数多の砂時計浮かぶ漆黒の空に無数の線条が輝きを放ちながら交錯する。時折丸く爆ぜる輝きは一つの命の終わりを象徴する。無数の光の花が散っていた。命が消費され浪費されていく。
有史以来最大規模の宇宙戦が行われていた。後世、ヤキン・ドゥーエ攻略戦--プラント側では防衛戦--と呼ばれる決戦である。
三次元的な戦術を可能とする宇宙空間では前線はいともたやすく混じり合う。敵と味方の位置関係が曖昧に入り乱れ、混戦模様を呈していた。ビームの軌跡が描き出す繭玉の中をモビル・スーツたちが蠢くように動き回る。取り込まれた戦艦は哀れである。あらゆる方向からのビームによる集中砲火によってたやすく火の塊へと姿を変える。
GAT-01A1ストライクダガーが飛び、ZGMF-1017ジンがアサルト・ライフルの掃射を続ける。
2機のZGMF-600ゲイツは周囲にビームを放ちながら高速機動を繰り返していた。
「前からも上からも敵が来る! なんて数だ」
「所詮ナチュラルなんて烏合の衆。蹴散らして大将の首をとる!」
本隊から離されたゲイツたちは周囲に展開する敵軍モビル・スーツをビームで牽制しながら活路を求め動き続ける。
このゲイツに幸運と不運とが一度に訪れた。まずは不運。漆黒の宇宙を羽ばたくように漆黒の機体が駆けた。攻撃のリズムを完全に掴み、ビームのとぎれたわずかな瞬間にゲイツの懐へと入り込む。横一文字の輝きが、ゲイツの胴を横切った。
ゲイツのパイロットは何が起きたかさえわかっていないことだろう。牽制のために放つビームは狙いなどつけていない。ランダムで動き回るゲイツの行く先をいちいち意識などしていない。とにかく軍人としての本能が機体を動かし続けた。
仲間が撃墜されたことにさえ気づくことができないほどの不規則かつ急速な挙動。
「撃墜されたのか!?」
気づいた時にはすでにすべてが遅かった。背後に回り込んだそれは振り下ろしたビーム・サーベルでゲイツを縦に引き裂いた。
生じる爆発。立ちこめる黒煙の中から現れたのは黒いガンダムであった。GAT-X105ストライクガンダムにノワール・ストライカーを装備した通称ストライクノワールガンダム。ムルタ・アズラエルの1人であるエインセル・ハンターより娘であるヒメノカリス・ホテルに与えられた機体であった。
ゲイツは目をつけられてはならない相手に狙われてしまった。これがまず不運。そして幸運とは、怨敵と付け狙うムルタ・アズラエルが彼らのすぐ近くにまで接近していたことであった。
ストライクノワールが小刻みに機体を翻しながら動く。そこにはZZ-X300AAフォイエリヒガンダムの黄金に輝く姿がある。大きさは約25m。通常のモビル・スーツの1.5倍もの大きさのフォイエリヒにどこか踊っているように近づくノワールの姿はその体格さも相まってじゃれつく子どものようでさえあった。事実子どもなのだろう。パイロットであるヒメノカリスは戦場のただ中でさえ通信に嬉々とした声を吹き込まざるにはいられなかった。
「見ていてくださいましたか、お父様。ヒメノカリスは戦えます。お父様のために戦えます!」
周囲ではストライクダガーが敵を寄せ付けまいと縦横無尽に動き周りザフトの機体を撃墜していく。事実上の最高指揮官の1人を守る部隊は黄金のガンダムを守り、黄金のガンダムは漂うように戦場を突き進んでいた。その動作は緩慢と言えるほどゆったりとしており、その様はまさに子を優しく諭す父のようであった。
「ヒメノカリス、この戦いはすでに混迷の度合いを増しつつあります。無理をして体に負担をかけてはいけません」
「ヒメノカリスはお父様のためでしたら死ねます」
「ではこう命じましょう。死んではなりません、ヒメノカリス。あなたを失えば私の望みは決して達成されることはないのです。わかりますね?」
「……わかりました」
途端に動きに精細を欠くノワール。その様子はうなだれる子どもだろうか。
フォイエリヒはその全身を静かに輝かせながら飛び続けている。戦うでもなく敵を睨みつけるでもない。ただこの場所にいること自体を目的としているかのように存在し続ける。
代わりに動くは周囲のストライクダガー。ランチャー・ストライカーを装備した大隊が次々とビームを放ち、逃げる敵をストライクノワールが追い回す。ランチャー・ストライクダガーが命中させようと、愛娘が敵を胴裂きにしようと、エインセル・ハンターは黄金の玉座に腰掛けたまま睥睨し続けていた。
獅子奮迅。この言葉がよく似合う激戦が行われていた。ソード・ストライカーを身につけたストライクダガーの一団が大剣を振り回しながら突撃する。
こと混戦において銃器は必ずしも剣に勝つことはできない。敵機との距離が相対的に近く、銃では誤射の危険性も高い。何より、ビーム兵器が恒常化した現在、ビームの性能を最大限に発揮できる兵器こそビーム・サーベルであった。
力任せに振るわれる大剣はゲイツのライフルをたやすく引き裂き、慌てて軌道上に差し込まれたシールドをもってしてもまだ勢い止まらずゲイツを両断する。
またあるところではナスカ級ザフト戦艦のブリッジへと大剣--その名はまさしく対艦刀と呼ばれている--を突き立てる。ビームの放つ膨大な熱が開口部など弱い部分から炎を吹き出し戦艦を内側から破壊していく。
一度接近を許せば射撃戦では不利と気づいたゲイツは左腕のシールドからビーム・クローを発出しストライクダガーへと挑みかかる。正確には、挑みかかろうとした。
