レセップス級。この砂漠の虎を象徴するとしても過言ではないザフト軍地上戦艦は月が青く照らす砂漠を疾走する。それは長方形の箱に手足を取り付けたような姿はこの砂漠に鎮座するスフィンクス--首はないが--を思わせる。艦体が砂に這いつくばるように移動していた。砂のようなきめ細かい粒子に振動を加えると表面が流動化し、まるで水のような挙動を起こす。レセップス級は振動を加えることで砂漠を滑るように移動することができるのである。
砂の海を行く。レセップス級に限って言えば、この表現は事実以外の何者でもない。
ナチュラルが悪環境に悪戦苦闘していることを後目に、砂漠において高い機動力を発揮するレセップス級は前線を支え続けてた。
レセップス級アンデレのブリッジでは艦長であるゼルマンが豊かな口髭を避けるよう器用にコーヒーを飲んでいた。このコーヒーは指揮官であるアンドリュー・バルトフェルドから押しつけられたもので、オリジナル・ブレンドなのだそうだ。
まずくはないが癖が強い。濃厚というよりもくどいという表現が似合いそうだ。さて、このことを的確に伝え、かつ指揮官殿のご機嫌を損ねないためにはどのような言葉を選べばいいか。
そう思案しながらカップをテーブルに置いた。
宇宙戦艦ほどの大型のエンジンを搭載する必要のないレセップス級ではブリッジが広くとられている。艦長席の脇に机を置く余裕がある。ここから一段低い場所にある広間では壁にクルーが張り付いているが、中央部は開けている。男女が1組ならダンスに興じることも可能なほど余裕がある。そして、ゼルマンの正面。ブリッジの先には分厚い硬質ガラスの向こう側に夜の砂漠が広がっている。
この一帯はナチュラルの抵抗根強い地域である。月下の狂犬と呼ばれるエースが幾度となく友軍に甚大な被害をもたらしてきた。特に、夜は彼の時間である。通り名になっている月下とは夜間戦闘に秀でていることから名付けられた。
夜も更けたというのにゼルマンがブリッジを離れることができない理由はそこにある。脇の机にはコーヒー。眼前には夜の砂漠。難題を2つも抱えてしまった。さて、どうしたものか。
息を潜める。こんな経験は人生で初めてのことに思える。でも、初めてだと断言はできない。記憶の引き出しがどこかに引っかかって引き出すことができない。そんなようにもどかしい。
自分の手さえ満足に見えない暗闇の中で、不安に押しつぶされてしまわないためにも、アイルス・インディアは自身を奮い立たせる必要があった。
「考えてわからないなら、考えません! よし!」
問題の先延ばしに他ならなくとも、ライオンに追いかけ回されている時に夕食の献立を考えても仕方がない。大きく息を吸って、そして吐く。それを待っていたかのように、目の前のランプが小さく点灯した。通信を受信したことを告げるもので、すぐに野太い声が響く。
「嬢ちゃん、時間だ。いけるか?」
アイリスを嬢ちゃんと呼ぶのはモーガン・シュバリエ中佐だけである。中佐が告げてきたのは作戦決行の合図だった。
「はい!」
返事をしながら手探りで探り当てたキーを回す。ジェネレーターに火が点り、バッテリーから供給された電力がモニターを照らす。モニターは真っ暗で映し出されるものはない。ただその光はノーマル・スーツを着たアイリスの体を浮かび上がらせるには十分だった。
ここはGAT-X102デュエルガンダムのコクピット。
シートの両脇には操縦桿が備えられていた。右側の操縦桿をゆっくり前に倒すと、体が浮き上がる感覚とレバーに抵抗を覚えた。浮遊感は長く続いている。抵抗は急に軽くなった。同時に、モニターから光が差し込んだ。か細い月明かりと大量の砂が視界を埋め尽くす。
砂の大地と目線が平行になったところで、浮かぶ感覚は消失した。横ではTNF/S-3ジンオーカーが3機、肩から砂を流しながら立ち上がっていた。そして、デュエルのすぐ脇の砂が割れると、GAT-X105ストライクガンダムが立ち上がった。背には大剣を携えその白い体は月に照らされ淡い光を放つ。
砂が完全に払い落とされる前に、ストライクはデュエルの肩を掴んだ。通信のためだ。
「アイリス、この戦いはデュエルでの初陣になる。無理はしないで、戦場の空気を掴むことに集中するんだ」
キラ・ヤマトの声だった。
この機体同士を接触させ、装甲の振動を介した通信は接触通信と呼ばれ、モビル・スーツならではの方法なのだそうだ。別名としてお肌の触れ合い通信なんて冗談みたいな名前のついているこの方法の利点は、第三者に傍受されてしまうことがまずないことらしい。
作戦の開始を告げたモーガン中佐からの通信はいつの間にか途絶えていた。この事実は戦いが近いことを物語る。
今一度、感触を確かめるように操縦桿を握りしめた。普段と同じはずなのにどこか手に馴染まないような嫌な感覚がある。こんな緊張を解消している余裕はなかった。
レーダーに反応があった。大型のもので、目標であるレセップス級に間違いないだろう。ただ、同時にレーダーを過信するなとも言い聞かされている。この戦争では原因不明の通信障害や電波妨害が相次いでいるのだそうだ。
アーク・エンジェルでも宇宙要塞アルテミスにおいてストライクと連絡がとれなくなった。この現象のせいかはわからないが、レセップス級は思いの外早くモニターに映し出された。
足の生えた箱のような戦艦である。色が薄いベージュなのは砂漠の迷彩のためだろうか。箱の前には丸いハッチが備えられ、大きさはモビル・スーツが通り抜けられるほど。ハッチが展開すると、中から褐色のジンオーカーが次々飛び出した。
発見された。モーガン中佐からの通信が再びつながる。
「嬢ちゃんとアフメドは後方支援。坊主、ジェシカは俺についてこい!」
