帝都にあるダンジョンの入口は3つ。どれもが地下にある広大にして半異界化しているダンジョンへと空間が歪み繋がっているため、入ってきたところと別の出口から出ることもある。
それぞれの入口には冒険者の受付カウンターがあり、そして酒場や教会、商店などがある大きな建物となってる。
施設自体は味気のない番号のついたものだから、多くの人はそこにある酒場の名前──『失われた砂漠の都』『黄金のピラミッド』『呪われた皇帝の秘宝』の3つ──で呼んでいる。
行きはよいよい帰りは怖い、という言葉とは逆にダンジョンから脱出するのは、深部へ潜るよりもずっと早く帰れるのだという。これはかつてダンジョンの最深部近くまで潜った旅神の上級神父が施した大規模術式である。
そういう説明は全部アイスが小鳥にしてくれた。イカレさんに聞いても「面倒ォだからアイスに聞け」とだけ回された。
「出入口の付近はダンジョン内の構造変化でも変わらないからね。灯火は付いているのだよ」
そう言いながらアイスは魔法の灯りを消した。確かに、灯りがなくてももはや周囲は見渡せるほどになっている。
大きなネズミや蝙蝠などが時折視界の端に視えることもあったが、襲いかかっては来ないようであった。
「低層の魔物だな。弱い魔物は魔力などに反応して向こうから逃げていくから、魔法使いのいないパーティや小銭稼ぎのソロ冒険者でもない限りこのあたりで襲われることは無い」
「ふゥん。そォなんだ。詳しいな」
「……サイモンくん、仮にもダンジョンに入るなら少しは予習しておいてくれ。君と同じく初めて入る私ですらこの程度知っているというのに」
「ヘイヘイ」
呆れたようなアイスに対してイカレさんは適当に受け答えをする。きっと説明書とか読まないでゲームを始めるタイプである。
「まったく。君が3日も帰ってこないので心配になって駆けつけたのに……」
「そうですよイカレさん。準備を危険察知は必須なんですから」
ダンジョン攻略に有用なスキルは危険察知・生存術・罠回避などだろうか。地味ではあるけれど、パーティに一人はシーフか忍者が欲しいところである。
忍者といえば鳥取のテレビ番組NKTで放送している『忍者トットリくん』の8回目の再放送が先週から始まっていることを小鳥は思い出して、しばらく見れないことに軽く落胆する。全12クールの長編番組なのにやたら再放送が多いのが救いか。特色としては、決して忍者が出てこない。執拗なまでに出てこない。謎だ。
トットリくんはさておきイカレさんは「むゥ」と小さく唸って言い訳がましく答えた。
「召喚士なんてやってるとイマイチ危ねェって感覚がわからねェんだよな……」
七曜防護(レインボウ・エフェクト)と呼ばれる髪と目の魔力発光により大きく精神作用されるものはカットされるのが召喚士の特徴で、それ故に魅了だとか呪いだとか恐慌だとかとは無縁になるのだ。
たとえドラゴンが目の前で吠えようが神が降臨しようがマイペースを維持できる。
「わたしの故郷なんて危ないことだらけですからすっかり危険察知と動体視力はよくなってしまって」
「なんでまた動体視力が」
「スロットの目押しは鳥取県民の基本スキルですので」
人通りの無くなってシャッターの降りた商店街でどうやって生活必需品を手に入れるかというとやはりパチンコ屋になってしまうのが鳥取県民の宿命なのであった。
食料品から生活雑貨まで交換景品が取り揃えられているようになっている。大陸系のパチンコ屋に対抗して県営パチンコ屋と近隣県マフィアのシマがしのぎを削りあうキリングフィールド。広島系はあからさまに店員がヤクザで島根系は洗脳効果があり、岡山系は……岡? とか山? とかまあそんな感じで──鳥取県の治安の悪化とモラルの低下は著しい。
それはともあれ危険察知的に低層に来るまでに通っていた道にはいくらか罠が仕掛けられていたけれどさすがに浅い階層だとそれもないようであった。仕掛けられていたのを小鳥が発見しただけで特にイカレさんには教えなかったが。
