とても静かなものだった。戦闘がなければ、人がいなければ戦艦のブリッジも静寂の虜になる。思えば、こうしてここを眺めるのはこれが初めてかもしれない。フレイ・アルスターは天井付近に取り付けられたモニターを見上げた。何も映されていない。以前はここに、焼けてただれるヘリオポリスの姿があったのに。それも昔の話。泣いてるでしかなかったフレイはもういない。代わりに、軍服を身にまとうフレイが残された。
ブリッジから見える風防はほとんどの照明が落とされた格納庫へと通じていて暗い。ブリッジ内の明るさと相まって、まるで鏡のようにフレイの表情のない顔を映している。風防では右手、現実では左手で頬をついてみる。決して固くない手触りがある。何も石像のように固まってしまったわけではない。最後に笑ったのはいつだっただろう。下らないと風防から目をそらす。過去をどれだけ省みたところで変えられるわけでもない。
目的はブリッジ前方の中央にある。宇宙さえ航行できる戦艦にはそぐわない古めかしい舵である。木製でどんなときも手に優しい。舵は直径が人の胴体と同じくらいあった。手に取り、教わったとおりに回してみる。難なく、舵は思い通りの動きを見せた。だんだん操舵も堂に入ってきた。元の位置に舵を戻すことも滞りなくできる。余裕がでてきた。これも、そのことを現れだろうか。舵が取り付けられた台座の横に紙が張られていることに気づくことができた。
「フォネティック・コード……」
アルファベットの聞き間違えを防止するための言い換えらしい。これもこれから戦艦を動かす上で覚えた方がいいのだろうか。舵から離れ、台座の横、紙の前でかがむ。Aから順に指でなぞっていく。アルファだとかブラボーだとか、聞いたようであまり耳にすることのない単語が並んでいく。Hを抜けたところで、急に指を止めてしまった。Iはインディア。アイリス・インディアの姓と同じである。さらに読み進めていくと、最後のZがゼフィランサス・ズールの姓と同じズールと書かれていた。
指を引き戻して、その手を唇に軽く当てた。
「あの2人って一体……」
単なる姉妹にしてはあまりに似すぎていると考えてはいた。姓が異なることが疑問でもあった。いつか聞いてみようか。そう考えて首を振った。昔ならいざ知らず、今は会う気にもなれない。訓練が忙しい。こんな理由をつけてさけてきた。幸いなことに嘘ではない。ブリッジには遊びで来たわけではないのだ。
ヘリオポリスから持ち出せた数少ないものの1つ、腕時計を見るとそろそろ時間であった。生真面目な曹長は時間に厳しい。間もなく来ることだろう。ただ、今回は時間になっても現れる気配がなかった。時計の長針が2周ほどした頃、ブリッジ奥の扉が開いた。確認するまでもなかったが、一応視線を向けてみると、予想通りにアーノルド・ノイマン曹長が乱れた息を整えながら立っていた。切りそろえられていた髪が汗に濡れている。
「すいません、お待たせしました」
階級は下。年齢も10下の小娘相手にもアーノルド曹長は丁寧な対応を崩そうとしない。雑に扱ってほしいわけではないが、どこか壁を作られているようで堅苦しい。馴れ馴れしいよりはましと自分に言い聞かせる。
「また、訓練ですか?」
こう聞いている間に扉からアーノルド曹長がこちらへと歩いてくる。あらかじめ舵の前に立っておくことにする。アーノルド曹長はまるで報告でもしているみたいな口調で答えた。
「はい。ようやく、感覚が馴染んできました。次の戦闘では何かしらの戦果をお目にかけることができるでしょう」
そうは言われてもまだ戦艦の感覚さえ掴みきれてはいないフレイにとって戦闘機との違いなんて大きさくらいしか思いつきようがなかった。
話には応じて上げられなかった。そのことを気にした様子もなく、アーノルド曹長はフレイの横にたった。舵を持つ手を眺めるようにこちらを見ていた。その視線に合わせる形で横を向く。今日は実際の器具を扱った実際航行する前の最終訓練を受けるはずである。アーノルド曹長は舵の備品を一通り簡単に説明すると、こう切り出した。
「これは戦艦に限りませんが、機械をうまく操るコツは、何ができるかを知ることより、何ができないかを知ることです」
極論だと前置きして、できないこと以外はすべてできてしまうという理屈が成り立つと教えられた。たとえば、どの程度まで艦体を傾けることが許されるのか。設計上、アーク・エンジェルは翼の揚力に飛行能力の一部を依存しているため、長時間艦体を傾けると墜落する恐れがある。このことは反対に、艦体を180度回転させての飛行は可能であることを意味する。
「飛行機はバレル・ロールと言って……」
そう言いながら、アーノルド曹長は舵を回してみせようと、フレイの後ろに回った。まだフレイが舵を掴んだままであることもかまわず、後ろから抱きつく形で舵を掴もうとしてアーノルド曹長の手がフレイの手と重なった。その途端、手が勢いよく離れた。フレイは舵を掴んだまま、慌てたように手を離したのはアーノルド曹長の方である。飛び退いた曹長をつい呆れたような眼差しで振り返って見てしまった。
2等兵を相手に、曹長殿は明らかに恐縮した様子である。
「す、すいません!」
ついため息をついてしまった。女性の肌に許可なく触れない態度は評価できたとしても、度が過ぎるとなんとも面倒くさい。
「別に年上だから横柄な態度が許されるなんて考えてませんけど、もう少し砕けてくれてもいいですよ」
しばらく待つ必要があった。アーノルド曹長は姿勢を戻すと、咳払いを1つ。それから大きく息を吸い込んだ。これでようやく覚悟が決まったのだろう。ゆっくりとフレイの後ろから舵を持った。本当に紳士的で、踊りの相手でも申し込まれたかと思った。舵が回りだす。手に馴染ませるように動きを感覚として覚えようとする。頭上から髪をくすぐるように声が降りてくる。
