第四話『新入部員!』
「入部希望なんですけど」
どれほど扉が開かれるのを待ち焦がれていたことだろうか。それがやっと。おっかなびっくりといった様子で現れたのは人目で新入生とわかる新品の制服に包まれた少女であった。
その少女の第一印象は「小さい」だった。腰くらいまで長く伸ばした髪を二つに縛っているこの髪型はツインテールと呼ばれる。
小学生と言われても違和感がないくらい幼く見える顔立ちは緊張で強張っていて、あどけなさが占めていた。
これは何と言う生き物だろう。夏音は後輩というのは、かくも幼く見えるものだろうかと衝撃に狼狽えていた。ただでさえ幼く見える日本人の中でも、この少女はとびっきり幼く見える。まるでトールキンの小説に出てくるホビットのようだと思った。
じっと見詰める夏音の視線にたじろいだ少女は、堪えかねるように俯いた。その仕草や様子は夏音の胸の直球ど真ん中に突き刺さった。
「愛でたい……」
つい、本音が零れた。
「は?」
少女の表情が一変、怪訝なものになる。
胡乱な目つきになった少女に慌てふためいた夏音は誤魔化すように後ろを振り返り、部室の奥に向かって叫んだ。
「い、いや! めでたい! おーいみんな! めでたいぞー!」
「めでたいのはお前の頭だろー……って!? その子!?」
まったりとティータイムに没頭していた者たちは、ようやく訪問者の存在に気が付いたようだ。
「あ、どうも」
少女は自分が一斉に注目を浴びていることにおどつきながらも頭を下げた。
「か、か、か……」
感動のあまり言葉が上手く出てこない律は潤んだ瞳で少女の元へと近づいていく。
「か?」
謎の擬音らしきものを口にしながら、近づいてくる先輩の一人に少女はきょとんとした。その無垢な反応を目の当たりにした律は、予め用意していた言葉や態度など諸々を自ら捨て去ってしまった。
「確保~~~~~~~っ!!!」
「キャーーッ!」
よりによって咄嗟に選んだ行動が奇声を発しながら抱きつくという変態さながらの所行だとは本人ですら思ってもいなかっただろう。もちろんハッと我にかえった律はすぐさま少女を解放した。
急にその小さな体を圧迫されて咽せる少女の肩にそのまま手を置いて、
「もしかして入部希望!?」
輝く瞳はまっすぐに少女に向けられる。
「けほっ。ハ、ハイいちおー」
勢いに呑まれて目を白黒させる少女。その応えに律はガッツポーズをした。
「うおーっしゃー! やっと来たよー! カノーン!」
「律!」
たまたまそばにいた夏音の名を呼んだ律。呼ばれた夏音も気持ちは一緒だった。
「イェー」
何故かしかめ面で低い声を出し、がっしりと腕をぶつける二人。軽音部で普段からたまに勃発するアメリカのストリート仕様のノリである。ちなみに少女は一瞬たりともついていけてない。
「ほら~こっちこっち! 座って!」
夏音と律がふざけている間に唯が少女の手を取って席に引っ張っていく。座席をすっとひく澪、椅子に放り込む唯、手早く新たなティーカップを用意してお茶を注ぎ終えたムギの連携によって少女は一瞬の内にもてなされる態勢となってしまった。
当惑したまま、いつの間にか周りを囲まれた少女は出されたお茶に手を出すことも許されないまま質問責めにあった。
「お名前は何ていうの?」
「あ、中野です」
「ほんとに高校生?」
「え、それはどういう――」
「パートは何やってんの?」
「あ、えっと――」
「好きな食べ物は!?」「中学どこ!?」「ちっちゃいネー」「あだ名つけていい!?」
こんな具合に矢継ぎ早に四方八方から繰り出される質問を捌くこともままならない状態だった。
「落ち着け、お前ら」
そう言ってくれた一人の先輩に、少女は心から感謝した。
お茶を飲んで落ち着いたところで、改めて少女の自己紹介を聞くことになった。
「えっと、一年二組の中野梓と言います」
少女の名は中野梓というらしい。外見とは裏腹に落ち着きのある声でしっかりと答えた。
「パートはギターを少し」
「おっ。ギタリストか! よかったなー唯」
「よろしくお願いします。唯先輩」
