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No.26404の一覧
[0] 【けいおん!】放課後の仲間たち[流雨](2012/06/28 20:31)
[1] プロローグ[流雨](2011/06/27 17:44)
[2] 第一話[流雨](2012/12/25 01:14)
[3] 第二話[流雨](2012/12/25 01:24)
[4] 第三話[流雨](2011/03/09 03:14)
[5] 第四話[流雨](2011/03/10 02:08)
[6] 幕間1[流雨](2012/06/28 20:30)
[7] 第五話[流雨](2011/03/26 21:25)
[8] 第六話[流雨](2013/01/01 01:42)
[9] 第七話[流雨](2011/03/18 17:24)
[10] 幕間2[流雨](2011/03/18 17:29)
[11] 幕間3[流雨](2011/03/19 03:04)
[12] 幕間4[流雨](2011/03/20 04:09)
[13] 第八話[流雨](2011/03/26 21:07)
[14] 第九話[流雨](2011/03/28 18:01)
[15] 第十話[流雨](2011/04/05 15:24)
[16] 第十一話[流雨](2011/04/07 03:12)
[17] 第十二話[流雨](2011/04/21 21:16)
[18] 第十三話[流雨](2011/05/03 00:48)
[19] 第十四話[流雨](2011/05/13 00:17)
[20] 番外編 『山田七海の生徒会生活』[流雨](2011/05/14 01:56)
[21] 第十五話[流雨](2011/05/15 04:36)
[22] 第十六話[流雨](2011/05/30 01:41)
[23] 番外編2『マークと夏音』[流雨](2011/05/20 01:37)
[24] 第十七話[流雨](2011/05/22 21:00)
[25] 番外編ともいえない掌編[流雨](2011/05/25 23:07)
[26] 第十八話(前)[流雨](2011/06/27 17:52)
[27] 第十八話(後)[流雨](2011/06/27 18:05)
[28] 第十九話[流雨](2011/06/30 20:36)
[29] 第二十話[流雨](2011/08/22 14:54)
[30] 第二十一話[流雨](2011/08/29 21:03)
[31] 第二十二話[流雨](2011/09/11 19:11)
[32] 第二十三話[流雨](2011/10/28 02:20)
[33] 第二十四話[流雨](2011/10/30 04:14)
[34] 第二十五話[流雨](2011/11/10 02:20)
[35] 「男と女」[流雨](2011/12/07 00:27)
[37] これより二年目~第一話「私たち二年生!!」[流雨](2011/12/08 03:56)
[38] 第二話「ドンマイ!」[流雨](2011/12/08 23:48)
[39] 第三話『新歓ライブ!』[流雨](2011/12/09 20:51)
[40] 第四話『新入部員!』[流雨](2011/12/15 18:03)
[41] 第五話『可愛い後輩』[流雨](2012/03/16 16:55)
[42] 第六話『振り出し!』[流雨](2012/02/01 01:21)
[43] 第七話『勘違い』[流雨](2012/02/01 15:32)
[44] 第八話『カノン・ロボット』[流雨](2012/02/25 15:31)
[45] 第九話『パープル・セッション』[流雨](2012/02/29 12:36)
[46] 第十話『澪の秘密』[流雨](2012/03/02 22:34)
[47] 第十一話『ライブ at グループホーム』[流雨](2012/03/11 23:02)
[48] 第十二話『恋に落ちた少年』[流雨](2012/03/12 23:21)
[49] 第十三話『恋に落ちた少年・Ⅱ』[流雨](2012/03/15 20:49)
[50] 第十四話『ライブハウス』[流雨](2012/05/09 00:36)
[51] 第十五話『新たな舞台』[流雨](2012/06/16 00:34)
[52] 第十六話『練習風景』[流雨](2012/06/23 13:01)
[53] 第十七話『五人の軽音部』[流雨](2012/07/08 18:31)
[54] 第十八話『ズバッと』[流雨](2012/08/05 17:24)
[55] 第十九話『ユーガッタメール』[流雨](2012/08/13 23:47)
[56] 第二十話『Cry For......(前)』[流雨](2012/08/26 23:44)
[57] 第二十一話『Cry For...(中)』[流雨](2012/12/03 00:10)
[58] 第二十二話『Cry For...後』[流雨](2012/12/24 17:39)
[59] 第二十三話『進むことが大事』[流雨](2013/01/01 02:21)
[60] 第二十四話『迂闊にフラグを立ててはならぬ』[流雨](2013/01/06 00:09)
[61] 第二十五『イメチェンぱーとつー』[流雨](2013/03/03 23:29)
[62] 第二十六話『また合宿(前編)』[流雨](2013/04/16 23:15)
[63] 第二十七話『また合宿(後編)』[流雨](2014/08/05 01:53)
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[26404] 第十四話
Name: 流雨◆ca9e88a9 ID:a2455e11 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/05/13 00:17


 冬、枯れ果てた季節。眠りの季節。実りを待つ季節。秋が終わり春が訪れるまでのっしりと居座る彼の季節はこれがまたけっこう嫌われ者だったりする。それでも、なんだかんだ必要だから付き合う。本当のところ、嫌いではない人が多いのではないだろうか。

