※掌編となります。二年目に入る前に二本ほど、一年生時のエピソードを追加で入れようと思いました。これは本編ではありません。
「男と女」
「あの噂マジだったっぽいぜ」
「うそー!?」
いつものティータイムの最中、律と唯が声を潜めて何かを囁き合っている。クスクスと笑い合う二人が非常に気になったので夏音はその会話に何気なく加わった。
「ねえ何の話?」
「いやー実はねぇー」
にやけ面の唯が嬉しそうに反応してきた。
「うへへ。一組のうしおちゃんとうちのクラスの順平くんがね……なんと付き合っているそうなのです!!」
「な……なんだって!?」
二組の斉藤順平なら、夏音も知っている。中学ではバスケットをやって体を鍛え、さらに当時はエースだったというスポーツ少年の順平は、好青年らしいサッパリとした性格の持ち主だ。クラスにおいて比較的初期の段階から夏音にも友好的に接してくれていた人物である。
今や二組の男子は皆友達のようなものであり(断言はできない)彼とはよく話す。しかし、夏音にとってこの場合問題なのは、友人にとってのそんな重要な話を一切知らなかったことである。
「つーか何で夏音が知らないんだよ? 結構仲良さげじゃんか」
ちょうど思い浮かべていた事をぐさりと律に突かれてしまった。しかし、夏音にもささやかなプライドはある。精一杯の強がりでこう言い返した。
「そういうのはプライベートな問題だから、友達だからと言ってかならず明かす必要はないと思わないか?」
「あら~? 仲間外れの匂いがぷんぷんしゅるんでちゅけどー」
憎たらしい顔をするものである。夏音は、目の前で思い切り自分を馬鹿にする女に殺意を覚えた。
「そんなことないもんね!」
「そうかなー? だってこの情報って何を隠そう馬場っちから入手したんだけどなー」
お前か、馬場。と夏音から低い呻き声が漏れる。二組の男子・馬場やすしもまた夏音の友達のはずであった。
「や、やすしは順平と……そう、アレだ……マブダチだからね!」
「え? その時一緒にいた男子の奴らもみんな知ってたけど?」
決定打である。律は笑いを堪えるように夏音を見ている。その顔には「知らないのはお前だけみたいだな」と書かれてある。
「…………ソウカ」
しゅんと肩を落とした夏音が紅茶をすする音すら虚しい響きがした。
「ちょっとりっちゃん言い過ぎだよー。夏音くんウソだよウソ! たしかに馬場くんから教えてもらったけど、本当は慶子ちゃんから聞いちゃったんだ」
「………そうなの?」
「うん! たぶん男の子は馬場くんくらいしか知らないんじゃないかな?」
「チッ」
唯の言葉を聞くほどに明るい表情を取り戻していく夏音を見て、律が舌打ちをした。
「まったく律は。性格悪いって言われるぞ?」
そう言って話に参入してきた澪もやはり女の子だったらしい。あまり上がることのない恋愛話に耳をダンボにしていたに違いない。手元の雑誌のページは全く進んでいなかった。
幼なじみに窘められたものの、律はこれといって反省する素振りはない。おどけたように「ごめんちゃーい」と言った。
「そんなあなたに制裁!」
夏音は律が食べようとしていたタルトに素早く手を伸ばすと、彼女が抵抗する間もなくかっさらっていった。
「ああッ!?」
少し遅れて反応した律だったが、時すでに遅し。一口でいくには少し大きすぎるように思えたタルトは夏音の口にすっぽり詰まっていた。
もぐもぐと咀嚼する夏音は勝ち誇った様子で律を見返す。
「ゆ、許さんっ!」
立ち上がった律はまだ咀嚼を続ける夏音の背後に回り、その首を絞めるように腕を絡めた。
怒りのチョークスリーパーが決まると、夏音は口の中の物を吐き出しそうになる。何より呼吸ができないので、たまったものではない。
「りっちゃん新しいのあるから!」
夏音を救ったのはムギの一声であった。箱からもう一つタルトを取り出したムギに律は素早くそちらに飛びつく。
「ゴホッウボェッ」
ぐちゃぐちゃになったタルトを衆目の前に出すわけにはいかない。夏音は口の中の物を紅茶で流し込んで咽せた。
「さいあく」
冷め切った澪の一言は意外に効いた。
「それでそれで?」
その場を見事に収めたムギがきらきらとした瞳で話の続きを望んだ。お嬢様もしっかりと気になっていたらしい。
「こないだ手をつないでデートしてんのを目撃したんだってさ!」
「きゃー!」
と唯とムギが悲鳴を上げる。
「それってラブラブってやつですかね琴吹さん?」
「そのようね平沢さん」
真面目ぶった口調で戯れる二人は興奮しきっている。
「でもそういう話ってあまり今までなかったよなー」
律の感想に確かにと頷く。共学化したとはいえ、桜高は男子生徒の数が少ない。他の高校のように浮いた話というのがなかったのだ。
「なるほどねー。青春って感じだねえ」