アイスが不思議そうに首を傾げる。
「トットリ? それがコトリくんの故郷か?」
「……あァ。辺境のクソ田舎だから名前は知らねェだろォが」
「む、失礼な。現代日本の豊かさを舐めるなですよファンタジー。これでも政令指定都市なんですからね。よろしい、例えば帝都とやらの人口はいかほどですか」
「そうだな、正確にはわからないが600万人前後ではなかったかな」
「すみませんでした。クソ田舎です」
鳥取の十倍以上人口があるとなるともはや敗色濃厚である。侮ったファンタジーに思わず謝罪した。
だが公式では58万人程度の人口だけれど戸籍の無い人や不法滞在者なんかも含めればもうちょっと鳥取県の人口も居るはずだという挟持を彼女は忘れない。
「ふ……これで勝ったと思わないことですね。鳥取など我らの中では一番の小物……所詮砂漠の中にある小さな集落よ……」
「砂漠の中にあるのか?」
「どうも世間ではそう思われてるらしいですよ」
「……なんかコイツ会話が成立しそうでしねェな」
げんなりと半眼でイカレさんが睨んでくるので、小鳥もまったく深刻そうではないとぼけた顔のまま小さく言葉に出しつつ考える。
「うーん、アレでしょうか。通じにくいのはきっと異世界へ転移したときにかかった翻訳魔法的なものの不都合とか。困る。わたしの国の固有名詞がこの国では異様に薄ら汚いF言語だったりしたら。個人的には『ヤングコーン』とか誤解されそうな単語の気もする。初めて聞いた時わたしも食品だと認識できなかったですから。エロ用語かと」
悩みつつも適当にアイスに異世界人だということを黙りつつ嘘話交えて話していた。
次第にイカレさんは死ぬほどうんざりした顔でもはや口を閉ざしていたが。
ぺたぺたとスリッパで低層を進み戻ると人工の建造物のような物が見えた。
石造りの門だ。なにやら文様らしい物が彫ってあり、門の近くの壁には張り紙がいくつかある。文字らしきものも書かれているが、異世界言語なので小鳥には読めなかった。
「あれが入り口ですかヤングコーン」
「そうだな。[失われた砂漠の都]亭に繋がっているのだ─────ヤングコーン?」
「怠ィ……早く帰りてェ」
虹色の髪の毛をボリボリと掻きながらイカレさんも言う。
前は更にダンジョンの少し入ったところに駐屯所があったのだが、月一ほどで発生する強力な魔物の襲撃に耐え切れずに潰れてしまったのだという。
小鳥はそこの門を潜れば本格的に異世界デビューとなるのだと思うと、少なからず未知と不安に胸が鳴った。こんなに彼女がわくわくしたのは一昨日近所ののおうどん屋で全トッピング注文した時以来かもしれない。生卵と半熟卵とゆで卵の三つはどれか一つに絞っても良かったと思ったが。
「それではこのわくわくを歌で聞いてください。サッチモから『What a Wonderful World』……」
「なにいきなり歌い出してるんだ手前。とっとと出るぞ」
イカレさんの冷たい言葉にメロディーは阻まれた。歌は人類及び地球外生命体にも効果のある大気の振動波長だというのに。これも七曜防護か。
苦笑しながらアイスが扉を開くと、中から、あるいは外から新鮮な空気が様々な匂いと音を伴いつつ流れてきた。
黄色い灯りの灯った屋内へ、小鳥は一番最後に足を踏み出した。
*******
その場所は現代日本で例えるなら空港のようだ。いや、飛行機が出入りするわけでは無いので、正確にはそのロビーの賑わいに似ている。
ダンジョンへの入り口付近に係員が冒険者の出入りを監視だか記録だかしているようで、そこから広がる屋内の広間には椅子やテーブルが並べられ何人ものファンタジーな衣装を──黒いローブに詰れた杖を持った魔法使いや軽鎧を着た戦士風の人たちが座り、酒と思しきものを飲んだり食事を行ったりしていた。