「俺はあの澄んだ空気とか好きだけどなー」
 軽音部の一同は、これから来る厳しい季節についての話題で盛り上がっていた。彼女達がいるのは暖房をがんがんと焚いた校舎の一角にある軽音部の部室。ぬくぬくの室内とは反対に外の風景はすっかり寒々しい。
 厚く空を覆う雲は太陽の日差しを阻み、紫外線をよりいっそう強く地表にお届けするのに貢献している。だから、意外にもこの時期こそ入念な肌の手入れが必要であったりする。
「でも外で遊ぶのもしんどくなるし、ずっと家に引きこもっちゃうよなー」
「そうなるとますます私にかかる重力が増してしまう……」
「いや重力は増さないから。増すのは澪の体重だけ」
 すべてに平等に1G。重力のせいにしてはならない。
「雪降らないかなー」
 一人、そんな会話の輪から外れて窓辺から空を見上げていた唯が、「待て」をくらった犬みたいな表情でそんな一言を漏らした。残念ながらその期待に満ちた両の瞳に雪が映ることはない。
「北海道や東北ではもう雪が積もってるんですってー」
 ケーキも食べ尽くし、手持ち無沙汰の状態でカップをいじっていた夏音におかわりを勧めながら、ムギが今朝ニュースになっていたと語った。
 何でも去年は初雪も遅かったばかりでなく、降雪量も激減だったそうだが、今年はその利子を返済されたような豪雪の被害がひどいそうだ。そこに住んでいる住民からすれば、まったく迷惑な話に違いない。
 へぇー、と何心なく聞いていた夏音は、そういえば自分が住んでいた場所はあまり雪が降らなかったなと思い返した。それと同時に、随分と向こうに帰っていないものだと思う。
 あの季候、日本のとはまったく違うあの空気を触れないで久しい。
 思えば一年半も日本にいるのだと感慨深く溜め息をついた。
「雪ねえ。去年は見なかったなあ」
「あ、そっか。夏音は去年も日本にいたんだよなー」
「うん。ちょうどこの時期にさ、あまりに寒いから草津の方でずっと温泉入りながらのんびりしてたんだ。ベース片手に一人旅ってやつ」
「草津!? 温泉!? なんだその悠々暮らし! セレブか!」
 普段あまり自分と縁のない言葉に律が憤然と立ち上がった。去年の今頃といえば、自分は受験のために勉強漬けだったというもので、羨ましいことこの上ない話だ。
「ふふん。あぁ日本って素晴らしいって思った瞬間だったですのー」
「素敵ねー。その時はご家族と一緒に行ったの?」
「いや、ひとりだけど……」
 しんと部室に閑かな空気が流れる。この男は、たまにこういう空気をもたらすので注意が必要である。
「ねーねー。こないだせっかくの三連休だからどこか遊びに行きたいねって話してたよねー!」
「ああ、そういえばそんなことで盛り上がったな」
 主にお祭り好きの律と唯が中心となっていた。澪はまったく関心ないフリをしながらもしっかりと耳をそばだてていたその内容を思い出す。
「うっ……」
 そして、ちょうどあの時。その瞬間を思い出すという事はあの地獄のダイエットの日々を思い出す事と同義であった。澪はあまりの凄絶な記憶に胃液がこみあげそうになるのをおさえた。
「それでね! どこ行こうかずっと考えてたんだけど、温泉とかいいんじゃないかと思うのです!」
 バーン、と皆の前に躍り出た唯に夏音はふぅ、と溜め息をついた。
「タイムリーというか、単純というか……」
「影響されやすいからなー唯は」
 自分の提案が完璧であることをみじんも疑っていない唯は自信に満ちあふれた表情でどうだと視線をよこす。その中で一人、澪が小さな声でぼやいた。
「温泉……かあ」
ふいに表情が曇った澪の反応を見た夏音が意外そうに彼女に訊ねた。
「澪は温泉きらいな人?」
「い、いやそうじゃないけど……人前で、その………のは……」
「ん? よく聞こえなかった」
「人前で裸になるのに抵抗があるというか……」
「そんなこと言ってたら温泉なんて入れないじゃないか」
 夏音はさすがに呆れた表情で澪を見詰める。彼女が恥ずかしがり屋なのは周知の事実だったがそこまでとは思わない。しかし、そんなことより夏音は彼女の言葉に違和感を覚えた。
「ん? ていうか合宿でみんなとお風呂入ってたよね?」
 あの時の犠牲を忘れてなるものか、と夏音はぎらりと瞳を光らせた。
「い、いや……あの時は良かったけど」
「あぁーそうか。澪、まだ気にしてるんだ」
「だ、だから別にそういうのを気にしているわけじゃ……」
「そういうのってどういうのー?」
 にやにやと意地をついた夏音の質問に澪はぷいっと顔をそらした。頬を膨らまし、もう夏音の方など見るもんかと決意するかのように体ごとそらす。澪の反応をうかがって噴き出した夏音はおどけるように肩をすくめた。
「すねちゃった」
「今のは夏音くんが悪いわよ」
 横からつん、とムギが責める。責めるといっても、その声音は冗談めいた色を含んでいる。かの騒動があった後、何だかんだと夏音のおかげで目標としていた体重に到達したことで彼女には絶対的な余裕が生じていたのだ。
 もはや自分の精神は体重の話題だろうと動じないのだ、と。
「澪はもう痩せたんだから大丈夫だよ」
「ツーン………」
 あ、無視されたと軽くムカっときた夏音である。
「おーい秋肥りの秋山さん」
 秋をかけた二つ名のように彼女を呼んでみた。
「も、もう肥ってない!」
「じゃあ、元秋肥りの秋山さん」
 あくまで意地の悪い夏音に「うぅ~」と唇を噛みしめ、涙目になる澪。自分の提案で何故か修羅場が形成されつつある、とそれまで事態をぽかんと傍観していた唯は慌てた。
「夏音くんそれはひどいよ!」
「ゆ、唯ぃ……」
 珍しく自分を擁護してくれる人物(それが唯であろうと)に涙を浮かべて寄り添う澪であった。
「澪ちゃんはもう痩せたんだから! 脱いでもすごい澪ちゃんなんだよ!」
 いや、それはどうだろうと誰もが口にしかけた。その表現は色々誤解を生む気がする。
「夏音くんは澪ちゃんのプロポーションを生で見たことがないからわからないんだね!」
 唯の一言に夏音の目がキランと鋭く光る。
「いや、前に水着姿でしっかりと確認したよ。わがままNice bodyだよね」
 その両目と魂にしっかりと刻み込んだ思い出の一幕。
「な、何を言っているんだ夏音! ふ、ふ、ふ、不埒な……っ」
「で、でも夏音くんはその先を知らないんだよね」
 知ってたまるか、と夏音は手をあげた。降参のポーズである。
「別に俺は澪の身体が太まっているなんて言っていないだろう?」
「ふ、ふとまっ……そんな日本語はない!」
「ていうかー。あれだけダイエット頑張ったんだから自信もちなよ」「で、でも………」
「とりあえず澪の意見はすべて却下ね」
「んなっ」
 その事に反対する者もいなかったので、そんな流れに。
「ていうか温泉って近くにあるのか?」
 初めて律が建設的な意見を口にした。たしかに、この近くにある天然温泉の噂など聞いたことがない。夏音がすぐに携帯で検索しても、いまいちヒットしない。
「銭湯? ていうのならあるんだけど……違うよね?」
「あ、私はそれもいいと思います!」
 急に弾んだ口調でムギが手をあげた。とはいえ、夏音は「銭湯」というものがよく分からない。アニメなどで出てくる時があるが、温泉とどう違うのかまでは知識になかった。
 それにムギからしてみれば、銭湯なんてもっとも縁遠い物の一つだろう。ただ、わざわざ銭湯に入りにいくのに友達同士で行く必要などない。
「やっぱり少しくらい遠出する必要があるかもなー」
 家に温泉マップがあったなぁ、と言う律に夏音は眉をひそめた。
「もしかして、また俺が車を出さなくてはならないのかな?」
 一瞬、明確な間を挟んでから「いや、バスとかもあるだろうしねー」と律がしどろもどろに答えた。これは絶対にそのつもりだったな、と夏音は確信した。
 その他の人間はしれっとした顔でお茶をすする。わざとらしい。はっきりと顔に書いてあるのだ。「せっかくアシがあるんだしさー」と。
 別に軽音部でどこかへ遊びに行く時にいつも夏音が車を出すわけではない。しかし、高校生にとって遊ぶための交通費というのは絶妙に懐を痛めるやっかいなものである。できれば移動のためのお金は抑えるにこしたことはないのが本音であった。
 実際、夏音が車を持っていること判明してから、使えるものは親でも使うべしという考えのもと、彼女たちの顔には、はっきりとドライバーを所望する輝きが表れるのである。こう、度々と。
 もちろん車にだってガソリン代などの費用がかかるし、特に夏音の持つ大型ワゴンのガソリン代は満タンで入れるとなると彼女たちのお小遣いの額など軽く超えるだろう。
 そうはいっても、彼女たち自身は運転することや車についての了見が浅いのか、これといって気にする様子はない。
 夏音はそういった気が回るようになるのは実際に自分で車を運転してからなのだろうかと時折悲しくなる。夏音はそんな彼女達もいつかわかればいい、と自分を納得させている。
「ま、いいけど。近くだったら横須賀か、奥多摩………草津とか? どちらにしろ、日帰りはいやだな」
「草津がいい」
 やけにきっぱりと律が言った。その瞳にはありありと期待の色が滲んでいる。
「別にいいけど、なんで草津?」
「草津って名前だけ有名だけど、一度も行ったことないからな」
 そんなものか、と夏音は頷いた。
「みんなはどうなの?」
 一応ぐるっと見回して他の意見を得ようとする。反対票もなく、あっさりと草津行きが決まった。
 同時に草津まで運転することが決まった夏音は密かに嘆息した。
 今月の第三土曜日からの三連休。勤労感謝の日が月曜に来て、いい具合に連休となった場合はどこのレジャー施設も人で賑わうだろうから、渋滞が心配である。
「それで予算はどうする?」
「そうだな。草津だと宿泊費用ってどれくらいかかるんだろう」
 そこで具体的に費用について考えるのがしっかり者の澪である。流されてすでに温泉行きを諦めている様子であった。
「俺は素泊まりで泊まったんだ。料理も好きだし、好きな時に食べて好きな時に寝て、好きな時に温泉に入る……最高だなぁ」
「すでにオッサンの域だな……」
 律が軽口を叩くが、夏音は無視した。別になんと言われようとかまわないのだ。ダラダラしたい奴には最高の生活ではないか。
「そうだなー。一泊か二泊したところで素泊まりだと四、五千円かな。食事を何とかするとして、合計で七千円には収まるかな」
 夏音が利用した宿は特別安いわけでもなかったが、ふらふら歩いていたら破格の値段で提供している安宿などもぼちぼち目にした。
「いっそのこと宿泊費も何とかなったらなー。あームギとか別荘持ってたりしないよなー?」
 さすがの琴吹家でも、草津に別荘はないだろう。
 冗談口に笑い飛ばした律であったが「確かあったと思うけど…………どうだったかしら」と額に手をあてたムギに一同はそろって口をあんぐり開けたままフリーズした。
 ちょっと待ってね、とムギは席を離れた場所でどこぞへと電話をかける。その連絡先は想像に難くないが、一同は息をつめてそれを見守った。
「はい……はい……ありがとうございます」
 はっきりとそう聞こえた後、電話を切ったムギは振り返ってにっこりと笑った。




