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No.26404の一覧
[0] 【けいおん!】放課後の仲間たち[流雨](2012/06/28 20:31)
[1] プロローグ[流雨](2011/06/27 17:44)
[2] 第一話[流雨](2012/12/25 01:14)
[3] 第二話[流雨](2012/12/25 01:24)
[4] 第三話[流雨](2011/03/09 03:14)
[5] 第四話[流雨](2011/03/10 02:08)
[6] 幕間1[流雨](2012/06/28 20:30)
[7] 第五話[流雨](2011/03/26 21:25)
[8] 第六話[流雨](2013/01/01 01:42)
[9] 第七話[流雨](2011/03/18 17:24)
[10] 幕間2[流雨](2011/03/18 17:29)
[11] 幕間3[流雨](2011/03/19 03:04)
[12] 幕間4[流雨](2011/03/20 04:09)
[13] 第八話[流雨](2011/03/26 21:07)
[14] 第九話[流雨](2011/03/28 18:01)
[15] 第十話[流雨](2011/04/05 15:24)
[16] 第十一話[流雨](2011/04/07 03:12)
[17] 第十二話[流雨](2011/04/21 21:16)
[18] 第十三話[流雨](2011/05/03 00:48)
[19] 第十四話[流雨](2011/05/13 00:17)
[20] 番外編 『山田七海の生徒会生活』[流雨](2011/05/14 01:56)
[21] 第十五話[流雨](2011/05/15 04:36)
[22] 第十六話[流雨](2011/05/30 01:41)
[23] 番外編2『マークと夏音』[流雨](2011/05/20 01:37)
[24] 第十七話[流雨](2011/05/22 21:00)
[25] 番外編ともいえない掌編[流雨](2011/05/25 23:07)
[26] 第十八話(前)[流雨](2011/06/27 17:52)
[27] 第十八話(後)[流雨](2011/06/27 18:05)
[28] 第十九話[流雨](2011/06/30 20:36)
[29] 第二十話[流雨](2011/08/22 14:54)
[30] 第二十一話[流雨](2011/08/29 21:03)
[31] 第二十二話[流雨](2011/09/11 19:11)
[32] 第二十三話[流雨](2011/10/28 02:20)
[33] 第二十四話[流雨](2011/10/30 04:14)
[34] 第二十五話[流雨](2011/11/10 02:20)
[35] 「男と女」[流雨](2011/12/07 00:27)
[37] これより二年目~第一話「私たち二年生!!」[流雨](2011/12/08 03:56)
[38] 第二話「ドンマイ!」[流雨](2011/12/08 23:48)
[39] 第三話『新歓ライブ!』[流雨](2011/12/09 20:51)
[40] 第四話『新入部員!』[流雨](2011/12/15 18:03)
[41] 第五話『可愛い後輩』[流雨](2012/03/16 16:55)
[42] 第六話『振り出し!』[流雨](2012/02/01 01:21)
[43] 第七話『勘違い』[流雨](2012/02/01 15:32)
[44] 第八話『カノン・ロボット』[流雨](2012/02/25 15:31)
[45] 第九話『パープル・セッション』[流雨](2012/02/29 12:36)
[46] 第十話『澪の秘密』[流雨](2012/03/02 22:34)
[47] 第十一話『ライブ at グループホーム』[流雨](2012/03/11 23:02)
[48] 第十二話『恋に落ちた少年』[流雨](2012/03/12 23:21)
[49] 第十三話『恋に落ちた少年・Ⅱ』[流雨](2012/03/15 20:49)
[50] 第十四話『ライブハウス』[流雨](2012/05/09 00:36)
[51] 第十五話『新たな舞台』[流雨](2012/06/16 00:34)
[52] 第十六話『練習風景』[流雨](2012/06/23 13:01)
[53] 第十七話『五人の軽音部』[流雨](2012/07/08 18:31)
[54] 第十八話『ズバッと』[流雨](2012/08/05 17:24)
[55] 第十九話『ユーガッタメール』[流雨](2012/08/13 23:47)
[56] 第二十話『Cry For......(前)』[流雨](2012/08/26 23:44)
[57] 第二十一話『Cry For...(中)』[流雨](2012/12/03 00:10)
[58] 第二十二話『Cry For...後』[流雨](2012/12/24 17:39)
[59] 第二十三話『進むことが大事』[流雨](2013/01/01 02:21)
[60] 第二十四話『迂闊にフラグを立ててはならぬ』[流雨](2013/01/06 00:09)
[61] 第二十五『イメチェンぱーとつー』[流雨](2013/03/03 23:29)
[62] 第二十六話『また合宿(前編)』[流雨](2013/04/16 23:15)
[63] 第二十七話『また合宿(後編)』[流雨](2014/08/05 01:53)
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[26404] 第十一話
Name: 流雨◆ca9e88a9 ID:a2455e11 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/04/07 03:12

