ゼフィランサス・ズールは床の冷たさを感じていた。それくらいの感覚は戻りつつあった。だが、視力はおぼろげで、横に倒れている少年の顔さえはっきりとは見えない。床に触れているはずの指に、それでも伝った温もりはぼやけた像の中で赤い色だけを確かに見せていた。
胸の痛みは収まりつつある。体を動かすこともできた。ゆっくりと上体を起こすと、それでも立ち上がることはできない。座り込む姿勢が限度で無重力であるにもかかわらず手で上体を支える必要さえあった。呼吸が次第に落ち着き視力が輪郭を取り戻していく。その光景の中で、風穴の開けられた壁のただれた断面と、そして横たわる少年の姿があった。背中から破片を生やした少年が床に倒れていた。ゼフィランサスの指にもりを与えたものは少年の血液であった。
倒れる少年。それを見下ろす少女。その少女へと、GAT-X207ブリッツガンダム、その黒い腕がゆっくりと伸びていた。
ことはわずか数十分前に遡る。
ディアッカ・エルスマンは仲間たちの見送りを受けていた。出撃する際、順番は多少前後するし最初と最後では時間差がある場合もある。だが、誰かが出撃する際、他のパイロットもスタンバイを終えていることは当たり前であり、ディアッカの前に仲間が立ち並ぶことは例外的な光景である。
つまり、今回の出撃は、ディアッカ1人が先行するのである。単独任務という危険きわまりない任務だが、ディアッカの気持ちは早く出撃したいと急いているほどである。
GAT-X207ブリッツガンダム。ヘリオポリスにて地球軍より奪取したディアッカの乗機である。この機体の腹部、コクピット・ハッチの縁に足をかけてディアッカは外に並ぶ仲間たちを眺めていた。すぐ横にまできている可動式のリフトの上に仲間たちは並んでいる。
隊長であるラウ・ル・クルーゼは相変わらず仮面をつけたままだ。この作戦の発案者は隊長であり、部下を1人で死地に送り込むというのに冷たいものだ。
「この作戦は君の働きが重要になる。期待しているぞ、ディアッカ」
正直、この隊長の本心はつかみにくい。とりあえず額面通りに受け取っておく。略式の敬礼をしておいた。
「了解です、隊長」
隊長の隣にはやはり目を隠した少女が1人。バイザーをつけたジャスミン・ジュリエッタは本当にこちらを心配してくれているようだった。
「危なくなったら逃げてください」
こんなことを言ってくれるのはジャスミンくらいなものだ。敵前逃亡をしようものなら軍法会議ものなのだが。そんなことに考えが及んでいないことが、かえってジャスミンの純粋さが伝わってくるというものだ。同じ仮面組なのに、えらい違いだ。
ただ、ジャスミンの心配は度を越して、不安と呼ばれる域にまで達しているようにも思えた。それを和らげてくれたのはジャスミンの横にいるニコル・アマルフィ。
「ディアッカほどの使い手なら心配ありませんよ」
ニコル以外の奴が言ったら嫌みにしか聞こえない。皮肉には聞こえないのは、ニコルの素直な心ゆえだろう。
そんな素直な同僚のさらに横では、普段はしたり顔でアドバイスしてくるアスラン・ザラがなにやら眉をつり上げていた。何か悩みでもあるのか。だが、人生相談に乗るつもりはない。コクピットに乗り込もうとしたところでアスランはおかしなことを切り出した。
「ディアッカ、一つ言っておきたいことがある。実は、新型の開発者に心当たりがある」
単身アルテミスに侵入を果たしたディアッカはそんなやり取りを思い出していた。こんな話を思い出したのは、基地内である少女を見つけたからだ。
正面モニターに拡大された光景が映し出されている。モビル・スーツのちょうど腹部の高さにある奥まった通路、そこで座り込むドレス姿の少女の姿がアスランに言われたものとよく似ていた。
黒いドレスを着て、白くてウェーブがかけられた髪は柔らかそうに見えた。ブリッツの手がゆっくりと少女の下へと伸びていく。潰してしまわないよう、できるなら傷つけてもしまわないようゆっくりと。すると少女もこちらに気づいたのだろう。向けられた顔には赤い瞳が輝いているかのようだ。
「アスランの言ってた通りだな)」
アスランは言っていた。新型の設計思想を以前見かけたことがあったそうだ。その施設ではモビル・スーツの研究をしている少女がいた。その少女が扱っていた研究分野が合致している。偶然かもしれない、記憶違いもありうるだろうと前置きしておきながら、アスランはその少女の特徴を挙げた。
極度のアルビノであり、色素を一切持ち合わせていない。そのため髪は白く、眼球を通る血液は何に隠されることもなく瞳を赤く染め上げていると。
そして、アスランはこうも加えつけた。もう10年も前の話だと。10年前の技術者となると現在ではすでに若くても30を越えているだろう。ディアッカが女性の想像図を考えているうちに、アスランは事も無げに答えた。生きていれば、ジャスミンと同じ感じだろうと、まだ15の少女だと。
そう言われた時、つい妙な顔をしてしまった。5歳の子どもがモビル・スーツの開発に携わっているなど信じろという方が無理な話だ。だが、アスランは冗談が通用しない奴ではないが、人を騙すような質の悪い話をするような男ではない。信頼と言えるのか、言われた通りの少女がいるかもしれない。そんな妙な期待感は、条件に完全に合致する少女を見たときに信頼へと変わった。
「あんたの名前も聞いてないが、俺と一緒に来てもらおうか」
音声は外部に出力していない。よって、ディアッカは独り言を言ったにすぎない。こちらの意図は少女にはわからないはずだ。ただモビル・スーツが手を伸ばしているのが見えているだけだろう。それなのに、少女は落ち着いていた。恐怖を感じていないのだろうか。波立つ髪に隠されて、顔ははっきりと見えない。