「いやー完全に遊びに行くだけってのもイイよなー!」
 と後部座席にふんぞり返った律が言った。つづいてバリボリとスナック菓子を咀嚼する音。
「ほれ、夏音よ」
 後ろからにょきっと生えてきた手にはイチゴ味のポッキーが。
「Thanks」
 若干ぶすっとした表情だった夏音は一瞬だけ前方から目を離してポッキーにかじりついた。イチゴ味、初めて食べる味であった。というより、お菓子を食べるのはいいが、ぼろぼろとこぼさないで欲しかった。
 後で掃除するのは夏音なのだ。
 基本的に法定速度を守らないドライバーである夏音だが、関越をぶっ飛ばして、やっと渋川伊香保のICを通過した所まで来ていた。
 万が一、渋滞に捕まることを懸念していたものの、この流れだと予定していた時間よりだいぶ早く到着できそうであった。
 目指すは琴吹家の別荘地。ムギの父親が温泉好きだったことで、全国で三つの温泉地に別荘があるらしい。北は登別。南は指宿。思えば、海辺の別荘でさえ風呂の設備が充実していたくらいだ。
 要するに、夏音とムギ以外は交通費も宿泊費も諸々かからずに草津温泉が楽しめるというどれだけ幸運に恵まれているのかというラッキーガールだということだ。
 別に請求するつもりは毛ほどもなかったが、流石に高速代くらいは出そうとするだろうかと期待していた夏音だったが、ETCという便利なアイテムのおかげで完全にスルーされた。
 ふと彼女たちの将来が心配になった夏音であった。
 ムギの別荘が使えるということでチェックインの時間を気にしなくても良くなったので、あえて道が混まない時間帯を選んで夜に出発することになった。
 金曜日の夜に出発して、日曜日の夕方に帰るというプランである。二泊三日で四千円にまるまる収まると聞いた時には目を剥いてしまった。
 実に贅沢な連休である。全国のサラリーマンに祟り殺されてしまいそうなくらいの充実。
「おっんせーん♪ おっんせーん♪」
 唯は途中に三十分くらい寝ていたが、起き出してからはまたテンションメーターを急上昇させ始めた。
「草津良いとこ一度はおいで~♪」「どっこいしょ」「あ、そーれ」
 皆が楽しいのであればいいんだもん、と夏音は諦観の境地に突入していた。
「夏音。さっき買ったミルクティーでも飲む?」
 助手席に座った澪がビニール袋をガサゴソと取り出す。どうやら先程の休憩で停まったSAで買っておいてくれたらしい。
「助かるよ。ありがと!」
 まったく気が利く娘だとうなってしまった。夏音が実はコーヒーが苦手だということも考慮してくれている。それに比べて後ろの三人はずっと浮かれ騒いでいるだけだというのに。愛弟子の出来に夏音は少しほろりとしてしまった。
 澪が助手席に座ったのは、何だかんだとメンバーの中で一番この車に乗る機会が多い(レッスンの時に家まで送るため)彼女が助手席に慣れすぎていたからであった。
 何の疑問もなくさらっと助手席に乗り込み、さらには空調の調整やら常にオプションで差し込まれているiPodをいじったり、あまりにそれらの行為をナチュラルにこなす彼女は当然のごとく目敏さに定評がある律に突っ込まれた。
 傍目から見てもたじたじになり「いや、何となく……音楽がさ……必要じゃない……」とモゴモゴ言うのみの澪の顔は真っ赤であった。気が動転した彼女がかけたのはメガデスだった。
 何故だか夏音も気まずくなるというものだった。あの空気は何だったのだろうと思い返しかけて、やめた。


