小さな教会だった。入り口から見渡して左右の長椅子はすべてあわせても10にも満たない。窓には十字架の文様こそ施されているが、著名なステンドグラスほどの豪華さはない。壁に灯される小さな蝋燭たちだけで光は教会にうっすらと化粧する。
礼拝はなどなく、静かなものである。
教会であるということ。それが何の保証にもならないが、少なくともキラ・ヤマトはここを安全な場所だと判断していた。入り口すぐ脇の壁にもたれ掛かって内部を見渡した上の結論である。
祭壇の前には敬虔な修道女がひざまづいて熱心に祈りを捧げている。ただそれは、全身を黒と白で包み、肌の露出を極力抑えた姿が、信徒のように見えただけだ。ゼフィランサス・ズールは、神になど祈ってはいない。手を胸の前で握り合わせて、仕草をまねてみせたところで、ゼフィランサスが語りかけているのは神ではない。
「この度の一件は……、お父様のご意志ですか……?」
祭壇の横に、神父が立っている。聖書を胸の前で保持し、白を基調としたその服は世俗離れしたものである。大人の男性として落ち着き払った気配は、整えられた髪型と、そして決して開かれることのない両の瞳に起因している。
マルキオ導師。この名前は本名ではないのだろうが、少なくとも、ゼフィランサスたちの間では、この名前で十分通用しているようだ。マルキオ導師はそれこそ信徒に語りかけるような声をしている。
「はい。もっとも、命じられたのは核動力と件の装置を国外に持ち出すということだけでした」
もちろん、その内容はありがたい神のお言葉でもなければ聖書の一節でもない。
「ですから、オーブに行きたいというプレアの希望を叶えました」
マルキオ導師はあっさりと言ってのけたが、ことは決して簡単なことではなかっただろう。一国の首都、その近郊の港に武装を施した状態のモビル・スーツを持ち込むなどたやすくできることではない。聖職者というものは何かと神の恩恵に預かれるものらしい。
「私にはわかりません……。プレアは、一体何をしたかったのでしょう……?」
今のゼフィランサスの様子は、懺悔をしているようにさえ見える。ここは、懺悔室では決してないのに。マルキオ導師もまた、キラなどいないかのようにそのお言葉を続けていた。
「私は聖職者としてプレアと出会いました」
いつも閉じられている導師の双眸は、今は追憶に浸っているようにも見える。
「あの子はあなたに好意を抱いていました。しかし、そのことに苦しんでもいました。あなたは単に一番近い女性というだけ。死を前にした焦りでしかないのではないか。それに、もし恋だと気づいても、待っているのは残り少ない時間の中での苦しみでしかないと」
「私がプレアにして上げられたことは……、同情にすぎません……」
マルキオ導師は、まるで聖水でも振りかけるような仕草で片手をあげた。
「素晴らしいことです。プレアのことを真に理解し、その苦しみを共有していただけたのですね」
まるで聖者のように、この運び屋は振る舞う。それとも、信仰に目覚めただけでは飽き足らなくなったて副業に運び屋をはじめたのだろうか。同じことはゼフィランサスも考えたらしい。言葉が普段とは異なった抑揚になっている。
「あなたは不思議な人……。どうしてお父様の運び屋を……?」
掲げていた手を、今度は聖書の上においている。
「私の信仰は歪んでいます。神に祈るだけでは人は救われません。しかし、心のより所を、人は必要とするものです」
「お父様と手を組むことで……、人を助ける力を得ることができるとお考えですか……?」
「少なくとも、プレアの力になることはできました」
言い換えるなら人を救うことにひたむきであるとできなくもない。ただ、本当にそう判断していいものか、キラにはわからない。しかし、ゼフィランサスは肯定的に判断したらしかった。
「私は神を知りません……。そんな私がプレアのために祈ることは許されるでしょうか……?」
マルキオ導師は軽く頭を下げる。
「もし神がいらっしゃるのでしたら聞き届けてくれるかもしれません。もしいなくとも、大した労力ではないでしょう」
たとえ神への道を歩みたい日が来たとしても、この人からだけは洗礼を受けたくない。ゼフィランサスはひざまづいた姿勢を変えないままで、それでも頭を深く、身をより沈めた。ゼフィランサスは、こんな生臭坊主の言葉を真に受けて、それこそ熱心に祈りを捧げているようだった。キラが殺したプレアという少年のために。もしかしたら、こちらもやはりキラが殺した姉のために。
教会の前には白い砂浜、その先に暗い海が広がっている。押しては返す波が音をたてて砂を洗っていた。教会の明かりと、そばを通る道の街灯が林の木々を通って砂浜を照らしている。こんなわずかな明かりだけではとても明るいとは言えない。
それでも、ゼフィランサスの赤い瞳は、キラにははっきりと見えていた。
「少し、歩こうか……」
ゼフィランサスが歩き出す。黒いドレスを翻して、砂浜には小さな足跡が残る。
「私には男の人の考えてることがわからないよ……」
キラはゼフィランサスのほぼ後ろで歩いていた。そのため、艶めく白い髪は目にすることはできても、その顔をうかがうことはできない。
「キラもそう……。どうしてガンダムに乗り続けるの……?」
ユニウス・セブンでゼフィランサスを失った時、アーク・エンジェルを降りてしまうこともできた。そうしなかった理由は、1つには友人たちが残っていたから。ただ、これはゼフィランサスには関係のない話で、キラがガンダムに乗る理由ではあっても決意ではない。
「1つは、罪滅ぼしのつもりだった。僕は君から大切な人を、お姉さんを奪ってしまったから。後は、君への好意と、それに約束したじゃないか。僕が考えて、ユッカが名前を付けて、君がガンダムを造ったら、それには僕が乗るって」
それは10年も昔、3人で交わした他愛のない約束だった。キラとゼフィランサスと、そしてユッカ・ヤンキー。
