戦いは、最終局面を迎えていた。
もはや敵も味方もなく優位も劣位もない。わずか一瞬。されど生涯のすべてにも勝る一瞬である。ジェネシス発射を待つ。この一瞬にも思える寸劇こそが世界の命運を決するのだから。
ZGMF-X09Aジャスティスガンダムはザフトの機体でありながら地球軍を引き連れていた。2度のジェネシス照射によって戦力を大きく減じた地球軍ではあるが、もはや戦力の多寡で語ることのできる戦いではない。
勝利とは敵の殲滅を意味することはなく撤退などありえない。ジェネシスを破壊する、あるいは守る。万軍を並べよう。しかしジェネシスを破壊できなければ意味がなく、ジェネシスを破壊されれば敗北する。兵の数は要素の一つにすぎず、ただただ砲火が交わり爆ぜる。
放つビームはZGMF-1017ジンの装甲を焼き、ジャスティスは歩を進める。足はもがれ、残された右腕のみがライフルを握る。その背にはエール・ストライカー、借り物の翼を背負いながら。
「できそうか、ゼフィランサス?」
「うん……。これで、ジェネシス破壊の方法をみんなが知ることになる……」
ジャスティスから放たれた不可視の波動はこの戦場に存在するすべてのモビル・スーツ、戦艦にジェネシスを破壊するための方法を伝えた。制御棒を破壊し、原子炉を暴走させる。それだけが地球を救う唯一の手段であるのだと。
パイロット・シートの後ろにいるゼフィランサスへと振り向くこともなく話しかける。モニターから目をそらしている余裕などないのだ。
「だが相手には防御を集中する道筋を示すことになる!」
ジャスティスの左腕がないとみるやゲイツが突進してくる。ビーム・クローを突き出すような突撃を残された左足で蹴り飛ばす。後続のゲイツの放つビームにはカウンターをあわせるように撃ち返す。ゲイツのビームは皮肉にも本来左腕があるはずの場所を通り抜け、ジャスティスはゲイツの頭部を吹き飛ばす。
これではモニターから目を離している余裕などあるものか。
「ゼフィランサス、俺は制御棒の破壊を目指す。お前は炉を暴走させろ!」
「わかった……」
「問題はどうやって侵入するかだが……」
ゲイツの攻撃はきりがない。地球軍が背後から繰り出してくれる支援攻撃とが交錯し、めまぐるしいことこの上ない。地球軍の後続部隊が到着すれば大混戦になることだろう。このような状況ではジャスティスは目立ちすぎる。
ライフルで接近しようとする敵機を牽制しながら片時も気を抜くことができる瞬間がない。敵の攻撃すべてがジャスティスを狙っているように錯覚させられる。
そんな時だ。突如、攻撃がやんだ。
激しい戦闘は周囲で繰り広げられている。しかしジャスティスを狙う火線が突如として途絶えたのだ。何が起きた。その答えはほどなく通信機から飛び込んできた。
「ゼフィランサス、聞こえているかね? 私の愛しい娘」
どこかで聞いたことのあるような声だ。
「お父様……」
ヴァーリであるゼフィランサスが父と呼ぶ。これを切っ掛けにイザークの中でも朧気な記憶と声が結びつき、1人の男の名前を導き出した。
「シーゲル・クライン元議長」
「イザーク君か。話は聞いているよ。よく娘を連れてきてくれた。これから示す場所にまで来てくれないかね?」
モニターに表示された位置にはジェネシスの内部に通じると思われる大型ハッチが示されていた。
「お父様の指示に従って……」
ゼフィランサスがそう言うならば従うほかないだろう。ジャスティスは激戦の中突如として出現した空隙の中、ゆっくりとジェネシスへと向かい動き出す。周囲のゲイツたちはまるでジャスティスが見えていないかのように無視して戦いを続けている。
何とも不気味な光景だ。この不気味な光景の中を通り抜け、ジャスティスはジェネシスへとたどり着いた。ジェネシスはとにかく巨大であり、すでに侵入を許したのか一角からは黒煙が立ち上っていた。イザークたちは正規のルートから入る。巨大なハッチが開放され中へと導かれる。
そこには巨大な空間が広がっていた。モビル・スーツが楽に飛び回れるほどの円筒状の通路の奥には別のハッチがその巨大な円盤をさらしている。背後で宇宙とジェネシスとを繋ぐハッチが閉じられ、否応なしに前へと進む他ない。
「ゼフィランサス……」
ジャスティスを進ませながらシートの背後へと声をかけた。しかし何か言っておきたいことがあったわけではなかった。
「制御棒はこちらで破壊しておく」
こんな曖昧な言葉で時間を繋いでいると、奥のハッチはすでに目の前にあった。独りでに開かれるハッチ。吹き出した風はジェネシスの内部が大気で満たされていることを示していた。
なぜわざわざ加圧しているのか。わからぬことは何もこればかりではない。いちいち考えているほどの余裕などなかった。
開かれたハッチはさらに広大な空間へと通じていた。ジェネシスを外から見たなら杯の形に見える。それは内部についても同様であるらしい。ちょうど器の形に内部に広大な空洞が広がっていた。ジャスティスは杯の縁を通り抜け、大気という入れ物で満たされた器に出たのだ。
もっとも、入れられているのは大気ばかりではない。空洞の中央には巨大な球体が浮かんでいた。
ユーリ・アマルフィ議員はジェネシス内部を中央に原子炉と制御室、その周辺を作業用の通路が網の目状に張り巡らされていると予測していたが、当たらずとも遠からずということだろう。通路の壁はすべて取っ払われて広大な空間となっている。巨人な球体が中央で幅をきかせ、余った空間を寄せ集めた弧を描く空間が今ジャスティスのいる場所だ。
あの球の外側のどこかに制御棒、あるいはその制御装置が存在するのだろう。
「イザーク、あの場所まで連れて行って……」
まずはゼフィランサスを降ろすことが先決か。指示された場所は球体の表面。モニターには球体表面に設置されたキャット・ウォークと人が使うためのハッチが表示されている。
ジャスティスを移動させる。だが、少しでも状況を確認しておくべきだろう。
球体はジェネシス本体と8本の柱で固定されている。輪を描くように同一円周上に等間隔--45度の角度であったため数えやすく、見えない範囲についても推測することができた--に生えている。ジャスティスが通ってきたハッチも柱とはずれた位置に等間隔、8つが設置されているらしい。
見ることができたのはここまでだ。本体から球体へと移るだけならばさして時間はかからない。ここは大気で満たされている。ジャスティスのセンサーも安全--呼吸できるという程度の意味だが--であると告げていた。