「この動きはバレル・ロールと言います。その名の通り、タルに沿ったように回ることで、機体の上下を逆さまにする動きのことです」
確かに、重ねられた手から伝わる動きはこれまでにしたことのない大胆で大きなものだった。これなら艦体を逆さまにしてしまうこともできるだろう。この技の利点は、武装が上部に集中した機体が、その攻撃力を任意の方向へ集中できることにある。実際この技術をアーノルド曹長は目の当たりにしたのだそうだ。
「フラガ大尉はこの動きで直下の敵を狙う荒技をしてのけました」
初陣で見せられたフラガ大尉の技術はすばらしいものだった。そんなことを、アーノルドはまるではしゃぐ子どものように語っていた。
「ただ注意すべきは、180度逆さまにはしないことです」
その理由を、アーノルドは冗談めかして答えた。アーク・エンジェルを逆さまにすると、構造上地上が見えなくなってしまう。確かに計器は作動しているだろう。しかし、どれだけ優れた機械であっても扱うのは人間であり、最後に頼るべきも人の経験と感覚である。
一言で言うなら、地上にぶつからないように絶えず目を向けていること。なぜなら、飛行機とは地上に落ちることさえなければ、決して撃墜されることがないから。
落ちたくて落ちる人なんていないし、選ぶことなんてできない。一体どんな顔でこんな冗談を言ったのか、気になって振り向こうとした。
そんな時、聞きなれない音が、鋭く耳の奥にまで達した。
警報が鳴り響く。ここキンバライド基地において警報が怒鳴りたてることははじめてのことである。所在地を秘匿するために音や光が外に漏れることを制限していた。破られた沈黙は危機を象徴していた。
モーガン・シュバリエは愛機であるTMF/S-3ジンオーカーのコクピット・ハッチに脚をかけて身を乗り出していた。格納庫のあわただしさに足音をつけくわえてアフメドの搭乗するジンオーカーが前を通り過ぎた。足元ではリニアガンタンクが3台その後に続いている。鹵獲機を使用し始めるまではこの基地の主力はリニアガンタンクであった。耐久性向上のために無限軌道を4つに分け、機体の下ではなく横に配置されているため通常の戦車に比べて平たい印象を受ける。
1機と3台。砂漠の虎の猛攻をしのぐには心もとない数だ。3台目の戦車が通り過ぎたところで、その後ろを歩いていたジンオーカーが目の前でとまった。装甲の磨耗具合--どの機体も綺麗な装甲などしていない--からジェシカの機体だとわかる。ジェシカ機はモノアイだけを横にスライドさせてこちらを見た。
格納庫内は出撃を急ぐ駆動音でごった返している。とても声が通る環境にないが、モビル・スーツなら人の声を判別して拾うだろう。意識して大きく声を出す。
「レセップス級は何隻だ!?」
すぐに声が返ってくる。モビル・スーツに常備されている拡声器からジェシカの声が届く。
「8隻! すでにモビル・スーツが多数展開しています!」
こんな騒音に塗れた場所でなければ頭を抑えたくなるほどの大音量であったのだろう。雑音に慣らされた耳にもその声ははっきりと届いた。慣れというものは何に対して例外なく発揮されるものらしい。おそらく2個大隊に匹敵する戦力が迫りつつあるにも関わらず、不思議と恐怖という上品な感情はわいてこない。恐れを抱くにはあまりに長く戦場にいすぎた。
ちょうど、あのアスラン・ザラほどの歳から銃を手にしてきた。ではあの少年兵は一体いつまで銃を持てば解放されるのだろうか。
ザフト軍大型地上戦艦レセップス級。砂の海原を全速で疾走する戦艦の群れ。砂を荒々しく巻き上げ、8隻もの巨艦が作り出す轍は幾重にも折り合わされた砂の嵐である。彼らの前に道はなくその後ろには吹き荒れる砂嵐を引き連れる。その眼前には岩山が聳えていた。そして月光は等しく、すべてを包み込んでいる。
青い月の光はレセップス級ペテロのブリッジにまで差し込み、最低限の照明に限定された空間に彩りを添えていた。
レセップス級のブリッジは1段高い艦長席と、周りにクルーの座席が並ぶ開けた広間からなっている。月明かりは広間に入り込むと、広間の中央に椅子をおいて座る男の頬を撫でた。そして、男の後ろには褐色の肌をした少女が微笑んでいる。
アンドリュー・バルトフェルド。指揮官のものとは思えないほど質素な椅子に、そのたくましい肉体をノーマル・スーツで隠して座っている。脚は伸ばし、背もたれに完全によりかかる。その肩に手を添えて、カルミア・キロは三つ編みに束ねられた赤い髪を軽く振るう。
「月下の狂犬相手に夜襲をかけるの?」
疑念ではなく疑問。単に砂漠の虎の反応を楽しんでいる。カルミアもまた普段とは違い、ノーマル・スーツに体のラインを浮かび上がらせていた。そして、砂漠の虎もこれから戦場に出向くとは思えないほど砕けている。
「同じことをモーガン・シュバリエも考えているさ」
アンドリューは右手を静かに胸の高さにまで掲げる。それは約束事である。限られた人の間で交わされ、それ以外の誰にも意味を明かすことはない。それが何を意味するのかを知る者は、真意を明かす必要性を覚えない。
「主役は遅れて登場するものよ、アンディ」
カルミアはアンドリューの肩に両手をおいて、しなだれかかるように体重をかけた。アンドリューはその体を受け止めると、右手を前へと突き出す。
「そうかい? 僕は主賓が登場しなければパーティは始まらないと思うんだけどね」
この言葉と動作、言動が意味することはやがて衆目にさらされる。
