ならぶ3機のモビル・スーツ。1機はちぐはぐの装甲を白く染めている。黒い装甲を有するガンダム。赤い機体。この3機が並んでいる。ドッグには注水が開始されており、次第に水がそれぞれの機体を浸そうとしていた。
キラ・ヤマトがいるのは、白い機体のコクピットである。
従来のコクピットはシートの前にいくつものモニターが敷き詰められ、箱に押し込まれるような窮屈さがあった。しかし、ZZ-X000Aガンダムオーベルテューレは違った。コクピット全体が球形をしており、シートはショック・アブソーバーを兼ねるア-ムで中空に固定されている。壁すべてがモニターとして機能することで、見渡す限り外の様子を知ることができた。全天周囲モニターと呼ばれるもので、閉息感がないばかりでなく、周囲の様子を的確に把握できる利点がある。まだ開発途上と聞いていたが、ゼフィランサス・ズールの技術力を常識で計ることはできない。
操作性においてもこれまでのものとよい意味で大差ない。ちょうどパイロットの正面に張り出しているコンソールは小型化こそされているが、一目みただけで使用法がわかる。
今頃ディアッカ・エルスマンやアイリス・インディアも、機体の様子を確認している最中だろう。
「キラ、まさかとは思うが爆弾でも仕掛けられてないだろうな?」
「僕たちを殺すためだけに?」
モニターには表示されていないがディアッカのことだ、どこか皮肉じみた態度でシートの下でも探っているのかもしれない。
「でもディアッカさん、本当にいいんですか? このままだとザフトの人と戦うことになりますよ」
「外の連中に地球の機体に乗ってても味方であることを証明して地下にやばいのがあることを説明して撤退を説得して制限時間内に逃げ切る。そんな高難度のウルトラCかます気にはなれないからな」
水はすでにモビル・スーツを完全に覆うほどの水位に達していた。全天周囲モニターから見るとガラス玉に入れられて水中を漂っているように見える。
「アイリス、ディアッカ、君たちはアーク・エンジェルの援護に向かって欲しい」
「キラはどうする?」
「僕は、ムルタ・アズラエルを追う!」
Generation Unsubdued Nuclear Drive/Assult Module complex。
オーベルテューレのモニターには、新たなガンダムの名が示されていた。
焼き払われた荒野。ザフト軍はアラスカの大地にありったけ弾薬とありったけの火種を一度に放り込んだ。燃え尽きた木の躯が転がり、灰と化した木々に混ざるように破壊しつくされた何かの部品が、やはり転がっている。
残り火が揺れる他に動くものはなく、乾いた空には雲一つない。ただ何か、砂を紙の上に転がしたような黒い点が空にはちらほらと見えていた。それが、一斉に拡大する。空は突如、広がった多数の円が白い空に無数の穴をあけていた。
それはZGMF-1017ジンであった。巨大な落下傘につり下げられたジンがアサルト・ライフルを両手に保持したまま、空からゆっくりと降り下る。くすぶる炭化した幹を踏み裂き、鋼鉄の四肢が力強い。バクゥがその四足で体を支える横を、ジンの一団が隊列を組みながら早足で通り過ぎる。
空からはジンが、陸からはバクゥが次々にアラスカの大地へと乗りつけた。100万tの鋼鉄の軍団が空から陸から押し寄せる。
崖の中、岩山、地下に隠されていた高射砲が偽装を解かれ姿を現す。途端、空には曳光弾の帯が引かれ、直撃を受けたジンがパラシュートにつられたまま火の玉と化した。水平に放たれた弾丸はバクゥの前足を撃ち抜き、バクゥは頭から燃え残っていた木々に突っ込む。
しかし砲撃の数がまるで足りていない。ジンは次々と降下を果たし、鋼鉄の進軍へと足並みをそろえていく。アサルト・ライフルの銃声は木々を薙払い、次々と砲台を沈黙させていく。
スライドした地面から姿を現した滑走路からは戦闘機が出撃し、岩盤が展開することで姿を現したハッチからはGAT-01デュエルダガーが出撃する。このアラスカの大地は、それが大西洋連邦軍の本部であることを突然思い出したように反撃を開始する。
しかし、数が足りていないのだ。防衛線が十分に機能していない。くすぶる木を踏み倒して現れたジンへとデュエルダガーから放たれたビームを直撃する。1機撃墜。しかし押し寄せるザフト軍はたやすく反撃へと打って出た。浴びせかけるように放たれたアサルト・ライフルの弾雨がデュエルダガーを破壊し、ジンは敵機の残骸に目もくれることなく進軍する。
出撃するモビル・スーツも、配置につく戦艦さえ、ザフトの主力部隊の猛攻を抑えるにはまるで力を満たしてなどいない。ザフトはそれをナチュラルの無策と信じた。事実を知る者だけがその真意とその恐ろしさを知っている。
ザフトの攻撃は激しさを増している。通路には運び込まれたけが人で溢れ、飛び交う声はあわただしいばかりである。明らかに防衛に当たる戦力が少ない。デュエルダガーの配備数が足りておらず、徐々にザフト軍に防衛線を突破されつつあるのだ。
上層部は何をしているのか。
マリュー・ラミアスはそう、爪を噛みながら通路を早足で駆け抜けた。基地の中心部に向かうにつれ、壁にもたれて倒れる人、その看護にあたる人の数が減っていく。その様には寂しささえ覚えた。いつの頃だっただろう。この寂しさが違和感、そして、焦燥感と疑念に変わったのは。
マリューはふと足を止めた。
足音が消えて、すると、音らしい音がすべて消失する。誰もいない。大西洋連邦軍の中枢に誰もいないのである。本来なら攻撃に備えてあわただしいことこの上ないはずなのだ。
人の姿を探して、通路の両壁に並んでいる扉を手当たり次第に開けてみることにした。開閉ボタンを押してみてもまるで開く気配がない。次の扉も、その次の扉も、試しに手動での開けてみようとしてもまるで開く気配がない。10ほど扉を試した後だろうか、唐突に開く扉が見つかった。