「ゼフィランサス、ここでいいのか?」
振り向くと、ゼフィランサスは小さく頷いた。特にかけるべき言葉も見あたらない。コクピット・ハッチを開き、柄にでもなくエスコートすべきかとも考えたが、ゼフィランサスは黒いドレスをはためかしてハッチの縁に立つ。
「イザーク、後のこと、お願い……」
「ああ……」
この言葉をかけるためだけに振り向いたゼフィランサスはジャスティスを離れた。ヴァーリたちの父であるシーゲル・クラインは何をさせたいのだろうか。これもわからないことの一つだ。
コクピット・ハッチを閉じると、1人残された空間は不気味なほどの静けさであった。もっとも、退屈だけはさせてもらえない。モニターがその片隅に爆発を捉えた。イザークたちが使用したものとは別の通路をどこかの派手好きが爆破したのだ。
爆煙を突き破ったのは赤いストライク。ストライクルージュ、あのカガリ・ユラ・アスハの機体だ。
「イザーク、無事だったか!」
両足を失っているというのに、ルージュは飛び跳ねるような機敏な動きでジャスティスの側へと移動してくる。
「ああ、敵の捕虜にされたはずが独房から出ることを許された挙げ句モビル・スーツへ搭乗させてもらった!」
これもわからないことの一つだ。地球の軍隊はどうなっている。かつて月面グラナダでそうカガリを怒鳴りつけたことが悔やまれる。ディアッカ・エルスマンという男の話だったか。
モニターに得意満面のカガリが顔が映し出される。
「言っただろう! 人の言うことを信じようとしないからだ。だが、チャラにしてやる。これの相手を手伝ってくれるならばな!」
カガリが破壊したハッチから虫の群のようにゲイツが飛び出してくる。このカガリという女、敵の大群の中を強引に突破してきたらしい。ルージュの装甲は損害が蓄積していることが見て取れる。
「話は聞いているな、カガリ。俺たちは制御棒を破壊する!」
「任せておけ! オーブを焼かせる訳にはいかないからな」
ジャスティスとルージュ。赤い2機のガンダムは同時に加速を開始する。
戦いの舞台はジェネシス内部へと移ろうとしていた。8つのハッチ、8つの広大な加圧室。侵入しようとする者と防ぐ者の混戦が繰り広げられる。
飛び出したGAT-01A1ストライクダガーがゲイツの集中砲火を浴び爆散する。しかし仲間の爆発さえ煙幕と利用したストライクダガーがビーム・サーベル片手に接近を果たした。サーベルに貫かれるゲイツ。仲間の仇を討たんとライフルを構えたゲイツへと、ストライクダガーはこともあろうにシールドを叩きつけた。鋼鉄の塊が顔面を直撃し、ゲイツは大きく体勢を崩す。
ここには戦略も戦術もない。
戦略は戦いを全体として眺め、次の戦いに備え、次の次の戦いに備える知恵のことである。ゆえに、ここに戦略は存在しない。次の戦いなどないのだ。ジェネシスが放たれれば地球は滅ぶ。もはや地球とプラントの間に戦争など起きようはずもない。
戦術は賢く戦う術である。では問おう。考えている余力を誰が残す。時計はとまることがない。両者ともにすべきことはわかっている。考えている時間さえ惜しんだ戦士たちが戦っているのだ。
一斉に放たれるゲイツのビーム。しかし、ビームに貫かれたのは他ならぬゲイツの部隊であった。
加圧室の中、白銀のユニットが飛び回る。ZZ-X200DAガンダムトロイメント。白銀のガンダムのバック・パックへと白銀のユニットはミノフスキー・クラフトの輝きを放ちながら舞い戻る。
「どうだ、ムウ? 来られそうか?」
「馬鹿言え。お前たちにいいところ全部持ってかれそうなのが不安なだけだ」
「ならば早く来ることだ。宴は今がたけなわだ」
トロイメントのコクピットにて、レウ・ル・クルーゼは口元を歪めた。
すでに勝利と敗北の区別さえ曖昧となり、畏怖はその概念から消失している。ガンダムにかなわぬと攻撃を控える敵機などただの1機さえ存在していない。勝利とは敵機を撃墜することではなく、敗北とは撃墜されることではないのだ。そしてジェネシスを守るためであれば、ザフトはその身を投げ出す。
ゲイツの一団はトロイメントを前にいっさいの躊躇も怯みも見せることなくあらゆる方向からスラスターの燐光を煌めかす。
背後から接近する機体は左手のサーベルで胴裂きにした。正面の不用心なゲイツはビーム・ライフルで直接破壊する。しかし、ゲイツの勢いは衰えることがない。放たれたビームは幾本のも光を描き、トロイメントの額をかすめた。ガンダムの象徴とも言えるブレード・アンテナがへし折れてしまった。
やはり、反応が鈍くなっている。
「それで、お前体は? そろそろ薬が切れる時間じゃないか?」
30年来の気心知れた友はずいぶんと心優しいものだ。
「戦闘中に発作を起こすほど間抜けではないよ。それでは、ロベリアに示しがつかないでな」
怒濤のように押し寄せてくるビームを振り切るようにしてかわしながら、ラウは時を待っていた。トロイメントのユニット、ナイトゴーントには重大な欠点を持つ。小型でありながらフェイズシフト・アーマーの出力が高く、連続稼働時間が短いことだ。そのため、通常全12機を4機をセットに3つのグループとして運用することでユニットを常時展開できるよう想定されている。特に、すべてを一度に放つことだけはしないよう、ゼフィランサスには固く言いつけられていた。
しかし何の偶然か、トロイメントの背には12機すべてのナイトゴーントが搭載されたままだ。
「トロイメントの真の力、お見せしよう」
放たれる12機すべてのユニット。それは白銀の軌跡を残し飛び回る。ビームが直進するという事実はもはや幻想にすぎない。ゲイツたちは自ら放ったビームに全身をあらゆる方向から撃ち抜かれ、瞬く間に灰燼と帰した。
高速で飛行するジャスティスを、さらに高速のビームが追い抜いてはジェネシス内壁に派手な爆発を引き起こした。いくつも生じる爆発はその度にジャスティスを揺るがし、イザークに歯を食いしばらせるはめになった。
これほどの高速で移動している標的にそうそう射撃が命中するはずもない。そう考えていたのは何もイザークばかりではないらしい。ビームが球体の壁へと命中する。生じた爆発はジャスティスの握るライフルを包んだ。黒煙が剥がれ落ちた時、ライフルには破片が突き刺さっていた。これでは使い物にならない。狙ってのことだろう。