キラが考えて描いたフリーダム・ガンボーイという巨大なロボットを、ユッカが名前がよくないと並べ変えて短くした。そして、こんな幼稚な発想をゼフィランサスはいつか必ず造ってみせると約束してくれた。今のガンダムにキラの原案が残されているのはせいぜい角と顔の造形くらいなものであっても、それがガンダムを印象づけている。
ガンダムを初めて見たとき、どれほど心躍ったか、ゼフィランサスはわかってくれるだろうか。
ゼフィランサスが立ち止まったのは、本当に突然のことで、反応が遅れた分だけ、キラとゼフィランサスの距離が縮まった。2人の距離は、ゼフィランサスが振り向いた時に、振り乱される髪がキラをかすめるほどの場所である。
「そんなことのために……?」
「死なない自信もあったし、死ぬつもりもない。それに、僕にとってこの約束は君やユッカとの数少ない繋がりだったから」
決して大きくはない声である。波の音に消えてしまいそうな。それでも、それだからこそ、ゼフィランサスは波の隙間に音を差し込むように声を出している。
「この10年何してたの……?」
キラの顔をのぞき込んでくるゼフィランサスの瞳はかすかに怒りをたたえていた。輝き、そして揺らめいている。軽度の興奮で瞳孔が開き光を普段より多く反射する。目元の筋肉の緊張は、そのまま眼球を震えさせる。
「まず、君を探した。奴らのところに戻っても殺処分されるだけだってわかってたから、1人で君がプラントにいないことを突き止めた。それからいろいろなことをしてきた。特にエイプリルフール・クライシスの後は社会の混乱や紛争が絶えなくてね。ザフト降下後はアフリカ共同体の民兵に紛れてモビル・スーツの操縦や戦い方を学んでた」
ゲリラに混ざった時にお世話になった男はアル・ジャイリーと名乗っていた。アフリカでキラのためにリボルバーを用立ててくれた人だ。今の名前は聞いていないが、子ども相手にまともに技術を教えてくれたのはこのアルくらいなものだった。
キラを救ってくれたのは、皮肉なことにかの場所で与えられた力と培った技術だった。
「僕はあの時君を守ることができなかった。だから力が欲しかった。それに、君を捜すにはあまりに時間がかかってしまった」
兵器に関する情報を集め、目星をつけて。しかし、こんな情報収集を個人で行うは不可能に近く、また多大な資金を必要とした。後は、10年という膨大な時間である。
「それでもついにガンダムの開発情報を聞きつけた時は、いてもたってもいられなくなって、戸籍やビザを偽造してヘリオポリスに学生として潜り込んだんだ」
キラ・ヤマト。この名前はこの時につけた。
「確信を得るまでに半年もかかって、サイたちとはその間に知り合ったんだ」
単なる学生として生きた数少ない時間であった。もっとも、天体観測と偽って工場群の様子をいつもうかがってはいた。そしてキラの調査が大詰めを迎えた時、ザフトがヘリオポリスへと侵攻した。この後のことは、ゼフィランサスも知っていることだろう。
10年という時間。それは距離を縮めることはできても、心は遠く離れてしまった。ほんの少し前に踏み出す勇気さえあれば、簡単に抱きしめてしまえる位置にゼフィランサスはいるのに。
「あの時、君をこの手に抱いた時、僕は嬉しかったよ。10年もかかって、ようやくたどり着けたんだって。ようやく、君をみつけられたんだって」
思いだそうと思えば、あの時の手の感触は残っている。小柄なのに、波立つ長い髪がとても豊かに手を包み、柔らかくて、暖かくて、いい匂いがした。
ゼフィランサスはあくまでも無表情で、見えない壁を突きつけてくるように思えた。
「今度は私の昔話をしようか……」
そう言いながら、ゼフィランサスは振り向き、また歩きだす。キラもまた、距離を変えないようにその後に続く。
「あれから……、私はラタトスク社に身を寄せて……、兵器の開発を続けた……」
砂を踏む小さな音。
キラとゼフィランサスが離ればなれになるきっかけを作ったのはブルー・コスモスであった。そして、ラタトスク社はブルー・コスモスが出資している企業である。
ゼフィランサスの辿った道筋を想像することはたやすい。ラタトスク社はこの10年で急成長を遂げた新興企業である。メビウスのような機動兵器という概念を初めて登場させた新機軸の兵器の開発に優れた会社なのだ。
「お兄様たちは優しくしてくれたけど……、これが正しいことなんだって言ってくれなかった……。ただ兵器を造って……、それが優れていたら……、殺傷力が高かったら誉めてくれた……」
ゼフィランサスは努めて冷静でいようとしているのだろうが、歩幅が若干狭まっている。全人類に当てはまる法則とは思えないが、ゼフィランサスの場合、心細さが台頭している証拠であろう。
「ガンダムもそう……。お兄様たちは自分の手の上で世界を転がして……、自分たちにとって目障りな存在を消して……」
普段からゆっくりとした話し方をするゼフィランサスだが、今は尋常でないくらいに言葉を詰まらせている。
「理想とする世界を導こうとしている……」
キラには理解のできない話である。ゼフィランサスを苦しませて得られる理想郷など、少なくともキラは求めていない。
「たとえ……、どれほどの犠牲を支払っても……」
ゼフィランサスが再び立ち止まる。今度は予想ができたため、不自然にならない程度に足を止めることができた。
「私はそのお手伝いをしていたの……」
振り向いた時、ゼフィランサスは表情のない顔をしていた。昔のゼフィランサスはよく笑っていた。今のゼフィランサスは笑わない。それでも、ゼフィランサスは時々感情的な面を露わにする。無表情ではあっても無感情ではなくて、笑うことに疲れてしまった顔をしている。
ゼフィランサスは歩き出す。今度は海に平行ではなくて垂直に。海岸に沿って植えられた防砂林の方へ。そこに何があるとも思わない。何でもない木、その一本に近づいたゼフィランサスはその幹に手を触れた。
