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No.26404の一覧
[0] 【けいおん!】放課後の仲間たち[流雨](2012/06/28 20:31)
[1] プロローグ[流雨](2011/06/27 17:44)
[2] 第一話[流雨](2012/12/25 01:14)
[3] 第二話[流雨](2012/12/25 01:24)
[4] 第三話[流雨](2011/03/09 03:14)
[5] 第四話[流雨](2011/03/10 02:08)
[6] 幕間1[流雨](2012/06/28 20:30)
[7] 第五話[流雨](2011/03/26 21:25)
[8] 第六話[流雨](2013/01/01 01:42)
[9] 第七話[流雨](2011/03/18 17:24)
[10] 幕間2[流雨](2011/03/18 17:29)
[11] 幕間3[流雨](2011/03/19 03:04)
[12] 幕間4[流雨](2011/03/20 04:09)
[13] 第八話[流雨](2011/03/26 21:07)
[14] 第九話[流雨](2011/03/28 18:01)
[15] 第十話[流雨](2011/04/05 15:24)
[16] 第十一話[流雨](2011/04/07 03:12)
[17] 第十二話[流雨](2011/04/21 21:16)
[18] 第十三話[流雨](2011/05/03 00:48)
[19] 第十四話[流雨](2011/05/13 00:17)
[20] 番外編 『山田七海の生徒会生活』[流雨](2011/05/14 01:56)
[21] 第十五話[流雨](2011/05/15 04:36)
[22] 第十六話[流雨](2011/05/30 01:41)
[23] 番外編2『マークと夏音』[流雨](2011/05/20 01:37)
[24] 第十七話[流雨](2011/05/22 21:00)
[25] 番外編ともいえない掌編[流雨](2011/05/25 23:07)
[26] 第十八話(前)[流雨](2011/06/27 17:52)
[27] 第十八話(後)[流雨](2011/06/27 18:05)
[28] 第十九話[流雨](2011/06/30 20:36)
[29] 第二十話[流雨](2011/08/22 14:54)
[30] 第二十一話[流雨](2011/08/29 21:03)
[31] 第二十二話[流雨](2011/09/11 19:11)
[32] 第二十三話[流雨](2011/10/28 02:20)
[33] 第二十四話[流雨](2011/10/30 04:14)
[34] 第二十五話[流雨](2011/11/10 02:20)
[35] 「男と女」[流雨](2011/12/07 00:27)
[37] これより二年目~第一話「私たち二年生!!」[流雨](2011/12/08 03:56)
[38] 第二話「ドンマイ!」[流雨](2011/12/08 23:48)
[39] 第三話『新歓ライブ!』[流雨](2011/12/09 20:51)
[40] 第四話『新入部員!』[流雨](2011/12/15 18:03)
[41] 第五話『可愛い後輩』[流雨](2012/03/16 16:55)
[42] 第六話『振り出し!』[流雨](2012/02/01 01:21)
[43] 第七話『勘違い』[流雨](2012/02/01 15:32)
[44] 第八話『カノン・ロボット』[流雨](2012/02/25 15:31)
[45] 第九話『パープル・セッション』[流雨](2012/02/29 12:36)
[46] 第十話『澪の秘密』[流雨](2012/03/02 22:34)
[47] 第十一話『ライブ at グループホーム』[流雨](2012/03/11 23:02)
[48] 第十二話『恋に落ちた少年』[流雨](2012/03/12 23:21)
[49] 第十三話『恋に落ちた少年・Ⅱ』[流雨](2012/03/15 20:49)
[50] 第十四話『ライブハウス』[流雨](2012/05/09 00:36)
[51] 第十五話『新たな舞台』[流雨](2012/06/16 00:34)
[52] 第十六話『練習風景』[流雨](2012/06/23 13:01)
[53] 第十七話『五人の軽音部』[流雨](2012/07/08 18:31)
[54] 第十八話『ズバッと』[流雨](2012/08/05 17:24)
[55] 第十九話『ユーガッタメール』[流雨](2012/08/13 23:47)
[56] 第二十話『Cry For......(前)』[流雨](2012/08/26 23:44)
[57] 第二十一話『Cry For...(中)』[流雨](2012/12/03 00:10)
[58] 第二十二話『Cry For...後』[流雨](2012/12/24 17:39)
[59] 第二十三話『進むことが大事』[流雨](2013/01/01 02:21)
[60] 第二十四話『迂闊にフラグを立ててはならぬ』[流雨](2013/01/06 00:09)
[61] 第二十五『イメチェンぱーとつー』[流雨](2013/03/03 23:29)
[62] 第二十六話『また合宿(前編)』[流雨](2013/04/16 23:15)
[63] 第二十七話『また合宿(後編)』[流雨](2014/08/05 01:53)
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[26404] 第二十一話
Name: 流雨◆ca9e88a9 ID:a2455e11 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/29 21:03


 澪はつい先ほどまで見事なまでのオレンジ色が埋め尽くしていた空を見上げた。春の訪れを感じさせる強風は陽が落ちるにつれて冷気を孕み始め、すっかり肌寒くなってしまっている。
「すっかり暗くなっちゃったじゃないか」
 傍目にも弾力のある淡桃色の唇を尖らせて低い声でぼやく。西の空には残光が残るばかりで、ちょうど自分達の真上に向かうにつれてオレンジから濃紺へのグラデーションも見頃を過ぎてしまったようだ。
 自分の、正確には自分達、の計画が頓挫しかけていることに彼女は苛立っていた。周りを同じような速度で歩く少女達ばかりを責めるわけにはいかないが、揃いも揃ってやらかしてしまった失敗に対する気持ちはやり切れない。
(あーもう、お粗末すぎる!)
