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No.26404の一覧
[0] 【けいおん!】放課後の仲間たち[流雨](2012/06/28 20:31)
[1] プロローグ[流雨](2011/06/27 17:44)
[2] 第一話[流雨](2012/12/25 01:14)
[3] 第二話[流雨](2012/12/25 01:24)
[4] 第三話[流雨](2011/03/09 03:14)
[5] 第四話[流雨](2011/03/10 02:08)
[6] 幕間1[流雨](2012/06/28 20:30)
[7] 第五話[流雨](2011/03/26 21:25)
[8] 第六話[流雨](2013/01/01 01:42)
[9] 第七話[流雨](2011/03/18 17:24)
[10] 幕間2[流雨](2011/03/18 17:29)
[11] 幕間3[流雨](2011/03/19 03:04)
[12] 幕間4[流雨](2011/03/20 04:09)
[13] 第八話[流雨](2011/03/26 21:07)
[14] 第九話[流雨](2011/03/28 18:01)
[15] 第十話[流雨](2011/04/05 15:24)
[16] 第十一話[流雨](2011/04/07 03:12)
[17] 第十二話[流雨](2011/04/21 21:16)
[18] 第十三話[流雨](2011/05/03 00:48)
[19] 第十四話[流雨](2011/05/13 00:17)
[20] 番外編 『山田七海の生徒会生活』[流雨](2011/05/14 01:56)
[21] 第十五話[流雨](2011/05/15 04:36)
[22] 第十六話[流雨](2011/05/30 01:41)
[23] 番外編2『マークと夏音』[流雨](2011/05/20 01:37)
[24] 第十七話[流雨](2011/05/22 21:00)
[25] 番外編ともいえない掌編[流雨](2011/05/25 23:07)
[26] 第十八話(前)[流雨](2011/06/27 17:52)
[27] 第十八話(後)[流雨](2011/06/27 18:05)
[28] 第十九話[流雨](2011/06/30 20:36)
[29] 第二十話[流雨](2011/08/22 14:54)
[30] 第二十一話[流雨](2011/08/29 21:03)
[31] 第二十二話[流雨](2011/09/11 19:11)
[32] 第二十三話[流雨](2011/10/28 02:20)
[33] 第二十四話[流雨](2011/10/30 04:14)
[34] 第二十五話[流雨](2011/11/10 02:20)
[35] 「男と女」[流雨](2011/12/07 00:27)
[37] これより二年目~第一話「私たち二年生!!」[流雨](2011/12/08 03:56)
[38] 第二話「ドンマイ!」[流雨](2011/12/08 23:48)
[39] 第三話『新歓ライブ!』[流雨](2011/12/09 20:51)
[40] 第四話『新入部員!』[流雨](2011/12/15 18:03)
[41] 第五話『可愛い後輩』[流雨](2012/03/16 16:55)
[42] 第六話『振り出し!』[流雨](2012/02/01 01:21)
[43] 第七話『勘違い』[流雨](2012/02/01 15:32)
[44] 第八話『カノン・ロボット』[流雨](2012/02/25 15:31)
[45] 第九話『パープル・セッション』[流雨](2012/02/29 12:36)
[46] 第十話『澪の秘密』[流雨](2012/03/02 22:34)
[47] 第十一話『ライブ at グループホーム』[流雨](2012/03/11 23:02)
[48] 第十二話『恋に落ちた少年』[流雨](2012/03/12 23:21)
[49] 第十三話『恋に落ちた少年・Ⅱ』[流雨](2012/03/15 20:49)
[50] 第十四話『ライブハウス』[流雨](2012/05/09 00:36)
[51] 第十五話『新たな舞台』[流雨](2012/06/16 00:34)
[52] 第十六話『練習風景』[流雨](2012/06/23 13:01)
[53] 第十七話『五人の軽音部』[流雨](2012/07/08 18:31)
[54] 第十八話『ズバッと』[流雨](2012/08/05 17:24)
[55] 第十九話『ユーガッタメール』[流雨](2012/08/13 23:47)
[56] 第二十話『Cry For......(前)』[流雨](2012/08/26 23:44)
[57] 第二十一話『Cry For...(中)』[流雨](2012/12/03 00:10)
[58] 第二十二話『Cry For...後』[流雨](2012/12/24 17:39)
[59] 第二十三話『進むことが大事』[流雨](2013/01/01 02:21)
[60] 第二十四話『迂闊にフラグを立ててはならぬ』[流雨](2013/01/06 00:09)
[61] 第二十五『イメチェンぱーとつー』[流雨](2013/03/03 23:29)
[62] 第二十六話『また合宿(前編)』[流雨](2013/04/16 23:15)
[63] 第二十七話『また合宿(後編)』[流雨](2014/08/05 01:53)
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[26404] 第二十一話『Cry For...(中)』
Name: 流雨◆ca9e88a9 ID:a2455e11 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/12/03 00:10



 メンフィス郊外、グレースランドはエルヴィス・プレスリーの邸宅があり、年中多くの観光客が訪れる場所だ。メンフィス空港の西に位置して、車でもすぐに辿り着ける距離である。
 ジャニスが住んでいたのはメンフィス空港より四十キロほど北に位置するウィルバーン・アベニューの通り沿い。
 メンフィス空港を出てから、国道240号線、アブロン・B・フォーゲルマン・エクスプレスウェイを真っ直ぐ北上し、サム・クーパー・ブールバードへと合流。その後にノース・パーキンズ・ロードへと降りるという道順を辿ればよい。
 しかし、一度ならず幾度となく通っている道のはずなのに、今年で五十歳になるローレンス・B・ワトキンソンは、意気揚々と悪趣味な車でハイウェイをかっ飛ばした挙げ句、見事に道を間違えた。
 本来の道とは真逆の位置にあるはずのガーナー湖を横目に通り過ぎるあたりで気づかなければ、と思うと恐ろしい。

「いやー色々あったが着いた着いた! 人生万事うまくいくものだね!」

 何も気にしていないような調子で朗らかに微笑むドライバーに長旅でへとへとの二人は恨みをこめた視線を送った。
なんにせよ、元の道に戻ることができれば、もう迷うこともない。
通行人の誰もが目を大きくして二度見する外装の車は、よろよろと目的の住宅街に入っていった。
 通りに面したジャニスの家は、お世辞にも慎ましいとは表現できない規模を誇っている。その広さに比べて豪邸と言うほど家自体が巨大な訳ではないが、有する敷地面積は日本の住宅街が三区画分ほどすっぽり収まってしまう広さだ。その広大な庭はジャニスの夫であるスコットが趣味半分で管理しているので、いつ行っても刈りたての芝の甘い匂いがするのだ。
 真夏は外でバーベキュー。だだっ広い敷地内にステージを作っては、好き放題に演奏をする日々。歌って、弾いて、騒いで過ぎていった時間が夏音の瞼の裏を通り過ぎた。
 それは、決して色褪せることのない記憶である。いつも彼女の家の門をくぐる時はその先に待ち受けるだろう出来事に胸を高鳴らせていた。
 知らずうちに思い出に浸っていた夏音は、いざ見覚えのある門の前に広がる光景に眉を顰めた。
 通りに入ったあたりからちらついた路上駐車をするヴァンに大きな機材を背負った人々。
 報道陣の姿だった。

「やれやれ。やつら、ずっと張り込んでるんだよ」

 ローリーおじさんは苦々しい口調で言う。ど派手なハマーの登場に報道陣が一斉にこちらに注目する。報道陣でなくとも、注目するに違いないが。
 どうやら彼らは雇われたセキュリティに阻まれ、ある程度の距離までしか近づけないらしい。住宅街の中で道を塞ぐようなことは迷惑行為なので、彼らは招かざれる客だ。
 夏音は他の弔問客への対応はどうするつもりなのだろうかと気になったが、急に襲いかかってきたフラッシュの嵐に身体が強張ってしまう。
 ローリーおじさんは近づいてきた警備の者に二言三言話しかけると、アクセルを踏み込んで一気に門の中に入っていった。
 しかし、夏音はその直前に確かに見た。
でかでかとした垂れ幕が異様な存在感を醸す。

「Happy Funeral - Janis C Sloop -…….?」

 夏音が唖然としていると、アルヴィが手を叩いて笑った。

「ふふっ! 何かわくわくしてきちゃうフレーズね!」

 夏音はアルヴィの言った言葉に途轍もない違和感を覚えた。自分は、これからジャニスの死と対面するのではなかっただろうか。
 いや、ジャニスの葬式という時点でしめやかなものにはなるまいと予測はしていたが、これは些か不謹慎ではないかと目を疑った。
門をくぐると左手の方に駐車スペースがある。既に何台か車が停まっており、見覚えのある車もちらほらと確認できる。
 夏音たちは、この滞在中はホテルで寝泊まりをすることになる。今日もこの場所に立ち寄った後にホテルに向かうので、最低限の荷物だけ下ろし、家がある方へ歩き出した。
 S字カーブを幾つもくっつけたような小道があり、樫の木がその道を挟んでいる。わずかに吹いた風で葉擦れの音が一斉に響いた。
 この小道を進んだ先には一本だけ桜の木が植えてある。強い日射しが木漏れ日となって降り注ぐ道。風に砂が舞って埃っぽい匂いと、刈りたての芝生の青々強い香りに包まれて思い出す。
 通り過ぎていく風景を五感が覚えている。たまらず懐かしさを覚え、夏音は長旅の疲れも忘れて懐かしいものに再会した喜びと、そこに紛れ込む哀愁に包まれた。
 小道を少し歩いただけで、すぐに家は目視できる。
 そして、そこにはもう一つの再会が待ち受けていたことに夏音は気が重くなった。

