グラナダからの援軍が到着したのは地球を脱出したシャトルが撃沈されてまもなくのこと。あるいは到着が見込まれたからこそ、地球軍はシャトルを撃墜したのか。少なくとも判明していることは、仲間を皆殺しにされながら帰る場所には事欠かなかったということだ。格納庫の中、イザーク・ジュールは乗機であるZGMF-X09Aジャスティスガンダムのコクピットから出るなりヘルメットを脱いだ。戦闘後は整備の音でうるさいことが常だが、今回ばかりは静かなものだ。それだけ帰還できた機体が少なかったことを意味している。
ジャスティスの隣にはZGMF-X10Aフリーダムガンダム。この青い機体の脇にまで延ばされた通路に担架が寄せられ、ジャスミン・ジュリエッタが乗せられて行った。ジャスミンを救い出したアスラン・ザラは運ばれた担架につきそうように歩き出す。
ついて行く必要はない。ジャスミンとはそこまでの面識はなく、またイザークにしても仲間を失っている。無理に踏み込む必要はない。
「これがガンダムか」
見上げると、白いノーマル・スーツ--隊長であることを意味している--を着た女が漂いながらジャスティスの上にやってくる最中だった。ちょうどコクピットのある胸部、開かれたハッチの縁に立つイザークの側だ。
「私はミルラ・マイク。ZGMF-600ゲイツのパイロットだ」
ゲイツという聞き慣れない名前は新型のことだろう。 ZGMF-1017ジンよりもより洗練されたシルエットをもつその機体は、格納庫の反対側にあった。女は着地するなりヘルメットを脱ぎ始める。まだ名乗っていないことを思い出す。
「お前には助けられた。礼を言う。イザーク・ジュールだ。あちらのパイロットは……」
「アスランのことならあいつがまだ4本足の頃から知っている」
ヘルメットが脱がれると、緑の黒髪が流れた。パイロットにしてはずいぶんと長髪だ。シホ・ハーネンフースもそうだったが、髪を大切にする女であるらしい。この髪に気をとられ、気付くことが遅れた。この女に会ったことはないが顔は知っている。
「ミルラだったな。お前とよく似た顔を俺は少なくとも2人知っている。ラクス・クライン。それにサイサリス・パパだ」
「当然だ。私もヴァーリだからな。私はミルラ・マイク。Mのヴァーリにして、残念ながらフリークだ」
ミルラと名乗った女は意味のわからない単語を数珠繋ぎにしたまま、イザークへと握手の手を差し出した。
アメノミハシラ。オーブ首長国が軌道エレベーターの台座として建設を行っていた宇宙ステーションである。戦争が開始したことで建造は中断され、未完成のまま衛星軌道上を漂っている。地上ではオーブ本島をほぼ制圧した大西洋連邦軍だが、この遙か空の彼方にまで触手を届かせてはいない。
ここは平穏であって、明かりが普段から落とされている展望室からは空の星が地球より3万5千km分だけ近くに見えていた。この場所にオーブは慰霊碑を建立する計画を立っていた。開けた展望室の中央ではすでに工事が始められていて、規則正しい音が響いていた。
鹿威しというものがあるそうだ。それとどこか似ていて、静寂の中の雑音はそれでも決して耳障りなものではなかった。少なくとも、キラ・ヤマトが同じ長椅子に腰掛ける姉と話をする分には何も問題ないほどに。
「怪我の方は?」
「大したことはない。だがキラ、お前はエインセル・ハンターとは戦わなかったそうだな?」
額に包帯を巻き、頬に絆創膏を張り付けている。それでもカガリ・ユラ・アスハは剛毅に椅子の背もたれに両腕を預けてよりかかっていた。自身はエインセル・ハンターとの戦いで文字通り手も足もでない状況にされたというのに、キラのことを睨みつける眼光の鋭さは普段通りのままだ。
オーブが大西洋連邦軍の侵攻を受けた際、オノゴロ島上空で、キラは確かにエインセル・ハンターと対峙した。
「あの状況で勝てたとしても逃げ遅れたら意味がないからね。僕の目的はゼフィランサスを救うことじゃなくて救ったゼフィランサスと添い遂げることだから」
「お前よりも強欲で身勝手な奴なんていくらでもいるとは思うんだが、それでもお前ほどエゴイストという言葉が似合う男はいないように思えるのは何故だ?」
キラが笑っていると、カガリは冷めた眼差しを向けてくるばかりである。
「ところで、カガリ。君は大丈夫かい?」
「だから傷は……」
「ウズミ・ナラ・アスハ氏、君のお父上が亡くなられたことだよ」
オーブに、プラントが仕掛けた爆弾はモルゲンレーテ本社、及びマスドライバーを完全に破壊した。その際、オーブのかつての代表であるウズミ・ナラ・アスハもまた命を落とした。
養父の死に、カガリは息を詰まらせたように目を見開き、そして息を吹いた。
「お前にそんな気遣いができるとはな」
「ウズミ氏とはどこで?」
「ユニウス・セブンを脱出した直後だ。当時、お父様は奥方をなくされたばかりでな。私とエピメディウムを養子にされたんだ。本当はデンドロビウムもいたんだが、あいつはとっととプラントに戻った。最初はドミナントとヴァーリのサンプルが欲しいだけかと警戒していたんだが、あの人はいい父親だった。正直、応えてる……」
目の前には白衣を着た女医。黒髪のおかっぱに、目は悪くないはずだが眼鏡をかけてタイト・スカートに包まれた足を組んで座っている。明らかに誤った女医のイメージを、おもしろ半分に実践しているのだろう。もっとも、まだ二十歳にも満たない少女の仕草にはまだまだ色香というものが足りていない。ムウ・ラ・フラガは苦笑したい気持ちを抑えながら、女医の前で患者よろしく座っていた。
女医--ニーレンベルギア・ノベンバー--はもう飽きたのか、眼鏡をそばの机に置きながら話を続けていた。
「プラントでは、潜在コーディネーターとも言うべき人々が人口の4割を突破したとされる研究も、非公式ながら存在しています」
「まあ、当然だな。遺伝子調整には金がかかる。誰もが子どもをコーディネーターにできる訳がないしな。コーディネーターは単に新たな遺伝子を投入したって訳でもない。結局のところ本来人が持っている遺伝子を取捨選択したってだけだ。新しい種でもないからな」
人間と人間を掛け合わせても人間しか生まれない。コーディネーターというのは人類の新種ではなく、単に遺伝子を操作された人のことを指す。コーディネーターの子どもも遺伝子操作されていなければナチュラルだということになる。