 正直、煮えたぎる怒りを緩和させるために彼女の心境をあえてコミカルに表すならば「トホホ」と言ったところである。
 いや、トホホで済むならば問題はない。それもこれも、これからの彼女達の行動にかかっているのだ。
 歩みが自然と速くなりつつあるのに気付いて澪はそっと溜め息をついた。いつの間にか仲間たちを追い抜いて随分前を独走中だったようだ。
「おい澪~。ここで焦っても仕方がないだろー?」
「そうだよ澪ちゃん。まだ家に帰ってないんなら早くついても遅くついても一緒だよ」
 間延びした声を出す二人を振り返った澪の顔はよく見えない。俯き気味なのと、街灯の頼りない光が影を作ってしまっているのだ。
「でも………なんか、気持ち的に仕方がないだろ」
 こつこつとローファーがアスファルトを蹴る音が狭い住宅街の街路に響く。その音が自分の前で止まる。
「そういえばムギはこんな時間だけど平気なのか?」
 自分のために立ち止まった彼女達に対して気まずくなったので、まさに今気が付いたと言うように訊いた。
「うん、家の人には電話したから大丈夫」
「そっか」
 その会話をきっかけに一同は再び歩き出す。青白い街灯が次の街灯へと自分達の橋渡しをする。去年の暮れにこの辺りで変質者が出没する事件が増え、その対策として青色灯が導入されたのだ。科学的根拠が明確ではないものの、青白い光は犯罪抑止効果があるという話を信じて自治体が取り入れたらしいのだが、実際に奏功しているかは怪しい。青白いとは言え、いささか青すぎるように思える。正直、不気味な雰囲気と言えなくもない。
 四人でいるとはいえ、高校生の少女だけでいることに不安が消えることはない。今までもこういう道を軽音部で歩いたことはあったが、その時はここまでの不安というものは無かったはずである。
 澪は渦中の人物は見た目はアレでも、案外しっかりと男の役割を果たしていたのではないかと今ならば思える。
 男性としての頼もしさを期待するには今ひとつだと思っていたのに、いなくなってみて分かることがここにもあるものだとますます気分が落ち込んでいった。
「澪。ほんとに大丈夫か?」
 隣に並んできた律が眉を潜めて澪に声をかける。
「あ、ああ。ちょっと考え事をしていて……この道、こんなに不気味だったっけ」
「不気味? そうか?」
「なんか青白くて……うぅ」
 自分で言っといて、体がぶるりと震えた澪は無意識に幼なじみの腕を掴んでいた。
「お、澪しゃん。コワイんでちゅねー。大丈夫でしゅねーよーよちよち」
 しまった、と思った時には遅い。常日頃から澪をからかうためにセンサーを張り巡らせている律にうっかりボロを見せてしまったからには、しばしの辱めを受けるハメになるのだ。
「ち、違うからな! 私はこの青白灯が本当に犯罪抑止につながるかを検証していてだな!」
「えー? こんな光で犯罪がなくなるかよって」
 それは、あまりにもみもふたもない言い草である。少しくらいは効果があるはずだが、何とも言えないので澪は答えるのを控えた。
「あーあー。それにしても、何か今日の私ら間抜けすぎて泣けるわ……」
「ほんとだねー」
 とぼとぼと歩く律が零した自嘲に同意する唯が苦笑を浮かべた。
 澪は口に出さないまま、まったくだと本日何度目になるか分からない溜め息を漏らした。
 夏音と重大な話をする計画を立てるべく、ひとまずティータイムと洒落込んだ彼女達はどこか浮ついた気分になっていた。
 全員が揃ったわけではないものの、自分達が一丸となって何かに向かう時の勢い、無敵感に似た頼もしさが彼女達をどこまでもポジティブにさせていたのだ。きっと何とかなる、してみせるという気持ちが強くなり、次第に落ち着きがなくなった唯が「私は少しでも時間をかけてギターに触らなくちゃ!」とギターを弾き始めると、後は「私も!」となったわけである。しまいにはヴォーカルとリードギターを抜かした状態でバンドの合奏練習に熱が入ってしまったのだ。
 ぐんと集中力を増した彼女達は今までにないほどカッチリ合う演奏に手応えを感じつつ、夏音について行けるだけの力を! と燃えた。
 気が付けば、夏音にメールを送ることも忘れて時計の長針が何周もしていた。短縮授業で、下校時刻が早まっていなかったら日が暮れてからも止まらなかっただろう。
 青ざめるのを通り過ぎて真っ白になった一同は電光石火の動きで楽器を片付け、校舎を飛び出してきたのである。
 急いで考えた文面で夏音にコンタクトを取ろうとしたが、一向に返信がない。一か八かで夏音の自宅へ向かうことになったが、家に帰っているのかさえも分からないままなのだ。一行は行き当たりばったりの行動に不安を抱えたまま、夏音の家に向かっている最中であった。
 夏音に会って一同が話すべきことは決まっていた。まず、自分達の行為が夏音を傷つけたことを謝らなくてはならない。それから自分達はこの五人で音楽をやりたいのだと言うつもりである。
 そのために、腹を割って話す必要がある。お互いの腹に隠していた些細な気持ちも、彼女達が抱えるなけなしのプライドも、全て明らかにしてしまわなくては先に進めないと少女達の意見は一致した。
 全てをさらけ出して、その先にどんな答えが待っているかは分からない。この先が正念場なのだ。




「み、澪が押せよ。押し慣れてるんだろ?」
 夏音の自宅前の玄関。誰がチャイムを押すかで誰もが迷いあぐねていると、そんな無責任なことを律が言った。
「それは関係ないだろ!」
「いいから、そのチャイムを押すのは君しかいない」
 渋い声をつくって律がキメ顔で眉間に皺を寄せる。
「こ、こら。人の手を勝手に……っ!」
 ピンポーン。
「む、ムギ?」
「そういえば私、このピンポンってやったことがなかったのー」
 琴吹紬、勇者である。
「あら? あなたたちはたしかー」
 その瞬間、インターホンから聞き覚えのある甘い声が聞こえてきた。


「Hey,girls!! カノンのお友達ねー。ちょうどよかったわ! 今、ベリーパイを焼いてるところなの!」
 と見事すぎるほど台詞の中にアメリカを感じさせる言葉で出迎えてくれたのは夏音の母、アルヴィだった。律を除けば一度だけ会っただけの美貌の人物に一同は思わず息を呑んだ。
 それから返事をする間もなく、ほぼ強引に自宅の中に招き入れられ、リビングに通されてしまった。抵抗も反論も許されないまま、ソファに座らされた一同はこの強引さはどこか自身の息子に通じている気がすると確かに感じる。
