猟犬の群れが砂漠を駆ける。
足に設置された無限軌道をフル稼働させたバクゥは砂漠を縦横無尽にかけずり回っていた。散らばるリニアガンタンクの残骸。キンバライド基地の防衛戦力を喰い散らしながらザフトは新兵器の性能を見せつけていた。
ジンオーカーは単にZGMF-1017ジンを砂漠で扱うためのマイナーチェンジにすぎない。当初地球侵攻を予定していなかったザフト軍は地上用モビルスーツの開発で大いに遅れているのである。バクゥは待望の陸戦機であり、その設計思想は奇抜さは他の追随を許さない。
敵対する大洋州連合軍は鹵獲したジンオーカーを塗装しなおして使用している。そのジンオーカーそのものがすでに旧式なのだ。考えもしなかったことだろう。戦車ほどの堅牢さと素早さを持つ這うほどにも背の低いモビルスーツとの交戦など。
マーチン・ダコスタの搭乗するバクゥは敵ジンオーカーの攻撃にさらされるも、攻撃のタイミングは明らかに遅れを見せている。まるでバクゥの動きに反応できていないのである。バクゥの描いた轍にアサルトライフルの弾丸をめり込ませているでしかない。何とも哀れなことだ。敵に捕らわれ、その性能を発揮することもできない。
「敵に下ったその姿、見るに忍びん!」
せめて華々しく散らせてやる それがザフト軍人としての矜持である。
「ルーク! ゲイル! ジェット・ストリーム・アタックをかける!」
マーチンと小隊を組む2機のバクゥへと檄を飛ばす。3機のバクゥは飛び上がるように足を延ばすとスラスターで加速される勢いのまま青いジンオーカーへと駆け出した。
スラスターが砂を舞い上がらせ、踏みつける四足は力強く。だが、轍は一つ。足跡は一つの軌跡を描くでしかない。マーチン機を先頭に、そのすぐ後ろにルーク機、ゲイル機が縦隊で並んでいる。マーチン機の作り出すジェットストリームの中を2頭の猟犬が離れることなく続いている。
ジンオーカーからはマーチンの姿だけが見えていることだろう。
地獄の番犬は3つの頭を持つと聞く。マーチン機がまずは仕掛ける。そして、ルーク、ゲイルが追撃を仕掛ける。この三段構えの戦法は敵を地獄へと誘うための常勝戦術なのだ。
ジンオーカーのアサルトライフルが火を噴くが、この速度、この動きにそうそう当てられるものでもない。何より敵は逃げを選択すべきであった。3頭の牙から逃れられる者などいないのだから。
「遅い!」
まず仕掛けるはマーチン機。低く低く飛び出した。高さだけなら通常のモビル・スーツの腰までもないバクゥの突進はビームサーベルという牙を剥き出し、ジンオーカーの両足を喰い破る。両足を失ったジンオーカーは倒れることさえ許されない。それほどの時間はないのだ。即座に飛び上がっていたルーク機が腹を裂き、最後のゲイル機はさらに高くジンオーカーの首を跳ねた。高さ、時間、タイミング、これをずらした連続攻撃を回避することはできず、ジンオーカーは喰い散らかされた姿のまま砂漠へと倒れるとともに爆発する。
まだ飢えも渇きも満たされない。
マーチン機のモニターにはまだ1機残されているジンオーカー、そして、GAT-X102デュエルガンダムの姿が焼き付いてた。
これが次の獲物だ。
「ジェシカ中尉!」
仲間のパイロットであるアフメドの声をアイリス・インディアは呆然と聞いていた。目の前でほんの一瞬の間にジンオーカーが切り刻まれて破壊された。離れた場所では犬型モビルスーツの別の部隊がリニアガンタンクを全滅させていた。ザフト軍のジンオーカーは徐々に迫ってきている。
もうデュエルガンダムのフェイズシフト・アーマーも絶対の鎧ではない。自分の平穏を守ってくれていたはずのものが突如として消えてしまう。それが物騒な兵器であっても何か異常な研究であったとしても。アイリスはこの光景に見覚えがあった。見たことがあるのではない。ただ、よく似た状況を知っている。
「何をしている! 来るぞ!」
アフメドの声に無理矢理意識を覚醒させられた。ジェシカ中尉を倒した3機の犬型モビル・スーツが向かってきている。アフメド機とは反対方向にデュエルを逃がすと、先頭の1機はアイリスたちを分断するようにその間を抜けていった。残りの2機が左右に扇状に広がってそれぞれ攻撃を仕掛けてくる。
アイリスを狙う犬が背中のライフルから放ったのはレールガン。シールドで受け止めた時衝撃がとにかく大きかった。幸いシールドは貫通していない。
敵はすぐそばにまで来ていた。ビームの牙を発生させて飛びかかっていた。慌てて狙おうとビームライフルを起こす仕草に合わせられたように敵は牙を振り抜きデュエルの背中側へと駆け抜けていった。ライフルの銃身が熱で綺麗に斬り裂かれていた。
(ジンオーカーと全然動きが違う……!)