「今日も……、私の造った兵器がプレアを殺してしまった……」
この声は、とても小さくて、抱きしめてでもいなければ聞き取ることができなかっただろう。ただ、聞かせないための独り言にしては、はっきりとキラの耳に届いた。
「キラ……。私がどうしてもうキラに会いたくないって言ったか、わかる……?」
「ユッカのことを見捨てたからかな……?」
別にゼフィランサスが手を置いている木がユッカとの思い出の何かというわけではなく、木が何かを想起させることもない。もしかすると、キラから目を背けていられる理由付けに利用しているだけなのかもしれない。
ゼフィランサスは首を横に振る。やはり、キラに背を向けたまま。
「私には大切な人が2人いた……。でも、どちらもあの日、いなくなってしまった……」
ユッカは死に、いや、殺され、キラはゼフィランサスのそばにいてあげられなくなった。
「キラはね……、キラって言う大切な人を、私から奪ったんだよ……。ずっと死んだって思ってた。もう会えないって悲しくて怖かった……。生きてたなら、すぐに出てきて欲しかった……!」
そんなに大きな声ではなかった。それでも、今のゼフィランサスには精一杯の声音なのだと言うことくらいはわかる。
「ゼフィランサス……」
声をかけながら伸ばした手は、ゼフィランサスが木を叩いたことに続行を躊躇わされた。普段、物にあたるような人ではないのだが、それだけ、ゼフィランサスの怒りと悲しみのほどがわかる。
あの時、キラはゼフィランサスのそばにいられなかった訳ではない。ただ、子ども特有の反骨精神故に、キラは別れを選んだ。その時は正しいと思えていたことがことごとく、ゼフィランサスを傷つけている。
「キラは何も変わってなかった……。アルテミスでキラがカズイ君を見捨てた時、わかったから……。キラは何も変わってなんていないって……。また私のために傷ついてしまう人なんだって……」
もう声から勢いは消えていた。今度躊躇われたのは、触れると砕けてしまいそうな弱くて儚い1人の少女に触ること。結局、伸ばしたままの手は決意のつかないまま宙を漂う。
「プレアもそう……。私の……、こんな私のためにキラが傷ついていくの、見ていられなかった……。だから、キラには2度と私の前に現れないでいてもらいたかった……」
「僕はそんな立派な人間じゃないよ。ただ、君を抱きしめたい。そのために周りの迷惑顧みない身勝手な人間でしかない」
ユッカのことだってゼフィランサスに助かってもらいたいよりは、ゼフィランサスを失いたくない気持ちの方が強かった。
カズイの時も、助けられるかわからない友達を助けようとするよりもゼフィランサスを救うことを優先したかった。
「言い訳でしかないことはわかってるよ。でも、あの時の僕にユッカも君も助けられる手段があったとは思わない。カズイにしたって、僕の見立てでは奇跡でもなければ助からなかったと思う。僕は、正しいことをしてきたとは思わない。でも、間違った判断をしたとも考えてない!」
全部そうだ。すべてがそこに帰着する。キラは、ただゼフィランサスを抱きしめたかった。そのため、10年の間、ゼフィランサスを探し求め、モビル・スーツの操縦技術を身につけた。
すべてゼフィランサスにもう一度触れたい、それだけが願いだあったのだから。
目の前にはゼフィランサスがいる。触れるだとか触れないだとか、触れたいに決まっている以上、キラの手はもはや抑えようもなく愛しい少女へと伸びた。肩を掴んで振り向かせて、手を繋ぐ。固い操縦桿を握りなれた手には、ゼフィランサスの手はあまりに小さくて、力を入れることが怖いくらいだ。
ゼフィランサスは瞳に涙を浮かべていた。赤い瞳が蠱惑的にさえ思えて、何もできなくなっていく。ゼフィランサスの唇はとても柔らかそうで、吸い寄せられたみたいに目をそらすことができない。
「ゼフィランサス……」
これが当然のことのように体をすり寄せて、必然のように唇を近づけていく。こうなるとすべてが許される気がして、頭が解釈を都合よくねじ曲げていく。
「いや……。だめ、だよ……」
それでもゼフィランサスと繋がれた手は拒絶するような力は込められていない。ゼフィランサスの背を木に押しつけておきながら、本当に嫌なら逃げるはずだと考えた。
ゼフィランサスのことが欲しい。唇を触れ合わせたい。結論が過程を塗りつぶして、歯止めなんてあるはずもない。少しでもゼフィランサスが嫌がるそぶりをみせたらいつでもやめられる。そんなできっこないことを免罪符に、そっと近づけた唇を触れ合わせ、重ね合わせていく。
触覚以外のすべてが余計で、音なんて聞こえない振りをして、目は閉じてしまおう。世界が2人だけになってしまったようにさえ思いこもうとした。
ただゼフィランサスのことを感じていたかったから。
だから気づいてしまった。頬をかすかな水の感触が撫でた。これが、ゼフィランサスの瞳からこぼれた涙であることを。
意識が突然呼び戻されて、すぐにいたたまれない気持ちになった。それでもすぐに唇を離す気にはなれなくて未練を残したままゆっくりと引き離すしかできなかった。顔を離した時、ゼフィランサスは涙を頬に伝わらせて、唇を押さえていた。
どうしようもなく申し訳ない気持ちで体は自然と逃げだそうとした。それを妨げたのは、他ならぬゼフィランサスの手だった。利き手である右手は口元を押さえたまま、左手はキラの服を掴んでいた。手つきこそ拒絶するようでありながら、しかしその手はキラを掴んで離さない。
「キスのこと、いやじゃなかったよ……。でも、辛いの……。体がキラの温もりを思い出してしまうと、またいなくなることがことも……、いないことも寂しさも……」
だからと温もりを遠ざけてしまうなんて寂しいことではないだろうか。
「僕は君のそばにいるよ。君を守るから」