振動する暗い格納庫。最低限の赤色照明に照らされ、4機のジンオーカーが2列に並んでいた。アスラン・ザラの搭乗するGAT-X103バスターガンダムはその後ろにGAT-X207ブリッツガンダムと並んでいた。ここはレセップス級ユダの格納庫である。ユダは砂漠の虎率いる本隊とは離れ、大きく迂回しながら敵基地を目指している。同じレセップス級のシモンとヤコブが併走しているはずである。
バスターは右腰にビーム・ライフルを左腰にレール・ガンを装備している。しかし、無理な使用がたたってレールガンは使用不可になるほど破損してしまった。レールガンそのものはザフトでも珍しい技術ではない。だが、構築材であるフェイズシフト・アーマーをバナディーヤでは造ることができなかった。本国でライフルを拵えて空輸してもらえるほどの余裕があるはずもない。結論としてレールガンは取り外してしまった。代わりに、本来はジン用の携帯火器である特火重粒子砲がバスターの左腕には握られている。
一見すると大型のバズーカ砲のような装備である。重比重の粒子に高熱を加え発射する兵器で、熱量と質量によるダメージを与えることができる。高熱の粒子を射出する点においてビームとよく似ているが、所詮現行の技術を用いただけの特火重粒子砲のエネルギー効率は比べるべくもない。カートリッジ式でバスター本体に手を加える必要がなく、レールガンと重さが近いことから機体のバランスを確保できるとこの武器を選んだ。
レセップス級が砂を液状化させるために用いるスケイル・モーターの規則正しい振動だけがコクピットに響く。まだ戦場は遠い。
シート脇のボタンを操作して、事前に設定していたチャンネルに合わせる。通信はすぐ前のジンオーカーに乗っているジャスミン・ジュリエッタに宛てたものだ。
「ジャスミン、カルミアには会ったかい?」
急な話の振り方に、多少驚いたような声がしてから急に静かになる。それからしばらくしてようやく返事があった。
「カルミアも忙しいみたいで、結局会えずじまいです」
ジャスミンの声は予備知識があるせいかとても残念そうに聞こえた。
ジャスミン・ジュリエッタ、J・J。カルミア・キロ、K・K。J、K、Lを製造した第4研の第1世代と第2世代である。同じ研究所出身の姉妹は面識があり、その絆は深いことが多い。この2人の場合も例外ではないはずだ。それなのに、2人は離れ離れをよぎなくされてきた。
「カルミアもきっと、君がここにいることさえ知らないんだろうな」
それは、ジャスミンが施設に収監されていたからに他ならない。ここまで言ってしまえば、ジャスミンが気にかけていることを思い出させてしまう。息を飲んで、そのことにようやく思い至った。ただし対応は息を飲んだ時間だけ遅れてしまった。耳慣れない機械音。それがジャスミンがバイザーを外した音だとは、なんとなく察した。
「私は、失敗作ですから……」
視力を持たずに生まれたこと。それは、ヴァーリのお父様の眼鏡に適うものではなかった。ジャスミンは生まれながらにして捨てられた存在なのだ。目を力強く閉じる。こうしてジャスミンの境遇を真似ると彼女ばかりではない、うち捨てられたヴァーリのことが思い出される。
「すまない、そんなことを思い出させるつもりはなかったんだ」
目を開くと過去と何ら代わらない現実があった。ゼフィランサスが兵器を造り続けるように、カルミアがザフトに加わっているように。そのことに歯がゆさを覚えながら何もできないことも、キラが怒りを隠さないことも何から何まで似通っている。
ジャスミンは優しく嘘をついてくれた。
「気にしてません……。目なんてみえなくてもゼフィランサスくらい成果を示せていたならきっとお父様も……」
私を捨てることなんてなかった。モビル・スーツでは拾いきれないほど小さく消えてしまった声が続けたかった言葉は、おそらくはこんなことだろう。
「きっかけを作ってしまったことはもうすまないと思う。でも、もうこの話はやめよう」
返事はなかった。代わりに、割り込むようにして少年の声が聞こえた。
「すいません、盗み聞きするつもりはありませんでした」
ニコル・アマルフィである。このチャンネルはこの小隊内での会話のために設定したものであるため、ニコルが入ろうとすればいつでも入ることができる。それにしても、言わなければ聞いていたなんてわからないのに、わざわざ盗み聞きを告白するところはなんともニコルらしい実直さである。嘘偽りのない素直さに話していて安心感を得られたことが幾度と無くあった。
それはジャスミンも同じであるようだ。返事をする声は、心なしか普段の調子を取り戻しつつあるように聞こえる。
「ニコルさんは、ヴァーリのことをご存じなんですか?」
さすがのニコルも、若干の躊躇を見せて返事までに間が空いた。
「アスランからジャスミンさんがヴァーリの1人であることや、ゼフィランサスさんのことも聞きました」
先ほどの機械音が聞こえた。今度はバイザーを付け直したのだろう。今回は音声を繋いでいるだけで姿は見えていない。それでも顔を隠そうとするところに、ジャスミンの恥じらいを感じざるをえなかった。自分ごときが至高の娘と同じ顔をしていることが知られては恥ずかしい。ジャスミンがそんな考えをしていることをアスランは知っている。
「私のバイザーは顔を隠す意味合いもありますから……」
それとも、仲間にさえ素性を明かしていなかったことを恥じているのだろうか。色々なことを考えると、どう行動していいのかわからない。こんな時、ニコルの素直さがとても羨ましく思える。
ニコルは邪気のない声でジャスミンに尋ねた。