奥には道具屋だか食べ物屋だかが雑多に並び、それがまた空港の売店を彷彿とさせる。進むべきは搭乗口ではなく、ダンジョンへの入り口なのだが。
ワイワイと飲み屋と変わらない雰囲気で騒いでいる。今が何時かは分からないが、飲んでからダンジョンに潜るのか帰ってきてのんでいるのか不明だ。
簡易のステージのようなモノもあって、そこでは兎耳の生えた修道服のシスターがマイクを握ってポップなミュージックを歌っている。
(カチューシャとかでなければ亜人とかいうやつでしょうか)
小鳥が見回せばそれ以外にも、トカゲのような人とか耳が尖った人とかも見受けられる。さすがファンタジーっぽい世界だと感心した。
入り口近くの席に座る冒険者さんたちの何人かはダンジョンから帰還した三人へ目を向けていた。
まずはスーツ姿で片手にバットを持ったアイス。次にヨレヨレのローブを着て手ぶらでレインボウなイカレさん。そしてパジャマ姿の小鳥。
恐らくは虹色のイカレさんが注目を集めているのだろう。なにせ虹色だ。酒場には他に虹色は居ない。
「もう帰還か、冒険者アイス・シュアルツ」
そんな声をかけてきたのは受付の席に座っていた強面だった。やや浅黒い肌にどこか猪に人間味を混ぜた顔立ちをしていて、全身にはちきれんばかりの肉が付いている棍棒とか斧とか現役で振り回しそうだが、以前冒険者をやっていて膝に矢を受けて引退し受付になった男である。
彼はオークという力の強い種族である。
気になったので小鳥はイカレさんに聞く。
「イカレさん、イカレさん、あれはオークですかとこれはゾンビですかみたいな感じで訪ねてみます」
「そォだよ。見りゃわかんだろ。手前の世界にもいるんだろォが」
「いえ、いないんですが。オークといえばえーとエルフを食う野蛮な種族として知られてまして」
食料的にも、性的にも。もはやオークとエルフはコンビのようにファンタジーに現れる。
エルフが悪堕ちしたのがオークだっていう説もあるぐらいだ。フィクション設定なのに説ってどういうことかとは思うが。
イカレさんはオークの悪名に意外そうな顔をしながら答えた。
「そっちじゃどォかしらねェけどよ、こっちのオークは基本的に大人しいか仲間思いだ」
「ああ、最近そっちも流行ってますよね。被害者オーク」
「なにがだ」
「エルフにおつまみ感覚で襲われたり?」
「その風評被害が差別だと気付け」
それはそうと、アイスと話していた受付オークはイカレさんを覗きこんで笑い混じりに云う。
「そっちの召喚士、サイモンを助けに行ったのだったな。まだ生きてるとはしぶとい野郎だ」
「余計なお世話だっつーの」
そこはかとなく草食獣のような優しい目をした受付オークは次に小鳥へ目線をやった。
優しいというけど草食獣だって生きるのに必死なだけであって決して優しい生き物じゃない。特に山羊とか間近で見ると目が怖い。瞳が縦で。
そして不審げに尋ねる。
「あの娘は? どこの冒険者だ」
「え゛……べ、別にどォでもいいじゃん?」
「おや? 何を焦っているのだサイモンくん。コトリくんだってダンジョンに入っていたということは冒険者に登録されているのだろう?」
「ど……どォだっけかなァ、おい」
小鳥を異世界からダンジョン内へ強制拉致した犯人さんはそこのところを追求されて惑った目を惑わす。
彼の首にも、アイスの首にも微かに光るダンジョンに潜る許可証が下げられているのだが、小鳥には無い。それを見て更に受付オークは不審な顔立ちになる。
彼女はここを華麗にクリアしてこそ異世界の賢者の名を欲しいままにする予定の、所々灰色と評判の頭脳の見せどころだと判断して言い逃れを考える。
そして真顔で小さく頷き、
「はあ、実はほら、前のアレの時に巻き込まれてしまいまして。それでアレしてたんですが偶然アレでしてこういう結果に」
「ダメ臭ェ!」
小鳥の誤魔化しにイカレさんからツッコミが入った。
「しっ。黙ってなさい……」
「うっせカス以下の言い逃れしやがって……」
