世界のために戦いたいだとか、もう自分のような人を増やさないためだとか、そんな理想を抱いていたわけじゃない。
それでも兵隊になったのは、それしか生きていく方法がなかったから。それだけだ。
そうして俺は、俺から母さんを奪った奴らと同じ、軍人になった。
暗い。宇宙の暗さをそのまま反映する形ですべてが闇に包まれていた。計器の発するわずかな光だけがまるで星のように小さく瞬いている。
操縦桿を握りしめる手。フット・レバーを踏みつける足の感触だけが、彼にここがコクピットの中なのだと教えてくれる。
彼はつけているヘルメットの内部電灯のスイッチを入れた。意味なんてない。明るい光がヘルメット内に灯され、しかしそれは外の暗さを強調するでしかなかった。フェイス・ガードに光が反射し、鏡のように作用した。
フェイス・ガードに写されたのは少年の顔。向かって左側、左の頬に大きな痣を持ち、どこか目つきが悪い。それは目鼻立ちの特徴というよりも、いつも不機嫌そうに目を細めていることに原因がある。
ライトが消える。そのタイミングで通信が入った。若い女性の声だ。
「シン・アスカ軍曹、発進準備、お願いします」
聞き慣れたオペレーターの声に、彼は任務開始が近いこと、自分が軍人であることを思い出す。シン・アスカという名は、宇宙の国、プラントの国軍兵士の名だ。
操縦桿を握る手にこもる力。
視界の四隅から光が一直線に放たれる。それは四角く空間を切り取って、ここがカタパルトの上であることを照らし出す。光が導く先には宇宙の闇が広がる。暗闇のカタパルトの上では、20mほどの鋼鉄の巨人が姿を見せぬまま腰を屈める。
そのコクピットの中で、シンは叫んだ。
「シン・アスカ、インパルス2、行きます!」
始まる加速。突き進む機体。シンの体は、混迷極める戦いの空へと投げ出された。
この戦争に名はない。まだ終わりを迎えていないからだ。歴史上の出来事と片づけてしまうには、世界は準備も気構えもできていなかった。
コーディネーターと呼ばれる、遺伝子を調整された人々。生まれながらにして麗しい容姿と優れた能力を約束された、そんな人々が建国した国プラント。地球上に国土を持たず、どんなしがらみにも毒されていない楽土と期待されていた。
しかし、楽園はその誕生の当初から歪みを抱えていた。
大西洋連邦をはじめとする地球各国はプラントの完全独立を認めようとはしなかった。反コーディネーター運動の活発化もあいまって、地球とプラントの間に幾度となく緊張が走った。
不安が現実となることは時間の問題でしかなかった。
C.E.61.2.14。コーディネーター排斥を謳う過激思想組織ブルー・コスモスによって、プラント、ユニウス市第7コロニー、ユニウス・セブンが攻撃を受けた。後に「血のバレンタイン」と呼ばれるこの事件は20万を超える死者を出し、両者の決裂を決定的なものとした。
その3年後、C.E.64年、プラントは無差別報復を開始する。ニュートロン・ジャマーと呼ばれる中性子ビーム抑制装置を地球全土に警告なしに投下したのである。原子力発電を封じられた地球ではエネルギーが枯渇し、少なくとも10億がその命を落とした。
C.E.67年。戦争が始まったのは、至極当然の成り行きであった。
当初、10倍を超える国力差から大西洋連邦軍の圧勝が予期されていた。しかしプラントは「血のバレンタイン」を機に国軍ザフトを結成。ザフト軍はモビル・スーツと呼ばれる人型兵器を導入、その優れた技術力で戦争を圧倒的優位に進める。
その後3年にわたってザフト軍優位に進むも、国力の差は如何ともしがたいものであった。快進撃を続けたザフト軍はそれだけ補給線が伸びきり、これ以上の侵攻が不可能となった。対して、大西洋連邦軍は反撃の糸口を見いだせずにいた。
