C.E.64年。大西洋連邦ラスベガス近郊。
乾いた大地に覆われたなだらかな山岳帯を夜の闇が包み、星明かりだけが地上を照らしている。
疎らな低木以外には何もない荒野の中、小さな灯火が見られた。テントが張られている。
そのテントの中では2人がランプの明かりを挟んで座っている。ランプの小さな明かりでさえ満たせるほどにテントは小さい。
テントの中から親子の声がした。
「ほら、ファイブ・カードだ」
1人が手に持った5枚のカードを見せながら言った。無精髭を生やした口元を自慢げに歪ませた男性の手にはジョーカーと残り4枚のカードすべて同じ数のトランプがあった。同じ数のカード4枚に加えジョーカーを揃えることで完成するこの役は難度が高く滅多に見ることのできない。
子どもの方はまだ髭など望むべくもない幼い口元を尖らせてカードを見せた。カードは数字、種類ともバラバラで役は揃っていない。
「ぜんぜん揃わないよ……」
少年はしょぼくれた様子で父を仰ぎ見る。
「種を教えてやろうか」
父はそう言うと袖をめくり上げた。すると、袖の中にはカードが隠されていた。
「初めから袖にカードを何枚か仕込んでおくんだ。手札からいらないカードと袖のカードを入れ替えると役が作りやすくなるだろ」
子どもは抗議の声を上げる。ただ、それは反感というより、父のお茶目を面白がっている様子でもある。
「イカサマじゃん!」
「よしよし。お前にも教えてやろう。だが、イカサマはばれたらまずい。その時はちゃんと、これが初めてだった、これまではしてなかったと誤魔化すんだぞ」
「うん!」
素直な息子の額を撫でてから、父は悪巧みを息子に仕込まんとその手口を語り始める。
「まずはこうしてだな。コツとして……」
袖に仕込む方法から、仕込むべきカードの選び方、カードを入れ替えるタイミングの読み方まで一通り話終えたところで、時間を告げるアラームが鳴り響いた。
「お、時間だな。やっぱり星を見るには荒野に限るな」
「どうして?」
「空気が乾燥しているからだ。余計な水蒸気がないから星が霞まないんだ。言ってもわからんかなぁ?」
父と子。2人は揃ってテントの入り口から身を乗り出した。すぐ外には立派な天体望遠鏡が夜空へと向けられていた。こんな寂しい場所に親子2人でいるのは息子を悪の道に誘うためではない。街の明かりにも邪魔されないこの場所が天体観測にはうってつけだった。
まずは父が望遠鏡をのぞき込む。いつものことで、まず父が目的の星を見つけ、すぐに息子に譲る。父に導かれ星を眺めることを、息子は心待ちにしていた。
しかし、今日に限っては父はいつまでも望遠鏡を息子に譲ろうとはしなかった。
「父さん……?」
父は望遠鏡をのぞき込んだまま、子どもにもわかるほど深刻な表情をしていた。
「あれは、何だ……?」
満点の星空の中で、星が喰われていた。見えない何かが星をたたき落とし、欠けた部分が暗闇となってごっそりと光が抜け落ちた。
空から落ちてくる何かが星の光を遮ったのだ。
C.E.64.4.1。プラントが地球へと大量のニュートロン・ジャマー、核分裂抑制装置を投下した日のことだった。この日、地球から光を奪われ、10億もの人命が数年にかけて失われることとなった。
この少年が目撃した光景もまた、そんな10億のうちの1つだった。
少年の名はスティング・オークレー。
地球に落下する小惑星フィンブルをめぐる戦いはなおも続いている。事実上、小惑星の地球落着を狙うザフト軍に対して、地球軍は部隊を展開。破砕作業が続けられる中、戦闘の光は小惑星を覆うように広がっていた。
フィンブルは地球の大気に呼応しその表面を赤熱し始めていた。
破砕のためのメテオ・ブレイカーは削岩ドリルで炸薬を岩盤深くにまで打ち込むことに成功していた。爆薬が炸裂すると、フィンブルが目に見えて震え、亀裂が走る。亀裂を赤熱する大気が通り抜け、巨大な岩石の塊が二つに割れる。
別のメテオ・ブレイカーの手柄があった。二つに分かれた小惑星の片割れがさらに二つに分かれる。小惑星は三つに分割された。