ニーレンベルギア、研究のためにはアフリカの砂漠にモビル・スーツ部隊引き連れて乗り込むほど行動的なヴァーリは非常に明瞭な話し方をする。
「それに加えてプラントは極端な能力主義です。能力のある人間は徹底して優遇され、破格の給与を与えられますが、反対にそうでないと冷遇されてしまいます。そしてコーディネーターは平均して能力的に優れている。するとコーディネーターはお金をもらえて、子どもをコーディネーターにすることでさらに子どもも能力を持つようになります」
「貧富の格差がそのまま能力格差につながり、さらに格差を拡大していく。プラントは地球のどの国よりもジニ係数が高いなんて話も言われてるな」
「ところが、プラントは人的資源の観点からは弱小もいいところです。2000万を越えることがせいぜい。地球との人口は300倍もの開きがあります。この中のコーディネーターとなるとさらに1000万ちょっと。プラント政府は潜在ナチュラルの存在をひた隠しにしています」
「コーディネーターの国にナチュラルが数を増やしていると公にすることはできないだろうからな。おまけに、コーディネーターが富を独占している形でナチュラルから搾取しているとはとてもな」
ムウがニーレンベルギアに会う機会はこれまで決して多くはなかった。ニーレンベルギアはヴァーリであり、お父様であるシーゲル・クラインに絶対の忠誠を誓うダムゼルの1人でもある。そんな女医がプラントの内情を暴露する様子には、違和感を禁じ得ない。
ムウの指摘や分析にも、このダムゼルは微笑みながら応じている。
「ブルー・コスモスの見解にはお答えできませんが、プラントには国内のナチュラルを戦力として軽んじることのできない戦力的な事情があります。ところが、4年前のザフト軍の快進撃はザフト軍内部にナチュラルへの蔑視を助長してしまいました。ナチュラルの兵は愚鈍であって、コーディネーターこそが優秀であると。そのため、ナチュラルを戦力として数えない風潮ができあがってしまったのです。それを憂うお父様は私に命じられました。ナチュラルの強化計画を」
「それがブーステッドマンだな。ニーレンベルギア、お前がプラントから出てまで研究を続けている理由、だろ」
「はい。潜在ナチュラルの存在さえ認めていない国内でナチュラルの研究なんてとんでもない。しかし、ザフト軍がナチュラルを使うためにはそれなりの説得力が必要です。たとえば、ナチュラルの肉体を強化して十分に実戦に耐えられるようにしましたとか」
ニーレンベルギアは机の上のモニターを回し、ムウの方へと見せた。そこには大勢の顔写真が表示されているだけだが、まさに老若男女、雑多な人々の顔が映し出されている。彼らがすべてブーステッドマンと呼ばれる、肉体を強化した人々である。
その中に、巻かれた包帯で顔面を隠した少年と、ニーレンベリギアと同じ顔をした赤い髪の少女も含まれている。カズイ、そしてロベリアである。どちらもガンダムのパイロットを任せられている。アフリカの砂漠での戦いに参加したそうだが、ムウが記憶しているのはジブラルタル基地襲撃の時のことだ。
ムウがモニターを眺めている間、ニーレンベルギアはムウの目をのぞき込んでいた。
「歯に衣着せず言わせていただけるのでしたら、私は驚いています。遺伝子調整のように遺伝子操作、肉体改造に寛容なプラントとは比べるべくもなく人体実験には厳しい地球の国々でこのような研究を認めていただけるとは考えていませんでしたから」
国によっては未だに遺伝子組み替え食品を禁じている場所もあるほどだ。そんな国が食物は駄目でも人体を作り替えることなら構わないとはならないだろう。大西洋連邦は遺伝子技術の最先端を走ってきた歴史からも比較的寛容とは言われているが、それでさえコーディネーターの作成は禁止されている。ニーレンベルギアの印象は決して間違ったものではない。
「元々再生治療の応用だからな。医療研究ってことで通してる。それにラタトスクは軍需産業だ。兵器開発の一貫とでもしとかないと株主が納得しない。これでも臨床試験には結構な額を使わされたが、一応のルールは守ってるんでな」
カズイのような例外はあるが、被験者は必ず事前承諾をとらせるようにしている。インフォームド・コンセントが人体実験の免罪符になるとは思わないが、歯止めは必要だということだ。ブーステッドマンの多くは傷病兵であって、効果が未知数の新技術であっても賭けてみたいと志願した者が大半であるそうだ。多くは肉体を取り戻し、兵士として戦場に戻っている。これがいいことなのか判断は難しいところだ。
ムウは意識して視線を鋭くした。
「だがそれも副作用が出るまでの話だ。ブーステッドマンたちは強化箇所によってばらつきはあるそうだが、副作用が散見されているらしいな。たとえば、ロベリア・リマ。意識障害が生じているようだ」
「ロベリアは元々両腕がありませんでした。治療の過程で両腕とともに未発達であった神経を増強した結果だと考えられます」
「こんなことを聞くのはルール違反とは思うが、妹を実験台に使うのはどんな気分だ?」
「ニュルンベルクを持ち出すまでもなく、なるべく考えないことにしてます」
ニーレンベルギアは穏やかに笑う。普段からあまり怒り出すような人物ではないとは聞いているが、起伏のない感情はある種のストレス対処法であるのかもしれない。
(人それぞれってことか……)
「俺たちも人のこと言えた義理じゃないな。ニーレンベルギア、基本的に研究は認めるつもりだが、副作用如何によっては人権委員会を説得できなくなる。そのことは覚えておいてくれ」
話の切りもいい。時間もそろそろだろう。ムウは立ち上がり部屋を後にしようとする。
「フラガ様」
「ムウでいい」
「ではムウ様」
本当は様も抜きでいいのだが、人それぞれと言うことだ。ここは様付けくらい認めるべきだろう。
「何故、プラントの、コーディネーターの根絶を標榜するあなた方が私のようなヴァーリに力を貸してくれるのでしょう?」
少々ため息をつきたい気分になった。ブルー・コスモスはどうしても勘違いされることが多いが、一度たりともコーディネーターの抹殺をもくろんだことはない。
