たまにはバイザーを外してもいだろうか。ジャスミン・ジュリエッタは肩こりの元であるバイザーにそっと手をかけて、まずその電源を落とした。狭い車内の光景が消えて、外したバイザーを足の上に置いた。
この車はマジック・ミラーであるから外から覗かれてしまう危険はなかった。光を持たない瞳を、特にプラントの国民には見られたくはなかった。それに、ジャスミンの顔は誰にでも見せてよいものでもない。
視力が欲しくてバイザーをつけているはずなのに、何も見えないことで得られる安らぎがある。息を吹いて、1人暗闇の中で微睡む。
ジャスミンはただ待ちぼうけの時間をすごしていた。ラウ・ル・クルーゼ隊長はゼフィランサス・ズールをつれて国防委員長の部屋に向かった。ジャスミンが1人で乗っている車は国防委員会の地下駐車場に止まっているのだ。
同じヴァーリとして生まれてもゼフィランサスとジャスミンとではまるで違う。これは嫉妬だろうか、それとも焦り。ジャスミンの力ではお父様のお役には立てない。よくない。視力がないとつい余計なことまで考え初めてしまう。
バイザーを戻そう。重たいバイザーを顔に乗せて電源を入れる。立ち上がるまでの間に、突然聞こえた声につい驚いた。
「待たせたかね?」
「そ、そんなことありません」
車の扉が開けられる音。取り戻した視界--決して鮮明なものではないが--には運転席に乗り込むクルーゼ隊長が見えた。後部座席、ジャスミンの隣にはゼフィランサスが入ってくる。決して広くはない車内。ゼフィランサスと手が触れ合ってしまいそうでつい手を引いた。このことを見られてしまったらしい。
「ジャスミンお姉様は私のこと嫌い……?」
「そ、そうじゃないんです! ただ、私とゼフィランサスは違いますから……」
彼女たちは特別で、私たちとは違う。このわかりきった事実はどうしても成功と失敗との間に壁を作り、溝を掘る。
ベルトを閉めながら、車のキーを回しながら、クルーゼ隊長は普段通り何か含みを持たせたような話し方をする。
「ジャスミンはガンダムがゼフィランサスの作品だと気づいていたようだ」
「すぐにはわかりませんでしたけど、ユニウス・セブンで何となくおかしいなって。でも、隊長はゼフィランサスのことをご存じなんですか?」
「君を知っているからな」
ヴァーリのことを知っている。きっと調べたのだろう。もしもプラントの裏の歴史を知りたければヴァーリのことを探る方が手っとり早い。まだ20代という若さでザフト軍のエースとして知られ、パトリック・ザラ副議長にも取り入っている英雄はその上昇志向の高さでも知られているのだそうだ。
そのことが身を滅ぼさなければいい。そう、ジャスミンは思わずにはいられない。
「私を施設から連れ出してくれて、隊長には感謝しています。でも、あまり私たちに関わらない方がいいと思います……」
「ゼフィランサスを連れてきたことでザラ国防委員長の覚えがいい。おかげで首がつながった」
「クルーゼ隊長って野心家なんですね……」
直接指摘なんてできない。遠回しな表現をするくらいしかできない。この人には恩があって、何よりジャスミンの忠告なんて聞いてもらえないだろうから。
車が走り出す。狭い地下駐車場を抜けて出口前の警備員のところまで移動すると、警備は顔パス--仮面をつけているのだが--でシャッターを開いた。車はプラントの街の中へと走り出す。
外はすでに暗くなっていた。街明かりと対向車線のヘッド・ライト。決して性能が高い方ではないバイザーには光がぼやけた光景しか見えない。明度を調整してみてもそれは変わらなかった。プラントではこの類の器具の開発が非常に遅れている。外の光景なんて見えない。
車の中に視線を戻すと、ゼフィランサスが先程から無言であることに気づいた。
「ゼフィランサス、今日は静かですね」
とてもおしゃべりな子なのに、今は座席に静かに座っている。どこで手に入れたのかわからないドレスを着たその姿は、きっと誰もがお人形のようだと思うことだろう。
「ゼフィランサス、君は語っていたな。ガンダムに心を与えたと。その意味を聞かせてもらってもいいだろうか?」
「アリス、そんなパイロット・サポート・システムをつけたから……。自己学習型のシステムで必要な情報をパイロットの脳裏に直接投影するの……。ただ、慣れない人が使うとある種の暴走を引き起こす危険性がある……」
「そのような副作用をそのままにしておくとは君らしくもないな」
「少し訓練すれば取り除ける危険だから……。それに、ガンダムは私たちの夢だから……。資格のない人に乗ってもらいたくないよ……」
こんなことをただのパイロットが知りたがる情報だろうか。バック・ミラーに写るクルーゼ隊長の顔は仮面で覆われていてうかがえない。それでも、ジャスミンにはクルーゼ隊長がその素顔同様、何か隠し事をしているように思えた。
友はGAT-X105ストライクガンダムの目の前を通り過ぎて宇宙の闇に吸い込まれていった。