まだ足りない。燃え尽きるには十分な大きさを星の欠片は有している。
それでも、人は命を守るために手を尽くせないでいた。
ルナマリア・ホーク、ヴィーノ・デュプレのZGMF-56Sインパルスガンダムが2機がかりでメテオ・ブレイカーを運んでいる。18m級のモビル・スーツにさえ破砕機は手に余る大きさがある。
「なあ、ルナ。小惑星壊れたけど、まだこれ設置する必要あるのかな?」
「燃え尽きなかったら地球に落ちる重さは変わらないでしょ。それより注意して。重力が強くなってるから」
破壊力は質量と速度によって決められる。砕いても被害が均等に広がるだけで地球全体としての被害の総量は変わらない。
メテオ・ブレイカーを小惑星の地表へとゆっくりと下ろしていく。しかし、それに割り込むようにビームの光が横切った。
攻撃された。
「ル、ルナ! どうする!?」
「戦うしかないでしょ。敵からしたら邪魔してるにしか見えないし!」
メテオ・ブレイカーを離れる2機のインパルス。
接近してくる敵もまたガンダムだった。GAT-X252インテンセティガンダム汎用型、アウル・ニーダの機体と、ステラ・ルーシェのGAT-X370ディーヴィエイトガンダム特装型である。
緑の甲殻類を背負ったようなガンダムの中で、アウルは叫んだ。
「メテオ・ブレイカーをどうするつもりだよ、お前らぁ!」
インテンセティの頭部を覆うようにバック・パックが展開する。その口にあたる部分のビーム砲から高出力ビームが放たれる。回避するルナマリアたちのインパルスへと、追撃としてモビル・アーマー形態に変形したディーヴィエイトが弾丸の雨を降らせながら通り抜けた。
「敵は、倒す!」
こんな光景は散見される。プラントは地球を信じようとせず、地球はプラントを信じることができない。
こんな光景はどこででも目撃できた。
赤熱するフィンブルの上、生じた亀裂からも大気が高熱の蒸気となって吹き出していた。地獄と見紛う背景の中で、地球を守ろうとしている少年と、地球を守ろうとしている少年とが戦っていた。
シン・アスカのインパルスがビーム・ライフルを構える。
「俺は! 俺はぁ!」
スティング・オークレーのイクシードが胸部ビーム砲を放つ。
「もう、星は落とさせねぇ!」
そして、落ちていく星を舞台に戦いは続いていた。
フィンブルが落ちると聞いた時、スティングは10年前の光景を思い出した。後にエイプリルフール・クライシスと呼ばれるプラントによる無差別無警告のニュートロン・ジャマー投下事件を、スティングは父とともに目撃した。
空から星が切り取られ、街から光が消えた。たった一晩で崩壊した都市生活のただ中に人々は投げ出された。物流は滞り店から品物が消えた。完全な物資不足の中、救援は望めない。他の地域でも状況は似たり寄ったりだったからだ。限られた食料を巡って暴動が多発し、治安は急速に悪化した。
食料を巡る争いに巻き込まれた父が、集団に殴り殺される光景をスティングは目撃した。
終わりの始まりだった日のことを、スティングは星が落ちた夜と記憶した。降下するニュートロン・ジャマーに星の光が遮られた光景を、星が空から落とされたからだと考えた。
その日感じた恐怖がスティングの心には染み着いていた。
アウルやステラのような仲間に頼ることもできず、イクシードガンダムのコクピットの中に逃げ込むことしかできなかった。そこで震えているしかできなかった。
戦いは終息の兆しを見せ初めていた。
フィンブルはすでに大気圏にさしかかり、赤熱する大気とともに降下を続けている。現在のモビル・スーツはその大半が単独で大気圏突入を果たすことが可能だが、軍艦はそうはいかない。モビル・スーツにしても母艦から孤立することはできない。
もはやフィンブルの落着は決定的であり、後は降下中にどれだけの破片が燃えつき、どれほどの塊が地表を直撃するかの違いでしかない。
事実上、地球軍はフィンブル落着阻止に失敗したのだ。
