聞こえるのは波の音。月光の柔らかな光が白い砂浜を、打ちつける波を照らす。ここはオーブ首長国。ヤラファス市郊外の砂浜である。名もない教会が砂浜へと入り口を向ける形で建てられていた。ここでは今、結婚式が催されている最中である。
広くはない教会。並べられた椅子を参列者が一杯に並んでいる。盲目の神父が聖書を手に新郎新婦の前に立つ。この結婚式では珍しく、新郎が白いタキシードで着飾り、新婦は漆黒のドレスにその波立つ白い髪を映えさせていた。
信仰に目覚めた運び屋か、運び屋の副業を持つ聖職者か。神父はマルキオ導師と呼ばれていた。
「説教は最初と最後が感動的であり、かつその間が短ければ短いほど尊いとされます。よって、余計なことは省いてしまいましょう」
本来ならば結婚式のための決まり文句をすべて省いてしまう。そう、キラ・ヤマトが破戒僧と呼んだ神父は実行しようというのである。
新郎は隣りの新婦へと小声で話しかける。
「ゼフィランサス、本当にここでよかったのかい?」
ブーケを持ち、ヴェールをかぶる新婦はやはり小声で返す。
「だって、他に教会なんて知らないし……、それに海の見える教会で結婚式をあげようって約束だったから……」
そうして、2人が夫婦としての初めての秘密を共有している間に、マルキオ導師は本当に必要最低限の祝詞を並べただけで儀式を済ませてしまった。
「永久の愛を誓いますか?」
キラとゼフィランサス。2人は互いに見詰め合うと、2人で一緒に宣言する。
「誓います」
「2人を夫婦と認め、ここにそれを宣言します。では、誓いの口付けを」
花婿がヴェールを外すと、花嫁の赤い瞳と白い肌が露となる。足元にまで伸びる長い髪ごと抱き寄せると、花婿はその唇を重ね合う。永久の愛を、祝いのために駆けつけてくれたすべての人の前で誓うために。
結婚式を終えた後、教会の外の砂浜ではパーティが催されていた。並べられたテーブルに料理が並べられ、人々が思い思いに過ごしている。結婚式の参列者の他、給仕の人々の姿も目立つ。
そんな会場の一角。アーク・エンジェルのクルーたちが集まっている一角があった。
周囲を見回す、管制担当のジュリ・ウー・ニェン。眼鏡を様々な方向に向けて周囲の様子を観察している。
「すごい人ね」
答えたのはテーブルを同じくするダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世。
「アズラエル家のご令嬢の結婚式だからね。これでも使用人の人たちとか身内の人ばかり集めたそうだけど」
事実上の副艦長としてアーク・エンジェルを、女性ばかりのブリッジで支え続けたこの男はある種の居心地の悪さに慣れてしまったようだ。どこの高級レストランかと思わせるほどの給仕の人々の多さに気にした様子もなく料理を口に運んでいる。
同じように気にしていない様子でありながら、ディアッカ・エルスマンは食事に苦戦している。
「ラタトスク社CEOにブルー・コスモス代表。プラント最高評議会議員までご出席だ。ずいぶん豪勢な式になったな」
「大変そうね」
「まだ片腕になったばかりだからな。慣らしていくさ」
ジュリの言葉も特に気にした様子なく、ディアッカは片手で料理との格闘を続けている。そんなディアッカの右側--視力の残された右目の側である--に座るアイリス・インディアが手を伸ばした。
「お手伝いしますよ、ディアッカさん」
「悪いな」
肉料理を切り分けるアイリス。フォークで肉を持ち上げると、それをディアッカの方へと差し出した。
「はい、あ~ん」
「あ~……、ん?」
自然な様子でフォークから肉を食べたディアッカは妙な視線に気づかされた。ここにはジュリの他、ブリッジ三人娘とも言うべきアサギ・コードウェル、マユラ・ラバッツの姿もある。三人とも、白い眼、表情のない顔、何か死んだ魚のような眼差しを2人の若者へと向けていた。
アサギは早速乾いた声で上官に告げ口しようとする。
「ナタルさ~ん。アイリスちゃんが悪い狼にたぶらかされてますよ~」
「きゃ~大変~」
まるで大変そうには聞こえないジュリの乾いた声。マユラもまた乾いた眼差しで携帯電話のシャッターを押していた。
「こんなとこ写真に撮られたら一大事~」
「おい!」
慌てるディアッカに対して、アイリスの関心はすでに別の場所に移っていた。会場を歩く1人の少女。黒いドレスで着飾った少女へと、アイリスは声をかける。
「ゼフィランサス」
立ち止まるゼフィランサス。一度記憶によって引き裂かれた姉妹は、少しぎこちない話し方になっている。
「何だか不思議な気分です。ヘリオポリスで再会した時、私昔のことみんな忘れててゼフィランサスのこと、少し怖い人に思ってました。でも少しずつ思い出していくと、やっぱりゼフィランサスは妹で、私はお姉さんなんですよね」
姉から妹へ送られた小さな花束。妹がそっと受け取ると、姉は微笑みかけた。
「おめでとう、ゼフィランサス」
ラウ・ル・クルーゼは本名ではない。アズラエル財団の御曹司である彼は、本来ならばアズラエル姓の名を持つ。しかしどのように名乗っていようと彼の身分は変わることはない。給仕が手慣れた様子でグラスにワインを注ぐそばで、手慣れた様子で椅子に腰掛けていた。
そんな彼に声をかけたのはロベリア・リマ。このヴァーリは普段見せる軍服とは違い、気合いの入った衣装で緊張した面もちをしていた。
「ラウさん、隣、開いてますか?」
ラウ自身ではなく給仕が座りやすいよう椅子を引く。しかし、そこに腰掛けたのはロベリアではなく、カガリ・ユラ・アスハであった。
「そうか、すまない」
「ちょっとカガリ!」
