人類が本格的に宇宙進出を始めたことを機に年号が改められた。世界各地にマスドライバーが建設され宇宙への玄関口が作り出されるとともに、各国が程度の差こそあれスペース・コロニーを建造。人はその版図を広げることとなる。資源衛星の確保に動き、宇宙への植民を進め、人はその住処を地球に限ることはなくなった。
コズミック・イラ。C.E.と略記されるこの年号がようやく馴染み始めた頃、正確にはC.E.16年、1人の男が世界の注目を集めていた。
その男の名はジョージ・グレン。
当時、この男の名を知らない者などいなかった。スポーツの分野ではいくつもの記録を打ち立て、彼によってなされた新たな発明、発見は数知れない。ありとあらゆる、そう形容せざるを得ないほどその功績は多岐にわたる。天賦の才を与えられた男の名を誰もが知り、憧れを抱いていた。自分もあのようになれたらと。あの男のように生きられたとしたならどれほどいいだろうかと。そんなことは不可能であると理解しながら、才能を偶然と諦め、あるいは受け入れ、世界はその実力と成果に酔いしれていた。
それが偶然ではなく、あまりに意図的で人為的、必然に他ならないと知るまでは。
ジョージ・グレンは数々の偉業を成し遂げた。それは誰しもが認めることである。国を、民族を超えて誰もが賞揚した。だが、ジョージ・グレンの知識、進歩への貪欲さは果てがなかった。誰よりも高く、誰よりも早く、至高を目指すことを決してやめようとはしなかったのである。
稀代の天才は前人未到の地、太陽系第5惑星木星への往復14年にも及ぶ遥かな旅に出ることを発表した。いまだに他の惑星に達したことのない人類にとって、それは歴史に残る偉業であった。
偉大なジョージ・グレンは自ら木星圏往還用探査船を設計。全長1kmにも及ぶ、まさに航行する都市とも言えるツィオルコフスキーを作り上げた。すでに宇宙船の類が珍しい時代ではないとはいえ、この規模の大きさ、その目的の崇高さゆえに人々はこぞって空を見上げることとなる。
人類の新たな一歩を記す旅路に人々の関心が集う。かの偉人が、人の可能性をさらに広げようとしているのだから。人はどこまでも遠くにまで行くことができる。
街ではカウントダウンの数が日ごと数字を減らしていく。反対に人々の興奮は高まっていった。
そして、その日は訪れた。この日は、人類の新たな足跡を宣言するためにあった。そう誰もが考えていた。
ただ1人、ジョージ・グレンを除いて。
その日地球では映像という映像がジョージ・グレンを捉えた。未踏の境地にまで達した男は、威風堂々とその姿を全世界へと晒した。やわらかく、くすみのない金髪に青い瞳。その端正な顔立ちは優しげに世界を眺める。ジョージ・グレンがモニターに映し出されている間、犯罪が激減したと伝説的に語られる演説はごく有り触れた出だしからはじめられた。
「親愛なる世界の皆さん。私は大変感激しています。今日というこの日を迎えることができたからです」
この言葉は世界で最も多くの人が耳にした言葉であろう。よどみなく、語弊はあるが流暢に言葉を手繰るジョージ・グレンの声は人々の間に染み渡り、誰もが彼がこの旅の成功と成果を約束してくれるものと彼の言葉を待つ。ジョージ・グレンは、しかし人々の期待に応えることはなかった。
それは、自分の功績を高らかに謳い上げるものではなく、これまでの協力者すべてへの感謝でもない。
それは告白であった。それは暴露であった。
「私の能力や功績は、才能だとか幸運、そんな曖昧で不確かな根拠に基づいたものではありません」
誰もがその言葉の意味を理解できない。世界中が凍り付いてしまったような静けさに包まれる中、ジョージ・グレンは淡々と、その美声を響かせていく。その美しい容姿とあわせ、詩吟でもするかのように。
「誰もが一度は考えるはずです。遺伝子は不確かで、子が親の才能を受け継ぐとも限らなければ、親の望む子どもが生まれてくるとは限らない。ですが、仮にこうしましょう。遺伝子を自由に組み替え、発現させる形質を選択できたなら。親が子に与えて上げられる才能を選ぶことができたなら」
誰もが考えたことはないだろうか。都合よく遺伝子を組み替え、発現させる形質を選ぶことができたなら、どれほど優れた人間が生まれるであろうかと。
足の速い子どもを持つのもいい。その子はその優れた脚力で偉大なスポーツ選手になるかもしれない。そうでなかったにしても速く走ることができる力は決して邪魔にはならない。この子の未来は明るい。
