オーブ内閣府官邸の一室に9人の少年少女が集まっていた。男女で分けるなら2人と7人。系統で分けるなら3人と6人。3人のドミナントと6人のヴァーリ。姿で分けても、3人と6人。キラ・ヤマト。アスラン・ザラ。カガリ・ユラ・アスハ。3人はドミナント。部屋は広く、壁の大型モニターを見るためのテーブルがいくつか並べられていた。室内ながらカフェテラスのように各人が好きな場所、好きな相手とテーブルを囲い、モニターを眺めているのである。
キラは大西洋連邦の白い軍服を着ていた。アスランの身につけている軍服はザフト軍エリートの証である赤いもの。カガリのオーブ軍の軍服は白を基調とした男物であった。この3人はそれぞれ別々のテーブルについていた。
そして、6人の少女はみな同じである。同じヴァーリであり、同じ顔をしている。
Eのヴァーリ、エピメディウム・エコーは青と赤のオッドアイ。緑の紙を三つ編みにして肩に垂らしていた。足を露わにした短いズボンでモニターのすぐ脇に立っていた。ダムゼルの1人は明朗な声調でテーブルにつくドミナントとヴァーリに話しかけた。
「すごいよね、まさかこんなにヴァーリが揃うなんて。10年来なかったことだよ! それにドミナントも3人だなんて、これは記念写真を撮るべきだよ」
「そんな時間ないだろ。早く始めろ、エピメディウム」
投げやりな様子で答えたのはDのヴァーリ。デンドロビウムはエピメディウムと左右対称の姿をしている。オッドアイの色が反対であり、三つ編みも反対側に垂らす。しかしその表情だけはどこか不機嫌そうにモニターを眺めていた。
同じテーブルにはカガリが座っている。何かと衝突の多いこの2人は何故か同席していた。
エピメディウムは同じ部署出身の姉の様子に笑いながら息を吹いた。モニターには少年の顔写真が正面と側面、2枚が表示される。
「じゃあ、始めようか。この子はプレア・レヴェリー。ゼフィランサスには紹介の必要はないことだと思うけど、ザフト軍の開発部で弱冠10歳にしてモビル・スーツ開発を任せられるほどの技術者だよ。この子はゼフィランサスと一緒にザフト軍の新型のモデル・プランの開発に当たっていて、その研究成果を持ち出したんだ」
カガリがぶっきらぼうに言葉を差し挟む。カガリとデンドロビウム。いがみ合っているわりに、その言動は似ていることが多い。
「新型というと、地球侵攻のための専用機のことか?」
ザフト軍は地球侵攻を当初目的としていなかった。そのため、宇宙空間では威力を発揮するモビル・スーツをやむなく地球に持ち込んだものの環境に必ずしも適合できず、ジンオーカーなどのマイナー・チェンジで辛うじて対応してきた事情がある。ザフト軍にとっても地球で扱うことのできるモビル・スーツの開発は急務であることくらい、少しでも戦争を知っている者ならわかることだ。
「それはもう古いよ。今はビームを搭載した量産機のことだよ。実弾に比べてビームは軽く3倍の火力を持つ。威力や破壊力というのは重要なファクターだよ。これからの時代はビームなんだ」
エプメディウムの言葉は正しい。
実際、ザフトでは砂漠などの局地用モビル・スーツとしてバクゥが開発されたが、急遽外付けのパーツでビーム・サーベルが搭載されることが決定した経緯があった。
特にこの中にはバクゥを目の当たりにしたものもいる。アスランもその1人だ。
「しかし元々ビームは地球側、正確にはゼフィランサスの技術だ。今更奪われたところで何も問題ないように思えるが?」
「それももう古い発想だよ。ゼフィランサスはすでに次の段階に進んでいたんだ。ドレッドノート、……ガンダム、だよね?」
エピメディウムは首を回して助けを求めた。視線を向けた先ではゼフィランサス・ズールが1人でテーブルについている。用意された紅茶のティー・カップにガム・シロップを次々と投入している最中で、エピメディウムに気づいた様子はない。それどころかガム・シロップを投入し続けていた。
「ゼフィランサス……?」
ようやく気づいたゼフィランサスは表情を変えることなく小さく首肯する。もはや数えることさえ面倒なほど甘味漬けになった紅茶をためらわず飲み始める様子に、エピメディウムはその甘さを想像しながら苦い顔になる。
気持ちを切り替えるように、エピメディウムは首を振る。モニターにはモビル・スーツと思しき数枚の写真が投影される。正式に撮られたものではなく研究のちょっとした記念のようなものなのだろう。どれも断片的で全体像を把握することはできない。ただ、兵器らしからにトリコロール・カラーに染められた、ゼフィランサスらしい機体であった。
「この機体にはね、核動力が搭載されている。そう、ニュートロン・ジャマーを無効化する機器なしじゃどうにもならない機体なんだよ」
「要するに、今のオーブには軍事的なパワー・バランスをひっくり返しかねない物が持ち込まれた、そう言うことだな?」
手を挙げたのはカガリ。エピメディウムがうなずくなりその視線は一気に鋭さを増した。