モニターが妖しげな光を放っていた。その光に魅入られるように、キラ・ヤマトの力ない体は心を失った人形のようにシートに投げ出されていた。目は虚ろ。ストライクはただ漂うばかりである。
好機とみたZGMF-1017ジンが接近する。キラはその数も動きもはっきりと捉えていた。自然と付近の情報が脳内へと押し寄せていた。キラは初めて意識するこの現象にも何ら驚きを示すことはない。当たり前のことであったように受け入れ、まるで生まれる前から知っていた事実のようにその名が脳裏に刻まれていた。
Advanced Logistic&In-consequence Cognizing Equipment。
A.L.I.C.E。
ジンがアサルト・ライフルを連射しながら接近してくる。そのことが、キラにはわかっていた。
ストライクが動く。スラスターにともされた輝きが弾けた。あまりに鋭いその動きにジンは反応することさえできない。左手がビーム・サーベルを握りしめたまま振り抜かれる。斬るでは生やさしい。溶かすでは物足りない。引きちぎられたような切断面を見せてジンの胴が泣き別れとなる。
爆発するジン。その爆煙にすべて塗りつぶされているにも関わらず、放たれたビームは次のジンを腹を喰い破っていた。
動きがおかしい。それはこの戦場を目撃する者すべてに共通する。ストライクの動きは異常であった。敵を撃墜する。それは当然のことだが、敵の撃墜そのものが目的であるかのように攻撃は苛烈。そしてまるで戦場のすべてを把握しているような動きを思わせた。
爆発に覆われて決して良好ではない視界。ジンが付近を警戒しながら飛行する。せわしなく動くモノアイに、ビーム・ライフルの銃身がそのまま突き刺さった。カメラを守るカバーを砕き、ライフルが頭部に深々と突き立てられた。
そして、煙を突き破り迫るストライク。投げ捨てられたライフルの代わりにビーム・サーベルが握られている。右手でまず縦に、左手のサーベルが即座に横に胴を裂く。四つに刻まれたジンはもはや原型を残すことなく爆発する。
これほど無惨な破壊にさらされたジンが開戦以来あっただろうか。
ストライクの戦いは、完璧であり、完全であり、非情とも言えるロジックにつき動かされていた。
戦いは終わった。すくなくとも、ムウ・ラ・フラガはそう判断した。
ガンダムがその性能の一端を解放したのだ。終わりの名前を与えられた黒き聖母が、その深く暗い悲しみに沈んだ夢の中から引き上げた力が世界を浸食しようとしていた。
これはもはや戦いではない。ただ一方的な殺戮に等しい。これだ。この力を、ムウは、我々は必要としている。ゼフィランサスは十分な力を生み出してくれた。
ストライクはジンを次々と屠っている。キラの目的を敵の殲滅とアリスが判断してしまったのだろう。本来の地球降下とは別の動きを見せ始めている。まるで敵を求めるようにアーク・エンジェルから離れようとさえしている。これでは降下に間に合わなくなる。
「少々予定外だが、まあ、許容範囲だな」
ヘルメットを脱ぐ。これで風防にひびでも入ろうものなら致命的な事態に追いやられることになる。だが、そこまでムウを追い込める者がいるだろうか。ムウの前には、ブリッツが、ガンダムが1機いるだけなのだから。
スラスターを全開に、重戦闘機の推進力がムウを一直線にブリッツへと向かわせた。
「見せてやる。これが、お前に教えた技だ!」
ストライクの豹変を、ニコル・アマルフィは眺めていることしかできなかった。いや、白状するなら怯えていたのだ。ガンダムにはまだ秘密が隠されている。ディアッカ・エルスマンに代わり、ブリッツを使用することになった。先輩の動きを見て機体の特性を理解していた気になっていた。だが、ガンダムの力は深い闇の底に沈んでいるように、いくら目をこらしているつもりでもその全貌は掴むことができない。
ブリッツにも同様の力が備わっていることに疑いの余地はなかった。このことが、ニコルの不安を一層つのらせた。
「こんな時、隊長がいてくれたら……」
ラウ・ル・クルーゼ隊長なら、今のストライクとも戦えるはずだ。しかし、急進派が穏健派への配慮として見せかけだけの処罰のために謹慎処分を命じてしまった。高度な政治取引といえば聞こえはいいかもしれないが、現場のことを省みない処遇には不満を隠せない。
「今日もまた、命が散っているのに……」
この戦いは、双方の戦力が拮抗している状態で始まった。通常なら様子を見ながらの鍔迫り合いが続くはずだった。しかし、ザフトに時間はなかった。敵はそれを狙って防衛の布陣を敷いていた。
GAT-X103バスターガンダムとブリッツが切り込み隊長を買ってでて、道を開いた。ザフトは一気に戦線を進ませることができた反面、戦いは混戦模様を呈し消耗戦が影をのぞかせていた。時間が経つごとに加速度的に命が失われる。
ニコルとて、すでにネルソン級戦艦を一隻、TS-MA2メビウスを5機撃墜している。そうしなければ友軍が危険にさらされると理解していた。戦うことでしか守れないなら、戦うしかない。ニコルは歯を食いしばって操縦桿を握りしめた。
