ザフト軍ラヴクラフト級特殊戦闘艦ミネルヴァの展望室にて、ルナマリア・ホークはため息混じりにつぶやいた。
「オーブって何考えてるんだろ……?」
窓越しに見えるのはオーブ首長国のヤラファス港に並ぶ大型船たち。問題は、その中の一隻にあった。ステイガラー級MS搭載型空母、プラントと敵対する大西洋連邦の軍艦が同じ埠頭に隣り合わせで停泊していた。
いくら中立地帯とは言え、敵対する国の艦船を並べるオーブの考え方が理解できない、それがルナマリアの現在の心境だった。
ルナマリアはもう一度、深いため息をついた。そこで思い出す。すぐ後ろ、横一列に並べられた椅子に座っている人物のことを。
「って、シンの故郷ってオーブだっけ!?」
ルナマリアが慌てて振り返ると、左頬の痣に手を当てたシン・アスカの姿があった。
「いや、別に気にすることないけど……」
ルナマリアの慌てた様子には、シンの方がかえって戸惑わされたらしい。
すれ違う2人の脇を、展望室にいる3人目の人物が通る。ヴィーノ・デュプレがその人なつっこい少年を思わせる風貌通りの大げさな動きで、窓から空を見上げ始めた。
「にしてもさ、地球ってすごいんだな。天井のない空って初めて見た」
その動きはどこか不安げだ。
プラントは地球上に国土を持たない。生粋のプラント国民であるヴィーノはコロニー以外の環境を知らない。どこまでも広がる空を目にするのは初めてのことだった。
「これ、外に出たとたん空に吸い込まれたりしないよな……?」
「何言ってるのよ、ヴィーノ? ……でも、ちょっと不安ね……」
「だろ?」
ルナマリアもプラント出身である。地球に初めて降りた2人は、まるで高いところから見下ろすように腰の引けた様子で、空を見上げていた。
そんな2人をよそに、シンは左頬の痣から手を離せないでいた。
ミネルヴァの格納庫にはZGMF-17Sインパルスガンダムの他、特別なガンダムが2機並んでいた。青い翼を持つZZーX3Z10AZガンダムヤーデシュテルン、純白の後光を背負うZGMF-X17Sガンダムローゼンクリスタルの2機である。
これら特機のパイロットたちもまた、キャット・ウォークに並んで愛機の姿を見上げていた。
レイ・ザ・バレルはアスラン・ザラの話を聞いていた。
「ライナールビーンがいたのは確かな情報なのか?」
「ああ。レイも少しは俺を信用してくれていい。小惑星落着に紛れて地球降下を果たした部隊の中には地球軍の襲撃を受けたものもある。襲撃に赤い特殊なガンダムが加わっていたことが確認されてる。おそらく間違いないだろう」
「フィンブル落着の混乱を利用するとは、俺は聞いていないが?」
「現場が知っていても仕方のないことさ。それに、プラントと地球とでは小さく見積もっても10倍の国力差がある。使える手は何だって使うべきだ」
地球を混乱に陥れるために破砕活動を妨害したザフト軍が、混乱を利用したところで今更驚く者などいないことだろう。レイもまた、すぐに話題を切り替えた。
手元のタブレットをのぞき込みながら、レイは交戦が確認された地点と現在の座標とを見比べる。
「場所からして、隣に停泊している船にいる可能性が高いな」
「ああ。これでオーブにはゲルテンリッターが3機もそろったことになるな」
「テットとはもう10年以上会っていないが……」
「今の名前はキラ・ヤマトだ。いや、今はネオ・ロアノークと名乗ってたかな?」
2人の会話はどこか空虚だった。お互い顔をあわせようとせず、特に話題を発展させようともしていない。単なる事務的な報告を世間話をしている風に装っているだけ、そんな距離感があった。
そのためか、ルナマリアが走ってきた時、2人は自然と会話を切り上げ、どこか興奮気味な少女兵の方を見た。
「アスランさん、それにバレル隊長、街に行ってみませんか? シンが案内してくれるって言ってます! 天井のない空、見てみません?」
すぐに追いついてきたヴィーノがわかりやすく首を傾げた。