内部は薄暗い。照明はついているようだが、いかんせん部屋が広い。足を踏み入れてみると、部屋の奥は広大な空間が広がっているとわかる。響く足音が広く響くのだ。空間に音を響かせながら部屋の中心へと歩く。ただ、それはすぐに手すりによって邪魔されてしまう。手すりに掴まり、下を覗き込む。すると、そこにはいくつものパラボラ・アンテナが敷き詰められるように並んでいた。
こんな地下で一体どんな電波を受け取ると言うのだろう。得体の知れない何かが起きている。司令部が空であること。そして、使途不明のパラボラ。それがどのように繋がるのかなどわからないが無関係であるはずがない。
マリューは走り出した。
この部屋はパラボラ・アンテナを設置してある一角を取り巻くように左右に弧を描いて伸びていた。壁には扉も見えれば、通路の口が開いてもいる。誰か事情を知る人物の1人くらいいても不思議はない。
「誰か、誰かいないか!?」
声を張り上げながら走っているため、すぐに息が切れてしまう。ただ、幸いなことに、ただ1度声を出しただけですぐに人は見つかった。マリューが目指していた通路から、男が1人現れたのである。近くにまで走りよっていたため、男との距離は思いの外近いものになった。
白い軍服。大西洋連邦軍のもので、階級章は大佐のものである。胸に青い薔薇の紋章を掲げ、その目は仮面に隠されている。
一瞬、ここにいるはずもない人物の名前が浮かび、それを頭からぬぐい去るよう意識する。しかし、こんな仮面をつけた男など他にいるはずがない。
「あなたは……、ラウ・ル・クルーゼ!」
以前会った時も白いノーマル・スーツを身につけ、目元を隠して柔らかな金髪に顔を縁取っていた。どこか皮肉じみた笑い方も変わるところがない。
「覚えていてくれたとは光栄だ」
クルーゼが1歩近づいてくる。マリューは反射的に後ずさり、懐から取り出した銃を両手で構えた。
「ザフトであるはずのあなたが何故!?」
以前はクルーゼに銃を突きつけられる形の出会いであった。現在は立場が逆転している。そのはずだが、力関係はまるで変わっていないようにさえ思えた。あくまでも余裕を見せるクルーゼに、マリューはどうしても主導権を握ることができないでいる。
「スパイとしてザフトに潜入していたと言えば、信じてもらえるかね?」
それが愚かなことだとはわかりながらも、マリューはつい相手の顔から視線を下げた。胸に咲いた青薔薇を確認したのである。青い薔薇。それはブルー・コスモスを、コーディネーターの徹底根絶を謳う急進派の意志を示す。
「あなた方は……、一体何を……?」
顎で円形の部屋の内側、大量のパラボナが植えられている広大な空間。あれが何なのか、マリューには皆目見当もつかない。しかし、得体の知れない恐ろしさが銃を構える腕に無用な緊張を与えていた。
「答えてもいいが、まずはその物騒なものを降ろしてはもらえんかね?」
とてもではないが下ろす気にはなれない。こう自信に溢れた姿を見せられていると、どうしてもこの男を撃ち殺せるイメージが想像できない。悪い兆候である。頭で勝てないと思い込み始めてしまっている。
クルーゼはかすかに笑った。あまりに必死なマリューのことがおかしくてならないのだろう。
「これはサイクロプス。マイクロ波を広域に照射する装置だ。早い話が、アラスカを電子レンジに放り込むと思えばいい」
「そんなものを使ったら友軍も……」
これまで幾度考えたことだろう。軍人として、情けない顔や、頼り気ない声を出してはならないと。そして、幾度、後悔を繰り返したことか。
クルーゼはサングラスの位置を直すほどの余裕を見せつけながら、口元を歪ませていた。
「穏健派を気取る諸君には、たしかにすまないことをする」
この時、話がつながった。司令部の不在。そして、サイクロプスという大量破壊兵器。急進派は、穏健派の主要人物を抹殺して実権を握るとともにザフトの虎の子の戦力を奪うつもりなのだ。
銃口の先で男は笑っていた。これから多くの人を殺すというのに罪悪感は微塵も感じられない。マリューの指先1つで左右されるほど危機的状況にあると言うのに、恐怖は覚えてなどいない。
クルーゼは手を差し出した。マリューはつい引き金に指をかける。
「ここで私を撃てば君も死ぬ。どうかね。私を助けてくれるなら、安全な場所への船旅を約束しよう。それとも、今から装置をとめてみせるかね?」
本気で命乞いをしているわけではないのだろう。このような状況でさえ、この男はゲームにでも興じているかのような態度を崩そうとしない。マリューは息を吸い込んだ。正義感や使命感ではない。圧倒的な恐れがマリューをつき動かす。この男を、ラウ・ル・クルーゼを生き長らえらせることがただただ恐ろしい。
「そうね、あなたを倒してから、そうさせてもらうわ!」
心臓へとめがけて、マリューは引き金を引く。思いの外軽く聞こえる発砲音がして、手には反動からくる痺れ。そして、クルーゼはマリューが手にする銃を掴んでいた。何が起きたのかわからない。かわされた。そうとしか考えられないと結論付けたとほぼ同時に、マリューは腹部に鋭い痛みを感じた。
クルーゼの腕が自分の腹部にめり込んでいる様を見下ろしながら、マリューの意識は沈んでいった。
アラスカを流れる広大な運河。これがアーク・エンジェルに任せられた戦場である。その白い艦体はなだらかな河に浮かび、激しい攻撃にさらされていた。ザフト軍の戦闘機であるノスフェラトゥスが風切り音を発しながら河の上を通り過ぎる。水面には小さな水柱がいくつも立ち上がり、やがてアーク・エンジェルの装甲に火花が走った。
「左舷、弾幕薄いぞ、何をしている!」
「やってるわよ!」
艦長であるナタル・バジルールの言葉に、苛立った様子でフレイ・アルスターが舵を大きく動かす。アーク・エンジェルは徐々に向きを変え、曳光弾の弾幕がそれに伴い動いた。
「フレイ、2機行った!」
FX-550スカイグラスパーの姿はブリッジからでも見えている。現在の数少ない防空戦力としてアーノルド・ノイマン曹長はよくしてくれている。だが、大回りな旋回を必要とする重戦闘機は防衛に適していない。網を抜けたジンがアーク・エンジェルの脇を通り抜けるように飛び去っていく。
