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No.20613の一覧
[0] 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』[宿木](2010/09/12 16:55)
[1] 第二話 『Escape from the “Tyrant”』[宿木](2010/07/26 11:17)
[2] 第三話 『Running of the “Tyrant”』[宿木](2010/07/28 23:53)
[3] 第四話 『Democracy and the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 22:37)
[4] 第五話 『Street of the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 23:43)
[5] 第六話 『In the night of the “Tyrant”』[宿木](2010/11/12 22:06)
[6] 第七話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 1/2』[宿木](2010/11/16 01:18)
[7] 第八話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 2/2』[宿木](2010/11/21 17:48)
[8] 第九話 『“Tyrant” in the Wonder land』[宿木](2010/11/25 12:32)
[9] 第十話 『The “Tyrant” way home』[宿木](2011/02/07 00:58)
[10] 第十一話 『Does father know the “Tyrant”?』[宿木](2011/08/07 16:44)
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[20613] 第十一話 『Does father know the “Tyrant”?』
Name: 宿木◆e915b7b2 ID:21a4a538 前を表示する
Date: 2011/08/07 16:44

 鍵盤を叩く事を覚えたのが、何時からだったか、私は覚えていない。

 気が付いたら椅子に座り、ピアノに指を走らせてばかりいた。きっと其れは、音だけが私が感じられる、外の情報だったからだろう。

 私は目が見えない。育ててくれた先生によれば、生まれた時に病気を患って、それで眼が見えなくなったのだという。生後何ヶ月かで視力を失ってしまったから、私は外の世界を見た事が無い。いや、有るのかもしれないけれど、殆ど覚えていない。当たり前だ。

 けれども別に、特別困ってはいなかった。
 確かに眼は見えないけれど、耳は聞こえる。言葉も十分に操れる。足だけは動かないけれど。

 見えないから危険を予知できないけれど、日常生活だけは、本当に困らない。歩道には点字ブロックがあるし、最近は各所に点字が刻まれている。保護者が付いて回っていたけれど、車椅子で動く事も出来た。
 健常者と同じに動く事は出来ないけれども――――私は私なりに、満足していたのだ。




 こんな状況に、なるまでは。




 私は、静かにピアノを弾いている。

 外に出ても何も出来ない。だったらせめて、自分の世界で死にたい。そう思っただけだ。
 鼻に付く焦げ臭い匂いも、直ぐ傍で鳴る炎の音も、そして『置いて行かれた』という事実も、私は演奏で覆い隠す。自分の短い一生を思い浮かべて、その際に得た全てを込める様に。

 (……神様)

 私は、神様を信じていた。自分を保護していた施設は教会だったし、人生が不幸ばかりじゃないと思っていたからだ。けれども――――どうやらその考えは、違っていたらしい。

 「……悲しいな」

 ポツリ、と私は呟く。

 生みの親はいない。育ての親もいない。身内もいない。友人も既にいない。
 私をこの部屋に押し込めた園長先生は、部屋の外で悲鳴を残して倒れて行った。多分死んだだろう。それまで私を面倒見ていた保育士は、狂乱状態で飛び出し、子供を見捨てて逃げて行った。彼女が生き延びられるかどうかは知らない。

 部屋の中には私一人だ。自力での脱出は不可能。非力な私では、園長先生が命懸けで閉じた扉は開けられなかった。仮に火災が発生しなくとも、きっと私は飢え死にだ。
 命を落とす。それ自体は、こんな身体に成ってからずっと考えていた。だから少しは覚悟が有る。でも寂しく静かに。何よりも“何もないままに”死んでいく事が、少しだけ悲しかった。

 「誰でも、良いよ」

 ガラ、と建物の何処かで、何かが崩れる音がする。
 焦げる、嫌な匂いが一層、鼻に付く。
 香りが焦げ臭い。まだ部屋は燃えていない。だけど、時間の問題だ。

 私はもう一回、大きく鍵盤を叩く。

 建物の周りに誰かがいたのか、声を上げた者がいた気がしたけれども――――此方に入っては来ない。いや、来れないのだ。扉は遮蔽物で塞がれている。きっともう、家は随分、燃えている筈だ。見えない私には、分からないけれども、雰囲気でなんとなく分かる。

 「……誰か、来てくれないかなあ」

 返事は、勿論無い。私は静かに息を吐く。分かっている。助けは来ない。嘘か本当か、出歩く様になった死者。動く死体という存在に、齧られずに死ねるだけ、まだマシなのだろうか。




