放課後、気の合う友達と遊びに出かけたら、つい羽目を外して補導員にたしなめられた。まるでそれくらいのことでしかないように、戦争は突然やってきた。なぜヘリオポリスが戦場になったのか。どうして戦場にならなくてはならなかったのか。
このことは誰も答えてはくれない。ただ、何もしないだけでは死ぬだけと肌で感じていた。ナタル・バジルールにつれられて、アイリス・インディアは友達と自然公園に不時着した白い戦艦へと乗り込んだ。
ここはブリッジなのだろう。広い空間に白い軍服を着た人たちが壁際の椅子についている。一段高いところに座っているのは女性で、綺麗な人に思えて、それでもどこか厳しい人のように見えた。
「民間人をブリッジにあげるなど……!」
「ですが現在は緊急事態です! 要人の親族保護の任務からも受け入れを希望します」
ナタルがその艦長らしい女性と話をしていた。互いに自己紹介をしていたのでマリュー・ラミアス大尉だとわかる。民間人をブリッジに上げることを渋っているようだが、ナタルは怯むことはない。軍人を相手にそんな直談判ができるのも、ナタルが小尉の位を持つ軍人だからなのだろうか。このことを知ったのもつい先程、ラミアス艦長にナタルが名乗った時のことだった。
こんなにも冷静に2人の話に耳を傾けているのはアイリスだけだ。仲間たちはそろってブリッジのモニターに目を取られている。天井や床、大小さまざまなモニターにはヘリオポリスの現在の状況が映し出されていた。
港は破壊されたコンテナが不自然な形で折り重なっている。工場地帯は破壊しつくされ見る影もない。その中に見えた戦車のものと思われる残骸は中立国オーブの中で戦闘が行われたことをまざまざと見せ付けていた。そして、燃え盛る炎の中を巨大な人型のシルエットが映しこまれていた。
「何なんだよ、これ……?」
サイ・アーガイルが呆然と瞬きさえ忘れてモニターを眺めている。普段は明るいトール・ケーニヒも、物静かなカズイ・バスカークでもその態度は何も変わらない。みんな首をめまぐるしく回し始めた。それはモニターをそれぞれ確認しているためだ。ただ、その様子は、映像の中、自分の見知っているはずの場所にそれでも変わり果てた光景を必死に否定しているようにも思えた。
ヘリオポリスの光景は、変わり果ててしまっていた。
戦闘は続いていた。
灰色の大西洋連邦軍のモビル・スーツはライフルを失った。GAT-X103バスター。そうモニターに表示された機体に乗り込むアスラン・ザラにとってそれは千載一遇の好機であった。鹵獲機を実戦に直接投入するという異常な状況に、アスランは少なからず焦りを覚えていた。不慣れどころではない機体なのだ。
バスターの左腰にアームで連結された長大なレール・ガンを放つ。腰だめに保持された銃身から飛び出した高速の弾丸は燃える木々をなぎ払い土砂を吹き飛ばす。
やはり精度が甘い。試作機であるバスターがいきなり実戦に駆り出されるとは開発者も考えていなかったのだろう。
「アスラン、このままだと居住区の方に出てしまいます。早く決着をつけないと!」
ニコル・アマルフィの言うとおりだ。武器を持たない敵は身動きを封じられないよう、木の少ない方へと逃げよう逃げようとしている。当然、開けた場所へと向かわざるを得ない。意図してのことかどうかはわからないが敵のモビル・スーツは市街地の方へと向かっていつつあった。
「お願いですからとまってください!」
ニコルのZGMF-1017ジンと並んでジャスミン・ジュリエッタの機体がアサルト・ライフルから弾をばら撒く。戦車さえ破壊する攻撃力を有する弾丸が、しかし敵モビル・スーツの装甲を破壊することはない。流れ弾が木々を吹き飛ばしていく中、敵の機体は装甲を輝かせるだけで傷つくことはない。
光線のあまりに巨大な火力。傷つかない装甲。すべての性能がザフト軍の主力機であるジンを超えている。国力に劣るプラントはザフト軍の保有するモビル・スーツの質的優位のみで戦争を優位に進めている。そのことを理解するアスランにとって敵機を逃すという選択肢はありえない。
敵のモビル・スーツが距離をあけようと飛び上がる。スラスターを吹かせた跳躍は70tもの機体を木々の高さを越えて跳ね上げた。
チャンスは今しかない。
アスランは狙いを絞る。右のライフルを、本来は右腕のみで使用できるよう設計されているのだろうが、アスランは敢えてそこに左腕を添えさせた。まっすぐに敵機へと向けられるライフルがその長大さを示して突き出される。
連邦の新型とザフト軍モビル・スーツの基本構造は似通っているように思える。腹部にコクピットがあり、胸部にジェネレーターが内蔵されていることも共通している。新型のジェネレーターは、強力な光線を使用するため相当高出力のバッテリーが搭載されているはず。ジンのジェネレーターでさえ、爆発したら周囲への被害は計り知れない。
コクピットだけを一撃で撃ち抜く必要があった。
敵は武器もないまま少しでも距離を開けようとこちらに背を向けていてスラスターの光がよく見える。それはちょうど腹部の辺りだ。
ロックオン・カーソルが思った地点を指し示したところで、アスランはトリガーを引いた。
一筋の光が敵へと伸びると、敵の装甲が一際強烈な輝きを放つ。思わず目を背けたくなるほどの輝きの中、アスランは確かに光線が敵を貫通したことを確認した。本体は正確にコクピットだけを破壊できたようだ。破壊されたバック・パックが爆発し、その衝撃に押し出されるように敵は落ちていく。
爆発が予想外の出来事を招来することとなった。撃墜後、森に墜落すると思われていた機体がその軌道をそらし市街地の方へと落ちていったのだ。
ニコルがスラスターに火を点した。
「無駄だ! ……もう間に合わない」