ただ、赤い瞳がこちらを見据えてくる。混ざりものなんて何もない。ただ純粋であるということはこれほど人の目を引きつけるものなのだろうか。白状しよう。ディアッカは、少女に見とれていた。
それが大きな隙になると理解することさえできないまま。
ブリッツの巨体が揺れ動く。いや、揺れ動くではすまない。横からの衝撃に機体ごと弾きとばされる勢いでモニターが激しく動き、風景があわただしく通り過ぎていく。何が起きたかわかるはずがない。だが、それではあまりに癪だ。ディアッカはもはや意地とも言える視力で、敵の姿を捉えた。
ブリッツと同じ顔をした姉妹機だった。GAT-X105ストライクがブリッツのいた場所を奪い取って立っていた。
「ゼフィランサスに触るな!!」
キラ・ヤマトはストライクの中で1人猛った。
総質量70tもの体当たりをまともに浴びせてやった。ブリッツは尻餅をつくように壁に突き刺さっていた。壁と接触した箇所が淡く光り、壁に一方的な破壊を押しつけていた。ゼフィランサスが造った機体がこんなことで破損するはずがない。急がなければブリッツはすぐに立ち上がってくる。
キラはコクピット・ハッチを開けるなり跳びだした。
ゼフィランサスは通路に座っている。いや、立ち上がることができないのだろう。
両膝の下に右手を通して、背中には左手を回す。やはり、今のゼフィランサスにはこちらの首に手を回して上体を安定させるだけの力も残っていなかった。かまわず、抱き上げるしかなかった。
早くコクピットに戻らなければならない。だが、キラに躊躇を強いたのは傷つき倒れる友の姿であった。出血量がおびただしい。口の周りの血痕には飛沫状のものが混じっていた。肺が突き破られ、喀血した証拠だ。緊急に手当をしなければ5分ともたない。そして手当てを施したとしても助かるかどうかは五分五分だろう。
キラはゼフィランサスをより強く抱き寄せた。
「カズイは……、置いていく!」
ゼフィランサスの体は軽い。ほんの一跳びでストライクのコクピットに飛び移ることができる。シートに座るなりもう一度ゼフィランサスの様子を確認する。息が弱々しい。苦しげな吐息を聞く度、キラの中で焦燥と躊躇がせめぎあった。それを一方的に焦燥で押しつぶしたのは、10年越しの約束があったからだ。開かれたままのコクピット・ハッチからは倒れたままのカズイの様子が見えていた。見えていたにもかかわらず、キラはシステムを再起動し、ガンダムにハッチの閉鎖を命じた。
見えなくなるカズイ。モニターには映し出されているはずだが、キラは意図して意識の矛先を変えた。
ブリッツがこちらに右手の複合兵装に備えられたライフルを向けている。側面のモニターでそれを確認するとともキラはすばやく反応した。足が床を陥没させ、ストライクが跳びのく。ビームはストライクがつい先ほどまでいた場所を素通りした。後方で生じた爆発が格納庫をいたずらに苛んだ。
命中させられなかったブリッツはすぐに第2射を放とうとする。だが攻撃を焦りすぎだ。体勢を整える前に急いで攻撃したのだろう。まだ壁に寄りかかるように不自然な姿勢のままならば、ストライクの方が早い。初撃を回避したときには、すでにブリッツの方へと跳びだしていた。
一気に距離を詰める。複合兵装を左脇の下で挟み込み封じる。右手はすでに腰から抜き放たれたダガー・ナイフが逆手で装備していた。ダガー・ナイフは、フェイズシフト・アーマーに包まれてはいない。単なる鋼鉄の塊でしかない。
「それが、何だって言うんだ!」
ストライクがキラの命じるまま、ナイフをブリッツのデュアル・センサー、人で言うところの目に当たる部位へと突き立てようとする。複数の高性能カメラを覆うカバーにフェイズシフト・アーマーは採用されていない。刺し貫けば、内部構造を直接破壊できる。
上体をわずかにずらされる。それだけのことで、キラの目論見ははずれた。ブリッツはブレード・アンテナで受け止める形でナイフを防いでいた。ブレード・アンテナが輝き、ナイフは刃こぼれさえ起している。どれだけ力を加えても、フェイズシフト・アーマーは破損する様子がない。
ブリッツはいつまでも攻撃させておくつもりはないようだった。左手の射出兵器がストライクへと向けられ、寄り合わされていた3本の爪が展開する。爪が三角形に配置され、鳥の足のように形状を変えた。勢いよく発射されると、ストライクの胴体にぶつかり、そのまま一気に突き飛ばした。射出兵器はスラスターが絶えず圧力を加え、ストライクの胴体に張り付いていた。
アルテミスの床に轍を刻みながらストライクが後退する。だが、キラも敵の思うままにはさせてはいない。
射出兵器が射出されたと同時に右手を引き、ユニットとブリッツとを繋いでいたケーブルにナイフを刺していた。効果はない。ケーブルにもフェイズシフト・アーマーが使用されていた。ケーブルは光を放ち、ナイフはへし折られていた。
ユニットが引き戻される。ブリッツは左手にユニットを戻し、ストライクは距離を開けられていた。すでにビーム・ライフルの有効射程である。ストライクの右腕にあったナイフは根元から折れ用を成さない。投げ捨てると無重力の中、ゆっくりと漂っていく。
キラは左手の力を強めた。自分を支える力も残されていない少女をしっかりと抱きしめるために。
キラは片手だけで操縦を行っていた。ゼフィランサスに害をなそうとする敵の存在を、決して許すつもりはなかった。
アーク・エンジェルに、艦長であるマリュー・ラミアスはまだ戻っていなかった。