赤銅色が瞬いた。ZZ-X100GAガンダムシュツルメントはいともたやすくゲイツの背後をとると、ストライクダガーのものよりも長大な対艦刀を薙払う。分厚い装甲で覆われているはずの胴がたやすく引き裂き、爆発があたりを覆う。
黒煙を吹き飛ばしながら、シュツルメントはなお軽快な動きを見せた。パイロットであるムウ・ラ・フラガの声は揚々とさえして聞こえた。
「どうだ、ザフト連中は?」
「練度が違うねえ。ボアズは完全に捨て駒だったようだ。なかなか防衛線が割れないな」
シュツルメントの周囲に展開するストライクダガーからの通信である。皆ソード・ストライカーを身につけ、言葉通りの切り込み役を買って出た連中である。剛毅も剛毅。ムウの通信に答えた者はゲイツを相手に鍔迫り合いに興じていた。またある者はジンを重斬刀--ただの鉄の塊である--ごと真っ二つにしていた。
「そりゃそうだろ。ザフト連中は本当なら戦争なんてしたくなかった。ただ独立できればそれでよかったんだ。てのに血のバレンタインじゃナショナリズムに訴えすぎて結局ドンパチやらかす羽目になった」
国を愛し仲間を愛せ。それを素直に実践しようとしたコーディネーターたちは復讐をためらうことなく戦争拡大に邁進することとなった。自分たちが進んで戦争を拡大させていったことなどプラントは認めたがらないだろうが、すでに地球では共通認識と化しつつある。
「合理的なコーディネーター様がずいぶんなお話ですな」
ムウは意図して自分の部隊にブルー・コスモスのメンバーを集めた訳ではなかった。ヤキン・ドゥーエに一番乗りを果たさんと狙うムウに志願したのは決まって腕っ節と反コーディネーター感情の強い連中であっただけだ。どこか猛獣じみたこの連中は、それこそ猛獣のようにザフトへと飛びかかっている。
ムウも負けじとシュツルメントを加速させる。
「皮肉はやめとけ。奴らが人の危険性のみを肥大化させた存在だなんてことはわかりきったことだろ。ブルー・コスモスにとってはな」
これこそ皮肉か。通信では苦笑する声がいくつか聞こえていた。
「いっそ10年前にプラントを滅ぼしてしまえばよかったのでは?」
「無茶言うな。当時の俺たちは10代のガキだぞ。成人まで親の遺産は制限されてたし、権力握れるようになったのはつい最近のことだ」
それこそゼフィランサス・ズールとの出会いがなければラタトスク社を得ることはできず、アズラエル一族の中で影響力をどこまで拡大できたかも疑わしい。ただ財団の御曹司に生まれたというだけで世界を変えられるはずもない。
「ムルタ・アズラエルが10年早く生まれていればこの戦争はおきなかったんじゃないか?」
「それならそれでドミナント技術も10年進んでたことになる。71年が61年に変わっただけだろ。結局、俺たちの戦いは後手後手だ。だから間に合わせるさ。この10年かけて必死に追いついてきたんだからな」
シュツルメントのバック・パックに搭載されたリボルバーが回転する。上へと回転したのは短い銃身を持つバルカン砲。それが左右で2機、肩越しに前へと向いていた。すでに射程にザフト軍ローラシア級の艦影は捉えている。奇怪な形状の艦体は前へと突き出たブリッジがずいぶん特徴的であった。シュツルメントのバルカン砲からは比較的口径の大きな弾丸が次々と放たれては戦艦の装甲を突き破り内部へと突入する。ビームほどの攻撃力を持たないバルカン砲では爆発を引き起こすほど破壊することはできない。ローラシア級は外殻を残しながらも完全に機能を停止していた。
深海へと沈んでいく死せる鯨のようにローラシア級がシュツルメントからして下へと煙を吹き出しながら、しかしその形を維持したまま落ちていく。そうして開けた視界の先、宇宙に浮かぶ巨大な岩石の塊であるザフト軍最終要塞ヤキン・ドゥーエの姿があった。
「さあ、行くか、世界を救うためにな」
奇妙な光景だった。ゲイツが敵へとビームを放つ。敵はそのまま突き進むだけで回避せず、反撃さえしなかった。それでもビームに撃ち抜かれたのはゲイツの方だ。
カガリ・ユラ・アスハが目撃したこの出来事は、幻でも夢でもない。悪夢だとは言えるかもしれないが。
白銀のガンダムである。ZZ-X200DAガンダムトロイメント。そのバック・パックに搭載された独立機動型の兵器はビームを屈折させると聞かされている。そして、そのパイロットの名前も、カガリは聞いていた。
「ラウ・ル・クルーゼか!」
挨拶代わりにビームを放つ。するとビームは剣のようにも見えるユニットに命中し、他2つのユニットを経由してストライクルージュへと戻ってきた。予想通りだが、ついかわしながら舌打ちをする。
ムルタ・アズラエルはどいつもこいつも皮肉っぽい。圧倒的な力を持っているためいつも余裕を見せてこちらのことを子ども扱いするからだ。
「カガリ・ユラ・アスハ。君は聞きしに勝るお転婆と見える。わざわざ好き好んで戦場に出てくるとはな」
「お前たちがオーブを攻めなければこんなことをする必要などなかった!」
ビームがきかぬなら実弾でどうだ。ガトリングガンをトロイメントめがけて発射する。まったく悪い夢でも見ているかのような光景が続く。トロイメントは無数の弾丸をすり抜けるように瞬く間にストライクルージュの懐へと入り込む。やられる。そう確信しながらも反射的にシールドを体へと引き寄せる。寄せたシールドをわざわざ狙ったかのようにビームの光が爆発する。ただでさえ損傷していたシールドは一瞬で残骸と化した。飛び散る破片の隙間から白銀の輝きが目映い。
「そして今頃オーブは地球上で軍を起こし地球軍の土台を揺るがせる。そのような計画だったのだろう。ダムゼルによって裏から支配された国は!」