「できすぎだな。本当にお前らの差し金じゃないんだろうな?」
その眼差しは同じテーブルに座るデンドロビウムに向けられる。いわゆる嫌煙の仲である2人は、それなら何故同じテーブルにつくのか、そんな無粋な指摘をする者はここにはいない。
ティー・カップに口をつけたままゼフィランサスが答える。
「カガリ、それは私が保証する……」
開発責任者の言葉は信じる気になったのだろうか。ドミナントとダムゼルは休戦状態にはいる。
ここで、アスランが話に加わる。
「それで、プレア・レヴェリーの居場所は?」
「現在調査中。ただ、そんなに時間はかからないと思うよ。何たって、この国は僕の庭だからね」
ドミナントとヴァーリ。彼らが歴史を書き換えかねない技術流失について情報交換を続けている間、アイリスは部屋の隅のテーブルでストレート・ティーのカップを傾けた。
ヴァーリが6人。そうは言ってもダムゼルとフリークは違う。エペメディウムもデンドロビウムもダムゼルであることはカルミア・キロから聞かされていた。ダムゼルは国家機密に近い場所にいても、アイリスはそうではない。自然と部屋の隅に流れて、同じフリークの少女と席を同じくしていた。
バイザーに顔と赤い髪を隠したヴァーリ。
「アイリス、お久しぶりです」
「え~と、ロベリアさんじゃないですよね?」
赤い髪をしたヴァーリは3人しかいない。第4研のJとKとL。カルミアは亡くなってしまった。だからJかLの内、アイリスはLに山をかけた。それは外れであったようだが。
「ジャスミンです。記憶が戻ってきてるみたいですね」
言われると思い出す。ジャスミン・ジュリエッタは、Jのヴァーリは盲目で生まれてきたことを。ヴァーリの中で身体に何らかの障がいをもって生まれてきたのは、JとZだけだったから。
そして、JはKの姉にあたる。
「じゃあ、カルミアお姉さまの……?」
「そうなります。あ、カルミアが亡くなったこと知ってます。でもいいんです。ヴァーリって、そう言うものですから」
そう言われたことにアイリスは疑問に感じなかった。学生のアイリスはおかしさを感じても、ヴァーリとしてのアイリスはその疑念を押しつぶす。
話は次の話題に移っていた。
「こんな話を聞かせてもらっても私じゃ何のことだかよくわからなくて。アイリスも?」
「まだ自分がヴァーリなんだって自覚だって曖昧です。ただ、一応オーブが国籍だから、ちょっとショックです。中立国って少し憧れてましたから」
「でもヘリオポリスじゃガンダムを開発してたりしてました。それに、オーブは空母を持ってるって話も聞いてます。空母って、部隊を遠洋に展開するためのもので、主に攻撃や侵攻に用いるためのものだって」
そして、そんな国家体制を影に隠れて築きあげていたのはモニターの脇にたつエピメディウム・エコー。Eのダムゼルであるともアイリスは知ることになった。
一体ダムゼルはどんな目的で動いているのだろう。
「私たちのお父様って、一体何が目的なんでしょう?」
誰かも知らない相手だ。
「私にもわかりません。私もフリークですから。でも、お父様は地球にもザフトにも勝ってもらいたくないみたいです」
「それって……」
考えが形になる前のことだった。突然話しかけられた。
「アイリス」
アイリスと同じ桃色の髪に桃色の瞳。ディアッカ・エルスマンが初対面のアイリスに投げつけたように、気品のあるたたずまいをしたアイリスの顔がアイリスを見ている。
「少し、お話できませんか?」
「ラクスお姉ちゃん……」
かつてガーベラ・ゴルフ、G・Gと呼ばれていたI・Iの姉が、アイリスをのぞき込むように微笑みを近づけていた。
ヴァーリたちとの会合が終わると、アスランは椅子から立ち上がった。オーブを拠点にするエピメディウムと簡単な情報交換ができればいいと考えていた。ただ、たまたま向けた視線でキラの姿を見ることになったのは想定外であったと言える。キラは立ち上がると、ジャスミンに少しも目もくれずゼフィランサスに駆け寄った。
「ゼフィランサス、今日はオーブのお祭りなんだ。よければ、一緒に過ごせないかな?」
赤い瞳でキラの姿を捉えながら、ゼフィランサスはゆっくりと立ち上がる。体の向きは正面を向いたままで、キラに関心を抱いているようには見えない。
「1人でいたいから……」
申し訳程度にそう言い残すと、ゼフィランサスはキラに目もくれることなく歩きだしてしまった。
キラはゼフィランサスを追おうとはしない。完全に振られてしまったらしい。まだゼフィランサスに未練があるようで、かつての恋人が歩き去った方に視線を固定していた。
1度、キラの名前を呼んでみた。それでは気づかれなかったので、もう1度。そうしたことでようやく、恋破れた男はこちらを向いた。
「ここではなんだから外に出てみないか? 話しておきたいこともある」
これまでの10年のこと。アーク・エンジェルに乗っている訳。聞きたいことはいくらでもある。
