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No.26404の一覧
[0] 【けいおん!】放課後の仲間たち[流雨](2012/06/28 20:31)
[1] プロローグ[流雨](2011/06/27 17:44)
[2] 第一話[流雨](2012/12/25 01:14)
[3] 第二話[流雨](2012/12/25 01:24)
[4] 第三話[流雨](2011/03/09 03:14)
[5] 第四話[流雨](2011/03/10 02:08)
[6] 幕間1[流雨](2012/06/28 20:30)
[7] 第五話[流雨](2011/03/26 21:25)
[8] 第六話[流雨](2013/01/01 01:42)
[9] 第七話[流雨](2011/03/18 17:24)
[10] 幕間2[流雨](2011/03/18 17:29)
[11] 幕間3[流雨](2011/03/19 03:04)
[12] 幕間4[流雨](2011/03/20 04:09)
[13] 第八話[流雨](2011/03/26 21:07)
[14] 第九話[流雨](2011/03/28 18:01)
[15] 第十話[流雨](2011/04/05 15:24)
[16] 第十一話[流雨](2011/04/07 03:12)
[17] 第十二話[流雨](2011/04/21 21:16)
[18] 第十三話[流雨](2011/05/03 00:48)
[19] 第十四話[流雨](2011/05/13 00:17)
[20] 番外編 『山田七海の生徒会生活』[流雨](2011/05/14 01:56)
[21] 第十五話[流雨](2011/05/15 04:36)
[22] 第十六話[流雨](2011/05/30 01:41)
[23] 番外編2『マークと夏音』[流雨](2011/05/20 01:37)
[24] 第十七話[流雨](2011/05/22 21:00)
[25] 番外編ともいえない掌編[流雨](2011/05/25 23:07)
[26] 第十八話(前)[流雨](2011/06/27 17:52)
[27] 第十八話(後)[流雨](2011/06/27 18:05)
[28] 第十九話[流雨](2011/06/30 20:36)
[29] 第二十話[流雨](2011/08/22 14:54)
[30] 第二十一話[流雨](2011/08/29 21:03)
[31] 第二十二話[流雨](2011/09/11 19:11)
[32] 第二十三話[流雨](2011/10/28 02:20)
[33] 第二十四話[流雨](2011/10/30 04:14)
[34] 第二十五話[流雨](2011/11/10 02:20)
[35] 「男と女」[流雨](2011/12/07 00:27)
[37] これより二年目~第一話「私たち二年生!!」[流雨](2011/12/08 03:56)
[38] 第二話「ドンマイ!」[流雨](2011/12/08 23:48)
[39] 第三話『新歓ライブ!』[流雨](2011/12/09 20:51)
[40] 第四話『新入部員!』[流雨](2011/12/15 18:03)
[41] 第五話『可愛い後輩』[流雨](2012/03/16 16:55)
[42] 第六話『振り出し!』[流雨](2012/02/01 01:21)
[43] 第七話『勘違い』[流雨](2012/02/01 15:32)
[44] 第八話『カノン・ロボット』[流雨](2012/02/25 15:31)
[45] 第九話『パープル・セッション』[流雨](2012/02/29 12:36)
[46] 第十話『澪の秘密』[流雨](2012/03/02 22:34)
[47] 第十一話『ライブ at グループホーム』[流雨](2012/03/11 23:02)
[48] 第十二話『恋に落ちた少年』[流雨](2012/03/12 23:21)
[49] 第十三話『恋に落ちた少年・Ⅱ』[流雨](2012/03/15 20:49)
[50] 第十四話『ライブハウス』[流雨](2012/05/09 00:36)
[51] 第十五話『新たな舞台』[流雨](2012/06/16 00:34)
[52] 第十六話『練習風景』[流雨](2012/06/23 13:01)
[53] 第十七話『五人の軽音部』[流雨](2012/07/08 18:31)
[54] 第十八話『ズバッと』[流雨](2012/08/05 17:24)
[55] 第十九話『ユーガッタメール』[流雨](2012/08/13 23:47)
[56] 第二十話『Cry For......(前)』[流雨](2012/08/26 23:44)
[57] 第二十一話『Cry For...(中)』[流雨](2012/12/03 00:10)
[58] 第二十二話『Cry For...後』[流雨](2012/12/24 17:39)
[59] 第二十三話『進むことが大事』[流雨](2013/01/01 02:21)
[60] 第二十四話『迂闊にフラグを立ててはならぬ』[流雨](2013/01/06 00:09)
[61] 第二十五『イメチェンぱーとつー』[流雨](2013/03/03 23:29)
[62] 第二十六話『また合宿(前編)』[流雨](2013/04/16 23:15)
[63] 第二十七話『また合宿(後編)』[流雨](2014/08/05 01:53)
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[26404] 第八話
Name: 流雨◆ca9e88a9 ID:a2455e11 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/03/26 21:07

 バンッ。
 それは夏の暑い放課後。うだるような暑さに口数も少なくなり、黙々とムギ提供の冷茶をすすっていた軽音部一同であったが、急に部室の入口からバンと大きな音にびくっと反応した。音の発生源に目を向けると、どうやら行儀の良さで知られていたはずの澪が部室の扉を蹴破る音だったらしい。
 彼女は注目を集めながら部室の中央へとずんずん進んでいく。肩で風を切りながら颯爽と部室を横切ってくる彼女に唖然としながら見詰めた。
 澪は口を閉ざしてぽかんとしている一同を見据えて、びしっと指を突きつけた。

「合宿をします!!!」

 夏音はハッと眼を見開いた。
 合宿。それは学園ものには必ず登場するお決まりのイベント。彼はこの青春の香りをぷんぷんと彷彿させるキーワードがいつ飛び出てくるかと待ち望んでいた。いつ、誰が言ってくれるのだろう。自分の我慢もそろそろ限界。誰も言わないなら自分が提案していたところだ、と疼いていた心に溶け込む言葉が今、澪の口から飛び出た。
「合宿……ああ合宿! その妙なる響きや、よし………ふふふ」
 ぼそぼそと危ない目をしながら呟く夏音に気付かず、他の者は疑問を浮かべていたが、次第にその顔が晴れやかに輝く。
「合宿って……海!? 山とか!?」
 ウキウキと自分の思い浮かべる合宿のイメージに浮かれる律に、澪の眉がぴくりとハネあがった。
「遊びにいくんじゃありません! バンドの強化合宿! 朝から晩までみっちり練習するの!!」
「えー、何でー?」
 律と同じく楽しい楽しい合宿風景を妄想していた唯が心からの疑問を放った。
「せっかくの合宿なのに」
 楽しいはず、合宿。なのに、澪の語る内容はどうも暑苦しい体育会系の匂いがぷんぷんする。
「まあまあ。合宿、いいじゃないか」
 すっと立ち上がり、真剣な表情で前に歩み出た夏音に視線が集まる。涼やかな微笑を湛えながら夏音は彼女達をしっかりと見据えて、口を開いた。
「青春に必要不可欠なものといえばなんだろうか。ここ最近『これだ!』というイベントがなかったよね。こんなはずじゃない。こんなのほほんと青春を無駄にしていいはずがない。合宿……あぁ甘美な響き。そう合宿! 海でも山でもいい! 若い男女が人里離れた場所で寝泊まりしてバーベキューに海水浴! はたまた川遊びにキャンプファイヤー。夜は温泉に入って風呂上がりの花火でしんみりと夏の終わりに寂寞を募らせる………決まりだ、合宿。行こうぜ、合宿……ぷくくっ」
 語っていく端から空気が冷えていく感触を肌で感じることができなかった夏音は背後に迫る凄まじい怒気に気が付かなかった。
 部室中に小気味のいい音が響いた。 

「ごめんなさい遅れちゃって……ってあら? 夏音くん頭どうしたの?」
遅れて部室へやってきたムギが、頭にタンコブを作って正座をしている夏音に目をとめた。
「気にしないでクダサイ」
 正座は日本の反省の証だそうだ。
 今しがた制裁を加えたダブルに冷たい一瞥をくらわせると、澪はもう一度自分の主張を再開した。
「来週には夏休みが始まります。そして夏休みが終わったらすぐ学校祭でしょ?」
「学校祭?」
「そう! 桜高祭での軽音部のライブといえば、昔はけっこう有名だったんだぞ?」
「そんな事より高校の学校祭ってスゴイんでしょ!?」
「おー、たこ焼きにお化け屋敷に喫茶店! 中学とは次元が違うって聞くな!」
 そんな事扱いされた挙げ句に話を脱線させてゆく二名にぴくりと澪の瞼がひくついた。こめかみに青筋を浮かべて、脱線魔達の脱線トークが過熱していくにつれ、うずく拳を止める事ができなかった。
 部室に頭をさする者が二名に増えた。
「高校の学校祭のすごさなんてどうでもいい! メイド喫茶も死んでもやらない! 私たちは軽音部でしょ? ライブやるのー!!」
 爆発しそうな勢いで怒りに顔を染める澪に律と唯が「うっ」と黙る。普段大人しい人物が怒るとより恐ろしいのだ。いついかなる時も彼女の鉄拳の恐怖にさらされている者どもは何も言えず、唯一その鉄拳制裁の射程範囲の外に位置するムギが場を収める事になった。
 太い眉毛をきゅっと引き締めたムギが魔法の一言を紡ぐ。
「まあまあ落ち着いて澪ちゃん。マドレーヌ食べよ?」
 怒れる澪もしょせん女の子。あっさりとお菓子に陥落した。とりあえず必殺のお菓子作戦で澪の気を和らげることに成功したムギはほっと胸を撫で下ろしてお茶の準備を始めた。
 これぞ軽音部クオリティ。


 小休止を挟んでほっと一息。だいぶ柔らかい表情になった澪がムギに向かって食い入るような視線を向けた。
「ムギはどう思う? いくら慌てずやっていこうといっても、もう三か月にもなるのに一度も合わせたことがないなんて……軽音部なのに!」
 それに対してムギは困ったように苦笑を浮かべるばかりで答えられない。答えようもない、といったところか。三か月という月日は長いようで短いものだったりする。とりあえずは新しい学校生活に慣れるのに精一杯で、夏休みが訪れるのがあっという間なのだ。その間の軽音部が個々人で音楽に触れ合っていたとはいえ、バンドとして演奏する事がなかったのは異常事態ともいえよう。ムギ自身もこんな現状に疑問を挟む機会は幾らでもあったが、行動を起こさなかった内の一人である。部を慮る澪に堂々と正論を述べるには躊躇ってしまうのだ。
 澪が熱く語る中、夏音は未だダメージを引き摺る頭をさすりながら、静かな瞳で思案にくれていた。
 誰も言わなかったのだから仕方がないのではないだろうか、と夏音は現状を受け止めている。彼は軽音部に入る事に決めて以降、自ら積極的に動かないように傍観の姿勢をとっていた。ギター初心者の唯にギターを教えるという作業のかたわら時折ベースに触れる事はある。機材の前で数時間も何もしないのは時間の無駄だからだ。そして夏音のベースをBGMとして陽気にティータイムを繰り広げていた中には、ちゃっかり澪もいるのだ。
 部としての音楽的方向性の欠片すら見えてこない状況。部活としての方針も未定。
 それでも夏音自信は、まあ楽しければいいんじゃないかなーと軽く構えていたのも事実だ。自分が悪くないとは思わないが、怠慢が過ぎたかもしれないと省みた。そもそも、そのように悩んでいるのであれば澪もベースのレッスン中に言ってくれればよかったのだ。
「バンド、やらないの?」
 切実な心の叫びが一同の心に突き刺さった。つい口を閉ざす面々の中、ムギがぱっと顔をあげる。
「ぜひ、行きましょう!」
 ムギがぽんと手を打って澪に賛同の言葉を贈る。力強く、だが楚々たる笑みを向けられた澪の表情に明るさが戻った。
「ムギ……」
 分かってくれたのか、と頼もしい表情でムギを見詰める澪。そんな彼女に大きく頷いたムギは続けざまに言った。
「みんなでお泊り行くの夢だったの!」
「え?」
 無垢な笑顔を真正面から受けた澪がぽかんと間の抜けた表情になる。
「あ、それじゃあ海にする? 山にする!?」
「山でも川で遊べる所がいいと思います!」
 彼女の言葉に端緒が開けたのか、今までの重苦しい雰囲気が嘘だったみたいに霧散した。合宿に行く事に反対意見はないとして、遊ぶ気マックスのテンションに持ち上がった一同に澪の涙まじりの叫びが響いた。
「だーかーらバンドの強化合宿だと何度言わせるんだ!!」