鈍い衝撃がコクピットを揺らした。モニターの解像度が下がる。ルージュの顔面を思い切り蹴飛ばされたのだ。センサーが砕けでもしたのだろう。
「そう……、だとしても! 民間人まで犠牲にしてよい道理などあるものか!」
ガトリングガンはシールドごと破壊されている。右腕に残されたビーム・ライフルの標準を意地であわせた。放ったビームにトロイメントの姿がかき消える。すぐさま衝撃が、今度は後ろから襲ってきた。
機体の損壊を告げるアラーム音。バック・パックのウイングが折れ曲がっていた。どうせ蹴られたのだろう。I.W.S.Pにはフェイズシフト・アーマーは搭載されていない。
敵は後ろ。左手で抜きはなったサーベルをだいたいのあたりをつけて振り向きざまに切りつける。真正面から放っても当たりそうにない攻撃が敵を捉えることができるはずもない。トロイメントはこちらを翻弄するように周囲を飛び回っていた。
「君が怒っているのは非戦闘員の犠牲かね? ならば兵士だけが戦う戦争ならば肯定しうる余地を残す。君のお父上は指揮官として戦線に加わっていた。これは許される犠牲だと言うことかね?」
「人殺しの言い訳にしか聞こえん!」
「結構。では我々は殺人者だ。肯定されるべきではないだろう。では君の殺人は何をもって肯定される?」
ルージュの機動力ではまるで追いつくことさえできない。トロイメントがビーム・サーベルを抜き放つ。思わず身構えるカガリをあざ笑うかのように、相手のサーベルはあらぬ方向へと突き立てられた。そこにはいつの間にかゲイツがいた。カガリは目の前の敵に気を取られ気づくことさえできなかった。ラウ・ル・クルーゼは周囲の警戒を怠ることなく、接近した敵機のわき腹にサーベルを突き立てるなり一息に引き裂いた。
片手間とはこのこととだろう。もっとも、カガリとの戦いが主目的だとは思われない。ムルタ・アズラエルのこんなところが嫌いだ。
「開き直ることが贖罪か!? 貴様等のしていることは所詮憂さ晴らしでしかない。そうやって理屈をもてあそび人々の憎しみを利用した末がただの復讐劇ではないか!」
遺伝子を都合で調整されたこと、そんなことを未だに続けているプラントが許せないだけではないか。それを人類の未来語りに置き換え、人々を扇動する姿はプラントと重なる。違いなど、己の罪を自覚さえしていないか開き直っているだけではないか。
叩きつけたサーベルはたやすく受け止められる。交差するサーベルからビームが漏れては強烈な輝きを放つ。
「我々は許せないのだよ。世界を、人の命さえ思い通りにできると思いこむ傲慢がな」
レーダーに反応があった。ルージュとトロイメントがそろって飛び退いたところ、幾条かのビームが素通りする。ゲイツの小隊からの攻撃であった。さすがに味方であるルージュごと撃つつもりはなかったのだろう。狙いは甘くトロイメントはたやすく攻撃を回避する。この混戦状態でいつまでもタイマンとはいかない。敵にしてもストライクダガーが集まり始めていた。
撃ち合いが始まる。互いの部隊が距離を一定に保ったままビームの応酬が続く。前からも後ろからもビームが飛んでくる環境だ。
少しでも気を取られてくれることを期待して、ルージュを加速させる。この漆黒の宇宙の中で不必要に目立つ白銀の機体へとビーム・サーベルを振るう。手応えさえ感じるほどの必殺の呼吸であったはずが、トロイメントはすり抜けるようにルージュの後ろへと回っていた。
これで何度目のことだろうか。ハウンズ・オブ・ティンダロスとか言う回避術に翻弄されることは。
ストライクダガーからのビームを、カガリは絶えず機体を動かしながら回避し続けるしかない。それなのに、トロイメントはこんな砲火交わる中、ただ浮いていた。まるでビームに狙われないか、あるいはビームがその体をすり抜けてしまうかのように。
別次元の怪物と戦っているような気分にさせられる。事実、ティンダロスの猟犬とは人とは異なる世界に棲む怪物の名前なのだそうだが。悪い夢でも見ているかのようだ。トロイメントは堂々たる構えをしていた。腕を特に力なく開き、全身を弛緩させているようにさえ見える。こんな火線走る戦場でとるべき姿ではない。
白銀のガンダムは体をより強く輝かせた。
「ZZ-X200DAガンダムトロイメント。ゼフィランサスが流し続けた黒い涙の中から引き上げた悪夢の力をお見せしよう」
トロイメントが後光のように背負うバック・パックから12機のユニットが一斉に飛び立った。一見したなら肉厚の剣のようにも見えるユニットは奇妙な動きを見せる。それぞれが独立し不規則にさえ思えた。縦に横に、回転し滑り、スラスターの位置などまるで想定していないかのように軌道と速さで周囲を飛び回る。
「何だ、この動きは!」
基部にスラスターらしき構造は見えるが、それだけでは決して説明のできない動きだ。
「ミノフスキー・クラフトの特徴は装甲そのものを推進器として機能させることにある。形さえあればあらゆる方向へと推進可能だ」
そして、ミノフスキー・クラフトが搭載されているということはその装甲はミノフスキー粒子に被覆されていることに他ならない。ミノフスキー粒子の特徴の一つとして、一定密度でビームを弾く--実際、ビーム・サーベルはこの原理を利用し成形されている--ことがあげられる。
まるで追い立てられるかのように飛来してくるユニットへとついライフルの引き金を引く。ビームは反射される。そればかりか他のユニットが拾い上げ、攻撃となってルージュへと返ってくる始末である。