「防衛戦力が少なすぎる……?」
周囲に展開する戦艦、モビル・スーツの数が十分であるようには思われない。実際、アーク・エンジェルの周囲に味方の姿はまばらで孤立しているように錯覚させられるほどだ。だが、ほとんどの部隊でアーク・エンジェルと同様の状況におかれている。
このままではこの瞬間にもザフトに押し切られかねない。
アーク・エンジェルでは慢性的な人手不足から艦長であるナタルが管制を兼任しているという極めて特殊な状況にある。そのため、アーク・エンジェルに所属するパイロットからの通信は、当然のようにナタルが受けた。
「こちらアイリス・インディア。ナタルさん、援護します!」
「アイリス? どこから……」
その時のことだ。アーク・エンジェルへと向かっていたジンが、水中から飛び出したビームによって撃墜された。腹部を一撃で貫通されたのである。このビームの破壊力は、ガンダムのそれを思わせた。
続いて水面を突き破り、黒と赤がアーク・エンジェルを守るように飛び上がった。
GAT-X207ネロブリッツガンダム。ブリッツガンダムに比べ機体そのものに大きな変更は見られない。しかしバック・パックはより複雑な形状に換装されており、淡い輝きに包まれていた。光に包まれたまま、ブリッツは浮かぶではなく飛んでいる。ミノフスキー・クラフト。まさに光り輝く装甲そのものが揚力を与えるこの機構は、バック・パックという一部の装甲を包むだけでさえモビル・スーツに飛行を可能とする。
ネロブリッツへと向けてバズーカが放たれる。確実に目標を捉えているはずの弾頭は、しかしネロブリッツが真横へと滑るように移動--スラスターの位置からすればありえない機動である--することでたやすくかわす。
反撃として放ったビームはバズーカ砲そのものを撃ち抜き、破裂した爆発は保持者であったジンを大きく吹き飛ばす。
アーク・エンジェルへと攻撃を仕掛けようとしていたジンはガンダムの登場に身を引き、入れ替わるように前にでる戦闘機が多数、一斉にミサイルを発射する。
背後にはアーク・エンジェル。ネロブリッツには両腕にGAT-X207ブリッツガンダムと同様の複合兵装が装備されている。2門のビーム・ライフル。
「アイリス、合わせろ! 撃ち漏らしたのを頼む」
「はい!」
飛来するミサイルへと2筋のビームが放たれる。直撃せずともビームの膨大な熱量はすれ違いざまにミサイルを一斉に爆発させる。爆煙の中、誘爆を免れたミサイルが通り抜ける。
そこを、GAT-X303AAロッソイージスガンダムは右手のライフルで正確に狙い撃つ。残されたミサイルもまた、破裂して消える。
ネロブリッツは軽やかに飛翔する。
「ミノフスキー・クラフトか。まさかモビル・スーツが空を飛ぶ日が来るなんてな」
ジンはスラスター出力の関係上、連続して飛行することができない。地に足をつけるジンはアサルト・ライフルを上空へと向け、しかし飛び回るネロブリッツを追いかけ銃身を振り回すでしかない。そこへ、ネロブリッツから放たれたビームが地を焼き、ジンの足を破壊する。
空からは輸送機からジンが運ばれている。後部ハッチから眼下にアーク・エンジェルを見据えたジンが空へと踏み出す。
それを、アイリスは見逃さない。
「ディアッカさん、ここ、お願いします!」
ロッソイージス。同様にバック・パックを輝かせ、生み出された推進力がイージスの赤い体を加速させていく。ガンダムは空を飛ぶ。ジンは浮かぶことしかできない。自由に動き回るロッソイージスに対して、降下を始めたジンは逆噴射を続け、降下を続ける他ない。
ジンは迫るロッソイージスへとアサルト・ライフルを連射する。身を翻し接近するロッソイージス。それは奇妙な動きを見せた。四肢が不自然に四方へと引き延ばされ、人の形が崩れるとともに新たな形が構築される。それは巨大な腕。四肢は爪に、バック・パックから1対の構造が第5、第6の爪として加わり、6本爪の腕が覆い被さるようにジンを掴み。血塗られた手に鷲掴みにされたジンは完全に身動きを封じられたまま輸送機へ運ばれていく。
ロッソイージスは手のひらに設置されたビーム砲を撃ち放つ。ジンの装甲をたやすく貫通し、ビームの塊はそのまま輸送機へと延びた。被弾箇所は左の翼。左翼のエンジンを破壊された輸送機は燃料に引火し、爆発に引き裂かれ破片が周囲に降り落ちる。
ザフトの攻勢が和らぐ。その隙を逃さず、ディアッカはネロブリッツをアーク・エンジェルの甲板へとネロブリッツを着地させた。
「バジルールさんだったか、今からデータを転送する。無理だとは思うが驚かず見てくれ」
アラスカの冷たい海に水柱が立ち、海中に泡の柱が立つ。それが次々にキラの行く手をふさぎ、柱並ぶ海中宮殿の様相を呈していた。
アラスカを脱出しようとする大西洋連邦軍の潜水艦の群めがけてザフト軍が空爆を続けているのだ。
海中を進むZZ-X000Aガンダムオーベルテューレのモニターには十分な深度に達する前に爆撃を直撃され、吹き出す血のように泡を吐き出しながら沈んでいく潜水艦の姿が映し出されていた。
脱出さえ許さぬ鉄壁の布陣でザフトはアラスカの殲滅を画策しているらしい。パトリック・ザラ新議長はタカ派で有名だが、この作戦は新議長の性格を顕しているというよりも焦りを感じさせる。まだ副議長であった頃、ザラ議長は当時のシーゲル・クライン議長の手ぬるい作戦が戦況を長引かせていると再三非難していた。議長となった今、何か劇的な戦果を見せつける必要があることは想像に難くない。
何より、地球最大の要所であるジブラルタル基地は地球軍の大規模反攻作戦にさらされており、議長就任直後にジブラルタルを奪還されるような失態をザラ議長が受け入れられるはずがない。ザラ議長はパナマ基地襲撃のような生ぬるい作戦ではなく、アラスカの本部を急襲するという作戦を選ばざるを得なかったはずだ。
(すべて仕組まれていたのか?)