 その後、喧々諤々の議論(?)がヒートアップしたところで、夏音は「そういえば」と皆を見回した。
「合宿ってたくさんお金かかるんじゃないのかな? 俺は大丈夫だけど、みんなは大変じゃない?」
 ここ数ヶ月で女子高生の懐事情を把握しつつある夏音。ここで金銭の配慮をするというたまにしか見せない年の功を見せた男の発言に何名かの肩がずんと落ちこんだ。
「そ、それは……幾らくらいかかるんだろう」
 なんと言い出しっぺの澪は、何の段取りもとっていなかったらしい。
「まったく。煮詰めろとまでは言わないけど、言い出したんだから大雑把な予算くらいは見積もっておかないと」
 夏音の全うな言い分にさらに肩を落とした澪。先ほどまでの勢いは見る影なく、しょんぼりと縮こまってしまった。
「しっかし海に行くにも山に行くにもそれなりにお金かかるよなー」
 律が肘をついた両手に顎を乗っけた姿勢で深刻な表情になる。
「な、なあムギ?」
 意気消沈していた澪がギギギ、と首を軋ませると一縷の望みをかけてムギの方を向いた。
「はい?」 
「そ、その……別荘とか……持ってたりしないかなー」
 そんな馬鹿な。流石にそれはないだろう、と律が呆れたように鼻を鳴らした。
「ありますよ?」
 すっと一直線に返された言葉に律の頭が机に突き刺さって鈍い音を立てた。
「え、ほんと?」
「ありますよ、別荘」 
 宿泊場所、確保。 


 お嬢様然としたムギが本当にお嬢様だったと明るみになったところで、宿泊代が浮くという事実は大変喜ばしい。めでたやめでたや、と一同はうきうきとした雰囲気でお茶を再開した。そのまま和やかに合宿の予定が話し合われていく。
「いひゅならなふやふみででけっへーだろー?」
 とマドレーヌを頬張りながら言う律に澪が眉をひそめた。
「口にものを詰めて話すな行儀悪い」
 すかさずそれを注意する澪はまるで―――、 
「お母さん?」
「何か言ったか夏音?」
「なんも」
 やぶ蛇になりかねない、と夏音は慌てて口をつぐんだ。
「日程は一泊二日とか、かしら?」
 ムギが心なしかわくわくした様子でノートに決定案を書き込んでいくが、澪はその提案に曖昧な反応を示した。
「どうせなら三泊くらいはしたいところだなー」
 そこに夏音が難色を示す。
「三泊は長すぎるんじゃないか? 機材も持っていくし、着替えとかも結構かさばっちゃうよ」
「そうか……律は持っていくもの多くなっちゃうよな」
 澪がそれもそうか、と頷いて律に振った。
「ん? スティックだけ持ってくつもりだけど?」
「オイ……」
 ムギの話によると、父親が別荘に知り合いのバンドを呼ぶので機材一式が揃っているそうだ。ドラムセットから各アンプまで。楽器屋を傘下に収める琴吹家ならではの至れりつくせりである。どちらにしろ、重い機材と1セットの移動は厳しいものがあるので助かる話だ。機材車なんてないのだ。
 
 

 結局、合宿は二泊三日。夏休み第一週、つまり来週の金曜日から三日間となった。目先に決まった楽しげなイベントに「くくっくくっ」と笑いが止まらない夏音は帰り道で通りすがる人々に気味悪がられた。
 そもそも二泊三日も男女混合のお泊りが許されるのかという疑問が浮かんだ。浮かぶものと思っていたが、誰も触れないので考えないことにした。だから、いいのだ。もしかして異性として意識されていないのかもという考えは思考の外にぶん投げた。おそらく信頼されているのだ。そうなのだ。
 そのへんの繊細な問題については曖昧な笑みで濁しつつ、夏音は肝心の合宿内容について考える。
 先ほどの話合いで出された宿題。バンドで合わせるといってもオリジナルの曲も用意していない状態だとコピーしかない。何よりコピーの方が色々手っ取り早いという事で、コピーする曲を決める事になったのだ。これについては各自でやりたい曲を持ってこようという話に落ち着き、明日までの宿題となった。

(五人で、キーボードが入った編成のバンド……。もしもの時はアレンジしてやるのもいいか。迷うなあ)
 夏音はその日、自分の持っているCDやデータを漁って今の軽音部にぴったりな曲探しに明け暮れた。バンドで合わせた事はないものの、軽音部のメンバー全員とは一対一で音楽で触れているのだ。各自の実力も大体把握したつもりである。問題は唯である。唯を基準に曲を決めねばならない。
 あれもこれもと出てくるが、絞らないといけないとなると、どうも難しい。
 結局、その日は深夜までかかって何百と曲を聴いていた途中で眠気に負けてしまった。


 電気を点けたまま寝入ってしまい、そのまま朝をむかえた夏音は放課後になって曲を絞りきれなかった事に焦っていたのだが。いらぬ心配であったようだ。
「結局絞れませんでした」
 という意見が見事に出揃った放課後。皆、同じような悩みを持ったのだと思われる。これは好きな曲をベスト3で挙げてみて、と言われた時の境遇と同じようなものだ。
「そもそも、だよ!」
 夏音はここで曲を決めかねた理由を言った。
「このバンドの編成ってどうなの? きちんと決定した覚えはないんだよね」
 最も重要なことを忘れていたことに、お互い目を反らした。同じ穴のムジナ。それが軽音部。
「といってもドラムは律。キーボードはムギ。唯はギター。だから残るのは……」
「ベースが澪か俺か、だろう?」
 夏音は問題となっていた部分に触れた。そして続けざまに「澪でいいだろう」と言った。
「俺がヴォーカル。必要ならギターも弾くよ」
「でも、夏音はそれでいいのか?」
 澪が複雑な心中を表しながら夏音に尋ねた。
「全然かまわないよ。むしろ、一番それがすっきりするだろう?」
「夏音がそれでいいなら」
 未だ納得していない様子の澪を無視して「これで編成も決まった事だし!」と夏音が議題を進めた。
「どうする? 俺が全部の曲のヴォーカルということで決めていくの?」
「どうせなら、そうして欲しいな」
 澪は万が一でも自分が歌うことになったら大変、と夏音に歌を一任するように頼んだ。そもそも、唯が入る前にこの話は出ていたのだが、結局きちんと決定せずにここまできてしまっていたのだ。ここで夏音が歌うことに誰も異議はなかったので、ようやく話はまとまりつつあった。
「それでは、俺がヴォーカルということで曲を決めていきましょう! そしてバンドが演奏可能な曲を! お互いを思いやって曲を選んでください!」
「はーい」
 四人分の良い返事が返ってきた。夏音はそれに満足そうに頷いた。
 しかし、後日メンバーが選んできた曲はことごとく却下された。


 結局、今から合宿までの期間を考えると、三曲が限界だという事に。夏音は「そんなものか」と不承不承ながら納得して曲決めを進めることにした。ただ「好きだから」という理由で曲を選んだ彼女達の向こうみずっぷりを見かねて、結局のところ夏音主導での曲選びとなった。
 何と言っても、それぞれの技巧を顧みない選曲ばかりだったのだ。それでも何とか曲が決まった。採用されたのは、律と唯、夏音の曲である。
 それぞれに音源が渡され、練習に打ち込むように言いつけられた。
 これで軽音部もその名にふさわしい部活になってくれるだろうか。一抹の不安は拭いきれないが、あとは皆が練習してくるのを信じて合宿までの日数を消化していくしかない。


 帰宅後、夏音がリビングのソファでうとうとしていると、滅多にならない家の電話がけたたましく響いた。のろのろとした動作で電話の子機をとりあげると、そこからは聞き慣れた声が聞こえた。
『Hello!!』
 鈴を振ったような声。受話器越しにも鼓膜を通り抜けてくる独特な存在感を持った声の持ち主は他にはいない。
「Mom?」
 夏音は思わず声をあげた。
『そうよー元気にしてた?』
 電話をかけてきた主は、夏音の母・アルヴィであった。
「母さんこそ! 今どこにいるの?」
『北海道よー』
(相変わらず神出鬼没だな……)
『あのねー、もう少しで夏休みじゃない?』
「そうだよ。よく知ってるね」
 あの両親が自分の予定を把握しているとは、珍しい。
『たまには家族で過ごすべきだと思うの』
「帰ってくるの?」
『八月の第一週よー』
「げっ」
『何かあるの?』
「三日間ほど軽音部の合宿があるんだ」
『まあ! まぁまぁまぁ~……なんてことなの!』
「だから、三日間ほど家を空けることになるんだけど」
『ひどいわ夏音! ママたちより新しいお友達を選ぶのね!』
「そういうわけじゃないよ。もう決まってることだし、急に言われても困るよ。だから、帰ってくるなら二週目にして」
『でも、次の週にはお仕事で九州に行かなければならないの』
「じゃ、四日間だけかまってあげるよ」
『もーーつれない!』
 電話の向こうでぷりぷり怒っている彼女の様子が目に浮かび、夏音はくすりと笑った。
「ママに会えるのを楽しみにしてるよ」
『夏音……あなた、やっとママって……っ!』
「じゃぁ、忙しいから」
『あ、夏音! もしかして女の子と一緒にいるんじゃないでしょうね?』
 ブツッ。
 夏音は強制的に通話を終了した。
「やれやれ」
 クスッと笑って夏音はふとカレンダーに目をやった。丸が付けられている三日間まであとわずか。
 今はこちらの方が大切だから。申し訳ないけど、両親には我慢してもらう。




