<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.29710の一覧
[0] 【R15・原作変容】 始祖ブリミルの祝福を 【転生オリ×Cthulhu世界観】[義雄](2012/06/19 21:32)
[1] ジョン・フェルトンに安息を [義雄](2012/06/19 21:13)
[2] オスマン老に安らぎを[義雄](2012/06/19 21:15)
[3] シャルロットに安心を [義雄](2012/06/19 21:15)
[4] サイト・ヒラガに祝福を[義雄](2012/06/19 21:16)
[5] 外伝 ダングルテールの影[義雄](2012/06/19 21:16)
[6] 番外編 マルトーに沈黙を[義雄](2012/06/19 21:16)
[7] ルイズ・フランソワーズに栄光を[義雄](2012/06/19 21:17)
[8] シエスタにお昼寝を[義雄](2012/06/19 21:17)
[9] アニエス・コルベールに静養を[義雄](2012/06/19 21:17)
[10] ミス・ロングビルに安全を[義雄](2012/06/22 21:57)
[11] アルビオンに鎮魂を[義雄](2012/06/19 21:18)
[12] メアリー・スーに祝福を[義雄](2012/06/19 21:18)
[13] 後書き+If 編[義雄](2012/06/19 21:28)
[14] 動乱のはじまりを[義雄](2011/11/05 01:21)
[15] 誓約の口づけを[義雄](2011/11/08 02:07)
[16] 泡沫の正夢を[義雄](2011/11/15 22:36)
[17] 公爵の杯を[義雄](2011/11/20 18:57)
[18] 烈風の調練を[義雄](2011/11/26 01:51)
[19] 開戦の狼煙火を[義雄](2011/12/18 20:56)
[20] だから、今だけは[義雄](2012/03/06 01:26)
[21] 焔雪舞う戦場で[義雄](2012/03/06 01:55)
[22] おやすみ、ヒーロー[義雄](2012/03/06 05:45)
[23] おわりのはじまり[義雄](2012/03/07 22:36)
[24] 中書きと人物&用語紹介(4/08)[義雄](2012/04/08 20:19)
[25] 始祖は座にいまし[義雄](2012/03/24 08:55)
[26] 少年は救いを求め[義雄](2012/04/08 19:45)
[27] 安らぎなき魂は悲鳴に濡れ[義雄](2012/04/15 15:16)
[28] 無貌の神は笛を吹き[義雄](2012/05/05 18:36)
[29] 意志の炎は再び燃え[義雄](2012/05/27 22:46)
[30] 外伝 ポワチエの手記[義雄](2012/06/02 00:44)
[31] ただ、陽は沈む[義雄](2012/06/02 01:07)
[32] Recall of Valkyrie[義雄](2012/06/13 23:16)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[29710] おやすみ、ヒーロー
Name: 義雄◆285086aa ID:b6606328 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/03/06 05:45
「大至急サイト殿を追いなさい!」

 才人が走って出て行った本陣ではアンリエッタが指示を下していた。
 今の平賀才人は虚無の使い魔、ガンダールヴで、かつリーヴスラシルだ。公的な身分こそ未だ与えられていないが、ハルケギニアの決戦兵器である事実に変わりはない。そのような立場にある人間が無断で本陣を出ていくなど言語道断であるとアンリエッタは憤りを隠せないでいた。
 その主人のルイズとティファニアもいきなり駆け出して行った才人の行動に困惑を隠せないでいた。ちらと見えたその横顔には幾分かの平静さが残っており、なにか理由があるような気がしたものの、本人がなにも言わず飛び出してしまったのでわからない。
 魔法の持続に努めるオスマン以外の四人、アニエスとコルベールとメンヌヴィル、そしてウェールズは明らかに変化した戦場の空気をかぎ取っていた。
 アニエスは祝福の子としての特性で雰囲気の変化を知り、アンリエッタの傍らで周囲に目を配った。コルベールとメンヌヴィルは職業柄体験してきた場の空気を察知し、オスマンと『虚無』二人の防御についた。ウェールズはニューカッスルの夜を思い浮かべ、矢継ぎ早に号令を下した。

「本陣方円防御! 各部隊に索敵防御を指示!!」

 出された指示に、本陣の兵は驚き戸惑いを見せた。それらの動きをウェールズは一喝し、本陣周りの防御を固めつつ伝令を各所へ送り出した。

――なにか、変わった。

 乾いた唇を舌で湿らせながら、素早く思索する。日が陰ってから空気が一変した、それを感覚的にとらえることのできた者はどれほどいるのか。
 思い過ごしならいいがと、ウェールズは次に打つべき手を考え続ける。

「ウェールズさま、サイト殿を追わなくては!」
「待つんだ、アン。この戦場は、さっきまでとはもう違う。それはわかるかい?」
「……なにをおっしゃっているのですか?」

 アンリエッタは強く成長した、それでも経験が足りない。

「近衛を一部隊使って捜索に出してはどうでしょう?」

 提案したコルベールの顔には強い緊張が見られる。彼も、アンリエッタとは違う意味で急がなくてはならないと感じているようであった。

「そのようにしよう、急がなくては」

 なにかよくないことが起きる。
 言葉は口に出さずとも皆に伝わり、その思念が結実したかのように戦場の急変を告げる伝令が飛び込んできた。

「報告! 南部クルデンホルフ軍にて所属不明部隊十名と交戦開始!!」
「伝令! 西部トリステイン所属ド・ポワチエ軍が正体不明の敵と交戦しているとのこと!」

 そして現れるのは伝令だけではなかった。

「お久しゅうございます、殿下」
「……何故、何故お前がここにいるのだ」
「聡明な殿下であればもう答えは自身の中にあるかと」

 コルベールとメンヌヴィルが杖を突きつけながら背後に他の者を庇った。
 大地に積もる結晶を巻き上げる風を纏い、音もなく現れた二人の男はぬらりと小さな物影から生まれ出たようにしか見えなかった。その二人はウェールズはその人物を幼少期から知っていた。よく、知っていた。

「邪神は……死の安息すら穢すというのか!」

 ニューカッスル最後の男たち、ロバート・ハートとバリー老が間近に佇んでいた。
 戦場の各地に出現したのはアルビオンの亡霊、あの夜ウェールズが最期を看取った者たちであった。





―――おやすみ、ヒーロー―――






 才人とワルドは三メイルの間合いをあけて対峙していた。手を伸ばせば届きそうで、足を返せばずっと届かない、そんな距離が二人の間に横たわっている。
 この付近にもオスマンの“焔雪”は降っており、二人の足跡を残す程度には積もっていた。

「子爵さん、無事脱出できたんですね。あのグリフォンも戻って来てたし、でもすぐトリスタニアに来てれば」

 矢継ぎ早に、久々に父が早く帰ってきた子どものように才人は質問を浴びせかける。心はぐちゃぐちゃでまとまらず、とにかく考え付いたことを必死に口にしている状況だった。
 それに対する返答は至ってシンプルな動作と言葉ひとつ。

「ガンダールヴ」

 トンと、ワルドは左の拳で自身の左胸を、心臓を叩いてみせる。
 わかっているのだろうという、無言の問いかけであった。

「……わかってた。ああわかってたさ!」

 邪神と誤魔化そうとしていた自身に対する抑えきれない憤怒が才人の口から迸った。左手が、心臓が、なによりワルド自身の託したロケットが教えてくれる。
 目の前に立つ男は敵であると。その身に流れる血は冷たいものであると。この大地を穢す邪神に連なる者であると。才人を諭すように、鈍痛と震えをもって教え示してくれていた。

「相棒、辛いのはわかるが」
「わかってるって言ってんだろ!!」

 叫びながら背中のデルフリンガーを抜き放った。曇りない刀身とは逆に才人の心は荒れ狂い、逃げ場を求めて激情が体内を駆け巡っている。
 ガンダールヴは心の震えを力とする。そういった意味では今の才人のコンディションは絶好のものだ。一振りすれば百の兵士を薙ぎ払い、その跳躍は雲突く高さにまで達するかもしれない。
 だが、このような精神状態で冷静な判断ができるか。万全の力を発揮できるかと問われれば否と返すしかない。
 ワルドもその様子を見抜いているのか、油断なく杖剣を構え今にも飛び出しそうな気配を漂わせている。その瞳にそれまで見えていた理知の光は消え、茫洋たる昏さのみが秘められており、もはや才人が知るワルドではないと強く突きつけられたようで、一際強く心臓が痛みを訴えた。
 鈍痛に負けぬよう、デルフリンガーをしっかり握りしめ、正眼に構えをとった。浅く速くなってしまう呼吸を無理やりに落ち着け、腹の底、丹田に力を込める。

「気を引き締めよ。理性は失われ死体が穢されようと技までは失っておらぬようだ」

――やらなきゃ、やられる。

 デルフリンガーの声を聴き流し、それだけを考え、まっすぐにワルドを見据える。いかなる手段をもってかオスマンの“焔雪”を回避し、相手はゆらゆらと重さを感じさせぬ不可思議な動きで前後左右に揺れ動き、才人に間合いをつかませないようにしているようで、知性の輝きはなくとも戦うことができるということをうかがわせた。
 じりと足先を動かし、重心をずらし、相手のつかみにくい挙動に対応する。鍛錬の時は軽々と動いた、躊躇ない跳躍もできた。だというのに、今この場では満足に動くことすらできない。体全体が緊張に満ち満ちて相手の虚を誘う動きにすら十全に対応できていない。

――動け!