ストライクを撃墜してみせる。アスランと協力しながらならできるはずだ。
橙色をしたメビウスがこちらに急激なスピードで接近していた。そのことに何故か気づいた。無謀を通り越した接近だ。ただ一直線、加速した状況で近づいてくる。真っ正面から直撃させることができる距離だ。ニコルは迷わず引き金を引いた。ビームが直撃コースでメビウスめがけて飛び出す。すると、メビウスはビームを通り抜けた。
「なっ!?」
確かに直撃したはずだった。気を奮い立たせ、もう一度ビームを発射する。この攻撃も、やはり素通りした。メビウスは速度を落とすことなく接近してくる。ニコルは左手から黄金の爪を投げ飛ばす。フェイズシフト・アーマーに覆われた必殺の爪は、やはりビームと同じ結果を招いた。
3度目にして、ニコルにもようやく奇術の正体が見えた。メビウスは攻撃を最低限の動きですれすれにかわしていたのだ。確かに、射撃というものは線の攻撃でしかなく、その速度も相俟って点の攻撃であるとも言える。弾丸が通り抜ける一瞬さえ射線上にいなければ当たることはない。
理屈では確かにそうだが、その一瞬の間に着弾点を予測してさらに回避まで行うことが現実に可能なのか。
まるで起きがけに見る夢のように、目の前の光景が現実と幻とが混ざり合う。メビウスがブリッツの横を通り抜ける。そのすれ違いざま、レール・ガンがブリッツの腹部に突き刺さっていた。フェイズシフト・アーマーがなければ死んでいた。
しかし、なまじ頑丈なため、貫通力が衝撃になってブリッツを大きく突き飛ばした。悲鳴は歯の間から漏れる吐息だけに抑えた。スラスターを吹かすと、ブリッツの挙動が少しずつ落ちつていく。同時に、重さというものを感じた。
足下に地球が広がっていた。このままでは重力に取り込まれてしまう。ニコルが対応するよりも、敵の方がはるかに早かった。
レーダーに5機もの敵に取り囲まれたような表示があった。見ると、メビウスから独立したタル型のスラスターが4機、銃身を展開していた。バルカン砲が降り注ぐ。その狙いはあまりに正確だった。ブリッツの装甲に垂直に弾丸がぶつかってくる。フェイズシフト・アーマーはこの程度では破壊されない。破壊されないからこそ、質量に由来する衝撃はまるで緩和されることがない。
身動きがとれないまま、完全に重力に囚われた。断熱圧縮が高熱を生み、その熱を吸収したフェイズシフト・アーマーが輝きを発する。ブリッツは赤熱に包まれた光の塊となって落ちていく。
キラの動きが明らかにおかしかった。ジンを狙い撃墜数を稼ぐかのような戦い方をしている。ずいぶんとキラらしくない。功名心に浮かされるような男ではない。
アスランは自らの考えに背筋が凍る思いがした。
「お前は……、敵を殲滅するつもりなのか……」
胸部をビーム・サーベルで滅多刺しにされたジンが爆発する。これが最後のジンだ。アスランとニコルで強引に切り開いた道を通り抜けたジンはすべて撃墜されてしまったことになる。まだ離れた位置に残存している機体はあるが、今からでは敵艦の降下に間に合わない。
事実上、ザフトは全滅させられていた。
まだアスランが残されている。ストライクがようやくバスターの方を向いた。両手に剣を構えバスターへと突進を開始した。
これまでよりも明らかに早い。だが、軌道が単純すぎる。ビームとレールガンを同時に発射する。狙いを若干左右にそらし、直撃はしないまでもこのまま直進すれば被弾せざるを得ない。大きく軌道を曲げたところを狙撃する。モニター上に表示されるロックオン・カーソルを手動でストライクが回避すると予測される方向へと移動させておく。
決して油断していたとは思わない。だが、ストライクが予想に反した動きはしないと思いこんでいた。ストライクは直進を続けたのである。
ビームは確かに水平翼を撃ち抜いた。しかし、ストライクはそれを予期していたようにバック・パックをパージしてしまった。目的のために必要な犠牲。この割り切り方はあまりに異常で、アスランは虚をつかれた。瞬く間に距離が詰められた。ロックオン・カーソルを修正している暇はない。
聞いたことがある。敵の攻撃を最低限の動きでかわし接近する技術が存在すると。それは絵空事だと考えていたが、ストライクは疑似的にそれをやり遂げたことになる。
バスターめがけて振り落とされるサーベルをレールガンで受けとめる。無論、銃身はこのような使用法は想定されていない。ビームが浴びせられた場所から融解が始まっている。
もって数秒。
さらにストライクにはまだ左手のサーベルが残されている。アスランの決断は早かった。ビーム・ライフルに連結されているアームを目一杯後ろへと伸ばした。長大なライフルが引き下げられ、銃口が辛うじてストライクを狙える位置に移動する。超近距離射撃の引き金を引く。
発射されるビームが激しい輝きを引き起こした。フェイズシフト・アーマーの光ではない。バスターの放ったビームを、ストライクは事もあろうにサーベルで切り払ったのだ。