新型機受領後に、合流したヘリオポリスのスタッフと再構築を行う形で正式なクルーは構成される予定であった。そのため、現在のクルーたちは暫定でしかなく、副艦長の役職がこの艦には事実上存在していなかった。それどころか、空席の役職も多く存在した。そのため、1人が複数の職務を兼任することでかろうじて機能を維持していた。急進派の動きを睨み、動かせる人材に制約が課せられていたからだ。
だが緊急事態に及んでそんな言い訳は何も役にたたない。暫定的にアーノルド・ノイマン操舵手を副艦長として体制の強化がブリッジでは図られていた。
「出港準備を急げ。いつマリュー艦長が戻ってもいいようにしておく!」
格納庫におかれたままでは鎖に繋がれているにも等しい。ブリッツに発見されれば一巻の終わりである。アルテミスの構造上、ブリッツのいるメビウスの格納庫と艦船とは独立していることが幸いした。
マリュー・ラミアス艦長のほかにも、ムウ・ラ・フラガ大尉、それにゼフィランサス主任が戻っていない。難民の子どもたちは、はじめからアーク・エンジェルに乗っていたサイ・アーガイル、トール・ケーニヒ、ミリアリア・ハウの3人はもちろんのこと、すぐ近くにいたアイリス・インディアもすでに戻っている。
しかし、カズイ・バスカーク、フレイ・アルスターはまだであり、同じ難民からの志願兵であるキラ軍曹はストライクで跳びだしていった。
その状況は把握できていない。同じ要塞内である。たいした距離はないはずだが、なぜか通信がうまくつながらない。新型機の開発に関わったナタル・バジルール少尉が自然とモビル・スーツとの管制を担うこととなっていた。ナタル・バジルール小尉はブリッジの片隅で必死に呼びかけを続けていた。
「キラ・ヤマト軍曹、ヤマト軍曹……、く……」
近年報告されている謎の通信障害。それが何の脈絡もなく生じていた。
自分を偉大だとも、賞賛に値する人物だとも考えたことはなかった。勉強はほどほど。赤点をとったことなんてないけど、学年主席をとったこともない。スポーツは運動音痴ではないけど、プロをめざせるような練習はしてこなかった。もっと努力はできたと思う。友達と遊んでる時間や、おしゃれをしたり、好きな本を呼んでいる時間を努力にまわすこともできたはずだ。
それをしてこなかった。さぼりもした。嫌なことから逃げてもきた。誉められる生き方ではなかったと思う。でもそれが、果たして父と母を失い、こんな地獄に放り出されるほどの罪だろうか。
フレイ・アルスターは逃げていた。
どこをどう逃げたのか覚えていない。ここがどこかもわからない。なぜなら、どこもかしくも同じ光景であったから。壁には焼き切れた傷が刻まれ、火がくすぶっている。ものが焼かれる焦げ臭さに混じって、鼻孔の奥をくすぐる匂いがある。食卓やレストランでかいだことがある匂いだった。
肉が焼かれる匂い。こんなところで調理をしているはずなんてない。これは人の死体が燃える匂いだった。そんなものが空気として鼻を通して肺にまで送られている。喉の奥から酸味がせり上がってきて、胃酸を嘔吐した。酸に焼かれ、喉と口腔がひりひりと痛んだ。そんなことよりも、つい吸い込んでしまった息が気持ち悪い。胃が空になって、もう吐くことさえできないのに。
「何でよ……、何でこんな目に遭わなきゃいけないのよ……」
涙なんて流せない思っていた。それでも涙は目にたまり、拭うこともできない。手は耳に強く押しつけていた。聞こえてくる爆音と悲鳴が届く度、体が過敏に反応してしまう。体を震わせると、涙が水滴となって漂った。
恐怖のあまり、目も開けていられなくなる。もう何が起きているのかもわからない。知りたくない。
一際大きな爆音が聞こえた。空気を裂くよくような音に、何かが突き刺さる音が続く。
今度は目を閉じていることが恐ろしい。ゆっくりと見開くと、フレイのすぐ前に金属版が深々と突き刺さっていた。壁の構築板だろう。それだけで人の何倍もの大きさがあるものが不自然にひしゃげていた。
あと少しずれていたら即死だったに違いない。怖くて瞼が開いたまま硬直してしまった。
板はいくら大きくても、視界すべてをふさぐほどではない。その後ろに、赤い巨人の姿を隠してはくれなかった。
GAT-X303イージスガンダム。この名をフレイが知ることになるのは後のことである。名前なんて何の意味もない。知っていようがいまいが、脅威であることに何の違いもない。
フレイは再び目を閉じた。今度瞼をあけるとき見えるのは死んだ両親の姿かもしれない。そんな諦めにも近い覚悟が芽生えていた。
だが、死は思ったよりも優しく、包み込んでくるようだった。抱き上げられて、まるでお姫様みたいにどこかに運ばれているみたい。フレイは目をおもいっきり見開いた。そんな摩訶不思議な死の正体を見極めてやろうとした。
フレイを抱き上げていたのは男性だった。それもとても格好いい。涙でぐしゃぐしゃな顔を見られることが恥ずかしくなるほどだ。
男性はそんなこと気にした様子もなく、フレイに微笑みかけた。
「少々ご辛抱ください」
フレイを抱えていることなんて何の問題にもしないで、降り注ぐ破片や炸裂する轟音をものともしないで、男性は素早く格納庫から離れた。騒音と喧噪、何より肉の焦げる匂いが急速に薄れていったことでフレイは一度大きく息を吸い込んだ。格納庫からハッチを抜けた通路を男性はフレイを抱えたまま疾走する。そのまま飛び込んだのは格納庫から離れたどこかの部屋だった。そこは指令官だとか、そんなお偉いさんが使う部屋のようだった。妙に広くて、机とかの調度品が妙に偉そう。
「ここならば当面安全でしょう」
