警報鳴り響くあわただしい格納庫の中、誰にとっても見慣れない機体が並べられている。配備されたばかりの新型なのだ。アスラン・ザラは一言では言い表せない心地で機体を見上げていた。
「これが新型か……。これがもっと早く完成していたなら……」
見上げる機体は大きなウイングを背負うもので、全体的に細い手足をしている。ザフト軍機の特徴であるモノアイをしている。ジンオーカーのような改修機ではなく完全に地上用に設計された新型である。AMF-101ディン。大気圏内での飛行を可能とし、この戦争最後の一手を打つはずであったこの機体は、ビーム兵器を扱うことができない生まれながらの旧型機の烙印を押されている。ガンダムの登場が、このディンを初めとして、水中用のUMF-04Aグーン、UMF-5ゾノ、新型3種の運命を狂わせてしまった。
新型の配備は、しかし誰を喜ばせることもなかったのだ。ガンダムのパイロットであった者として、アスランはこの機体には忸怩たるものを感じていた。
まもなくここジブラルタル基地には地球軍が攻めあがってくる。警報は、第1種戦闘体制に移行したことを示すためのものだ。いつまでも鳴り響き、そして決して鳴り止むことはないだろう。ザフトはジブラルタル基地の放棄をすでに決定していた。すでに脱出は始まっており、現在は志願兵を中心とした兵が殿を務めるべく残されている。
格納庫の光景は、これまでに見たこともないものであふれていた。
抱き合う男女。どちらかが残り、どちらかが宇宙に帰るのだろう。したためた手紙--遺書だろうか--を手渡す者もいた。あるいは1人機体を見上げる者の姿もある。
残る兵士は、最後のシャトルが飛び立つぎりぎりまで波のように押し寄せる地球軍を防ぎ、その後に地球脱出用のシャトルに合流する。それがどれほど難しいことか、志願兵による部隊編成を見れば考えるまでもない。決死の覚悟がなければ挑むことのできない戦いなのだ。
アスランもまた、ディンで出撃することになる。
もういいだろう。今こうしていても気が滅入るだけだ。歩き出す。すると意外なことに気づかされた。ノーマル・スーツを着た人--出撃を待つ人だ--に限って、何故か胸に赤い薔薇の花をさしている。気にならないわけではなかったが、何事か確かめる前に注意を引くものを見つけてしまった。
ディンの前で言い争っている人々がいた。その中の1人に見覚えがあったのだ。
「隊長、どうして私たちが迎撃部隊に参加できないのですか!?」
「ジンとディンでは隊列がくめない。シャトルの防衛も重要な任務だ」
イザーク・ジュール。同じ基地に配属されてちらほらとみかけるこの赤服の男は、同じく赤服の少女に詰め寄られていた。長い髪が艶やかな少女で、イザークの部下なのだろう。イザークも迎撃に参加することは聞いていたが、部隊からは自分だけ加わるつもりのようだ。他には長い髪の少年と、見るからに気弱そうな少年。
シホと呼ばれた少女に声をかけたのは髪の長い方の少年だ。
「ここで騒いでも結果は変わらない。あきらめろ、シホ」
「でもカナード……」
納得はしていないが、無理を通すこともできないと理解したのだろう。釈然としない様子ながらも少女は押し黙る。イザークはイザークで一息つくように鼻から息を吹く。
そんな時だ。イザークがアスランの姿を認めたのは。
「お前も参加するようだが、準備はいいのか?」
「君ほど未練は残してないつもりだ、イザーク」
同じ部隊に所属する最後の1人、ジャスミン・ジュリエッタも迎撃にこそ参加しないが最終シャトルの護衛を担当することになっている。アスランも部隊の仲間を逃がすために戦う。イザークとあまり状況は変わらないことになる。もっとも、イザークはアスランの冗談に気分を損ねてしまったらしい。もしも声をかけられなければ歩き去っていたことだろう。
「あなたたちも迎撃に?」
少女だった。まだ配属されたばかりに見える初々しさを残した軍服姿--迎撃には参加しないということだ--で手には大きな籠を下げている。籠には薔薇の花が、決して多くはない数入れられていた。赤い、赤い薔薇の花だ。
答えたのはイザークの部隊の気弱そうな少年だ。
「はい。いや、僕じゃなくて、隊長とアスランさんです」
「じゃあ、この花受け取ってもらえませんか?」
そう差し出されたのは薔薇の花。すぐに受け取る気にはなれなかったのは、青い薔薇を象徴に掲げる団体のことがつい頭をよぎったからだ。
「薔薇の花か……」
「薔薇は赤が好きです」
少女は花を差し出したまま屈託なく笑う。この笑顔を見ているとブルー・コスモスに縛られることが馬鹿らしく思えてくる。
「ありがとう」
花を受け取ると、他のみんなは胸にさしていたことを思い浮かべる。同じように胸にさそうにもノーマル・スーツにポケットなどない。どうしようかと悩んでいる内に、少女は安全ピンで器用にアスランの胸元に薔薇をさしてくれる。
「でも勘違いしないでくださいね。あげる訳じゃないです。後で返してもらいます。宇宙に帰った時に」
「ああ、わかった」
死ねない理由ができてしまった。これは是が非でも宇宙に帰らなければならない。
少女は新たに籠から薔薇を取りだそうとして、しかし送るべき相手はすでに目の前にはいなかった。イザークが無言のままここを離れようとしていたからだ。
「イザーク?」
「花など飾れるか!」
照れているらしい。その声は怒声というよりどこか上擦った調子を含んでいた。少女も小さく笑いながら薔薇を籠へと戻した。
「この籠を、また薔薇で一杯にしましょう」
そのためには1人でも多くの戦士が宇宙へとたどり着かなければならない。アスランは静かな決意を固める必要があった。
アーク・エンジェルのブリッジには主立ったクルーが集められていた。なぜか捕虜であるはずのディアッカ・エルスマンの姿もあるのだが、もはや誰もそのことを気にしていない。