荒唐無稽な防御法にアスランの意識は奪われた。その間隙を貫いてストライクの足がバスターの腹部に突き立てられた。フェイズシフト・アーマー同士の激突は閃光の輝きを放つ。
フェイズシフト・アーマーが懸念されていた質量攻撃。その最たるものはガンダムによる格闘攻撃であるのかもしれない。70tという質量に加え、同程度の強度を有しているのだから。
弾きとばされるバスターの中で、アスランは薄れゆく意識を必死につなぎ止めていた。フェイス・ガードがひび割れていた。骨折でもしたのか胸に痛みがあった。急に視界が曇ったのは、額の血が伝ってきたためだ。
そう、流体が下へと流れていた。警報音が地球に接近しすぎていることを告げている。だが、今のアスランにはどうすることもできない。
フェイズシフト・アーマーに守られながら、バスターは天から落ちていった。
「メビウス・ゼロの着艦を確認」
管制担当のナタル・バジルール小尉はそれ以上言葉を続けようとはしなかった。しびれをきらせたマリュー・ラミアスは自分から催促した。
「ストライクは?」
現在帰還する様子はない。そんな答えしかない。もっとも、ここでナタル小尉を責めるのは酷だと言えた。彼女は職務を疎かにしているわけではない。
「キラ・ヤマト軍曹、何をしている!? 降下に間に合わなくなるぞ!」
レーダーのストライクは未だ遠い。そうしている内に、操舵手であるアーノルド・ノイマンが声を発した。
「これ以上は無理です。降下を開始します!」
前回の戦いで負傷した傷はまだ癒えていない。アーノルド曹長は片腕に包帯を巻き付けたまま舵をきった。すると、アーク・エンジェルの巨大な艦体が小刻みに震え始めた。降下に伴い生じた応力が艦全体を鳴動させていた。
エレベーターで感じるような重力の変化による押しつけられるような感覚にはいつまでも慣れることができない。だが、不快感に甘んじているわけにもいかなかった。
ナタル小尉が叫んだからである。
「ストライクが戻ってきます!」
そのことはレーダーでも確認された。しかし、レーダーの調子がおかしく、正確な位置が掴めなくなった。モニターで確認する。
とても降下に間に合うようには思われない。マリューは悩むとき、爪を噛む癖があることを自覚している。だが今はそんなことをしている余裕がないほど事態が逼迫していた。決断にかけている時間はない。
「ストライクを回収します。降下地点が変わってもかまいません。アーク・エンジェルを向かわせなさい」
優秀なアーノルド操舵手は事態の緊急性を理解していた。異論を挟むことなく、短い了承の後、すぐさま舵をきろうとする。
すると、一際大きな揺れがアーク・エンジェルを襲った。座っていても流されてしまうほど大きなものである。立っていて、しかも片手で舵を支えていたアーノルド曹長が床に投げ出された。
操り手を失ったアーク・エンジェルは軌道が安定せず、揺れが収まろうとしない。そのことがアーノルドが舵に戻ることを妨げていた。
すると、思いも寄らない人物が舵を掴んだ。
赤い髪をなびかせ肩には2等兵の腕章が見える。フレイ・アルスターと名前を聞いている志願兵の1人だった。突然のことに、マリューも、アーノルドも呆気にとられていた。そんな中、ただ1人檄を飛ばしたのは、ほかならぬフレイ2等兵だった。
「キラの方へ行けばいいんでしょ。どうしたらいいのか早く教えて!」
一刻も早く艦を安定させなければならない。そのことは1つの事実として受け入れなければならない。
「フレイ・アルスター2等兵、アーノルド・ノイマン曹長の補佐を命じます。一刻も早く、艦を安定させなさい!」
これで正式な命令として、フレイが舵をとることを認めたことになる。アーノルド曹長なら適切な指示を行うことができるだろう。
「舵の台座に目盛りがついてるのが見えるかい? それを30と書いてあるところに合うよう、舵を左に倒して」
指示通りに、フレイは舵を回し始める。なかなかうまいもので、現在大気の影響を受けていることを理解した丁寧な操舵である。
「舵は決して安定しない。絶えず小刻みに動かして微調整を繰り返して。……そう、その調子」
次第に、艦が安定してくる。アーノルドもやがて立ち上がれるようになり、フレイの傍らに寄り添うように操舵を助けるようになった。
これで、問題はストライクだけとなる。マリューはナタルの方に目配せした。この視線にナタルは気づくことはなかった。すでにストライクとの交信に入っていたからである。
「ヤマト軍曹、今から格納庫に入ることはできない。甲板に着艦しろ。そのまま地球に降下する」
ストライクにもすでに高熱を帯びた大気がまとわりついていた。しかし、フェイズシフト・アーマーの光が熱を遮り、損傷は見られない。モビル・スーツの高い汎用性。それには単機で大気圏突入が可能であることは含まれていない。
大気圏突入はまさにモビル・スーツ史に残る偉業であるはずなのだが、それをガンダムというものはこともなげに行ってしまう。優れた技術ほど、そのすごさがわからないものだと言うが、正にその通りだった。
