「ほー、外から見た通りの大きさだなぁ。こんなに広ければ掃除が大変だろう」
「それ用のガジェットを作ってあるから大丈夫よ」
「ガジェット……ああ、魔法で動くロボットか。あれも大概不思議だけど……、そうだなぁ今度はそういう方面にも手を出してみるのもいいかもしれないな」
モリとプレシアは他の二人を置いたまま、何故か眠ったままのフェイトとともに時の庭園に転移したのだった。あの話し合いの後、プレシアが善は急げとばかりにそのまま彼女の本拠地である時の庭園にモリを招待すると言いだしたからである。
キムラは密室の中で魔女と神が何を話したか聞き出そうとしたのだが、モリにはぐらかされその試みは失敗に終わっていた。いつもならモリの事となると何かと首を突っ込みたがるビアンテだが、今回は借りてきた猫のように大人しくしょげかえっている様子であった。
モリは彼女のいつもと違うその落ち込み様に当然気付いていたのだが特にアクションを起こすことはなかった。彼が落ち込んだ女性にどんな声をかけるべきなのか分からなかった、ということもあるが何より目の前のイベントに心を奪われていたからだ。
そして今、モリとプレシアは地中海の神殿を思わせるような白い廊下を靴の音を響かせながら連れだって歩いている。眠ったままのフェイトは相も変わらず気持ちよさそうな笑みを浮かべてプレシアの少し後方を浮遊しているのだった。
「しかし、広い……これも俺のものになるんだろう?」
「ええ。資産全部、という条件だったでしょ?」
暗い笑みを浮かべながら上機嫌そうな声色で返事を返すプレシアは、その方向性がどうであれ確かに未来に向かって一歩ずつ歩を進めているのである。であるから人の機微に疎いモリにさえ嬉しそうな声とそれは聞こえるのだ。
あー、と少し困ったような声をモリは上げる。
「そう言えば、これを動かすマニュアルみたいなもんとかないと困るなぁ」
「それなら大丈夫よ。これが大体の事は把握しているはずだから」
「お、気がきくね」
とプレシアが指さす先には勿論フェイトの姿がある。それを見るモリは新しく入ったオモチャに期待胸を躍らせる、子供の様な笑顔を浮かべていた。
ふと、十字路に差し掛かったプレシアの歩みが止まる。三人の前には重役の部屋にあるような重厚な造りの扉が見えた。
「ここに転移用の機器は揃えてあるわ」
「なるほど。で、早速しようってか?」
「……そうしたいのは山々だけど貴方も色々と聞きたい事もあるでしょう? 私の資産を受け継ぐのだからそれ相応の手続きもしないといけないわよ」
「確かにその通りだ。そうだなぁ、書類の類はビアンテ君に任せてあるからその件は後に廻すとして…… クローンの施設を見てみたいかな」
「適当ねぇ。まあいいわ、こっちよ」
目の前の扉を左側に見ながら、三人は十字を右に曲がった。歩いて行くうちに所どころに赤黒い染みの様な汚れが見え始める。それをモリは興味深げにいちいち止まっては、へー、やら、ほー、やら感嘆の声を漏らしていた。
その様子をプレシアは横目でチラリと見つつ、ある扉の前で止まる。その無機質な白い扉には名札も、ナンバープレートすらかけられていなかった。これまでの道筋を辿ってきた者なら、その不自然なほどに白い扉に恐怖やらを覚えるのが必然であるのだが、モリはさすがと言うべきかこれっぽっちも恐怖を抱くこともなくどちらかと言うとその扉の先を想像してワクワクと心ときめかせる始末である。
モリはその扉を指して言う。
「ここが?」
プレシアは頷いて少し困ったように手を宙に迷わした後、扉を開けた。
モリは躊躇も無く研究室に入っていくと、その薄暗い部屋を見回わした。
部屋は照明に当たる物がパソコンらしき機械の光しかなく、そのモスグリーンの薄い光は所々床から伸びたガラス管を幻想的に照らしている。ガラス管、といってもその太さは大人が両手で抱えても一周しきれないほどで、水族館によくある展示用の水槽を思わせる。水槽は広めの部屋の中に規則的に並んでいて、全部で軽く二十は超える数がモリからは確認出来た。