多くが椅子なり机なり思い思いの場所に腰掛ける中、事実上の副艦長であるダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世はしっかりとした姿勢で立っていた。
「主戦場はオノゴロ島、及びその周囲の島々に限定したようです」
「連邦はヤラファス島に艦隊を派遣していないと?」
艦長であるナタル・バジルール--艦長席についている--は口元に手を当てながら訪ねる。ヤラファス島は政治の中心であり、また軍事施設の塊であるオノゴロ島に比べるべくもなく防衛力に劣る。ナタルの疑問は至極まっとうなものであった。
キラ・ヤマトはすでに十分な発言力を有してここにいる。
「大西洋連邦の開戦理由の中にはオーブの技術盗用を非難する文言がある。戦争というよりも強行査察だと言い張りたいなら、ヤラファス島のような人口密集地を戦場にするのは避けたいのが本音なんだと思う」
ディアッカ・エルスマン、アーノルド・ノイマンがキラの言葉を繋ぐ。
「反対にモルゲンレーテ本社のあるオノゴロ島やカグヤ島は激戦地だな。で、オーブの作戦は?」
「抵抗して割に合わない相手だとわからせる。それから和平交渉に持ち込む。現状ではそんなことが想定される」
ディアッカは椅子に浅く腰掛け足を延ばしているのに対して、アーノルドは何か式典でもあるかのように律儀に腰掛けていた。フレイ・アルスターはそんなアーノルドの側で相棒とも言うべき操舵輪に寄りかかっていた。
「アーノルドさん、そんなことできるの?」
「オノゴロ島の周囲には要塞として機能する島が複数ある。海上にはアーク・エンジェルのような戦艦を浮かべて壁を作る。防御に徹しさえすれば、決して難しい戦いじゃない」
「反対にどこか一部でも防衛線が突破されたなら厳しい戦いになるよ、フレイ。オノゴロ島の自己防衛戦力を鑑みた場合、一定数の敵戦力に上陸を許せば事実上陥落することになるから」
「今回の相手は地球軍。俺としちゃ気が楽だな」
元々ザフトであるディアッカとは異なり、この場の多くのクルーにとって大西洋連邦は母国にあたる。誰も話し出そうとはせず、嫌な沈黙が流れた。ディアッカにしても失言だと気づいたのだろう。降参だと言った様子で両手を挙げて静観を決め込んだようだ。
ナタルは一度クルーたちのことを眺め、意を決したように話を始める。
「今度の敵は祖国になる。仮にまだ迷いがあるのならば今この場で申し出てもらいたい」
アイリス・インディアがまず答えた。
「私もフレイさんも元々オーブ国籍ですから、今の方がかえって自然です」
「迷いがないとは言いません。しかし私はここでこの物語から降りるつもりにはなれません」
アーノルド・ノイマンに、新たにクルーとして加わったアサギ・コードウェル、ジュリ・ウー・ニェン。
「深刻ぶるなんて私たちらしくないって」
「そうそう楽しまなきゃ。アラスカで死んだ人の分まで」
それぞれがそれぞれの思いでここにいると、戦いを続けると決めたのだ。今更のことであったのかもしれない。
オーブ、及びジブラルタルは多数の共通項を持つ。
マスドライバーを保有すること。アラスカで政敵と外敵を同時に葬り去った大西洋連邦軍は一挙に徹底抗戦、戦線拡大へと動き出した。ジブラルタルを最後に宇宙へと主戦場が移行すると目される現在、宇宙へと大量の物資を効率的に運搬可能であるマスドライバーを一つでも多く確保することは至上命題であると言えた。
勝利は約束されない。戦力差は圧倒的であり、何らかのアドバンテージを見いだすこともできない。ジブラルタルではすでに撤退が決定している。もはや問題はどれほどの兵士が逃げ延びることができるかに限る。オーブでは水面下での和平交渉が続けられていた。どちらも戦闘による勝利は望むべくもない。
そして両者は共通して、大西洋連邦軍の猛攻にさらされる。
ジブラルタル基地の3頭の獣によって守られていた。南の砂漠を守るは砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルド。北の守りは密林の白狼シン・マツナガ。そして東、地中海の守りを一手に引き受けてきたのは紅海のシャチの名で知られるマルコ・モラシム。プラントには存在しない海を舞台に戦い抜いた猛将である。
そして臆病な敗残兵であった。
砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルドは大西洋連邦軍の新型であるガンダムとの壮絶な一騎打ちの末果てたと聞いている。
密林の白狼シン・マツナガはジブラルタル基地へと逃れる仲間のため殿を務め行方しれずとなった。
ただ1人、マルコ・モラシムだけが生きながらえている。
大柄な男だ。筋骨隆々たくましく、まくり上げられた袖からは発達した筋肉が見て取れる。コクピットの中、ノーマル・スーツさえ身につけることなく腕組みをしていた。口元を完全に覆う豊かな髭に険しい、怒りをたたえた顔をしている。
「大馬鹿者の顔が見たいか? それなら鏡を見ろ。そうすれば見えてくるだろう。仲間を見捨て、自分だけが生きながらえている馬鹿どもの顔がな!」
通信はマルコが配下とするすべての部下、すべてのモビル・スーツにつなげられている。大柄な体には狭苦しくさえ思えるコクピットの中、マルコの怒号は止まらない。
「貴様等は人間のくずだ。ザフトのために、プラントのために、コーディネーターの未来のためと志願しておきながらいざ死ぬとなると怖がる臆病者だ!」
だからこそここにいるのだろう。大勢の仲間が死んだ。大勢の仲間の死を看取ってきた。それだなお生きながらえている連中の群なのだ。すべて例外はない。何を言おうと、どう言い訳しようと覆すことのできない事実に他ならない。