GAT-01デュエルダガーの実戦配備。これを境にアフリカ戦線の戦況は大きく変わった。これは、本来ならば投入できないはずのタイミングであった。GATシリーズ--GAT-105ストライクガンダムをはじめとする5機の機体群--のデータを使用したにしては量産機の開発もパイロットの完熟訓練も早すぎる。
もっとも、これ以上作戦、戦略にかけていられる時間もあまりなさそうだ。
すでに逆さまの水柱が海中に突き立てられる戦場が近くに見えていた。深度を下げようと潜水艦が鯨の群のように動くその周囲をZGMF-1017ジンが、かつて銛一つで鯨に挑んだ漁師のように追いかけていた。
ジンは元々水中用の機体ではない。汎用性の高さこそ認めるが相当無茶をしていることだろう。海中に降り注ぐ陽光を遮ってザフトの輸送機と思われる巨大な影が海の中に揺らいだ。そして、海面を突き破って落ちた爆弾が水中で爆発する。振動は離れたオーベルテューレにまで伝わってきた。
ジンにこれほどの無理をさせてまで逃すことができない相手だとザフトは踏んだらしい。ならば、ここにムルタ・アズラエルがいる可能性は高い。
視界はひどく悪い。昼間でありながら揺れに揺れる海面は陽光を乱反射して水中には光と影とが踊っている。降下した爆弾が炸裂する度、潜水艦が被弾する度に吐き出される泡が白く視界を塞ぐ。水中に嵐が吹き荒れていた。
オーベルテューレを見つけたのだろう。ジンが1機、重斬刀を両手に構え突進してくる。水中ではモビル・スーツの装備は大半が使用できない。このような鉄の塊を振り回すしか方法がない。実際、キラもまたビーム・ライフルを腰にマウントし、左手にシールドを構えているだけの状況である。水中は抵抗が大気とは比べものにならないほど強い。ジンはその体を重そうに動かし、剣を突き出すように構えている。
操縦桿にいつもとは違った手応えを覚えながら、キラは初めての水中戦を静かに受け入れようとしていた。アリス。この機体にも搭載されているOSが水の抵抗を計算し、それに適応した補正を行ってくれる。それが完成した時、操縦桿からいやな手応えがなくなった。
剣を突き出すジン。重斬刀の切っ先をやすやすとかわすと、オーベルテューレはシールドを縁をジンの頭部へとカウンターの形で突き立てる。モノアイが砕きながら深々と突き刺さるシールド。動きを止めたジンから重斬刀を奪い取り、そのコクピットへと突き立てた。切れ味の鈍い刀は、それでもコクピット・ハッチを歪ませるには十分な攻撃力を有している。今頃ジンのコクピットには低温の海水が流れ込みパイロットを溺れさせていることだろう。
ジンを蹴り飛ばす形で押しのけ、キラはオーベルテューレを加速させる。水中では思うように速度は出ないが、潜水艦の群に追いつくことくらいはできる。
ジンの群が潜水艦にとりつき、重斬刀を突き立てていた。まるで鯨に人が抱きつくかのような光景で、なかなか見ることのできない光景ではあった。やがて装甲を突き破られた潜水艦は泡を吹き出しながら急速に深度を下げていく。水圧を考慮に入れていない無理な降下で、撃沈されたか、艦長が賭けに出たかのどちらかだろう。
この周囲はそんな潜水艦が数多く、海中はほとんど泡の白さに包まれている。
オーベルテューレを見つけて挑みかかってくるジンを、先程奪った重斬刀で頭部を一突きにして撃退する。さらに先に進む。すると、一際大型の潜水艦が、泡を吹きだしながらゆっくりと沈降を続けていた。
大きいものは偉い。単純な理屈で、キラはこの潜水艦にムルタ・アズラエルがいると判断した。それはジンにとっても同じことなのだろう。次々にジンが大型潜水艦へと集まり始めているようであった。
泡にまみれまともに見ることのできない潜水艦の姿。その泡の中から、輝く弾丸が突如ジンを撃ち抜く。明らかにビームの輝きだ。
「水中でビームを使える!?」
一撃で破壊されたジンが泡の塊に姿を変えたように、この破壊力はビームに他ならない。だが、ビームは完全な熱量兵器だ。水中で使用すれば周辺の水が瞬く間に沸騰し、水蒸気爆発を引き起こす。しかし水中を走った光は間違いなくビームであった。
潜水艦の甲板上に何かがいる。それは次々とビームを放ち、押し寄せるジンの勢いを完全に削ぐ形で次々に撃墜している。
もはや何をどう判断していいかわからない光景だ。続く爆撃。ジンは燃える。潜水艦から吐き出される泡はその何かの姿を完全に隠す。
この距離から得られるものは何もない。加速したオーベルテューレは攻勢を緩めたジンを追い越す形で潜水艦へと接近する。モニターが輝く。放たれたビームを回避すると、逃がし損ねた重斬刀がたやすくへし折れ、流された先で周囲の海水を巻き込んで爆発する。次弾はシールドで防いだ。直撃したビームはその身の熱を思い出したように海水を巻き込み爆発し、膨大な泡を生じさせる。シールドを前に、泡を突き破りながら、オーベルテューレは潜水艦をその視界に捉えた。
極めて大型の潜水艦で、その広い甲板にはモビル・スーツが楽に立つことができる。そして泡もひどい。床にあたる甲板の隙間から吹き出す泡は立ち上る煙のように視界のほとんどを塞いでいる。オーベルテューレのセンサーで正面に別のモビル・スーツが立っていることはわかるが、その姿は判然としない。
おぼろげなシルエット。ただ、水中の霧の中に光る双眸と、乱れる陽光にかすかに反射しては消えるブレード・アンテナの輝きは、それがガンダムであることを物語っている。
攻撃してくる様子もなく、ガンダムはオーベルテューレと対峙していた。
「よう、キラ。どうだ? 新しいガンダムの乗り心地は?」
通信は、オープン・チャンネルという訳ではないらしい。ゼフィランサスの悪戯か、ガンダム同士をつなぐ専用のチャンネルが設定されていた。
声には覚えがあった。
「フラガ大尉……」
「大佐だ」
アフリカにおける戦闘でM.I.A--作戦中に行方不明になったことを意味する--となったムウ・ラ・フラガ大尉の声だ。なかなかどうして殺しても死にそうにない人だと考えていたが、その飄々とした様子はいつ、どこでも変わらない。
「急進派のスパイだってことですか?」
「まあな。だが勘違いしてくれるな。俺は下っ端じゃない。俺もムルタ・アズラエルだ。3人いる内のな」
ムルタ・アズラエルは神出鬼没だとは聞いていたが、3人いるのだとすればカガリ・ユラ・アスハが振り回されたことも頷けるだろうか。ブルー・コスモスは3輪の青薔薇を象徴に掲げる。当たり前のことを、今一度思い出した。
「キラ、別に俺たちが敵対する理由はないはずだ。お前はゼフィランサスを助けたい。それは俺たちも同じだ。プラントを潰し、シーゲル・クライン、パトリック・ザラを殺してな。エインセルやラウがどう言ったか知らないが、お前が俺たちの敵になる理由はない」