「開いている、そう言われたから座ったまでだ。別にお前のための特別席だというわけじゃないだろ、ロベリア」
「そ、そうだけど……」
顔を真っ赤にして頬を膨らませるロベリア。カガリはしれっとした様子で一つの提案をする。
「それなら膝の上に座ったらどうだ?」
「ひ、膝って……!」
さらに顔を赤くするロベリア。その視線は盗み見るようにラウの膝を見ては気恥ずかしげに離れる。その繰り返しである。その時、カガリは膝を叩いた。
「さあ、私の膝はいつでも開いてるぞ!」
ラウ・ル・クルーゼのものではなく自身の膝を。ロベリアの顔は、怒りと恥ずかしさがない交ぜとなって極限の赤さを更新していた。ラウは静かにワインを口に含む。
「ロベリアをあまりからかうな、カガリ」
「では本題に入ろう。クルーゼ兄さん」
「ラウさんをお兄さんだなんてぇ~!」
「話の腰を折るな」
繰り出されるカガリのアイアン・クロー。頭蓋骨を鷲掴みにされたロベリアは小さな悲鳴を出し続けている。まるで、頭蓋骨が軋む音であるかのように。
「兄さん、オーブを攻めない方法は何かなかったのか?」
「オーブが裏でプラントとつながっていたことは事実だ。そして、我々には時間がなかった。オーブの民の死の責任は我々にある。だが必要なことだった。この死の責任は、我々がムルタ・アズラエルとしていつか対価を支払うこととなろう。我々はそれを甘んじて受けなければならない」
大まじめな話をしている横で、いまだにロベリアは顔面を掴まれ悶絶している。ついには海岸の砂に膝をついた。それが唐突に解放された時、ロベリアは後ろ向きに砂へと倒れた。
カガリには他にすべきことが見つかっていた。これ以上、ロベリアにかまっているつもりはなかったのだ。会場を横切るように歩く新郎の姿を見つけた時、カガリはその進路に立ちふさがるように立ち上がった。
「10年越しのプロポーズか。本当に、お前は自分勝手な奴だよ。昔からゼフィランサスの機体以外乗らないだの、ゼフィランサスに話しかけたドミナント仲間に殴りかかるだの、今回の戦いも結局ゼフィランサスのことばっかりだっただろ」
「世界なんて灰にする覚悟がなかったら、ダムゼルのことを愛し続けることなんてできないよ」
この弟はこういう奴だ、冗談抜きで女のために世界のすべてを敵に回しかねない、そう、カガリは苦笑した。そしてそれも今更のことだ。カガリはおもむろに1枚のカード・キーをキラの胸ポケットに押し込んだ。
「これは私と兄さんからの祝いの印だ。オーブで一番のスイート・ルームをとってある。頑丈な作りだが、ほどほどにな」
「ああ……、ありがとう」
キラは戸惑いを覚えているようであった。奇妙な贈り物にも、なぜか倒れているロベリアの姿にも。
パーティ会場。その入り口に花を持った少女が訪れた。オッド・アイ、左右非対称の髪をしたこの少女を出迎えたのも、鏡に写ったかのような少女であった。
オーブの代表として幹事に駆け回っていたエピメディウム・エコーは結婚式には参加しなかった姉の到着を満面の笑みで迎入れた。
「デンドロビウム姉さん、来てくれたんだ」
「まあ、ちょっと顔を見せるだけだけどな」
ジェネシスにおける戦いでは最後までクライン派として戦ったデンドロビウム・デルタはこのパーティへの参加さえ悩んでいた。それでも来ると決めたのは、ちょっとした気まぐれにすぎない。
「いいんじゃないかな。きっとゼフィランサスも喜ぶよ」
会場内へ案内しようとするエピメディウム。その手を、デンドロビウムが後ろから掴んだ。
「どうして動かなかったんだ?」
「オーブがあの状態じゃ、僕には動きようがないよ。それに、僕にとってオーブは、大切な場所なんだ」
オーブに潜入していたドミナントとしてエピメディウムはアメノミハシラ、衛星軌道上の施設から動こうとはしなかった。ジェネシスが地球を、オーブを焼くという時、父に逆らわず、しかし積極的に行動することもなかったのである。
責めるつもりはなかったのか、それとも別の用事ができたか、デンドロビウムは妹の手を離す。大股で砂を踏みつけては、人をかき分け、会場に見つけたもう1人の妹の前にまで歩み出る。黒いドレスの少女が驚いたようにその瞳を大きくしているもかまわず、デンドロビウムは質問を投げかけた。
「お前、お父様のことや、クライン家の夢のこと、どう思ってる?」
「私は……、キラと一緒にいたいです……」
睨みつける。そうと見えるほど真剣だったデンドロビウムの眼差しが途端に和らいだ。息を吹いて、手にしていた花束を結婚式を終えた妹へと差し出した。
「十分な答えだな。だがこれで何もかもが終わった訳じゃない。好きな人といられる時間は大切にな」
「ありがとう、デンドロビウムお姉さま……」
皆がテーベルを仲間と囲んでいる中、海岸に投げ出されるように置かれていた一対の椅子にまるで楽しげでない男が2人座っていた。
イザーク・ジュールはどこか不機嫌そうであり、コートニー・ヒエロニムスは積極的に笑うということをしない。
「コートニー・ヒエロニムスだったな」
「はい」
「お前は本気で地球を滅ぼすつもりだったのか?」
「私はユニウス・セブンですべてを失いました」
ジェネシス内で最終決戦を敵と味方として戦った2人の言葉は、会場の喧噪の中で決して目立つものではなくとも、2人の間では確実に共有されている。
「地球にもそんな奴は大勢いる。エイプリルフール・クライシスでな」
未曾有の大災害。プラント、地球、どちらの災害も人為的に引き起こされ、まだ10年程度しか経っていないのである。
「結局こういうことか? 地球は危険な存在だが自分たちは安全な存在だ。だから、自分たちだけが力を持つことが許される」