水槽には電線ともパイプとも言えない様々な色のコード類が接続されていて、全てのコードは中央奥の、大きなディスプレイを持ったコンピューターに繋がっているようだった。ディスプレイには何かを示す輝点が時折思い出したかのように示されている。
モリは一歩一歩、確かめるようにその薄暗い部屋に入っていく。
コード類がまとめられた凹凸を足の裏で感じながら、モリは最も近くの水槽に何か見入られたかのようにフラフラと引き寄せられていった。
――綺麗だ。
モリは薄緑色に光る水槽を間近で見て、心の底からそう思った。
水槽の中には最も完成された、人の形をした物が浮かんでる。その姿は先の黒い魔法使い、プレシアが言うにはフェイトという子供をそのままコピーしたようではある。緑金色に輝くしなやかな、触ってみたくなる絹に似たその髪は下からの流れに沿って水槽の中でゆらゆらと流れている。体育座りのごとく両手で膝を抱えながら宙を漂う人形に、モリは確かに見とれていたのだった。
目線を水槽から外さないモリを、眉間にしわを寄せた険しい顔で眺めていたプレシアは重い口を心底嫌そうに歪めながら開いた。
「……ここがプラントよ。随分、気に入ったようね」
少し刺のあるその言いようにもモリは気を払わず、その顔は依然として薄明かりの中に浮かぶ人形を凝視しているのだ。
そしてそれがさらにプレシアをイラつかせる。
「で、どうなの? 何か質問は?」
モリは名残惜しそうに水槽の方を横目で眺めながら、プレシアの方を振り返った。
「……ここの書類とか、レポートとかは? 纏めておいてある場所とかあるのか? それと軽くここの設備を紹介してくれると嬉しい」
「ええ、勿論」
と軽く頷いて、プレシアは暗い研究室を確かな足つきで進む。その後ろをモリはついて行った。
プレシアはモリの見ていた水槽の前で足を止める。暗い研究室の中、近くの機器の光で照らされたプレシアの顔はモリにも分かるほど嫌悪感にあふれていた。
そして、それはこの水槽に向かっているようだった。
「……これは培養用の調整器。成長途中で止まる個体も多いのだけれどこれは最終調整用。どうしても発生が最後辺りで急に止まるのが多いのよ、面倒な事にね。ま、それについては書類の方に詳しく載ってると思うわ」
「というとこれは最後の段階のクローンで、もう出せば喋ったり歩きだしたりするってことか?」
「いいえ、そんな簡単な話では無いわ。不思議な事に体も脳も、ハードはすべてデータ上完璧なのに目を覚まさないのが殆ど。そうねぇ、ざっと確立で高くても0.1パーセントぐらいね、この状態で動くのは」
「思ったより低いんだなぁ」
モリは水槽で漂うそれを見ながら呟いた。
そして思い出すのはこの地球に来る原因となった往来の友人――Dr.スカリエッティとの他愛もない会話の一片だった。彼も生命の神秘に惹かれた探究者の一人なのだ。プレシアも目的は違えど、辿った過程は同じである。
だから行き着く壁も同じなのだ。
「……何か勘違いしてない? ここで目を覚ますのは予期せぬ不良品よ」
その言葉に首を傾げるモリ。
「私の目的はアリシアを蘇らせること。記憶を転写する仕上げをすればここまで来た個体は大概が動き出すわよ。……それはアリシアとは似ても似つかない失敗作だったのだけど」
「ちょっと待ってくれ! ていうと記憶を写す前に勝手に動き出す個体がいるってことか!?」
「ええ、それも0.1パーセントという結構な高確率でね。そしてその例外と、それ以外の個体の違いが全くないって言うんだからまいっちゃうわよね」
そう言いながら口を歪めるプレシアにその一瞬だけ、目に燃え上がる何かをモリは認めた。生命の神秘はその研究を方法としか見ていない彼女にさえ何か感じさせるものがあるようであった。