そう言って丁寧にお辞儀した梓だったが、自分の言葉が予想すらしない威力を放ったとは気付かなかった。
「ふぉ~。せ、先輩……唯先輩! 唯先輩だって……」
梓はその「先輩」という響きに陶酔する唯の姿に何が起こったのか分からないといった様子だった。
「おーい帰ってこーい」
その純粋な反応に微苦笑を浮かべる律は絶対に後で自分も呼ばせようと心に誓った。
「そだ。ギター弾けるんだよね? とりあえず何か弾いてみて」
そう言って自分のレスポールを梓に渡す唯。重そうにそれを受け取った梓はぎこちなくストラップを肩にかける。
「ふ、ふふ……」
その一見初々しい仕草を見て漏らした唯の忍び笑いは全く忍んでいなかった。そんな彼女に物言いたげな他の部員達の視線などに気付かず、唯は不気味な笑いを止めない。
「愛いの~くくっ」
他の者からしてみれば、梓の振る舞いは他人の――それも分かる人には高級だと分かる――ギターに対して慎重な扱いをしているように見えるのだが、唯にとっては違った見え方がしているらしい。
「あの、私まだ初心者なので下手ですけど」
少し緊張を見せる梓に唯はどーんと胸を叩いた。
「大丈夫! 私が教えてあげるから!」
どこからその自信が湧いてくるのだろうか。そう思った者は少なくなかったが、それよりもできたばかりの後輩にはしゃぐ唯の態度は共感できるものもあった。
「ほーう? 早くも先輩風吹かせてるな?」
茶化すような澪の言葉にも「えへへー」と締まらない笑顔を返した。
「ほんとだよ。いつから人に教えられるくらい上達したのかな」
夏音の場合も同様にひやかすつもりの発言だ。とはいえ、少なくともこの一年である程度の自信を持てるくらいには唯の腕は上達している。まだまだ初心者の域を出ないが、おそらくこの新入生の言う初心者という言葉にすっかり自分が上と思い込んでいるのだろう。
まだその実力の程が明らかになっていないというのに。
「そ、それじゃあ」と言ってギターのネックを握る梓。身体に見合った小さな手にはピックすら持て余されているように見える。
誰もがその様子を微笑ましく見守っていた。きっとその心にはお手並み拝見、といった言葉が浮かんでいるだろう。
そして、どんな演奏が飛び出てきても先輩としての大らかな心で受け止めよう。
そんな心づもりでいたのだが。
梓が持つピックが六本の弦を滑るように弾いた瞬間、鋭くキレのある音が鼓膜を殴りつけてきた。
続いてスティーブ・クロッパー、ナイル・ロジャースなどのカッティングの名手を彷彿させる歯切れの良いカッティングが怒濤のように続いていく。時にパーカッシヴに弦を叩きつけ、また撫でるように優しい音へとダイナミクスをつけている。
時間にして三十秒も弾かなかったと思われる。
梓が弾き終わり、その演奏に拍手を送ったのは夏音のみだった。彼女は夏音から送られる拍手に照れたように頭を下げたが、他の先輩が揃って口を開いたまま固まっているのに気付いた。
「あ、あの……」
目を丸くしたまま表情一つ動かさない四人に、梓はだんだんと動転していく。
「すすすみません! やっぱり聞き苦しかったですよね……」
沈黙に耐えられず、つい謝罪してしまう梓に澪は慌ててそれを否定した。
「あー、いや。そういうワケじゃなく!」
予想以上に上手すぎてびっくりした。そんな風に言うつもりだったのだが、隣でぎゅっと強く腕を組んだ唯がとんでもない発言をかましたのだ。
「ま、まだまだね!」
「ええーっ!?」
つい驚きの声があちこちで上がる。本気かこの女、と誰もが唯の顔を見ると、かなり無理して笑顔を作っているのは明らかだった。
目が疲れないかというくらいに泳いでいる唯の内心など、直に聞かずとも明白である。
『ヤバイ、どうしよ』
実際、後でその通りの台詞を口にする唯だったが、その堂々としたダメ出しをくらった梓は気を悪くするどころかパァッと表情を輝かせた。
「うわー! 私、先輩のギターもすごいと思いました! もう一度聴きたいです!」
それは憧れの人を見詰める時の目だ。疑うことを知らない真っ直ぐな瞳に晒された唯は「うっ」と声に出して怯んだ。ついでに二、三歩ほど後ろに退く。
