あれから4年も経つのにまだに夢にうなされることがある。以前のように飛び起きることはなくなった。シン・アスカは自分でも意外なほど冷静に瞼を開いた。
見慣れない形をした照明が見えた。どこかに寝かせられているようだが、自室でないことだけは確かだ。そうシンは判断した。ローラシア級バーナードは撃沈されてしまった。変える場所は失われてから。
次第に照明に慣れてくる目は、シンの顔をのぞき込む少女の顔を捉えた。赤い髪に少女特有の丸い瞳。ルナマリア・ホークだった。
「お目覚め、シン?」
「ルナ、ここは?」
シンが上体を起こすと広がった視界には医務室特有の光景が広がっていた。様々な薬品がしまわれている棚や、空のベッド。普段はカーテンで仕切りが作られているのだろうが、ルナマリアが閉め忘れたのか、大きく開かれたままだった。椅子についた白衣の男性がこちらを見ていることにもシンは気づくことができた。
「ラヴクラフト級ミネルヴァの医務室だ。君は戦闘中に気を失ってここに運ばれてきた」
船医なのだろう。その言葉の中に聞き慣れない単語を見つけると、シンがつい頼ったのはルナマリアの方であった。
「ラヴクラフト級?」
戦闘で気を失ってからの記憶が、シンにはない。
ルナマリアはシンの手を引いて立ち上がらせようとする。シンは自分がまだノーマル・スーツを着たままであることに気づいた。あまり時間は経っていないのかもしれない。ルナマリアは軍服に着替えている。
シンが考え事をしていると、しびれを切らせたルナマリアがシンを引っ張る手に力を込めた。
「シン、歩きながら説明するから」
無重力であるため、地上よりも簡単にシンの体は浮き上がる。船医にはルナマリアが軽く会釈して、シンは医務室を後にした。
部屋の外には小綺麗な通路。人手不足で薄汚れていたバーナードとは最初から違う様子だった。
シンをおいてルナマリアが無重力の中を漂っていく。仕方なく、後を追いかけるように体を浮かせたシンへと、ルナマリアは前も見ずに体ごと振り向いた。
「あの戦いの時、援軍が来てくれたこと覚えてるでしょ」
「ああ。白いガンダムだった。見たこともない機種だったよな?」
「そのガンダムの母艦がこのミネルヴァなの。私たちはそこに収容されたってわけ」
「……トライン艦長たちは?」
ルナマリアはわかりやすい顔をした。とたんに微笑みが消えて表情を曇らせた。シンが聞く覚悟を決めるにはちょうどいい間をおいてから、ルナマリアは答えた。
「駄目だったって……」
「そうか……」
あの爆発の中、生き延びているとシンは考えていた訳ではない。でももしかしたら、、そんな考えが頭の中を回り続けていた。
どうしても話は続かない。2人はそのまま通路を進み、やがて開けた場所にでた。
格納庫だ。シンたちは格納庫壁際の通路に出ていた。ちょうど、モビル・スーツの胸くらいの高さだ。
多数のZGMF-56Sインパルスガンダムが並んでいる。その脇には合体や変形を助けるための頑丈そうなガントリー・クレーンが1機に1台用意されていた。ローラシア級のように物資運搬用のクレーンを無理矢理使っているものとは違う。
シンは否応なしに思い出さざるをえなかった。ラヴクラフト級は、インパルスガンダムを運用するために開発された専用艦なのだと。外人部隊には与えられなかった戦艦である。
新品同様に磨き上げられたインパルスの列。それを見るシンの目は、自然と険しいものになっていた。やがて、インパルスに混ざって立つ、例の白いガンダムを見つけることになった。
ザフト軍が量産しているガンダムは2種類。白いガンダムはそのどちらの特徴も受け継いでいない。開発系統がまるでわからない機体だった。
ルナマリアの突然の声に、シンは前を向いた。
「ほら、シン、あの人が白いガンダムのパイロット」
シンたちがいる通路の先に、ガンダムを眺めるように手すりに体を預けた少女、いや、少年の姿があった。その横顔は中性的で、髪は滑らかな金髪。歳のほどはシンたちよりも少し上だろう。身につけているのは赤い制服。
