宇宙空間に大気はない。音を伝えるものがない。しかしそれは静寂を意味してはいなかった。光を拡散させることもない。よっていつも暗闇に包まれている。だが今の宇宙は彩りにあふれている。
ヘリオポリス宙域で今まさに戦争が行われていた。
中立であるはずの資源コロニーを目指すのは白い戦艦。前方へと突き出された一対の細長い構造が脚を思わせる。宇宙戦艦にしては珍しい大型の水平翼を備えたそれは、大西洋連邦所属アーク・エンジェル級アーク・エンジェル。追いかけてくるような光線を背景にその戦艦はヘリオポリスへと推進を続けていた。
追いかけるのは2隻の戦艦。
濃緑色の戦艦は、空気抵抗を考える必要がない宇宙戦艦らしく、大型のコンテナを両脇に抱えたような独特の構造をしていた。ザフト軍所属ローラシア級ガモフ。 水色の戦艦は左右と下から細く長く艦体を突き出し、ブリッジを後方に据えた宙間航行を想定した形状をしていた。ザフト軍所属ナスカ級ヴェサリウス。
大西洋連邦の戦艦を敵対する2隻の戦艦が追撃している。これはまさに戦争の光景である。戦い合う国の戦艦同士は、やはり戦争を行っていた。
市街地では混乱の極みにあった。誰も状況を把握してはいない。事故か事件か、テロか暴動か。誰も戦争が起きているのだと理解できないままあわてた足取りでシェルターを目指している。シェルターの入り口は一つではなく人々が思い思いのまま走るため人の波が右往左往と交じり合う。ところが、人の流れに一定の規則性が現れた。方向はばらばらながら、しかしある地点から明らかに離れようとしているのだ。
その地点にまずは影が、そして、重苦しい駆動音。鉄が軋む音をたてながら、一つ目の巨人がゆっくりと降り立った。
全長は約20メートルほど。全身が灰色に塗装された装甲で覆われており、手には人が扱うアサルト・ライフルをそのまま10倍に拡大したかのような火器を携えている。背には左右に展開した大型のスラスターが設置され、噴出口に除く青白い炎はその勢いでビルの窓ガラスを砕くほどである。
型式番号ZGMF-1017。名称はジン。
原則1人のパイロットが乗り込む独立人型の機動兵器の総称として、モビル・スーツという造語が用意されている。ザフト軍がコロニーを含めた宇宙での戦闘を前提に開発した人造の巨人たちのことを指す言葉である。このジンとはモビル・スーツの中でも代表的な存在であり、この姿を目にした人々はザフト軍の侵攻を確信するとともに恐怖した。
70tもの鋼鉄の塊がそうと思わせない軽やかな動きで歩く。それだけアスファルトは陥没と隆起に見舞われ、車が吹き飛ばされるように横倒しに転がる。
現代戦術において最強と認識されるモビル・スーツ。それはただ歩くだけでその力強さを見せ付け、市民を逃げ惑わせた。
モビル・スーツの襲撃に人々は怯え取るもの取らず逃げ惑う。無理もない。積極的に攻撃する意志こそ示さないが、ビルにして6階ほどの高さの巨人が歩き回っているのである。それだけで十分な恐怖だと言えた。なりふり構わず走り回る人がいる。人にぶつかることもいとわないその行動は副次的な負傷者を増やしていく。
アイリス・インディアもその被害者の1人だった。かすり傷程度の軽傷だが、髪を束ねていたリボンをなくしてしまった。桃色の髪がたなびくと、普段とは違う髪型が妙に落ち着かない。
友達たちはそれどころではない様子だった。逃げる人々に巻き込まれないよう、小さな路地に集まっている間、ほんの小さな物音や衝撃に過剰な反応を見せていた。
アイリスは不思議と冷静だった。冷静というよりも、何か、冷めている気さえする。この程度の惨状を惨状とは呼ばない。以前はもっとひどい光景を目にしたはず。ただ、その論拠となるはずの記憶は、アイリスにはなかった。結局、戸惑っていることは周りの人々と何ら変わりない。その原因が違うだけで。
震えているしかないアイリスたちのもとへ車がけたたましい音を立てて乗りつけた。運転席には女性が1人。ショートヘアでスーツ姿。見覚えのある人物だった。
車のドアが開かれる。すぐに響いてくる女性、ナタル・バジルールの声は力強い。
「アイリス、乗れ!」
路地から飛び出したアイリスはすばやく助手席に滑り込んだ。
「みんなも早く!」
友達はアイリスに促されてようやく路地から出てくる。やはり怖いらしく周囲、特に何かを見上げるように警戒しながら後部座席に次々と乗り込んでいく。5人乗りの乗用車に7人で乗り込むことになる。どうやって入っていいものかと躊躇している仲間たちへ、運転席のナタルは声を張り上げた。
