生まれたばかりの若い恒星と、その周囲を取り巻くのは星間物質である塵のリング。 恒星系の背後に他の星の明かりは見えない。まるで暗幕に覆われたようにただ暗い景色だけが、広がっていた。 暗幕の正体はこの宙域に数百光年以上の宙域にわたり広がるライトーン暗黒星雲。この若き恒星系の素でもある暗黒星雲はあまりに巨大なために、生まれた恒星をすっぽりと覆い隠してしまうほどだ。 この巨大暗黒星雲内に隠れている恒星はここだけではない。少なくとも十数個の恒星が発見、もしくは観測され、さらに学者達の憶測ではあるが、その十倍から数十倍規模の数の恒星が、生まれた、もしくは生まれようとしていると議論されているほどだ。 学者達には格好の研究材料であろうとも、星系連合にとっては拡大政策を妨げるほどの大きな障害であり、今現在この辺境領域暗黒星雲内では、星連による大規模な航路開発が行われていた。 その証とも言うべきか、この生まれたばかりの若き恒星系の外縁部。恒星と暗黒星雲のほぼ中間地点に、この宙域でただ1つ人工物たるガイドビーコン衛星が設置されている。 メンテナンスフリー構造の10メートルサイズ小型衛星は、星連領域ではよく見られる航路灯台。周辺に設定された跳躍可能ポイントの宙域情報を、常に発信し航路管理を行っている。 辺境も辺境。しかもまだ航路開発は、その基礎拠点となる星系開発が始まったばかりで、利用者などほぼおらず、聞く者もいない基本情報をただ発信するだけの通常待機状態のビーコン衛星が、突如稼働を始める。 衛星本体から多数の子機が射出され、積極的に周囲の情報を集めていく。その探査範囲の広さから、かなりの大型艦が転移してくる事が察せられる。 しかし見る者が見れば、この跳躍がかなり危険度の高い無謀なことは、一目瞭然だった。 まず1つはあまりに恒星との距離が近すぎる事。 飛び石を渡るように跳躍可能ポイントを飛び渡っていく今の跳躍航法にとって必要不可欠な存在。ディメジョンベルクラウド。 時空間を感じ取るナビゲーターたるディメジョンベルクラドにとって、恒星は恰好の目印であるが、同時にその感覚を大きく惑わす存在でもある。 可能な限り恒星の影響を受けない、できれば恒星系外への跳躍が基本とされている。 そしてもう一つ。それはこの若き恒星系の周囲を囲む暗黒星雲。暗黒星雲の正体は、極めて濃密に集まった高密度の星間ガスや宇宙塵の集合体。 細かい、それこそ分子大の大きさの物質であっても、速度が上がれば船体を破壊するだけのエネルギーを持つ障害物となりかねない。 座標がズレその真っ直中に転移すれば、周囲に機雷がばらまかれているのとさほど変わらない状況となり、大型艦であればあるほど身動きが取れなくなる恐れがあるからだ。 地上に住む生物の目から見れば、恒星系と暗黒星雲間の空間は広大と表現しても足りないほどの空間が横たわっている。だが宇宙を生活圏とする者達には違う。 地上の者にも判るように例えるならば、この跳躍ポイントに大型艦が跳ぶのは、高さ数十メートルはある崖の上から、地上に設置されたコインの上に寸分違わず着地しろというような無茶なのだ。 恒星さえも自らの手で作り出す高度に発展した科学技術力を持つ銀河文明からしても、この銀河は、途方もなく広く、そして空間跳躍には危険が伴うことに変わりはない。 跳躍距離、質量が増せば増すほどに、その危険度は天井知らずに跳ね上がる。無謀といえる跳躍。だがその跳躍は実に静かに行われた。 ビーコン衛星と子機が調査した空間が、音もなく僅かに水面のように揺れながら、その歪みの中心から、高次元領域を通過し、現次元へと復帰した巨大な球型恒星間航行船が音もなく浮かび上がってくる。 跳躍現界時によく見られる余剰エネルギーが放出されるプラズマ光や、最外装船殻の破砕現象の1つも無く、まるでそこにあるのが自然の摂理とでも言わんばかりに、汚れ無き白き肌を見せた女王は、粛々とその威風堂々とした姿を現した。 船の名は『フォルトゥナ』 星連最大手運搬企業バルジエクスプレスの最新フラッグシップ。大質量長距離跳躍艦『フォルトゥナ』と呼ばれていた。 『現界を確認。座標確認後、再跳躍へ空間安定処置を開始します』「さすがですね。跳躍ポイント誤差はコンマ単位でも無しですか」 暗黒星雲内に僅かに出来たかろうじて跳躍可能な宙域ポイントへと、ピタリと治めた手腕に、直立不動で立つシャルパ・グラッフテンが静かな声で賞賛を送る。「簡単簡単。設置されたビーコンがあるんだから。パッと感じて、チョンとあわせて、ポンって感じねぇ。この子も惜しみなくお金使ったから優秀だしね」 バルジエクスプレス代表取締役社長であり、フォルトゥナのナビゲータでもあるレンフィアは、艦橋中心に据え付けたナビゲータ席に寝そべりながら眠たげな瞳で答えると、己の髪から生え軽く渦を巻く白色の角を弾いた。 