意識をつい他のことにそらしてしまうほど、ガンダムは大気の高熱に耐え続けた。マリューが関心を移してしまったものとは、大きく軌道を変えたアーク・エンジェルが一体どこにつくのか、そんなことだった。
「さて、私たちは一体どこにつくのかしら……?」
アフリカ、サハラ砂漠に一筋の流星が落ちた。ここには、かつて多数の星が落ちた。開戦当初、ザフト軍は赤道に沿う形で地球に降下した。赤道は地球の遠心力が最大となる一帯であり、遠心力を地球離脱に利用することができるため地球の出口として多数の打ち上げ基地が建設されていた。
ザフトはここを抑えることで地球連合を地上と宇宙とに分断し、戦いを優位に進める計画だったのである。特に、アフリカ北部、地中海の玄関口であるジブラルタルは地球有数の打ち上げ装置、マスドライバーを備えたジブラルタル基地があり、最重要攻略拠点とされた。
作戦は成功。地球連合はジブラルタル基地を失ったことで宇宙への足がかりを損なうとともにヨーロッパとアフリカを地理的に分断された。他の赤道地域では一進一退の膠着状態に陥っているのに対し、ここは制圧を終えた地点としてザフトの地上における最重要拠点になっている。
ジブラルタル基地は西を除いた三方にザフトの猛将がそれぞれ守備を務めている。北には狼が、東には鯱が、そして南、サハラ砂漠には虎が棲んでいる。地球連合軍の反撃激しいこの一帯を5年にわたって守り抜いた虎がいる。
アンドリュー・バルトフェルド。
その猛々しさは地球連合を震え上がらせた。その力強さはその実績によって証明されている。その名はプラント本国にさえ鳴り響いていた。いつしか、彼は虎と呼ばれた。敵からは畏怖を込めて、味方からは賞賛されて。
砂漠の虎アンドリュー・バルトフェルド。
アーク・エンジェルは猛虎の縄張りに迷い込んだのである。
日が沈み夜の船が漕ぎ出すと、砂漠というものはよく冷える。砂と岩ばかりでは保温性に乏しく、熱が逃げてしまうからだ。先ほどまで砂漠の夕日が綺麗なものだったが、そろそろ部屋に戻るべきだろう。
男はバルコニーに椅子を置いて寝そべっていた。ハデな模様がプリントされたシャツに半ズボン。先ほどまで日光浴に興じていたのだ。日焼けした肌がたくましく、慣れた様子でサングラスをかけている。人生の楽しみ方をいかにも心得たような男である。
この男こそが砂漠の虎、アンドリュー・バルトフェルドである。
バルコニーに入ってきたのは、トロピカル・ジュースを運ぶボーイではなく、この地域のザフト軍特有の褐色の軍服を着た青年だった。髪の毛を逆立たせた髪型のせいか、歳の割にずいぶんと若く見える青年で、アンドリューはダコスタ君と呼んでいる。マーチン・ダコスタが彼の名前であった。
ダコスタの横にエリート・パイロットの証である赤い軍服を身につけた少年兵がバルコニーに入るなり並んだ。この2人はいいかげんな格好で寝そべる男にも律儀に敬礼をした。
少年兵はとても戦争をしているとは思えないほどあどけない顔をしている。
「ニコル・アマルフィです」
敬礼にしろ姿勢にしろ、まさに軍人の鑑のような少年だ。アンドリューは以前指揮官たる者、兵の模範とならなければならないと言われたことがあったが形式主義にはいつまでも馴染めないでいる。寝そべった姿勢のままで、アンドリューはサングラスを上にずらした。
「堅苦しい挨拶はかまわんよ。ようこそ。呼び方はニコル君でいいかね?」
堅苦しい挨拶、それをニコルは敬礼と捉えたらしい。単に手をおろしただけで、姿勢を崩そうとはしない。いっそ地べたに座り込んでもかまわないくらいのつもりだったが、ずいぶん生真面目な少年のようだ。
「はい。お招きいただき光栄です」
定型の挨拶は聞き流しておく。サングラスを外しながら、中庭の方に目をやった。ここからの眺めはお気に入りである。
両側の屋敷に沿う形でTMF/S-3ジンオーカーが2列に並んでいる。ジンオーカーはZGMF-1017ジンとは異なり、背中にバック・パックがなく、色も灰色から褐色を基調としたものに変更されている。砂漠での使用に耐えうるようカスタマイズされたバリエーション機であり、ここでの戦闘の主力を担ってきた。
総数にして12。このモビル・スーツが並ぶ光景は砂漠の虎の力を象徴している。その中に、見慣れない漆黒の機体がたたずんでいた。まるで夜の闇に溶けて消えてしまいそうな機体である。謁見にはせ参じた騎士かのように、戦士によって形作られた回廊の真ん中にあった。
何でも、ガンダムとか呼ばれる敵の新型なのだそうだ。
「君が乗ってきたモビル・スーツだが、宇宙から直接降りてきたとはにわかには信じがたいのだがね」
現在のところ、単機で大気圏突入が可能なモビル・スーツは存在していない。それも無傷で降下したとなると、信じろという方が厳しいものだ。皮肉じみた笑い方をして、あからさまに疑ってみたのだが、ニコルは単に報告を求められたと判断したかのように淡々と返事をした。
「ガンダムなら、フェイズシフト・アーマーなら可能です」
