「ひ……ひぃっ!!」
梓は、何で今さらそんな反応が自分から出てしまったのか理解に苦しんだ。
実際に「事」が起こったのは、起こり始めたのは三十分以上も前の話なのに。
ぶるりと体を震わせる梓にちらりと視線を向けた澪の眼差しは慈愛に満ちていた。
あれは、そう。とっくに何かを受け入れている目だ。
梓は視線をずらして律を見た。
この「事」に関して、専売特許を誇ってしかるべき彼女は口を固く閉じて押し黙っていた。つい今の今まで他愛無い話に没頭していたはずの彼女は、やや顔を青ざめさせ、先ほどから絶え間なく聞こえてくる音に耳を傾けていることが雰囲気から分かる。
テンポコントロールが命のドラマーからすると、余計考えたくない事態なのだろう。
この場に唯とムギはいない。唯はお隣のおばあちゃんが育てている野菜の収穫を手伝う約束だとかで部活に顔を出さずに帰った。ムギは家の用事らしい。
二人がこの場にいれば、単に感心するだけのような気がした。
澪の手元にある一つのメトロノーム。そのボリュームのノブを回したばかりの澪の手は、そのままの形で固まっていた。
いくら慣れている澪でさえ、平静ではいられないようだ。
絶え間ないベースの音。楽譜に表したらオタマジャクシ同士の隙間が皆無であろうフレーズを繰り広げている中、それを弾く人間の様子はまさに揺るぎない。
こんな超絶フレーズをずっと集中して弾き続けていられることでさえ、驚嘆に値するというのに。
弾き始めてから、一切テンポが変わっていないのだ。
BPM一つ分のズレもない演奏は、音の連鎖としか言いようがなく、人の奏でる音とは思えない。
「ほんと……機械仕掛けだよな」
律が苦々しげに言った言葉が一番ふさわしく思えた。
梓が軽音部に入ってから驚かされることは多々あったが、その中でも群を抜いている。むしろ、これ以上驚くことはないと思っていた心を抉るような攻撃だ。
「あいつ本当に体内にメトロノーム入ってるんじゃないか?」
未だに演奏を止める気配のない夏音を指さして、律がげんなりしながら呟いた。
「もし、そうだと言われても驚かないな」
「バケモンだな」
仲間を指して化け物呼ばわりはあんまりだが、梓はその呼び名に納得してしまった。
「これ、の意味って何でしたっけ」
三人だけに微かに聞こえる程度の音で正確なテンポを刻む電子音。電子メトロノームは自らの仕事を忠実にこなしている。
どちらが機械か、分かったものではない。
事の次第は、こうだ。
四人がお茶を囲んで話しているうちに、ふとリズム感の話題になった。そこで各々の練習に関して話が広がり、特にメトロノームを使った練習について律が饒舌になった瞬間、夏音が鋭い一言を放った。
「律はどうしてそんなにやってるのに、リズムキープが甘いんだろうなあ」
「うぐっ」
直球で痛いところを刺し貫かれた律は、なけなしのプライドで反論した。
「そういう夏音はどれだけ完璧だってんだよ」
そんなのは愚問だった。一年間、共に音楽をやっていたら目の前の男がリズムやテンポといった部分で失敗することなどなかったことくらい分かっていた。
いわば、子供が返す言葉がなくて「じゃあお前はできんのかよ!」と口にするようなものだった。
しかし、律の意志は相手には伝わらなかった。
彼女にとっては、そのまま冗談を言い合って終わらせてくれればよかったのだ。
「ふーん。それなら、君たちにはまだ見せたことなかったよね。ヒューマンメトロノーム」
「ひゅ、ひゅーまんめとろのーむだとう!?」
「良い反応をありがとう。じゃ、今からやるよ」
夏音がやったこと。まず最初に指定したBPMでベースを弾き始める。
そのBPMに設定したメトロノームをボリュームを絞った状態で開始させる。行儀が悪いが、足で本人がスイッチを入れた。
この時点で、自分の演奏が指定した速さと一致しているか、一致していたとしてもそれがずっと変わらずに続いているか確認することはできない。
それから、そのメトロノームは机に座る三人の手前に置かれる。
自分は練習がてらずっとベースを弾いているから、好きなタイミングでボリュームを上げてくれ、と夏音は言った。