部隊長でもあるアスランの言葉を命令と受け取ったのか、それとも冷静な判断なのか。ニコルはジンを無理にでも突き進ませようとはしなかった。アスランの機体を戦闘とした1個小隊はそのまま落ちていく機体を眺めている他なかった。
70tにも及ぶ鋼鉄の塊が、破壊されない装甲強度を遺憾なく発揮しながら墜落する。それがどのような被害をもたらすか、想像するまでもない。直撃を受けたビルが一瞬で瓦礫と化して倒壊した。砕け散った瓦礫は凶器となって周囲に撒き散らされまるで爆弾を放り落としたような有様であった。
その衝撃は大地に不自然な振動を生み出した。軍用でもないコロニー内でモビル・スーツ同士の戦闘が行われたのだ。戦艦が不時着同然で着陸するという暴挙も行われた。このコロニーは、ヘリオポリスは崩壊しつつあった。
ヘリオポリス崩壊を決定づける出来事が工場地帯深奥で起きた。
GAT-X303イージスがバズーカを装備したジンは向き合う。互いが初撃を外した後の睨み合いはほんの数瞬のこと。ジンが肩に担ぐバズーカの引き金を引いた。戦艦から要塞、地球軍の主力機動兵器にまで幅広い汎用性を誇る弾体は、しかし敵を捉えることはなかった。イージスが高く飛び上がったのである。ジンの動きは完全に遅れていた。そのことをパイロットの無能となじることはできない。それほど高いスラスター出力でしてイージスは対峙していたジンの頭上へと到達したのである。
そして眼下へと向けて、ライフルを標準を定めた。
降り落ちる光線がジンの装甲の厚い部位、薄い部位を鑑みることなく貫通する。頭からそのまま大地へと突き抜けた光線はまだ飽き足らず爆発とともに巨大な穴を開いた。それはただの一撃で分厚いコロニー外壁を突き破り生じた突風が宇宙空間とつながったことを伝えている。
度重なる戦闘があった。ビルの倒壊も経験している。戦艦の墜落を受け止めたコロニーはそうはないだろう。そして、撃ち込まれた光線。
蛇腹のような不気味なうねりがコロニーの大地を走る。いくつものプレートを組み合わせた構造の外壁の接合部がまず損壊し、擬似重力発生のために時速数百kmで回転するコロニーの運動エネルギーがその体躯そのものを揺るがせていた。均衡に分散されない偏ったエネルギーがまず弱い点から集中して破壊を始めていくのだ。
大地は隆起し、陥没し、それは次第に大きさを増していく、全体へと広がっていく。もしもこの光景が地球上のものであったのなら、それこそ人々は世界の終わりを想像することだろう。事実、ヘリオポリスは崩壊しようとしていた。
ディアッカ・エルスマンは敵から奪い取ったGAT-X207ブリッツ--起動時にモニターに表示された--のコクピットの中でヘリオポリスが壊れていく様子を眺めていた。スラスターの出力を頼りに無理やり機体を浮かせている。上空からなら事態がどれほど深刻なのかよくわかる。
「まずいな。ミゲル、そろそろ撤退した方がいいんじゃないか? ……ミゲル?」
つい先程まで一緒にいたはずの友軍からの連絡はない。仲間が奪取に失敗した最後の新型の破壊に向かうとディアッカを逃がしたばかりのことだ。時間にしても10分とかかっていない。そんな短時間にミゲル・アイマンが撃墜されたとは考えにくい。通信の故障か。しかし技術力の高さで知られるザフト軍、そう、軍用品がそのように脆いのではお話にならない。
嫌な予感がする。
最悪の事態など起こりうるはずがないと考えながらも心のどこかで冷静な自分がいた。ディアッカはブリッツを翻し来た方向へと機体を再加速させた。
「このコロニーはもう駄目だな……」
揺れは収まるどころか徐々に激しさを増している。後は時間の問題だ。張り詰めたゴムと同じで限界を超えた途端に弾けるしかない。
隆起は目に見えて土壌を持ち上げプレートの境界線がはっきりと見えるほどだ。このコロニーが巨大なプレートの組み合わせによって成立していることが空からならよくわかる。
ミゲルのZGMF-1017ジンはそのプレートの中央にいた。まるで爆心地のように溶けて燃えるクレーターの中でミゲル機は新型と組み合っている。一目見ただけでは、そうとしか見えなかった。
ミゲルのジンがゆっくりと後ろへと倒れた。そう見えた。だが、正確には違った。倒れたのではなく崩れたのだ。立ったままの下半身を残して上半身が後ろへと崩れ落ちた。無傷のように見えていたのは背中だけだ。前面の装甲は焼かれ、破片が多数突き刺さった痕跡も見て取れる。コクピットがあるはずの腹部はまるで獣に食い破られたように完全になくなっていた。
「ミゲル!」
しかし敵の新型は無傷だ。何故か装甲が淡い光に包まれ、その光を目印にディアッカはブリッツの標的を定めた。右腕に装備されたシールド状のウェポン・ラック、設置されたライフルの発射を促すトリガーを吐き出した言葉の勢いとともに強く押す。
新型はバック・ブーストを吹かせた。瓦礫が散らばる、上下に揺れる道路の上を器用に下がっていく。ライフルから発射された光線は新型が先程までいた場所をわずかに遅れて次々に道路へと命中した。光線は一撃でコロニーの外壁まで貫通する破壊力を見せる。それが敵が回避する度、ディアッカが発射を命じる度にコロニーの大地を破壊していく。
だが当たらない。命中しない。
「本当にナチュラルの造った機体なのかよ!?」
そして、本当に敵のパイロットはナチュラルなのか。敵軍がザフト軍の技術力を上回る機体を造り出したという現実的な危惧。身体能力ではナチュラルを上回るコーディネーターによって構成されたザフト兵である自分が有効打さえ与えることができない不可思議な不安。頭のなかをかき乱す戦死した仲間の存在がディアッカを余計な焦燥へと駆り立てた。
それも、唐突に終わりを告げた。