弟--形式的にはアスランはキラの兄に当たる--は手を気だるげにあげる。これは拒否には見えないので、一応提案を受け入れてもらえたのだろう。
嫌な習性がアスランをつい振り向かせた。たとえどのような状況でも、音もなく後ろから近寄ってくる相手には体が自然と警戒する。赤い髪にバイザーの少女。ジャスミンであった。
「私もご一緒してもいいですか?」
「ラクスたちとはいいのかい?」
ジャスミンの肩越しに見ると、ラクスとアイリスが同じテーブルについていた。
「第3研同士、水入らずにしてあげた方がいいですよね?」
それだけではないだろう。ジャスミンの出身は第4研。ダムゼルを輩出した部署にはある種の劣等感を覚えていることくらい、アスランでも知っている。ヴァーリの関係はダムゼルとフリームで分けられるほど単純ではない。
拒む理由はなんてなかった。
オーブは代表的な島としてヤラファス島、オノゴロ島、アカツキ島、カグヤ島の4島が挙げられる。このそれぞれがそれぞれ明確な役割を演じ分け、風景は共通していない。
ヤラファス島は政治の中心。4つの地方都市と首都オロファト市によって成り立っている。その光景は牧歌的であり、永世中立国を標榜するオーブ首長国の顔として知られている。建造物は石膏の白い壁を持ち、屋根瓦には朱色が鮮やか。観光地としても著名なその景観は清掃が行き届き、花の季節ともなると色とりどりの花々が咲き乱れる公園が特に有名である。
そして今日は年に1度のヤラファス祭。オロファト市は内閣府官邸前の広場を中心とした街は活気に満ちていた。
1番高い建物が4階建ての内閣府官邸。蜘蛛の巣状に区画整理された街並みの中心にもうけられた広間から坂の上にうかがい見ることができる内閣府官邸は実直ながら荘厳な出で立ちで街を見下ろしていた。
ここは首長国ヤラファス島オロファト市。中立を謳い、戦争を忌避する国家の表の顔である。
ヤラファス祭。
オーブにこのようなお祭りがあることを、大西洋連邦を母国とするアーノルド・ノイマンは知らなかった。
現在、アーノルドは私服に身を包み、広場の噴水の前にいた。まさかお祭りがあるからではないのだろうが、マリュー・ラミアス艦長は外出許可を出してくれた。もっとも、外出しようにも慣れない異国である。艦内でおとなしく過ごすつもりであった。
それがこのような場所にいる。フレイ・アルスターがお祭りを案内してくれるのだそうだ。そう、アイリス2等兵から聞かされた。
アーノルドの脇を1組の男女が通ろうとした。立ち位置をずらして道を譲る。まだ若い2人は手を握り合って、前を見るよりも互いのことばかり見ている。恐らく、恋人同士なのだろう。軽く首を回して見回してみても、ずいぶんと恋人たちの姿が目に付く。オーブとは若い人が多い国なのだろうか。特に噴水の周りは恋人たちの姿しか見られない。
噴水の脇にも時計台はあるのだが、どうしても腕時計を眺めてしまう。そろそろ待ち合わせの時間が近い。
どちらから来るのかわからないので、つい辺りを見回した。すると、フレイの姿を見つけることができた。
背が若干高くなったように見えるのはヒールを履いているかららしい。何を入れられるのかわからないくらい小さなポーチを肩にかけている。ずいぶんお洒落に気を使っているのではないだろうか。もっとも、アーノルドには服飾の名前さえわからない。上着にスカート。そんな大雑把なまとめ方をするほかなかった。
フレイはすぐにアーノルドの姿を認めた。
「待ちました?」
時計を見る。到着した時間と現時刻を確認する。見終えてから顔を上げると、フレイはすぐ目の前に着いていた。この距離で見ると、うっすらと化粧をしていることがわかる。女性というのは外出1つにも手を抜かないものらしい。
「到着から、大体13分ほど経過したところです」
何か、失策を演じただろうか。フレイは目を細め、軽く睨らまれている気がする。おかしい。待ち合わせの時間には十分間に合っているはずなのだが。それにしたところで同じ艦にいるというのに、わざわざ噴水前で待ち合わせをする意味は、アーノルドにはどうしてもわからなかった。
アーノルド曹長の格好は何とも冴えない。ジーパンにシャツを羽織っただけ。色の統一感もなければ、アクセサリー1つで塞ぐことができるようなお洒落の死角はいくらでも目に付いた。もっとも、堅物の曹長がばっちり決めていてもイメージが崩れるだけかもしれない。
フレイは待ち合わせの噴水前のアーノルドを目指していた。
ここはよくデートの待ち合わせに使用される場所である。アイリスから、アーノルドがオーブの案内を希望していると聞かされて、指定された場所がここである。
まさかあのアーノルド曹長に限って他意はないのだろう。それでもこんな上官の誘いを受けたのは、自分でも気づかないくらい疲れているということなのかもしれない。
それでも、フレイはある伝統的なやりとりが、ふとその脳裏をかすめた。
(待ちました?)