マルコ・モラシム。紅海の鯱などというご大層な通り名を与えられたこの男も例外に甘んじるつもりなどなかった。臆病者の1人でありたかった。
「そんな貴様等に今一度機会を与えてやる。戦って見せろ、死んで見せろ! 生きながらえた命、使いたくば今しかない! 我々は魂となって空へと帰る! 仲間たちは生きたまま家族のもとへと返す!」
未練など捨てろ。そのような資格などない。戦い、戦い、戦いの果てに死ぬのだ。それが償いであり、このようなくだらない贖罪が仲間の命を救うのであれば満足さえして死ぬべきだ。
臆病者の群として。
「臆病者として生きた貴様等に、英雄として死ぬ最期の機会を与えてやる! 全軍、出撃する!」
臆病な彼らは、ただの1人さえ上官に意見できるだけの勇気を持つ者などいなかった。誰もが自らの臆病を認め、黙して死地へと向かう準備を整える。
ボズゴロフ級潜水艦は海を持たないザフト軍が地球の潜水艦をモデルとしている割に奇怪な形状をしていた。前方へと突き出た円筒を4本、四隅に配し、これが船首となる。対水圧が想定されているとは考えがたいその構造は潜水艦には不必要な奇妙な造形であると言えた。
地球では必要とはされなかった。しかしザフトだけが持ち得るある兵器がその理由と由来になる。それはモビル・スーツのカタパルトであり、針路方向へとモビル・スーツを射出するための構造に他ならない。
すでに地球軍の艦船が近づいていく中、ボズゴロフ級は水中を横並びに潜航していた。複数のボズゴロフ級がカタパルト・ハッチを同時に開いた時、錆び付いた新品は解き放たれた。
それは三角形の頭をしている。首はなく、胴と直接つながったその巨大な頭部に手と足が取り付けられ、そのくすんだ白が目立つ。ヒトデを擬人化すればこのような姿になるのではないだろうか。ザフト軍特有のモノアイが輝き、尖った頭が水を引き裂きながら出撃する。
その名はグーン。海という障壁に妨げられてきたザフト軍の怨嗟をそのまま形にしたかのように、海を切り裂き、白い泡を海の返り血のようにまとわりつかせながら水中を疾駆する。
その姿は、あるいはイカの悪魔か。
食腕を思わせる先端の膨らんだ腕がしなる。そこには魚雷の発射口が開き、多数のボズゴロフ級から出撃した魚雷はそれこそ小魚の群のように敵戦艦へと殺到する。魚雷は戦艦に回避さえ許すことなく次々と命中しては船側に巨大な水柱を立ち上がらせていく。
炎と油。立ち上る黒煙の中に戦艦が沈んでいく。
けたたましい警報音。大西洋連邦軍を中心とした地球軍はここで初めて敵襲を感じ取った。隊列を組んでいた戦艦はその足並みを乱す。それは何らかの作戦と呼ぶよりもその混乱を象徴していることだろう。
上空では鋼鉄の翼を大きく広げ海鳥のように飛来するディンが両手に構えたアサルト・ライフルを垂直に海面へと向けていた。眼下の戦艦に弾丸は次々と突き刺さり丸い穴を開けていく。そして燃料に引火した時、船は爆発し、ディンは次の獲物を求めてその身を翻した。
紅海の鯱は隙を見逃すことはない。
一隻の駆逐艦が突如大きく傾き始めた。浸水、被弾の類ではない。重心が無理矢理横へと引きずり込まれたように傾き始めたのである。傾いた側、海が近くなった側を見た時、その理由は明白であった。巨大な怪物がその爪を深々と突き刺しながら船によじ登ろうとしていた。
丸い卵。それを禍々しい緑に染め上げ、申し訳程度の足と、不自然なほどに延びた腕の先に爪をつける。モノアイが輝き、その爪は船の装甲を軋ませ、ひずませる。
この怪物の名はゾノ。水中ではあらゆる兵器の威力、射程が減少することを鑑み、その巨大な爪を主力武器とする海の怪物である。少数の指揮官に与えられたゾノは、当然のようにマルコ・モラシムにも与えられた。
鯱は、時にクジラさえ襲う海のギャングである。その獰猛さは漁師たちに恐れられ、クジラ漁を生業とする漁師たちでさえ、鯱に手を出すことはなかったと伝えられる。
その鯱の名を与えられた男は、やはり鯱であった。
ゾノがその体躯よりも遙かに巨大な駆逐艦に襲いかかる姿は他に何にたとえよう。傾く船体、軋む金属の音はクジラの悲しげな鳴き声でしかない。ゾノは無慈悲にその爪をさらに食い込ませ、ザフトの証であるモノアイは船のブリッジを覗き込み、振り上げた爪はそれを引き裂いて深い爪痕を残した。
紅海の鯱はあくまでも恐ろしい捕食者であり、モビル・スーツの優位性は揺るぐことがない。
モビル・スーツこそ戦場の覇者。この事実は、どこであろうと変わることはなかった。
幾本もの水柱が立ち上がる。オーブ、オノゴロ島沖の海戦は旧世紀以来の様相を呈していた。敵味方入り乱れて艦船がめまぐるしく入れ替わり立ち替わり、海に白い轍を刻む。空には曳光弾の軌跡。戦闘機が飛び交う。
そんな海戦の中の一つの光景。それは、遙か、1万5000km彼方のジブラルタルにて展開されているものとおぞましいほどに合致していた。
駆逐艦が突如傾き始めた。浸水、被弾のせいではない。重心が無理矢理横に引きずり込まれ、船は目に見えて傾き始めたのである。傾いた側、海面をかすめる側を覗いた時、疑問はすべて氷解する。鋼鉄の体皮をした巨人が船縁にしがみついていた。
GAT-01デュアルダガー。混戦下、あらゆるソナーの精度が著しく減少することを利用し、海中を潜み進んだモビル・スーツである。ザフト軍の技術的優位を奪い去ったその力は、オーブ軍相手にも遺憾なく発揮されていた。
謎かけをしよう。水に潜れて地面を走ることもできる。極めて小回りがきき空を飛ぶ。その破壊力は戦艦さえ破壊する。潜水艦は陸に上がることさえできない。戦車は空を飛ぶことはできない。戦闘機、戦闘ヘリが水に潜る時は墜落した時だけだ。
モビル・スーツは、その汎用性そのものが武器であった。