視力がいい子どももどうだろう。目がいいと、それだけ危険に気づくこともできれば、眼鏡や視力の矯正に余力をさく必要もなくなる。その子は少なくとも1つの苦難から開放されることができる。それはすばらしい。
頭のいい子もいいかもしれない。その子がやがて発明、発見に多大な貢献をしてくれるのなら、人類全体に利益をもたらす。この子は自分ばかりでなく、周りの人すべてを幸せにする。
病や障害を持って生まれてくる子どもに、まっとうな未来を与えてあげることもできる。誰もが平等な生を受けられることを、誰も反対はしないはず。
「私は、人々の幸福と明るい未来のために生み出されました。すべて偶然ではないのです。優れた才能を発揮するよう遺伝子を組み替え、劣った形質が現れないよう取捨選択する。私は、そうして生み出された存在の最初の1人に過ぎないのです」
才能も能力も決して偶然ではない。受精卵に調整を加えられ、より高い能力を持つ存在として誕生したのである。
「誰もが私のようになれるのです。いいえ、なっていただきたい。私が人類の未来と希望を担うために誕生したように、私の跡に続く未来の担い手になっていただきたいのです」
遺伝子に調整を加えられた新たな人類のことを、ジョージ・グレンはこう称した。
「人類を新たな世界へと導く調整役として、コーディネーターの誕生を強く望むのです」
聡明な頭脳を発現する遺伝子を組み込み、強靭な肉体を持つよう改変し、見目麗しい容姿を獲得するよう組み替える。すると、思い通りの子どもを得られることをジョージ・グレンは示した後、星の海へと旅立つ。
残されたのは戸惑う人々。ジョージ・グレンの演説は両極で受け入れられた。
素晴らしいと絶賛した人々がいる。子どもの幸せを望まない親はいない。遺伝子調整には倫理的、技術的な問題は懸念されたが、ジョージ・グレンの実績、公開されたデータはその垣根を低くした。子を塾に通わせる。習い事をさせる。高い学費を支払って有名学校に送り込むことの延長線としか捉えない風潮が蔓延した。世界各地でコーディネーターが次々と誕生し、天才児と呼ばれる少年少女がこぞってメディアに取り上げられた。1歳に満たない頃には言葉を話し、5歳で大学への入学を認められた子どももいる。コーディネーター技術が確からしいと報道されるにつれ、子に遺伝子調整を求める親は爆発的に増加した。
ジョージ・グレンが14年もの旅路についている間、彼の望んだとおりに後に続く者が、コーディネーターが世界の各地で誕生したのである。
だが、世界はひずみ始めていた。
それは命の恣意的な選択にすぎないと不快感を露にした人々もいたのである。コーディネーターを命への冒涜であり、唾棄すべき所業と断じた人々が声を上げ始めた。宗教関係者、生命倫理学者が先頭となり反対運動もまた各地で巻き起こった。
C.E.16当時、遺伝子操作は明文、不文ともに禁止されていた。反対派の人々は安易に手を出していい領域ではないと声を高らかに非難した。誰もが遺伝子を都合の良いものにしようとすると、選択される遺伝子型が偏り、種としての生存力を減少させることになる。遺伝子調整が過ぎると親子関係が証明できずに法律上でも様々な問題が発生する。何より、その技術を悪用する者が現れたとき、それに対する歯止めがかからなくなってしまう。
反対派はコーディネーターに沸いた世界へと警鐘を鳴らし続けた。
賛成派はコーディネーターをつくり続ける。反対派はコーディネーターをつくらない。その結果は明白だった。コーディネーターは着実にその数を増やす。反対派を無視する形で既成事実を積み上げていった。
双方が歩み寄らず、コーディネーター容認派の1人勝ちが続く環境は、反対派の中からより急進的にコーディネーター反対を訴える過激派の台頭を招いた。言葉で止められないなら力で従わせる他ない。あまりに安易な思想はそれだけ理解に容易く、反対派内部で一大勢力となることにさして時間はかからなかった。ある世界的環境保護団体の中から独立した勢力がやがてその勢力を束ねることとなる。
遺伝子調整された人をコーディネーターと呼ぶのに対して、調整を受けていない人々をナチュラルと呼称するようになったのはこの頃からである。
C.E.30年。