 腹に力を込めて、それだけを念じる。相変わらず脚は自分のものじゃないみたいにじりじりとしか動かなかった。
 動く気配を見せない才人に焦れたのか、ワルドが音も立てず殺到した。

「くそっ!」

 振るわれる杖剣にはためらいがなく、また独特の軌跡を描いて回避、防御ともに難しい。才人はかろうじてその動きに合わせてデルフリンガーを振るい、切っ先が体に届く前に跳ね返すことができた。
 このままでは押し切られると踏んで勢いよく後方に跳躍し、距離を引き離した。ワルドはその動きに追随することはなく、ゆらゆらと身体を揺らしながらゆっくりと歩み寄ってくる。
 足は、動く。ただそれは攻撃のための動作ではなく回避を目的とした、負けないため、守るための動きであった。才人は踏み込むことができない、強烈な忌避感が襲っていた。
 ルーンが目の前の敵を倒せと、邪神を打ち滅ぼせとざわめている。だけどそれ以上に、自身の心は悲痛な叫び声をあげている。

「訓練を思い出せ!」
「んなこと言っても……!」

 心は千々に乱れ、構える剣先は震え、踏み込むことすらできない。
 技術の問題ではなく、才人の精神面から来る問題であった。

「子爵さんはッ!」
「防御だ相棒!!」

 その先は声にならなかった。
 ワルドの唱えた“ウィンド・ブレイク”が直撃して才人を吹っ飛ばしたからである。『風』系統の魔法の受け方は『烈風』式調練のおかげで慣れたもので、乱立する木々に直撃することなく上手く着地することができた。だが体勢を立て直す間もなく後方からの風槌が打ち付けられ、デルフリンガーを思わず手放してしまいそうになった。
 ガンダールヴの力は武器を持った状態でしか発揮されない。逆に言えば、武器を奪ってさえしまえば大した脅威でなくなるのだ。その特性を知ったカリーヌはとにかく武器を手放さないことを徹底させた。小さなナイフなどを常に携帯させ、神剣を握る時は意識を失っても手放さないよう、徹底的に痛めつけ体に刻み込んだ。デルフリンガーさえ握っていれば、使用者の身体を操れるので命の危機から脱することができる。才人が死なないよう、カリーヌは心を鬼にして鍛え上げた。
 調練の日々は確かに才人の中に息づいている。けれどそれが芽吹き、大きく成長することは、今はできない。ワルドに心を捕らわれすぎている才人にはできない。
 目視の困難な『風』を神剣で吸収し、杖剣の攻撃を跳ね返し、しかし反撃に出ることができないでいる。

「今だ斬りこめ! 反撃せねば相棒が死ぬことになるぞ!!」

 防戦一方の才人にデルフリンガーは幾度となく叱咤した。ワルドの攻撃は間断なく続けられ、わずかな隙しか見つけられない。それでも反撃の機会は何度も訪れているのだ。
 いつもは説教くさい神剣に軽口を返す才人だったが、今回ばかりは何も言わずにひたすらに致死の一撃を避け、受け続ける。その姿は罰を受ける子どものようにも見えた。

「残念だが子爵はすでに死人となっている。とどめを刺してやるのもまた騎士のつとめ。それに相棒はここで斃れてはならぬ、この星を護る使命を帯びているのだぞ!」

 大きく間合いを開け、ワルドがゆったりと近づいてくるのを前に、デルフリンガーは言った。その言葉にニューカッスルの夜がよみがえる。

―――この星を頼む―――

 目の前でゆらゆらと揺れる英雄は、最期にそう言った。他の誰でもない、才人に向かって託したのだ。

「わかってる……」

 つぅと、頬を伝う熱いものがあった。
 才人は神剣を下段に構え、勢いよく駆けだした。脚は動く。鍛えた通り動いている。敵を倒すために動いている。
 ガンダールヴの脚力で大地をしっかりと踏み抜き、雷光の素早さをもって、敵を打ち倒さんと奔りぬける。すれ違いざまに放った摺り上げる一撃は、生々しい手ごたえが残していた。
 振り返ると、ワルドの左腕がなかった。そのことで才人にショックはなかった。なにより悲しかったのは、そのような重傷を負いながらも腕を庇うような、痛みを感じさせるような動きを一切とらなかったことだ。
 何事もなかったように落ちた左腕を拾い、傷口に当てる。それから腕を一振り、問題なく動くようだ。色のない顔を才人に向け、静かに杖剣を掲げる。

――嗚呼。

 それを見て才人はどうしようもなく理解してしまった。目の前にいるのは気高い子爵じゃない、邪神に利用された一つの死体でしかないと。
 ワルドはゆっくりと、先ほどと変わらない様子で近づいてくる。あれほど手痛い反撃を受けたというのにゆらゆらと、くらげのように歩み寄ってくる。

「後ろだ!」

 身体は無意識に反応した。一歩踏み出し、重心を移し、振り向きつつ横薙ぎの一閃を放った。体重の十分乗り切っていない斬撃は、才人の背後に迫っていたワルドを吹き散らすように薙ぎ払い、手元に奇妙な感触を残していった。
 『風』のスクウェアスペル“偏在”による奇襲、カリーヌの教えで散々叩き込まれたこともあって、よく知っている。
 神剣の言葉がなければおそらく斬られていたと考えながらコマのように回転する。ワルドはもう目前に殺到していた。

「ッ!」

 咄嗟に上半身だけを後ろに倒れ込ませる。回避は間一髪間に合い、銀蛇の突きが才人の頬を浅く傷つけるのみですんだ。
 ワルドは深追いすることなく一度大きく距離を取り、杖剣に残った血を舐めとった。フィクションの小悪党がよくするような動作は、ワルドのような伊達男がやるとサマになる。しかし瞳に理知の輝きが灯されていない今は、狂人の行いにしか見えなかった。

「……先の再生能力を見るに、無力化は不可能だ。首を刎ねるのが最適だろう」

 緊張で呼吸が浅くなっている才人に、追い討ちをかけるようにデルフリンガーが言う。

――子爵さん……。

 才人の心の中にワルドとの思い出とも呼べない記憶がぽつりぽつりと浮かび上がった。
 最初はルイズと二人だけグリフォンに乗っていけすかないヤツだと思った。
 ラ・ロシェールでぼこぼこにされてその気持ちはさらに強くなった。
 ニューカッスル城で迷子になっていたら雷を浴びせられた。
 メアリーとの戦いでもうダメかと思ったときに助けてくれた、肩を並べて戦った。
 そして―――。

「おォッ!!」

 気合の声とともに才人は二度目の打ち込みを仕掛けた。
 剣戟の音が高く林に響き渡る。それまでと違って終始攻める才人の動きに、ワルドは防御にのみ専念している。二十合近く打ち合った後、ワルドが意外な動きを見せた。

「……後退した?」

 ここではじめて、ワルドは明確に距離をとるという意思を見せた。先ほどまでの揺れ動きとは何か違うと、才人は神剣を強く握りしめる。
 じっと睨んでいると、相手の口元がかすかに動いた。続いて陽炎が立つように出現した三体のワルド、“偏在”。扇型に位置取りしながらじりじりと才人に迫り寄る。