ただでさえ破損していたコロニー外壁が、このブリッツの度重なる攻撃によってついに破壊された。小さな住宅街ならまるごと乗ってしまいそうなほどのプレートが一気に崩壊した。上空のディアッカの眼下で突如宇宙の暗闇が目に飛び込む。ばらばらになった1枚のプレートが一息に宇宙へと吸い出され突然巨大な奈落が口を開いたのだ。
機体の姿勢制御がままならないほどの暴風が吹き荒れる。敵の姿はとっくに見失っていた。
ヘリオポリスは崩壊を始めていた。
炎と街のわずかな明かりが照らしていた夜の光景を、突然光が包み込んだ。何のことはない。破断したプレートの結合部から入り込んだ陽光がコロニー内へと差し込んだからに過ぎない。
日の光は一時こそ雲間から差し込む光の柱のように美しい光景を演出していたが、それはすぐに滅びへととって代わられた。入り込む光と入れ違うように大気は急速に吸いだされていく。すると、光は拡散してくれるものを失ってしまう。コロニーを満たしていた光が次第に細く、消えていく。大地が崩壊していくその光景の中で。
戯れる光を闇が喰い荒らしていく。コロニーを形作っていた外壁が一斉に崩れ落た。それがいつのことであったのか誰にも判別はできない。しかし事実として、コロニーの中と外、大地と宇宙とはその境界をなくした。区別が曖昧となった。
ここはもはやヘリオポリスではなく、デブリ漂う衛星近郊宙域でしかなかった。
ヘリオポリス崩壊のわずか前のことである。コロニーの外ではザフト軍と大西洋連邦軍との戦闘が行われていた。
白く細長い機体。その下部に長大なレールガンを備え、それを抱え込むようにスラスターを備えるユニットが2機左右に突き出されている。TS-MA2メビウス。それがこの機体の名前であり、世界最大手の軍需産業であるラタトスク社製、大西洋連邦を初めとする地球軍の主力宙間兵器である。戦車並みの装甲に戦闘機ほどの攻撃力を両立させた新機軸の兵器として期待されていた。
だが、仮にメビウスが前評判通りの戦果をみせていたならこの戦争は大西洋連邦の圧勝で終わっていたことだろう。仮にザフト軍がモビル・スーツを開発しなかったならば、歴史は大きく変わっていた。
地球軍の主力であるメビウスとザフト軍主力モビル・スーツであるジンのキルレシオは3倍、時には5倍と考えられている。ジンを1機撃墜するためにはメビウスが5機破壊されなければならない。このような歴然として性能の違いがこの戦争を象徴していた。
国力で圧倒的に劣るプラントが地球軍に対して優位に戦争を進めたこられた理由のすべてはこれである。モビル・スーツの圧倒的性能。この一言に尽きた。
メビウスがレールガンを放つ。その弾丸は確かにジンを破壊するに十分な攻撃力を誇るが、しかし当てることができない。ジンは宇宙空間の中で軽々とそれをかわす。四肢を振り動かし重心位置を変更し推進剤を消費することなく体の向きを変えると、その視線の先には必死に旋回しようとしているメビウスの無防備な上面が見えていた。連射されるアサルト・ライフル。ジンの腕の中から飛び出した弾丸はそのことごとくがメビウスを捉え、その白亜の装甲に鋼鉄の塊をめり込ませていく。もう十分とジンが攻撃をやめた途端、メビウスは爆発の中に消えた。
そしてジンの右腕がライフルごと吹き飛ばされる。
何が起きたのか、ジンのパイロットは理解していない。モニターに映る右腕部欠損の表示が、機器の故障ではないかと疑う一瞬の逡巡。その瞬間にはジンは頭部を吹き飛ばされ、それをパイロットが認識する間もなくレールガンがコクピットを貫通していった。
爆発に消えるジン。その爆煙を突き破り姿を現したのはメビウスとよく似た、しかし明確に姿を異にする機体であった。
細長い機体とレールガンまでは共通する。だが、その全身は派手な橙色で覆われ、樽型のユニットが4機、本体を等間隔に取り囲んでいた。
大西洋連邦にこの人ありと謳われるエースがいるのだ。TS-MA2-mod.00メビウス・ゼロと呼ばれる、そのあまりに煩雑な操縦性からわずか30機の生産にとどまったメビウスのプロト・タイプを駆り、モビル・スーツを相手に互角以上の戦いを繰り広げる。
正面に現れたジンがアサルト・ライフルを連射しながら接近する。まずは機体を大きく動かし攻撃をかわすメビウス・ゼロ。そして4機のユニットが前触れなく本体を離脱した。わずかに見えるケーブルに繋がれたままユニットは縦横無尽に動き回り、いつの間にやらジンを方位するように配置を終えた。ユニットから突き出された銃身。ジンが本体を狙いアサルト・ライフルを向けた。すると上から撃たれた。ライフルが破壊され、次は左から左足を吹き飛ばされる。前から後ろから。一瞬にして機体が中破させられたジンは、メビウス・ゼロのレールガンが撃ち抜く。
ユニットが再び本体との合流を果たす頃には、ジンは残骸をさらしていた。
大西洋連邦軍にエースがいるように、ザフト軍においてもその名を知られたパイロットは存在する。
メビウス・ゼロへと曳光弾が降り注ぐ。その弾雨は、白いモビル・スーツから放たれたものであった。ジンとは異なり細身のシルエットに、肩から突き出した数枚の放熱板が優雅でさえあった。その左腕にはシールドと一体化したガトリングガンが取り付けられており、弾丸の雨を降らせたのはこれである。ZGMF-515シグー。ザフト軍の中で指揮官用にごく少数が配備される高性能機である。
シグーは射線を巧みな操縦で横切るメビウス・ゼロへと執拗に攻撃を続ける。回転する銃身が突如マズル・フラッシュを吐き出すことをやめ、銃身はゆっくりとさえ見える動きで横へと動かされた。その直後、どこからともかく飛来した弾丸が数秒前の銃身を撃ち抜いていった。シグーが飛ぶ。すでに周囲を取り囲んでいたメビウス・ゼロの4機のユニットすべてが攻撃を続けるも、シグーは踊るように弾丸の間を飛び抜けていく。
