<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.26404の一覧
[0] 【けいおん!】放課後の仲間たち[流雨](2012/06/28 20:31)
[1] プロローグ[流雨](2011/06/27 17:44)
[2] 第一話[流雨](2012/12/25 01:14)
[3] 第二話[流雨](2012/12/25 01:24)
[4] 第三話[流雨](2011/03/09 03:14)
[5] 第四話[流雨](2011/03/10 02:08)
[6] 幕間1[流雨](2012/06/28 20:30)
[7] 第五話[流雨](2011/03/26 21:25)
[8] 第六話[流雨](2013/01/01 01:42)
[9] 第七話[流雨](2011/03/18 17:24)
[10] 幕間2[流雨](2011/03/18 17:29)
[11] 幕間3[流雨](2011/03/19 03:04)
[12] 幕間4[流雨](2011/03/20 04:09)
[13] 第八話[流雨](2011/03/26 21:07)
[14] 第九話[流雨](2011/03/28 18:01)
[15] 第十話[流雨](2011/04/05 15:24)
[16] 第十一話[流雨](2011/04/07 03:12)
[17] 第十二話[流雨](2011/04/21 21:16)
[18] 第十三話[流雨](2011/05/03 00:48)
[19] 第十四話[流雨](2011/05/13 00:17)
[20] 番外編 『山田七海の生徒会生活』[流雨](2011/05/14 01:56)
[21] 第十五話[流雨](2011/05/15 04:36)
[22] 第十六話[流雨](2011/05/30 01:41)
[23] 番外編2『マークと夏音』[流雨](2011/05/20 01:37)
[24] 第十七話[流雨](2011/05/22 21:00)
[25] 番外編ともいえない掌編[流雨](2011/05/25 23:07)
[26] 第十八話(前)[流雨](2011/06/27 17:52)
[27] 第十八話(後)[流雨](2011/06/27 18:05)
[28] 第十九話[流雨](2011/06/30 20:36)
[29] 第二十話[流雨](2011/08/22 14:54)
[30] 第二十一話[流雨](2011/08/29 21:03)
[31] 第二十二話[流雨](2011/09/11 19:11)
[32] 第二十三話[流雨](2011/10/28 02:20)
[33] 第二十四話[流雨](2011/10/30 04:14)
[34] 第二十五話[流雨](2011/11/10 02:20)
[35] 「男と女」[流雨](2011/12/07 00:27)
[37] これより二年目~第一話「私たち二年生!!」[流雨](2011/12/08 03:56)
[38] 第二話「ドンマイ!」[流雨](2011/12/08 23:48)
[39] 第三話『新歓ライブ!』[流雨](2011/12/09 20:51)
[40] 第四話『新入部員!』[流雨](2011/12/15 18:03)
[41] 第五話『可愛い後輩』[流雨](2012/03/16 16:55)
[42] 第六話『振り出し!』[流雨](2012/02/01 01:21)
[43] 第七話『勘違い』[流雨](2012/02/01 15:32)
[44] 第八話『カノン・ロボット』[流雨](2012/02/25 15:31)
[45] 第九話『パープル・セッション』[流雨](2012/02/29 12:36)
[46] 第十話『澪の秘密』[流雨](2012/03/02 22:34)
[47] 第十一話『ライブ at グループホーム』[流雨](2012/03/11 23:02)
[48] 第十二話『恋に落ちた少年』[流雨](2012/03/12 23:21)
[49] 第十三話『恋に落ちた少年・Ⅱ』[流雨](2012/03/15 20:49)
[50] 第十四話『ライブハウス』[流雨](2012/05/09 00:36)
[51] 第十五話『新たな舞台』[流雨](2012/06/16 00:34)
[52] 第十六話『練習風景』[流雨](2012/06/23 13:01)
[53] 第十七話『五人の軽音部』[流雨](2012/07/08 18:31)
[54] 第十八話『ズバッと』[流雨](2012/08/05 17:24)
[55] 第十九話『ユーガッタメール』[流雨](2012/08/13 23:47)
[56] 第二十話『Cry For......(前)』[流雨](2012/08/26 23:44)
[57] 第二十一話『Cry For...(中)』[流雨](2012/12/03 00:10)
[58] 第二十二話『Cry For...後』[流雨](2012/12/24 17:39)
[59] 第二十三話『進むことが大事』[流雨](2013/01/01 02:21)
[60] 第二十四話『迂闊にフラグを立ててはならぬ』[流雨](2013/01/06 00:09)
[61] 第二十五『イメチェンぱーとつー』[流雨](2013/03/03 23:29)
[62] 第二十六話『また合宿(前編)』[流雨](2013/04/16 23:15)
[63] 第二十七話『また合宿(後編)』[流雨](2014/08/05 01:53)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[26404] 第二十五『イメチェンぱーとつー』
Name: 流雨◆ca9e88a9 ID:a2455e11 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/03/03 23:29

「……よくもノコノコとやって来られたわね」

 野太い低音にうすら寒さを覚える。その声を発した人物を見上げた夏音は怯える鹿のように細かく震えた。色んな意味で、恐怖が体中を支配している。

「久しぶりデス」
「久しぶりデス……じゃないっ!! 何なのその頭!? 言わんこっちゃないでしょ!」

 声の出し方が変わった。地声の荒さは消え、甲高い男の声が夏音を責め立てる。ぐいっと迫り来る相手に夏音は思わず一歩下がる。

「これには深い事情があるの! だから、やばいから……鈴木さんのとこにきたんじゃないか。タスケテ」

 夏音も必死だった。ここまで来るのに幾つもの葛藤があったが、ついに足を運ぶことにしたのである。

「フーミンって呼んでって言ってるでしょ!!」

 本名、鈴木博文ことフーミンは女性の心を持った男性である。今年で三十路の階段をのぼる人気メイクアップアーティストだ。
 その容姿は幾重にも重ねられた化粧と日々の努力によって、どこからどう見ても女性にしか見えない。初対面の人間は、少し骨太な女性なのだろう、という印象を受けるくらい、彼(彼女?)はその道のプロであった。

「あんたら親子の色はほんっっっとーに貴重なのに……おまけに何をどうやったらそんな風になるのよ?」

 肩を落として夏音を見つめるフーミンの声は哀しみに震えていた。悲愴な面持ちで近づくフーミンから夏音は目をそらした。

「まったくもう……ほら、さっさといらっしゃい」

 やけに色っぽいため息をつくフーミンが夏音を手招きする。夏音が訪れたこの場所は、彼のサロンであった。
 サロン、といってもマンションの部屋にある彼の事務所である。日頃から飛び回って仕事をする彼は一定の場所に店を構えるといった美容師とは違う。
 ただ、もともと美容師をしていた彼の腕を慕う者は多く、彼の時間が空いた時のみこの場所で施術して貰えるシステムなのだ。
 何人も弟子を志願する者が絶えず、東京近郊だけでなく、日本全国からレッスンに訪れる人間がいるらしい。
 そんな希少価値の高い時間を彼が夏音に割いてくれる理由は、アルヴィが彼と友人であるからに他ならない。
 どんな縁で知り合ったのかまでは聞き及んでいないが、夏音はアルヴィに連れられて、ここで髪を切ってもらったことがある。それ以来、どういう訳か「髪をいじる時は私以外にやらせないことっ」と命じられている。あまり真剣に守ったことはないが。

「さーて。どうしてやろうかしら」

 鏡の前に座らされた夏音は、自分がこれからどう料理されてしまうのかと戦々恐々としたが、一分ほど悩んだフーミンはニッコリと笑って言った。

「よし、決まったわ。どっちにしろ地毛に合わせていこうと思ってたし、短い方がかえって好都合だものね」
「フーミンの腕は信用してるけど、何を納得したのかぐらいは教えて欲しいな」
「今の色、写真で見た時よりマシね。元の色に戻そうとしたんでしょ? これから生えてくる髪の毛と徐々に色を合わせていった方がいいと思うのよ。それならショートの方が手っ取り早いってワケ」
「ショート……どれくらい短くなるのかな」

 長い髪に特別なこだわりはなかったが、長年続けていた髪型を手放すのは名残惜しい。初めは周囲が長いのがいいと推すものだから、それに従っていたのだが、この感触には愛着があるのだ。

「大丈夫。あなたならどんな髪型でも似合うから。それに短いのには短いなりの魅力があるのよ?」

 ウインクと共に出された言葉は不思議と説得力があった。夏音は彼の一流の腕には強い信頼がある。だからこそ、その言葉は疑いようもない。
 どのみち、ざっくりと間引かれた髪は不自然きわまりなく、このまま放置するわけにもいかない。
 逆に考えれば、良い機会だと思うことにした。

「ま、覚悟はしてたし。あんまり悩んで時間を取らせるのも悪いから、お願いするね」

 フーミンはそれを聞いて満足気に頷いてから、夏音に真っ白なクロスをかけた。ハサミを手にした瞬間、表情が変わる。

「じゃ、やっちゃうわね」

★      ★


「イメチェンもこう重なると、新鮮味が薄れると思ったけど……すごいな」

 目をまんまるに見開いた律が素直に感想を漏らす。他の者もバッサリと髪が短くなった夏音に賞賛するような視線を送ってきた。
 フーミンの手によってカットされた夏音は、背中まであった長さを肩口にかかるくらいで切りそろえていた。
 実際に、髪を短くしたことによってここまで印象が変わるとは自分でも思っていなかったので、夏音は鏡の前に立つ度に物珍しげに自分の姿を観察してしまうくらいだ。

