※そ~っと。そ~っと。
何だか、すごく投稿するのが気まずかったりします。あ、あのー私、一応、このサイトに去年からおりましたーのでー……って感じ。及び腰でサササと席に座る感覚でございます。
「むぅ~」
夏音はごろごろしている。ふかふかのソファに埋もれながら投げ出した足を組んでうなり声を上げていた。
ある悩みが夏音を苛ませていたのだ。
恋とは何だろうか。考えなかった日はない。
夏音は自分に足りないものを知っている。人を愛した経験がない自分。
愛を歌うのに。愛を曲に乗せて世界に発信する存在なのに。
そんな曲を作り出す張本人が愛を知らないという矛盾に思うところはあった。
言葉に出して指摘する者もいた。
美しい旋律に愛を感じる。その色合いと恋人同士の息遣いを、視線のすれ違いを視る。しかし、それ以上の深みを感じることができない。
その言葉は夏音にとって己の限界を知らしめられているような気にさせた。
周りはいつも大人ばかりで、恋をする暇はなかった。ドキッとする女の子はいたが、恋心につながるものを得られずに終わってばかり。
あくまでも擬似的に。夏音は恋を騙る。
共感を得るようなものでなくてもいいと割り切っていた。普遍的なものを表現したい。けれど平凡なものではなく、ありふれたものをありきたりに捉えたくはない。
恋を知らない者は恋を表現することはできないのだろうか。世界はイマジネーションであふれている。夏音はイメージして、目に見えるものを捕らえて表現する。
物語に出てくる他人の恋で十分だと思っていた。それは今でも変わらない。
しかし、最近になって思うのであった。
自分と年が近い少年少女たちが営む恋のエピソード。肌に感じられるほどリアルで、ありきたりと言われるような失恋の話でも、今まで触れたことのない現実としてそこにある。
昨日まで彼氏という称号だった友人がそうでなくなっている。ミスター彼氏はそれまで彼氏ではなかったのに、その称号を失ったすぐの彼はどこか人が変わったようになるのだ。
彼らのちっぽけな恋物語に友人やただのクラスメートが巻き込まれることもある。
そんな日常のストーリーに接して、夏音はこのような出来事が世界中のどこでも、あちらこちらで発生しているのだと改めて気付いた。
自分がひっそりと息をしている世界に初めて外からの刺激があった。夏音としは友人に良い出来事が訪れればいいと思う。
しかし、今回ばかりはそれが叶えば他人事ではいられない。
万が一にでも澪と裕也が恋人という関係に収まったら、それまで当たり前だったことがずれていく気がした。
毎週、夏音の家を訪れてベースを教わりにくる澪。客観的に見れば、男と二人きりという状態で密室にいる時間である。
自分の彼女がそんな習慣を持つことをどう思うのだろうか。鷹揚な裕也のことだから、特に気にしないかもしれない。
とはいえ、何だか後ろめたいものになりかねない。
やることは今までと変わらないのに、物事の性質がまるで変わってくることの不思議である。
ただ一人の立場が変わるだけで、こうも容易く変容してしまう。
軽音部と他数名が共有している秘密もある。自身の秘密についても、どう取り扱えばいいのか。
本来なら澪と裕也の問題であるはずなのに、取り巻く環境が二人だけの問題とすることを許さない。
面倒くさいと一蹴していいかとも考える。だんだんと思考の深みにはまっていき、抜けることができなくなることは問題だ。
他人のために時間を取られることは合理的ではないのだから。
とはいえ。考えずにはいられない。
「××××。裕也め……」
確実に相談相手を間違えていると夏音は思った。澪に親しい男は確かに夏音だが、そういうのは女友達を経由するのが定石なのではないだろうか。
しかし律を攻略するのは困難だろう。意外に澪に対して過保護な面を見せる律が裕也に協力的になるとも限らない。
夏音は澪とよく話す女子生徒の顔を思い浮かべた。よく考えると、それはあまり現実的ではない気がした。
「はあ……」
溜め息を一つ。広いリビングに横たわっていた夏音は勢いをつけて起き上がることで思考の海から抜け出そうとした。