どんなタイミングでも良い、と。
一時間後でも、三分後でも。
梓は椅子に座りながらも、夏音のベースに耳を奪われていた。普段の彼のプレイとは違ってどこか表情が乏しい音だったが、その超絶技巧だけでずっと聴いていられそうだった。
澪と律の二人は夏音の言葉に甘えて、何気なく会話を始めた。梓はとてもではないが、その会話に混じることなどできなかった。
すぐ側にあるメトロノームが気になる上、夏音の演奏をただの会話のBGMにしておくなどもったいなくてできない。
飲み終えたマグカップを手で弄りながら、メトロノームと夏音を交互に見る。
そして「ふぅ」と息を漏らした澪が、緊張した様子でメトロノームのボリュームを上げていく。
梓と律はメトロノームに顔を寄せ、耳を澄ませた。
そして冒頭に戻るわけである。
「ふう」
ベースを置いて梓の正面に戻ってきた夏音はしれっとした態度で冷め切ったお茶を啜った。
「夏音先輩は……」
「うん?」
「いえ、何でもないです」
先程の演奏は、むしろメトロノームが彼の演奏についていっているような錯覚を覚えるほどのものだった。機械的に動いているのはメトロノームなのに、どこか健気に思えたのがおかしい。
本当におかしいのは、目の前の男なのだが。
「と、こんな風にできても実際の演奏が百倍よくなるってわけじゃないんだけどね。一人でやってる内はいいけど、他人と一緒にやるとどうしても微妙な揺れが出ちゃうから。そこが面白かったりするんだけど」
流石、一流のミュージシャンは言うことが違うと梓はその言葉を一言一言噛みしめた。得意気に語っていた夏音だったが、あまりに真剣に頷く梓を見て口を噤んだ。
「あの、梓……瞬きしないと目乾くよ?」
「え? すみません」
「熱い視線だったなあ」
からかいの言葉を投げかけてくる律の言葉に梓は赤面した。じっと凝視しすぎていたようだ。
「梓は勉強熱心だよな」
澪が感心したように言う。梓は真っ正面から褒められて、何だか気恥ずかしくなってきた。
「あんまりこいつの言葉をまんま呑み込まない方がいいぞー? もう感覚が一般とはかけ離れてんだから」
「相変わらず口悪いなー」
「なんだよ褒めてんじゃん」
律がどんなつもりで言ったか定かではないが、確かに一理あると思われる。自分のような人間とでは、何もかも感覚が違うというのは納得できる。
梓は努力を積み上げても機械のように性格なリズム感を手に入れるまでかかる時間は相当なものだと思った。
夏音曰く同じことをできる人が世界には何人もいるのだそうだ。絶対音感が才能によるところが多いとするならば、こちらの方は確実に努力で手に入れられると豪語した。
絶対音感も後天的に手に入れる人もいるらしいが、確かに音感だけはどれだけ努力すればいいと言われても腑に落ちないところがある。
「別に俺は最初から細かい音の違いとか分かってたわけじゃないよ。音感はやってる内に身についたけど、こんな風に寸分違わないリズム感を手に入れるまではかなり時間がかかったもん」
「夏音先輩も……?」
「ははっ! 何言ってるんだよ梓。当たり前だろ?」
快活に笑う夏音の笑い声が何故か耳のすぐ側で響いたような気がした。目から鱗だった。
最初から上手い人はいないのに、どうしてか自分より完成されている人を見れば、その人が同じ道筋の遠い先にいるだけだということに気付きにくい。
「私も、できるでしょうか」
「え? 梓、さっきのやりたいの?」
律がきょとんと目を瞬かせて梓を見詰める。
「夏音先輩みたいに弾けるでしょうか」
「俺みたいに? それは無理じゃないかなー」
返す言葉にぐっさり心臓が射貫かれた。
お世辞や取り繕うような言葉が欲しかったわけではないが、こうきっぱりと言い切られてしまったら立場がない。
梓がどんよりと暗いオーラを出して落ち込むと、夏音はそのまま真剣な口調で続けた。
「俺の音は、俺しか出せないもん。単純にテクニックなんて磨けば誰でも身につくよ。梓が俺の年になるまでに、今の俺と同じだけのテクニックを身につけることは難しいかもしれないけど」
それは自惚れではない。慢心ではなく、自信。彼が築き上げてきたものが彼に持つことを許すプライド。
