ジャン・ユジーヌがグランツ子爵になったのは彼が18歳の時である。特に領地が増えたわけでは無いため、授けた側も受けた側もこの叙爵は箔付けの意味合いしか持たなかった。それでも彼がレーテ侯になるまでの17年間は、グランツ子爵であり続けた。この爵位が箔以上の意味を持つのは、彼の息子の一人が本拠地を北大陸に移し、グランツ子爵家として独立した後のことである。
スイ王は報告書を財務大臣から渡された書類に目を通しため息をついた。
「ケッセルの伸びが著しいな」
「何せ現時点で就任以前の2倍ですからね。納税の減免は本年度分までなので、来年はもっと税が増える予定ですが」
大掃除の後、代官が治めている王家の直轄地は若干伸びた。ただこれは誤差の範囲内であり、ケッセルのように余剰金を投資して何か新しいことをしているわけではないので今後も横ばいになるだろうというのが予測だった。
「街道の整備や増えた人口を収めるための新しい街を計画している。人の流れが変わるな」
1233年から3年が経ち、本年度からケッセルからグリューゲルに繋がる街道の整備を発案したジャンは、グリューゲルで貧民層に募集を掛け、100人ほど雇いたい旨を伝えた。
「しかし、術力の弱い人間が役に立つのか」
街道の整備などは国家事業でもある。ジャンが計画案と予算案を提出した際にスイ王の疑問は当然のもので、土木工事をするにしても、石のツールを使うのだから術力の無い者達を雇えば時間がかかってしまう。
「使えないものを使うようにするのが政治家の仕事だと思いますが、予算に関しては、王宮から少し捻出して頂きたいのですが」
「貧民街の予算から少し出すとしよう」
スイ王としても農村部から流れて来て仕事にありつけなかったものや、術不能者として親に捨てられた子ども達が集まる貧民街には少なからずの予算を掛けている。これは慈善ではなく、弱者ではあるが少数でもない彼らが暴走しないための警備などの予算だ。それが仕事として出るのであれば歓迎できる。モデルケースとして有効ならば、これは他の地域でもできるし、その際にはジャンに任せればいい。
それが昨年の夏の事である。ジャンはそれから街道整備ができる人間を100人ほど募集したところ、200人ほどの応募があった。ジャンは彼らを面接して犯罪に手を染めていないか調査し、当初の予定より多いが130人を採用した。
結果から言えばジャンの計画は成功した。ケッセルから中央グリューゲル街道に繋がる道は見違えるように整備され、流通も若干ながら向上した。何より完成するまでの期間が従来より4割ほど短縮され、予算的に余裕があったことも大きい。その報告を官吏から受けたスイ王は、正式に報告が終わったジャンに確認した。
「どのような術を使った?」
「何てことはありません。正攻法で整地しただけです。道具に関しては鉄の土木用具を使いました。これなら術力を必要としません。それと作業員を複数のグループに分けて早く正確に終わらせたグループには賞金を出しました。そうすれば効率が上がります。後、必要とされるのは嬉しいですよね」
「つまりこの方式は別に道路に限ったことではなく」
「その通りです。最終的には兵力に仕立て上げたいところですが、まあまだ色々準備が必要です」
史書などではギュスターヴの躍進が始まる1240年代半ばより早くその重要性が高まった言われるが、ナ国の術不能者政策が変わったのはこの瞬間だと言われている。有り体に言ってしまえば、無駄飯食らいが犯罪に手を染める可能性が低くなった程度の認識だ。ジャンは術不能者を人間と扱ったが、それはギュスターヴが術不能者だったからというわけではなく、彼にしてみれば術士と術士以外、あるいは自分とその他の区分けをしているだけであって、傲慢な考え方をすれば人間が足下の虫に注意して歩いて居るわけではない。益虫なら保護して、害虫なら駆除する。それはスイ王も同じであり、だからこそ二人は君臣、年齢の差を超えて盟友となれたといえるだろう。
「・・・ところでジャン。これは質問だが、好みの女性は」
だが、少年が青年になろうとすればジャンの後見を自認している者として気になる部分はあった。これほど有為な人材をつなぎ止めて置くには婚姻関係を結ぶこと一番だった。諜報員によると同年代の侍女が同行しているらしいが、男と女の関係ではないようだ。
「唐突ですね。健康で分を弁えるなら大して気にしませんよ」
美人などいくらでもいる。それができる人間がどれだけ希少なのか。
「まあ良い、相手は探しておくが、ジャン・ユジーヌ、これまでの功を讃え、汝をグランツ子爵に命ずる」
「グランツ子爵でございますか?」
「既に家名が途絶えてしまった家の一つだ曲がりなりにも国家に多大な貢献をした貴族に爵位を与えない訳にはいかないだろう。子爵辺りまでなら絶えてしまった家名を与えればよい。領地は現在のケッセルに加えてオーファンの地を与える」
オーファンはケッセルから馬で2日ほど離れた場所だ。だが、脳裏でその地のデータを思い起こすと頭を振った。