「今度、顔を見せてもらえませんか?」
男性が女性にこんなことを求める時、理由は状況によって様々だろう。ただ、アスランは俗物的に、異性への好意を連想した。ジャスミンも同じらしく、押し黙ってしまった。最後に、ニコルがようやくその推論にいたった。
「べ、別に深い意味はないんです! ただ、肩を並べて戦った人の顔も知らないなんて、悲しいですから……」
つい、小さく笑いをもらしてしまった。恐らく通信を通ることのできるくらいの声量だったろう。何故なら、ジャスミンの吐息をかすかにもらす笑い声が聞こえているからだ。
「カルミアと同じですよ。私、カルミアのお姉さんですから」
ジャスミンの声はずいぶんと明るいものになっていた。ヴァーリの少女が見せたせっかくの微笑みを打ち消すように、戦艦が一際大きく揺れた。砂丘に乗り上げるほど間抜けな軍人はザフトにはいない。空気というものは目に見えるのではなだろうか。特に戦場にいるとそう考えさせられる。暗い格納庫の中、明らかに空気の色が変わった。
「ニコル、この戦い、おそらく俺たちの活躍が鍵を握る!」
ガンダムの、ビームの攻撃力は攻城戦において絶大な威力を発揮する。宇宙要塞アルテミスを陥落させたように、2機のガンダムがそろえば十分な被害を与えられるからである。ところが、隣にたたずむブリッツガンダムのパイロットは、思いのほか反応が鈍い。
「ニコル?」
ためしに呼びかけてみる。すると、少々の間が空いて、驚いたように跳ねた声が聞こえた。
「はい!?」
先ほどの言葉をもう一度かけなおそうとすると、ニコルはそれを遮るように言葉を繋げた。
「いえ、わかっています。ディアッカの分も頑張ります、このブリッツで!」
どうも様子がおかしい。ニコルはまだ若いが、戦場に出ることに不必要なまでの緊張感を見せたことはこれまでなかった。しかし、問い直そうにも事態はそんなに悠長に構えていてはくれなかった。
単発で瞬間的な振動がユダを襲う。間近に敵の攻撃が着弾したようだ。ユダに格納されている6機のモビル・スーツすべてに聞こえるオープン・チャンネルで、ラウ・ル・クルーゼ隊長がブリッジと通信を繋いだ。
「何事かね?」
食器を割ってしまった。では割れたのはどの食器か。その程度のことを確かめるように、クルーゼ隊長は落ち着き払っている。ブリッジ・クルーは若い男性である。その声の調子以上に、慌てたような声が若さとともに未熟さを感じさせる。
「イレギュラーです! 予測有効射程外からの砲撃を受けています!」
ご丁寧に、敵はまるでこの言葉を証明するかのように友軍艦シモンを撃沈した。通信に紛れ込んだブリッジの様子からそのことはわかった。
動いたのはクルーゼ隊長の搭乗するジンオーカーである。バスターのちょうど正面にいたジンオーカーが体を90°回転させ、ユダの側壁へと1歩近づいた。狭い格納庫ではそれだけで壁の間際に立つ事になる。そして、レセップス級の側壁には左右合計で6つのモビル・スーツ・ハッチが存在している。
「各機、出撃に備えろ」
クルーゼ隊長の命令に、残りの5機が最寄のハッチの前に立ち並ぶ。バスターの横にはクルーゼ隊長の機体が、背中合わせの反対側にはニコルのブリッツがいる。だが、ハッチはすぐに開くことはなかった。
「ハッチを開きたまえ」
隊長は始終同じ調子である。ブリッジ・クルーは次第に落ち着きをなくしているというのに。
「しかし、まだ出撃予定距離にまで達していません!」
残念なことにこの言葉自体がクルーの未熟を証明していた。戦場では予定通りになることの方が稀有な話だ。無能というよりも、戦場に慣れていない様子である。そういう意味において、このクルーゼ隊は多様な戦闘を経験していることになる。クルーゼ隊長がクルーを言いくるめることなどたやすいことだった。論詰めで諭す必要もなく、ただ一言でクルーはハッチ開閉作業に入った。
「揚陸艇と運命をともにするつもりはない。君らも早々に戦線を離脱することだ」
ハッチが開かれる。ハッチはそのままリフトとしても使用するため、足元を軸に徐々に上から倒れるように開いていく。真っ先に飛び込んできたのは青い月光。ユダの下では砂が高速で流れていた。そして、立ち上る砂の柱がユダを取り囲んでいた。ビームの輝きが一際大きな砂柱を発生させた。
GAT-X105ストライクだ。ユニウス・セブンにおいて同様の高火力兵器を用いていた。
横倒しとなり足場と化したハッチへと各機が急いで移る。バスターも完全に格納庫から外にでる。すると、度重なる爆発で吹き上げられていた砂が雨となってバスターを叩いた。着弾点が徐々に近くなっている。次はこのユダが狙われる。咄嗟の判断でバスターを飛び出させる。横のクルーゼ隊長もほぼ同じタイミングでジンオーカーをユダから離脱させた。その直後、ユダがビームの直撃を浴びる様子が後部メイン・カメラからの映像で確認できた。艦体にビームを直撃され、爆発によって生じた砂の隆起につんのめる形でブリッジを含む後方部分が宙で1回転して叩きつけられた。走行していた勢いのまま、残骸が砂の上を滑っていく。ビームの火力を侮っていたとは言え戦艦がわずかな時間に2隻も撃沈された。
(やはりガンダムは異常だな)
ユダに加速させてもらっていた慣性はまだ十分に残されている。すでに進行方向へと向けて加速していることを利用して、バスターをすぐさま敵基地の方角へと加速させる。。スラスターで機体を浮かせるとともに推進させ、砂につま先がかすめるほどの超低空を滑空する。