完全な膠着状態である。
それを変えたのは1人の技術者の登場であった。
ゼフィランサス・ズール。大西洋連邦に本社を置く軍需産業最大手ラタトスク社の技術者であり、ブルー・コスモス幹部とも関係の深い才女である。ゼフィランサスが開発した新型のモビル・スーツは優れた性能を発揮し、その技術を転用する形で両軍の兵器は高性能化、高火力化が突き進められていくことになった。
その技術を大西洋連邦軍、ザフト軍の双方が奪い合った。
ゼフィランサス・ズールの技術をもとに大西洋連邦軍もまたモビル・スーツの量産化に成功。ザフト軍はビームという破壊力に優れた兵器を手中に収めた。
パワー・バランスはたやすく瓦解。戦線が一月に30万km移動するほど戦況が混沌としていく中、さらなる力が解き放たれた。
混乱のさなか、プラントへ亡命したゼフィランサスは、プラント最高評議会議員であり技術者としても知られるユーリ・アマルフィ議員の協力のもと、ニュートロン・ジャマーを無効化する装置、プレア・ニコルの開発に成功。ザフト軍に核の力をもたらすとともに、そのデータを手みやげに大西洋連邦へと舞い戻る。
両軍は時を同じくしてプロメテウスの火を取り戻した。
大西洋連邦軍は核ミサイルの雨を降らせ、月面グラナダを3万年の荒野へと変えた。ザフト軍は大量破壊兵器ジェネシスを使用し、地球全土を焼き払う寸前にまで至った。
戦いは人類を滅ぼす手前まで激化したのである。
だが幸いにして、人類は戦いの結末を書き記すことができた。
戦いは壮絶な痛み分け。地球軍は再編を余儀なくされるほどの損害を被った。ザフトはジェネシスを破壊され、指導者の多くを失った。双方が継戦能力を失う中、なし崩しに休戦へと至ったのである。
C.E.72.2.14。すべての始まりであるユニウス・セブン、その残骸の上で両国は休戦条約を締結した。戦闘があまりに加熱しすぎたことの反省として、主力兵器であるモビル・スーツ保有台数の制限などを盛り込んだこの条約は、第3国であるスカンジナビア王国の仲介によってとりまとめられた。
ユニウス・セブン休戦条約である。
戦争がこれ以上不要な犠牲を出さぬよう、戦いがこれ以上続かぬよう淡い期待をかけられたこの条約は、しかし平和を約束するものではなかった。
続く戦争。最前線ではいまだに小規模な戦闘が散発し、休戦の名を借りた兵器開発競争は激化の一途をたどる。戦争の根本的な原因である遺伝子操作に関する両者の隔たりはまったく解消されていない。
戦いは決して終わりを迎えてなどいない。
休戦条約から3年を経たC.E.75年現在、「血のバレンタイン」から14年を経た現在においても、人々は遺伝子を操作された者とされていない者とに分かれて戦いを続けていた。
ゼフィランサス・ズールが生み出した機体群、その名はガンダム。この戦場にさらなる破壊と戦火の種を撒いた機体の名はガンダム。
ガンダムもまた、戦いを彩る主役の座から退いてなどいなかった。
新造コロニー、アポロン。
大戦勃発以後、宇宙ではコロニーの大規模建造は行われてはこなかった。プラントには領土を拡張するほどの余力はなく、地球各国はいたずらにプラントを刺激せぬよう建造を控えたためである。
しかし、まったく行われていないわけではない。
プラント船籍の貨物船の航路とは関わらない僻地に小規模コロニーの建造は細々と続けられていた。
ここアポロンはユーラシア連邦の所轄する建造途中のコロニーである。典型的なシリンダー型コロニーであり、その姿は宇宙に浮かぶ筒。内部は完全な空洞。内壁にはいまだ数えるほどの建造物しか設置されていない。両端はまだ塞がれておらず宇宙と直に接している。