「はい、これ」
「F#7」
「次」
「Cadd9!」
 合宿前々日。夏休み初日とも言う日だが、夏音と唯は部室でギターを構えて向かい合っている。昼下がりの学校にいるのは、夏休み初日から気炎をあげて練習に打ち込む運動部。その他の文化系の部活動のみ。一般生徒の姿はほとんどない。
 校内に響く管楽器の音は吹奏楽部である。桜高の吹奏楽部はかなり大所帯で競争が激しいと聞く。個人が鎬を削り合ってレギュラーに食い込むために個人練習に励む姿勢は、軽音部とは大違いと言いたい所だが、今回ばかりはそうとも言えない。
 部室にいる二人の部員は練習のために休みの学校に来ているのだから。しかも、この練習は唯から言い出したものだ。初めてバンドで合わせる。本当の意味で軽音部の活動の第一歩を踏み出すのに、自分が足手まといになりたくないのだと唯は語った。
 当然夏音は「この立花先生に任せな!」と二つ返事で受けた。
 せっかくの休みという事で昼までたっぷり寝て、昼過ぎに部室に集まった。この三ヶ月間ほど、唯にギターを教えてきた夏音。初めは一から音楽知識がない唯に対して、どういったアプローチで教えようか悩んだ。ギターを弾くと言っても、ギターを弾く事だけ教えれば良い訳ではない。ギターよりも音楽を教える事が重要だと夏音は考えている。
 音楽理論については、教えようとして即頓挫してしまった。三度、五度やコード理論。唯の頭から煙が燻り始めてしまうのだ。夏音が見た限りでは、明らかに唯は感覚的にギターを弾くタイプの人間である。むしろそういう人間に理詰めで理論を叩き込むのは効率が悪い。いつか身につけるべき事であるが、時期尚早かもしれないと踏んだのだ。
 そうした事柄を踏まえた上で夏音が唯に叩き込んでいる事。それは、指板上のどこにどの音があるのかを徹底的に把握するという作業である。指板の上をフレットで区切られているギターは、フレットごとに音が存在する。ドレミファソラシドの音階が幾つも存在するのだ。オクターブがどこにあるのか、これで把握する。さらにスケールを覚え込ませようとした。教えたスケールをどの場所からでも弾けるようにひたすら繰り返すように言った。
「はい、Aドリアン」
 夏音は淡々とスケールを指定していく。夏音が言うスケールを唯が弾く。それでたまに間違う。
「違う!」
「え、えーと……これは……」
「それ、リディアン」
 こんな感じにスパルタでやらせてきた。何も全てのスケールを覚えこませようとしている訳ではない。ペンタトニック等のよく使用するスケールを中心に教え、それが完璧にできるようになったところで、他のスケールや応用を教えているのであった。同時に覚えたせいか、スケールがごっちゃごちゃになっているようであった。
「例えば、ここで9thの音を足すとこういうフレーズになるんだけど。なんか聞き覚えない?」
「聞いた事あるような、ないような……」
「あれー。一昨日、こういう手癖を多用する人のCD貸したばかりなんだけどナー」
「あぁ、それで聞き覚えが!」
 まぁ、そんなものかと苦笑した夏音であった。
「こういうフレーズの中にこうやってトリルを混ぜると、こんな感じに。よくソロで使っている人が多いです」
「ほぉー! 格好良い!」
 瞳を輝かせる唯に夏音も嬉しくなる。彼女は今まで自分がぽやーっと聞き流していたギターのフレーズ、その作り方を学んでいるのだ。以前に唯が、いつかギターソロを弾いてみたいと話していたのだが、こういう作業が積み重なってできるようになるのだという事がおぼろげにも見えてきているのだ。
 このような作業の中、唯は合宿に向けて曲の練習に励んでいる。幸いな事に、軽音部の面々は耳の力でフレーズをコピーする能力を持っていた。夏音としても、唯には市販のバンドスコアなどに触れて依存するようになって欲しくないので都合が良かった。
 三曲、全てを夏音は唯に耳で覚えさせた。崩した言い方で言うと、耳コピである。音楽初心者はこれをできない者が圧倒的に多い。今まで唯には指板上の音を全て覚えさせた。スケールも覚束ないながら覚えさせた。
 ここで嬉しい誤算が起こる。耳コピする中で、コードの構成音やらを感覚的に覚えつつあるのだ。何となく、の次元だがしっかりツボを押さえている。
 唯は絶対音感を持っている。ひょっとして化けるのではないかと夏音は腹の底からわき上がる言いしれぬ感覚にドキドキした。
 何としても、よく分からない身につけ方をされたりするので、教え甲斐はないかもしれない。向こうが納得しても、こちらが腑に落ちない、等がよくある。
 唯は結果、三曲全てを耳でコピーしてしまった。 


 そんな風に合宿も前日に迫ったところで、夏音自身に重大なトラブルが起こってしまった。
「なんというタイミングで……」
 夏音は自分の太ももにできた発疹を睨む。痛々しい、この……ジンマシン。
「サバなんて……サバなんて食わなければよかった!!」
 膝をついて昼食で食べた青身の魚を呪った。近所のマダムに貰ったものだから。急遽かかった医者は「君は青身魚だめなんだねー。美味しいのに」と暢気に笑った。薬を飲んで安静にしていろと言われて帰された。
 合宿の場所こそ秘密であったが、泳げる場所があるので水着を用意してきてねとムギに言われていた矢先の出来事。
 しかし、どうだろう。こんな状況で泳げるはずもない。他の者が楽しそうに泳ぐのをただ指をくわえて見ているだけということだ。
「なんてこと……俺に残るのは、あいつらの水着鑑賞だけか………………それもそれでよし、か」
 それも間違っている。


 合宿当日。
「I`m alone...alone...alone...」
 郷愁を感じさせる味のある表情で夏音は車を飛ばしていた。大型のワゴンには、運転席に座る夏音しかいない。後ろに積んだ機材や……唯のギター以外に同乗しているものはない。
「くそっ」
 思わず汚い言葉を吐く。俄然アクセルは強め。メーターは頂上を振り切っている。ハイビームのごとく山道を疾走する夏音は損な役回りを務めている自分に自分で同情した。
「×××ジャーップ!! 唯のやつーーっ!!」
 伏せ字は有名なFワード。一人、孤独に車を走らせているのも、全てあの破天荒な天然娘のせいなのであった。

 

「唯……もしかしてまだ寝てるんじゃ……」
 集合時間になっても一向に姿を現さない唯に不安を駆り立てられた澪が恐ろしい一言を吐いた。
「ま、まさかー。いくら唯でも、そんなはずは……」
 フォローの言葉が見つからず、律は押し黙ってしまう。ありえなくないや。
 夏音も足元のエフェクターケースに腰掛けたまま、焦れながら唯の到着を待っていた。普段からどこか抜けている少女を思い浮かべてさらに不安は増す一方である。
「よし。私、唯に電話してみる!」
 とうとう澪がシビれをきらした。電車の到着時刻までに余裕をもって集合時間を定めたが、これ以上遅くなるのであれば電車に乗り遅れるという最悪の事態も起こり得るのだ。それこそ笑い事では済まされない。
 一同は唯に電話をかける澪の様子を静かに見守った。きゅっと口を結んで相手が出るのを待つ澪であったが、その表情は見る見る青ざめていった。
 彼女はゆっくりと口を開いた。
「……お、おはよう」
 その一言を聞いた一同に戦慄が走ったという。
 案の定、寝坊をかましたという唯は二十分後に合流した。
「ごめんなさーーーい!!!」
 登場して早々、いきなり両手を地面について謝る彼女に、皆は山ほど言いたかった言葉を飲み込まざるをえなかった。何より、そんな時間の余裕はなかった。何と言っても発車時刻の五分前である。一同は土下座する唯を引っ張って猛然と走り出した。
「ほら、急ぐぞ! 切符はもう買ってあるから!」
 澪があらかじめ買っておいた切符を走りながら唯に手渡す。
「うん、本当にごめんね澪ちゃん!」
「まったくひやひやしたぞー」
 走りながら唯を咎める律であったが、夏音に「それを言うのはまだ早い!」と指さされた先には電車がホームに入ってくる光景が。
 そのまま息を切らしながら走る一同は、なんとかホームにたどり着いた。
「ふう~。なんとか間に合った……ていうか、五分くらい停車するんじゃんかよー」
 アナウンスを聞いた律が汗を拭いつつ夏音を軽く睨んだ。
「そんなの知らなかったもの」
 間に合った事で安堵したせいか、文句を言い合う二人にムギが笑いながら割って入った。
「まあまあ。とにかく間に合ってよかったじゃない……ってアラ……唯ちゃん……ギターは?」
「へ?」
 後に唯は『これが夢であればとどれだけ思ったことか』と語った。
 遅刻した少女は旅行鞄を一つ引っ提げて来た訳である。背中に背負っているべき重量がない事に気付かない程焦っていたという事だろうが、持ってきていないものはどうしようもない。そして、もうギターを取りに行く時間はなかった。集合した駅から出る電車から乗り換えを行わなくてはならないのだが、乗り換えるべき電車の本数が少ないのだ。調べてみると、次の電車は二時間後というお話。
 青褪めて二の句もつげぬ様子の唯。同様に言葉を失った一同に残された最終手段を必死に探る。
 その瞬間、四対の視線がちらりと夏音に向けられたのは偶然ではないと夏音は思い返した。


 最終手段として、夏音が唯の自宅までギターを取りに行き、単独で車を走らせて合宿地まで向かうという措置がとられた。
 自分に照射された視線に、ついに夏音は頭の隅に置いておいた対抗措置を引っ張ってきた。考えたくはない。これでは夏音がひく貧乏くじがあまりにも大きい。とはいえ、他の策を考える時間もなかった。おずおずと手を挙げて、自ら申告した。
「本当に大丈夫? 電車なら割とすぐなんだけど、車だと結構かかるのよ?」
 自分もソレを期待していた一員だとしても、やはり人道的な観点から夏音に悪いと思ってしまうムギは最後まで心配そうに夏音を見詰めてきた。それこそ、全員が同じ気持ちであったが、自分が犠牲になってどうにかなるのならやってやろうと夏音は意気込んだ。
 別荘の場所と住所を教えてもらい「男に二言はない!」とつっぱねた。
 その間、唯は地面をおでこで割らん勢いで土下座をしていた。


 夏音はすぐ切符の払い戻しをすると、車を取りに自宅まで走った。どうせならとアンプ類の機材を積み込んでから唯の家へ車を飛ばした。事前に連絡がいっていたらしく、唯の妹の憂がギターケースを抱えて家の前で待っていた。
 真っ青になって姉に負けじと平謝りをする憂を宥めてから、目的地まで車を走らせる旅に出たのである。
 比較的空いていた首都高を抜け、常盤道に入ってから一時間弱が経った。まっすぐにのびた道の先に陽炎が浮かんでいる。SAで休憩していた夏音は、皆はそろそろ目的地へ到着しているころだろうかと想像した。自分に悪いと思って沈み込んでいるかもしれない。特に、唯がしゅんと元気がない様子はこちらの心境も悪くなる。軽いお仕置きをする事にして、許してやろうと思った。
 SAを出発する前にカーナビをチェックする。それによるとあと一時間弱で着くらしい。もうひと踏ん張りだ。
「チクチョーその半分で行ってやる!」


 その頃、一方の女の子たちは。
「ははぁー、すっげぇー!!」
「海だーー!」
「泳ぐぞーー!!」
「だから、遊びにきたんじゃなくて!」
「うふふ」
 仲間愛とは何であろう。 