すぐ横にはクルーゼ隊長がど同様の姿勢で滑空していた。離れた場所ではジャスミンとニコルが並んで滑空していた。幸い、2人とも無事である。恐らくユダに生存者はいないだろう。加えて、この作戦を共にするはずだった2機のジンオーカーの姿はなかった。ビームの直撃をかわせず、ユダとともに撃墜されてしまったらしい。友軍とは言え、ほとんど面識のない人たちである。ただ、それが死別に無関心でいられるということを意味してはいないらしい。決して気分のよいものではなかった。
仲間を奪った敵はごく見慣れた姿をしていた。夜の砂漠にさえ映える白い手足をして、暗緑色の大型ビーム・ライフルを左腰に構えている。ユニウス・セブンで1度見せた砲撃特化の装備をしたGAT-X105ストライクガンダムである。砂漠に大型のコンテナを打ち捨て、それを足場に再びライフルを構えた。
モビル・スーツのほどの長さがあるライフルが膨大な熱量を撒き散らすビームを撃ちだす。焼かれた冷気が身をよじって悲鳴を上げた。急激な温度差に砂が焼け焦げるかすかな音がして、風景が歪んで見えた。だが大気も負けてはいない。ビームを減衰させ、弱ったビームから粒子として拡散させ始める。光る粉がほつれるようにビームの軌跡を描いた。最も遠い位置にいたレッセプス級ヤコブにまで光は続いた。威力も減衰していた。直撃を避けるための時間があった。ヤコブは右足に当たる部分をもぎ取られただけでかろうじて持ちこたえた。だがすでに戦闘として数えることはできない。このフィールドの戦艦は3席とも封じられた。モビル・スーツは脱出できた戦力で1個中隊程度。
これ以上攻撃させてはならない。
バスターを急がせようとすると、隊長とジャスミンのジンオーカーが目に見えて遅れだした。ジンオーカーでは推進力も滞空時間もガンダムにはるかに劣る。どうしても置き去り形にならざるを得ない。
「アスラン、ニコルは各個判断で敵基地に向かえ。ジャスミンは……」
命令は途中で途切れた。バスターのカメラはその原因を捉え、コクピットの片隅にあるモニターに投影していた。重戦闘機が2機、ジンオーカーめがけて機銃を照射していた。隊長とジャスミンは完全に足止めされている様子である。静止したヤコブから這い出して来た仲間のジンオーカーも含めて重戦闘機はガンダム以外の機体を抑えようとしているらしい。機銃が砂の上を一直線に走り、逃げるジンオーカーの動きが制限される。
(ガンダムはガンダムで抑えるつもりなのか?)
少なくともバスターとブリッツの動きを牽制してくる気配はない。アスランはバスターを加速させたまま、ストライクの放ってきたビームを大きく機体を横に滑らせることでかわした。砂がモビル・スーツの高さを超えるほどに舞い上がる。遠距離攻撃ならバスターとてお手のものだ。右腰のライフルを構える。左腕に装備された重粒子砲にレールガンとは異なる重さの違和感を覚えながらも、ガンダムはすぐに姿勢を安定させた。引き金を引くとビームが一直線にストライクへと伸びていく。
ストライクはたやすくかわす。バック・パック--ビーム砲が装備されたものだ--を外すと、残されたバック・パックと足場に使用されていたコンテナがまとめてバスターの攻撃によって吹き飛んだ。相手は武器を失った、そう考えるのは楽観的というものだ。キラ・ヤマトは武器を捨てたに過ぎない。おそらくはエネルギー切れ、あるいはすでに不要なのか。どちらにしろ、相手にとって不測の事態ということはないだろう。
やはりガンダムの存在そのものがこの戦いの勝敗を分けることになるようだ。
「ニコル! いくぞ!」
声をかけてからフット・ペダルを踏み込む。スラスター出力が増大し、バスターの速度が増す。敵が新たな動きを見せる前に距離を詰めておく。だが、ブリッツはすぐには追いついてこなかった。明らかに遅い反応で、返事にも不自然なほど間があった。
「は、はい!」
間を感じたことは何度目のことだろうか。ニコルの様子のおかしさを感じずにはいられない。反応が鈍いのだとも一概には言い切れない。その証拠に、バスターに追いつこうと加速するブリッツは性急に思えた。
「相手は武器を失っています! 一気に討ち取りましょう!」
ニコルはストライクへと目掛けてビームを乱射した。だが、あせり過ぎた攻撃は一撃たりともストライクを捉えることはなく、外れたビームは砂地を、ストライクすぐ後ろの岩山に命中し火花を咲かせた。
「ニコル、前にですぎだ! 速度を落とせ!」
「え……?」
バスターは両足を前に突き出し、足の裏からバック・ブーストをかけることですでに減速を始めている。だがブリッツは明らかに減速のタイミングが遅れていた。このままではストライクに不用意に接近しすぎる。
ストライクはしゃがみこむような姿勢をとると砂中から何かを引き上げる。長い金属製のそれは、ローラシア級ガモフを撃沈した巨大なビーム・サーベルそのものであった。刃を持たない剣が光そのものを剣として、ブリッツを迎え撃つように振るわれる。ストライクは一息に飛び出すと、頭上に掲げた剣を力強く振り下ろした。
「ニコル!」
通信機から聞こえたのは短い悲鳴。ニコルもまたブリッツのビーム・サーベルを展開し、危ういタイミングでストライクの大剣を受け止める。しかしまだとまりきっていない加速とストライクから叩きつけられた力でブリッツは砂地に叩きつけられるように体勢を崩す。何とか転倒こそ免れたものの妙な軌道で砂の上を滑り、ようやくとまった時には片膝をついてすぐには立ち上がれそうにない。体で滑るか足で滑るかの違いしかない。結局砂の上を転がされたことには変わりない。
ストライクは、キラはすぐにでも追撃を加えようとする。
(やはり単なるコーディネーターでしかないニコルには荷が重いか……?)