とにかく速く、そして異質。ジンオーカーと同じように考えているとまるで動きについていけない。
ライフルを投げ捨てて代わりに肩越しにバック・パックに取り付けられたビーム・サーベルを抜く。柄しか存在していなかったものが光の刃を獲得する。
「アフメドさん、敵はきっとすぐに……、アフメドさん?」
連絡がない。モニターの片隅に倒れたアフメドのジンオーカーが見えていた。見えている範囲では片足が破壊されているらしい。ついさっき警告してくれたアフメドに代わって、今度敵機の接近を告げてきたのはコクピットのアラーム。
3機の敵が一列になってデュエルを目指していた。
こんな時、ヴァーリでない普通の女の子ならどんなことを思うんだろう。仲間が死んで悲しい。アフメドのことが心配。それとも死にたくない。ヴァーリであるアイリスはそのどれとも違った。敵と戦えるのは自分だけ。武装はビーム・サーベルのみ。そんなことを確認する。
横に逃げても駄目だった。単純な陸上速度なら相手の方が上。上に逃げても無駄だと言うことはジェシカ機撃墜の時に見せてもらった。だから、アイリスは前にでると決めた。デュエルが走り出す。スラスターの出力を上げ、正確には足は体を支えるために動かしているだけで推進力の大半はスラスター出力が担っていることになる。先頭の敵が放つレールガンをシールドで受け止めるとともに、シールドを投げ捨てる。すでにシールドは疲弊していた。ビームを防げる保証なんてないのだから。
接近する敵。口から伸びるビーム・サーベルは低い位置で防ぐことは難しい。そして足を狙ってくる。だから跳ぶ。デュエルは砂を踏みつけ先頭の敵機を飛び越えるほどの勢いで上へと跳んだ。完全に足を狙っていた先頭の1機は完全に反応が遅れていた。代わりに2機目がデュエルと同じ高さまで飛び上がって、3機目もそのすぐ後ろに続いている。
スラスターに上に持ち上げてもらっても3機目が追いすがってくる。下に降りるには重力では遅すぎる。だからしゃがむ。デュエルは空中で膝を曲げ頭の位置を低くした。先頭の敵を踏みつけ足場とすることで本来ならばあり得ない、空中でしゃがんだことで2機目のサーベルはデュエルの頭上すれすれを素通りして、無防備な腹部をデュエルへとさらしてくれた。右腕のビーム・サーベルをその腹へと突き立て、左腕でもう一本のサーベルを抜こうと手をバック・パックへと伸ばす。
時間が間延びして、1秒が10秒にも感じられる時間の中でアイリスは理解していた。間に合わない。飛び込んでくる3機目の方が早い。デュエルはまだビーム・サーベルに手をかけただけだった。1秒もない時間差で先に攻撃するのは敵の方。そんな短い時間に滑り込む機体があった。青いジンオーカー--こめかみの部分に傷があるのはダコスタ機である--が敵機へと横から抱きつこうとしていた。無謀すぎる。横へと突き出されているビーム・サーベルはジンオーカーの胸部に深々と突き刺さりそのまま貫通する。命は、アイリスに反撃を許す時間と引き替えられた。デュエルの振り抜く左腕は止まらずビームサーベルを抜き放つ型のまま、敵モビルスーツをその肩口から縦に引き裂いた。
時間としてはほんの数秒のことだろう。デュエルが着地した時には、その背後にモビルスーツが3機分の残骸が転がっていた。
腹部に風穴をあけられた敵と縦に裂かれた衝撃で爆発して細かい残骸となった敵。その残骸の中に混ざり込むようにアフメドのジンオーカーが横たわっていた。斬り裂かれた傷は胸部から腹部にかけて走りパイロットの死を教えていた。
「アフメドさん……」
いつの間にか汗をかいていた。もしかすると息もとめていたのかもしれない。呼吸が荒くて、アイリスはついヘルメットを外した。
「俺を踏み台にするとはな!」
デュエルに踏みつけられたことで一部機能に支障--オートバランサー--の調子が悪い--は生じていたが、ビームサーベル発生装置は無事であり、機体そのものもまだ動く。ビームサーベルはバクゥ完成後に急遽取り付けが決定したものであり、故障するとすればまずここなのだ。
ルークとゲイルを失った。しかし敵にしても残りのモビルスーツはデュエルのみ。友軍のジンオーカーは徐々に前線を進めている。
ガンダムは撃墜する。それこそがザフトの至上命題なのだ。
マーチンはヘルメットを脱いだ。軽い脳しんとうでも起こしているのか視界が定まらない。だが、デュエルの姿ははっきりと見えている。左腕にビームサーベルを保持し、マーチンとは戦士たちの屍を挟んで睨みあっている。呼吸を読んでいるつもりかデュエルは動き出す気配はない。時間をかければ不利なのは相手の方だ。マーチンに焦るつもりなどなかった。砲撃とモビルスーツの駆動音とが徐々に近づいている。この区画の敵戦力はすべて片づけた。デュエルを除いて。その認識は決して誤謬を含んでなぞいなかった。しかしそれもイレギュラーを想定しなければのことだ。
天から落ちた光が砂の大地に突き立てられた。バクゥとデュエルの間。砂をまき散らし、横たわるバクゥ、ジンオーカーの残骸をひとまとめに吹き飛ばす。不躾な火葬の主催者はザフト軍ではない。ビームライフルを装備した機体は量産されていない。2機のガンダムとアルトフェルド指令は基地攻略に向かっている。
それは、やはり天から降りてくる。