そしてここには多数のライフルが存在している。ストライクダガー、ゲイツ。両勢力の放つビームはユニットが次々と拾い上げていた。12機ものユニットがモビル・スーツの3倍ほどの速度で縦横無尽に動き回る。その火力はライフルと同規模。攻撃力、機動力では1個連隊相当戦力に取り囲まれるにも等しい。
ビームは縦に横に編み込まれ、不器用な綾取りのような幾何学模様を描きながら壁となって押し寄せてくる。
瞬きさえ許されない。とにかく動き回る。あらゆる方向からくるビームを見える範囲のものはかわし、死角から迫るものは運試し。
ゲイツが正面から頭を吹き飛ばされたかと思うと、後ろから胴を撃ち抜かれた。生きたまま貪り食われるように全身を撃ち抜かれた挙げ句撃墜された機体もあった。ルージュにしたところで左膝を撃ち抜かれた。高機動を続ける機体から投げ出された左足は取り残される形でビームに右から左から撃ち抜かれた。
「ビームが主力になった途端この様か! 楽しいだろう。その手の上に戦争を転がすことは!」
「勘違いしてもらっては困る。この世界も戦争も、一度たりとも我々の思い通りになったことなどない」
ゲイツのようにビーム兵器を主力とする機体ではユニットを破壊することさえできない。反撃を恐れ攻撃を控えた機体はトロイメントのビームに直接撃墜された。
守りにはいれば負ける。攻めるほかない。
「お前たちはいたずらに戦争を拡大させた! そうだろう! ゼフィランサスにガンダムを造らせ、戦争を拡大させることで私腹を肥やした!」
ビームの網の中強引に突破を図る。追従していたゲイツはあっさりとからめ取られ全身を撃ち抜かれた。ルージュもまた大型のバック・パックに被弾する。推進剤と爆薬を満載したランドセルを背負ったままでいるつもりはない。外した途端爆発する衝撃波さえ利用して一気に加速する。網を抜けトロイメントへ斬りかかる。
ルージュの勢いのまま叩きつけられたサーベルはトロイメントに受け止められ、強烈なスパークをまき散らす。
「そんなに人の生き死にが楽しいか!?」
「それは手段でしかない。我々の目的は戦争などではなかった」
「では復讐か!」
「人の世界を救うことだ」
トロイメントがビーム・ライフルの引き金を引く。明後日の方向を向きながら、大型の銃口から複数のビームが一斉に放たれた。ビームは当然のようにユニットに弾かれルージュへと殺到する。
あわてて鍔迫り合いを解除して飛び退く。しかしかわしたはずのビームさえさらに屈曲を経て迫る中、装甲をかすめ、残された右足が直撃を受けた。皮肉なことに命中弾はライフルから直接放たれたものだった。
ユニットがトロイメントのバック・パックへと戻る。稼働時間の限界を迎えたか、あるいは余裕の現れか。トロイメントはその白銀の体を輝かせ続けていた。
(実力が違いすぎる……)
これが、ゼフィランサスの生み出した力、そしてムルタ・アズラエルという男か。
「ムウ・ラ・フラガ大佐の部隊、まもなくヤキン・ドゥーエに到達します」
マリュー・ラミアスは自分が艦長を務めるアガメムノン級のブリッジにて静かに戦況報告を聞いていた。クルーの声からも焦りは感じられない。戦力では圧倒的優位の状況なのだ。
しかしマリューは勝ち戦とも言うべき状況に慣れないでいた。本来ならば顔をしかめたいところだが、部下の手前、平然と平静を装っていた。
「ロベリア・キロたちの部隊は?」
本来ならば階級で呼ぶべきなのかもしれないが、ブーステッドマンは特別な兵士である。特にヴァーリであるロベリアについてはマリュー自身の経験から特別な印象を抱いている。
(子どもの指揮をすることに妙な縁があるようね……)
「戦線維持に努めています。すべて順調です」
アーク・エンジェルの艦長として軍規を知らない少年兵たちとぎりぎりの戦闘を経験しすぎたせいかもしれない。何にせよ、マリューの軍人としての感覚は様々な違和感を訴えかけていた。子どもたちは今更だが、悠然と艦長席に腰掛けていられる状況はどうも慣れない。
「ザフトが無策すぎる……」
思わず声が漏れた。口元にあてていた手が声を封じてくれることを祈るばかりである。
ザフト軍にとって数の不利は分かり切ったことであったはずだ。それにも関わらず大軍に正面から挑みかかり、結果として消耗戦の様相を呈しつつある。そうなれば数で勝る地球軍が押し切ることになるだろう。
パトリック・ザラ議長は鷹派と知られてい。有権者の手前、和平交渉や無条件降伏を選択しずらいことは理解できるが、まさか壮大な無理心中を画策している訳でもないだろう。
ラウ・ル・クルーゼ大佐の言葉も、マリューの意識を捉えていた。
この戦いは地球を救うものとなる。
「艦長……?」
つい考え込みすぎただろうか。クルーが不思議な様子でマリューのことを見ていた。
「引き続き周囲を警戒」
当たり障りのない指示を出しておく。これで一応の体面をたもつことはできただろう。いくら戦闘中とは言え、モビル・スーツを実働部隊とする戦場では、自軍優位の状況も手伝いすべきことは決して多くはない。
マリューはつい手元のモニターの手動操作を始めた。こんなことは慣れたクルーの方がよほど手際よくしてのけることだろう。ただ私事を部下に命じるのは気が引けた。
目的はアーク・エンジェルの位置。目立つ戦艦だ。位置情報を拾い上げることはさほど難しいことではなかった。思ったよりも近い位置にいる。未だ健在であることにある種の安堵感を覚えながら、同時に交戦する可能性があることに胸がざわめかされる。自分でも考えている以上にあの戦艦への思い入れは強いものであるらしい。