「はい、スネアくださーい」
 カン、カン、と8ビートを刻むスネアの、どこかぎこちない音が硬く響く。
「つぎーハイハットお願いします」
 薄暗い体育館にはちらほらと一般生徒がいるだけで、がらんとしている。人が少ない広大なハコに響くのは、時々マイクを通したPAの人の声とドラムの音。
 静寂と木霊する打楽器の間にはどこかしら緊張を孕んだ空気がぴりぴりと漂い、その作業を見守る者はそろって口をつぐんで額に流れる汗をぬぐっていた。
「ね、ねえ夏音。私の音、どこかおかしくないよな?」
 夏音がステージを下りたところで、外音にじっと耳をすませていると、ベースをスタンドに置いた澪がステージを降りてきた。
「まだ、何とも言えないね。もう一度ちゃんと音聴くから。次、ベースだよ。ほらほらしっかり!」
 そんな彼女の緊張をほぐすようになるべく明るく声を出すと、彼女は顔を強張らせながらも微笑もうとした。失敗したが。軽く笑って頷き返すと、夏音はステージに足を向けた。後をついてくる澪は傍目にバレバレなくらいガチガチで先ほどから緊張を空気感染させている。
 足がガタガタと。動悸もかなりやばい。澪が緊張に弱いことなど、今さら確認するまでもなかったが、こんなになるまでガチガチになるのを見ると、本番での演奏が不安である。
 緊張は仕方がないことだし、適度な緊張は精神を冴え渡らせることもある。とはいえ、澪の縮こまり方は身体に余計な力が入ってまともな音を出せないではないかと懸念された。 
 とりあえず夏音ができることは本番までに彼女をなるべくリラックスさせる努力をすることだけだ。
 段取りは事前に説明はした。とはいえ、全てが初めての体験に違いない。彼女達がライブを作り上げるのに必要不可欠なリハーサルの空気にびびってしまうのも無理はない話だ。
 PAの指示は手慣れているものだったが親切である。今回、PAに関してだけは外部の人間を呼び寄せた。ちょうど夏音が日本に来てからレコスタで知り合った新米の斉藤という男が夏音の頼みを快く引き受けてくれたのだ。彼の経歴はスゴイ。 エンジニアを目指して音響の専門学校を出た後、すぐにそこら辺のレコード会社などに就職して下積み修行……をしないで単身で渡米。向こうのライブハウスでバンド活動をしながらバイトをして、幾つもの生の音を耳に入れて過ごした。
 そのうち、運良く出遭ったハリウッドの音響関係の仕事をしている人物と懇意になり、アシスタントという名の弟子になった。弟子といっても全く仕事を回して貰えない訳でもなく、実際に向こうで仕事を任せてもらえるようにもなったところで日本に帰ってきた。
 何でそんな惜しいところで、と気になった夏音が彼に尋ねると「向こうのB級映画の音響チームに入る機会があったんですけど……外れでした。B級のくせに気取った感じで、B級の誇りがないのか! って感じで。腐ってもプロで、自分なんかより数倍もマシな仕事するんですが、姿勢とか、合わなくて……」と照れくさそうに語った。
 その後、ツテというツテを使って今のポジションにいるらしい。
 夏音は彼の姿勢を感じ取って、いたく感銘を受けた。この業界にいると、そういう熱い志を持っている人間と出逢えるのも醍醐味だと思った。
 音響エンジニアといっても、その仕事の幅は広い。素人が想像するより、遙かに広い。彼は将来的には有名バンドやアーティストのレコーディングを担当したいと意気込んでいる。独特の訛りはあるものの、英語もばっちりなので、海外アーティストとの仕事には重宝されるだろう。
 夏音はそう思っても気軽にできるさ、とは言わずにその場は黙って頷いていた。
 そんな彼は、こういうライブの現場の仕事も大好きだそうだ。機材運びなどの肉体労働は疲れるが、現場だけの仕事だけは離れたくない、と。だから夏音は彼にすんなりこの話を持ちかけることができた。
 いや、その話をした時に「うっそっ! ちょ、マジでっ! あのカノンさんが!? JKがJKでJKとJKによる学祭ライブ? クソあがるわーー!!! 自分を指名してくれてありがとうございます! 仕事あっても空けていきます!」と意気込んできた。いや仕事は優先しなさいよ、と夏音は突っ込んだ。
 結局、仕事と重ならなかったのは幸いだった。
 当日、見知らぬ男性が大量の機材を携えて現れるのを他の軽音部一同は呆然としながら受け入れるハメになった。どこからこんな人を借りてきたのか、と問いただされたが夏音は「お、親の知り合いやねん」とその場しのぎの関西弁で誤魔化した。
 ステージセッティングなど絶対にできそうもない女子高生と、その気になればセッティングはできる華奢な男子一名だけでわずかな時間内に作業が終わるはずがない。
 機材を運ぶ役は女手にも任せたが、細かいワイヤリングやマイキングは全て斉藤と夏音だけで行った。普段、アーティストとエンジニア。その関係の二名がこんな仕事をするはずがないので、かえって新鮮だったがタイムアップまで鬼気迫る様子で作業を進めていく二人の姿を誰もがぽかんとしながら見守っていた。
「イヤー懐かしいですねー! 学生の時、こんな風に講堂とか体育館のセッティングしていましたよー」
 まあ、彼はやけに嬉しそうだったが。そう話しながら神速でケーブルを巻き上げていく姿は格好よかった。流石、プロの仕事である。
 セッティングといっても、各アンプとドラムにマイクを当てる。モニターと外部スピーカーだけである。
 そこまでステージの設計を終えると、後は彼女達にも出番がまわってくる。