そしてそういった好奇心はモリも多分に感じるものだった。モリも一応は研究者の一人なのだ。
その後、プレシアに連れられて研究の話を聞くにつれてモリは自分自身のテンションが上がっていくの感じた。彼女の話は実験の失敗談にまでおよび、それを話すプレシアもその一時だけは楽しそうにモリは見えた。
何の不思議も無い。彼女もこの研究の成果を誰かに聞いてほしかったのだ。誰に知られるでもなく闇に消えていくのを惜しんだのだ。
「少し待っててくれる?」
とプレシアがモリに一言残して、扉を閉めたのはこの大きな時の庭園を軽く案内し終えたすぐの事だった。
モリはプレシアが自分に残す諸々の事の説明を適当に、そこまではいかずとも熱心にしないだろうと思っていた。何故なら彼女自身はこれからこの世界を脱して他の世界へと単身飛び込もうというのだから、捨てる世界の事などどうでもいいに違いない。ここで何かを残したとしても次の一瞬にそれは自分と無関係になってしまうのだから。
しかし、彼女はモリの推測を裏切って熱心に資産の事やら庭園の運用方法などを教えてくれるのだった。少なくともモリにはそう見えたのだ。
時間にして一日かからないほどであったが、モリは庭園について大体のところを掴むことが出来た。それもプレシアの要点を得た説明のおかげであった。
だからプレシアに、説明が終わり次第エネルギーを供給して貰いたいとの話が出た時には快く了承したのだった。元々、モリも手を抜く気持ちは無かったのだが今やそんな事は脳裏に浮かぶ事も無い。
モリは最初に通りかかった十字路の壁に軽く背もたれながら、プレシアが消えていった扉の方を見やる。その扉の奥からは最終調整だろうか、何か機械の動くような腹の底に響く重低音が聞こえてくる。その音に耳を傾けながらモリは暇を持て余して久しぶりに教授のAIとの回線を開けた。
「教授ぅー、聞こえてます?」
『ああ、久しぶりだね。元気にしてる? 体感時間でかれこれ五年単位でお呼びがかからなかったけど』
「すねないでくださいよ、AIなんだから。それよりの教授、こっちの技術は魔法だけでなく色々な面白い技術がたくさんありそうで。さっきもクローンやら何やらワクワクする話を聞けました」
『へぇ、そりゃすごい。そんなに凄い技術があるならなおさらスポイルさせちゃだめだね』
「そうっすねー。どうも魔法、なんてもんが存在する割には科学も発展してるというか……いわゆる魔法科学ってやつですか? それっぽいのが多い気がしますね」
『魔法剣士みたいな感じかな』
「……それは少し違うと思いますが。科学に際限はありませんからどっちも中途半端、なんてRPGにありきたりな欠点もあり得ませんしね」
『しかし……確かに体制の全く違う魔法という枝木を、今の技術に直接継ぎ足すというのも難しいかもしれないからね。すでに実った果実があるのなら、それを収穫するのも悪くない』
「ふふふ、自分が魔法についての第一人者になるとは……塞翁が馬ですねぇ。いやぁ、楽しいなぁ!」
モリが顔を綻ばせていると突然、扉が開く。中から出てきたのはプレシアといつの間にか起きたフェイトであった。
フェイトはそばのプレシアに寄り添うように立っている。心なしかプレシアの後ろに隠れている風に見えるのは彼女がモリを怖がっているからだろうか。よく見るフェイトの顔は少し強張っている。
「あれ、もうそれ起きたんですか?」
プレシアに声をかけると、プレシアは頷いた。
「あなた転移魔法なんて使えないんでしょ? 帰る時にはこの子を使えばいいわ」
「なるほど、これはうっかりしてました」
モリは帰る時の事など考えもしていないのであった。プレシアが帰る算段の心配をする、という事態に違和感を抱かずモリは能天気にラッキーと思うだけでであった。