「流石にこの時間からになると、今日は別荘の温泉だけだなー。明日は外湯めぐりとしゃれこみますかねー」
 うふふ、と律がガイドブックを眺めて言う。
「りっちゃん隊員! 温泉まんじゅうも逃せませんぞー」
 旅行が決まってから何回も繰り返されるこのやり取りに、どれだけ楽しみだ、と夏音は苦笑した。
「ガイドブックに載っていないところも知っているからつれていってやるよ」
「ほんとかー!? すげーな夏音!」
「ダテに一ヶ月もいなかったからな」
「ぶふぅっ!? そんなにいたのか!?」
 思わずお菓子を噴き出した律は「車を汚すな!」と夏音に叱られた。

「つ、ついた~」
 途中からカーナビに加えてムギの指示で車を動かし、山を少し登った所に別荘はあった。温泉街の景観を横目に通り過ぎ、ぐいぐいと奥地に進んでいった先。草津の中でも、特に奥地といった具合でこれは期待が大きいと誰もが胸をときめかせた。
「お疲れさまですー。いつもごめんね夏音くん」
 ムギが伸びをして体をほぐしている夏音に申し訳なさそうに言う。だが、そんなことはお互いさまであったので、気にするなと笑顔で返した。
「むしろムギのおかげでずいぶんと楽しい思いをさせてもらっているよ」
「ううん。それは私じゃなくて父のおかげ。私は何もしてないから……」
 台詞に反して、その言い方に卑屈な含みは感じられなかった。彼女は純粋に父親のことを尊敬しているようだし、自分の家がもつ威光に斜に構えている訳でもない。これは謙虚、という美徳。
「うん。でもムギがいないとだめだったからね。ありがと」
 それでも筋を通すべきだと夏音は相手が気負わなくていいような軽い口調で礼を言った。
「ふふ、どういたしまして」
 夏音はそう言って嬉しそうに目を細めたムギの横を通って別荘の玄関口まで荷物を運んだ。
「なんか旅館みたいだな……」
 一同は古色蒼然とした純和風の温泉旅館、といった体の建物に目を見張った。照明も明るすぎない、伝統的な和紙を使用した提灯の明かり程度。
 全部がそうではないだろうが入り口の雰囲気で、古きよき湯屋の趣を醸し出している。
「なかなか良い雰囲気だね」
「実は私もここに来るのは初めてなの」
「え、そうなの?」
 別荘の持ち腐れではないか。
「そうなの。でも、素敵ねー」
 そうやって建物を見上げるムギは心の底から嬉しそうだった。そうこうしているうちに、律と唯は玄関口からあがりこんでいた。
 中には琴吹家から管理を任命されている富岡という人の善さそうな初老の男性が待っていて、ほとんどの設備を使えるようにしてあると説明した。
 浴場の掃除も済んでおり、二十四時間入り放題だが、火傷には気を付けるようにとのこと。
 さらにその他諸々の注意点を話し終えた彼は「じゃ、ごゆっくり」と帰っていった。

 と放り出されたものの、これだけ広い建物である。まずは何があるか把握しなくてはならない。とりあえず居間に荷物を置いて、建物内を確認しようかと思ったが―――、
「うわーーすっげぇーーーっ! 露天風呂だぁーー!!」
「広いよりっちゃーん! 泳げるね!」
 探検隊がさっそく浴場を発見したようであった。
「まったく、うるさいヤツらだな……」
 ヤレヤレ、と言いながらもぐんと歩む速度があがった澪を見てムギがくすくすと笑った。彼女が草津に入ってからずっと隣でそわそわしていたのはバレバレである。
「ま、浴場は後で見るとして。暖房とかはどうなってるんだろう?」
「ボイラー室もあるけど、今はほとんど電気で管理しているんだって」
 つまり、こんな風格のある老練された建物でもオール電化住宅への一途を進んでいるらしい
「じゃ、あの立派な囲炉裏は?」
「使えないこともないと思うけど……」
 とムギは困ったように眉尻を下げた。
「まあ、様式美と機能美を両立することは難しいということか」
 一応すべて実用品らしいが、それを活かせるスキルがないのではどうしようもない。それでも日本の古式ゆかしい生活品に興味があった夏音としては気落ちするのも仕方がないことであった。
「おーい夏音来てみろよー。すごいぞお風呂!」
「こーんのミイラとりさん!」
 すっかり興奮した様子で居間に戻ってきた澪に対して、夏音はビシっと突っ込んだ。くふっと横でムギが噴き出した。

一日目―――、長距離の運転でへとへとに疲れた夏音が風呂に入り逃すことで終わる。


「あぁ~~~いい。いいよ、これー」
 変な時間に目覚めた夏音は朝日がのぼる直前に温泉を堪能していた。夜中過ぎに起きた彼は最高潮に不機嫌であった。
歯磨きもできなければ、風呂にも入れなかった。暖房が弱々しく動いていたおかげで、風邪をひかなかったのが救いだ。
 彼は外見を見事に裏切るような口汚い言葉を吐きながら、ふらふらと廊下に出た。
 トイレを探して閑とした廊下を彷徨っていると、妙な音が聞こえたのでそちらに足を向けたら、浴場があったのだ。