ルナマリアの声に気がついたのか、赤服はシンへと向き直った。あまり表情を変えるタイプの人物ではないらしい。乏しい表情のまま、近くまでたどりついたシンたちへと敬礼した。
「レイ・ザ・バレル大尉だ」
敬礼を返すルナマリア。つい反応が遅れてしまったが、シンも敬礼を追いつかせる。
「シン・アスカ軍曹です……」
相手はまだ10代に思える少年の階級にしては高い地位だった。シンも軍学校では首席を維持していたが、カリキュラムをすべて終えるまでに放り出された。赤服を与えられても卒業扱いにはされず、階級も新兵同然から始まった。
目の前の少年は大尉。それどころか、左の襟元には翼を模したエンブレムがあった。シンが反感を覚えるには適当な材料が整いすぎていた。
「どうしてですか……?」
敬礼の手が力なく落ちる。まるで、その力もひっくるめて激情に向かってしまったかのように、シンは自分が抑えられなくなる実感を覚えていた。
「どうしてもっと早く助けに来てくれなかったんですか!? そうすればトライン艦長たちも死なずにすんだかもしれない!」
心配そうなルナマリアに対して、バレル大尉は驚くほど冷静だった。
「こちらの到着を待たずに動いたのはそちらの判断だ」
「それもこれも、正規軍のしわ寄せじゃないですか! これまで艦長たちがどれほど要請を断られてきたか、あんたは知ってるのか!?」
「ここで騒いだところで立場を悪くするだけだとは理解しているのか?」
さすがに不穏な空気を感じたのか、ルナマリアがシンの腕にしがみつくように押さえようとする。
「ちょっと、シン!」
ルナマリアを突き飛ばすところまで、シンは冷静さを失ってはいない。
バレル大尉は何事もなかったようにまた手すりの方に体をむき直した。
「艦長に顔を見せておけ。グラディス艦長なら、今は艦長室にいるはずだ」
ルナマリアに促されたことをきっかけにして、シンは歩き始めた。つい気になって振り向いても、バレル大尉は前を見たままだった。
シンはこの艦の構造を知らない。ルナマリアが前を行く形は継続されると思いきや、ルナマリアはシンの横に並んだ。
「どうしたのよ、急に……?」
「何でもない……」
話してもきっとルナマリアは理解してくれない。同じ外人部隊とは言っても、在外コーディネーターとオナラブル・コーディネーターでは壁があった。
「でも……」
「何でもないって言ってるだろ!」
お偉い方はいつも自分が正しいようなふりをして民を踏みつける。かつてシンがオーブ政府に対して抱いた反感を、エリート兵士と外人部隊の関係に置き換えてしまった。このことを理解してくれる人は誰もいない。
シンとルナマリアは気づいていなかったが、2人は思いの外格納庫の関心を集めていた。シンがバレル隊長に食ってかかった時も、パイロットの何人かはその様子を目撃していた。
開かれたままのインパルスのコクピット・ハッチ。その縁に腰掛けるのは赤いノーマル・スーツを着た少年であった。ヘルメットはつけていない。橙色の髪が鮮やかで、その顔にはあどけなさが強く残る。
「あれが在外コーディネーターの赤服なんだろ、ヨウラン?」
少年はシンたちが去っていった方向を眺めたまま、すぐ側に漂っている別の少年へと話しかけていた。少年の名はヴィーノ・デュプレ。話しかけられた方はヨウラン・ケントである。
ヨウランは褐色の肌をしていた。その肌の色から表情が多少わかりにくくとも、少なくともヴィーノほどわかりやすい顔はしていない。落ち着いた雰囲気だった。
「女性の方はオナラブル・コーディネーターだ。言葉は正確にな」
「でも大丈夫なのかな? どっちもコーディネーターの出来損ないみたいなものなんだろ」
「人はどう生まれるかじゃない。何をするかだ。あの2人だって、プラントと人類の明日のために命をかける仲間だろ」
プラントのにおいてーディネーターは、プラントのために存在することが前提となる。
「ルナマリア・ホークです。シン・アスカ軍曹を連れて参りました」
敬礼するルナマリアの横で、シンもまた敬礼をする。
艦長室は広く、無駄に立派な机の向こう側に、バレル大尉がグラディス艦長と呼んでいた女性が座っている。