 軽音部から夏音をひいた面子は別荘に到着した。それはもう滞りなく着いた。途中、お腹を下す者も電車の中に忘れ物をするという者もいなかった。彼女達が乗車した特急は罪悪感という物を振り切る速度で目的地まで突っ走ってくれたのだ。
 やあ暑い。そうねえ、うふふと言った会話を挟みながらムギの案内で敷地内に案内された一同は揃って絶句した。絶句。出すべき言葉が脳みそから吹っ飛んでしまう程の衝撃。
 目の前にでかでかと建つのは想像やテレビ越しにしかお目にかかれないような「金持ちの別荘!」を凝縮した建物。
 やがて律が「でっけぇー」と呆けるように呟いた。
「本当はもっと広いところに泊まりたかったんだけど、一番小さいところしか借りられなかったの」
 付け加えるムギの発言に誰もが耳を疑った。目の前の現実に出会い頭にパンチされたというのに、まだこの上があるという。
「一番小さい……これで?」 
 律が皆の心の内を代弁した。どうやら自分達はこの不思議な友人の底を見誤っていたらしい。中でも律は今度テレビの長者番組に琴吹という名がないかチェックしようと心に誓った。
 早速施設の中に通されると、外観通り広い。家と称される屋内でこんなに歩くこともないだろう。木造の建物の中は、若干東南アジアや南の島のテイストが盛り込まれ、風通しの良い造りであった。避暑にはぴったり、というわけである。
 自分達が三日間を過ごすことになる建物のあまりの豪奢な加減に興奮した律と唯は歓声をあげながら屋内をずんずんと進んでいった。居間のテーブルにはセレブのパーティーに登場しそうなフルーツ盛り、冷蔵庫を開けてみると霜降り牛肉。天蓋付きのベッドには花が散らされていた。一般女子高生にとっては未経験ゾーンの贅沢が出るわ出るわで、はしゃぎまくった。
「うぅ……ごめんなさい」
 申し訳なさそうにさめざめと泣いているムギは、しゅんとうなだれて彼女の事情を話した
「いつもなるべく普通にしたいって言っているんだけど、なかなか理解ってもらえなくて……」
 その話を聞いた澪は、よく分からないがお嬢様も大変なのだなーと同情した。同時に自分には縁遠い話だ、とやさぐれかけた。
 肝心のスタジオに通されてから、機材をチェックし終えた澪は他の二人がいないことに気がついた。
「あれ、唯と律は?」
「途中でいなくなっちゃったけど……?」
「しょうがない奴らだ」
 溜め息と共にそう漏らしてから、澪はおもむろに旅行バッグからラジカセを取り出した。
「それ、なぁに?」
「これね」
 澪は言葉で説明するより、と再生ボタンを押した。攻撃的な高速ビートの曲が流れる。ずんずんと低音を響かせ、技巧を効かせたリフがうねっている。いわゆるメタルと呼ばれる音楽。
「昔の軽音部の学園祭でのライブ。この前部室で見つけたんだ」
「上手……」
 ムギは耳に入る弦楽器隊の技巧の数々に驚かされた。背後に疾走するドラムに乗っかって自由に喧嘩し合うツインリード。音質は悪いが、実際にその場にいたら圧倒されていたのだろうと想像できる。
「私たちより相当上手いと思う」
 澪は演奏が区切れたところで停止ボタンを押した。表情が曇ったまま。
「うん」
「なんか、これを聴いていたら負けたくないなって」
「それで合宿って言いだしたのね?」
 それで納得した様子のムギは澪の負けず嫌いな一面を知り、微笑ましく思った。
「まあ、ね」
「負けないと思う」
 その一言に澪ははっと顔をあげる。ムギは澪の顔をしっかりと見てから、力強く繰り返した。
「私たちなら」
「ムギ……」
 ムギの瞳に広がる静謐な光。それは揺れることなく、まっすぐに信頼という感情を表していた。澪はまだ付き合いの浅いこの少女の言葉がすっと胸に入ってくるのを感じた。不思議と「その通りだな」と納得してしまう。
 行き当たりばったりというより、全てに手探りで挑んでいる自分達には可能性がある。この音源の先輩方を凌駕できないはずがない。
 その言葉を誰かに言ってもらえただけで澪は胸につっかえた物がいくらか取れたように感じた。
 二人の間にさらなる友情の絆が結ばれようとしたその時。
「ぃよーーーーしあっそぶぞーーぃっ!!」
「オーイェーー!!!」
 真剣な空気は二人の闖入者によって木端に破壊された。
「って早っ! お、おい練習は!?」
 既に戦闘準備万端の二人に面食らった澪であったが、既に二人は部屋の外に突っ走っていってしまった。
「先行ってるから、二人とも急いでねー」
 遠くから唯の声が響いてくる。
「これでも……?」
 地獄の底から響いてきそうな声が澪の喉元から響いてきた。じっと暗い眼差しをあてられたムギは苦笑いを浮かべた。
「え、ええ……まぁ」
 ああいう流れがあった手前、若干気まずい。一気に不機嫌になった澪をちらっと見詰めたムギだったが遠くに響く歓声にふっと笑みを零した。
「澪ちゃん、いこ?」
 ムギからまさかの提案に澪の体がびくりと跳ねた。
「え……ム、ムギ行くつもり?」
「せっかくだし、少しくらいなら……ね?」
 ね、と悪戯っぽく笑うムギは心なしかうきうきとして見えた。今にも走り出しそうな、それでいて抑えているような。そんな彼女の様子に澪の心は揺れ動いた。
(ムギ、もしかしなくても遊びたいんじゃ……?)
 澪は、合宿前に彼女が同年代の友達と遊ぶことがなかったと言っていたのを思い出した。
「で、でも私は……」
 再び聞こえた律たちの催促の声に「はぁーい」と返したムギはついに「待ってるからー」と澪の元を去ってしまった。止める間もなかった。
 澪は、中途半端に伸ばしかけた手を力なく落とした。
「そ、そもそも夏音にあんなことさせておいて……その夏音だってまだ到着していないのに……」
 皆は何て冷たいんだろう、自分は決して行くもんかと背を向けた澪。そもそも唯は暢気に遊べるような心境に持って行けるのは逆にスゴイと思う。褒められたものではないが。

―――キャハハー、いっくぞー!
―――二人とも待ってー。
―――ビーチボールふくらますのやってよー!

 人のいない建物に響く楽しげな笑い声。澪の胸のあたりをぐっと這うような何かがこみ上げる。勝手に足がじたばたとなるのを抑える。
(でも、夏音が……)

 揺れる良心。

―――澪はまだこないのかー?
―――先行ってるって言っといたからー。

(ごめん、夏音!!)

「私も行ぐーーー!!!」

 割れる良心。

 言葉で言い尽くせない様々な理由によって涙を流しながら、澪はバッグの中から水着を探した。


 その結果がこうなる訳であった。

「もし、あなたがたに良心というものがあったなら―――」
 腕を組んで仁王立ちした夏音はそれ以上を続けることができなかった。
「―――お”、お”れ”の”……どうぢゃぐをま”っでから……うぅ……う”ぅ”……!!」
「!?」
 膝をついていた者たちは、鼻水と涙の滝が足元の砂に吸い込まれていくのをしっかりと目の当たりにした。
「申し訳ございませんでしたーー!!!」
 四人そろって土下座をする女の子たち。唯は心の中で、今日はよく土下座をする日だと思った。唯的土下座記念日。
 やっぱりこうなるよね、と澪は内省する。後の祭りだが。



 夏音はSAを発ってからわずか三十分で別荘まで到着という快挙を勝手に成し遂げていた。やっと辿り着いた別荘の駐車場に車を停め、見上げる建物の外観に溜息を漏らす。
「良さげな雰囲気だなー」
 そわりと吹いた潮風が髪をさらった。この時、既に夏音の気持ちも実に晴れやかで唯への怒りも鎮まりきっていた。
 それもそのはず。運転中。別荘に近づくにつれ、ばっと開けた視界に海が飛び込むロケーション。窓を開けると爽やかな風に潮の香り。遠くには夏空に浮かぶ入道雲。その空と同じ色をした瞳に、どこまでも開放的な夏の景色が映り込んだ。こんな環境でいつまでも怒っているのも馬鹿らしいではないか。
 それからは快適にここまでハンドルを握ってきた。
 最高のロケーションで合宿を楽しめると胸を撫で下ろしたところで、機材をせっせと室内に運ぶことにした。
 ところが。
 建物をどれだけ探しても、人の気配はない。偶然スタジオにたどり着くと、そこには散らかった荷物がお留守番をしていた。
「なに……?」
 事態をよく把握できなかった夏音は、遠くから聞こえる悲鳴を耳に捉えた。
 海の方からだ。
 このスタジオは、ガレージをスタジオ使いしているだけらしく、外に直結していた。
 夏音は木造のデッキから外に出て、海へと下る道を歩いた。そして先ほどの悲鳴の主たちに気がつく。
「俺を……さしおいて……なんてこと……?」
 浜辺に出ると、そこには水着姿で黄色い声をあげてはしゃぐ軽音部の仲間たちが。水着姿で。自分が到着するまでくつろでいるだろうと思っていたが、まさかスロットル全開で遊んでいるとは思いもしなかった。
 あまりのショックに、ふらふらと足元もおぼつかないまま近付いてくる夏音に誰も気が付かない。
「あ、あ、あ、アンタラァーーー!!!」
 その声が届いた彼女たちは、真夏なのに極寒にさ迷いこんだような感覚を覚えたという。



「ご、ごめんね夏音くん!!」
 もはや、土下座というより身を投げ出している唯が許しを請う。
「そ、そんな泣かなくても……っ」
「お、おい律!」
 そして、泣き濡れる夏音の顔を見上げた二人は「ギャーー」と叫びそうになるのを寸でこらえた。夏音はひたすら悲しそうな顔をしていたのだ。
 それは雨の中震える子犬を彷彿とさせる。もう、誰も顔をあげられなかった。
 天気は快晴なのに、どんよりと湿った空気が肌にはりついて離れない。こんなスタートの合宿嫌だ……と思っていた時。
「はぁ~あ……別にいいよ、もう!」
 打って変わった明るい声に顔をあげた皆は、涙などございましたか? とばかりにあっけらかんとした様子の夏音にずっこけた。
「切り換え、早っ!!?」
「ったく、連絡くらい入れてくれよなー」
 ぶつぶつ文句を言う夏音は、砂浜に投げ出されていたビーチボールを手にした。その硬度を確かめ、ぽんぽんと手で遊ぶ。
 それから、暗い視線を唯へと向けた。
「シカシ、唯サン」
 たまらず嫌な予感がした唯。
「は、はひっ」
 上擦る声は、次に起こる出来事を予感している。
「恩を仇で返すとは、このことだぁーっ!!」
 夏音はおおきく振りかぶった。その後の出来事は割愛に処する。