「シン、そんなこと言ってたっけか?」
「言ってたのよ」
おそらく言っていない。ルナマリアがシンに案内させる気でいることだけは、レイもアスランも理解した。
とうのシンは気乗りしない様子で遅れて到着した。
アスランは左頬の痣を気にした様子のシンに質問を投げかけた。
「君はオーブに縁があるのかい?」
「元々……、住んでましたから」
現在のプラントでコーディネーターでないこと、プラント出身でないことを公言したがる人間はいない。シンもまた、言葉をわずかに濁した。
しかし、ルナマリアはそのことに気づいた様子はない。
「行きませんか、アスランさん、隊長?」
2人に問いかけておきながら、少女の目はアスランのことしか見ていない。
「すまないが、片づけないといけない用事がある。レイなら行けるんじゃないかな?」
気づいたアスランがレイに目配せすると、さすがのレイも思わず苦笑してみせた。
「そうだな。たまには地球を歩くのも悪くない。俺では不満かもしれながな」
レイの明らかに冗談めいた口調にも、ルナマリアはついぎこちない目の動きで視線をそらした。
「わ、悪いだなんてそ、そんなありません……」
こうして、ルナマリアを先頭にヴィーノが続き、シンとレイがその後をついて行くという形で、4人は格納庫の出口へと歩き出した。
そんな彼らの背中を見送るアスランの顔からは愛想笑いがなくなり、冷めた眼差しでつぶやくばかりだった。
「それに、この国にはあまりいい思いでがなくてね」
自由と正義の名の下に、この映画には描かれなかった事実の欠片が、この国には転がっている。
オーブは各島の役割分担がはっきりとしている。ヤラファス港を持つヤラファス島は観光地として知られている。石造りの古風な町並みに、通路の両脇に並ぶ店は観光客でにぎわっている。よく晴れた天候も重なって街はにぎわいを見せていた。
ただ、街を歩くルナマリアたちは居心地の悪さを感じていた。ちょっとしてお出かけのつもりで軍服姿のままだった。ザフト軍の軍服を見ると、観光客たちは露骨にルナマリアたちを避けたからだ。
「なんか感じ悪~」
シンはその理由を知っている。それでも敢えて、説明しようとはしなかった。
ルナマリアももちろん、周囲には聞こえないように声にしたつもりだった。しかし、周囲に人が少ない以上、普通の人混みと同じ感覚では声が聞こえてしまうことがある。
4人のザフト兵に声をかけたのはサングラスをかけた1人の若者だった。
「この街で軍服は浮くからね。それにザフトの制服は、やっぱりまずいんじゃないかな?」
シンの目に若者はレイと同じくらいの年頃で、一見すればごく普通の少年に見える。ただ、軍人を前に見せる手慣れた雰囲気や隙のないたたずまいはシンに奇妙な緊張を強いた。
もっとも、ルナマリアは特に気にした様子を見せていなかった。
「どういうことですか?」
「話してあげてもいいけど、立ち話もなんだし、ちょうど僕の連れも喉が渇いたみたいだ。場所を変えるのはどうかな?」
若者が示した場所には女性が2人いた。
シンはこの時、初めて心を奪われるという体験をした。女性の1人はウェーヴのかかった桃色の髪に、瞳は澄んだ青さをしていた。純白のドレス姿はまるで人形にそのまま息吹を吹き込んだようだった。とても生身の人間とは思えないような不思議な雰囲気に飲まれ、シンはしばらく少女から目を離すことができずにいた。
そんな時、白の少女の手を誰かが引いていた。こちらも少女だ。ワンピース姿で、大きな瞳や白の少女に隠れるようにしている様子が、身長はほとんど変わらないのに幼さを感じさせた。
「ねえ、ネオ。どうするの?」
「ステラ、もう少し待ってて欲しいんだ。それで、ちょっとお茶するのはどうかな?」
ルナマリアはシンたちの様子をうかがいながら答えた。
「私はいいですけど……」
このグループを引っ張っているルナマリアがいいのなら、シンたちが拒む理由はなかった。こうして、4人と3人の7人は喫茶店に場所を移すことになった。