「おい、唯。いつまで見栄はってんだ?」
流石にこれ以上は面子が保たないだろうと判断した律が唯に耳打ちする。どこかで溜め息をつく音が聞こえ、そちらを見ると夏音が肩をすくめていた。
「あ、あの……」
「はい?」
「ライブの時にぎっくり腰になったから……また今度ね」
苦しい言い訳だった。後に退けぬ状況にも関わらず強引に退いてしまう姿はむしろ潔かった。
一瞬、何を言われているか理解できなかったのか梓は「?」マークをまだ頭上に飛ばしていた。この場で唯にとって幸いだったのは、彼女の言葉を梓が理解する前に「もういいから。お前どいてろ」と冷たい言葉とセットで律に放り投げられ、別に注目を移されたことだ。
「そういうのだったら、こいつの方がぴったり。夏音なんか弾いてやれよ」
ぽんと夏音の肩に手を置く律。心得た、と頷いた夏音は梓から唯のレスポールを受け取ると、梓が弾いたようなものとは趣が違うテクニカルなフレーズを叩き出した。
「う、う………ま」
それからしばらくしてギターを弾き終えた時には、若干キメ顔で佇む夏音がいた。
梓は今見た物が信じられないといった表情で目をぱちくりさせる。
「どうだー? うちのリードギターの実力は! なんたって―――」
「おい律。わかってて言うなよ」
自分のことでもないのに自慢気に言い切った律に澪が心配そうな顔をした。
「あー、そうか。ごめん、このことって今は言わない方がいいんだよな」
こそこそと言い合う二人によく分からないといった顔を向ける梓。しかし、彼女はそれどころではなかったようだ。
「せ、先輩すごすぎです……」
口をついて出た賞賛の言葉。心の底から沸き上がる凄いという感情が彼女を埋め尽くしていた。
「っせ、先輩……いま先輩って言われた!」
今まさに褒められた男は思わず口を覆った。ふらふらと膝をつきそうになるのをこらえ、机に手をつき息を整える。
「変態が割れるぞー? 気をつけないと」
マイガーと叫んで悶える夏音に素っ気ない言葉を投げかけた律は、気を取り直して梓に笑顔を向けた。
「あー、とにかく入部してくれるってことでいいんだよね?」
「はい! 新歓ライブのみなさんの演奏を聴いて感動しました! これからよろしくお願いします」
そう言って再び頭を下げる梓。あくまで礼儀正しい態度は好感を得るものであり、軽音部の人間はそんな後輩を眩しそうに見詰め、
「うぅ、眩しすぎて直視できません!」
一方でわめく唯に「こいつはダメだなあ」と呆れた。
頭を上げた梓は何か思い出したのか「あっ」と声を上げるとポケットから白封筒を取り出した。
「これ入部届です」
差し出された封筒には入部届と記されていた。
「うん! 確かに受け取ったから。明日っからよろしくね!」
「はい! それじゃあ失礼します」
首尾一貫して礼儀正しく、梓は部室を後にしていった。姿が見えなくなっても手を振っていたムギが頬に手をあてて嬉しげに笑う。
「はぁ~。初めての後輩できちゃった~。可愛い~」
今にも蕩けそうな笑顔につられて皆うんうんと頷く。
「良い子そうだったな」
「よかったなー澪。おっかない男子部員とかが来なくて」
「別に私は興味を持ってくれたなら男の子でもいいよ……ガラが悪いのとかはやだけど」
「だーよなー。ま、この学校だったらいないっしょ」
「でも、せっかくだから男の子の後輩もいいかも~」
「あの……ワタクシという男子部員の存在を忘れておりませんか」
初めての後輩に皆、興奮してきゃいきゃい盛り上がっていた。その輪の中から外れた場所で呆然と立っていた存在が怖々と口を開く。
「ヤバイよ……私どうしよう!?」
「練習しとけ」
平沢唯の特訓の日々が明けようとしていた……かはこれからの本人次第である。
★ ★
昨日の放課後、梓が帰った後のことだった。
「とりあえずお前に言っておくことはただ一つ! 自重しろ!」
びしっと指を突きつけられたのがしゃくに障ったので、夏音はその指をくいっとひねった。
「ほぇー?」