「それは目的と手段を取り違えてる。俺たちがコーディネーターを何人殺したって、コーディネーターを作り出す奴がいなくなれなければ何も解決しない。反対に、1人のコーディネーターを殺さなくても、コーディネーターを作ることさえやめさせることができれば俺たちの目的は達成される。俺たちがコーディネーターを事実上殺しているのは、コーディネーターを作り出すプラントがコーディネーターの国でコーディネーターの兵士がいるからだ。俺たちはコーディネーターが憎いんじゃない。コーディネーターを作り出す奴が許せないだけだ」
だが、現実はなかなかうまくいかないものだ。ムウは苦笑を交えて笑うしかなかった。
「もっとも、コーディネーターの支持者は大概、コーディネーターなんだがな」
結局コーディネーターを作る人をなくすということはコーディネーターを殺すことを有効な手段として選択しなければならない状況にある。
「ムウ様。もう一つ質問してもよろしいでしょうか?」
ムウは頷いた。
「エインセル様はヒメノカリスやゼフィランサスみたいにどうして私にドレスを送ってくださらないのでしょう?」
ドレスというと、フリルやらふんだんに使って人形に着せるような奴のことだろう。
「……着てみたいのか?」
エインセルには他意なんてないことだろう。ヒメノカリスは愛しい娘で、ゼフィランサスは妹のように思っている。そんな近しい人に服を贈ったくらいの感覚で、美少女と見れば誰彼構わずドレスを着せるような嗜好の持ち主とは、一応聞いていない。
「ちょっと興味があります。私も女の子ですもの」
「ちょうどこれから会う約束がある。聞いておいてやる」
ロベリアがその両手を使い、カズイと呼ばれる少年の頭に巻かれた包帯を締め直している。ラウ・ル・クルーゼは背もたれのない長椅子に腰掛けながら何の気なしにその様子を眺めていた。
「カズイか……。この名前は、この少年が唯一覚えていた名前だと聞いたが?」
「はい。宇宙に瀕死の重傷で漂っているところを発見されて、もうほとんど手遅れだったそうです。それをニーレンベルギアお姉さまが治療を施したって聞いてます」
答えてくれたのはロベリアの方だ。カズイは惚けたように視線を泳がせているばかりで心ここにあらずといった様子だ。
「記憶は戻らないか?」
「記憶? 記憶って何……?」
この有様である。心が完全に子どものようで受け答えも満足にできていない。包帯を巻き終えたロベリアは改めてラウの方へと向き直る。この赤い髪を短くかりそろえたヴァーリを話し相手と、ラウは定めることとした。
「ロベリア、ニーレンベルギアの報告書を読ませてもらったのだが、意識障害が現れるそうだな」
純朴な印象のヴァーリはわかりやすく体を固くする。
「決して長くはない時間のようだが、戦闘中に起きようものなら命取りになりかねない。私は君をパイロットから降ろすことも考えているのだがね」
「お、お願いします! 戦わせてください。ガンダムじゃなくてもいいんです。何でもします! お願いです!」
勢いよく頭を下げると、今度はなかなか顔をあげようとしない。
「ジャスミン・ジュリエッタのためかね?」
顔こそあげてはくれなかったが、全身の筋肉が緊張した様子が見て取れルウ。やはりこの娘はわかりやすい。
「話したくないなら無理に話す必要はないが、一つ、昔話を聞いてもらえるだろうか?」
こちらの顔色をうかがうように顔をおずおずとあげるロベリア。仮面をつけた顔からどれほどのことが読みとれるのかは疑問だが、ロベリアはなんとか元の体勢を取り戻す。では、話を始めることとしよう。
「ある男の話だ。アル・ダ・フラガ。アズラエル家の入り婿であったこの男はコンプレックスの強い男だった。そのため、人一倍の努力を惜しまなかった。高い能力と実績をアズラエル家の息女に見初められ、2人は結ばれた。ここまでなら劣等感を糧に邁進した男のサクセス・ストーリーで終わったことだろう。だが、男は狭量な男だった。妻との間に子をもうけようとも、人を愛するということができなかった。そのため、男は途方もない手段に打って出ることとした。自らのクローンを作りだし、その当時最高の技術で遺伝子調整を施させた。今ドミナントと呼ばれている技術、その先駆けとも言える存在が誕生した」
ドミナントという言葉にもカズイはもとよりロベリアもさしたる反応は見せない。体を緊張で強ばらせて反応できないだけかもしれないが。
「実験は幾多の失敗を繰り返しながらも2体の成功作を誕生させることに成功した。男は喜び、2人をアズラエル家の子息として、自らの養子とした。ドミナントである2人は男の息子とすぐに打ち解け、兄弟でありながら友であり、その子息の名、ムルタ・アズラエルを共有するほどの友情を築いた」
「だが、ここで一つの問題が発生した。その内の1人に遺伝子上の欠陥が見つかった。テロメアが極端に短い。細胞の劣化が激しいという問題がな」
外見でそうと判断することは難しいが、一つだけ、老化の激しい部位が失敗作には現れた。ラウは仮面を外す。すると見えるはずだ。親子であるムウ・ラ。フラガと、クローンであるエインセル・ハンターと似た印象を与える顔、その左目の周囲に刻まれたような深い皺があることを。
「男は出来損ないを処分しようとした。その矢先のことだ。屋敷が火災に見舞われ、男は死んだ。残された3人の兄弟は遺伝子を操作することの恐ろしさと矛盾に気がついた。勝手に作り替えられ、勝手に失敗作だと処分されてしまうのだからな。その後、彼らは様々な無茶をした。ブルー・コスモスの過激派に加わり遺伝子操作を行う実験施設を襲撃したりもした。デモ行進で警察のご厄介になったことは一度や二度ではなかった。傭兵紛いのことをして死にかけたことも数えきれん。そして兄弟たちは今、プラントを滅ぼそうとしている」
アズラエル家の子息の名であるムルタ・アズラエルと名乗り、ブルー・コスモスの代表として。
いつの間にやらこの部屋で物音を聞くことがなくなっていた。ロベリアに聞かせようとした話だが、他の誰に聞かれたとしてもかまわない話だ。声を潜めるなどしていなかった。すると周囲で休んでいたはずのブーステッドマンたちの視線がラウへと集められていた。
そんな時だ。静寂の中、あくびをする鈍い音が響いた。カズイだ。
「こら、カズイ!」
ロベリアがたしなめるもカズイはどこ吹く風だ。少々長話がすぎただろうか。取り付けた仮面に、ラウは苦笑を隠す。