「相手の動きに気を取られすぎて時間を与えてしまったか、まずいぞ相棒」

 “偏在”で現れる分身は単純な戦力比で考えることができない。なぜなら相手は同一人物、思考や動き方も同じものになるのは必然であり、普通の集団よりも遥かに上手く連携がとれる。そもそも、増えるのは『風』のスクウェアを扱うメイジだ。ドットスペルなんかでは息切れしないし、断続的に『風』を浴びせ続けられるだけでも充分な脅威となる。そのことはカリーヌとの鍛錬で嫌になるほど叩き込まれてきた。

「いざというときは某が借りる。いいな?」
「いや、大丈夫」
「……うぬぼれるにはまだ早いぞ」
「違う」

 左端のワルドが“エア・ニードル”を杖剣に纏わせ、跳びかかった。
 杖剣はその形状からレイピアと同じく突き技が主体となる。だが“ブレイド”や“エア・ニードル”を行使しているときは刃のある剣と同様の扱いも可能で、斬り技も数は限られるものの存在する。ワルドは突きと斬りとを上手く組み立て、メイジらしからぬ剣技の冴えを見せた。
 対する才人はそれまでとは打って変わった落ち着きの中、どっしりと構え突き進んでくるワルドを迎えうった。時折挟まれる『風』魔法をも意に介さず、デルフリンガーの己が手足のように操り、一瞬の隙を見逃さずその首を跳ね飛ばした。“偏在”は残り二つ。

「どういう心境の変化だ。責めることではないが今の斬撃は一切の躊躇がなかったぞ」
「違うんだ」

 二人の会話を遮るように、今度は三人のワルドが疾風のように殺到した。
 『閃光』の二つ名をもつ強力なメイジの三連撃ともなると、防ぐことができる人物が片手で数えることができる。そして、才人はそのうちの一人になろうとしていた。
 “ライトニング・クラウド”は正眼に構えた神剣で防ぎ切り、白く染まった世界の中神速の突きを放った“偏在”は杖剣を巻き上げ、そのまま胴を薙ぐ。さらに遠方から『風』を断続的に撃ってくる“偏在”には腰のホルスターから抜いたP226の銃弾が喰らいつき、風に返した。
 最後に残された本体は、ふわりと自重を打ち消したような動きで才人の懐に潜りこんだ。さして速くなかったがその独特な動きに対応しきれず、才人は拳銃を投げ捨てながらデルフリンガーで応戦した。そのまま長剣の距離をとらせず、ワルドは触れんばかりの近距離で杖剣のナックルガードと蹴りを巧みに使い分けながら息つく暇を与えない。
 顔や体を容赦なく打たれている才人は、実のところそれほどダメージを受けてはいなかった。元来平賀才人の打たれ強さは異常なまでに高い。さらに速いが重くはない拳撃も徐々に目が慣れはじめ、反撃こそできないものの、短時間でかわせるようになっていた。
 左手はデルフリンガーを握っていて自由にならない。けれど右手と脚は空いている。
 回避と防御に専念していた才人は、ワルドの動きにあわせてカウンターを狙おうと決めた。魔法から剣術、果ては格闘術まで修めている『閃光』は稚拙な素人の動きを読んでいるのか、さらに手数を増やして反撃の糸口を与えない。

「クロスファイトに付き合うな、距離をとれ相棒!」

 デルフリンガーのまっとうな指摘も今は雑音にしか聞こえない。
 ただ相手の動きを見て、受け、いなして必殺の一撃を狙う。それだけに意識を研ぎ澄ませる。
 チャンスは来た。雪を舞い上げ大地を薙ぐ足払いの後、ほんの一瞬の隙間。何も考えず、ただ全力で右こぶしを顔面めがけて打ち出した。
 ガンダールヴのルーンは膂力にも恩恵をもたらす。振りぬかれた拳はワルドの頬を捕らえ、三メイルも吹っ飛ばし背後の痩せた樹に叩きつけた。
 叩きつけられたことなどなんでもないように、ワルドは再び動き出す。“ブレイド”を唱え身体は半身、杖剣をまっすぐ才人に突きつける。伝統的かつ最も合理的な構えであった。
 それを見て決着の時だと才人は悟る。構えは正眼、デルフリンガーはことここに至って口出しは無粋と判断して沈黙を保っている。

「いきます」

 誰に聴かせるでもなく、ただ呟いた。
 疾走し、大きく伸びあがった高速の降り下ろし、今できる最高の一撃。
 ワルドは、間一髪で避けた。傍目にはほとんどわからない程度、重心を横にずらし、才人の渾身の一撃を避けきった。髪がはらはらと宙を舞い、それでも身体には傷一つ受けていない。
 滑るように動いて才人の背後を位置取り、閃光の速さを秘めた突きを放つ。
 間に合わないと悟りつつ、才人も振り向きざまに突きを放った。届くはずは、なかった。

「それで……いい……」

 神剣は心臓を貫き、杖剣は頬をかすめた。本来ならありえなかった結末、ワルドに、正気が戻っていなければ。

「子爵さん、やっぱりあなたは」

 ワルドは、リーヴスラシルの血液を舐めた。それが彼の残された自我を喚起し、最期には才人の命を救った。
 才人はそれをガンダールヴでもリーヴスラシルでもない、自分の感覚で悟っていた。“偏在”の攻撃も、超接近格闘戦も、途中から鍛錬を課すカリーヌに似た空気を放っていたのだ。
 神剣は仮初の命を喰らい、ワルドの身体は力を失いつつあった。ずるりとデルフリンガーから抜け落ち、仰向けに倒れこんだ。
 血一つ刀身に残らなかったデルフリンガーが何か言い出す前に、強引に鞘に納める。膝をついて、最期の言葉を聞き逃さないよう顔を近づけた。

「強く、なったな」
「子爵さんが命を救ってくれたから」
「……名を、教えてくれないか」
「サイト、サイト・ヒラガです」
「サイトか……変わった名だ」

 ワルドの顔には全てが変わったあの夜と同じ微笑みがあった。 

「この……星を…………」

 最期の言葉も、ニューカッスルの夜と同じもの。少年に後を託し、語られぬ英雄が始祖の座へと旅立った。
 タルブの森に少年の悲しみに満ちた咆哮が響き渡った。



***



「安心して眠りな」

 心底そう願うような優しいメンヌヴィルの声とともに、白い“火球”がロバート・ハートの亡きがらを包み込んだ。
 二人の死者がもたらした被害は、『火』を得意とする三名の活躍で最小限に抑えられた。他の教団の輩とどのような違いがあるのか、『火』の系統魔法で葬り去ることができたのも大きい。

「全軍に『火』が有効であることを通達せよ! 損害報告急げ!」

 本陣機能が一時停止した事実は、ただでさえ正体不明の者たちに奇襲をかけられた全軍に動揺を与えていた。
 特にアルビオン軍の被害は大きい。知った顔が、ニューカッスルやモード大公領で逝ったはずの者がこちらを襲ってくるのだ、尋常の人間からすれば悪夢でしかない。
 さらに、教団に対して絶大な効果を発揮したオスマンの“焔雪”が効かなかったことも大きい。何も知らないトリステインやゲルマニア、クルデンホルフの兵はただの人間だと踏んでかかって、その驚異的再生力から討ち取られた者も少なくないようだ。
 戦場を染めようとしていた雪はすでに止み、空には蝕まれた奇妙な太陽、死者が跋扈する戦場は、こちらの正気を疑わねばならぬほどであり、事実幾人かのアルビオン将兵はこれが現実味を帯びた夢であると錯覚してかつての友を抱きしめようとし、命を奪われた。

「急ぎ部隊をとりまとめ教団への攻撃も再開せよ! 艦隊に被害は!?」
「現状被害は受けておりません。しかし距離をとっているので攻撃は精度の問題から難しいかと」
「長弓騎兵隊をもっと後方にさげておけ! 彼らの攻撃は一切通用せん」
「今こそ竜騎士隊を出すべきです。数こそ減らしたものの彼らのブレスで死者を一掃すれば立て直しも速くなります」
「一般兵を巻き込んでしまう! 今必要なのは早急な部隊編成です。土メイジによる“土壁”とゴーレムで牽制しつつ一度後退、その後竜騎士隊の出撃が最良かと」
「いかがなさいますか、殿下!」

 参謀と将軍の意見、指令が飛び交い、ウェールズは三秒ほど考える。こうしている間にも戦場の各所で命が奪われているだろう。各々が判断を下しているだろうが、大局を決めるべき決断はウェールズにゆだねられている。
 単眼鏡を教団に向け、そこで見た光景が彼の方針を決定した。