梓は、彼が生まれてからずっと重ねてきた努力に一朝一夕で追いつけるなどとは、微塵たりとも思わない。
「それに、俺だってまだ自分だけの音を探してる途中だもん。いっぱい試して少しずつ模索してる最中だよ。言ってしまえば、俺は……俺自身でさえ、自分だけの音を弾けてないんだ。本人が辿り着けてないのに、他の人に真似できるはずないだろ?」
気が付けば、澪と律も真剣な眼差しで聞き入っていた。夏音の言葉はそれほどまでに他人の関心を惹き付ける。
彼の語る言葉は何故か聞かずにはいられないのだ。彼の生き方や考えが滲み出た言葉は、未知との遭遇を果たしたような、未見のものに出逢えた時に感じるような鮮烈な感覚を与えてくれる。
やっぱり、周りにこんな人間はいなかった。
ぞくぞくと背筋に伝わる電流みたいな衝撃。こんな感覚を自分はあと何度味わうことになるのか。
鳥肌が立ってしまった。
「あー、ムギがいないからお茶が美味しくない」
誰も返す言葉がない中、夏音は冷め切ったお茶に対して顔をしかめた。今日、淹れたのは言っている張本人だったが。
そのおかげか、場の空気が少し和らいだ。不和が起こったりしたわけではないが、どこか空気が張り詰めていたようだったのだ。
ふと、梓は気付いてしまった。
隣り合ったままの澪と律。二人がどうしてずっと黙っていたのか。
おそらく。今まで何回もこのような空気になってきたのだろう。
そして。それでも。二人は慣れていない。
雰囲気を元に戻すのは夏音の役目。彼女達は、こういった時に彼に返す言葉が見つからないのだ。素直に褒め称えることがおためごかしのようになってしまわないか、一丁前に自分の意見を言い返すほどの自信もない。無理に口を開いても虚勢を張っているように思われないか不安。
そんなことがいちいち梓の頭によぎる。
誰も夏音の言葉の後に続くふさわしい言葉を持ち合わせていない。
悔しい。自分の中に確固たるものが無いことが恥ずかしい。
おそらく、梓は自分がぎこちない笑みを浮かべているだろうなと思った。このように曖昧に笑うことがあらゆる感情を表さない方法だと自然に分かっているのだ。
尊敬もしていて、夏音という男に傾倒しているのに。こんな心の動きは不思議な矛盾だった。
「さ、さすが夏音は言うことが違うなー。私も見習わないとな」
その時、澪が上擦った声で言った台詞が梓を驚かせた。澪の声は少しだけ震えていて、その言葉を口にすることに尋常ならぬ思いを忍ばせているように思えた。
「やっぱりそれだけ考えてないとやっていけないものなんじゃないか? 私なんて音楽やるのにそこまで深く考えてないけどなー」
澪の言葉を援護するように律が次の言葉を紡ぐ。
「律はもう少し真剣に考えた方がいいんじゃないか?」
夏音が笑い混じりに律に言うと、律は目をぐわっと見開いて反論した。
「私だってアレコレ考えとるわ! まず、ドラムは手足をよく使うだろ? 体も動かすし代謝がよくなって老化防止に―――」
「そんな理由かっ!?」
澪が思わずキレのいいツッコミを入れる。
「ついでにあまり太らなくなるな」
「…………」
「澪。今、ちょっとだけ『私もドラムやってみようかな』って考えただろ」
「そ、そんなことない」
「秋山さんも演奏中にもっと体動かしたら~!? 上半身を振りまくってこうバインバインで客を―――」
「ひっ!?」
調子に乗った律が澪の胸部にいかがわしい視線を浴びせると、澪は悲鳴を上げて胸を覆い隠した。そして、その様子を意図せず眺めていただけの夏音をきっと睨む。
「か、夏音っ! どこ見てるんだよ!?」
「え? いや、別に何も……」
「もぉ~夏音くんもおとしごろね~。ね~?」
律の冷やかしに夏音は勢いよく椅子を後方にぶっ飛ばして立ち上がった。
「何で律はいつも俺を変態に仕立てあげようとするのかなっ!?」
「え? 後輩にじわじわと印象づけるためです」
急に真顔に戻った律。
「たち悪いなっ! ほんとヤメテくれよもう! 梓が勘違いしちゃうだろ?」
「かん……違い?」
「何、そのガチで驚きましたみたいな態度」