シンの搭乗するインパルスはフィンブルの上空に浮かんでいた。すでに地球の重力に引かれ、油断すると機体があらぬ方向に引っ張られていく。
新しいメテオ・ブレイカーを設置、発動させる時間は残されていない。敵のイクシードガンダムも完全に守りに入ったらしい。シンが距離を離しても追撃してくることはなかった。
「何だったんだよ……、俺の戦いは……?」
結局、メテオ・ブレイカーを防衛しようとする敵と一戦交えただけだ。結果として破砕活動の邪魔をしたことと何も変わらない。
フィンブルは地球へと落ちる。
ふと、シンはモニターに補助システムであるアリスが映像を拾い上げていることに気づいた。見たことのない黒い軍艦だった。だが、考えてみると、シンは母艦であるミネルヴァを外から眺めたことがないことに気づいた。
これはミネルヴァだ。特徴的なのは船首付近から左右に開いた大型の水平翼。全体として見ると、引き絞った弓のような精悍な姿をしたモビル・スーツ母艦だった。
「ミネルヴァがどうしてこんなところに……?」
シンの疑問ももっともなことだった。破砕活動を行っていないザフトの軍艦がこんな時に、シンのインパルスからでも確認できるほどの距離までフィンブルに接近する理由がなかった。
少なくとも、シンはその理由を知らない。しかし、ミネルヴァ艦長タリア・グラディスはその狙いを当然のように心得ている。
ミネルヴァのブリッジ、その艦長席に腰掛けながら、タリアは降下を続けるフィンブルを眺めていた。座席備え付けの小型モニターにはフィンブルの予想落着地点が表示されている。それはタリアの、いや、プラント上層部が望んだ結果を示していない。
「ミネルヴァはこれより艦砲射撃を試みます。もっと接近しなさい」
「まだ敵戦力が残存しています。これ以上は不可能です」
シン・アスカ、ルナマリア・ホークの両名がミネルヴァ合流前に交戦した部隊がミネルヴァの前に立ちふさがる形になっていた。他のルートから接近を試みようにも、地球軍の他の部隊が少数ながら展開している。
タリアは前線のレイ・ザ・バレルへと通信を繋いだ。
「レイ大尉。本艦は大気圏に突入しながら艦砲射撃を加えます。道を切り開きなさい」
「敵にはフォイエリヒがいる。ゼフィランサス・ナンバーズ相手に賭にでるつもりはない」
ブリッジのモニターにはバレル大尉のZGMF-X17Sガンダムローゼンクリスタルとめまぐるしく位置を変えながらビームを撃ち合っているZZ-X300AAフォイエリヒガンダムの黄金に輝く巨体が映し出されていた。ミネルヴァ所属のインパルスたちは助太刀さえできずに立ち尽くしていた。
もはや時間はない。タリアは広々としたブリッジ全体に響くような声をあげた。
「アリスを発動させなさい!」
ミネルヴァに副艦長はいない。3人のオペレーターが実質的な副艦長の役目を果たしていた。その内の1人が振り向かず、そしてあくまでも事務的な口調で疑問を投げかける。
「しかし、アリスはまだ完全なものではありません。新たに加わった機体もありますが?」
「やりなさい。これは命令です」
ただ艦長が意志を貫くという姿勢を見せただけで、ブリッジの意志は統一された。
「ミネルヴァはこのままフィンブルとともに地球に降下。作戦時間、10分に設定。目標、敵戦力の消失。アリス、発動」
タリアの声は、宇宙の真空にさえ響きわたると思わせるほど、高らかで明瞭なものであった。
ルナマリア・ホークは不慣れなフォース・シルエットに軽い苛立ちを覚えながら声を通信機へと送り込む。
「シン、聞こえてるでしょ。そろそろ限界よ。帰還……」
帰還しましょう。ルナマリアがこの言葉を最後まで続けることはできなかった。
モニターが突然これまでになかった光り方をしたかと思うと、ルナマリアの意識は混濁する。意識を失ったわけではない。いきなり夢現の中に放り込まれたように目の前の現実が現実味を失い、当事者としての意識だけが欠落する。