「全体規律を保ちつつ一段階東進せよ。艦隊はラ・ロシェール方面に対地展開、索敵につとめさせる」

 ジョン・フェルトンが風を纏い黒衣の集団を相手取っていたのだ。彼は完全にこちら側だとウェールズは信じた。常道からは間違っていようとも、ここはすでに普通という言葉が通用しない戦場だ。

「ガリアのミドガルズオルム隊に出撃要請、教団に向かいフェルトン以外を攻撃。トリステインの魔法衛士隊とクルデンホルフの空中装甲騎士団、アルビオンの竜騎士隊をもって各所に出没したアルビオンの亡霊を焼き払え!」

 ウェールズの決定を受けて慌ただしく伝令が駆けていく。あとは現場指揮官たちが上手くやることだろう。そしてもう一つ、彼は指示を出さねばならないことがある。

「コルベール殿、メンヌヴィル殿。ビーフィーターとともにサイト殿を追ってくれ」
「御意に。小隊も出しましょう」
「承りました」

 バリーとロバート、そして本陣を包囲していた死者が猛威を振るったのは時間にして三十分もない。
 しかし、日常ならなんてことはない三十分という長さはこと戦場において生死を分ける。

「殿下、わたしも参ります!」
「ルイズ、あなたが行く必要は、いえ、行ってはなりません」

 ルイズの言葉にアンリエッタはぴしゃりと言った。

「いえ、行かねばなりません。サイトは、わたしの使い魔です」
「その理屈で言うとテファも行かないといけないな……」

 ふむ、とウェールズは口元に手をあてた。威厳が必要な歳ではないので髭は伸ばしていないが、この戦が終われば揃える必要がありそうだ。

「許可しよう。ただし五人以上のビーフィーターと行動を共にすること」
「ウェールズさま!?」
「ありがとうございます」

 あっさりと許可を出したウェールズにアンリエッタは食って掛かる。

「『虚無』をもっとも防御の硬い本陣の外に出そうとは、何をお考えですか!」
「ヒラガ殿の傍の方が安全だ。それに、彼に打倒できぬバケモノでも“爆発”なら対処できる。友人であり、『虚無』であるラ・ヴァリエール嬢を心配するきみの気持ちはよくわかるが、これがベストだ」
「アンリエッタ殿下、私も随行しましょう」
「相手は『火』に弱いのだからダングルテール殿の祝福の力が惜しい。それに本陣も手薄になる」
「彼女の祝福は比較的広域に恩恵をもたらします。本陣防御にはわたしが残りましょう」

 その言葉をウェールズは取り合わなかった。指揮官にあるまじきことであったが、ウェールズは彼の直感から来る決断を信じていた。
 断固たる態度を見てか、アニエスがルイズの護衛をかって出た。アニエスの特殊な力を知っているウェールズは渋ったが、コルベールが残ることで決着した。

「小官が護衛を任されたウエイトです。ダングルテール殿、ラ・ヴァリエール殿。索敵を行いながら進むので時間がかかることを承知ください」
「わかったわ」

 ビーフィーターは王都ロンディニウムの守護を任された、ライン以上が最低条件となるものたちで構成された親衛隊だ。何の軌跡かメアリーはロンディニウムを直接通らなかったため陥落せず、大半は今も治安維持などの任についている。この場にいるビーフィーターはその中から選び抜かれたものであり、魔法と体術のバランスのとれたものたちだった。
 金髪碧眼で立派な体格のウエイトもどこか歴戦の兵を思わせる空気を放っており、しかし増長することのない軍人らしいきびきびとした態度でルイズたちにあいさつをした。
 捜索に動員されたビーフィーターは五十人、それに実験小隊が加わり七十人、最後のルイズたち三人で七十三名の捜索隊となった。
 各々十人前後の分隊編成を即座に行い、一斉に本陣後方へと歩みを進めた。
 石造りの倉庫などが建ち並ぶ区画は迅速に、そこから先の林にさしかかると進行速度は遅くなった。

――こんなにゆっくりで大丈夫かしら。

 焦る気持ちを抑えてルイズは安全を確保しながら進むビーフィーターに続く。アニエスは一言も喋ることなく彼らの後方を警戒している。
 底知れぬ悲痛を思わせる慟哭が聞こえたのはそのときだった。
 ルイズ以外の者にも当然その叫びは聞こえていて、顔を見合わせて警戒をおろそかにすることなく、しかしそれまで以上に速度をあげて声のした方角へと向かった。
 一番はじめに才人の下に着いたのはルイズたち七人、すべてが終わったあとだった。
 雪を踏む音に振り返った才人は、泣いていた。

「ルイズ……俺、俺っ……!」

 才人は、ガンダールヴとして異星から呼ばれ、アルビオンの英雄として祭り上げられ、神の心臓を宿した少年は、ただの男の子でしかなかった。
 膝をついて、くしゃくしゃに顔を歪めて、あふれる涙を抑えきれないでいる。こぼれた涙はワルドの穏やかな死に顔を濡らし、彼が少年に共感して涙しているかのような表情を造り上げていた。
 この光景を見て何があったか、察することは容易であった。本陣に急襲したロバート・ハートたちと同じく、才人はワルドと戦ったのだ。あの夜、ルイズの知らないところで共闘し、命の恩人である男をその手にかけなばならなかったのだ。
 瞬間、ルイズははじめて気が付いた。自分が目の前の少年を、ガンダールヴという伝説を通して見ていたことを。同い年の少年ではなく、おとぎ話に現れる勇者のような、そんな存在であると少なからず錯覚していた。そしてルイズの心にふわりと浮き上がったその事実は、取り返しもつかないほどの重圧を少年に与えていたのかもしれない。

「サイト……」

 ぼろぼろと涙をこぼす才人に駆け寄って、そうすることしかできない自分に愕然とした。傷心の少年を前にしてどうすればいいのか、彼女の少ない人生経験では咄嗟に思い当たる行為がない。
 ふと、才人を召喚して、ギーシュとの決闘で三日間眠りっぱなしだったときのことを思いだした。どうしようもなく辛いのは彼のはずだったのに、優しく抱きしめ髪を撫でてくれたあの夜、その温もりを思い出した。
 膝をついた才人に近づき、その顔をそっと胸に抱きしめる。温もりのせいか、それとも他に心を刺激することがあったのか才人は嗚咽をこらえようともせず、いっそう強く、激しくむせび泣いた。

「子爵、さん、笑ってた……俺が、俺が殺したのに!」
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」

 彼女がかつてそうされたように、才人の頭を優しく撫でる。ハルケギニアには珍しい黒髪はごわごわと硬く、ピンクブロンドで柔らかな髪の自分とは全然違う。けれど、人間だ。ルイズと同じ、ちっぽけな人間だ。平賀才人は英雄なんかじゃない。
 魔法学院の制服が遠目からでもわかるほど涙で濡れ、それでも才人は泣き続ける。
 込められた感情は海よりも深い悲しみ、そして弱かったあのころの彼自身への怒り。積もった激情を吐露するように、涙は尽き果てない。

「なん、でっ! なんでだよぉ!!」
「サイトはわるくない。だいじょうぶ」

 幼子をあやすように、ルイズは背中を叩きながら才人の髪に指を通す。
 不意に、ごぼりと水音が聞こえた。続けて感じるのは涙よりももっと熱い液体。
 ルイズが視線を落とすと、才人は赤黒い血を吐いていた。

「…………え?」

 理解できない。今こうして目にしている光景がうまく処理されない。

「なに、これ」

 そろそろと顔を上げると、少女が佇んでいた。
 闇色の巫女が、感情をにおわせない表情で、佇んでいた。

「うそ、やだ……こんなの」

 巫女の足元から伸びる暗黒の鞭が才人の左胸を貫いている。ならば当然、肺腑に満ちた血液は気管を逆流して吐き出されるだろう。
 緊急事態を告げる笛の音が、アニエスたちの叫び声が何故か遠く聞こえる。

「イヤ……やだ……いやぁぁああああああ!!!」

 天空では太陽が蝕まれ、薄明りが世界を染める中、少女の悲痛な叫びが木々にこだました。



***



 時間は多少前後する。オスマンの“焔雪”が戦場を支配し、戦況は完全にレコン・キスタ側に傾いていた。残る団員の数は五十も残っておらず、しかも結晶が触れれば燃え尽きるとあって教団は忘れていた恐怖心にとりつかれ、組織だった反撃を行えないでいた。
 そんな情勢で日食が起きた。亡者の軍団に襲われたレコン・キスタ軍は教団に攻撃を仕掛けるどころではなく、後退を余儀なくされていた。ナイアルラトホテップ教団にとって最後のチャンスが到来した。しかし、その機会を叩き潰す者がいた。