「いや、別に……いずれ分かるだろうし」
「だから何が!?」
「夏音は……破廉恥だ」
涙目の澪がぽつりと呟いた言葉に梓は思わず大声を出してしまった。
「は、はれんち!?」
その語彙のいかがわしさ。けれど、ひらがなで発音するとどこかポップでキュートな印象になる。
そんなことはどうでもいいが、先程から急展開を見せた会話内容に梓は愕然としていた。
「か、夏音先輩が……そうなんですか?」
「チガウよ梓。チガウ!」
「まあ、直接的な害はないから安心していいよ?」
律の爽やかな笑みとセットで出てきた言葉に梓の表情が青くなっていく。
「ほんとヤメテ。お願いだから、梓も真に受けないでよ」
「そ、そうですよね。冗談に決まってますもん!」
結局、人は信じたいものを信じるのだ。梓は律の言葉がただの戯れの一つだということで納得しようとした。
「まあ、半分冗談だけど。でも、一年の時にさ。クラスの男子で固まって話してるから何だろうと思って近づいてみたんだよ。なんと、真っ昼間の教室で猥談だよ! そして、その輪の中にちゃっかりいたのがこの男」
人差し指を向けられた夏音が激昂するかと梓は思ったが、意外にも気まずげにすっと視線を逸らした。
「ええーっ!?」
「馬鹿やろう! 男だったら猥談の一つくらいはするさ!」
「あ、開き直った」
「開き直ったな」
何故かキレ始めた夏音は堰を切ったように捲し立てた。
「忘れてないと思うけど、俺だって男だよ! 女の子にめっちゃ興味あるよ! 今まであんな話する相手がいなかったからついつい楽しくなっちゃったよ! 恥ずかしがってたらクラスの友達がこう言ったんだ。『カマトトぶってんじゃねえ! お前も男ならこういう話が好きに決まってる!』ってね」
「その友達はどうなんだろう……」
「そしてこう言ってくれたんだ。男なら、嗜みの一つだってね」
「………あぁー……そうか」
律は何か言おうとして言葉を探ったが、ふと表情を落とすと一言だけ返すに留まった。
「あの、どういうことなんですか?」
訳知り顔で同じように気の毒そうな顔をしていた澪に声を潜めて訊く梓。澪は梓の耳元に顔を近づけて、こう言った。
「ほら、あいつって外見があんなだろ? だから『男』っていうのにやたらとこだわっていてさ……男だったら、っていうのに弱いんだよ」
「へ、へえー」
それを聞いても何て反応してよいのかわからなかった。ちらりと夏音の方を窺ったが、耳が良い彼は明らかに聞こえているはずなのに、知らん顔してあらぬ方向に顔を向けていた。
何だかその姿が痛々しく思えて、梓はうっかり涙しそうになった。
「まったく。人を貶めようとするなんて性格悪いな律は」
腰を下ろして腕を組む夏音の態度はどこか尊大な感じがしたが、その鋭い目線の矛先にある律はどこふく風とばかりに聞き流していた。
ふんと鼻を鳴らすと夏音はティーポットから新たにお茶を自分のカップに注いだ。顔をしかめながら、まずいと評したお茶をすする。
梓は急に言葉が消えた空間に気まずそうに身動ぎした。しばらく様子を窺っていると、大きな欠伸を漏らした夏音が目尻に涙を浮かべながら言葉を発した。
「することないし、帰らない?」
軽音部としての根本を覆すような台詞だったが、他二人の先輩はあっさりとその意見に賛同した。
「まあ、ムギも唯もいないしな。そうするか」
「あ、律。私、今日は本屋寄って帰りたい」
「いーよー」
梓が唖然としている間に、三人はぱっぱと後片付けを済ませて帰る支度を整えてしまった。
「ん? どうした梓?」
「あ、いえ。別に……」
「………?」
しばらく不思議そうに梓を見詰めた律だったが、はっと顔色を一変させた。
「も、もしかして『チッ、今日もこれかよ。やっぱ軽音部やってらんねー』とか思ってるんとちゃうか!?」
「律先輩の中の私は一体どんな人間ですか! ちがいますよ!」
思わず勢いよく立ち上がり否定する梓に明らかにほっと胸を撫で下ろす仕草をする律。
「よかったー。また振り出しに逆戻りかとヒヤヒヤした」
「今日はムギ先輩も唯先輩もいらっしゃらないのでしょうがないって分かってますよ」
「本音は?」