「あら、だいぶお揃い? よく考えたらずいぶんと懐かしい顔もいるわね」

 暢気な声を上げるアルヴィ。彼女が手を振る方には懐かしき顔ぶれが揃っていた。早速、家の前に大量のテーブルやパラソルを持ち出していた。明らかに一杯やっている。
 近づかずとも分かった。誰も彼も見覚えのある顔。
 夏音は束の間、立ち竦んでしまう。
 どうやってこの輪に入っていくか。再会の言葉は何から始めればいいのか。
 知らずうちにノロノロとアルヴィの後ろにくっついて歩いていた夏音は、唾をのみこんだ。
 第一声はどうすればいいだろうか。彼らは、自分をどう受け入れるか。心拍数が上昇していくのが自分でも分かり、これでもかというまで鼓動が速まる。
 そんな夏音の内面を易々と打ち破る陽気な声が響いた。

「ジーザス! 誰かと思えば、ケニー!」

 座っていた中の一人が立ち上がり、夏音に近寄ってきたかと思いきや、力強く抱き締めてきた。

「ひ、ひさしぶりだね。ジミー」

 抱き潰されながらもなんとか夏音はくぐもった声を出す。ジミーは夏音から体を離すと、夏音の顔をじっと覗き込んで白い歯を見せた。

「カーターのやつと賭けてたんだ! お前は絶対に来るって信じていたさ!」

 人を賭け事に使うな。そう文句の一つでも言ってやろうかと思った夏音だったが、次々に頭をもみくちゃにされてそれどころではなくなった。

「相変わらずでかいね」
「さあさあ。長旅だったろう。駆けつけ一杯!」

 片手に握られていた酒瓶を夏音に押しつけてきたジミーに夏音は苦笑した。

「もう、そいつは当分カンベンなんだ」

 つい最近、痛い目にあったばかりだ。夏音が酒を断ると、彼は「そうかい? サイダーもあるよ」と気にした様子もなく、夏音の肩を組んで集団の輪に引っ張っていった。

「どうだい皆!? 見てみろよ! こいつを誰だと思う?」
「しっかり見えてるよジミー。そんな年じゃない。しかし、大きくなったなあ」

 しみじみと、感慨深げに顔に皺を寄せたのは、ウェイトンだ。トランペットの名手として知られる彼と会うのは実に五年ぶりである。もともとスループの繋がりの中でも頻繁に顔を合わせる人物ではなかったため、夏音も懐かしさが沸き上がってきた。

「ウェイトン。元気そうでなによりだよ。この間までヨーロッパに行っていたと聞いたよ」
「そうともさ。俺ぁ若いのとやるのはそろそろ厳しいな。ツアーの日程の組み方からして、年寄りのことを考えちゃくれないんだ」

 溜め息混じりにそんなことを零すウェイトンだったが、まだまだ現役なのは誰もが知っている。今年で五十四になる彼だが、その力強いペットの音は衰えを知らない王者の風格で世界中のファンを魅了し続けている。
 夏音は幼い頃、室内に響いた彼のトランペットの音圧に飛び上がるほど驚いたせいで椅子から落ちて、毎回笑われていた。

「違うよ。彼は初日にホテルに女性を呼んだのだが嫁にバレたんだ。ニューヨークでレコーディング中だったソフィーはそれを知って何をしたと思う?」
「おい。それ以上口を開いたら分かってるだろうな?」

 こんな軽口をたたき合う空気に夏音は思わず頬をゆるめた。同じようにニヤニヤと二人の会話を肴に酒を呷る皆の顔は、まるでジャニスの葬儀のために集まったとは思えないくらいに明るかった。
 夏音も、うっかりこれからホームパーティーでもやるのかという気分になってしまいそうだった

「アルヴィ。君たちはどこに泊まるんだい? 隣町だけど、よかったら俺の家が一部屋空いているよ」

 ゆったりとした口調で声をかけてきたのはラースだった。彼もまたスループの姓を持つサックスの名手である。ウェイトンとジミーのやり取りにくすくすと笑いを零していたアルヴィは少しだけ眉を下げた。

「ごめんなさいラース。せっかくだけど、もうホテルを取ってあるの……ああっ! どうせなら空港から荷物だけ送ればよかった! あと、お土産を車に忘れてきちゃった!」

 言っている側から思い出したらしく、途中から悲鳴に変わったアルヴィの言葉に爆笑が起こる。
 ラースは相変わらずのアルヴィの性格に苦笑めいたものを浮かべると、夏音に軽く手を振ってから、大人しく引き下がった。
 何のきっかけだったのか、再会を喜ぶ温かな雰囲気にそっと静けさが差した。

「さて……それで、彼女は?」

 アルヴィが口にする彼女が誰のことを指しているのかは言うまでもない。それまで笑顔を浮かべていた面々の表情に影が差したのを夏音は見逃さなかった。

「ああ。まだこっちには戻ってきてないんだ。今日の夕方くらいに連れてきてくれるらしい」

 穏やかな口調でジミーが言うと、アルヴィは「そう、そうなの」と何度も頷く。そして、少しでも静寂を置いてはおけないとばかりにパチンと手を叩いた。

「そうね。それまでにちょっと休まないと。きっとこれから大変よ。他のみんなは中に?」
「女性陣は仲良く料理中さ」
「ほんと? みんなして働いてるのなら私だけ休んでなんていられないわね。ちょっと顔出して手伝ってくる!」

 そう言うと彼女は、それこそ袖を捲って―――袖のない服にも関わらず―――みせると、とんでもない勢いで家の中に向かっていった。それを黙って見送った男性陣は、重苦しい沈黙をその場に落とさざるをえなかった。
 そして、やっと口を開いたジミーが厳かに夏音に対して重大な指令を下した。

「アルヴィを止めるんだ」

 言われるまでもなかった。夏音はこれ以上、誰も不幸にならないために、何より自分のために母親を全速力で追いかけた。


「ああ、カノン! ちょうど良い所に! アルヴィから包丁を奪って、そしてここじゃないどこかへ連れていってちょうだい!」

 数年ぶりの再会を果たした瞬間に必死の表情で夏音に懇願してきたのはマークの姉のソフィアであった。
 お互いにかけるべき第一声が他にもあったことは重々承知していたが、この場合は視線の一つだけで全てを心得られるだけの「経験」が二人にはあった。二人だけでなく、関係者であれば誰もが身に刻み込まれた恐怖を回避しなくてはならない。
 夏音は心を鬼にして母親から包丁を奪い、有無を言わせずに母親をキッチンから強制的に連行した。
 キッチンを出て行く夏音の後ろでは安堵の溜め息と拍手が起こっていたことは言うまでもなかった。

 子供のように憤慨していじける母を宥め、夏音がリビングでぐったりしていると改めてキッチンから出てきた人々に歓迎された。

「やだ。ちょっと背伸びてる!」
「ますますアルヴィに似てきたわね。あなたたちは昔からそうだったけど、まさに瓜二つよ」
「ニホンのガールフレンドはできた?」
「こっちにはいつ戻ってくるの?」

 口々に夏音に対して話しかけてくる女性達。順にナターシャ、カッサンドラ、レイラ、ジュリア。
 懐かしい顔ぶれに夏音は疲れも忘れて彼女達と抱き合った。

「みんなと会えるなんて!」

 夏音が自身の感激を口にして伝えると、レイラに頭を撫でられた。

「ところで、一つ訊きたいんだけど。表のスローガンはなんなの? 新手の葬儀屋のものみたいだよ」

 夏音が門のところで目撃した『Happy Funeral』の文字のことだ。夏音がそのことに触れると、四人はふいに真剣な表情になって夏音に言った。

「そうよ。これから第三回目の作戦会議が行われるの。あなたにも参加してもらうわ」
「バナナブレッド作ったの。それでもつまみながらね」


★      ★

「まず、visitingは明日に迫っている。それまでに我々は準備を終えねばならない」

 悠揚とした口調で話し始めたのはこの場で最年長であるヴィクターだ。サンフランシスコからメンフィスまで一目散に駆けつけたらしい彼は、今回の葬儀に際して最も気合いが入っているらしい。
 現在、ジャニスの自宅に集まったのは先ほど到着した夏音達を含めて十五人。天気が良いので全員が屋外に集まって話合いが行われることになった。
 顔ぶれとしては、スループ一家の血縁関係だけでなく、夏音やアルヴィのように特別親しい者や、葬儀屋の姿も混じっていて、その誰もが真剣な表情でヴィクターの話に耳を傾けていた。

「彼女の遺言だ。まあ、これは彼女がいつも口にしていたから知っての通りだが……」

「「「「私の葬式で涙はなし!」」」」

 その場にいた者が一斉に声を揃えた。ふと笑いが広がるのを見て、ヴィクターの顔にも深い皺が寄る。

「その通りだ! 我々は、盛大に! 景気よく! 華やかに……あと、なんだ?」
「最高にハッピーに!」
「そうとも。史上最大にぶっ飛んだ葬式をやらねばならない。そして、彼女の希望をまとめたものがここにある。彼女のお抱え弁護士であるトニー・テイラーが後生大事に保管していた一品だ」