ルナマリアは焦点の定まらない瞳で、まるで人形のようにパイロット・シートに座っていた。それでも、操縦桿を握りしめる力だけは損なわれていない。
それはルナマリアに限られなかった。すぐそばにいたヴィーノもまた同じような症状に陥ったまま操縦桿を握っていた。そんな2人の目の前には、敵性モビル・スーツが並んでいた。
2機のフォース・インパルスが同時に行動を開始する。人間の操縦ではまず不可能と思わせるほどに完璧にタイミングをあわせ、同じ姿勢、同じ速度で、繋がっているかのように敵へと接近する。
このような2機と対峙するアウルは驚きを隠せなかった。
「こいつら、急に動きが……!」
アウルのインテンセティの放ったレールガンを、まるで初めから予期していたかのように無駄のない動きで、ルナマリア機は回避する。その反撃とした放たれたビームは、シールドで防がざるを得ないほど正確な狙いだった。
インテンセティのシールドはビームを弾く。ルナマリアの攻撃はアウルには届かない。しかし、次の瞬間にはシールドを保持するアームが撃ち抜かれていた。ルナマリアではない。ヴィーノ機からの攻撃だ。シールドを構えるのにあわせて完璧なタイミングで撃ち込まれたビームはインテンセティから一つのシールドを奪った。
アウルは声もない。
1人の人間が2機のモビル・スーツにでも乗っていなければ説明できないような完璧な同調。少なくともつい先程までの敵はこんな動きを見せなかった。
「何なんだよ、こいつら……!?」
アウルは思わず機体を逃がす。
追いかける2機のインパルスガンダム。放たれるビームの狙いの正確さ、回避のための動きがまったく同じだった。まるでテレビ・ゲームでもしているかのように、その動きには個性が微塵も感じられない。
戸惑いが、さらにアウルを追いつめていた。
そこにステラのディーヴィエイトガンダムが接近する。
「アウル!」
「ステラ、来るな! こいつらおかしい!」
ビーム・サーベルの攻撃をシールドで受け止めると、アウルは即座に機体を無理矢理逃がす必要があった。味方に当たりかねない角度でもう1機のインパルスがビームを放ってきたからだ。
味方に当たってもかまわないと思ったか、当たらないと確信していたか。どちらにせよせ、まともな戦い方ではない。
「姉ちゃん、聞こえるか? 敵の様子がなんか変なんだよ!」
その頃、アウルが姉と呼ぶヒメノカリス・ホテルもまた、アリスの攻撃にさらされていた。
ヨウラン・ケントをはじめとする4機のインパルスが完璧な連携のまま、ヒメノカリスのフォイエリヒガンダムを強襲していた。ビームを弾く装甲を持つフォイエリヒとて、フレームを撃ち抜かれれば破壊されてしまう。正確な狙いを完全な同調のもとに放ってくるガンダム・タイプを相手に楽な戦いができるはずもなかった。
ヒメノカリスは機体を逃がすことに手一杯だった。
「アウル、少しでも危険を感じたらすぐに撤退して。いい?」
黄金を追いかけるように無数のビームの軌跡が現れては消える、そんな光景を、レイ・ザ・バレルはただ眺めていた。
「アリスか。余計なことを」
冷たく、抑揚のない声は、しかしたしかな苛立ちを含んでいた。
こうして、アリスを発動したインパルスガンダムたちが敵を抑えたことで、ミネルヴァはフィンブルへと接近を果たすことに成功した。艦体各所の砲塔が狙いを定め、フィンブルを攻撃していく。小惑星を削り、揺り動かし、しかし破壊することはない。そして、ある時、急に攻撃の手を止めた。
破壊されない小惑星。しかし、ミネルヴァはすでに目的を果たしていた。
小惑星フィンブルの落着予想地点が確定した。その情報はヒメノカリスたちの母艦の艦長であるイアン・リーからスティングにも伝えられていた。スティングのイクシードガンダムのモニターには仏頂面したリー艦長の顔が映っている。対して、スティングは鬼のように歯をむき出しにした形相をしていた。
フィンブルはこのままではニューヨークなどを含む大都市圏を狙い澄ましたかのように落下することが判明した。