ザフト軍において指揮官やその部隊の代表者が着る白い軍服で、同じく白い軍帽は机の上に置かれている。年齢は30代前半だろうか。厳しい眼差しの似合う人で、シンはふと母親のことを思い出していた。母であるマユ・アスカも、同じような顔をよくしていた。
「楽にしてちょうだい」
不必要に堅苦しくはないが、だからと甘えが許される雰囲気はない。
シンとルナマリアは休めの姿勢へと手際よく体勢を変える。
「この艦の艦長を務めるタリア・グラディスです」
グラディス艦長は明らかにシンのことを見ていた。ルナマリアの紹介はすでに終えているのだろう。休めの姿勢に敬礼はあわないと、そのままの姿勢で声を上げる。
「シン・アスカであります」
「アスカ軍曹。状況も飲み込めてきたものと思いますが、あなたたちの母艦は撃沈され、また我々にあなた方を降ろしている余裕はありません。よって、あなた方にはこの艦にパイロットとして乗艦してもらうことになります。おって正式に命令が届くことでしょう。異論はありませんね」
「はい!」
軍隊において他に言える台詞などない。あるとすれば、了解です、わかりました、何にしろ上官に逆らうことはできない。
「この艦のモビル・スーツ部隊隊長はバレル大尉が務めています。今後、彼の指揮下に入ってもらいます」
グラディス艦長は手元の資料に目を落とし、こちらを見ることはなくなった。これで話は終わりということだろうか。
「グラディス艦長、お聞かせ願いたいことがあります」
艦長はシンの方を一瞥だけしてすぐに資料へと視線を落とした。決して好意的とはいかないまでも拒否されたわけでもないらしい。ルナマリアはどこか心配そうな様子だが、不安がられるようなことを聞くつもりもシンにはなかった。
「この艦は私の見た限り単独で行動しています。その理由は作戦内容と関係しているのでしょうか?」
特殊なガンダムに、バレル大尉のエンブレムを見ればこの部隊が特殊任務を帯びていることは容易に想像がつく。
翼のエンブレムはフェイス、プラント最高評議会議長にのみ選任が許可されたエリート・パイロットにのみ与えられる紋章。軍学校に所属していたものならその偉大さは嫌と言うほど聞かされる。
グラディス艦長の反応は鈍い。今度は一瞥さえない。
「レイ大尉はギルバート・デュランダル議長に選任されたフェイスです。このことの意味はわかりますね?」
要するに、それほど重要な任務を在外コーディネーターに話すつもりはないということだ。君には知る資格がない。シンが何度も聞いてきた正規軍の決まり文句だ。
この船は正規軍の船。それ以上でもそれ以下でもなかった。
プラント最高評議会は必ず円卓を用いる。全12市からそれぞれ1名ずつ選出された議員が平等であることを示すために。だが、それはあくまでも建前でしかない。
地球との戦争を主張する急進派と戦争反対を謳う穏健派、そしてそのどちらにも属さない中道派。特に急進派と穏健派の覇権争いは熾烈を極めた。切り崩しに裏工作。変化する情勢に伴い議会の勢力図はめまぐるしく書き換えられた。
その後、両派はそろって指導者を失い、議会は壊滅的な打撃を受けた。
急進派は筆頭パトリック・ザラ議員が戦死し、懐刀であったエザリア・ジュール議員が政界を引退。ユーリ・アマルフィ議員が大西洋連邦に亡命。主力議員を失いことで急速に弱体化。
穏健派もまた、筆頭議員であったシーゲル・クラインを亡くし、暫定政権を樹立したアイリーン・カナーバ政権は国内の不満を抑えられず半年で瓦解した。
書き直された勢力図を語る上で欠くことができない男がいる。現プラント最高議会議長ギルバート・デュランダル議員である。
デュランダル議員は穏健派に属していたが、ほんの数年前まで政局に有利とは言えないディセンベル市出身の無名の議員でしかなかった。そんな男が弱体化したとは言え、最高評議会議員候補に選出されるとともに、穏健派の代表に選ばれるとは誰も考えていなかった。
しかし、その決断は結果として正しかったと言える。
ギルバート・デュランダルは、絵になる男であった。