単なる非軍事コロニー。事実上の戦争状態であろうと戦闘とは無縁。作業用小型ポッド、ミストレルが作業している様子が見られる。横倒しにした卵に手足を取り付けたようなミストラルは単なる作業用。ここアポロンが単なる民間利用のコロニーであることを印象づけている。
コロニーの中空に、ダーレス級MS運用母艦が停泊していることさえ除けば。
ダーレス級には、3年前の大戦でガンダムの運用母艦として活躍したアーク・エンジェル級の設計思想が随所に見られる。ハッチを備えるブロックを2つ並べて前に突き出している。それを後ろから抱えるように戦艦が取り付けられたような姿だった。
複数のモビル・スーツの同時発進を可能とする構造は、この艦がモビル・スーツ空母であることを示している。単なる民間コロニーに存在するには、いささか不似合いな艦影である。
そしてその周囲には周囲にはGAT-01デュエルダガーの姿が散見される。簡素化された灰色の装甲。ブロック状の装甲で形作られるその姿はどこかおもちゃの模型のようでもあった。しかし、これは兵器である。右手のライフル、左手のシールド。
巨人たちは、それぞれが分散してコロニーの警護にあたっている。
臨戦態勢ではなく警戒態勢。あるデュエルダガーはシールドを持つ手を振り、遠くの仲間に合図を送っているような仕草を見せていた。マニュアルにはない。単なる遊びである。
休戦条約以後も小規模な戦闘は継続しているとは言え、このような僻地までプラントが攻撃を仕掛けてくるとは考えていないのだ。
完成したコロニーのように土が盛られている訳でもない。打ちっ放しの鉄板の上を、20mにも及ぶ巨人が歩く。無重力であっても歩くのは推進剤の節約のためである。
内壁を歩いてコロニーの縁を目指していた。
まだ蓋は閉められていない。コロニーの巨大な円に縁取られた空間には宇宙の星々が輝いている。その輝きの中に星とは異質な輝きが含まれていることに、デュエルダガーのパイロットは気づけないでいた。
70tにも及ぶモビル・スーツの足が内壁を踏みつけた時、静寂は音を立てずに崩壊した。
赤熱する金属板。形を失って膨れ上がった光が爆発へと姿を変える。デュエルダガーを瞬く間に呑み込んだ。
音を伝えぬ宇宙は静寂を保ったまま、しかしモビル・スーツの間ではけたたましい警報音が鳴り響いていた。
爆発に巻き込まれたデュエルダガーは煙の中に姿を隠し、通信にも応じる気配がない。重力がないため好き勝手な方向に四散していく煙を眺めながら、デュエルダガーたちが爆発箇所を空から包囲する。
何が起きているのか。
この時点で、デュエルダガーの行動はすでに後手に回っていた。
煙の中から一筋の光が伸びた。軍人なら誰しも目にするビームの輝きが致命的な威力をもってデュエルダガーを目指す。とっさに構えられたシールドを、ビームは貫通する。通り抜けたビームが胸部をかすめたことで、内蔵ジェネレーターに熱が飛び込む。デュエルダガーは派手な爆発を引き起こした。
敵が煙の中に潜んでいる。デュエルダガーたちは一斉にビームを放つ。従来の兵器の3倍の破壊力と言われるビームは煙に突き立てられるなり次々と爆発を引き起こす。発生した爆煙はさらに大きく視界を覆ってしまった。
これでは敵の姿を確認することさえできない。
やむ攻撃の手。爆煙もまた収まる気配がない。何事も起こらない。ただ煙がはびこっているだけだ。そう、デュエルダガーたちが気を抜いた隙を待っていたかのように、事態は急変する。
煙が盛り上がる。その灰色の塊は一直線にデュエルダガーを目指した。加速するそれは煙がはぎ落とし、姿を現す。モビル・スーツである。全体としては白を基調としながら鮮やかな青を配色。その色はパイロットたちを驚愕させた。