「キラ、お前の相手は俺だ!」
通信は繋いでいないが、バスターは急速に接近している。気づかないキラではないだろう。特火重粒子砲を突き出し引き金を引く。ビームのように派手な輝きを放つ粒子の塊が突き進み、ストライクはこともあろうにそれを構わずバスターへと迫った。かわす気がないのか。荷電粒子はストライクの肩の辺りをかすめ、フェイズシフト・アーマーの輝きが放たれる。一気にバスターとの距離をつめたストライクはすれ違いざまに特火重粒子砲の銃身を切断した。切断面が赤熱し、投げ捨てた途端に銃身そのものが爆発する。
無理もない。ストライクに気づかせるために無理な攻撃を仕掛けた。残念ながらZGMF-1017ジンが携帯できる最強の銃はわずか1発でその役割を終えてしまった。そのかいあってブリッツからストライクを引き離すとともに、ニコルのそばに降りることができた。
ストライクは大剣を構えたままこちらの様子をうかがっている。度重なるビームの攻撃に焼かれた砂から黒煙がいくつも立ち上っていた。
「何をそんなに焦ってるんだ、ニコル!?」
ブリッツが立ち上がる。フレームに致命的な損傷はないようなことが幸いだ。
「アスラン……。僕はガンダムが怖い……。宇宙で見せたあのストライクの動きは何なんですか! あれは、僕たちを殺すためだけに戦っていた……!
「……わからない」
キラという人間は敵に容赦はない。だが、冷徹と冷酷は意味が違う。必要だから敵を殺すことはあっても、敵を殺すことを目的とする戦い方はしないはずなのだ。だが、大気圏突入寸前の戦いで、キラが見せた戦いは殺戮、殲滅、敵の殺すことを目的としているものだった。
ガンダムには秘密がある。ストライクはこちらの様子をうかがっているように動きを見せない。
「ガンダムには何か訴えてくるものがあるように思えるが、それが何なのかは俺にもわからない……」
大気圏突入を果たしたアスランが無事に着陸できたのは、自動操縦の類であるとしてもガンダムを操る際、何かしらの違和感があると気づき始めたのは最近のことだ。ジンに乗っていた時に比べ視界が広くなったように感じられていた。
「だが今は戦闘中だ 目の前の敵に集中しろ!」
飛び出すストライク。大剣をかざすその姿へと向けてバスター、ブリッツが同時にビームを放つ。その動きは何とも不気味なものだった。かわすとも直撃するとも言えない独特の距離でビームをかわし突進の勢いを止めようとしない。強引ともどこか危ういとも見える回避行動でストライクは一気に距離を詰めるとビームサーベルを振り下ろす。
バスターとブリッツ、2機のガンダムが跳び退いたところ、ためらいなく振り下ろされたサーベルは砂を爆発させる。砂柱がストライクの姿を覆い隠すその瞬間には、キラは砂を突き破りアスランへと飛びかかった。
獣じみた躍動につい反応が遅れてしまう。近接用の兵装を持たないバスターでは巨大なビームサーベルを防ぐことはできない。
「アスラン!」
間に立ち入ろうとするニコルへと、ストライクは素早く目標を変更した 無理のない軌道で太刀筋を横薙ぎに変え、体をひねる勢いも加えてブリッツへとビームサーベルを振るう。その迫力たるやプレシャーを覚えるほどだ。
通常のビームサーベルで受け止めるにはあまりの勢いに、ブリッツは盾としても使用できる複合兵装を構え受け止める。ビームの放つ強烈な輝きに加え、衝撃を受け止めきれなかったブリッツが後ずさる。砂にブリッツの足による轍が刻まれたほどだ。
「離れろ!」
さて、これはどちらの対して発言したものなのだろう。アスランの放ったライフルはストライクの胴体が数秒前まであった場所を素通りする 素早くブリッツを離れたことでストライクは攻撃を回避したのだ。ビームは遠く離れた砂場を無為に吹き飛ばすだけに終わった。
「無事か、ニコル?」
「はい、なんとか」
まさにその通りだろう。右腕の複合兵装の表面にはビームの痕が一筋に刻まれている。ガンダムにとってシールドなど保険程度のことなのだろう ビームの火力は高すぎる。後少し遅れていればブリッツは右腕を、最悪の場合胴裂きにされていた。
ストライクは離れた位置でこちらの様子をうかがっているようだ
(何なんだ、おまえのその戦い方は?)