 このメンバーの中では唯一この家に通い慣れている澪は、夏音以外の家人がこの空間で動いているのを見たことがない。キッチンの方で何やら賑やかな音を立てているのが夏音の母親というのがどこか滑稽にすら感じた。何となくだが、この家に夏音以外の人間が住んでいるというのが違和感を生じさせるのである。
(滅多に帰らないって聞いたけど……)
 キッチンという空間をそこにいるだけで華やかに彩ってしまう秀麗な女性。夏音を成熟させてみればこんな美女になるだろうといった予測を現実に体現している彼女が調理器具を手にする様はどこか手慣れたものがあった。
 考えてみれば、何の不思議もない話ではある。滅多に帰らない、といってもここが家なのだ。彼女が帰ってくるのも当たり前だし、母親が料理をする光景は自然のものであっておかしくはない。
 ソファで固まる一同は借りてきた猫のように大人しい。所在なさげに室内を見回したり、もじもじと手を弄んでいたりする。どちらかというと天真爛漫というか恐れを知らなそうな彼女達も流石に友達の母親、というのに加えて外国人な上にプロミュージシャンの美女と同じ空間というシチュエーションは得意でないらしい。一つ目ならまだしも、それ以外が特殊すぎるというのもあるだろう。
「お待たせー。熱々だから気をつけて食べてねー」
 お茶と一緒にほくほくとした出来立てのベリーパイを運んできたアルヴィに律が「あ、どうも」と頭を下げる。
 ニコニコと嬉しそうに笑うアルヴィはとても友好的な眼差しを少女達に向け、可愛らしく手を合わせた。
「私、ベリーパイだけは自信あるの。日本の子たちの口に合うか分からないけど、どうぞ召し上がってちょうだい」
 妖精のごとく麗らかな美女にこうも言われたら、手をつけないはずがない。丁寧に切り分けられたパイが全員に行き渡ったところで、誰知れず唾を呑み込んだ。焼きたてのパイは見目も良く、ほんのりと甘い匂いを漂わせている。昼間からノンストップで練習を続けて何も口にしていなかったこともあって、今まで忘れていたように腹の虫が空腹を訴えるのも無理がなかった。
「い、いただきまーすっ!」
 軽音部の食欲といっても過言ではない唯が真っ先に手をつけたのを皮切りに全員がベリーパイを口に運ぶ。
「………………んっ」
「……………………」
「…………っ……………むぅ……………」
「……………ぶふぉっ……………ぐふぁっ!?」
「どうかしらー?」
 誰一人として、感想を発する者はいなかった。否、発することができる者は存在しなかった。
 無垢な瞳でこちらを見つめてくるアルヴィから全力で目を逸らし、一同はアイコンタクトを交わし合う。
(ど、どうも何も……コレ……コレっ! ナニっ!?)
(いやいやいやいや。そんなはずはない! 得意料理って言ってたもの! 全力で自信作って言ってたもの!)
(これ、食べ物なのかしら。食べて良い物としてこの世にカテゴライズしていいのかしら)
(外国の人的にはこれが普通……なはずないよね。ベリーパイってベリーがこうベリーだと思ってたんだけどー)
(全然ベリってないっつーか中何入ってんのコレ!? さっきからニョリっていう食感がひっついて離れないんだけど! 未だかつてない食感なんだけど新しいけど食感に含めてよいかわかんない物質かもだけどっ!?)
(ていうか澪ちゃん。さっきから女の子としてアウトな顔してるけどダイジョーブ? 限界まで頬袋使ったハムスターでももっと可愛い体裁を残してるよっ!)
(コレハ試練ナリコレハ試練……コレヲ越エナクチャ夏音クンに辿リ着ケナインダヨキット……)
(唯ー!? なんか解脱寸前の人みたいな顔色だよ!?)
 極限状態にて交わされるアイコンタクトの応酬は時に実際の言葉を凌駕して互いに伝わった。
「久々に帰ったから多めに作ってみたんだけど……よかったらおかわりもあるの」
「「「「っ!!!?」」」」
 死刑宣告に近い言葉が彼女達に襲いかかってきた。
 最早、彼女達の頭に警報に近いレベルでこの一言が浮かび上がる。
『夏音に会う前に死ぬわけにいかない』
 冗談抜きに夏音の顔を見る前に旅立ちを迎えそうな現状は傍目にはよく分からない彼女達の内面の闘いであった。
 表面上はニコニコと。脂汗を滴らせながら、かろうじて愛想笑いを浮かべることに成功した一同は人生最大の気力を振り絞って口に含んだ未現物質を嚥下した。
 未だかつて通過したことのない物質に、喉が、食道が、胃が随所で全力の抵抗をしたが何とかそれを抑えた。これを飲み下せば何か別の世界に行ける気さえ、した。
「た、大変おいしゅーございました」
 何とか気力を振り絞って言い切ったのは琴吹紬という一人の猛者。少女達は揃って尊敬の眼差しを彼女に向けた。
「あら、よかったー! もしかして今時の子はこういうの好きじゃないかもってドキドキだったの!」
 ペロリと可愛らしく舌を出すアルヴィの姿はとんでもない攻撃力を放ったが、次に発した一言にその場の気温が一気に下がった。
「だってカノンたらせっかく作っても手をつけてくれないんだもの。意地でも食べさせたいって思うじゃない? だから隙あらばこうして作ってテーブルに置いておくの。あ、聞いてちょうだいひどいのよ!? テーブルに他のお料理が並んでいてもパイから遠ざけるようにして食べるの! まるで私のパイが今にでも襲いかかってくるみたいに振る舞うのよ!」
 今、まさに襲いかかられている少女達は自分達の誰よりも早くこの物質の脅威に晒されて生きてきたのだと思うと、涙が出てきそうだった。
 何とか一皿を平らげた彼女達は第二波が来たら、確実にやられてしまうと悟った。
「あのっ! 私達、夏音に会いにきたんです!」
 息も絶え絶えだった律が強引に声を張り上げて本題を切り出す。あのまま彼女のペースに乗せられる、といった事態を回避できた一同はほっと息をついた。
「あ、そうよね。あの子なら帰ってからずっとスタジオに籠もりっきりだから覗いてみてちょうだい。それと今日は私が夕飯を作るから何がいいか訊いてきてくれたら嬉しいわ」


 このまま彼女に夕飯を作らせる選択が正しいのかは置いといて、真っ先にソレは夏音に伝えた方が良いだろうと思われた。お茶とパイをご馳走になった礼を言って一同は、各々で食器を片付けてからリビングを後にした。廊下に出て、スタジオへと続く階段を下りていくと、スタジオの防音扉にはめ込まれた窓から明かりが漏れていた。