「地球とプラントの戦いはこれで終わったわけではないでしょう。それどころか、ジェネシスが地球全土を狙ったという事実は地球の反コーディネーター感情を高ぶらせることでしょう。プラントとてこのような結末で納得できるはずもないのですから」
「これからも地球の民を皆殺しにするまでプラントは戦い続けるべきだということか?」
さすがにコートニーもこれには賛成することはなかった。しかし、否定もすることはない。デンドロビウム、ダムゼルに仕えるほどの力と覚悟を持つ人物がそうたやすく自説を曲げることはなかった。
「あなたとてザフトであるはずです。私にはそれが理解できない」
「味方を守ることと敵を殺すことは意味が違う。そんなことを学んだ。それだけだ」
それはイザークも同じであった。これ以上の話は無意味であろう。そして都合よく、話を切り上げる存在がそばを通り過ぎようとしていた。タキシードに身を包んだ、今夜の主役の1人である。
「キラ。お前とは面識らしい面識もないが、まったく縁がないということでもないからな。これは俺からの贈り物だ。男のエチケット袋だ。お前たちはまだ若い。必要なこともあるだろ」
そう、椅子に座るイザークの高さにちょうどいい位置にあるタキシードのポケットに数珠繋ぎに一つずつ梱包された製品を押し込んだ。
「ああ、ありがとう、イザーク……」
あるいは、同じ戦艦で戦いと役職をともにする2人の女性が椅子を並べていた。アーク・エンジェルの艦長であるナタル・バジルールは、それでもマリュー・ラミアスを艦長と呼ぶ。
「やはり、お変わりになられましたな、マリュー艦長」
「あなたたちに振り回されすぎたみたいね」
「ご冗談を」
職務を全うすることを最優先に動いていたかつての艦長がまさか冗談まで飛ばす姿に、ナタルは一瞬戸惑いながらも口元を緩めた。マリューはテーブルに置かれた小さな花束を気にした様子でナタルと会話を続けている。
「でも、長い戦いだったのに、ヘリオポリスでの出来事が昨日のことのようにも思われるわ」
ガンダムという新兵器の登場と、激変した戦局、価値観を一変させるほどの出来事もあった。それはナタルにも変わらない。簡単な要人の家族の護衛。それがまさかヴァーリという特別な少女だとは想像だにしなかった。
「我々は歴史の転換点にいたのでしょう。この戦いは、間違いなく歴史に残る戦いでした」
「あなたはこれからどうするの?」
「軍をやめようと考えています。やむを得ないこととは言え、私のような日和見主義者は軍に似つかわしくありません。これからは、何か自分自身を納得させられる仕事を探すつもりです」
あなたらしい。そう、マリューは軍を離れるかつての部下の背中をそっと押す。そうしているうちに、花束を贈りたい人がテーブルのそばを通りかかった。2人は立ち上がり、まずナタルが声をかけた。
「ゼフィランサス主任、ありがとうございました。あなたとの出会いは、それこそ人生を変える出来事でした」
「ゼフィランサスってお花を探したのだけど、ずいぶん小さな、綺麗な花なのね。おめでとう、ゼフィランサス主任」
マリューが贈ったのは、6枚の花びらを持つ小さな小さな花の花束であった。すでにいくつかもらった花束を大切そうに抱えながら、ゼフィランサスは新たな花を受け取る。
「ありがとうございます……、マリューさん、ナタルさん」
「こんな構造になっているのだな。まったく、エインセル・ハンターはいい趣味をしている。ニーレンベルギアはもらってないのか?」
ヒメノカリス・ホテルの着る純白のドレス--ウェディング・ドレスではない--を手に取り観察しながら、ミルラ・マイクはこのような場所にまで白衣姿の妹に訪ねた。もっとも、先に答えたのはヒメノカリスの方である。
「お父様が一度打診してみたら断られたって言ってた」
「あの時はあの時。今は、ちょっと挑戦してみたい気持ち、かしら」
「確かに、一度は着てみたい服ではあるな」
3人のヴァーリはドレスの話題に終始する。少なくとも、ミルラがジェネシス内部で最後に見た光景について話題にすることもなければ、ミルラが進んで答えることもない。
この純白の衣装を身につけたミルラの姿をそれぞれがそれぞれ、思い浮かべていた。
ニーレンベルギア・ノベンバーは同じ第5研出身の姉が豊かな黒髪をなびかせて、踊る様を想像しているうちに、なぜか剣舞に印象が近づいてしまうことに悩んでいた。
「お姉さまは……、もっと勇ましい服の方が……」
ヒメノカリスは最初から想像することを諦め、いかにもな軍服を身につけた姿、鎧を身につけたミルラのことを思い浮かべていた。
「軍服とか鎧が、ミルラ姉さんには似合う」
「どういう意味だ?」
妹は姉から目をそらし、ヒメノカリスは目こそそらさないもののその表情からは何を考えているのかうかがいしれない。ミルラは諦めたように息を吹いた。
その時、都合よくかっこうの獲物が通りかかった。柄にもなく着飾った少年を、3人の少女は素早く取り囲んだ。
「結婚おめでとう、キラ。これは私たちからの贈り物だ」
ミルラは褐色の小瓶を数本、ポケットに無理矢理押し込んだ。中には半透明の液体が入っている。
「ありがとう、ミルラ。それで、これは何?」
キラはポケットの上から瓶の感触を確かめる。ニーレンベルギアが妙に楽しそうな様子で代わりに答えた。
「まだ若いから必要ないでしょうけど、元気になるお薬。でも2本以上同時には飲まないで。すごいことになるから」
「男の子って、一度許すと底なしなんでしょ?」
キラの両肩に手を置くヒメノカリス。父であるエインセルのこと以外に関してはとことん無関心であるこの少女は、無表情のまま、キラのことを見ていた。