それは演舞のようでさえある。初めから示し合わされ高度に完成された動作を互いのエースが演じあい、見るものを虜にする。だが悲しいかなこの戦場に彼らの姿を見る者はいない。メビウス、ジン、あるいはそれ以外の何かが残骸として客席を占領しているだけなのだから。
スラスターの出力を限界まで高め、機体のうなり声が聞こえてくるほどの速度でメビウス・ゼロが加速しながらレールガンを撃ち出した。加速された弾丸は、しかしシグーによって射線の脇をすり抜けるようにかわされる。急速に距離を縮める両機の動きに合わせてシグーが右腕に保持された重斬刀--剣の形をした鉄塊--をして薙ぐ。両者の勢いさえ利用した必殺の太刀筋は、しかしメビウス・ゼロの機体をひねらせる、そんな最低限の動きで空をかすめる羽目となった。
そして、両機はすれ違う。
並みのパイロットならば絶命を約束されるほどの一撃を放ちながらエースは互いに無傷。旋回し、再び激突せんとスラスターの燐光を瞬かせていた。
その時のことだ。舞台が崩壊した。背景でしかなかったヘリオポリス。それが突如として崩壊したのだ。プレートが結合部から分離を初め、撒き散らされた残骸がデブリとして周囲を埋め尽くし始めた。ばら撒かれるデブリはそれ自体破壊力を持って周囲の宙域を席巻していく。
2人のエースは崩壊に巻き込まれてその戦歴を終えることをよしとはしない。放出されるデブリの間をかいくぐり、しかし、両者の求める戦場はすでに残されてはいなかった。戦いは完全に中断。デブリの波の中で、英雄の姿は消えていた。
ヘリオポリスの瓦礫の中を漂うモビル・スーツ。GAT-X102デュエルはバック・パックを失い、腹部に風穴が開いている以外は無傷の姿で残骸に混ざりこんでいた。その物言わぬ巨人の躯へと牽引用のロープが射出され、先端部の吸盤がしっかりとデュエルの装甲をかんだ。
ロープを辿る。するとそこには橙色の機体、メビウス・ゼロが浮かんでいた。
メビウス・ゼロのコクピットの中でそのパイロットはヘルメットを脱いだ。通常使用されている白いものとは異なりノーマル・スーツは機体同様橙色に染められている。ヘルメットから除いた髪は金。背の高い男性で決して威圧的ではなくつい先程まで命のやり取りをしていたとは思えないほど柔らかい空気を纏う。猛々しくはなく、そしてその物腰が優雅とも見える。それは鮮やかに空を舞い獲物をさらう猛禽を思わた。
大西洋連邦軍のエースとして知られるムウ・ラ・フラガ大佐。
「ガンダムを回収。だが、この様子だと今回は奴の勝ちだな」
先程から通信は繋がっていない。母艦であるアーク・エンジェルが撃沈されてしまったとは思わないが、この混乱だ。ガンダムの多くは奪われてしまったと考えた方がいいだろう。
だが、まだ戦いは始まってさえいない。
ムウはデュエルガンダムを牽引しながらデブリの海を掻き分け進み始めた。
ザフト軍はナスカ級ヴェサリウスとローラシア級ガモフ。この2隻に合計で9機のジンを詰め込み、1個中隊規模の戦力でこの作戦にあたった。だが帰還したのはアスラン隊の2機のみ。残るは指揮官機であるシグーだけである。
この戦果を指揮官の無能と判断する者は、少なくともヴェサリウスの格納庫にはいない。この作戦の指揮をとったのはラウ・ル・クルーゼ。ザフト軍きってのエースであり、その名声は支配的に部隊内に浸透している。
ヴェサリウスにはアスランが率いたジンが2機。奪取したブリッツ、バスターの2機の新型がすでに格納されている。シグーを含めた5機が格納庫には並べられていた。このシグーのコクピットから、ラウ・ル・クルーゼは格納庫に姿をさらした。
ザフト軍において指揮官が身に着ける白い軍服。驚いたことに彼はノーマル・スーツを身に着けることもなく軍服姿のままで戦闘を行っていた。そのため、その顔は語弊を恐れぬならヘルメットを覆われていないためよく見えた。金の映える髪になでられるのは目元を大きく覆う仮面。誰に素顔をさらすことなく、しかしその口元は楽しげとも見える不敵な形を形成している。
ラウは奪取に成功した2機のガンダムを眺めていた。
「たいしたものだ。よくぞあれほどの機体を造り上げた」。
わずか一度の作戦行動で7機ものジンを失った事実に落ち着きを取り戻せぬ整備士たちと対象を描くように、仮面の男は笑っている。
第8軌道艦隊所属アーク・エンジェル級1番鑑アーク・エンジェル艦長マリュー・ラミアス大尉はルージュのひかれた唇をややきつめに閉じていた。
現在、艦長室の殺風景な光景の中にはマリューを除いて3人の姿がある。アーノルド・ノイマン曹長及びムウ・ラ・フラガ。この2人はこの艦の乗員であり、見知った間柄であった。マリューはこの中でただ1人机に腰かけ、生真面目な操舵手の報告を受けていた。
「ヘリオポリス崩壊時、多数の緊急脱出艇の射出が確認されています。ですがコロニー内で戦闘を行った例は決して多くはありません。被害の全貌が判明するまでにはしばらくかかるものと思われます。また、新型機につきましてはゼフィランサス女史から」
マリューはつい顔をしかめた。それはこのアーノルド曹長のせいではない。壁に背を預け、軍服を着崩したムウ・ラ・フラガ大佐の態度はこの軍人として指摘すべきかもしれないが、そのことも今は大目に見るつもりでいた。問題は、アーノルド曹長が語った女性のことにある。
マリューのつく机に、ほんの一歩だけ近づいてから女史は特に資料を見る様子もなく話を始めた。
名前はゼフィランサス・ズール。軍需産業ラタトスク社の技術主任であり、この度の新型機開発の総責任者を若くして任せられる才女である。マリューが顔を合わせるのははじめてのことだが、その有能ぶりは耳に届いている。とにかく優秀であり、若い女性だとまでは聞かされていた。
(ただ……、これは若すぎじゃないかしら……?)