「朝日を拝みながら朝風呂ってのもクールだねー」
 天然の露天風呂。岩づくりの広い浴槽は源泉掛け流し状態で、常に滝のように湯が流れこんでいる。外気が冷えているので、温泉の蒸気が見事な湯けむりになって辺りを覆っていた。
 夏音はそんな神秘的な空間に射しこむ朝の清浄な光を満喫している最中であった。
 こんな時間に誰も来ないだろうとタカをくくり、完全に一人くつろぎモード。心を完全なるオープン状態へと解き放っていた。しかし、そんな時に限って上手くはいかない。オプチミストには優しくないのが現実というもの。
「あら、誰かいるの?」
 そんな矢先にふいにかけられた声に、夏音はザバンッとお湯に沈み込んだ。思わず溺れかけたのは不可抗力だ。
ほんわか間延びした透明な声。まぎれもないあの子である。
「ム、ムギ!? どうして!?」
 水面に顔を出すと、濃い湯気の向こうに人影が見える。つまり、いるのだ……夏音以外の人間が。つまり、その姿をこの場所で拝んではいけない異性が。
 ゴクリ、とツバを呑み込む。
「もしかして夏音くん?」
 ざばざばと取り乱している夏音とは裏腹に、のんびりと悠々たる調子でムギが声をかけてくる。湯気が立ちこめているので、お互いの姿ははっきりとは見えないが、彼女も一糸まとわずという訳ではないようだ。まだギリギリセーフの段階である。
「脱衣所で俺の服みなかったの!?」
 男女の区別のない浴場だから、ムギが入ってくるのも不思議ではないが―――気づけよ。
「あれ、そういえば夏音くんのお洋服だったのねー。すっかり忘れちゃってたのね」
 あくまでも、のほほんとした態度を崩さない。暢気にも程があると夏音は憤慨した。
「と、とりあえず脱衣所に戻ってくれると嬉しい。そして、俺の着替えを待っていてくれないかな!」
 ちゃぷん。
「失礼しまーす」
「もーぅ何やってんのこの娘はー!」
 夏音が視線を落として狼狽えている隙に、ムギが岩で固められた同じ浴槽に入ってきた。
「マナー違反だけど、見逃してね」
「いやタオル入れたままお湯に浸かるとかはどうでもよくて! いや、見えていないけどね」
 何故、朝からこんなに血圧を上げなくてはならないのか。自分は基本的に低血圧で、朝に二行以上の台詞を吐きたくないし、ましてや怒鳴りたくなんてないのだ。現状、心臓は途方もない速さのBPMで動いている。だって男の子だもん。
「ムギさん。あなた年頃の娘でしょうよ」
「えーと……ちょっと恥ずかしいけど。夏音くんだったら平気な気がして………」
「そんな根拠のない信頼を置かれても……」
 身に余る光栄だが、この少女は少しは人を疑った方がいいと夏音は心配になった。男というのは総じて異性をエロイ目で見るもので、何より自分もそんな男である。
 しかしムギは完全に腰を下ろし、おどけた口調で「まーまー。いいじゃないですかー」とか言っている。
 こんな警戒レベルだと将来痛い目に遭ってしまうかもしれない。
(あ、わかった。男って意識されてないんだ)
 自然と導き出された答えに肩を落とした。
 入ってきてしまったものは仕方がない、と諦めて一緒にまったりすることにした。顔を半分だけ鎮めてぶくぶくと泡を立てていると、ムギが「んー」と伸びをする。
「綺麗ねー」
「うん。湯けむりに朝陽が射し込んでくるのがまた風情があるよね」
「うふふ、すごいのね。夏音くんたら風情なんて知っているんだー」
 夏音の日本人度(命名・律)の高さがムギのツボにはまってしまったらしい。気品を失わない程度に身を震わせて笑っているのが伝わる。
 馬鹿にされた訳ではないとわかるので、夏音もつられて頬をゆるめた。夏音はムギの笑いのツボが最近になって把握できるようになってきたなと感無量である。思えば半年以上も彼女たちと過ごしているのだと嬉しい溜め息が出た。ふぅーって出た。
「夏音くんたらおかしいの……っ! お、おじさんみたい……っ」
 長い溜め息を、オッサンの歎声と例えられるのも哀しい話である。彼女が体を動かす度に夏音はどぎまぎとする。近くにいればお互いの顔が確認できる程度の視界が助かった。
 近くにいなければあまり意識をしなくても平気。ムギは声だけの存在。いわばエコー。
「どうして夏音くんの髪ってこんなに綺麗なのかしら」
「近っ!?」
 よもや接触されていた。ついでに頭も洗おうと解いていた髪の毛をひとすくいされる。
「綺麗な色よねー。あれ、根本のところが……?」
 借りてきたネコのように大人しく髪を触らせていた夏音は「ああ?」と呻いた。
「この色は地毛じゃないからね」
「え、そうなの?」
「本当はブロンドなんだ」
「えーそれも見てみたい!」
「えー黒髪でもいいじゃないか」
「黒髪もいいけど……もしかして小マメに染め直しているの?」
髪だけではない、眉毛に……睫毛もだ。時折ムギが夏音の顔をじっと眺めた時に感じた違和感の正体はこれだ。
 しかし、それは想像するにとんでもない手間がかかるはず。
「ん。ま、ね……」
 急に歯切れが悪くなった夏音につられたように黙ったムギは髪の毛をいじくる手を休めて、出すべき言葉を彷徨わせた。
 おそらく理由が、あるのだ。軽く踏み入れることができないもの。
「ごめんなさい。気に障ったかしら」
「別に………向こうじゃ誰でも染めてたからね。俺も黒いのが好きだから染めてるだけ」
「そう、なの……?」
「ムギの髪は染めてないんだろ?」
 今は濡れないようにアップにしているその髪。ムギの髪はブロンドというには明るさが抑えめ、ただ地毛というには明るすぎるような黄金色と栗色の中間といった色合いだ。
 染めているかそうでないかは目を凝らしてみればわかるもので、夏音にはそれが彼女の地毛だという認識があった。
「うん……母方の血筋がね……」
 立場が逆転してしまった、と今度はムギが口ごもり、まごまごしだした。
「俺はムギの髪のほうが綺麗だと思うな」
「あ、ありがとうー。あ、夏音くんもブロンドだったらお揃いみたいでよかったのにね!」
「ふふ、そうかもね。でも日本人って何で髪の色なんて気にするんだろうなー」
「うん、まるで馬鹿みたい」
 普段の彼女を知っている者からすれば、思いがけないほど厳しい口調だった。まるで知らずのうちに本音が漏れてしまったみたいに。
 湯気は相変わらずもくもくと浴場に充満している。夏音は長くお湯に浸かりすぎたのか、若干のぼせてきたのを感じた。
 互いにふぅ、と息をついた。
 言葉にしなくても、お互いが察してしまった。言葉を超えたところで痛い共感が胸に突き刺さり、気まずい空気が流れる。
「さて。少し長く浸かりすぎたかな。俺は先に出るからムギはゆっくり温まっておいでよ」
 タオルを引き寄せ、しっかりと体に巻き付けた夏音はじゃぶんとお湯を出た。
「え、ええ。また後でね」
「おぉ、ひとっ風呂浴びたし二度寝でもするかなー」
 と余裕を吹かせたものの、風呂を出た途端に十一月の冷たい空気に晒された身体が急速に冷えてしまった。
 夏音は足早に室内に戻り、熱めのシャワーを浴びてから脱衣所の衣服を急いで着こんだ。ドライヤーで長い髪を乾かし、乱暴に櫛を通す。何となく、一刻も早くこの部屋から出た方がいいと勘が働いた。
 その勘は見事に当たり、風呂を出た瞬間に寝ぼけ眼の唯に遭遇してしまった。

 ぎくっと心臓が飛び跳ねた。

「あひゃ~、かのんくん……ぷーりん……へるす……まいこぉ……いぇー」
 目の前の夏音をきちんと認識しているのか怪しいが、どうやら半覚醒状態らしかった。謎の呪文を唱えながらふらふらとした足取りで廊下の先へ消えていった。
 ほっと胸をなで下ろしてそれを見送った夏音は、背中に嫌な汗をかいてしまったと顔をしかめた。
「まあ、温泉はいくらでも入れるからいいか」
 とりあえず二度目の惰眠をむさぼるために、居間へと向かった。