デュエルダガーが魚雷よりも正確に船体に到達し、駆逐艦をよじ登る光景は従来の兵器のカテゴリに当てはめることはできない。やがて、ゴーグル・タイプのデュアル・センサーが駆逐艦のブリッジを覗き込み、肩越しに引き抜かれたビーム・サーベルはブリッジを船体ごと縦に引き裂いた。
モビル・スーツは高い汎用性を誇り、その優位性は誰に対してであろうと揺るぐことはない。
それはモビル・スーツを相手にした場合であったとしても。
突如飛来したビームがデュエルダガーの頭部を正確に撃ち抜いた。
頭部を破壊されたデュエルダガーは完全に体勢を崩し、酔った人のようなふらついた足取りで海中へと落ちていった。
GAT-X207SRネロブリッツガンダムの放ったビームが命中したのだ。バック・パックを輝かせるミノフスキー・クラフトの推進力はガンダムを安定して飛行さえ、GAT-X207ブリッツガンダムと同様のステルス機構はデュエルダガーに気づかれることなく接近することを可能とした。加えて飛行できることはこのような海戦において大きなアドバンテージとなる。
ネロブリッツが次の標的を探している頃、すでにGAT-X303AAロッソイージスガンダムは動いていた。高速で通り過ぎていく海面に機体が写り込むほどの低空飛行のまま敵駆逐艦に接近していく。対空砲火がロッソイージスの周囲に水柱を次々と立たせ、攻撃は確実に命中している。しかしフェイズシフト・アーマーに守られたロッソイージスは装甲を淡く輝かせ、強引に接近を果たす。そのライフルは強大な火力を誇り、ブリッジを一息に吹き飛ばした。
「アイリス、無理すんな。俺たちくらいしかオーブのモビル・スーツはないんだからな」
「わかってます。でも、もう少し頑張っておかないと勢いに押されます!」
ディアッカの言葉もあまり効果はないらしい。ディアッカがアイリスと共同戦線をはることは初めてになるが、その戦い方にはどこか危うさを感じていた。思えば、オーブの港でもモビル・スーツが暴れ回る戦場の片隅で逃げるでもなく突っ立っていた。
勇敢というより無謀であって、責任感の強さも相まってアイリスは恐怖を感じていないようにさえ、ディアッカには思えた。
アイリスのロッソイージスは満足な支援もないまま、敵駆逐艦が集中する一体へと加速しようとしていた。
「まったく……」
ほうっておくわけにはいかない。ディアッカもまた、ネロブリッツのアクセル・ペダルを踏み込んだ。
現在のオーブ軍にとって必要なことは守ること、そして攻めること。
オノゴロ島への上陸を許すわけにはいかない。しかし数の不利が圧倒的である戦場ではただ防衛線を固めるだけでは押し切られてしまう。適度に攻撃に打って出る必要があった。
激戦地となっている海域を迂回するように飛行する戦闘機の群、それに加わって白い装甲、その全身を光り輝かせるZZ-X000Aガンダムオーベルテューレの姿があった。
戦闘機は低空であるため速度を落とした飛行を続けているとはいえ、オーベルテューレは人型という航空力学を無視した形状ながらその隊列にしっかりとついていた。ミノフスキー・クラフトはバック・パックのような一部でさえモビル・スーツに飛行能力を与える。オーベルテューレのように全身に張り巡らせた場合に得られる推進力がどれほどかは想像するまでもない。
完全な飛行。完全な推力。
オーブ軍のこの編隊は大西洋連邦軍の後ろに控えた艦隊を攻撃対象に設定していた。第二波となる戦力を先に叩いておくことで敵の勢いを殺し、より防衛戦力の負担を削るのである。
すでにオーベルテューレの全天周囲モニターには晴れ渡った空と、モビル・スーツを露天甲板に並べた空母が数隻視界に捉えられていた。
オーベルテューレと並んで飛行する戦闘機の中にはFX-550スカイグラスパーが含まれている。
「アーノルド少尉、モビル・スーツの相手は僕が。少尉たちは戦艦を集中して狙ってください」
「了解!」
空母の上、デュエルダガーたちがシールドを前に突きだし、縦に2列に並んでいる。前列は屈み、後列は立ったままビーム・ライフルを向けていた。接近するオーベルテューレによく統制された動きでビームが発射される。
ここで無理な回避を行う必要なんてない。オーベルテューレを動かす。大きく横へと飛び退いて、ビームは海面で次々と大きな水しぶきをあげた。大きくかわす。それでも接近すること自体はとめない。速度を維持したまま、敵戦艦へと接近を続ける。
射程距離に収めた。そう、キラは判断した。
それは、まるで自分の意識がモビル・スーツの大きさにまで拡張されたかのように、目の前の光景がスロー・テンポで流れていくかのような回避の術であった。
飛来するビーム。その線条をオーベルテューレは通り抜けた。命中と回避の狭間。わずか数cmの距離で敵の攻撃を回避するハウンズ・オブ・ティンダロスの動きは攻撃が敵をすり抜けたと錯覚させる。異形の猟犬は、狙った相手を決して逃すことはない。
オーベルテューレはわずかな減速も、わずかな動きもないまま、空母へと接近を果たした。
まず繰り出した蹴りは立ち上がっていたデュエルダガーの首を、根本から蹴り飛ばす。飛んでいく首さえ追い越してオーベルテューレは甲板の上を通り過ぎた。デュエルダガーたちは反応さえできていない。
上体を折り曲げ、下半身に上へと反り返る動きを加える。オーベルテューレは加速を続けたまま逆さまの姿勢になり、ちょうど後ろを向く。スラスターの位置に左右されないミノフスキー・クラフトならばこのような曲芸じみた動きっも可能となる。天地が入れ替わったまま、キラは先ほど通り抜けた甲板にいるデュエルダガーたちへと引き金を引く。
放たれたビームはシールドを貫通し、デュエルダガーをたやすく撃墜する。そのまま空母の甲板さえ貫いて生じた爆発は空母の一部を損壊、船は目に見えて傾いた。
これでいい。この程度で十分だ。オーベルテューレ1機では元々すべての艦船を相手にしているだけの力はない。敵部隊の勢いを削ぐだけで十分だと言えた。