無理に近づこうとすると、キラを掴む手は棒のようにキラを拒んだ。手を涙にこすりつけながら、ゼフィランサスはあくまでもキラとの間に一定の壁を作ろうとする。
「無理、だよ……。私はお父様に逆らえない……。キラはお兄さまには抗えないから……。だから、キラに抱きしめてもらいのけど、触れてもらいたくないよ……」
涙がとまると、頬に涙の跡を残しながら、ゼフィランサスはいつも通りの表情のない顔を取り戻していた。温もりを知らなければ冷たさに慣れることができるかもしれない。ゼフィランサスはそうして、人を遠ざけながら生きてきたのだろう。
ゼフィランサスは袖--フリルによって広がっており、確かに何か隠せてしまえそうではある--から一つの記憶媒体を取り出した。
「これ、何かわかる……? ニュートロン・ジャマーを無効化する装置、そのデータ……」
何故こんなものをゼフィランサスが持っている。いくら開発責任者ではあっても機密情報をこんな形で持ち出せるはずがない。そもそも、ヴァーリの父はこんなこと望んでいないはずだった。
ゼフィランサスはキラの知らない意志で動かされている。
「私がオーブに来のはプレアに会いたかったから……。もう一つは、お兄さまにこのデータを渡すため……」
キラを掴んでいた手が放れて、軽い力で突き飛ばされた。道を開けさせられたことでゼフィランサスは再び砂浜へと歩き出した。後を追う形でキラも続いた。
砂浜が何か変わっていることはなかった。静かに波が押し寄せ、わずかな照明だけが明かりである。それでも気づくことができた。存在を否定することが許されないように、キラは気づくことができた。
教会の前、男と少女の姿がある。男は白いスーツ、少女は白いドレス。
ゼフィランサスはとりたて急いだ様子もなく教会の方へと歩いていく。男の方は月でも見えているのか見上げたままの姿勢で、ゼフィランサスに応えたのは少女--ヒメノカリス・ホテル--の方だ。
ヒメノカリスの身につけているドレスは色合いこそ白と黒の違いはあるがデザインはゼフィランサスのものと同じだ。顔や波だった長い髪まで同じで、アイリスやラクス、同じ第3研の姉妹以上にヒメノカリスとゼフィランスは同じ印象を与える。
「ゼフィランサス」
「ヒメノカリスお姉さま……」
ここで初めて男の方が動いた。月から目を離して歩き出す。たちの悪い冗談のように整った容姿で完璧なリズムを刻みながら、男はエインセル・ハンターであった。
軍需産業ラタトスク社代表にしてアズラエル財団の御曹司。巷説ではブルー・コスモスの代表と目される人物。
「エインセル・ハンター代表。あなたはゼフィランサスに何をさせたいんですか?」
「プラント、天なる国はあまりに歪にすぎています。遺伝子操作によって作られた人々によって作られた国土は、人を社会の都合によって作り替えることにあまりに寛容であり、人のために社会があるのではなく、社会のために人が生かされる。ゼフィランサスが、その意志と関わりなくモビル・スーツを開発していたように」
その瞳はキラのことを見ているようで、しかし他の何かを見ているようとでも、見ていないとも、まったく別の何かを見ているようにも思えた。
「それはあなたも同じだ」
「故に、私はエインセルなのです」
エインセル・ハンターの腕にヒメノカリスが飛びつくように抱きつく。その行動に違和感を覚えないでもなかったが、白のヒメノカリスと黒のゼフィランサス、2人の少女を従えるエインセル・ハンターの姿は妖しく映る。妖精を従えるオベロンか、娘とともに誘う魔王。ひどく現実離れした存在に思えた。
「キラ・ヤマト。いえ、ナインス・ドミナントであるあなたには伝えておくべき事実と言葉があります。あなたがゼフィランサスを思う資格と覚悟があるように、私もあなたと同じなのです。私にはプラントを糾弾すべき義務と責務を担っています。ドミナントととして」
「あなたは一体……?」
完全に頭が混乱している。まず、何から驚くべきかわからない。疑問だってわく。この人は何者で、何をどこまで知っているのだろうか。
「私はエインセル。私はあなた自身」
肌が乾く。張りつめた空気が筋肉を緊張させ、皮膚を感想したと錯覚させるほど張っていた。疑惑は疑惑で残り続けるのに、目の前の魔王は一切確信も欺瞞も許さない。そんなはずはない、嘘に決まってる、ブラフだろう、そんなキラ自身を誤魔化すための嘘を、キラ自身が信じられなくなっていく。
この男はドミナントだ。
(この人は強い……)
虎は寝ていてもウサギを怯えさせる。睨む必要もなければ凄む意味もない。存在だけが脅威で威圧する。エインセル・ハンターはそんな男であった。ただ見られているというだけで緊張を解くことができない。
ふとエインセル・ハンターの視線が外れた時、キラは安堵している自分を見つけた。
「血のつながりはないとは言え、私はゼフィランサスを兄として保護してきました。このことの意味がわかりますか?」
まず悪寒が生じた。
「あなたはゼフィランサスを林に連れ込み、やがて涙を流す妹が林から出てきました。このことの説明を求める立場にいるということです」
そしてすぐに代わりに嫌な汗が出てくる。先程の緊張とはまったくべつもので、ある意味では余計にたちの悪い感覚に体中を縛り付けられる思いがした。銃を突きつけられた時でもこんなことを感じたことなんてなかった。
「ゼフィランサス、変なことされなかった? いきなり抱きつかれたとか、無理矢理キスされたとか?」
「そんなこと……、されて、ないよ……」
ヒメノカリスの言葉に、ゼフィランサスはまず白い頬をわかりやすく赤くして、唇を意識したのか手を口に当てる。強力な状況証拠が示されたがキラには弁護士なんていない。
そんなことしていません。恥じらうゼフィランサスと緊張のあまり片言になるであろうキラ、一体どちらが信じてもらえるだろう。