「何をしている!? 早く乗れ!」
これでようやく覚悟を決めてくれたのだろう。仲間たちはとにかく乗れる人から乗り込み、あっというまに後部座席は5人の少年少女ですし詰めとなった。普段からおしゃれに気を使うフレイ・アルスターからは髪のセットが乱れると苦情が出るにもかまわないで、ナタルは車を発進させた。座席に押し付けれらるほどの急発進で助手席にゆったりと座ることのできるアイリスはともかく、仲間たちは悲鳴に近い声を上げた。
それでも、安全運転なんてしている余裕のないことくらい、アイリスにもわかっていた。窓ガラスを通して、遠くにジンの姿が見える。1つ目に見えるモノアイ・カメラを左右にせわしなく動かす様はひどく不気味でさえある。
「どうしてヘリオポリスにモビル・スーツが……?」
アイリスの問いかけに答えてくれる人は、ここにはいなかった。
コロニーに進入するためには、宇宙港を通る必要がある。それ以外の場所は機密性を保つために厚い壁に覆われている。道など望むべくもない。
だが、それは正規の手段に限っての話だ。
それはちょうど自然公園の区画だった。外部からの攻撃が壁を吹き飛ばし、木々を高く放り上げた。開いた穴はモビル・スーツが余裕を持って通り抜けられる大きさである。0気圧の宇宙空間。1気圧のコロニー内。気圧の差が風を巻き起こし、その穴は付近一帯のものを吸い込もうとする。その流れに逆行して、3機のジンがヘリオポリスへと侵入を果たした。モビル・スーツ戦術論において1個小隊に相当する戦力である。
1つの都市を、その武装の程度によっては十分壊滅させることができるほどの戦闘力を有する小隊を率いるのは、まだ少年と呼んで差し支えのない男性だった。ヘリオポリスの空へと侵入を果たしたジンのコクピットの中で赤いノーマル・スーツを身に着けた少年は眼下に広がる森を目にして、すぐに周囲へと鋭く視線を飛ばす。年に見合わない精悍な目つきが印象的な少年である。
少年の名はアスラン・ザラ。ザフトに所属するパイロットの1人であり、この3機のジンを率いている小隊長である。
「自然公園への侵入を確認! 計算どおりだな」
ほぼ計画通りの場所に出ることができた。目的地である工場地帯はもう目と鼻の先である。市街地に穴を開けずにすんだことは、心優しい部下の機嫌を損ねずにすむ。コクピット脇のモニターには僚機であるジンのコクピットの様子が示されている。アスランがふと盗み見ると、赤いノーマル・スーツの中で、小柄な少年がそのあどけない顔に焦りを貼り付けていた。
このジンが穴の周りへとアサルト・ライフルを森へと向けて乱射する。気圧差の吸引にかろうじて耐えていた木々は弾けとび、穴へと吸い込まれていく。
通信からは部下の声が聞こえてくる。
「早く、早くふさがないと……」
小隊長であるアスランに比べ、さらに若さを感じさせる声だ。事実、このニコル・アマルフィはアスランよりも年下である。どんな相手にも気遣いのできる少年であり、コロニーに穴を開けて侵入口を確保するという作戦に反対していた事実がある。
ニコルのジンに薙ぎ払われた木々と土砂が巻き上げられ、穴へと殺到する。すると、それぞれが重なり合い、やがて見事穴をふさいだ。恒久的な処理ではないが応急処置としては十分だ。
ニコルが一息ついたことを確認してから、アスランはジンを森へと降下させた。すぐにニコルを含む2機の僚機が続く。
目的は大西洋連邦の新型5機の奪取。予定では、すでに別の小隊が潜入し、新兵器の捜索と奪取にあたっている工作員の援護をしているはずである。アスランの部隊もすぐに工場地帯に向かわなくてはならない。しかし、ここまで派手に侵入した以上、敵軍に気づかれていないはずはない。当然妨害は予測していた。
「よし。2人とも無事だな。俺たちはこのまま……」
それは、アスランの予想を遥かに上回るものであった。
そのことに最初に気づいたのはニコルとは反対側を守るジンのパイロット、ジャスミン・ジュリエッタだった。アスランと同い年の少女は、若い女性特有の高さのある声を張り上げた。
「敵! 左です!」
ジャスミンの警告に、小隊はすばやく反応する。各々が回避のために飛びのくと、ちょうどアスランのいた場所に一筋の光が吸い込まれた。