決して広くない店内に、古風なテーブル、レトロな雰囲気を持つ喫茶店の中で2つのテーブルを並べて座ることとなった。グループがそれぞれのテーブルに分かれる形で椅子を並べている。
一通り注文した飲み物が並んでから、若者はサングラスを外すことなく話を始めた。
「もう4年前の話になるけど、お祭りの時にザフトのモビル・スーツが暴れたんだ。オーブ軍と交戦して、怪我した人も大勢いるし、亡くなった人も出たくらい大騒ぎになったんだ。ヤラファス祭は、それ以来行われてないってくらい、オーブ国民の心に深く刻まれた事件があったんだよ」
オーブ出身のシンはもちろん知っている。しかし、プラント出身のルナマリアとヴィーノはわかりやすく動揺していた。
「ヴィーノ、知ってた?」
「いや、聞いたことないけど……」
それでも事実だった。シンは1週間、テレビがその話題で持ちきりになったことを思い出しながら答えた。
「いかにも恋人たちの憩いの場所って感じの庭園があったんだ。けど、そこも燃えちゃってさ、今じゃ、この事件と戦争の被害者の慰霊碑が置かれてる。ま、プラントでザフトのモビル・スーツが暴れたって話、聞いたことなかったけどさ」
外れにあるため、町中からは見えない。この町を知らないはずのルナマリアやヴィーノが見ている可能性は低かった。
それでも地球出身の仲間が嘘をついているとは考えなかったのだろう。ルナマリアは徐々に声が大きくなっていた。
「でも、映画じゃそんな場面、ありませんでした……!」
興奮し始めたルナマリアに比べて、若者は落ち着いてた。紅茶を少し口に含んで、話を続ける。
「自由と正義の名の下に、かい? あの映画だと冒頭のコロニー崩壊も全部地球軍の仕業になってるね。でも実際は、ザフト軍が作戦を強行して発生した戦闘によって崩壊したんだ。別に地球軍を正義だとは思わないけど、プロアパガンダであることくらいは認識した方がいいかもしれないよ」
「でも! 地球軍が中立地帯のヘリオポリスで兵器開発なんてしなかったらザフトが攻め込む必要なんてなかったんだです! ジェネシスだってそうじゃないですか! 地球軍が核なんて野蛮なもの使うから、使うしかなくなっちゃったんじゃないですか!」
さすがに迷惑だろうとヴィーノが心配した様子でなだめようとしても、ルナマリアが落ち着きを取り戻すことはない。
ただ、シンはどうしてか冷めた気分でルナマリアと若者の話を聞いていた。ルナマリアが、こんなに熱くなるのを見るのは初めてだと思いながら。
若者はひどく冷静だった。
「地球を滅ぼすことが仕方ないことかな?」
「私たちは平和に暮らしたいだけです。その思いをいつも踏みにじるのは地球だって言いたいんです! 地球が軍隊なんて持ってなかったらザフトなんて必要ないんですから!」
「もしも地球が軍隊をなくしたら、ザフト軍が侵略しないことを誰が保証してくれるのかな?」
「じゃあ何ですか!? 攻められても私たちはなすがままにされろってことですか! それこそ一方的じゃないですか!」
後少しで立ち上がりそうなルナマリアを押しとどめるヴィーノの努力は空回りしてあまり役立っていない。
場の雰囲気を一変させたのはヴィーノではなかった。ティー・カップを置く固い音が聞こえた。それだけで、騒いでいたルナマリアが言葉をとめて、全員の視線が1人に注がれることになった。
桃色の髪をした少女が飲み終えたカップを置いたところだった。表情に乏しく、余計に人形じみた印象を受ける。そんな独特の雰囲気に、ルナマリアも気圧されたようだ。
「ネオ、そろそろ時間だから、私たち、行くね」
少女は立ち上がると、もう1人の少女と手を繋いで歩き始める。ワンピースの少女はどこか安心した様子で、白の少女と店を出ていった。
時間と言われて、シンも時計を確認した。もう店の外では夕日が町並みを赤く染める時間になっていた。
「すいません、ちょっと俺も抜けていいですか?」