「夏音はまだ起きないのか?」
「まだソファで寝てたよ。よっぽど疲れたのかなー?」
「あ、醤油とって」「はーい」「それみりん」
「まあ、遅くまで運転させちゃったしな……」
「なんだ澪~? 自分の作った味噌汁を早く飲んでもらいたいのかー?」
「ち、違うっ! そういう事で茶化すなアホ律っ!」
 わいわいと騒がしい調理場には朝餉の芳香が漂っている。
 食事に関しては、完全に自給自足することになっていたので、事前に買い込んでおいた食材を分担して調理しているのだ。
「オハヨー」
 眠気まなこをこすって夏音が起きてきたのは、食卓にひと揃い並んだ後だった。
「相変わらず朝に弱いな……」
 髪の毛ごとソーセージをもふもふと咀嚼している夏音を見て律が呆然と半ば呆れたように呟いた。
しかし、それが夏音クオリティ。

 午前中からは全員が自由に温泉をまわる時間となっている。草津に散らばる多くの外湯をまわるだけまわるのだ。
 湯当たりしてしまわない程度にさっとあがればいくら梯子しても案外へっちゃらなのだ。
 とりあえずみんなで湯畑を見て、饅頭や煎餅の試食にありついたりしてから、各自で行きたい所へ散らばった。


 夏音は以前に滞在した時にすべての外湯をまわり尽くした男である。さて、今回はどこに行こうものかと首をひねっていたところ、「ヌッ!?」と背後に戦くような気配を感じてバッと振り返った。
「お茶飲んでたらみんなに置いてかれたよ夏音くん……」
 その正体は、半べそかきながら背後霊よろしく夏音にひっついていた唯であった。
「らしいね」
 ふっと笑って言うと唯は頼りなさげなに夏音を見上げた。
「みんなどこ行ったのかな?」
「かなり足早に駆けてったから、たぶん目星をつけた場所があるのかも。不安ならメールいれとけばいいじゃない」
「そだねー。えっと、りっちゃんうらみます、と……」
「置いてかれたのは自業自得でしょうよ」
「冗談だよー。今、どこかなー、と」
「ま、どこに行ったかは想像がつくけどね……」


 草津の効能は皮膚炎の人には大変人気だと聞く。他にも、草津の温泉はあらゆる疾病、肉体の疲労に効くという。
 そういった意味では、応用が利くというか。体重を気にする女性たちにもそれらしい効果があると信じられている。
 澪が部室に持ち込んでいた雑誌の巻末付近に『絶対痩せる!? 温泉が新陳代謝を高めることで……』という特集記事があった。
 夏音は何気なく雑誌を手にとっただけなのに、しっかりとページの端を折り込んでいるのと、何回も開いていることで自然とそのページを開きやすくなっていたことでその気まずい見出しを目撃してしまったのだ。
「澪もダイエット戦士に鞍替えするのかな」
 別に、どんな澪でも彼女の個性だと思う。そう納得してあげることが大人の対応ではないだろうかと思った。
「ま、唯には関係ない話だな」
「え、なにが?」
「なんでもないよ。とりあえず、もう律たちは一つ目のどこかに行ったんだろう。オススメの所があるからそっちに行こうぜ」
「ほぇー。オススメってどんな風に?」
「お肌がツルツルになりますぜ……」
「ほ、ほぉ!?」
「ま、どこ入っても一緒だろうけど。あそこは特に効能が強い気がするんだよね。アッツアツだけど」
「アッツアツ!? 江戸っ子かい?!」
「江戸っ子だ!」「おほぉ!?」
「Shikamo…」
 夏音がふと顔に影を作り、唯の耳に顔を寄せる。
「な、なんと!?」
「イェス」
 眉根をぐっと寄せて真剣な表情になる唯とうなずき遭う。
 二人は互いの返事を待つまでもなく、駆けだした。
「あ、唯そっちじゃない! だから! 人の話を聞きなさい!」


(痩せる……私はこれで痩せる………これで……ヤセル……ワタシ…ヤセ)
「澪―いいかげんに出ようぜー」
「出ない」
「のぼせて危ないっつーの!」
「やだー」
 律は既に十五分はお湯に浸かっていると計算した。別に普通の風呂なら十五分も長い時間とは言えまいが、何せここは草津温泉なのだ。
 お湯があっついのだ。
 湯量、効能ともに豊富な草津の特長として、どの温泉も温度が高い。さっと入る分には良いかもしれないが、長湯には向かないと思われる。思われるのだが―――
(何でこいつってこんな意固地……)
 律は長年付き合っている親友の妙なところで発揮される意地の強さにすっかり参っていた。そして、こういった流れの先の顛末として澪がどうなるかも飽きるほど見てきた。
「ゼッタイ後になって後悔するに決まってんじゃん」
「特集では三十分は入らないといけない、って書いてあったもん」
「おいおい、それは休み休みの話だろー?」
 この女はきっちり読んでいるようで読んでいない。なぜ、雑誌の持ち主である澪より自分が記事の内容を把握しているのかと嘆いた。
「律は先にあがっていいよ」
「何で草津くんだりまで来といて、我慢大会しなきゃならないんだよー」
 心の底からアホーと叫びたかったが、この幼なじみは口で言うより経験して理解させた方が早かったりする。
 それに肉体的にも最後まで付き合ってやれる自信がない。
「わかったわかったー。そんなら気の済むまで入ってろよー」
 そう言い残してざばんとお湯を出た。そして、そのままこのアホを煮えたぎらせてしまえ草津温泉、と念じた。
「て、いうかムギは全然平気そうだなー……どして?」
「いいお湯加減ねー」
 真っ赤になっている澪とは違い、ニコニコと余裕綽々のムギの肌はつきたての餅のごとく白さを保っている。彼女の生態スペックがますます疑わしくなる瞬間であった。


「ゆ、唯! まだいけるか~~!?」
「ら、らいじょうぶーまだ十杯はいけふ……うぷっ……やっぱ無理かも」
 壁一枚で隔てられた男湯と女湯。風呂だというのにショートパンツに半袖姿という出で立ちの夏音は崩れ落ちそうになる精神を支え合うために唯とエールを掛け合った。いや、彼女も無理そうだった。
「どうしたぃ、もう限界かい!?」
「No kidding pops!! とっとと黙って流せやっ!」
「威勢がいい糞ガキだなっ! 女みたいな顔してる癖にやりやがる!」
「顔は関係ないだろ、うぷっ……ちょっ、ペース早いって……あ、バカ! やーめてっ!」
「めんこい面しやがってよー。うちの倅の嫁に来てほしーぜッキショー!」
「男だっつってんだろうがコノ……Dumn!! って流しすぎだshit!! You bastard!!」
「上半身だけでもいいんだがなぁ……俺はいいんだけどよぉ」
「Screw you!!」
「You punk……Wash your fuck`n mouth!!」
 ふいに流暢というより、カンザス辺りで聞こえそうな訛りの英語がオッサンから飛び出た。
 それに続いて今まで見たこともない量のアレが投入される。
 半分に切られた竹を伝ってものすごい勢いで落ちてくるアレ。箸で掬うには不可能な次元である。夏音はそのまま箸を構えた格好のまま呆然と立ち尽くした。
「ひゃっひゃっひゃ!!」
それを見て高笑いするオッサン。
「悪魔ー! くっそー今回はいけると思ったんだけどなーー」
 夏音はその場に崩れ落ちた。その瞬間、壁の向こうから悲鳴が聞こえた。
「もう無理~~~」
壁の向こうで崩れ落ちる音が聞こえた。