正体不明の熱線兵器は、木といわず、土とかまわず、膨大な熱量でまとめて吹き飛ばした。巨大な爆弾でも炸裂したような有様である。着弾点では森の光景が一変していた。黒煙が立ち上り、ただれた何かが周囲に散らばっている。
アスランは思わず息を飲む。敵のたった一撃は、しかしジンのアサルト・ライフルで再現しようとするならこのこの小隊の攻撃力を加算してもまだ足りないのではないだろうか。
一体どんな敵がいるのか。少なくとも、アスランはこれほどの攻撃力を持つ兵器を知らない。
「油断するな。小隊行動を維持していればそうそうやられることはない!」
アスランを中心にニコル、ジャスミンの機体が左右へと配置する。攻撃の方角へとアサルト・ライフルを一斉に向ける。すると、そこには確かに敵の姿があった。
見たこともない、モビル・スーツであった。胸部、肩、膝など、各所に青を配した薄い灰色の装甲に包まれた巨人だった。ザフト軍のみが保有しているはずのモビル・スーツ。驚きこそすれ、信じられないことではない。そもそも、大西洋連邦軍がヘリオポリスで開発している新兵器、5機の新型モビル・スーツの奪取が任務であるのだから。
「動いている機体があったか……」
敵モビル・スーツの右手にはライフルが握られていた。これが先程の攻撃を行った武器なのだろう。ジンの構えるアサルト・ライフルと同規模の携帯兵器にしては冗談のような破壊力である。あんなものの直撃を受けてはジンの装甲でさえ危うい。
アスランは隙なくライフルを構えながら、敵モビル・スーツに既視感を覚えていた。
「顔を持つモビル・スーツ……、以前もどこかで……」
ジンのようにがっしりとしたシルエットではなく、細身でより人のシルエットに近い。顔には目が2つと口を思わせる構造。アンテナと思しき角がV字型に額に取り付けられていた。ずいぶんと擬人化がきつい。ジンがサイクロプスなら相手はどこか英雄の彫像のようにも思える。ザフトのものとは明らかに意匠が異なる機体で、非常に特徴的であることに間違いない。
だが、それをどこで見たのか、どうしても思い出すことができなかった。
ナタルの車は3人がけの後部座席に5人を詰め込んだまま郊外へと脱出していた。
フレイは文句を言うことに始終していたが、そろそろ他の学生からも苦情が出始めていた。サイ・アーガイルがずり落ちた眼鏡も直せないと抗議すると、体を無理に動かそうとしたトール・ケーニヒがある事情からミリアリア・ハウに叩かれていた。ただ、カズイ・バスカークだけが黙ってその状況を受け入れていた。
やがて車が道路が街を見下ろせる小高い丘の上を通ると街の様子がとてもよくわかるようになる。ところどころで火の手が上がり、夜間であるにもかかわらず薄暗くも明るい不気味な景観が作り出されていた。蠢く炎が赤黒く街並みを映しているのである。
居住区には孤児であるアイリスを除いて友達の家族がいる。いつこの街を燃やす炎が類焼していくかわからないこの光景に、誰も騒ぐ続けることはできなかった。
コロニーの中心軸では重力の空白帯となっている。そのため、立ち上る煙の多くはここにとどまり、一筋の黒線をひいていた。この黒く立ち込める煙を引き裂いて、白い艦体を有するアーク・エンジェルがヘリオポリスの人工の空を横切った。
擬似重力発生のためにコロニーの外壁は時速数百キロもの高速で回転している。例外としてコロニーの蓋にあたる部分に設置されている宇宙港は回転から独立している。通常、艦船は艦体そのものを回転させ、相対速度を0にしてからコロニー内に進入する必要があった。しかし、アーク・エンジェルは緊急のため、相対速度をあわせることなくコロニー内へと進入した。地上、コロニー外壁の人々から見れば、アーク・エンジェルは横へと大きく流されていくように見えることだろう。
アーク・エンジェルは徐々に地表と相対速度をあわせていく。すると、次第に擬似重力にとらわれる。コロニーの大地と相対速度をあわせる対価として墜落しようとしているのである。
ブリッジでは艦長が指示を飛ばし、操舵手が舵を切る。
艦長席に座っているのは女性である。大西洋連邦軍の白を基調とした軍服にあしらわれた階級章は大尉であることを示している。やわらかく長い髪とひかれたルージュが似合う大人の女性であったが、その表情は軍人らしく厳しいものだった。マリュー・ラミアス大尉。アーク・エンジェルを任せられる艦長である。
アーク・エンジェル艦長は手を前へと突き出した。この行為自体にあまり意味はないが、発せられる命令をブリッジに響き渡らせる演出である。