「女の子が口にすることじゃないよ、ヒメノカリス……」
「フレイ、君はこれからどうするんだい?」
フレイ・アルスターに操舵の基礎を教えた男は隣に座る弟子にこんなことを問いかけた。
「軍隊に残るつもりもありませんから、学校に戻ろうかなって考えてます。その、アーク・エンジェル壊しちゃいましたけど、弁償とかさせられませんよね?」
そう、アーノルド・ノイマンから操舵の基礎を学んだ少女は不安げに師の顔を見上げた。
「君の生涯給与つぎ込んでもブリッジさえ完成しないよ。ただ、確かにあれはすごい壊し方だったね」
アーク・エンジェルは完全に破壊されていた。戦闘が集結した際には航行さえ困難で元の面影を残してはいなかった。かわせない攻撃は頑丈な部分で受け止める。するとその部分の装甲は削れ、想定的に装甲が厚い部位が変わる。そのため、全身にくまなく被弾することが最良ということになるのである。
「アーノルドさんに言われたことしたんですよ。それに、アーノルドさんだって、戦闘機ばらばらにしちゃって。……あの時、本当に心配したんですからね」
「弟子はまず師匠の悪いところから似始めるというのは本当かな?」
コスモグラスパーは完全に機能を停止。アーク・エンジェルまでは宇宙遊泳する必要があったほどだった。そして、2人を繋いでいた戦艦はすでにない。そしてフレイはこの戦争であまりに多くのものを失っていた。
アーノルドは懐から名刺と取り出した。まだ階級は曹長のままだが、連絡先は記載されている。
「ご両親は残念だった。もしもよければ私が力になれると思う。ここに……」
「案ずることはありません」
突然の声の主は、眼鏡をかけた理知的な女性であった。フレイはヘリオポリス脱出の直後一度だけ顔をあわせたことがあった。メリオル・ピスティス。有能な美人秘書という印象の女性は、聞かされても財団のご令嬢とはイメージが重ならない。こんな祝いの席にもスーツ姿で、フレイとアーノルドの間に割り込むようにテーブルに1枚の書類を置く。
「え~と、メリオルさん、これは……?」
「書類です」
「見たらわかります」
真面目なだけ馬鹿にされたわけではないだろう。それでも丁寧すぎると見くびられているような気にさせられてしまう。
「エインセル様が出資されている基金の支援依頼書です。あなたが独り立ちするまでアズラエル財団が無利息無利子無期限で学費、生活費を貸し付けます」
「そんなの、悪くありませんか?」
「エインセル様はすでに500人を越える子どもたちを支援されています」
「それでもお金かかりますよね?」
「学科にもよりますが500人全員を大学卒業まで支援するとしても、所詮フォイエリヒの装甲にかかる費用にも及びません」
では全体ではいくらかかるのだろう。金ぴかのガンダム--まさか全身黄金でできている訳ではないはずだが--は、かかる費用も豪華であるらしい。
「これだから戦争って嫌いよ……」
「あなたが何ら遠慮されることはないでしょう。これが、あなたのご両親を巻き込んでしまったことの償いであるのならば十分と言えないものなのですから」
「私、エインセルさんに甘えてもいいんでしょうか?」
「もちろんです」
堅苦しい雰囲気はそのままでも、メリオルは努めて微笑んでくれているようだった。
「よかったね、フレイ。これは余計なものだったかな」
「そ、そんなことありません!」
名刺をしまおうとするアーノルドの手から、ひったくるようにフレイは名刺をひったくる。
「アーノルドさん、私、とても感謝してるんです。まだ恩返しもできてません。その……、これからも弟子でいさせてもらってもいいですか?」
「もちろんだよ」
主役がそばを通りかかることに、最初に気づいたのはアーノルドであった。
「ほら、フレイ」
そう、アーノルドに促され、フレイは立ち上がった。すでにいくつかの花を抱えているゼフィランサスに、フレイは話しかけた。
「ゼフィランサス、さん……。私のこと、覚えてますか?」
「フレイさん……」
話したことなんて、ヘリオポリスを抜けてアルテミスで声をかけた時くらいではないだろうか。あの当時、両親を失ったばかりのフレイは、決してゼフィランサスに対して誉められるような接し方はしなかった。
「あの時はごめんなさい。私、気が動転しちゃってて、失礼なこと言っちゃって……」
「ヘリオポリスを巻き込むことは、私も知っていたこと……。あなたの怒りはもっともなことだから……」
「でもあなたも苦しんでたことを知りもしないで一方的に怒鳴りつけただけだった。これ、そのお詫び、にもならないかもしれないけど」
そうして差し出した花束を、ゼフィランサスは受け取ってくれた。
「キラと私、ヘリオポリスじゃクラスメイトだったんだ。あまり話したことなんてなかったけど。おまけに猫かぶって自己主張のない人だって考えてた。実際はあんなんだったけど」
物静かで自己主張の弱い少年。実態は、戦争のまっただ中でも好きなこのことばかり考えてるようなエゴイストだった。本当に、自分には人を見る目がない、そう、フレイは苦笑する。それでも、見えていることもあるはずだ。
「ただね、根っこっていうのかな。今のキラもヘリオポリスのキラも悪い奴じゃないってことだけは同じだと思う。幸せになってね」
会場の中心からやや離れたテーブルでは厳か、厳粛とさえ言ってよい重苦しい雰囲気が漂っていた。
プラント最高評議会議員ユーリ・アマルフィ、タッド・エルスマン議員。そして、アズラエル財団当主エインセル・ハンター代表。この3名がテーブルを囲んでいた。その様たるや、給仕の顔も心なしか張りつめているように見えるほどである。他のテールブとはまるで異なった雰囲気を醸し出している。