「爵位はありがたく受けますが、今はケッセルだけで充分でございます。彼の地の開発が終わっていない状況で新しい土地を与えられても」
「ダメか」
「ケッセルなら拡張しても臣とこれから作りあげていく家臣団で対応ができますが、オーファンもとなると予定が狂います。何より兄とは別に領地を頂いている身となれば余計な軋轢を産むでしょう」
「普通ならオーファンを与えられると言えば喜ぶのだがな・・・」
発展中のケッセルほどではないが、オーファンの地は小麦がよく取れるので、それほど労無くして収益に預かれる土地だった。
ジャン・ユジーヌは生まれこそ貴種だが、多くの物を与えられることを良しとしない一面がある。前世の経験もあって、機会は利用するが、力は自分の努力で手に入れることに価値を見出すタイプの人間であった。それをスイ王も理解していたが、今後の恩賞を考えれば頭が痛くもなる。土地を与えとけば勝手に収益を増やして結果として国家に貢献するが、恩賞として金品や利権で賄うと財政が最終的に厳しくなる予感がするのだ。
「来年の春に叙爵式を行う、特に準備は要らないが、フィニー王家には」
その言葉を聞いたジャンは一瞬戸惑ったが、意を決して主君に望みを告げた。
「陛下、お願いがございます。一度テルムに戻ってもよろしいでしょうか。ノール侯家の引き継ぎしなければなりません」
「・・・ソフィー殿の病は重いと聞くが」
噂によると以前罹った流行病が緒を引いているとの話を聞いたが、事実は別の病らしい。
「詳しくは説明できませんが、アニマのバランスがおかしい・・・何と言いますか体内のアニマ同士がケンカしていると申しますか。それに伴って体力が消耗します」
「子爵とシルマール殿が無理というならば延命はできても治すことは無理なのだろう。それは聞いても無理ということだ」
シルマールは世界最高の術士と言われているが、これはアニマに関するエキスパートという意味であり、それは弟子であるジャンにも同様の評価が与えられつつあった。だが、シルマールの術士の叡智、あるいはジャンが前世から持ち出した知識を持ってしても無理なことは無理なのだ。
さらにジャンの場合、既に統治者として母親より領民を優先しなければならない。また母にもその点は強く言われている以上、母の面倒はギュスターヴ側に任せるしかない。だからこそ、ジャンは母に対して自分ができることをしようと思ったのだ。
グリューゲルを出たジャンは御者と共にファウエンハイムへ向かう。季節ごとに家族に会うために馬車に揺られながらこの道を進んだが、それもいつまで続くことか。
ファウエンハイムの母と兄が暮らす邸宅に入ると、中には顔見知りの少女がジャンを出迎えた。
「やあレスリー、母上は元気かい」
今年で15になるレスリーは幼さを残しつつ、少女から女性に羽化しようとしていた。あるいは思春期らしく恋をする女性はキレイになるということだろうか。
「・・・ジャン、ソフィー様は元気よ。一時的に体調を崩しているだけの勘違いじゃないの?」
「それだったら嬉しいのだけどな。ギュスは?」
「ギュスターヴなら外に出ているわ。ヤーデの森に咲くレニアの蜜から作ったハチミツが滋養にいいからとフリンとね」
「そうか・・・ならちょっと母上と話してくる。これはノール侯爵家に関わる事だから他の人は入れないように」
「ギュスターヴが戻って来ても?」
「そうだ」
レスリーにしてみれば仲間外れのように感じたのだが、貴族の家というのが色々大変なことも知っているので強くは言えなかった。
ジャンがソフィーの私室に入ると母は刺繍をしていた。遠目で見ると花と鳥だろうか。「花が咲くのに術が必要か、鳥が飛ぶのに術が必要か」と兄を諭した話を思い出す。
「どうしたのジャン、いつもなら事前に使いを寄越してから来ていたのに」
「俺だって連絡無しに伺いますよ。これおみやげです。みんなで食べてください」
ジャンが差し出したのは、最近ケッセルで流行り始めたアップルパイだった。地元ではカスタードも入れるが、これは販売用の商品で主力ではないがそれなりに捌けている。
「ありがとう、でもジャン。あなた嘘を付くとき下唇の右側がちょっと歪むの。為政者なら治した方がいいわ」
それは前世で妻から言われた事がある自分の癖だ。意識して治したと思っていたがいつの間にか再発していたらしい。
「母上には敵いませんね。叙爵は来年ですが、グランツ子爵位を頂くことになりました。今まで宙に浮いていた形ではありますが、正式にフィリップを後継者として指名してください。私達がフィニー王家の出自であろうとも、フィニー王の指名でフィリップが継承すれば、ノール諸侯としてもメンツを潰されます」
「ジャンはそれでいいの?」
「フィリップがフィニー王家を継ぐのであれば私が戻っても良かったですが、それが無理な以上、私の骨はここに埋めます」
「・・・分かったわ、あなたが決めたのなら私はもう何も言いません。手紙を書くから外で待っていて頂戴」
了解して部屋から出ると、ギュスターヴが立っていた。服の所々が汚れているのは野山を駆け巡った結果なのだろう。