 中を覗くと、軽音部では使ったことのない六弦のベースをスタンドに置いて何かの機械を操作している夏音の姿が見られた。しばらくタブレット型の機械のディスプレイをなぞったりしていたが、ベースを肩にかつぐと手元のボリュームを回した。微かなノイズがスタジオ内に満ちたのが、外にいる彼女達にも伝わってきた。
 夏音の指が弦の上を滑るように動き、響いてくる音は荘厳な光を纏って壁一枚を隔てた少女達の耳に入ってくる。指板の上で忙しなく動く指には目もくれず、じっと目の前のタブレットを見詰める夏音はどこか鬼気迫る様子である。
 じっと耳を澄ませてみれば、小節が進むごとに何かしら音の変化があるのが分かる。ブルースでもなくジャズでもない。その曲調はあまり耳に馴染まない、いわば軽音部では聴かないタイプのベースライン。夏音の即興なのか、もしくは既存の曲なのかまでは分からない。
 演奏に夢中になっていた一同だったが、ふとムギが何かに気付いた様子で声を上げた。
「これ、ショパン」
「ショパン?」
「うん。ショパンのエチュードだと思う」
 ショパンのエチュードと言えば、難易度も高い。右手も左手も忙しなく動くスピード感のある難曲に違いないが、それを弾いているのだという。
「やっぱり、すごいね」
 唯が溜め息と共にそんな感想を漏らす。
「そういえば夏音が言ってたんだけど、練習に色んな曲の初見をやるんだって」
 澪が言った。
「楽譜の存在する曲ならクラシックでもそれこそJ―POPでも。クラシックが多くなるみたいだけど、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。弦楽器だけじゃなくて、ファゴットとかトロンボーン、フルートって具合に何でも初見で弾く練習をするんだって言ってた」
「それ、ホント? クラシックなんて楽器ごとに表記も変わっちゃうし、ハ音記号とかも読めるってことになるし、すごいことなのよ!」
「何て言うか……ここまでくると、あいつってどこまでやっちゃうんだろって感じ」
 呆然と律が言うと、全員が静かに頷いた。世の中には楽譜が読めないプロミュージシャンだっているというのに、クラシックの世界にまで足を入れるとは。本当に節操なしと良い意味でも悪い意味でも評価されていた理由が分かるというものだった。
「あ、終わった」
 時間にしてみれば、三分も無かったところで演奏が中断された。一同が意を決して扉を開けようかとした瞬間、また重低音が飛び出してきた。
「あ、またショパン」
 反応したムギが言うには、ショパンのエチュードは名の通り練習曲であり、一曲ごとが短い。何番から弾き始めたのかまでは分からないが、夏音がこの勢いで弾き通してしまうつもりなら相当の時間がかかるだろうとのことだ。
「どうしよう……すごく集中しているから邪魔するのも悪いし……」
「次の曲が終わった瞬間にばーんって入るしかないかなー?」
 過激な意見を出した唯だったが、現実として曲と曲の間の僅かなインターバルを狙う他に突入のタイミングはなさそうだった。
 あのままの様子で行くとなると、夏音が「よし休憩!」と言い出すのは遙か先のはずである。

「もういーよー?」

「フギャッ!」
 色気のない叫び声を発したのは律である。完全に無防備なところを背後から自分達以外の人間(明らかに)の声がしたので文字通り飛び上がったのであった。
 もちろんこの家の中でそんな甘く魅力的な声の持ち主はアルヴィ・マクレーンを置いて他にいない。
「ア、アルヴィさん! 驚かさないでくださいよ!」
「ふふ、ごめんねー」
 淑やかな笑いの中に少しだけ悪戯が成功した悪ガキのような含みがあった。意外にお茶目さんのようである。
「あの子、放っておいたらこのまま何時間も弾き倒しちゃうから、無理矢理にでも止めるくらいでちょうどいいの」
「へ、へえー。すごい集中力ですね」
「ええ。あの子がファーストグレイドの時からずっとそんな感じよ。放っておけば一日何時間だってベースを弾いていられるんですもの」
 その言葉に一同は軽く息を呑んだ。
「プロフェッショナルってことはそういうことだったりするのよ。誰もがあの子ほど顕著じゃないにしても、ミュージシャンが下手くそだったら話にならないでしょ?」
「でも、学生をやって……ていうか、いっつも私らと遅くまで部活やってるのに練習する時間もとって、ってなると無茶じゃないですか?」
「だって、それがあの子の選んでいる道だもの。仕方ないわ」
 皆、事も無げに言い放ったアルヴィの顔を思わずじっと見詰めた。基本的に彼女達とは較べようもない親子関係なのだとしても、その言い方には少しドライな雰囲気があった。
「それでも、そんな無理しすぎたら倒れちゃうよ……」
 唯が顔を曇らせて言った。彼女としては、毎朝ふらふらになって学校にやってくる夏音の姿を見ているだけにいっそう不安になった。実際には朝が弱いのが一番の理由なのだが。ただでさえ華奢な体つきで、薄倖の美少女然としている夏音がいつか倒れてしまうのでは、と心配なのだ。
 一方、音楽業界について夏音の口からよく聞かされていた澪は別の捉え方をしていた。
アルヴィは同じ仕事をしている立場として、個人の事情が斟酌されるような世界ではないことを知っているのだ。夏音の場合は既に最大級の緩和措置が執られていることもあって、少しでも状況に甘んじるようなことがあれば、その世界から転げ落ちてしまうハメになる。そう、転げ落ちるのは夏音自身なのである。
 その責任を全て自分で背負うことによって夏音はプロを名乗っている。夏音が辛いと言ったら親がどちらかを辞めさせるように動くこともなく、そっと見守るだけだ。
 彼女が息子を溺愛していることは一度親子の様子を見ただけで理解できるはずだ。それでも彼女は息子が音楽と学業の両立を図った結果、倒れることになっても「仕方ない」と割り切ってしまうのだろう。
 澪は、子供の自己責任を容認し続ける器量があるということは、実はすごいことではないかと思うのだ。
(私だったら、自分の子供が無理しすぎてたら止めちゃうだろうな)
 あえて手を出さない、というのも難しい話だなと澪は心に思った。
「それでも、あの子が好きでやってるんですからねー。でも、ちょっとやりすぎな部分は目に余るのよ。その辺の境界を自分で分かってないからやきもきしちゃう。基本的にあの子、どこまでもマゾだと思うし」