食器の片付けもまだ済んでいない。風呂の用意もしていない。ついでに洗濯物も溜まっている。
こういう事は放っておくと積み上がっていく一方なので、さっさと済ませるにかぎる。
とりあえずキッチンを片付けるかと立ち上がった瞬間、メールの着信があった。
「あれ、裕也だ」
用件は想像できる。夏音は少しだけ心臓の鼓動が早まったのを感じた。
「何だろうね」
受信箱を確認して、メールを開く。その内容を見て、夏音は両の目を見開いた。
件名:サラバ\(^o^)/青春オワタ
★ ★
「っ自爆クソ野郎!」
「そうさ……俺はクソ野郎だよ!」
自嘲気味に呟いた裕也に夏音は額に井桁を浮かべる。ついつい言葉が汚くなるのは仕方がなかった。
「勢いあまってメールで告白したって何? ゆとりか! 今時の子供か!」
はたして何様なのか。どこ目線なのかは知らないがとにかく夏音は憤慨していた。というのも昨夜、裕也からメールで報告があったのだ。
メールでの会話が思いもよらず弾んだことで、早まった裕也は何を思ったのか「今! いける!」と勢いのまま告白メールを送ってしまったそうなのだ。
結果は、惨敗。ごめんなさいの一言に動揺した裕也はそこで改めて自分がしでかしたことの重大さに気付き、壁に頭を叩き続けたという。腫れ上がった額が生々しい事実を示している。
「くそ……俺のバカ野郎! 裕也と書いてクソ野郎だよ! とんだ早漏野郎だ! 死んじまえばいい!」
全力で自分を罵る裕也の目にぼろぼろと浮かぶ涙に夏音も心に落ち着きを取り戻してきた。その様子があまりに憐れだったというのもあるが、昨夜あんなにも悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきたのだ。
しかし、
「俺の悩みを返してよ!」
「え、何だっておまえが悩むんだよ?」
「悩んださ! 裕也が好きだって言うから、こっちも悩んだんだよ!」
ざわり。
「ちょっ!? 立花くんお声が大きいわよ!? 多大な誤解がガチで生まれそうだから!」
廊下にいた生徒が二人を見てひそひそとどん引き模様。小さく「うわぁ……」「まじ?」「え、これなんて愛憎劇?」「朝っぱらからやるなー」
裕也は赤面を通り越して真っ青になっていた。誤魔化すようにわざと声を立てて「夏音くんにはー、えー、相談にのっていただいたことに非常に感謝しております!」
政治家のようなトーンで声を張り上げる裕也。
何だよ、とつまらなさそうな反応がちらほらと見えたので裕也は胸を撫で下ろした。
そんな裕也の心境などかまわず、夏音は腕を組んでむすっとしていた。
実を言うと、夏音は裕也からのメールの後すぐに澪から電話相談を受けていたのだ。
『あの、夏音………飯島くんから告白された』
静かにパニックを起こしていたのだろう澪の声は震えていた。夏音はその時ばかりは「あちゃー」と友人の愚挙に頭を抱えた。
「何て言うか裕也、さ」
「うん」
「無理じゃないか?」
「言うなよ~!」
わっと顔をおさえて泣き崩れた裕也。夏音は複雑な心持ちでぽんと肩に手を置いてやった。
色々あったものの。この後の澪に対するケアなど諸々が面倒ではあるものの。
こんな風に男の友情を育むのも悪くない。そんな自己満足に浸っていた夏音であったが、だんだんと裕也のそれが本気の涙だということが分かったので、面倒くさくなった夏音は彼を放置して教室に戻るのであった。友情とは時に儚いものである。
「いやー。昨日澪から『告白された!』って聞かされた時は、しかし大それたヤツがいたもんだなー、」
当然のごとく話題になったその事柄に対して律は感心したような口調で切り出した。
「とか思ってたら裕也って……どう反応すればいいのか困ったわ」
苦笑して、笑い話にしようとする。一方、澪の表情は暗い。どん底に落ち込んでいるとまではいかないが、暗い顔をしたまま律の言葉に耳を傾けていた。
「びっくりしたのは私だよ。だって、あまり話したこともないのに急なんだもん」
「澪ちゃん美人だからね~」