実体の刀身にビームの刃を持つ巨剣が突進の勢いのまま振るわれる。デュエルダガーをシールドごと両断すると派手な爆発が巻き起こる。再び敵の姿が爆煙の中に隠れて消える。
しかし、すぐさま煙を突き抜けた敵は、二刀流に構えた2本の対艦刀を手に次のデュエルダガーへと襲いかかる。
デュエルダガーのパイロットは恐怖のあまり顔を庇うように手を操縦桿から離した。スクリーンに目一杯に映し出される顔のあるモビル・スーツの姿に、パイロットは叫ぶしかなかった。
「ガ、ガンダム……!?」
ガンダムとは、元はゼフィランサス・ズールによって大西洋連邦軍の新型機として開発された機体であった。しかし現在においてはあらゆる国軍に採用されている。それは大西洋連邦と敵対するプラント、その国軍であるザフトでも例外ではない。
ZGMFー56Sインパルスガンダム。
ザフト軍が開発に成功した量産型のガンダムの名である。この機体もガンダムである以上、ガンダムと定義される三大定義のすべてを備えていた。
ビーム兵器を備えること。
ミノフスキー物理学を応用して作られたビーム兵器は極めて高い攻撃力を誇る。現在の材料工学でビームに耐えられる物質は存在しない。
フェイズシフト・アーマーに守られていること。
装甲表面に構築されたミノフスキー粒子の膜、Iフィールド。それは攻撃のエネルギーを効率的に拡散吸収、余剰エネルギーを熱と光として放出することで装甲を守る。この装甲はビーム兵器でなければ破壊できない。
そして、アリスの加護に包まれていること。
アリスと呼ばれる補助システムが搭載されている。学習能力と自律性を与えられた高性能なパイロット補助装置である。
この三大機構を持つ機体がガンダムを名乗り、すでに創始者であるゼフィランサス・ズールの手を離れた今でもその名前と、そして姿は維持されている。優れた技術者への敬意、あるいは皮肉として。
インパルスも例外ではない。ガンダムと呼ばれ、額にはV字のブレード・アンテナ、目は2つ、口を思わせる突起物のある、ずいぶんと人の顔に似せた作りをしている。装甲は複雑な造形が取り入れられ、どこか芸術品のようでさえある。トリコロール・カラーで染められたその姿は兵器とするには美しく、かつ力強かった。
ゼフィランサス・ズールによって完成したガンダムというシステムは、従来のすべての兵器、技術、戦術を旧式のカテゴリーに押しやった。戦場においてガンダムは圧倒的な力をふるうエースの機体であった。
シンはコクピット・シート両脇の操縦桿を握りしめていた。インパルスのコクピットの中、正面のモニターにはシールドで身を守ろうとするデュエルダガーの姿が大きく映し出されている。
「そんな旧式なんかでー!」
2本まとめて振り下ろされる対艦刀。ビームの輝きはシールドをたやすく引き裂いてデュエルダガーを破壊する。ビームに破壊できない物質は存在しないのだ。
デュエルダガーの両肩に食い込むビームの刃。胸部ジェネレーターが突如火を噴き大爆発を引き起こす。至近距離で、シンのインパルスガンダムは爆発を浴びた。
やがて煙が晴れる。そこには無傷のインパルスが装甲を輝かせているだけだった。フェイズシフト・アーマー。装甲表面のミノフスキー粒子がエネルギーを吸収し、余剰分を光として周囲に放出する。
シンの搭乗するインパルスを狙い、ほかのデュエルダガーたちがライフルの銃口を向ける。しかし、撃ち抜かれたのはデュエルダガーの方だった。
コロニーの中空に浮遊するデュエルダガーがどこからともなく狙撃された。弾道からして、破壊された壁にまとわりつく煙の中から。慌てて煙へと反撃するデュエルダガーたち。だが、苦し紛れのビーム攻撃は命中する気配を見せない。