「一つ言えることは、髪を短くしても顔は変わらずってとこだな」
「モデルみたいになったね」

 漢らしさは、髪型とは遠い関係性にあることも学んだ夏音であった。二段階の変身をした夏音に対して周囲の人間は次々に驚きを表してくれたが、唯一そんな夏音の変化に素直な反応を示せなかった者がいた。

「唯。どうよ、新しいヘアースタイル?」

 気まずげに身を揺らしていた唯に声をかける。びくりと肩を跳ねさせた唯がこわごわと夏音を見つめた。

「い、いいね」
「そう? 俺も気に入ってるんだ。これも唯のおかげだね」
「うぅ……す、すいませんでした」
「別に皮肉で言ってるわけじゃないってば。唯が起こすトラブルなんて今までいくらあったと思ってるのさ? 髪なんていくらでも生えるんだから、気にしないでよホント」
「か、かのんさま……」

 合掌。潤んだ瞳で夏音を拝む唯に苦笑を浮かべたところ、夏音の耳は不快な音声を拾った。

「『髪は女の命なのにぃ~』だもんなあ?」

 ボソリと呟いた律をじろりと睨むと、まるでどこ吹く風で口を尖らせた。その台詞は、唯がやらかした時に動揺した梓がうっかり漏らしたものであった。
 すぐに真っ赤になった彼女に平謝りされたが、ネタとして引きずられているのだ。

「ハイハイ! もう俺の髪型はどうでもいいから、練習しよ! 練習!」
「へーい」

 気のない返事に肩をすくめて、夏音は練習に意識を集中させるのであった。




 夏休みが迫り、夏期講習の締め切りも過ぎた。もとより受ける気がなかったので、夏音には関係のない話だったが、澪やムギは受講するらしい。
 夏休みにまで勉強をするとはどれほど勤勉なのだろうと感心してしまう。絶対に真似できない。

「だって、来年には受験だってあるし」

 と澪はアイスコーヒーの氷を鳴らして答えた。夏音の純粋な疑問に彼女の答えは優等生のものだった。

「でも、来年だろう? 今から楽しいことを減らしてどうすんのさ」
「別に好きで受けるんだからいいだろう?」
「いいや、よくない。せっかく、これからって時なんだよ。勉強より練習。そして、遊び。それを実現できる時間が有り余っているのが夏休みというものじゃないか!」
「お気楽でいいよな、お前は」

 澪のトゲのある一言に夏音は押し黙る。確かに、受験とは縁遠い自分の発言は無責任すぎると思った。しかし、心の底から夏期講習は邪魔だとも思う。

「合宿、花火大会、お祭り、海、プール、温泉、バナナボート、ドライブ」

 呪文のように繰り出された単語の数々に澪の眦がぴくりと動く。彼女とて、本当は遊びたいのは間違いない。
 どこから発生するのか、その自制心をもって勉強に寄り添おうとする澪は、少しくらいはっちゃけるべきだろうと夏音は考えている。

「夏ってのは短いんだよ、澪。ただでさえ短い日本のヴァカンスなんだもん。普段からしっかり勉強していればいいだけの話だよ」
「う、うう。いや! だって、もう申し込みしちゃったもん! それにヴァカンスだなんて、ここは日本だぞ」
「そんなのテキトーにでっちあげてしまえばいいさ」
「たとえば、どんなだよ?」
「聞くまでもないだろ? 旅行とに行く、でもいいし」
「どうせ部活で学校にいるのに、バレたら大変だぞ」
「教師もいちいち覚えてないって」
「まったく。楽天的すぎるのも考え物だな」

 ため息を落として、勝手に夏音との会話を終わらせた澪は雑誌に目を落としてしまう。少し揺らぎかけた気持ちは、すぐに落ち着きを取り戻したらしい。
 それを見てとった夏音は、小さく舌打ちをして背もたれに寄りかかった。

「はあー。夏休みか……待ち遠しいな」



「企画らいぶ?」

 ムギが不思議そうな顔つきで耳にした言葉を反芻した。

「うん! こないだマキちゃんが言ってた企画ライブ!」
「マキちゃんってりっちゃんの友達の子だよね? たしか……らぶくらふと?」
「惜しい、唯! ラブ・クライシスだ。そんでそろそろ返事が欲しいって言われたんだけどさ」

 律が珍しく乗り気である。そして、軽音部がやる気になるのは、大抵がが外部からの刺激によるものだったりするので、これを逃す手はないと意見が一致した。

「出るのはいいけど、曲はどうするんですか?」

 梓がもっともな疑問を提示した。外でやるバンド活動において、こないだの夏音加入後の形はまだ定まっていない。
 既存の曲をアレンジするのか、方向性の問題も未解決であった。

「ああ、それね。夏音、どうすんの?」

 当然のように夏音に丸投げした律だったが、これには無茶な提案をしたのだから、動きだしは張本人がある程度のアイディアを出すべきだろうという考えによるものだった。
 もちろん夏音も自分が案を出さねばならないと理解しており、その幾つかの案はすでに形となっていた。

「これ、ちょっと聴いてみてほしい」

 夏音は取り出した音楽プレーヤーをミキサーに繋いだ。

「それ、なにー?」

 立ち上がった一同が練習機材がある側へと集まる。唯は夏音がやろうとしていることを訊ねた。

「デモを作ってみたんだ。きちんと処理してないし、雰囲気だけつかんでくれればいいなって感じかな」

 再生ボタンを押す夏音。すると、すぐに設置された二台のスピーカーから音が聞え始める。
 不思議な音色が包み込むように漕ぎ出す。オルガンのようだが、ストリングスのようにも聞こえる音色であった。

「あら……?」

 そこで、ムギが声に出して困惑を表した。
 夏音はその理由を知っていた。すぐに気づけた彼女はやはり優秀である。ぼうっと聴いていれば分からない、彼女の領域の問題だからこそ、浮かんだ疑問。
 しかし、夏音はその疑問に答えることはなかった。
 力強い四つ打ちのバスドラにタムのビートが雄々しく炸裂し、ひどく歪んだゴリゴリのベースが攻撃的に響く。
 上には怪しげに揺れているギターの音色が潜み、BPM156の疾走がざく切りのカッティングの翻弄を受ける。
 そこで疑問が浮かぶ。このカッティングの音色はギターのものではない。太く、不可思議に主張するのは、何なのだろうか。
 キーボードは一瞬、破調とも取れるようなスケールのウォーキングを八分で進行している。そこに時折重なる音が、それを正常のものへと変換して送り出してくるのである。

 曲が終わった瞬間、ため息より何より歓声が生まれた。それはオーディエンスとして受け取った少女達が、純粋にこの曲から感じ取ったものへのリアクションだった。

「す、すごい格好良い! いいよ、これ!」

 律が興奮を抑えずに拳をぐっと握った。他の者も同様に息を呑んで硬直していた状態から解放されたように瞳を輝かせる。

「すごいです……お互いの音が邪魔しないようになってる……!」
「でも、音作りすごく大変そうだな」

 梓と澪の言葉に夏音は黙って頷く。澪が口にしたことが最大の難関であるのだ。唯は感想を言わないまでも、その表情からこの曲に心を動かされたことが読み取れる。
 しかし、どこか浮かないのはギターの難易度が高いからだろう。

「練習あるのみ、だね。唯」
「難しいよ~」

 泣き言を言うが、夏音は軽快に笑って流した。それより、もっと複雑そうな顔をするムギが気になったのだ。

「ムギはどうだった?」
「素敵だと思うんだけど……私、あんなに沢山の音を一度に出せないかも。腕が足りないの」

 曲の最初でムギが気づいたことは、正しい。夏音はそのことを説明しなくてはならない。

「俺が出す音が混じってるんだから、当然だよ」
「え?」
「俺は一定の音色を出さない。つまり、こういうことだってことを今から見せるね」

 そう言った夏音はこのために持ってきた荷物を取り出した。ギターケースから取り出したのは、ベースだった。
 しかし、その本体に驚きの声が上がる。

「あれ……? それ、ギター?」

 唯がじっと目を凝らして夏音の抱えるベースを見つめるが、夏音は首を横に振った。

「違うよ。これはベース。六弦のね」

 唯は初めて目にしたのだろう。そもそも、なかなか実物にお目にかかることは少ない代物である。楽器屋に並ぶ姿を見たことがあっても、それを実際に使う人口は比率的に多いとは言えない。
 近年は多弦ベースを使う者が増えてきたが、スタンダードと言えるほどではないものである。

「六つ弦があるベースだよ」
「へえ~、初めて見た~。ぼってりしててかわい~」

 唯の感想に何と反応していいのか分からず、夏音は苦笑を漏らした。続いて取り出したのがエフェクターケースだった。

「今後のことを想定してシステムを組んでみた。何といっても一番の目玉はこれだね」

 指し示す機材が注目される。

「ベースシンセなんだ、これ」

 夏音はこの技術にずっと以前から注目していた。自分の表現の幅をもっと広げたいと思っていた時、この発想と出くわしてから虜になっていた。
 しかし、実際にステージの上でも何度か使用したことはあるが、自分の中で主戦力からは外れていた物である。
 一部では、ベースだけで勝負しないのは逃げという意見もあった。確かに、その意見にも一理ある。
 ベースによる表現はまだまだ無限の可能性が秘められており、それを開拓していくのもまた、ミュージシャンの道であるということ。
 夏音の最も尊敬するクリストファー・スループはおそらく、こうした技術に頼ることはないのだろう。
 だが、他人は他人。自分は自分である。夏音には、そうした新技術への拒否感はなく、むしろ自分が古式ばった考えに囚われて可能性を潰すのはありえないという考えを持っている。
 だから、この技術は夏音にとって武器の一つなのだ。