しかし思い出に浸っている余裕などなかった。突如としてブリッジに警報音が鳴り響いた。
「何事か!?」
クルーたちの様子から彼らもわかっていないことは明らかであったが、マリューはかまわず状況確認の責任を押しつけることにした。お飾りの艦長に比べたならはるかに優れた情報処理能力を持つクルーたちは慌てた様子ながら、しかし行動は早かった。
「レーダーに反応あり! イレギュラーです!」
「映像出しなさい!」
「しかし解析が終わってません」
「構いません!」
よほど遠方にあるのだろう。望遠レンズの捉えた映像はその距離の間に入り込んでしまった障害物をCG処理で除去することでより鮮明な画像を得ることができる。空虚な宇宙では通常即座に終わるのだが、混戦状態ではそうはいかない。同時に悠長に待っていられる余裕もなかった。
モニターには必要最低限の処理が施されただけの映像が投影される。すでに阻害物の映像は除かれているが、邪魔をされ本来見えていないはずの部位は処理ソフトの補完が不完全で不鮮明な形で表示されていた。それでも全体像を眺めるには十分であった。
宇宙の闇の中、大型建造物が浮かんでいる。それはずいぶんと特徴的な形をしていた。
「これは……、杯?」
そうとしか表現のしようのない形が、突如として出現したのだ。
ミノフスキー粒子の膜構造であるIフィールドはその密度によって様々な性質を呈する。時に運動エネルギーを吸収し、時に電波を阻害する。特定の波長の電磁波を吸収することが可能となる。それは光の反射を軽減しながら周囲の風景を映し出す鏡を作り出せることを意味している。それはレーダーにさえ映ることはない。
12000枚ものミラー・パネル表面にIフィールドを塗布する。するとどうか。宇宙の光景の中に完璧に溶け込む見えない壁ができあがる。
こんな単純な衝立を用いることで簡単に隠すことができてしまうのである。
ヤキン・ドゥーエを中心として激戦は続いている。ステルス性能はきわめて高い。何より宇宙は広大である。そして鏡の帳が解かれた時、それは突如として姿を現した。
それは杯であった。基部は小さく、前へと向かって大きく丸い口を開く。なみなみと注がれた水が輝くように口の底は浅くくぼみ、まさに杯を思わせた。プラントがその1000年王国の夢をかけた、聖杯とも言うべき姿と形をしていた。小型のコロニーほどの大きさを持つ聖杯であった。
では注がれているものは何か。主の流された血ではない。
口の底には強力な磁場が敷き詰められていた。磁場を封じ込める特殊なレンズが反射し湛えられた水を思わせ、強力な磁場を作り出すために必要なエネルギーを確保するための核動力炉がその内部には置かれている。
聖杯はただこれだけでは意味をなさない。後一つの仕掛けを必要とした。
その形はたとえるなら畳まれた傘、あるいは鉄塔。杯の口の上に浮かび、水面に小さく影を落とす。聖杯に比べたなら小さくさえ思えるこの塔こそが、まさに始まりの鍵を握っていた。
まず一つの反応が起きた。塔の中で生じた小規模の対消滅。発生したガンマ線は可視光の波長を持たない。見えることなく塔の広がった下部から放たれ聖杯へと降り注ぐ。それは磁場に反射され、再び塔へと追い返される。すると塔もまたガンマ線を反射し返す。ガンマ線は塔と聖杯とを行き来する形で封じ込められた。
再び対消滅が引き起こされる。すでに発生していたガンマ線はそのままに、新たに発生したガンマ線が重ねられる。さらに対消滅、連続する。ガンマ線を無理矢理本数で表すなら、1本が10本に、10本が100本に、100本が1000、10000、100000へと加速度的に重ねられる。
その線密度たるや、分子密度に乏しい宇宙空間でさえスパークを生じさせ、塔と聖杯との間を光子が暴れ回る。それは急速な成長を見せ、瞬く間に強烈な光の対流が聖杯と塔の間にほとばしる。
レンズが同時に蠢いた。これまで塔へと返していたガンマ線を定まった同一方向へと打ち上げた。
杯から光があふれ出した。それは宇宙空間を膨大な光の帯として突き進む。発光する。希薄分子に衝突することで部分部分に光の爆発が見えた。従来不可視のガンマ線は爆発の周囲だけその姿を現し、引き裂かれた布を吹き流したように千切れ千切れの光柱と化して発射された。
ガンマ線はその透過率の高さで知られる。物質をすり抜け、その過程であらゆるものを焼き尽くす。
光は地球軍艦隊を刺し貫いた。それは葡萄の枝のようであった。細く伸びた光の枝。その周囲に無数の房が実る。光り、輝き、丸く実った光の房が無数にたわわに枝に実る。人の命を養分として。
強烈な衝撃がアーク・エンジェルを揺さぶる。クルーたちは各々の椅子にしがみつき戦艦を揺るがすほどの力の奔流が過ぎ去るをただ待ち続けていた。
やがて衝撃は終息する。戦場の空気そのものも吹き飛ばされてしまったかのように一時の静寂の中、混線あるいは断線した通信からのノイズが走りモニターは衝撃直前の映像を砕いて潰したような無意味な画像を映し続けていた。
最初に動き出したのは艦長であるナタルであった。
「モニター、回復急げ!」
何が起きたのかさえわかってはいない。戦闘中、突然何かが通り抜けたような感覚の後、立っていられないほどの衝撃に見回れた。クルーが全員座っていたのは幸いだ。
何かが起きたことだけは間違いない。
マユラ・ラバッツはコンソールを叩く指を止めることなく報告する。