小声で言い合っていると受付オークは小鳥の服装を鑑みて考え込みだした。
「前の……というと、まさか例の事件の被害者か? 冒険者を装った誘拐組織。ダンジョンの中に攫った娘を隠していたと聞いたが……」
「それです。その確か爪に火灯すサーカス誘拐団とやらに助平な事とかヤラれた挙句捨てられまして。いたた。これって保険降りますかね」
「──そうなのだ、可哀想にコトリくん。店主、彼女を早く休ませてやりたくてな」
「まったくだ。あ、これ魔鉱だから換金してくれ」
悲しそうに首を振ってアイスは小鳥の肩に手を置いた。なんというか、彼女に説明した時とかなりちぐはぐになっているのだけれど何らかの事情があるとわかり、話を合わせているのだ。
小鳥が視線を向けると心得ているとばかりにアイスは小さく笑みを作った。怪しいことを追求しないとは本能的に長寿タイプだ。
そんなことをしているとイカレさんが紙幣を持ってふらふらと戻って来る。目に見えて挙動不審です。
「お、俺の二ヶ月分ぐらいの生活費がこんなにあっさり手に入った……労働って素晴らしいな、おい」
「半分以上はアイスさんの倒した魔物の分ですけどね」
「ぐっ……わかってるっつゥの」
「い、いやそんな私に紙幣を押し付けられても困るよサイモンくん。分配は後で考えるとして、今は宿に戻ろう」
意外に律儀に、それでいて歯を食いしばりながらアイスに金を渡そうとするイカレさん。
それをやんわりと断りつつアイスの先導で三人は入口付近から離れて行った。
そこらからささやき声が聞こえ、それを小鳥イヤーが拾い上げる。小鳥イヤーは順風耳である。あくまで自称だが。
「おい、例のソロで入っていった召喚士の野郎戻って来てるぞ」
「ちっ。くたばる方に賭けてたんだがな」
「あの青い髪と魔杖アイシクルディザスター……アイス・シュアルツじゃないか?」
「マジかよ。ちょっとサイン貰ってくる」
「っていうかなんかダンジョンからパジャマの女出てきてんだが」
「あーほらアレじゃねェか、前売りだされてた睡眠耐性付きの魔法の布を使ったパジャマ。眠りの海域なんかでは装備して行くやつがいるとか聞いたけど」
「ああ、パジャマなのに寝られなくてどうすんだって事でさっぱり売れなかったアレな」
「それよりシスター、もっと激しい曲歌えー!」
「は、はいっ! それでは聖歌『時告げる空神の軍楽隊』雷の楽章『猛き御雷』……せーの」
「うわー退避──!!」
[失われた砂漠の都]と名付けられた建物の扉を叩きつけるように、一番最後に歩いていた小鳥は閉めて外へ出た。
建物の中からはラッパの音と雷鳴と悲鳴が響きわたっているようである。流石異世界、危険に満ちている。
アイスさんがやれやれといった口調で説明した。
「歌神信仰のシスターだな。魔力を声に乗せて様々な効果を発生させる術を扱うのだ。中には先程のように雷を操る曲もある」
「室内で使うんじゃねェってのバカシスターが」
ブツクサと文句を言うイカレさん。
この世界ペナルカンドでは様々な神が信仰されていて、一部の司祭や神官はその力[秘跡]の術を使用することができる。ダンジョン探索にも役に立つ為に冒険者として登録されている者も少なくはない。
「関係ないけれども獣耳の人って耳が4つあるわけだけど、つまり人間の頭蓋骨より余計に二つ穴が開いているってことなのかな。どうでもいいか」
「どォでもいいわ」
***********
小鳥らがダンジョンから脱出した時点でこの世界は夕方だったが、イカレさんとアイスの住む宿に帰る頃には薄青い闇に包まれた夜となっていた。小鳥はこの惑星にも日中を照らす恒星や月とも言える衛星が存在することを確認してとりあえず珪素生物が跋扈する環境じゃない事に安心した。
宿への移動にはイカレさんの巨大な鳥が使用された。三人乗っても大丈夫な、ドラゴンのような大きさの鳥を召喚してそれに乗って帰ったのである。揚力や流体力学を魔力法則で凌駕してこの世界では巨大な飛行生物も空を飛ぶ。