男性は落ち着いた様子でそう言うとともに、フレイを優しく降ろす。
白いスーツがよく似合った紳士で、とても軍人には、こんな要塞にいる人のようには見えない。
「私はエインセル・ハンターともうします。兵器を取り扱う商社に所属する者です」
そう言って、男性が差し出したのは、何の変哲のないハンカチだった。顔がひどい状態であることを思い出して、火がでるような思いだった。
「女性の涙は美しい。ですが、悲しみの涙はそれを十分に堪能させてはくれません」
今度は別の意味で顔から火がでるかと思った。受け取ったハンカチで顔を拭きながら、赤くなった頬を隠した。まだ気恥ずかしさから解放されない顔を見せたくなくて、ハンカチをずらして目元だけを男性へとさらすようにして視線を合わせることにした。
「わ、私はフレイ・アルスターです。危ないところをありがとうございました」
名乗ると、エインセルはこちらのことを知っているらしい。フレイの頬にハンカチの上から手を添えて、その顔はとても同情的だった。
「ご両親のことは、お気の毒でした」
せっかく涙を拭いたのに、また流れ出してきた。エインセルがフレイをそっと抱き寄せた。下心なんて微塵も感じられない。こんなにも安心して身を寄せられる人が両親以外にいるなんて信じられなかった。ヘリオポリスが襲撃されて以来、初めて感じる安堵感だった。涙は止まらない。この人にすがってしまいたい気持ちが大きくなる。
「どうして……、どうしてパパとママが死ななきゃならなかったの……?」
エインセルは抱きしめたままフレイの頭を撫でてくれた。
「地球連合、正確には大西洋連邦がガンダムの開発地にヘリオポリスを選択したからです」
「でもザフトが、コーディネーターが攻めてこなかったら……」
コーディネーターがいなければこんな戦争は起きなかった。コーディネーターはどうしても必要というわけではなかったはずだ。誕生する以前だって、世界は何の問題もなかったのだから。そう言っていた人がいたことを思い出す。今ならその人たちの言っていたことがわかる気がする。
「コーディネーターなんか、いなければよかった……」
「ですが、コーディネーターがいなくとも、世界は大なり小なり、戦争が途絶えたことはありませんでした」
ではどうすればいいのだろう。何が悪いのだろう。何を憎めばいいのだろう。民間人を巻き込んだ大西洋連邦。攻撃を辞さなかったコーディネーター。
「それじゃあ、どうしたらいいんですか……? 許せないのに……、絶対許さないのに……!」
どこまで憎んだらいいのかわからない。全部を憎むのは乱暴に思えて、でも、すべてを許すことなんてできるわけがない。エインセルは安心を伝えてくれるようにフレイを抱く手に力をこめて、そして左手でスーツの懐に手を入れた。
「あなたに力を」
そう言ってエインセルが差し出したのは、彼の細くて長い指に比べてあまりに無骨に見える拳銃だった。
「あなたはこれから怒りを誰かに向けることがあるかもしれません。その時、あなたは力を望むことでしょう。これはそのための力です。復讐をしない。そうご決断されたならそれは僥倖。ですが、復讐をできないこととしないことは同義ではありません。これはあなたの力です」
復讐のための力を、エインセルは差し出した。金属製でその見た目の重さの分だけ存在感を放っている。
「安全装置はこれです。弾丸はカートリッジ内のものだけをお使いください。目的を果たすためには必要なだけを、しかし過剰な暴力の誘引が目的ではありません」
エインセルの指が銃の側面についていた小さなレバーを撫でる。そのまま差し出された銃に、フレイは魅せられたように手を伸ばした。恐る恐る、手にしていいものなのかなんてわからないのに、手は止まってくれない。銃を掴んだ。重いとも、軽いとも思える感触が手に妙に馴染んだ。
フレイは力を得た。
ストライクとブリッツ。
武装面では圧倒的に不利なストライクは、攻撃性においてブリッツを圧倒していた。
休まず攻撃をしかけ、相手に強力な武器を使わせない戦法を選んだのである。パイロットに多大な負担をかける操縦であったが、ストライクのパイロットはうまく戦っている。
振り下ろされたビーム・サーベルを、ストライクは真剣白刃取りの要領で複合兵装を両手で挟むように受け止めた。シールドとしての機能も期待される複合兵装だが、いくら大きいとは言え受け止めることは簡単ではない。パイロットの技量だけならストライクの方が上である。ストライクの鋭くも苛烈な蹴りがブリッツの腹部を打ち据える。フェイズシフト・アーマーの輝きが格納庫にほとばしる。
だが、一撃の威力では圧倒的にブリッツが有利であることに変わりはない。結局のところ、戦いは互角であるといえた。どちらが勝つかはわからない。
ただ、1つだけわかっていることがある。それは、この戦い自体がアルテミスに多大な損害を与えているという事実である。
ストライクが床を踏みしめる度、巨人の散歩を想定していない床は波立って砕け散る。ブリッツの放つビームは壁をたやすく貫通し、溶け出した煙と炎は格納庫に地獄の景観を添えていた。すでに無事な壁面は1つもない。炎にさらされていないものなど何1つない。
そんな光景を眺めるには最適の場所があった。戦闘を行う2機からは適度に離れている。位置はモビル・スーツの頭上よりもやや高い。そこに柵のない通路が突き出していた。
通路は人1人が立つことができるくらいの幅しかない。だが同時に、1人であれば確実に立つことができることを意味する。
そこには少女が1人立っていた。ゼフィランサスと、そしてアイリスと同じ顔をしていた。