まだ30を超えたばかりのその顔は若々しく、長く伸ばされた髪と相まって俳優を思わせるほど写りがよい。それでいて演説は巧み。プラントの未来と正当性を訴えるその姿は若者を中心として熱狂的な支持を集めた。まだ立ち直り切れていない急進派を後目に、穏健派は大躍進を果たす。晴れて最高評議会議員に選出されたデュランダル議員は、それこそ当然のように議長の座についた。まだ短いプラントの歴史の中で最年少の議長就任である。
その支持率は現在でも非常に高く、また政治的手腕にも優れていた。反対派議員さえ巧みに取り込み、12議席中、すでに11の議席は穏健派、いや、デュランダル派によって占められているとされている。
今やプラント最高の指導者とも言うべきデュランダル議長に意見する者などいない。ただ1人を除いて。かつて急進派と穏健派で議会が2つに割れている際にも中道派を貫き通した偉大な臆病者は、今なおその姿勢を曲げてはいない。
タッド・エルスマン議員。デュランダル議長と同じく髪が長い。しかしすでに老年にさしかかった姿に議長のような覇気は感じられず、代わりにしなやかな強かさを感じさせた。議長が堅牢な盾ならば、エルスマン議員は柳。好対照な2人は円卓の対角線上に向かい合わせで座っていた。
「デュランダル議長。あなたは現在、危うい綱渡りの上にいる。私にはそう思えてならない。戦費拡大に予備役含めた兵員の増員。それを移民や貧困層を利用する形で補っている。戦時中とは言え、これはやりすぎではないかね?」
答えたのはデュランダル議長本人ではなく、その右隣に座る別の議員であった。その顔に真剣さはなく、スポーツの客席で野次を飛ばす観戦者のような気楽な表情をしている。
「エルスマン議員、プラントは未曾有の危機にさらされている。綺麗言ばかりが政治家の仕事ではない」
「そう言って持ち出されたジェネシスは危うく地球を滅ぼしかけた」
思わず言葉を詰まらせる穏健派議員。
ここには2重の皮肉があった。ジェネシスの存在が地球の対プラント感情を劇的に悪化させたこと。この窮地はプラント自らが招いたことであり、そしてジェネシスの開発を指示したのは穏健派代表を務めたシーゲル・クライン議員であるという事実。
穏健派議員は助けを求めるような視線でデュランダル議長を見る。デュランダル議長は副議長の視線には応えず、ただ真っ直ぐにエルスマン議員を見ていた。
現在の議会において、10の席が空位であっても何の問題もないだろう。ただ、対面する2議員さえいるのなら。
ギルバート・デュランダル議長は、語りかけるような口調で話し始めた。
「タッド・エルスマン議員。あなたは素晴らしいお方だ。戦場で子息が行方しれずになろうとも決して志を曲げようとはしなかった。まさに議員の鑑のようなお方だ」
以前、穏健派からは息子の戦死を切っ掛けとして急進派に鞍替えした議員が存在する。
「私もそう易々と考えを変えるつもりはない。私には議長としてこの国を守る義務と責務がある。もちろん、私とてすべてが正しいとは言わない。しかしだね、無限に使える予算などなければ、無尽蔵に湧き出てくる戦力なんてものはどこにもない。犠牲も必要だろう。こんなこと、エルスマン議員には釈迦に説法とは思う。私とエルスマン議員の違いは、所詮どこまでの犠牲を看過できるか、その線引きの違いでしかないのではないだろうか」
議長の笑みは蠱惑的でさえあった。
「戦争は悲しいかな、1人で始めることはできても1人で終わらせることはできない。我々がどれほど平和を求めようとただ1人の悪意で戦争は起きてしまう。私はね、そんな火の元を一刻も早く吹き消してしまいたいと考えている」
「議長。あなたはそうしてブルー・コスモスへの危機感を煽り続けた。火災保険の加入者を増やすには、火事を起こしてしまうのが手っ取り早い。しかし、火と人の意識はよく似ている。どちらも燃え広がってしまえば止める手だてはない。私はそのことを心配している」
新進気鋭の議長と、老獪な議員。この2人の対立の構図の把握だけで、現在のプラント最高評議会の勢力図は説明できてしまう。
ミネルヴァでシンに与えられたのは個室であった。ベッドが大半を占めるような狭い部屋が、しかしシンには唯一落ち着くことのできる部屋になっている。