敵は煙の中。サーモグラフィーでは曖昧な輪郭が得られるだけ。それでも、敵は煙の中から正確にデュエルダガーに直撃させる。
アリスの力だった。パイロット補助装置であるアリスはガンダム同士を連携させる機能を持つ。煙の外にいるシンのインパルスが捉えた映像は、煙の中の味方機に正確に伝えられているのである。
コクピットのモニターごしに、シンは仲間と話していた。シンと同じ赤いノーマル・スーツ。フェイズ・ガードの奥に赤いショート・ヘアの少女が見える。
「ルナ、援護が遅いぞ!」
「勝手に飛び出して行ったのはシンの方でしょ!」
煙が徐々に薄くなる。すると、脇の下に大型のビーム砲を左右それぞれ構えたインパルスが姿を現す。インパルスは量産機だ。背中のバック・パックを交換することで性能を大きく変更することができる。シルエットと呼ばれる換装システムだ。
シンのインパルスはソード・シルエット、対艦刀の台座を背負っている。ルナ--フルネームはルナマリア・ホーク--はブラスト・シルエットである。
接近戦に優れたシンが敵をかき乱し、ルナマリアが後ろから狙撃する。
シンのソード・インパルスが敵機へと突進すると、気をとられたデュエルダガーがルナマリアに撃ち抜かれる。狙撃を警戒した機体は、対艦刀が餌食にする。
デュエルダガーは設計自体がすでに4年前。激しい開発競争にさらされるこの時代において致命的な設計の古さなのである。インパルスのレーダーからデュエルダガーの光点が消滅するまでに、さして時間はかからなかった。
全滅させた。暗いコロニーの空に2機のインパルスだけが残された。それでも、シンの顔は優れない。普段から細めていることが多いその目を、さらに険しくしていた。
「こんな民間コロニーをモビル・スーツが警備してるなんて、やっぱり変だ」
「隊長の読みがあたってたってことね。でも、まずくない? あたしたち囮なのに、増援が来る気配ないじゃない」
「作戦が見破られたなら、隊長が危ない……! ルナ、俺が先行する。ついてこい!」
「ちょっと……!」
ダーレス級MS運用母艦ガーティ・ルーのブリッジではコロニー内部で発生した戦闘の様子がモニターに映し出されていた。決して広くはないブリッジは、1段高くなった場所に艦長席、及びオブザーバーのための席が用意されている。
大西洋連邦軍の白い軍服に身を包み、軍帽を深々とかぶった男。それがこの艦の艦長である。如何にも堅物を思わせてその表情は堅く、張りつめた雰囲気を演出していた。
名はイアン・リー。その胸には少佐であることを示す階級章がある。しかし、彼の立場をより強く印象づけるのは、左腕に巻かれた青いスカーフだろう。これは、反コーディネーター思想団体、ブルー・コスモスのメンバーである証である。
「戦況を報告せよ」
「ストライクもどきです。数は2です!」
クルーの報告通り、ブリッジのモニターには2機のガンダムが写されていた。コロニーは完全な筒で障害物はない。コロニーの端から端を眺めるように、シンとルナマリアの姿は光学レンズで直接見ることができた。
しかし、イアン艦長は動かない。デュエルダガー全滅の報告にも、ならば増援は必要はないと冷たい計算を働かせていた。
地球の兵士たちからストライクもどきと呼称されるインパルスガンダムが2機。ストライクとは初期のガンダム・タイプの傑作機のことである。同じく換装機構を備えていた。インパルスガンダムは所詮ストライクの猿真似と、紛い物と呼ぶことが地球軍では好まれた。
イアンは目を細める。それは奇襲を仕掛けられたことへの苛立ちではない。単純な疑念である。
いくらガンダム・タイプとは言え、わずか2機。奇襲に成功したということは、警戒の網目を通り抜けられる規模の小さい部隊であるということを意味する。それが正面切って戦いを仕掛けてくるとは考えにくい。それが、イアンの出した結論であった。