ジョージ・グレンが地球圏への帰還を果たした時には、ナチュラルとコーディネーターの対立は表面化。反コーディネーターを謳う過激派がテロ行為を起こすまでに発展していた。
事態を重く見た各国政府は速やかに事態の収拾を試みることとなった。ジョージ・グレンをコーディネーターの代表として招集。ナチュラルは地球最大国家である大西洋連邦を中心に話し合いが始められた。
大西洋連邦の上層部ではコーディネーターを厄介者と考える者が少なくなかった。コーディネーターなど存在しなくとも世界は問題なく動いていた。わざわざ誕生させる必要のないものの誕生が人種、性別、国家、民族宗教に続く新たな垣根を世界に植えつけてしまった。余計な異物以外の何者とも認識しなかったのである。この大西洋連邦の意識は、コーディネーター技術の徹底した封印を望む声が決して無視できないほどの影響力を持ち始めたことを如実に意味していた。
ジョージ・グレンはこれに強硬に反対。コーディネーターはすばらしい人類であり、より世界を安定かつ効率的に動かすことができる存在であるとの主張を繰り返した。
悲しくも互いの干渉を疎ましく感じている点においてのみ、ナチュラルとコーディネーターは共通していたのである。解決策として、ジョージ・グレンは一つの奇策を提示した。それは、このような言葉であったと伝えられている。
「新たな国を作りましょう。それはすばらしい理想郷になるはずです」
宇宙空間に大型の居住施設コロニーを建造し、コーディネーターの国を建国する。一見途方もない提案であったが、地球圏での遺伝子調整を原則禁止することでナチュラルをなだめると同時に、コーディネーターには国を与えることができる。両者を立たせる良策であると、その政策は推進された。
国はプラントと名付けられ、ジョージ・グレンを筆頭にコーディネーターの、コーディネーターによる、コーディネーターのための国造りが始まった。ナチュラルの世界に居場所を見出だせなかった多くのコーディネーターはプラントに移住し、夢の新天地に希望を抱いた。
だが、実際は理想からはるかにかけ離れたものでしかなかった。
大西洋連邦を始めとする地球連合各国はプラントを野放しにするつもりはなかった。プラント国内での食糧生産を禁止し、連合国家から購入することが義務付けられた。食糧を抑え、資金を制限することでプラントを植民地として扱ったのである。
国境にも、人種にも、宗教、民族にもこだわることない理想郷をつくるという夢は早くも裏切られた。コーディネーターの反感は不穏な空気を生み、そのことに大西洋連邦をはじめとする連合国は過敏に反応した。防衛力を持たないプラントを守るためとの名目で駐留軍をおき、監視と管理を強めたのである。これにプラントは自警団を結成し、これに対抗した。後のプラント国軍ザフトの前身である。
不必要に高まる緊張は、しかし、プラントが国として体制を整えるまでは大きな事件を引き起こすことはなかった。同時に、それは時間の問題でしかないと誰もが理解していた。
C.E.53.06.06。
互いが不信感を強めていく中、ついに事件は起きた。
「マンデンブロー号事件」。
プラントは独自に食糧生産施設を持たないため、連合から割高と知りながら食糧を輸入せざるを得なかった。食糧生産コロニーの建造は無論許されない。だが、このまま連合にへりくだるつもりはコーディネーターにはなかった。秘密裏に食糧生産コロニーの建造を進めるとともに、連合に参加しない国々と独自に交渉を始めた。このことはプラントは安く食糧を得られるとともに取引相手である国家は安定した取引相手を得ることができることを意味する。
だが、連合を通さずに食糧輸入しようとする試みはやがて知られるようになる。大西洋連邦は強く反発。他国への干渉を強めるとともに、プラントへは輸入の即時停止を強く働きかけた。
プラントはこの訴えを拒絶。この交渉決裂を受け、両国の関係は急速に悪化していく。
マンデンブロー号とは、そんな折に発生した事件の主役とも言うべき輸送艦であった。大西洋連邦軍がプラント船籍の輸送艦マンデンブロー号を撃沈したのである。その理由は現在でさえ明らかでない。大西洋連邦軍はマンデンブロー号が飛行禁止宙域に接近したことが原因であると主張したが、プラント国内ではマンデンブロー号が食料の輸入に使用されていたことから見せしめであるという説が支配的となるとともに大西洋連邦に厳重に抗議を繰り返した。しかし大西洋連邦は講義を黙殺する。