ジェネレーター最大出力こそは、今も史上最大を誇る天級搭載の六連O型恒星湾曲炉には及ばないが、最新アビオニクス技術を惜しみなく搭載されたフォルトゥナ級は、複数艦による同期跳躍によって、天級さえも公式記録上は不可能とされている1つの恒星系を一度に跳躍させる超質量跳躍が可能となるほどの、跳躍操作性を持っている。「ご謙遜ですね。全てはレンフィア様の能力があってこそ。あのビーコン衛星も貴女が以前ここを通ったときに設置した物と聞いています」 以前はビーコン無しでこの難所に跳躍したのだから、跳躍正確性においては当代最高のディメジョンベルクラドと称されているレンフィアの評判に間違いは無い。 現に彼女の技術を習おうとし銀河中の若きディメジョンベルクラドが師弟として、バルジエクスプレスに見習社員として入社している。 だがそのナビゲート技術や説明は、実に感覚的な物で、余人どころが、その弟子達にも判りづらいと評判になっている。 もっともその弟子達が、元々の才覚があって跳躍可能距離は制限があっても、精度の点では軒並み優秀なナビゲータとなっているのは、紛れも無くレンフィアの手腕による物だ。 その教育方針は、要は本人のやる気があれば、いくらでも自由に仕事はさせてやるが、過信したり無理して失敗したら厳しい罰という物だ。「ビーコンは目印として基本よぉ。あ、でも貴女の所のお姫様なんかは、ビーコンなんてめんどくさいって雑だったわ。まぁそれでも、それなりにあわせてくるから大目に見てたけど、一度酷くやらかしたときは、おむつつけさせて、泣くまで外装罰掃除にしたけど」 アリシティアの話題をだしたレンフィアの目線は、シャルパの頭の上。その耳に向けられているが、微動だもしていなかった。 スパルタな教育方針と共にレンフィアが弟子達に恐れられているのは、その性質が基本的にサドというか、好ましい相手に対してほどいじめっ子になるとでも言うべきか、極めて性質の悪いからかい好きなところにある。 現に、能面のように常に表情を変えないシャルパの素を少しでも引き出してやろうとしているのか、この船に乗船してからも、時折シャルパの主たるアリシティアの話題を出している。「今の姫様の力があるのは貴女のおかげです。そこに感謝することはあれど、恨みを申し上げる気など毛頭ありません」 だが痛々しい爪痕が残る顔を一切変える事も無くシャルパは、ただ僅かに頭を下げる。その様はただ忠実に主に仕える忠臣その物で、レンフィアが予想している答え通りでしかない。「ほんとグラッフテンの子は、紋切りばかりでつまらないわね。あなた。アリシティアを見限ったんでしょ。もう少し別な答えは出ないのかしら?」 言葉に反し、レンフィアの瞳の奥は楽しげな色に染まっていた。 なるべく虐めて反応や言葉を何でもいいから引き出してくれと、ある男からも頼まれている。 あの性悪男ならば、この鉄面皮を困らせたり、素の感情を引き出したりするのも造作もないかも知れない。 何を企んでいるかは詳細までは知らないが、また面白そうなことを企てひっかき回してくれる事だろう。 退屈なこの宇宙が少しでも面白くなるならば、レンフィア個人としては大歓迎であり、社長としてもビジネスチャンスに繋がる切っ掛けが生まれるなら、積極的に手を貸していくだけだ。「私の存在理由は姫様の為にあります。別の言葉を持つ必要性も意思もありません」「そこまで忠犬してるなら、監査官なんて辞めて戻れば? あの娘なら両手あげて喜んで迎えてくれるでしょ」「ありえません。ディケライアは潰さなければなりません。姫様の為にも」 レンフィアが繰り出した悪魔の囁きに対しても、シャルパは一切の動揺も見せず、即答する。ディケライアを潰すことがアリシティアの為なのだと。 唯一残った左の目には何の色も見えない。「保護惑星に無断で、しかも生身で降り立った者が二名存在するという証拠は、押さえてあります。唯一生身での降下許可を持った者にお伝えください。ディケライアの事業権の一時停止は既に避けられないと。そしてあなた方には立ち止まれる時間は無いはずだと」 ただ淡々と決まりきった未来を告げたシャルパは、一礼してからブリッジから退出していった。 どうやらレンフィアがディケライアに情報を流していることも、端から承知で自由にさせているようだ。 その私情たっぷりで動いているくせに、感情を感じさせない冷たい背中にレンフィアは、古い友人の背中を見る。「さすがサラスの娘。容赦がなくて、融通の利かない辺りはそっくりじゃない……どっちに転がるか面白くなってきたわね」 ディケライアが上手くいけば、銀河規模の流通革命が起きて会社の利益になる。 上手くいかなければ、借金の形に天級二隻と、優秀なナビゲータとその候補が一名ずつ確保できる。 どちらに転んでも、既に勝者の椅子に座っているレンフィアには損はない。「さてとじゃあ再跳躍に備えエネルギーチャージ。空間安定処置衛星はバンバン使って良いから。諸経費は星連持ちだしパッといきましょ」 アリシティアが、悪魔やら地獄羊だと嫌がり恐れる笑顔で、レンフィアは楽しげに指示を出した。