ゼフィランサスによく似ている。
身につけているドレスは同じデザインをしていた。リボンとフリルが多用され、だが、色はすべての色を拒絶した、純白だった。2人の少女は、まさにドレスの色の通りであるのかもしれない。
ゼフィランサスは黒いドレスで着飾っている。黒とは、すべての色が混ざり合ったものである。まわりのすべての出来事を抗いもせず、しかし喜びもしないで受け入れる。この様は、無表情で、感情の抑揚を見せなくなった少女の顔と合致する。
この少女は白いドレスで着飾っている。白とは、すべての色を拒絶したものである。自分を穢すすべてを認めず、受け入れもしない。すると、感情を押し殺した、つくられた無表情な顔となる。白い少女はまさにそれだった。
アイリスと同じ桃色の髪をゼフィランサスと同じく長く波立たせている。アイリスと同じ青い瞳は、ゼフィランサスとは別の意味で表情がない。表情がないのでも乏しいのでもなく、無表情という表情を意図的に作り出している。
白の少女は近くに攻撃が被弾しようと驚くということを拒絶する。表情を決して変えようとしない。
その声の質まで、ゼフィランサスとアイリス、同じ顔をした少女たちと大差ない。
「戦いなさい。お父様はお望み。もっと大きな戦火とより大きな戦禍を」
アルテミスの指令室は混乱していた。ブリッツの奇襲によって幹部との連絡がつかず、指揮系統に不都合が生じているのだ。
要塞中を監視できるモニターに、20人を超すオペレーターが張り付いている。暗く、そして決して広くもない。おまけにオペレーターそれぞれが事態の報告をしているため、その喧騒たるややかましいほどである。
ムウ・ラ・フラガはそんな中でただ1人、何もせずに座っていた。指令室で一番高い位置にある椅子は、主がいないのだからと勝手に使わせてもらっている。足を目の前の机に投げ出すと、椅子のすわり心地のよさがよくわかる。
このことを見咎める者はいない。職務に忠実なオペレーターたちばかりでモニターの方しか見えていない、というわけではない。ムウの階級がこの中で一番高かったというだけだ。暫定的に指揮をとることになったのだ。
事態は決していいとはいえない。
ストライクとブリッツが戦闘を繰り広げていた。格納庫という狭い空間で暴れまわっているのだ。まったくたまったものではない。すでにアルテミスそのものへと影響が波及していた。
そして、もう1つ、予想外の事態が発生していた。
ブリッツの奇襲を許したことで、監視の手を緩めてしまうほどにアルテミスは混乱していた。結果、GAT-X303イージスガンダムがどこからともなく、アルテミス侵入を果たしたのだ。現在アルテミスは2機のガンダムの襲撃にあっている。
イージスの真紅の体がブリッツたちとは別の地区で暴れている。その動きは破壊そのものが目的というより、何かを探しているかのような動きだった。その上、ブリッツを同調している様子がまるで見られない。
「ザフトじゃないのか……? なら、誰だ?」
この宙域でザフト以外で連合軍と対立している勢力はないはずだが、イージスは第3勢力が扱っていると考える方が自然なようだ。戦争は普段は隠された事柄を暴くこともある。ムウはプレゼントを開ける前の子どものような顔でガンダムが暴れまわるさまをただ眺めていた。
手が叩かれる乾いた音がした。ムウが手を叩いた。このことをきっかけに、オペレーターたちは臨時の司令官に注目を集めた。
「ブリッツはストライクに任せておけばいい。防衛はイージスに専念しろ」
モビル・スーツ同士。それもガンダムの戦闘に介入することは難しい。賭けではあったが、イージスにのみに集中すれば、撃退可能であるとムウは判断した。
管制室のモニターにはイージスの深紅が映し出されている。必ずしも攻撃的ではない。時折攻撃の手を休めることが確認される。やはり、何かを探しているようだった。それが何であるのか、今は関係ない。
すでに罠は存在している。
アルテミスの格納庫はメビウスの収納効率を上げるため、小さな路地にラックを設置し複数のメビウスを積み重ねて格納している。1つラックからは一度に1機のメビウスしか出撃できない。カタパルトの数に比べて1度に出撃可能な数が少なく非効率的なシステムと言わざるを得ない。だが、路地の煩雑さは迷路のように機能し、ガンダムたちの侵攻を遅らせている。カタパルトの多さは、これから役に立ちそうだ。
イージスがある路地にさしかかった時、ムウは命令を発した。
「狙いはでたらめでいい。遠隔操作で発射できるな?」
「可能です」
「よし、準備でき次第ぶっぱなせ」
「了解!」
路地の中にはメビウスが3機積み重ねられている。格納庫内を飛び回ることは不可能なメビウス--こんなところもモビル・スーツに汎用性で劣る--だが固定砲台としてなら十分に利用可能だ。メビウスに備えられたレールガンはビームほどの威力はない。しかし、鋼鉄の弾を電磁誘導で加速させて発射するため、ゼフィランサス・ズールが危惧していた質量弾による衝撃を加えることができるはずだ。
ラックに並んだメビウスが同時にレールガンを発射する。タイミングは絶妙。路地の前にイージスが出た直後、完全に不意をつく形で弾丸が発射される。そのすべてが直撃した。
ところが、ゼフィランサスの愛し子は、そんなにやわな造りにはなっていなかった。イージスはしなやかに、かつ力強い動きを見せた。
1発はシールドで受け流す。2発、3発は体をそらし、肩と足をかすらせただけだった。フェイズシフト・アーマーが輝くばかりで内部に衝撃が伝わっているはずもない。
(パイロットはコーディネーターか?)