ライフルを投げ捨てる。同時にしなければならないことがあった。エール・ストライカー--なぜ規格があうのかはなはだ疑問だが--からビーム・サーベルを抜き放つとともに、振り向きざまの勢いを利用してサーベルを薙いだ。ライフルを破壊するほどの強かさを持つ相手がこの隙を見逃すはずなどないのだ。
振り抜いたはずのサーベルは、案の定、ゲイツの突き出すビーム・クローに受け止められていた。
このゲイツは何かが違う。切り込む角度、叩きつける腕、そんな動作の端々に見える洗練された気配は手練れのそれを思わせた。
「お前たちは、ことの重大性がわかっているのか!?」
ジャスティスは元々ザフトの機体だ。通信は当然のように繋ぐことができる。聞こえてきたのは若い男の声だ。
「地球を焼かねばプラントが滅ぼされる。なるほど確かに一大事。故に、私は全力を尽くす」
ゲイツが爪をずらす。支えを失ったサーベルはジャスティスの体を引っ張るように振られ、体勢を崩したジャスティスへとゲイツはビームを放った。生じた爆発から抜け出た時、ジャスティスはエール・ストライカーの片翼を失っていた。
このゲイツ、やはり強い。
幸いストライカーのスラスター部分は無事であった。速度を落とすことはできない。球の周囲を旋回するように機体をさらに加速させると、ゲイツはそれでも食らいついてくる。
ビーム・クローが猛禽の爪であるかのように急襲する。サーベルで受け止め、押し返す。離れたゲイツを、今度はこちらから追いかける。サーベルを叩きつけ、ビームによる反撃をかわしながら飛び去ると、次は再びゲイツが爪を突き出しながら突進してくる。防いだサーベルは、ビームのスパークを周囲にまき散らす。
2機のモビル・スーツは鍔迫り合いの体勢のまま、高速で機動していた。
「地球はこれまで一度もプラント全土を焼き払おうとしたことなどなかった! プラントはすでに一度手を染めたがな。なのに貴様等は自分のしていることだけを正しいと持ち上げ地球を焼くのか!」
「私を説得できるとお考えか?」
2機は突如飛び上がるほどの勢いで離れた。球体とジェネシスとをつなぐ柱が迫っていたのだ。高速で通り過ぎる柱をやり過ごした2機は、再び武器を構え、相手をめざし突撃する。
「気にするな。ただの八つ当たりだ。かつての自分に対するなあ!」
「くっ! 学徒兵ばかりではないないな……」
グラナダでは学徒兵のパイロットの姿がとにかく目に付いた。しかしカガリを追うゲイツたちのパイロットはとてもではないが学生風情ではない。温存していたのだろう。たとえ、若者の命を使い潰すことになったとしても。
振り切ろうと加速を続けるが、まるで引き離すこともできないままビームがルージュをかすめてはジェネシス内壁で爆発する。
進路上に障害物反応。球体とジェネシス本体とを繋ぐ柱の一つだ。高速で機動中にありがたい存在ではない。ルージュの体を無理によじる形で機動を曲げる。危うくレッド・アウトを起こしそうな視界の中、柱はルージュの脇を通り抜けていった。
危険であったことに変わりない。その証拠を示すように、ルージュを追っていたゲイツが1機、柱にまともに突っ込んだ。激しい衝突に爆発は即座に巻き起こった。
これで敵も多少は攻撃の手を緩めるだろう。これが油断であったとは思わない。だが、敵はカガリの想定していない動きを見せたことも事実だ。ゲイツはこともあろうにさらに加速したのだ。
急接近を告げるアラーム。カガリはルージュの腕を大きく振らせた。アンバックとか呼ばれる重心の移動による姿勢制御である。足が失われているためその分も腕を大きく振りながら、ルージュは進行方向はそのままに振り返る。振り向きざまに放ったビームは確かにゲイツの左肩を撃ち抜いた。それでもなおゲイツは突進をやめようとしない。ルージュに体当たりを食らわせる形で巻き込みながら、そのまま球体の表面へと叩きつけられた。
「こいつら……! 命を捨てるつもりか!?」
あまりに危険すぎる行動だ。ゲイツは左腕を失いながらもルージュを球体--大きさのあまり、あまり表面が丸いという印象はない--へと押しつけてくる。ルージュは球体に押しつけられたまま、ゲイツに押され続けている。
バック・パックのエール・ストライカーが破損したことを告げる警報音がけたたましい。フェイズシフト・アーマーに包まれていない鋼鉄の翼は、先程片方が弾けるほどの勢いで剥離した。球体表面に刻まれたわだちの中にはスラスターを持つユニットがめり込んでいることが辛うじて確認できた。
まもなくエール・ストライカーは爆発する。モニター一杯に広がるゲイツの一つ目は何とも不気味に思える。これ以上抱きつかれたい相手ではない。
ルージュの左手がゲイツ頭部の鶏冠状の構造を掴む。人参でも引っこ抜くつもりで頭を思い切り引っ張ってやった。モビル・スーツの人ほどの可動域はない首が不自然に伸びて、耐えかねたゲイツが半身をわずかに浮かせた。その隙間へと銃身を差し込み発射する。ビームの強烈な輝きがゲイツの腹を通り抜けた。同時に、エール・ストライカーも限界を迎えたようだ。
前と後ろ。同時に炸裂した爆発にルージュはあらぬ方向へと投げ出された。球体にそのまま叩きつけられなかったことは幸いだが、姿勢を立て直すために速度を落とさざるを得なかった。ビーム・ライフルは爆発の衝撃で銃身が曲がってしまっていた。敵は十分な速度を維持したまま、ビーム・クローをこれ見よがしに見せつけていた。
ライフルを投げ捨てる。ルージュが示した武装は、腰のサイド・アーマーに内蔵されている2本のナイフだけであった。
「武器は……、ダガー・ナイフ、これだけか!」
一度速度を失った機体を再度加速させていられる余裕はない。今こうしている間にもゲイツが2機、ビーム・クローを手に接近している最中であった。武器はない。カガリの頬に悪い汗が流れた。
だがせめて一矢、報いてやろう。そう、ナイフを取り出そうとした時のことだ。カガリは目の前の光景が理解できなかった。
現れた1機のストライクダガー。それがこともあろうにカガリをかばい、その体を刺し貫かれた。
ゲイツたちは予想外の目標の乱入にすぐさま軌道を変え離れていく。貫かれたストライクダガーは胴が半分ほども裂け明らかに深刻なダメージを負っている。ストライクダガーがかばってくれなかったとしたなら、この姿こそがルージュのものとなっていたことだろう。