「デュエルはバック・パックとコクピットが破壊されたけど時間さえもらえれば修復できると思う……」
まるで小鳥のさえずりのような声である。小さな声で、とてもかわいらしい。
ゼフィランサス女史は赤い瞳に白い肌、対照的な漆黒のドレスを身にまとっていた。女性としてあまりファッションに詳しい方ではないマリューだが、これがゴシック・ロリータ・ファッションと呼ばれるものであることくらいわかる。そんなひどく人を選ぶ衣装を完璧に着こなしたその姿はまるでお人形のようにかわいらしいとしか形容のしようがない。
「ストライクは交戦で2機のジンを撃墜したけど損傷は軽微……。簡単な整備と……、バッテリーの交換くらいで出撃できるよ……」
報告の中で一番耳に触りがいいが、マリューの表情からは猜疑的なまなざしが拭い切れない。どうしてもこの少女がモビル・スーツの開発責任者であると心が認識してくれない。若すぎはしないだろうか。黒いドレスがよく似合う。体を縁取る白い髪はウェーブがかけられ、つい撫でてしまいたくなるほどかわいらしい。人形のよう。そんな形容詞がしつこいほど頭を巡る。
そしてもう一つ気にあることがあった。ゼフィランサス主任は報告の間ほとんど表情を変えることがなかった。まだ15、6の年頃だろう。この歳なら箸が転がってもおかしいはずだが、そんな様子は微塵もない。感情を無理に押し殺しているようにも見えるのだ。
そろそろ冗談だと誰かが笑いながら本物のゼフィランサス主任とともに艦長室に入ってきてはくれないものだろうか。だが、一番そんなことをしでかしそうなムウ大尉は壁にもたれかかっただらしない姿勢のまま、主任に親しげに話しかけている。
「ところでゼフィランサス、デュエルの修復にはどれくらいかかりそうだ?」
「まだ状況は確認しきれてないからはっきりとはわからない……。でも、今日とか明日には無理だと思う……。それに、パイロットはどうするの、ムウお兄様……?」
口調は若いが、ほとんど表情を変えないで話す様は違和感がきつい。少なくとも年相応の普通の少女でないことだけは理解できた。そろそろ艦長として会話に参加しないわけにはいかない。こうなったらゼフィランサスが主任であるということにして付き合ってやろうと覚悟を決めた。
「テスト・パイロットはどうなっているの?」
「ナタル・バジルール少尉を除いたヘリオポリス駐在の部隊とは合流することができませんでした。現在アーク・エンジェルにはモビル・スーツの操縦できる人員はいません」
ナタル少尉とはブリッジに民間人とともに乗り込んできた髪の短い女性のことだ。要人警護の任務で工場地帯から離れていたことが幸いしたらしい。
資料を手繰りながら報告するアーノルド曹長に、マリューは再び顔をしかめた。パイロットがいない。では、ゼフィランサス主任を連れてストライクを持ち出したパイロットは一体どこにいったのだろうか。
ふと視線の中で、ゼフィランサス主任がその小さな手を挙げていた。一度も日の光を浴びていないような白い手を。
「1人なら、当てがあるよ……」
アイリスは仲間たちとともに艦内の一室に移された。仲間たちで一つの長テーブルを囲んで座って、徐々に失われていく重力に心地の悪さを感じていた。ヘリオポリスが崩壊する映像を直接見たわけではなかった。それでも誰もが壊れてしまったに決まっていると想像していてそのことを言い出せないからこそ訪れた重苦しい沈黙が、皮肉なことに重量を失っていく感覚とともに胸に重くのしかかる。
ヘリオポリスが崩壊してしまったのだと実感できてしまった。
アイリスは視線だけで仲間たちの様子を眺めてみた。整然と並べられたテーブルに椅子。クルーの休憩室や談話室として使用されているらしい部屋の中、それぞれ思い思いの方法で落ち込んでいるように見える。孤児であるアイリスとは違い、ほかのみんなはヘリオポリスに家族を残している。心配で仕方ないのだろう。
突然、仲間たちが小さく体を震わせた。スライド式の扉が開いて、誰かが入ってくる気配があったからだ。唐突な状況に疲れてしまったアイリスたちは何か諦めたようの扉の方を見て、それぞれが瞳を大きくした。
「みんな、どうしてここに?」
キラ・ヤマトが放課後--ほんの数時間前のことだ--に別れた時のままの姿でそこには立っていた。こんな状況なのに普通に驚いたように瞬きを少し繰り返しただけで。
「他に言うことがあるだろ、キラ」
「無事だったんだな!」
サイやトール。無言のままであったカズイもどこか急いだ様子でキラの元へと走っていく。キラと面識らしい面識のないアイリスでもその無事は正直に嬉しい。フレイ・アルスターやミリアリア・ハウも嬉しそうに少年たちを眺めていた。
そんな再会の様子に水を差すように、スライド式の扉が再び開いた。そんな小さな音が再開に沸き立つ人たちの声を消して、みんなの視線はまた扉の方に集められた。
扉にはナタル・バジルールが軍服を着込んで立っていた。白い軍服に、それがどれくらい偉いのかわからない階級章。帽子をしっかりと被っている。普段とても真面目な人だからなのか、軍服が怖いくらいによく似合っていた。
「ナタルさん、どういうことですか……?」
「まずは座ってもらいたい。機密上話せないこともあるが、できうる限り説明はさせてもらうつもりだ」