「退屈な話だろう」
命のあり方、人が人として生きるということの価値を考えたことのない者にとっては。
「では、ロベリア。仮にドミナントの失敗作が君の処遇を決める立場にあるとすれば、彼は君をどのように扱うだろうか?」
しばしの長考。ロベリアはうつむいて、そしてあげられた瞳はラウを正面から見据えていた。
「きっと、わかってもらえると思います……。自分じゃ変えることができないことを勝手に押しつけられて見下されることの悔しさが……」
やはりヴァーリとは素晴らしい。このような娘から戦う術を奪うほど悪趣味にはなれそうにない。
「君たちの部隊は私が預かろう。私の下で戦うこと。それが条件だ」
「あ、ありがとうございます!」
立ち上がり歩き去るラウに対して、ロベリアは長く長く頭を下げ続けた。
「お父様」
甘えた声で、娘がエインセル・ハンターの膝に乗り体をしなだれかけている。ヒメノカリス・ホテルは身につけた白いドレス--エインセルが与えたものだ--、その桃色の髪でエインセルの体を覆い隠すほどその身を預けていた。
エインセルは片腕で娘を抱き留めながら、残された手は本を開いている。こうして娘を抱きながら読書に勤しむ。エインセル・ハンターにとってごくありふれた光景であった。この愛娘との触れ合いを阻害されたことを、しかしエインセルは不快に思うことはない。
メリオル・ピスティス。愛しい妻の声が聞こえた。
「ヒメノカリス、ここで何をしてるのですか? あなたには、機体の定期点検があったはずです」
部屋の中央に置かれた円卓。決して大きなものではなくともエインセルの座る椅子は備え付けられた三脚のうちの一脚。椅子は円卓へと向けているため、妻の声は体の向きからすれば横から聞こえている。
「そんなの後でする」
ヒメノカリスの声は、先程エインセルに囁きかけたとは似ても似つかない不機嫌なものであった。スーツ姿。普段から愛用しているめがねの奥でメリオルは厳しい眼差しを娘であるヒメノカリスに向けている。
「今なさい!」
メリオルとヒメノカリス。妻子が睨みあう様に、エインセルは本を閉じた。
「メリオル、戦闘は直ちには予定されていません。特に急ぐことでは……」
メリオルの必死の眼差しは、エインセルの声をとぎれさせるに十分であった。
「ヒメノカリス、今日のところは折れていただけませんか?」
不満。納得してない。そんな感情を顔に張り付けたまま、しかしヒメノカリスは渋々とエインセルから降りる。父から引き離す原因を作ったメリオルのことを睨みながら--メリオルもまた睨み返している--部屋を後にした。
扉の閉まる音。メリオルはさらに目を向けてヒメノカリスがいなくなったことを確認してからようやく本題に入ろうとエインセルを見る。
「エインセル様、あなたはヒメノカリスを甘やかしすぎます。あなた様は二つの財団の総帥にして、ブルー・コスモスの代表です。ご自覚ください」
「私があなたと出会ったのは、すでに20年も以前のお話です。父であるアル・ダ・フラガを火災で失い、支援の手をさしのべてくださったお義父上に連れられたことが始まりでした」
当時のピスティス財団の代表を務めていたエインセルの義父に手を引かれた少女の姿を思い浮かべる。あの時はまだ眼鏡をかけてはいなかった。エインセルたち3人の兄弟を前に萎縮した様子で父の手を離そうとしなかったことを覚えている。
「はい。昨日のことのように思い浮かべることができます」
「私にとってのあなたは、より大きな力を得るための手段でしかなかったのかもしれません。私はよい恋人ではありませんでした。コーディネーター排斥運動に私財を投じ、時に研究施設破壊の手引きさえしました。あなたをおいて危険な行動をしたことも指折り数えれば疲れてしまうことでしょう」
「ゲリラとの武器の密売。テロリスト養成所に潜り込んで銃器の扱いを学ぶ。コーディネーター推進派の大臣を誘拐し特殊部隊と一戦交えたとも聞いています」
「あの時肩を貫通した傷はまだ残っています。あなたには、見せるまでもないことでしょう」
そう、シャツの胸元に片手をかけて開いてみせる。互いに知らないほくろの位置などない間柄にも関わらず、メリオルはまだ恋を知らない乙女のように顔を赤らめ視線をそらす。
「お戯れを」
妻はずいぶんとかわいらしい。このような女性をおいてまで、10年も前、若かった自分は無謀な行動を切り返していた。ムウとラウ。2人の兄弟とともに。
「そんな私たち3人がブルー・コスモスの過激派と接触するのは時間の問題でした。それまでは金を持て余す御曹司の危険すぎるお遊びでしかなかったことが、私たちが真に戦うべき存在に気づかされたのです。それはプラント。ヴァーリ、そしてドミナントの研究を続けているプラントという国の存在でした。私たちは怒りに震えました。かの国は、なおもこのようなことに手を染め、そして省みることさえない。何度でもより最悪の形で過ちを繰り返そうとしているのだと気づかされたからです」
だからこそ血のバレンタイン事件は引き起こされた。
「ゼフィランサスという手段を得て、ヒメノカリスという力を得て、プラントを滅ぼすという目的を得た私たちはこの10年を準備に費やしました。ラタトスクを作り、ブルー・コスモスの指導者の地位を得るとともに政治的な影響力拡大に邁進しました。そして始めたのです。誰もが望まぬ戦争を」
「私は、あなた様の助けになればそれこそが喜びです」
「ありがとう、メリオル」
そして時間が訪れる。ノックの音。そしてスライド式の扉が開かれる。円卓が用意された部屋へとムウが、そしてラウが訪れた。20年前、3人ですべてを始めた。故に、すべては3人で終わらせなければならない。
世界の帰趨を決するだけの力を持つ男たちの集まりである。その会話の内容は、たやすく危険と秘密をはらむ。円卓を囲みながら。
ムウは屈託のない微笑みを絶やすことはない。どれほど鋭い刃も装飾の施された鞘に納められていれば芸術品と判断される。
ラウは仮面を外すことはない。瓶のラベルを剥がしとる。猛毒を、どのように隠そうとその恐ろしさは変わることはない。
エインセルは穏やかに微笑む。悪魔とは、得てして紳士的である。契約を結び、その魂を奪い取るまでは。
まず言葉を操るはラウ。