しかし、カガリにはストライクに搭乗している知人はない。ではなぜこのストライクダガーはカガリをかばったのか。
カガリは思わず傷だらけのストライクダガーの背中を眺めていた。この機体は、両足とバック・パックを失っていた。ゲイツの攻撃によるものではない。その前からルージュと同等の損傷を負っていたのだ。
合理的に考えようとすると、合理的な結論を得ることができる。このストライクダガーは託そうとしたのだろう。同じ程度の損害であれば、より機体性能が高い方がジェネシスを破壊できる算段が高いのだ。
ストライクダガーの最後の力を振り絞るようなぎこちない動きは、この機体が握っていた対艦刀をルージュの方へと放り投げた。投げたとするにはあまりに弱々しい速度ではあった。剣は、ルージュの手へと握られた。まるで見届けたように--事実見届けたのだろう--、ストライクダガーは爆発の中に消えた。
「どいつもこいつも……、無茶を、する!」
これはもはや戦争ではないのだ。負傷、損傷、そんなものが撤退を許す理由とはならない。ジェネシスを逃せば地球が焼かれる。地球に一つでも守りたいものがある者はすべて、その死力を尽くして戦わなければならない。撤退など、そもそも選択肢にはないのだ。
カガリは託された。
ゲイツは再び接近を試みようと近づいていた。
「私は……。私は! 私はなあー!」
力任せに振り抜いた巨大な剣は光の刃を纏い、ゲイツの胴を切り裂いた。泣き別れとなった体は、それでも勢いをそのままにルージュの後方へと飛び抜けては二つの爆発を生じさせた。
戦いはあらゆるところで繰り広げられていた。ジェネシスの中で。そしてジェネシスの外で。
モビル・スーツが飛び回る戦場に、純白の翼を広げた大天使がその翼を焼かれていた。ビームによる火力の劇的な向上をみた現在、モビル・スーツでさえその携帯兵器が艦砲並の火力を持つ。現代の戦場において、すでに戦艦は動きの鈍い動く倉庫以上の意味合いをなくしていた。攻撃力は追いつかれ、その分厚い装甲はしかしビームを防ぐことはできないでいる。
もはや戦場は、モビル・スーツのためだけにあった。
「左舷に被弾! 翼がもうもちません!」
飛び去るゲイツの姿。この機体が命中させたビームは分厚いはずの装甲を貫通し、左舷の翼からいくつもの爆発を生じさせていた。その衝撃はゆっくりと見えるほどの速度で翼をアーク・エンジェルから切り離していく。
爆発の衝撃伝わるブリッジの中で、ナタル・バジルールは艦長席にしがみつきながら指示を飛ばす。
「フレイ、動きを止めるな!」
「了解!」
回る舵輪。アーク・エンジェルは徐々に体勢を持ち直し始める。戦艦の装甲を貫通できるとは言え、一撃で破壊し尽くせるほどではない。集中的に攻撃を浴びなければよい。すなわち、同一地点に攻撃が集中することを避けること、これこそが操舵手フレイ・アルスターが選択した戦い方であった。
ゲイツの放ったビームが右舷に命中する。間髪入れず放たれたビームは、しかし同一箇所には当たらず、ずれた位置に着弾した。フレイがずらしたのだ。艦体を傾けるように動かし攻撃を決して集中させない。
この操縦法はアーク・エンジェルに深刻なダメージを与えることなく、しかし被弾していない箇所を探すことが難しいほど、大天使の体を痛めつけていた。純白であったはずの装甲は黒ずみ、溶解していた。黒ずんだぼろ切れを纏ったようなみすぼらしい姿に変わり果てながら、しかし確かに戦い続けていた。
ジェネシス周辺で戦い続けることでジェネシス内部へと送られるゲイツの数を減らすことができる。無駄だな戦いなど何一つとしてなく、ゆえに、戦いはすべてにおいて苛烈を極めつつあった。
それは、ブリッジ内に突如響いた緊張感のない声が始まりであった。
「あ~あ~、ただいまマイクのテスト中。聞こえるか? 大天使様」
「ヴァーリの声……?」
親友の声に似ているものを見いだしたフレイの言葉は、通信を越えて相手にも届いた。
「ミルラ・マイクだ。確認するが、地球が恋しくなった、それでいいんだな?」
ブリッジから覗くことができる宇宙は、ビームの輝きに彩られ、爆発が絶え間なく生じている。その中に見える1機のゲイツが自身の存在を誇示するかのように踊るような軌道で動き回っていた。ずいぶんと楽しげな動きはこのような戦場において不気味でしかない。
艦長として、ナタルは踊るゲイツの呼びかけに応えた。
「構わない。我々は地球を滅ぼす暴挙を見過ごすことはできない。それだけだ」
踊りは終わる。
「了解した。では、貴艦を撃沈する!」
ゲイツの左腕。シールドの先端から発出するビーム・クロー。かつてミルラはアーク・エンジェルを訪ねたこともあった。グラナダでの話だ。しかしそんな事実に何ら期待させることなく、まっすぐにブリッジへと突撃を開始した。
思わず舵輪を握るフレイの手が緩んだ。その分だけ、アーク・エンジェルの反応は遅れることとなる。まるでフレイめがけて突っ込んでくるかのような動きが、しかし突然中断され、ゲイツは飛び退くようにその場を離れた。
本来ゲイツが通るはずであった場所をミサイルが、そして、戦闘機が通り抜けた。コスモグラスパー、アーノルド・ノイマンの機体である。
「まずは私の相手を務めていただこう!」
鈍重な戦艦であるアーク・エンジェルが激戦に耐えている理由は何もフレイの戦い方だけで説明できるものではない。アーノルドの援護があって初めて成し得たことなのである。
「やってみろ。私にとっては所詮、ジェネシス発射までのお遊びにすぎない。お前たちは、違うのだろう?」
Mのヴァーリの声に焦りは一切感じられない。手足を振り重心を移動させることで機体を弧を描くように機動させる。スラスターだけでは説明のつかない動きは、コスモグラスパーの放つミサイルの間をすり抜けるようにかわして見せた。そして、すれ違いざま、ビーム・クローはコスモグラスパーの翼を引き裂いた。
「アーノルドさん!」
聖杯とは器であり、血で満たされる。その血を飲んだ者はすべての望みが叶えられると言い伝えられている。
まさにその通りではないだろうか。ジェネシスの内部はおびただしい血を生み出す戦場であり、その血を浴びるはジェネシスの心臓部である球体である。この球体を満たす血を飲み干せば、世界の命運を決する力が与えられる。
周辺では制御棒を巡り激戦が繰り広げられている中、球体の中でも一つの戦いが熾烈を極めつつあった。
ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレは白銀の機体である。継ぎ接ぎの装甲に額に生える一角。その姿はガンダムの名にそぐわない。全身の継ぎ目から赤い光を放つその姿は、血塗れの戦士を思わせた。
「あなたは!」
キラ・ヤマト。パイロットの声に呼応するかのように加速するオーベルテューレ。その両手にはビーム・サーベルが握られ、肘から発生したビーム・サーベルとあわせ4本ものサーベルが一斉に振るわれる。
広大な空間を浮遊するゲイツの残骸、邪魔するすべてを切り裂きながら剣を振るう。
「僕にはあなたがわからない! あなたのしていることは矛盾だらけだ! ヒメノカリスの父を名乗るなら、どうしてヒメノカリスを戦わせなくちゃならない!」
4本の剣が見せる軌跡は網のように折り重なり、編み込まれ、かかるものすべてを切断する。ゲイツの腕が流れてきた。切断される。壁があった。切断される。ZZ-X300Aフォイエリヒガンダムがあった。切断できない。
「それが私がヒメノカリスの父でいられる唯一の方法であるからです」
フォイエリヒは黄金のガンダムである。その姿は巨大。通常の1.5倍ほどの大きさに、両手足、果てにはバック・パックからアームで伸びる4機のユニットそれぞれがビーム・サーベルを持つ。
オーベルテューレがどれほどの剣撃を放とうと、フォイエリヒはそのすべてを受け止め、しなやかなその剣は暴力的なほどの輝きをもって振るわれた。鉈のように破壊的で、フルーレのように鮮やかでさえある。その剣技は瞬く間にオーベルテューレを押し返す。
8本ものサーベルを受け止めさばくオーベルテューレ。哀れはただよう残骸であった。防ぐことも、逃げることもできない。フォイエリヒの振るうサーベルにかすめ取られただけで火へとその姿を変える。
フォイエリヒ。火のようなと名付けられたガンダムの行進は、炎がつき従い、燃えさかる回廊を作り出す。
炎の壁を突き抜けて、オーベルテューレは距離を開ける。火力、攻撃力、破壊力、突破力、物を壊す力を分類するすべての言葉はフォイエリヒにその軍配をあげている。
力では勝てない。しかしフォイエリヒが、黄金のガンダムがどれほど巨大な力を有していようと究極の機体なんてものは存在し得ない。キラは動いた。大型の機体であるフォイエリヒは機動力においてオーベルテューレに劣らざるを得ない。
死角は必ず存在する。
斬りかかり防がれる。ならば上から、下から横から前から。あらゆる方向から斬りかかっては防がれ、キラは機体を動かし続けた。この戦いは、とっくに可能不可能で論じることができる次元を超越している。
できるかどうかではなく、しなければならない。
「それでも! あなたは! あなた方はゼフィランサスを利用した! あなたほどの力がありながら!」
両手のサーベルを渾身の力で振り下ろした一撃は、サーベルで防がれることさえなかった。フォイエリヒが掲げたアーム。そこにある黄金の装甲が目映い輝きを示すだけで、オーベルテューレの攻撃は受け止められていた。確かに命中した攻撃は、しかし相手にかすり傷をつけることさえできなかった。
エインセル・ハンターの声は、説法でも聞かされているように澄んだもののように感じられた。
「力? そんなもの私にはありません。ないからこそ、ブルー・コスモスという強靱な盾を、フォイエリヒという最強の矛を必要としたのです」
光そのものが動いたようにさえ見えた。フォイエリヒの黄金の足が絡みつくような動きでオーベルテューレの胴を捉えると、キラは強烈な衝撃とともに壁へと叩きつけられた。蹴り飛ばされたのだ。
千載一遇--この言葉自体、思い上がりかもしれないが--のチャンスにも関わらず、フォイエリヒは追撃しようとはしなかった。黄金の姿を見せつけるように輝いているだけである。
「父を捨てた時、私は単なる子どもでしかありませんでした。誰が片手で数えられるほどの歳の子に莫大な財産を任せるでしょう? ただ当主の息子であるというだけで動かせるほどアズラエル一族は安易な存在ではありません。我々にできることは、それこそお遊びでしかないのです。危険な紛争地に紛れ込み銃を撃つ。過激派に金をばらまきテロを誘発する。血のバレンタイン事件とて、金と時間を持て余した御曹司の気晴らし以上の意味など決してない」
本当にエインセル・ハンターの声は澄んだもののように聞こえる。自慢だとか自嘲だとか、主観を感じさせない。ただ事実を冷静に並べている言葉はキラの中に妙な反感を呼び覚ますことがない。
「我々は天使に出会いました。ゼフィランサス。彼女と出会ったことで、我々は自らの使命に目覚め、そのための手段と力を得ました。我々の行動は復讐であり、しかし復讐ではありません。命を弄ばれた者が弄んだ者に対する復讐劇ではあれ、ですが我々は義によって立っている」
聞いているつもりだった。平静を保ったまま。それがゼフィランサスの名前を聞いた途端、可能が不可能に、現実が追憶へと変わっていく。もはや自分を抑えていることなんてできやしない。思い出していた。10年を越えて再会した時のゼフィランサスの悲しそうな顔を。
「この一夜のため、我々はすべてを賭けた」
「それが! ラタトスク社を興し、ブルー・コスモスの代表の座を得た。非情、非道と知りながら進んだ道なんですか!」
壁に叩きつけられていたオーベルテューレが動き出す。コクピット内にはオーバー・ヒートの危険を知らせるアラームが鳴り響き、それでもなお、エインセル・ハンターの言葉は耳に届く。
「私は弱い。ゆえに、目的のために手段を選ぶほどの余力を持たない」
「でも僕は! それでも僕は!」
オーベルテューレから放たれる赤い光はコクピットさえ照らした。装甲が展開する。むき出しになったフレームは光として蓄熱を放出し、割れた角はブレード・アンテナへと、オーベルテューレはガンダムへとその姿を変える。全身のミノフスキー・クラフトが壁を破壊するほどの圧力を発生させた。
「あなたたちはゼフィランサスを傷つけた。あんなに弱い子なのに! 悲しい瞳をした子なのに!」
推進力に変換し切れなかったエネルギーは光としてオーベルテューレを輝かせた。振り下ろすサーベルはフォイエリヒのサーベルに防がれ、剣が触れ合う度、漏れ出したビームが火花となってガンダムの間にほとばしる。
4本の剣が8本の剣によって防がれ、ぶつけ合う剣の速度たるや弾けた火花が絶え間なくわき出すほどである。