「次、ベースお願いしまーす」
「ほら、澪の番だよ」
「は、はひゃっ!」 
 澪がびくっとしてストラップの位置を直した。さっきから何度目かわからないストラップ位置修正。どうも収まりが悪いらしい。どうやら彼女は寝よう寝ようと思って身体の至る所がかゆくなるタイプの人間らしい。
 手元のボリュームをフルテンにした澪はオリジナル曲のフレーズをループして弾く。彼女が高出力のアンプ、またスピーカーから放たれるどでかい音に気後れしているのがわかった。どうもボリュームを出すのを惜しんでいるというか、普通に弾けば良いのにメゾピアノ。
 PAとの作業というのは、外のスピーカーの音のバランスを整えたりする。ドラム、各アンプにセットしているマイクで音を拾ってスピーカーから流す。各楽器の音を順々に合わせていく作業は、たいていはドラム、ベース、ギター、キーボードという順になる。学期毎に使用するエフェクター、音量をPAに伝えるのが演者の役目だ。
 夏音はジェスチャーでもっと思い切り弾け、と澪に伝える。するとアンプから出てくる音が一・五倍くらいの大きさになる。斉藤が少しだけにやっとしたのが見える。しきりにステージと卓を行ったりきたりして、適当なところでOKの合図が出た。
 今回のセットリストは異色である。ベーシストが交替して、澪から夏音へと弾き手が代わるのだ。
 夏音の場合、使用するエフェクターが多めなのでしっかりと音作りをせねばならない。次々と斉藤と掛け合って確認作業を進めていく。シールドを伸ばしてステージの下で外とのバランスを自分で見たりして相談を重ねた。
「後ろから聴いてどう?」
「いやー、結構色んなところハウっちゃってますねー。あの天井とかだよなー。あと、あのめちゃくちゃ立て付け悪そうな窓。とりあえず、めっちゃ削りまくってなんとかしてます」
「どうしようかなー。元々、バンドのために作られてないからねー」
「時間かけたらどうにかなりますけど、まあそこまで支障ないです」
「そっか。あ、ちょっと全体的に中で上げるから外小さくして」
 みたいなやり取りが続き、夏音はベースを置くと次にギターの番に。同じようにギターの方の確認が終わると、その後は唯、ムギ。最後にヴォーカルとコーラスといった順でリハーサルはまわっていく。
 一曲目から二曲目への流れと一コーラスを確認すると、リハを終了した。
「OKでーす、本番よろしくお願いしまーす!」
 斎藤の言葉にメンバーはすごい勢いで頭を下げ、「よ、よろしくお願いしまっふ!」と勢いづいた。それを見てまたもやくすりと笑った斎藤が伸びをしてPA卓前の椅子にどかりと腰を下ろした。本当にお疲れ様です、と夏音は心で何度も頭を下げた。
「ふー……案外余裕あったね」
 夏音が時計を確認すると、休憩時間終了まであと二十分もあった。
「そろそろ衣装着ちゃわないとなー」
「……………衣装、か」
 あの衣装を着ねばならないのか。もう避けようのない未来は目の前に。夏音は肩を落としてステージ裏に向かうのであった。 




 桜高祭、といえば地元では有名なお祭り行事の一つである。生徒の保護者をはじめ、地域の住民や他校の生徒までもが普段開かれることのない門を堂々とくぐることができる一大イベントといったところか。
 近年、学生による文化行事への厳しい姿勢をとる保護者、各教育関係者たちが増えているせいで近辺の学校の文化祭がぎくしゃくとしている中、校風に謳っているように桜高祭は生徒の活動の自由度がかなり高い。泊まり込みも可能、火器の使用可、などと他校よりも緩い態勢である。
 その代わり、生徒は自分たちの企画した出し物については企画からすべて自分たちで行わなければならない。資金繰りや、人員配備、飲食を扱うならその材料の調達ルートまでもが自分たちの手で確保しなければならない。そこには、一つの目標に対しての重い責任や物事の達成を学ぶ桜高の教育姿勢があらわれている証拠でもあった。



「つーわけで、お化け屋敷をやるわけになったのでっした!」
 夏音が風邪をひいて学校を一日だけ休んでいる間に、クラスの出し物が決まっていた。お化け屋敷、企画立案はそれを告げた張本人の律。
「お化け屋敷……てなに」
 ばーんと両手をひろげて開口一番にそう告げてきた律を宇宙人でも見るような目で見詰めた夏音。反応が鈍いことに首を傾げた律が「あぁー」と首肯して説明を加えた。
「知らないのかー? 日本の伝統行事だよ。教室をまるまる一つ使って肝試しをするのさー。うらめしや~、ってね!」
「いや、お化け屋敷は知ってるんだけど。何でそんなけったいなものを?」
「けったいとか平気で使う帰国子女の方がけったいだ。ていうか、定番じゃん」
 定番だから、と単純な理由だが夏音は思い切りしかめっ面をした。
「面倒くさいのはいやですー」
「だーいじょうぶ! 小道具とか作ったり、みんなで作業するのとか面白いって! きっ
と!」
 おそらく律とは決定的な感覚のズレがあるのだろうと思った夏音はそれらしい理由を言い添える事にした。
「でも、それだと軽音部の練習だってあるのに時間をとられちゃうでしょ?」
「それもだいじょうぶ!」
「……ぺっ」
 態度を揺るがせない律に夏音はついつい口でつくられた分泌液を吐きだした。
「えぇっ! 今の会話の中でそんなんさせちゃう要素が!?」
「新曲のギターソロ終わりのフィルでいまだにもたつく奴が何を自信満々に言っているんだろうと思ってね。できるようになったのかしらー」
「う………だって、あの変拍子のところむずかしくて……」
「練習しろよ」
「夏音があんな変態な曲作ってくるから!」
「この口かーそんなことをほざくのは。口に靴下をつっこんでやろーか!?」
「ひぃーー!!」


 というやり取りがつい二週間くらい前にあったのだ。
 練習もしなくてはならないのに、クラスの出し物に時間をつぶされるのは歓迎できない。もちろん夏音は学校祭がどういうものか知っていた。定番だし。学園ものには欠かせない要素の一つである。学祭が存在しない青春ものなんてないはずだ。
 だが、クラス展示の作業はいつやらねばならないのか?
 放課後、である。
 夏音にとって放課後は何をする時間か。音楽をやる時間だ。また、お茶をして駄弁る時間。
 てきとーに参加してブッチしよーと考えていたのだが。
 現実はそう甘くはなかった。