「僕はあなたたちを信用しきれない。この10年、あなたたちはゼフィランサスを利用するでしかなかった」
「確かにな。だが俺たちは決めたんだ。たとえ間違っていようと、行動を起こすってな。ゼフィランサスはよくしてくれた。このガンダムも、もちろんお前のガンダムもゼフィランサスが造ったものだ」
「はじめから計画されたたことなんですね、何もかも」
泡は一層激しさを増していた。2機のガンダムを包み込み、さらに視界を白く潰していく。
「そうだ。モビル・スーツの開発を主導したのは確かに穏健派だが、俺たち急進派はすでにモビル・スーツの開発を終えていた。ヘリオポリスで造られたGATシリーズは所詮、見せ金にすぎない。大西洋連邦製のモビル・スーツの始祖はGATシリーズじゃない。このゼフィランサス・ナンバーズだ」
早すぎるデュエルダガーの実戦配備の説明がつく。穏健派が、モビル・スーツ開発という成果を持ち出しても影響力を拡大できなかったこと、奪取されたガンダムの奪還に大西洋連邦が驚くほど無頓着であったこともだ。
すべて、ただ目の前にぶら下げられた餌なのだとしたら。
「ゼフィランサスはすでに3年前にモビル・スーツの基本設計を完成させていた。ゼフィランサス・ナンバーズについてもな。だが、まだ時じゃない。ようやく時が来た。この戦争は、俺たちムルタ・アズラエルが創り出す」
限界を迎えた潜水艦が最後の一息のように膨大な量の泡を吹き出しながら急速に傾いていく。甲板からオーベルテューレを浮上させると、すでにムウ・ラ・フラガの姿を完全に見失っていた。
ガンダムは、海の深淵の中にその姿を消していた。
いくつもの無限軌道に支えられる大型戦艦からバルカン砲を間断なく空へとばらまかれている。満足に狙いなどついていない。数に任せた攻撃を、時に弾幕と呼ぶ。戦艦が1隻でも存在すれば、その一体は戦艦の砲撃によって、敵機にとっては容易に通り抜けることができない空間と化す。
拠点としてだけではなく、防衛線としても戦艦は機能するのである。
アスモデウスの指揮官はデュエイン・ハルバートン少将。普段から冷静であろうと努めるこの指揮官でさえ、声を荒らげることはある。ブリッジ、艦長席の上でハルバートンは椅子から取り上げた受話器に向かって怒鳴った。
「それは事実か!?」
現在は戦闘中であり、ブリッジには30名ほどのクルーが慌ただしい。モニターにも油断できない戦況が絶えず映し出されており、ハルバートンの声を気にするものはいない。
通信を通して戻ってきた声はナタル・バジルール中尉のものである。
「残念ながら、蓋然性は高いものと」
通信のこれまでの内容はこうだ。現在、ジョシュアの地下には広域にマイクロ波を照射する装置が秘密裡に設置されている。アラスカの防衛にあたる将校はその大半が穏健派に属している。そのことを、疑問に思わないわけではなかったが、作戦面にまで急進派の影響力は及んでいないだろうと高をくくっていた。穏健派ごと、ザフト軍の戦力を始末してしまうつもりなのだとすれば、あまりに多くのことが説明できてしまう。
歯など砕け散ってしまえばいい。ハルバートンは悔しさと怒りに限界まで歯を食いしばる。
「急進派は! ブルー・コスモスは人の心を失ってまで戦争がしたいのか!?」
この声には、幾人かのクルーが振り向いて艦長席を見上げた。ハンニバル級のブリッジは3層に分かれた階段状の構造をしている。最上段に艦長席が存在するため、クルーが艦長を見るためには見上げなければならない。見上げる手間にもかかわらず耳目を集めるほど、ハルバートンはいきり立っていた。
「何故……、このようなことを……!」
受話器を持たない手で、ハルバートンは顔を覆う。できることなら泣き出してしまいたい。今、穏健派と急進派で争っている余裕などない。そう信じ、ガンダムのような力を産み出させてまでその争いを終息させようと努めてきた。軍人として、過度な戦争を行うでしかない世界を変えようと尽力してきた。その結果が、敵をおびき寄せる餌として焼き尽くされるとは、死んでも死にきれるものではない。
そう、このまま死ぬわけにはいかない。
ハルバートンは顔から手を取り払い、その手を座席のコンソールに叩きつけた。陸上戦艦アスモデウスと通信が繋がっている全戦艦へと一括で送信する。
「防衛にあたる各員に次ぐ! 現在サイクロプスなる大規模兵器が始動中である。この兵器はアラスカ全域を破壊するものであり、すでに基地機能は移設されている。よって、総合最高司令部防衛という我々の任務は事実上達成されたものと判断! 各艦、各機の戦線離脱を許可する!」
無論、現在のハルバートンにそのような命令を発する権限もなければ、任務達成など言葉の遊びにすぎない。現時点で戦線を離れれば敵前逃亡に問われる恐れがある。果たして何人の兵が反逆罪を受け入れる覚悟があるだろうか。何人の兵がハルバートンの意を汲んでくれるだろうか。
ハルバートンは今1度手で顔を覆った。結果はまもなくでることだろう。果たしてどのような通信が戻ってくることか。事態のさらに詳細な説明を求めるものだろうか。それとも免罪の確約を求める言葉だろうか。
そのどちらでもない。
このアスモデウスへ、そして、ハルバートンが撤退命令を送ったすべての戦艦へと、声が届いた。
「各員へ。現在の指令はハルバートン将軍の独断にすぎない。戦線離脱は許可されない」
年を経た壮年の声音。忘れもしない、穏健派筆頭、ウィリアム・サザーランド大将の声である。
「サザーランド将軍、あなたは何を!?」
このままでは穏健派、そして何も知らぬ兵が犠牲にされてしまう。そんなことを穏健派筆頭が認めていいはずがない。そもそもジョシュアを焼き尽くすほどの兵器を何故穏健派に気づかれることもなく設置できたのか。
そう考えが至った時、ハルバートンは受話器を取り落とさんばかりに動揺を示した。目が見開かれ、口が力なく開け放たれる。ハルバートンの様子など構うことなく、サザーランド大将の声は一方的に話を繋いでいく。
「我々は穏健派などと呼ばれているが、勘違いしてはならんよ。我々はあくまでも軍人だ。国民の生命と財産を守る義務が我々にはある」
ガンダムの機密が漏洩したために、急進派は量産型モビル・スーツの開発に迅速に着手し、穏健派の影響力向上には目立って役立つことはなかった。機密の強度を考えればわかることではないのか。情報源が穏健派の中でも上層部にいる者であるということを。それを、まさか将校が関わっているはずがないと意識に上らせることさえなかった。
