えを聞くつもりもなかったのかもしれない。
まだ整いきらない呼吸のまま、シンはモニターに映るウィンダムの背中を見ていた。それが少しずつ遠ざかる中、シンは少女の名を呼んでいた。
「ヒメノカリス……」
このことにどんな意味が込められていたのかさえ、今のシンにわからないでいた。自分の気持ちさえ、理解しきれないでいた。