同意の上でした。これこそ性犯罪者の典型的な言い逃れではないだろうか。実際、ゼフィランサスは拒みこそしなかったが、キラの行為をゼフィランサスが受け入れてくれただけで互いに求め合ってのことではない。
誤解です、お義兄さん。駄目だ、完全に腰が引けている。先程まで啖呵を切って睨んでいた相手に完全に気圧されていた。
「あなたとは、同じドミナントとしてではなく、ブルー・コスモスの代表としてでもなく、男として話し合う必要があるようです」
「ちょっと待ってください、確かに僕もゼフィランサスもまだお互いの距離に迷っているところがあります。でも、僕がゼフィランサスを思う気持ちに、嘘偽りなんてありません!」
つい先程までヴァーリやドミナント、世界の裏側や趨勢について話していなかっただろうか。この世の中には銃や力では解決できない問題の方が多くて、余計に息苦しいものであるらしい。
キラの思いが通じたのか、エインセル・ハンターは首をゼフィランサスの方へと向ける。
「ゼフィランサス、あなたはそれでよいのでしょうか?」
「エインセルお兄さまにも、私とキラの間には……、あまり立ち入ってもらいたくありません……」
エインセル・ハンターは息を吹く。
「わかりました。ゼフィランサスに免じて、このことをこれ以上追求することはよしとしましょう」
エインセル・ハンターは歩き出す。砂を踏みしめ、ヒメノカリスがすぐ後に続いた。ゼフィランサスもまた、キラの方を一瞥するなりついていく。
キラにとって、エインセル・ハンターという男はいつか倒さなければならない相手になるかもしれない。婿と舅の関係はともかく、ゼフィランサスの力を利用しようとする1人であることに代わりはないからだ。敵の背を見送りながら、キラは意識して声を出した。
「ゼフィランサス、君は必ず僕が助け出す」
ふと、あることを思い出した。ゼフィランサスはデータを持っていた。これで、核兵器の封印を解く装置を、ブルー・コスモスとラタトスク社は手に入れたことになる。
ただ、キラにはそんなことよりもゼフィランサスのことで頭を占領されていた。思い出せば確かに抱きしめて口づけを交わした。その温もりや感触が余韻として残っている今、世界の行く末のことなんて考えようとしてもなかなかどうしてできにくい。
「カルミアに叱られて、少しは周りのことが見えるようになったはずなのにな」
苦笑して、しかしすぐに元の表情を取り戻す。4年前に戦争が起きた。3年の間膠着が続いた。それもすぐに終わる。まもなくプラント最高評議会では急進派のパトリック・ザラ国防委員長が議長に選出されると絶対視されている。ブルー・コスモスも十分な戦力を手に入れたことだろう。
次にこんな静かに星空を迎えるのは、果たしていつになることだろう。
夜が明けると、残されたのは残骸と残骸、見渡す限りの残骸であった。その最たるもの、GAT-X102デュエルガンダムの横たわる巨大な躯を前に、ディアッカ・エルスマンは欠伸をかいた。
デュエルはアイリス・インディアをかばった際に被弾したことを原因として右腕を肩からなくしていた。さらにジェネレーターに熱が入り機能を停止。現在は右側を下に横たわったまま動かない。フェイズシフト・アーマーのおかげで装甲そのものは綺麗なものだが、オーバー・ホールでもしなければ使い物にならないことだろう。
そして、周囲には破壊しつくされた港の瓦礫と残骸で埋め尽くされていた。
思えばおかしな夜だった。捕虜なのに外出が許され、モビル・スーツで戦闘までした。挙げ句いまだに拘束されておらず、こうして朝日の中、昨夜の戦いの傷跡を眺めている。
隣にはアーノルド・ノイマン--名前はフレイ・アルスターから聞いた--がディアッカとおなじように神妙な面もちでデュエルを見上げている。もっとも、こちらは貴重な戦力を失ったことに思いを馳せていることだろう。
アーノルドはディアッカの視線に気づいた。
「昨日はありがとう。君のおかげで私たちは助けられた」
「別に大したことじゃない。それより、どうしてプラントがガンダムなんて持ってたのか、何か知らないか?」
離れたところには核動力が搭載されていた機体--ザフトの機体であるはずが、なぜかガンダムだ--の残骸と、ストライクの回収作業が続けられていた。朝日を浴びるこの光景を眺めていると、やはり昨夜のことがふつふつと思い出される。
アーノルドは答えた。
「私も詳しいことは知らないが、ゼフィランサス主任は一度ザフト軍に連れて行かれている。恐らくザフトでも開発を続けていたのだと思う」
「なるほどな。道理で同じ顔の機体がザフトにもあるわけだ」
同じ顔をしているのは何かのこだわりなのだろう。アーノルドはさもゼフィランサスがガンダムの開発者であって当然のように言ってくるが、とりあえずそうなのだろう。話を合わせておくことにする。
わかったことは、ザフトでもガンダムの開発が進んでいるということだ。ザフトでもビーム兵器の量産が始まれば戦いは大きく変わることだろう。それともう一つ。ディアッカたちの方へと大股で歩いてくる女は機嫌が悪いということもわかる。
無造作な髪をした、まだ少女と言える年頃で、怪我でもしているのか腕を吊っている。よく見ると腕を通さずに羽織っているだけの上着はオーブ軍のものだ。
「言っておくが、昨夜の件は他言無用だ。今ここで核動力の存在を公にすることはできないからな」
「情報規制でもかけるのか?」
「目撃者が多すぎる。それに、オーブの報道機関は跳ねっ返りが多いからな。とりあえずザフトがモビル・スーツを持ち出して暴れ、大西洋連邦が応戦したという形にしておく」
女は名乗りもしないでまくし立てる。しかしこんな子どもが機密について語っているところを見ると、それなりの立場にいるのかもしれない。実際、いつの間にやらそばにいた屈強な男性--こちらは頭を包帯で巻いている--は女をカガリ様と呼んだ。
「カガリ様、エピメディウム様がお話があると」