「誰だとて戦争は嫌なものだ。傷つきたくなどない。殺されたくなどない。奪われたくなどない」
その声は、あくまでも平静である。
「だが、それは臆病の言い訳であってはならない」
もはやサザーランド大将の言葉など聞いてはいない。ハルバートンは心に溜まった暗い失望をいくらか汲み上げて、意図して言葉にこぼした。
「あなただったのですね……、急進派に寝返った裏切り者は!」
言い終えると、思いの外自分の声が響くことに気づいた。もはやブリッジのクルーの大半がハルバートンとサザーランドとのやりとりに耳を傾けていた。誰もが待っているのである。最後の、ほんのわずかな希望をもって。
息苦しい沈黙の後に聞こえた言葉は、さらに重くのしかかる。
「否定はせんよ」
かなわぬわけだ。勝てぬわけだ。見透かされるに決まっている。急進派にとって、穏健派の足掻きなど手の上で踊る猿ほどにも考えていなかったに違いない。
サザーランド大将からの通信は途切れた。
クルーたちは仕事を忘れ、ハルバートンの方を見ている。言葉を、指示を待っているのだ。受話器に持つ手に力を込める。椅子に1度座り直す。ハルバートンとて、意識を改める必要があった。1度クルーの顔を眺めて、鼻から息を吸い込む。
「聞いての通りだ。戦線離脱は認められない」
この声は各戦艦にも届いている。これまで幾度も戦えと命じ、何人もの部下を死なせてきた。しかし、1度も、ただの1度も死ねと命じたことはない。この場に残ればサイクロプスに焼き尽くされる。戦えと命じたならば、それは死ねと命じることと同義である。
ではどうするのか。答えは決まっている。ハルバートンは声の限りに叫んだ。
「だが、私は決して死ねと命じることはできない!」
デュエイン・ハルバートン。最後の意地を見せるべき時であるようだ。
「現時刻をもって、本艦はこの戦域を離脱する!」
アーク・エンジェルのブリッジにおいて、ナタルは声を張り上げた。
すぐさま反応を見せたのはダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世軍曹である。すぐさまナタルの方へと振り向き、薄いサングラス越しに慌てた眼差しが見て取れる。
「しかし、敵前逃亡は銃殺刑ものの反逆行為です」
「全責任は私が負う!」
このような意見がでることはわかりきっていた。ナタルは被せるようにダリダの言葉を潰す。もちろん、この言葉でクルーたちが全員無罪放免になる保証はない。それでも、ダリダからの反論はなかった。穿った見方をするなら、この一言で死への恐怖と軍法会議への恐れを並べた天秤が逆転したのだろう。
モニター、風防から見える戦場は様相に変化が生じていた。大西洋連邦軍から離脱する部隊が出始めたことで戦況が混沌とし始めている。残念ながら他の部隊との連携は望めそうにない。
ザフトからの攻撃が激しさを増す。最後の総攻撃に出たとでも思われたのだろうか。戦線が勢いを増し、目に見えて曳光弾が文字通りの垂れ幕のように空を覆っている。
アーク・エンジェルは流れに沿って河を下っている。大天使は空を飛ぶ。しかし今飛び立てばザフトの集中攻撃にさらされる。船旅を続けることもできない。
「留まるも地獄。行くも地獄か……」
何か一つ、ザフトの包囲網を突き崩す切っ掛けを必要とした。
「私は命じよう! 反逆せねばならんのなら、反逆者の汚名を受けよ! 何があったとしても生き抜いて見せよ! 誰かが伝えねばならん! ブルー・コスモスの凶行を! 誰かが止めねばならんのだ!」
猛将の言葉は、まるで直に耳にしたように響く。
要塞がそのまま歩き出すほどの地響きと土煙。曳光弾のやまあらしと化したハンニバル級の巨大な無限軌道の生み出す駆動音がアラスカの大地を走り抜けていく。
ハルバートン少将はハンニバル級を犠牲に活路を開くつもりなのだ。分の悪い賭けだが、少将なら付き合うに悪い相手ではない。
「アルスター一等兵! 本艦はこれより敵陣を切り裂いて離脱する。航行用意!」
「了解!」
艦内全体を揺らす振動と鳴動に、体に徐々に圧力がかかっていく。艦体が加速を始め今、アーク・エンジェルは飛び立たんと水面を引き裂き傾き始めた。
戦いの空へ。ザフトがひしめく戦場が待っている。
2機のガンダムは左右に展開するアーク・エンジェルの脚状の構造に立っている。
「ここが、踏ん張りどころですね、ディアッカさん」
「今からでも、俺はザフトだと叫びたい気分だ……」
「全速前進! この艦を盾とする!」
ハンニバル級陸上戦艦の巨大な体がそのもてる力の限りの走り出す。象の群が走り出すがごとく要塞が動く。焼かれた森を踏み砕きながら、凍土の空に弾丸、弾薬の限りをばらまき猛進する。
前線を瘤一つ分盛り上がったハンニバル級など格好の的であろう。
ジンの隊列が一斉にアサルト・ライフルを放ち、戦闘機が機銃を掃射する。爆撃の火柱がハンニバル級を狙い立ち並び、その振動にハルバートンは艦長席にしがみつきながらそれに耐えた。
たかが戦艦一つにご大層なものだ。
だが、それでもいい。アスモデウスに攻撃が集まった分だけ、活路を見いだす部隊が現れるかもしれないのだ。それだけでも命を捨てる価値はある。一軍の将としての責任を果たすことができるのである。
ハンニバル級が大きく揺れる。ブリッジ付近に直撃をくらったのだろう。黒煙が入り込む、飛び込んだ破片がハルバートンの額を切り裂く。痛みにうめく。だが、怯んでいる余裕などない。ブリッジの中では負傷し、倒れたまま動かなくなったクルーの姿も見られた。
「君たちは脱出したまえ。ただ直進させるだけならば私だけで十分だ」
声を通したつもりであったが、クルーたちは誰も振り向こうとしない。傷ついたクルーさえも起き上がりこの鈍重な戦艦に息吹を与え続けようとする。
「すまない……」
傷だらけの戦艦は突き進む。装甲は砕け、剥き出しの構造からは火花と黒煙が立ち上る。焼き尽くされた大地を創痍の巨象が行進する。迎え撃つフラッシュ・マズルの輝きは巨象を照らす。
それは巨木を倒すに似ている。斧を振り下ろす。倒れるだろうと、いつか倒れるだろうと木こりは考える。しかし木はいつまでも倒れない。苛立つように幹を刻む。それでも木は倒れない。倒れないから木こりは斧を振り回す。そして逃げ遅れる。天を覆うほどの巨木が、自分たちめがけて倒れてくるその時まで。
もはや間に合わない。そう、ザフトが確信した時にはすべてが遅かった。突進を続けるハンニバル級は大地に巨大な轍を刻みながら、炎に包まれながらも突き進む。
ジンが一斉に逃げ出し始めた。ライフルを投げ捨て、背を見せて走り出すその様は人の臆病を彷彿とさせる。牽かれ、足から無限軌道の下へと引きずり込まれていく。逃げ遅れた木こりは大木の下敷きになる。