 仕組みは簡単である。ベース本体に取り付ける独自のピックアップと、それのコントローラーを装着する。そこからシンセ本体に入力された信号が処理されて出力されるシンプルな内容だ。
 これを使うと、ベースの音をオルガンやエレキギターの音として出力させることが可能であり、他にも様々な楽器の音が音源として内蔵されている。自分で音を組み合わせたり、作ったりできる。
 その名の通り、シンセをベースで使用するというのだ。
 口で説明するより、実演した方が早い。夏音はセッティングを済ませて、弦を弾いてみた。

「ええっ!?」

 彼女たちが驚くのも無理はない。ベースから、出るはずのないオルガンの音が飛び出たのだから。夏音は皆が驚いている間にも、次々と音色を変化させていった。
 ヴァイオリン、尺八、三味線、バンジョー。はたまたストラトの音で速弾きをした時など、唯と梓の顔が青ざめていた。

「こういうことができる機械なんだ。これを取り入れて、俺はやっていこうと思いまーす!」

 威勢良く宣言した夏音は、まるで夏休みの予定を発表する小学生のよう無邪気さで皆を見渡した。

「ちょ、ちょっと待って! ついて行ってない! 唯がついて行ってないから!」
「ん?」

 見ると、頭から煙をもくもくとはき出す唯が澪の腕に抱かれてばたんきゅーしていた。



「そっか唯には難しかったか。何も難しいことないよ。とりあえず、俺のポジションがあんな感じだよって伝えたかっただかだから」
「夏音くんはベースなのに、ベースじゃないってこと?」
「そうそう。そう思っておいて」

 唯に用語を用いて説明することの無意味さを知る夏音は、唯ならば感覚的に覚えていくだろうと予測している。
 一通り機能の説明をしてから、一同はひとまず席に戻った。

「でも間に合わすのは大変そうだな」

 ラブ・クライシスの企画ライブまでは二週間を切っている。バンドを一から作り替えるといっても過言ではないのだ。
 全て新曲で臨むとなれば、それなりの準備が必要である。

「今ある曲をアレンジできないのでしょうか?」

 梓が小さく手を上げて発言する。その意見は、実際に誰もが頭に浮かべていたので、前向きに検討された。

「たとえば、トリビュートはどうかな!」
「私もあの曲好き! アレンジなら少し考えてみたんだけど……」

 このように議論は順調に進んでいった。この作業は非常に悩ましいものがある。
 桜高軽音部は、トータルで見てみると非常に脱力系の集団なのだが、その実績を見てみると、実に勢いのあるバンドとして見て取れる。
 第一に、そのオリジナル曲が生まれるペースが一定的でありながら、さらに速い。ブッキングライブで出演者が貰える時間内では収めきれない数の曲を抱えた彼女たちは、どうしても曲を絞らなくてはならないのである。
 勢いのあるバンドは新曲がどんどん生まれる。曲が生まれず、消えていくバンドも少なくない中、非常に恵まれたことなのだと少女達は気づいていなかった。

「とりあえずギリギリの戦いになりそうだなー。ほんと、私たちってこういうの多いなー」

 口だけは文句を言うが、律の目は嫌とは言っていなかった。他も同じく、その目に闘志が宿っている。
 この少女達は、つまり、こういうことなのだ。目標が明確に定まり、やるべきことが形になった時に誰にも負けないくらいの集中力を見せる。
 普段は他に散らせる気が多すぎて、なかなかまとまらないのだが、いざという時に強固に結び目が固く引き締まる。
 まとまっていく。誰もがその空気を肌で感じ取っていた中、ただ一人の後輩である梓はぼんやりとその光景に目を奪われていた。

「(すごい……こんなに真面目なんだ)」

 梓は、それなりに先輩方を知ったつもりであった。彼女たちの実力は認めるところであったものの、どこかその姿勢に疑問が消えずにいたところに、この光景は小さな衝撃であった。
 場を引っ張るのは、律。発言に一切の躊躇がない彼女は、議論という場を前方へ押し出していく重要な存在であった。唯は場をかき乱しながらも、議論に一石を投じて予想外の意見で皆を驚かせたり、本当に稀にまっとうな意見を出すことがある。
 夏音は揺るぎない姿勢で静観することが多いが、ここぞという時に出てくる彼の見地からなる一言は大きな修正力を持つ。
 ムギはあまり口を挟まないのだが、譲れない部分では大いに意見を放つ。そして、澪はよほどのことがない限り否定はしないのだが、その姿勢が実にクールだと梓は憧れを強めた。
 そんな中で、梓は自分の意見をぽつぽつと出しているのだが、どこか出遅れている気がしてやまなかった。
 あまり有意義な意見を出せていないような。
 いつも練習や音楽に対して口うるさい自分が。音楽にだけは一家言あるような振る舞いをしていながら、こういう場面で押しの弱い自分が嫌になると思うのであった。

「梓ー? 梓はどう思う?」
「え? あ、すみません。ちょっとぼうっと……」
「おいおい。軽音部の重要な会議だぜ~? しっかりしてくれタマエ!」
「む……すみませんでした」

 ちょっとだけ本気でしゅんとなる梓であった。しかし、律は冗談めかして言ったことに対する梓の反応に目を瞠ると、にっと笑った。

「梓参謀。略してあずさんぼう。おぬしの意見がききたい」
「ああ、梓。いま話してたのは、当日の衣装についてだよ」

 澪が淡く微笑んで梓へとフォローを入れる。梓は肩をびくりと揺らして彼女に小さく頭を下げた。

「あ、ありがとうございます。衣装の話ですか。前回みたいに制服でいいんじゃないでしょうか?」
「チッチッチ。これからの放課後ティータイムの方向性がそこに表れるんだぜ。そんな手抜きで済ませましたどうせ女子高生ってブランドだし、みたいな考えじゃだめだー!」
「い、いや……後半って女子高生の発想じゃないですよね」

 自分達をそこまで高尚な生き物だなどとは考えていない梓は、その考えにはあまり賛同できなかった。だが、制服とは便利なもので、場によってはフォーマルな装いになるし、高校生が制服を着ていてもおかしいとは誰も思わない。
 穢れなき心を持つ梓には、理解できない世界があることを彼女は初めて知るのであった。

「馬鹿言わないで! JKの制服をそう安売りするものじゃないわ!」
「って、先生っ!? いつの間に!?」

 颯爽と登場したさわ子に、一同驚愕。影もなくその場にいた彼女は、まるで初めからそこにいました、とでも言わんばかりにソファでくつろいでいた。
 さっと立ち上がったさわ子は少女達に近づき、びしりと指を突き立てた。

「私に、任せなさいな」

 自称・軽音部のトータルコーディネーターは、懲りない女であった。

「いや、そういうのいいです。本当にいいんで」

 その日、肩を落とし、暗雲を背負いながら廊下を彷徨う彼女の姿が何人かの生徒に確認されたという。


「まあ、制服は確かに妥協かもな。一部のマニアには受けるかもしれないけど」
「その発言もどうかと思う」

 じと目の澪の突っ込みを無視して、律は真剣に唸り始める。

「ていうか、それってこんなに時間をかけて話すことでしょうか?」
「いや、違うと思うよ」
「うん、ないな」
「えー? だって衣装だよ? 私達の姿がお客さんに―――」
「まあ、これは後日」
「異議なし、です」

 異議なし四つ。可決。


★          ★


「へえー。ちょっと細いんだな、これ」
「全部特注だからね。かなり我が儘言って無理させちゃったけど」

 澪は夏音のベースに興味津々で、手にとってみて細部まで観察している。六弦フレットレス。夏音は付き合いの長い大手メーカーとは別の、親交のある新鋭メーカーのクラフトマンに声をかけた。
 前から「いつか君のベースを作るよ!」と熱い声をかけてくれていた相手だったが、唐突なリクエストに対して即座に対応してくれた彼には、もう足を向けて寝ることができない。
 六弦ともなるとネックが太くなるのが必定だが、そこをなるべく細くしてもらった。さらに通常の六弦ベースより弦のゲージが細いものを使用。ある程度、弦高を下げてもテンションが確保できる仕様を考えてもらい、できたのがこの一本である。外装は非常にシンプルに仕立てられてある。

「やっぱり音は少し薄くなるけど、ボトムを支えるのにはなんら問題はないと思う。それに、底を支える役目は澪がメインだと思うし、かなり満足してるよ」
「全部特注かぁ……思ったより軽いんだな、これ」
「これを作ってくれた人が言うには、人生で一番の工夫をこらした一本だそうだよ。価格はそれなりにしたけどさ」

 ここにいる高校生達には間違っても漏すことのできない出費であった。とはいえ、このベースは夏音の今後を左右する可能性も秘めている。
 ここで将来に出資していると考えれば、安いものだった。

「なー夏音! ここのトコ、ちょっと聞きたいんだけど!」
「今いくよ」

 現在、軽音部は各々の個人練習の時間だった。夏音の持ってきた曲をひとまず全員が覚えようというのだ。
 コード進行や構成を覚えた後、個人でアレンジを加えつつ、楽曲を完成させていく作業。数々のオリジナル曲を作ってきたメンバーにとって、それは慣れ親しんだ作業である。