指示されるまま、アイリスたちは長テーブルに着きなおした。キラが加わった分、ほんの少し手狭になった。
ナタルはテーブルの端に立って、まずアイリスたちを一通り眺めた。それから帽子を直す。その仕草は、覚悟を決めるためのある種の儀式であったらしい。いつものようにしっかりと目を見開き、ナタルは口を開いた。
「私はナタル・バジルール。大西洋連邦軍の少尉をしている。任務としてヘリオポリスにおける機密事項にかかわり、要人警護を担当していた。君たちも察していることと思うが、ヘリオポリスはラグランジュ3標準時1236時をもって崩壊した」
どよめきが広がる。ただ、アイリスと、そしてキラはその中に加わることはなかった。
サイが代表して声を上げた。
「それじゃあ、みんなはどうなったんですか?」
「被害の正確な把握はまだできていない。希望的観測になってしまうが、脱出艇の射出は多数確認されている。少なくとも壊滅的な人的被害は発生していないと期待している」
「ザフトが攻めてきたことはわかります。でも、こんな中立コロニーを攻めても何にもならないでしょう!」
ナタルはなかなか返事をしようとしない。機密にあたるからなのだろうか、それとも、話しにくい内容だからなのだろうか。アイリスはここで聞くことができるのは自分だけであると考えていた。他の人には聞きにくいかもしれないし、ナタルに聞いてあげられるのは自分だけだろうと考えていたから。
「ナタルさんが、ここにいたことが原因なんですか? ここ、オーブなのに大西洋連邦の軍人さんがいるなんておかしいですよね……?」
中立を謳い戦争と距離を置くオーブと大西洋連邦は直接的な同盟関係にはないはずだ。特に軍事的な繋がりはないとオーブの現在の代表であるウズミ・ナラ・アスハ代表がニュース番組で語っていたことがあったような気がする。
ナタルは目を閉じて、また開く。それを切っ掛けにして静かに話し始めた。
「大西洋連邦とプラントの国力差を君たちは知っているだろうか。実に10倍を超える。同盟各国を含めればさらにそれは広がることだろう。しかし地球軍はC.E.67年の開戦以来劣勢を強いられてきた。モビル・スーツと呼ばれる新機軸の兵器が極めて高い威力を発揮し、わが軍を圧倒してきたからだ。この窮状を打開するためにはどうすればよいか。それはこちらもモビル・スーツを持てばよいということになる。第8機動艦隊司令官であるデュエイン・ハルバートン少将総指揮の下、ラタトスク社、オーブのモルゲンレーテ社の協力を仰ぎながら極秘で開発が続けられていた……」
「ヘリオポリスは隠れ蓑に使われたってことなんでしょうか……」
カズイだった。もともととても演説している風でもなかったナタルの言葉は、カズイの指摘に小さく消えてしまう。そうだ、そんな肯定の言葉がかろうじて聞き取れた。
地球軍にとって一発逆転の一手なら、プラントの人にとっては何が何でも防がなければならないということになる。ヘリオポリスはそんな両者の争いに巻き込まれてしまった。それは理由であっても言い訳にはきっとならない。
それではヘリオポリスが攻められた理由になっていない。フレイがそうテーブルを叩いた。
「それとあたしたちとどう関係あるのよ!?」
普段から感情表現の豊かなフレイらしい。それでも周りのみんなも同じ気持ちなのだろう。表情は違ってもみんなナタルのことを見ている。
「許されないことだとはわかっている。だが、モビル・スーツは開発されなければならない! そう、考えていた……」
その声こそ力強いが、ナタル自身も確信が揺らいでいるらしい。ヘリオポリスが戦闘に巻き込まれるかもしれないと考えていたかもしれない。しかし、まさか崩壊までさせてしまうとは思っても見なかったのだろう。直したはずの帽子を脱いだ。テーブルの上に置くと、そこに視線を固定する。まるで、単に帽子を見ているだけで、うつむいているのではないと強がっているみたいに。
まだ長いつき合いとは言いがたいが、そんな顔をするナタルを見るのは初めてのことだった。
「ナタルさん……、あなたが悪くないなんて言えません……、言えませんけど……」
これからどう言ってあげるつもりだったのだろう。自分でもわからない。慰めてあげたいけど、家族をなくしたかもしれない友達のことを考えると言葉が続かない。ナタルは帽子から目を離して、アイリスたちを一通り眺めた。
「現在、大西洋連邦は二つに割れている……」
そう言って話し出されたのは、きっと、ナタルが話してはならないと言っていた機密に触れることなのだろう。場の空気が変わって、皆が真剣な面もちで聞き入るようになった。
「ブルー・コスモスを知らないことはないと考えるが、コーディネーター排斥を謳う過激思想団体のことだ。この団体は潤沢な資金力を背景にの影響力を強めている。だが何も大西洋連邦が、ひいては地球連合全体がその影響下にあるわけではない。現在熾烈な争いが水面下で行われている。確かに戦争継続を望む急進派が主流ではある。だが、終戦を望む穏健派も確かに存在しているのだ。今ここで主導権を急進派に握られてしまうようなことになれば戦争は一気に激化の一途をたどることになる。そのためにはありとあらゆる手段を採用しなければならなかった。ブルー・コスモスとの関係が疑われるラタトスク社、そのような軍需産業のゼフィランサス主任が開発責任者であったようにだ」