赤い機体だ。つま先、袖口の白いプレート以外が見事に赤く染まっている。ライフルにシールド--ザフト軍機でシールドを装備する機体は少ない--を持ち、何よりガンダムの顔をしたモビルスーツである。
GAT-X303イージスガンダム。ザフトが奪い損ねたガンダムがマーチンとデュエルの間に降り立った。
「ガンダムか。ならば、敵だ!」
バクゥが口元にビームサーベルを生やす。姿勢を前傾に、飛び出す勢いを貯める。イージスがこちらを向いたその瞬間に、猟犬は血を求めて飛び出した。バクゥの牙はフェイズシフトアーマーさえ喰い破る。ガンダムといえども絶対兵器などではないのだ。
モニターに映るイージスの姿が急速に拡大していく。マーチンが勝利の確信を得たその間際、あまりに唐突で無遠慮な衝撃がマーチンをバクゥごと横から払った。イージスの肘がバクゥの首--ご丁寧にビームサーベル発生装置のケーベルを巻き込んでいる--を正確に打ち払ったのだ。そのまま横倒しに砂へと落ちる ビームサーベルは消えている メインカメラを有する頭部とコクピットとを繋ぐコードを内包する首が強打されたのだ モニターはひどく不鮮明となった
砂嵐が走るモニターの中、しかしマーチンははっきりと見えていた メインカメラを踏みつぶそうと落とされるイージスの足を。
イージスの足の下でもがくモビルスーツ。どうやら新型のようだ。首が破壊されショートしている。その衝撃が動力部を損傷させたのだろう。動きは次第に弱々しくなりつつあった。これはもういい。標的でない以上どうでもいい相手でしかない。
一度強く踏みつけて、犬の頭部を完全に破壊してから足を浮かせた。次に足を置いたのは砂の上。わざわざとどめをさすつもりにもなれない。目の前にはビームサーベルを構えたままのデュエルガンダムがいた。
「GAT-X102デュエルか。行く先々にアーク・エンジェルがいるとはな。これは今回も外れか?」
ヘリオポリス、アルテミス、ユニウスセブン。ムルタ・アズラエルがいるとの情報が指し示す先にアークエンジェルがいる。そして、ムルタアズラエルの影をつかむことはできないでいた。
わざわざアフリカにまで来てこれとは、カガリ・ユラ・アスハは誰もみていないコクピットの中で遠慮なくため息をついた。
オーブを守るためにムルタアズラエルは葬らなければならない。だが、オーブの地位を危うくする存在は何もブルー・コスモスばかりではない。モニターにはデュエルガンダムの姿があるのだ。
「まあいい。ガンダムには、消えてもらう!」
オーブが中立国でありながら大西洋連邦に協力したという事実は消し去るに限る。イージスがライフルを向けるとデュエルは身構えた。
ゼフィランサス・ズールが開発したガンダム しかし兵器だ。戦闘で破壊されることに、ゼフィランサスはカガリを責めることはないだろう。
キンバライド基地の三つ存在する格納庫のひとつでキラ・ヤマトはザフトの2機のガンダムと交戦していた。しかしモーガン・シュバリエ中佐に命じられアーク・エンジェルを目指すことになったのはつい先程のことだ。
つい先程まで戦闘をしていた第1格納庫を包む白煙を突き抜けてGAT-X105ストライクガンダムが月下にその身をさらす。キンバライド基地はドーナツ状の構造をしていてその中央部分は開けている。モビル・スーツ同士の格闘訓練に使用されていたこの広間を抜けることでアーク・エンジェルが格納されている第2格納庫へと移ることができる。
キラに脱出を命じ煙幕を撃ち込んだシュバリエ中佐の命令通り、キラはアーク・エンジェルを目指してストライクを走らせていた。
戦いの音と光を周囲を取り囲む岩盤が打ち消して争いは遠くに聞こえる。不気味なほどの静寂に包まれる広間に月光が斜めに指していた。岩盤に切り取られた月光が広間に白と黒のコントラクトを描いている。ストライクが広間の中央、ちょうど光と影の境目に来た時のこと。突然ストライクに巨大な獣の影が落ちた。18mのストライクを軽々覆う巨獣の影は明らかに実物の大きさを超えている。そうだとしても犬の大きさでおさまる影ではない。
ストライクを立ち止まらせ、見上げた先には鋼鉄の獣がこちらを見下ろしていた。
鋭い鋼の爪が黒光りを放つ。その体はくすんだ橙色。起伏が作り出す影がところどころ月明かりをくり貫いて縞模様を演出していた。胸から伸びるケーブルは口元のサーベル発生器に結ばれ、どこか鎖に繋がれているかのようにも見えた。
四足のモビル・スーツが岩盤の上から見下ろしていた。
オープン・チャンネルで声が届く。
「ラゴゥ。カルミアが僕のために作ってくれた機体でね、少年」
アンドリュー・バルトフェルドの声だ。するとラゴゥと呼ばれた機体は崖を下り始めた。山猫のように崖の段差を左右に降りて瞬く間に広場に足をつけた。見た目ほど簡単なことではない。これほど完璧にモビル・スーツの操縦をしてのけるとは、砂漠の虎の異名はやはり張り子ではない。
いかさまもしているようだ。ラゴゥからの通信には、若い女性の声が混じっていた。
「TMF/A-803ラゴゥ。この子ならキラ君が相手でも退屈はさせないから」
副座式を採用しているモビル・スーツは珍しいが、1人のパイロットに任せるには業務が煩雑な場合、補佐役として副パイロットが乗り込む場合もとも聞いたことがある。