このエピメディウムというのはオッドアイの少女のことだろう。厚ぼったい作業着姿の作業員たちばかりのこの場所をずいぶん軽やかな格好で走っている。その快活さ以上に際だって見えたのは、エピメディウムという少女がアイリスと同じ顔をしてるということだろう。
ラクス・クラインとも、アイリスとも違う笑い方を、エピメディウムはしていた。
「ほらカガリ、また勝手に病院抜け出して。ひびが入ってるんだから安静にしてなきゃ駄目だよ」
「こんな時に寝ていられるか!?」
「言うと思ったよ」
エピメディウムが指を鳴らす。すると女性看護士たちが一斉にカガリを取り囲むなり有無を言わせず連行し始めた。さすがにカガリも女性相手に--このカガリも女だが--暴力をふるうことはないらしい。とてもおとなしくとは言えないが、渋々と連行されていく。
そして、エピメディウムもまた去っていく。
「ヴァーリか……」
キラは26人と言っていた。あの時は何を言っているのかわからず、今はまだ実感が伴わない。ヴァーリという存在には。
ディアッカはエピメディウムたちを見送り、アーノルドもそのはずだった。エピメディウムたちの去っていく方角、そこには規制線が敷かれ、野次馬たちが集まっていた。
アーノルドが歩き出したのは、そんな野次馬たちを目指してのことだった。
「いや、見覚えのある人がいたんだ」
オーブの人たちが張ってくれたテントの中は広くて、ゆったりとさえしていた。むき出しの床は昨日の戦闘の激しさを物語ってアスファルトが溶けてはめくれあがり、何とも言えない地面を作っている。
フレイ・アスルターは椅子に座ったまま、床を眺めていた。
耳には綺麗な鼻歌が聞こえている。ラクス--アイリスはそう呼んでいた--がテントの隅に立ったままで心地のよいリズムを刻んでいる。つい興味を引かれて顔を上げると、どうしてもすぐ前に座るアイリス・インディアのことを目にしない訳にはいかなかった。
どんな顔していいのかわからないから床を見ていたはずなのに。目があってしまって、本当ならすぐにでも床に視線を戻したかった。でもできなかった。もう一度、アイリスを突き放すことなんて、したくなかったから。
「ねえ、ちょっと……、話聞いてもらえる?」
「はい」
アイリスの短い返事の後、鼻歌が止まった。
「私はどうしましょう?」
このテントにはフレイとアイリスのほかにはラクスしかいない。
「いてくれてもいい、かな」
せっかくだから歌も続けてもらえないかな。それはさすがに図々しい気がしても、ラクスは自然とメロディを奏でてくれた。綺麗な音楽で、少しは気が落ち着くような気がした。
アイリスの目は、まだあわせ続けられない。せめて視線を落としても、アイリスの顔がしっかりと見えるようにする、これくらいが精一杯だった。
「私さ、パパとママを亡くしてとても悲しかった。それで悲しくて悲しくて、私をこんな目に遭わせた奴が許せないって思ってた。それがコーディネーターなんだって。だからコーディネーターに復讐することがパパたちのためだって思ってた。軍に入ったのも、きっとそのためなんだと思う」
何か、2人のためにしてあげたかった。そのための手段は、目の前にわかりやすい形で転がっていた。
「でも、何だか違うような気もしてた……。カルミアさん。あの人に、私会ったんだ。コーディネーターなんだって、パパとママの仇なんだって思って銃を向けた。それなのに、カルミアさんたら、怖がるどころか私のこと気遣って……。苦しい癖にさ……」
少し言葉をとめてもいいだろうか。まだ、カルミア・キロの死を受け入れるには時間が必要みたいだから。会って、少し話をしただけの人なのに、フレイはあの人の死をなかなか受け入れられないでいる。
「……ディアッカの奴の無神経さはムカムカしたけど、別にカルミアさんには怒りなんてわかなかった。パパとママを殺したのは、別にカルミアさんじゃないし、アイリスでもないんだから。でも、銃を下ろすことができなかった。下ろしちゃいけない気がしたの……」
ゲリラに襲撃された戦艦の中で、暗い照明の中で、フレイは自分がどんな顔をしていたのかわからない。怯えたような顔をしていたのかもしれない。泣いていたような気もする。でも、多分銃を向けた相手には、カルミアのことを睨んだままではなかっただろうと思う。
憎いから銃を向けたのではなくて、銃を向けている以上憎い相手でなければならない。そんなあべこべでちぐはぐの思いがあったような気がする。
「その時わかったんだ。私は、憎いから銃を向けたんじゃないんだって。パパとママのことが好きだったから、そうしたんだって……!」
ヘリオポリスの出来事がまるで10年も前のことのように思えた。まだ数ヶ月前のことでしかないのに。この数ヶ月の間に、フレイはたくさんの人を失ってしまった。
涙は枯れたと思ってた。それでも今、フレイの頬を濡らすのは間違いなく涙だった。
「パパとママが死んで、だから2人のために何かしてあげなくっちゃって言う気持ちになってた。それができるのは娘の私だけなんだって、あなたたちの死を悲しんであげられるのは私だけなんだって、がんばろうって、思ってた。だから、パパとママの死を悲しんで、悲しんでますって態度をいつもとってないといけないんだって、周りに見せなきゃいけないんだって!」
コーディネーターは父と母を殺しました。だから私はコーディネーターを憎んでます。コーディネーターを憎むということは、父と母のことを思っているからです。
そんな考えがいつしか入れ替わって、コーディネーターはすべて憎んでみせないといけないに変わっていった。アイリスのことが憎かったはずなんてない。ただ、コーディネーターを許すという行為そのものを自分に許すだけの余裕を、フレイはなくしていた。
「コーディネーターってだけでアイリスのこと、責めたり……。軍隊に入ってみせたりして、パパとママのために必死にならなきゃ駄目なんだって、そうやって自分に無理矢理言い聞かせて……、アイリスのこと避けてた……」