「イル・ウィンデ!」

 白くくたびれたメイジ、ジョン・フェルトンである。“ストーム”でオスマンの“焔雪”を舞い上げ、これまでは触れないよう防いできていたのを今度は黒衣に降り注がせるように『風』魔法を操っていた。

「乱心されたかフェルトン殿!」
「乱心? 我が心ははじめから始祖ブリミルとともにある!」

 彼の背後には教団の司教であり、執事でもあるバザンが二刀流のレイピアで押し寄せる団員の足止めを行っている。
 アルビオン訛りの強い黒い肌の持ち主、ボニファス司教の糾弾に力強い声で答え、今フェルトンは最期の戦いに出ていた。
 彼は今後どうあろうと死を免れない。その死をもって娘であるメアリーのロシュフォール家に対する罪を免じ、妻であるミレディーの助命がかなったのだから。このまま教団の長として過ごそうと、そのことに変わりはない。
 だが、彼はどこまでもブリミル教の信徒だった。得体のしれぬ輩との交流も、精神が削り摩耗されそうな夜も、始祖ブリミルに祈ることで正気を保つことができたのだ。その恩恵にささやかでも報いるため、この戦場を死に場所と定め、邪神に連なる者を一人でも多く討ち果たす所存であった。すでに精神力はかなり消耗していて、しかも相手には尋常の攻撃が通じない。彼にできるのは風を操り、ハルケギニアの敵を燃やす一助となることだけだ。

「聖女さまとともにあるのでは!?」
「娘は、メアリーは聖女などではない!」

 叫びながらルーン詠唱は止めない。“エア・ハンマー”また一人の教団員を雪原に叩き込み、燃え上がるのを見届けることなく別の者に攻撃する。
 結晶はフェルトンを攻撃対象と認めていないようで、彼が触れても痛みもなにも感じない。一度も面識のない、手紙を送っただけの間柄であるオスマンに心中で感謝の言葉を述べながらフェルトンはなおも戦い続ける。
 長柄武器の間合いは広いが、魔法と比べれば大したものではない。時折『水』系統のスペルを見舞ってくるボニファスにさえ気を付ければ恐れる必要はなかった。
 フェルトンとレコン・キスタの違い、それは敵を知っていることにある。彼は教団員がガーゴイルやゴーレムに近い性質をもっていることを知っている。だからこそ恐怖に乱され過剰に動くことなく、体力を温存しながら迎え撃つことができるのだ。
 必死に杖を振るうフェルトンに影が差した。

「な……!?」

 見上げれば大きな騎士が跳んでいる。フルプレートメイルを着込んだ高さ十メイルほどの騎士人形が、大地が震えるほどの轟音をあげてすぐそばに着地した。
 五回の地響きを立てて土砂を上げながら現れたのは五体の騎士人形。

『ジョン・フェルトン! 我らミドガルズオルム隊が援護する!!』

 ガリア王国東薔薇騎士団所属、鋼鉄の巨人部隊、ミドガルズオルム隊が現れた。
 一つだけ異なる兜を身に着けた隊長機と思われる巨人がぎしぎしと音を立てながら巨大なメイスを振り上げ、大地に打ち付けた。
 ナイアルラトホテップ教団の者は、攻撃が通じないことが問題になる。彼ら自身が保有するのはただの長柄武器にすぎない。突如現れた騎士人形に対抗する術など持ちようがなかった。

 ミドガルズオルム。エルフと共同研究を行っている魔法大国ガリアの生み出した究極の兵器である。
 その起源はヨルムンガントと呼ばれる巨大騎士人形にある。
 エルフの“反射”を装甲に備えどんな攻撃をも無効化し、高さ二十五メイルという巨体に相応しい巨大な武器を振り回す。さらに風石で自身を軽量化しているため俊敏な動作を可能としている。ガーゴイルの機能性とゴーレムの強大さを併せ持つ先住と系統魔法のハイブリッドの究極系、それがヨルムンガントだ。
 しかし、無敵の存在というわけではなく、欠点も存在した。使われる素材から一体造り上げるのに莫大なお金を使う必要があったし、運用には風石も湯水のように使わねばならない。最大の欠点は、『虚無』の使い魔ミョズニトニルンでないと操作できないことだ。
 約千年前に誕生したヨルムンガントの欠点を克服するため、研究機関は必死の努力を重ねた。莫大な金が素材に必要となるなら、可能な限り小型化してしまえばいい。風石の使用量を減らすため軽量化すればいい。メイジが使うため、ありとあらゆる魔改造をほどこしてしまえばいい。
 そうして完成した鋼の騎士人形の大きさは十メイル、防御力はヨルムンガントに劣るものの、“反射”は健在であるし、なにより動きが素早い。肝心の一般メイジが使えないという欠点は、これ自体を無理やり杖とすることで克服した。
 術者を装甲内に取り込み、文字通り一体化して戦う騎士人形。それがミドガルズオルムだ。
 隙間なく着込まれた甲冑と“反射”のおかげでどんなゴーレムよりも防御力が高く、さらに魔法も封じ込めている。防衛戦に、侵攻戦に、攻城戦に、ありとあらゆる戦場に対応可能な騎士人形は、この地獄じみた戦場でも力を発揮した。
 アリのようにたかる教団をかるくはらい、オスマンの“焔雪”に叩きつける。舞い上げて打ち付ける。教団側の攻撃が一切通じないため、どれほど不気味であろうと意に介さず、冷静な対処をミドガルズオルム隊は行っていた。

『ハッハァ! 楽な仕事だなこりゃ!!』
「凄まじいな……」

 その圧倒的な力にフェルトンはしばし言葉を失ったが、片づけねばならないことを思いだし、杖を構えた。

『一昨日着やがれオラァ!!』
「ぐはっ!?」

 その視線の先でボニファスがふっとばされていた。彼は雪を舞い上げながら地面に激突し、その身体を聖なる炎に焼かれ、やがて動かなくなった。
 本当に凄まじいと思いながら、フェルトンは振り返る。彼の忠実な僕、バザンが変わらぬ様子でそこにいた。

「どうやら、カタはつくようだな」
「ええ、喜ばしいことです」
「最後にやることがある」

 フェルトンの重々しい言葉に対し、バザンはロシュフォール領で過ごしていた時のような笑みを浮かべていた。

「お前は誰だ」

 ざっと、風が吹き渡った。

「バザンは、言っては何だが普通の男だ。あのような邪悪の巣窟で正気を保てるなど、とてもありえぬ」

 私が言えたことではないかもしれぬが、とフェルトンは言う。

「お前は、何者だ」

 濁っていた碧眼を細め、フェルトンはバザンを、彼の姿をした何者かを睨みつける。
 それに対する返答は、拍手だった。場違いな乾いた音は、ミドガルズオルムの足音に打ち消されながらもしばらく続けられた。

「素晴らしい。如何な手段をもってか正気を保ち、私の正体に気づこうとしていたとは」

 存外、人間もバカにできたものではありませんなと、顔を歪めてバザンは笑う。

「答えろ」
「おっと失礼。ニューカッスルでも無駄話が過ぎて首を斬られてしまったのだった」

 ニューカッスル、アルビオンで二番目に堕ちた城の名が何故出てくるのか、フェルトンにはわからない。

「不思議に思いませんでしたかな? いくら聖女の父と言えどナイアルラトホテップ様の祝福を受けていないものが大司祭と認められるなど」

 ボニファスやほかの教団員は、確かに初対面のときも大人しく従っていた。
 メアリーの父であるという事実がそれほど重いのだと、そのときは納得していたが言われてみればおかしい。