「………ちょっとくらいは練習したいです」
「そういうのさ!」
いきなり指さされた当の本人は当惑した様子で返した。
「はあ?」
「そういうの、どんどん言ってくべきだな、梓は」
一人納得する律に梓だけではなく、周りも眉を顰めた。
「いったいお前は何の話をしてるんだ?」
流石の幼なじみでもその意図はくみ取れなかったらしい。友人の謎の言動に首を傾げている。
「だーかーら! 梓は私らに対して遠慮がちすぎるんだよ! もう、せっかく仲間になったんだからもっとこう、ガンガン意見するべきなんだよ! 後輩だからって自分を押し殺していても何も……そう。何も! 建設的じゃない!」
だんだんと熱がこもる演説に耳を傾けていた一同だったが、知れずと溜め息が漏れた。それも特大の。
「まさか律の口から建設的なんて言葉が……」
「このあいだ国語のテストに出たんじゃなかったっけ?」
「そこ二人! 茶々を入れない!」
澪と夏音は目を合わせると、目を眇めた。
「この不穏な感じ、わかるかな?」
「そうだな。律がいきなりこういうこと言い出した時は大抵ろくでもないことになる」
「ほんとに失礼な奴らだなあ」
少なくとも一年間は共に過ごしてきた仲間達の言葉に少なからず傷ついた顔をする律だったが、それらを横で見ていた梓は、それこそ二人の言葉は付き合ってこそわかる部分なのではないかと考えていた。
そして、自分にとっても、この少ない期間で培われた部長への評価としてはあながち違わない。
「梓」
「は、はい?」
失礼なことを考えていた矢先だったため、急に名前を呼ばれて声が震えてしまった。しかし、そんな些細なことは気にしないのか、律は構わず続きの部分を梓へとぶちまけてきた。
「ほら。見ての通り、私は寛大だぞ? どんなことでもすぐに意見してくれてかまわなくてよ」
「は、はい。その時は、そうします」
「そうか。梓は良い子だなー」
この会話は何だろうと律を除いた全員が感じていた。
「それは、ともかく。梓が練習したいなら、俺は残って付き合うよ」
夏音の言葉に梓の顔が見違えるように輝く。
「梓はまだ全部の曲を覚えていないだろうし。直接教えた方が手っ取り早いしね」
「そ、それなら私も残ろうかな」
本屋に寄りたいと言っていた澪までもが残ると言うので、律は面白くなさそうにぼそりと呟いた。
「私一人だけで帰るのもつまんないなぁ」
「寂しいなら寂しいって言えばいいのに」
耳ざとくそれを聞いていた夏音の言葉に律は若干キレ気味に言い放った。
「一人で帰るのが寂しい!」
「威張ることか」
「まったく素直なのかそうでないのか……」
呆れた様子で呟いた澪と夏音だったが、どちらも半笑いである。何だかんだと二人とも律のこのような勝手気ままな性格を悪く思っていないらしい。
結局、その日は夏音が梓へと曲を教える傍ら、他の二人も個人練習をして終わった。驚いたことに律がメトロノームを使ったリズムトレーニングを淡々と行ったのだ。あんな離れ業を見せつけられた後だったからこそ、彼女の中に火が付いたのかは定かではないが、普段のおちゃらけた態度を一切封じ込めて練習に集中する姿は、彼女の知らなかった一面を見せつけられたような気がした。
夏音が梓につきっきりになっている横で澪はスケールに沿ったアドリブの練習をしており、時折夏音に意見を求めたりする姿は本当に真面目にベースをやっている人間なんだなと改めて評価するに至った。
帰り道の途中、夕暮れの照らすアスファルトをぼうっと見詰めながら歩く梓は今日の一日で自分が感じた不思議な感動の正体を探っていた。
いつもとは違う部活動だったからかもしれない。まともに練習した充実感のようにも思える。
しかし、それとは別の小さな感動。
それは、おそらく。今日一日で発見できた夏音や律の意外な一面だったり。夏音に直接ギターを指導してもらえたことだったり。
軽音部の空気の中に、ほんの少しだけ溶け込めた気がする自分に気付いたからかもしれない。
※ 持病……この短さで投稿しても良いのだろうか病。投稿期間が開いた後に短いお話がくると、なかなか投稿する勇気が生まれない。そして、遅れるという負の連鎖。