後ろ向きのまま加速していた状況を、やはり体のひねりを利用して元の状態へと戻す。キラはすでに次の標的に狙いを定めていた。
比較的大型の空母だ。甲板には多数のデュエルダガーを搭載し、この部隊の旗艦を思わせた。この艦を沈めればキラの任務は達成されることになる。
しかし、敵も馬鹿ではない。護衛艦からは次々と高射砲が放たれ、周囲に展開する空母からはデュエルダガーたちがビームを縦から横から撃ち込んでくる。わずかな時間さえ動きを止めておくことなんてできない。やむなくオーベルテューレを引かせる他ないほどだ。
「数が違いすぎる……!」
わかっていたこととは言え、視界を埋め尽くさんばかりの曳光弾の軌跡には大西洋連邦軍の圧倒的な軍事力が象徴されている。
空へと逃げるしかなかったオーベルテューレのすぐ脇をスカイグラスパーが通り過ぎた。
「援護する! ヤマト曹長!」
曹長。大西洋連邦時代のキラの最終階級を叫びながらアーノルド少尉--これも大西洋連邦軍当時のものだ--のスカイグラスパーが、オーブ軍の戦闘機が一斉に曳光弾の網へと飛び込んでいく。
躊躇や満足な状況確認をしている余裕は、少なくとも戦場には存在しない。ただ反射的に、キラはオーベルテューレを加速させる。
対空砲火は目に見えて減っていた。戦闘機へ攻撃が分散し、オーベルテューレの動きはそれだけ楽になる。ただし、チャンスは1度だけ。
ビームの直撃を受けた戦闘機が派手な爆発とともに残骸をまき散らした。翼に被弾し、そのまま海へと墜落していったものもいる。その度、オーベルテューレへと集中する攻撃は数を増す。
何より、戦闘機には致命的な欠点がある。一定の速度を維持しなければ失速してしまうため、旋回にはモビル・スーツから見れば驚くほど--機種にもよるが、1km程度--広大な旋回半径を必要とする。一撃離脱には優れていても連続した攻撃力を維持することは難しい。この攻撃が失敗してしまえば、今度、攻撃の機会が回ってくるまで、戦闘機は敵の攻撃にさらされ続ける。極端な意見として、肩幅程度の旋回半径で腕の振りほどの速さで攻撃範囲を変更するモビル・スーツの攻撃に。
ハウンズ・オブ・ティンダロスの動きに、戦闘機の支援。オーベルテューレは全身を輝かせたまま、旗艦を見据えていた。
甲板上に並ぶデュエルダガーのビームは時間稼ぎにさえならない。オーベルテューレの全身を包むミノフスキー・クラフトは微細な機動さえ可能とし、ハウンズ・オブ・ティンダロスの完成度を高めてくれる。
ビーム・ライフルを腰にマウントし、ビーム・サーベルを振るうために右手をあける。このまま旗艦のブリッジを一撃で破壊する。十分な加速、捉えた間合い。キラはブリッジを備える構造を、睨みつけた。
それは確信であって油断ではないはずであった。
わずか一撃。ハウンズ・オブ・ティンダロスの技術を突き抜けて、オーベルテューレの肩に突き刺さった。ミノフスキー・クラフトの輝きに混ざって強烈な光を放つフェイズシフト・アーマー。ビームではない。十分な物理的な衝撃をもたらしたこの一撃は、オーベルテューレの勢いをそぎ落とした。
命中させられた。速度は落ち、軌道からも外れた。すでに旗艦を狙うことはできない。オーベルテューレを離脱させる他なかった。巧遅は拙速に如かずとはよく言ったもの。最善ではないものの、離脱した直後、オーベルテューレがいたはずの場所に次々とビームが叩き込まれ、一際大きな水柱を生じさせた。
残念ながら、最善ではないのだ。
急速な軌道の変更はオーベルテューレから速度をはぎ取り、静止するような一瞬があった。その隙を、それは見逃さなかった。
何かが急速に接近してくる。それはビームの輝きを振り下ろし、辛うじて抜きはなったビーム・サーベルでキラはその攻撃を受け止めた。ビーム・サーベル同士による鍔迫り合い。
敵の姿が、全天周囲モニターへと大きく表示される。
黒いストライクだ。アフリカ戦線においても確認した。大型のウイングにレールガン--先程オーベルテューレを狙撃したのは恐らくこれだろう--を備える専用のストライカーを装備した、GAT-X105Eストライクノワールガンダム。
ガンダムとガンダムを繋ぐ回線はすでに開いていた。
「キラ、この戦いはお父様にとって大切なもの。邪魔はしないで」
聞き覚えがあっても判別がしにくい。そんなヴァーリ特有の事情を持つ声がした。ただ想像はつく。オーブ侵攻の指揮はエインセル・ハンターがとっている。すなわち、エインセルに従うヴァーリだということだ。
「ヒメノカリス、君はどうしてエインセル・ハンターを父と認めるんだ? あれほど、シーゲル・クラインを崇拝していた君が!」
出力ならオーベルテューレがストライクを圧倒できる。突き飛ばすように鍔迫り合いを解くと、ノワールは体勢を崩して弾き出された。しかし好機は訪れない。即座に援護射撃が加えられ、眼下の戦艦からビーム、実弾が次々と撃ち込まれる。
ヒメノカリスも援護を予定していたのだろう。体勢を1度は崩したにも関わらずオーベルテューレが逃げた方向へとすぐさま対応し、ビーム・サーベルを幾度となく振るってくる。
「シーゲル・クラインなんて男、どうでもいい。私を見てくれなかった。抱きしめてくれなかった。でもお父様は違う。私を抱きしめてくれる。愛してくれる!」
攻撃は苛烈で、ヒメノカリスは両手に構えたビーム・サーベルを次々と叩きつけてくる。ヒメノカリスは身体能力に優れたヴァーリであった。援護射撃も加わっては楽に戦わせてくれる相手ではない。
ヒメノカリスをパイロットとして使用する。エインセル・ハンターの判断は、どこも間違ってはいない。
「そんなお父様が君を戦わせるのかい?」
「あなただってゼフィランサスのために戦ってるでしょ。人は愛する者のために戦うの」