「答えは簡単、みな背後に私の気配を感じ取っていたからあなたを迎え入れたのですよ」
「何者かと聞いている!」

 長年仕えてくれた執事の顔で、執事のものではない笑みを浮かべる。

「ナイアルラトホテップ教団大司祭、オリヴァー・クロムウェルです。加えて言えばあなたの執事、バザン殿とは旧知の仲でした」
「……バカな」

 バザンの口から出た名前はフェルトンも知っている。宣戦布告文にも用いたし、ボニファスはよくその名を口にしていた。

「確かに私の死体はもうありませんが、神の祝福でなんとかなりました。日ごろの信仰心はやはり大切ですな」

 ニューカッスルで焼け死んだはずだと聞いていた、すべての元凶。

「今戦場で踊っている方々も私の演出です。モード領で水の先住が秘められた指輪を手に入れたので少し使ってみました。死んだ友との再会、いいものでしょう?」

 オールド・オスマンの“焔雪”に反応しなかったのは偶然でしたがね、と笑いながら言う。

「貴様が……!」
「おっと怒らないでいただきたい。ま、私の立場はご息女と同じものだとか」

 元が聖職者と思えないほどその態度は軽く、戦場の空気を微塵も感じさせない。すぐそばではミドガルズオルムが猛威を振るっているのに恐怖一つかぎとれない。
 だが、それがなんだというのだ。
 目の前にいる男を生かして返していいのか。今この場でアルビオンの怒りを知らしめず、一体いつ断罪しようというのか。

「クロムウェル、始祖に、アルビオンに変わって貴様を討つ!」
「……死など一つの状態にすぎませぬ」
「貴様がそれを言うか!」

 怒りにまかせてフェルトンは杖剣を振るう。愚直で、これ以上なく見切りやすいほど直線的な突き。
 先ほどまでレイピアを振るっていたことからわかるように、クロムウェルもある程度は剣術を遣える。身体を軽く横にずらして簡単に避けてしまった。

「怒るのはよくないですぞ。剣筋も見切りやすい」
「うるさい!!」

 フェルトンが振り回す杖剣を回避しながら、クロムウェルはやれやれとため息をついた。相手は完全に怒りに囚われ我を見失っている。
 だからブリミル信徒はダメだ。ナイアルラトホテップ様を神と仰ぐべきだと、ゆっくりと説いても問題ないほど回避が容易な攻撃ばかりであった。
 一度トンと離れて、バザンの笑顔で問いかける。

「怒りは醒めましたかな?」
「まだまだ!」

 諦めの悪い人だと苦笑いを浮かべる。
 もう一度避けようとした瞬間、クロムウェルの足が勝手にあがった。自身の意思が介在せぬ動きは、クロムウェルから一切の思考を奪った。
 フェルトンが殺到する。杖剣に“ブレイド”を纏わせ、先ほどとは全く違う研ぎ澄まされた斬撃でもって、長年苦労を掛けた執事の首を、微塵の躊躇もなく跳ね飛ばした。
 疲労のため荒い息をつきながら、フェルトンは“ブレイド”を解き、膝をついた。

「……これが、アルビオンの怒りだ」

 六千年もの間、アルビオンは天空にあり続けた。『アルビオンが落ちる』とはありえないことの代名詞になるほど、アルビオンが落ちるなどありえないというのがハルケギニアの人々の共通認識だ。
 その名を冠する『アルビオン落とし』と、そう呼ばれるいくつかの技法がある。フェルトンがクロムウェルに遣ったのは、通常身体全体を持ち上げてしまう“レビテーション”、それを相手の足一点のみにかけるという、メイジのクラスとは無関係のセンス、そして極度の集中力を要するが対人戦で絶大な威力を誇るものだった。この一瞬にすべてを賭けるため、憤怒に囚われていると見せかけるため、あえて容易に回避できるよう杖剣を振り回していたのだ。
 周りを見ると、ミドガルズオルムがすべて教団員を片づけてしまったようで、見慣れた黒衣の姿はもうない。
 いくつものクレーターが穿たれた平原で、フェルトンは食まれた陽を見上げる。丁度太陽が完全に隠され、美しい光の輪が見えるところだった。

「あとは、断頭台か」

 残る己の使命を思い出し、フェルトンは笑う。自分の命ひとつで最愛の妻が救えるのなら安いものだと、久しぶりに笑い声をあげた。

『フェルトン殿、貴殿の捕獲をもってこの戦は終わる』
「連れて行ってくれ。抵抗はしない」

 ずしんずしんと地響きを立てながら近づいてくるミドガルズオルムの方を見ることなく言う。
 気持ちいいほどの解放感を味わっていた。

「やれやれ、また首か」

 その気持ちに影を差すものがいた。
 首だけになったバザン、今はクロムウェルが、至って普通に声をあげる。これにはミドガルズオルム隊も動揺した。フェルトンは、何故か奇妙な呆れを覚えていた。

「まだ生きているのか」
「ええ、まあ身体はバザン殿のものなので首がついたりはしませんが」
「どういう意味だ」
「寄生虫のようなものです。言ったでしょう? あなたのご息女のようなものだと」
「……その寄生虫を払えばメアリーは元に戻るというのか?」
「いえ、ですからご息女の方です。聖女さまではありません」

 なんとかなるかもしれませんがと、クロムウェルは続ける。当の質問を投げかけたフェルトンには意味がわからなかった。

「まあそんなことより空を見た方がいいですよ」
「なに?」
「降臨される頃ですから」

 その言葉とともに、戦場の空気がまた変わった。クロムウェルの言葉を聴いていたフェルトンとミドガルズオルム隊は思わず空を見上げる。
 タルブ平原の中央、教団が今まで歩いてきたもっとも低い位置に、目を疑うようなものが現れた。
 肌は種々の原色が絡み合った黒とも呼べぬ暗き色、三本のひづめのついた脚を持ち、腰から頭にかけては人体に似ている。奇妙なほど長い腕の先には三本の指、頭部には馬の尻尾を思わせる長い鞭状にしなる触腕が踊っている。
 驚くべきはその大きさ、ミドガルズオルムの倍近くの高さをもっていた。
 先ほどまで存在を毛ほども感知できなかった、大きすぎる不可思議な獣の出現に、騎士人形たちはいっせいに隊列を整えメイスを構えた。
 その動きを気に留めた様子を見せず、獣は顔をぐるりと回し、消滅した。

「メアリー……?」
「おお、聖女さま……」

 獣が消えた空間、その頂点に闇色の少女はいた。
 メアリー・スー・コンスタンス・ド・ロシュフォール、ジョン・フェルトンの娘。だというのに、フェルトンは違った感想を抱いていた。その黒い姿に、伝承にある夜ごと幼子の命を奪っていく『夜の女王』を思い出していた。
 ゆっくりと、雪のようにハルケギニアへ降臨せんと、巫女はその高さを落としていく。
 フェルトンたちは見守ることしかできない。
 少女が水面に足を下ろすように、静かに大地へ降り立った瞬間、世界が悲鳴を上げた。

『地震だと!?』
『大きいぞ全員耐衝撃姿勢!!』

 凄まじい振動がタルブ平原を襲った。
 根付いていた木々は倒れ、大地の揺れる音が将兵の耳にはっきり知覚できるほど響き、各所で地の底まで続くほど大きな地割れが生まれ、石造りの建造物群は軒並み崩れ落ちた。
 彼らが立っていた地面がいかに不安定なものか、それを知らしめるほど大きくうねるような揺れは一分近くも続いた。
 地震がおさまってフェルトンがしっかと周囲を見回したとき、有り得ざる変化が訪れていた。

「……低くなった?」

 先ほどまでとは彼の立つ大地は高さが変わっていた。遠くに見えるラ・ロシェールの山々、それの見え方が明らかに違う。地面が沈んだと氏か思えなかった。
 はっと正気を取り戻し、彼の娘を見ようとした。そのとき、大風でもこうはなるまいと思うほどの強い風がタルブ平原に吹き込んだ。
 東西南北、すべての方角から豪風は吹き荒れ、中央に、巫女の下に収束していく。
 地面とは違い、上空ではまた違った変化が表れていた。

「くっそ、なんて風だ!」

 水夫の一人が毒づくほど現実離れした風が平原の中央からやってきたのだ。風は信じられぬほどの水気を含んでおり、空中艦隊はさながら豪雨の渦中へ放り込まれたようにその身を濡らしていく。風は水のみならず熱気をも孕み、フネの運用上『風』の防御が全体に施されているとはいえ、その護りをも通過して甲板に出ていた水夫たちにやけどを負わせた。
 急ぎ帆を畳んで本陣に“伝声”を送る。この風ではマトモな艦隊運用ができないという報告と、布陣変更の上申であった。しかし、“伝声”に答える声はない。現世と切り離されたかのように、地上への“伝声”は届かなかった。
 本陣では先の死者の襲撃に続き、突発的な大地震で混乱した戦線を立て直すため必死で伝令を飛ばしていた。
 死者は焼かれ、教団は灰に還った。敵がいなくなったと気を緩めた矢先の出来事で、しかも海抜高度が大きく下がり地面に呑まれたものも多く、その救助作業に今度は力を割かねばならなかった。
 そんな中、単眼鏡を覗いて戦場を観察していたビーフィーターの一人が声をあげる。