自国民が犠牲となった事件にプラント国内では独立機運がかつてない高まりを見せた。
プラント政府でさえ抑え切れないほどに急激に独立運動が激しさを増した。プラント国民の独立機運を受ける形でザフトは自警団から軍隊へと性質をかえ、駐留軍と小競り合いを繰り広げるまでになる。さらにプラントは独自の食糧生産を開始し、大西洋連邦はその影響力を削るべく運動を始めた。
コーディネーターという飼い犬から鎖が外れようとしている。大西洋連邦議会ではより排他的で急進的な意見が飛び交うようになった。
プラントがザフトを作ったように、ナチュラルは過激派を束ねる思想団体を構築していった。この団体は反コーディネーター感情をくみ取り、その勢力を急速に拡大した。プラントで高まる独立機運に不安を覚えた、本来は中立の人までもが団体支持に回らざるをえなかったことは歴史の皮肉であろう。
この団体は後に軍需産業に資金提供を受け、絶大な資金力と政権内部にまで浸透した支持者によって政策にまで影響力を波及させていく。これは公然の秘密。政策はあくまで人民の総意である。しかし、実際は偏った意志を具現し始めていた。
連合とプラント。互いの緊張が人々に戦争という言葉を連想させるにまで至った頃、確実に歴史に刻みつけられる事件が起きた。
C.E.61.02.14。
舞台はプラント12市の一つ、ユニウス市第7コロニー、ユニウス・セブン。独自の食糧生産を目的として建造された農業コロニーである。プラント独立の象徴であるこの場所に、コーディネーター排斥を謳う思想団体に感化した一部将校が、こともあろうに核攻撃を命じたとされている。軍事施設があるはずもないコロニーに防衛力があるはずもない。
警告もなく、核の衝撃が襲った。一瞬の閃光が24万3721名もの人命を消し飛ばした。
犠牲者の中にはプラント建国の立役者であり、後にファースト・コーディネーターと呼ばれるジョージ・グレンの姿もあった。プラントは、コーディネーターは泣いた。悲しみに、嘆きに、そして怒りに。
ここにナチュラルとコーディネーターの対立は決定的になる。日時が2月14日であったことから、「血のバレンタイン事件」と呼ばれることになる出来事である。
プラントは軍事力を増強し、大西洋連邦と正式に国交を断絶する。そして戦線布告の代わりとして、地球へとニュートロン・ジャマーと呼ばれる核分裂抑制装置を送り込んだ。連合にならい無警告で、復讐として徹底的にことはなされた。連合と言わず、地球中にニュートロン・ジャマーを投下したのである。
地球はエネルギーの大半を原子力発電でまかなっていた。ニュートロン・ジャマーは原子力発電に使用される核分裂を封じ、地球は化石燃料にまで時代を遡ることになった。結果として地球では慢性的なエネルギー不足が発生。寒冷地では暖房器具が使用できなくなり、夜は闇に覆われた。
プラントの報復として行われたこの行為は、C.E.65.04.01に発動したことから「エイプリルフール・クライシス」と呼ばれることとなる。この報復によって、地球では副次的なものも含めて10億もの死者を出すこととなった。
「血のバレンタイン」。
「エイプリルフール・クライシス」。
切っ掛けはこれほどなく苛烈に催された。どちらが仕掛けるともなく、戦争が始まった。しかし、宗主国と植民地では国力の違いは明白であった。大西洋連邦及びその同盟国とプラントの国力差は実に10倍。戦いは呆気なく終わるものと思われた。ところがプラントはナチュラルとコーディネーターの物語は、幾度となく人の予想を裏切り続けてきたという事実は、ここでも例外になることはなかった。
ザフト軍はモビル・スーツと呼ばれる汎用の人型兵器の導入。人型という荒唐無稽な兵器は、しかし宇宙空間において類稀な性能を発揮した。善戦どころか瞬く間に連合軍を押し返し、地球降下を果たした。重要拠点を次々制圧することにより、地球の勢力を分断することに成功した。
電撃戦が成功したかと思われた頃、連合はあっさりと籠城戦の構えを見せた。
プラントは国力に乏しい。前線では急拡大しすぎた戦場に補給が機能しなくなり始めていた。戦いが長引けばそれだけ多くの物資が必要となる。地球軍はザフトの補給部隊を執拗に攻撃した。占領地を奪還されることはなくとも、ザフトの当初の勢いは失われた。地球軍もまた、大規模な反撃に討って出ることもなく、戦線は完全に膠着した。