 ヴィクターは隅っこで涼しげに立つ男性を指し示した。夏音は彼がいったい誰なのかと悩んでいたが、ジャニスが懇意にしていた弁護士だったらしい。

「さて、読もうか。どえらいリストだぞ、これは」

 ジャニスが自身の葬儀に関して作った要望リストは何行にも渡って彼女らしさが滲み出ていた。
 もちろん、既に葬儀屋と決めておかねばならない部分は実行済みらしい。棺の種類や、牧師は誰にするか、おおまかな日程などだ。彼女は土葬を望んでいたので、既にエンバーミングの処置は終えてあるらしい。

 棺に入れるもの。流して欲しい曲。式の中で絶対にやって貰いたいこと。
 何より一番は、

「歴史に残る音楽葬を頼む、か」

 音楽家だから、死ぬまで音楽に浸るわけではない。有名なミュージシャンでも死んでからは葬儀もあっさりと済ませてしまう者も少なくはない。
 ジャニスはどこまでも音楽を愛していた、だけではなくとんでもなく派手好きな人だった。

「確かニッピーの葬儀に対抗心を燃やしていたような……」

 ふと誰かが呟く。すると、「ああ!」と手を打つ者が何人もいた。

「さて、日程としてはこうだ。明日は大量の弔問客がやってくる。メディアは家には呼ばないが、葬儀の時は盛大に生中継してもらう手筈だ」
「はあ? カメラが入るの!?」

 これに強く反応したのは、先ほど夏音たちより遅れて到着したばかりのジュリアだった。彼女はマークと同い年で、夏音を可愛がってくれている姉のような存在だ。

「誰が好きで見るのよ?」

 この意見に対し、会った時から常に酒瓶を離さないエディが鼻で笑った。

「おいおい。ジャンが死んでどれだけの人間が悲しみに暮れると思うんだ? アメリカ全土からこのメンフィスに押し寄せたい奴らがどれだけいると? まあ、既に表にちらほらと花やら似顔絵やらを置いて帰るファンもいるんだが、くそっ、あんな高い酒を放置して帰りやがって……俺がこっそりそいつだけ頂こうとしたらカメラのフラッシュに阻まれる始末だ」
「お酒の話をしたいの!?」
「ああ、すまない。そうだみんなが彼女を送ってやりたいんだ。けれど、易々と来られないだろう? アメリカ中からミュージシャンが参列するんだからな。一般には入場規制がかかる。せめてもの教会の表に集まりたくても、それすら叶わない人だっているんだ。そいつがテレビで見られるなんて最高じゃないか」
「でも、不謹慎って言う人もいるよ!」
「知ったことか! 少なくとも、このことで訴える権利がある奴なんていない。スコットだって賛成してるんだ」

 ジャニスの夫であるスコットは、黙ってウィスキーの入ったグラスを掲げた。元々、寡黙な方だが、彼もまた祭り好きなスループの一員であることには違いない。
 喪主が昼間から呑んでいる時点で常識から何百マイルも離れている人間だ。
 彼は、ジャニスの最愛の夫であり、最大の共犯者といってもいい。
 エディの言う通り、親族から夫までもが賛成する中で止める者はいない。
 ジュリアはまだ納得がいっていない様子だったが、大きく肩をすくめると背もたれに勢いよく倒れ込んだ。
 そして、片手を振って続きを促す。完全にいじけたようだ。

「この無駄に広い庭にテーブルと椅子を並べる。業者を呼んでステージも作ってもらおう。料理は女性陣の手では到底足りないから、プロに頼もう。後は、いいか? 最大の目玉は教会を出てから墓地へ移動するまでのパレードだ! 荘厳でハッピーな調べで街中を突っ切りジャニスを墓地に届けるんだ。それが終わったらこの場所へ戻り、関係者を根こそぎ集めた盛大なパーティだ。色んなプレイヤーを集めて、朝まで音楽を鳴り止ませることなく、彼女を送る」

 誰かが「nice」と零した。夏音はこれから自分達がやろうとしていることの全貌を聞かされ、心臓がどくりと大きく跳ねたのを感じた。
 確かに、これはとんでもないことになる。自分が想像していたよりはるかに。
 鳥肌が立った。
 やはり、スループ・ファミリーという集団が一堂に会した時に起こる強烈な化学反応は心臓に悪い。
 興奮しすぎてくらくらする。
 それと同時に押し寄せたのは燃えさかった火が萎むような不安だった。
 彼らと演奏するのはあまりにも久しい。呼吸と等しく音楽を紡ぎ出せる集団であり、確かに自分も数年前はその輪の中にいた。
 それが、どうだろうか。夏音は今の自分に自信を持てない。
 やはり、夏音は自分が歩みを止めてしまっていたのだと感じた。
常にあったプライドや、自信といったものがこうして揺らいでいるのが証拠である。不安なんてものが自分と、彼らを結ぶ距離の中に現れることなど夢にも思っていなかった。
 自分以外にも一流のベーシストはいる。まだここには姿を見せていないが、カート、オスカー、デレク、ロバート、コーディ。
 そして……、

「ところでクリスはまだなのかい? 早く彼と話し合いたいな」

 何の気なしにラースの口から飛び出てきた名前に夏音の心臓はさらに鼓動を跳ね上がらせる。
 絶妙なタイミングだっただけに、表情にも出てしまったかもしれない。
 すっと夏音に向けられたラースの眼差しは夏音の心を見透かすような光を湛えていた。

「カノン。彼は、君の顔を見たらたいそう喜ぶよ」
「それこそ、その場で棺桶がもう一つ必要にならないといいけどな」
「ハハハ! 違いない!」
「おい、年寄りを馬鹿にしていると痛い目に遭うぞ!」
「ヴィクター。あんたは殺したってまだまだ死なないから安心しろよ」

 流石にそれは失礼だろうと思った夏音だったが、よく考えたらクリストファーは今年で六十五歳になる。
 今、会ったらどんな風に変わっているだろうか。夏音は数年という歳月を彼と会わずに過ごした自分に今さらながらガツンと頭を殴られたような衝撃を受けていた。
 こんなにも時が経つのは早いらしい。時間は残酷で、足を竦ませてしまうだけの恐ろしさを持っているのに、どうして気付かなかったのだろう。
 ふと、表情が暗く陰った夏音だったが、一人だけ辛気くさい顔をしているのもこの場にそぐわない。すぐに切り替えて笑顔を作った。

「俺も彼に会うのが待ちきれないよ」


★       ★


 結局、作戦会議と称した集まりは全員が好き放題に発言し過ぎるのでただのお喋りの場と化してしまった。
 女性陣は夕食を作りに家へ入る。残った男性陣はプレイルームに向かい、ビリヤードやダーツ、カードゲームなどに興じて夕食までの時間を潰していた。
 夏音はその中に混じることはできなかった。リリーを始めとした子供軍団の相手をするハメになったのである。
 子供達は勝手に遊んでいればいいものを、物珍しい夏音から離れようとしない。中には夏音もよく知る子もいる。
 最年長のグレッグは最後に会った時は小学校の高学年で、あまり相手をしてくれない兄弟達の代わりに夏音やマークによく懐いていた。
 ここでも夏音は年月が恐ろしいと感じた。まだ声変わりも済ませていなかった少年が、すっかり身長も手足も伸び、夏音を見下ろすようになっていたのだから。

「俺はいつも思うんだ。このモンスターみたいな子供達がいつか俺みたいに大きくなって、また同じような悩みを持つなんて信じられない」

 フルパワーで向かってくる子供達を適度にいなしながら、苦笑するグレッグに夏音は寂しい胸が切なくなった。
 また、いつの間にかそんな表情を身につけていた彼の成長っぷりに感動したのも事実だったが。
 遊んでもらう側が、遊んであげる側になったらしい。

「ねえケニー。あとでジャムろうよ」
「おっ? いいね。どれだけ弾けるようになったのか楽しみだ」
「きっと驚くよ。この間は中学生のジャズ大会に出たんだ」
「なるほど、それで?」
「個人の部で優勝さ」

 得意気に笑うグレッグに夏音はびっくりして穴が空くほど彼を見詰めてしまった。

「それって……その、」
「カリフォルニアの州大会さ」
「マジで?」

 お世辞にも彼は上手いプレイヤーではなかった。親が一流であっても、その子が一流とは限らない。少なくとも、三年前までのグレッグは小学生にしては弾ける方、といった分類だった。
 それが州の大会で一位になるとは誰が想像しただろう。

「あれだ。男子三日会わざればってやつだね」
「なに言ってるかわかんない。それニホンのことわざ?」
「子供の成長ってすごいってことだよ」
「自分だって子供だろ? 俺より小さいくせに」
「なんだって?」

 鋭い視線がグレッグに突き刺さる。グレッグはびくりと跳ね上がって表情を一変させたが、遅い。
 夏音は自分に纏わり付く子供達に厳かに命じた。

「さあ、このすっかり生意気になったグレッグをやっつけるんだ」

 子供は素直なもので、夏音の命令に従った子供達は数人がかりでグレッグをもみくちゃにした。


 夕食が始まると話題の中心になったのは夏音であった。この数年、日本で夏音がどうやって過ごしていたか気になって仕方がないらしい。
 日本という国のこと。そこで出会った人々のこと。今は学校の部活で音楽を続けていることを皆がいちいち神妙に聞くので、夏音はどこか居心地が悪かった。
 すると、突然斜向かいに座っていたライアンが口を開いた。

「なあ日本では偉い人が通るとみんな土下座しなきゃならないって本当か?」
「そうだよ。何で知ってるんだい」

 神経質そうに瞼をぴくぴく動かすライアンは、夏音の返答に余命宣告を受けた人のように口をぽかんと広げた。

「やっぱりな。何かの本で読んだんだ。俺は知ってたさ」

 皆が彼を見詰めてにやにやしていることにも気付かず、ライアンは「おそろしい国だな」と深く染みいるような声音で呟いていた。ぶつぶつと一人呟く彼は自分の世界に入った。これはいつものことで、誰も気にした様子はない。