反応速度が速い。優秀なコーディネーター、あるいは優秀なナチュラルなのだろう。結局、優れた兵士であるとううことしかわからない。
お返しとばかりに、イージスはライフルからビームを放つ。メビウスをいとも簡単に撃ち抜くと、巻き上がる炎が路地を埋め尽す。
ここに、ムウの狙いがあった。この路地は比較的浅い。そんなところにビームを撃ち込もうものなら生じた炎と煙はイージスにまで届く。お手製の煙幕となるのだ。
「7番ハッチを開け。開き次第、メビウスをスタンバイだ!」
無人のメビウスがカタパルトに乗せられた。ハッチが開かれ、進路の確認が行われる。通常なら進路上に危険物がないことを確認する。だが、今回に限ってはあってもらわなくては困る。
「イージスをカタパルト上に確認。いけます!」
若い女性オペレーターからの声に気分をよくする。無論、報告内容が満足できるものであったからだ。
「メビウス、発進!」
カタパルトによって加速されるメビウスがイージスへと迫る。敵パイロットはこちらの作戦に気づいたようだったが、かわすほどの時間は残されていない。
2機がぶつかると、光る装甲に守られたイージスは無傷で、一方的にメビウスの機首がひしゃげて潰れた。
だが、直接的なダメージを期待したわけではない。
メビウスは残骸と化してもカタパルトは生きている。イージスは踏みとどまろうとするが、足から火花とミノフスキー粒子の輝きを発しながら押し出されていく。その行く先、第7ハッチが口を開いている。カタパルトに押し出される勢いのまま、イージスは要塞の外へと吐き出された。
その時にはすでにアルテミスの砲塔がイージスへと向けられている。内側からの攻撃には脆い要塞だが、外へならその攻撃力を最大限に発揮できる。岩盤の上に多数配置された高射砲がメビウスの残骸とともに投げ出されたイージスへと砲火を撒き散らす。
命中はしている。メビウスの残骸は瞬く間に粉々に引きちぎれ、イージスはその赤い装甲を輝かせる。まったく効いていないとは思わないが、高射砲程度ではフェイズシフト・アーマーを貫通できないようだ。結局メビウスを破壊し尽くす形で相手を自由にしてやっただけであるようだ。
イージスは飛び上がるとともに身を翻しアルテミスから離脱する形で加速を始めた。
来たときと同様、去るときもずいぶんあっさりとしているものだ。どうやら撤退を決めてくれたらしい。
「後は坊主にまかせるか……。俺はアーク・エンジェルに戻る。警戒を怠るな。この混乱に乗じてザフトの戦艦が来るぞ」
オペレーターたちの敬礼に見送られながらムウは司令室の扉をくぐり抜けた。すると、意外な組み合わせと出くわした。ハッチのすぐ前にラタトスク社代表エインセル・ハンター殿と、難民の少女フレイ・アルスターの2人が立っていた。エインセルはムウに気づくと、まるでエスコートでもしているかのようにフレイの手を引いた。
「フレイをお願いできますか、ムウ・ラ・フラガ大尉?」
いつも通りの揺るぎない笑顔がなんともまぶしい男だ。
「それは構わないが、俺はアーク・エンジェルに戻ることになる」
「今はフレイもそちらの方がいいでしょう。お願いします、ムウ」
エインセルはフレイに目配せをした上で歩き去る。
ではフレイを連れていこうとして、フレイの異変に気づいた。こちらに目を合わせようとしない。いや、目を合わせないのではなく、別のものを見ているだけらしい。フレイの視線は立ち去っていくエインセルへと向けられていた。
エインセルは歩く。すでにザフト軍の襲撃から時間を経てアルテミスは要塞としての機能を大きく損なっていた。進む通路は証明が明滅し薄暗い。時折響く音と伝わる振動。今なお戦いが続けられていることを示している。
ただ歩く。それこそここが自宅の廊下を歩いていることと何ら変わらない。通路の先に眼鏡の女性が決してエインセルの通行の邪魔をしないよう、脇にたたずんでいた。メリオル・ピスティスである。アーク・エンジェルの難民の少年少女を連れだす任務を与えられていた女性は、エインセルに深々と頭を下げた。
「アイリス嬢にお会いできなかったことは残念ですが、あなたの失態ではありませんよ、メリオル」
ザフトの侵攻は誰も想定できないほどに早いものだった。
「あなたのせいではないのです」
手をメリオルの顔に添えて、強引に上を向かせる。エインセルと目が合うと、メリオルは可愛らしく頬を赤くした。
「お父様」
すでに光が落ちてしまった通路の中から歩み出るのは白の少女。白いドレスの控えめな色調が、少女の桃色の髪を鮮やかに引き立てている。その姿はゼフィランサスと同じであり、アイリスと同じ顔をしている。普段表情に乏しいその顔は、しかしエインセルがほかの女に手を触れていることに怒りを見せて瞳を大きくしていた。
「お迎えにあがりました、お父様」
白の少女は、速いと思える速度でエインセルに近寄る。エインセルとメリオルの間に割り込んだかと思うと、2人を引き離した。その上でエインセルの腕に抱きついた。今度不満を表明するのはメリオルの番であった。少女ほど露骨ではないにしろ、眼鏡の奥に見える眼差しは穏やかではない。
「ヒメノカリス、如何でしたか、ガンダムの力は?」
「ストライクは及第点。でも、ブリッツはだめ。私の方がもっとうまく扱えます」
「まだその時ではありません。わかってくれますね、ヒメノカリス?」
少女は、ヒメノカリスはそれ以上不満を示すことはなかった。ただ父であるエインセルの手に触れていられる、そのことで満足しているようである。エインセルが歩き出したとしても、ヒメノカリスはその歩調を邪魔することなく従っている。メリオルにしてもそのすぐ後にそっと付き従っていた。
「すべては、青き清浄なる世界のために」
完全に照明の落ちた通路の中に、彼らの姿は消えていった。
アルテミスの命運は決まっていた。攪乱は十分と判断したザフト本隊が総攻撃にでたのである。
ナスカ級ヴェサリウス。ローラシア級ガモフ。さらにGAT-X103バスターガンダム、ZGMF-1017ジン2機のモビル・スーツが一斉にアルテミスへと接近する。