どちらかと言えば社交的なルナマリアとは違って、シンは正規兵と顔を合わせることさえ苦痛に感じていた。そのため必要な時以外はどうしても部屋に籠もりがちで、ルナマリアが訪ねてくる時以外誰とも口をきくこともない。
ルナマリアがベッドに腰掛けて、シンと簡単な話をする。この構図は、ローラシア級バーナードの頃と何も変わっていない。
「なんだか、よくわからないことになったな……。今でも目が覚めるとローラシア級にいるように思えることがあるよ」
外人部隊として危険な戦場をたらい回しにされ、命の危機に瀕したと思えばいつの間にかラヴクラフト級なんて新鋭艦に乗っている。ともに戦ってきた仲間はもういない。
ルナマリアとて部屋の外では明るく振る舞っているようだが、この部屋では心なしか表情が沈んでいる。
「仲間を失う時って、嫌なくらい呆気ないから……」
死神はドアをノックしてくれない。いつも突然で、無遠慮。呆気にとられているうちに、見知った誰かがいなくなる。自分の番がくるのはいつだろうか、そんなことを毎回考えさせられる。
「俺たち、これからどうなるんだろうな」
気分を沈めたくはなくとも、自然とシンの声は暗くなる。椅子に寄りかかって天井を見上げてみても、それで気分が上向くことはない。
ルナマリアがどこか遠慮がちな声を出した。
「ねえ、シンって、家族はいる?」
「どうしたんだよ、急に?」
シンは首を水平に戻しながら疑問を口にする。これまで1度も家族のことについて話したことなんてなかったからだ。
「何となく。私にはお父さんにお母さん、それに妹がいるの。こんな戦争なんてなかったら、私は今頃どうしてるんだろ。普通に学校に行って恋人でも作って、妹に自慢でもしてるのかな?」
シンは自分の家族を思い出してから、戦争に関わらない自分というものを思い描いてみた。母1人に子1人。ただ、戦争のない自分は、どうしても想像できなかった。
「俺には母さんがいたよ。でも、4年前戦争で死んだ」
「もしかして、悪いこと聞いた?」
こんなところで声を潜めても仕方がないだろうに、ルナマリアは口元に手を当てる。
「別に。ただ、戦争してた時間が長すぎて、戦争がない自分を想像できないんだ」
人生の25%を戦争に関わってきた。戦争に参加していない自分がいたとしたら、果たして何をしているのかどうしてもわからない。戦争が終わってくれれば、少しはそんなことを考える余裕ができるのだろうか。シンはそんなことを考えた。
「ルナ。絶対に死ぬなよ」
ルナマリアは呆れたように笑う。
「馬鹿。縁起でもないこと言わないでよ」
「そうだな、悪い」
そうは言ったものの、シンは冗談のつもりなんてなかった。戦場では死ぬ順番なんて決まっていない。弱い奴からでも悪い奴からでもない。気まぐれに人が死んでいく。今回は、たまたまシンたちは助かったように、次はたまたま誰かが死んでいく。それが戦争だから。
真剣な表情で向き合う2人の少年。休憩室のテーブルを挟んでアウル・ニーダとスティング・オークレーが睨み合う。
アウルは真剣であった。あどけない表情を、それでも賢明に凄ませてその手には5枚のトランプを広げている。スティングはトランプを片手で広げ、椅子から半身を乗り出すほどの余裕を見せている。
相手の表情を読みとろうとするアウル。目元には緊張が現れているが、口元からは笑みがこぼれた。カードを相手に見えるように倒す。スリーカードとワンペア。ポーカーで言うところのフルハウスが完成していた。
「フルハウスだ。俺の勝ちだな」
フルハウスは作り易さの割に強力な役である。アウルは勝利の自信を深めた。スティングはあくまでも余裕のある様子を崩さず、もったいぶった様子でカードを見せる。そこにはスリーカードと1枚のジョーカー。
「残念だが、俺はフォーカードだ」
すべてのカードの代わりとして使うことができるジョーカーが使用されているとは言え、同じ数字のカードを4枚揃えるフォーカードはなかなか作ることのできない。フルハウスよりも難度が高く、もちろん強力だった。
テーブルに放り捨てられるフルハウス。
「5連敗かよ!」