そう、すでに倒れているのだ。ハンニバル級を動かすのは巨大なエンジンであり、そして軍人の意地であった。
ただ突き進む屍と化したハンニバル級の針路上にザフト軍地上戦艦がある。主砲がハンニバル級へと突き刺さる。倒れかかる巨木にどれほど斧をくれようと意味をなさない。ただ押し潰されるだけである。
燃えさかるハンニバル級はザフト軍地上戦艦へと衝突する。世界中の銅鑼を一斉にかき鳴らしたような轟音。大気が震え、戦艦2隻分の爆発から生じた爆風はすべてを覆い隠す。
爆煙は一向に晴れることがない。ザフトはこの壮大な特攻に完全に意識えを奪われ、攻撃の手をとめてさえいた。その一瞬、煙を突き抜けスカイグラスパーが飛び抜ける。思い出したようにライフルを向けようとするジンの群。だが、彼らは知らないでいる。スカイグラスパーは単なる水先案内人にすぎないということを。
煙を吹き飛ばしながら白亜の戦艦が飛翔する。それは突風さえ生じさえ、スラスター出力を頼りに浮かんでいるだけのジンの中には吹き飛ばされたものの姿さえあった。必死に耐えようと踏みとどまるジンにアーク・エンジェルの巨大な艦体が迫る。
甲板の上にはロッソイージス。小手にビーム・サーベル発振装置を有するロッソイージスはライフルを保持したままサーベルを発生させることが可能である。発生させたビーム・サーベルを肘打ちでもするかのような動作でジンの胴を裂く。
二つに分かれたジンを残して、アーク・エンジェルは空を裂いて加速する。
ここは場違いな部屋であった。絨毯が敷き詰められ、置かれた家具は調度品と気取った呼び方しか許されないほど豪奢なものが揃えられている。
装飾が施されたテーブルを挟んで座っているのは男が2人である。1人は美しい男であった。後ろには妻と娘を侍らせ、ただ座っているだけのその姿でさえ絵画を切り取ってきたかのような優雅さを纏う。対して、向かいに座る男は憐憫を催すほどに惨めに見えた。老齢。ただそれだけでは説明できないほど、その顔に刻まれた皺は深く、その目は淀んでいる。
この男、ウィリアム・サザーランドからは大将にまで上り詰めた覇気は感じることはできない。凍えるように身を縮め、手に持つ写真立てへと視線を落としていた。
サザーランド大将は部下を死地に残しながらも、この写真だけは持ち出したのである。写真には花を抱える少女が写っている。まだ子どもと言った方が適切なほどに幼い娘であり、頭の横で左右に髪を束ねるツイン・テールの髪型がよく似合っている。
向かい側に座る男、エインセル・ハンターはその写真に目を落としてから、その青い瞳は再びサザーランドを捉える。
「お孫さんでしょうか?」
エインセルの言葉に、サザーランドは必死に笑ってみせた。その様は枯れ木さえ思わせる。
「エルと言いましてな。目に入れても痛くないほど、かわいい娘でした」
サザーランドは写真立てをテーブルに置く。自分とはやや離れた位置に。
「私は、コーディネーターを信じていました。新たな人類。それは、人類がこれまでになし得なかったことさえ、成し遂げてしまえる者なのではないかと」
プラントの謳う国境、民族、性別、思想、信条によって差別されることのない世界の実現を信じた。だからこそ、サザーランドは穏健派筆頭としてプラントとの柔和に努めてきた。
「ところが、実際は違いました」
C.E.67.4.1。エイプリルフール・クライシスは地球に死者だけで10億という人的被害をもたらした。身内を失った者は多い。また、国力が疲労したことによる争乱のような副次的意味合いの強いものは10億の被害の中に含まれない。ただ、考え方を変えるなら、地球に住んでいるというだけですべて一緒くたに標的にしたプラントの凶行は、その理念にかなっていると言えなくもない。
サザーランドは笑う。自嘲的で、滑稽で、あまりに乾いた方法で。
「こんな話をご存知ですかな? 人は、絶滅の危機に瀕している。それは人の心が病んでしまったからだとか、醜くなってしまっただとか、そんな叙情的な理由ではありません」
人はそんなに変わるものではない。それどころか、絶対多数の幸福を実現するために民意を汲み取り、体制を精査し、権力の暴走を許さぬ仕組みを築き上げてきた。それでも、人が滅びの危機にあることは明白である。
「人は自らを滅ぼすだけの力を得てしまいましたからな」
たとえば核兵器であり、このような兵器を得たことで人は滅びの可能性を手にしてしまった。
「コーディネーターだとて同じこと。蜘蛛は巣にかからないよう、蛇は毒で死なぬよう、力とそれに伴う自制を備えることこそが生物にとって必要なのです」
では、コーディネーターにそれほどの生物学的な安全装置が果たして備えられているだろうか。自ら否定するように、サザーランドは首を交互に横に振る。
「あなた方の言葉を借りるなら、いえ、この言い方はよしましょう」
あなた方ブルーコスモスの言葉。この表現は適切でない。確かにブルーコスモスの理念の1つであるとは言え、サザーランドとて同じ言葉を思い描いているのである。自らの言葉として、サザーランドは口を開く。その暗く淀んだ眼差しをエインセルへと向ける。
「コーディネーターという存在はただ人の危険性のみを肥大化させた存在に他ならない。新しい人などではないのです。ただ、社会にとって、一部の価値観にとって都合がいいというだけで」
サザーランドはまた写真立てに手を伸ばす。決して重くもなく、脆くもない写真立てを愛おしげに拾い上げると、それをそっとエインセルに差し出した。
「預かっていただけますかな?」
エインセルは首を回して、娘であるヒメノカリス・ホテルに目配せする。すると、ヒメノカリスが写真立てを受け取り、また父の後ろに侍る。
開いた手で、サザーランドは懐から拳銃を取り出す。大西洋連邦軍に支給されるごくありふれたもので、新品同然の状態である。
「エルは死にました。まだ8歳。今頃、エインセル殿の娘さんのように可憐な娘になっていたことでしょう」
拳銃を安全装置を指で外す。これでこの鉄の塊は致命的な意味合いを持つ。
エインセルは身を崩すことなくサザーランドの言動を眺め続けている。
「ウィリアム・サザーランド。あなたの協力がなければ、我々の計画は始めることさえ難しかったことでしょう」
サザーランドの笑い方は、やはり自嘲的なものに他ならない。
「笑ってくだされ。私は単なる裏切り者にすぎない」
拳銃を自らのこめかみに突きつける動作に、迷いなどあるはずがなかった。穏健派を裏切ると決めた時から、この結末を待ちわびていたのだ。コーディネーターの暴威から地球を守るためならば、悪魔にこの魂を捧げようと、裏切り者の汚名を被ろうと、そしてそのまま死ぬのだと。