「そこはベースのアクセントに合わせてみて。ワンペダルだったら難しいと思うけど、両足使えるんだから、できるよ」
「んー、練習しないと」

 苦い顔でそう言った律に笑顔で頷き、夏音は他の様子を観察してみた。ムギは譜面を書き出して、使う音色に四苦八苦しているようだし、唯は耳が拾う音に手がついていかないことに悲鳴を上げていた。
 黙々と曲を覚えていく梓は流石なもので、微妙なエフェクトの具合に引っかかると夏音に質問してきていた。
 肝心の澪は、何と既にコピーを終えていた。一時間半ほどの時間で、一曲を通せるくらいにコピーした彼女はアレンジ部分で夏音とミーティングを求めた。

「ここ、私が歌うんだったらもっとシンプルにしたいんだよ」

 ベースヴォーカルとして、澪は多少難しいラインを弾きながらも歌えるのだが、本音を言えばなるべくシンプルなベースラインの方が良いらしい。
 ベースが二つあるのだから、夏音に負担を割り振るという考えは合理的である。

「わかった。なら、ここは俺が弾こう。じゃあ、ここも俺にしようか―――」

 書き殴った譜面にさらに書き足していく。

「夏音くん。ここの音なんだけど、どうしたらいいかわからなくて」
「ああ、そこは俺が弾くとこ。これはね、イーボウの音にストラトを三度上で―――」

 夏音は大忙しであった。自分が持ち込む曲は今までも多々あったが、これまでにない試みをふんだんに盛り込んだ曲なので、皆がおそるおそる手をつけているのは分かった。
 どのみち、今日中に物にできるとは期待していない。疑問点をできるだけ浮かび上がらせて、後は自宅で個人練習をしてもらう以外ないのである。

「じゃあ、今日はこんなところで。明日、曲として合わせたいからみんながんばってね」

 笑顔でさらりと言い放つ夏音にじっとりとした眼差しが向いたのも無理のない話であった。


★     ★


「げ、弦が切れた。切れおったぞッ!!」
「誠にござるか!?」
「こやつ、このワシに向かって歌舞伎よったわ! 存外、図太いではないか! アハハハ!」
「殿……しかしながら申し上げまする。六弦の替えなんて誰も持ってないんじゃない? どうすんの?」
「ヌハハハ……どうしよう……マジで」

 妙なテンションから一転して現代口調へと戻した二人組の男女の間に乾いた風が吹く。今日は不快指数上限値振り切れ状態の真夏日であり、西部劇の舞台に吹いていそうな風は吹くはずもないのだが。
 そんな男女のやり取りをぼうっと眺めていた飯島裕也は、ぽつりと呟いた。

「恋ってのはさ……どうしてこうも胸を切なくしやがるんだろうな」
「暑さで頭やられてるよコイツ」

 さらにこの場の全てを外側から冷静に観察していた男がげんなりとした表情で呟いた。
 まとまり、という言葉には程遠いこの空間は、ライブハウスと呼ばれる。さらに彼らが立っているのは、ステージという。

「なあ、馬鹿野郎ども。まともに音作りさせてくんねーなら、もう終わらせっぞ」

 マイクを通したPAの男が辛い口調で言う。しかし、ステージの上の人間達はそんな苦情を意にも介さない。

「今、ここで六弦が切れるってどういうこと? なんか今日はよくないことが起こる前触れとしか思えない。それよりもなんていうか、恥ずかしくてどうしたらいいのかわかんない」
「もじもじしないでよ気持ち悪い! ヒト様の企画ライブのリハなんだから、もっとシャキっとしろ!」

 全体的にダメそうな集団にも、まとめ役はいるものだ。ベースを担いだ背の高い少女は、形の良い眉を寄せながら、上手側の二人を怒鳴る。

「もうしょうがないから、借りるしかないでしょう? すみませーん! ほんっっとーに申し訳ないんですけど、今だけでいいんでうちの馬鹿にギター貸してくださる方はいらっしゃいますか!?」

 ベースの少女が、客席側にいる他のバンドに声をかける。その様子をにやにやと見守っていた人間達はすぐに反応した。

「私の、ストラトなんだけどいいかな?」

 ステージに近づいた少女に注目がいくが、そこに透き通るような声が割って入った。

「唯。彼はレスポールだし、唯のを貸してあげればいいんじゃないかな」
「え、ギー太? ええ~……いいよ!」

 逡巡も一瞬で、唯は夏音の提案に笑顔で頷いた。ケースからギターを取り出し、ステージに向かう。
 驚いた顔で唯からギターを受け取った青年は、唯に土下座をした。

「いや、ほんっとに! すみませんねーほんとに! これ、絶対リハ終わったら返しますから! ポリッシュかけて、綺麗に磨いて! 無事にお返しいたします!」
「私のギー太……少しの間の辛抱だからね」
「あれ。なんか、やっぱり嫌々じゃないっすか?」

 実際にほんのりと涙を浮かべる唯に、ぎょっとする青年だったが、自分のトラブルのせいでリハーサルが押していることもあり、すぐにセッティングをし直した。

「すいません! じゃあ、一曲フルでやります!」


 やっとステージ上のバンドのリハーサルが開始された。それを見学しているのは、本日のライブに出演するバンドたちだ。
 放課後ティータイムもその内の一つ。律の友人が所属するバンド、Love Crisisの企画ライブは総勢で6バンドが参加する。
 企画主である彼女たちが交友の深いバンドを集めたらしく、年齢層は若い。しかし、どのバンドもプロを本気で目指しているだけあって、気合いの入った人間ばかりであった。
 その中で、クラスメートの飯島裕也が所属するバンド「Broken aegis」と出逢ったのは偶然としか言いようがなかった。
 夏音は彼がドラマーとして外のバンドで活動していることを聞いていた。彼のバンドは定期的にライブをして、着実に知名度を上げている勢いのあるバンドだとか。
 有名なコンピレーション・アルバムに参加したこともあり、地方の小さなフェスにも出演していて、人気もじわじわと出ているのだという話だ。
 しかし、放課後ティータイムと彼らの出会いはとある人物にとっては穏やかではなかった。
 一同がライブハウス入りして、楽屋に荷物を置きにいった時のことだ。

「おはようございまーす……って……あれ?」

 いの一番に楽屋に入った律が元気よく挨拶をすると、中にいる人物を見て驚きの反応を見せた。
 彼女と視線が合った少年もまた、目を見開いて固まっていた。

「た、田井中! どうして!?」
「あれ? 裕也じゃん。そっちこそなんで?」

 律はさも意外そうに、思わぬクラスメートに反応したが、裕也はそれどころではなかった。

「も、も、も、もしかして! 田井中がいるってこたぁ!?」
「おはようござ……あっ」

 続いて楽屋に入室した澪が固まる。

「あれ? 裕也の知り合い?」

 裕也の隣に座っていた少女が変わった様子の二人を交互に見て、首を傾げる。そこには深い事情が挟まっているのだと、知る者はそっと目を伏せた。
 その後の楽屋は一部、緊張を漂わせる者を覗いてほんわかとしていた。それぞれのバンドが自己紹介をして、飲み物を間に談笑が続いた。
 そして、そうこうしている内にリハーサルの時間を迎えたのであった。


 リハーサルを終えた裕也は、それまでの勇ましいドラマーとしての影をステージに置き忘れたのか、幽鬼のようにふらふらと楽屋へと去っていった。
 彼の様子をずっと観察していた夏音は、手持ち無沙汰にしている澪に耳打ちした。

「ねえ、なんか裕也に話しかけてきなよ」
「な、なんで!? 今さら私から話しかけるのも悪いだろう?」
「いや、でもさ。このままだとあいつがあまりにも不憫で……」
「話しかけるにしたって、なんて言えばいいんだ?」
「そこは何でもいいさ。ドラム上手いね、とか。お疲れ様、でもさ」
「それって私の義務かな……?」
「義務だよ! ふった以上、そこまでアフターケアしてもバチは当たらないさ」

 偏った意見を口にしている自覚はあったが、夏音とて男。木っ端微塵に粉々になった恋心の行方を初めから見守っていた身として、さらに男友達として裕也を少しでも救ってやりたかったのだ。
 澪は浮かない表情だが、仕方なしと頷いた。

「分かった。けど、お前もついてこいよな」

 こうして二人は自動販売機でジュースを買い、軽く休憩する体裁で楽屋に足を踏み入れた。

「いやーお疲れさまでーす。ちょっと疲れたから座りたいわー」

 わざとらしい振る舞いで楽屋の奥へと進んだ夏音を軽く睨んで、澪は大人しく後についていった。
 裕也は近づいてくる夏音を見て、ほっとしたような表情で声をかけようとしたが、後ろに従う澪に目をとめて顎を落としそうになっていた。