「いだっ! 暴力ふるいながら唯みたいな声出すな」
「暴力って……内側に曲げただけじゃん」
「オマエ握力強いんだよ」
大袈裟な、と思った夏音だったが続きを促した。
「つまりだな。私らはこの一年でお前の音楽に対してだけ急に悪魔のように厳しくなる姿にも慣れてる。ただ、昨日の今日で入ってきたばかりの後輩ちゃんにはきついものがある!」
「はあ……」
「むしろ、アウトだアウト。いきなりこわーい先輩に怒鳴られたらすぐに退部しちゃう危険もある」
「な、なんだって!?」
「こわーい先輩いやー。もー無理ありえなーい。今日でやめまーすってなもんだ」
梓の声を真似ているのだろうが、全く似ていない。しかし、夏音にとってそんなロークオリティの声真似に突っ込む余裕すらなかった。
「こ……こわい先輩?」
つい最近のトラウマが蘇る。つい見学に来た後輩の前で普段通りの自分を見せてしまい、どん引きさせしまったのだ。あの時、自分を見詰める瞳の中にあった恐怖の色は今でも忘れることができない。
「ど、どうすれば?」
「だーかーら。自重。じちょー、この日本語わかる? んー?」
「ジチョー。ジチョ、シマス」
律の完全になめた口もスルー。片言の外国人のような体になった夏音の顔はすっかり青ざめていた。
「いいか夏音。こういうのは最初が肝心だ。少しずーつ、だんだんと調子を上げていった方がいい。そうすれば、お前の本性を知っても耐性がつき始めてるから大丈夫なはずだ」
「そ、そうか。一級の暗殺者は幼少の頃から毒に耐性をつけるために、毎日の食事に少しずつ毒を―――って誰が毒やねんっ!?」
「お前………成長したなあ」
夏音のノリツッコミ。日々、日本を学ぶ夏音であった。珍しい物を見たなあと目を丸くした律だったが、気を取り直して続けた。
「だから最初は私達が演奏をちょっとくらい失敗してもとやかく言わないように」
「わかったよ……せっかくできた後輩にやめてもらいたくないからね」
半分以上、自分のための言葉だった気がするが、素直に頷いた夏音であった。
確かに夏音は自分でも音楽に対しては厳しく当たる節があることを理解していた。そのことがきっかけで起こった軽音部での諍いも記憶に新しい。
(自重かあ。できるだけ気をつけたいけど、咄嗟の時だったら自信ないなあ)
それでも、やるしかないのだ。怖い先輩と思われないために。
自分にとっての初めての存在をこんな所で失うわけにはいかないのである。
(とりあえず冷静にならなきゃ。何かあっても落ち着いて……)
昨日の出来事を思い出していた夏音は改めて気持ちを引き締めて部室の扉に手をかけた。
「こんなんじゃダメですーー!」
扉を開けると、そこは修羅場だった。
部室の中から響いた怒声に驚いて入ると、まだ耳慣れない声の持ち主が怒鳴っていた。何が起こったのか、夏音には全く把握できなかった。
ぽかんとした表情で、ひとまず状況を把握しようとした。
全員総立ちで後輩に怒られている、というこの状況は如何にして起こったのだろうか。そもそも、自分が怒ることを自重しようとした矢先に肝心の後輩が怒っているとは思いもしなかった。
皆、呆然とした顔つきで憤激すさまじく声を張り上げる小さな少女を見詰めている。
昨日入ったばかりである梓が怒っているらしい内容に耳を傾けると、何やら部室でティータイムを決め込むばかりの軽音部の姿勢に憤っているらしい。
「それだけは堪忍して~」
涙ながらに泣訴するのは顧問のさわ子であった。
「何で先生が言うんですかァッ!?」
怒り心頭はなかなか治まらないようだ。むしろ余計に火を点けただけのが顧問とはこれいかに。
「ま、まあとにかく落ち着い――」
「これが落ち着いていられますかーっ!」
再び、同じ台詞で怒鳴る梓。宥めようとする律の言葉にも噛みつく梓。
子猫が必死に毛を逆立てているように見える。
すると、その時。
背後から忍び寄った唯がぎゅっと後ろから抱きすくめて頭をイイコイイコしたのだ。それは幼子の癇癪を諫める母のような包み込み。
「そ、そんなことで治まるはずが」
澪は言いかけた言葉を引っ込めた。