「アーク・エンジェルは自然公園に強行着陸を試みます。総員、衝撃に備えなさい!」
軍服を律儀に着込み、切りそろえられた髪をした若い男性操舵手アーノルド・ノイマンは一瞬躊躇した様子を見せたが、すぐさま決心したように舵を握る手に力をこめた。アーノルド操舵手がためらわざるを得なかった理由。それは、相対速度にまだ差異が残されていることに加え、着陸のための減速が不十分であるためだ。しかし、このままでは工場地帯へと墜落してしまう危険性もあった。
アーク・エンジェルは高速のまま、木々をなぎ払い着陸する。しかし、それだけでは勢いを殺しきれず、森をえぐりながら滑走する。わだちと呼ぶにはあまりに仰々しい痕跡を刻んでいった。
アスランは仲間に警告を発した。大西洋連邦の戦艦がろくな減速もしないで自然公園へと降下してきたからである。その大きさは鋼鉄製のビルがそのまま落ちてくることにも等しい。ジャスミン機ははじめから墜落コースを外れていたが、アスランとニコルは大きく飛び退く必要があった。スラスター出力を上げ、上空へと飛びあがったのである。
森の木々を薙ぎ払いながら滑っていく戦艦をやり過ごして、アスランは率先して敵機へと攻撃を仕掛けた。上空という有利な位置から口径が76mmにも達するアサルト・ライフルを連射する。森の中、動こうとしない敵機をあわよくば撃墜してしまう気でいた。
敵モビル・スーツは動こうとせず攻撃をすべて受け止め、そしてこともあろうに無傷であった。かすかに装甲が淡い輝きに包まれている。光る装甲に弾かれた弾丸は周囲の木々を容易く切り刻んだというのに。
これまでどのような敵に対しても十分な攻撃力を維持してきたはずのアサルト・ライフルが効果がない。この事実はアスランを戸惑わせた。
気だるげ。そう表現してしまえるほどに緩慢な動作で、敵のライフルが上空のアスランの機体へと向けられる。このことについ反応が遅れてしまうほど、アスランは目の前の現実を認識しきれずにいた。
発射される光線。
スラスター出力の調整。四肢の運動による重心位置の変更。アスランは瞬時にこれらの操作を行い、光線をかわそうとする。だが、初動が遅れたことで光線は直撃のコースを描く。
無理に体を横へと引っ張り出す。そんな強引な回避によて直撃はさけられた。だが、ジンの右腕に吸い込まれた光線は、ただの一撃でジンの腕をアサルト・ライフルごともぎ取り、貫通して飛び去っていく。背部のスラスターの片側も損傷させられ、推力のバランスは一気に乱れた。光線のあまりの熱量に胸部に搭載されたジェネレーターも熱にやられたのだろう。
コクピット内にけたたましく流れる警報音。出力の急速な低下を示している。スラスターの出力さえ低下し制御がきかないまま、アスランのジンは工場地帯へと流されていく。
「アスラン!」
ニコルの声だ。コクピットを揺さぶる衝撃の中、必死に歯を食いしばりながらそんなことを考えた。そしてそのまま、モニターに映った何かの格納施設に激突し、屋根を突き破って内部へと落下する。
それが幸いであったらしい。衝撃は思いのほか小さいものだった。モニターは死に、狭いコクピットには火花さえ散っている。これは完全にいかれてしまっている。ジンは衝撃で完全に動かなくなってしまった。モニターは半分以上が死んでいる。しかし、一部は生きているのだ。そこには施設に横たえられているモビル・スーツの姿が映りこんでいた。
ジンが倒れる格納施設の床。その先に寝かせられた大西洋連邦の新型モビル・スーツ、その2機目があった。
アイリスたちは声もなかった。
ナタルが急に車を止めた。何事かといぶかしがるアイリスをよそに、今が好機と仲間たちが後部座席から這い出た。まるで生き返ったように体を伸ばす彼らの前で、戦艦が落ちてきた。白い戦艦が自然公園へと落ちていった。斜めに突入して、ずいぶん不恰好な着陸に見えた。それが、相対速度がずれているために、やむなく不時着しようとしているのだと気づいたのは戦艦がけたたましい音を立てて自然公園をえぐり始めたときだった。
一瞬で憩いの場が変わり果てた。
戦艦が自然公園を蹂躙する様を想像した人なんているだろうか。あまりに現実離れした光景に、誰もが何も言い出せない。
アイリスとナタルは無言のまま、車を降りた。仲間のところに行こう。そうして歩いていると、トールが慌てて叫んでいた。
「キラ、今日星を見に行ったんだろ!?」