「あれ、夏音は泳がないのか?」
 ビニールシートの上で一休みしていた律は同じく横で座る夏音に訊いた。いったん着替えてくる、と別荘に戻った夏音は海辺にふさわしい装いに変わっていた。膝上までのパンツに、ノースリーブパーカー。髪を頭上で結んで、後ろの髪も折り返した所で留めて邪魔にならないようにしていた。
 間違っても男には見えないなー、と律は感心した。
「今、何か思ったでしょ?」
「な、なんも思ってないっ!」
「本当かなー?」
 律は、しっかりと心の内で「ナンパされても笑えねーなコイツ」と男数人にナンパされる夏音を妄想していた。男とは思えぬ容姿はもちろんのこと、陶器のように白くプルンプルンな肌はほんのり汗ばんでいて、どこか艶めかしい。丈の短いパンツからすらりと伸びた形の絶妙な太ももなんて……。
 そこまで考えたところで律は思考を停止させた。
(いやいや、私はオヤジかっ! しかも、相手はただの野郎……野郎だろう! あ、いま韻踏んだ)
「泳ぎたいさ」
 夏音はすねたように口をとがらせ、海ではしゃぐ唯たちの方を向いた。それから、「ほれ」と言って律に向かって腿を見せた。裾をまくりあげて、見せる、魅せる……。
(う、ヤバイ)
 律はうっかり鼻をおさえて、目をそらした。
「ジンマシンがさー……サバでさー……ということなの」
「え?」
 鼻の奥から漏れる液体を根性で引っ込ませながら、律が聞き返した。
「だから、サバでジンマシンが出ちゃったの! 海に入れないんだよ」
「えー、大丈夫なのかそれ?」
「安静にしてれば、ね。海水に浸かっちゃだめなんだって」
 すっかりしょぼくれている夏音の様子に律は慌ててフォローした。
「ま、まあ浅瀬で遊ぶには平気じゃないか?」
「ん……あ、そうか」
 それは思いつかなかった、とガバッと立ちあがった夏音。
「お前……どこかズレてるよなー」
「そうだよね! カバディやろう律!」
「何でよりによってカバディ!?」
 それから数時間ほど軽音部の一行は照りつける太陽の下、海水浴を楽しんだ。
(俺、勝ち組! 勝ち組!)
 間近にいる水着の女子高生たちの中、自分だけ男一人という状況に心の中でガッツポーズをとった夏音であった。
 傍からみればただの「海水浴に訪れた女の子集団」にしか見えなかったのは本人は知らない。



 一同は、日が暮れるまでたっぷりと遊んだ。すっかり本来の目的を忘れていた澪があわてて練習しようと騒ぎ出したところで海水浴は終了となった。それから交替でシャワーを浴びて海水でべたつく体をさっぱりしてから、スタジオへ向かうことに。
 さあ楽しい練習のお時間のはじまりである。といったところで、問題児二人によって阻まれた。
「初日なんだし、いっぱい遊びたいよー」
「唯に同感ーっ」
 遊び疲れてスタジオの床へ突っ伏す二人組を見下ろして夏音は深いため息をついた。
「どうしようもないねー。練習してから遊べばいいじゃないか」
「そうだぞお前ら。何しに来たと思っているんだ」
「……澪だって忘れてたクセに」
 腰に手をあてて夏音にのっかった澪だったが、瞬時に飛んできたピッチャー返しに言葉が詰まってしまう。
「う、私はちゃんと練習するつもりで……っ!」
 まあ、説得力はないけどと誰もが思った。
 

 夏音は持参のスピーカーを配置するとミキサーとつないでマイクの音量調節を終えた。それから、セッティングのセの字もしていない二名に目をやってそっと溜め息をつく。
 夏音と澪は自然に視線を交わした。何をすべきか心得た二人は頷き合う。
 澪はドンとアンプを二人のそばに置き、最大音量でかき鳴らす。
 鼓膜を揺るがす重低音に、二体の屍はたまらず身を起こした。死者をも呼び覚ます四弦使いを眼前に、怠惰は許されない。
 そこに澪の怒気を孕んだ一声がつきささる。
「は・じ・め・る・ぞ!!」
 それから二人は、ノロノロとした動きでセッティングにとりかかった。気怠そうにハイハットの位置やシンバルの角度を調整していた律は、作業を中断してタムタムの間に両手をかけてよりかかった。
「あー、だっりー」
 すっかり気力を失い尽くしている様子に澪はイラっとしたが、何か思いついたように意地の悪い笑みを浮かべた。
「そういえば、さっき思ったんだけど律太ったんじゃないかなー。やっぱり最近ドラム叩いてないかなー。あ、独り言だから気にしないで欲しいんだけど」
 宙に視線をさまよわせ、誰に言うでもなく、だが、しっかりと特定の人物に届く声で呟かれた言葉は、真っ直ぐに律の心に突き刺さった。
 え、うそ。マジなの? と自らの身体を見下ろして戦慄く律は救いをもとめて他の者に視線を向けた。その場にいた者は、ちらりと律の体に目を向けて、背ける。
「う、う、う、オリャーーーー!!!!」
 一心不乱にドラムを鳴らす。苦手なはずの難解なタム回しも完璧で夏音は一瞬呆気にとられた。
「人間の底力を見た気がする」

 そうしているうちに、唯もとっくにセッティングを終わらせていた。アンプ直結の唯がすることと言えば、チューニングくらいしかないので当然といえば当然である。
 今回の合宿でやることになった三曲は「Bon Jovi」「Deep Purple」「東京事変」の三バンドから、その中でも難易度を鑑みて曲が選ばれた。
「さぁ唯。この日のために特訓した成果を見せてもらおうではないか」
 夏音は不敵に笑って唯を指さす。
「何から演る?」
 全員のセッティングが終わったところで夏音が弾んだ声で、皆を見回す。
「そうだな、とりあえず簡単なものからがいいかな。スモーク・オン・ザ・ウォーターにしないか?」
 澪がすぐにそれに答えて他の者に同意を求めた。
「ええ、私はどれからでもいいわよ」
「唯は?」
「えーと、それってジャッジャッジャーって始まるやつだよね?」
「唯から始まるやつだね」 
 ディープ・パープルのあまりに有名すぎる一曲だ。リッチー・ブラックモアのギターの3コードのリフから始まる誰もが聴いたことのある印象的なフレーズ。しかし、この曲は一般のイメージによる簡単な曲というほど一枚岩ではなく、『スモーク・オン・ザ・ウォーターを笑うものは、スモーク・オン・ザ・ウォーターに泣く』とまで言われているほど奥が深いものだ。今の唯にそこまで求める訳ではないが、絶対に通って欲しい曲だと夏音はこの曲を選んだ。
 あと、律の事を思って手数を少なくアレンジできる点も。
「じゃ、演ろうか?」
 夏音は自分の青色のストラトを構える。ふと顔を上げると、何かにがんじがらめになっているような皆の姿があった。これほどわかりやすく緊張しているのも面白い。だが、演奏にならない。
 夏音はパンパンパンと手を叩いて注目を集めた。
「Let`s enjoy the music!! 唯! いったれ!」
 唯の右手がぎこちなく振り下ろされ、3コードのリフで曲が始まる。唯のピッキングを素直に拾うハムバッカーの音が歪みと共にアンプから放たれた。
今、この場に響いているのは六本の弦の振動。
 そこにムギのシンセから飛び出るオルガンの音色が控え目に跳ねる。すぐにフィルインからのドラムが参加して、ビートが生まれる。ここでこの曲のエンジンがかかる。すでに走り出したグルーヴに8ビートを刻む澪のベースが加わった。
夏音は、ふっと息を吸い上げる。
「We all came out to Montreux`―――」
 天高くまで届けとばかりに歌い上げる。
 その瞬間の空気が爆ぜるような圧が皆を均等に圧倒する。夏音のギターはトリッキーにアンサンブルの中を動きまわり、時に自由にオカズを加え、かつ原曲を壊さずに参加していた。
 バンドとしては、各楽器の音のズレがあちこちで発生しているというちょっとした惨事が進行中であった。
 あえて表現するなら、カッチカチ。夏音はいつまでも堅苦しい演奏を続ける彼女たちの音に、内心で舌打ちをした。初めてなのだから仕方ない、とはいえ彼女たちは演奏を楽しんでいないではないか。そこが不満なのだ。
 手元の楽器をただ鳴らすことだけに集中してしまい、他の楽器の音を聞いていない。
 しかし、経験の差だろうか。律と澪だけはきちんと顔をあげ、時折互いをみやって上手く曲をコントロールしている。彼女たちはそれなりに楽しんでいるように見えた。その楽しさを唯やムギにも共有してやってくれ、と思う。
 夏音は少しだけ苛立ちながら、このままで終わってたまるかと密かに決意を固めた。
(やってやろう)
 かくして、彼はタイミングをはかる。
 初めての合奏だからこんなものでも仕方ない? 違う。
 初めてだからこそ、彼女たちには何かを得て欲しい。理屈じゃ語れない化学反応。音楽の奥深さ。そういったものの一片でも感じとってほしいと思った。
 熱い想いはどんどん膨れ上がっていった。そして、夏音の待ち望んだ瞬間が、やってきた。
 夏音は足元のエフェクターを踏み替えた。
 空気が雷鳴に引き裂かれる。雷鳴と擬音できるほど、夏音が激しい光と音をもってその場に君臨した。
 ギターソロのお時間だ。チョーキングをした左手をそのまま、オーバードライブという味方をつけた夏音は破壊的なサウンドを携えて中央に躍り出た。下を向いて演奏をしていた唯やムギの目はすでに夏音から照準を離すことができずにいた。
 しかし、曲を壊すことはないものの、すでに原曲はぶち壊していることは言うまでもなかった。
 例えば、ジェット機のエンジンの間近にいるとこんな感覚だろう。轟音に身が縮こまりそうになった彼女たちは、次第にそれが直接アンプから出ている音によるものではないと気が付いた。
 今、全員の目線を釘付けにしている人物の発している音の力が、凄絶すぎるからゆえの圧力だと認識した。現実に測れないとして、確かに何かすごい物がこの場に発生している。
 華奢で、女の子みたいだと思っていた夏音。その彼が偉大なロックスターのように腰をかがめて、ギターを歌わせていた。
 どこまでも太く、存在感のある音を出す彼はこのスタジオを埋め尽くすほど巨大な姿となって映った。
 アームを使ってマシンガンのように響くエロティックなヴィブラート、そこからどこをどう弾いているか可視不可能な早弾き。ピッキング・ハーモニクスによって甲高い悲鳴をあげるギター。どこまでも高く、それは次第に女性の悲鳴みたいに、喘ぎ声みたいに妖艶に響いた。
 夏音は何小節も驀進し続けてから、すっと顔をあげた。
 音色が変わる。相変わらずソロは続くが、音の雰囲気がはっきりと変化したことに全員が気付いた。今までとは打って変わったハイポジションのバッキング。夏音はニヤリと笑って澪の目を見る。
 視線で射貫かれ、びくっとした澪であったが夏音の意図を正確にくみ取った。不幸な事に、気付かぬフリは通用しない。
「Mio, it`s your turn!!」
 マイクを通して夏音が言った発言に、他の三人は驚きの反応を見せた。表情だけで溜め息をつくという器用なジェスチャーをした澪は、小節の区切りでハイフレットの和音を伸ばした。
 次の瞬間には、夏音はごく自然に自らのソロを収束させていき、小節をまたぐ際に澪につないだ。
 一小節分、まるまると音を伸ばしてから、ブルージーなフレーズを生み出してく澪。まだまだ単純なスケールをなぞるだけのものであったが、夏音の影響で増やしたバリュエーションもあって、堂々とソロを弾ききった。
「お次は~~」
 獲物を見定めるような目つきの夏音に誰もがいっせいに目をそらした。
「…………やっぱ俺~!!」
 夏音、空気読む。
 エフェクターを踏んで元の音色に戻し、抑揚されたフレーズが続く。そのままいくらか時間がまわったところで、夏音の演奏も終盤に向けて走りだした。自分が暴走しすぎたので、周りの彼女たちが無事演奏を終われるか怪しかったが。
 高速のトリルを続けながら、やりすぎちゃったかも、と舌をちろりと出して夏音は笑った。