「ああ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、秋山さんっ!」
「は、はいっ!?」

 突然、立ち上がって澪の名を呼ぶ裕也。

「ほ、本日はお日柄もよく! おおお足元も悪く! よくぞいらっしゃった!」
「ぷっ! ハハハハハハハ!!」

 即座に腰を折って爆笑した夏音はうっすらと涙を浮かべていた。夏音にとっては彼の珍プレーは反則級の威力を伴っていた。

「か、夏音! 笑うな! 何がおかしいっ!?」
「ふ、フハハハァ! 鳥肌が立ったよ裕也」

 顔を真っ赤にする裕也の肩をぽんぽんと叩き、「まあ座りなよ」とソファに押し戻す。楽屋には、リハーサルのために他のバンドの姿は少なく、裕也の隣には彼のバンドメンバーの少女がいるだけであった。
 裕也のバンドのヴォーカルの少女だった。髪は傷みきったアッシュブロンドで、何と腰より下まで伸びた長さをどうやって保てているのか不思議でならなかった。切れ毛が凄そう、というのが夏音の彼女に対する第一印象だった。
 少女は三人の様子を興味深そうに見つめていたが、裕也が落ち着いたのを見て、肘で小突いた。

「ねえ、裕也の友達? 紹介してよ」
「ん? ああ。クラスメートの立花夏音と、別のクラスの秋山澪さん。二人とも軽音部なんだ」
「へえー。あ、はじめまして。私、こいつと一緒にバンドやってる針山朱音って言います」

 針山朱音はそう言ってぺこりと頭を下げた。

「あ、どうも。秋山です」
「立花夏音です。よろしく」

 相手に習って挨拶を返す。挨拶が終わったところで、彼女はぱっと目を輝かせて二人に食いついてきた。

「ねえねえ! 何でこいつさっきから、こんなんなの!? あなた達と何かあったの!?」
「お、おいアカネ! いきなりウザキャラに変貌すんなっ! 二人ともどんびいてるじゃない!」

 言うまでもなく、澪は引いている。初対面の相手に対しては平常時から一歩ならず二歩と退いてしまう澪に対して、最初からがっついてはいけない。
 ぴしりと硬直してしまった澪の様子が分かった夏音は苦笑して、話題を変えた。

「さっきのリハーサルを見てたよ。すごくパワフルな歌声だった。本番も楽しみにしてるよ」
「あ、どうもです。えっと、立花……さん? なんかすっごく見覚えがある気がするんだけど、どこかで会ったことありましたっけ? あれ、私すごく手の古いナンパみたい?」

 じっと自分の顔を凝視してくる針山朱音に、夏音は藪をつついてしまったのかと内心落ち着かなかった。
 穴が開くのではないかというほど見つめられたが、自分を挟んでなされるやり取りに裕也が変な声をあげた。

「ちょっとお二人さん。初対面でいきなり見つめ合うとか、なんかついていけないんだけど。朱音も俺の友達に因縁つけんなよー?」
「因縁なんかつけてないじゃない! ちょっと見覚えがあったから……んー、まあいっか。ごめんね、いきなり」
「いや、気にしてないよ。今日はよろしく」
「こちらこそ!」

 そう言って針山は夏音と握手を交わしてから、「ちょいトイレ」と言って楽屋を出て行った。
 部外者はいなくなり、裕也が分かりやすいくらいに挙動不審になった。

「あ、秋山さんもよろしくね。今日は、ほんとアレだから……」
「言いたいこと決めてから喋んなよ。アレってなんだよアレって」
「うるさい突っ込むなよ! お前、仮にもアレだべや!」
「中高年かよ」

 埒もあかない。夏音はテンパる裕也も面白いと思ったが、先ほどから置物と化している澪に水を向けた。

「そういえば、澪は裕也がドラムやってるって知ってたのかい?」
「え? 一応知ってたけど、あんなに本格的にやってるとは思わなかったな」
「俺も同感だなー。裕也のドラムは上手いと思った」
「そ、そう? そうかな」

 照れ笑いを浮かべる裕也。ちらちらと澪の顔を窺う様子がいじらしかった。

「ああ、飯島くんのドラムって全部の音がすっごくクリアで芯がしっかりして聞えるんだ。シンバルの鳴らし方がすごく綺麗だな」

 澪の賛辞はお世辞などではなく、心からの評価のようだ。聞いたところ、小学生の頃から真面目に打ち込んでいるとあって基本がしっかりしっている上に、的確さや力といったものや、独特のフィーリングが存在するドラミングは、ある程度の高評価を避けられるものではなかった。
 それほどまで、音楽に打ち込む人間が身近にいることに、澪は感心すら覚えている様子だった。
 手放しで褒められた裕也はデレデレと頬を緩めた。

「いやー。そんなに言われると照れるなあ」
「うちの律にも見習わせたいくらいだよ」
「ええ? 田井中だってそりゃあたいそうな腕だと思うけどナー」
「それ言うとすぐに調子乗るから、本人には言っちゃだめだな。あ、そろそろ私達の番かな?」

 リハーサルの順番は最後だから、もう少し時間に余裕はあったが、夏音は澪がこの気まずい空間を抜けだそうと助けを求めていると気づいた。
 時計を見て、頷くと裕也に「また後で」と声をかけてから、楽屋を出た。

「なんていうか、死ぬほど歯がゆい空間だったね」
「じ、自分から仕向けておいてなんて勝手な奴だ……そりゃあ、そうなるだろうう!? つい、こないだまであんなことがあったっていうのに!」
「それを乗り越えないと強くなれないと思って」
「飯島くんが、だろ!」

 夏音をひと睨みしてから、少し機嫌を損ねた澪はさっさとホールの方へ行ってしまった。つい立ち止まり、その後ろ姿を見送った夏音は肩をすくめて後を追った。


★       ★


 ライブにおいて出番というのは非常に重要である。トリのバンドが最も注目が高く、人気を集めることが多いのは言うまでもない。
 その逆にトップバッターに任命されるバンドは、様々な事情によって選ばれるのだ。まだ新米バンドであったり、名も知られていない故に、早い出番が回ってくるケースもあれば、その日のイベントに火をつける勢いあるバンドとして任されるケースであったりする。
 軽音部、放課後ティータイムは、まだ名の通っていない新米バンドである。だからといって、企画主であるLove Crisisの面々は、安易な気持ちで出番を決めたワケではない。
 純粋に彼女たちは放課後ティータイムを認めてくれており、自分達が主催するライブの幕を開ける役目を任せてくれたのだ。
 その期待に応えないわけにはいかない。
 とても珍しい編成のバンドにPAは少し戸惑っていたが、リハーサルでは音作りに大半の時間をかけた。少ない時間の中、満足する音に仕上がったかどうか問われれば不安であるが、このバンドの持ち味を殺さない程度の音にはなっているはずだった。
 客の集まりは上々。本日、出演するバンドのどれを目当てにきているかは判別できないが、この企画はLove Crisisの企画。ライブハウスのキャパシティの九割を埋めている人の姿に彼女たちがいかに勢いのあるバンドかが理解できる。
 新米バンドがこれだけの客の前で演奏できる機会に恵まれるのは幸運なのだ。軽音部のように、これより遙かに大人数の前で演奏した経験があるのは例外中の例外だ。