ニコルが嘘をつく理由があるとは思わない。しかし、ガンダムというものは1度の戦闘でジンを7機も撃沈したこともあるらしい。これだけの戦果を上げられたなら戦史に名が残るほどの名機である。それほどの機体ををモビル・スーツ開発のノウハウのない大西洋連邦が造ったと言われても受け入れる気にはならない。
「まあいい。すぐにわかることだ。ダコスタ君」
ダコスタは体を傾け、ニコルの方を向いた。
「はい。敵艦の落着地点は確認済みです。今頃部隊が戦闘を仕掛けている頃です」
ここでようやくニコルは姿勢を崩した。驚きのあまり、体を大きく震わせたためである。
「そんな……、危険すぎます!」
いくら宇宙で活躍できようと砂漠は勝手が違う。汎用性に優れているとされているジンでさえ、防塵フィルターの増設などを行い、ジンオーカーに改修しなければ運用できなかったほどに過酷な環境なのだ。
「ジン・オーカー6機。2個小隊の戦力だ。それに、油断するなと言っておいた」
小規模の基地ならかるく制圧できるほどの戦力を動員したと告げても、ニコル少年は安心してはくれないようだ。妙に深刻な表情を作っていた。
「お言葉ですけど、狼を前にした兎に気をつけろだとか、用心しろなんて忠告しますか?」
こんな表現を使うような少年には見えなかったが、こちらの認識不足を責めているらしい。用心しろと言っているようでは敵の恐ろしさに何一つ気づいていないと言いたいのだろう。
用兵も知らない子どもが一軍の将を相手にずいぶんと出すぎた真似をするものだ。
「では君はこう言いたいのかね? ガンダムとか言う新型はジンオーカーごとき物の数ではないと」
椅子から立ち上がりニコルの前に立つ。小柄な少年に比べ、アンドリューは背が高い。これだけでも威圧感があるはずだが、空から来た戦士は決して物怖じした目は見せなかった。これほど度胸の据わった少年が恐れているのだとしたら、ガンダムの戦果もあながち嘘ではないらしい。
固い音がした。バルコニーの窓が叩かれた音だ。この場の全員を注目を集めた。軽く握られた手で窓を叩いていたのは1人の少女だった。
赤い髪を三つ編みにして首の後ろにたらしている。布を幾重にも巻きつけた服は直射日光を防ぎながら風通しのいいもので、砂漠にほどよく適した格好であった。褐色の肌に黒い瞳。彼女ほど砂の大地が似合う女性もいないだろう。
少女は、カルミア・キロはさわやかな笑顔で手を振った。
「その子の言うとおりよ、アンディ。あなたご自慢の部隊は連絡を絶ったそうよ」
「馬鹿な……!」
ダコスタは事実を否定する言葉を吐いて目を見開いた。アンドリューとてやれやれと髪をかきむしる。ニコルも目の前の現実に大いに戸惑っているようだった。ニコルにとっては予想通りのことのはずだが、なんのことはない。ニコルの目が捉えているのはカルミアであった。視線は釘付けとなり離れようとしない。まさか少女のこの世のものとは美しさに心奪われてしまったのだとしたら、それは安っぽい詩だろう。だが、ニコルがカルミアの顔から視線をそらそうとしないこともまた事実に他ならない。
「あなたも……、ヴァーリなんですか?」
夜の砂漠に、アーク・エンジェルがその白い艦体を横たえていた。その周りにはジンオーカー焼け焦げた残骸が散らばっていた。どれも原型を保っていない。骸を拾い集めたとしてもモビル・スーツ1機分にも満たない不出来なパズルと化していた。
唯一、機能を維持している機体があった。下半身を失い、左腕が幾本かのコードに引きずられて垂れ下がる。残された右手は砂を掴み、少しでもここを離れようとあがいていた。
大剣が、ジンオーカーを無慈悲にも刺し貫いた。金属が無理矢理引き裂かれる甲高い音とともに、ジンオーカーの体が痙攣したように跳ねる。そして、そのモノアイから輝きは失われた。
屍と化した一つ目の巨人を踏みつけストライクが刀を引き抜いた。淡い月明かりに照らされて、ジンオーカーのことなど一顧だにしないで砂漠の果てを見通すようにストライクは首をあげる。その姿は、血に飢えた狼が月へと向かって吠える様を彷彿とさせた。
アスランは深い穴を落ちていた。
ずいぶん深い穴のようでいつまでも底は見えない。自由落下に任せるまま高速で下降しているはずが、周りの壁の様子ははっきりと見えてた。手を伸ばしても届かない。そんな距離にある壁は白無垢であった。白無垢とはいささか不適切な表現かもしれないが、単純に色が白く無菌処理された壁なのだ。
そんな壁が延々と続いている。こんな殺風景な光景が繰り返されるのかと思うと不安にさえなった。まるで子どもに戻ったかのようにアスランはパニックに囚われてしまいそうになった。
そんな幼子を救ったのは、純白の壁に突き刺さるように飾られた幾枚もの少女たちの写真だった。髪が桃色の娘もいれば青い娘もいる。瞳が青い娘もいれば不揃いな瞳の娘もいる。肌の色が異なる娘も含まれていた。
しかし、みんなが同じ顔をしていた。皆が同じヴァーリと呼ばれる存在だった。