「夏音くんは猫娘ねー!!」
「キャーーキャーーー」
 キャーキャーという黄色い悲鳴をバックに、夏音は固まった。
「パードゥンミー?」
 耳には入ったが、頭に入らない。夏音の中の夏音が神経をせき止めているに違いない。精神の安全を守るために。
「もう今さら変更は無理なの!」
「多数決だからね!」「民主主義ですもの……ふふっ」
 夏音がぼんやりと学園祭早くこないかなー、などと呆けているうちにクラスの女子たちは秘密裏に動いていた。
 お化け屋敷というのだから、脅かし役も当然ながら必要である。
 その脅かし役に見事抜擢されたのはクラスのお人形さんもといマスコットにいつの間にか祀り上げられていた夏音。いらぬ鉢がまわってきた……とまでは夏音も飲み込める。そこまでは。
 しかし、よりによってその役が猫娘。娘ってなんだろう。日本語の辞書をもう一度引いてみようかな、いや、やっぱありえないだろうおい、殺すぞというツッコミもなすがままに力失せて地面に墜落した。同時に、これから男としてのプライドも墜落する予定である。
 目の前の瞳を輝かせた女子の壁は、暗に『てめー逆らえると思うなよ?』とプレッシャーをかけられているのだろう。夏音は心の中でひっそりと涙を流した。
 後日、女の子用の浴衣を朱色に染め上げ、何故か裾をかなり短くされた衣装を目にした時は胃から何かがこみ上げてきそうだった。なんか、こう世紀末の大魔王的ななにかが。
 まあ、衣装の完成品は割と凝った出来でさすが手芸部が在籍しているだけあった。
「違う違う! そこはこう、いーい!? こう、足をあげて『ニャーー』よ!」
「にゃー」
 しばらく放課後にクラスの女子にそんな指導を受けることになったのだ。

 
 かくして学校祭当日を迎える事に。
「というわけで、はいコレ。猫耳」
 喜々として自分のメイクを担当している女の子が仕上げのアイテムを渡してきた。
「あ、泣いちゃだめよメイクがくずれちゃうじゃない!」
 知るか、と答えたかっただって男の子だもん。 

 実に本番の五時間前ほどの話である。

 さすがに軽音部の活動があることも承知してか、本番より前の練習には解放してくれる手筈になっているのは僥倖。
 しかし与えられた役を健気に果たしていると、次の客が歩いてくる音がした。
 夏音は、さて次に自分の魔の手にかかる哀れな客は誰か、と舌なめずりをした。既に割とノリノリである。しかし、彼はその人物の顔を見てぎょっとした。
 何故か怖がりの澪がふらふらとお化け屋敷に入ってきたのだ。ぎょっとしたのには色んな理由があるが、第一は真っ正面から今の自分の格好を見られるという極刑にまさる事態が起こってしまうというもの。
 澪はあまりクラス展示に関わっていなかったから、夏音の猫娘姿を知らない。知られたくもなかった。
 彼女は明らかにビビりまくり、へっぴり腰のままのろのろと歩いてくる。その距離、五歩分ほど。
 夏音は腹をくくり、澪の前に飛び出た。けたたましい妖怪の咆哮をあげながら。
「ニュィヤーーッハァーーッ!!!」
「キ、キャーッ!!!! んむぐっ……んぅーーー!! ニャーーー!!!」
 突然目の前に現れた妖怪・猫娘が現れ、しかも割と乱暴に襲いかかってきたことで澪の恐怖メーターが瞬時に吹っ飛んだ。
「ニャーーー、見るな叫ぶな見るニ”ャー!!!!」
 夏音は恐慌した澪をかついで、先に入ったカップルをひゅんっと追い抜いて出口から彼女を放り投げた。その後、猛ダッシュで元来た道を疾走する猫娘にカップルの男性の方が「キャーッ」と甲高く叫んだ。
 今ので猫娘十回分は疲れた、と夏音は汗を拭った。
 急にお化け屋敷の出口から飛び出てきた女子高生が白目を剥いて泡を吹きながら気を失っている光景に、「オイ……やべーぜ…………ココ」という噂が飛び交うように広まって大反響を呼んだ。



 そんなごたごたをこなした後、夏音の役目が終わった。夏音によってがっつりハードルがあがったお化け屋敷、後任の猫娘の子は相当の苦戦を強いられたと聞く。
メイクを落としてやっと苦役から解放されたと思いきや、全員が部室に集まったところで悪夢は更新される。


「みんないるわねぇー?」
 曲を二回ほど通して最終確認をしていたところ、さわ子が軽音部のドアを蹴破ってきた。
 ニッコニコと。その様子が「みんなのさわ子先生よー」というオーラを全身で振りまいていて、夏音はその表情をみて、ふと悪寒が走った。すぐ後に自分の勘はそれは大したもんだったと知ることになる。
「先生ぇ、どうしたんですかー?」
 鼻息荒く、尋常じゃない様子のさわ子先生に瞠目した唯が訊ねる。
「ふふーん、不本意ながらも軽音部に顧問になったことだし! 何か手伝えることとかないかなーと思ってぇー……衣装作ってきましたーっ!!」
 やんややんや。まさか半分以上が脅迫によって顧問にさせたさわ子先生がよもや自分たちのためにそんな手間をかけてくれるなんて。
 皆の表情が先生へ向けて尊敬を表すソレとなった。
「衣装ってどんなんですか!?」
 律がまるでしっぽを振った犬のようにさわ子先生のもとへ駆け寄る。
「見て驚きなさい。コ・レー」
 ぞくり。
 フリッフリのロリッロリ。
 あれである。今流行りのゴシックなんとかという。
 夏音は目をこすって、その衣装の中に男物がないことを疑った。
「先生……その」
「なぁに、立花くん?」
「俺の、は?」
「え、これだけど」
 スカートなんだけど。
「これ、男のじゃないですよね?」
「えっとね? 先生、女の子の服しかつくれなくてー、ごめんーみたいな?」
 絶対、嘘である。
「スカートなんだけど。俺、この年でスカート穿かなきゃいけないんだけど。ていうか、完膚無きまでにゴスロリ? ってやつなんだけど」
「大丈夫! あなたに着こなせないはずないから!」
 親指を立ててこちらにびしっと向けてきた顧問。あぁ、その親指を下に向けてアンタに返したい!
「拒否権は?」
「ありません(はーと)」
「うふふ、そんな~」
「じゅるり」
「もぉ~~先生とっとと消えてくださ~~い。ハートもまともに変換されないくせに」
「あらー何か言ったかしらー」
 火花が散る。絶対にさわ子は夏音に恨みを持っているはずだったのだ。これは体よく仕返しできるチャンスと踏んだに違いない。
「あー……ま、まあ夏音なら、ねぇ……?」
 律が同情めいた視線を送ってくるが、そう言っている本人も顔が引き攣っている。だって、とってもフリフリ。
 断固拒否したいところが、目の前に自分以上に気の毒な人間がいることで心の均衡を保とうとでもしているのか。
「こんな姿が知られたら……あいつにみられたら……」
 もう、二度とプロのステージには復帰できないかもしれない。さわ子先生が用意してきた衣装は、それくらいの破壊力を有していたのである。