男女の付き合い、というものは青春を構成する上で重要なファクターであるに違いない。自分はそういうものに縁遠いと思っていた夏音も他人の恋愛話には興味がある。
「付き合う、かー。中学の時は結構まわりにカップルいたよね」
「唯ちゃんは男の子と付き合ったことってある?」
「ない!」
「威張ることじゃないけどなー」
「そう言うりっちゃんはどうなのさ!? そこんとこよろしく!」
一気に注目を浴びた律は少しぎょっとした様子で、慌てたように否定した。
「ないない! 中学ん時って今以上に男子も友達って感じだったし」
「律はこれでも結構モテてたんだぞ」
澪が出した新事実にその場が一気に色めき立つ。夏音は思わず姿勢を正して、律の方を向く。
「それは真かな?」
「余計なこと言うなよ澪!」
少し顔を赤らめた律が澪に抗議する。その時、ムギと唯、夏音の三名の瞳からきらりんと怪しげな光が放たれた。
「ほほーう。りっちゃんがモテてたとな?」
「これはゆゆしき事態ね」
「神妙に語るがいいさ律!」
眉間に皺を寄せて自分を見詰めてくる三人に、律は怯んだ。
「そんなことないって! ほんとに! 誰かとそういう感じになったこともないってば!」
「りっちゃん……本当のことを言うのです。おいちゃん、本当のこと言ってくれないと困るんだよー。おいちゃんを早く帰らせてくれよ、なー?」
取り調べのつもりだろうか。律の真横に立ち机に手を置いた唯。心なしかドラマで見るような取り調べ室の頼りないデスクライトの光が見えるようだった。
「私、やってません!」
「証言があるんだ! ここで言い逃れようとしてもいつか分かることだぞ? ん? 腹減ったか? 何か取ってやろうか?」
「ハイ! カツ丼! 私、カツ丼がいいです!」
ムギが挙手して訴える。
「いや、何でムギが頼むんだよ」
「えへー。一度、やってみたくて」
ムギのボケによって取り調べ室の空気が一瞬で霧散してしまった。何故か途中までノリノリだった律は観念したように思い切り溜め息を吐いてから苦々しげに語り出した。
「別に本当に何でもないんだって。何か一回だけ告白? みたいなのされただけ」
だけ、と言うのが言い終わらないうちに「うそーー!?」という大声で唯とムギが律に向かって身を乗り出した。
「告白されたのりっちゃん!? すごーい!」
「その男の子って格好よかった? 年上? 年下? 何て言われて告白されたの!?」
大盛り上がりである。バツが悪そうにする律は嫌そうにそれらに答えた。
「いや、普通に。付き合ってみないかって言われたけど」
ムギは頬に手を当てて「まあー」と。唯は「うほおー」とよく分からない感嘆を漏らす。
じっとそれらを聞いていた夏音もショックだった。せっかく律に告白する男の子がいたというのに……
「律……もったいないことを」
「どういう意味だよー!?」
夏音はさっと目を逸らした。まさかこの先、もう無いんじゃないかとは言えなかった。
「ふん。律のこと全然知りもしないのに、何となく告白しただけって感じだったよ。好きになった理由が可愛いし元気だから、だって。そんな理由で付き合うなんて馬鹿みたい」
それまでムスっと黙っていた澪がぺらぺらと口を開きだした。
「澪ちゃん……」
ムギが何故か嬉しそうに横にいる澪を見る。
「な、なにその目は! 私は別に! 親友が変な男にひっかからないかなって心配なだけで!」
「澪しゃん……」
ニヤニヤして澪を見詰める唯の視線に堪えきれなくなったのか、澪は手元の雑誌で顔を隠してしまった。
「い、いやー。澪に心配されんでも普通に断ったしなー」
先ほどより、今の方が百倍恥ずかしいと言わんばかりにオロオロする律だった。
「り、律は男にも気安すぎるんだ。だから変な男に告白されちゃうんだからね!」
雑誌の影から続ける澪だった。
「なんだかお父さんみたいね澪ちゃん」
「つーか澪にソッチ方面で心配される律ってのが最高に面白いだけど」
好き放題言われてぷるぷると腕が震える澪。今、隠されたその顔は羞恥によって真っ赤に染まっているにちがいない。
「わ、私の話はもーこれでおしまい! そうだ夏音! お前こそ何かないのか?」
自分にお鉢が回ってくるとは、と夏音は軽く後悔した。今まで律を面白く責め立てていただけに、復讐を誓う彼女の瞳は爛々と輝いている。
女子とは怖い、と思うのはこういう時だ。
「ひ・み・つ」
「で許されると思ってないよな?」
即答してきた律は根に持つタイプに違いない。
「ねえ、どう思う? 俺が……女の子と二人並んでる姿を想像してみてよ。どこでもいい、ショッピングモールでも、クリスマスの街でもいい。女の子と手を繋いで歩く俺の姿を、想像してみてよ」
懇々と話す夏音の言う通り、一同は想像してみた。
しかし、脳裏に描かれたその風景はどう見ても……。
「…………………ごめん、夏音」
仲が良い女の子同士が二人歩いているようにしか見えないや、と言うだけの勇気は誰も持ち合わせていなかった。