ナタルはゼフィランサスという名前をさも知っていて当たり前のように語ったが、アイリスには心当たりがない。他のみんななら知っているのだろうか。様子を確認しようと少し視線を移したところで、ナタルはかまわず話を進めようとしてしまう。
「ラタトスク社の協力を得ながら急進派に勘付かれないためには開発が行われている事実をなんとしても秘匿する必要があった」
ラタトスク社から資金と人材を借り受けながら、開発に極力かかわらせないことで穏健派の手柄としたかった。そうナタルは付け加えた。敵からも、味方からも、中立の民間コロニーは隠れ蓑にされたということなのだろう。
「新型モビル・スーツ開発に成功し、戦況を覆すほどの功績を挙げれば穏健派が太平洋連邦を主導することができるようになる。戦争の早期終結も可能となる」
ナタルは調子を取り戻したようだった。言葉には力がこもる。でも、それは強がりにも近いようにアイリスには思えて仕方がなかった。言葉をとめる度にナタルは息を吸い込み勢いを無理につけて話し出そうとしていたからだ。一度言葉がとまると妙な間が空いてしまう。普段口数が多いように思えないカズイが唐突に呟いた。
「平和を望んでる人たちが、兵器を造るんですか?」
返す言葉もないとはこのことだろう。悔しさをかみしめる。この言葉はきっと、今のナタルの顔を示すためにある。テーブルから帽子をかけなおしながら、頭を下げた。
「すまない。どちらにしろ、君たちには関係のないことだったな……」
誰もがナタルの言葉に耳を傾けていた。だから、扉が開かれたことに気づいた人はいなかった。白い髪を揺らして、赤い瞳を輝かせて、少女がそこに立っていることに気づくものはいなかった。
「そう、何も関係ないよ。クライアントが平和主義者でも戦争狂でも私が造るのは同じもの……」
みんながいっせいに扉の方を見た。少女が1人立っている。ただそれだけのことなのに、誰もが息を飲んだ音が聞こえる、それくらい静まりかえってしまった。
少女は赤い瞳をしていて、白い髪をロング・ウェーブに伸ばしていた、身に着けているのは黒いドレス。お人形と見まがうくらいに似合っていて、この世の人とは思えないほどであった。そんな黒白の少女の、それでもその美麗さだとか変わった格好、あるいはアルビノであるという身体的な特徴がアイリスたちの意識を捉えた訳ではない。
「ゼフィランサス主任、何故ここへ……?」
少女のことを呼ぶナタル。
舞踏会の主賓みたいにみんなの視線を少女は集める。そして、その視線はアイリスと交互に行き来する。そんな視線にかまっている余裕はなかった。目がとても乾燥していた。大きく見開いて、そのまま瞬きすることを忘れてしまったから。
「あなたは……、誰ですか……?」
名前をはもう知っている。ただ何者であるのか確かめたかった。
黒い少女は、赤い瞳をして、足にかかる白い髪にウェーブがかかっていた。
アイリスは、青い瞳をして、桃色の髪を背中につくくらいに伸ばしていた。
色が違う。髪型も、服装も違えば、表情もまるで違う。いくらでも違いは見つけられるが、ただ一つ同じものがあった。それは、2人が同じ顔をしていること。一瞬鏡を見たと錯覚するほど、同じ顔をしていた。ナタルは姉妹だと早合点していたのだろう。無理もないが、アイリスはまるで心当たりがない。だが黒衣の少女は無表情のまま、落ち着き払っていた。
スカートの裾をつまみ上げて、それこそ淑女のたち振る舞いでゼフィランサスと呼ばれた少女はうやうやしく頭を下げた。
「始めまして? アイリスお姉さま……。私は、ゼフィランサス・ズールと申します……」
その顔に肉親の情はまるで浮かんでいない。
アイリスは今一度訪ねた。
「あなたは……、誰ですか……?」
ヘリオポリスでの戦闘では敵の新型2機を奪取し1機を撃墜することに成功したザフト軍だが、その戦果は少なくとも生還したパイロットたちを沸き立たせるものではなかった。ザフト軍ナスカ級ヴェサリウス。その格納庫すぐ脇の待機室にはノーマル・スーツを着たままのパイロットたちが疲れた様子で備え付けの長椅子に座っていた。ここは休憩室も兼ねている。
アスラン・ザラは周囲を見回した。いや、見回すほどのこともないだろうか。ここにはアスランを除けば2人しかいない。赤いノーマル・スーツのニコル・アマルフフィはうなだれた様子で椅子に座っている。仲間たちの死も、結果としてコロニーに大損害を与えてしまった事実もこのあどけなさを残す少年には答えたのだろう。
アスラン自身背もたれに寄りかかったままなかなか動けないでいる。こんな時に限って動かなければならない理由ができた。もう1人のパイロット、一般兵であることを示す緑色のノーマル・スーツを着た少女がヘルメットを脱ごうと苦戦していた。ジャスミン・ジュリエッタのヘルメットは特殊なもので、1人では脱ぎづらい。自分も手伝おうと立ち上がろうとするニコルを手で制して、アスランは腰を浮かせた。
「ジャスミン、手伝おう」
「あ、ありがとうございます、アスランさん……」