「おぉ、お出ましだ!」

 ふと、ヴィクターが門の方から近づいてくる人物に気付いてにやりと笑った。皆がそちらに目を向けると、手を叩き歓声を上げる。

「戻ったぜアメリカ!!」

 その場にいた全員がわっと立ち上がり、次々と抱擁を交わしていく。譲二は夏音の姿に目を止めると、大袈裟に腕を広げた。

「二週間ぶりの父親にハグもなしかい?」

 夏音は微苦笑を浮かべて父に駆けよった。



★       ★

 時刻が十八時をまわる頃、夕食を済ませた一同はそれぞれが近くに座る者と思い思いに会話を楽しんでいた。
 普段は遠くの土地に住む者たちだ。それぞれが忙しく、なかなか会う機会もない。積もる話があるのだろう。
 子供らは、そんな大人の会話の中でじっとしていられるはずもなく、庭の木から垂れるブランコで遊んでいる。
 夏音はそんな喧噪から少し離れた場所、家の入り口横にあるベンチにジュリアと腰掛けながら互いの近況を報告しあっていた。

「そう。日本で楽しくやってるのね」

 彼女は嬉しそうに微笑む。その表情にはどこか寂しげな色が混じっていた。夏音の三つ年上の彼女も、少しの間見ないうちに一気に美しく成長していた。
 このように憂いをまじえた難しい表情が似合う、大人の女性へと変貌してしまっていた。

「何か浮かない顔だけど、気分でも悪いのかい?」
「ううん。複雑な気持ちだけど、大丈夫。ちょっと自分の心を掴んでいられないの、いま。わかる?」
「ああ、わかると思うよ。こんな時だから、仕方ない……」

 彼女は夏音が言わんとしたことを理解して、浅い溜め息をついた。

「色々と下らないことも頭をよぎるのよ。私が今回で落とすことになった単位とか、ぶん投げてきた五つのレポートのこととかね」

 自分で言っていて、おかしそうに笑う彼女につられて夏音も軽く噴き出した。
現在、カリフォルニア大学バークレー校に通う彼女は、そこで心理学を学び、将来的にはそこから伸びる幾つかの道を進んでいくのだと言っていた。このスループという集団は、根本的に音楽で繋がっていることは間違いないが、その誰もが音楽を生業にしているわけではない。
 無論、例外はなく誰もが何かしらの楽器を人並み以上に扱う腕を持ち、音楽の才を持っているのだが。ジャニスの夫であるスコットもプロとして活動していたのは二十年も前の話だが、そのピアノの腕はぴかいちだ。
 何とも宝の持ち腐れだろうと思うが、彼らは総じて音楽との付き合い方を熟知している。
 音楽との関わり方でもがく夏音とは違い、彼らのあり方そのものは実に自然なのだ。
 目の前にいるジュリアもそうだ。
 一年のほとんどを勉学のために費やす彼女は、友人たちの集まるパーティーやイベントごとには必ずといって呼ばれ、そこで歌を披露するそうだ。
 隣町で催されるイベントからお呼びがかかることも稀ではないらしい。
 才能を認められ、それを発揮できる環境とチャンスがあったのにも関わらず、彼女は現在の道を毅然として歩いている。
 その凛としたスタンスに夏音は、いつも不思議な気持ちを抱いていた。こんなに素晴らしい歌手を知っている人が、世の中にはこんなにも少ないということ。
 浮ついた中身のない歌に酔いしれる人たちは、彼女の歌を聴けばいいのだと思っていたのだ。
 けれど、彼女はそんな疑問を口にする夏音に決まってこう言った。

「いい? カノン。人はそれぞれの生き方を選択することができる。私はたくさんの選択肢を与えられた幸運な人間なの。どの選択肢も私にとっては最高に魅力的だと思うわ。でも、あれもこれもという訳にはいかないの。一つ選んで、他を羨む。そんなことは許されないの」

 諭すように言う彼女に夏音は訊ねた。

「誰が許さないっていうの?」
「うーん……わかんない」

 茶化すように言う彼女は満足そうだった記憶がある。

 そして、夏音はそんな過去の自分とは違う心境で彼女に聞いてみたいことがあった。

「前にもこんな風に二人で話したと思うんだけど」
「そうね。たまにマークもいたわ」
「人には色んな選択肢があるんだって君は言った」

 夏音は真っ直ぐに見詰めてくるジュリアの瞳から目を逸らすことなく、続けた。

「その通りだと思ったよ。確かに俺達には選択する自由と、権利があるんだって。前はジュリアが何を言ってるか本当はよく分かってなかったんだけど、最近ようやく分かってきたんだ」
「大人になったってことよ。人生、時間が経てば分かってくることの方が遙かに多いのよ」
「でも、こうも思ったんだ。選ぶってことは、そう容易いことじゃない。こんなにも苦しいことだなんて、知っちゃったよ」

 夏音は目を伏せ、顔を歪める。ジュリアは口を挟まない。

「欲しいものが多すぎて、でもやっぱり欲張りは許されないんだ」
「そうね、何故か許されないの。誰かにね」
「本当にそうなんだよ。誰かに、許されていないんだと思う」
「きっとそいつはとんでもなく狭量なのかも」
「そうに違いないね」

 互いにくすりと笑いが漏れる。遠くで叫ぶ子供達の声がやけに響いた。

「でもね、そうじゃないかもしれない」

 ジュリアの口から滑り出すように現れた言葉に夏音は何故かしら吸い込まれるような心地になった。
 そっと顔を上げた夏音に、柔らかな微笑を向けたジュリアは夏音の手を包み込むように自分の手を重ねた。

「そうやって苦しむことは悪いことじゃないの。今、苦しんでるあなたには堪ったものじゃないだろうけどね」
「若い時の苦労は買ってでも、ってやつ?」
「別に老いぼれた後のことを言ってるんじゃないって。例えば、そう。恋なんて、胸が張り裂けそうになるじゃない? でも、その恋が終わってしまえばなんてことはない。そして次に向かう時にそれは私の助けになる」

 恋愛をしたことがない夏音にふさわしいたとえ話ではなかったが、言いたいことは分かる。
 けれど、いつか割り切る時のことを考えて済むならこんなにも悩まない。

「音楽ってもっと、完璧なものだと思ってた。音楽が全部ハッピーエンドに連れていってくれるだなんて、本気で信じてたんだ」
「そうね。完璧なものなんて存在しないわ。簡単に気づけそうなことなのに、なかなか気づかないことよ」
「俺から音楽を取ったら、何が残るっていうんだろう。そう考えたら、たまらない」
「そんなことはないわ。自分の美徳に気付いていない人は多いし、音楽以外にもあなたの素敵なところはたくさんあるじゃない」
 彼女は具体的なことは口に出さなかった。夏音はなんと返せばよいかわからない。ただ、わかった風に頷いて顔を上げた。
 会話の先を続けることはできなかった。
 思い思いに過ごしていた人々も同じであった。彼らがずっと待ち望んでいた人がついに到着したからだ。



★      ★

 靴を脱ぎ、ベッドの上に寝転んだ夏音は大きく息を吐いた。部屋に入るなり、休息モードに移った息子をみたアルヴィがたしなめる。

「そのまま寝ないでよ。ちゃんとシャワーを浴びて着替えなさい」

 夏音は低くうなるように返事をして、やはり目は閉じないまでも、すぐに動く気にはなれなかった。
 おそらく夏音の心身はあまりにも多くのことに疲弊しきっていた。突然の訃報に加え、長距離の移動、そして・・・・・・、

「眠っているみたいだった」

 夏音がぼそりと呟いた独り言に部屋の空気が少しだけ重たくなった。そっと近寄ってきた両親が夏音を挟み込むようにベッドに腰掛ける。一気に沈み込んだベッドが軋む音を立てる。

「こうして一緒に誰かの葬儀に行くのは、いつ以来だったかしらね」
「そうだな。たしか日本に行く前に・・・・・・トーキーの親父さんの時じゃなかったかな」
「アレもまたよいお葬式だったわよね」
「ああ、見方によってはね」

 両親の会話を聞いて記憶をたどった夏音は、最後の最後に親族が泥酔して耳を覆いたくなるような故人の暴露話を始めた光景が脳裏によみがえった。

「(どんな見方をすればよいお葬式だったんだろう)」

「最高の式にしてやろうな」

 父が自分の顔をのぞき込んで言った。夏音が声を出さずに頷くと、二人は夏音の頬を撫でてから、腰を上げて着替え始めた。
 父が「さー明日から忙しいな。とっとと寝るか」と言うのを耳にした夏音は再び、独り言を、自分ですら聞き取れないほどのボリュームで口にした。

「でも、ちっとも想像つかないよ。明日からのことすべてがさ」



★     ★


 明くる朝。夏音は久々に再会した人物からぴかぴかの状態の機材を見せびらかされた。

「どうだい? 完璧だろう」

 誇らしげに胸を反るフィルに夏音はありったけの感謝の言葉をかけた。彼は夏音の機材を管理している、いわゆるギターテックと呼ばれる存在だ。ローディー、ボウズ。日本で言うとそのように呼ばれる人々の役割。
 しかし、一言で彼の職業を言い表すのには相応しくないようにも思える。
 彼と夏音は契約で結ばれる仲だが、それ以上に旧知の仲であった。夏音がアメリカを離れる際も、夏音が戻るまで細心の注意をもって機材を預かると涙ながらに約束してくれた人だ。
 夏音はさっそく幾つかのベースに触れ、実際に触ってみた。手の握ってみた感じ、弦高、鳴り響き方までもがしっくりとなじむ。
 どれだけ彼がこの数年間かかさずに自分の機材を徹底管理していたのか、わかってしまった。