地球軍は技術力の違いを覆す決定的な材料にかける。ザフトはこれ以上範囲拡大をする余力はない。前線での小競り合いを繰り返しながら、戦争状態は血のバレンタインから数えて10年になる現在でも継続されている。
プラント政府は分離独立という当初の目的は達成されたと判断。再三地球側へ停戦を持ち掛けた。だが、占領地を返還するなどのどれだけ有利な条件を掲示されようとも大西洋連邦は決して首を縦に振ることはなかった。
まるで戦争そのものを望んでいるかのように。
例の思想団体の影が蠢いている。これは誰もが知っていて、そして誰もが知らないはずの公然の秘密。
彼らの目的はコーディネーターの根絶。
目標にあまりにひたむきな彼らは、手段を選り好みしようとはしない。そのためにどれほどの血が流れようと。
彼らの名はブルー・コスモス。
青き清浄なる世界のために。
この言葉と3輪の青薔薇。それが彼らを象徴する。
血煙と寒さ。地球の現状を端的に表現するとなるとこの言葉がよく似合う。
プラントによって投下された核分裂抑制装置ニュートロン・ジャマーは、地表落着と同時に地下深くに自らを埋設する機構が組み込まれていた。個々の除去が困難であることに加え、その数が膨大であることから今後50年は撤去が不可能と試算されている。
地球でのエネルギー供給率は以前の6割ほどにまで低下。慢性的なエネルギー不足に陥っていた。限られた資源をめぐり争いが起きると、さらに国力がやせ衰えエネルギーが不足していく。穀倉地帯では栽培、刈り入れに必要な電力を確保できず、食糧の多くを腐らせるほかない。寒冷地帯では暖房器具の使用が制限されたことはそのまま命に直結した。停電も多く、治安が悪化したことも統計的に証明されている。
正確な数は知れないが、公式発表では10億もの人命が失われたとされる。その数は地球人口の14%にも及び、誰かが見知った誰かを失っていた。知人の名前を7人数え、その度ごとに1人、死者として削っていく。さて、あなたは何人の知人、友人を失っただろうか。
もっとも大きな打撃を受けたのは大西洋連邦を始めとする先進諸国であった。電力の大半を原子力発電に依存し、エネルギー不足は大量消費社会にとって致命的である。だが、もっとも早く復興への道歩みだしたも先進諸国である。化石燃料、風力、波力、地熱など原子力に代わる発電施設が豊富に存在していたことがその一因としている。
発展途上の国々では元々原子力発電を行っていない国も多く、先進諸国に比べ打撃は少なかったかのように思われていた。
しかし、先進諸国が化石燃料の再利用を始めたことで価格は高騰。資金力が潤沢な大西洋連邦をはじめとする各国は資源を確保。支援という形でエネルギーを分け与えることで発展途上国への影響を強めていく。
結果として、地球連合に属さない国々においても連合への依存が強まり、地球は7割にも及ぶ国々と地域が今では連合の影響下にあると言われている。
正確には連合を主導する大西洋連邦と、大西洋連邦を影から操るブルー・コスモスの悪意に蝕まれつつあった。
コーディネーターが自らに向けられた悪意への憎しみと怒りとして行った復讐がさらなる悪意を招きよせることは、これまで幾度となく見受けられた歴史の皮肉、ほんの一例でしかない。
C.E.71年。地球では戦争が続いている。
戦争状態の正確な時期は諸説分かれるが、連合、プラント双方が戦時条約を結び、戦争開始を宣言したC.E.67.08.13が戦争開始の日時であるとされている。すでに4年の月日が経っていた。戦争はわずか開戦半年でプラント国軍ザフトの猛攻により地球軍が篭城する形で膠着した。それからの3年は最前線以外は比較的小規模の戦闘に終始していた。だが、確実に戦争は続いており、少なくとも連合とそれに連なる国々ではまだ緊張は微塵も解けてはいない。
連合には属していない。独立性が高く依存の度合いも少ない。そんな国々が、少数とはいえ存在している。オーブ首長国に代表されるような中立国は、ただただナチュラルとコーディネーターの争いを傍観していた。
オーブ首長国。本土は、太平洋西岸に位置する島国である。国土は決して広くはないが、三大軍需企業の1つに数えられる半国営軍企業として有名なモルゲンレーテ社を有し、高い技術力、軍事力で連合、プラント両国から一目置かれている。