 どエラい一言が最後にくっついたが。彼女も心配には違いないのである。
「ということで。夕飯も遅れちゃうし、なんか勝手に作っちゃうことにしたって伝えてちょうだい。ということで頑張ってきてねー」
「え、ちょっと何を……きゃっ!」
 のほほんとした声の割にガッシリ力強い腕に抱えられた少女達は一瞬の内にスタジオの中に押し込まれていた。重い防音扉を開け、四人の少女を力ずくでスタジオに放り込む。恐ろしい早業であった。
「いてて……」
「お、重いよー」
 雪崩れ込んだので三人の下敷きになった唯が悲鳴を上げる。
「そ、そんなに重かった!? ごめんなさい!」
 その悲鳴の内容がある少女のデリケートな部分にダメージを与えていたりした。
「ていうか、何やってんの君たち?」
 いつの間にか音が止んでいた。少女達がおそるおそる顔を上げると、突如スタジオ内に突入してきた四人を見詰める夏音がいた。ぱっちりとした瞳を押し広げて驚愕を露わにしている夏音に気まずく笑い合う一同はそそくさと立ち上がった。
「こ、こんばんはー」
 わざとらしく埃を払うような動作と共に精一杯の愛想笑いを浮かべる。白々しいにも程があったが、夏音はそんなことには気付かずに彼女達の来訪に純粋に驚いてしまっているようだ。
「えっと………いらっしゃい?」
 首を傾げて暢気に返した夏音も十分に混乱していた。
「い、いらっしゃいましたが……あの、その」
 何か言葉を紡がねばならないと考えた唯がとんでもない一言をその空間にぶっ放した。
「夏音くんの腹を割にきました!」
 刹那の沈黙。
「ばっ! 違うだろアホぅ!」
 律に後ろ頭をひっぱたかれた唯が「あぅ~」と床に沈む。図らずも前に出てしまった律は、何故だか自分が代表して何かを言わなければならない気がした。
「あの、だな。げ、元気してたー?」
 思わず、背後に立つ澪の膝がかくんと折れそうになる。
「昼間、学校で会ったばっかだろ!?」
「ちょっ、うるさい! ただの掴みなんだからぎゃーぎゃーリアクションすんなよ!」
「のっけから不自然の塊でしかないだろ!」
「二人とも落ち着きなよー」
「なんかお前には言われたくないな唯っ」
 さらに、そんな騒々しい三人をまあまあと宥めすかすムギも含めて奇妙な空間ができあがっていた。突如現れた少女達をぽかんと眺めていた夏音など、完全に置いてけぼりをくらっている。
「あのー」
 半ば呆けていた夏音がかろうじて搾り出した声が少女達の間に割って入る。
 ピタリ、と止む四人の挙動。ベースを置き、ゆらりと立ち上がる夏音に唾を呑み込む音が響く。
 四人は横一列に並び、立花夏音と対峙する。
 最早、夏音の表情には少女達が現れたことに対する驚きはない。端整な顔立ちを引き締め、じっと少女達を見据える。
 少女達の戯れの気配も狭いスタジオの外へ逃げていった。四対の瞳と交錯する視線。互いの間に走る沈黙はじょじょに高まり、すっと瞳を閉じた双方の人間は、微かに息を吸い込み、そして。

「ごめんなさいでしたー!!」
「すいませんっしたーー!!」
 
 世界に奇跡が起こった。
 まったくの同時だった。
 それは、土下座という。どちら側の人間の頭が先に床についたかは定かではない。いずれの無駄も省かれた一糸乱れぬ振る舞い、その挙措。一寸の隙も入り込む余地すら与えられぬ謝罪の表れ。
 世界で一番美しい土下座の形がそこにできあがっていた。この場で、頭を上げている者は一人としていない。一対四。扇形に広がった五人の形が全てを物語っていた。
 最初の一声以降に音が立つことはない。
まさしく沈黙の中にも、美あり。
 語らず、表す。
 ゲザリスト、またはゲザーが認める、渾身の土下座であった。その佇まいに哲学すら感じるほどの。
 幾ばくの時が経ったかは分からない。この光景を目撃した外国人が「クレイジージャパン!」と叫んでもおかしくない事態だったが、彼らの胸には確かに熱いものがこみ上げていた。
 迫り上がる高揚感を抑え、双方はゆっくりと顔を上げた。その所作の一つまでが磨き上げられた伝統のようである。
 そのまま正座スタイルに移行した彼らは再び互いの顔を見つめ合った。
「楽器……持ってきたの?」
 夏音が口を開いた。
 無言でうなずいた少女達は顔を合わせ、照れくさそうに微笑んだ。
「久しぶりにセッション、いっとく?」



「ルールは一つ」
 楽器の準備を整えた皆に夏音は人差し指を立てた。
「楽しむこと!」
 それは、近頃の軽音部に足りなかったものだ。お茶ばかりの活動の中で、ごく稀に始まるセッションはグダグダになりながらも笑い合って楽しんでいた。いつしか、そんな風に音のやり取りを楽しむ機会はなくなり、ひたすら目視できない先のことばかり考えるようになったのだ。
「あのね、夏音くん」
 唯がジャッとGのコードを鳴らした。その瞬間、何かが全員の頭に閃く。ただのGの音なのに、誰でも使うコードの一つに過ぎないのに、唯の言わんとすることが何となく理解できたのだ。
 それは、おそらく今日会ったばかりの者達では感じることができなかっただろう。一年にも満たない付き合いでも、彼らは自分の仲間が持ち構えている音を感覚的に把握していたのだ。
 その場にいた者は言葉にできない勘に等しい感覚が正しかったことをすぐ知ることになる。
 カウントもない状態で唯がピックを持つ手を大きく振り下ろしたのだ。聞き覚えのあるリフが飛び出てくる。
 ああ、分かっていた。その場に立つ者が浮かべたのはそんな表情だった。
 このリフが出てくると知っていたと言えるほどの確信。全員がくすりと笑い、入部当初はまるで初心者だった唯が奏でる音楽を心ゆくまで噛みしめた。
 スモーク・オン・ザ・ウォーター。
 軽音部で最初に演奏した曲。Gmのゆったりとしたリフを弾いている者は半年前なんかと比べようもない滑らかな演奏をするようになった。
 律と澪が顔を合わせ、うなずくとベースとドラムが軽やかに唯に寄り添う。ムギがうずうずと待ちきれない様子で残り二小節を待つ。やがて鍵盤に手が置かれ、渾身のロングトーン。彼女がこの半年で揃えた多彩なオルガンサウンドの一つは圧倒的な存在感を放った。
 夏音は演奏に入るのを忘れて呆けていた。彼の瞳に映る光がゆらゆらと揺れる。
(いつの間に……)
 彼女達の音がどれほどの成長を遂げたかをまざまざと見せつけられた。先制のパンチのようなものだった。
(楽しそう!)