単純明瞭な指示に対して、少年2人と女性の声で了解という返事が通信に入り込んだ。すっかりタイミングを逃してしまった。
「りょ、了解です!」
こんな遅れた返事をする頃には、モーガン中佐のジンオーカーを先頭に、3機のモビル・スーツが飛び出していた。
敵はレセップス級1隻にジンオーカーが6機。整備の手間や積載量を考えると通常の戦艦が搭載できるのは2個小隊まで。つまり6機までとされている。出し惜しみ、戦力を損耗させることが最大の愚とされる。敵の指令官は決して愚かではないらしい。
6機のジンオーカーを前にわかったことは2つ。敵の力量と、そして、練習台が6もあるということ。
キラはペダルを思い切り踏み込んだ。スラスターが青白い光を放ち、ストライクは前を行っていたモーガン機を追い抜く。無茶をするな。そんな通信が聞こえてくるが無視する。今はただ前にだけ集中する必要があった。
目標と設定したジンオーカーがアサルト・ライフルを構えた。発射される寸前に射線からストライクを逃がす。その動きは最低限のものになるよう注意した。
ムウ・ラ・フラガ大尉が見せた技を、自分に使えないはずがない。
アサルト・ライフルの弾丸を装甲をかすらせるほどの距離でかわした。ここまではできる。しかし、連射される弾はすぐに逃げた先に追いついてくる。
ストライクに砂を蹴らせ、大きく横へと跳びのく。たしかに横へ払われたライフルをかわすためにはこれくらいの距離が必要だった。そのために軌道が大きく曲がり、とても最短距離で接近していると言いがたい動きをしたのでは意味がない。
また失敗だった。
「何故だ……? 何故なんだ!?」
どうしてできない。論理上可能であり、実践さえされている。できないはずはない。だが、どうしてもできない。
もはや構わず、ストライクをジンオーカーへと直進させた。アサルト・ライフルから放たれた弾は全弾命中するようになるが、フェイズシフト・アーマーをいたずらに輝かせるでしかない。
ストライクが目前に迫って、ようやくかなわぬ相手だと理解したように、ジンオーカーは逃げだそうとした。
右の肩越しに対艦刀を抜き放つ。その動作の流れで、ジンオーカーの背中へとビーム・サーベルを叩きつけた。光の剣はジンをあっさりと斬り裂くと、ビームの膨大な熱量が火の塊となって炸裂した。
まずは1機、練習台を潰してしまった。加えて、残り5機との距離が近い。これでは技を使うほどの距離はない。
一度距離をあけるべきか。そう思案していると、敵から攻撃があった。3機のジンオーカーがバズーカを装備していた。部隊の半数が取り回しの悪い兵器を携帯していることは珍しい。砂漠で初めて戦った部隊も皆アサルト・ライフルを装備していた。フェイズシフト・アーマーとの戦いに備えて装備を選択したのだろう。
ジンオーカーたちがバズーカをしっかりと構える様を、キラは冷めた眼差しで眺めていた。ゼフィランサス・ズールが生み出した盾がこの程度の攻撃で破られるはずがない。
3発の弾丸が一斉に放たれる。確かにバズーカの質量はフェイズシフト・アーマーにとって厄介なことに違いない。そのために左の操縦桿を動かした。脅威とは言え、鈍角で浴びなければ問題ない。ストライクは左腕を突き出した。装甲に弾丸をかすらせるように当てさせると、バズーカの弾は光だけを残して大きく軌道を曲げた。
虎の子の一撃を無効化され、ジンオーカーは明らかな動揺を見せた。ガンダムと戦えるのはガンダムだけだということが、ザフトにはまだわからないのだろうか。
「もっと動け! 弾をばらまけ! 死にたいのか!?」
ともに訓練を積んだアフメドの指示通り、アイリスはデュエルを絶えず移動させていた。そうしないと、レセップス級の砲撃にさらされてしまうからだ。
レセップス級はアイリスたちに狙いを集中していた。砲塔がこちらを向いたかと思うと、発射口から火花が散った。すると付近の砂が火煙をあげて爆発した。テレビのように発射された弾は見えてくれない。かわすというより、敵に当てさせないよう不規則に動き回ることが精一杯だった。
時折、砲撃の合間に援護射撃をしてみたこともある。いつ攻撃されるかおっかなびっくりで、体が強ばっていたのだろう。つい進行を司る右レバーから力が抜けて、立ち止まってしまった。ビームを発射こそしたものの、敵のモビル・スーツもアイリスたち同様動き回っていた。当たらないばかりか、艦砲がすぐ足下に着弾して肝を冷やした。
「これが戦争……」
仮想訓練とは違う。人を相手にするということの恐ろしさがフェイズシフト・アーマーにさえ浸透して、ひしひしと伝わってくる。ただ不思議と、それは胸をかきむしりたくなるような恐怖とは違う。1つの事実として受け入れそれに順応していくように馴染んでくる。久しぶりに走ったら、頭で考えていることと体にできることにギャップがあった。その誤差を埋めあわせている間、戸惑ってしまうような感覚。それを恐怖だと取り違えていたように。
当たらないと諦めていた攻撃さえ、しっかりと狙えば当てられてしまうのではないか。そんな感覚さえ、アイリスは覚えた。
重く冷たい風を切り裂いて、2機のFX-550スカイグラスパーが飛行する。前を行く1号機は白い機体のところどころが赤や青に染められている。配備された色そのままで、ムウ・ラ・フラガ大尉が搭乗している。アーノルド・ノイマンが乗るのは2号機である。カラーリングは青みがかった灰色に塗装しなおしてもらっている。目立つ機体で生き延びる自信などなかったからだ。
アーク・エンジェルのブリッジが安全であったとはいわない。しかし風防1枚で戦場と接する緊張感があるはずもない。ユニウス・セブンでメビウス・ゼロを借り受けた時とは異なる感覚だ。