(いえ、今来たところです)
こんなやり取りを。実際は、待った時間を分単位で告げられただけであったのだが。
美しい街並みだ。そして、計画的に作られた都市には懐かしさもまた覚えた。プラントで生まれ、軍人としてしか諸外国に出向いたことのないアスランにとってプラントは故郷も同じ。計画的に作り出された街並みには既視感を覚える。
島国であるということを最大限に利用しているように思える。市の役割を完全に分けることでそれぞれがその特徴を特化させることができているのだ。
実際、世界第3位の軍需産業として知られるモルゲンレーテ--ガンダムの開発に協力した企業だ--はオノゴロ島という別の島を完全な軍事施設で固めている。そしてマスドライバーが設営されているカグヤ島と大橋で繋がれオノゴロ島からの大量の物資が宇宙へと送り出されている。
永世中立国でありながら軍需産業が大きな比重を占める世界有数の武器輸出国。それがオーブのもう一つの顔なのだ。
「面白いところだな、オーブは」
別に皮肉のつもりではなかった。幸い、周囲にはアスランの言葉の裏を探ろうとするものもいない。アスランが立つすぐ脇のベンチにジャスミンとキラが並んで座っている。キラは人のことに関心なんてないだろうし、ジャスミンは純朴だから。
「本当に綺麗な場所ですよね」
ジャスミンもキラもジュースを手にしている。アスランが先ほど広場の周りに店を出している屋台で購入したものだ。ジャスミンはジュースのボトルを大切そうに両手で抱えて、ストローを口に運ぶことに苦戦しているようだった。バイザーのカメラが言ってしまうなら目から飛び出した位置にあるため口元が死角になる欠点がある。キラの方はというと、ベンチの背もたれに寄りかかり、片手で保持したジュースにはまだ口をつけていない。
心ここにあらずとはこのことだろう。キラがゼフィランサスのことになると我を忘れることは10年前から何も変わっていない。
アスランはストローを、一口ジュースを流し込む。ストローをくわえたまま、何の気なしに問いかけた。
「キラはゼフィランサスをどうしたいんだ?」
少しずつ吸い上げ続けているため、口の中には甘い味が広がっていた。
「僕は……、ゼフィランサスをベッドに連れ込みたい」
含んだジュースを吹き出してしまった。意地でも前に座るジャスミンに吹きかけてしまわないよう、首を思い切り横に向ける。飛沫化した飲み物が気管を刺激し、軽くせき込んでしまった。
キラの様子はと言うと、落ち込んだ少年のようでしかない。とても、女性と積極的に恋愛関係を結ぼうとする類の人間には見えない。だが、見えないだけだ。
「もう少し、オブラートに包もうな」
口周りについてしまったジュースをハンカチで拭う。取りあえず、ジュースを飲むのはキラの様子を見てからだと、アスランは心に決めていた。
「包んでるよ。もし僕が明け透けになったら、ゼフィランサスを押し……」
「わかった、もういい……」
言い終わりを待つことはできない。すぐさま言葉を重ねて、キラにこれ以上言わせることを阻止する。白昼堂々、往来で口にしていいことではない。
幸い、この話を聞いている人はいないようだった。周囲に人があまりいないのだ。その理由は、特別なことなんて何もなかった。アスランとジャスミンはザフト軍の制服を着たまま、キラは大西洋連邦の軍服を着ている。ザフトの制服くらいオーブの人でも目にしたことがあることだろう。それが敵対しているはずの国家の軍人と並んでいる姿に、人々は違和感を覚えているらしかった。
そのためか、妙にアスランたちの周囲だけが人の密度が小さいように思われる。お祭りに繰り出すカップルたちはどこかアスランたちとは離れた場所を選んで歩き、盗み見るように通り過ぎていく。
(妙なところで目立ってしまっているな)
オーブの内閣府に出向くのは表向き、入港の許可を得るためと理由の説明であるため、軍服を着る他なかった。それはキラにしても同じだろう。アイリスも思えば軍服を身につけていた。
任務のためと割り切って、アスランは特に気にしないことにした。別に見られるくらい問題ないだろう。
また1組のカップルがアスランたちの方を見て通り過ぎるはずだった。ところが、そのカップルたちは積極的に近づいてくるように見える。どこにでもいそうなごく普通の少年少女だ。少年の方は髪質が柔らかく、どこかニコル・アマルフィを、戦死した仲間を思い起こさせた。決して似ている訳ではないのだが、感傷的になっているらしい。