「中央、ジョン・フェルトンの近くに少女がいます!」

 ありえない報告だった。軍とはその性質上、女性貴族をほとんどいれない。この戦場における例外はアニエスとアンリエッタ、そして『虚無』二人くらいのものだ。
 それが突然戦場の中央に現れるはずもない。
 ウェールズが確認の言葉を発しようとしたとき、強風が吹き荒れた。ラ・ロシェールの山岳地帯を抜けて到来した風は奇妙な熱気を含み、平原の中央へと吸い込まれていく。風は止むことなく、風の強い天空のアルビオンでもありえぬほど長く、強くひたすらに吹いている。
 幸いにも追い風なので目が開けられないということはない。各種書類が飛び交う中、ウェールズは真偽を確かめるため単眼鏡を目にあてた。

「……あれは」

 さっと血の気が引いた。
 ごく小さい像であってもその姿を見間違えようがない。メアリー・スーが、ニューカッスル城を落とした闇の落とし子がそこにいる。
 アルビオンからの報告によれば、彼女は今サウスゴータ近辺にいるはずであった。それも移動は夜だけ、半月以上もそれは変わらなかった。この戦場に現れる可能性は低いと見越していた。ウェールズだけでなく、各将軍や参謀も同様の意見であった。
 楽観的と言うべきか、現実的と言うべきか、常識に即した部下の意見を聴きつつも、なんとなく現れるのではないかという漠然とした予感はウェールズも感じていた。それが的中してほしいと願ったことは一瞬たりともなかったが。
 しかし念には念を入れ、戦力差が大きすぎると苦言を呈されてでも大軍を率いてきた甲斐があった。

「平原中央に巫女が出現した! 各部隊一時救出作業を中断、遠距離から攻撃を仕掛けよ! 艦隊にも中央に急行、対地攻撃を行うよう“伝声”を送れ!」

 恐れおののき、打ちひしがれている暇はない。風音に負けぬよう力強く各方面に指示を下し、本陣に控える者たちを見た。
 ニューカッスルのときとは状況が違う。
 軍を展開しやすい大平原が戦場となるので大規模な攻撃が仕掛けやすい。それにアンリエッタがいる。コルベールがいる。オスマンがいる。なにより、『虚無』を習得した二人がいる。
 教皇の話によれば、歴代の邪神に連なる者はすべて神剣か、『虚無』の魔法によって滅ぼされてきたという。

――場合によってはこの戦場で討ち果たすことも。

 そこまで考えて首を振った。あまりにも無謀だ。四の使い魔、四の使い手があってこそ可能であろうと、そう考えを改めた。

「ヒラガ殿の捜索を急げ!」

 この場にいない才人とルイズが無事に撤退する鍵を握る。二人がいち早く本陣に戻るよう、ウェールズは残るビーフィーターも本陣後方に送った。
 状況に変化がないか、改めて巫女を見やる。

「あれは……水?」

 アンリエッタも同時に見ていたようで、疑問の声をあげる。
 透明な液体がメアリーの頭上に浮かんでいる。巫女との距離は二リーグ近く、それほど離れていてもわかったのは、彼女の後方の景色が大きく歪んでいたからであり、なによりその液体がフネのような巨大さを持っていたからでもあった。

「この現象は……いかん、“逃げ水”じゃ!」
「あの大きさの“逃げ水”ですと!?」

 オスマン老が声を張り上げたのはそのときであった。ウェールズの知識にないその言葉をコルベールは知っているのか、悲鳴に近い声を上げた。

「殿下、全軍にすぐ防御スペルを唱えるよう通達を!」
「どういうことだ」
「急がねば多くの兵が死にますぞ! すべての系統をもって全力で防ぐのです!」

 ウェールズにはこれほどまでに二人が慌てる理由がわからなかった。アンリエッタも、他の参謀も同様に疑問を顔に浮かべている。

「“逃げ水”とは凍れる水、如何な物体であろうと凍りつかせてしまう悪魔のような液体です!」
「詳細がないことには指示を出せない!」
「取り扱いが難しく研究が進んでおらん。わしも手の平ほどしかつくったことがない」
「それほど危険なら『虚無』の“解除”を使うのは?」
「アレは厳密には魔法ではない。おそらく無駄じゃろう。とにかく急いでくだされ!」
「わ、わかった」

 とかく、コルベールとオスマンの剣幕は尋常でない。“拡声”のスペルを唱え、その旨を平原中に知らせようとした。

「全軍緊急防御準備!」

 だが、声は届かない。本陣で小さく響くのみであった。

「バカな、何故」
「信号弾発射します!」
「あ、ああ。頼む」

 ウェールズの“拡声”は発動しなかった。その理由が理解できず、しばし思考を奪われた。参謀が発言しなければ今もそのことを考え続けたかもしれない。
 古くからの慣習で、緊急事態においては本陣に置かれた強力な閃光弾で全軍攻撃、防御、撤退の指示を下すことができる。
 全力防御を意味する信号弾が放たれ、戦場を赤い光で染め上げた。

「“ウィンド・シールド”でもなんでも唱えるのだ! 己の持つ最強の防御スペルを準備せよ!」

 ハルケギニア最高のメイジ、オスマンが声をからして叫ぶ。その必死な様子に、今とてつもない危機が訪れていると鈍いものでも気づくことができた。
 次々と唱えられるスペル、それでもオスマンの顔から緊張の色は消えない。

「一撃で済むか、それが問題じゃ……」

 タルブ中を照らした強烈な赤光は、林の奥にまで届いていた。アニエス、メンヌヴィル、ビーフィーターの小隊長は無論、その意味合いを知っている。

「緊急防御準備……巫女か!」
「“フライ”で本陣の様子を見ろ。『土』は“土壁”を構築、他総員は防御魔法詠唱準備!」
「了解、確認に向かいます」

 林にこだましたルイズの嘆きに、すべての捜索隊員は集結することができた。遅れて到着した彼らが見たのは、黒髪の少年の身体に縋り付いて泣く少女の姿であった。
 胸を抉るような泣き声に兵は心を痛めたが、ここは戦場だ。すぐに傍で警戒していたアニエスとウエイトに事情を聴いた。
 巫女が現れ、才人の心臓を貫き、姿を消したと、目にしたことを告げるしか二人にはできない。何故メアリーが姿を消したのか、それは誰にもわからない。残されたのは脈のない才人と、悲しみに濡れるルイズ、そして動けなかった役立たずだけ。
 その直後に木々を暴風が吹き抜け、赤い光が世界を満たした。七十名ほどの小隊、ビーフィーターは土と石からなる壁を構築しつつ本陣付近の様子を偵察しようとしていた。

「ラ・ヴァリエール嬢、悲しみはわかるが今はこらえてくだされ。アルビオンの英雄は必ず故郷へと」

 その亡骸を帰します、とは言わなかった。

「サイト、サイト……」

 しゃくりあげながら、それでもルイズは立ち上がる。
 ウエイトが降りてきたのはそのときだった。

「平原中央に城のように巨大な液体が浮遊しています!」
「液体?」
「はっ、おそらく水か、それに準ずるものかと」

 ただの水を相手に緊急防御など、ありえる話ではない。もっと違うなにかだとウエイトは確信していた。

「また、フネが帆を畳んでいます。あの動き方は、突発的な豪雨に対処するものかと。遠目にも濡れていることがわかりました」
「ふむ……」

 判断材料が少ない。才人を確保したことだし、急ぎ本陣に戻るかそれともここで防御を固めるか、隊長は決めあぐねていた。

「そりゃ“逃げ水”だな」

 ここでメンヌヴィルが声をあげる。

「“逃げ水”とは?」
「オールド・オスマンが発見したよくわかんねえ液体だ。『風』で限界まで空気を圧縮して、冷やしていくとできるらしい。何かに触れると逃げるように動くとか、突っ込んだものを何でもかんでも凍らせちまうと聞いたが……」