 驚愕してから、夏音は胸に沸き上がってくる興奮に目を輝かせた。既に環をつくり出している彼女達の演奏は魅惑のエネルギーに満ちていた。
 早く。早く自分もそこに加わりたい。そう思った夏音はストラトのネックをそっと握った。だが、夏音はいざ自分もと思ってもなかなか動き出せなかった。
既にイントロと呼べるような時間は過ぎたのだが、演奏に入っていけない。どう入ろうか、と悩んでいるのではない。この中に、自分が入ってよいのかという考えが頭に浮かんでしまったのだ。
 数多の怪物ミュージシャンとセッションしてきた夏音が、彼らを遙かに下回る高校生の演奏に尻込みしている。
 演奏が始まる前に自分で楽しもうなどと言っておきながら、自分の音が彼女達に与えてこの環がどうなるか怖れている。
 夏音の額にじわりと汗が滲む。既に同じフレーズがループされ、本来なら1コーラスが終わっていてもおかしくない時間が経った。
 そこで、いつまでも演奏に加わらない男にしびれを切らした律が挑発的なフィルを入れる。鋭く重く破裂したクラッシュの音が夏音の耳に衝撃を与える。
 彼女のフィルに合わせるようにフレーズを動かした他の少女達によって、反射的に夏音はピックを振り切った。この男ともあろう者が、分かり易いほどのタイミングに入らないはずがなかった。
 ヤレヤレ、といった様子でくすりと微苦笑を浮かべた律が周りに目を配る。顔を向け合
った少女達が目を細めてうなずく。
 唯は自分と重なり合うコードを奏でる夏音に弾けるような笑顔を見せた。半年前、彼女は演奏に遅れないように必死についていった。それが今や、先に曲をリードしていたのは自分で、後から入ってきた夏音を迎え入れるような形をとっているのが嬉しくてたまらないのだ。
 それでも、数小節進むだけで実力差は明らかになる。全体のノリを汲み取り、さらには先に演奏していた唯の音価に合わせているのだ。
 それぞれの音が混ざり合う。強力な個性を放つ人間達が音楽で結びつき、一つになる。その美しさがそこにあった。
 五人が一つになった演奏の中で、誰もが感極まっていた。
 これこそ軽音部の音だ。この一体感、光と音が溢れる躍動感は生きている音楽である。
「お先っ!」
 実際には誰の耳にも聞こえなかったが、おそらくそう言っただろう唯が足下のブースターを踏み入れる。一気にハイフレットへと向かった左手が素早く動き回る。随所にチョーキングを絡ませ、時折弦を飛んで入れるトリルなど、少なくともギターを始めて一年以内の初心者とは思えない技巧を駆使している。
 唯が、一人目のソロをとったのだ。バッキングに回った夏音は完全に意表をつかれたように目を丸くしていた。
 あの唯が、積極的にソロを弾くというのだ。他の三人も同じことを思っていた。自分達の上をパワフルかつトリッキーなソロで飛び行く唯の姿は鮮烈に焼き付いた。
 その姿が、少女達の心に火を点けた。
 唯のソロが終わる前に視線の探り合いが起こる。微笑を浮かべながら殺気に近いオーラを放ちだした少女達にすっかり蚊帳の外に放り出された夏音は頬を引き攣らせた。
 音の端々からストレートに伝わってくるけんか腰の態度。唯の演奏はどうやら彼女達のハートを熱く燃えたぎらせてしまったらしい。
 ソロが終わり、演奏が進む。次に、すかさず飛び出てきたのはムギだった。激しく歪んだ音色で前に出てきたかと思えば、フランジャーのエフェクターを踏み、とんでもない音で暴れまわる。そうかと思えば飛び道具を収め、速弾きを始めた。ムギは滅多に速弾きをしないため、この光景はかなり珍しいものだ。実際にピアノの方では、ショパンやリストを弾きこなしてしまう彼女が持つポテンシャルは半端なものではない。
 最後にお茶目にDビームを使った彼女は満足気に頷いてソロを終えた。その瞬間、全力で指板に掌を叩きつけた澪がその存在を前に押し出していく。引っ込み思案の彼女のイメージを根こそぎ塗り替えんばかりの行為。指板を叩いて和音を出すテクニックを彼女に教えたのは夏音だったが、まさか彼女が実践でやるとは思ってなかったりした。目を丸くした夏音の方をちらりと見た澪は涼しげな顔で立て続けに力強いピッキングを続ける。
 ミドルとハイをブーストしたサウンドに二つほどエフェクトを加える。激しい歪みを味方につけた彼女はジョン・エントウィッスルばりのプレイが展開されていく。得意のペンタトニックを多用したフレーズが次々に飛び出してくるが、途中に夏音も驚くような方向に展開していったりするのだ。
 ぐおん! とうなるグリッサンド。時折、混ざるライトハンド奏法。彼女が和音を使用するポイントなどは、夏音から影響を受けていることが多い。こうして形になっているところを目の当たりにした彼女の師匠は、ずっと目を押し広げっぱなしだった。
 澪が律に目配せをすると、ドラムのプレイが変化する。ベースとドラムで巧みに飛び交うグルーヴのうねりは、彼女達の息がぴったりな証拠。
 考えてみれば、ドラムのソロということで律だけが延々と単独で叩いている場面は来ない。自分を理解するベース・プレイヤーのもとで律のプレイは徐々に熱を帯びていく。澪のプレイに合わせ、律の手数がどんどん増えていく。ベースがたまに空ける空白を利用して律の手足が忙しなく動き回る。
 その後、普段の律なら考えられないほど複雑なフィルインをかましたことによって、最後に一人だけ残されたソロ・プレイヤーへとその場が託された。
 その場にいる全員の視線が集まるその者は、にやっと笑って足下のスイッチを踏み込んだ。




 音の無い空間にぺたりと座り込んだ五人は激しく上気した呼吸を整えながら、満足そうに笑っていた。夏音がギターを抱えながらスタジオの床に身を投げ出すと、それを見た澪もおずおずと同じように寝転がる。ヨイショ、と声を上げてそれに倣った唯や「私もー」と楽しそうに横になるムギも一緒になってスタジオの天井を見上げる形となった。
 よろよろとドラムセットから離れた律が腰に手をあてて、そんな仲間達を見下ろしていると「ぷっ」と噴き出して倒れ込んだ。
「冷たーい」
「だなー」