だが、理念として侵略行為の一切を禁じており、中立を維持していた。侵略せず。侵略を許さない。この理念は国土すべてで適応されており、オーブが保有する宇宙空間での人工大型居住区コロニーでも中立地帯が堅持されていた。
密閉された筒。それが宙間居住用大型建造物コロニーの基本的な形状である。人々は空洞となった内側に発生した擬似重力を足がかりに暮らしている。内部には山に木々。川が流れ、昼と設定された時間帯には壁の一部が展開し、露出したガラス面から太陽光が取り入れられる。壁1枚を隔てた先に宇宙が広がっていることさえ除けば、そこは地球と同じ生活が営まれている。
ヘリオポリス。
オーブが所有する資源コロニーの名前である。筒の一端が資源採掘用の衛星に突き立てられた独特の形状をしている。その他の多くのコロニーとは一線を引く独特の形状をしている。
しかしここはオーブの国土である。国土である以上は理念によって守られていた。中立地帯として、ここでは戦争など遠い世界のことだった。
学校が終わり、授業から開放された学生が我先に帰路につく。その流れの中で、どうということはなく、しかし目立って歩みの遅い少年がいた。
キラ・ヤマト。
勉強も運動も平均的。整った顔立ちこそしているが、絶えず回りの様子を伺う気弱な態度が災いし、女性の関心をひくことはない。キラの長所を問われたなら、多くがまじめな人とお茶を濁す。そんな少年だった。
放課後でも、何か特別なことを期待していないように、キラは友人を待っていた。校内の木の下に据えられたベンチはほどよい木陰がある。キラはそこにゆっくりと腰掛けた。日は優しいが、まぶしさを感じないではない。それでもキラは、瞬きをしようとはしなかった。
ベンチに座りながらやや前かがみで、人が近づくと筋肉が緊張して手の皮が張った。その視線は落ち着きなく辺りの様子をうかがっている。
そんなキラがふと、人込みの中に目を止めた。そこには3人の少女が並んで歩いていた。ほとんど話したことはないが、皆、キラと同じクラスの生徒である。
真ん中の少女は、フレイ・アルスター。長い赤みを帯びた髪は枝毛1つない。その服装から小物にいたるまでおしゃれに気を使っていることが見て取れる。クラスの中ではある種のファッション・リーダーであるらしく、それは同時に彼女の気の強さを象徴していた。主導権を握ろうとする性格の一端を示していたからだ。
その横にはミリアリア・ハウがいる。髪が首の後ろで扇状に広がった独特の形をしている。そんなことが彼女の最大の特徴と言えた。正直、この少女はどこにでもいそうな、平凡な雰囲気がよく似合う。いつもフレイのそばにいるが、それでも腰巾着のような負の印象がないのはミリアリアの明るさゆえだろう。
そして3人目。フレイをはさんでミリアリアの反対側にいる少女に、キラの視線は向けられていた。
一度も話したことはない。だが、キラは彼女のことをよく知っていた。
理由は2つ。
少女は成績優秀、スポーツ万能で評判の美少女と男子たちの間では噂されていた。特定の相手ができたという噂もなく、高嶺の花という言葉がしっくりとくる。加えて、キラと少女は、出生が同じだった。血縁関係にあるというわけではなく、キラ・ヤマトと少女は同じく、コーディネーターであった。比較的遺伝子調整に穏健なオーブでもコーディネーターは珍しく、何にしても目立つのだ。
キラが少女たちを見ていると、少女がこちらの様子に気づいた。
目が覚めるほどに鮮やかな桃色の髪が目に飛び込んでくる。首の後ろであまり飾り気のないリボンでゆるく結ばれ、目鼻立ちの美しさの割りに純朴な様子だった。厚手の上着とロング・スカートも、少女が異性の目を意識したことがないことをうかがわせる。
アイリス・インディア。それが、キラと目を合わせる少女の名前。
つい目が合ってしまったことに、気まずくなって顔をそらしたのはアイリスの方である。それでも、キラは目を背けることができなかった。そんなキラの肩を、誰かが叩いた。
アイリスに気をとられすぎていた。キラはあわてて、ついそこから飛び退いてしまった。先ほどまでいた場所、そのほんの少し後ろでは驚かすつもりが逆に驚かされてしまった友人の姿があった。
「トール……、なんだ、君か……」
少し驚かすはずが、キラの想定以上の挙動に友人トール・ケーニヒは戸惑っていた。
「いや、そんなに驚かすつもりなかったんだけどさ……」