 それを着て、これから観客の前で演奏しなければならない。
 本番前になると生徒もぞろぞろと体育館に入ってくるので、外に出られなくなる前に夏音は斎藤のもとへ向かった。
「あ、カノンさん。どうスか、調子は?」
「すこぶる……いいよ」
 夏音に気付いた斎藤がパイポを加えながら夏音に声をかけたが、それに対する返答は実に歯切れ悪い。当然だ。
「あのね。今日、目にすることは一切他言無用だということは話したよね?」
「ええ、もちろん! ここで聴いたり見たことはすべて秘密ですよね。わかってますよ。ギャラも弾んで、タダ同然でこんな面白そうなもの見られるならいくらでもお口にチャックしちゃいますよーぅ!」
「ホントにホントだからね」
「はいはい。スィークレットですよね!」
 この男、発音が悪いのだ。
「絶対に秘密だよ」
「ひみとぅーですね」
 おまけに結構バカだったりするから信用ならない。
「信用していないワケではないんだけど、念のためにね。釘をさす、ていうんだっけね」
「だーいじょうぶです!」
「よろしく頼むよ、ホントに……」
 念には念をだ。言いたいことは言ったので、さっさとステージ裏に向かう。
 数回ノックして、「どうぞー」という応えが返ってきた。
 ステージ裏の放送設備が置いてある部屋では、すでに衣装を着込んだメンバーの姿があった。彼女たちのソレは、似合っているのかは別として可愛い仕上がりとなっている。これを拝めるお客さんは眼福ものでしょう、といったナリだ。
 彼女たち、であったならば。

「コンナンデマシター」

 彼女達の後、そそくさと影で着替えを済ませた夏音は生気の抜けた顔で自らの格好をさらけ出した。もうこの視線が痛い。むしろ、くせになりそう。
「似合っている、よ……ねぇ?」
 ねぇー、と近所のオバチャンみたいな澪にふられたメンバーは夏音の姿に釘付けとなった。
「に、似合いすぎて逆にどんびきっていうか……」
「お人形さんみたいねー素敵ですよー」
「あぁ、ヤメテ。そんな言葉はいらない。泣きそうだから。この年になって一日何回も泣かされるの男の気持ちを考えてほしい」
 男心は実に繊細なのだ。



「軽音部は全員そろってる?」
「はぁーい」
 生徒会でステージ進行を担当している和がステージ裏で軽音部の面々に最終確認を促した。
「発表時間は二十分ね。機材も全部用意してあって……撤収作業はジャズ研の発表後に全員で行う、と……。あと五分で休憩が終わるわ……がんばってね」
 律は部長としてその言葉を受け取り、大きく頷くと皆の方に顔を向けた。
「よーし……やるぞーー!!」
「おーーー!!!」
 円陣をくみ、気合を入れる。夏音は両隣の澪とムギがわずかに震えているのを密着した肩に感じた。
 夏音は頬をゆるめて皆に最後の言葉を零した。
「いっぱい、いっぱい練習したんだ。自信をもって演奏しようね。最後に、音楽を楽しむことを忘れないで」
 夏音の言葉に全員が強くうなずき、ステージにあがる。
 ライブの構成は、合宿で作ったオリジナル曲、ふわふわ時間。それとこれまた合宿でやったSmoke On The Water、最後にオリジナルのWalking of the fancy bear。最初の二曲を夏音がヴォーカルを務め、次に澪がピンヴォーカルといった具合である。夏音はこのふわふわ時間という曲のヴォーカルをやる事を後悔していた。
 とんでもなく小っ恥ずかしい歌詞なのだ。夏音にとって未体験ゾーン。初めて歌詞を魅せられた時は、作詞者の澪の脳内世界を垣間見てぞっとした瞬間であった。
 
 和によると、お客さんは満員。立ち見の人までいるそうだ。
 たしかに、ステージの幕の外には大勢の人間のざわめき、熱がうごめいている気配を感じる。クラスの人に宣伝もしたし、ポスターも作った。休憩を挟んで人気の少なかった講堂だったが、今や人で埋め尽くされているに違いない。
 各自が自分の楽器をもち、スタンバイをする。
 アンプから音を出し、それが外のスピーカーやモニターから流れるのを確認した。大きな音が流れるとざわめきが一瞬静まり、再び大きさを増してざわめく。
 ステージ脇の和が「もう時間よ」と合図したのを見て、夏音は一度まわりを見渡す。
 それぞれと頷きあってから中央のマイクの前に立った。
 