「君はやっぱり最高だよ」

 二十も年の離れた相手から受けた賛辞にフィルは心の底から嬉しげに笑い、鼻の下を掻いた。
 そして、夏音が久々の再会を果たしている横で譲二とアルヴィが真剣な表情で話し合いをしていた。

「でも、あなたのセットを運ぶのはいくら何でも無茶よ。あれはドラムセットじゃないわ、要塞よ」
「しかし、考えてもみてくれ。俺の全力をぶちかまさないとジャンに失礼だろう?」

 どうやら会話の内容は譲二のドラム機材の話らしい。クレイジー・ジョーで知られる譲二が自分の全力を出すフルセットを用意するとなれば、それはまさしく要塞と呼んで遜色ない規模だ。
 シンバル、タム類を分解してもいくつドラムセットが組めるのだろうかと考えるのも馬鹿らしい数だ。
 さらに信じがたいことに、それらの機材の一つ一つは見た目のためではなく、実際に必要だということだ。
 平行線をたどりそうな議論に夏音は自分のほうの用事が済んだことで口を挟んだ。

「父さん前に言ってたよね。三点で聴かせられないやつはど素人だ! って」
「いや、それはそうなんだが。そう言われてしまえば、どうしようもないじゃないか」
「この子の言う通りよ。誰かをスイングさせるのなんか太鼓一つで十分だってよく言うじゃない」
「オーライ、わかったよ。そこらのレンタルでもいいや、もう」

 いきなり投げやりになった父に苦笑を浮かべた。
 着々と準備が急ピッチで進められていくのを感じた。もう何が何だかわからないまま突き進んでいる気がするが、もう流されるままどうにでもなれといった気分だった。
 今日はジャニスを訪ねて、多くの人があの家を訪れる。自分はどちらかというと出迎える側にいるのだろうが、そのビジターの顔ぶれがとんでもないのだ。
 どうしても葬式本番に参加できない者たちが中心だが、俳優や映画監督、著名なプロデューサーの名がすでに挙がっている。
 直接関わったことのある人も中にはいるのである。
 会ってなんと言葉を交わせばよいか、考えるだけで憂鬱になるが、もうどうしようもない。
 そんな複雑な気持ちを抱えながら、一日は始まっていたのだ。



 スコット邸に人が溢れかえってから久しく、夏音は次々に訪れる知人と挨拶を交わし、無難に時が過ぎるのを耐えていた。
 意外にも夏音の顔を見た人々の反応はまず最初に驚愕、それから好奇心を湛えた瞳が自分の近況を探りだそうとする。
 悪気も感じないし、夏音を批難する視線もなかった。
 それが夏音には拍子抜けだったのだが、よく考えてみると自分は具体的に何を恐れていたのだろうか。
 皆、ジャニスの死に心を痛めてこの場にいるのに。
 自分だけ、正体不明な恐れを抱いて、自分のことばかり考えている。
 そう思うと非常に情けなかった。
 すっかりへとへとになってしまった夏音は母に休むと告げ、二階にあるオーディオルームに向かった。
 より多くの人を入れるために、ほとんどの部屋は開放されていたが、この部屋だけは休息地帯の一つとして関係者以外が入ることはできなかった。
 部屋には誰もいないかと思った。
 夏音は扉を開ける前から気を緩め、ふかふかなソファにいったん横になろうと思って入ったのだ。

「カノン?」

 いないと思いこんでいた先客が、夏音の名を口にした。
 その声を聞いた夏音は体をこわばらせた。目がこぼれそうになるくらい、目を見開き、息をのみ込む。

「ケニーか・・・・・・? おまえさん、本当に・・・・・・?」

 探るような声音に夏音は自身も目の前にいる人の姿を凝視してしまった。
 彼が本物かどうか。こんな不意打ちな形で、再会した人が、

「クリス?」

 震える声を出した夏音に、温かい笑みが向けられる。ずっと見たかったその笑顔に、夏音は泣き笑いのような表情になった。


★        ★


 夏音にとってクリストファー・スループという人間は他の誰よりも特別な存在だった。夏音の現在までの人生を形成する上で、最も重要な部分を作り上げたのがこの男といっても間違いではない。
 ミュージシャンの両親を持てば、必ずその子供も同じ道を辿るとは限らない。同じくして、周りがミュージシャンだらけだからといって世間に認められるミュージシャンになれるとも限らない。
 夏音が現在の評価、地位を得たのはそういった環境を最大限に使ってきたというのもあるが、その根源にあるものはこのクリストファーという男によって作られた。
 音楽の楽しさを、そこから得られる世界を教えてくれたのはこの人だった。
 彼は夏音の祖父のような存在であり、恩師であり、目標であった。夏音の目指す先にいる人間であった。

「髪を・・・・・・黒くしたんだな」
「うん。日本で金髪は目立って仕方がないからね」

 すると舌打ちが返ってきた。すねたように口を尖らせるクリスが夏音に厳しい口調で言う。

「母さんの色じゃないか。誇りをもてばいいんだ。周りの目など気にする必要はない」
「うん、そうだね。でも、これはこれで気に入ってるんだ。父さんの色だもの」
「おお、たしかに! ジョージのやつは喜ぶな。これはこれで親孝行か」

 ふふっと皺を寄せて笑うクリスにつられて夏音も笑った。
 気持ちが温かさに満ちていくのがわかった。彼と同じ空間にいて、緊張や不安といったものが長続きさせるのは難しい。
 昔から、変わらない。人を穏やかにさせるオーラを持ったクリスは一緒にいて誰もが心地よくなってしまう。

「風の便りに聞いていた。年の近い子供たちと音楽をやっているんだろう」
「うん。高校のクラブなんだ。みんなよくしてくれるよ」
「楽しいかい?」
「もう一年半ほどの付き合いになるよ」

 それが答えだった。夏音が同年代の友人たちと一年以上の交流を持ったことはない。たいていは一週間とか、そこそこ続いて数ヶ月。
 新しく結んだばかりの交友関係というのは、それなりのメンテナンスが必要だ。周りの子供たちは驚くほど刹那的で、その時を楽しく過ごせたとしても、すぐに遠くに行ってしばらくたつと、夏音を継続的な輪の中に迎え入れようとしてくれる子供はいなかった。

「そうか。そいつはいい」

 クリスは満足そうに頷いた。彼はそれから夏音の近況を詳しく聞こうとはしなかった。それよりか、どこのホテルに泊まっているか、疲れていないか、といったことを訊ねられて夏音は少々困惑してしまった。

「あのね、クリス」

 夏音が改まって話し始めようとすると、彼はそっと夏音の肩に手を置いてそれを遮った。そっと静謐を湛えた瞳は夏音を見つめた。

「カノン。いいかい。今は、彼女のためにすべきことをしようじゃないか」
「するって、何をさ」

 お祈りならこれといってない程した。そして、それ以外にできることなど思いつかない。
 夏音の心を見透かしたように笑ったクリスが、茶目っけをたっぷり含んだ眼差しで夏音に向けて言った。

「さあ、いこう。さっきから思っていたんだが、下があまりにも静かすぎると思わないか?」
「静かって、そりゃあ・・・・・・」

 階段を下りた先は弔問客と親族がひしめき合っており、自由に話しているものだからざわざわとうるさいが。
 彼の言っていることの要領を得ないまま、夏音はクリスに付き従った。階段を下りたクリスはすれ違う人々がしきりに彼と話そうとするのにもかまわず、プレイルームまで一直線に向かった。
 そこまでついて行くと、夏音は彼の意図することがやっと理解できた。

「さて、久々の再会を祝そうじゃないか」

 プレイルームに放置されたたくさんの楽器の中から、クリスは自分の愛器を手に取った。ここに着いた時に一緒に持ってきていたのだろうか。
 誰もが見慣れたフォルムのジャズベース。
 それに対して夏音は、日本からわざわざ持ってきた自分の特別な一本をケースから開けた。
 持ってきてよかったと心から思った。

 そこから会話はなかった。互いにすべきことが分かっている。彼は珍しい二段積みのアコースティックアンプに向かい、夏音は少し奥まったところにあった自分の使用機材の中でも筆頭の位置を占める有名なアンプに電気を通した。

 目立つ二人組だが、特に夏音とクリスが一緒にいるといやでも人目を引く。そんな二人がそろってプレイルームに向かったと聞いた人々が徐々に集まってきていた。
 興味深げに二人を見守り、またたっぷりの好奇心を含んだ視線を向けてくる。興奮のあまりか、甲高い声を上げてはやし立てる者もいる。

 周りの様子は気にならなかった。夏音は向かい合って座る人に全てを集中させていた。
 こんな光景の中にいることが怖くもあり、待ち遠しかったのだ。
 滑り出すように奏でられた音はどちらの音だったか分からない。
 夏音はクリスの息づかいを感じながら、彼が編み出す美しいフレーズに寄り添った。
 いつの間にかその場にあった調和が物語る。
 再会の喜びと、音に乗せて交わし合う意志の疎通。
 自分が持つ全ての経験と併せ持つ情景が、重なり合う。言葉にして自分を表現することは、音によってなされるそれより容易いことのように思える。
 しかし、自分たちは違う。
 音が雄弁に語ってくれるその人の有様。人の根源にある風景を、自分たちは楽器によって余すところなく伝えることができるのだ。