「ギュス、お前にも用事があった。レスリー、フリン悪いけどちょっと外で話してくる」
「また内緒の話し合い? 私達ってそんなに信用されていないの?」
「今度はフィニー王家としての話し合いだ。まあこっちは割といい話だよ」
そして、庭に出たジャンはギュスターヴに先ほどソフィーとの会話のあらましを語った。
「・・・国に帰るか」
「引き継ぎの為に時期ノール侯を連れてくるという仕事だよ。ついでにマリーも連れてくる」
「できるのか?」
「断るなら俺はオート侯に付くと脅してやるさ」
ギュスターヴはアニマを感じることは出来ないが、人の意志は理解できる。弟は必要なら人を殺すのを厭わない。恩を受けたノール諸侯の為なら父親の首くらい平気で取れる。加えて既に亡くなっているが、オート侯妃アマーリエはフィニー王家から輿入れしたという形ではあるが、実はソフィーの妹であり、今年で10歳になる次期オート侯カンタールは自分にとっては従弟に当たるので弟が動くとなればメルシュマンの勢力図はまた変わることとなるだろう。
何故弟が自分達に付いてきたのかギュスターヴは知らない。弟も失敗したのかと思えば、グリューゲルに来た途端、類い希なる術の才能を見せつけた。捨てられたのではなく捨てた。そして今完全に捨てようとしている。
「俺達のご先祖様である8世はフィニー島に居ると言われる火竜と戦ってファイアブランドを獲得した。前者は怪しいところだが後者は事実だ。だが、偉いのは8世であり、ファイアブランドは戦場で使われることのないただ象徴に過ぎない。あの剣がお前が作っている、作ろうと思う剣に劣っているとは俺には思えない。別に国さえ纏められるなら術は必要無い」
ギュスターヴに取ってジャンは変わった弟だった。幼少の頃は自分が勤勉だったので周囲の期待は自分に向けられた。だから自分が失敗したあの日に人から向けられた視線をギュスターヴは忘れられない。勝手に期待して勝手に失望する。だから人に関わるのが怖くなった。今なら気付く、自分は与えられた環境に満足し、弟は与えられた環境に満足せずに飛び出したのだと。
「お前はいつだってそうだ。好き勝手やっているのに人の努力を軽く飛び越えていって」
「俺もお前も受け継ぐには向いていないのさ。そして俺達の功績は残すことはできても意志は次代に遺すことができない。そういうのはフィリップに任せればいい」
ギュスターヴは弟の言葉を自分の中で入れ得心する。自分が異常ならば弟もまた異常なのだと。術不能者の自分もやがて父となるかもしれない。ジャンもまた父となるだろう。普通の親なら自分が成功しているなら模倣させるだろう。失敗しているなら間違わないように正すだろう。
「一番不幸なのは父様なのかもしれないな」
王として、何より父として自分に期待してくれていたのだ。普通の父親なら庇うことができたかもしれないが、王である以上、フィニー王家がファイアブランドという象徴を中心に構成されている国家である以上、捨てなければならない。自分も決断をしなければならない時が来るのか。ギュスターヴは父親を恨んではいるが、殺したいわけでは無い。
「それは後世の歴史家か吟遊詩人にでも評価させればいいさ。何か伝えたいことがあれば言っておくが」
「いや特にない。もし聞かれたらあなたとは相容れないかもしれないが、自分なりの道を歩んでいると伝えてくれ」
超克する相手としてファイアブランドとフィニー王は偉大な敵手であって欲しい。それは物語の英雄に憧れる少年みたいな感情だと思いつつも、それが今の出発点である以上改める気はなった。
自分達の兄弟についてジャンは次のように話した記録が残っている
「ギュスターヴは豪放磊落に見えて神経質なところがあった。これは父上によく似ている。フィリップの生真面目と優しさ、そして為政者としての厳しさ母上と父上の良い所を取ったのだろう。マリーは母上に似ているが故に一抹の不安がある。ギュスターヴ14世という人はタイミングが悪かった。父上が後5年いや3年でも長く生きていれば連合王国の王子としての器もできただろうが・・・実権を握った祖父に政治のセンスが無かったのが災いした。優秀なら放置したが暴君の欠片を見た以上取り除いた方が良いと思った」
余談だが、鋼のギュスターヴの弟への人物評は以下の通りである。
「万能の人と言っても差し支え無いが、ある意味傲慢であり怠惰である。もっとも働き過ぎの場合が多いのでメリハリが付いていると言えばそこまでなのだが、金を貯め込んで必要なときに派手に散財するタイプと言っても良い」
1月も既に9日がたちまちしたが、新年のご挨拶をば。
年末に上がってはいたのですが、また文章が長すぎて二つにわける作業とかしていたら、年明けしてしまった。自分が抱えている仕事がピークになるので週末に閑話3(1237年前後)が入る予定ですが、2月半ばまではペースが2週間に1回くらいになるかもしれません。間違いの指摘とかもありますが、それも週末に一気にします。
次回の閑話はフィニー王家の方々です。まあ貴族って大変だよねって話。