「陽動ということか。索敵を密に、迂闊な行動はするな。……そして、ヒメノカリス女史を呼べ」
指示を出している最中、艦長席後方の扉が開いた。スライド式の扉特有の音とともに、イアンの鼻にはすぐに花の香りが届いた。すぐ隣のオブザーバー席の背もたれに手をついて体を浮かせる少女の姿があった。
無重力に漂う髪は波立つ桃色、豪奢に飾り付けられたスカートに隠される足にまで届くほどの長さである。歳は19を数え、少女から女性へと開花を始めた流麗な鼻梁は、しかしいまだに少女という言葉がよく似合う。全身をフリルとリボンで装飾された純白のドレスで飾りたてられた人形のような少女であった。
着飾ったドレスほどには鮮やかでない表情を、少女はイアンへと向けた。
「リー艦長、戦況は?」
戦闘に巻き込まれたご令嬢ではない。少女、ヒメノカリス・ホテルはオブザーバーの席へと慣れた様子で座る。備え付けのモニターを立ち上げると、その表情に乏しい顔は戦いに臨む指揮官を思わせた。
イアンは軍艦に不釣り合いな少女にも顔色一つ変えることない。
「ストライクもどきが少なくとも2。こちらは旧式のデュエルダガーしかありません。ご足労願えますかな?」
ヒメノカリスはおもむろにオブザーバー席に備え付けられたモニターを切り替える。ガーティ・ルーのこの艦の格納庫へと通信を繋いだのだ。
フェイズシフト・アーマー。ミノフスキー粒子と呼ばれる微細な帯電粒子を装甲に塗布し、衝撃の緩和、拡散吸収を行わせることで強固な防御力を獲得した装甲の総称である。ゼフィランサス・ズールによって確立されたこの技術は、同じ技師の手によってさらなる発展を見た。
ミノフスキー粒子の膜、Iフィールドが帯電する性質に着目し、フェイズシフト・アーマーに用いられているIフィールドとは反対の電位を有するIフィールドを噴射。その2層の静電気的な反発力を利用することで装甲そのものを推進器とすることに成功したのである。
ミノフスキー・クラフトと呼ばれる推進器はその特徴として、優れた機動性とともに消費電力の大きさが挙げられる。全身に装備できるほど出力に余裕のある機体は限られている。そのため、機体の多くは一部の装甲にのみ採用するなどして妥協点を探る試みがなされている。
ザフト軍最新鋭機であるインパルスガンダムでも例外ではない。シルエットと呼ばれるバックパックにのみミノフスキー・クラフトを搭載することで稼働時間の確保と機動力の向上を両立させていた。
アポロンの空に、1機のモビル・スーツが飛行していた。背中にはフォース・シルエット。大型の赤いウイングを備える高機動型のフォース・シルエットである。赤いウイングは淡い光を放ち、光が強さを増すごとにインパルスが加速する。
ミノフスキー・クラフトでは、推進力にならなかった余剰運動エネルギーは光として放出される。
コクピットの中には中年の男性。シンとルナマリアの直属の上司であるマッド・エイブスが座っていた。その目は、未完成のコロニーに不釣り合いな軍艦の姿を捉えていた。
イアンが艦長をつとめる、ガーティ・ルーである。ガーティ・ルーは対空放火を繰り出す。曳光弾の輝きが暗い空に瞬いて、その間をフォース・インパルスは飛び続ける。
マッドはノーマル・スーツの中で、無骨な顔つきに違わぬ野太い声を上げた。
「民間コロニーにダーレス級とはな。やはり、ここは疑わしい!」
曳光弾の中をかいくぐる。時には真横へと機動する。スラスター推進ではあり得ない動きを披露する。この時代、軍艦がモビル・スーツを撃墜することは難しい。
汎用ビーム・ライフルを、マッド機はガーティ・ルーへと向けた。放たれたビームは一直線に戦艦のバルカン砲に命中し、土台ごと派手な爆発で呑み込んだ。