ラゴゥという機体は、開発者であるカルミア自ら搭乗するほど、思い入れの強い機体であるらしい。恐らくは、機体の挙動をアンドリューが担当して、射撃はカルミアが制御するのだろう。背にはターレットに備えられる形で2門の砲台が装備されていた。レールガンにしては口径が小さい。口に当たる部分にはビーム・サーベルと思われる装備が外付けされている。この機体はビームを装備している。怖いのではない。単なる敵戦力の確認に過ぎない。これが強がりではないという確信が、キラにはあった。
「たとえ相手が誰であったとしても、僕は戦う! たとえ相手がどれだけ強くても、君であったとしてもだ、カルミア!」
砂に深い足跡を刻む勢いで跳び出しながら剣を構えた。ラゴゥもまた、光で牙を発生させながら前へと歩き出す。その歩き出しは鈍重にさえ思えるほどゆったりとしていたが、ひとたび加速が始まると、今度は頑強としか思えない突進に早変わりする。砂を荒々しく踏みつけながら犬の俊敏性ではない、虎のたくましさでもってラゴゥが跳び上がった。光る牙をむき出しに跳びかかって来る。
距離は瞬く間に縮まる。これまで幾度となく敵を屠った間合いに虎が迷い込んだところで、対艦刀を一息に振り下ろした。ラゴゥが両断される光景は、まるで予言か何かのように脳裏をよぎる。それほど必殺の間合いでの攻撃であったのだ。
確信が油断を生んだとは思わない。そこまでの思い上がりは持てそうにない。
ラゴゥは体を急速に回転させ、ストライクの左脇を通り抜けていった。それとも、透り抜けていったとした方がいいだろうか。対艦刀はラゴゥをかすめるほどの位置を素通りしただけだった。ラゴゥがストライクの後ろへ回った頃には、左肩に一筋の傷が残されていた。攻撃は命中したはずだった。手応えの錯覚さえあった。それでも攻撃は当たらない。この絶大な回避術を、キラは知っている。
「この技は……」
構えなおすでもなくストライクを振り向かせた。食事を終えた獣が口に付いた血を振り払っているかのように、ラゴゥはのんびりと歩きながら首を回していた。
「ハウンズ・オブ・ティンダロス。まあ、僕のは未完成もいいところだがね」
構えを変える必要がある。対艦刀を水平に、前へと突き出すように構えた。剣のリーチそのものを利用できる攻撃にも防御にも適した構えをとりながら、それでもキラは動けないでいる。相手の出方をうかがっていると言えば聞こえはいいが、より高度にハウンズ・オブ・ティンダロスを完成させている敵を相手に、物怖じしていることに他ならない。
敵の動きが、次の一手がまるで見えない。
砂漠の虎が動いた。背中の2門のライフルから、やはりビームが発射された。ストライクを低く沈み込ませる。2筋のビームを頭部のブレード・アンテナにかすらせるほどの近距離でかわした。この程度で、意趣返しになっているとは思わない。姿勢を低くしたまま、迫り来るラゴゥに突きを繰り出した。向かい合う双方の突進スピードに、突き自体の速度が合わされば相対速度は人の反応速度さえ超えるはずである。
かわされると、しかし心のどこかで考えてはいた。
ハウンズ・オブ・ティンダロスとの戦いは錯覚の連続である。ラゴゥは突き出された刀身を踏み台にしてストライクの頭上を跳び越えた。正確には、足の裏が刀身に触れているとしか見えないほどの近さで跳び上がり、ストライクを跳び越したのだ。
急いでラゴゥの姿を追うと、ビームがストライクへと向かっていることに気付いた。かわしている余裕はない。左手で受け止めざるを得なかった。フェイズシフト・アーマーがこれまでないほどの輝きを放ちビームを受け止める。光の粒子が散っていくさまを目撃する。光が晴れると、ストライクの腕はその形を保っていた。ただし、装甲が丸く溶解していた。ミノフスキー粒子の膜、Iフィールドが欠損し被弾箇所の周囲は輝きを失っていた。白い塗装が剥げ落ちたことでチタン合金本来のくすんだ灰色が剥き出しになった。内部構造にまで損傷は及んでいないことは、せめてもの救いである。
カルミアの仕業だ ターレットに乗せられた銃身が回転しストライクの方に向けられていた ラゴゥのビームはガンダムほどの威力はない。しかし、フェイズシフト・アーマーを破壊するには十分な攻撃力を有していた。
通信が虎の咆哮をストライクのコクピットに響かせた。
「こんな不出来な技でも君よりも遙かにましだろう!」
再びラゴゥが跳びかかって来る。どうしようもない。このまま斬られるわけにもいかない。対艦刀を両手で構えて叩き降ろす。
ハウンズ・オブ・ティンダロス。ラゴゥは夢か幻、この世のものではないかのようにサーベルをかわすと、口から横へと突き出た牙をストライクの腹部へと喰い込ませた。強烈な輝きが瞬いて、光がやんだ頃には腹部の赤い塗装が一直線に剥げ落ちていた。コクピット内の温度が体感ではっきりとわかるほど上昇した。
距離を開けられては対処の仕方がない。ラゴゥを逃がすまいと、振り向く勢いのままビーム・サーベルで薙ぎ払う。うまくいけば、ラゴゥを後ろから切断してしまえる。しかし、剣の向かう先に、すでにラゴゥの姿はなかった。あるのは、吹き上がる砂の柱。その先に、ラゴゥが跳び上がっていた。
進行方向のベクトルをすぐさま垂直方向に変更するためには、モビル・スーツには強靭な四肢を、パイロットには並外れた体力を必要とする。
突進の勢いを打ち消す前足と、スラスターの力を借りたとはいえ数10tもの機体を浮かび上がらせる後ろ足。そして、制動と加速の度にパイロットを強力なGが襲う。ラゴゥが120kmほどで走行していると考えた場合、重力加速度の4倍もの加重が加わったことになる。体重が軽いカルミアでも200kgを超える圧力を、アンドリューにいたっては300kgを超える衝撃に耐えなければならないはずなのである。