 

 
 唯は夏音のソロが始まってから、ずっと同じコードの繰り返しばかりで、弾いている場所を見失っていた。変な不協和音を奏でている訳ではないから、間違ってはいないだろうと思ったが、それでも収拾がつかなくなるのではと不安がちらりと渦巻いた。
 しかし、同じところばかり繰り返しているだけなのに湧き上がってくるこの高揚感はなんだろうか。
 曲が夏音によって頂点まで盛り上がる時には、もう何年もこのまま突っ走ってきたみたいに曲になじんでしまっている、信頼感。五回に一回はミスをしてしまうが、今の自分は確実に楽しんでいる。
 自分が影で固めて行く道の上を夏音が自由に、堂々と走りまわる。
 楽しい。それだけしか、感じられない。
 いつの間にか、夏音のギターが通常のバッキングに戻っており、彼の声が再び「湖上の煙」の歌詞を歌い上げていた。
(何だろう、この……なんか、長い旅から帰ってきたような感じ)
 唯は、今自分が響かせている音すら、百八十度変わって聞こえた。隣のムギを見ると、しっかり顔をあげたまま、演奏が始まった時より堂々とした様子。自分と目が合うと、にっこり微笑んでくれる。それだけで自分のバッキングにノリが出るような気さえした。
 演奏も終盤になると、音源通りの流れになった。夏音がわかるように指を四本立てた。あと四回、回すという合図。
 腕はもう感覚がない。それでもきちんとコードを押さえていられる不思議。
ムギが最後にクラッシュを打つと、音が止んだ。
 嵐の後の静けさ。そう表現するにぴったりの空気だった。

「こ……濃ゆっ!!」
 律が椅子からずり落ちて、床にへばりこんだ。気がつけば、皆汗だくになって息を乱していた。
「一曲目なのに……これってどうよ?」
 律は上半身だけ起こし、夏音に対して責めるような視線を向けた。夏音は、500ミリのペットボトルの水を一度に半分も空にして一言。
「楽しかったでしょ?」
 そうやって夏音は片頬だけあげてニヤリと笑った。これより先、こんなのがずっと続くのかと、彼以外の全員の目に諦めに似た感情がこもったのを唯はしっかりと目撃した。
 おそらく、自分もそんな目をしているに違いなかった。今日の晩御飯はさぞかし美味しく食べれることだろう。

 一時間ほどスタジオにこもって練習を終えた者たちは、空腹の絶頂期をいくつ超えただろうと指折り数え、やっと夕飯にありつけることに滂沱の涙を流した。
 さて、晩飯だといったところで何もないことを思い出したところで、一瞬垣間見た気がする天国は遥か彼方へすたこら逃げて行ったのだが。
「夕飯も自分たちで作るってことにしただろー?」
 あらかじめ買っておいた食材と調味料などの確認をする夏音がもう言葉を失くしている彼女たちの方を呆れた声を出した。
「もーーーだれかやったってー」
 生気のない声が床に突っ伏した唯から聞こえた。
「結局きちんと練習したのは最初の三十分だけだっただろう!!」
 夏音は思わず、手元のキュウリを唯に投げつけた。
 三曲を二回通したところで、唯律のコンビが駄々をこね始めた。
 もームリ、と。
 その瞬間、人のこめかみに青筋が浮くのを初めて目撃したという澪は夏音から一歩身を遠ざけた。
 温和な笑みを顔にはりつけたままのムギ。
 しまいには唯が「もうこのギターもてない……」と言い出す始末。だからギブソンやめろと言ったのに、と数か月前の不安が現実になった瞬間であった。
 なんともいえないプレッシャーが夏音を襲う。いくつもの視線が自分に訴えかける……休憩の一声をかけない訳にはいかなかった。
「ご飯にする?」
 打つ手なしの有様にすっかり匙を投げてしまった夏音はさっさと機材を片づけて練習終了を宣言した。


「という訳で、味見要員の者ども。テーブルを拭いたり、食器を並べたりしていなさい」
「はぁーーい!!」
 良い子の返事が返ってきた。結局、料理を作ることになったのは夏音、澪、ムギの三名に落ち着いた。既に動く余力がないと駄々をこねた律と唯はその他雑用を押しつけられた。
 厨房で火を使う夏音、包丁を握るのは澪、ムギは野菜の皮を剥いたりサラダを作ったり、ご飯や味噌汁係を担った。
 実に芳しい匂いが厨房を満たすと、その場の三人の腹がいっせいに鳴った。くすくす笑っている四人のもとへ唯がやってきた。
「すごく良いにおいー!!」
 これまた腹がきゅるりと鳴り、唯は恥ずかしそうに笑うが目が本気だ。涎が出ていることなど、気にしてもいない。
 その晩のメニューは白米、味噌汁、アボカドの肉餡かけにラーメンサラダ、から揚げという豪華な料理が食卓を彩った。
「シェフ、感激です!!!」
 運ばれてきた料理を見た唯が尊敬の眼差しで夏音を見上げた。
「これくらいは当然。そろそろ涎を拭きなよ唯」
 それから皿まで食いかねない勢いで全てを平らげた一同はデザートにスイカを切って、外のテラスで涼んだ。
 辺りに満ちる潮の匂いが鼻をくすぐり、海からは穏やかな風が吹いてくる。澪と隣あって座っていた夏音はスイカの種を勢いよく飛ばしながら、先ほどからごそごそと忙しなく動く律たちをぼーっと眺めていた。
「終わったら練習再開するからなー」
 澪がスイカを口いっぱい頬張りながら、浮つく彼女たちにしっかり釘をさしていた。頬を膨らませるその姿はまるでハムスターのようだとは口が滑っても言えない。
「わかってるわかってるー。それに明日もあるんだからダ―イジョーブだって!」
 どこまでもポジティブな部長のお言葉にムギが力強く頷く。
「ありがたいね……」
 夏音はぺっ、とスイカの種とともに吐き捨てた。相当荒んでいる。

 律とムギが動きを止めて、頷きあったのを見て何が始まるんだと夏音は注目した。
「せーーの!」
 光の波が瞳の奥に押し寄せた。吹き上げる閃光の中に躍り出たシルエットに夏音と澪は目を瞠った。
 相棒・レスポールを武器に、眩いステージでギターをかき鳴らす唯はどこまでも自由だった。アンプラグドのはずが、実際にエレキの音が聞こえてくるような気さえしてくる。
 澪と夏音、二人の網膜を支配した唯がさらに腕を大きく振り上げる。
 光の花が夏の夜空を照らし、その足元には一人のミュージシャンが。横にいる澪の目には何が映っているのだろう。自分の瞳には何が映っている。一瞬だけ唯が目の眩む光の先で何万人もの観客の前で演奏している姿が浮かんでいた。
 それは本当に刹那の幻覚にすぎなかったのだが、突如の出来事に夏音の心は突き動かされた。
 吹き上げる花火は徐々にしぼんでいき、後に残るのはオーイェー! とハシャぐ唯と火薬の硝煙のみ。
「え、もう終わり!?」
 予想以上に花火が続かず、これからが良いところだったのに―――、と唯は残念そうな声を出した。
「すまん、予算の問題で……」
 律が申し訳なさそうに言うが、その表情はどこか満足気だった。
「でも、いつかまた……ね?」
「そうだな! 武道館公演でこう、もっと派手にバババババァーッと!!」
 夏音はそういえばそんな話が初めに挙がっていたのを思い出した。
「ぶどーかん?」
「おいおい、目標はそこだって決めただろー!? なっ!?」
「へっ?」
 と急に話をふられた夏音と澪は二人揃って素っ頓狂な声をあげてしまう。
『目指せ武道館』
 このメンバーで。夏音はふと寂しさに似た感情がちくりと胸を突いたことに気付かないふりをした。彼女達がその夢を実現できたとして、その中に自分はいるのだろうか。
 夏音はコツンと自分の頭を小突いた。せっかく盛り上がっている中で何を暗くなっているのだろう。
 それでも胸がしくりと痛むのを留められなかった。大きなステージ。今はただのお遊びでしかない彼女達がそこに立つ日が来るのだろうか。
 暗い思考から逃げられないでいると、ふいに聞き覚えのある曲が夏音の耳に入ってきた。
 急にメタルなんか流してどういうつもりだ、と夏音はラジカセを手に持った澪を訝しげに見た。
「武道館目指すなら、まずこのくらいできるようにならなきゃなー」
 澪がこの合宿に思い立った理由。彼女はこれを聴いて皆に軽音部としてのスタンスを一度考え直して欲しかった。
 夏音は澪がメタルをやりたかったのだろうかと首を傾げた。
「へぇー、上手いなー」
 律が素直に感心した声を出す。既にその曲を一度聴いていたムギは静かに耳を傾けている。
「これ、私達の先輩なんだぞ?」
「これ軽音部なのか!?」
「ここからソロなんだけど、本当に高校生が弾いてるのかって次元だからよく聴いておけよ」
 かくしてギターソロが始まり、沈黙のまま誰もが聴き入っていた。
「あれ、この曲って……」
 夏音は横で何かに反応した唯が気になったが、何も言わなかった。曲が終わるまでじっと待ち、少しどや顔をしている澪がふん、と鼻を鳴らした。
「どうだ? これを超える演奏ができるようにならなくっちゃな!」
 何でお前が自慢気なんだと皆が思う中、ふとラジカセからこの世の怨嗟をぶち込めたようなドス黒い声が唸りを上げた。
『死ネーーーーッッ!!』
 テープから漏れる叫びにラジカセが宙を飛ぶ事になった。