二刀流の攻撃は、右手のサーベルで防ぎ、左手のシールドでいなす。現状において、ビームに耐えられる装甲は開発されていない。シールドは見る間に疲弊し、仕舞いには切断さえされる。
わかっていたこと。驚くに値しない。左手にビーム・サーベルを装備させ、こちらも二刀流となってノワールの攻撃を防ぐ。サーベルを振るう度、ぶつけ合う度、ビームの粒子がこぼれて輝く。
「僕には同じに見えるよ。10年前の君と、今の君は! シーゲル・クラインがエインセル・ハンターに変わっただけなんだって!」
「お父様を愚弄しないで!」
互いに放った一撃は互いのビーム・サーベルにぶつかり合い、互いの体勢を崩した。
思ったよりも高度が上がっている。艦砲、甲板のモビル・スーツからの攻撃は疎らになり、ちょうど戦場を俯瞰するにはいい位置にある。
ストライクノワールがあくまでもストライクのマイナー・チェンジであるならスラスターの連続稼働時間の関係上、長くは飛行できないはずだ。それにも関わらず、ヒメノカリスから余裕は消えない。崇拝する父への偏愛は微塵も揺らいでいない。
「お父様は偉大なの。その志は高尚、理想を抱いているから。だから、邪魔をすることは許されない。オーブもあなたにも」
はっきりと言葉にすることは難しい。確かに戦場の空気が変わった。眼下で、わずか、ほんのわずかだけ大西洋連邦軍の進軍速度が増したように感じられた。そのわずかな違いを、キラは空気の違いと感じ取ったらしかった。
「教えてあげる。象の道を塞げる蟻なんていない」
進軍速度が増した理由。それは戦場から断片的に拾うことができた。見たことのない新型が投入されていた。
モニターの隅に映る敵機は、オーベルテューレが命じるまでもなく拡大表示してくれる。デュエルダガーにより複雑な形状と装甲を与えた機体で、特筆すべき特徴は、バック・パックを装備していること。オーベルテューレが拡大して見せてくれた機体には、キラが見覚えのあるバック・パックが装備されていた。
「これは! ランチャー・ストライカー……」
他にもエール・ストライカーを装備した機体も見られた。ストライク同様の換装機構を保有する、さしずめストライクダガーとも言うべき機体が大西洋連邦軍に勢いを与えていた。
ただでさえ圧倒的な戦力差がある。それに加え新型機まで使われては、オーブの劣勢は火を見るより明らかだと言えた。嫌な汗が流れるような不快感が肌に張り付いて離れない。
ヒメノカリスの恍惚の声だけが耳に届いていた。
「お父様は王だもの。象でしてそうなら、まして王の道を妨げることは許されない。そうでしょう、私の愛しい愛しいお父様」
優位にある側が劣勢にある側の決定的な違いとは何か。それは、一つには余裕の大きさの違いである。優位でさえあれば、より優位とするべくあらゆる手段を講じることが可能となる。劣勢であれば現状を維持することに手一杯になってしまう。
大西洋連邦軍はあくまでも貪欲に堅実に、優位を手放そうとはしなかった。オーブへと新型を投入することと時期を合わせて、ジブラルタルへも新型機を出撃させたのである。
新型機を複数の戦場に一斉に投入するという一見無茶な戦法は、しかしオーブ、ザフトともにデータを得る暇もなく新型の脅威にさらされることを意味する。
GAT-01A1ストライクダガー。ジブラルタル基地死守に尽力するザフト軍が後々に知ることとなるこの新型機の投入は、疲弊していたザフト軍防衛線を急速に磨耗させていった。
水中では、ソード・ストライカーを装備したストライクダガーがゾノの丸い体にかつてストライクガンダムが使用していた対艦刀を深々と突き立てていた。
長い対空時間を誇るエール・ストライクダガーはそのウイングの揚力を最大限に生かして海面のグーンの周囲を飛び回る。数機で包囲した途端、ビーム・ライフルは次々にグーンへと突き刺さり、固い三角の頭の内部から生じた爆発はモノアイ、装甲の継ぎ目、強度の弱い部位から優先的に外へとあふれ出す。
火煙をあげながら爆沈していくザフト軍巡洋艦。それを見つめているのはランチャー・ストライカーのいくつもの銃口であった。
油がまき散らされ、漂う残骸を黒く染める。ふと舞い落ちた火種は油を燃やし、海が燃えている。燃える海にザフトの兵が消えていく。
「イザーク、弾はまだ保つか!?」
ストライクダガーへと両手に装備したアサルト・ライフルを斉射するディンの中で、アスランはすぐ近くで戦っているはずのイザークへと通信を放つ。イザークのディンは腰に備えられていたカートリッジを交換している最中である。
「こいつで底だ!」
アスランも同じ状況である。
アサルト・ライフルの攻撃によって装甲が穴だらけになったストライクダガーを蹴り飛ばす。すでに機能を停止していたストライクダガーは中破した駆逐艦の上から海へとたたき落とされ、代わりにアスランのディンが着地する。イザークの機体も同じ駆逐艦の上に降り立った。
どちらもひどい状態であった。アスラン機は直撃こそないものの、度重なる攻撃にさらされたことでウイングに大小さまざまな損傷が見られた。イザーク機は頭部がすでにない。
周囲などすでに残骸だらけで、立ち上る黒煙に周囲の状況も定かではないほどだ。
「無事か、イザーク……?」
「新型が後一歩でお釈迦だがな」
まだ最後のシャトルが出航するまでには時間がかかる。ここで敵の快進撃を許すと言うことは、故郷に帰ることを望む多くの仲間を危険にさらすことと同義である。
アスランも、イザークもまた疲れ切っていた。
「せめて敵がもっと早く攻めてきてくれるか、もっと遅かったなら状況は違っていただろうな……」
「弱音なら聞かんぞ」
普段のイザークなら怒鳴り散らすところだが、それほどの余力は残されていないのである。