キラ・ヤマトと面識のないナタルを除く全員が一斉にトールの方を見る。そのまま、恐ろしくて、自然公園へと自然を戻せない。それでも1人、また1人がゆっくりと、戦艦が落着した地域へと首を戻した。戦艦が大きく滑ったため、地形がほとんど変わってしまっている。それこそ、不吉な予感を覚えずにはいられないほどに。
広くも暗い室内。その床には血溜りがどす黒い色をして広がっている。そこにキラの足が浸っていた。血を踏みつけて、その周囲に血がぽつりぽつりと雫となって落ちる。
「ようやく見つけたんだ……」
キラの言葉はどこか浮かされたように取り止めがない。暗闇の中、甲高い音を立ててナイフが落ちる。それは肉厚の刃に血を滴らせて、広がり続ける血溜りにゆっくりとその冷たい金属の塊を浸らせていった。
「僕は守りたかったんだ、君との約束を……」
キラの足が動きだし、歩き出す。その足は思いのほかしっかりと床を蹴り、行く先には開かれたままのハッチから光が差し込んでいた。
その光が描き出す、キラが踏みつけた血の訳を。まずはナイフ。主の手を離れたそれは静かに血に浸っている。その血をたどると、緑のノーマル・スーツに身を包んだザフトの兵士たちが絶命していた。皆喉を正確に切り裂かれている。それぞれがアサルト・ライフルを首にかけているが、満足に使用された形跡なく10名ほどのザフト兵が倒れたまま、命を失ったまま光差す方向へと歩んでいくキラを見送っていた。
そして、その光の中、白い巨人がキラを待つかのようにたたずんでいるのが見えていた。
「ゼフィランサス。……だから、貸してもらうよ、君の力を」
工場地帯では使用している火器がそれぞれ異なる3機のジンが破壊を行っていた。
小隊長機のジンは身長ほどもあるミサイルを両腕のハンガーに各2発ずつ保持していた。左右から同時に1発ずつ発射すると、煙の尾を引くミサイルが突き進み着弾点を中心として一角が吹き飛ぶ。
僚機のジンはバズーカを肩に担いでいる。配備されていた戦車の攻撃をかわしながら接近、上から叩きつけるように発射。戦車は玩具のようにはじけ飛び重たいはずの砲塔の残骸が地面を転がっていく。
ここにモビル・スーツを、ジンを制圧できる戦力は存在しない。圧倒的な力でただただ弱者を蹂躙する。ジンとはまるで地獄の悪魔のよう。
火が地べたをなめ尽くし、煙となっては空を蝕もうとする。それを背景としてジンが破壊の限りを尽くす。ここを地獄と呼んでも許されるのではなかろうか。
そして、そんな地獄を1人の少女が眺めていた。
工場地帯を見下ろして生える尖塔。窓はなく敷地面積は狭い。ただ、工場のどれより、ジンのどれよりも高い。壁は白塗り。オベリスクを思わせる外観でありながら荘厳さはみじんもなく、それは不気味な印象しか与えない。
そんな尖塔の壁、頂点に近い位置に穴が開けられ、人1人が寝そべることができるほどの広さしかない床が突き出していた。
そこに少女が座っていた。
両手を前につき、足をそれぞれ外側に開いて人形のように座っている。遠目に見たなら、それこそ人形にしか見えないことだろう。
黒を基調として少女の肌を包み隠すドレス。白いフリルがところどころに織り込まれ、暗い色調の装束を鮮やかに飾りたてていた。リボン、チョーカー、ヘッドドレス。衣装の所々を装飾品が補完し、少女を人形へと仕立てあげる。
だが、こんなドレスだけが少女を人形たらしめている訳ではない。
少女は赤い瞳をしていた。美しく例えたいなら、鳩の血を思わせる紅玉のよう。一言で片づけてしまうなら血のよう。
少女は白い肌をしていた。前例に倣うなら、穢れない雪のよう。言ってしまうなら、人の肌とは思えない異常な白さである。
色素欠乏症。紫外線から身を守る色素のことごとくを持たない少女の居場所は、現在のように日の光が閉ざされた夜闇の世界しかない。闇に包まれ、戦火だけが照らし出すこの世界こそが、少女の住まいだった。
美しく整った、しかしその顔は無機質、無感情に眼下の地獄を眺めている。小さく開かれた口からは音色がこぼれ落ちる。
それは歌。母親が子に聞かせるような子守歌だった。この黒き聖母から、この地獄へと産み落とされた子たちへの。
GAT-X102デュエル。
大西洋連邦はザフトのジンに対抗するためのモビル・スーツを極秘で開発していた。デュエルはプロト・タイプとも言える機体であるため、特徴らしいものを持たない。ジンに比べ人体に近い構造と、背中のスラスターを搭載したバック・パックがコンパクトにまとめられている。