そんなものは些事でしかない。そうとでも言いたげに、通信の声は嬉々としている。
「愉快な技だろう!」
ラゴゥは首を横にひねり、牙の切っ先をストライクの胸部へと突き立てた。ストライクを守る光の粒子が零れ落ちる。今度強烈なGを感じるのはキラの番である。ストライクを後ろへと跳び退かせた。危うく、胸部のジェネレーターにまで熱が達するところだった。青い塗装が剥げ落ちて、爆心地さながらの解けたクレーターを構成している様子は機体各所に備えられたサブ・カメラからの映像で確認することができた。
フェイズシフト・アーマーがなければ、ガンダムでなければ2回殺されていた。
余裕を見せつけるように、ラゴゥはゆっくりとした足取りでストライクの周りを歩いていた。
「君のことはカルミアから聞いたよ。君は、ハウンズ・オブ・ティンダロスも、もしかしたらできてしまうかもしれない人種なのだとね。少々、青いがね」
これほど完全な回避をしても完成しない技。その究極形は想像さえできない。
「僕は、誰にだって負けるわけにはいかないんだ!」
操縦桿をこれまで以上に強く握り締める。すると、嫌な汗が手にまとわり付いていることに気付かされた。
戦いが始まった途端に静かになったカルミアはそんなキラの思いを拾い上げた。強がっているようだが、さすがにGが辛かったのだろう。声には堪えているかのような妙な抑揚がついていた。
「キラ君が戦い続けることが、ゼフィランサスのため……になる。そう考えてるから?」
ラゴゥはやはり、ゆっくりと歩き続けるだけだ。カルミアの気分を落ち着けるためだとは想像がつく。油断しているわけではないが、話に応じることにした。もっとも、油断していないとしても攻撃を防ぐ方法なんてありはしない。
「戦争が続く限り、ゼフィランサスは利用され続ける」
誰も守ろうとしない。もたらされる恩恵があまりにまぶしいから。ビームだなんて、ガンダムだなんて力を、ゼフィランサス本人が望んでいまいと関係なく。
「いつだってそうだった。これまでもそうだった。ラタトクス社も、君たちのお父様も!」
返事は恐るべき速さでもたらされた。
「お父様の悪口は聞かせないでちょうだい!」
普段から穏やかなカルミアの怒鳴り声を聞くことになるなんて考えもしなかった。ただ、驚きはない。カルミアにとって、ヴァーリにとってお父様の存在は絶対であるからだ。それこそ、自分のすべてを、世界のすべてを犠牲にできるほどに。
ラゴゥが立ち止まる。それだけのことに、つい剣を構えた。
「もう、いいかね?」
聞こえてきたのはアンドリューの声である。誰に聞いているのか、正直判然としない。ただ、カルミアも、そしてキラも返事をしないでいると、ラゴゥが首を曲げストライクを見た。
体が浮き上がるような錯覚。それは、浮き足立つという慣用句と共通する概念である。この場から逃げ出したい。ここに立っていたくない。そんな思いが一足先に駆け出した時の感覚を引き起こしていた。
「僕は、死ぬわけにはいかない……」
決意の表明なんて大それたものではない。ただ、ここに踏みとどまるために自分を奮い立たせる根拠のない言い訳。乾いた喉に無理矢理唾を飲み込むように、キラはストライクに対艦刀を構えなおさせる。しかし、唯一、その思いに応えたものがあった。ストライクのコクピットに、光とともに文字が並び出す。論理と非論理の狭間の世界を旅する少女の名前が、A.L.I.C.Eが、アリスと呼ばれるシステムがキラへと見えざる手を差し出した。
彼は何の気なしに言っていた。鹵獲したジンオーカーを青く塗装した理由は味方から撃たれたくないからだと。昼に作戦行動を行うのはゲリラのサーモグラフィに引っかからないようにするためだと。そうアスラン・ザラは言われたままに信じていた。それが嘘だと気づいた時、月下の狂犬という通り名が決して伊達や酔狂でつけられたものでないことを自覚する。
照明が半分以上も死んだ格納庫の中は薄暗い。その暗さにジンオーカーの青い装甲は溶けて消えている。センサーの類も機能低下している現在、その姿は薄闇に隠れて見えない。夜間戦闘を得意とする猛将が手の内を明かすはずなどなかったのだ。
加えて撃ち込まれたバズーカ砲の煙はまだ完全に晴れてはいない。そのためにストライクを逃がしてしまった。
GAT-X103バスターガンダムとGAT-X207ブリッツガンダム。2機ものガンダムがいるというのにできる行動は限られている。同士討ちを避けるためにできる限り同じ場所に固まり敵の姿を探すことしかできない。
「アスラン、急がないとストライクに脱出されてしまいます」
「わかってる。だが、月下の狂犬がそう易々と……」
攻撃があった。アサルトライフルの弾丸がバスターへと浴びせられている。フェイズシフトアーマーが光輝き--闇の中ではいい的だ--、ブリッツがマズルフラッシュめがけてビームを放った。ビームの輝きが突き進み弾けた一瞬にアサルトライフルだけが壁に固定されていたことを確認した。ライフルを遠隔操作していたのだ。
では敵はどこに。
聞こえたのはニコルの悲鳴とコクピットに直接届いた大きな衝突音。ブリッツが闇に紛れるジンオーカーの突進をまともに浴びていた。倒れるブリッツを庇うより先にジンオーカーへと手を伸ばす。しかし月下の狂犬は手榴弾を放り投げるとその爆発に紛れて消えてしまう。