 一同は怯えきった澪を宥めてからスタジオへ戻った。澪の作戦も功を奏したのか、律や唯が練習に向かう姿勢を見せたのだ。
 皆が再びアンプのセッティングを済ませていると、ムギが戸惑いの表情で唯を見つめていた。
「唯ちゃん、本当にさっきの曲……」
「うん! 見てて!」
 そう言って唯は、ギターを構える。
「…………うそ、だろ……?」
 唯が弾き始めたフレーズは先程カセットで流れた曲のギターソロであった。もちろんつっかかる部分があるし、原曲よりテンポも遅いし音数も少なかったりする。
 まさか、ここまでとは思っていなかった。夏音は一度聴いた曲はそのまま忘れないでいられる。初見ならぬ初聴でほぼ完璧に曲を再現できるし、それができないようであればプロとしてトップを走っていられない。
 しかし、ギターを初めて三ヶ月の唯が同じような事をできるとは思っていなかった。合宿用の曲を覚えた時はやけにすんなり覚えたなぁと思っていたが、これには度肝を抜かされた。自分が教えてきた事がこんなに早く実を結ぶとは思ってもみなかった。
 夏音は唯が絶対音感を持っている事を思い出し、さらにはそのセンスを侮っていた事を痛感させられた。
 皆、同様に目を見開いている。
「はいっ、どう!?」
 得意気に振りむく唯。
「すごいっ、完璧!」
 ムギが拍手したが、他の律と澪は声が出なかった。
「へへへへっ、でもみょーんってところがわからなくて……」
 頭をかきながら首をかしげる唯に、やっと言葉を取り戻した夏音が口を開いた。
「ベンディングだね」
 夏音が口を開くと澪が首を傾げた。
「ベンディング……ってチョーキングのこと?」
「あ、日本ではそう言うんだっけ?」
「ちょーき……ぐへっ」 
「これのこと?」
 新出の単語に唯が聞き返そうとしたところに律がプロレス技をかけた。
「それ、チョーキング違い……いいから、やめ!」
 夏音は貸してみぃ、と律から解放された唯からギターを受け取る。
「こうやってね」
 夏音は適当なフレットを押さえて、音を鳴らし、それをぐいっと指板に並行に引っ張った。
「音を出して、その弦を引っ張るんだ。それで音程を上げる奏法のことだよ。さっき俺も多用していただろ?」
 そのまま、チョーキングを使ったフレーズをささっと弾く。
「適当に引っ張るわけでもないんだよ。音程を考えてやらないといけないから、奥が深い」
 そういって、驚かされたお返しだとばかりに夏音はCD音源通りのギターソロを弾いた。
「す、すっごー……」
 夏音が唯にギターを返して「Try it」と言ったので、早速唯は実践する。
「こ、これ何か変ーーーー!!!」
 チョーキングがツボに入ったのか。弦を引っ張りながら大爆笑する唯に、彼女の頭の中の不可思議さについていけなくなった夏音であった。
 それから各曲を一度通してから今日の練習は完全に終了とした。
 シャワーで流したとして、やはり海水に浸かった体をしっかり洗いたい一同は風呂に入ることにした。ムギ曰く、大きい露天風呂がついているそうだ。しかし、男女で分かれていないので夏音は一人ぼっちである。
 事もあろうにスタジオに軟禁状態。やれやれ、俺の雄の部分を警戒しちゃってまぁ……と嬉しくなった夏音であったが、ここまでするのはどうだろう。
「ぜーったい覗くなよーっ」
「し、信用しているからな夏音のこと」
「夏音くんなら大丈夫だよー」
「ふふふ、一緒に入ってもいいんですよ?」
 三者三様、の反応。個室に閉じ込めておくにも鍵は内側から開く上、外から鍵をかけられる物置に閉じ込めるのは幾らなんでも不憫だという事で、お前はスタジオでずっと音を鳴らし続けておくのだ、と命じられたのである。
 この扱いは不憫ではないと言うのだろうか。
「あんまりだ……」
 露天風呂に入っていると、スタジオから響く音は十分すぎるくらいだそう。
 どうして彼女たちの風呂のBGMまで担当しなければいけないのか。どれだけ憤ったところでどうしようもないので、夏音はどうせなら爆音でやってやろうとアンプをセッティングし始めた。
「ムギの別荘の設備に感謝しなきゃなー」
 ハートキーの2000Wのキャビネット・スピーカー×2が片隅にどーんと置いてあったのだ。ついでに持ってきたベースでセッティングをする。さらについでにギターのセッティングをする。
「そもそも、あいつらちゃんと聞いてるんだろーな」
(ループさせてこっそりのぞいてやろうか?)
 しかし、それは決してやることはなかった。なんだかんだで弾いているうちに夢中になってしまったのである。


「お、ちゃんと弾いてるなー」
 外の露天風呂につかっている女子組は、バカでかい音で小宇宙を繰り広げている唯一の男子メンバーを思い浮かべた。
「ちょっとかわいそうじゃないか?」
 澪が眉を落として言ったが、「のぞかれたいのか~?」と律に茶化されて慌てて否定した。
「まぁー、当てつけのように激しいの弾いてるな」
 空気を裂いて響いてくる音。伝わるのは、怒り。轟音がここまで届いてうるさいほど。
「怒っているな」
「怒っているねー」
「でも、しかたないよね」
「しかたない……かもしれない」
 なんだかこの合宿で、夏音を怒らせてばかりな気がした一同。埋め合わせしなければならないと考えた。
「夏音一人だけなのに色んな音がきこえるなー」
「ええ、不思議……」
 割とどうでもよさそうに恍惚の表情で落ち着く彼女達。ループを多用してギターとベースを同時に弾いているとは思いもしないだろう。
「まさか露天風呂まであるとはねー」
 鼻歌をすさびながら、唯が星の瞬く夜空を見上げた。
「今日は本当に楽しかったー!」
 ムギもルンルンと上機嫌で足をのばしていた。
「ムギの言ってた通り、そんなに慌てる必要はなかったのかもな」
 今日、初めて音を合わせたバンド初心者の二人の様子を見た澪。もっと音楽とはこうあってもいいんだと再確認した一日でもあった。
「だったら明日はもっと遊ぶぞー!」
 ふいに潜水していた誰かが浮上した。
「だ、誰だっ!?」
 肝心の顔が前髪で隠れて、誰か判別できない
「私だ!」
「前髪長っ!?」
 我らが部長、律であった。普段カチューシャでおさえている前髪を下ろすとこんな感じらしい。新事実。
「案外可愛い……」
「あんがいってどういうこったコラ」
 そんなやりとりをしてから、二人の間に強引に並んだ律は絶えず聞こえてくる音に耳を向けた。
「ま、ゆっくりやろうが慌ててやろうが頼もしい奴がいるじゃん」
 その言葉の後に、ふいに曲調が変わった。
 夏の夜にふさわしい、涼やかだがどこか哀愁漂う情緒感。ひょっとしたら、今の夏音の内面を表しているのではないだろうか。
「さびしいのかな?」
「まぁ……さびしいんじゃね」
 ふと、澪は会話に加わらずに左手を奇妙に動かす唯に気付いて近づいた。
「それは、もしかしてこう?」
 手の形から、なんとなくコードを推測してみた澪に瞠目した唯は「すごーい」と喜んだ。
「唯……手の皮、ずいぶん剥けたな」
「あ、コレ? うん、今日一日でねー。ちょっと水ぶくれになっちゃった! だいぶ硬くなったと思ってたんだけどね」
 珍しく痛い話にかかわらず、自ら話題を振ってきた澪。自分も通ってきた道なので、案外それについては見ても平気だったりする。
「でも、やっぱり音楽っていいね。今日、初めてみんなと合わせてみて楽しかったなー」
「唯……まて、本当に楽しかったのか?」
「うん! 一番初めに合わせた時、すごく興奮したもん! 血が湧く、ってああいうかんじなんだね!」
「それはたぶん……夏音のおかげだろうな」
「そうなのかな? すごかったよね、夏音くん。私も早くあんな風に弾けるようになりたいなー」
「うん……唯なら、できるよ! 今日、唯があれだけ弾けるようになっていてビックリしたよ。きちんとバンドでも合わせられたし!」
「澪ちゃんが合宿を計画してくれたおかげだね! もし合宿がなかったらいつまで経っても、この気持ちを知らないままだったから……!!」
「そ、そう?」
「ありがとう、澪ちゃん」
 両手をつかんで礼を言う唯にもはや沸騰状態の澪を、律が抜け目なくからかった。
「澪のやつ照れてるぞーっ」
「こ、これはのぼせただけで……っ!」
 その場には、笑い声と………夏音が奏でる物悲しいメロディがあった。
「あ、そろそろ出ないと夏音くんが…………」
「あぁ……泣きのメロディーに入ってるな……あ、むしろ狂気?」
「早く行ってやろ……」
 
 
「おやすみー」
 と言って四人の女の子たちは別の部屋へ移っていった。夏音は別の部屋で眠る事になっていたが、何となく寝室に向かう気分にならなかった。ふうと息をついて居間のソファに横たわる。目を閉じると、様々な出来事が脳裏に浮かぶ。
 慌ただしい一日だった。本当に色々なことがあった。これだけ濃い一日を過ごしたのは久しぶりである。昼間の熱をひきずっていまだに気温は高いが、開け放しの窓から抜ける風が心地よくてだんだんと瞼が落ちてきそうになる。
 ふと横のテーブルを見ると、先ほどまで広げられていたトランプが綺麗にまとめられていた。記憶の残滓がまだそこに留まっているようで、夏音一人がここにいるという気がしなかった。
「楽しかったな」
 ポツリと呟かれた言葉は見上げた天井に染みこんで消えた。夏音は自分が持て余している気持ちを歯痒く感じた。
(さびしい、だなんて)
 これだけ楽しいのに、並行して寂しさが募っていく。どこまでも矛盾した生活をしていると思う。元いた場所への郷愁、尚今いる場所の心地よさ。どちらも手放したくないし、それが両立できたら悩むことなどないのに。
 個性が強い軽音部の皆。自分の周りに集まる人は魅力的な人が多いと思う。こんなに恵まれている自分は幸せだと感じた。
 でも、いつかは戻らねばならない日が来るだろう。自分が、自らの立ち位置を曖昧模糊としている間に、周りが動いていた。カノン・マクレーンは求められていた。ジョンはやり手だ。夏音の意志を尊重しつつ、もしかしたらこれからどんどん仕事を持ってくるかもしれない。そして徐々に自分を誘導してこの生活から切り離されている、という未来が訪れる可能性は大いにある。
 その前に向こうに放置してきた親友がやって来たとしたら。自分はあっさりと今ある環境を手放してしまうのだろうか。
「でも、まだみんなダメダメだしなー」
 唇が震えて何か言葉を紡いだ気がしたが、いつの間にか意識は暗く溶けていった。
 

 夏音は全くスッキリとしない頭のまま、目を覚ました。意識の膜が何重にも自分を眠りに閉じ込めようとしているようだ。しかし、周りが騒々しさが丁寧かつ乱暴にそれらを引っぺがしてくる。窓が全開になっているのか、潮風が強く吹き込んでくるのを感じた。
 むくりと体を起こすと、体の節々が凝っていた。結局、ベッドに行かないで居間で寝てしまったらしい。ぼーっと半開きの目で朝食の準備に忙しなく動き回る彼女達の姿を見る。
「顔、洗ってこよ」
 すっと腰を上げるとムギが声をかけてきた。
「夏音くん卵どうするー?」
「Scrambledでお願い」
 洗面所に向かい冷水を顔に叩きつけて、口をゆすぐ。それでもいまいち脳が覚醒しない。
 席に着くと朝食の準備が整っていた。マフィンやキッシュ、三種類のベーグルにお好みでトースト。ソーセージとスクランブルエッグに目玉焼き。グリーンサラダにスープとなんとも豪華なメニューが揃っていた。
 いただきます、と一斉に食べ始める中、半覚醒状態の夏音はぼろぼろとパン屑をこぼしたり、牛乳を口のまわりに滴らせたりと隣の澪が世話を焼く始末だった。
「こいつ、こんなに朝ダメだったか?」
「毎朝、ゾンビみたいに歩いているのは見るけどね」
 口に巻き込んだ髪をむしゃむしゃ咀嚼するあたり、「だめだコイツ」と律が呟いた。
 