空の上からこの帝都という街を眺めると……やはり砂塵で霞みパチンコ屋のネオンの貪婪な輝きが拡散して見える鳥取の夜景よりも賑やかに見えた。
二人が住む宿というのはこじんまりとした、しかし予想よりもボロくはない所であった。
木造で一階が食堂、二階に6部屋ほど泊まれる部屋があり、そこには下宿という形でそれぞれ別の部屋にイカレさんとアイスが住んでいる。家賃は安い方なのだとか。
そして帰ったらイカレさんが空腹でテーブルに突っ伏したので、とりあえず小鳥が何か料理を作ることにした。
「外に出たらご馳走するって言ってましたのでさくっといきましょう」
厨房に入った。そこにある食材はだいたいアイスのものだから自由に使っていいと許可を貰う。
他人が料理するのを観察するようにアイスも付いてきた。
「アイスさん、アイスさん。塩化ナトリウムはありますか? ええとナトリウムというのは金属元素の典型元素の一つで」
「……塩のことか? この瓶だが」
「なるほど。調味料とかもちょっとくださいね」
そう言って異世界の調味料を少しだけ舐めて味を覚える。甘いとか、塩辛いとか、刺激があるとか、ミント系だとか。
料理のさしすせそを揃える。
「調味料の配合さえ掴めば材料がなんであろうとある程度は食べれるものになるです」
「そういうものかな」
「これでもペッパーとミントの魔術師と呼ばれた女子ですよ? まあ見ててください、オールバックの美食家も唸るようなものを用意します」
用意した。
「ちょ、なにこれ何を材料にしたんだァおい! 名状し難いのに料理と分かる形してやがるが!」
「まあまあ。文句は食べてから言ってくださいよ」
「──う、うめェ!? 材料は何使ってるかさっぱりわからねェけど味はうめェ!? どうなってる!?」
「むう……神聖で美しくて強力な味がする。不思議だ……間近で作るのを見ていたのに正体はさっぱりわからないところが特に」
*************
おおよそ人類が口に入れたら脳が強制的に美味だと錯覚するように作られた料理を好評のうちに平らげられつつも談話は続いた。
主にアイスと小鳥が会話をしていて、別段彼女は冒険者としてダンジョン経験があるわけではなく、遭難したイカレさんを助けるために冒険者登録をしてダンジョンに挑んだことを明かした。
ダンジョンは基本的に国と冒険者組合──正確に言えば[ダンジョン開拓公社]だがいつの間にか冒険者の呼称が主流になった──が管理しているので部外者は、それこそ架空の誘拐組織にでも連れ込まれなければ入れないのだと云う。
入社試験はあるのだが、実績のある魔法使いや召喚士、騎士などは即日採用されるのですぐに彼女はやってこれた。
冒険者はダンジョンに潜るだけではなく、帝都近辺の魔物が出現する野山での採集活動や商隊などの警護、魔物退治なども請け負う仕事もある。建国時から集まってきた傭兵を登録しておく為の会社でもあったそうだ。
その中でもダンジョンは、潜れば基本的に魔物がお金──魔鉱と呼ばれる換金物──を落とすので腕に自信があるか、仕事のない冒険者か戦闘能力に優れたもの、ダンジョンに落ちている宝を探すものがやってくる。
「そォいえば金の分配してなかったな。おら、アイスの分だ」
と、イカレさんは適当に半分にした今日の稼ぎを紙幣で投げてよこした。
彼女は困りながら一応は受け取り、
「別に私はいらないのだが……」
「うっせ。こちとら一月分も稼ぎが残りゃ充分だっつーの調子乗んな」
そう言って、渡す分は渡すのであった。貧乏はしているものの分別はある。彼のようなチンピラならば一度手に渡った小銭は刃物を振り回し親兄弟を殺してでも死守して欲しいと小鳥は無駄に願うが、それは叶わないようでやや残念に思えた。
小鳥が、
「それにしても数時間の戦闘でそれだけ稼げるとは、中々儲かる仕事なのですね」