「エインセル、事後承諾の形で悪いのだが、ブーステッドマンを私に預からせてもらいたい。かまわないだろう?」
「もちろんです、ラウ」
「となると俺はどうする? 例の部隊のこともある」
「ムウには先駆隊を結成し、露払いをお願いしたいのです」
「まったく、厄介事押しつけやがって」
二言、三言。これだけのことで歴史は変えられていく。
ムウは決して気を張らず、大軍を動かす算段を巡らせる。
ラウは仮面に笑みを隠して、軍団を一つ手中に納めた。
エインセルは誰よりも穏やかな表情を浮かべたまま、しかし彼は万軍の統帥権を握っている。
「では、今後の作戦は如何するかね、エインセル・ハンター代表?」
「プラントを守るは、グラナダ、そしてボアズ」
エインセルの細く長い指先が円卓をなぞり、月面、そして地球。両者の重力が拮抗するラグランジュ・ポイントが描き出される。月面、及び月からプラントの存在するラグランジュ・ポイントへの直線上、この2点に光点が表示されている。
そして、各宙域から集結しつつある艦隊が略式記号で示されている。
ムウは指先で描く。地球軍の艦隊をボアズへと向かわせる。そして、ボアズからの攻撃。グラナダからの部隊が地球軍を挟む様子を。
「グラナダを無視してボアズに向かうと挟み撃ちにされる危険性がある。何より、月面に中継基地を維持するためには目の上の瘤だ」
ラウはさらに艦隊をすすめ、それはボアズを抜けプラント本国にまで達した。
「だが我々には何より時間がない。グラナダを攻めていては致命傷になりかねん。一刻も早くプラント本国にまで攻め上る必要がある」
両者の意見を勘案し、エインセルは三者が当然のように抱いていたであろう戦略、それを敢えて口にする。
「故に我々は、グラナダを落とす。レコンキスタ。領土奪還のための戦いは、やはりグラナダで終わりを迎えなければなりません」
図は書き換えられた。地球軍の艦隊が、まずはグラナダへと向けられている。
無重力の中、アーノルド・ノイマンは飛び上がるなり、戦闘機の上に降り立った。通常の戦闘機に比べれば大型の機体ではあるが、当然のように上を人が歩くようには設計されていない。アーノルドの他、少女2人が立てばそれだけで手狭に思えるほどだ。
少女の1人、緑の髪を三つ編みに束ねたエピメディウム・エコーは翼の上にまで歩いて移動していた。右腕は包帯で吊されている。重傷を負っているにしては屈託のない話し方をしている様子が印象的であった。
「コスモグラスパー。メビウスの次世代機として開発が続けられた機体です。もっとも、モビル・スーツがメインになるとわかって以来開発予算を削られて、まだ量産が始まったばかりの機体です。おそらくこの戦争には間に合わない、そんなかわいそうな機体です。基本的にスカイグラスパーの宇宙版みたいなものですから、アーノルドさんならきっとすぐに乗りこなせますよ」
「感謝します」
「いいですよ、これくらい」
塗装の施されていない灰色の装甲。スカイグラスパーと大きく設計が変えられたようには見えないが、機体のところどころに補助ブースターが取り付けられていた。大気の抵抗を借りられない。そんな宇宙戦闘機としての特徴が現れていた。
「ねえ、アーノルドさん、これ色ついてないみたいだけど、何色にするの?」
肩の乗るもう1人の少女、フレイ・アルスターだ。この少女とは操舵について教える立場にあることから何かと接触の機会が多い。
「特に考えていない。有視界戦闘では視認性の関係上、黒が妥当だと思える」
「黄金などどうだ?」
上から声がした。こちらもやはり少女が無重力の中をゆっくりと漂い、装甲の上に着地する。カガリ。そう呼ばれていた--正式に自己紹介されたことはない--少女はエピメディウム同様ウズミ・ナラ・アスハ氏の息女であると聞かされている。そうであればこの2人の関係は姉妹にあたるはずだが、エピメディウムはそんな様子を見せない。
黄金という平気らしからぬ色合いに苦言を呈したのはフレイの方だ。
「金ピカ~?」
「目立つことこの上ない。よほどの勇者か、でなければよほどの馬鹿者でなければできん色だ」
金色に思うところがあるのだろう。カガリ嬢は明らかに言葉に含みをもたせた。
「色はともかくとして、いいタイミングだよ、カガリ」
「というと?」
「君にも見せておきたいものがあるんだ。じゃ~ん」
そう、エピメディウムは手元でリモコンを操作する。今気づいたのだが、格納庫の一角が布で覆われておりボタンを押す音とともに布が左右に取り払われた。
姿を見せたのはGAT-X105ストライクガンダム。ただし色が異なる。ストライクは白を貴重としたものであったが、こちらは赤を主体としたものにまとめられている。そして何より、バック・パックが異常であった。水平翼はともかくとして、大口径のキャノン砲が左右の肩越しに2門伸びている。脇の下に見えるのは鞘に納められた剣。左腕のガトリング砲に加えビーム・ライフルまで装備されている。
「ストライクガンダムを予備パーツやらオーブ製の部品で完成させたんだ。どうかな。バック・パックは通称I.W.S.Pって言う複合装備で、乗せられ得るだけ乗せたって印象だけどカガリの希望にはできる限りそったつもりだよ」
「歩く武器庫じゃないの……」
フレイの言葉に、アーノルドは静かに頷いた。換装することで無駄な武装をなくし汎用性を高めようとしたストライクガンダムとは正反対の設計思想である。これでは機体のバランスさえ崩してしまいかねないのではないだろうか。
とうのカガリ嬢は満足げなのだが。
「完璧だな、エピメディウム」
同時に腕組みし、何かを憂慮しているようでもある。
「もっとも、これでエインセル・ハンターに勝てる保証はないがな……」
「黄金のガンダムだね」
「ああ、異常な奴だったよ。ひどく非現実的で、それなのにそれが恐ろしいものだとはわかる。悪魔の実在を信じていようと信じまいと、誰もがその恐ろしさを知っているようにな。まるで、魔王のような奴だった」
あの黄金のガンダムの力は。
「アスランさん、シャトルは?」
医務室のベッドの上、ゆっくりと目を覚ましたジャスミンの横でアスランは座っていた。どうしても上体を起こしている気にはなれず、うなだれたように体を縮こまらせていた。
「駄目だった……」