小型手投げ爆弾程度で破壊されるフェイズシフトアーマーではない。しかし再びジンオーカーの姿を完全に見失っていた。
(18mもの機体がこうも簡単に隠れられるものなのか)
「ニコル、立てるか?」
「はい、大丈夫です」
ブリッツはゆっくりと立ち上がる。何か深刻な損傷を受けた様子は見られないことは幸いだ。ガンダムがたった1機の量産機に翻弄されている。にわかには信じがたいことだが現実である 攻撃力の関係上ジンオーカーがガンダムを破壊することは至難の業だが、モーガン・シュバリエはガンダムを破壊する必要はないのだ。ただストライクが脱出するまでの時間稼ぎをすればそれでいい。
作戦目的と戦術とが見事に合致した戦い方だ。
「アスラン、やむ得ません! 手当たり次第攻撃しましょう」
「そんな混乱するようなことをしてはそれこそ相手の思うつぼだ」
「しかしこのままではストライクに逃げられてしまいます!」
そんな時だからこそ冷静さが必要になる 今のニコルは平静さを欠いている ニコルは温情であっても臆病ではない 一体何がニコルをここまで駆り立てているのか、アスランには掴めないでいた。
ニコルが不安視していたことは、どうやら現実となったらしい 基地全体を揺るがして鳴動する駆動音が突如響き渡った。
岩肌に偽装した格納庫の天井は強固とは言い難い。外で継続する戦闘によって剥離した構造材が床へと落下した。
アーク・エンジェルのブリッジからでは直接外の様子をうかがい知ることはできない。しかしその余波が格納庫にもたらす影響を、マリュー・ラミアスはしっかりと見つめていた。艦長席に座る者の責務は戦況を把握し、最善の選択をすることにある。
できることならストライクかデュエル、ガンダムのどちらかの帰還を待って発進したかったがそれほどの猶予は残されてはいないようだ。ザフト軍は新型を投入。すでにキンバライド基地の防衛線は崩壊させられている。このまま格納庫に閉じこもったままではアーク・エンジェルは籠の中の小鳥も同然である。
つい考え込んでしまったようだ。顔をあげると、数名のクルーがこちらを見ていた。何のことはない。指示を待っているのだ。ブリッジにはすでにクルーたちが持ち場についている。振り向いていた1人、舵をしっかりと掴んで話さない少女へとまっすぐに視線を飛ばした。
「フレイ・アルスター二等兵、これよりアーク・エンジェルはキンバライド基地を離れます」
これがアルスター二等兵にとって初飛行になる。アルスター二等兵は短く呼吸すると息をとめたようだった。しかしすぐに吸い込んだ息とともにたどたどしい敬礼をした。
「了解!」
こちらに向き直ってもいなければ、左手は舵に残ったままで、しっかりとした敬礼とは言いがたい。まったくもって初々しい限りである。
陸海空、そして宇宙。ガンダムの起動試験のために桁外れの汎用性を与えられたアークエンジェルの地球での初飛行である。それが戦場の空とは、ガンダムといいつくづく呪われた定めにあるものらしい、実験機というものは。
鳴動する駆動音が岩肌に響き渡る。
ここはかつて鉱物資源採掘のために岩山を切り崩して作られた廃坑であった。しかし機械特有の音色は採掘機器が奏でているのではない。
ドーム状の屋根が中央で裂け、その裂け目を広げてスライドしていく。外からは岩山が割れていくように見えることだろう。擬装用の岩がドームの上から崩れ落ちる。直径が500mをゆうに超えるドームは鈍重で重厚な音を夜空に無遠慮に撒き散らす。
月明かりが夜風に冷やされ、すっかりと寒々しい色を纏う頃、光は割く目から廃坑へと差し込む。そこには希少金属の塊が転がっていることもなければ、可燃物質の澱んだぬめりもすでに存在していない。採掘所としての役割を終えてから久しいのである。
純白の翼は、金属の光沢とともに降り注ぐ月光を横一文字に受け止めていた。人頭獣身の魔獣のように揃えられた前足を持ち、しかし、その名は天使を冠する。3階層9階級の天使の列の第8位にして、地上の最前線を担う大いなる天使が、この艦の名前である。
大西洋連邦軍アーク・エンジェル級強襲機動特装艦アーク・エンジェル。全長420mもの巨大な戦艦が開かれた空へと羽ばたくことなく浮上を開始する。艦底に備えられた複数のスラスターが仰々しく灼熱の吐息を吐き出す。天使を模した。それだけで神の恩恵を得られる謂れはなく、アーク・エンジェルも例外なく物理法則に従うままにその巨体をゆっくりとドームから離脱させた。
ニコルは呟いた。
「戦艦が逃げる……」
それは敵がガンダムを持ちだそうとしていることを意味している。
ザフト軍と地球軍。その国力差は少なく見積もっても10倍とされている。人口比も大西洋連邦に限ってもプラントの10倍はある。ザフトの軍人が10人の敵を倒してようやく互角になるほどこの戦争は異常な不利をプラントが強いられている。もしもザフトが技術的優位を失ってしまったとしたらこの戦争には勝てない。
だが敵は、月下も狂犬はその姿を闇に隠して見せようとしない。
(時間が……、時間がないのに……)
何が何でも敵を逃がすことはできない。敵の殲滅こそが目的なのだから。
上昇は成功。しかし事前に知らされていた通り戦況は思わしくない。マリューは冷静な指揮官たるよう心がけるとともに、しかし心労がすぐに顔に出る癖をなかなか修正できないでいる。