議会でそうであったように、話の切っ掛けはエルスマン議員が作り出した。
「私は息子の友人の結婚式でね。君はなぜこちらへ?」
「新婦の招待を受けました。迷いましたが、ゼフィランサスの誘いを棒にすることはできません。それに、私には確かめたいことがあります」
この戦争で息子を失った男は、努めて心を平静に保つよう、動作の一つ一つを静かに行っているようであった。
「エルスマン議員は如何でしたか? ご子息が行方知れずとなった時のお気持ちは?」
「心配でなかったはずがない。ただ、私は法の従僕にすぎない。法とは、個別具体的であってはならないからね。裁判官が恣意的に判断し始めたらたまらないよ。戦場では大勢の人が死に、大勢の人が行方知れずとなる。私の息子だからと言って、考えを変えることはできなかった」
「あなたはお強い」
「弱いさ。だから、もしもの時の覚悟を最初から決めていた」
息子の死を切っ掛けとして急進派へと身を振り替えた男と、息子の行方不明にもその職務をまっとうしようとした男。そしてここにはもう1人、静かに両議員の言葉に耳を傾ける男がいる。第三の男はエインセル・ハンター。
「あなた方は最初からニコルのことを?」
「はい。プレア・ニコルをそちらの任意のタイミングで解放させることはできませんでした。プラントに攻め上がるための力として、どうしても核の力が必要であったのです」
「私はまんまと乗せられた」
怒りがないわけではない。しかしここはゼフィランサスの祝いの席である。それを壊してしまうには、あの少女の存在は愛おしいものとなっていた。
エインセルもまた、自身が加害者であるという態度を崩そうとはしない。
「アマルフィ議員。ご無礼でなければ望むだけの金品を。大西洋連邦は亡命を受け入れる準備がございます」
アマルフィ議員は答えようとしない。どことも知れぬ方角を見ては、2人の男がその視線の先を確認する。白いドレスで着飾った桃色の髪の少女が、離れたテーブルで他の少女たちと話をしている。
「娘さんですね」
「はい。ヒメノカリス・ホテル。私の愛しい娘です」
この戦争はあらゆることが複雑でありすぎた。複雑で割り切れないからこそ戦争なのだろうか。息子を失い、アマルフィ議員はすべてを失った。そのことに怒りを覚えないはずがない。しかし、怒りに身をゆだねようとすると、ゼフィランサスが涙を流す姿が思い浮かぶ。
あの少女のことを、悲しませたくなどない。
「私は、あなた方のしたことを許すことはできないことでしょう。ただ、忘れることはできるかもしれません。娘さんのこと、大切になさってください」
アマルフィ議員はグラスを持ち上げた。エルスマン議員ハンター代表もまたワインの注がれたグラスを持つ。さて、この乾杯は何のためか。結論は、まだ先送りにしてもよいだろう。
「感謝します、アマルフィ議員。もう一つ、お話しなければならないことがあります」
「はて?」
「ご子息の搭乗された機体を撃墜したのは他ならぬヒメノカリスなのです」
思わずグラスを取り落とすアマルフィ議員。普段冷静なエルスマン議員でさえ口に含んだワインを思わず吹きこぼした。アマルフィ議員は頭を抱えるはめとなった。顔に手をあてて考えてみても、どうしてよいものかわからない。戦争は、複雑すぎてはいやしないだろうか。
「亡命の件、お願いできますか? できうる限りの高待遇で」
「かしこまりました」
気持ちの整理は、地球でゆっくり考えることにしよう。
給仕たちがこぼれたワインの掃除を始めている。その中でハンター代表が立ち上がると、1人の少年がテーブルに歩み寄ってくる。今夜、祝福されるべき男である。
「キラ・ヤマト。私たちはヴァーリを救いたかった。しかし、ゼフィランサスの心を救う術はありませんでした。彼女の心の透き間を埋めることはあなたでなければならないからです。ゼフィランサスのことを、お願いします」
「はい。……ところでこれは?」
キラ少年の手には細かく折り畳まれた紙切れが握られていた。今し方、ハンター代表から手渡されたものだ。
「ゼフィランサスのドレスの設計図です。ムードを損なうことない脱がし方が細かく記載されています」
わかりやすく体を固くするキラ。エルスマン議員はナフキンで口元を拭いながらも笑っている。
「いやはや、若いとはいいものだね」
「私に娘はいませんが、娘を送り出す父の気持ちとはこのようなものなのでしょうね。キラ君、ゼフィランサスを泣かせることだけはしないでくれたまえ」
そして投げかけられるアマルフィ議員の言葉。
「は、はい!」
キラ・ヤマトの緊張はこのテーブルを離れた後もしばらく続いていた。
そして、少年と少女は会場の片隅で再会する。会場の端に位置するここは、人々の声がほどよく聞こえる場所であり、また海を臨むことのできる海岸にあった。人々の声、波の音、ここだけが世界から切り離されたかのように、2人は見つめ合う。
「キラ……」
多くの花を抱えた少女は、夫となった少年へ。
「ゼフィランサス、ずいぶんたくさんの花をもらったんだね」
夫となった少年は花束の向こうに、小さくて、まだどこかぎこちない妻となった少女の微笑みを見ていた。ずっと笑うことのできなかった少女が、少しずつ微笑みを取り戻そうとしている。
「うん……。みんな、祝福してくれたよ、私たちのこと……」
「よかったね」
微笑みかける必要などなかった。ただ、ゼフィランサスの様子を見ているだけで、キラの顔は自然と微笑みを形作っていた。
「ポケットに何か入ってる……?」
「いや、何でもないよ! 本当に何でもない!」