 流石にプロのように、全くの暗闇から演奏と共に登場というのは難しい。知らないSEがかかる中、薄暗闇のステージに表れた夏音達は、とっとと楽器を手にとってスタンバイする。
 このようなステージでも、一応は演出というものを考えてみた。全員でセッティングを今一度だけ確認して、今すぐ演奏ができる状態でひとまずステージ脇にはける。
 SEの音量が小さくなっていくと、客がしんと水を打ったように静かになる。ステージに目を向け、出演者を迎える準備が整う。
 ステージの両脇に備えられた巨大なスピーカー。コーンが振動して、ミキサーから送られた信号によって音が鳴る。
 徐々に聞こえてくる音色に聴衆は耳を寄せる。いったい、何の音だろうか。よく聞くと、ヴァイオリンのピッチカートのような、さらに分かる者にはそれがハープの音だと判別できる。
 どこか牧歌的な旋律にバグバイプが加わる。のどかな雰囲気に会場が包まれたところで、二人の出演者がそっとステージに姿を見せた。
 まだ薄暗いステージ。二人の影は自分の楽器に触れて、互いの呼吸を探り合った。ぼんやりと二人の演者がライトによって照らされていく。
 明かりに反射する髪の色が眼に入る。その瞬間、六弦ベースを抱えた人間が不可思議な音を立てた。
 ベーシスト、立花夏音が最初に出したのはまるでベースの音ではなかった。二種類の楽器の音色をシンセサイズした音は、聴いただけでふわふわと地面から足が離れていくような感覚を起こす。
 長いサスティーンがゆったりとメロディになる。何となく異国の香りを漂わせる曲の世界に聴衆は息を呑んでいたが、音の世界にさらに奥行きをもたらすオルガンが雰囲気を急変させた。
 大らかで、荘厳なのに怪しげな響きを奏でるキーボードがもたらす緊張感を味わうのもつかの間。
 残りの演者が、さっとステージに集まった。
 SEとクロスフェードするバンドの音が会場の床を震わせた。聞こえてくる音の情報量が多すぎて、一瞬だけ客の耳が混乱する。
 しかし、その混乱をぬぐい去るようにドラムとベースが雷のようにじぐざぐと強烈な進路を示した。
 レフティのベースで今にも飛び出していきそうな暴れるリフを弾く澪は、客のにはクールビューティーな女性ベーシストとして映る。
 ドラムの律は、トレードマークのカチューシャを外して、ほぼ前髪で顔が隠れた状態で力強いドラミングを続ける。それもまた野性的な印象を与えているのだが、本人いわく「前見えなくて、やばい」らしい。
 暴れる音、抑える音、知らんぷりな音、支える音。幾つものキャラクターが同じ時間軸の上で、重なり合っている。
 いつ破綻してもおかしくない均衡が、とてつもない緊張感を発している。たまらない音圧が、暴力的なまでの引力を生んでいる。
 誰も気づいていなかった。客達は、自分達の足がほんの少しだけ前に進んでいたことに。逆に退く者もいた。
 まるで準備していていなかった身体に襲いかかってきた音圧と、重圧感。その急襲に耐えかねた者は、一歩退いた。
 PAが「まじギリギリ」とぼやいたくらい、限界まで音圧が上がっている。
 今日、これから最後までライブハウスに残った者は、確実に急性の難聴になることだろう。
 放課後ティータイムというふわふわした名前に似つかわしくない演奏に、既に心を持って行かれている者は少なくなかった。
 このバンドには、惹かれるものが多すぎるのだ。まずは、バンドメンバーの容姿である。外れなし、と誰もが口を揃えてしまうくらいに全員の容姿が整っていた。
 見た目よし、は人気を呼び寄せるファクターの一つであるが、第一にその部分をクリアーしているか否かは大きい。
 そして、その魅力に上乗せされる確かな演奏力。六人という大所帯、ツインベースという編成。
 爆音の中で埋もれないそれぞれの音。常に相乗効果するフレーズの嵐は、興味関心をこれでもかと引っ張り続けた。
 飽きることのない展開は、引き出しの多さを物語っている。知れずと、世界観が見えてくる気がするのだ。
 それらの中で一際、眼を奪う存在がいた。その独特な位置づけもあるだろうが、珍しい楽器を操る夏音は目立ちに目立った。
 刻む澪のベースに対し、躍動感のあるフレーズを弾く夏音は、時には「全う」なベースの音でいる時もあれば、全く異なる音色に切り替えて楽曲の表情をぱっと変化させてしまう。
 手も、足下も忙しなく動いて、一秒のズレでもあったら崩れてしまうような動作をさらりとこなしてしまう芸当は、傍から見ている以上に難しい作業である。
 しかし、彼はそのプレイを難なくこなしている風に見せる。必死に、食らいつくような印象を与えることなくやってのけるので、安定感すらあるのだ。
 一曲が終わるとMCなしで、二曲目へ映る。縦ノリのグルーヴに、頭を振ってノる客が現れ始めた。
 ここで客が「おや」と思う出来事が起こる。一曲目のヴォーカルを担っていたギターの少女ではなく、レフティベースの少女が歌い始めるのだ。
 唯と澪。ツインヴォーカルの形態をとるバンドだからこそ、それぞれの声の特徴を活かした曲が作れる。
 澪の声は切れ味の良い日本刀のように冴え渡った響き。曲に集中する彼女は怜悧な眼差しで客を見る。
 その視線に胸を高鳴らせてしまった者は意外にも女性にも多かった。照明の効果もあるが、切れ長の瞳は同性から見ても格好良い。
 シンセサイザーを操る少女は先ほどからパーカッションを担当しており、小刻みに身体を動かしながら楽曲の脈動を感じている。
 時に鍵盤を叩きつけるようにして打楽器のニュアンスを出すムギは、普段の彼女を知る者がいたら口をあんぐりと開けて固まってしまいそうなくらい、本来の姿からかけ離れていた。
 心から曲に浸透している彼女の気持ちは、うっすらと淡い微笑みとなって表れており、少し日本人離れした顔と相まって、貴族的な格好良さを与えていた。
 ギターの少女は、対照的な音を出しているが、役割分担がしっかりしている。飛び道具的な効果をまじえながら、しっかりと曲を引き締めるカッティングを繰り出す梓に、力強いバッキングや、ダイナミックなフレーズで突っ走る唯。
 彼女たちは、完璧な演奏をしていない。実際にフレーズごとに分解して見ていくと、さほど技巧派と呼ばれる人達に比べて難しいことはしていない。
 実際に一番難しいことは「格好よくみせる」ことである。3コードだけでいい。格好良いと思わせたなら、それは勝ちだ。
 夏音は曲中に散りばめた仕掛けが形になって、客の耳をがっちりと捉えたことを確認して笑った。
 自分達のベストパフォーマンスが、評価されることへの喜びが湧き上がってくる。
 プロである自分。そこにあったプライドを無くしたわけではない。少しだけ自分というものへの捉え方を、変えてみた。
 その先にあった結果に、夏音はおおむね満足だった。
 あっという間にバンドの時間は過ぎて、はっと気づいた時には楽屋でソファに座っていた。


「すごおおおい! 私、いまジュース買いにいったら話しかけられたよ! 次のライブいつですか? だって!!」

 唯が飛び跳ねながら楽屋に突っ込んできて放った報告に、一同色めきだった。

「ほ、ほんとか!? 私も外出てこよ!」

 律がカタパルトのような飛び出しを決めようとしたが、ふらりとよろめいて床に膝をついた。

「あ、ダメだ。足にきてる」

 プレッシャーと闘いながら、気力と体力を振り絞って叩いていたのだろう。彼女の筋肉は、緊張感から解放されて「ヒャッホー!」な気分ではなかったらしい。
 乳酸におかされ、「もう動けないもんね!」とへたっている。

「まあ、よくがんばったね律。後半の方がリズムキープちゃんとしてたよ」
「あ、それは本当。私も四曲目になって、おっ? って思った」

 ドラマーにとっての相棒、ベーシスト二人に褒められて律はニヤニヤと崩れる頬を隠しながら照れた。無駄に長い前髪に隠れてにやつく律は低い声で「へっへっへ」と笑った。

「これでファンとかできるかかなあ?」

 ほわんっと柔軟剤のような声で、空気を弛緩させるムギが暢気に笑って言った。

「でも、何にも用意してないよね私たち」

 唯がほんのり気むずかしい顔で言うのを聞いて、梓がもっともだと頷いた。

「普通は音源を用意できていなくても、フライヤーくらいは作ってきますよね。ホームページとかも、今なら携帯サイトとかですぐに作れちゃいますし。せっかく興味をもってくれても、何の情報もないバンドなんて、すぐに忘れ去られちゃいますよ」
「とは言っても、本当に何の用意もないんだし」

 そう言った細々とした管理には向かない律が言い返す。いつの間にかカチューシャをセットして、いつものデコ見せスタイルに戻った彼女は、やはりその方が自然体に見えた。

「音源くらいなら、すぐに作れちゃうけどねえ。デモCDみたいのでいいんでしょ?」
「あのなあ夏音。普通は、音源が一番難航する部分なんだからな、一応言っとくけど」

 澪が呆れた顔になる。夏音が口にする「デモCD程度」は、一般的なデモより遙かにクオリティが高いものになることは間違いない。
 プロ仕様のレコーディング機材を自宅のスタジオに所有する上に、彼は基本的に凝り性だ。
 てきとーでいいや、といじっている内に熱が入ってミックスのために徹夜など平気でしてしまいそうだ。

「けど、考えてみると音源が無いというのも寂しいというか、もったいないというか」
「そうだな。前に一度作ったやつは、すっごく感動したよ」

 爆メロに応募する際に作成した音源を聞いた軽音部一同は、自分達の演奏を客観的にCDで聴いた時は大騒ぎしていた。
 やはり、自分達から創造されたものが確かな形となってこの世に誕生するという快感は忘れられないものだ。

「じゃあ、作ってみる?」

 夏音が軽い気持ちで問うと、「作りたい!」と威勢良く賛成の声が跳ね返ってくる。
 軽音部に、また一つ目印ができたところで、次のバンドの演奏が始まる音が聞えた。せっかく他のバンドの演奏が聴ける機会を逃す手もないので、一同は楽屋を出ることにした。


★      ★


 企画ライブに出演したバンドは、どれも見事なパフォーマンスを披露した。裕也のバンド、Broken Aegisはメタルとスクリーモを融合させたような迫力の音楽だった。
 律は、裕也の高速ツインに圧倒されたらしく、帰り際もずっと悔しそうに「裕也のくせに、ぐぬぬ」と呻いていた。
 主催であるLove Crisisの演奏もまた、人気を裏付ける実力を惜しげもなく軽音部に見せつけてきた。
 噂によると、既にインディーズでCDを出す話も決まっているそうだ。
 夏音はその話を聞いても、「ふーん」と聞き流したのだが、他の者は違ったらしい。夏音のように出逢った時点でプロだったパターンとは違い、同年代の少女達がデビューするという話は受け取り方が変わるようだ。

「すごいねー。同い年なのに、CDデビューなんてすごいや」

 あの唯までもが、どこか遠くを見るような顔つきで言うのだから、よほど衝撃的だったのだ。
 インディーズでもメジャーバンド並か、それ以上に売れる者はいる。しかし、二つのレーベルの違いを探り出していっても意味はない。
 少女達にとって重要なのは、デビューという大きな言葉なのだ。
 夏音は、やっぱり自分は彼女たちと同じ感覚を持つことができないのだと理解した。彼にとってプロであることについての考えはあるが、プロになることへの感慨というのはどこを探しても浮かんでこない。
 だから、きっと少女達の心に浮かんだ気持ちをすくい取って、理解することはできないだろうと思った。
 君たちだってその可能性は大いにあるのだ、と口にするのは簡単だ。けれども、その言葉は自分が思っている以上の効果を巻き込んで少女達に届くのだろう。
 だから、夏音は口を閉ざして彼女たちを見守る。