 いざ、幕があがる。


「ワン、トゥー」
 律のカウント。
 唯のギブソンが若干ぎこちないリフを発射した。いや、まだ発射じゃない。装填。
 澪のグリッサンドがうねる。真空管から放たれる極太の歪みが曲を押し出す。そこに重なるのはムギのハモンド・オルガンの音と夏音のギター。引き金は引かれた。
 やはり稲妻のように轟く音と光をまき散らし、夏音のギターが自由に会場を駆け巡る。澪がボトムを支え、その上をひたすら驀進する。
 小っ恥ずかしい歌詞をきちんとした発音でしっかりと歌い上げる。内気な女の子の胸に秘めた想い。きっとその娘は寝る前のベッドの中で相手の事を想うのだろう。
 いったん曲に入り込んだら、夏音の集中力は凄かった。歌詞の内容をしっかり把握して、内容を無視しないで歌い続ける。羞恥心とせめぎあいながら、聴衆にしっかり歌を届ける。
 実はこの曲、ラップがある。おかしい。絶対、初めて耳にする人は「ん……んっ?」と二度見ならぬ二度聞きしてしまいそうな部分。
 どうして合宿から本番に至るまでこの曲がこんな進化を遂げたのか。それは澪の歌詞に問題があった。澪としては、詩を書いているうちに盛り上がりすぎたせいで譜割も何も考えずに書き連ねてきたらしい。そもそも、曲に詩を乗せるのは初めての彼女はあまり意識しないで歌詞を作ってしまったそうだ。
 根っから「うわーイタタ」となった律と夏音を除いたムギ、唯は詩をいたく気に入るわけだ。それは大絶賛の域で、この歌詞を削るのはもったいないと強く主張し始めた。正面切って詩を批判できない律と夏音は、しぶしぶ曲の方をどうにかする案に賛成する事になった。
 で、出た結果がコレだ。ラップ。ドロップDとディストーションとオーバードライヴを使い分けてそれぞれに特徴的に歪ませたギターとベースが曲に強烈なアクセントをもたらす。
 この部分は唯一の責任として、澪に歌わせた。その間、夏音は思い切り上体を振って暴れる。
「huwahuwa-time!!! Yeeeeeahhhh!!!!」
 終盤になって何かがすっごく吹っ切れた夏音の叫びが体育館を埋めていく。
 夏音はフィニッシュへ向かう曲の中、客の様子をじっと観察した。
ステージ幕があがってからすぐに内臓が震えるくらいの爆音。客が呆気にとられて目を見開いている様子に、にやっと笑う。
 これが軽音部の産声。彼女達にとって初めて作ったオリジナル曲だ。ムギが骨子をつくり、それを夏音が曲としての肉付けをした。全員でコンペしつつ、完成させていくうちに、微妙に足りない部分などを補った思い出もある。苦労した分、思い入れがある曲。
 夏音は歌う。恥ずかしい歌詞にありったけのソウルをこめて、歌った。
 曲が終わり、残響が響く。音を切った後、夏音の声がヴォーカルマイクを通してしんと講堂に響いた。
「Thank you」
 すかさず、拍手の音が演奏者に送られた。それこそ雷のように降り注いできて、彼女達様子を伺うと、自分たちに向けられる万雷の拍手に唖然とした表情をしていた。
 拍手は鳴りやまない。
「コニチハー!!」
 拍手が止んだ。
(あれ?)
 クラシックの会場みたいに水を打ったような静けさ。
 おかしい。何故、音がしないのだろうと夏音が首を傾げる。慌てて律の方に顔を向けた。
「おい、話が違うじゃないか! 俺がこれやったら絶対にどっかんどっかんだって!」
 律を睨んで、潜めた声で彼女を責める。
「し、しーらなーい」
「あ、あ、後で覚えておれよ……」
 怒りに方を震わせながら、アハハと取り繕った夏音が観客に向き合う。よく聞けば、「え、あの人ハーフ?」とか「日本語無理系な?」とか言われている。
(いやいや、留学生とかじゃなくて)
 どんなひそひそ声もしっかり耳に入ってしまう夏音は大変気まずかった。PA卓にいる斉藤は卓に突っ伏してふるふると震えている。夏音は彼が秘密を破った際は、六道の地獄すべてを味合わせてやろうと心に誓った。
「か、かんじゃいまーしたー! 軽音部です! ヴォーカルの立花って言います! 立花! 立つ花って書いて立花!」
 わずかにどよめく会場。おぉ~、と。ああ、日本の苗字だなぁ、と。
「カノンくーーん!!」
 数人のクラスメートが夏音の名を呼んだ。
「へ、へへ……こいつぁどうも」
 突然の事だったので、どう返してよかったか分からなかった。ステージで呼びかけられる事などしょっちゅうあったのに、プロとしての矜恃はどこにぶっ飛んでしまったのかと嘆かわしかった。
「アァー、次はみんなが知ってる曲をやります。有名すぎるあの曲です」
 律と目を合わせると、八分のカウントが刻まれる。二曲目はあっという間だった。放心気味だった彼女達は何回もやった曲だけに、演奏を楽しむ余裕ができたのか笑顔が見られるようになる。
 中年の男性教師や父兄がやたらノリノリだったのを見て安心したが、やはり同い年の少年少女達は予想以上の反応を見せてくれなかった。
 夏音は特に気にしないで、ギターをスタンドに置いた。
「チェーーーーーーーーーーーーーーーーーンジッ!!!!!!!」
 高らかに叫んでから澪を差し出す。
 夏音の行動に澪が「はうっ」と俯き、途轍もなくのろのろとした足取りで中央のヴォーカルマイクへ向かった。
「かわいいー」
 と言った声が即座に響く。それがますます彼女をアガらせてしまう事になっても、悪い気はしないだろう。
 それを見送りながら素早くエフェクターを踏み、準備をする。アンプから音を出し、少しずれていた音を合わせた。
まわりに合図を送り、準備が整ったことを知らせる。
「Walking of the fancy bear」
 コーラスマイクで曲名を言ってから、夏音が腕を振り上げた。しばし空中で腕を止める。溜めを作ってまわりを見回し、覚悟はいいかと目線で問いかける。答えは確認しない。
 腕は振り下ろされ、重低音からなるスラップが体育館の床をびりびりと振動させた。極限まで歪んだ邪悪な音が単体でグルーヴを作り上げていた。律のシンバルがそこに喧嘩を売るように重なる。バスドラが八分の裏で空気を打ち裂く。夏音は本当ならツインペダルを使用してほしかったのだが、今の律には無理だった。