仲間たちから押しつけられた様々な贈り物に感づかれた時にはさすがに作り笑いをしなければならなかったが。どれもこれも見せるタイミングがデリケートなものばかりすぎる。ゼフィランサスが花を贈られたのに対して、男連中--中には少女たちもいたが--はどうして即物的なんだろう。女性の方が普段はよほど現実的であるはずなのに。
ゼフィランサスは気にした様子ではあっても、深く追求するような態度は見せなかった。
そばにはお誂え向きの長椅子が置かれていた。
「座ろうか?」
まずキラが。ゼフィランサスはどうしてか座ることをためらう様子を見せた。
「そばに座ってもいい……?」
「もちろん」
どうしてこんなことをわざわざ聞くのか、その理由はすぐにわかった。ゼフィランサスは花束を抱えたまま、キラの膝の上に抱き抱えられるような体勢で横向きに座った。
確かに近くで、膝の上に座られることがいやな訳じゃない。それでも、思わぬ行動にキラが動けないでいるうちに、ゼフィランサスはキラの胸を枕に体をすり寄らせてきた。豊かな白い髪の間からよい香りが鼻孔に届いて、全身を撫でる柔らかな感触が心地よい。
どいてほしいなんて気持ちはこれっぽっちも起こらない。キラはゼフィランサスの体を、陶器でも扱うようにそっと抱きしめた。
「ゼフィランサス、君は今、幸せ?」
「うん……」
「ユッカのこと、僕は本当にひどいことをしてしまったんだと思う。カズイの時もそうだよ。僕はユッカを犠牲にしてしまった。だから君のことがよりいっそう愛おしくなったんだ。誰かを犠牲にしてでも守りたい人だから」
ユッカ・ヤンキーが殺されてゼフィランサスの手術のために心臓が使われる。それを聞いた時、キラは悩んだ。悩むとともに、ユッカを見捨ててまで助けたい人なんだと気づいた。それから、ゼフィランサスはキラのすべてになった。
「でも、それは間違いだったんだと思う。逃げてたんだと思うんだ。誰かを犠牲にしてでも君を守りたいという気持ちが、誰かを犠牲にすることを選ぶようになってしまった。君を守れなかったとしたらこれまでに犠牲にしてしまった人に申し訳ないと言い訳してね」
もしもゼフィランサスを失ってしまったら、ユッカの死が無駄になる。だから、アルテミスでカズイ・バスカークが友人が倒れている時も犠牲にすることを選んだ。もしかしたら助けられたかもしれない。でも、キラは犠牲にすることを選んだ。
「僕は弱かったんだ。君を守りきる力もなくて、自分と向き合う覚悟も持てなかった。でも、僕は変わりたいと思ったんだ。もっと強くなりたいと思った。カズイを死なせたくなんてなかったんだ。安易な選択に陥る僕をたしなめてくれた人がいたから」
アンドリュー・バルトフェルド、カルミア・キロ。あの2人がたしなめてくれなかったとしたら、キラは結局、力に振り回されていただけだっただろう。誰かを犠牲にすることに苛立って、苛立つから誰かを犠牲にして、周囲のことなんてまるで見えてなかった。
でも、今は少し、見えるようになったと思う。
「ゼフィランサス、僕はもっと強くなる。君を守り抜いてみせる。だから、ずっと僕と一緒にいてくれるかい? その、死が2人を分かつまで」
「私は、死んでもキラと一緒にいたい……。叶うことならそうしたい……」
腕の中のゼフィランサスはとても小さくて、儚くて、だからとても愛おしい。
「愛してるよ、ゼフィランサス」
少年と少女。道具として作られ、利用された少女。その少女のため、戦うことをやめようとしなかった少年。2人は祝福してくれた多くの人の声をその背に感じながら唇を重ね合わせる。
空には星々が瞬き、2人の愛の証人となる。
そしてここは教会の裏側。会場からは遠い。木々が教会そのものが邪魔をして会場の様子はほとんど伺い知ることはできない。このような場所に置かれた小さなテーブル。そこで、アスラン・ザラは1人小さな宴を開いていた。
そのたった1人の会場へ、少女が2人訪れる。桃色の髪、青い髪、そして同じ顔。
「やあ、ラクス。それにサイサリスも」
「柱の影から弟の結婚式を見守る。古風ですのね」
アスランと同じテーブルにつくラクス・クライン。その微笑みはとても優しく、プラントの歌姫として国中を魅了した笑みはアスランの心を少なからず明るくする。
「君もだろう。俺は結婚式に参列する資格も意志もない」
キラの兄である前に、ゼフィランサスの友人である前に、アスラン・ザラはドミナントであり、プラントの人間なのだから。
「私だって来たくなんてなかったよ」
不機嫌そうにテーブルにつくサイサリス・パパ。やはり、いつもと同じように白衣を身につけている。そういえば、ニーレンベルギアも白衣姿だっただろうか。
それにしても、普段おっとりとしているサイサリスが不快感を露わにすることは珍しい。
「そんな顔をする君は君の妹にそっくりだな、サイサリス」
血のバレンタイン事件でなくなったローズマリー・ロメオのことを、サイサリスは積極的に話題にしようとはしなかった。無理に思い出させてしまったことでさらに不機嫌になってしまったらしい。サイサリスはむくれて話に乗ってくれそうにない。
これで、ラクスと事実上2人きりになる。意味もなくテーブルの上に投げ出しておいた手に、ラクスはそっと触れてきた。
「アスラン。パトリック・ザラを撃ったのは私です」
「考えてた以上に何も感じないな」
そうだとは思っていた。ザラ家の人間でありながら、父はロゴス、クライン家の意向に逆らいすぎていた。暗殺された。撃ったのはラクス。それでも、アスランの心は驚くほど落ち着いていた。