「ただの分析だ、イザーク。もしも敵の攻撃が早ければ、脱出を諦めてマスドライバーを破壊してゲリラ戦を展開することもできたはずだ。遅ければ全員が脱出してもちろんマスドライバーを破壊することもできた」
宇宙への脱出を諦めるほどではなくて、だから人々は友軍の集結を待って順次空へと旅立った。そのため、地上に残されたザフト軍は、未だにゲリラ戦を繰り広げているアフリカ方面軍、オーストラリア大陸のカーペンタリア基地を除けば大半が地上を離れたことになる。これは裏を返せば、もはや地上に後顧の憂いは残されていないことを意味する。
反対に大西洋連邦の襲撃がより遅かったなら、マスドライバーを跡形なく破壊し、仲間たちは安全に宇宙に帰ることができたことだろう。
「だが、今の状況では脱出も心許ない。マスドライバーを破壊することもまず不可能だ……」
脱出できるかどうかという瀬戸際に、破壊工作など望むべくもない。
「やめろ! すべて敵の策略通りだというのか?」
「それが、今俺たちが戦っている相手だってことだ」
「それでも……、俺たちには戦う以外何ができる?」
「そうだな……」
戦うしかないのだ。
敵の揚陸空母が仲間の遺体とも言うべき残骸を押しのけながら突き進んでくる。その油にまみれた海の上には、幾輪もの赤い薔薇が漂っては波に呑まれて消えていく。
オノゴロ島には、まだ戦火の羽音は遠く響くだけである。オノゴロ島、モルゲンレーテ社の格納庫をオーブ軍は本拠地として利用していた。有事に備え十分な強度と、機体をそのまま整備できる利便性を鑑みてのことだ。
用のある者は走り回り、手の開いている者であっても急かされたように一つ一つの行動が慌ただしい。
カガリ・ユラ・アスハが覗いた格納庫の様子はまさに臨戦態勢という言葉がよく似合う。しかしカガリのいる部屋の様子は落ち着いているとさえ言ってよい。ガラス1枚挟んだ格納庫とはまるで空気が違っている。カガリは窓越しに格納庫を見下ろしていた。
「レドニル・キサカ、戦況は?」
カガリのすぐ後ろに立つ大柄な男の姿はガラスにも写り込んでいる。
「思わしくありません。大西洋連邦軍は新兵器さえ投入し、占領された島もいくつかございます」
「厳しいな……。他に報告しておくことはあるか?」
「エピメディウム様が、モビル・スーツの出撃を許可しました」
思ったよりも驚きは少ない。何となく、わかっていたことだったのだろう。
オーブのモルゲンレーテ社は確かに大西洋連邦と協力してモビル・スーツ開発に携わった。しかしそれは実験場の提供、末端部品の開発など限定された内容であり、協定にもモビル・スーツ全体の開発技術までの交流はないとされている。モルゲンレーテは、オーブは協約を破り技術を盗用していたのだ。
大西洋連邦軍がオノゴロ島を重点的な攻撃目標に定めたことも、開戦理由の中に技術盗用という裏切り行為を理由に挙げたことも、オーブがモビル・スーツを保有することを睨んでのことだ。
そしてその通りにモビル・スーツを投入してしまった時点で、大西洋連邦の言い分は荒唐無稽の絵空事から、オーブへの正当な非難にすり替わる。
「結局、あいつもヴァーリ、ダムゼルだったってことか……。人に国の立場も考えずに無茶苦茶していると非難していた癖に自分はこの様か!」
窓ガラスを殴りつける。これでオーブを守ることができるのなら、皮が裂け、骨が砕け散るまで殴り続けよう。
「レドニル・キサカ、私も出撃する! 機体の準備をするよう、整備に伝えろ!」
今殴りつける相手はガラスではない。カガリは身を翻し歩き出す。レドニルは敬礼し、そんなカガリを見送った。
戦いはまだ終わってはいない。だが、確実に終わりが近づいている事実だけは揺るがすことができない。
海岸に打ち上げられ、遺棄された空母の傾いた甲板の上、白いガンダムと黒いガンダムとが睨み合う。
ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレ。そして、GAT-X105Eストライクノワールガンダム。互いにビーム・サーベルを抜いたまま、対峙している。
すでに日は暮れようとしている。太陽は悲惨な戦場の光景を夜の月に押しつけようとしていた。
「ジブラルタルでもザフト軍が追いつめられてる。あなたたちがマスドライバーを守ろうとしても、結局大勢には影響しない」
「エインセル・ハンターの、ムルタ・アズラエルの狙いは一体何なんだ?」
「プラントの滅亡と、コーディネーターの消滅。ブルー・コスモスが望むものが、他に何かある?」
それは、ブルー・コスモスという思想団体が半世紀--すでに古い言い方だが--も前から唱え続けた目標にほかならない。
ヒメノカリスの声は夜の冷たさを含むように聞こえる。
「キラにだってわかってるはずでしょ。プラントは国として歪んでいる。優れた人の国を作ろうとするあまり、劣った人間を見下すことを当然のように捉えてる。ゼフィランサスだって、モビル・スーツ開発ができなければ処分されても不思議じゃなかった」
「それでも、ゼフィランサスを利用していることはプラントもエインセル・ハンターも同じだ」
「そう。それでどうするの? あなたはもう戦えない」
ヒメノカリスの言葉に誘発されたように、突然オーベルテューレのコクピットに警報音が鳴り響く。モニターには自動に現在の機体の状況を伝える画面が表示され、これによると廃熱が深刻なレベルで蓄積されていることを示していた。
「オーバー・ヒート……!」
そんなに激しい熱を生じさせるような使い方をしただろうか。
「その機体はゼフィランサスがお父様たちのために造った核動力搭載機の試作機にすぎない。排熱機構が不完全ですぐに熱が内部にこもってしまう。稼働時間が極めて短い欠点を抱えている。ミノフスキー・クラフトを全身に張り巡らせるためにどれほどのエネルギーが必要か知ってる? 現在の技術だと、それは核動力でないと解決できない」