要塞アルテミスの防衛力は大きく低下していた。対空砲火が十分ではなく、まず2機のジンの接近を容易に許してしまう。ジンはアサルト・ライフルで要塞表面の砲台を撃ち抜いていく。徹底的に攻撃力を奪わんとしているのだ。
十分な火力がない故に敵機の接近を許し、許すが故に砲塔の破壊が加速していく。敵を寄せ付けないための力が減じていく。対空放火を失ったアルテミスは、ガモフの接近まで許してしまった。
ガモフはモビル・スーツの輸送に優れた独特の形状をした戦艦である。モビル・スーツを安定して運用するために艦の機能、火力の大半を集中し、下部にモビル・スーツの格納庫とカタパルトをおいた構造をしているのである。航空力学を一切考慮にいれていない独特の形状、ザフト軍で広く使われている事実から代表的な宇宙戦艦であると言えた。
戦艦は高い攻撃力を誇るとともに脆い。要塞の砲撃に耐えられるほどの装甲は有していない。そのために、ジンは動いていた。アルテミスから攻撃力を奪っていた。相手の攻撃力を奪うまでは前面に出ない。このことは戦艦の不文律なのである。
アルテミスは沈黙している。ガモフが戦艦としての能力を最大限に発揮できる機会はここをおいて他にない。
ガモフはアルテミスに肉薄していた。艦体を横に向け、回転する砲塔が水平に並んだ。砲撃が炸裂する度、アルテミス表面の岩が剥がれ、爆発の中に要塞が露出する。
そして、バスターが今まさに攻撃を加えようとしていた。
母が与えた力は破壊。バスターは2丁のライフルを両腰に装備している。右側はビーム・ライフルが用いられているが、左はレールガンという実績がある反面威力はビームに及ばない兵器。なぜ開発者は両方をビームにしなかったのでろう。その理由の一つを、バスターは実践しようとしていた。
アームが器用にライフルを横に倒した。ビーム・ライフルとレールガンとが横一直線に並んだ。ビーム・ライフルの発射口とレールガンの銃底が向き合っている。バスターはライフルを鷲掴みにすると、両者を力強く連結させた。はるかに長大となったライフルを右腰に構え直される。ビーム・ライフルのチャンバー内にビームが充填される。引き金を引くと、ビームは銃身を通り、レールガンへと送り込まれた。レールガンとは電磁誘導という現象を利用した兵器であり、荷電粒子であるビームを直接加速させる。連結したレール・ガンはビームを受け取ると、一気に加速させた。
鋭い矢を思わせる速度でビームが射出された。それはアルテミスにビームが突き刺さり、加速によって貫通力が高められたビームは岩盤を貫いて要塞内部で炸裂する。衛星表面に十字の亀裂が走った。破壊はまだ終わらない。銃身が急速に冷却される。バスターは再度ビームを発射する。2撃、3撃と楔が撃ち込まれ、その度走る亀裂が合流しながら岩盤を蹂躙していく。
そして、4度目の光の矢が放たれた時、アルテミスは土くれのように砕けて割れた。
アルテミスが崩壊した。
様々な機材が放り出され、一帯は瞬く間にデブリで覆われた。宙を舞う瓦礫に混ざっておびただしい数の人が生身のまま真空へと投げ出されていた。
宇宙空間に大気はない。酸欠になることはもちろんのこと、気圧の急激な低下は人体に多大な影響を与えることになる。極端な例となると、血液の沸点が急速に下降し体温でさえ気化を始めるようになる。酸素が肺に送り込まれないことに加え、その酸素を運ぶ血液そのものが気化してしまう。体の内と外から窒息させられるのである。
もはや助けることはできない。すると、軍人というものはひどく冷淡な考え方をする。救えるかわからない命を救うことに努力するよりも、外敵の排除を優先する。
アルテミスを出撃することができたメビウスの一団があった。数はわずか3機。しかしこれが現在アルテミスに残されたメビウスのすべてであった。
彼ら3人のパイロットは元々別部隊の隊員である。仕方なく即席の小隊を組んでいた。しかし、隊長経験者はおらず、連携は望むべくもない。それぞれが勝手に戦闘を始めようとしていた。まずは索敵。それぞれのパイロットはレーダーを睨みつける。
後方にいたはずの1機がレーダーから反応が突然消失した。デブリが多く、レーダーが不調であることは確かである。何らかの誤作動を起したのだろうか。だが、通信は繋がることはなかった。
間もなく、2機目の反応も消えた。
メビウスは設計上、レーダーを頼りに対象の位置を確認せざるを得ない。モビル・スーツのように頭部を回す、振り向くなどで視界を変更することができないからだ。また、機動力に乏しいメビウスではそんなに細かい情報となると生かすことができない。空気抵抗を利用できない宇宙空間ではその旋回半径が極めて大きくならざるを得ない。結果、細かい機動は行えず、レーダーで大雑把に位置を掴むだけで十分なのである。モビル・スーツが有視界戦闘に重きを置いているのに比べ、メビウスはレーダーに頼った戦闘を基本とする。
最後のメビウスは大きく旋回した。大回りに僚機の反応が消失した地点を視界に入れようとする。
レーダーには何の反応もない。そこには何もないと告げている。ではこれは何だ。目の前、漆黒のモビル・スーツが輝く剣をメビウスへと叩きつけようとしているではないか。レーダーには一切反応がない。この距離でまったく反応しないことなどありえない。ありえない現実が、膨大な熱量を伴いメビウスを両断した。ビームの熱量は燃料を爆発させ巨大な火花が咲いた。
ブリッツガンダム。それがこの機体の名である。
母が与えた力は隠密。フェイズシフト・アーマーのために添付されたミノフスキー粒子は電波さえも吸収することができる。フェイズシフト・アーマーの感受性を調整することで電波のような微弱な衝撃を吸収し、微弱な力でしかない電波はほとんど見えないようなかすかな光に変えてしまう。ブリッツには完全なステルス性能が与えられていた。
アルテミスの警戒網をかいくぐり、単機で侵入を果たしたのは、ガンダムの力ゆえであった。
アーク・エンジェルはアルテミス崩壊によって、放り投げられる形で宇宙へと出ていた。デブリにまぎれるにしては、その白い艦体は目を引きすぎる。アルテミスに肉薄していたらしいローラシア級がいち早くアーク・エンジェルを発見した。まだアーク・エンジェルはエンジンが温まっていない。すぐに動き出すことはできない。つい先ほどまで格納庫の中にいた状態から、単に周りが崩れ落ちただけなのだ。