少年の方が手を振りながら声をはる。
「キラ、キラだろ!?」
その声はキラの耳に届き、そしてそれはキラの意識を掘り起こすに十分に値した。顔を上げるなら、キラもまた名前を呼んだ。
「トール、それにミリアリア」
トール・ケーニヒにミリアリア・ハウ。地球降下を前にしたアーク・エンジェルを降り、オーブへと帰ると決めた友人たちである。
ミリアリアが息を切らせながらも嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ほんと久しぶり!」
「いつ帰ってきたんだ? どうして連絡くれなかったんだよ!?」
2人はキラたちのそばにつくなり息を整えながらまくし立てた。そろって、この恋人たちは変わった印象を受けない。ほんの数ヶ月前、キラが単なる学生を気取っていた当時のままである。
懐かしい友人との再会に、キラはベンチから腰を浮かせた。
「これでも任務中だからね。自由な時間が許された訳じゃないんだ」
今日がお祭りでもなければ、きっと2人に出会うこともできなかったことだろう。軍服姿という人を寄せ付けない格好も、友達に見つけてもらうくらいには役だったようだ。
ようやく呼吸が安定したトールは首を動かして、この場にいる人物を確認したようだった。
「サイたちは?」
「アイリスは内閣府官邸にいるよ。やっぱり任務でね。フレイはまだアーク・エンジェルの艦内だと思う」
「あの戦艦?」
「ああ、一つ山越えたヤラファス港に停泊してるよ」
電車で30分はかかる場所だ。そんなオーブ国民ならわかるようなことを話題としてつなげて、キラは続く言葉を躊躇した。サイ・アーガイルのことを話す決意がなかなかつかないでいた。
昔のキラならためらいなく報告できたことだ。相手のことなんて考え魅せずに。だが、友達に聞かせるには酷な内容を話すことははばかられて、キラは心地よい弱さにをゆだねている間、トールたちの方でもそれを察したらしい。
黙っていても意味なんてない。
「まだ死んだと決まったわけじゃないけど……、サイは、ここにはいない……」
低軌道会戦において、GAT-X102デュエルガンダムで出撃。敵機に中破させられたことで宇宙に吸い出された。ヘルメットはつけていた。だが宇宙で人なんてちっぽけなものだ。残された第8軌道艦隊が負傷者の救護に当たったと考えられても、容量の少ないノーマル・スーツの酸素がどれほど保つかわからない。示すにはあまりに頼りない希望であった。
トールとミリアリアがアーク・エンジェルを降りてからどのように考えていたかなんて知るよしはない。友達を戦艦に残していくことがまったく気にならなかったはずもない。ただ、お祭りにかこつけてデートに出かけるくらいの余裕があることはよい傾向である。
それこそ、2つの矛盾する心境の狭間で苦しんだのではないだろうか。
少なくとも、今のトールからはそれが見て取れた。必死に考えようとして、考えて、結局結論が出ない。罪悪感を覚えて誤ってしまってはせっかく気を遣ってくれたサイの意志を無にすることになる。ミリアリアとの一時を与えられたことへの謝意を示すには、やはり後ろめたさを覚えているのだろう。
トールは何とも表現しがたい表情をして、どちらともない言葉を返してきた。
「いや、キラたちが無事でよかったよ……」
これ以上この話を続けるつもりはなかった。アスランに目配せをして、横にまで来てもらった。
「僕の古い友人でアスラン・ザラ。あちらはジャスミン・ジュリエッタ。ジャスミンはアイリスの親戚なんだ」
サイを撃墜したのはアスランだとは、ここで言うべきことじゃないだろう。
ミリアリアが明るい様子でアスラン、ジャスミンと握手をかわしている。ジャスミンのバイザーについ目を留めている様子は、正直なミリアリアらしい。盲目のヴァーリは口元を緩ませた。
「やっぱり気になります?」
「うん、ちょっと……」
「視力のない人にも視力を与えてくれるものなんです、これ。あまり性能はよくありませんけど、ミリアリアさんの顔ははっきりと見えてます」
「やっぱり外すと見えないの?」
「はい。だから外せません。顔をお見せできませんね」
ジャスミンが自身の障がいのことを気楽な様子で話しているなんて初めて見たことかもしれない。それだけミリアリアの印象がよかったということなのか、それとも知っているのかもしれない。地球ではプラントほど障がい者差別が激しくはないということを。