それでも対空放火の勢いにかげりは見られない。黙らせるにはブリッジを一刻も早く破壊する必要があった。
そんなマッドの決意をくじくように警報が鳴った。アリスが戦況の変化を察し、そのことをマッドに伝えてきたのだ。アリスが独自にピック・アップした映像がモニターに拡大される。ダーレス級の先端に取り付けられたカタパルト・ハッチがすでに開かれていた。
すでに敵のモビル・スーツは出撃している。アリスが後方からの攻撃を告げるため、けたたましい警告音をコクピットに響かせていた。
インパルスを飛びのかせ、マッドは宙返りでもする要領で後ろを向くとともにライフルを放つ。
「新手か!?」
コロニーの丸い内壁に沿うように加速する何か。マッドのライフルが敵の姿を追うも、ビームは一足遅れの爆発を繰り返す。高速で動く何かがマッドとインパルスを翻弄していた。
「数は2、いや、3か……」
簡易レーダーにマッド機に接近してくる敵機が映し出される。高機動の敵とは別の機体だ。
それは奇妙な機体であった。薄い緑。人型の体に、頭をすっぽりと覆い隠す追加装甲が被せられている。装甲の左右から多節アームが伸び、シールドと連結している。その姿は、どこか甲殻類の被り物をしているかのようであった。
ザフトの教本でフォービドゥンと呼称される機体だ。マッドは不用心にも接近してくる機体めがけてビームを放つ。
現存する装甲すべてを破壊可能であるビームは、それでも敵のシールドにたやすく防がれた。破壊できなかったのではない。ビームの軌道がシールドの手前でねじ曲げられ、敵の脇を通り抜けてしまったのだ。
驚く暇もなく反撃があった。甲殻類の装甲の両脇に装備されていた開放式の銃身がインパルスを捉える。レールガン。その武装の正体に気づいた時には、2発の弾丸はマッドの体に強い衝撃を与えた。
ライフルは撃ち抜かれた。直撃を受けた左肩はフェイズシフト・アーマーの強烈な輝きを放ちながらも損傷はない。
「馬鹿な……、インパルスがこうもたやすく……」
アリスが無遠慮に新たな敵の襲来を告げる。上。今度は猛禽を思わせる姿をした褐色のモビル・アーマーがマッドめがけて急降下していた。高い機動力を見せていた機体だ。鷲の爪を思わせる鋭利な鋼鉄製の爪が光り、その爪の間に銃口が開いている。
降り注いだ弾丸の雨がインパルスを燦然と輝かせ、フェイズシフト・アーマーに包まれていない手首を直撃する。シールドが、掴む手ごとインパルスの手を離れた。
モビル・アーマーはマッドの脇を過ぎ去る。
装甲は無事でも衝撃までは無効にならない。武装を失い、崩れた重心に機体が流されながら立て直そうとするマッド。しかし、敵がそんな隙を見逃すはずがなかった。
目の前に、最後の機体が堂々と姿をさらしていた。
右手にはバズーカ。左手には2連装の銃身を備えるシールド。バックパックから伸びる長大な火砲は左右の肩越しに一対。一見しただけでも5門の重火器を備える破壊力の怪物のような出で立ちである。そして、ガンダムであった。特徴的なV字のアンテナに擬人化の施された顔。
プラント本国においてきた妻と娘。マッド・エイブスは2人の姿を思い浮かべ、その体は輝きの中にかき消えた。
シンがミノフスキー・クラフトの輝きとともに到着した頃には、すべてが遅かった。
「エイブス隊長! そんな……!」
マッド・エイブスの搭乗するインパルス1号機は上半身を撃ち抜かれ、下半身だけが綺麗に残されていた。コクピットは腹部。生存は絶望的と言えた。
隊長機を撃墜した敵の姿はすでにここにはない。ただ、1機を除いて。
隊長機の残骸を写していたモニターに蟹の化け物が割り込んだ。緑色の装甲を輝かせて直進してくる。