せめて幸いなのは、主だったクルーが皆帰艦していたことだろう。ナタル・バジルールが簡単にブリッジを見渡しただけでも、そのことは確認できた。マリュー・ラミアス艦長はすでに艦長席に座り、指揮に戻っている。ムウ・ラ・フラガ大尉は難民であるフレイ・アルスターを連れてブリッジに顔を見せていた。ここにはいないが、アイリス・インディアをはじめとする少年少女たちもこの艦に乗り続けることが決まっている。
だが、ゼフィランサス主任とカズイ・バスカークはいつまでも帰ることがなかった。新型の開発責任者であるゼフィランサス主任がいなくてはアーク・エンジェルの価値は半分以下にもなってしまう。
このことへの苛立ちを、マリュー艦長は隠そうとしない。
「ヤマト軍曹との連絡はま……!?」
敵の攻撃に艦長の言葉が中断する。アーノルド操舵手が必死に回避しようと試みるが、十分な推進力が得られていない今、艦の動きは鈍い。
攻撃にさらされる度、アーク・エンジェルが揺れる。ブリッジ内の者は各々の方法で衝撃に耐えていた。ナタルはオペレーターとして与えられた椅子にしがみついていた。
通信を通して、キラ・ヤマト軍曹の声が届いたのは、ちょうどそんなときであった。
「こちら、キラ……。アーク・エンジェル、聞こえ……か?」
多少聞こえづらいが、通信は回復したらしい。アルテミスの壁には電波を通しにくい素材でも使われていたのだろうか。
「ゼフィランサスが苦しんでるんです! 船医に準備をさせてください!」
「了解した。だがアーク・エンジェルは現在ローラシア級と交戦している。すぐの合流は……」
「時間がないんです!」
「バジルール少尉。ズール主任の安否は本艦の最重要事項です」
「しかし……」
「これは命令です!」
ナタルの抗議にも命令は撤回されることはない。キラ軍曹にしてもこのままにしておけばナイフ1本でローラシア級に挑みかねない。
ナタルは覚悟を決めた。一語一句伝えもらさないよう、口元のマイクの位置を調整する。
「ヤマト軍曹、今からストライカーを射出する」
母が与えた力は換装。ストライクガンダムには3種のバック・パックが用意されていた。
完璧な兵器などというものは存在しない。巨大な剣は遠距離では多大な負担となり、長大な銃器は白兵戦では文字通り無用の長物と化す。すべてにおいて万能であるということは、同時にどの環境においてもその性能を最大限に発揮できない機構を背負い込むということに他ならない。この矛盾を解決する方法は簡単である。白兵戦においては銃を捨て剣を持てばよい。距離が開いたなら剣の変わりに銃を手にする。
ストライクには3種のバック・パックが用意されていた。大剣、翼、火砲。それぞれを状況に応じて使い分け、適時換装することであらゆる環境において最大限の性能を発揮する。
アーク・エンジェルのカタパルトが展開する。突き出された足を思わせる一対の構造。その右側のハッチが展開し、リニア・カタパルトの橋がかけられた。本来ならばモビル・スーツが出撃するべきカタパルトからバック・パックがそのまま単体で射出される。それは脇に巨大な剣を持ち、大西洋連邦、ザフトの両軍の戦艦が砲火を交える戦場に飛び出した。
ザフト軍ローラシア級はその正体を理解したわけではないだろう。しかし敵艦が突如射出した物体を看過するつもりもないのだろう。本来ならば接近する機動兵器迎撃用のファランクスの砲塔はユニット目掛けて弾丸を撒き散らす。だが破壊されたのはファランクスの方であった。ストライクが頭部に装備されたイーゲルシュテルンを命中させた。対モビル・スーツ戦では威嚇にさえ使用できないほどの小口径の弾丸は正確にローラシア級の砲塔を撃ち抜いた。
ストライクはバック・パックへと接近し背を向けた。ガイド・ビーコンに導かれてストライカーと名付けられたバック・パックが背中へと接続される。ストライクは瞬時にストライカーを認識。薄い水色の装甲が増設される形で左肩を覆い、左手に小型シールドが装着される。
大剣が抜き放たれる。
それは右の肩越しに抜かれ、全長がモビル・スーツほどもある長大な剣であった。しかし剣には刃がなく、ただ切先に硬質な刃が埋め込まれているにすぎない。
そのことがローラシア級の油断と慢心を招いた訳では決してない。万全の警戒。完全な体制。対機動兵器用の布陣でもってローラシア級は接近するストライクを迎え撃つ。そのすべてが無意味であった。
ストライクは突き進む。艦砲をかわし、ファランクスをフェイズシフト・アーマーの防御力を頼りに突破する。装甲から淡い光を放ちながら接近していく。
剣に光が灯された。それは刃を補い刀身がビームの輝きによって構築されていく。それは剣であり、ビーム・サーベルであり、途方もなく巨大な熱量とで破壊を使役する兵器であった。
対艦戦のセオリーは装甲の弱い部分を集中的に攻撃することである。事実、ローラシア級は接近するストライクに対して装甲の厚い上甲板側を向けて防ごうとしていた。そう、対策は何ら間違ってなどない。
ストライクは腰をひねり、大剣を横に大きく振りかぶる。そして、ビーム・サーベルをローラシア級へと叩き付けた。
熱が光に変わってあふれ出す。滂沱となる輝きの濁流の中で分厚い装甲がたやすく切り裂かれていく。切り口と呼ぶにはあまりにただれた傷跡を残してサーベルが振り抜かれた。そして再度、ストライクは頭上に掲げたサーベルを一息に振り下ろす。光と熱によって刻まれた傷は十字に重なり深く深く熱を戦艦の内部へと伝えていた。
飛び立つストライク。ローラシア級に刻まれた傷跡から炎が吹きだす。
万全の警戒。可能な限りの対空砲火でストライクの接近を妨げようとした。完全な体制。攻撃をもっとも頑丈な箇所で受け止めるとの判断に何ら誤りなど存在しない。戦術的誤謬など何一つない戦艦に与えられた過酷な末路、それは、燃えて千切れる戦艦そのものであった。爆発と閃光。噴出す黒煙の中で、ローラシア級の艦体は二つに引き裂かれていた。