戦場が近くなるにつれ、心臓が気色の悪いリズムを刻むようになる。手で抑えてもどうとなることでもなかった。こうなった時、操舵手であった頃からの癖として計器を眺めることにしている。着慣れないノーマル・スーツ越しとて、計器の見せる数値は変わることはない。正常な値を見る度に、自分は正しい操縦をしていると気分が和らぐ。
やがて、砂漠に立ち上る黒煙が見えてきた。すでに戦闘が始まっている。操縦桿を握りしめる手に力がこもる。
「フラガ大尉、目標を確認しました」
前方のエースが気づいていないはずはない。それでも声に出してしまったのは、それだけ気持ちが高ぶっている証拠である。いつものことではあるが、大尉からの返事は拍子抜けするくらい調子が軽い。
「お前がどんな戦闘機乗りになるかは知らないが、1つお手本を見せてやる。攻撃はしなくていい。とにかくついてこい」
了解と返事をする前に、1号機は降下を開始した。急いで操縦桿を倒し、あとを追う。
獲物を狙う鷹のようと評されるムウ・ラ・フラガ大尉の戦法は、まさに野ネズミをしとめる猛禽のようであった。スカイグラスパー1号機は一直線にレセップス級を目指していた。アーノルドのように敵の死角を選ぶような真似はしていない。鷹はネズミの牙を恐れない。
ムウ大尉は見事な動きで対空砲火をかわすと急速に距離を詰めていく。敵の注意が大尉に向いているとは言え、そのすぐ後ろを飛行していて狙われないはずはない。緊張に強ばり、震える手を必死に抑えながら機体を左右に振り続ける。
攻撃はしなくてもいい。この言葉には、どうやらどうせできもしないだろうからと続くらしい。ついて行くだけで精一杯だった。
こんな状況でさえ、鷹は体を逆さまにする曲芸飛行を披露した。無論、余裕の現れである。しかし、遊びでは決してない。口径の大きな主砲は、機体上部に取り付けられ、砲塔によって上空を完全にカバーする。上下逆さまになった場合、主砲は眼下のレセップス級を射程に捉える。
レセップス級に肉薄した鷹は鋭い弾丸を正確に敵艦主砲へと食い込ませた。箱のような構造の中腹で爆発と黒煙が立ちのぼる。立ち上がった直後の煙を切り裂いて、2機のスカイグラスパーは一気にレセップル級を通り抜けた。
死中をくぐり抜けたことによる、ある種の高揚感がある。攻撃さえしていないとは言え、いつのまにか手から震えは抜けていた。実戦は演習10回分の価値があると聞いたことがあるが、本当のことらしい。得難い経験をさせていただいたことをムウ大尉に感謝しなくてはならない。
同種の機体を扱っているというのに、大尉の飛び方は優雅でさえある。その憧憬が、口を開かせた。
「あなたが敵でなくてよかった」
戦いは優位に進んでいる。その事実は決してモーガンを安心させはしない。レセップス級は上空からの支援攻撃で主砲を失っていた。しかし、その走破力は健在である。
坊主が早速敵機を1機撃墜したが、2機目以降は苦戦しているようだ。無理に接近しようとしてバズーカの直撃を食らう。勢いを殺がれるかたちで身動きを封じられていた。
時間をかけると敵援軍に合流される恐れが高まる。そうでないにしろ、撤退時期を見誤まれば相手にみすみす基地の場所を特定するための材料を与えかねない。
どうやらここいらで、狂犬と呼ばれる所以をお披露目しなくてはならないらしい。隣でアサルト・ライフルを連射しながら敵を牽制しているジェシカに通信をつなぐ。
「ジェシカ、あれをやる。援護しろ」
声にならない声が通信から聞こえてきた。
「む、無茶です、中佐! まだ敵は5機も残っています! それに、艦砲もその多くが……」
わかりきったことを最後まで聞くつもりはない。スラスター出力を最大にし、ジンオーカーを加速させる。ジンオーカーにガンダムのような滑空を行う性能はない。前に飛び出して、落ちそうになったら足でふんばり、また飛び出す。
足が砂を蹴る度、尋常ではない振動が頭を揺らす。できることなら目を瞑り、頭を押さえつけたいほどの苦痛である。
1人突出したモーガン機は敵のいい標的だった。ジンたちからはバズーカやらライフルやらの弾が一斉にばらまかれる。レセップス級さえこちらを狙っていた。こんなことは百も承知であった。
回避するために必要なことは冷静な判断力ではない。5機のモビル・スーツに狙われ、戦艦の火砲にさらされる。この状況をまともな頭で判断すれば、待つのは100%の死である。冷静では駄目なのだ。まともではならないのだ。
モーガンはかまわず機体を加速させ続けた。ライフルが装甲を削る。致命傷でなければ無視すればいい。バズーカをすれすれの位置でかわす。こうしなければレセップス級への接近が遅れてしまう。かすった艦砲が肩を覆う装甲を消しとばす。それでも、加速の手を緩めない。
いつかは止まるだろう。いつかは攻撃が当たるはず。そう考えているであろうザフトの期待を裏切り続けるように、モーガン・シュバリエは機体をまっすぐにレセップス級へと押し進めた。
「敵モビル・スーツが1機、こちらへ接近中!」
ブリッジ・クルーからの悲鳴にも似た報告をゼルマンは受け止めていた。アンドリュー指揮官からいただいたコーヒーはとうに床のシミと化していた。
「モビル・スーツを引き戻せ。警護に当たらせろ!」
不可能。そんな返事を聞かされ、強く歯をかみしめる羽目になった。誰も想定などしていない。単機で敵陣に突入し、母艦を直接狙う戦法などあり得ない。成功するはずがないのだ。集中砲火にさらされ撃墜されるに決まっている。途中で怖じ気づいて引き返さない理由もあるまい。
こうしている間にも、青いジンオーカーは接近を続けている。
「バカな……。そ、そんははずがあるか!」