「昔、生殖医療が発展し始めた時、親子関係が問題になった国があったそうだ。無理もない。母親は子どもを産んだ人。父親はその夫。それでよかったのにそれではとても当てはまらない事例が突然吹き出すわけだから。たとえば、ご夫婦ともに不妊症であった場合、精子他の人から借りて代理母に出産を依頼するなんてこともあったそうだ。するとこの子の親は誰になるんだろうね? 生物学上の父親かな? それとも依頼者かな? その国じゃ夫婦の間に産まれた子どもはその夫婦の子どもとするなんて規定があったから代理母が既婚者だった場合、この人の配偶者が父親になるってことなんだろうか? 今じゃこれに遺伝子調整まで加わる。別にこの人の子どもじゃなければならないなんて理由はもうどこにもない。そもそも親子である意味なんてあるんだろうか?」
弟が結婚式をあげた教会の裏でこんなことを聞いてどうする。意味のないことだ。だから、ラクスは答えようとしなかった。それでも答えを与えてくれる。
「アスラン、世界はさらに混迷の度合いを深めることでしょう。世界には深い爪痕が刻まれ、人々は心を癒す術を持ちません。戦争にさらされなかった時代はありません。戦争が互いの友好を深めることもまたないのです。だからお父様は決して戦争を起こすことのできない世界を希求されました」
会場のにぎわいが遠くに聞こえる。夜の静寂が周囲を包み込んで、にぎわう人々の声、夜の帳、なんだかどちらも幻のように聞こえて、アスランはラクスの声に耳を傾けていた。
「アスラン、あと3年の時間をくださいな。そうすれば、私はお父様の遺志を継ぎ、お父様が理想とされた世界へとこの世界を導くことでしょう。至高の娘、ラクス・クラインとして」
「俺はその手伝いをする。ドミナントとしてではなくて、これまでに犠牲になった人たちの死が犬死にでなかったことの証明のために」
戦いは終わりを迎えたわけではない。
地球軍はジェネシスの2度の照射によって、宇宙戦力に多大な損害を被った。ザフト軍もまた、ボアズ、ヤキン・ドゥーエを失うなど戦力の再構築を余儀なくされた。そして、ジェネシスはすでにない。
両勢力は決め手を欠くとともに戦略の大幅な建て直しを余儀なくされたのである。
議長を失ったプラント最高評議会では穏健派であるアイリーン・カナーバを臨時議長に、同じく穏健派のアリー・カシムを副議長とする臨時政権を樹立。第三国であるスカンジナビア王国代表、王女にして事務次官であるマリア・リンデマンを仲介として休戦条約を締結することとなった。
その条約は両軍が殲滅戦の様相を呈するほど戦争を激化させたことの反省を踏まえ、軍縮条約としての意味合いを兼ね備えるものとなった。そのため、戦争の当事国のみならず、各国政府が批准する形で過剰な戦闘を抑止することが取り決められた。
マリア・リンデマン発案のこの条約案はリンデマン・プランと当初呼ばれていたが、後に条約の締結がユニウス・セブン跡地で行われたことからユニウス・セブン休戦条約と呼ばれることとなる。条約締結はC.E.72.4.1。エイプリルフール・クライシスから8年後のこの日が選ばれた。プラント、地球両国に配慮したこの事実は、条約の成立背景の複雑さを象徴している。
ユニウス・セブン休戦条約では休戦に関する項目の他、7項目にわたって軍縮の規定がなされた。この中でも特に有名となるのは以下2項目である。
プレア・ニコルの兵器への搭載禁止。核ミサイル、ジェネシスのような大量破壊兵器がおびただしい戦死者を生み出したことから取り決められた規定である。原子力発電への使用は認められながら兵器へ搭載することは禁じられた。結果、核ミサイルは使用できず、大型兵器の使用は不可能となる。
元来、ニュートロン・ジャマーによって強制的に大量破壊兵器の使用を禁じようとしたプラントの努力は、地球との条約に引き継がれるという皮肉な状況を招いたのである。
しかし、あくまでも兵器への直接搭載が禁じられているだけである。そのため、原子力発電によって生み出された豊富なエネルギーを使用する高性能バッテリーを使用した機体は何ら制限されることがない。このことから、条約締結以前からその実効性を疑問視する声があがっていた。
続いてモビル・スーツの保有台数の制限。もはや世界最強の兵器として認知されているモビル・スーツの台数制限こそが戦争拡大を防止するために必要として規定された。一見するならば合理的なこの規定は、しかし後に様々な問題を引き起こすこととなる。
保有が許可される台数は国力に比例し取り決められた。圧倒的に国力に劣るプラントは想定的に保有台数を大きく制限されたこととなったのである。ザフトの戦力を支えたモビル・スーツの保有が制限される条約案にプラント国内の不満が噴出した。この怒りは条約を締結したカナーバ政権へと向かい、1年を予定していた暫定政権は半年をもって瓦解。プラントでは新政権が樹立することとなった。
そして保有制限は大いなる皮肉を招いた。必ずしも戦力抑制にはつながらなかったのである。500の機体を造ることができる国力がありながら250しか保有を許されないとしよう。すると、250機分の予算と資材が浮くことになる。するとどうか。1機あたりの開発費、生産費を2倍まで許容できるということになるのである。
結果として、モビル・スーツの開発費は高騰。さらなる高性能モビル・スーツの登場を促すこととなった。両勢力は鬼才ゼフィランサス・ズールが完成させたガンダム・システムの量産化に着手。大西洋連邦を瞬く間にザフトに勝る技術力にまで押し上げた伝説の機体はいまだもってその伝説に陰りを見せる気配がない。
ユニウス・セブン休戦条約は、あくまでも休戦のための条約なのである。