プレシアに押されてフェイトが前に出る。その横を、小さい人形には目もくれずモリはさっさと通り過ぎ部屋に入りながらプレシアに機嫌良さげに声をかけた。
「あっ」
「さっさと済ませましょう、プレシアさん。わー、すげぇなぁ、これのどこにビームを撃てばいいんで?」
プレシアが扉を閉めると、部屋の中には二人のみである。
部屋は大きく、小さな体育館程はあるようだった。天井は高く十メートルほどありそうである。中央にステージの様な空間があり、縦横五メートルほどのそのステージには魔方陣がびっしりと書かれていた。その中央には先ほどみた研究室にあったのと似た水槽がポツリとおいてある。
「あれが、アリシアちゃん?」
「ええ、そうよ。ああ、なんて愛しいアリシア……後もうちょっとで会えるわぁ」
恍惚とした顔を隠そうとしないプレシアを一瞥したモリは、興味深げな様子で周りを見回す。
周りには先ほどから響く重低音の正体であろう、大きな機械が唸っていた。鈍く銀色に輝くその機械は黄色のコードやらがそこかしこに這っているのを確認できる。それは上から見ればCの形をしているだろう、ステージを囲むように配置されていた。また何か魔法的な物だろうがその機械から魔方陣が、宙へと伸びてステージ中央で収束している。空中に浮かぶそれはガラスに浮かんだ透かし絵を見ているようで、結果ステージは魔方陣、機械ですっかり囲まれていた。
時々、思い出したかのように震える機械は部屋全体を揺らしている。
プレシアは機械に近づき、コンソールを叩いて何か数値を入力している。その間、モリは手の中の赤く光るジュエルシードを名残おしそうに眺めているのだった。
しばらくして必要な数値を入れ終わったのか、モリの方を振り返りジュエルシードを受け取る。
「ここに溢れださないような太さのビームをお願い」
プレシアが指さしたのは先のコンソールの横にあるラッパ状の突起であった。ラッパの中に打ち込むようにビームを放てばいいらしい。
軽やかな足取りで中央のステージ水槽まで駆け上がると、彼女は中央の台座にジュエルシードを恭しく設置した。魔方陣の中央にはプレシアと水槽に入ったアリシア、そして台座のジュエルシードが見える。
プレシアが右手を上げる。それは事前に打ち合わせておいた準備完了の合図であった。後はビームを打ち込むのみだ。
モリは右手の手首を左手で掴み、ラッパの前に固定する。
音が消えた部屋の中でふと、モリがラッパから視線を外さないまま口を開いた。
「特に深い意味は無いんですが、なんとなく気になったもんで」
「……何?」
この最後に何なのかと、プレシアは若干苛立った声を上げる。
「今までの人生は楽しかったのかなーと」
きょとんとプレシアは目を白黒させた。
そして少し自嘲気味に笑った後、彼女は答えた。
「――ええ、まぁ、そう悪くないものだった、わ」
その言葉を聞いたモリは、勢いよくラッパ口にビームを放ったのだった。
プレシアがジュエルシードごと消えたのを確認したモリは扉を開けて外に出た。
外にはフェイトが体育座りをして座り込んでいた。顔は俯いていてモリの方からは確認できない。寝ているのか、それとも塞ぎこんでいるのか……まぁプレシアが消えた事はショックなんだろうなぁとモリはなんとなく考えていた。
モリの足音に気がついたフェイトは顔を勢いよく上げた。モリはその顔が悲しみに染まっておらず、なんだか恥ずかしいような微妙な表情を浮かべているのに違和感を覚える。
「あー、えーと、フェイトちゃん?」
名前を呼ばれたフェイトは少し体を震わせたようだったが、相変わらずこちらの顔を恥ずかしそうに見ている。
その様子はくーんと鳴く、捨て犬を思わせた。
「とりあえず海鳴に転移させてくれないかな?」
「うん、分かったよ。……お父さん」
「――は?」
<作者コメ>
作者はプレシア善玉説を押します。