「地球の3分の2は海だろうがよ……。あいつら……、やっぱそう言うことかよ!……」
プラントはフィンブル落着を阻止するどころか、これを使って地球の大都市を爆撃するつもりだ。そう、スティングは確信する。でなければ艦砲射撃の後にそうそう都合よく地球の都市に落ちるはずがない。
「リーのおっさん。まだ稼働してるメテオ・ブレイカーはいくつある?」
「君のそばの1機だけだ」
「へ! 上等」
この1機を守り切れればフィンブルはさらに細かく破壊され、しかも軌道を歪ませることができる可能性が高い。
スティングにとってすべきことは何も変わらない。最後の希望を守り抜く、それだけのことなのだから。
レーダーには接近してくるインパルスの反応があった。スティングには知る由もないが、シン・アスカの機体であった。
決してメテオ・ブレイカーを攻撃せず、守りに徹していた敵に、スティングはどこかで期待していのかもしれない。この敵も、フィンブルを落としたい訳ではないのだと。そんなスティングの淡い期待は一撃で崩れ去ることになった。
シンの放ったビームは正確にメテオ・ブレイカーを捉えていた。
慌てて割って入るとスティングのイクシードはシールドでビームを受け止めた。2連装ビーム・ライフルの台座を兼ねるシールドは一撃には耐えたが、2発目のビームを浴びると爆発して崩れ落ちる。
「結局、てめえも星を落としてえのかよぉ!」
反撃として、イクシードは肩越しの2門のビーム砲を放つ。命中こそさせられなかったものの、インパルスのビーム・ライフルを巻き込むことはできた。インパルスは代わりにビーム・サーベルを抜き放つと、まるで死の恐怖を知らないかのようにスティングノイクシードへと急接近をかける。
イクシードが胸部ビーム砲を放つ。インパルスにはかわされたものの、小惑星の地表を吹き飛ばす衝撃波がインパルスを揺さぶる。その隙に、スティングは追撃をかけようとして、しかし躊躇した。敵のインパルスが近すぎ、イクシードの大火力ではメテオ・ブレイカーを巻き込むおそれがあったからだ。
この迷いが決定的な隙を生み出した。インパルスは両手にビーム・サーベルを抜き放ち一気に距離をつめた。すれ違いざま、イクシードのビーム砲が2門まとめて撫で切りにされた。背後に回り込んだ敵を探して振り向くイクシードへと、シンはさらなる追撃を仕掛ける。縦に振り下ろされたサーベルがイクシードの左肩を切り裂き、熱がコクピット内にまで飛び火する。
半身を焼かれた熱に声にならない悲鳴をあげるスティングに対して、シンはまさに機械のような冷静さでさらなる攻撃を仕掛けた。イクシードの右足を切り裂いた。
もはや満足な姿勢制御もできないまま地表にイクシードは叩き落とされる。背中を堅い岩盤に打ち付け、フェイズシフト・アーマーがダメージの許容量を超えたことで眩しい輝きを機体の各所で放っていた。そこに、インパルスはさらにビーム・サーベルを突き出した。顔面に突き刺さるサーベル。頭部の爆発に弾き飛ばされるように、さらにイクシードは地表を頃がされた。
なぶり殺しにしているのではない。単純に確実に敵の戦力を奪う、それがシンの、いや、インパルスの目的であった。
スティングはコクピットの中でうめいていた。衝撃にフェイズ・ガードは割れている。破片が刺さったか額からは血を流し、コクピット左側は高熱にさらされことで白煙が立ちこめていた。本来なら流れるはずの警告音がない。今のイクシードにはそれほどの余力さえ残されてはいなかった。
「姉貴……。すまねぇ……」
ヒメノカリスは焦っていた。4機のインパルスに囲まれている状況ではない。スティングが危機的な状況に置かれている現状にである。
「スティング! すぐ行く。持ちこたえて!」
しかし、インパルスたちは完璧な連携でフォイエリヒガンダムの進行を妨害する。
この事実はヒメノカリスに二重の苛立ちを与えた。邪魔をされていること、そして、最強のガンダムであるはずのフォイエリヒガンダムがたかだがストライクもどきごときに抑えられていることに対しても。