「夢破れて山河あり……っぷ……」
「何だ唯~。急に詩心に目覚めたのー」
「松尾芭蕉が詠んだんだよー。夢が叶わなか
ったって……ぉえっ……ことじゃないかなー」
「そうかー。あっ…………ぷ……ひぅーアブネ。芭蕉はよくわかってんねー」
 何もかもが、違うが。
 夏音と唯の両名は外湯施設にある無料の休憩場で横になっていた。もとい、グロッキー状態であった。
「くそー。英語わかんなら最初から言っておけってーの」
 テンションが異様な方向に上がり、思わずスラング言いたい放題だったと後悔する。
「おしかったなー」
「おしかったねー」
 二人して楽な姿勢を探して、横になる。

【挑戦者求ム 流しわんこソーメン 食べ切れたら『大友夜』の甘味全品無料券贈呈】

 喉から手が出るほど欲しい商品だった。
 流しソーメンとわんこそばをかけた恐ろしい種目だった。温泉の風景にそぐわない竹でできたレールがあり、上からどんどんソーメンを流されるのだが、そのペースがだんだんと上がっていくという地獄のルール。
 最初は「案外イケるかも」と思うが、中盤を超えたあたりで、めんつゆを足している時間もなくひたすら流れ来るソーメンをすくい口に入れ、かまずに飲む、という作業の繰り返しだ。
 別の名を苦行という。世の修行僧はこれに挑戦するべきだと思う。
 未だ達成したものはいないという噂だが、そもそも終わりが見えない鬼ゲーである。
「大友夜のスイーツが……」
「うぅくやしひ……それより、お腹がくるしひ……」
 韻を踏んだ台詞を吐きながら横で同じように苦しむ唯を見て、やっと冷静になった頭が「馬鹿なことをしたもんだ」と後悔を滲ませる。
 せっかく観光に来ているのに、何故苦行に赴かねばならなかったのだろうかと。
「後で運動でもしないとご飯が入らないよこれ……」
「うぅ、そだね……」
「唯、俺たちってバカかな」
「…………そだね」
 どこか似たような行動をとる軽音部in草津。


「みんな疲れちゃった?」
唯一、体力に余力があるムギは、討ち入りを果たした直後の赤穂浪士のごとく疲弊しきった他の面々の様子に首をかしげた。
「温泉って入りすぎるのもいけないんだね……」
 唯が漏らした一言に全員が無言で同意した。それは、まさに格言であった。
 今日一日で七つ以上もの温泉をめぐった彼女たちは疲れを癒すどころか、どっぷりと疲労にまみれていた。
「澪にいたってはゲッソリしてね?」
 夏音は当社比七十%ほどまで細くなった澪が目について仕方がなかった。途中から合流したが、お前に何があったと聞くに聞けない空気もあった。
「今日はもう何もしないでゆっくりしてたいや……」
 言うまでもねーと意見が一致した。

 夜になってすき焼きを食べた後、夏音は前に話してあったとっておきの秘湯に案内すると皆を車で連れ出した。
 でこぼことした山道を車で十分ほど行ったところで車を止めた。
「ここら辺、何もなくないか?」
「そう。ここからは歩きだから」
「えーこの寒いなかー!?」
 律は口をとがらせて盛大にブーイングを送るが、まあまあとムギやその他に窘められた。
「夏音くんがこれだけ言うんだから、きっと驚くほど素敵なのかも」
 そうにちがいない、と自信満々で若干ハードルをあげられた気がした。ナチュラルに人を追い詰める天才だなとゲンナリしながらも夏音は黙って頷いた。
 車を停車させてから、足早に険路を上ること十五分弱を歩く。
「くらいよーこわいよー」
「ほら、全員しっかりと前の人にしがみつきなよ。足下気を付けて」
 整備されていない山道など初体験である少女たちの歩みはのろのろと。先頭を歩く夏音のもつ懐中電灯の灯りだけが頼りであった。
「しかも、何でそんなたよりないの持ってきたんだよー」
 夏音が持つ懐中電灯の光があまりにも弱々しく、頼りないので律が恨み言をもらした。
「こうしないと楽しみが半減するんだよ」
 ぶつくさと文句を言われるのをなだめつつ、先頭の夏音がふんふんと鼻歌をすさびだす。誰もが聴いたことのあるベースライン。
「ウェンザナイッハズカム!」
「その曲ほど陽気な気分じゃないよ!」

 それから、えっちらおっちら歩き続けてしばらく経つ。
「着いたよ。でも、まだ顔をあげるなよー」
 夏音は立ち止まり、一時の間を置いた。
「はい、目をあけていいよー」
「う、わ………すご」
 ふとそう呟いたのは誰だったか。また誰かの溜め息が漏れる。
 ここに来て、少女たちは夏音が執拗なまでに明かりを避けようとしていた意図を理解した。
 億千の星空だった。銀色の海。王様の宝石箱の中身を夜空にぶちまけたような夜空。
 山の木々に阻まれ、空は見えないようになっていた。さらに細々とした明かりのせいで、お互いが縦一列に並んで足下を見ながら歩いてきた。
 明かりを抑えていたのは暗闇に慣れさせるため。すべて彼の計算のうちだと知る。
 青白く光り、赤い紅を刷いたような星々の御前。しばし、だれもかれもが自然の壮大さに打ち臥せられていた。そこにはぽかんと口をあけて空を仰ぐ者しかいない。
「これだけじゃないぜレイディーズ。何か音が聞こえないか?」
 夏音がいつまでも星空に魅了されている彼女たちに悪戯っぽく笑った。
「……水の音?」
 かすかに、というよりハッキリ聞こえる豪快な水の音。夏音が「Come on」と足下を照らして再び歩き出した。
 その場所からはごつごつとした斜面が続き、慎重に下りていくとまたもや視界が切り拓ける場所に出た。
「た、滝!?」
 そこにあったのは四、五メートルほどの滝。ゴゴゴゴ、と高度から大量の水が流れ落ちる時に発生する轟音。先ほどの音正体はこれであったのだ。またも驚嘆にくれる彼女たちに、得意顔の夏音が言った。
「ではお嬢さま方。例のものは持ってきましたか?」