唯が的外れなのかよく分からない発言を挟んだ。
「それってぶっちゃけ顔が目当てってことだろ。あ、澪の場合は顔以外にもお目当てのものが……へっへっへ」
好色親父のようににたりと笑う律に澪は鋭い視線で切り返す。冗談抜きで睨んでくる親友に律はさっと視線を逸らした。
「まあまあ。こういうのはお互いの気持ちが大事ってやつで―――」
夏音が差し障りのない言葉でその場を濁そうとするが、女性陣に「わかってないなー」という眼差しを送られて怯んだ。先程から好き放題言っていたのに自分だけこの仕打ち、と夏音は匙を投げかけた。
「澪ちゃん元気出して?」
ムギが澪の皿の上に苺タルトをのせて、はげましの言葉をかける。
「うん、ありがとう。別にもう終わったことだからいいんだけど、やっぱり悪い気がして」
「はぁー。やっぱり澪はすかぽんたんだな」
「すかぽんたんってどんな語彙だよ」
深い溜め息と共に出てきた単語に夏音は思わず反応した。律は夏音に取り合うことなく、真剣に諭すように澪へ語りかけた。
「あのな。ふったことで気まずいのは分かるけど、それって誰が悪いってなる問題じゃないぞ? 別に裕也に悪いところがあるわけでもないし、あいつの気持ちに応えられなかった澪が気にすることなんて何もないんだし」
「そうだよ澪ちゃん。私なんて男の子に告白されたことなんてないよ?」
唯の明かした事実に、意外なようで納得した一同だった。
「そうかな」
周りから送られる励ましに澪も思うところがあったようだ。
「そうだよ。よくある話さ」
夏音がまとめるように言うと、澪の表情が少しだけ明るくなってきた。
「うん、飯島くんには申し訳ないけど。もう気にしないことにする」
やっとその言葉を聞けて、四人はほっと息を漏らす。ただし、夏音はこんなにも早くフッた相手のことを忘れるものなのかと女子のたくましさというか切り替えの早さに戦々恐々とした。友人に幸あれ、と十字を切った。
「あ、ところで。澪は何て言って断ったんだ?」
「え? ごめんなさい。飯島君のことはそうやって見れないから友達でいましょう、って」
「うわー。ヒデェ! お友達発言っていちばん傷つくって話だぜ?」
律はかつてのクラスメートのことを気の毒に思った。異性をフる上でのテンプレートとなっているが、その言葉に含有される絶望と希望の響きはフられた人間をずたずたに傷つけるという。友達だから、もしかしたら今後の展開次第ではと思うか。友達だから、それ以上の関係になるつもりはないという拒否を突きつけられているのか。どう受け取るかによるが。
「こんにちは! 遅れてすいません!」
梓が部室にやって来たところで、この話はおしまいになった。
「あの皆さん! 次のライブっていつにするんですか!?」
全員に菓子とお茶が行き渡り、一服ついた途端の梓の発言にそれを受けた上級生たちはぽかんと顔を見合わせた。期待に満ちた瞳から満遍なく放たれるキラキラにある者は「うっ」と眩しそうに目を細める。
「次……ねえ?」
ちらりと窺うような視線が誰かに向けられると、「ねえ……?」それを橋渡しするようにまた別の者へ。ねえ、あなた? 子供に微妙に答えづらい質問をされた奥様方が旦那にまるっとぶん投げるソレを彷彿とさせた。
「ねえ……?」
最終的に梓への返答義務をめぐった視線の受け渡しは案の定、夏音へと回ってきた。次へ回すのは不可能。何しろ全員があらぬ方向へ視線を泳がせて阻止している。
仕方ないと諦めた夏音はウキウキした様子の梓に薄く微笑んだ。
「次のライブは……未定です」
「え。じゃ、じゃあこれから話し合うんですね!?」
「話し……合う予定を、これから立てようかなと検討してたり……」
予定を決める話合いの予定を話し合う予定だった。こんな理屈があるはずがない。夏音の煮え切らない返答に眉を顰めた梓。彼女の周りに浮遊していた光は灰色のモノトーンへと様変わりした。
「する気……ないんですか」
「そ、そんなことないよ! バリバリあるよ!」
唯の取って付けた回答に見向きもせず、梓はじっと視線を律へと見定めた。その冷え切った眼光の鋭さに律の額にたらりと一筋汗が通る。