「私は私の行いを許すことはないでしょう。故に、私はプラントを憎み、私は私自身を狩るのです。私はエインセル。私は、自分自身なのですから」
魔王は決まってその真の姿を隠している。道理である。魔王は人の姿をしている。しかし魔王は人ではないのだ。法を踏み外し、理を外れ、魔の則を統べる王は人ではない。
輝きが炸裂した。それは衝撃さえ伴い、オーベルテューレに攻撃の手をやめさせる。光を放つビームの粒子が中空を漂い、それは風に流される砂のように徐々に吹き飛ばされ、輝きは消えていく。それはすなわち、魔王がその真の姿を見せるということ。
「私はコーディネーターであり、ドミナントであり、父であり夫である前に、怪物なのです」
虫を思わせる長い4本の足。すでに人の姿はそこになく、首は捕食者を思わせる獰猛で、まなざし鋭く、残忍な笑みを思わせるものにとって変わられていた。それには腕がある。折り畳まれたアームの先に輝くビームの鎌。そのすべてが黄金であった。黄金の4本の腕を持つ捕食者。蟷螂の凶暴性、残虐性のみを昇華させたかのような異形の怪物の姿が、そこにはあった。
つい先程まで激戦の中にいた。それがまるで嘘みたいに、ここは静かだった。大西洋連邦軍のアガメムノン級の中、アイリスはザフトのノーマル・スーツのまま、1人たたずんでいた。
この艦は損傷が激しく、救護者のための避難船として使用されることになったのだそうだ。アイリスが立ち尽くしているのは医務室の前。通路には包帯を巻いた人たちが壁にもたれ掛かった座っている。ザフトであるアイリスのことを眺める人がいないほど、みんな疲れ切っているらしい。アイリス自身、敵艦の中にいることを考えている余裕なんてなかった。
「アイリス」
懐かしい人の声がした。
「マリューさん……」
以前アーク・エンジェルの艦長をしていたマリュー・ラミアスだった。そのすぐ後ろにはアイリスにとって数少ない--6人しかいない--妹であるロベリア・リマが続いていた。ロベリアの赤い髪は第4研の証。第3研のアイリスの一つ下の妹になる。
マリューはアイリスの横に立つと、アイリスの目の前にある扉を眺めた。今ここで、瀕死の重傷を負ったディアッカ・エルスマンの緊急手術が行われている。そのことで、かつての艦長は勘違いをしたらしかった。
「気を休めることが難しいことはわかります。でも休みなさい。これではあなたまで……」
「違うんです!」
思わず出した大声は、通路で疲れ果てた人たちが顔を上げるほどのものだった。
「私、不安じゃないんです。ディアッカさんが大切な人のはずなのに、もしものことがあったらって考えてもちっとも不安になれないんです!」
「アイリス……?」
「前からそうでした。怖くなくて、きっと不安だったらこんなことするんじゃないかって想像して騒いでただけなんです!」
もしもディアッカの身にもしものことがあったとしても、アイリスは悲しんであげられる自信がなかった。嘆いてあげられる気がしなかった。ただこれまで自分が殺してきたたくさんの人と同じように何も感じないまま、忘れ去ってしまうのではないだろうか。
そして、それが怖いのかさえわからない。ただ、よくわからない不安にアイリスは突き動かされていた。それとも、不安を無理矢理突き動かしているのだろうか。握りしめた拳は、気を抜く度に緩んだ。怖がろうとしないと、怖がることさえできない。
「アイリス姉さん……」
「ロベリアは私がカズイさんを殺した時、どう思いました?」
本当なら神妙な面もちをしてあげるべきなんだと思う。でも、今のアイリスには表情を変えることさえできなくて、ただ無機質な眼差しを向けてしまったんだと思う。
ロベリアは驚いたように目を大きくした。それから口を歪ませたのは戸惑ったからだろう。仇に対して怒るべきか哀れむべきかわからない、そんな様子に見えた。
「こんな言い方変だけど、痒いところに手が届かない感じかな。なんだか、もういないんだって実感はわかないくせして、もう会えないってことばかりわかって無性に焦らされる、そんなこと」
聞かされてもわからない。どうしてもわからない。
「ねえ、ロベリア。カズイさんて、ファミリー・ネームは何ですか?」
目を開けた時、飛び込んできた強光に思わず目を閉じた。これでは何のために目を開けたのかわからない。光の中に辛うじて見えた影に、誰かがディアッカのことをのぞき込んでいたことはわかった。
「ここは……?」
おそらく手術台の上だろう。無重力で寝ているとかそんなことにあまり意味はないが、視界に違和感があることに気づいた。左半分が見えていない。目に触れてみようとのばしたはずの左手は、いつまでも届くことはなかった。どうやら、そういうことであるらしい。
「ここはアガメムノン級の中。あなたは瀕死の重傷で運び込まれた。でも大丈夫。傷口は塞いでおいたし、火傷も今ならいい薬があるわ。ただ、左目と手は、ここでは手の施しようがないの」
少しずつ慣れ始めた目は黒髪のヴァーリの顔を映す。白衣を着ていて、黒髪は確かミルラ・マイクと同じ出身であることを意味するはずだ。それなら、NかO。今はどちらでもいい。
「アイリスは、どうした……?」
「無理しないで。手術が終わったばかりよ」
そんなことは言われなくてもわかっている。体の感覚が鈍く上体を起こすだけでも苦労させられた。麻酔がきいているのか、それとも体そのものにガタが来ているのか。左腕は上腕から下がなくなっていた。左足も妙に力が入らない。手術台を蹴って進むつもりが勢いが乗らず体勢を崩した。
無重力とは言え、それでもおかしな倒れ方をせずにすんだのは黒髪のヴァーリが支えてくれたからだ。
「離してくれ。アイリスを1人にしておけない。あいつは……!」
「大勢いるけど、私もアイリスの姉の1人よ。ニーレンベルギア・ノベンバー。話くらい聞かせてもらえるかしら?」
手助けしてくれるのだろうか。ニーレンベルギアと名乗ったヴァーリはディアッカを支えたまま進みたい方向へと進ませてくれる。手術台を囲んでいたスタッフの中には止めようとする動きを見せた人もいたが、躊躇したような様子を見せて結局止めにはいることはなかった。
「人を殺せないくらい優しい奴が戦争をするためにはどうすればいいと思う? 人を殺すことを……、感じなくなればいい……」
「ある種のトラウマね。私は専門家ではないけど、心的防御機構のようね。アイリスは罪悪感を感じていない。そういうことかしら?」