最後に地球を脱出したシャトルの一団はすべて撃沈されてしまった。後一歩のところで、彼は二度と故郷に戻ることはできない。
「ジャスミン、俺たちは一体何をしているんだろうな? 地球に攻め込んだ時はたくさんの地球の人を殺して、追い出された時にはたくさんのプラントの民が殺された」
「それがきっと戦争なんですよ、アスランさん……」
「そうかもしれない。いや、そうなんだろう。でも、どうしてもやりきれなくなる。誰も犠牲にならないですむなら、きっとそれが理想的なんだと思う。でも、何度考えても……、どうしても、戦争を終わらせることも何かを犠牲にしないですませる方法も思いつかない」
ジャスミンが寝たままでは話しにくいと考えたのか上体を起こした。今のジャスミンはバイザーをつけていない。ラクス・クラインと同じ顔をして赤い髪の少女は焦点を定まらない目をしてアスランの方を向いた。
「そんな方法、本当にあるんでしょうか?」
「わからない……。もしかしたらないのかもしれない。だとしたら、俺は一体何を犠牲にすればいいんだろうな?」
犠牲が必要だと言うのなら、どうすれば必要最低限の犠牲ですませることができるのか教えてもらいたい。犠牲そのものを犠牲を支払うことの免罪符にだけはしたくない。かつて地球で、プラントのために家族を犠牲にされた男性に出会ったから。
「アスランさん……、もしかしたらクルーゼ隊長も、私たちとは違うものを犠牲にしているだけなんでしょうか?」
「あの男は非戦闘員さえ殺したんだぞ!」
思わず怒鳴りつけたことで、ジャスミンは怯えたように体をすくませてしまった。すぐに謝り気にはなれない以上、気分が自分では抑えきれないほど高ぶっているようだ。乱れた息を深呼吸で無理矢理整える必要があった。
「それはプラントでも同じことだな……。ジャスミン、フラガ大尉のことを覚えてるか?」
「はい。地球軍にスパイとして潜入している人だって……」
「あの人も、地球軍のパイロットとして俺たちの前に立ちふさがったよ」
ジブラルタル基地の防衛隊はフラガ大尉にことごとく殲滅されてしまった。ジャスミンの言葉を借りるなら、彼らはプラントの民を犠牲にして地球を救おうとしている。ザフトが地球を犠牲にしてプラントを救おうとしているように。どちらも何も変わらない。自己の利益のために他者を犠牲にしているだけだ。アスランには、どちらも納得できないでいる。
「嫌な相手だった。こちらの努力も力もすべて一枚上手で乗り越えてきて、まるで宿命か何かのように死を強いてくる。死神がもしいるなら、きっとあんな姿をしてるだろう。そう思わせてくれた」
あの赤銅のガンダムの戦い方は。
「それがヴァーリだ」
どう説明したものか、イザークにはわからないでいた。格納庫でミルラ・マイクと名乗る女と出会い、現在はキャット・ウォークの手すりに寄りかかる形で2人並んでいる。問題は聞かされた話だ。ヴァーリ。26人もの姉妹のお話を粗方聞かされてしまったらしい。
「そんなことをどうして俺に話す?」
ミルラは飄々としている。
「聞かれたからだ。それに私も君に興味がある。君が戦った、例の白銀のガンダムは何者だ?」
「俺が知るはずがないだろう」
ビームを弾くユニットを備えたラウ・ル・クルーゼの機体。そんなことくらいしかイザークには知る術がない。ジブラルタル到着まで一部隊の部隊長を務めていただけの一兵卒なのだから。
それが何の因果かガンダムに乗せられている。
イザークは遠く離れたジャスティスガンダムを眺めていた。ミルラは手すりから半身乗り出してそんなイザークの顔をのぞき込む。
「では戦闘の経験でかまわない」
「夢にでも出てきそうな相手だった。奴のユニットはビームを弾く。実弾なら効果があるのかもしれないが、このご時世、今更ビームを手放すことができる奴もいないだろう。あっという間に取り囲まれて、後はあらゆる方向から攻撃がくる。もがいても抜け出せない。そんな、悪夢の中の怪物だ」
例の白銀のガンダムの姿には。
決して広くはない部屋である。その部屋の大部分を巨大なモニターが占め、サイサリス・パパはその前に座っていた。白衣を通した腕が、気だるげにコンソールを叩く。
モニターに現れるのは白銀のガンダム。ジブラルタルを脱出したザフト軍の船団に襲いかかり、これをことごとく撃沈してしまった。射出された独立機動兵器は、大西洋連邦軍のTS-MA2.mod.00メビウス・ゼロが搭載するガンバレルと呼ばれるものにコンセプトが似ている。複数の独立兵器を運用できれば1機で敵を取り囲むこともできる。それは、逆を言えば1人で複数の視点を同時に処理することでもある。
続いて赤銅のガンダム。ジブラルタル基地を強襲した機体である。バック・パックに武装を集中する機構はストライク、ジャスティスと共通する。残された映像からは多様な武装を使いこなす技術以上に、時折人間に耐えられるのか疑わしいほどの機動を繰り出している場面が見受けられる。
最後は黄金のガンダム。大きな機体だ。約25m。通常の1.5倍ほどもの大型の機体を完全に制御している。8本ものビーム・サーベルに機動力に優れているはずのGAT-X303イージイスガンダムさえ翻弄する性能を、このパイロットは扱いこなしていることになる。
こんなことができる人間を、サイサリスは知らないでいた。
操縦できる人間がいないのであればどれほど高性能な機体を作っても意味はない。マン・ポイントだとか呼ばれる、技術力、時間、予算、必要性、量産性、挙げれば切りのない制約の1つである。
人が扱えないものを作る意味はないのだ。そして、量産機の多くは平均的な人間が扱えるように調整されている。サイサリスもそうして来た。この観点から鑑みたなら、軍事兵器というものは世界で最もお粗末な武器だということになる。誰にでも扱えるものでしかないからだ。
しかし、それこそが兵器なのである。どれほど高性能であったとしてもガンダムのように扱える人を限定してしまうようなものは兵器とは呼ばない。呼べるはずがないはずなのだ。
だから考えもしなかった。もし仮に人の枠をはみ出てしまうほどの人がいるのだとしたら、そんな人を基準として機体を作ったとしたら。それはどんなに化け物じみた力を有するモビル・スーツになるのだろう。
荒唐無稽な前提に則った絵空事のガンダム。