ではオーベルテューレには核動力が搭載されているということになる。大西洋連邦はYMF-X000Aドレッドノートガンダムよりも先に核動力搭載機を完成させていたことになる。
世界の形は、キラが考えているものとは違って、遙かに大きく歪な形をしているらしい。警告音はけたたましく鳴り響いている。
「キラ、お父様の邪魔をすることは許さない。許されない。でも安心して。逆らったところで結果は何も変わらないから。どれほど蟻を踏みつぶしても、象は歩きたい方へ歩くことができるから」
静かな部屋。ゼフィランサスが研究者として与えられた部屋は、決して広くはない。大人数で使うわけではなく、助手と自分の2人分さえ確保できれば十分であるからだ。
ゼフィランサスの机しかない。助手であったプレア・レヴェリーの机は、公安職員が調査の名目で押収して以来、まだ返却されていない。
公安と聞いて、レイ・ユウキ、口を堅く結んだ男性の顔が思い浮かぶ。返却を申請したらどんな顔をするだろう。きっと、表情を崩さず、後は調査の進捗次第。
ゼフィランサスは部屋の入り口付近にいた。そこから室内を見渡していた。広くはないはずの部屋が、それでも広く感じる。
応接間としても使われるため、ソファーやテーブルが置かれているが、それでも、プレアが抜けた隙間を自覚させないほどには場所を占有してはいない。
ここが応接間として機能したのは1度だけ。他に人と出会う時は外で済ましてしまった。こんなことを思い出して、ソファーとテーブルの無為を高めても心は晴れない。そのただ1度の会談は、ユーリ・アマルフィ議員とのものであり、そこにはプレアも参加していた。
プレアはもういない。
ゼフィランサスはゆっくりとした足取りで自分の机に歩み寄る。引き出しを開くと、受話器とダイヤルが顔を見せる。傍受されてはならない通信は、このような仰々しい機器を介して行わなければならない。ある番号をダイヤルして、髪をかきわけて受話器を耳に当てる。繋がったことを確認してから、声を吹き込む。
「ユーリ議員ですか……? ゼフィランサス・ズールです……」
相手は、ユーリ・アマルフィ議員。プラント最高評議会議員にして、国防委員を兼任する急進派。以前は穏健派として知られていたが、息子の死を契機に転向、そして、ニュートロン・ジャマーを無効化する装置の封印を解いた人物として知られている。
会ったことはほんの1度だけ。物腰の穏やかな人で、悲しくなるくらい息子を愛していた。
「話は聞いています。ニュートロン・ジャマーを無効化する装置を完成させたと」
受話器の声は、以前よりもやつれた印象を受けた。
ユーリ議員はこう言っているが、基本的なものは手渡された時点で完成していたものであり、ゼフィランサスは安定性の調節とモビル・スーツに搭載できる規模のものを設計したにすぎない。
それでも、1つ約束ごとを交わした。
「以前……、命名を任せていただけるとお聞きしました……。それは今も有効でしょうか……?」
「では決まりましたか?」
ゼフィランサスは思いついていた名前を答えた。
「プレアと名付けたいと思います……」
ニュートロン・ジャマーを無効化する装置の開発に携わり、命を落とした少年の名である。もしこの装置がなければ、プレアはYMF-X000Aドレッドノートガンダムを持ち出すこともなく、今も生きていたかもしれない。たとえ、余命幾ばくもなくとも。
何か一つでも、この装置のために命を落とした少年の存在を残してあげたかった。
ユーリ議員はこの名前を認めてくださるだろうか。返事は、よいでも悪いでもなく、意外なものであった。
「助手の少年のお名前ですね。亡くなられたのですか?」
ユーリ議員もプレアには出会っている。データの引継を受けた時に。
プレアはユーリ議員が急進派に転向することを悲しんで、それでもニュートロン・ジャマーを無効化する装置の開発を割り切って、そして、その力で自分の最期を飾ろうとした。
ただ、そのことをユーリ議員が知っているはずはなかった。核動力搭載機が持ち出されたことは箝口令が敷かれ、詳細まで知っている人は限られるはずである。
ユーリ議員は一瞬の躊躇を見せた後、種明かしを始めた。
「失礼ながら勝手な想像です。ただ、他にあなたが泣いている理由がわかりません」
泣いている。ゼフィランサスはそっと、自身の頬に手を当てた。すると、そこには頬を伝う水の感触が確かにあった。自分が泣いていることにゼフィランサスはようやく気がついた。
すぐには言葉にできなかった。その間に、ユーリ議員は話を続けている。
「私からもお願いしてもよろしいでしょうか? ニコルの名前も、息子の名前も付け加えてはいただけませんか? ニュートロン・ジャマーを無効化する装置は、プレア・ニコルと」
肯定したくても涙で、うまく言葉にできない。
「ニコルはもういません。ただ、私は知ってもらいたい。息子が生きたということを。見せてあげたい。息子が命を落とした意味を」
たとえ、それがどのようなものであっても。世界を滅ぼす名前になってしまうかもしれない。忌み名として記憶されることになるかもしれない。それでも忘れ去られるよりは、何の意味も見いだされなくなってしまうよりはいい。
ゼフィランサスは知っている。
あなたの息子が死んだのは、あなたにニュートロン・ジャマーを無効化する装置を解放させるためです。そう、伝えることはできなかった。あまりに残酷で、とても聞かせられることではないから。
この残酷な事実に、ゼフィランサス自身関与しているとしても。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
涙は止めようがなかった。こんな言葉がどんな謝罪になるとは思わない。口を押さえて、涙を流して、そして、謝罪の言葉は止めどなく流れ続けた。