「律先輩」
「な、なんじゃー?」
「軽音部の活動計画ってどうなってるんですか?」
「あ、計画? 計画~ケイカク~は、と。計画は順調だよ」
「どこがですか!? 一度もその計画を聞いた覚えがないんですけど!」
梓の指摘は最もである。誰もがそんな計画を立てた覚えがない。
「ライブしたいなーとは思ってるんだけども。なかなか場所がなぁー」
苦し紛れに律が吐いた言い訳に梓は冷静に返す。
「それならライブハウスでやるというのはどうでしょう?」
「ライブハウス?」
あまりピンとこない様子でムギが首を傾げる。
「ライブハウス、か」
隣の澪もその言葉を反芻してみせるが、どこか浮かない様子であった。梓はそんな二人の反応に何か失言だったかと口を押さえた。
「あ、あの。何かダメな理由があるんでしょうか?」
「いや。ダメではないけど……学校の部活動として外のライブハウスっていうのがしっくりこなくてな」
それに賛同するように律が頷いた。
「ノルマ代とかもあるし、部活動って感じじゃないよなー。毎回部費でやるわけにもいかないし」
大抵のライブハウスではチケットノルマが存在する。ギャラを貰って演奏する立場でない以上、バンド側に発生する課題の一つである。売れているバンドであれば、全てのチケットを捌いた上で追加分が売れたらバックとして返ってくることもあるが、軽音部が今すぐライブハウスに出演したとしても、それは叶わない。
「高校生だから安くしてはくれるだろうけど、頑張っても月に一回かな。みんなでお金を出し合ってライブするって感じだろうし、簡単に踏み出せないんだよなあ」
さらに律は小遣いも限界あるし、とぼやく。
大勢の反対を受けて梓が肩を落としかけた瞬間、夏音が決定的な言葉を放った。
「ていうか何より俺は絶対にいやだよ。お金を出してライブハウスでライブ……それは、いや」
お金を貰って演奏する側にいた夏音。そのワガママとも取れる発言は彼のミュージシャンとしての矜恃なのだと思われた。
「いや!」
じっと見詰めただけでこの過剰反応である。
一番強引だが、説得力のある言葉に梓は完全に諦めることになった。
「たまにノルマ代ない時とかもあるらしいんだけどさー。それって相当そのライブハウスの常連バンドとかじゃないとダメらしいし、私らには現実的じゃないっしょ」
締めくくるように律が言って、議論は終わりに。
なるかと思ったのだが。
「でも、ライブハウスでなくてもライブはできますよね」
「わぉ。あずにゃん、そのハングリーな精神はいいと思う! ナイスハングリー!」
「茶化さないでください!」
唯に厳しい視線を浴びせ、梓は続けた。
「学校でやるのとかはどうですか? あんまり長くはできなくても、二曲くらいなら……」
「えー。お昼食べたーい」
早速ブーイング。梓はその小さな拳を握りしめ、ぷるぷる震えた。
「お昼くらい早弁したらいいじゃないですか!」
「梓ちゃん……女の子の発想としてそれはちょっと……」
流石に物申したムギであった。ちなみにそう言う本人は早弁に憧れた末、一年の時に体験済みだったりする。周りに笑われて恥をかいた経験からの説得力に、梓も黙ってしまった。
「よしよし。わかったよ梓。梓がライブしたいのはよ~くわかったから! ちゃんと話し合おう! な? 冷静に! 落ち着いて、さ」
長引きそうな気配を察知した律がそう言って梓をとりなだめる。不承不承といった態度で梓は大人しく椅子に座り、次の律の発言を待った。
「じゃあ、これを飲み終わったらこれからのライブ予定を決めようか」
「はいはいさんせー」
「今日はお茶請けをたくさん持ってきたの」
「あ、PSP充電しよっと」
その後、何だかんだとダラダラと過ごし続けた軽音部。ずるずるとティータイムを引き延ばす上級生組の圧倒的な才能に梓は結局、再びライブの話を言い出すことができなかったという。
だらける才能において、軽音部の右に出る者はいない。
※短くてすみません。本当は前半部分は前回に入れるはずだったのですが、予想以上に長くなったので二つに分けました。