そう、いつものことだ。ゼフィランサスの周りにばかり条件、材料が集まる。
ガンダムなど、あれが何になる。多大なコストを必要としながら、パイロットを選び、戦況を左右できるはずもない機体。量産機の方がよほどコスト・パフォーマンスに優れ、戦いを支配する主役である。それなのに、量産機はまるで実験機の劣化版のように扱われる。それも全部ゼフィランサスのせいだ。大西洋連邦ではまずガンダムが開発され、それを簡易量産される形でデュエルダガーは開発され、ザフトで量産が進められている新型も結局ガンダムの技術が使用されている。
サイサリスはコンソールに腕を荒々しく叩きつけた。
「ゼフィランサスは……、ゼフィランサスはいつも私のことを馬鹿にする!」
派手な機体しか作れないくせに、金食い虫しか用意できないくせに。叩きつけた腕に頭を乗せるように突っ伏す。ゼフィランサス・ナンバーズには間違いなく核動力が搭載されている。では、ゼフィランサスはどうやってプレア・ニコル--ニュートロン・ジャマーを無効化する装置--のデータを持ち出せたのだろう。
データのコピーは禁じられている。いくらゼフィランサスでもあれほど膨大なデータを再現することは難しい。仮にコピーできたとしても確実に記録として残り、それを国外に持ち出すことは難しいはずだ。
考えてみると、何のことはない。データは1度コピーすることが許可されている。それは、プレア・ニコルが国外に持ち出された時、データ保全のためにサイサリスが予備の名目で依頼して、そのデータを利用する形でフリーダム、ジャスティスを完成させた。
データをコピーすれば記録に残る。しかし、コピーされたデータをコピーしても記録には残らないのである。
そもそも、ゼフィランサスは何故核動力搭載機など造ったのか。最初は講演会で発表されたミノフスキー粒子の応用例でしかなかった。しかしビーム兵器を搭載する量産型モビル・スーツの運用には多大な電力が必要と判明し、核動力は一気に現実味を帯び始めた。そこに、国防委員長でもあり、現プラント最高評議会議長であるパトリック・ザラがユーリ・アマルフィ議員に命じてプレア・ニコルのデータを譲渡させた。もしもゼフィランサスが核動力搭載機のアイデアを出していなかったとしたならプレア・ニコルに触れることさえなかっただろう。
そして、ビームという機構そのものも、ゼフィランサスが造り上げたガンダムに由来する。
すべてが繋がっている。最初から、最後まで。
どんな手品もわかってしまえばつまらない。サイサリスは口を押さえて笑い始めた。こうでもしないと笑い転げてしまう。それでも、結局堪えきれずに大きく体を仰け反らせた。そして、突然、笑っていることに飽きた。
「……そっか、ゼフィランサスにはみんなわかってたんだね……。みんなわかってて……、私のこと、馬鹿にしてたんだね!」
立ち上がって、目に付く物を叩く。手がとても痛んだが、そんなことに構ってられない。
「先に進んで高い場所にあがって! 手を差し伸べて悦に浸ってぇ!」
出し抜いたつもりだった。データさえあれば、条件さえ同じなら同等以上の性能の機体を造れるつもりだった。手からは血さえ滲んでいる。
「フリーダムじゃ駄目? ジャスティスじゃ勝てない?」
暴れている最中、足に力を入れてしまった。体が浮き上がり、なすすべなく体が反対側の壁へとぶつけられる。大した痛みではないにしても、暴れる気は失せてしまった。突然糸が切られてしまった操り人形のように、サイサリスは動きを止めた。無重力の中漂いながら膝を抱いて、体を小さくする。
「でも、でもね、ゼフィランサス。教えてあげる。お父様が本当に必要としているのは、この私なんだってこと……!」
ディアッカ・エルスマン。タッド・エルスマン議員をその父に持つこの男は白い軍服に身を包んでいた。何故か着慣れつつあった大西洋連邦の軍服ではない。ザフト軍のもの。それも隊長が着ることを許された白の軍服である。
ディアッカは扉の前で簡単に身繕いをした。特に堅苦しい現場に乗り出す訳ではないが、最初の印象というものは大切だ。腕を後ろに組んで特徴的な歩き方をして、老獪な司令官を演出してみようか。そんなことしても失笑を買うだけに決まっている。仕方なく、ディアッカは普段と何ら変わらぬ様子で扉を開けた。
スライド式の扉が開き、格納庫へと足を踏み入れた。待ちかまえているのはアーク・エンジェルのクルーの面々。主立った者ばかりではない。整備士の最後の1人に至るまで集められ、弧を描くように座っている。ブリッジ・クルーは椅子に座っていたが、途中から足りなくなったのだろう。大半の人物は資材などの上に腰掛け、そして全員がディアッカのことを見ている。弧はディアッカの側で切れており、そこに座れとばかりにお誂え向きの椅子が置かれていた。
座って、まず肩をすくめてみせる。最初に話しかけてきたのはフレイだ。
「馬子にも衣装っていうのは本当ね」
「それ、ほめ言葉じゃないって知ってるか?」
少なくとも隊長のみが着ることを許されるこの服が似合っていないとまでは言われなかっただけよしとしておこう。
続いてこの艦の代表であるナタル・バジルール中尉--すでにあまり意味のない階級だが--がディアッカの正面から声をだす。
「しかし君がまさか最高評議会議員の子息であったとは知らなかった」
「キラやあのムウのおっさんは知ってたみたいだが、俺の親父はタッド・エルスマン。正真正銘議員様だ」
「話には聞いたことがある。中道派の議員で、確か法務委員会の代表でもあったように記憶している」
アーノルド少尉のこと名は正しい。
「俺にはただの変人だけどな。ニコルの親父さんは我が子を亡くしたあまり急進派に転向したって言うのに、こっちはそのまま。家に帰っても、何だ、帰ってたのか、だったしな。俺はどこの家出息子だよ」
集まった人たちの中で多少笑いをとることはできたが、広がることはなかった。それよりも先にキラが表情一つ変えないまま言った。この男は一見優男のようだがおそらくこの中で一番の武人肌だろう。
「ディアッカ、そろそろ結論を聞かせて欲しい」
余計なおしゃべりはできないらしい。ディアッカは上着の内ポケットから親書を取り出した。量子コンピュータが電子があるだのないだの騒いでる時代に、なんと手書きの紙だ。