 輪になって横たわった一同は、それからしばらくは無言で息を整えた。冷房の効いたスタジオは熱を持った体を冷ましていく。ずっしりと重い疲労感を打ち消すほどの安らかな気持ちがそれぞれを満たしていた。
「びっくりしたよ」
 ふいに夏音が口を開く。
「みんながあれだけ弾けるようになっていたなんて」
 正直な告白。夏音は軽音部の者を誰一人として「上手い」とは思っていなかった。この程度まで弾ける、という認識はあったものの、夏音の中で彼女達がベストプレイヤーの枠に納まることは一切なかったのだ。
「上手になったんだね……演っていてあんなに興奮したのは久しぶり。ていうか、負けてたまるかコンニャローって思ったのが久々だったよ」
 一回し目のソロを弾く夏音の目には、ぎらぎらとした光が宿っていた。その時、彼は確かに「負けていられない」と思っていた。技術的には圧倒的に彼女達を凌駕しているのだが、次々にソロを弾き倒していく仲間達の姿に圧倒されてしまったのだ。それは気持ちの面でも。彼女達は演奏を心から楽しもうという気概が溢れていただけでなく、自分の持てる力を出し切って、夏音に泡を吹かそうという心算があった。
 初っぱなから全力で向かった唯の先制パンチは夏音に予想以上の衝撃を与えていたのだ。彼女に触発されるように烈しいソロを見せた他の者も同じである。
 少女四人の演奏を聴いた夏音はまさに負けず嫌いの精神で超絶ソロでお返しした。普段はやらないようなテクニックやパフォーマンスをふんだんに盛り込み、途中でチューニングを変えてしまったりと、プロとしての面目躍如を果たしたといえよう。
「アンジェロ・ラッシュをされた時は本気で笑い出しそうになったよ」
 実際にソレを生で見たのが初めてだった律は噴き出すのをこらえたドラムに向かわなければならなかったため、その瞬間の彼女のバスドラは怪しいリズムになってしまった。
「超どや顔すぎてねらってんのかと思ったわ」
 思い出し笑いで死にそうになっている律に夏音は苦笑する。
「いや、あんなの滅多にやらないんだけど。死ぬほどテンション上がりすぎた時とかにやるとウケるからさ……」
「でも、やっぱり夏音くんはすごいやー」
「何だよ唯。改まってさ」
「だって後半なんか何やってるかわかんなかったもん」
「あぁ、わかるなーそれ。もう合わせるのとか放棄して好きにやってくれって感じになるよな」
「いやいや。俺は唯が一番すごいと思うよ。これに関してはマジです」
「そっかなー、いやーそれほどのものでもー」
 分かりやすく照れる唯に笑いが起きるが、真剣な表情になった夏音は感慨深い溜め息をついた。
「いやホントに。ギターに初めて触ってから一年も経っていないのに、よくぞここまでって感じ……センスあるよ」
「確かに唯はある意味天才ってやつかもな」
「り、りっちゃんまでー。おだてても何も出やしないよー?」
 がばっと身を起こして照れまくる唯は、くすくすと笑う仲間達に頬を膨らませて抗議の声を上げた。
「それならムギちゃんのがカッコよかったよ! ダダダダダダーンって」
「ムギもすっごくアグレッシブだったなあ。ああいうの普段からやればいいのに」
「えー、そうかしら?」
「澪ちゃんもなんていうか、今日は輝いてる澪ちゃんだった!」
 普段は輝いていないのか、というツッコミも忘れて澪は顔を赤くする。
「あ、ありがとう……そんな、まだまだだケド」
「唯の言う通りだね。澪はこの一年で信じられないくらい成長したって分かる演奏だった。律と一緒に弾いてた時なんか、すっごくエキサイティングだったよ」
「あぁ、うぅ……」
 お師匠に直々に褒められた澪は、今度こそ顔をゆでだこのように真っ赤に染めて手で覆った。
「はーあ。楽しかった」
 夏音が呟いた言葉は全員の気持ちを表していた。
 楽しかった。軽音部にとって音楽をやった後、こう思えたのは久しぶりのことだったのだ。
「うん、楽しかった」
「またやりたいな」
 誰もがこう言い合って、終われば良いと思った。そして、何度でもこのやり取りを繰り返していければ良いのだ。
「俺は間違ってた。間違いだらけだった」
 ふいに語り出した夏音の口調が今までと変わったことに皆が気付く。
「すっごく傲慢だった。楽しまなければ音楽をやる意味もないってのに、俺自身がつまんなくさせちゃってた。俺が作る音楽が一番だ、俺のアイディアやアレンジが最適なんだって信じて疑わなかったんだ。今まで作った曲だって本当はみんなの意見を取り入れてたら違ったものになったんだろうね。それが良い物かは別だけど……みんな本当はもっとこうしたいって音楽があったんじゃないかな」
「そんなことないよ!」
 すかさず声を上げた唯は、その言い方にやや怒りを混じらせていた。
「私、今の軽音部の曲が好きだもん。コレ以外って言われてもよくわかんないし、夏音くんが言ってること間違ってると思う!」
「私もそう思う! 私が持ち込んだフレーズでも、いつも夏音くんが手を加えて変わっていくのが好きだもん! ああ、こういう風にした方がいいのかって感心させられっぱなしで。でも、悔しかったりしたから、夏音くんにそのまま採用して貰えるようなメロディーをいっぱい考えたりしたの。ほら、トリビュートの時のメロディって夏音くん褒めてくれたから嬉しかった。だから、コレでいいんだって自信が持てるの」
 いつになく早口のムギに夏音が目をぱちくりさせた。
 本当に良いものは、良いとする。夏音はそうやってそれぞれの音楽を結わいていく。時に厳しく、曲の雰囲気にそぐわなかったりするものは容赦なく排除する。
 議論に澪が口を挟む。
「多分、これでいいんだと思う。夏音は自分が口を出したからって悩んでるみたいだけど、結果的にはそれが私達にとって現状になって受け入れてるじゃない。それに、夏音はよく音楽に正解はないって口癖みたいに言うだろ? その通りに考えたら、失敗もないんじゃない? 私は少なくとも自分達の曲が好きだ。失敗した、なんて思ってないし思ってもそのままにしたくない」