猛牛のごとく怒り猛っていた梓は安らかな表情で怒りを治めていた。
それら一連の流れを見守っていた夏音は一件落着した様子にほっと胸を撫で下ろした。
「取り乱してすいませんでした……」
しゅんと落ち込む梓に誰もが気にしていないと慰めた。
「まあ梓が言うことにも一理あるよ」
場が上手く収まったところで、澪が皆に言い聞かせるように言った。
「私達ももっとやる気出していかないと! わかりましたね!?」
ぽかんと後ろで突っ立っている教師より教師らしい言葉に一同は「はぁ~い」とやる気なさげに返した。
先が不安になる返事だった。
土日を挟んで三日後。再び、放課後の時間となった。
夏音はいつも通りのティータイムを楽しむ面々を尻目に、ソファにごろんと横になっていた。
「結局、いつもと変わらないじゃん」
それを咎める気はないが。それよりこの現状を目にした梓がまだ噴火しないかが心配であった。
「こんにちはー」
そんなことを考えていた途端、梓がやって来た。やいのやいのと騒いでいた者達は梓の声に明らかに「びくっ」と肩を跳ね上げた。
机の前にやって来て、じとっとした目で見詰められた唯を筆頭とする律とムギは慌てて楽器を取り出した。
夏音は彼女達がいつでも梓が来てもいいように楽器を後ろに控えさせておいたのを知っていた。その小賢しい策が全く意味を成さなかったのを見て、呆れた眼差しを向ける。
しかし、夏音以上に呆れているのは梓だろう。つい先週、言ったばかりなのにこの体たらくである。
「い、今から練習するところだったんだよ! ほんとだよ!?」
誤魔化すには些か遅すぎたようだが、唯は普段では考えられないほどの迅速な動きでギターを肩に掛けた。
「ふんっ」
大きく鼻を鳴らして腕を振り上げた唯だったが―――、
「あぁ~いや~」
音色だけでなく、本人ごとへろへろと床に崩れ落ちた。
「やっぱケーキ食べないと力が出ないよ~」
言い訳にしてもひどい、と梓は思っただろう。それでも夏音はその言葉が概ねその通りであることを知っていた。
ケーキ一つでギターの腕が上下するなど普通はありえないのだが。
一口、ムギが差し出したケーキを口に入れた唯はシュタッと立ち上がると猛然と弦をかき鳴らした。
技術だけではない、何か底からわき出る力がこもった迫力に満ちた演奏に梓は驚愕を隠せない。
「う、うまーいっ!」
全力で先輩の威厳を見せつけた唯は、にやりと微笑んだ。
「梓ちゃんも食べてみなよ。美味しいよ~」
部室でケーキを食べることを否定する梓に、ケーキを薦める。
それは悪魔の囁きだった。
「はい、あーん」
フォークに突き刺したケーキを梓の口許に近づける唯。たじろぐ梓の視線は目の前のケーキに釘付けであった。
「あ、でも……」
理性が邪魔をするのか、なかなか口を開かない。そんな梓にもう一押しとケーキを近づける唯だった。
「ほれ」
「………あむ」
仮にも先輩の差し出す物である。観念したのか、梓はケーキを口に入れる。
「お、おいしい」
「ん~? なんだって~?」
ふと零れた言葉を聞き逃さなかった律がニヤニヤ笑いで梓をからかう。思わず素直な感想を口に出してしまった梓はぱっと顔を赤くして苦し紛れを吐いた。
「お、惜しいって言ったんです!」
「ふふ~ん」
結局、梓も甘い物が大好きな女の子だったと言うことだ。
これもまた、夏音が関わることなく一件落着した。
「な、何でもかんでも否定するのはよくないと思いまして!」
「へぇ~」
梓なりにこの超短期間で思い直すところもあったらしく、それらしい理由を説明したところでニヤニヤと聞く先輩組には全てお見通しだった。
バツが悪そうな顔をする梓だったが、既に誰もそのことを気にしている者はいなかった。
「ねえ。梓ちゃんはいつからギター始めたの?」
頬杖をつく唯が気になっていたらしい質問を投げかけた。以前、その腕前を皆の前で披露していたことから梓の実力は全員の知るところである。
あのテクニックは一朝一夕で身につくものではなく、長年堅実にギターを続けていた証拠である。