思わず机を叩いた。まるでその気迫が伝わったかのように、バルカン砲がジンオーカーの左手をもぎ取った。ジンオーカーは大きくバランスを崩しながらも、まだ突進をやめようとしない。
「これ以上近づけるな! バルトフェルド殿からお預かりしたこの艦、みすみす失うわけにはいかん!」
正規の褐色をしたジンオーカーが敵機の前に立ちふさがるようにバズーカを構えた。レセップス防衛に間に合うことができたのは、この1機だけである。だが、敵はまだ体勢を整え切れていない。1手差でこちらの勝ちは決まった。
自軍のジンオーカーがバズーカを発射する。口径が大きいだけに弾速は遅く、弾はかろうじて目に捉えられる。バズーカが敵を破壊する様を想像しながら待っていた。それがいつまでも訪れないことなど、夢にも思わぬまま。
一筋の光がすべてを追い越し、すべてを飲み込み、すべてを破壊した。ビームが追い抜いたのは青いジンオーカーと、そしてブリッジにいる者すべての意識。何が起きたのかわからぬ内に、ビームはバズーカの弾を貫通し、砲弾の主の胸に風穴を開ける。
接近中のジンオーカーの遙か後方には、ライフルを両手で構えた顔を持つモビル・スーツ、ガンダムが灰色の体を冷たく輝かせた。
このことを確認している時間があるのなら、ジンオーカーの接近を防ぐべく尽力すべきであったことだろう。ただし、それも主砲が残されていればの話であった。青のジンオーカーが甲板めがけて飛び上がる。レセップス級の艦砲では捉えることのできない位置である。
もはや、打つ手は残されていなかった。
甲板後方に突き出た形のブリッジの手前にジンオーカーは着陸した。70tの衝撃力に甲板が歪み、ブリッジの風防に亀裂が走る。多くの者が床へと投げ出されていた。机をつかみこらえるが、これではまともな指揮などできる状態ではない。床に叩きつけられなかったというだけで、何も変わることはなかった。
結局見せられたのは、月明かりの下、ブリッジへとライフルを構えるジンオーカーの姿に他ならない。
月下の狂犬。
この通り名は、夜間戦闘を得意とし、常軌を逸した戦法を好むことから名付けられたのだということを、今になって思い知らされるはめとなった。
人には休息が必要だ。こんな砂漠の基地にさえ、休憩室というものは存在する。ただし、狭い。背もたれもないベンチを1つ置いてあるだけの小部屋だった。
キラはこの部屋に満足していた。基地の高い位置にあるここは壁一面が窓になっており、景色がとてもよい。特に夜間は照明の使用が禁止されているため、自分の姿さえよく見えない代わりに、星空が満天に広がっていた。
ベンチに座りながら、ふと思い出したことがある。ヘリオポリスにいた時、ガンダムの開発状況を調べるために自然公園に行く際、友人には星を見ると嘘をついていた。本当は星を見ることに興味なんてない。それでもとっさの言い訳に天体観測を利用したのは、ゼフィランサスが星が好きだったからだ。
今頃、彼女は何をしているのだろう。同じ星空を見上げていてくれているのだろうか。
「ゼフィランサス……、いつかは君と……」
並んで、星を眺めたい。少々、感傷に浸りすぎただろうか。部屋の入り口に人の気配がある。休憩室にドアはない。直接廊下に繋がっている。完全に気を取られていたらしい。思わず勢いよく振り向いてしまった。こんなことも、ヘリオポリスでトール・ケーニヒに突然声をかけられた時に経験したことだ。
「アイリスさん……」
「少しお話してもいいですか?」
断る理由はない。座る位置を少しずらしてベンチにあきを作る。キラに促されるように座るアイリスの様子は、ひどく消耗しているように見えた。
「教えてください……。私って、一体何なんですか……?」
話すまいと決めていた。もし知らずにすむのなら、その方は幸せだと信じていたから。アイリスは捕虜に目つぶしをかけようとしたとも聞いている。よくない傾向だ。無理に自分の奮い立たせようとしているということは、それだけ気分が沈むことが多いということだから。
「1度聞けば、もう後戻りできない。それでもいい、アイリス・インディア?」
「……はい」
まずは何から話そうか。特に意味もなく外を、見上げて月を眺めた。
「まず、僕の話を聞いてほしい。質問はその後。それでいいかな?」
短く小さく、隣の少女から肯定の返事があった。
「昔、あるところに1人の男がいた。その男はどんな花よりも気高く、どんな宝石よりも無垢で、一点の穢れも無い、至高の美しさを持った究極の娘を望んだ」
教育熱心な男性であったわけではない。今の時代は、そんな非効率的なことをする必要はない。生まれてくる子どもに才能が一片もないかもしれない。アヒルをいくら躾けても白鳥にはなれない。
「でも、男は自然発生のような偶然に頼るつもりもなければ、遺伝子操作のような未熟な技術に任せるつもりもなかった」
現在の遺伝子調整技術では設定通りに能力が発現することはまれである。多くの場合、目減りした、親の期待未満の子どもが生まれてくることになる。まだ解析しきれていない遺伝子が作用しているからだとする話もあれば、母胎から供給される遺伝情報が原因ではないかとも言われるが、原因は判然としていない
「そこで男は娘となるはずの受精胚をクローニングによって26個にしたんだ。それからそれぞれに別々の調整を施して、その中から至高の娘が生まれてくる確率に賭けた」
これだけすれば、中には十分な素質と能力を持って生まれてくる娘もいることだろう。もちろん、出来損ないの娘が誕生することも知っていた。
「そうして生まれてきたのが、君たちヴァーリと呼ばれる姉妹たち」
アイリスはキラとの約束を守って、口を固く閉ざしていた。