「さて、諸君。今日の予定だが……ん、その顔はなんだい?」
 食事も終わり、身支度を整えて全員が集合したので今日の予定を組むことになった。
 仕切るのはきりっとした夏音。
「……いや、さっきまでぼろぼろ食べ物零していた奴と同じ人間かな、と」
「う……っ、朝は割とダメな方なんだよ!」
「堂々と言い切りましたね……」
 夏音はうぉっほんと咳ばらいをして、話を戻した。
「今日は、午前中に練習をしたら午後は遊びつくそうと思います。だから午前中に集中しよう!」
「んー、まあ涼しいうちにやった方がいいよな」
 もっともだと律がうなずく。
「それで、澪から提案があるそうだ」
 といって話を振られた澪はうん、と頷いてと前に出た。
「オリジナル曲を作ろうと思うんだ」
「オリジナル!?」
 唯が驚いた声を出す。コピーではないオリジナル。唯は、そういうのはもっと経験を積んでからやるものだと思っていた。
「せっかく軽音部として出るんだから、コピーだけだとつまらないだろ?」
「で、でもオリジナルって私……っ」
「あぁ、唯は特に何もしなくていいよー。今回は基本的に俺が示すように弾いてくれれば」
「あ、それなら……なんとか」 
 なるのだろうか。

 しかし、オリジナルの曲製作はさっそく壁にぶち当たった。やはり、まだ楽器初心者の域を出ない唯がなかなか作業の効率を下げてしまうのだ。昨日見せたプレイは幻覚だったのだろうかと誰もが嘆いた。
 しかし、こればかりは仕方ないと誰もが寛容にならざるを得ない。それでも夏音は皆から出てきたアイディアをまとめ、唯に丁寧に教え続けた。
「うん、イントロとAメロはE、A、Bの三つのコードを繰り返してね」
「ブラッシングも前に教えたよね。こうやってミュートするんだよ。え、ミュートって何だと!? まぁ、こんな音を出すようにやってみて……できてるじゃん。それで、ちょっと応用! これがカッティング!」
「そうそ。左手もミュートして右手もね。どっちかだけできちんと音が止まれるくらいになろーね」
「逆にダウンだけになるとかなりヨレるねー。何で? でもここはダウンで頑張ろうか。漢らしくあれ」
 このように、夏音がつきっきりで教えることによって何とかサビまで通せるようになった。
「ふぅ~……まぁ、合宿中に完成させるのは無理だな」
「それでも前の私たちの状態からしたら十分な進歩だよ」
 休憩中にそんな会話を澪としていた夏音であったが、休憩の合間ももくもくと曲の練習をする唯に視線を向けてふっと笑った。
(一度集中すると止まらない、か……)
「それにしても、こういう曲を作るのは初めてだなー。なんていうか、女の子っぽいポップな感じ」
「夏音からしたら、完成度としてはどうだ?」
「うーん……それを評価する段階ですらないな。骨格を組み立てている最中だし、気になるところは尽きないね」
「た、たとえば?」
「澪はもう少しシンコペーションを減らしてよ。もう少しフレーズを歌わせてほしいな。せめて2コーラス目では、もう少しきちんと考えてくれ。律も手数増やして。もっと気の利いたフィルたのむよ。ムギは音符の長さをちゃんときっちり合わせてくれ。バンドの中ですごくもたついてるからね」
 淡々とメンバーの演奏を講評する夏音。あまりに歯切れよく言われるものだから、言われた側は目を丸くしていた。澪は、心の中で「始まった……」と思った。 皆もついに自分と同じ目に合うのか、と。
 しかし、その心配は現実にならなかった。夏音はそれだけ言って一番のサビまでできた構成をチェックすると、「まあ、いいや」と練習を終わらせてしまった。

「いやー、なんかやけにあっさり終わったな」
 まだお昼にもなっていない。律が夏音に訊ねた。
「あれ以上は、効率悪くなるだけだから」
「どうせなら、もっと進んでもよかったんじゃないか?」
「今できている部分も、アレでいいとは思っていないよ。それに、夏休みはまだまだあるんだし、焦ってやらなくてもいいだろう?」
 気楽にやろうぜ、と笑顔で言われた律はわんなわなと震えた。
「しょ、初日のアレはなんだったんだ……っ!!」
 鬼気迫るものがアナタから感じられましたよ、とは死んでも言えない律であった。
「泳ぐぞーーー!!!」
 はりきっていこー、と先陣切って飛び出そうとした夏音であったが。
「そういえば、今泳げないんじゃなかったか?」
 じんましん、悪化。


 最終日は日中、海で遊びつくし、昼寝も挟んでから夜はバーベキュー大会に興じた。それから馬鹿野郎、金のことなんか気にすんじゃねえと昼間の内から夏音が車を飛ばして大量に買い込んできた打ち上げ花火やドラゴン花火で光の大輪を咲かせたりした。
 花火セットの中に線香花火がない事にムギが文句を言っていたのが珍しかった。
「またいつでもできるだろ?」
 頬を小さく膨らませるムギに言う律は、ぽんと膝を叩いて立ち上がり、夏音の方を向いた。
「さて、と。風呂に入るかな」
「はぁ……」
「風呂に、入ろうと思うんだ」
「つ、つまり……?」
 二日間とも彼女達の風呂の時間にベースを弾くことになった夏音は新たな感性に目覚めるところだった。
(なあ、これって何ていうプレイだろ……あれ、なんだろこの感覚……)

 合宿最終日の夜であったが、皆二日間体を動かし続けて疲労困憊の状態だったので早めの就寝となった。少しだけカードゲームを全員でやったが、あくびがあちこちで発生するようになったのでお開きとなったのだ。
 彼女たちは別室へ行き、夏音は一人。自分に割り当てられた部屋へと移動したが。
「…………どうしよう。まったく眠くない」
 困ったことにこれ以上ない! というくらい冴えわたっている。
「ハイになっているのかな」
 お酒でもあれば眠れるのかもしれないが、あいにく未成年である夏音が酒を買うことはできない。
 あるのは料理用の酒だけ。却下。
「みんなの寝顔でも写真に収めようかな……いや、間違いなく変態の烙印を押されてしまう……」
 悶々と悩む十七歳の少年は、スタジオの方へ向かった。
 しんと静まりかえったスタジオに入り、電気を点けようとしたが月明かりが入り込んでいるのに気付いた。
 蒼白い光が自分を導くように揺らいでいる。夏音は合宿中にあまり使わなかったアコースティックギターを手に取る。そのままスタスタとテラスの方へ向かい、皮を編んで作られた一人がけのソファに腰掛けた。
 調弦をあっという間にすませて、月明りの下、弦をつま弾いた。
 月が夜空を支配していて、星たちは主役の裏に控えている。
夏音は時折思う。人は月を見て美しいと思う。しかし、本当に美しいのは月が照らす空や雲、その下にあるすべての世界ではないか、と。誰も月は見ていない。月は見られていると思っていないので、気ままにすべてを照らしている。
 海に浮かぶ満月、静かに寄せるさざ波。遠いところから走っては寄せる、優しい自然の音楽。
 夏音はそっと目を閉じて、それらと調和していく。柔らかい音色のアルペジオが風に馴染んでいく。この瞬間にややこしい思考の入る隙間はなかった。
夏音は何も考えずに、ただそこにある世界と調和して、気がつけば一時間くらいアコギを弾き続けていた。
 二弦が切れなかったら、そのままずっと弾いていたかもしれない。演奏が止まると、背後から拍手の音。仰天して振り向くと、唯がいた。
「唯、いつからそこにいたの?」
「んーとね、たぶん三十分くらい前!」
「声、かけてくれればよかったのに」
「えー、そんなのもったいないよ」
「もったいない?」
「夏音くんのギターを止めちゃうの、もったいないと思ったから」
 また不思議な感性をもった唯のことだ。何の苦もなく、立ち通しで聴いていたのだろう。夏音は一人掛けのソファから、ベンチに移動した。唯も横に座った。
「眠れないの?」
「ううん、さっきまでお布団に入りながら少しだけみんなと話していたんだ。でもみんなすぐ寝ちゃったからトイレ行こうとしたら、ギターの音が聞こえたから」
「音がうるさかったかな?」
「ううん、たぶん夏音くんの音楽の力が強すぎたんだよ」
「なーるほど」
 夏音は謙遜もせずに、素直にその言葉を受け取った。
「唯は、今回の合宿楽しかった?」
「とっても!」
「俺も。また、合宿したいね」
「うん! 私、もっと軽音部のみんなと色んなことしたいな!」
 そうだな、とうなずいて夏音は立ちあがった。
「夏といっても、あまり潮風にあたるのはよくない。そろそろ入ろう?」
「はーい」
 歩きだした自分に、そろそろと背後に唯がついてくる音がした。夏音は、その時そんなことを言う予定ではなかった。しかし、何故かそれは出てしまった。
「なあ、唯……俺がどこから来たと思う?」
「えー? どこから……アメリカ?」
「そうなんだけどさ。向こうで俺がどんなことしていたか、とか……話してないじゃないか?」
 夏音は、口が自分の意思を離れてしまったような感覚に襲われた。そんな事を訊いてどうするのだ。
「向こうで?」
「そー。みんなにまだ話してない秘密の部分」
「………」
「もうそろそろ話しちゃおうかなって思うんだ」
 秘密を抱えたままは疲れる。今回の合宿で感じた。この少女達とはこれから長い付き合いになるだろう。少なくとも三年は一緒になる。いつまでも誤魔化していたくない。壁を作って過ごしたくない。
「うーん………別にいーよ!」
「え?」
 思わず背後を振り返る夏音。唯も立ち止まって夏音の顔をにっこり微笑みながら見ていた。
「夏音くん辛そうだよ。無理に言わないでいいよ。そんなの夏音くんが言いたくなったら言えばいいんだよ。別に秘密とか、気にしないでいいと思うけどな」
 夏音は頭をかいて、気まずく目をそらした。
「そ、そうだよなー。秘密の一つくらい持ってもいいよなー」
「そうそう!」
「先週、唯の分のコーヒーゼリー食った犯人とかなー」
「そうそ……ってえぇー!? 誰、誰なのっ!? それは許されざる秘密だよ! 大罪だよ!」
「誰にでも秘密はある。ただ、コーヒーゼリーも食い過ぎるとお腹に良くないんだよな……」
「おんしかーっ!」
 ギャーギャーと騒ぎ出した唯を見て、夏音は声をたてて笑った。ちょっとだけ荷物が軽くなった気がする。ちなみに、エスカレートしていく唯の怒りを体感するうちに、夏音は予想以上に深い恨みだったことにたじろいだ。
 口は災いのもと。うっかりご用心。とりあえず、今度同じものを買うことを約束してその場を諌めた。
 こうして合宿最後の晩は過ぎ、世界は朝を迎える。人の気配がない浜辺の側には朝焼に輝く燦然とした大海原。しかし、そんな世にも美しい光景を完全に素通りして午後まで爆睡していた軽音部の一同は昼食を摂ってから夏音の車で帰宅した。
 これにて三日間の合宿は無事終了とす。



※前回の投稿から時間が空いてしまいました。これからオリジナル色ががつんと強くなってくるはずです。


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