 何ともファンシーな曲のタイトルである。タイトルは全て裏切る。
 クマが。
 クマさんが、客を食い殺そうとでもいうかのように太い腕を振り回して暴れる様が浮かびあがる。
唯のギターは再びローチューニングに変更。何ともヘヴィネスな曲調で観客を圧倒させる曲だ。
 全員が加わったところで数小節進む。ラストの小節で夏音のベースが取り残されることになる。
 そこで奏でられる1フレーズ。たった1フレーズだけで曲の空気をがらりと変えてしまう。
 今まで地獄の入り口から響いてきそうな恐ろしい音を客にぶつけていたのに、がらりと爽やかなパンクロックに様変わりだ。
 ガールズパンク。とりあえずの方向性の一つ。
 試せるものは何でも試す。このバンドの方向性がまだ定まっていないので、とりあえずここらへんから攻めるかと夏音が用意した曲である。
 爽やかとは言うものの、あくまでイントロからの音のニュアンスに大きな変わりはない。

 大きな大きな気まぐれグマは、自身の気まぐれで進む先の物を片っ端からぶっ壊していく。腹の虫が悪ければ、手当たり次第に。彼は森を進む。彼の通った後はめちゃくちゃだ。
 森に住む小動物達は慌てふためき、逃げ出す。クマさんはやがて森を走り抜けて川に出る。広々とした風景にすっかり機嫌が収まったクマさんはうっとりと川辺で両手で頬杖を着いて足をぱたぱたする。直後にハチに刺されて最後まで大暴れ、というストーリーを想像して作られた曲である。
 そんな曲である。そこに澪の声を乗っけるのは冒険だったが、澪の声はかっちりそこにハマっていた。
 二番のサビが終わり、唯のギターソロが入る。ヴィヴラートで細かく揺れる全音符で唯のギターが前に出る。何個か音外したが、客には分からない程度。ソロが終わると、全員が後ろを振り向いた。ドラムを見詰めて呼吸を一つにする。
 Cメロに入る前に難しい変拍子が入り、律のドラムもがっちり決まった。さらに疾走感あふれるアウトロ前の三十二分に逸れるフィル、突っ走り、ドラムロールの音がだんだんと上がってきて、ギリギリ壊れそうなところまで高まる。

 全てが最高潮に昇り詰めた瞬間、音がぴたりと終わる。

 無響の空間が数秒の間続いた。

 それまでこの空間に大音量をもたらしていた演者たちはその余韻の中、肩で息をしながら顔を伏せていた。
 響くのは生々しい息遣い。
 その静寂を破ったのは一人の客の拍手。それが波のようにまわりに伝播し、だんだんと大きくなる。
 今や、先ほどの音にも負けないくらいの拍手が軽音部の面々に降りかかっていた。
 夏音は顔をあげた。何故か、このステージがどこか別の場所なのではないかという錯覚に陥った。隣や後ろを見たら高名のプロミュージシャンがいるのではないか、いつものステージではないか。
 そんな感覚は、
「あ、ありがとーー!!」
 上擦った澪の叫びで霧のように消え去った。
 まわりを見渡すと、汗でぐしゃぐしゃになった顔をまっすぐにあげて誇らしげな彼女達。
 夏音はそっと胸をおさえ息をつくと、ベースを置いて客にむかって手を振った。
 皆がお辞儀をしたので、それに倣う。
 お互いに目をやり、満足な笑みを返しあう。
この一体感。大きなエネルギーをぶつけあい、撒き散らす感覚。夏音はそれらを久しく味わっていなかった気がした。
 次に控える人たちもいるので、万雷の拍手を名残惜しみながら、ステージから退散することにした。
 各自が楽器を抱えてステージ脇に歩き去ろうと動いた。
全てが気持ち良く終わる。皆、そう思っていた。この後、ステージ裏で抱き合って感動を分かち合おう。皆、よくやったのだ。高揚する気持ちを弾ませながら足取り軽く、歩いたのだ。
 しかし、足下はよく見なければならなかった。
 一足先にステージ脇に消えようと急いだ澪が、唯のシールドに足を絡ませて前につんのめった。
「うおっ……と」
 撤収しようとエフェクターを小袋にしまおうとしていた唯だったが、急にシールドがビーンとなって「ふぇ?」と間抜けな声を出す。澪は唯のシールドを足に引っかけたまま数歩よろめいた。
 当然のごとくシールドがアンプのジャックから抜け、爆発したような音が響く。
「み、澪!?」
 あわてて澪のもとへかけよった夏音だが、彼女が晒している姿を見て「Oh...」と天を仰いだ。「もう……澪ったらド・ジなんだからー」では済まされない光景が広がっていた。
 夏音はこれだけ短い裾だものね、と涙を浮かべそうになった。ここで問題である。ステージ下から上を見ただけでスカートの中身が見えそうな服装で転んだ場合、何が見えるか。
「い、イヤーーーーーーー!!!!」
 世紀の終わりとばかりに響いた悲鳴と共に轟いたその事件はのちに「学祭・パン見せ事件」として後の桜高軽音部に伝説として語り継がれることになる。