シンがとりあえず聞いた相手は、非番とは言え上官であるレイだった。もっとも、見当違いだったらしく、レイは手を振って真剣に取り合うことはなかった。
「俺の許可を得るようなことではないだろう」
ルナマリアたちもシンを引き留めることはなかった。
シンが店を後にすると、若者はルナマリアも再び声をかけた。
「じゃあ、話を戻そうか?」
「もう結構です!」
立ち上がり店から出ようとするルナマリアを、ヴィーノが慌てた様子で追いかけていく。
「おい、ルナ……。今日はどうしたんだよ……?」
これで、テーブルを囲むのは若者とレイの2人きりになってしまった。
レイは紅茶を片手に若者へと薄く笑みをこぼした。
「アンフェアではないか? ヘリオポリスもヤラファス祭の件も、ザフト軍の指揮を執ったのはラウ・ル・クルーゼだ。彼は大西洋連邦軍のスパイだろう」
「別に僕はザフトを悪だと言いたかった訳じゃない。ただ、国の語る正義は取り繕ったものだって示したいだけだからね。ところで、今の名前は?」
「レイ・ザ・バレルだ。お前はネオ・ロアノークだそうだが、ゼフィランサスからはどう呼ばれてる?」
「キラだよ。キラ・ヤマト、この名前で呼んでくる人はまだ以外と多いんだ」
日が傾き始め、街並みが少しずつ朱に染まっていく。シンがオーブにいた頃は何度も見たはずの光景だった。それでも、どこか真新しいものを見るような違和感がまとわりついて離れなかった。
シンはふと花屋に目をとめた。道にはみ出す形で並べられた花が軽く香っている。気恥ずかしさも手伝って少し離れた位置から店内を見ると、店先に置かれていた花が目に付いた。シンには何の花かなんてわからない。花言葉なんてもってのほかだ。ただ小さな白い花びらを咲かせた花が売られていた。
シンは店員の男性に声をかけた。
「この花、お願いします」
見つけた、白い花を指さして。
店員は若い男性だった。この仕事は長いのか、エプロンを身につけた姿が様になる。ただ、妙に愛想がない。無言のまま指定の花を手にすると、それを包み始めた。
そんな無愛想な店員にシンが話かけられたのは、唐突なことだった。
「ヤラファス祭事件のこと、ここじゃ忘れられない人も多い。それに、フィンブル落下じゃ、プラントはまたやらかしたそうじゃないか」
ここでオーブ国民であった事実を明かしても何にもならない。そう、シンは無言を貫いた。
「こんなこと、君に言っても仕方がないとは思うけどね」
語尾にはため息がついていた。店員は無表情のまま、シンへと花束を差し出した。シンは受け取って、ポケットから2枚の紙幣を取り出す。男性はその内1枚だけを抜き取った。
「嫌な思いさせたお詫びだ。少しだがおまけしておこう」
店員が店の奥へと引き返していき、シンはそのまま店を出た。再び、石造りの道を歩き始めた。
白い花束を掴む手の袖口は、ザフト軍のエリートの証である赤い色をしている。軍服の厚手の生地も迫る夜の風の肌寒さからシンを守ってくれることはなかった。
「俺はもう、どこ行っても異邦人なんだな……」
町の外れについたのはまもなくのことだった。大きな下り階段の先が開けていた。4年前までは季節の花々が咲き乱れていた公園は、今は石碑が並ぶ冷たい景観に変わっていた。
ここに、事件と戦争の犠牲者の名前が刻まれている。
夕日に染められた墓所には人の姿がまばらに見えた。
シンは重たい足取りで階段を下っていく。ここに石碑が設けられたのは休戦条約以後しばらくしてからだ。その時にはオーブを出ていたシンがここを訪ねるのは初めてのことになる。
母の、マユ・アスカの名前がどこに刻まれているのか、シンは知らない。見知らぬ誰かが、知らない誰かの名前が刻まれた石碑の前で泣いていた。
シンは石碑が左右に並ぶ道をそのまま進み続けた。その先に献花台があることを知っていたからだ。
献花台には、先客がいた。見間違うはずもない人たちだ。白い人形のような少女と、少女について離れないワンピースの少女、この2人とシンは思いがけない再会を果たすことになった。