これまでは簡単にできたことが思うようにならない。視力が右目しか生きていないから距離感が掴めない。無理に急ごうとしてつい体を壁にぶつけてしまった。衝撃にニーレンベルギアもつい手を離し、ディアッカの体は近くの棚へと衝突する。
痛くない訳じゃない。それでもディアッカは先を急がなければならなかった。
「あいつは俺が死んだと思いこんだ時……、明らかに取り乱してた……。恐怖や悲しみを感じない、そう言ってたはずのアイリスがだ……」
棚から無理矢理体を引き剥がす。
「あいつは罪悪感や悲しみを感じないんじゃない。感じないように思いこんでるだけなんだ……。だからあいつは、罪の意識に苦しめられることになる」
「ついこの間判明したんだけど、アーガイルだって」
「アーガイル!?」
なぜか驚いたのはアイリスではなくてラミアス艦長の方であった。ロベリアにつかみかからんばかりの勢いに押されてつい言葉遣いがおかしくなってしまった。
「う、うん、じゃなくてはい。元々低軌道で行われた戦いの救助者でしたからニーレンベルギア姉さんは地球軍を中心に身元確認してたんですけど、どうやら志願兵だったみたいで確認が遅れたんです。DNAデータがようやく届いて確認とれました」
ロベリアが覗いている端末には本当に申し訳程度の情報しか載せられていない。顔写真--眼鏡をかけたまじめそうな少年--に氏名。後は志願兵である事実くらいしか載せられていないのだ。戦闘が近く、大して重要でもない、おまけに欠損だらけの情報をニーレンベルギアはわざわざ艦長に知らせようとは思わなかったのだろう。
「カズイの名前はサイ・アーガイル。アイリス姉さんの言ってるカズイが誰のことなのかわからないけど、姉さんたちが考えてる人じゃないよ。安心した? 私としては複雑だけど……」
これで、カズイの死を悲しんであげられるのはロベリアたちだけになる。アイリス姉さんにとっては名前がたまたま一致していただけの他人になるのだから。
ただ、アイリスの様子が尋常ではないことに、ロベリアも気づき始めていた。両手で顔を覆って、もう普通じゃないくらいに目を見開いているのが指の隙間から見えていた。よく使われるこの世の終わりみたいな顔なんて言葉は、きっとこんな絶望しきった表情を示してるんだと思う。
「アイリス姉さん……?」
ラミアス艦長に端末を取り上げられた。
「貸しなさい!」
「でも、資料が不完全で私が話したこと以上のことなんて載ってませんよ……」
ラミアス艦長にしても苛立った様子で端末を操作している。そんなページ送りするほどの情報なんて載ってない。その指はすぐに止まった。サイ・アーガイルに関する情報は戦闘の混乱で不完全な状態なのだから。でなければもっと早く身許が特定できたはずだ。
こんな時、ロベリアはふと思い出した。アイリスもまた志願兵であることを。
「サイさんなんですか! マリューさん! ねえ!」
艦長にすがりつくアイリスの様子は見ていられないほどに痛々しい。優しい嘘なんてないと思ってた。それでも、今のアイリスに本当のことを伝えることが優しいだなんて少なくとも思えない。
ロベリアは何も言うことができなかった。ラミアス艦長は、嘘をつくには実直すぎる人だった。
「……カズイと呼ばれていた少年は、低軌道会戦で瀕死の重傷を負っていたところを保護されました。顔は火傷がひどく、記憶障害も見られました。……DNAデータは、カズイがサイ・アーガイルであることを示しています、アイリス」
魂が突然抜け落ちてしまったみたいに、アイリスは途端表情を固くした。その頬を流れる涙は水みたいに滑らかに、堰を切ったように流れ始めた。アイリス自身止めることなんてできない様子だ。手で拭って、拭って、それでも涙は止まらない。水滴が飛沫となって漂っていた。
それから急に心を取り戻したみたいに、アイリスは顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。
「私、サイさんを……! サイさんを……!」
ロベリアはどうしていいのかわからなかった。ラミアス艦長も悩んだように手を伸ばして、その悩んだ一瞬が駄目だったのだろう。
突如駆け出したアイリスを掴むことができなかったのだから。
「アイリス!」
長い廊下を格納庫へと向かってアイリスは飛び出した。制止をみんな振り切って。
ニーレンベルギアに支えられながら、ディアッカがアイリスの姿を探して格納庫にたどり着いた時、そこは大騒ぎとなっていた。ほとんど病院船として機能しているこの船の中をモビル・スーツが歩いているのだ。格納庫の床に直に座り込む人、けが人を寝かせた担架が置かれている。モビル・スーツ--バスターガンダムの改良型が--が足を動かす度、人々が一目散に逃げ出す光景はどこかコミカルだが、逃げている当人には笑っていられる余裕はないことだろう。
「どいてください!」
バスター改から聞こえたのはアイリスの声。懐かしい顔がキャット・ウォークから身を乗り出しながら声を張り上げていた。ラミアス艦長だ。
「アイリス! 降りなさい!」
「私のバスターぁ~!」
ラミアス艦長の後ろを通り抜けてバスターを追いかけているのは赤い髪をした少女。ずいぶん地味な印象だが、ヴァーリなのだろう。その走っている様子は出航する船を波止場から見送っているように見えなくもない。
バスターがハッチを通り抜けて行く間にもディアッカは動くことができなかった。本当ならバスターの前に跳び出したいと考えていた。左足に力が入ってくれるならそれもできたことだろう。ディアッカはことの顛末を眺めているしかできなかったのだ。
ニーレンベルギアに手伝ってもらいながらラミアス艦長のそばにまで近づく。艦長はこちらに気づいたように振り向いた。
「ラミアス艦長。機体を使わせてくれ。どんなガラクタでもいい」
「しかしその傷では……」
「俺が行かなくて、誰が行くんだ!」
マニュアル操作はできなくてもオートで誤魔化せる部分は誤魔化す。戦闘に積極的に参加しなければ追いつくことくらいできるだろう。使えるのは右手1本だけだが、アイリスのことを、誰かに譲る気にはなれない。
ラミアス艦長は悩んだ様子こそ見せた。それでも、その眼差しはディアッカを否定するものではなく、その指は格納庫の隅に置かれたモビル・スーツを指し示す。
「あれを使いなさい。予備機だけど、すぐに使えるようになっているわ」