「たとえば、君が名前だと思っているものだって名前なんかじゃない。アイリス・インディア。インディアを君がどう表記してきたかなんて知らないけど、インディアは単にIと表記する」
指で中をなぞってみる。Iと印すことは何の苦もなくできた。
「フォネティック・コードと言ってね、航空、海運、軍事なんかでアルファベットの聞き間違えを防止するための言い換えがあるんだ。それだと、Aならアルファ、Bならブラボー、Iならインディア、Zはズールと言ったように変えられる」
アイリスが大きく息を吸う。そんなかすかな音が耳に届いた。こんな静かな場所なら大丈夫。ただ、人混みなんかだと、BとDは聞き分けづらい。そんな場合の誤認防止のための言い換えで、Iはインディアと発音される
「アイリス・インディアはI、R、I、Sに、名字のI。イニシャルI・Iになる。ゼフィランサスはZ・Z。これは君がタイプIで、ゼフィランサスがタイプZであるということ」
ひどく長いもののように感じた。次の言葉をつなげることを躊躇した。
「……名前なんかじゃないんだ」
アイリスという名前とて、ゼフィランサスという名も、元々は花の名前でしかない。
「型式番号に文字通り花を添えただけ」
当初彼女たちはインディアだとか、ズールだとか、単にアルファベットで呼ばれていた。
26文字のアルファベットと、26人の娘たち。
「そうして26人の娘を得た男はその中から1人を選び出して至高の娘とした。そして、その娘だけを娘と認めて、手元においたんだ」
その娘はアイリスと同じ桃色の髪をして、青い瞳をしている。
「残り25人の末路は様々。ゼフィランサスのように力だけを利用され続ける人もいれば、君みたいに市井に打ち捨てられた人もいる それがヴァーリ。花と名付けられた少女たちのお話」
重厚な机が置かれ、床には一面に赤い絨毯が敷き詰められている。絢爛豪華な執務室には獅子の置物が埃を被っていた。そして壁に貼り付けられた大型のモニターには、ヘリオポリス崩壊とその責任者として豊かな髭を蓄えた男がやり玉に挙げられている。
かつてオーブの獅子とまで呼ばれた為政者ウズミ・ナラ・アスハである。もっとも、現在は張り子の虎と言って差し支えない。中立地帯における兵器の開発の責任をとる形で代表の座を退き、すでに主導権は失われている。
かつての為政者を糾弾するテレビのキャスターを眺める男こそ、ウズミその人なのである。机に腰掛け、疲れきったように椅子にもたれ掛かる。
モニターの電源が落とされる。すると、その脇で存在感を主張するように大きく声を張り上げた少女が立っていた。
「父上。私はこのような不当な扱いを認めるつもりはありません!」
娘であるカガリ・ユラ・アスハである。今にもモニターを叩き割りそうな剣幕で何とも勇ましい。男ものの軍服を身に纏うその姿は憂国の士としての資質を備えているように思われる。それに比べ、老いた獅子は何と情けないことか。
「カガリ、私はすでに名実ともにこの国の指導者ではないのだ」
執務室の椅子を何度無念のため息で軋ませてきただろうか。すでにオーブの実権は手元から離れ、代表の座はとうに明け渡した。それも無理はない。半官軍需企業であるモルゲンレーテ社が大西洋連邦に協力しておきながら、そのことに気づくことさえできなかったのだ。
中立国オーブ。そんな言葉はヘリオポリス以前からすでに形骸化している。
裏ではプラントと手を結び大西洋連邦から得られた技術を不正に横流ししているのだ。この国は内側から乗っ取られてしまった。親プラント派の陣頭指揮を執った者は、カガリ同様、ウズミの娘である。
ドアがノックされる 形式的な挨拶として入室してきた娘こそがその人である。カガリは新参者の姿を見つけるなり、敵意を露わにした。
「エピメディウム!」
エピメディウム・エコー。それがこの少女の名前である。赤と青のオッド・アイ。短いズボンに長袖の上着を羽織る服装は、多数いる彼女の姉妹の内、デンドロビウム・デルタに合わせたものであるそうだ。髪型にしても、三つ編みを右肩に垂らして、左右対称を演出している。ヴァーリ特有の顔を、おどけた様子でカガリをなだめようとしている
姉のデンドロビウムはカガリと一悶着あったようなのだが、ヴァーリというものは姿こそ似ているが、性質は驚くほど異なっている
「そう睨まないで。僕は確かにヴァーリだけど、デンドロビウム姉さんじゃない。僕なりにオーブのことは考えているつもりだ」
降参にも似た構えに、カガリの方も毒気を抜かれたように黙り込む。ただし、その視線はエピメディウムを、正確にはその服装を睨んでいた。言っていることと服装の矛盾--デンドロビウムとは左右対称となるようにコーディネートされている--に、エピメディウムは照れたように笑った。
「まあ、服装は意識してるけどね」
カガリはそれ以上追求しない。エピメディウムはウズミの机にまで歩み寄ると、堅苦しくはない程度に頭を下げた。
「すでに大西洋連邦は、いえブルーコスモスはオーブを仮想敵の1つに加えていると考えて差し支えありません。戦争はすでに時間の問題と言っていいでしょう」
今のウズミにできることと言えば、無力感に歯を食いしばって耐えるだけだ。娘であるカガリ--今は両手を組んで壁にもたれている--の強気な態度は素直に羨ましいものだ。
ブルーコスモス、単なる環境保護団体が明確な政治的発言力を行使し始めたのはわずか数年前。しかしそれがこの戦争開戦時期と不気味に符号する。
「ご存じの通り、ブルー・コスモスの現在の代表はアズラエル財団の代表であるとされています。いくつかの違和感こそありますが、それは事実でしょう。問題は、ムルタ・アズラエルの目的です」
「コーディネーターの滅亡だろ?」