「こいつもミノフスキー・クラフトを装備してるのかよ!」
兵器の開発費が高騰した休戦条約以後に開発された新型ということになる。
シンもまた、ソード・シルエットを輝かせて直進する。こちらから敢えて間合いを詰めることで相手の攻撃のタイミングを奪う。シンが得意とする戦法である。
互いと速度と勢いを利用する形で、左右の手に握られた対艦刀を並べて叩きつける。
シールドごと斬り裂いてしまうつもりであった。だが、シールドを破壊することさえできずに防がれてしまった。シールドの表面でビームが弾かれている。これではビームがシールドに届かず、単に金属の棒を叩きつけたにすぎない。
相手を押し退けるように弾みをつけて、シンは急いでインパルスを飛び上がらせた。攻撃が通用しないなら他の手を考える。
しかし、敵はシンよりも速かった。
敵が甲殻類の被り物を脱ぐと背中へとスライドさせる。明らかになった顔は、インパルスとよく似ていた。
「地球軍のガンダム……!?」
敵対勢力に同名、同質の機体が存在する事実。ありふれた事実は、それでもシンの意識を奪う。
シンの虚を突いた急速な接近。敵のガンダムは自由になった両手で、長柄の鎌を振るった。ビームではない単なる実体剣が、火花を散らしながらインパルスの足に食い込むと、フェイズシフト・アーマーなど構うことなく斬り裂いた。
片足を失いバランスを崩したこと、すでに飛び上がる勢いをつけていたことが災いし、インパルスの体はシンの操縦も受け付けず不規則な軌道を描いた。
シンは反応できず、ただ声をあげるしかない。
建造途中の建物のむき出しの骨組み。鉄筋の森に墜落したことでようやくインパルスは動きを止めた。
右足はすねから先が切断されている。背中のソード・シルエットが鉄筋に絡めとられてしまった。落下の衝撃に軽い脳しんとうでも起こしたのだろうか、シンの視界は震えていた。
それでもシンの目はしっかりと開いていた。死神のように鎌をもって迫りくる敵の姿と、そして下半身だけが残された隊長機の姿を目敏く捉えていた。
「隊長……」
地球軍のガンダムは3機。シン・アスカと戦う1機。残りは2機。
コロニーの隅で派手な爆発が繰り返されていた。
ブラスト・シルエットを装備したルナマリアのインパルスがビーム砲を発射する度、コロニーの内壁が爆発を引き起こす。
対峙するガンダムは全身、重火器の塊。バズーカ、ビーム・ライフル、ビーム砲。多様な銃器が負けじと火の花を咲かせる。
フェイズズシフト・アーマーも絶対ではない。大口径の火器の衝撃には内部損傷を引き起こし、エネルギー効率にすぐれるビーム兵器には貫かれてしまう。
壮絶な撃ち合いの中、一瞬でも気を抜けば大火力がルナマリアのインパルスを飲み込んでしまう。
そんな緊張の中、ルナマリアは思わず声を大きくした。
「こんなところにガンダム・タイプがいるなんて、聞いてないわよ!」
火力に特化した2機のガンダムの戦いは互いの破壊力を比べ合うかのように炎と破壊をまき散らす。
それはコロニーのすぐ外にあった。
ザフト軍ローラシア級モビル・スーツ搭載艦バーナードがデブリに紛れて停泊していた。宇宙戦艦らしい航空力学を無視した独特の形状の軍艦で、艦体下部にカタパルトを収納する構造が張り出していた。
シン、ルナマリアの母艦であり、帰るべき場所である。ここに、第3のガンダムの手が迫りつつあった。
褐色の翼を持ち、鷲のようなモビル・アーマーが突如その身を起こした。爪は腰部にまとめられ、固定されていた腕を展開するとともに足が左右に開かれた。それだけで、鷲は人へと、ガンダムへと姿を変える。
ガンダムの特徴である顔を見せつけるように、それはウイングを輝かせながらザフト軍バーナードへと迫った。