「よろしいのですか? 敵兵にモビル・スーツを使わせるなんて」
ニーレンベルギアのもっともな指摘を、艦長は穏やかに笑って流した。
「彼の場合、初めてではないもの」
オーブでは捕虜の身でありながらGAT-X102デュエルガンダムに乗せてもらったことがあった。思えば、短い軍人生活の中で敵艦に囚われるのはこれで2度目のことか。
ラミアス艦長が手すりを乗り越えて飛び出す。ディアッカはニーレンベルギアの手助けを借りながらその後に続いた。キャット・ウォークを飛び出してモビル・スーツを目指す。機体はストライクダガー。一度も乗ったことのない機体だが特に問題はないだろう。所詮ガンダムの劣化版。ディアッカにとってザフトの機体よりも大西洋連邦製のガンダムに搭乗している時間の方が長いのだ。
自分は果たして何者だ。ディアッカが苦笑に口元を歪めたことに誰も気づくことはなかった。開かれたストライクダガーのコクピット・ハッチの
脇にラミアス艦長が立っている。助けを借りながらうまく着地したディアッカは1人でハッチをくぐり抜けようとした。助けを借りられるのはここまでだ。
「恩に着る。艦長が話のわかる人で助かった」
ハッチをくぐる前に脇の艦長殿に一言。すると、ラミアス艦長は驚いたような、不思議そうな顔をした。時に捕虜や敵兵にモビル・スーツを使用させるほど柔軟な考え方のできる人なのだが。
「何か変なこと言ったか?」
「いいえ。ただ、一つ聞きたいことがあります。あなたは戦争は何が悲惨だと思いますか?」
一体何の話が始まったのか。すでにコクピットへと飛び出していたディアッカはパイロット・シートに腰掛けてから改めて答えた。
「人が死ぬことか?」
「戦争がない時でも人の死なない日はありません」
こちらがシステムを起動--案の定、ジン以上にスムーズにできている--している間、艦長と船医はコクピットの中をのぞき込んでいた。
「悲惨な死に方をすること?」
「重大事故の遺体を見たことは?」
ネットの画像を見たことがある。どんなものにも動じることのない剛胆ぶりを気取りたがってた学友がネットで拾ってきた多重衝突事故の犠牲者の写真を見せびらかしていたことがあった。当時はくだらないことをする奴と考えていたが、今頃どんな英雄になっていることやら。もっとも、名前はいっさい聞こえてこないが。
「じゃあ、人の本性がむき出しになることとか?」
「そもそも人の本性とは何かがわからないでしょう。極限状況の応対だけを取り出してそれを本性だと決めつけるような短慮な考えはしません」
ずいぶん意地が悪い。こんな問答をしてるうちに時間切れだ。後はハッチを閉め、囚われのお姫様を救い出す。
「それで、ラミアス艦長のお考えは?」
「戦争さえなければ平穏に一生を過ごす人が時に人を殺し、人に殺されなければならないことではないかと考えています。我々穏健派は利用されていたとは言え、民間人のいる中立コロニーを戦いに巻き込んだことは事実です。志願兵とは言え、できることならアイリスたちには早く日常に戻ってもらいたかった。戦争は、我々のような職業軍人が殺し合うだけなら悲惨なものにはならないでしょうから」
マリュー艦長の真っ直ぐな視線をそのまま受け止めていた。
「アイリス・インディアのこと、必ず連れ帰りなさい、ディアッカ・エルスマン」
敬礼する。大西洋連邦軍式の敬礼は慣れないものだが、アイリスは必ず連れ帰る、この意志くらい伝わってくれたことだろう。
ジェネシスには内部に通じる八つのハッチが存在した。そのどれも戦艦が通り抜けられるほど巨大なもので、破壊されたハッチの内部からは激しい戦闘の光が漏れている。主に三つのハッチとその内部で両勢力が激突していた。残る五つのハッチは完全に無傷であるか、あるいは攻撃部隊が全滅したことで守られていた。
今の地球軍にすべてのハッチを同時に攻撃するほどの余力なんて残されていないのだ。
できうる限りの戦力でハッチの突破を狙い、外では艦隊が傷だらけになりながら突入部隊の負担を少しでも減らそうとして奮闘していた。その中には、アーク・エンジェルの姿もある。
傷だらけになりながら、それでも戦う姿を、アイリスは涙に濡れた視線で見つめた。
ヴェルデバスター--システム起動時に名前は知った--を進ませたのは、すでに戦闘が集結して警備が手薄になったハッチだった。この宙域は残骸だらけで、部隊ならともかくモビル・スーツが単独で接近しても誰も気づかない。ここならほとんど戦わずに内部に進入できるかもしれない。
それなら、人を殺さなくてもすむ。
ハッチの前に2機のゲイツの姿を見つけた時、アイリスはヴェルデバスターの引き金を引いた。両腰のライフルがビームを放ち、それは矛盾に命中する。コクピットはパイロットを守るためもっとも頑強でなければならない。そうであるにも関わらずパイロットが入るためにハッチという穴をあけなければならない。そんな矛盾に。
腹部を撃ち抜かれたゲイツの屍の脇を、ヴェルデバスターは静かに通り抜ける。
「傷つけたくなんてないよ……。殺したくなんてないよ……」
それでも、アイリスは撃ってしまった。また人を殺してしまった。
ぶつかり合う剣と爪。
「俺はイザーク・ジュール。名を聞いておこうか!」
「コートニー・ヒエロニムスと申します。私はDの乙女の従者たる者」
この世界は正義と悪でできた絵画である。よって正義と悪は混ざり合い、分けることはできない。すべての正義は悪の所行をなし、すべての悪は自身の正義を強調する。
振りかざされる大剣は光の軌跡を描く。
「貴様等は本気で地球を焼き払うことが正義と信じるのか!? 血で血の贖いができると思うのか!」
正しければすべてのことが許される。そして誰もが自身の誤謬を認めることはない。ゆえに、すべてのことが許される。
古き翼と新たな巨人。
「どうした、戦闘機のパイロット? 防戦一方じゃないか?」
「勝負とは最後のカードを開くまでわからぬもの。私は、まだ生きている!」
「いい言葉だ。負け惜しみでないことを祈らせてもらおう!」
子は親を殺す。古き時代の象徴として。親殺しの動機には、人類の進化、世界の革新、よりよき世界、美辞麗句の数々が並ぶ。新しいものは、ただ新しいというだけで素晴らしいのだから。
すべての戦いの中心であるこの場所で、少女は父と再会を果たす。
「よく来たね、ゼフィランサス」
「お父様……」
すべてが、終わりを告げようとしていた。