「まあ、私達はいずれ武道館に行くんだけどな」
「りっちゃん、最初っからそれだよねー」
「なんだよ唯ー。私は常に本気も本気だぞい」
「律は大言壮語って言葉を辞書で引いてみた方がいいよ」

 澪は言葉ほど突き放した感じではなく、口だけは立派なことを言う幼なじみにどこかほっとしているような印象。
 梓などは、おそらく武道館など夢のまた夢と考えているだろう。ムギに至っては、最後まで目標は「みんなと一緒にいること!」とか言いそうである。
 彼女たちが、将来どうなるか想像できない。だが、夏音は、自分で定めたこの時間の終着点を見据えながら、驚くほど悲しい気持ちにならなかった。
 こんなのんびりとした彼女たちがいずれプロの舞台で演奏するような未来も面白い。その未来の中には自分はいないのに、それを想像するのは嫌いではない。
 彼女たちに残せるものがあるなら、できるだけ残す。
 とりあえず彼女たちと外でバンドをやる、という目標を達成できたことは夏音は満足していた。もちろん一回やれば満足、ではないので今後も継続していきたい所存であった。

「あーあ。お腹すいたー。打ち上げ出ればよかったねー」

 腹をさすりながら力無い声を出す唯。実は、ライブ後に催される打ち上げに軽音部一同も当然誘われていたのだが、時間が遅いことを理由に断ったのだ。
 唯とは違った意味で、同年代のバンドマン達と、深い音楽話ができただろうに、と悔やむ思いを捨てきれない澪もその言葉に不満げに頷いた。

「私、綾ちゃんともっと話したかったな」

 綾ちゃんとは、澪のファンである、と公言しているLove Crisisのベースの少女である。澪は開いた時間で彼女と雑談する中で、ちょっとした音楽談義に熱が入ったそうだ。
 投げかければ当然のように答えが返ってくる男より、同じように悩み、試行錯誤をする年下の少女との会話の方が弾むのだそうだ。
 さらりとディスられた気がした夏音だったが、夏音とて熱い音楽談義に花咲く時に気持ちが高ぶるのは共感できる。
 確かに、軽音部の少女達は同年代の者とそういった話をすべきなのかもしれない。バンドをやる上で考えになかったメリットが発見できた。

「またライブ誘われましたし、その時こそ参加しましょう澪先輩!」

 三度の飯より音楽談義! と言わんばかりの梓も名残惜しさを胸に隠していたらしい。澪は「そうだな!」と大きく鼻息をはき出すと梓とがっちりと腕を取り合った。
 熱い二人をよそに、ムギは相変わらずそれらの様子を目を細めて見つめている。取り残されたような気分の自分とは違い、ムギはそうやって眺めていることが楽しくて仕方が無くて、自然体なのだろう。
 キーボードを二台も持ち歩いて辛いだろうと思ったら、全く堪えた様子もなく、余裕綽々で歩く彼女のポテンシャルは計り知れない。
 機材が増えていくと、移動も徒歩と交通機関だけでは厳しくなる。その点、軽音部は車を保有できてかつ運転できる夏音の存在は実に大きかった。
 ライブハウス近くの有料駐車場にとめたハイエースに乗り込んだ一同は、そそくさと帰宅の途につくのであった。

「しっかし、あれだけ音楽好きが集まってんのに、誰もお前のこと気づかなかったなー。ほんとに人気あったの?」
「ぐぬぬ……」

 律の何気ない言葉に深く心を抉られ、一日が終わった。



★        ★


「合宿ってどこでやるんですか?」
「ムギん家の別荘だよ。すごいぞー? こう、広さは東京ドーム何個分って感じでなあ」
「すごいです! そこで音楽漬けになるんですね!?」
「い、いや……そんな漬け物にはなりたくないなあ」

 後輩の熱い瞳から全力で視線をそらした律は、そのまま梓から距離を置いた。あまり真っ当に触れあっていると、自分が汚れているように思えるから、適度な距離感が必要。

「アレだね。梓は。これからこの集団がどこに行こうとしてるか知らないでついてきちゃってるね」
「まあ、梓には気の毒だけど……」

 澪は、既に乗り気もいいとこで十メートルほど先をスキップをかましながら進む唯とムギを見た。
 そこに小走りで混じっていく幼なじみの姿も視界に入り、さらに気分が下降していく。

「誰がどう見ても遊ぶ気満々なんだけどね」
「今年も海なんだよな」

 昨年に引き続き、軽音部には夏休みの間に合宿という一大イベントが目前に控えていた。山か海かで意見が割れ、多数決で海に決まったのが先々週。
 外でのライブも間に挟まって、合宿のことが頭から遠ざかりかかっていたのだが、合宿地の提供者であるムギは、既にその手筈を完璧に整え終わっていた。
 よくよく考えれば、機材面で何より充実している立花家に集まる方が「軽音楽部の合宿」としてはこれ以上ない程の充実っぷりを保証されている。
 しかし、それを理解しつつも、選択肢にすらあげなかった少女達の魂胆は見え見えだった。
 遠出、行楽、夏休みの思い出。音楽のことより、青春の1ページを彩る楽しい風景しか頭にないのだ。
 十代の少年少女の思考としては、健全である。
 梓には全貌をひた隠しにしているのは、合宿の半分以上が遊びに占められると知った彼女が猛反対するのが目に見えていたからだ。
 真面目すぎる後輩は、練習が大好きだ。ストイックすぎるその姿勢を責める者はいないが、正直に言うと唯や律は、可愛い後輩に発言させる気はなかった。
 合宿に向けてのミーティングでは、真面目ぶって議論を進めているように見せかけて、日取りを確定させ、最低限の軽音部的な目標を決めて、後輩の目を誤魔化すことに必死だった。
 もしも「先輩、合宿のスケジュール表とか作らないんですか?」などと素朴な疑問を呈そうものなら、すかさずに「馬鹿ヤロー梓ッ!! そんな時間に縛られたあり方で、ロックな合宿ができるもんか!」と反論して、強引に口を封じる有様。
 しっかりと意見を言う割には、先輩には逆らわない梓は何となく迫力に押されて、合宿直前まで至ってしまったのである。
 そんな純真な心を持つ後輩を引き連れ、合宿前の準備と称してショッピングに来た一同がまず最初に目指したところは、水着売り場だった。

「な、なんで水着が必要なんですか?」
「そ、そりゃー海に行くから、じゃない? ほら、梓もせっかくだから選んだら?」
「去年のがあるから大丈夫です」

 呆然とした梓に投げかけられた疑問にぎくりとしながら答えた夏音だったが、どうにも気まずいシチュエーションであるのは間違いない。
 デパートの水着売り場とはいえ、彼女たちといるこの場所は「女性用の水着」が所狭しと並んだ一角なのだ。
 同年代の女の子達が、地肌に直接身につける薄布を手に取る様子を眺めているのは、思春期の少年にとっては刺激が強い。
 そして、夏音は疑問を浮かべる。
 何故、女性というのは毎年のように水着を買い求めるのだろうか、と。成長期とはいえ、たった一年の中の短い時期に身につけるだけの物を、どうして毎年チェンジするのだろうか。
 決して安い物ではないだろう。去年の物が入らない程、成長とは著しいものではないはず。
 どこが成長するのだろうか。そこまで考え、何か答えが浮かんできそうな気が、身長でもなく、腰回りでもなく、少女達が成長するのは―――、

「お、俺は変態かっ!」

 思考を無理矢理に止めた。顔に血が集まってきて、その大理石のような白い肌を赤く染めていることだろう。

「せ、先輩? 何か今……先輩がとんでもないことを口走った気がするんですけど」
「お、オォゥ!?」

 隣にぽつんとたたずんでいた梓の存在を忘れていた夏音は、外人っぽく驚いた。しかし、見た目を裏切るくらいに日本人っぽかったことに、梓は少し眉を顰めたのに夏音は気づかなかった。

「あ、ああー。梓よ」
「はい」
「ここにいても、俺はどうすることもできないし、何よりとても気まずいんだ」
「それは……」

 周知の事実です、と心で唱えた梓。「羞恥」ともかけるくらい、夏音がおろおろしているのは真横で感じていたのだ。

「どこかで休んでようか?」
「そうですね」

 最初は渋々だったが、意外にも真剣に水着選びに勤しんでいる澪に声をかけて喫茶店で待っていることを断って、二人は仲良く喫茶店のバナナジュースをすすって時間を潰すのであった。


「ぃよーし。もうだいぶお金も使っちゃったし」
「うん、帰ろうか」
「楽しかったね~」

 全身から満足オーラを放ちながら、そのまま去ろうとする三人を梓は目を眇めて見送っていた。
 流石に気まずくなっている澪は、どう取り繕うべきかと冷や汗をかいていた。

「あ、梓。あのな……合宿では、水行を取り入れてるんだ」

 唐突に無茶苦茶をのたまった尊敬すべき先輩に対しても、梓は疑りの視線を向けずにはいられなかった。
 まさか、よりにもよって自分が梓からそんな視線を照射されるとは夢にも思わなかった澪は、思い切り狼狽える。

「そ、そんなっ!」

 自分だけはどこか特別、と心の奥で思っていただけにショックは大きい。しゅん、と小さくなった澪の様子を滑稽だと笑っていた夏音は、今日一日で梓の中の自分の株がぐいっと上がったのを確信していた。
 否、周りが下落していただけかもしれないが。