ザフトの部隊はレセップス級までもがキンバライド基地に迫っていた 戦艦が前線に出られるということはそれだけ防衛戦力が沈黙させられていることを意味している できることならすぐにでも飛び去ってしまいたいものだが、ガンダムを失ってしまえばアークエンジェルの航行そのものが無意味になってしまう。
「フレイ・アルスター2等兵、ガンダムの回収を優先します 敵攻撃を回避しながら旋回を続けなさい」
「え……!」
「了解、は?」
軍人らしからぬ口振りですごんでしまった。敵の頭上に滞空し続けることは極めて難しいことだとは理解しているが、無理でも命令ならば通すのが軍人というものだ。。
アルスター2等兵から無理矢理了解との言質を引き出し、アークエンジェルは旋回を始めた。設計上ホバリングも不可能ではないが、燃料の消費が激しくまた恰好の的にされてしまう。旋回したところで攻撃にはさらされることだろう。
すでにロックオンされたことを示して警報音が鳴り響いていた。眼下ではアサルトライフルを構えて見上げるジンオーカーの機影。アサルトライフル程度ならまだいいのだが、ジンオーカーの中にはバズーカを構えた機体もあった。一際大きな衝撃をブリッジに伝えたのはこの攻撃だ。
さらにレセップス級の接近も確認されている
「レセップス級を引き離しなさい!」
「やってるわよ!」
アルスター2等兵は必死に舵を切っているようだがここまで大型の艦ともなると簡単に動く訳ではない 攻撃が着弾する度、ブリッジが大きく揺れた。
想像以上に攻撃が激しい。
「バジルール少尉、スカイグラスパーを戻して援護に当たらせなさい」
「すでに行っています。ですが……」
バジルール少尉にしては要領を得ない。
風防の向こう側にはすでに灰色のスカイグラスパー--アーノルド・ノイマン曹長の機体である--が見えていた。しかし、ムウ・ラ・フラガ大尉の機体の姿はどこにも見えないでいることに、マリューはつい顔をしかめざるを得なかった。
FX-550スカイグラスパー。
フラガ大尉の1号機は原色を多用しているが、アーノルドノイマンは全身を灰色に塗り直させていた。この戦闘機の特徴の1つには、ウイングが短く、大気圏内を飛行することを想定した機体でありながら揚力への依存が比較的低い、推進力に頼って飛行を前提に設計されていた機体であるということだ。
その理由を、設計に関わっていないアーノルド・ノイマンはパイロットとして推測をめぐらせた。スカイグラスパーは宇宙空間での使用にも耐えられるよう、汎用設計がなされていたのではないだろうか。少々手を加えたならそれで宇宙でも使用できるとさえ考えられる。
それとも、運動性を高めるためだろうか。揚力が小さければそれだけ機体の挙動は不安定となるが、その反面自由度は高くなる。
アーノルドはスカイグラスパーのコクピットの中で息を大きく吸い込んだ。覚悟を決めるためではなく、決めた覚悟を実行するための暇。不鮮明なレーダーには大きな影が2つ映し出されている。母艦であるアーク・エンジェル、そしてその艦を狙うレセップス級である。
操舵手としてアーク・エンジェルを操ったアーノルドにはレセップス級がアーク・エンジェルを狙撃しやすい距離に位置調整をしている最中であることがわかっていた。
操縦桿を下へと倒す。スカイグラスパーはすぐに下降を開始する。揚力が他の戦闘機に比べて弱いため、機体の挙動は即座に反映される。
急激な降下に、体が足の下から浮き上がるような感覚に見舞われ、血液が頭に集まってくる。頭痛が生じ、だが幸いにレッドアウト現象は生じていない。明瞭な視界にはこちらを迎撃しようとするレセップス級が見えている。
この距離、この相対速度で対空迎撃がうまく機能しないことは以前、ムウ・ラ・フラガ大尉と別のレセップス級を相手にしたときに掴んでいる。ファランクスの曳光弾が視界を縦に横に通り過ぎていく
フラガ大尉のような技能はない。あるとすれば、元操舵手としての意地だ。
「戦艦の動きなら!」
自分を奮い立たせるためにも、アーノルドは猛った。
すでにブリッジへのロックオンはすませている。戦艦がどのように動き、どのような角度からの攻撃を嫌うのか。その知識と経験ならフラガ大尉にも唯一誇れるものである。両手で握り締めるレバーに意識をすべて集中して、トリガーを引く。
機体本体の上、両翼の根元に設置された機関砲が同時に閃光を瞬かせた。3門のバルカン砲から弾丸が一直線にレセップス級のブリッジに殺到する。
無論、一瞬照射しただけでブリッジに十分な損害を与え続けることはできない。トリガーを握り締めたまま、スカイグラスパーをブリッジへと急降下させる。その間も、弾丸はブリッジへと呑み込まれ続ける。
このままではレセップス級へと墜落することになる。操縦桿を左に倒す。同時に、全力で引き付けた。スカイグラスパーはレセップス級をかわしてもなお降下を続けようとする。砂漠へと叩きつけられることを覚悟するに至ったところでようやく、軌道が水平に戻り、降下の慣性を徐々に打ち消しながらスカイグラスパーは上昇を始めた。
このような思いまでして得た成果は、スカイグラスパーの後方、地上でブリッジから煙を上げて制止するレセップス級であった。