アウルは力なく背もたれに寄りかかった。すっかり気力をなくしたように背もたれに首を乗せ、後ろが見えてしまうくらい脱力していく。すると、髪の毛の塊が浮かんでいた。
ヒメノカリス・ホテルだった。ドレスと髪型は無重力の中に漂い、どこか現実離れした光景を作り出している。
「何してるの?」
テーブルのそばにまで来たヒメノカリスが一言。上体を前に戻す手間があるアウルに代わり、スティングが片手を振りながら対応する。
「ポーカー。姉貴もやる?」
その手を、ヒメノカリスは素早い動きで掴みとった。すると、その袖口から数枚のトランプが飛び出し、中空を漂い始めた。アウルが目を丸くする。
「ポーカーって、袖にカードを入れて行うもの?」
姉と呼ぶヒメノカリスに手を掴まれたまま、スティングはばつの悪そうに笑う。尖った印象を与えるスティングだが、ヒメノカリスの前では丸い表情を見せることがある。
反対に、アウルの雰囲気が棘を持つ。
「全部イカサマかよ!」
「おい、ちょっと待て。確かに俺はイカサマをしようとしたことは認めてやる。だが、初めてしようとしただけだ。それとも、これまでもイカサマだったって証拠でもあるのか?」
あくまでも既遂ではなく未遂と主張するスティング。すでにヒメノカリスの手は掴んでいない。スティングは余裕な様子で散らばったトランプを集めては手慣れた様子できり始める。
「死んだ親父が言ってたぜ。イカサマはばれなきゃイカサマじゃないってな」
「俺の母さんは誠実こそ美徳だって言ってたんだよ!」
やってられるか。アウルはそう言い残して席を立つ。残されたスティングはトランプを片づけ終えた。アウルを怒らせたことに特に感慨はないらしい。同僚が離れていった方向に目をやるよりも、ヒメノカリスが歩きだそうとした方に関心は向けられていた。
「姉貴はどこへ?」
「格納庫」
簡潔な姉らしく一言で。それでも、一応立ち止まって話に応じてくれるところも、スティングはヒメノカリスらしいと考えていた。
「俺も行く」
ヒメノカリスはすでに歩きだしていたが、別に拒否することもなかった。休憩室を離れ、長い通路を抜ける。スティングがちょうど追いついた頃、ヒメノカリスは格納庫の扉をくぐり抜けた。
ヒメノカリスが向かったのは黄金のガンダムの前。ふわりと飛び上がると、少女の体はゆっくりとガンダムの胸の高さにあった通路へ飛び移った。スティングもまた飛び上がると、通路の上で2人は並んでガンダムを見ることになった。
25mの巨体が、黄金の輝きを放っている。かつてブルー・コスモスの三幹部の1人、エインセル・ハンターが搭乗し、大戦を戦い抜いた機体は、あれから3年を経た今でもその輝きをくすませていない。
スティングは口笛を吹いた。
「これ、ZZ-X300AAフォイエリヒガンダムだろ。ゼフィランサス・ズールが3人のムルタ・アズラエルのために開発したゼフィランサス・ナンバーズと呼ばれる機体群、その初号機、だろ、姉貴?」
「そう。お父様の機体」
愛しい父であるエインセル・ハンター。ヒメノカリスはついスティングの横顔を眺めた。スティングをはじめとする3人の子どもたちも、父から娘に預けられた。
「スティングもアウルもステラも、本来は戦闘要員じゃない。戦うことは怖くない?」
「別に。コーディネーターどもと戦えるなら俺は何だっていいさ」
スティングはフォイエリヒを見上げたまま答えた。ヒメノカリスも父の機体へとその視線を戻した。
「あなたたちはお父様とてもよく似た感じがする」
現在格納庫は閑散としている。整備士の姿も疎らであり、少なくともスティングたちの周りに人影はない。そのためか、スティングが見せた顔はアウルほども人なつこいものであった。
「ならさ、俺にもいつかこいつ使わせてくれよ!」
口元を少し持ち上げる。そんなささやかな笑みを見せたヒメノカリスは、それでもきっぱりと弟の頼みを拒絶した。
「それは駄目。お父様の機体を使っていいのは私だけだから」
部隊長として戦術面からの判断だとか兵器を玩具にしていいという判断ではない。純粋に私欲と個人的事情のみで依頼を拒否されたスティングは、呆れたような笑みを見せた。
「何だよそれ」