ぶっきらぼうとも思えるカガリの言葉に、エピメディウムは笑って答えた。
「まあね。でも、手段まで含めて考えるならそれはプラントの滅亡と言い換えてもいい。コーディネーターを滅ぼすなんて簡単だ。誰も子どもに遺伝子調整を施そうとなんてしなければわずか1代でコーディネーターは根絶してしまうんだからね」
「だがそうはならない。それはプラントというコーディネーターの誕生に熱心な大勢力があるから」
「そう。だからコーディネーターの根絶を狙うならプラントを滅亡させるべきというのはきわめて合理的な発想だよ。ジョージ・グレンはそんなことを恐れて国を手に入れたんだからね。そう考えた場合、オーブは目の上の瘤なんだ」
技術立国として知られ、その技術力は大西洋連邦とて無視できない。同時に、地球上の国家で中立を決めている国々の代表的な位置にあるとすることもできる。何より、仮にオーブとプラントの裏の繋がりが知れているとすれば是が非でも攻め落としたい国家であろう。
「わかっている。だから私はムルタ・アズラエルを追っている」
「正直無駄だと思うよ」
「それもお前たちプラントのシンパがいるせいだろ!」
「カガリ」
エピメディウムに飛びかかるのではないか、そのような危うさを見せたカガリをウズミは声で制した。聞き分けのいい娘2人はおとなしく言うことを聞いてくれる。父としてたった2人の娘に喧嘩などしてもらいたくはない。指導者の1人としては大西洋連邦がその影響力を拡大している中でその傘下にない国家同士が繋がりを持つことは理にかなっている、そう言い訳を脳裏で反芻する。
「カガリ、ムルタ・アズラエルは狡猾なんだ。まったく尻尾を掴ませないどころか、時折ブラフさえ交えてくる。アルテミスだという情報があったかと思いきや、アフリカにいるなんて情報が流れてくるくらいなんだ。これは僕の予想なんだけど、きっと三つ子だよ」
冗談に笑い出す者はいない エピメディウムは頬をかいて自身の失策を笑う。
「それにもう一つ。オーブはすでに彼の術中にはまっているのかもしれない。ヘリオポリスのザフト襲撃なんだけどね、あれは大西洋連邦側からリークされた形跡があるんだ」
「そんなことをしてどんなメリットがある」
「消極的な理由として、オーブが盗んだガンダムのデータが無意味になったことかな。苦労したのにさ」
「結果は同じだろ」
「ところがそうもいかない。こうとも考えられないかな。大西洋連邦は中立地帯で兵器を開発していたことは認めていても、それがザフトに奪われたことは認めていないんだ」
初めてウズミは娘たちの舌戦に加わることにした
「戦意発揚のためではないのか」
「きっとそうだと思います。でも、もしもここでザフト軍がガンダムの技術を再現したらどうなると思いますか? それは盗まれたものではなくてオーブがザフトに流したものだと非難する、開戦のきっかけにされかねない」
床をこする音にエピメディウムが振り向く カガリが不機嫌そうにふてくされている様子に、エピメディウムはそれこそ子どもに諭すように立てた指をカガリに見せる。
「中立地帯における兵器開発の国際的非難においてオーブと大西洋連邦は一蓮托生なんだよ。新型のデータをいただくために信頼を勝ち得る必要があったけど、それが無意味だったことは、もう話したよね」
カガリとしても理解しているのだろう。ことここに及んで原因や責任の追求をしても何も意味がないと。仮にエピメディウムの言葉が正しいとするのなら、ムルタアズラエルは停滞した戦況を打開するだけの新型を敵に明け渡してまでオーブ侵攻の橋頭堡を築いたこととなる。
オーブは小国だ。大西洋連邦の侵攻を受ければひとたまりもない。
壁を強く叩く音がした。それがカガリがこの部屋を出ていく合図であった。
「アフリカに飛びます。あの男さえしとめればオーブは守られる」
姿もわからない。名前もわからない。そんな相手を倒すことができるものだろうか。すでにカガリは3度誤った情報に踊らされ取り逃がすどころか所在を確認することさえできなかった。それでもまったく諦める気配を見せないことは、カガリの意志の強さの証だと捉えるのは親馬鹿というものだろうか。
カガリは勢いよくドアを閉め、出ていく。
残されたのはウズミとエピメディウム。父と娘なのだ。気兼ねなどあってはならない。だが、話が途切れた沈黙はなかなか解消されてはくれない。ウズミの目を見ることなく、エピメディウムが口を開いた。
「お父様とお呼びすることを許していただけますか?」
答えは決まりきっていた。それでも答えに窮してしまったのはエピメディウムのもう1人のお父上の存在ゆえのことだ。
「……もちろんだ。ただ、それでも私は君のお父上にはなれないのだね?」
娘は始終目を合わせようとしない。
「……はい」
その声は思いの外はっきりとウズミの耳に届いた。
「寂しいものだな……」
ヴァーリと呼ばれる存在を、娘に持つということは。
遮るものが何もない砂漠の日光はデンドロビウムの白い肌には厳しい。ゆったりとした布地を頭からかぶり、日傘をさしてもらっていた。砂の大地を踏みしめる度、日傘は当然と言えば当然だが、まるで影のようにぴったりとデンドロビウムの後をついている。こんな砂漠のど真ん中だというのにスーツにシルクハット。よほどの堅物か、でなければよほどのかぶき者。そんな男がデンドロビウムの日傘を手にしている。
コートニー・ヒエロニムス。デンドロビウムに付き従う秘書か執事のようなこの男は、でしゃばることなくそっとデンドロビウムに耳打ちした。
「エピメディウム様から入電です。カガリ様がオーブを発ったと」
「あいつ、また戦場をかき乱すつもりか? 放っておくしかないな。それで、お父様は何て言ってる?」