 技術は問題ではない。夏音とクリスの間には技術的には大きな隔たりがある。単純な実力で拮抗することのない二人が、彼ら二人でしか表現することのできない音を出している。
 聴衆は聞き惚れていた。
 この二人の組み合わせを生で見るのは、誰にとっても久しぶりのことであった。以前は当然のようにあった風景は、色あせることなくこの場所に帰ってきた。
 色あせるどころか、より研ぎ澄まされた二人の演奏は優れたミュージシャンたちすらも唸らせていた。
 この年にして、後退を知らないベーシスト、クリストファー・スループは揺るぎなく。常に尊敬を集め続ける超一流の威厳をもっている。
 しかし、もう片方の少年こそがこの場にいる人間の耳目に強烈な一撃を与えてきた。
 アメリカを離れ、音楽の世界から遠のいたように思われていたカノン・マクレーンはどこでどのように過ごしていたのか。
 その技術は衰えるどころか、確かな実力を携えて戻ってきた。技術的な面は言うまでもなく、彼の表現は新たな風をまとっていた。
 実に多彩な表現を評価されていたカノン・マクレーンが得たものは何なのか。
 彼の音を聴き、その正体までをも看破する者はいなかったが、確かに彼らは感じた。
 単純であるが、夏音ほどの年頃の人間に対して抱く感情としては実に特別なもの。

『成長した』と。

 常に上り続ける存在として、この少年がどこまで行ってしまうのか。未来への期待は聴く者の心をいたずらにくすぐってくる。
 彼を見ていたい、彼の音を聴いていたい。
 そう思わせる魅力がカノン・マクレーンには備わっていた。

 うっとりと甘く、繊細な音が打って変わり、陽気な世界を展開する。二つのグルーヴが跳ねて、抑えて、緩やかに疾走する音の気配に、お淑やかに聴き入っていた聴衆は即座に演奏に対応した。
 プレイルームはダンス会場と化した。
 笑い声が溢れ、ステップを踏む足が床を打ち鳴らす。
 たまらず飛び出てきたミュージシャンたちがその辺にある楽器を持ちだし、演奏に加わってきた。
 サックス、トロンボーン、ピアノ、ドラム、と賑やかになっていく音がこの場が本来ならばしめやかなものだということを吹き飛ばしていった。
 プレイルームは集まった人で満杯になり、熱気がこもった。
 誰もがフォーマルな格好を汗でびしょびしょにしながら、白い歯をみせていた。
 死人が飛び起きてきそうなほど騒がしく、ハッピーな空間だった。

 曲が終わると、拍手がわき起こる。互いがこの空間を共有していることを喜び、讃え合う。
 夏音もクリスと目を交わし、笑み崩れた。

「(なんでこんなことになってんだろ)」

 そう思う気持ちも懐かしさには勝てなかった。ふと自分は、こういう場所にいた人間だったのだと思い出したのだ。
 基本的に皆ノリがよすぎる。誰かの手拍子一つから馬鹿騒ぎができる。
 根っからのお祭り好きであるのは間違いない。
 皆、今がどんな状況だったのか忘れているのではないか。根っこがまじめな夏音は楽しいと思う反面、ジャニスがどうなっているか気になった。
 立ち上がった夏音はクリスと抱擁を交わし合うと、早く次やれよ! という視線から逃げ切ってプレイルームから抜け出した。
 やはり、プレイルームに人が集まっているだけにどこもかしこもがらんとしていた。
 ジャニスの亡骸が安置されているのは彼女の寝室である。そこへ行くと、彼女の近くに控えていたのは彼女の夫であるスコット、や譲二とアルヴィ。他にも弔問客が数名しかいなかった。

「大騒ぎが始まったわね。あなたが犯人かしら?」

 アルヴィが面白そうに瞳を輝かせ、夏音を見つめてきた。汗だくの夏音はそんな母親に肩をすくめて言った。

「みんな変わりないね」
「騒ぎたがりなの。いつどこだろうとね」

 呆れが混じった母の言葉には、どこか楽しげな雰囲気が含まれていた。彼女も、彼らのそうした陽気さが嫌いではないのだ。
 もしかしたら、今にでもあのプレイルームにかけだしていきたいのかもしれない。
 しかし、それをしない理由は何となく察することができた。

 アルヴィとジャニスは特に仲がよかった。親友のような、姉妹のような関わり合いを長年続けていたのだ。
 それこそ、夏音が生まれる前からの付き合いだ。
 ジャニスのそばを離れたくないのだろう。
 同じくらいの付き合いになる譲二も、妻と心境は一緒のはずだ。次々と訪れる弔問客の相手をする役目を負いながら、一度もこの部屋を出ていない。

 夏音は何となく、彼女の棺の近くに立って棺の中をのぞき込んでみた。真っ赤な棺の中に、生前彼女がここぞという時に好んで着ていた真っ赤なドレスに包まれたジャニス。
 化粧が施され、まるで眠っているかのような姿に夏音はやはり不思議な気持ちだった。
 現実でないような、しかしどこかで目の前の出来事を受け入れている。
 棺の中には彼女がリクエストするあらゆる物が所狭しと詰まっている。
 その中に、自分と彼女が一緒に写る写真が含まれていることに気がついた。
 その写真は確か、クリスの誕生日に一族が集まった時だ。毎年恒例の行事で、特別なものではないはずなのだが、彼女はこの写真を大切にしていたらしい。
 今より若い、いっそ幼いといっていいくらいの顔立ちの自分。五年ほど前の自分はいかにも子供といった顔立ちで、今の自分より少しだけ頬が丸い気がする。
 ジャニスはそんな自分を後ろから抱くように腕をまわし、満面の笑みを浮かべている。

「この写真、覚えているか?」

 横に立った譲二が写真をのぞき込んで話しかけてきた。
 
「あまり撮った時の記憶がないな」
「お前がその年にアルバムを出しただろう? 確かその写真を撮った一月ほど前だったと思う。クリスの誕生日の時、彼女がアルバムの中でお気に入りの曲をやってくれとせがんで、それをお前が演奏したんだ」
「ああっ! そうだった!」

 すっかり忘れていたことだが、この年は夏音が二枚目のアルバムを出した年であった。適当にセッションをしていた時、彼女が自分の曲をリクエストしてきた。「Hot River」という曲で、とびきりファンキーなその曲を彼女は聴きたがった。
 ベースを重ねて録っている曲だったが、それでも構わない。聴かせてほしい、と彼女は言ったのだった。
 夏音としても惜しむ理由もなく、リクエストに応えたら、彼女はそのまま一人で踊り始めた。
 彼女を中心として、すぐにダンスが繰り広げられていく光景をまざまざと思い出した。今の今まで忘れていたというのに。

「ジャンはいつも人々の中心にいたね」
「彼女ほど人を惹きつけ、愛される人間はいない。何より、彼女ほど深い愛を持った人物を知らないぞ、俺は」

 譲二の語る彼女は、もういない。目の前にいるのに、やっぱりいないのだ。
 目の前にあるのは亡骸で、すでに彼女はいない。

「君がいなくなると、さびしい」

 考えもせずに口からついて出た言葉にアルヴィがしゃくり上げる音がした。すぐに譲二が肩を抱く。
 ジャニスは言った。自分の葬儀で泣いてはいけないと。
 皆、それを守ろうとしている。誰だって、自分だってそうだ。

「けど、君は本当に楽天家だよね。君を失った俺たちが暢気に笑ってられるはずないじゃないか・・・・・・っ!」

 頬を伝い始めた熱いものを、止める気などなかった。周囲にいた者が、つられて嗚咽を漏らす。

「ひどいな、ジャン。俺の嫁と息子を泣かせてよ」

 譲二が震える声で、つとめて陽気にしゃべりかける。彼の目に涙はない。必死に堪えようとしているのか、顔が歪んでいる。

「ちょっとくらいは、構わないだろう? ちょっとくらい・・・・・・」
「ジャンなら何でも許してくれるわよ」

 くすりと笑いを漏らしながら、アルヴィはハンカチで目を拭う。それから、直立不動で涙を流し続ける夏音の頬に布をあてた。

「ほら、ここに人がいない間に引っ込めないと」

 夏音は「それでも止まらないものは、止まらない」とある種、開き直りながら母親にされるがままになっていた。
 すると、その時までジャニスの横の椅子に座り、ずっと黙したまま存在感を消していたスコットが立ち上がった。
 もともと寡黙な彼が何かを言うのかと、その場にいた者が注目する。しかし、彼は何かを言うでもなく、黙って部屋の隅に置かれたアップライト・ピアノの前に座った。
 カタリ、と蓋をあけておもむろに鍵盤を叩く。
 その旋律には聞き覚えがあった。
 ジャニスの曲だ。『Fly to the moon』。一昔前のジャズメン達の間で大流行した曲だ。
 彼女が書いた歌詞はとりとめのないようなものであって、ただ最後は「月にいってみたい」と連呼して終わる歌だ。

「スコットのピアノ、久しぶり」

 アルヴィの涙はいつの間にか引っ込んでいた。それは、その場にいた者全てにいえる。あまりに唐突だったが、彼の出す音はすぐに彼の世界に引っ張り込んでしまう。
 すでにピアニストとしてのスコットを知る者は少ないが、やはり圧巻であった。長年培った凄みとも言うべき何かが、間近に伝わってくる。