癖の強い髪をいじりながら謝ってくるその笑顔は人懐っこい。怒ってなんていない。そう返事している内に少年が2人、トールに追いつこうとしていた。
サイ・アーガイルとカズイ・バスカーク。どちらもキラの友人だ。
トレード・マークでもある眼鏡を拭きながら、サイは驚いたような顔をしながら歩いてくるところだった。
「そんなに集中してたのか、キラ?」
アイリスのことを見ていたことに気づいてはいないのだろう。ところが、カズイの方はそうはいかない。顔にそばかすを浮かべた純朴そうな少年はキラが見ていた方向に首を向けると何かに気づいたような瞬きをしながらキラへと顔を戻した。
「アイリスのこと、見てたのかい?」
「いや、別にそんなわけじゃないんだ……」
「そういえばキラはまだアイリスとは会ったことなかったよな」
サイが手を振ると女性3人組の先頭のフレイが手を振り替えした。友人の呼びかけに応じる形で少女たちがキラたちのもとへとやってくる。このグループの中でアイリスと面識のないのはキラだけだ。
意図してそうしてきたのだから当然と言えば当然だろう。遠くならまだ見ていられた。ただ、近くに来られるとずいぶんといたたまれない気分にさせられる。徐々に視界の中で大きくなるアイリスの桃色の髪がまぶしくさえ思えた。
「サイ、僕はもう帰るよ。今日は星を見に行く日だから」
用事がある。それは決して嘘ではないが、今すぐに出向かなければならないほどの急用でもない。それでもキラは足早にここを立ち去ることにした。サイは戸惑ったようながらも見送りの言葉をかけてくれる。こちらに向かってくる少女たち、正確にはアイリスから逃げるように、キラは下校する学生の列に混ざるようにその場所を後にした。
ヘリオポリスは資源採掘用のコロニーであり、その半分は工場、研究施設、あるいはそれに関する施設で占められている。それらは資源衛星と接する側に集中している。コロニーに入るには通常、円筒の両端に備えられた宇宙港を通らなければならない。ヘリオポリスの場合は片側が衛星に突き立てられているため、宇宙港は1つしか存在していない。
この宇宙港から順にコロニー内部を眺めていくと、倉庫群、格納庫など港を構成する施設をまず眺めることになる。続いて、学校、住宅、各種生活施設が並ぶ居住区、あるいは都市部と呼ばれる区画を通る。その奥に工場は置かれているが、工業地帯と都市部の間に自然公園が緩衝地帯として置かれていた。
学生の場合、用がなければ港には行かない。自然公園は散歩する者も多いだろうが、工業地帯に立ち入ったことのある者は稀だろう。
都市部が生活の中心であることは間違いない。
そんな都市部の一角、目立たぬようとめられた車があった。その中には女性が1人。
短い髪。糊の利いたスーツをしっかりと着込んだその車の中で電話を受けていた。その外見と違わず、その声は凜として、厳格な受け答えをしている。
彼女はナタル・バジルール。アイリスの送迎を行っている保護者であり、電話の相手もアイリスであった。今日は友達と遊びに行くと報告を受けていたのだ。ナタルはまだ若く、とてもアイリスの母親には見えない。歳の離れた姉のような印象である。だが、2人に血縁関係はなく、ナタルにとっては任務の一環にすぎない。
特に問題はない。夜遅くまで出歩かないことと、保護者の定型句を述べてから電話を切った。
その車の前をアイリスたちが楽しげに通り過ぎた。ナタルは保護者として、アイリスを目の届く範囲においていた。だが、アイリスがその監視に気付くことはなかった。
ナタルの視線に気づくこともなく、アイリスは友達と街を歩いていた。人影はまだまばらな時間帯でサイたち少年3人に、アイリスたち少女3人がかたまって歩いていても誰かの邪魔をすることもない。アイリスが携帯電話の通話を終えた時、ちょうどフレイが話を始めた。
「ねえ、サイ。あのキラって子、誘わなくてもよかったの?」
「今日は星を見に行くんだってさ」
「よくわからないけど、どうしても外せない日課なんだって言ってたよ」
サイの言葉を補足したのはカズイだった。普段から集団の後ろを歩きたがるカズイは少し声を大きく前のアイリスたちに聞き取りやすくしてくれているようだった。
アイリスは整った眉をしかめて、よくわからないといった表情をした。別にカズイの言っている意味がわからないだとか、声が聞こえなかったからではない。このコロニーでは夜間採光部は閉じられ外の様子をうかがい知ることはできない。星は望むべくもないのだ。試しにアイリスは空を見上げてみた。すると、街を構成するビルの先には空ではなく逆さまのビルがかすかに見えた。