トールはアスランの制服に興味を持ったようだ。
「アスランはキラと制服が違うけど、何か意味あるの?」
「意味も何も所属が違う。俺たちはザフトだ」
トールは瞳を大きくした。ただ、その顔は単純に驚きを示しているだけのように見える。よくも悪くも平和な国なのだ。このオーブというのは。
「じゃあ、キラとはいつ会ったんだ?」
アスランは一度キラの方を見る。何かとドミナントの出生は機密が多い。どこまで話してよいものか確かめようと言うのだろう。
「トールたちには話してなかったけど、僕はもともとプラントの出身だよ。アスランたちとはそこで知り合ったんだ」
「へえ~」
もちろん、ヘリオポリスを攻めた部隊にアスランたちが所属していることは伏せておくことにした。いつもこうだ。いつもこうしなければならない。何かを守ろうと嘘をついて、それがばれることに怯えている。
キラは極力アスランとトールの話に立ち入らないように務めた。根ほり葉ほり聞かれて嘘を突き通せるほど生い立ちを設定してはいないからだ。そうして、どこか2人から視線をそらして広場の様子を眺めていた。
気づくなという方が難しい。デートにしても着飾った黒いドレスに白いレースが陽光を照り返している。その日差しを遮る日傘にも過多な装飾が施されて周囲の人も興味を引かれている様子だった。考えてみれば当然だろう。内閣府官邸から街に出ようとすればこの広間を通ることになる。
キラは、ゼフィランサスの姿を認めた。
日傘は、ドレスとともに贈られたもの。
横柄な太陽と無神経な空を黒く切り取って、光を辛うじてゼフィランサスにも耐えられる影へと変えてくれる。それでも燦燦と降り注ぐ陽光は色素を持たないこの瞳には害悪以外の何者でもない。きっと、ゼフィランサスは太陽と喧嘩をして産まれて来たのだろう。死神とばかり握手して、だから太陽は冷たくあたってくる。何も見せてはくれない。強い光の中だと、ゼフィランサスは目を細め、うつむいてあるくしかない。そうすると、視界は極端に狭い。水の香りと、飛び散る音から、噴水が近くにあるのだろう。
確認しようとすると、水に乱反射する日光がやはり邪魔をする。周りからは恋人たちの楽しげな声がする。ゼフィランサスは日傘の加護から出ることさえできない。他の人にはできないことができて、その代わりに、他の人が当たり前にできることができない。
ゼフィランサス・ズールは、何ともアンバランスな存在に思える。日の光の中を恋人と並んで歩くこともできない。海の見える教会で結婚式を挙げても、許されるのは海が見えない夜の時間だけ。休日の公園で、鳩が一斉に飛び立つ様を誰かと一緒に眺めることも許されない。
光をさえぎる日傘は、ゼフィランサスを世界から隔離しているかのように暗い影を落としていた。
これ以上こんな場所にいても仕方がない。ゼフィランサスは歩き出そうとした。日の光に対する過剰な恐怖心から、つま先さえ日傘から出ないように小刻みで遅々とした歩みで。
周りでは紫外線を平然と受け止める人々のおぼろげな影が見える。あらかじめ道を譲ってくれる人がいる。こちらに気づかない人には、こちらが針路を変えて歩き続ける。すると、おかしな人に出くわした。こちらに気づいているのに道を譲る気配がない。こちらが避けようとすると、明らかに道を塞ぐ位置へと移動する。
顔を上げて目を見開く。強烈な光に顔をしかめてしまった。サングラスを用意しなかったことが悔やまれる。瞳に光を入れてしまったため、すぐには目を開けることができない。何も見えないまま歩くことは危険なので立ち止まるほかない。
聞こえたのは足音。ゼフィランサスを目指したそれは、ずいぶんと軽く、そして目の前で止まって消えた。目を開く。細めたまま、入る光粒子量が少なくてすむよう、うつむいたままである。それでも、相手の姿を確認することに何ら支障はなかった。
「プレア……」
見下ろす視線と見上げる視線が合う。日傘に足を踏み入れているのは少年である。それも、ようやく2桁の歳を超えたばかりの。
いつもぶかぶかの白衣を着ている姿しか見たことがない。今はその印象を変えない範囲で白い上着を羽織り、施された刺繍は普段着ではない、気合の入った格好であるとわかる。あどけない顔と柔らかい髪は、少年を敬虔な修道士かのように見せていた。
「お久しぶりです、ゼフィランサスさん」