「第3師団機動隊、要するに遊撃隊のポストに無理矢理入れてもらった。ザフトはその辺緩いからな。まあ、民兵の集まりだ。まだそれぞれで市や町を守っている気でいる。俺たちはタッド・エルスマン議員の新任を受けた部隊として傭兵の扱いでザフトに参加できる。だが、本当にいいのか?」
ここにブリッジ・クルーやパイロットはおろか、この船に乗っている人員すべてが参列しているのは、それだけ重要な話があるからだ。
「大西洋連邦を抜けたのはまだともかく、ザフトにつくとなるともう国には戻れなくなるかもしれない。オーブが安全とは限らないがよほどの理由がないならこれまで戦ってきたプラントのために戦う訳にはならないだろう」
やはりざわついた。人々は顔を見合わせている。もっとも、誰もが誰彼かまわず顔を見ているという訳ではない。親しい人の顔をうかがう人が多く、観察しているとだいたいの人間関係が掴めるような光景だ。特に、フレイがアーノルドのことを見ていたことに気づいた。師匠を頼る弟子か、それ以上かはわからないが。キラはまったく動じた様子はない。当然だろう。ただ、アイリス・インディアもまた、強い眼差しとは言えないまでもディアッカから視線をそらそうとはしない。それぞれ、思い思いの考えがあるのだろう。
「ここで一度はっきりとさせておこう」
本当に国を捨て、ザフトにつくのか。それともオーブに残り戦争の行く末を見守るのか。女のこと以外で悩むことのなさそうなキラは、やはり悩みをいっさい見せない。
「僕は……」
「聞かなくてもいい。どうせゼフィランサスを探しに1人でも戦争に飛び込むつもりなんだろ」
「よくわかったね」
「少しずつわかってきたからな」
何だかんだこいつとは数ヶ月のつきあいになる。簡単な略歴聞かされただけでも、普段の様子からでもどんな価値観に準拠して生きているのかくらい簡単にわかる。キラにしても言葉ほどは驚いていない。軽く笑っていた。
「ゼフィランサスは戦いのある場所にしか居場所を与えられないできたんだ。だから、ゼフィランサスを探すため、僕も戦場に行く」
「ディアッカさん、私もそうしたいです。この戦いがどうして始まってしまったのか、どんな終わりを迎えるかなんてわかりません。でも、私たちヴァーリが関わってる戦いですから」
「私も行く。アイリスを1人置いてくことなんてできないからね」
アイリスにフレイ。ナタル艦長がアイリスたちを置いていくはずがないだろう。聞く方が野暮というものだ。
ただ、同時に整備の方から何人ずつか静かにこの場を歩き去っていく。彼らの決めたことだ。無理に引き留めるよりは静かに送り出すべきだろう。ディアッカは立ち去る人々を見送ることなく、ただこの場に残っている人々の様子を見ていた。たとえば、古参--まだ若いが、アーク・エンジェルの正規のクルーのことだ--の2人のこんなやりとりがあった。
「君はどうする、アーノルド?」
ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世。男性クルーが脱落、転籍するなどして女性ばかりになってしまったブリッジの中で副艦長として艦を支え続けるいぶし銀の男性だ。薄いサングラスの奥から隣に立つアーノルド少尉に問いかけていた。
ただ、アーノルドに気づいた様子はない。手元のマニュアル本に視線を落としていた。表紙を見るに、新型の操作手引き。戦いから降りるのであれば必要のないものだ。
「ああ、すまない。聞いていなかった」
「いや、何でもない……」
何にせよ、見知った顔は全員残ることになりそうだ。
ばらばらと離脱者が出ていたがそれもやがてなくなる。離れていく足音が聞こえなくなると、人々の弧は、さして大きく変わっているようには見えなかった。
「降りるなら今のうちだぞ。その方が互いにとって楽にすむはずだ」
だが、これ以上ここを離れようとする人は見あたらない。
「今のところ大丈夫みたいだけど、オーブが脱走兵の引き渡しなんて始めないとも限らないから」
「そうそう。オーブもプラントも大して変わらないわよ」
「それにこの戦争、今更無関係ですっていうのもどうかと思うし」
クルー3人娘はいつも必要以上に元気がいい。アサギ・コードウェル。ジュリ・ウー・ニェン。マユラ・ラバッツ。まだ名前と顔がなかなか一致していないが、次までには覚えることにしておこう。
結局、10人前後が艦を降りることにしたらしい。100名にも満たない人物で動かされるこの戦艦の中でそれが多いか少ないかはわからないが、少なくとも、ディアッカが予想したよりも少ないように考えた。
「思ったより残ったな……。よし、決まりだ」
大西洋連邦軍、オーブ軍、ザフト軍。何とも忙しい戦艦だが、残ると決めたクルーたちからは不思議と悲壮感のようなものは感じられない。ブリッジ・クルーたちはヴァーリに触れた人が多い。せめてこの戦いの行く末を見届けたいという覚悟のようなものが感じられる。それぞれがそれぞれ、これからの戦いについて話を始めた。
整備士たちは、何と言うか、あまり心の機微というものが見えない。部長であるコジロー・マードックなんてその最たる例だろう。見てみると資材の上で昼寝をしていた。特に強烈な意志の類は感じられないが、惰性で流されている風でもない。何とも不思議な人種だ。
「書類上、モビル・スーツ部隊の指揮は俺がとる。特にキラ、一応言っておくがあまり勝手な行動はするな」
「ああ、一応覚えておくよ」
「ったく」
ディアッカ自身、キラがおとなしくしていられるとは考えていないのだが。
このやりとりを見ていたせいではないのだろうが、アイリスが何故か笑っている。
「捕虜から隊長なんてすごい出世ですね、ディアッカさん」
「ああ、まったくな」
本当に、人生というのはわからないものだ。
ナタル艦長がディアッカの前に立ち、すると、この場の全員の視線が再びディアッカへと集められた。艦長、及び部隊長の初めてのやりとりに誰もが注目している。
「エルスマン隊長、我々はまず何をすればいい?」
「月面グラナダに入る。後は、地球軍の動き次第だ」
残念なことに退屈することはできないだろう。すでに地球ではパナマ、ジブラルタルを中心として戦略物資の打ち上げが始まっている。地球は宇宙戦力を着々と拡充している。
戦いの舞台は、すでに宇宙へと移されていた。