「映像、出ます!」
モニターに何が映し出されたのか、当初誰もが理解していなかった。何もない宇宙空間。まだ映像の回復が完全ではないのかノイズがところどころに見えていた。だが、この映像が本来何を映し出していたのかに考えが及んだ時、誰もが理解した。
この映像は地球軍の艦隊を映し出していたはずなのだ。
あるはずのものがない。空を埋め尽くす、そうとさえ思えていた大艦隊が消失していた。ノイズに思えていたものは、溶かされたように全身を焼かれた戦艦の残骸、かろうじて形を残すストライクダガーの上半身、戦士たちの無数の亡骸であった。
「ひどい……」
ジュリ・ウー・ニェン。レーダー--ただでさえ混乱することの多い機器である--を担当するジュリは感度が回復するまでの間、モニターを眺め続けていた。それだけその惨状を目のあたりにしていたのだろう。その声は震えてさえいた。
「これがザフトの切り札か……」
まさに起死回生の一手であろう。正確な損害のほどはわからないが、仮に2度3度と照射できるのならば刃を交えることなく地球軍を殲滅できる。映像では杯を思わせる大型兵器を確認できた。みる限り、何か損傷しているようには思われない。
ではこれは何か。アサギ・コードウェルがすでに司令部と通信を繋いでいた。
「司令室より情報の開示がありました。あれはガンマ線の広域照射装置とのこと。名称はジェネシス!」
「地球軍の様子はどうなってる?」
ようやくレーダーが復旧したのか、ジュリから送られた情報がナタルの手元に表示される。
「完全に混乱しています。後続の部隊を中心に被害が出ています」
「つまり、前線の部隊は切り離されたということか」
モニターにはジェネシスの光が通り過ぎたであろう箇所から綺麗に敵影がなくなっていた。おそらく味方への誤射を避けるためにザフトは照射を後続の部隊に集中したのだろう。後続部隊は壊滅的な損害が発生し、艦隊の再編には時間を要することだろう。前線の部隊は孤立させられたことになる。現在のザフトの戦力でも十分に対抗できる程度の戦力しか前線には残されていない。
「確かに好機ではありますが……」
副艦長らしく、ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世の言葉はザフト軍として的を得たものであった。ここで前線部隊を撃破できれば後続部隊は攻撃の足場を失うことになる。事実上、ザフトはプランント防衛に成功する。
そして、ジェネシスは次はどこを狙うのだろうか。
「ジェネシスの有効射程の情報は?」
「ありません。ただ……、試算したところ、高確率で地球に届きます」
アサギの言葉にナタルは人目もはばからずうめいた。
あれほどの大型兵器だ。しかも隠匿する形で建造が続けられていたことになれば要する時間は決して短くはないだろう。5年か、10年か。戦争が始まる以前から、あるいは血のバレンタイン以前から準備が進められていたことにもなりかねない。
「プラントは最初から地球を狙っていたのか……?」
建国わずか40年にも満たない国が国史の2割をかけた大量破壊兵器。
ジェネシスはゆっくりと角度を変更しようとしていた。片隅に見えるスラスターの光が巨大な杯をゆっくりと突き動かしている。まだ撃つつもりなのだ。
ナタルは表情がこわばっていく様子を自覚していた。確かに国は捨てた。しかし地球を滅ぼすことにまで荷担する覚悟まで許した覚えはないのだ。
一瞬コクピットのすべてのモニターが飛んだ。すわ機能停止かと身構えたが、幸いGAT-X207SRネロブリッツガンダムはすぐに正常に戻る。パイロット・シートの上でディアッカ・エルスマンは一息ついていた。
上層部はともかくザフトでさえジェネシス--情報公開がなされたのはついさっきのことだ--のことは知らなかった。周囲では戦闘がやんでいた。
地球軍が体制の建て直しのためか小隊単位で集まろうとしている。ザフトはザフトで喜びの声をあげていた。中には祝砲代わりかアサルト・ライフルを無意味な方向へ撃ち続けている奴もいるほどだ。
GAT-X303AAロッソイージスガンダムが近寄ってくる。先程から通信の混線がひどいためか、イージスは手を伸ばしブリッツへと触れた。装甲の振動を利用した通信で、接触通信を試みるためだ。
「ディアッカさん」
カガリは勝手にどこかに行って、戦闘機乗りであるアーノルド・ノイマンとは歩調があわせにくい。2機のガンダムがそろった段階でディアッカの小隊は全員そろったことになる。キラ・ヤマトについては心配することもないだろう。
「大丈夫か、アイリス」
「私は平気です。でも……」
続きはいろいろ想像できる。さっきまで激戦のただ中にいたと思ったらいきなりこれだ。形勢は逆転。後続の部隊が吹き飛ばされただけで敵の数はずいぶんと少なくなったように見える。
「ジェネシスか。まさかこんなの隠してたなんてな」
「こんな兵器があるならどうして今まで使わなかったんでしょう……?」
「使えなかったんだろ。まだ完成してなかったか、じゃなきゃ機会をうかがってたか」
こんなものがあるならあのパトリック・ザラ議長殿ならためらわず使っていたことだろう。正直なところ、完成していなかったというのが正解な気がする。ではぎりぎりのところで都合よく間に合ったということだろうか。
「ジャスミンが戦わされた理由は、これだったのかもな……」
「どうしてですか?」
「ジャスミンたちの特攻でぎりぎりで間に合ったなら、ジェネシスの完成させるための時間稼ぎに使われたってことだろ」