壁に手が届かないことはわかっている。それでも手を伸ばしたくなる衝動に駆られた。手を伸ばしても届かない。それでも写真が通り抜ける度に同じことを繰り返して、腕の筋肉が伸びきってしまった。苦痛が顔を歪ませる。
結局、諦めるしかなかった。ひどく惨めな思いになって涙がこぼれた。どうして届かない。少女たちのことを知っているのに。少女たちが見えるのに。
これは夢だということを唐突に理解した。その理由はもしかしたら、何の前触れもなく頭を撫でてきた少女にあるのかもしれない。少女の白い手が頭をそっと撫でていた。赤い瞳が穏やかな微笑みに包まれていた。
「ゼフィランサス……」
語りかけたのは10年も前のゼフィランサス・ズールに対してだった。目の前のゼフィランサスはかつて着ていた白いワンピース姿で、それにずいぶん小さい。それに敢えて加えるなら、今のゼフィランサスはこんな笑いを見せない。
ゼフィランサスは1枚の紙を差し出してきた。受け取るとそこにはずいぶんと拙い絵が描かれていた。以前にも見たことがある。キラ--あの時はテット・ナインと呼ばれていた--が描いたものでずいぶん不格好な巨人である。遠近法なんて用いられていない。多視点画の傾向もあり、本来見えていないはずの部位まで記されている。
その巨人は角と2つの目を持っていた。巨人の名前が紙面の片隅に、しかし大きく記されている。
フリーダム・ガンボーイ。
幼少のキラが考えたもので、これをゼフィランサスの姉であるユッカ・ヤンキーは順番を入れ替えた上で短くまとめた。
ガンボーイ・フリーダム。
ガン・ダム。
そう、ガンダムと。
これはガンダム。慌てて紙から視線を離した。首を上に上げる。すると、幼いゼフィランサスの姿はもうなかった。
突然、周囲の壁という壁が崩れた。その向こう側にあった闇が急速に広がり始める。その闇の中に光る双眸が見えた。まるでキラの狂ったデッサンの世界からそのまま抜け出してきたかのようないびつな巨人がこちらに手を伸ばした。その手はまるで爪のように形にまとまりがない。その姿も崩れた土くれのようでありながら、それが何であるかはっきりとわかる。
それはガンダムだった。
迫りくるガンダムに怯えながら、心の底から這い出たような叫び声を、アスランは上げた。
自らの絶叫に、アスランは目を覚ました。
落ちてた穴の白い壁とは違うむき出しの岩盤の不規則な壁面が目の前にあった。洞窟のようだった。しかし、冷たい夜風が入り込む入り口はすぐ近くにあり、ずいぶんと浅いらしい。
外にはまばらな木々と、その先に広がる砂漠。
どうして自分がこんなところにいるのか記憶にない。GAT-X105ストライクガンダムとの戦闘に破れ後、無意識、あるいはGAT-X103バスターガンダムが自動で大気圏突入を果たしたのだとしたら、体に感じる重力の説明はつく。しかし、体におかれた寝具や夜の寒さを感じさせないための焚き火がたかれている理由にはならない。
まさかバスターガンダムが気絶したアスランを甲斐甲斐しく保護し、寝かせてくれたとは考えられない。
焚き火を見ていると、次第に目が慣れてきた。すると、焚き火の向こう側に人影が見えた。
飛びのくように立ち上がり腰に手をやった。銃をもつためだったが、そこに目的のものはなかった。人影は座ったまま、こちらに手を伸ばした。
「これは返しておく。もっとも、弾はさすがに抜かせてもらったがな」
ずいぶんと野太い声だった。それもそのはず、人影は顎髭が立派な中年の男性であった。その手にはアスランの銃が握られていた。ひったくるように奪い返すと、その重さから言葉通り弾が抜かれていることがわかった。思わず、男性を睨みつけた。
そうまでしかければならなかった理由は、男性がノーマル・スーツを着ていたことにある。そのスーツが地球軍のもの、つまり敵であったためだ。
男性は飄々とカップから飲み物を飲んだ。温かい飲み物が入っているのだろう。コップからは湯気がたっていた。男性が別のカップをアスランのそばにおいた。おそらく同じ飲み物なのだろうが、異物混入を考えると飲む気にはなれない。
「そう警戒するな。俺があれを見つけてから丸一日になる。殺す気ならいくらでも機会はあった」
男性が指で示した方向に警戒しながら視線を向けた。そこには岸壁に背中を預けて座っているバスターの姿があった。その横には同様の姿勢をしたTMF/S-3ジンオーカーがあった。しかし違和感がある。それも一目瞭然の形で。本来は褐色を基調とした色をしているはずが、このジンオーカーは青く塗装されていた。
ジンオーカーはザフトの機体である。だが、男性のノーマル・スーツは間違いなく地球のものだ。
「あなたは、何者なんですか……?」
男性は優々と飲み物を口に流し込んでいた。その落ち着きようは風格さえ感じさせる。敵であるにしろ味方にしろ、優秀な軍人であるに違いない。何か姑息な手段に訴えてくるような相手ではないだろう。座り直すことにした。
すると、男性は青いジンオーカーを見やりながら言った。
「あのジンオーカーは鹵獲機だからな。味方から攻撃されたらかなわんからああして目立つ色にした」