大西洋連邦製のモビル・スーツ、その雛形に当たる機体である。
現在、デュエルは自然公園で2機のジンと交戦していた。
小隊長機であった、アスランのジンを一撃で沈黙させたため、残された2機は連携に狂いが生じていた。
ニコル・アマルフィは仇をとろうと攻撃しようとするも市街地近くにまで戦場が移動し、積極的な攻撃を仕掛けることができないでいた。しかし、若いニコルの躊躇よりもジャスミン・ジュリエッタの動揺の方が2機の足並みを乱していた。
そんな状態では満足に戦闘行為を行えるはずがない。
デュエルは鋭くはない動きで、それでもジャスミン機への接近を果たすとあいている左手で胸部を殴りつける。
分厚い装甲に覆われた胸部が陥没し、細かな装甲が複雑に組まれた指、マニピュレーターは無傷。ジンは足を浮かせ、飛び上がるように後ろへと倒れた。
動けないジャスミンを見降ろして、デュエルの左拳が淡い光に包まれていた。
GAT-X103バスター。
デュエルに撃墜され、動かなくなったジンを乗り捨てたアスランは大西洋連邦の、ナチュラルの機体へと体を滑り込ませていた。
その機体は上半身は胸部から肩にかけて濃緑色をした厚手の装甲をしていたが、そのほかの部位はクリーム色でまとめられている。両腰に連結されたアームの先にはそれぞれモビル・スーツの身長ほどもあるランチャーが備えられ、重装歩兵のような姿をした機体である。
「無事でいてくれ、二人とも……」
わざわざ立ち上がる時間が惜しい。バッテリーの状態、武装が施されているかどうか確認を終えると、アスランは一気にスラスターを吹かす。上体を弾けるように起き上がらせ、その両腕で天井を左右に引き裂く。モビル・スーツが起き上がるために十分な空隙を開いて、アスランはバスターを外気へとさらした。
「よし、動く!」
バッテリーの残量など試験起動程度が想定されていたのか十分とは言いがたいが贅沢を言っていられる余裕はない。操縦レバーを握りなおす。操縦システムそのものはザフト軍機と驚くほどよく似ている。これなら戦うこともできるはずだ。
そう、アスランはスラスターの出力を徐々に高めていく。ジンよりも出力が高い。バスターの体は空へと飛び上がった。
するとすぐに、デュエルの前に倒れるジンの姿が見えた。とっさに思いついたのはジャスミンのことである。
ランチャーは左右で違う武装が備えられている。右は件の熱線兵器。左は電磁誘導によって実体弾を高速で射出するレールガンである。レールガンはすでに既存の技術だが、光線はわからないことが多い。より確実なレールガンを選択すべきだろう。引き金を引くと、デュエルへと向けて高速弾が飛び出す。
大気を鋭角に切り裂いて弾丸は敵機の右胸に直撃する。ジンなら爆発四散してしまうほどの会心の当たりである。
だが、敵は後ずさるだけで、装甲はレールガンの直撃に耐え抜いた。被弾箇所が淡い光に包まれていること以外、損傷のような変化は微塵もみられない。装甲が強固なことは今更だが、レールガンでさえ攻撃力が足りていない。
衝撃に敵が体勢を崩したでよしとして、アスランはジャスミンと敵モビル・スーツとの間にバスターを割り込ませる形で着地させた。
「援護する。立て、ジャスミン!」
「え! アスランさん!?」
思いのほか元気のいい声が戻ってきた。どうやら無事なようだ。
アスランの目はすぐに敵の姿を捉える。敵機がライフルを構えようとしていた。大西洋連邦製のモビル・スーツは人間に近い動きができるらしい。フレームがしなやかで、鈍いながらも動きがなめらかだ。そのため、呼吸と間合いがわかりやすい。
バスターが右のランチャーをデュエルに向けて構えた。いくら威力が高かろうとも光線が輝く装甲を貫通できる保障はない。ひとまず武器を奪うためにライフルを狙い撃つ。
ランチャーはライフルに比べ、長く、チャンバーも大型であった。当然その威力は極めて高い。
発射された光線は一瞬でライフルを貫通。その威力は微塵も衰えない。そのまま光の軌跡を描きながら自然公園を抜け、居住区へと飛び込んでいった。射線上、降り注ぐ放射熱に木々は弾け、家々は火に包まれる。灼熱の轍はそのまま突き進み、マンションと思われるビルを直撃して巨大な閃光が噴出す。焼け爛れた巨大な穴が開いた。膨大な熱量は鉄筋を歪め、コンクリートを溶かす。ビルは、窓という窓から炎を嘔吐しながら崩れ落ちた。