「では、お先に参りますかな」
ムウ・ラ・フラガは姿勢を正して座っていた。コクピットの中、ノーマル・スーツ姿のまま、普段緊張とは無縁の生活をしているとは言え、襟を正さなければならない時というものは存在する。
全天周囲モニターが全面に光の柱突きたてられる海の光景を映し出している中、ムウは膝の上にトランクを乗せていた。開かれたトランクの中には装置が埋め込まれ、備え付けられた受話器を耳にあてている。
「そうか、サザーランドのじいさんは逝ったか」
さて、どのような男として見送るべきか。大西洋連邦大将として、あるいは計画に尽力してくれた仲間として。それとも、この計画を確実に実行に移す方がよほどの供養になるであろうか。
トランクに唱えられたナンバー・キー。ムウは慣れた手つきで10桁ものパスワードを打ち込むと、半透明のケースが開き鍵穴が姿を現す。どこからともなく取り出した鍵を差し込むと、トランクは準備を終えたとばかりにランプが点灯する。
「キーを回すタイミングは?」
ラウ・ル・クルーゼの前にも、ムウと同様のケースが置かれている。しかし、キーはラウの手と空とを行き来している。右手の受話器で連絡をとりながら、椅子に座る。左手では破滅の扉を開く鍵を弄んでいる。
すでにケースは開かれ、鍵穴が露出していた。
「一部戦線を離脱している部隊があるようだが、予定していた戦力は巻き込むことができそうだ。こちらはいつでも準備ができている」
その視界の隅には、気を失ったままソファーに横たえられているマリューの姿があった。
そして、エインセル・ハンターの前にも、同じケースが置かれている。その白い指はすでにトランクに差し込まれた鍵を掴んでいた。テーブルはウィリアム・サザーランド、かつての穏健派筆頭が流した血が赤く跡を残す。
「迷い、躊躇い、逡巡。私たちはそのすべてを、あの日に捨てたのですから」
その指に迷いなく、鍵は回される。
基地内部へと通じる大型ハッチをビームの光が切り開く。くり貫かれた分厚い隔壁が床へ落ちる。それを踏みつけにして現れたのはバクゥで構成された小隊であった。
すでにザフトは多くの場所で防衛線を突破し、基地内部への侵入を果たしていた。大西洋連邦軍の抵抗は弱い。それをザフト軍は懸念することなく好機と捉えた。バクゥの小隊は身を低く屈め、無限軌道を接地すると、より深部へと向けて走り出す。
侵入を果たしたというのに隔壁が降りることもなければ警報が鳴る様子もない。それを、ザフトは堅牢な要塞であるだけに、襲撃が想定されていない不手際であると捉えたのである。
深く深く、アラスカの勢力圏の奥深くへ、基地の深奥へ。ザフトの軍勢は栄誉ある突撃に邁進していた。
始まりは、3人の男の些細な出来事にすぎなかった。ただ鍵を回す。子どもでも足りる程度の力で、ただ鍵を回す。
空を漂う雲が不自然な形でちぎれた。まるで内側から打ち据えられたかのように。大気が風景を歪ませる。河は見えない嵐に曝されていた。木々は悲鳴を上げていた。
始まりは誰に気づかれないほどに穏やかであり、しかし苛烈である。人を蝕む病が密かに増殖を続けるように。国の終わりはいつもささいなきっかけを起源とするように。
3輪の薔薇を掲げる彼らが、そうと決したために。
まずは1本の木が火を噴いた。皮が直接燃え始めたように唐突に、しかし火は燃え広がることはない。燃え移るまでもなく木々は次々に燃え始めた。
恐ろしい悪意と殺意の照射を知りたければ、木を見眺め、広がる炎を追えばよい。赤い円が拡大していくように炎が森に鮮やかな朱を垂らしているのだから。炎は残酷なほどに早く、無慈悲なほど確実で、遺した家族のために流す涙さえ焼き尽くす。
地を這うバクゥは炎に舐め尽くされ、力なく四肢を折る。炎の抱擁に身を委ねた獣はそれ自体が巨大な火花となって参列する。
空を舞うノスウェラトゥスのコクピットの内部では、血液、唾液、尿、リンパ液、胃液、胆汁、膵液あるいは涙、体液と呼ばれるすべての水が沸騰し、内側から主の肉体を切り刻んでいた。装甲の金属が火花を帯び、やがてその輝きを呑み込んだ炎が空に華開く。
立ち向かう者は火に呑まれ、逃げ出す者は火に呑まれ、死を待つ者は火に呑まれ、誰もが等しく火に呑まれていく。火は寄り合わさり、炎を成す。炎は業火にくべる贄となり、業火は空さえその狂える舞踏の舞台に選ぶ。
炎は大気を巻き上げ、巻き上げられた大気は突風となって酸素という助燃材を炎へと供給し続ける。赤い旋風が巻き起こり、すべてが燃え、盛り、消えていく。
7人の天使がかき鳴らす、笛の高らかな音色を聞くことはない。
虹の橋を守る神の角笛はいつ響くのか。
3輪の青薔薇は、人の死と嘆きを啜り、業火を浴びて花をつける。
バベルの塔。誰かがこんな言葉をささやいた。旧約聖書に語られるあまりに有名なその塔は天へと向けて造られた人々の高慢と反抗の現れであるとされている。炎が柱となって天をつかんばかりに燃えている。造物主を語るナチュラルに反抗したコーディネーターが崩壊する塔の中焼かれている。
ただ一つ、バベルの塔の伝説とは異なることがある。
バベルの塔は崩壊し、神は罰として人々の言葉を分けた。異なる言葉を話すようになり、人々はばらばらにされてしまったのである。だが、この世界は違う。バベルの塔はコーディネーターを焼き、穏健派を罰した。
もはや軍内に急進派に意見できる勢力は残されておらず、地上に大西洋連邦軍に対抗する戦力は残されていない。すべてが一色に染まってしまった。
誰もが言葉を失っていた。洋上に浮かぶアーク・エンジェルは先程までの激戦が嘘のように漂い、惰性に任せようように浮かんでいる。甲板に立つ2機のガンダムもまた、彫刻のように立ち尽くしていた。
海面を突き破り、甲板に新たな機体が降り立つ。その白い体はそれこそ石膏像のようである。
「キラ、無事だったか!」
無傷のオーベルテューレの姿に、ディアッカは声を上げた。その白い装甲には遠くで燃えさかる炎の色を写していた。
「キラさん、その、エインセルさんは?」
「外れだったよ」
アイリスに対して、キラは外れの意味を説明しようとはしなかった。代わりに、機体を甲板へと向けることさえなくブリッジと通信をつなぐ。
「ムルタ・アズラエルを確かに捕捉した。でも相手はエインセル・ハンターじゃなかった。バジルール中尉。ムウ・ラ・フラガ大尉は生きていました。そして彼もムルタ・アズラエルの1人です」
言葉の意味をすぐに飲み込んでくれるとは考えていなかったのだろう。キラは周囲の反応を待つことなく言葉を続ける。
「ブルー・コスモスは3輪の青薔薇を象徴に掲げてる。ムルタ・アズラエルは彼ら3人のことだ」