地球はコーディネーターの危険性を強く自覚した。ジェネシスが地球全土を狙ったという事実は、地球にかつてないほどの反プラント感情を高ぶらせた。もはや傍観など許されない。天上のコーディネーターたちはためらいなく地球全土を焼き払うことが証明されてしまった。各国政府のプラントへの同情的な意見はなりを潜め、ブルー・コスモスがその影響力を自然と拡大させていった。
これまでは反コーディネーターを掲げる一部の過激派でしかなかった思想団体の考えが、次第に共通認識として浸透していったのである。地球各国は遺伝子調整を厳しく規律し、地球上のコーディネーターへの差別が助長されるなどの弊害が社会問題とまで化した。地球を脱出するコーディネーターがかつてないほど続出したことも無関係の話ではない。地球は、すでにプラントを危険な集団としか見なさなくなっていた。
プラントはもはや後戻りのできない道に足を踏み入れていた。地球での反プラント感情の高ぶりを受けて軍拡に国民世論は執着した。しかし足かけ5年にも及ぶ戦費負担は決して小さなものではない。そのための増税路線の不満を吸収する形でナショナリズムは高揚された。戦うための負担に対する不満。不満の受け皿となる戦い。この悪循環が、プラント国内をこれまでにないほど強硬的に、軍拡路線を邁進させていった。
アイリーン・カナーバ政権崩壊後、新たな国のリーダーとなったギルバート・デュランダル新議長はこの路線を支持。地球へのジェネシス照射さえ必要やむを得ないことと国内の論調が固められていく中、体制強化と軍事力増強が進められていった。コーディネーターのかつての理想郷は軍国主義体制をとる軍事大国へと変貌していくこととなる。
戦争は何も終わっていないのだ。人々の心に不信と不安、そして恐怖ある限り。
戦争は終わっていない。
戦争は行われる。次の戦争のために。そして、その次の戦争のために。戦いに終わりはなく、ただ始まりだけが繰り返されていく。
C.E.71年。大西洋連邦軍はオーブ首長国へと侵攻した。
軍事力では圧倒的である大西洋連邦軍は開戦後10日を待たず本土上陸を果たす。激戦地となったのはオノゴロ島を中心とした軍事施設であった。
大西洋連邦軍は当時新型であったモビル・スーツを投入。オーブ軍もまた技術を盗用して作り上げた新型機を防衛にあたらせた。ビーム兵器搭載型モビル・スーツによる戦闘が初めて行われた戦場としてここは記憶されている。
同時に、多数の民間人の被害者が出たことも、オーブの民の心には刻み込まれていた。
オノゴロ島は軍事施設が集中する一大拠点である。しかし、軍需産業として著名なモルゲンレーテ社は政府の出資を受けているとは言えあくまでも民間企業である。社員、家族の多数がまだ島には取り残されていた。
悲劇は、突然の避難警報によって引き起こされた。
まず事実を並べよう。オノゴロ島に敵の上陸を許したことで、戦闘は事実上オーブの敗北が決定した。その時、突然、モルゲンレーテ本社、マスドライバーを含む主要施設からの即時避難命令が発令されたのである。その直後、司令部は大西洋連邦軍に突然の降伏を宣言し、施設は自爆した。
避難命令は、激戦が繰り広げられているさなかに発令されたのである。
モルゲンレーテ社社員とその家族は砲弾飛び交う中、暗い夜道の避難を余儀なくされた。降伏宣言は避難民を守るために出されたという説がある。確かなことはわからない。戦闘に巻き込まれ多数の民間人が死亡したというだけが確かな事実である。
破壊されたモビル・スーツの下敷きとなった車。爆心地の周囲に散らばる物言わぬ人々。人の10倍もの巨人がその強力すぎる力を思う存分振るう戦場において、人は脆くも儚すぎた。
ここには一つの物しかない。焼き尽くされた屍。焼き尽くされた道。焼き尽くされた森。焼き尽くされた何か。原型を残すものも留めぬものも、そろって焼き尽くされたものしかない。漂う空気にさえ焦げ臭さがこびりついてとれない。
そんな惨状の中から、1人の少年が体を起こした。
全身に火傷を負っているのだろう。その動きはぎこちなく、周囲にくすぶる炎だけでは少年の姿をはっきりと目にすることは難しい。頬を伝った涙が、まだ熱を持つ灰に落ちては焼けた音を出している。
上空には夜空が広がり、太陽が輝いていた。
黄金の輝きが人の姿をしている。恐ろしいくらいの力を持っていて、人の命なんて簡単に吹き飛ばす。その大きささえ人よりも遙かに大きい。まさに悪魔のような存在だった。
そんな存在を、少年は痛む体にむち打って見上げていた。遙かな上空。黄金のモビル・スーツは少年に気づいた様子さえなく、その黄金の体を輝かせながら飛び去っていく。流れる涙。まともな声さえ出せない痛む喉から、それでも必死に叫ぶ少年をかまうことはない。怒りをたたえた瞳を一瞥さえすることなく、悪魔は去った。
少年の周囲に、おびただしい死をまき散らしたまま。
この日、少年はすべてを失った。
そして、C.E.75年。
少年は、兵士となっていた。かつて戦争にすべてを奪われた少年は、戦争の当事者として奪う側へと変わっていた。
戦いに終わりはなく、ただ始まりだけが繰り返される。
戦争は終わることなく、前の戦争を理由に争い、今争ったことを理由に次の戦争が起こる。次の戦争のために、その次の戦争のために、そして次の戦争のために、人は戦争を続けるのである。
少年もまた、その渦中に身を投じようとしていた。特別でも何でもない少年は戦い続ける。誰かのためにではなく、何かのためにでもなく、ただ、この時代に生まれた悲劇の一つとして。
それはやがて、人の種とその宿命を問う運命の戦いへと、人類を誘うことを、少年も、そして人もまだ知らない。