アスランは呼吸も忘れ、目を大きく見開いた。これなら戦艦どころかコロニーの外壁さえたった1機のモビル・スーツで破壊できてしまう。
「連合軍は……、ナチュラルはこんなものを造ってまでコーディネーターを滅ぼしたいのか……」
GAT-X207ブリッツ。
工場地帯。格納庫ではザフトと大西洋連邦とが機体を挟んで銃撃戦を繰り広げていた。
全身が漆黒で染められた機体は、両腕に独特の形状をした武装が取り付けられていた。右手には盾と思われる板状の兵器が腕に沿って取り付けられている。左手は寄り合わされた3本の黄金の爪が鋭い三角錐を構成するユニット。ブレード・アンテナが大きく広い形状で、特殊任務を担当する間者のような出で立ちである。
このブリッツが立ち上がると、緑のノーマル・スーツを着たザフトの工作員は引き上げ始めた。それはブリッツがザフトの手に落ちたことを意味した。
ブリッツが格納庫の天井を突き破り地上へと姿を現すと、ミサイルを装備したジンがそばに降りた。
この小隊長機からは、妙に気取った声で通信が入る。
「無事、ナチュラルどもの鼻をあかしたようだな、ディアッカ」
ディアッカと呼ばれたザフト兵はコクピットの中、エリート兵の証である赤いノーマル・スーツの下で褐色の肌に軽薄そうな表情を浮かべていた。雰囲気をそのまま返事にまとわせる。
「当然だろ、ナチュラルどもにモビル・スーツなんて豚に真珠だ」
いい気分に浸るディアッカを邪魔するように、敵の戦車隊が攻撃を仕掛けてくる。左手のユニットはザフトにはない兵器だ。少し、試しに使ってみることにしようか。そんな気分で、ディアッカはブリッツにユニットの射出を命じた。それはブリッツを細いケーブルで繋がれたまま、小型スラスターで加速しながら戦車を挿し貫いた。そればかりか、土を撒き散らしながら戦車をなぎ払う。進行方向にあった施設さえ切り裂いて、ようやく腕に戻った。
その破壊力に、ディアッカは上機嫌で口笛を吹いた。
GAT-X303イージス。
工場地帯最奥の資源衛星を削岩して作られた格納庫にその姿はあった。
全身が赤く染められ、そのシルエットは他機とは違った印象を与える。頭部のセンサーは縦に長く、鶏冠のよう。袖口、つま先に備えられた白く長方形のプレートが妙に目を引く。
いささか趣の違う機体を前に、それでも人のしていることは大差ない。白の連邦と、緑のザフトが撃ち合いを繰り広げていた。
そんなありきたりの光景に飽き飽きしたのか、イージスが突然立ち上がった。バスターのように、ザフトが撤退を開始するでもなく、連邦軍さえあっけにとられていた。どちらの勢力も預かり知らぬ内に、イージスのライフルはコロニー内へと続く大型ハッチを撃ち抜いた。ただの一撃で、溶解し丸い風穴を開いた。
破壊されたハッチの断面は分厚い。その厚さを確かめるようにイージスがハッチを潜り抜け、コロニー内部へとその赤い足を接地する。
そこにはジンが待ち構えるように立ち尽くしていた。正確には完全な鉢合わせである。イージス、そしてジンはそれぞれ満足な狙いをつけることなく互いの武器を向け合い、発射した。どちらも命中などしない
ジンの担いでいたバズーカの弾頭はイージス脇の小惑星の壁へと激突しその表面を崩しただけである。
イージスの放った光線は施設の一つに飛び込むと、中から膨れ上がった巨大な爆発が施設を吹き飛ばし生じた突風がジンの体さえ揺り動かした。
そして、GAT-X105ストライク。
工場地帯の制圧を担当するのはミゲル・アイマン率いるジン3機からなる小隊だった。新型の奪取に成功したディアッカを逃がし、残された破壊工作を存分に堪能しているのである。
小隊長であるミゲルは派手好きで、破壊力こそ高いが利便性の悪いミサイルを好んで使用する。だがそれでは戦車や機動兵器には対応できず、それを補うために部下のどちらかが使い勝手のいいライフルを使用する必要があった。
そんな貧乏くじをひかせられたジンが1機。あたりの様子を油断なく探っていた。それゆえか、そのジンは尖塔の上に少女がいることに気づいた。
尖塔は破損がひどく、いつ崩れ落ちてもおかしくない。そうであるにも関わらず、少女は無表情で恐怖を感じているようには見えない。時折口が動いているのは、もしかすると震えているのだろうか。あるいは、歌っているのか。
ジンは尖塔に近づいた。まさかその振動が引き金ではないだろうが、尖塔が傾き、少女が投げ出される。ライフルを下げ、左手を伸ばす。少女を助ける理由を見出す必要はなく自然と体が動いた。