「wish i had a perfect day in Newark...」

 歌が重なる。もしや夫の奏でるピアノにジャニスが生き返って・・・・・・と一瞬だけ驚いたが、そんなはずはなかった。
 アルヴィだ。
 夏音は、この母親の歌声にはいつも敵わないと思う。どうしても身震いしてしまいそうになり、肉親ながら、歌手として最も尊敬する人物の一人と捉えている。
 二人の音楽は五分ほどで切り上げられ、その五分の間、家中に響いた音楽の力はプレイルームでどんちゃん騒ぎをしていた者たちをおびき寄せるのに十分だった。
 途方もない熱気をまといながら姿を現した集団は、アメイジング・グレイスを口ずさみながら行進してきた。
 曲に対して、ずいぶんと・・・・・・最高に、楽しそうだ。
 これには夏音たちも堪えきれなかった。
 腰を折って爆笑した。集団は夏音達ごとジャニスの棺を取り囲み、大合唱へと巻き込む。
 下から上まで、ありとあらゆる音域を持つ人間達が好き放題に歌っていた。本職の人間だらけだから、その声量から放たれる音圧で部屋が震えているようだった。
 スコットの伴奏が加わり、曲の初めに歌詞が仕切り直される。

アメージング・グレース
何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる
道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり
今まで見えなかった神の恵みを
今は見出すことができる

「'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,」

この曲を歌えない者は、この場にはいない。というよりも、この曲を知らないアメリカ人はいないだろう。
 この集いのなんとすばらしき所よ。全員が調和というものを知っている。ハーモニーを
生み出すことを呼吸することに等しく、体が覚えている者たちであった。
 いつの間にかきっちりと歌うメロディのパートが分かれ、それはまさに合唱の美しさを  その場に顕現させていた。
 女性陣が歌い、合いの手を男性陣が。
 時に重なり、慈しむように歌われる荘厳で美麗な旋律に笑顔以外の表情は存在していなかった。

「「「「We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.」」」」

 曲が終わった途端のことである。ピアノが暴れ出した。スコットがニヤリと笑むと、アップテンポのピアノに手拍子が混ざる。

「にくいぜ、こんちくしょう! 最高だ! スコット!」

 誰かが叫ぶと、それを肯定するように叫ぶ声が上がる。

 やはり、こうなった。
 夏音は集団の意志の中に溶け込み、先ほどまで泣きじゃくっていたことなど忘れて喉をふるわせた。
 隣にいるものと肩を組み、テキトウにステップを踏む。つい先ほどまでいなかったマークもいつ到着したのか、アコギを携えてこの輪の中にいた。どこから持ってきたのか、ウッドベースを担いで駆け込んできたクリスも加わり、リフレインするフレーズは永遠に続くかのように思われた。

「What in the hell!!?(いったい何と言うことだ!?)」

 プロの歌手数人の声にも負けじと響いた牧師の怒声によって、素晴らしい音楽の時間は終わった。
 もちろん牧師の怒りにすごすごと終わったわけではない。とりあえず牧師を輪の中にぶっ込んでしばらく歌い尽くした後、大拍手のもとに突如として始まった合唱は終了したのであった。


★      ★


 牧師が到着したことで、一時間ほどで「Wake(※日本で言う通夜のようなもの)」は終了した。
 後は持ち寄りの食事や、出前などが並ぶと立食パーティーだった。
 懐かしい顔ぶれが増えると、それだけ笑顔も増える。ジャニスの葬式という場ではあるのだが、それとは違う。彼らは生きているから、その喜びを精一杯に噛みしめているのだ。
 夏音も特に仲の良い者たちで固まっていた。
 マークやジュリア。グレッグに、エイミー、ブルース。
 話題は尽きず、互いの近況を全て語るには少し時間が足りなかった。明日に向けて、そろそろ本格的に準備をしなくてはならなかったからだ。


「いいなあ。俺は参加できないんだってさ」

 各関係者を交えて本格的に行われたミーティングの後、グレッグがすっかり拗ねた口調で言う。明日の葬儀で行われる墓地までの音楽パレードに参加するメンバーとして、彼の名は挙がらなかった。
 流石に集った者を全員オープンカーに乗せて演奏する訳にはいかなかったのである。
 楽器ごとの組み合わせを決め、誰がどの位置に配置されるかを決めなくてはならない。管楽器の者は身軽で良いが、ドラムやピアノといった機材を人ごと運ぶのは難しい。そこで用意されるのが、巨大な荷台をもつトラックである。
 そこにドラムが三台連なり、ピアノが並ぶ。もはや小さなステージといって良いくらいの規模である。
 ギターが九人。ベースが八人。ドラム三台。パーカッションが二人。トロンボーン・トランペットが六。サックスが九人。ピアノが四台。クラリネット一人。フルート二人。歌い手が八人。
 その他、コーラス。
 明日、町中を行進する音楽隊の編成である。
 通常の編成とは異なるが、それで構わないのであった。何でもできるバンドのできあがりであった。
 驚くべきことに、交通整備をする関係上こういうのは届け出が必要なのだが、彼女の死が明らかになった翌日にはその手続きを強引に済ませたというのだから、企画者のヴィクターの行動力はすさまじいものなのだろう。
 未だかつて成したことのない所行であるが、不安はなかった。失敗というものが存在しないのだから。
 何をやってもいい。それを言い換えると、何でもできてしまう集団なのだ。
 曲を決めるのは、今夜。譜面を起こしたり、パートごとにすりあわせをして曲を完成させる作業が続いていく。
 ここにいる誰もが、プロであった。作業が滞ることはなく、すいすいと進んでいく光景の中で、彼らは改めてお互いへ向ける尊敬の念を確かめ合った。
 それらを纏めるのはヴィクターである。彼は年齢を感じさせないタフネスを見せつけ、少しも休むことなく、明日に迫る舞台を整い上げようとした。
 たった一日、これだけの計画を纏め上げようとするのだから、彼の才気は常人とは桁外れなものである。
 意外にも、クリスはヴィクターに口出しすることなく、他のプレイヤーと同じように振る舞った。とはいえ、他のセクションの様子を見て調整をしたり、ベーシスト七人が最高のパフォーマンスができるように仕立て上げる姿は流石としか言いようがなかった。
 時刻が深夜を回らんとした時には、各セクションは仕上がった。曲目を頭にたたき込んだ彼らはリハーサルに臨んだ。
 実際に演奏する時間は一時間ほどである。だが、リハーサルはその倍の時間がかかった。
 移動をしながら演奏するということは、その時がくるまで何が起こるか予測不能である。風が強すぎたら、音が流れてしまう。また、誰かのトラブルの際にそれをフォローするための作戦がその場で練られた。
 深夜三時を回る頃には、くたくたになった一同は「また明日」と口にして解散したのであった。

「ところでカノン。今さらだけど、君はいいのかい?」

 さて、自分も帰るかと両親の姿を探していたところにヴィクターから声がかかる。何を聞かれているのか分からず、首をかしげる夏音にヴィクターが重たく口を開いた。

「明日は全米に君の姿が映し出されることになる。もしかしたら、大々的ではないにしろ、日本のニュースにも流れる可能性だってある」

 なるほど、と夏音は頷いた。夏音はミュージシャンとして、つまりあらゆるメディアに映し出される存在としてのカノン・マクレーンを休んでいる。そんな夏音の現状を配慮してくれているらしい。
 しかし、夏音の心に憂いはない。悠然と構えた様子でヴィクターに言った。

「それがいやだったら、とっとと尻尾を巻いて逃げているさ。心配してくれてありがとう。俺は、大丈夫」

 力強く見つめ返す夏音の瞳をのぞき込んだヴィクターはどこかほっとしたように表情を緩めた。

「そうか。なら、いいんだ。今日はすぐにでも休んだ方がいい。アルヴィとジョージならもう表にいる」
「そう。ありがとう。おやすみなさい」

 そう言って夏音はヴィクターと抱き合うと、表に出た。途中、まだ残っていた人々に声をかけられながら、夏音は自分を待つ両親の許へと歩み寄っていった。



★      ★


「一切の連絡なし」

 厳しい表情で腕を組む律は先ほどからずっと苛立たしげである。そんな彼女の態度が伝染しているのか、不安そうに眉を落とすムギが珍しく給仕に失敗した。
 ティーカップから照準を大きく外れた琥珀色の液体が机の上に広がっていく。

「ふ、ふきんふきん!」

 一人慌てるムギは即座にテーブルを拭き始める。そんな彼女の動作にもこれといった反応がない。
 このような居心地の悪い静寂は軽音部にとって異常事態であった。

「私、ニュースをずっと追ってみたんですけど」

 そんな事態を打ち破る鶴の一声が梓の口から発せられた。ガタリ、と音を立てる勢いで前のめりになる四人の反応に梓はちょっとだけのけぞってしまった。
 餓えた獣のような四対の目線は恐ろしい。

「ジャニス・コット・スループの葬儀は、音楽葬になるらしいです」

 梓はこのことが示す重大な出来事が先輩達に伝わると思った。どうだと言わんばかりに放った発表の後、しばらく反応がないことに「あれ?」と慌てる。

「え、だから?」

 素で問い返された梓はまるで信じられないものを見るように、律に視線を返した。

「おい、何だよその目は。失礼な感じだな」
「い、いえ。そんなことは・・・・・・」

 少し上から目線だったのは認めるが、些細なところに敏感な律は油断がならない。もごもごと口ごもって誤魔化す梓に、澪が優しく尋ねてきた。

「梓。それって、つまり・・・・・・あいつもそれに出るってことだよな?」
「その可能性はあります」

 頼みの綱の、頼もしさに救われた梓は理解者がいることで水を得た魚のようになった。

「音楽葬といえば、ニューオリンズだと有名な伝統だったりします。著名なミュージシャンなんかだと、よくニュースになるくらい壮大な音楽葬を行ったりして・・・・・・近いところでいえば、ホイットニー・ヒューストンの葬儀が中継されたりして。スティーヴィー・ワンダーを筆頭とした色んなミュージシャンが出席してましたね」
「ああ・・・・・・そういえば」