「つーか、今イチって曲はもう演奏してないじゃん私ら。ダメって思った曲はきちんとそういう風に意見を通してきただろ? 私らだって機械や人形じゃないんだ。オリジナルの曲で本当に嫌だ! って思ったことくらい口にするよ。口にして、本気でぶつかり合ったことなんてないし、結局はみんな納得ずくってことだよ」
 律の言葉にさもありなん、と同意した一同だった。それから律はぽりぽりと頬をかき、言葉を続ける。
「でも、まあ……こうは言ったけど、たしかに何もかも遠慮無しに意見を言えていたわけでもないな。うん……きれい事抜きに言っちゃえば、けっこー不満に思ってたかも。大まかな意見は一緒だと思うけど、やっぱり細かい部分とかだと自分の意見を通しづらい雰囲気はあった」
 心からの本音を述懐する律に、夏音は眉尻を下げる。
「そういう些細なところとか、募りに募ってこうなっちゃったんだろうな-。そういうの、私的に『らしくない』しさ。ストレスになってたのは正直なところ」
「律。それについては本当にごめん、俺は―――」
「だーかーら。もういいんだってば! 私の方がガキだったってこと。それを言うならみんな勝手に自分の意見を抑えてたのが悪いんだからさ!」
「りっちゃんの言う通りだね。私なんか一番下手だし、下っ端? って感じだし。夏音くんだけじゃなくてみんなに注意されたこともハイハイって聞くけど、こんな私でもちょっとくらいは意見があったりしたもん。ここはこうした方がいいんじゃないかな、とかすごく弾きづらいなーとか、なかなか言い出せなくて……」
「唯……」
「いつも夏音くんはプロですごいんだから! って納得してたんだー。でも、それって本当はよくないことなんだよね……」
 俯いた唯にうなずいたのはムギである。
「知らない内に壁を作ってたのね。私、そういう見えない壁にはいつも敏感だったのに……」
 そう言って彼女は悔しげに手を強く握りしめた。ムギに引き継いで、澪が口を開いた。
「そういうのもちゃんと話し合っていかないとな。私も音楽に正解はないって夏音が口すっぱくして言ってたのに、自分の口にすることが失敗にならないかばっかり気にしてた……そういうのもやめにしないと。だからさ、夏音。結局、私達はこれからってことじゃないか?」
「澪の言うとーり! なんか一通りの懺悔みたいになっちゃったけどさ。みんな軽音部のことでひとしきり悩んだんだ。だから、さ」
 一瞬、口をつぐんだ律の代わりにムギがその言葉を発した。
「仲直りしましょう?」
その途端、夏音は足をじたばたさせた。
「でもでも! やっぱりみんな俺のせいで窮屈な思いしてたんだ! きっと、アイツのワンマンにはいい加減つきあえねーって影で思ってたんでしょ!?」
「ていっ」
「……」
「Oh!!」
 夏音の間近にいた澪と律が同時に夏音の顔にチョップを入れた。
「いひゃいっ!」
 つい舌を噛んでしまい涙目になる夏音だったが、そんなのはおかまいなしにチョップを入れた張本人達は頬を怒りに染めていた。
「このアホっ! 面倒くさっ! どこまで自虐に走ろうとするんだよ。本当にマゾなのもいい加減にしろっつの」
「私がそんな風に思うような人間だと思われてたのがムカついた」
「だ、だって……っ」
 鼻声になった夏音は思わず体を起こした。
「同年代の友達、あまり居たことないんだ!」
 しんと静まりかえったスタジオで、どうしたものかと視線を交わす一同の中、肩をすくめた律が口を開く。
「じゃ、私らで学べばいーじゃん?」
 どこか呆れたような、それでいて優しい声だった。
「………………ぐすっ」
 夏音の鼻をすする音が大きくなる。
「あれー夏音くん泣いてる?」
「おまっ、そこは空気読めよ!」
「えーー? りっちゃんに言われたくなーい!」
「オマエな……私のは緻密な計算あってこそのだな」
「それより、私達って何か夏音に伝えないといけないことがあった気がしたんだけど……」
「ごめんなさいも言ったし、何かあったかしら?」
「あー? なんかあったっけ。忘れるくらいならどうでもいーだろ?」
「いや、なんか重要な……」
「あ、夏音くんのお母さんが伝えてねって言ってたやつじゃない?」
「…………………………………………………………………………そ、そういえば」
 彼女達の会話を心地良く聞いていた夏音は、その単語の中に登場した母親の名前に嫌な予感がした。
「母さんが、どうしたって?」
「あー、いや、なんだ……今日の夕飯は何か勝手に作っておくからーっていう伝言をな」
 視線を泳がせる律の言葉が言い終わらない内に、夏音は跳ね起きてスタジオを飛び出ていった。あんなに機敏な動きはなかなか見られないほどだった。
「…………夏音が料理上手なのって、そういうことだったのかな」
「それは分からないけど………いつまでもお邪魔してたら、その……」
 一度、言葉を区切った澪は息を大きく吸い込み、
「私達も夕飯にお呼ばれする可能性が、あるんだけど………」
 一瞬で顔が青ざめた少女達の行動は神速のものだった。今までにないくらいの手際で楽器を片付け、帰り支度を済ませると玄関先まで急いだのであった。



 最低限の別れの挨拶だけそこそこに、脱兎のごとく家から出て行った少女達を恨めしげに見送った夏音は小さく息をついた。
 隣に立って少女達に手を振っていたアルヴィはそんな息子の肩に手を置いて微笑む。
「Such a nice for you(よかったわね)」
「What do you mean?(何が?)」
「Nothing(さあねー)」
 したり顔で微笑むアルヴィにバツの悪い思いを覚えた夏音は、そっと彼女の手をどかして家の中に入っていった。
「さて、作ったものは食べないとね」
 その際、彼の足取りと同じくらい重い一言を呟いた。







※今回、短めですみません。仲直り回、終了です。そこまで落ちきらなかった上に、仲直りもなんだかなーと思われるかもしれません。
 最良の仲直りの形、というのも定まったものはないと思いますので、結局はこういう感じでいいのかなーと……首を傾げながら書き上げました。




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