「えっと。小四くらいからです。親がジャズバンドをやっていたのでその影響で」
「へぇー」
「全然初心者じゃないじゃん!」
夏音はその会話に思わずドキッとした。
ジャズをよく知っている人間ならば、自分を知っている確率がぐんと高くなるのだ。ずっと隠すつもりもないが、自分の素性を話すタイミングを決めかねていたところであった。
なし崩し的にバレるのは避けたい。どうせなら面白いタイミングで、と決めていた。
「あ、唯先輩がギター始めたきっかけって何ですか?」
「えっ」
思わぬ角度から責められた唯はぎょっとしてケーキを取りこぼした。皆、一様にはっとなって唯の顔を凝視する。何故ならこの場で知らない者はいないのだ。
唯が軽い音楽と書いて軽音部だから小難しいことはやらないだろうと思い込んで入部してきたということを。さらにはカスタネットが得意だったから入部したなどとは先輩のプライドが絶賛芽生え中の唯には口が裂けても言えないだろう。
「あ、えっと……あ、そうそう! とにかく新入部員が入ってよかった!」
「なんか誤魔化した!?」
会話のねじ曲げ方には定評がある唯にしては強引な手段だった。方法を選んでいる余裕すらなかったのだろう。
「あ、そういえば」
切り替えが早いらしい梓はずっと黙ったままの夏音の方を真っ直ぐ見詰めてきた。
「そういえば、まだきちんとお名前うかがってなかったですよね?」
「え、そうだったの!?」
夏音は驚きに声を張り上げた唯に「つ、ついうっかりだぜ」と挙動不審になった。
夏音がミュージシャンとして活動する時の名前はカノン・マクレーン。いわば芸名のようなものだが、実際に夏音のフルネームの「Kanon・M・Tachibana」のファミリーネームを省いただけだったりする。
読み方が同じという時点で気付かれる可能性はぐんと上がる。
「立花……と言いやす。よろしく」
「あ、下の名前は……」
当然の質問を返してくる梓に夏音はどうしたものかと慌ただしく視線を宙に漂わせていた。
「夏の音って書いて夏音って言うんだよ。良い名前だよね!」
夏音の代わりにあっさり答えてしまったのは唯だった。
「こ、こら唯!」
「へ?」
こら呼ばわりされる理由が見当たらなかった唯はきょとんとする。
「夏音先輩、ですか。すみませんもう何日も経ってるのに」
「そ、そうだね。いや、別に気にしてないよ」
梓が特にこれといって引っ掛かった様子がなくて安心した夏音だったが、
「あの、すいません。失礼ですけど、どこかで会ったことってありませんか?」
束の間の平穏だったようだ。じっと夏音の顔を覗き込む梓は何かを思い出すように首をひねっている。
「いやー? 会ったことないと思うよ?」
上擦った声はどうしようもなく動揺している証拠だったが、梓は諦めた様子はない。
「絶対にどこかで見た覚えが……」
「お、おいおい梓ー。それじゃ一昔前のナンパだぞー? 古風だなー」
意外なことにフォローを入れてきたのは律だった。夏音の意志を汲み取った彼女はからかうように声をかけてくれた。
「そ、そんなつもりじゃ! あ、違いますからね夏音先輩!?」
そう言って顔の前でぶんぶんと手を振った梓を見た夏音は、何とか誤魔化せたことに胸を撫で下ろすと、功労者へとありったけの感謝の念を送った。
「あ、そうそう! 私、梓ちゃんにプレゼントもってきたんだった!」
唐突に話題を変えたさわ子がごそごそと懐を探る様子に梓は嬉しそうに顔をゆるめる。プレゼント、と聞いて悪い気がする者はいないだろう。ましてや部活動の顧問が入部のお祝いをくれることなど珍しい。
「ぱんぱかぱーん!」
百%のドヤ顔のさわ子が差し出した物を見た瞬間、梓の顔が引き攣る。
「こ、これなんですか?」
「何って……ネコ耳だけど?」
何を当然のことを、と言わんばかりにきょとんとするさわ子だった。
「それは分かるんですけど、これをどうすれば?」
皆目見当が付かないといった梓であったが、瞬時に背後にまわったさわ子に心臓の鼓動が跳ね上がる。
「ひっ!?」
「ふっふっふっふ」
耳の近くで響く低い笑い声に戦々恐々として、助けを求める視線を彷徨わせたのだが、