プレア・レヴェリーがオーブに入国していることは告げられている。あの公安職員レイ・ユウキの調査に誤りはなかった。
ザフト軍最高機密に属するゼフィランサスの研究を無断で持ち出しておきながら、まるで共同研究していた時と同じように接してくる。このことに違和感を覚えないことはなかったが、ゼフィランサスとて、プレアを糾弾したいと後を追ったわけではない。
ゼフィランサスよりも先に、プレアは動いた。日傘を持たない方のゼフィランサスの手を掴んだのである。奇しくも、2人とも手袋をはめていた。
「今日はせっかくのお祭りです。一緒に、いてくれませんか?」
明らかにゼフィランサスを引いて歩き出そうとする姿勢をプレアは見せた。まるでデートに誘われているかのよう。少年の顔は期待と不安を入り混ぜにして、それでもそれを気取らせぬよう強がっている。その顔は、ゼフィランサスに始めて花を贈ってくれた時のキラの様子と重なる。男の子の真摯な態度は、その真剣さに比して可愛らしい。
ゼフィランサスは笑顔を忘れたその顔で、それでも優しげな瞳をプレアに向けた。
「歩こうか……」
緊張から一気に解き放たれ、破顔するプレア。意気揚々と歩きだしながら、それでもゼフィランサスの歩き方にあわせて決して早足ではない。
2人は手を繋いで並んで歩いた。周りからどう見えるのだろう。弟を連れている姉だろうか。それとも背伸びした子どものデートごっこだろうか。では、プレア自身は一体何を考え、そしてこの時間をどのように捉えているのだろう。
オーブ内閣府官邸。ベランダ。街並みを見下ろす場所である。ここに、4人の少女が並んで双眼鏡を構えていた。
「すごいなぁ、ゼフィランサス。あんなに若いツバメがいたなんて」
楽しげなエピメディウム。ちなみに、ツバメとは年上の女性の恋人になっている若い男のことである。
「キラにあの子。魔性の女ですのね」
ラクスは優しい微笑みはそのままに、しかしその声にはどことなく享楽的な響きが漂っている。
「男って言うのは影のある女に弱いと聞くが、それって日傘のことか?」
色恋沙汰に疎いカガリは、何とも的外れな感想を述べるにとどめた。
「キラさんに見つかったら血を見るんじゃあ……」
最後にアイリス。それぞれの少女が好き勝手に意見を並べ立てた。一斉に双眼鏡をおろしたのは単にゼフィランサスの姿が人混みに隠れて見えなくなってしまたから。
興味を失ったようにカガリとエピメディウムがベランダを離れた。残されたのは第3研の2人。
ラクスは絶えず微笑みを絶やさない。
「アイリス、少ししたらお散歩に出かけませんか?」
「なあ、キラ……」
「何だい、アスラン?」
腰の高さくらいの生け垣の中から声がする。怪談の類ではない。アスランを初めとする5人が生け垣を壁として隠れているだけの話だからだ。
「さすがにこれはまずいんじゃないか?」
「君だって偵察の任務くらい軍学校で学んだだろ」
「だから気が咎めるんだよ……」
現在、アスランがいるのは緑化公園の一角である。広場から海の方へ一直線に延びる道の先に位置するこの公園は特に有名なデート・スポットであるらしい。生け垣は繊細な剪定が施され天然の壁を作り、花壇がそこかしこに存在した。周りはデートを楽しむカップルばかりで、身を屈めて隠れる一団は奇異な視線にさらされていた。
平気そうな顔をしているのはキラくらいなもので、トールやミリアリアは周りに気をとられてばかりいる。
「なあ、キラ……」
「静かに。気が散ると読唇ができないから」
そう、今アスランたちがしていることは端的に言ってしまえば覗きだ。
公園のほぼ中央に立つ巨木の木陰にいくつも置かれた丸テーブル。そこにゼフィランサスと例の少年の姿があった。プレア・レヴェリーという名前であっただろうか。
この位置からならまず発見されることはない。動機や目的の幼稚さに目を瞑るならば絶好の位置であることに間違いない。この完璧ぶりがかえって悲しくなるのだが。
だが、同時にプレア・レヴェリーを発見できたことには間違いない。アスランもまた、読唇を試みるため目をこらす。
「アスランさんも唇が読めるんですか?」
「一応な」
見ると、ジャスミンは何かをとても気にした様子だった。それはミリアリアやトールにしても同じだ。周囲の視線が気になることはもとより、ゼフィランサスたちの会話も気になっているのだろう。
「ある程度になってしまうが、同時翻訳ならしようか?」