 

 初めての学校祭はあっという間に過ぎていった。皆、帰りがけにクラスメート達に次々に話しかけられ大絶賛を受けた。一番嬉しかったのは七海がステージを観てくれていたことだった。
 ステージの件では大分苦労をかけたので、夏音としては是非観てもらいたかったのだ。
「観てくれたんだね! ありがとう!!」
 夏音は彼が視線を逸らしながら「み、観てたよ……その………すごかった」と言うものだから嬉しくなってしまった。顔を真っ赤にさせてよっぽど興奮したに違いない。
 だから、思い切り彼に抱きついた。
「ありがとう!! 七海のおかげだよ! これからも軽音部をよろしくね!」
「アッーーーーーーー!!!!」
 すると、彼は大絶叫をした後、縄抜けの術かと言うくらいの速度で夏音の拘束から逃れた。
「君はどうしてそう………っ!! どういたしましてー!!」
 と言い残して、廊下の向こうへ消えていった。生徒会役員が廊下を走るのはどうかと思った。


 ひとまず全てが終わり、機材を撤収し終えてから一同は部室で一息ついた。
 皆、やり遂げたという充足感に満ちたりた表情でお茶をしていた。日が傾いて、蜂蜜色の光が部室を包み込んでいる。そこに言葉はいらなかった。顔を上げれば、お互いが微笑みを交わし、頷きあう。
 楽しかった。共有した感情に言葉は必要なかった。
 誰もが満ち足りていた。
 ただ一人をのぞいては。
 
 部室の隅で人類初の暗雲発生機と化している秋山澪・花の十五歳。つい先ほど、大衆の面前でパンチラデビューを果たしたばかりの傷心の乙女である。
 一同は再起不能となっている彼女をちらちらと見ては顔を合わせて表情を曇らせる。
 無理もない。
 ほぼ全校生徒の前でパンチラをかましてしまったのだ。全校生徒だけではない。父兄もいた。ロリコンもいただろう。パンチラ直後に響いたシャッター音は一生澪のトラウマになりかねない響きを持っていた。
 いつまでも体育座りで肩を落とす彼女に、誰よりも長い付き合いの律が「ここは私が」と一番槍を買って出た。
 律は澪に歩み寄ると、ぽんと優しく彼女の肩に手を置いた。
「過ぎ去ったことはもーしょうがない! 元気だせよ澪ー!」
 ぴくりとも動かない。屍のようだ。ひたすら呪詛のように「ぱん…ぱん…つ…」と繰り返すだけだ。
「パンチラくらい減るもんじゃないし気にしない気にしない!」
 とは口が裂けても言えない夏音。間違っても口に出すことはできない。
 この事は実に繊細な問題だし、男の子である夏音が口を挟むべきではないと思われた。
 病的な彼女の反応を見て、律は肩をすくめて「コリャ、だめだ」と戻ってきた。
「いやー、それにしても気持ちよかったなー」
「ええ、あれだけ大きな音でライブができるなんて滅多にないもの!」
 澪は放置の方向で話題を切り出した律にムギが力強くうなずいた。
「それにしても、夏音って本当に謎だよなー。PAの人と知り合いだし。いつの間にかクラスで人気者だし」

 尚、機材撤収は責任をもって軽音部が行った。ジャズ研の発表が終わると同時に客が捌けるのを待ってから斉藤と作業にあたった。
「いやー、なかなか良いモン見させてもらいました」
「まず、演奏の感想を言って欲しかったな」
 そんな軽口を叩きながらも「三曲目、ヤバかったです。超エグかったです」と絶賛してくれた。斉藤の感想に耳をダンボにしながら傾けていた律達がおかしかった。
 人気者については、夏音は自分でもよく分からない。
 最初は敬遠されていたと思っていたのに、いつの間にかクラスに溶け込んでいる自分に気付いた時には驚愕したものだ。
「夏音くんヤバかったー」
「カッコよかったよー」
「あの衣装、また着てちょうだいねー」
「スカートの絶対領域に神を見た」
 とクラスメートが声をかけてくれるのがこんなに嬉しいなんて。いや、嬉しくないのもある。
 これも軽音部のおかげ、だろうか。

「それにしても夏音くーん! 何でステージ降りてすぐ衣装脱いじゃうかなー。もっとあの姿の夏音くんが見たかったのにー!」
「写真撮ったんだからいいじゃんか唯さんよー」
 あれ以上あの姿でいたくなかった。夏音がステージ裏にはけてからまずやりたかったのは、ショック状態の澪を何とかする事でもなく、喜びを分かち合う事でもなかった。衣装を脱ぎ棄てることだった。即行で服に手をかけた夏音をムギがものすごい剣幕で阻止するという一幕があったりした。
「本当! あんなに似合っていたのに」
 口を尖らせて不平を言うさわ子に夏音は冷たい眼差しを向けた。
「もうアナタの衣装は着ないと心に誓った」
「なーなー。もしかして今日ヴォーカルを務めた二人にはファンなんかついちゃったりしてなー!」
 それは、ない。あんな姿の自分にファンがついたらなんか危機的なものを感じてしまう。主に貞操的な。
「あるかもー」
「ないない」
 そう願いたい。
「まぁ、そうなったら楽しいなー」
 無邪気に笑う律に笑顔で中指をたてた夏音であった。



「なんかこんなポスター見つけたんだけど」
【立花夏音ファンクラブ会員募集!!】
「オーーーマイガッ!!! あ、あ、あ……あーーーーーっ!!」
 膝から崩れ落ちた夏音はそのまましばらく動かなかったという。

  
 
 
 
 ※チラ裏から移動してきました。よろしくお願い致します。


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