執念じみているとも、どこか怨念じみているとも思える戦い方なのだ。
キンバライド基地の格納庫は照明が明滅し、響く衝撃の度にむき出しの岩盤から埃が落ちた。
そして、壁を突き破り漆黒のガンダムが床へと投げだされた。ブッリツが仰向けに倒れ込む。壁には大きな穴が開き、まだ無事であった部分に光が走ったかと思うと爆発が一斉に壁の一角を吹き飛ばす。その爆発の中から2機のガンダムが 格納庫へと乱入する。
バスターは右に残されたビームライフルを発射するも、威力と引き替えに長大な銃身を持つライフルはとり回しが悪い。左右の振りがストライクの動きに追いつかず格納庫のガントリークレーンを壁ごと吹き飛ばすにとどまった。ストライクが強引に接近しようとすると後ろに下がるほかない。
「アスラン! この程度なのか? もっと攻撃してこい! できないと言うなら、この程度でしかないなら、僕はここで君を討つ!」
キラが猛る。ブリッツが立ち上がるなり左腕から射出ユニットを発射すると、巨大な剣を力任せにぶつける。ビームの熱量を吸収したミノフスキー粒子が強い光を放ち、溶けて砕けたユニットを壁へと叩きつけることとなった。
ブリッツもバスターとも戦闘を繰り返している。同じ手で何度もやられるつもりなんてなかった。
アスランはともかくブリッツのパイロットはただのコーディネーターだろう。完全にガンダムの性能を持て余しているようにも見える。ブリッツは攻撃を仕掛けてくる気配を見せない。後ずさるばかりで、アスランのバスターと違いこちらの隙をうかがっているでもないのだ。キラはアスランとだけ気配を戦わせていた。
数の上では1対2。だが戦力の比率はその限りではない。
キラはアスランと睨みあい、ブリッツは視界の隅にとどめておくにしておいた。照明が半分死にかけている格納庫の暗さの中で、3機のガンダムがただずむ。
「ヤマト軍曹、聞こえるか?」
「シュバリエ中佐」
突然の通信からはこの基地の指揮官の声が聞こえた。バスターと対峙する姿勢を解かないまま、キラは声だけで応じた。
「キンバライドは放棄する。お前はアーク・エンジェルで脱出しろ」
「しかし、それではガンダムは誰が……?」
抑えるつもりですか。そう聞くよりも早く、月下の狂犬は動いた。
「俺がするさ」
格納庫へとバズーカが突如撃ち込まれた。
砂漠の虎は5隻もの戦艦に加え、20機を越すモビル・スーツを動員していた。このフィールドだけでモビル・スーツの数は5倍以上も差が開いている。
レセップス級1隻につき6機のモビル・スーツが搭載されているとして、こちらにはジンオーカーが3機と、GAT-X102デュエルガンダムしかない。リニアガンタンクは5台。健闘こそしてくれているものの、戦力差は明らかであった。
アイリス・インディアはGAT-X102デュエルガンダムの中で息を整えることにばかり必死になっていた。
「とにかく敵のジンオーカーを寄せ付けないことだけを考えて!」
パイロットであるジェシカ--よくよく考えてみるとファミリーネームは聞いたことがない--の指示にアイリスは狙いをつけることよりもとにかく撃つことを優先した。
砂漠に打ち捨てられたコンテナを隠れ蓑にライフルを放つ。ビームが前進を続ける褐色のジンオーカーの近くに着弾し、爆発する。これで敵の進行は目に見えて遅くなる。リニアガンダンクの砲撃は致命傷にはならなくともモビルスーツの分厚い装甲を十分に損傷させている。
モビルスーツが開発され、文字通りの格闘戦が展開できるようになったとは言っても戦いの基本は射撃で相手の動きをいかに封じることができるかにかかっているようだ。
爆発の火煙が夜陰を照らして、砂丘を塹壕代わりにした青いジンオーカー、リニアガンダンクが敵を寄せ付けまいと砲撃を繰り返す むかしの戦争もきっとこんな風な攻撃の応酬だったのだろう。
敵の攻撃が近くに着弾して、あるいはデュエルが隠れるコンテナを直撃する度、アイリスは小さな悲鳴を必死に飲み込んだ。
「落ち着け! 敵の攻撃なんてそうそう当たるもんじゃない!」
アフメドだ。この新兵とはよく訓練をともにした。若いのに真面目というか戦うことに熱心な人でノーマルスーツにヘルメット姿の印象しかない 。
アフメドのジンオーカー--こちらは青く塗装しなおされている--は砂丘から身を乗り出すなり不用心に近寄っていた敵のジンオーカーにアサルトライフルの連射を浴びせた。逃げ遅れ、ライフルの連射を綺麗に浴びた敵機は仰向けに倒れ動かなくなる。
爆発はしないようだ。そんなことまで観察していると、途端にアフメドが窮地に陥っていた。2機のジンオーカーから同時に攻撃されて砂丘に隠れても装甲に被弾を示す火花が散っている。砂丘も隠れみのに使えるだけで弾丸の貫通を防いでくれるわけではない。
砂丘がつき崩され、リニアガンタンクが踏みつけられるとともに上からアサルトライフルの弾丸を浴びせられていた。
はじめから戦力が違うのだ。このままではみんな死んでしまう。
「私が……、私が出ます!」
ガンダムなら、フェイズシフトアーマーならジンオーカーの攻撃くらい何でもない、きっと。
デュエルをコンテナの上に立たせた。こんな目立つ場所にいると、敵は即座にアサルトライフルで狙ってきた。
(大丈夫、フェイズシフトアーマーなら大丈夫だから!)
アイリスは目を閉じたくなる衝動に耐えながらロックオン・カーソルを操作する
デュエルは敵の攻撃に完全に耐えていて。装甲が光輝いて被弾を示すものの損傷を告げるアラームは聞こえてこない。ゆっくりと狙うことができるなら、当てられる。
ビーム・ライフルの引き金を引く。放たれたビームはジンオーカーの胸部に命中すると、何故か地面が爆発した。何でもない。ただ貫通したビームが先に地面で爆発しただけで、風穴のあいた敵機はゆっくりと倒れそうになって、その前に爆発した。
撃墜できた。
アイリスが自身の戦果の意味を捉えきれず呆然としている間、それは誰にとっても同じであったらしい。ほんの一瞬、砂漠の夜が静かになった。誰もが攻撃の手を止める。そのタイミングが偶然一致して静寂を作り出していたのだ。
そして、再び戦いは動き出す。
アイリスの拙い操縦は、反対に敵にデュエルガンダムの圧倒的な性能を見せつけることになったらしい。敵はデュエルを警戒して攻撃が散漫になって浮き足立っている様子だった。反対に味方は勢いづいてくれた。
「よし、敵を押し返す! 各員覚悟を決めろ、ここが正念場だ!」
このフィールドの事実上の指揮官であるジェシカは乗機を砂丘から乗り出させてアサルト・ライフルの弾丸をばらまき始める。姿を不用心にさらしたジェシカ機に敵の攻撃が集まりそうになったところで、アイリスはビームを敵のいるあたりに命中させた。敵の隊列は明らかに乱れていた。デュエルがその存在を示すだけで敵は身動きを封じられてくれる。少しずつ、少しずつでもいいから押し返していける。
ガンダムの力さえあれば。
戦況は決して最悪の経過をたどっている訳ではないが、一時も気を抜くことができない状況が続いてる。
マリュー・ラミアスは厳しい表情--この頃いつもそうだが--を浮かべたままアーク・エンジェルの艦長席についていた。Sフィールドではストライクが3隻のレセップス級を沈黙させるも2機のガンダムに基地施設内部への侵入を許した。Nフィールドはデュエルを中心として敵の本隊との戦闘は続いている。
結論は決まっている。 辛うじて戦線を維持できたところで、アンドリュー・バルトフェルドが本気を出せばこの基地などひとたまりもない。
「フレイ・アルター2等兵、アーク・エンジェルの発進準備を進めなさい」
「でも……! まだアイリスが……」
「ガンダムならば後で合流することも可能です。アーク・エンジェルを失えば元も子もありません」
「……了解」
これだから志願兵は扱いにくい。命令には従ったため叱咤するつもりはないが、軍人としての基礎がまるでなっていない。アルスター2等兵はその背中に不満を張り付けたようにぎこちなくどこか荒い動作でアーク・エンジェル発進の準備を始めた。
砂漠の虎がこのキンバライド基地を襲撃したのはガンダムがあるからに他ならない。アーク・エンジェルが脱出に成功さえすれば砂漠の虎もこれ以上この基地に余分な戦力を割こうとはしないだろう。
だが、何故この基地の所在がザフト側に露見したのだろう。これまでシュバリエ中佐はこの基地を隠し通せてきた。それがアーク・エンジェルが入港した途端にザフトの襲撃を受けるというのでは出来すぎている。
(一体今何が起きているというの……?)