「あ、大丈夫だよ。儀式みたいなもんだから」
あっけらかんと律に言い放たれ、愕然とした。
「何の儀式ですかーっ!?」
思わず叫んだ梓は肩に置かれたさわ子の手を振り払って逃げる。さわ子は過敏にネコ耳に拒否反応を示す梓にやれやれと肩をすくめた。
「もう恥ずかしがり屋さんねえ」
「あ、当たり前ですっ! 先輩方だって恥ずかしいですよね!?」
再び救いを求めて振り返った梓は、そこで改めて自分が未だかつて味わったことのない未知との遭遇を果たしているのだと理解した。
わいわいとネコ耳を交互につけ合って楽しんでいる上級生の姿は、日本にいながら異民族と接しているような錯覚すら覚える。
カルチャーショックに膝をつきそうになった梓は震える身体をぎゅっと抱き締めて後ずさった。
「あ、あはは……私がおかしいの?」
あまりのショックにおかしいのは自分ではないのかと絶対的アウェーにおける逃避反応が出ている。するとネコ耳でひとしきり楽しんだ唯が梓に渦中のネコ耳を差し出した。
「はい。次、梓ちゃんの番だよ?」
迷いのない声だった。それが当たり前で、それ以外ないと言っているように聞こえるのだ。
梓は長い時間を使って逡巡したが、自分はこれからどう抗ってもこのネコ耳をつける運命にあるのだなと諦めた。
ゆっくりとソレを頭に持って行き、それでも躊躇う心を押さえつけてそっと頭に着地させた。
何の感情の所以かは分からないが、呻き声が止まらない。頭に載せた瞬間の予想外のフィット感に驚きもあったが、それ以上に羞恥心がかつてないぐらいに燃えさかって頬を赤くしている気がした。
「おぉーっ! すごく似合ってるよ!」
「私の目に狂いはなかったわね」
瞳を爛々と輝かせて見詰めてくる先輩と顧問に梓はもじもじと俯く。気分は公開羞恥プレイである。
「軽音部へようこそ!」
律、ムギ、唯、さわ子の四人の口から初めて歓迎の言葉が飛び出た。
「ここで!?」
しかし、これも高校生になったことへの洗礼だろうかと心に浮かべた梓はいきなり自分に抱きついてきた唯にぎょっとした。
「うふ~っ! 梓ちゃん可愛い~っ!」
すりすりと身を寄せてくる唯に困惑のあまり動けなくなった梓だった。
「ねえ! にゃー、って言ってみて! にゃー!」
無茶ぶりを平然と口にしてくる律。先輩の言うことなので、梓は恥ずかしげにそれに応じると、
「あはーーーーんっ!」
身悶える四人の姿に、この部活動に居てよいのかと真剣に検討を始めた自分がどこかにいたという。
「あだ名は“あずにゃん”で決定だね!」
「えぇー……?」
しかも、とんとん拍子にあだ名が決定されてしまった。この怒濤の急展開に梓の頭はとっくに活動を停止していた。
その後もあれよこれよと着せ替え人形にされていく梓を蚊帳の外から見守っていた夏音は心の底から初めてできた後輩を不憫に思った。
澪はいつものごとく音楽雑誌を黙読しており、こういう騒ぎに参加することは少ない。場合によっては夏音も他の部員達と共にはしゃぐのだが、今回は事が事である。
我が身可愛ければ、コスプレに近づくことなかれ。夏音は郷に入りては郷に従えの精神で「なむ!」と合掌した。
※劇場版けいおん! のOP、ED、挿入歌のシングルCDがいつの間にか発売されていたので借りてきました。久しぶりにコピーでもするかーと思ったら、ウンメイは~がびっくり。もうトムさん好き放題やってますね。あの人の作る曲のベースってなんかハマりきらないんだよなあ……でも弾いてて楽しい。超ツッコミ気味にがんがん前にいける感じですね。けど、好きなベースラインではない。面倒くさいから。だが、スケールの外し方とかはすげーなーと思う。
とにかく面倒くさいベースです笑
とりあえず半分くらいコピって放り投げました。
唯ヴォーカルでの難易度はウンメイ>>マニアック>>ウタウヨ=カガヤケ、って感じですね。
どれも個人ではできても、バンドとしてやるには難しいって感じでしょう。これでバンドスコアとか発売されて、初心者にさーコピれ! っていうのは酷な話ですよね。