やや大型のヘルメット。ひっかかっていないかを確認しながらゆっくりと外す。すると、短く切りそろえられた赤い髪が見えて、それでもジャスミンの顔は見えない。隊長であるラウ・ル・クルーゼのように仮面をつけている訳ではない。顔の半分を完全に覆ってしまうほどの大型のバイザーをつけているからだ。先天的に視力を持たないジャスミンはこのような視力供与バイザーの存在を必要とする。
「これくらい構わないさ。それより、ジャスミンも疲れただろう。ゆっくり休んでくれ、ニコルもな」
仲間を失った気疲れや想定外の戦闘にさらされたことの心労もあるだろう。ジャスミンはともかく、ニコルはこの任務が初陣同様のことだった。
扉を開くなり、ディアッカは怒鳴った。
「ミゲルがやられた! オロールもマシューもだ!」
伊達男を気取る彼にしては珍しく、髪のセットが乱れている。聞いた話では目の前でミゲルを撃墜されたらしい。手にしたヘルメットを投げつけるまでに激昂している。ヘルメットは長椅子に囲まれるようにおかれていたテーブルにぶつかり甲高い音をたてた。ジャスミンが小動物のように怯えた。ジャスミンを怖がらせたことにディアッカも気付いたのだろう。乱した息を無理に抑えようと不自然な深呼吸を繰り返していた。
もう少し騒がせておいてやりたい気持ちもあったが、ジャスミンやニコルの前でこれ以上騒ぎを起こしてもらいたくはない。
「ディアッカ。悲しんだり、つらい思いをしているのは君だけじゃない。そんなことくらいわかっているはずだな」
歴戦の勇士という訳ではない。いつかは戦死という別れがくることを覚悟していたが、まさかこんなにも突然に仲間を失うとは考えてもみなかったのだろう。ディアッカは長椅子に乱暴に腰掛けると、小さく舌打ちをした。
ゼフィランサスが部屋に入ってきて、アイリスは混乱した様子だった。無理もない。あの頃の記憶がないなら、ゼフィランサスのことも知らないだろうし、そうなると同じ顔をしている理由に心当たりはないだろうから。しかしそのことを、キラはそのことをアイリスに教えようとは思わなかった。それはゼフィランサスが望んでいない。
表情を変えないまま、ゼフィランサスはキラのことを見ていた。周りのみんなもそのことに気づいたらしい。視線がキラに集まって、ゼフィランサスは無重力の中、ふわりとテーブルについたままのキラのもとへと飛んだ。
ゼフィランサスの唇がかすかに動く。
「名前は……?」
名前を忘れられているとは思えない。だとしたら、今名乗っている名前を聞かれているのだろう。つい周りの人のことを気にしながら答えた。
「キラ、キラ・ヤマト」
「じゃあ、キラ……。ストライクガンダムに乗って……、そして私を守るために戦って……」
みんながわからないとといった顔をした。ストライクガンダムが何かも知らなければ、キラがそれを操縦した事実もまだ話していない。
「キラ、一体何のことなんだ?」
トールはいつも素直な少年だ。気になることがあったら聞いてきて、その純朴さはこの少年の美点でもある。だがどうしても答えにくいことはある。嘘はつかない。それでもどう誤魔化そうかと悩んでいる内に、ゼフィランサスはトールの方にその赤い瞳を向けた。トールが一瞬たじろいだような様子を見せる。
「キラはストライクガンダムに乗って2機のジンを撃墜した……。だから正式にパイロットになることを求めてる……」
素人が何の訓練もなしに操縦なんてできない。それが常識だ。仲間たちの様子は驚きというよりも戸惑いとした方が正確だろう。ただ、嘘だとも確信できていないようだ。確かめるような視線が徐々にキラへと集まり始めた頃、しかし、ナタル少尉は事実を冷静に見据えていた。
「民間人がストライクに乗り込んだとは聞いていたが、まさか君が……?」
否定することはできないでいると、キラへと集まっていた仲間たちの視線は途端はっきりとした光を持つようになった。戸惑い瞬きが多かった目が大きく見開かれた。それこそ弾けるような勢いで立ち上がったのはサイだ。
「これ以上あんたらの都合に振り回されてたまるか! キラにそんなことさせられない!」
ゼフィランサスは、サイに睨みつけられても平気な顔をしていた。表情を変えることがなくて、サイのことなんて相手にしてないようにすぐにキラへと視線を戻した。座ったまま、ゼフィランサスが見下ろしてくる。その波立つ白い髪がかすかに揺れた。
「いいよ……、キラが決めて……。私のために戦うか……、それともこの艦から降りるか……?」
すぐに立ち上がることはできなかった。ただそれは返事を悩んでいたからじゃない。仲間たちをどう説得させられるだろうか、そんなことばかり考えていた。そう、結論なんてゼフィランサスに頼まれる前から、サイが怒ってくれる前から出ていた。それこそ、10年も前から。
一瞬同じテーブルに座る仲間たちの様子を眺めた。みんなキラがどんな返事をするのかを気にした様子で見てくる。きっと断ってくれると期待しているのだろう。それでも、ゼフィランサスの方に顔を戻すと悩みや躊躇いは簡単に消えた。
立ち上がる。すると小柄なゼフィランサスよりも視線は上に出た。赤い瞳と視線を混じり合わせて、キラはそっとゼフィランサスの髪を撫でた。
「僕はいつだって君の味方だよ、ゼフィランサス」