砂が一直線にえぐれていた。轍ほど規則正しくもなければ、足跡とは違い連続している。醜く刻まれた先に砂が盛り上がり山ができている。それは風や流砂でできたものにしては不自然で、付近の平らな大地の中で唯一の隆起である。その山が人工的に作られた証である。
その山は、表面は砂で、内部は戦闘機で構成されている。墜落したスカイグラスパーが荒々しく砂を押し固め、山を作ったのである。
スカイグラスパーの右翼は完全に山に隠されている。左翼は空へと傾き、鋼鉄で構成されているはずの翼は引きちぎられたかのように先端が欠けていた。機影の右半身が砂に覆われている。スカイグラスパー1号機は完全に沈黙していた。
「僕は! 僕はー!」
大剣を、それこそでたらめに振り回すストライクの攻撃は、激しく的確な狙いでありながらそれは大きすぎる穴のようなものだ。落とし穴にしても事故で落ちるにしても、遠くからでも見える穴にわざわざ落ちる者などいないことだろう。ラゴゥにとって、それは穴であり簡単に見通せるものであった。叩きつけられるように振るわれる大剣。ラゴゥが横へと飛びのき、ストライクが一度は大地の砂を爆ぜさせた後、強引に剣を横へと振りかぶる。見えている。わかっている。そんなものにわざわざひかかる必要などない。ラゴゥはたやすく飛び上がり、鋼鉄で覆われたその前足をストライクの顔面へと叩き付けた。
フェイズシフト・アーマーが輝く。よろけたストライクは、しかしすぐに持ち直し大剣を袈裟切りにラゴゥを襲う。すばやく的確。そう、その太刀筋の鋭さだけで評価するなら並みのパイロットではひとたまりもないことだろう。
だが、見えているのだ。
ハウンズ・オブ・ティンダロス。回避の極致は敵の攻撃を完全に見切り必要最低限の動きでかわす。どれほど鋭いナイフも、そのわずか1mmにも満たない断面積に触れられさえしなければ何ら脅威ではない。どれほど破壊力の大きな拳銃でさえその口径はせいぜい数cmにも満たない。いつどこにどのような攻撃がどれほどの時間だけ脅威となるのかが見えている。すると、ラゴゥは必要最低限の動きで、端から見たならまるで通り抜けたようにストライクの後ろにあった。
「つまらんね、実につまらん」
ストライクは振り向きながら大剣を振るう。その軌道は確かにラゴゥを捉えたことだろう。少なくとも傍目にはそう見えたはずだ。だから不思議でならないことだろう。ラゴゥが無傷であって、大剣が根元から切断され、切り離された先端が宙を舞っては砂に深々と突き刺さる光景は。
「あまりに動きが単純すぎやしないかね、少年?」
付近の情報を的確に入手し、それを最大限に生かす術は確かに心得ているようだ。だが、目的意識が強すぎる。何が狙いなのか露骨過ぎるのだ。
「やっぱりキラ君は、キラ君のままみたいね」
カルミアは同じ出生を持つ仲間へと小さくため息をついた。
「アイリス、すでに戦線は崩壊している! 早く脱出しろ!」
コクピットに響くナタルの声。アイリスはその声をゆっくりと聞いている余裕なんてなかった。
イージスが飛び掛ってくる。まずはビーム・ライフルの引き金を引く。放たれたビームをデュエルが体をひねってかわすと、即座にイージスは蹴りの動きに合わせてつま先に発生したビーム・サーベルを振るう。デュエルが左手に残されたサーベル--これが最後の武器になる--で受け止めると、イージスはあっさりと攻撃をやめ、後ろへと飛びのいた。逃げたのでも距離を開けたのでもない。
イージスが離れた途端に、デュエルの周囲には爆発がいくつも生じた。煙が立ち上り、破片が暴れるように飛び散る。砂は嵐となってフェイズシフト・アーマーの輝きさえ隠してしまう。周囲に展開するザフト軍からの攻撃である。ザフトにとってガンダムは2機とも敵。それでもイージスはまだライフルを持っている。ザフトにとって接近しやすいのはデュエルの方であって、自然と包囲網はデュエルを囲む方が小さく、攻撃はアイリスへと集中していた。
アサルト・ライフルにバズーカ。フェイズシフト・アーマーを貫通できないにしても衝撃はアイリスを襲っていた。口の中を切ってしまったのだろう。鉄の味がして、頭が殴りつけられたように痛んだ。
「ナタルさん、もしもの時は、見捨ててくれていいですから……」
「馬鹿なことを言うな!」
イージスの放ったビームは、正確にビーム・サーベルを撃ち抜いた。握っていたはずのマニピュレーターがばらばらに弾け飛び、その残骸の中に柄だけになってしまったビーム・サーベルが漂っていた。
格納庫を揺るがすビームの砲撃。それは闇を吹き飛ばし、大気を震わし、形あるものすべてを根こそぎ破壊しようとしていた。
「ニコル! 何をしている!」
ニコルのブリッツがビーム・ライフルを乱射--そうとしか言いようがないほど引き金を引き続けている--して、でたらめに放たれたビームが次々と壁へと突き刺さっていた。ビームの攻撃力だ。壁からは炎ふが噴出し、破壊された隔壁が燃えながら周囲に飛び散っていた。こんな光景がいくつも、デュエルが引き金を引く度に引き起こされるのだ。
「敵を殺さないと! 敵は殺さないと!」
アスランにとっても安心できることではない。ビームの無差別攻撃は危うくバスターガンダムを巻き込みそうにさえなった。破壊された格納庫からは岩盤さえ崩れ落ち、この空間そのものが崩壊しようとしていた。
あまりにらしくない。ニコルらしさがない。
「ニコル!」
「邪魔をしないで!」
ブリッツの銃口は、バスターに、アスランへと向けられた。