「邪魔を、するなぁ!」
ヒメノカリスは自ら封じていたフォイエリヒの真の力を解放する。バック・パックからアームで連結された4機のユニットが起きあがると、それぞれから長大なビーム・サーベルが発生する。両手足と合わせて8本ものビーム・サーベルを同時に展開した。
最初のインパルスは3本のサーベルで切り裂いた。猛獣の爪痕のように切り裂かれ、インパルスが爆発する。2機目もまた、縦に振り下ろされた爪によって輪切りにされた。
アームを展開したことで機体の重心が不安定になり安定性を一気に欠いたフォイエリヒを、ヒメノカリスは懸命に制御し続けた。3機目へと6本ものビーム・サーベルを同時に突き立てる。刺されたというよりえぐり取られたように、インパルスは爆発する。
しかし、ここが一つの限界であった。制御しきれず、フィオエリヒの機体が横に流れる。その隙を、最後のインパルスが見逃すはずがなかった。放たれたビームはフォイエリヒの右肩に食い込むと、1機のアームを巻き込みながら腕を引きちぎる。
ヒメノカリスはそれでも耐えた。歯を食いしばった必死の形相をして、25mものフォイエリヒが急加速する。
インパルスはかわすことができない。回避よりも攻撃を優先した結果だ。インパルス1機よりも、フォイエリヒの腕1本の方が価値があると判断されたためだ。
そう、インパルスは、パイロットの、ヨウラン・ケントの命よりも戦果を優先した。
フォイエリヒのサーベルがインパルスの胴をぶつ切りにする。ビームの高熱がコクピットへと容赦なく飛び込んでくる時さえ、ヨウランは自分の死を意識することはできなかった。
爆発とすれ違うように、弟を想う姉は機体を加速させた。
「スティング!」
「姉貴……」
スティングは思い出していた。コクピットで震えているしかできなかった時、ヒメノカリスがそっと自分のことを抱きしめてくれたことを。その髪の色と同じで、甘い桃のような香りがした。
「あなたは何もしなくていい。そう、言ってもらいたい?」
そんなはずはなかった。スティングが望んでいるのはそんな言葉ではない。
「あなたの苦しみはわかってる。そう、慰めてもらいたい?」
それも違う。スティングの願いは地球を守ること。ただ、そのための勇気が欲しかった。落ちてくる星に立ち向かう勇気が。
姉は、それを与えてくれた。
ヒメノカリスは抱きしめていた手を離すと、スティングと目を合わせた。あまり表情を変えない姉にしては珍しく微笑んで、青い瞳がスティングを見つめていた。
「一緒に地球を守りましょう、スティング」
今、目を開けると、目の前に姉の姿はない。しかし、スティングは薄れつつある意識の中で、モニターに映るフォイエリヒガンダムの姿を捉えていた。助けてくれようとしている姿が見えていた。
「ありがとうよ……、姉貴……」
再び勇気を与えてくれたことに。
インパルスはメテオ・ブレイカーを破壊しようとしていた。
イクシードのモニターはすでに半分が死んでいる。スラスターもどこまで稼働するかわからない。最後の武器であるはずの胸部ビーム砲はすでに機能停止している。なんとも満足できる結果だった。ただ、最後の悪足掻きをするには十分だからだ。
「姉貴、見ててくれよな……。俺、絶対に地球を守ってみせるからな……」
メイン・スラスターが立ち上がる。焼き尽くされた推進剤を惜しげもなく吐き出し、イクシードが動き出す。姿勢制御のような器用なことはできない。ただ飛び出した勢いのまま、インパルスへと突き進む。
それは弾丸のような悪いたとえを連想させた。愚直なほどまっすぐに進み、そして帰って来ることが期待されていない。
インパルスは満身創痍のイクシードへと狙いを変えた。
スティングが最後に思い出したのは、父との思い出でも仲間たちのことでもなく、抱きしめてくれた姉の姿だった。
インパルスが、シンが躊躇なく振り抜いたサーベルは、イクシードを両断した。