カガリに説得など通用しようものならGAT-X303イージスガンダムをヘリオポリスで強奪などしなかったことだろう。よほどの邪魔をするのでもなければ手をつけないに限る。実際、デンドロビウムは説得に失敗しているのだ。
歩きにくい砂さえもどこかカガリのせいかのように思えてきた。
「アーク・エンジェルですが、もうよいとのことです。わかりやすく言うなら撃沈してしまって構わないと仰っています」
「となると後はゲリラどもに発破をかけるだけだな」
目の前にはすでにテントが見えている。別に軍事拠点に立ち入るわけではない。周囲にはハーフトラックにほかのテントがいくつか。アサルト・ライフルを担いだゲリラ兵が退屈そうにタバコをふかしている。俗にいう顔パスでデンドロビウムはコートニーを伴って一番大きなテントに入る。ノックしようにもドアはない。約束の時間ちょうどだ。相手も待っていることだろう。
直射日光を遮っただけでも砂漠はずいぶん過ごしやすくなるが気温の高さは如何ともしがたい。空調設備のないテントに入ったことでデンドロビウムはフードを脱いだ。日光に慣れた目にはテントの中は薄暗い。目を細めて部屋の中央を睨むとそこにはがたいのよい中年が座っていた。うっとおしいから切れと何度言っても聞き入れない髭面を、細めたままの目で睨んでやった。
「サイーブ・アシュマン。この頃作戦行動を起こしていないな。どういうことだ?」
男は渋い顔をしたまま、よく見えない口元を、それでもかすかに動かした。
「天使を見たんでな」
「天使……?」
あまりに似つかわしくない言葉に、口が大きく開いて塞がらない。サイーブは天使様とやらの様子をとうとうと語りだした。
砂漠で月下の狂犬を追いつめていた時のことだそうだ。それはTMF/S-3ジンオーカーを高きに持ち上げると、ロケット・ランチャーの一斉攻撃をまともに浴びた。モビル・スーツでさえ撃ち抜く火力にさらされながら、それは輝いていた。背中に備えられた2丁のライフルが、さも折り畳まれた翼のように光に包まれていたそうだ。一言で言うなら、敵モビル・スーツの性能が怖くて恐ろしくて仕方がないということのようだ。
「明けの砂漠の名が泣くぞ」
この地方では有力なアフリカ共同体系のゲリラは、見かけによらず思慮深い性格だがその分勢いが足りないといつも思わされる。カガリにしろサイーブにしろ、デンドロビウムの周りには聞き分けのない奴らばかりだ。特に、デンドロビウムの後ろに突っ立っている男はその傾向が顕著である。折り目正しく主の一歩後ろから、そっと耳打ちしてくるのだ、いつも。
「デンドロビウム様、今更ですがお言葉遣いが」
今更は余計だろう。コートニーという男は堅苦しい分際でことあるごとにデンドロビウムをからかう隙をうかがっている極悪人である。決して相手のペースに乗るまいと敢え無視する。すると、コートニーも意外にもあっさりと関心をサイーブに移した。先ほどまでの忠心はどこに行ったのか。デンドロビウムの前に気軽に出て行くと上着のポケットから折り畳まれた紙を取り出すなりサイーブに手渡した。
「サイーブ様が目撃されたのは、おそらくGAT-X103バスターガンダムと思われます」
紙にはガンダムについての簡単なデータが書かれているのだろう。サイーブは読み進める度に表情を険しくしていく。
「とんでもない化け物だな。弱みは何だ?」
すでに話からデンドロビウムは外されていた。返事はコートニー1人で十分なようだ。
「フレームにフェイズシフト・アーマーは採用されておりません。また、モビル・スーツはモビル・スーツに過ぎません」
ずいぶん抽象的なアドバイスのように聞こえたが、サイーブにはそれで十分なようだ。したり顔で紙を畳む。男には男同士、何か通ずるものでもあるのだろうか。
「あ~あ~、私がいない方がよほど話がまとまりそうだな」
悔しいのでふてくされてみる。すると、サイーブは明らかな笑顔で応じた。
「ああ、次からはコートニーだけを寄越してくれ」
歯ぎしりしてやりたいくらい、悔しさが増した。その様子を、コートニーは眉1つ動かさず眺めていた。
砂漠の虎の居城にて、アスラン・ザラがニコル・アマルフィとともに目にさせられたのは横たわる巨大な躯であった。水に乏しい荒野のただ中とは思えないほど快適な屋敷の中でモニターに映し出されるのはレセップス級アンドレの艦影。
モニターの前にはアスランたちの他、この地区の部隊長7、8名の顔がある。無論、アンドリュー・バルトフェルドもその列に混じって座っていた。
モニターの脇で説明を行っているのはマーチン・ダコスタ。非常に厳しい顔で状況説明を行っている。正直、頼りなげな容姿をした男性だと考えていたが、砂漠の虎の側近だけはある。説明は滞りない。
いつ、どこで、どのようにアンドレが襲撃されたのかが的確に伝わってくる。その中で特に気を引いたのが、大型陸上戦艦の被害状況である。
「ブリッジだけが破壊されている……」
正確には主砲も破壊されているため、だけという表現は適切でない。それを差し引いたとしても、アンドレの艦体はほぼ無傷のままブリッジを破壊されたことは驚愕に値する。つい漏れた独り言を、前の席に座っているカルミア・キロが聞き取ったらしい。褐色の顔にいたずらっぽい笑みを浮かべて、カルミアはアスランの方に振り向いた。カルミアの隣ではアンドリューがいつもの調子で手をあげていた。
「ではダコスタ君、こんなことをしでかしてくれたのは誰だと思うかね?」
ずいぶん挑戦的な問いかけであったが、マーチンは模範的な回答を示した。
「はい。生存者の証言、過去の戦闘データは口をそろえて、月下の狂犬モーガン・シュバリエであることを示しています」