 そのでかさだと相当やべえだろうなと、どこか他人事のようにメンヌヴィルは言う。

「なら、メンヌヴィル殿はここで防御するのが良いと?」
「いや、俺の勘はすぐ本陣に戻るべきだと言ってる。こっちにゃアニエスがいるから“逃げ水”はなんとかなるだろう。いけるな?」
「話に聞く通りのものなら大丈夫でしょう」

 アニエスは問題ないと、力強い頷きを返す。
 ビーフィーターの小隊長は百戦錬磨のメンヌヴィル殿の判断を信じるべきだと考え、詠唱破棄を指示し、ウエイトに才人をかつぐよう言った。

「ラ・ヴァリエール殿、ヒラガ殿を」
「……ええ、わたしは大丈夫」

 気丈に振舞うルイズの姿に心が痛むが、ここでじっとしているわけにもいかない。ウエイトは断りを入れて才人の身体を肩に担ぎあげた。
 死後硬直ははじまっていないようで、ぐんにゃりと身体は曲がり、口内に溜まっていた血が地面を濡らした。

「待て」

 メンヌヴィルの声と同時、才人に触れていたウエイトは気づくことがあった。

「まだ温かい……?」

 それだけではない。急ぎ才人をもう一度地面におろし、首元、心臓に手を当てた。
 彼の突然の行動に、一同は困惑の色を隠せなかった。違うのはメンヌヴィルただ一人、彼はじっと杖を向けている。

「ウエイト、何をしている」
「……脈があります」
「なに?」
「ヒラガ殿は、生きています」
「バカな!?」

 彼が死んでいるのは、ルイズはじめ主だった人物はすべて確認していた。脈はなく、呼吸も消え、瞳孔も開いている。口からは内臓が傷ついた証ともいえる赤い血が溢れ、カッターシャツには貫通した跡があった。これが仮死状態であったというなら納得もできるが、心臓を貫かれて仮死で済む人間はいない。
 ウエイトの言葉に小隊長は目を見張るばかりであったが、ルイズはすぐに動いた。才人に近づきその胸に手をあて、口元に耳を寄せる。
 そこに確かな生命の脈動を感じ、ルイズはさっきまでとは違う涙を流した。

「嬢ちゃん、悪いが離れろ」
「私も同意見だ。ミス・ヴァリエール」

 その歓びに水を差す重く苦々しい声は、トリステインに属する二人から発せられた。

「さっきまで何があったか、忘れたわけじゃねえだろ」

 ついさっきまで、戦場ではアルビオンの亡霊が猛威を振るっていた。それと同じ現象が才人に起きたと、メンヌヴィルは指摘している。
 彼は邪神に連なる者と二十年以上戦っている、いわば対邪神のエキスパートだ。その意見を簡単に否定することはできない。
 それでもルイズは才人を信じたかった。彼がただ単に蘇ったのだと、子どものように甘い幻想に縋り付きたかった。

「心配は無用だ。相棒は邪神になど犯されておらぬ」
「デルフリンガー卿?」
「相棒が強引に押し込んでな、しばし鞘から抜け出せなかった。今は詳しく語る暇などないのだろう? 急ぎ本陣に戻らねばそれこそ取り返しのつかぬことが起きるやもしれぬ」

 救いは思いもよらぬところから来た。
 才人の背中に括りつけられていた鞘からその刃を見せた神剣、デルフリンガーが才人は問題ないと断じたのだ。神剣の言葉と言えど、さっきまで現実に死者が動いていたことから、それを容易く信じられるほどここにいる者たちは甘くない。
 だが、神剣の言葉ももっともだと頷き、ウエイトは才人を今度は背負った。

「ウエイト」
「杖を下ろさぬよう気をつけてください。いざというときは私ごと」

 ウエイトと才人の警戒に人員を割きつつ、一同は本陣へと向かう。足取りは早く、小柄なルイズには少しつらかった。

「……ありがとう」
「ヒラガ殿は殿下の命をお救いしたと聞きます。ならば、彼のために命を賭けるのも道理でしょう」

 ウェールズに取り立てられビーフィーターになったというウエイトは、ルイズの感謝にもはきはきと答えた。
 いつ“逃げ水”がはじけるか、それは誰も知らず、その重圧が部隊全体を覆っていた。残された時間は少ない、

 そしてメアリーの頭上に浮かぶ液体は、勿論ミドガルズオルム隊も視認していた。

『なんだ、あれは』

 『水』系統の初歩には“コンデンセイション”という空気中の水分を凝縮させるものが存在する。
 ミドガルズオルム隊の隊長も最初、この魔法に『水』を足し合わせたものかと考えた。だが、水をこんなところで造りだしても意味はない。もっと違うものだと考え、奇しくもその思考はフェルトンとまったく同一のものであった。
 彼の騎士人形を動かそうとし、いつもと比して遥かに鈍重であることに気づいた。軽々と動いた脚は地に縫い付けられたように、武器を振るう腕は鉛を縛られたように重い。

『隊長、風石の残量がありません!』
『こちらも消失している!』

 隊員の叫びに、風石量が表示される部位を見た隊長は目を大きく見開いた。全力機動で少なくともあと半日は行動できる量を積んでいた風石が根こそぎ消え去っている。
 今まで経験したこともなく、また研究機関からも報告されたことのない現象であった。
 前後に何が起きたのか、隊長は思い起こす。

『地震……まさか風石の力を吸い上げたというのか!?』

 隊長の出した答えが真実なら、それはとてつもなく恐ろしいことだ。
 ハルケギニアの地下には風石の大鉱脈が存在すると、一部の研究者が提唱していた。トリステインのアカデミーに所属している女性学者が、近年それは事実であると突き止め、ガリアの研究機関でも一時話題をさらったことがある。このまま放置すれば千年後には大隆起現象が起きるため、採掘作業を急がねばならないとガリアでも準備が進められていた。
 地下鉱脈までの距離は一リーグない程度、その距離まで力を吸い上げることができるなら、そもそも風石に代表される各系統の石の力を吸収できるなら、それは凄まじい破壊をもたらす可能性が高い。
 隊長はそこまでの思考をいったん破棄し、部下に指示を出した。

『とにかく退避だ! なんかアレはやべぇ気がする!!』
『こいつの甲冑を抜ける魔法なんてほとんどありませんよ?』
「ほとんど、だろうが! 俺も隊長に賛成っす!!』
『俺もヤバいと思いますけど甲冑から抜け出せません! 動きもにぶい!』
『そこらの駆動部にも風石が使われてたか、くそっ!』

 ミドガルズオルムが俊敏な動きを可能とするのは、風石の恩恵に他ならない。その風石が失われてしまえば、動くことができないのは自明の理であった。
 ぎちぎちといやな音を立てながら離脱しようとして、しかし通常のゴーレムよりも鈍重な動きしかとることができない。乗り込む際にはスライドする後背部の保護装甲が動くこともなく、今や最強の騎士人形は鋼の棺桶へと変じていた。
 一歩一歩、ゆっくりと後退している間にもメアリーの頭上にある液体はどんんどんその体積を増していく。すでにミドガルズオルムの十倍以上にはなっており、ただの水ならまだしも、相手は邪神の巫女であるからにはそのような希望的観測を抱くべきではない。無色透明な毒か、それとももっと違うなにかなら全軍に大損害を被る可能性があった。
 本陣からあげられた閃光弾が戦場を赤く照らす中、隊長の眼はある一点のみに留まった。
 ジョン・フェルトンである。
 ぼんやりと突っ立っているだけだった彼は、強く杖剣を握りしめて飛び上がった。

「メアリィィィイイイイイ!!!」

 その叫びには彼の娘に対する怒りが、悲しみが、愛が、すべての感情がきっとこもっていたのだろう。
 それらすべてを断ち切るように、杖剣に“ブレイド”をまとわりつかせ、フェルトンは疾駆する。
 ミドガルズオルム隊が静止の声をあげる中、彼はメアリーに駆け寄り、その胸を貫いた。
 フェルトンの表情は見えない、彼の背中しかミドガルズオルム隊には見えない。けれど、彼は背中で泣いていた。彼の感情を反映したかのように、赤と青の宝石が瞳のようにも見えるマントは一部が破れ、涙をこぼしているようにも見えていた。
 メアリーは胸を貫かれながら、はじめて表情を変える。ごく薄く、笑っているように見えた。
 “逃げ水”が、すべてを終わらせる液体が、タルブの平原に落ちた。




前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.026266098022461