コロニーは円筒状で、内壁に人々は暮らしている。昼の時間帯は壁の一部が開き太陽光を取り込むが、夜間は密閉される。どれだけ高性能な望遠鏡を用いても星を見ることはできないだろう。
「キラさん……、どんな星を見るつもりなんだろ?」
昼夜の区別のない宇宙空間でも人には夜と昼が必要である。
コロニーの採光部がゆっくりと閉じられる。地球上での日没と速度を合わせて外から入り込む光が徐々に制限されていき、短い夕焼けに空を曝してから夜の帳が幕を降ろす。ヘリオポリスが存在するラグランジュ・ポイントの標準時で夜の時間帯。
そんな時間のこと。
鳥のさえずりは聞こえない。音らしい音はほとんどない。もしかすると、自身の心音が一番大きな音であるのかもしれない。
コロニーの一画に設営されている自然公園。地上に似せて湖がつくられ、川が木々の間を流れている。昼間には休憩の場所に、休日にはピクニックに訪れる人が多い憩いの場所だった。残念ながら、現在は循環システムの不具合で閉鎖されている。加えて、忍び込んだ不届き者が工事資材を盗み出した事件があったらしい。そのため、昼夜を問わず警備員が巡回していた。
そんな穏やかな公園も夜ともなると外灯の明かりは弱く、散歩に適してはいない。こんな時間帯に、しかも警備の目をかいくぐってまで自然公園にいるのはよほどの変人か、よほど後ろめたい事情を抱えた人物だけだろう。
では、この少年はどちらであろうか。キラは警備員に見つかることもなく自然公園に侵入を果たしていた。放課後と同じ私服姿で暗い中を、しかし特に警戒した様子もなく歩いてく。適度に湿った土は音を立てない。外灯の明かりは目立つからと避けて歩いていた。必ずしも歩道を選んで歩く様子はない。それどころか道の脇に生えた木を一瞬周囲の様子を確認するしぐさを見せた後で一気に登り始めた。枝に鉄棒のように手をかけて次々に上へ上へと上がっていく。見上げるほどの高い木でありなあら、キラの姿はわずかな時間で公園を軽く見渡せる程度の高さにある枝に座っていた。
公園を見渡せる、しかし、周りからは見えにくい位置を選んだ。
採光部は完全に閉じられ星はその姿を隠していた。キラはそのことを気にした様子もなく、首にかけていた双眼鏡を水平に構えた。
はじめから星を見るつもりなどないのだ。キラがいったい何を見ているのか、それを知る者は誰もいない。何を見ているのか、何が知りたいのか。それを誰にも告げないまま、キラはそっと双眼鏡を下ろした。その顔は特に何か感慨が浮かんでいる様子はない。ただわずかだけ眉をひそめて見せた。
携帯電話を取り出し番号を打ち終えてからしばらく待つ。
「サイ。僕だよ……」
枝にすわり木の幹に背を預け、キラは街に遊びに行っているはずの友人へと連絡をかけた。
電話が来た。サイが確認すると、それは意外にもキラからのものであった。普段電話なんてかけてこないキラが珍しい。サイがそんなことを考えているうちにキラは短く用件だけ告げると、あっさりと電話を切ってしまった。その内容は意図のよくわからないもので、釈然としないまま、しばらく携帯を眺めた。
「誰から?」
こんなに気軽に聞いてくるのはトールならではだろう。特に聞かれて気まずい内容でもない。サイは携帯をしまいながら答えた。
「キラからだった。よく分からないけど、今日は早く家に帰れってさ」
このやりとりのどこにきっかけがあっただろう。仲間との話し声。雑踏の喧騒。道路をこするタイヤの音。都市部に満ち満ちていた音。そのすべてを飲み込む破裂音が大気を震わせながらサイたちを通り抜けていった。音そのものが胸を叩いたような息苦しさを一瞬感じた。仲間たちの叫び声や、戸惑う人の声が響く。
離れた場所であった。ビルの向こう側に巨大な火煙が立ち上っているのが見えた。破裂音、いや、爆発音はすぐにやんだ。しかし、もう都市部の音は戻ってこない。音の間隙を狙い澄ましたかのように、突如、サイレンが鳴り響く。
一体何が起きているのだろう。サイたちは慌ててあたりの様子をうかがった。首を右に向ければ戸惑う仲間の顔。首を左にすると呆然とする通行人。
そして、首を上に。灰色の甲冑を着込んだ一つ目の巨人が轟音と突風とともに都市を飛び越えていった。