少女たちもシンのことに気づいたらしい。献花台の前から退いて、シンに道を譲った。すでにたくさんの花が置かれた献花台へと、シンもまた、自分の花を置いた。それだけだった。冥福を祈りたいとか、そんな目的は最初からなかった。
少女たちはまだ献花台のそばにいた。シンはまだ名前を名乗ってさえいない少女たちと話をしてみようと考えたのは、他の人はこんな時、どうするかを知りたかったから、そんな単純な理由からだった。
「まだ、名乗ってませんでしたよね。俺、シン・アスカって言います」
ステラと呼ばれていた少女は、やはりドレス姿の少女の後ろに隠れるように立っている。そのため、話は白の少女を中心に進むことになった。
「私はヒメノカリス・ホテル。この子はステラ、ステラ・ルーシェ」
シンは姉妹にしては似てないと考えていた。ただ、2人がどんな関係なのか、聞くにもなれなかった。
「俺の母さん、大西洋連邦軍が侵攻してきた時亡くなったんです。でも、あまり悲しいって気持ちになれなくて……。母さん、仕事人間でいつも家にいなくて……、そんな母さんが血相変えて帰ってきたと思ったら軍隊が攻めてくるから逃げなさいって俺を連れだしたんです」
4年前、オーブは大西洋連邦の侵略を受けた。国防のためと軍事力に力を入れた結果、大西洋連邦にとって無視できない勢力になったからだとシンは考えている。
「政治家たちはこれが国のためだ、これで国を守れるとか言っておきながら、結局攻め込まれる理由作ることしかできなかった」
献花台に置かれた花を眺めながら、シンは口の端をつり上げて皮肉めいた顔を作った。自分が何に対して怒っているのか、わからなくなったからだ。
「なんか矛盾してますよね? 母さんが死んだこと、別に何とも思ってないのに、一丁前に国のことが嫌いだとか。……すいません、初対面の人にこんなこと話して……」
シンの愛想笑いを、ヒメノカリスと名乗った女性は表情を変えることなく見ていた。受け入れも拒絶もしない。シンにはその顔は、そんな何とも不思議な表情に見えた。
「私は弟とも言える人、ステラには大切な仲間を失った」
次に語り出すのはヒメノカリスの番だった。
ステラと呼ばれた少女は、女性の腕にしがみついて何かをこらえるように体を震わせている。
「スティングは破砕活動の途中でいなくなったの……! でも、軌道計算したら、オーブの領海に落ちたって……」
「スティングは、きっと死んでしまっている。私たちにはこうして花を捧げることくらいしか、できることがない」
「破砕活動って……、じゃあ、あなたたちは……」
オーブ軍が参加した話も聞かなければ、同時に目の前の少女たちが軍属だとも、シンは考えていなかった。ただ、考えられる答えにはすでに思いついていた。答え合わせを、ヒメノカリスは何も気負うことなく口にした。
「大西洋連邦軍に所属してる軍人」
すぐには信じられず、シンは瞬きを繰り返した。しかし、ヒメノカリスとシンの年齢はそんなに違わない以上、服装だけで所属を判断することは誤りだと思い直す。2人を破砕活動に参加した軍人だと想定した場合、シンには一つの考えが思い浮かんだ。
破砕活動には、黄金のガンダムが参加していた。
「……金色のガンダムのこと、知りませんか? あのでかい奴です」
答えはシンが想定していた以上にあっさりと返ってきた。
「ZZ-X300AAフォイエリヒガンダム。ガンダム・システムを開発したゼフィランサス・ズールが最初に手がけた3機の内の一つ」
「4年前、オーブ侵攻にも参加してましたよね? その時のパイロットって、わかりますか?」
「エインセル・ハンター」
「エインセル・ハンターって、あのブルー・コスモスの代表?」
「私のお父様でもある。でも、今ここにはいない」
ここで一息つくように、シンはなぜか息苦しくなっていた呼吸を整えな直すことにした。息を吹くと、それは自然と皮肉めいた表情を作り出す。