これで、男性がザフトでないことはわかった。男性はアスランへと視線を戻す。
「俺は大洋州連合軍所属モーガン・シュバリエ中佐だ。若いの、お前は?」
ザフト以外の軍人に自己紹介されたのはこれがはじめてのことで、敬礼すべきか悩んだがそれもおかしなことだろうとそのままの姿勢で答えることにした。
「ザフト軍アスラン・ザラです」
それから話が続かない。銃をわざとゆっくりしまう。そう時間を稼いで話題を探した。
バスターがどうやって大気圏突入を果たしたかはわからないが、装甲に目立った損傷はなかった。アスランが記憶していないだけで自分で操作したのかもしれないし、バスターに自動制御装置がついていたのかもしれない。どちらにしろ想像はつく。わからないのはモーガンの行動だった。
「どうして俺を助けたんですか……?」
この問いのどこが面白かったのか、モーガン中佐は含んだような笑い方をしながら答えた。
「お前が俺の死んだ息子に似ていたからだ」
どう答えていいかわからない。戸惑っていると、モーガンは笑い方をより大きくした。
「冗談には冗談で返すくらいの余裕はあった方がいいな、アスラン」
どうやらからかわれたらしい。このことで、こちらも気が抜けてしまったらしく、表情が崩れた。
モーガン中佐が語った経緯はこうだ。
モーガン中佐は友軍とはぐれ孤立してしまったらしい。仲間の元に帰るためには地元ゲリラが占拠している一帯を通り抜けなければならない。だが、ジンオーカー1機では突破は難しく、作戦を思案していた時にアスランが空から落ちてきた。
ゲリラは地球軍、ザフト軍の両者を敵とみなしている。特に大洋州連合は戦前からこの地方に基地を駐留しており、目の敵にされているのだそうだ。こう聞かされた時、意図して嘲笑するための笑みを作った。
「自業自得です。そもそもあなた方がこんな戦争始めなければ、ここの人々も武器を取る必要さえなかった」
正直怒りを買っただろうと考えていた。しかし、焚き火を隔てたモーガン中佐の顔に変化は見られない。炎の揺らめきがせいぜい輪郭をゆがめているだけだ。
カップがおかれる小さな音がした。
「そいつは違うな。この戦争を始めたのはプラント。いや、コーディネーターの方だ」
燃やされる木が弾けた音がした。それをまるで待っていたかのように再び立ち上がる。頭に血が上っていることは自覚していた。
「何を馬鹿な! ブルー・コスモスに扇動されたナチュラルが血のバレンタインなんて引き起こさなければこんな戦争起こることもなかった!」
夜の静けさと猛る火。極めて対象的な二者の関係はモーガン中佐とアスランにもあてはまる。髭の男性は手振りでアスランに座るよう促した。気持ちが落ち着いたわけではないが、勧めには従うことにする。
モーガン中佐は変わらぬ様子で続けた。
「そいつは順序が逆だ。ブルー・コスモスから反コーディネーター思想が生まれたわけじゃない、反コーディネーター思想がブルー・コスモスを生んだ」
差し出されたカップにはまだ手をつけていない。それよりも話を聞くことにした。
「無論、ブルー・コスモスが反対思想を煽っている一面もある。奴らは否定しているが、血のバレンタイン事件を起こしたことも許されることじゃない」
その語り口に感情というものは含まれていなかった。ただ見聞きした知識をありのまま口にしているような、まるで本でも読んでいるかのような気分にさせられる。
「あれはナチュラルの総意じゃない。一部の過激派が勝手に起こしたことだ」
激情に振り回されることに、ようやく気恥ずかしさを覚えた。同時に、まだ怒りと反感が自分の中でくすぶってることもわかる。
「でもそのために、俺たちはたくさんの仲間を失いました……」
この言葉には、怨念めいた調子が混じった。モーガンは静かに笑った。それは自嘲であった。
「そうだな。だが、そうしてお前たちはニュートロン・ジャマーを地球に放り込んだ」
今度憎悪を含んだのは壮年の兵の番だった。先のあざ笑いは、感情に流される自身に対するものであったのかもしれない。
「地球にはナチュラルと生きているコーディネーターもいた。コーディネーターを支持しているナチュラルもいた。それをプラントは一緒くたに標的にしたんだ」
その結果、死者だけで10億もの被害を出した。血のバレンタインの実に5000倍の被害である。
「彼らが何をした? 理解を示しただけでは足りないのか? 過激派を抑えられなかったことが罪なのか?」
その問いかけはアスランを素通りして虚空に染み込み消えていく。モーガンは火に薪を投げ入れた。
「エイプリルフール・クライシスなんてものがなければ、ナチュラルすべてが戦争に巻き込まれることなんてなかった」
大西洋連邦とプラント。単なる宗主国と植民地の争いで終わっていたはずだ。
「この戦争にナチュラル対コーディネーターの構図を持ち込んだのはプラントの方だ」
投げ込まれた薪が今になって一際高い音をたてて弾けた。アスランは差し出されていたカップに、ようやくほんの一口、口をつけた。