漆黒の少女は空中から落ちながら、その紅い双眸は手を伸ばすジンを捉えていた。
それは違う。少女の瞳はジンから若干はずれていた。わずかに右側。そこには白いモビル・スーツの姿がある。
胸部の青い装甲が目を引くが、装甲の多くは純白で染め上げられている。デュエル同様特徴らしい特徴のない機体で、バック・パックさえ存在していない。満足な武装は左手のダガー・ナイフのみ。
5機の大西洋連連邦製モビル・スーツ、その最後の1機であるストライク。その機体もまた少女を目指し、すれ違いざま左手のナイフをジンのコクピットへと突き立てた。そのままジンを押し倒すように腕に力を加え、その勢いさえ利用してストライクは少女へと飛び出した。
ジンのように手で掴もうとはしない。ストライクは少女へと飛び上がり、驚くべきことにコクピット・ハッチを開いていた。
少女の瞳には、少年の姿が映る。コクピットから身を乗り出している少年。どこにでもいそうな格好で、逆を言えば、どこに潜り込んでも印象を与えない姿を装う少年を。
少年は手を伸ばした。落ちていく、そのことに微塵も恐怖を感じさせない少女へと。白い髪、赤い瞳、着飾ったドレスはお人形が空を舞っているよう。
少年の名前はキラ・ヤマト。少女の名はゼフィランサス・ズール。
少年が少女の名前を叫んだ。
「ゼフィランサス!」
少年が少女両手を広げ、少女の体はその中へと飛び込んでいった。長く波立つ白い髪が少年の腕に包まれると、キラはコクピットのシートへと倒れ込む。キラはすぐに操縦に戻る。右手で操縦桿を手にしながら、しかし左手はしっかりと腕の中の姫君を抱いている。ストライクは着地の際、膝を降り、身を低くしながらゆっくりと衝撃を拡散する。コクピット内の2人を守るための仕草は、かしづく騎士のようでもあった。
キラの腕の中で少女は小さく身をゆだねていた。表情に乏しいその赤い瞳がキラを見ている。キラは少女の白い髪を撫でながら静かにささやきかけた。
「久しぶりだね、ゼフィランサス……。でも……」
警報が鳴った。ミサイルを装備したジンがこちらに向かいつつあった。
キラの行動は早かった。コクピット・ハッチが閉じられる。すでにその手は操縦桿を掴み、瞬きをしないその眼差しはコクピットのモニターに映るジンの姿を捉えていた。
「話はあとにしよう!」
何が変わったわけでもない。キラは決して感情を大きく表現することはなく、周囲を気にする視線、瞬きをしない瞳は普段と何も変わることはない。しかしここは戦場である。日常の何かをそのまま持ち込むことなどできるはずがないのだ。戦場、このたった一つの違いがすべてを変えていた。気弱な少年は、しかし寡黙な戦士である。それは気弱さではなく警戒と用心。瞬きを忘れた目は敵の一挙手一投足を逃すことはない。
ジンが右ハンガーに固定されたミサイルを飛ばした。鋼鉄の柱が一直線にストライクを目指す。
ゼフィランサスはキラの首に両手を絡め、しっかりと体を固定する。もはやキラの枷は何もない。
キラがフット・ペダルを強く踏み込み、ストライクは前へと駆けだした。ミサイルに飛び込もうとしている。モニター中央で急速に大きさを増していくミサイルを、しかしキラは目に捉えて離さない。
突如ストライクがミサイルの軌道から消えた。ミサイルの下をくぐり抜けるように体を地面へと投げ出したのだ。ミサイルはストライクの背中をかすめるように飛び去り、ストライクは倒れながら体を大きくひねる。背部に装備されたスラスターが火を噴き、発生した推進力がストライクを支えるとともにそのままジンへと押し上げる。
さらに180度体をひねる。スラスターによって十分に浮き上がった体はしっかりと大地を踏みしめ、手にはすでに抜き放たれた第2のダガー・ナイフが握られていた。ジンはあわてて左手に残された最後のミサイルを盾として構えた。
ダガー・ナイフはかまわず鋼鉄と破壊で構成される柱へと突き立てられ、ミサイルを切り開いていく。ミサイル内部が露出するほど深く広く。その刀身が砕けて折れるその時まで。
ストライクのコクピットの中で少女を守るために戦う少年の前に表示された単語の羅列を読み上げよう。
General Unilateral Neuro - link Dispersive Autonomic Maneuver
G.U.N.D.A.M
ガンダム。それが母より子へと与えられた5機の総称であった。