ジャスミンは頷き、アスランは改めて生け垣の間からゼフィランサスのデートの様子を覗くことにした。
2人が座れば手一杯のテーブルに、ゼフィランサスはプレア少年と向かい合って座っている。過度な装飾が施された日傘は椅子の脇に置かれている。2人の座るテーブルは公園中央の大樹の側にあり、青々と茂る葉が、日光を柔らかな木漏れ日に変えていた。
ゼフィランサスは美しく容姿が設定されたヴァーリ。少年にしてもなかなかの美少年である。そんな2人が大きな樹の下で言葉を交わす様子はなかなか絵になる光景だ。少年は少々若すぎるが、背伸びした恋人にゼフィランサスが付き合っているように見えなくもない。
ではこの2人は何を語らっているのか、アスランは目に意識を集中する。
風が吹く。地球ではごく当たり前のことなのだとしても、管理された環境であるコロニーでしか生活したことのない者にとっては異質であり、初めてのことでもある。オーブにいるということ。このことがプレア・レヴェリーに与えてくれる初めては、他にもいくらでも思いつく。
女性をデートに誘ったり、女性と肩を並べてあるいたり、こうして、女性と2人の時間を過ごしたり。もっとも、女性はきっと、これをデートとは捉えていないだろうけど。
プレアが座る椅子の前、テーブルを挟んで女性は座っている。
日影の中にいても、その何色にも冒されていない肌の白さは鮮やかに眩しい。見たこともない雪という気象現象に思いを馳せる。その瞳は真紅の輝き。宝石に単なる透明な石ころ以上の価値を見いだしたことのないプレアには、ルビーの方をこの人の瞳のようだとたとえたくなる。
波立つ白い髪が風に揺られる度、粒子の流れごときがあの人の髪に触るなと怒鳴ってしまいたくなる。かつての上司と部下の間柄。それ以上でも以下でもないのに。
「プレア……、どうしてこんなことしたの……?」
もちろん、ゼフィランサスが訪ねているのはデートに誘われた理由ではない。慣れない冗談を、それでも使おうとすると、声が妙に上擦った。それでも途中でやめることもできず、何とか言い切ることができた。
「ゼフィランサスさんなら追ってきてくれると信じてました。こうして、デートがしたかったからだって言ったら、信じてもらえますか?」
表情に乏しいゼフィランサスは機微というものを見せない。個人的には、デートという単語に反応してもらいたかった。プレアは胸を圧迫する息苦しさを覚えた。幸か不幸か、これは発作ではない。
ゼフィランサスがゆっくりと手を伸ばす。
「じゃあもういいよね……。返して……」
もしかしたら、これはゼフィランサスなりの冗談かもしれない。プレアが持ち出したものは手渡しできるものでもなければ、そうそう返すことができるものでもない。
これは冗談だと勝手な想像をして、プレアはつい笑みを漏らした。
「まだ駄目です」
ゼフィランサスはあっさりと手を戻す。やはり冗談だったのか、それとも本気であったのか、プレアには判別仕切れない。少なくとも、今はデータについて不問にしてくれるようだ。
それなら、色々と話しておきたいこと、聞いておきたいことがある。
「サイサリスさんから聞きました。お相手はキラ・ヤマトさん。ゼフィランサスさんとは幼なじみの間柄だってことも」
かつて教えてもらった、ゼフィランサスが愛情を向けている男性の名前。この名前を出すと、ゼフィランサスは目を見開いて、その赤い瞳をことさら強調する。普段から表情に乏しい人である。それが突然表情を一変させたことに、プレアはつい目をそらしてしまった。
テーブルに無造作においておいた手は、まるでしがみつくかのように力がこもる。
「……でも、どうしてゼフィランサスさんが避けているのかまでは教えてもらえませんでした」
言い終えてから、ようやく視線を戻すことができる。その頃には、ゼフィランサスのは顔は元の乏しい表情に戻っている。唇が小さく開かれたと思うと、閉じられる。それは些細な仕草でありながら、ゼフィランサスと並んで仕事をしていたプレアには、それがゼフィランサスなりの躊躇であると気づいていた。
ただ、話してもらえないとは考えていない。何故なら、ゼフィランサスの瞳はしっかりとプレアに向いていたから。
「プレアは……、ヴァーリについて知ってる……?」
プレアは頷いた。
「あれはもう……、10年も前のお話……。私たちは、命を選ぶことを強いられた……」