両親のために戦え、そのためには、コーディネーターを受け入れてはならない。そんなもう1人の自分がいつも邪魔をした。アイリスを避けて、アイリスを受け入れようとする自分を罵倒するみたいにひどいことを言った。カルミアからも銃を向けたまま下ろすことができなかった。
「こんなことしちゃ駄目だって、アイリスにあんなこと言うつもりなんてなかったのに、でも……、誰かを許してしまったらパパとママの死を悲しんであげられなくなる気がしてできなかった……!」
アイリスの顔を見ていようとしたのに、涙で見えなくなって、手はひっきりなしに顔をこすっていた。アイリスが差し出してくれたのは1枚のハンカチ。受け取ったけれども、せっかくのハンカチを汚してしまうことに気が引けた。
「貸してください」
ハンカチを取り戻して、アイリスは優しい手つきでそっとフレイの頬を拭ってくれる。
「ごめんね、アイリス……。本当にごめんね……」
「私、フレイさんはそんな人じゃないって思ってました。でも、フレイさんの気持ちにも気づいてあげることができませんでした。いつかフレイさんが元のフレイさんに戻ってくれるって信じるふりをして、きっとフレイさんに甘えてただけなんですね。謝らなければならないのは、きっと私も同じです」
アイリスが拭ってくれる度、少しずつ涙がとまっていくような気がした。ラクスはまだ歌を奏でてくれている。両親を失った悲しみが癒えたとは思わない。それでも胸の奥に詰まっていたしこりが、これまでのしつこさが嘘のように抜け落ちた、そんな気がしていた。
街にさえ被害を及ぼした一夜の混乱のため、アスラン・ザラがザフトの使用している輸送機に戻ってくることができたのは朝日が頭上を撫でた後のことだった。
もちろん一睡もしていない。昨夜の報告はアスランだけで十分だろうとジャスミン・ジュリエッタには先に休んでもらっている。アスランは1人、隊長が待っているブリーフィング・ルーム--輸送機の中の多少広い部屋に机がおいてある程度のものだが--の扉をくぐった。
ラウ・ル・クルーゼ隊長は仮面をつけていて隈がないように見えているためかもしれないが、特に疲れた様子はなく机の向こう側に立っていた。
「君たちには次の作戦に備えて療養してもらうつもりだったが、散々な結果になってしまったようだな」
「いえ。ただ……」
敬礼を姿勢をとってから、これは言うべきか悩んだのだが結局言ってしまうことにする。
「街にも大きな被害が出ました。クルーゼ隊長もモビル・スーツを出撃させたと聞いています」
ZGMF-1017ジンを3機。すべてが撃墜された上、ヤラファス港にも甚大な被害をもたらしてしまったと聞いている。隊長は確かに作戦に情を持ち込むことはないが非情な戦いを好むということもない。それを差し引いたとしても、今回の作戦はまたプラントで問題になるのではないだろうか。
「非難は甘んじて受け入れよう。だが、あの場所にはプラントの重要機密があると噂では聞き及んでいた。私としても賭けだったが、動くべきと考えた」
(隊長も焦っているのだろうか?)
ヘリオポリスでは中立コロニーを崩壊させた責任を最高評議会でも追求されたと聞いている。その時はパトリック・ザラ--アスランの父にあたる人だ--に助けられたと聞いているが、今回も同様の責任に問われる恐れがある。
仮面の奥に素顔を隠して、隊長は本心さえ見せようとはしない。
「アスラン、君は何かを知っているのかね?」
「どうして、そう思いますか?」
「君は私を責めるではなく問いかけた。ある意味では、誤った判断でもないと捉えたからではないのか?」
反対に心を見透かされてしまいそうだ。隊長にはヴァーリのことは話していない。何か訳知りのように思えなくもないが、手の内を明かすには、隊長はどこか計り知れないものを感じさせる。
アスランは曖昧な笑みでその場を誤魔化すことにした。
「所詮私も一兵卒です。非難めいた言葉遣いになってしまったのでしたら謝罪します。ただ、街で知り合った仲間を、亡くしました……」
フレイがその気分をようやく落ち着けた時、テントの入り口の方から声がした。ディアッカの声だ。
「ノックはできないが、入るぞ」
その態度は言葉ほど遠慮がちではなく、天幕をどかして姿を見せた。まだちょっと顔に泣いた跡が残っているため、顔を見せることはためらわれたが、ディアッカがつれてきた人物はフレイに顔を背けることをやめさせる。アーノルドの方ではない。ミリアリア・ハウ。オーブに帰ったはずのミリアリアだった。
どうしたのだろう。顔はうつむきがちでフレイやアイリスと再会したのにその感動もないようだった。ミリアリアはテントの入り口に留まったまま、動こうとしなかった。
話しかけたのはアイリス。
「街も攻撃されたって聞いたけど、大丈夫でした?」
アイリスもミリアリアの異変に気づいているらしく、どこか遠慮したような話し方になっている。
「うん……。ザフト軍が攻めてきたんでしょ……?」
ミリアリアは普段明るい性格で、よほどのことがなければこんな雰囲気を沈めた話し方なんてしない。
ただ、ディアッカは特に気にした様子なんてない。ちょっと無神経なところは、やはりあるらしい。
「正確には違うな。ザフトとしてもモビル・スーツを出したのは事実としても、街を攻撃する意志があったわけじゃない。流れ弾や、撃墜されたヘリが街の方に流れただけだ」
「この人……」
そのおかしな風袋はミリアリアの目を引いたのだろう。アイリスのような軍服でもなければ、フレイやラクスのような私服でもない。いたってシンプルな服装は囚人服を思わせたかもしれない。実際、ディアッカは捕虜そのものであるのだから。
「説明しにくいんだけど、捕虜、かな。本当はザフトなんだけど」