「そうだな。もちろん今日倒したような魔物と戦うには命懸けの人も居るから、儲けが多いか少ないかは人次第だけれど。落ちている財宝には、それこそ遊んで暮らせるようになる価値の希少品があったりするのだ」
「へえ……」
「ま、私もガイドブックを斜め読みした程度しか知らないが。大儲けした有名な昔の冒険者で言えば、無限のお粥を出す釜を手に入れた[ホーリーカップ]チェーン店のラロスレイ社長、[黄金の鉄の塊の鎧]や[親のダイヤの指輪のネックレス]などダンジョンで発見した貴重品を帝王に収めて貴族の位になった[黄金卿]フーリマン子爵、様々な貴重品を仲間に莫大な遺産として残しダンジョンの最深部から帰ってこなかった[深淵到達者]と呼ばれる魔剣士スケアクロウなど……」
様々にアイスは名の残った冒険者を挙げる。
ダンジョン内にどういう原理か不明だが出現し冒険者に発見される道具は、そのまま魔物退治に使って便利なものから好事家に売れば大金に変わるものまで多種多様な物があるのだ。
魔物と戦う実力に乏しくても貴重品を偶然手に入れて成功した冒険者は何人も居る。
興味深げに小鳥はそれを聞き、もしかしたら元の世界に戻ることができる道具もそこにあるかも知れないと考えを覚えておいた。
「そういえばコトリくん、君の住まいはどうしているのだ?」
まだ高校生であり、見た目は童顔気味でそれより若く見える小鳥の住所について聞かれる。
異世界に着の身着のままで来てしまったその身としては身分証明もお金も株券も持っていない、王様から松明を渡された勇者以下の状態である。
生活には衣食住が必要なんてことは、家出を決意したのび太だって知っている。生憎彼女はグルメテーブルかけと着せ替えカメラとあとなんか地面に刺す住居のやつ等、未来道具を持っているわけではなかった。
コネも伝手も縁故就職も無い状態で頼れるのは、つまり彼女を召喚した男だ。
「はあ。……えーと、どうなんでしょうかマスター」
「だァれがマスターだ、誰が。しかしそォだな、寝る場所なんざべつに俺の部屋の床とかそこらでいいんじゃね」
「お世辞にも寝心地がいいとは言えない硬い机の上で熟睡できる学生としては、ダメージ床とかそんなんでなければ別に構いませんが」
「ままま待ちなさい。コトリくん、君はそれなりに若く見えるがいくつだったか」
なぜか慌てた口調で尋ねるアイス。
「その質問によればどうやらやはりアイコン表記はされていないみたいですね……17歳ですが」
「じゅ、17歳といえば嫁入り前ではないか。そんな娘がたとえ相手に超絶鈍感精神的不能気味同性愛疑惑があるとはいえ、男性と同衾するというのは如何なものかなと先生は思う」
「アーイースゥゥゥ? なんだその評価はおい」
「そこにクズとウスノロを足してもいい、とか言えば格好いいですよイカレさん」
「知るかッ! 全面否定するわ! クズでウスノロでインポでホモなんて死んだほうがマシじゃねェか!」
※この発言は彼の個人的な意見であり差別などを増長する為のものではありません。人類平等に平穏と神の恵みがありますように祈っています。
小鳥は急に真面目くさった顔をしてイカレさんにいう。
「死んだほうがマシだなんて、そんな甘ったれたこと言わないでください。生きていればいいことぐらいあります。無ければ一緒に見つければいいんです。見つからなければ、作ればいいんです」
「……えっ、なんでコイツ『今いいこと言った』みたいなドヤ顔なの。そんなセリフが出てくるような流れじゃなかったよなァ、おい」
律儀に突っ込みながらもクズでウスノロでホモなイカレさんは納得がいかないような顔をしていた。足すと本当にどうしようもないから普通にイカレさんと呼んであげるべきだ。
アイスは小鳥の肩を叩いて呼びかけた。
「行く宛がないなら少し狭いが私の部屋で寝泊まりするといい。なに? 着る服もない? 私のお古でよければ差し上げよう。だから早まって軽々しく体を売ったりしてはいけないぞコトリくん」