「どうしてそんなことまで教えてくれるんですか? 俺たち、どこからどう見ても敵同士ですよ」
「あなたが暗い目をしてたから。ステラがこんなに怯えてしまっている」
小動物のように思えたステラは、今は明らかに怯えていた。シンが視線を送るとヒメノカリスの後ろに体を隠そうとする。その時になって初めて、シンは自分がヒメノカリスのことを睨んでいたのだと気づいた。
単なる事実確認だけのつもりが知らず知らずの内に熱くなっていたことに、シンは自分のことながら戸惑いを隠せなかった。
「それじゃあ、何の説明にもなってませんよ……」
少なくとも、ヒメノカリスが怯えているようには見えない。その口調はあくまでも平静そのものだった。
「戦いで大切な人を亡くしたんでしょ。お父様は4年前のオーブ解放戦線では陣頭指揮を執った。だから、お父様はあなたにとっての仇になる」
「だから、あなたが娘だって言うなら、普通隠すはずだ!」
「お父様がここにいたなら、必ず自分が仇だと名乗り出る。だから教えることにした。それに、あなたにお父様は倒せない。お父様は、私が守るから」
敵対する国家の軍人同士の独特の緊張感が流れた。ただ、さすがにシンも銃を携帯していない。それはヒメノカリスも同じだろう。
シンは両方の手のひらを見せて、意識的に空気を濁した。
「お互い、ここじゃ荒事はなしにしましょう。でも、もしも戦場で会ったら、俺、手加減なんてできませんからね。あなたにも、あなたのお父さんにも」
「当然でしょう」
軍人である以上、戦争をしている以上、殺し合うことさえ推奨される間柄なのだから。
花を供え、シンがここに来た目的の大半はすでにすんだことになる。これ以上ここにいても微妙な空気になってしまうだけだろうと、シンは立ち去るべく体を振り向かせた。
ちょっとした好奇心がシンに芽生えたのは、本当に気まぐれからだった。
「スティングって人、どうして亡くなったんですか?」
ヒメノカリスにも予想外の質問だったためか、隠れたままのステラが小さな声でつぶやいた。
「破砕活動の途中、敵のインパルスガンダムに撃墜されたから。イクシードガンダム壊されたからぁ」
声を聞いた一瞬で、シンは体の動きを止めた。
破砕活動に直接参加できたモビル・スーツは限られている。イクシードガンダムとはシンたちがカラミティと呼んでいた大西洋連邦製のガンダムだった。そして、シンはインパルスに乗り、意識を奪われたような不思議な感覚のままカラミティを撃墜している。
シンが思わず考え事をしていると、それはさすがに不自然な間になっていたらしい。ヒメノカリスがシンへと問いかける。
「どうしたの?」
「いや……、何でも……。それじゃ、俺はこれで……」
シンは歩き出す。逃げるように、そう表現することが適切かもしれない。先程まで胸中に渦巻いていた怒りだとか憎しみは、いつの間にか戸惑いに置き換わっていた。
早足で庭園から離れながら、シンは推測を少しずつ確信へと変えていく。見も知らないスティングを殺したのは自分だと。ではなぜそのことを2人に告げなかったのか、確信がないからと自分に言い訳しても、純然たる復讐者でいたかったからにすぎない。
気づくと、すでに町中に戻っていた。すでに日が来れ、人足もまばらになっていた。暗くなってきたせいもあって、昼間ほど軍服姿が目立つこともない。
「俺は……、一体何がしたいんだよ……?」
母のことを気にしていない、そのはずだった。しかし、シンは母の仇の名を求めた。母を見殺しにした母国も、母を殺した敵国からも逃れてプラントに渡ると、自分もまた他の誰かの仇になっていた。
今のシンにはできることがあまりに少なく、わからないことが多すぎた。
シンが去った後、太陽の沈んだ庭園では点灯した照明が献花台を、石碑を照らし始める。人々が捧げた花を、ヒメノカリスが見つめ続けていた。すがりついてくるステラに慰めるように頭を撫でながら。