聞き覚えのある名だ。地球降下直後のアスランを救ってくれて、一時はともに戦った。敵としての再会を覚悟して別れたが、恐ろしい相手として出会うとまでは考えていなかった。ごちそうしてもらった紅茶の香りが、記憶となって鼻孔をくすぐった。
そうしている間に、モニターは次の映像に映っていた。
青いジンオーカーが直進しているだけの映像である。スラスターを限界まで吹かせ、脚部に多大な負担をかけながらの突進である。無謀な操縦をする。ところが、ジンオーカーは集中砲火をことごとくかわし、接近をやめようとしない。有り得ない光景であった。
モニターを凝視する面々がざわめく。無論、アスラン、ニコルもその渦中に身をおいていた。ただ1人、濁流にあらがう虎を除いて。
「ハウンズ・オブ・ティンダロス。あんな無茶な技を律儀に再現しようとするとはさすがだね」
アンドリュー指揮官の言葉に、辺りが静まり返る。こんな有様を、水をうったようにと表現するのだろうか。その水も、すぐに乾いてしまったらしい。隣でニコルが勢いよく立ち上がる音がした。姿勢をただし、指揮官の方を向く。
「バルトフェルド指揮官。ハウンズ・オブ・ティンダロスとは?」
確かにニコルは必要な時は前に出ることも辞さない気概を持つ若者であるが、今日に限っては少々強引な気もしないではない。このことをどう受け止めたのかは知らないが、アンドリュー指揮官は自身のペースを微塵も崩すことはない。
「伝説みたいなものでね。敵の攻撃をぎりぎりでかわせば最速で接近できるという単純な理屈から編み出された技らしい」
モニターではモーガン中佐の戦法が繰り返し流されていた。よく見ると少なからず被弾している。決して長生きのできる戦法ではない。
「僕も、その技を見たことがあります。地球降下目前に重戦闘機が同じような動きをしていました」
注目を浴びた少年が語ったのは、攻撃が一切通じることなく、瞬く間に接近されてしまった、そんな夢のような体験であった。そして、その敵は恐らくアーク・エンジェルとともにあるとも付け加えられた。
ニコルが話をしている間、この部屋のすべての者が彼を見ていた。アンドリュー指揮官も腕を組んで首だけで振り返っている。
「それはいい経験をしたね。なんと言っても、その技を使える者は世界広しといえど3人しかいないそうだ」
間髪入れず、ニコルは聞き返した。
「その1人がモーガン・シュバリエ、でしょうか?」
「いいや、彼も優れたパイロットには違いないが不完全だ。この技を極めると、まるで攻撃が通り抜けたとしか思えないほど見事なものらしい」
戦艦のブリッジを単機で破壊するほどの技能のさらに上がある。遙かな山頂を見上げるような心地で居並ぶ隊長格は呆然とした様子であった。こんな時でも指揮官殿は平然としていた。少しくらいうろたえて見せてくれてもいいのではないだろうか。
「敵にはその使い手がいる。これで戦いの楽しみが2つになったね、カルミア」
1つはハウンズ・オブ・ティンダロスの完成形への期待だと理解できなくもない。では、もう1つの楽しみとは何か。
カルミアがどこか楽しげに立ち上がる。モニター脇のマーチンの方へと歩き出すと、アンドリュー指揮官へと手を振った。
「アスランたちには見せてもいいでしょ。ゼフィランサスのおかげでようやく完成したの。ちょっと不格好だけど、どうかしら?」
マーチンからモニター制御用のコントローラーを受け取ると、カルミアは長方形のごくありふれた形をしたコントローラーを操作した。すると、映し出されたのは、見たこともないモビル・スーツの姿だった。その姿はすぐに、立ち上がった指揮官の背中に隠されてしまった。
「量産にはどれくらいかかる?」
カルミアは本来とは妖艶な笑みを浮かべて、男を満足させる言葉を囁いた。
「もう体制は整ってるわ、アンディ」
地球は美しい。宇宙に人が進出してから、どれほどの人が、どれほどの回数そう口ずさんだことだろう。何度見ても見飽きるものではない。ザフト軍の地球上最重要拠点ジブラルタル基地に向かうシャトルの窓から、母なる星をラウ・ル・クルーゼは眺めていた。
狭い船内は乗客の大量輸送を優先し、シートが効率的に敷き詰められていた。まるで子どものように、窓側の席が与えられたことをラウは密かに喜んでいた。
だが、それもこれまでのことである。大気圏突入が近いことをアナウンスが告げる。すると、窓に隔壁が張られ、外の様子をうかがうことはできなくなる。
仕方なく視線を船内に戻す。隣では、部下であるジャスミン・ジュリエッタが不機嫌そうに座っていた。バイザーで目元をうかがい知ることはできないが、女性というものは不機嫌を口元に出すものである。あくまで経験測にすぎないが、ゼフィランサスも口をとがらせることがある。
「アスランたちに会えるというのに、ずいぶんと不機嫌なようだな」
ジャスミンは目を合わせようとしない。体もずいぶんと固い。かしこまっているというよりは、新兵が初陣前に見せる緊張に近い。
「クルーゼ隊長……、ゼフィランサスは、また兵器を作るんですよね……?」
何かと思えば、妹君のことを心配していたらしい。
「ではゼフィランサスは大西洋連邦でガンダムの開発を続けていた方がよかったかね?」
残念なことに、この一言でお話は終わってしまった。ジャスミンはうつむいて、口を開こうとしない。
ゼフィランサスの力は素晴らしい。誰もがその力を求めることだろう。どこにいようと、誰といようと、ゼフィランサスに求められることは何も変わることはない。
「君たちは花ではないのかね? どれほど美しくとも摘み取る手にあらがう術を知らない」
それはゼフィランサスに限らない。
「それが、ヴァーリというものではないかね?」