「しっかし、こんなところにまで温泉が湧いてるなんてなー」
 滝を少し下流に行ったところに、小さなログハウスがあった。犬小屋を少し大きくした程度のものだが、そこには「滝の下温泉」と表記されてある。
 実のところ、こんな山奥にあったものとはつまり「温泉」のことであった。河原のあらゆる所に温泉が湧き出しており、その中でもきちんと岩で囲まれている場所がある。
 今、その中で五人の男女が足をのばしていた。
 リラックスしてこの世の幸福を受けたような弛緩した表情を見せていた律が、夏音に言う。
「そっかー。夏音は混浴狙いだったんだなー」
 さもありなん、と納得されそうになった夏音は慌てて否定した。わかるよー、みたいな顔されてもゼッタイにどん引きされているのが見え見えだった。
 真横で唯までもが「カノンくんたらえっちー」と言っているのが心に突き刺さる。
「だ、だから水着持ってこいって言ったんじゃん!」
「怒るなよジョーダンだろー?」
 かく言う夏音も異性の前ということで、しっかり水着を着込んでいる。
「ちゃんと水着買っておいてと言ったのに。何で俺だけこんなの?」
「いちおーみんなの精神衛生上の配慮だ」
 どきっぱりと言われた夏音は「……ソウカ」と悲しげにうつむいた。皆が買い出しに行く際、水着が無いのでサイズだけ伝えて買っておいてもらったはずだった。
 いざ用意された物を拝むと、下はショートパンツ。上は超薄手のノースリーブ………これは女の水着じゃないのか。
「最近じゃ、男でもそういうのが流行ってんだってよー」
「そ、そうなの?」
 律はそんなワケねーだろと夏音に聞こえないように笑った。
「綺麗だなー。なんか星空の中を漂ってるみたいだね」
「ほんとだなー」
 見上げれば満点の星空。落ちてきそうで怖いくらいのスケール。じっと見詰めていると自分がその中に浮いているような感覚。
「いくら暗くても、空気が澄んでないとなかなか見れないんだよなー」
「まさに冬ならでは、って感じなのねー」
 冬の澄み渡った空気の方が星空を見られる確率が高い。夏音が冬が好きな理由の一つだ。
 一同は片時の間、言葉を忘れてその光景に魅入っていた。
「ありがとうね夏音くん」
 その静寂を破ったのは思いがけない唯の言葉だった。
「どうしたんだ唯?」
「何となく夏音くんにお礼言わなきゃなって思って」
 本当に何となく言っただけらしい。何だよそりゃ、と苦笑して夏音は足をあげてお湯をじゃぶんと跳ねさせた。
「でもなー。考えられなかったなー男と温泉入る日が来るなんて」
「私はたぶん一生ないと思ってたけど」
「とか言って夏音なら許すのかなー?」
「そんなこと誰も言ってないだろー!?」
「でも夏音くんだとそこまで嫌な感じがしないよねー」
「ほんとどうしてかしら?」
 全員がそんなことを言い始めた。
 ぽつりと律が「ま、コイツが男と思えってのが無理だろ」と呟いた。かろうじて澪にだけ聞こえたらしく、同意とうなずく。
「みんなして何だよいきなり?」
空を見上げるのを中断して、思わず彼女たちを睨む。
「まあ、みんな感謝してるってことだよ! 特別ってことだろ?」
「そ、そーお?」
 居心地が悪そうに震えて夏音はぶくぶくぶー、と顔までお湯に沈み込んだ。
「もしかして夏音くんたら赤くなってる?」
「こ、こんな暗さで見えるはずないだろ!」
 思わず水面から半腰に。いくらムギでもそこまで夜目が冴えている筈がない。
「そう言うってことは図星じゃん!」
「違うわアホ!」
「夏音くんかわいー」
 きゃっきゃうふふ、とからかわれる責め苦を味わい、憤慨した夏音は彼女たちに向けてざぱんとお湯をぶっかけた。水のかたまりが律のデコに命中して飛散した。
「ぬわっ! 何すんだコラァ!」
「うるせーやい!」
「お湯が目にー」
 巻き添えをくらった唯は酸性が強めの湯が目に入って沁みたらしい。
「あ、ごめん」
「お返しじゃー」
「わぶっ!?」
「わ、わたしもお返しーとりゃー」
「ムギまで!?」
「あに他人事みたいなツラしてんだよ澪っ」
 混ざれ、と。
「わ、私は何も言ってないだろう!?」
「ぶぅ、沁みるーー」
「あ、そんな恥ずかしいぞ律!」
「いいじゃん他に誰もいないんだからサー。澪もどりゃー」
 律が勢いよく澪の方へ突っ込んでいく。
「み、澪ちゃん水着が……とれ……」
「Oh……Jesus…」
 軽音部はどこにいてもこんなものなのだろう。それが瞬く星空の下だろうと。


 二泊三日の小旅行は何だかんだと無事終了した。
 夏音は全員を送り届けた後、襲ってくる眠気に全力で抵抗しつつ帰路についた。ガソリンはメーターぎりぎり。何とか家まで持ってくれて間一髪であった。
いつものごとく、ソファーでぶっ倒れていると携帯の着信音が鳴る。古くさいパンク。 これはジョンが大学時代に若気の至りで活動していたガチパンクバンドの音源だ。完全に廃れて久しい「ガチ」な感じが全面に出ていてジョンの黒歴史認定第一種の物である。 夏音は嫌がらせとしてジョンからの着信音に採用している。
「ハイ、どうした?」
『カノン………元気かい?』
「何だよ。二週間前に会ったばかりだろ」
『い、いや……特に変わりはないかなと』
 夏音は、この男はいったい何を言っているのだろうと怪訝な表情をつくった。
「別に何にもないけど」
『それならかまわないんだ。そういうことで』
「待てよジョン」
『な、な、な、な、なんだ?』
 どもりすぎだ。
「マークのヤツはツアーだよな?」
『さ、さあーどうだったかな。彼のマネージメントは僕の管轄じゃない。それだけかい? それじゃ』
「まあ、別にいいんだけどさー。それにしても母さんが『マークにすべて割れてしまったの』って言うもんだからビクビクしてたんだよなー。まあ、あれから三週間経ったし杞憂だったかな」
『……………………………………………………』
「ジョン?」
「す、すまないカンン! いま忙しいんだから!」
 ガチャリ。
「変な奴……それにしてもジョンのくせに生意気な……」
 というより何のために電話してきたのだろうか。
 夏音は「まあ、ジョンだし」と結論づけ、風呂に入る頃にはそのことをすっかり頭の中から消し去ってしまった。
 確実に彼が怖れるモノが近づいてきていることなど知らずに。


 ※いろいろカオスです。超草津いきてーという願望が生み出したお話だったりします。温泉行きたいです温泉。
 次回、ぬんっとストーリーが展開するかと思います。


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