傷病兵、障がい者を使い捨てた作戦で地球軍の進軍速度は確実に落ちた。決して長い時間ではないが一手分の時間稼ぎにはなったのだろう。なるほどジャスミン・ジュリエッタは英霊として祭ってもらえそうだ。
通信からは敵の壊滅にわく仲間たちの歓声が聞こえていた。思わず叩きつけるように通信を切る。これで聞こえてくるのは接触通信を媒介とするアイリスの声だけだ。
「じゃあ、エインセルさんたちが核を使ってまで進軍を急いだ理由もこれかもしれませんね」
ディアッカは思わず声を失った。
地球軍は焦っているように見えていた。無尽蔵ではない核ミサイルを惜しげもなく使っていた。アラスカ攻略失敗からたて続くジブラルタル、グラナダ、ボアズの陥落がわずか一月足らずの間に起きている。ヘリオポリスでのガンダム開発からでさえ半年に満たない。
もしもムルタ・アズラエルがジェネシスの存在に気づいていたとしたなら。ここ3年もの間停滞し続けていた戦況が一気に動き出したのはジェネシスの完成に間に合わせるためだとしたら。
「この戦争、俺たちの及びもつかないところで動いてたってことだな……」
「ディアッカさん。地球軍は壊滅状態。これで本当に戦争が終わると思いますか?」
「いいや、ムルタ・アズラエルにとっちゃ、これからが本番だろうさ」
地球軍はそれでも、背中を見せている奴なんてどこにもいないのだから。
「照射成功! 敵艦隊4割消滅。大勝利です!」
スタッフは大声を張り上げた。おそらく彼の一世一代の声であろう。無理もない。こうでも叫ばなければ歓声に沸き立つ司令室でパトリック・ザラにまで報告を届けることなどできなかったことだろ。
もっとも、地球軍の惨状などモニターにこれでもかと映し出されている。報告されるまでもないいことなのだが。
「戦いとはこうでなくてはな。いつまでも旧暦の遺物にすがりつくからこうなるのだ」
核など品のない兵器など必要ではないのだ。ジェネシスならばコーディネーターが一滴の血を流すこともなく敵を殲滅することを可能とする。
パトリック・ザラは立ち上がった。スタッフたちは興奮覚めやらぬようすながらも言葉を鎮め主へと向き直る。
「不遜の塔は神の雷によって突き崩された。なぜ我々は攻撃を受けねばならぬのか。それは我々が正しいからに他ならない。仮に我々が間違っているのだとすればナチュラルどもは我々を攻撃する必要などない。なぜなら過ちは自然と淘汰され批判に耐えることができないからだ。ところが我々は厳然と存在している。それは我々の正しさの証左なのだ」
パトリック・ザラ議長は一度息を吸い込み間を作る。人々の期待が高まることを待つ。この間合いの取り方をパトリックは得意としていた。
「ザフト全部隊へ通達。狐狩りを楽しめと伝えろ。ムルタ・アズラエルの首さえとれば戦いは終わる。人類の新たな歴史が始まる。このジェネシスこそが、コーディネーターの創世記となるのだ」
まるで弾けたようにスタッフたちは活動を再開する。早く仲間たちと勝利の余韻を味わいたく仕方がないのだろう。パトリックは彼らの興奮に任せ、自らは再び座ることにした。
10年にも及ぶ悲劇の連鎖はこれで終わる。血のバレンタインの代償を、ナチュラルどもはようやく支払うこととなる。
「レノア、ようやくすべてが終わる。累々と積まれたナチュラルどもの屍の山をお前への花と代えよう」
「ことはそう簡単なことでしょうか?」
穏やかな余韻を引き裂いた声は聞き覚えのあるものであった。小娘の甲高い声に、パトリックは苛立ちを隠すことなく椅子を回し後ろを向いた。どこから入ってきたのか、桃色の髪、青い双眸を持つヴァーリが立っていた。張り付いた微笑みが何とも気味が悪い。
「ナチュラルは所詮ブルー・コスモスに踊らされているにすぎん。ムルタ・アズラエルさえ死ねばおとなしく振り上げた拳を下ろす」
「私はそうは考えません。すでに地球では10億もの命が奪われました。7年もの間、雌伏の時を耐えた人々があっさりとその手を緩めることなどできましょうか?」
思わず鼻から息を吹く。鼻で笑うとはなるほど、こういうことを言うのだろう。この小娘は戦術というものを理解していないらしい。
「全戦力の4割を喪失したとなれば事実上全滅したにも等しい。すでに奴らは死に体だ。独裁者の末路などどこでも似たようなものだろう。虐げていた民衆に引きずり出され誅殺される」
もはや彼らの権力を支えていた武力は存在しないのだ。配下の裏切りにさらされるか、ザフトに追いつめられるのが先か、すでに時間の問題であると言えた。
聞けばムルタ・アズラエルは自ら戦場に出ているそうだ。圧倒的戦力に守られた安全な場所で狩りにでも興じているつもりだったのだろう。一転狩られる側に立たされた彼らは今頃慌てふためいていることだろう。
ザフトは喜びにわき、ナチュラルどもは恐れおののいている。平静なのは目の前の少女ばかりであった。
「ナチュラルが攻めてくるのは一部の悪意に扇動されているから。あなたは大変狭量なお方です。一つのものの見方に囚われそのことに気づいてさえおられない。お強いことでしょう、あなた様は。人が本来ならば迷い、足踏みをしてしまう岐路さえ、分かれ道になっていることに気づくこともなく突き進んでしまわれるのですから」
「何が言いたい?」
「馬鹿は賢者100人分の働きをする」
なるほど、こう言いたいのだろう。単純な馬鹿な行動力だけは達者だと。
少なくともこの小娘をここにおいておく道理はない。
「レイ・ユウキ。この人形風情をつまみ出せ」