「まあまあ澪。まーまー。まーまー」
「まーまーうるさい! 女性が本当に美しく、そしてしっとりと甘く生きるための知恵と情報を、厳選してお届けする雑誌か!?」
「み、澪先輩がそんな事細かな突っ込みを!?」

 澪が突っ込む様に目を瞠った梓に、夏音は困惑したように首を傾げた。

「何を驚いてるの? 澪って完全に突っ込み役じゃないか。たまに度が過ぎて、ぶっこみ役になってるけど」
「そ、そんな風には普段みえないですが」

 彼女の瞳には、日常で律突っ込む澪の姿がどう映っていたかは疑問である。何か美しいものへと変化するフィルターがかかっていたに違いない。

「梓の観察眼もまだまだってことだね。いやーそれにしても今日は疲れた。何にも買い物してないし、ただくっついてただけなのにね」
「私もくたくたです……」

 夏音に同調するように肩を落とした梓。心なしか、その言い方には夏音に対してくだけた感じが出ている。
 目敏く感じ取った澪が、不思議そうに二人を眺める。
 こうして二人で並んでいると、とても仲が良く見えるのだ。自分が先輩としての地位を落としているうちに、地道に点数を稼いでいたらしいと澪は勝手に納得して、面白くない気分になる。
 最近、少し失いかけていたクールな自分(?)を取り戻すことを一人心に決めていた澪になど気づかず、さっさと歩いて行ってしまった二人の後を、澪は慌てて追うのだった。



 夏休みが直前に迫る最後の登校日。
 目前に迫った楽園の日々(仮)に心震わせ、夏を全力で疾走するための準備をする生徒がわんさかとあふれていた。
 教室では、夏休みの間の互いの予定を確認し合い、「こことここ! 一日フリーよろ!」とか「かきこうしゅうってなあに? うめーの?」とか「今年は有明で死ぬって決めたんだ」等と浮かれている。
 最早、クラスに溶け込んで久しい美貌の青年は、何故か周りにクラスの男子共が集まって暑苦しい夏休み話を繰り広げている光景に辟易としていた。
 柳眉を寄せて、「ファックオフ」と呟いてみても、「今、何語しゃべった?」と跳ね返される始末。

「いいよなーお前は。軽音部でイベントが目白押しなんだろ? どこのハーレム系主人公? 爆発しろ」
「今年こそは海行きたいなー。毎年、なんだかんだでプールですませちゃうし」
「旅行とか予定立ててみるか?」
「お、いいねえ。どうせならチャリで行けるとこまで行くってのは!?」
「やだよ暑苦しい。野郎だけだとテンション下がるわー、おいらパス」
「その顔面でよくほざけんな」

 どうして自分の机の周囲に寄ってきては、死ぬほどどうでもいい話で盛り上がるのだろうか。まるで誘蛾灯に誘われる蛾のようにわらわらと。彼らがまき散らすのは毒々しい鱗粉ではなく、高い代謝によって止まることのない汗、汗、汗。
 ワイシャツが濡れたといって、タンクトップ一枚になる輩も続出。脇毛を盛大に疲労しながら、汗の始末をせず、女の子のようにこまめにデオドラントという習性がない生物たちは、一角に集まるだけで不快指数を跳ね上げていた。
 夏音は、いらいらと額に青筋を浮かべながら秀麗な顔を怒りに歪めていた。

「あのさー夏音」

 ある男子生徒が先ほどから一言も会話に加わらない夏音にうざったらしい声をかける。改めて、自分に何を申すのか。
 夏音はその生徒に視線をやることもせず、黙々と昼飯を口に運んだ。

「それよ、それ」

 そう言って彼が指し示すのは、夏音の本日の昼食。
 夏音は何がおかしいのかと首を傾げた。
 この真夏という季節にぴったりの内容である。まずは白米。シソを千切りにしてご飯に散らし、真ん中には大粒の梅干しをのせている。おからのサラダに、じゃがいものそぼろ煮にたこウィンナー。魚の味噌煮はお隣さんに昨夜お裾分けされたものを一切れ。これでは、少し色彩にかけると思い、ほうれん草のごま和え端っこに。
 さらにデザートにフルーツを、と考えたのだが、この時期に弁当に入れるのは至難の業だ。
 仕方なく、頂き物の落雁を緑茶と一緒に食すことにした。
 なるべく水分の少ないものを、と考えて主婦の料理ブログ等をめぐってそのアイディアを有り難く頂戴して、拵えたご自慢の軍団である。
 知恵も、何もかも頂いたものを活かした隙のない弁当のはずであった。
 何をもってこの秀作を愚弄するのか、夏音の中で彼の発言に対してちらりと許し難いあまりに怒りの炎があがった。

「自炊してんだっけ? なんかさー。笑えるくらいに日本人! って感じじゃん。ザ・日本。もう美青年ハーフっていうイメージを自ら粉々にしてるよなーアハハハ!」

 あはは、じゃねー。
 きれた。
 たこウィンナーを突き刺していた爪楊枝を哄笑を貼り付けた男の鼻に突き刺す。

「ッッッッッギャァーーーーーッ!!」

 絶叫が教室に響き、「え、なになに?」と注目を浴びる。同時に周りの男共が腹を抱えて爆笑していた。

「だ、だっせぇー。つーか失礼すぎんだろ! 夏音をキレさせるとか、どんだけ!」
「逆に俺はこれだけ自分で作れるこいつを尊敬するよマジ」
「いつでも嫁にこいよな」

 勝手なことをほざく者どもに、ぐるりと勢いよく首を回して鋭い睨みを飛ばす。流石に、顔の隅々まで整いきった夏音が怖い顔をつくると迫力がある。
 愛想笑いを浮かべながらそっと視線をそらす連中に鼻を鳴らして威嚇して、床に突っ伏してもだえるアホを見下ろす。

「自分で弁当の一つも作ってこれない愚か者がよく言ったもんだ」

 あまりにも正論だったので、鼻をおさえながら涙目でふらふらと立ち上がった男は「じょ、冗談じゃんかよー」と細い声で反論した。
 夏音は、一矢報いることができたとご満悦の表情で席に腰を下ろすと残りの食材をぱぱっと腹に詰め込んだ。

「ごちそうさまです」

 何故か夏音の昼食を見守る会と化していた場だったが、それが終わると元の議論が再開された。
 終わることのない不毛な話し合いから抜けるべく、夏音はさっさとその場を離れた。
 歩きながら、思う。
 日本の夏休みはアメリカに比べて短いが、学校がない状態で放りだされてしまえば、時間が余ってしまう者も多いのだろう。
 自身の夏休みの予定を思い浮かべてみると、軽音部の皆と過ごす予定がちらほらとあるものの、空白が目立つ。
 しかし、そんな空白も夏音にとっては積みゲーを消化したり、アニメの全話を一気に鑑賞する時間などに充てられる有意義な時間に思えてならない。
 趣味があるということは、いいことだ。明日から訪れる毎日に今さらながら胸が高鳴ってきた夏音は、ご機嫌のあまり鼻歌をすさぶ。

「ご機嫌よう、夏音」

 高原のお嬢様が言うには何の不自然もない挨拶だが、あまりにも似つかわしくない声と、それを放った人物がセットでアホにしか思えない。
 夏音の前に立ちはだかって通せんぼしてきた友人に、夏音は眉を顰めた。

「裕也。そこ、どいて」
「冷たいねえ。やっぱり思うんだけど、お前ってどこか性格悪い気がするんだけど」
「人を捕まえておいて悪口ってさいてーだと思います。トイレ行きたいんだ」
「お、なら俺もいこうっと」

 この校内で、夏音に連れションをもちかける男はこの男くらいであろう。

「何の用さ」
「あれ、トイレいかねーの? それならいいんだけどさ。俺たち、夏休みにツアーやることになってるんだけど」
「へえー」

 授業がある時は実現が難しいツアー。彼のバンドはこの夏、全国津々浦々バンドツアーを敢行することにしたらしい。
 だからといって、そのこと自体に興味を覚えるわけでもない夏音はいたって平淡なリアクションである。
 もう少し反応を期待していたのか、裕也はやや残念そうに眉を曇らして続けた。

「それでさ。ツアーの一発目を地元でやろうと思うんだ。そのライブに出ないかって話だよ」
「ああ、なるほど。ライブのお誘いか!」

 しかし、これは夏音の一存では決められない。ライブの予定は今のところ入っていないが、ぽんぽんと出られない事情がある。
 要するに、金銭の問題なのだ。
 出演するたびに高校生にとって安くない金額が財布から消えていく。それもバンドマンの性、と諦めるには軽音部の少女達はけちだった。

「じゃあ、みんなに話してみるよ。日程とか、メールしといて」
「おう! 前向きに頼むぜ! こないだの演奏聴いて、マジでうちの奴らが気に入ってたんだよ」
「ありがとう。それじゃ、またね」

 褒められたのに、心から喜べないのは何故だろうと思いながら、夏音は裕也と別れた。ひょんな所からライブの話が転がってきた。
 精力的にライブができない状態なのに、裕也のようにツアーに出るという日々は、自分達には来ないのだろうなと思った。
 だけど、気兼ねなく音楽のことを考えられるようになったこの時間が楽しくて仕方がなかった。
 ゆっくりと踏みしめるように、この時間を無駄にしないように。今年の夏は何をしようか考えながら、早くいつもの階段を上りたかった。


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.027597904205322