「内蔵の相場がわかってないからボられるので売買は控えろ、ということですね。わかりました」
「なんかズレてるよなァコイツ」
それは世界ごとズレてしまったためのコミュニケーション不全が齎す違和感なのか小鳥の脳が少々イタんでいる所為なのか。
可能性としては両方ある。どちらにせよ、ヤクザに内臓を売るときは医師の診断書もつけたほうがいいのは確実ではあった。なお、日本国内では内臓の供給過多状態なので買い叩かれる可能性は高い。気をつけよう。
イカレさんは「実家から昔の服を取り寄せなくては」などと嬉々と計画を立てているアイスを半目で睨みながら、
「寝る場所はどォでもいいけどよ。そこのアホと口裏合わせ──じゃなかった、色々今後の事話し合わないといかんから一旦俺の部屋に連れてくぞ」
「それは二人だけの内緒話なのか?」
「そォだ」
(異世界からの召喚だとかクソ面倒臭ェことに首ツッコまれてもややこしいからな)
イカレさんの考えを小鳥は読み取る。あるいは想像する。彼のモノローグは具体的に記述するとこんな感じなのだけれども、実際は面倒だしといった短絡的思考である可能性が高い
アイスは「ふむ」と顎に手を当ててやや思案顔になり、そして納得したように頷いた。
「それでは私は先に部屋でコトリくんが寝る場所でも用意しておこう」
「はあ。アイスさんは内緒話とか気にならない派ですか?」
わたしならとても気になるのだけれども、と思いながら小鳥は尋ねる。
アイス視点からしてみれば行方不明だった幼馴染が突如女子高生を匿ってるように思えるのだから。しかも何やらちぐはぐな説明しか受けていない。身分も所持品も無い不審人物なのである。犯罪の匂いがする。主に加害者はイカレさんの。拉致と考えるとそう間違ってはいないが。
彼女は笑って答えた。
「何か事情があるのだろうが、サイモンくんの事は信用しているからな。彼が話したくない事情ならば無理には聞かないとも──同衾はダメだが」
真っ直ぐな目でそんなことを言うアイス。
この倦怠感が全身から垂れ流されている喪男風味の虹色頭イカレさんに対してなんとも絶対的な信用感であった。一瞬前までホモと評価してはいたようだけれどそれとは別枠なのだろうか。
小鳥は声を潜めてイカレさんに伝えます。
「これには裏がありますよイカレさん」
「あァん?」
「だってだって、あんなチート魔法使いで美女でオパイが大きな完全生命体臭い人が、立てばチンピラ座ればヤクザ、顔を見れば110番なイカレさんに無条件の信用をしてるんですよ」
「時々思うんだが手前は俺に喧嘩売ってんのか?」
「翻訳の乱れです、きっと」
「……納得いかねェが。とにかく、アイスのやつはあんな性格だからアレでいいんだよ」
イカレさんの言葉に「むう」と唸って小鳥は思い悩む。
(……まあ確かに出会って数時間のわたしがアイスさんの裏を怪しむというのも失礼な話ではありますが)
自分は知らないだけでイカレさんのことをアイスさんが信用するに足る要素はたくさんあるのかもしれない。耳にほくろが三つ並んでいるだとか。カブトムシの越冬をさせたら右にでるものがいないとか。体から甘い蜜を出すとか。
もしそうならば彼の評価を上方修正しなければならないので尋ねた。
「カブトムシとかは関係ありません?」
「早速コイツと会話するのが嫌になってきたぞ俺」
どう見ても女の子と楽しく会話してきた経験値が少なそうなイカレさんには現役女子高生とトークは難しいのではないか。
小鳥は彼の弱気をそう解釈して励ますように云う。
「仕方ないのでわたしがリードしてお話をしてあげなければ。まずは軽くピロートークでも。ピロートークってピロウズの話題で盛り上がることであってますよね? オウイェイ」
「本格的に薬物の使用を検討しよォかな」
何故か頭痛をこらえながら、イカレさんは呟く。使用したいのが自分に頭痛薬か小鳥にダウナー系のお薬かは不明だったが。