考えはまとまらない。それだけの時間など残されてはいない。
ナタル・バジルール少尉が叫んだのだ。
「ラミアス大尉、Nフィールドが突破されました!」
「そんな、あそこはジェシカ中尉の部隊が……」
ダリダ・ローラハ・チャンドラⅡ世の慌てたような声にマリューは言葉を被せる。
「デュエルは!」
「わかりません。敵が新型機を投入した模様! 部隊は壊滅状態です!」
ついさきほど戦線を押し返し始めていると報告されたばかりでなかったか。一時の気のゆるみも許されない。それがものの例えでない現実であって欲しいと一体誰が頼んだというのだ。
牙を輝かせた獣が砂漠を駆ける。これは比喩でもなければ事実でもない しかし現実である。
獣の四足に踏みつけられた砂粒が月明かりを反射する。その踏み砕かれた砂の道を疾走する獣はその口から輝く牙を覗かせていた。
ヴァーリの1人、Kの花を冠するカルミア・キロによって開発された砂漠の虎の新たな牙である。
不整地を進むにはモビルスーツの構造は決して適してはいない。簡単に足をとられる砂漠のような場所では二足では体勢の維持に努めることで手一杯となってしまう。何も遮るもののない環境で18mという背の高さはそれだけよい標的だ。
よってカルミアは生み出した。人型であるというモビルスーツの定石を破り、獣の姿を与えた。その足は四足 無限軌道さえ備え、その背には回転式の砲塔が背負われている。暗い紫の体は月光をしみこませる。
TMF/A-802バクゥ。
何頭もの猟犬は砂漠へと放たれた。
足に備えられた無限軌道を使うことで伏せの姿勢のまま砂地を疾走するその低い姿勢は、スケールこそジンオーカーと同規模でありながら正面投影率を減少させ敵への接近を容易とする。
ザフト軍のジンオーカーを追い越したバクゥはリニアガンタンクへと迫る。ガンタンクは攻撃を繰り返すもこれまでのモビルスーツとは速度が違っている。駆け抜けるバクゥの後ろを追いかけるように着弾した砲弾はただ砂を吹き飛ばすでしかない。
バクゥの背中の銃身が台座から回転し、その銃口がリニアガンタンクへと向けられると、レールガンによって発射された弾丸はたやすく戦車を吹き飛ばす。
砂丘に隠れていた大洋州連合軍のジンオーカーへとバクゥが駆ける。 その四本の足がしっかりと砂を踏みしめ、横に上に跳ねるような動きを繰り返す。その姿はまさに獣であり、標準さえ満足につけられぬまま接近を許したジンオーカーへと飛びかかる姿は捕食者のそれである。
体から突き出た細長い顔。その口にあたる部分にユニットが外付けされていた。むき出しのコードが見える後付けのパーツは口から左右に筒上の構造が伸びていた。その先端に見慣れた輝きが生えている。ビームサーベルが左右に伸び、獣の輝く牙を演出していたのである。
最初に飛びかかったバクゥは喉を咬みきるようにジンオーカーの首をはねた 続くバクゥは腕に牙を突き立て、十分な長さを持つビームサーベルはわき腹さえ喰い破る。しんがりを務める3機目のバクゥはまだ倒れることさえできない敵機の肩に飛び乗ると牙を胸部へとそのまま食い込ませる。ビームの高熱は胸部エンジン、ジェネレーターを内部から喰い散らかしバクゥが跳びのくとともにジンオーカーは爆発する。
上半身を綺麗に失い、下半身が砂地に崩れ落ちるジンオーカーのそのすぐそばでは口についた血を払うように首を振る3機のバクゥの姿。
猟犬の飢えはまだ満たされてはいない。次の獲物を探し、獣は歩き始めた 四足のモビルスーツ。その異形を見せつけるように地を踏みしめ、砂をまき散らし、牙はビームに輝く。
「カルミア、僕の機体の準備はできているかい?」
「もちろんよ、アンディ」
砂漠の虎が立ち上がる。その傍らに褐色の肌を持つヴァーリを侍らせて。戦場から離れたレセップス級のブリッジで見られたこの光景はクルーたちに張りつめた空気を与えた。
「ダコスタ君にばかり獲物をとられてしまうのも何だ。僕も戦わせてもらうとしようか」