命じられた男は、しかし動きだそうとはしなかった。
「つまみ出せと言っている!」
「私は元々クライン家の人間です。あなたのそばにいたのはヴァーリの情報を操作するために派遣されていただけにすぎません」
「何を言っている?」
レイ・ユウキという男は冗談を言うような男ではない。そしてパトリック自身、突きつけられた銃を笑ってすませられる性分ではない。レイは普段見せる冷静な表情のまま、拳銃をパトリックへと向けていた。少女の背後からライフルを下げた一団が次々となだれ込んでは司令室各所へと散っていく。座ったまま、パトリックは制圧の様子をただ眺めていることしかできなかった。
少女は何事もないかのように微笑んだままだ。
「まずは感謝を伝えたい。ありがとう、パトリック」
少女の声でしかし伝えられた内容はあの男のものだ。ヴァーリたちの父であるシーゲル・クライン。
「君は私のことをよく思っていなかったようだ。しかし私は君のことを最良の友人だと思っているよ。考えたことはないかね? プラントはまだまだ弱小だ。どんなに頑張ったところでやはり地球軍には押し返されてしまうよ。それは仕方がない。では、その責任は誰がとればいいのだろうね? 戦争を始めた私かな? それとも議長の椅子についた途端負け続ける君かな?」
「貴様!」
立ち上がろうとすると、レイが拳銃を強調して手を動かす。金属の震える音とともに、パトリックは立ち上がることさえ許されなかった。パトリックだけではない。スタッフたちの周囲でもライフルを装備した兵隊どもが睨みをきかせている。
「議長の椅子は重い。私はそうは言わなかったかな? なのに君は進んで私のスケープ・ゴートを引き受けてくれた。感謝してもしたりない。この戦いはまだまだ続く。たとえジェネシスで地球を焼き払うことができたとしてもね。いや、戦いなど所詮手段にすぎない。クライン家1000年の夢を実現へと近づけるためのね。そのためにもプラントという国はまだまだ必要だ。そこでこうしよう。まず君に議長の席を譲る。そしてどうしても回避することができない悪いところをすべて君にかぶってもらおう。するとどうかな? プラントの民は君が悪かったと思いこむだろう。そして地球軍を追い払った手柄をクライン派のものにしてしまうんだよ。プラント国内のクライン派の政権はこれで盤石になる。そうは思わないかね?」
出来の悪いレコーダーのように、少女は淡々と続けている。おそらく一言一句誤りなどないのだろう。
司令室を瞬く間に制圧した手並みなど見るに、相当の深度までダブル・エージェントの存在を許していることは確かであった。何とも下らん道化を演じさせられたようだ。
思わず力のこもる拳。レイはパトリックの一挙手一投足を見逃すことなく銃口がパトリックの動きにあわせて小刻みに動いた。
「そのためには、君には死んでもらわなければならない。君は敗戦の責任をとるために奮戦し戦死。クライン派によって逆転はなされた。こんな筋書きでどうかな?」
「ジェネシスのコントロール利きません!」
「敵部隊ヤキン・ドゥーエ内に侵入! 敵の勢い止まりません!」
すべて計算されていたのだろう。まさかここまでの組織力をクライン派が見せるとは計算外であった。ロゴスはパトリック・ザラという男を認めようとはしなかったのだ。
ジェネシスは奪われ、処刑人としてナチュラルどもが招致されたらしい。敵機の侵入を告げる警報音とともに鈍い衝撃が要塞を揺らしていた。
「敵に塩を送るとはな」
「塩? いいえ。これは地球の方々の努力の賜物です。当然ではないでしょうか。今から、地球の人々こそが守る側へと変わったのですから」
すぐそばにまで敵が迫っている。小娘には恐ろしいことであるはずだ。しかしこの娘は微笑み以外の表情を見せることはない。その意味において不気味なほど無表情に思えた。背筋に悪寒を感じた理由の一つにはまさに人形でしかないこの娘の顔が挙げられる。
そしてもう一つ。地球を守る。さりげなく語られた言葉にこそ、クライン派の悪意は潜んでいた。
「貴様等は、地球を狙うつもりか?」
「何を今更驚かれるのでしょう? ニュートロン・ジャマーの降下には進んで賛成したと申したではありませんか?」
「地球にはまだザフトが残っているのだぞ!」
「エイプリルフール・クライシスの犠牲者がまさかナチュラルだけとお考えですか?」
少女は拳銃を取り出す。小娘が護身用に持ち歩くような小口径のものではない。身の丈にあった範囲で最大限の殺傷力を確保するためのしっかりとした大きさのものである。
「パトリック。ありがとう、そしてさようなら。おさらばです、お義父様」
銃声が鳴り止んだ。
無重力の中、血は丸い水滴となって周囲を漂う。赤い水滴が何かに触れると表面張力を失うように染み込んで、染み込んで赤い染みをつける。たとえば砕けたモニターに、あるいは漂う人に、赤い染みをつけていた。
銃を持つ兵士たち。屍と化したザラ派の兵士たち。しかしここに総大将であるパトリック・ザラの姿はない。その代わりとして、Gの名を与えられたヴァーリが、頬を血の朱で染めながら睥睨していた。砕けたモニターがそれでも映す戦場の様子を、今なお戦う人々の姿を、無重力に浮かぶ死体を通して。
「私はガーベラ・ゴルフ」
ここでは初めて少女は名乗った。もはや誰も聞いてはいない。死体と化した人々と、任務を追えた兵の姿しかないのである。
「私はラクス・クライン」
かつてプラントの歌姫と呼ばれた少女はその魅力の一切を放棄することなく死の光景を見つめ、微笑み続けていた。