 ニュースを見ていれば、記憶に引っかかるくらい有名な出来事だ。思い出したのか、話題に近づけたのが嬉しいのか、唯が参戦してきた。

「そのジャニスさんのお葬式もテレビになるのかな?」
「どうだろう。ホイットニーほど有名じゃないだろうし、日本のニュースに挙がることはないんじゃないか?」

 日本のメディアは、「大衆」の関心にないものにはとことん消極的である。たとえ、それが界隈で有名な人物であろうと、あくまで「無知な者としての視点」から視聴者に伝えようとする。
 彼女の考察はそこまで外れたものではなかったが、梓は首を横に振った。

「いいえ。彼女はアメリカではそれなりに有名です。グラミー賞の舞台の上に立ったこともありますし。むしろ、知名度やCDの売り上げなんかを抜きにして、かなりの人気者ですよ」

 ジャニス・コット・スループは玄人受けが特別良いわけでもない。彼女が持つ求心力は、同じ業界の者や関わる人々をことごとく魅了してきたのだろう。

「葬儀に参列する人たちの名前、とんでもないことになってますよ」

 梓が英語の海外サイトにまで手を伸ばして集めた情報である。梓もそこに連なる名前を確認した時は驚愕した。
 これだけの有名人を集めて、何かの授賞式でも行うのかと問いたいくらいの面子だったのだ。

「それでも、日本ではあまり大きく報道されていなかったんですが・・・・・・なんと、生中継しちゃうみたいです」
「生・・・・・・? マジで?」
「すっごいねー」

 葬式の生中継。通常では考えられない事態である。日本でも芸能人同士の結婚式を生中継した例はあるが、あれも特例の一つであろう。
 ここに来て、彼女たちはジャニスというミュージシャンの死が、別の世界ではとんでもない関心事だったのだと理解した。

「もしかしたら、こっちでも先輩の姿がニュースで出るかもしれませんね」

 ほんの一瞬だけかもしれないが、全国で流れるニュースを知り合いが目にする可能性は否定できない。
 それこそ梓が危惧していることの正体であった。

「あれ、これ夏音くんじゃなーい? うっそー! 夏音くんって何者ー!? みたいに軒並みバレる可能性があるってことか?」

 ざっくばらんに流れをまとめてくれた律は、ふんと鼻を鳴らして即座に否定した。

「あのなー。ホイットニーの時のニュースだって、日本でどれくらいの扱いされたかくらい覚えてるぞ。あそこで映ってた人なんて本当にトップクラスで有名な人ばかりだったじゃん。夏音なんてひょいっと画面の端に見切れるくらいじゃないか?」
「せ、先輩に失礼ですよ! ていうか、どれだけ先輩のことナメてるんですか!」

 思わず語気を荒げてしまう梓であった。確かにネガティブに考えすぎているかもしれないが、律の考えはあまりに楽天的すぎる。
 客観的に考えると、「ここ数年姿を消していた天才少年ベーシストのカノン・マクレーンの姿もあります!」くらいに報道される可能性は十分ある。
 梓はそこまで考える自分は夏音のことを特別視しすぎているか、とふと冷静に考えてもみた。

「どうだろうな。まあ、映ったなら映ったでいいんじゃない? この桜高で話題になるとも思えないしな」
「澪先輩までそんな!」

 幼なじみの悪い影響か!? と目を疑った梓だったが、こんなに熱くなっている自分を冷静に見つめ返す余裕もあった。
 オホン、と咳払いをすると続けた。

「とにかく、先輩は名だたる演者たち、それも名手と呼ばれる人たちと一緒にいるわけですが。先輩がテレビに映る可能性は大です!」

 言い切った梓に「おぉ~」と感嘆のため息が漏れる。

「夏音くん、すごい!」
「全然分かってない!」

 瞳をきらきらと輝かせる唯に梓は腰の力が抜けてしまった。へにゃりと机にへたり込んでしまった梓の頭を撫でるのは、がっしりとした掌の大きさで何となく澪だと思った。
 慰めるだけじゃなく、この人達をどうにかしてください、と切に思うのであった。

「そんな友達がテレビに出る~、みたいなレベルの話じゃないっていうのにこの人たちは・・・・・・」
「私は、分かるから梓」
「うぅ~」
「まあまあ梓。私が思うに、お前はちょっと心配性すぎるな。よく取り越し苦労とかしてそうなタイプだろ、お前」
「余計なお世話です! 私が取り越した苦労についてどうこう言われる筋合いはありません!」
「いや、梓? なんかそれで日本語合ってるのか分からないけど、そういう問題じゃないだろ? 落ち着け」
「す、すみません・・・・・・失礼しました」

 反抗的な後輩の態度にも、律は特別気を悪くした様子もなく面白そうに目尻を上げている。
 それが余裕の態度に見えて、余計に梓は気恥ずかしくなってしまった。

「私が言いたいのはだな。あいつに関しては心配しすぎても無駄。空回りするだけだから、なるようになれーくらいに考えた方がいいのさ」
「まあ、たしかに。そういう所はあるな」

 間を置かず頷いてみせた澪に、ムギも楽しげに同意する。

「ね~。夏音くんって初めはミステリアス! なんて思ってたけど、ほんとただの男の子って感じよね」
「んーと、ムギはつまり何が言いたいんだー?」
「こっちが勝手に振り回されてるような気でいちゃだめ、ってことかな?」
「おお、言い得てしっくりくる。そんな感じだわ、ほんとに」
「ていうか夏音くんがテレビにちょっと映ったら何か大変なの?」

 やはり、彼女たちは違うと梓は実感した。さらっと繰り広げられる立花夏音の人物像は、彼女たちが一年と半年の歳月を共に過ごして得た実感値なのだ。
 わずか半年足らずの自分と比べ、その語る内容はやっぱり大凡正しいのだろう。
 逆に鼻息荒くしている自分がばからしくなってしまうではないか。

「はぁ・・・・・・そうですか」

 少しだけ肩を落とした梓の様子を目敏く見ていた律が「おお、元気ないじゃねーか!」と明るく絡んでくる。
 ズズ、とハーブティーを口にした梓は今や遠くの土地にて悲しみに暮れているかもしれない先輩を想った。

「(早く帰って来てください先輩。私では負担が重すぎます)」


★      ★


 日本から一万キロ以上離れたメンフィスの土地にて、朝から盛大なくしゃみを放った夏音は、母親に心配の声をかけられながら、目をこすった。

「いつの間に寝たんだろ」

 もう少しで夜明けといった頃合いに帰ったのは覚えている。そこからの記憶がない。

「それとあなた。必ずシャワーを浴びたほうがいいわよ。夕べは部屋に入った途端に死人みたいにベッドに向かってそれっきりなんだから」

 すでに身支度を完了させつつあるアルヴィにそう言われ、夏音は慌ててベッドから跳ね起きたのであった。

 一時間で身支度を終え、入念に身体をほぐした。ホテルのサービスで朝食を部屋まで運んでもらい、濃いコーヒーをブラックで飲んだ。

「あれ・・・・・・?」

 自分はコーヒーが嫌いだったはずなのだが。
 無意識に差し出されるがままに口に含んだ液体はそれほど嫌な感じはしなかった。
 ここ二日間、家族三人で朝を迎える新鮮さも、慌ただしい準備に追われて味わう暇はない。基本的に全員がギリギリのラインで生きる人間である。
 行き当たりばったりといってもいいが。

「すてきよ、ケニー」

 借りたものだが、夏音が母から受け取った洋服は・・・・・・・・・真っ赤だった。

「はぁ・・・・・・何でまともな服で葬儀に出られないんだろう」

 夏音がまともな(少なくとも、世間一般常識的に)服装で葬儀に出た回数は少ない。音楽関係者というのが全員ぶっ飛んでいるとは考えたくもないが、自分が出た葬儀はたいていの死人が口うるさい遺言を遺していく。
 本来、黒かグレーのスーツでも借りようと思っていたところにこの仕打ちである。

「なかなか着られないわよ、こんな色。アメリカン・ヒーローっていう映画があってね・・・・・・」
「おお、懐かしいな! ウィリアム・カットが主演だったな。劇中の曲がなかなかイカしてた覚えがある」

 中年の思い出話には興味がなかった。夏音はこんなに目立つ服装を親子三人でおそろいで着込むということに抵抗があった。
 いくら彼女の遺言とはいえ。

『私の家族たちは赤く染まって私を送ること』

 はた迷惑な遺言だ。

「心配するなって、息子よ。どうせ会場に行ったら真っ赤な奴らばっかなんだ」
「あんまり想像したくないね。目が痛くなりそうだ」
「大丈夫。この色を着こなせる人はそういないわ。つまり、一蓮托生ってこと」
「いいや、俺には君に相応しい色の一つだと思えるがね」
「まあ、あなた!」

 隙あらばいちゃつく両親を置き去りにして、夏音は素早く部屋を出た。
 過ぎ去る人にじろじろと見られた。

 早く会場に着きたいようで、着きたくない。
 そんな気持ちだった。





※ひっそりと更新。最後の更新から離れすぎていて、びっくりしました。
 中編が長すぎますね。


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