ユニウス・セブンの跡地で捕虜になって、フレイと一悶着あった。その後なぜだか外出を許されていて、モビル・スーツでフレイたちを助けてくれた。こんなことをどう説明していいかわからない。
説明の難しさにフレイは悩んだだけだった。それが、躊躇と受け取られかねないことなんて考えもしないで。
アイリスは訪ねる。昨夜、ディアッカが見せた戦いの訳を。
「本当に、どうして私たちのこと、助けてくれたんですか?」
「フレイだったな。前は悪かったな。俺も戦闘で気がたってた。別に意見を変えるつもりはないが、親御さんを亡くした奴にあれはなかった。それに、食事くらいまともなものが食べたいからな」
ディアッカは斜に構えた様子でテントに寄りかかっていた。このとらえどころのない捕虜につい目を奪われた。それはこのテントに集まる人全員がそうであったようだ。全員の視線が、ミリアリアから外れた。
「何で……?」
特に誰かに聞かせたい、そんな声ではなかった。誰の声かも判断しにくい、そんな声なのだから。フレイは自信がもてなかった。ミリアリアの声のように聞こえた。
「ミリアリア……?」
何の気なしに振り向いた。すると、ミリアリアが泣いていた。目から一杯の涙を流して、それでもそれは決して泣き顔でなない。怒りの形相のまま、涙を流していた。
「トールは死んだのに!」
ミリアリアが跳び出して、フレイはつい反応が遅れた。ミリアリアはフレイを突き飛ばすと、そのままテントの隅に置かれたテーブルへと向かう。その上にはフレイのポーチが置かれている。そこには、普段から肌身話さず持ち歩いていた拳銃--エインセル・ハンターからもらったもの--がポーチの口から見えていた。
「ミリアリア!」
フレイのこの声にほかのみんなも気づいた。でも、その時にはミリアリアはすでに銃を手にしていた。狙いはディアッカ。昨晩戦闘を行ったザフトの少年へと向けられた。
(そいつは違う!)
意識だけが間に合って声が声にならない。ディアッカはフレイの知る限り、ただの一度も発砲しなかった。
「トールはぁぁー!」
その銃口はディアッカに向けられている。アーノルドが急いで銃を取り上げようと走るが、とても間に合いそうにない。引き金が引かれる。その殺傷力とは比べものにならないくらい軽い音がした。
その直前のことだった。アイリスが手を広げて、ディアッカの前に立ったのは。
銃から空薬莢が放出され、床へと落ちていく。薬莢が地面にぶつかり、甲高い音とともに転がるまでの間、様々なことが起きた。アーノルドがミリアリアから銃を取り上げる。ミリアリアはその勢いに倒され尻餅をついた。銃口の先で、アイリスが後ろへと倒れようとして、ディアッカが低い位置で抱き止めることに成功していた。
時間にすればほんの数秒のことだと思う。その中にたくさんのことが起こりすぎた。
ミリアリアが銃を撃つ。この動きが終わった後、みんな動きをとめていた。まるで、それぞれの一瞬に疲れ切ったみたいに。
「どうして……? 何で……?」
涙を流しながら、ミリアリアの顔から怒りはぬけ落ちている。しかし、強い混乱が代わりに噴出して、その瞳が尋常でない色をたたえていることに変わりはない。
「庇うなんて……、何で……?」
フレイには、ミリアリアの気持ちがわかる。怒りに身を任せると、自分だけが王様で、自分のしていることがすべて正しいと思いこんでしまう。普段はできるはずの、ほかの人のことを考えるということができなくなってしまうから。
「ア、アイリス!?」
足は固まったように動かない。ディアッカに支えられるアイリスの様子を怖くて確認する気になれない。ディアッカは平気な様子である。少なくとも弾は貫通していない。弾は貫通した方がよかっただろうか、それとも貫通していない方がいいのだろうか。映画では何て言っていただろう。
アイリスは、ゆっくりと手を上げた。
「大丈夫です。弾は当たってませんから……。ちょっと、驚いちゃいました」
「脅かすなよ……」
それでもまだ腰は抜けているのだろう。アイリスはディアッカにしがみつくように支えてもらっている。
「不発……なの?」
「いいえ、1発目には空砲が装填されていたようです」
「カートリッジには全部実弾が装填されているようだ。空砲は、はじめの一発目だけだということになる」
ラクスとアーノルドだった。ラクスは床に落ちた空薬莢をハンカチで拾い上げて、その様子を観察している。アーノルドは銃からカートリッジを抜き取り、銃を思い切り後ろへスライドさせていた。
どうして空砲が装填されていたのか、理由はわからない。わかるのは、ミリアリアが友達を殺さずにすんだということ。
それでも、ミリアリアは涙にくれていた。ただ、その泣き方は、悲しくて泣いている。そんな自然な雰囲気を宿すようになっていた。
フレイは近づいて、そっとその肩に手をおいた。
「ミリアリア、こんなこと、私から言えることじゃないと思うけど……。怒りに身を任せると自分が正しいんだって思いこむことはできても、実際はそんなことなんてない」
迷いを持たないこと。それはある種の強さかもしれないが、迷いから逃げると世界から自分を隔離して独善的にならざるを得なくなってしまう。
「復讐は関係のない人まで苦しめてしまう」
仇にも大切な人や、大切に思っている人はいる。どれだけうまくやっているつもりでも、そんな人を巻き込んでしまうしかない。
「トールのことを忘れて欲しいなんて言わないけど、もう1度自分を見つめなおして」
簡単に復讐を諦められるとは考えてない。時には行動を起こすことも必要だろう。
それでも、フレイはミリアリアを止めるように抱きしめた。
「それでも駄目なら……、その時は……、やっぱりもう1度考えて……」
腕の中でミリアリアが泣いている。すすり泣く声を聞いていると、どうしても復讐なんてして欲しいとは思わない。ミリアリアは泣いているのだ。自分がしようとしたことの恐ろしさに怯えて、後悔に苦しみながら。