 私の名前は、七崎永海。
 十歳に成ったばかりの、可愛いらしい女の子。
 これから炎と共に消える、盲目の娘だ。




 轟々と燃え盛る建物が有った。
 赤く染まる光は、紅蓮の炎。立ち昇る黒煙に、科学製品と木材が焼ける鼻に付く臭気。
 普段ならばけたたましく鳴る筈のサイレンも、集まる野次馬も、何もない。ただ、燃える音と奏でられる調べに引き寄せられた、動く亡者達がいるだけだ。

 炎は燃える。

 普通の火災ではない。きっと人為的な物だ。液体燃料の異臭。強き焔は、孤児院らしき建物を燃やして行く。近寄る死者が熱で足を壊され、中に入る間も無く倒れて行く程に、勢いが強い。

 その中から、微かに音が鳴っている。何か懐かしい、何処か物哀しい……まるで子守唄にも似た、切々とした旋律。誰かが中で、ピアノを弾いている。




 ふと、耳に届いた調べに。
 『彼』もまた、その音色に耳を傾け――――そして、足を踏み入れた。






 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』
 第十一話『Does father know the “Tyrant”?』






 (なん、ダったっけ?)

 誰しも覚えがあるだろう。ふと耳にした曲。題名も、歌いだしも分からない。けれども旋律だけは耳に残っている。ほら、あの曲……そう思えて、頭の中で響いているが、結局はっきりしない。曖昧なまま消えて行ってしまう。そんな経験だ。

 耳に届く旋律は『彼』に、そんな感覚を与えた。視覚・嗅覚と同様に、聴覚も徐々に鋭く進化しているのだ。その内、超音波も捉えるかもしれなかった。

 さておき、長い病院暮らしでは、音楽など耳にした事が無い。あるのは無機質な電子音だけだ。けれども以前。『彼』が、白い世界に閉じ込められる前の記憶には、音楽が僅かに残っている。

 思い切り高校生達に迎撃されて以降――――そのショックで、頭がバグったのだろうか。
 昔の記憶。白い世界に入る前の記憶が、断片的に戻り始めている。
 何処かで、調べを耳にした事が有った。

 (……マ、あ。今ハ、いイや)

 目の前に燃えている建物がある。施設の名前らしい看板は……読めない。焦げている、燃えているという意味では無く、純粋に『彼』の知識では、読解不可能。そして読めても、それがどんな施設なのかも分からなかっただろう。

 『児童養護施設』という文字を、何処かで違っていれば、『彼』が此処に入っていたかもしれない名前を、彼は読めなかったし、知らなかった。

 建物は大きい。最初にバスに轢かれた時の、高校の建物、半分ほどだ。
 三階建ての色鮮やかな建物だが、今は各所に火が放たれ、窓ガラスからも黒煙が立ち上っている。炎のアーチを築いている正面玄関には、音を経てる靴箱が置かれ、清潔なプラスチックのタイル張りに、不釣り合いな血痕と倒れ伏す死体がある。

 鼻に付く、液体性の可燃物質が漂っている。ガソリンか灯油。鋭い嗅覚の『彼』にはキツイ。きっと暫くは、刺激で麻痺をして、上手く働かないだろう。
 火の勢いは不自然に強かった。不自然な割れ方の窓に、入口近くが荒らされた室内が見える。
 死者意外にも、この建物を襲った者がいたのだ。そして、オマケに火を放って行った。きっと、そう言う事だ。……なんとなく『彼』はそう推測した。直感でだ。

 悲しい音は、今でも中から響いている。

 轟々と立ち上る火の勢いは、大橋で巻き込まれた時に似ていた。弱まる気配は見えない。
 結局アレと、その後の小室孝達との一戦。あれで炎に対する耐性が出来た為か、体は殆ど熱を感じない。今もだ。常人ならば距離を取る位置でも、平然と彼は立っている。耐熱性に加えて、体内で不燃性物質が生み出されているからだろう。
 しかし、人間には熱いだろう。
 なんとなく、察する。

 (……アー、エエ、っと、助ケル?)

 この熱だと、中にいる人は、危ない。

 唇の無い、醜悪な顔が、ぐぎりと動く。
 巨木を支える足が、重厚に動いてゴシャ、と鈍い足音を床に響かせる。
 暴君は中に入る。既に玄関周りは火の海だ。靴も衣服も、既に火に焙られているが、頓着はしなかった。

 (……コノ、音)

 鳴る方に、静かに進んでいく。
 頭が天井に擦りそうになって、慌てて身を屈めながら進む。荒い息の音が、炎の音にかき消される。玄関から廊下に。廊下から建物の奥に。進んでいくと、段々と炎の勢いが弱まっている。ガソリンが巻かれていたのは、外側が中心だ。焔は内部に侵略を始めているが、それでもまだ、少しだけ安全な場所もある。

 見る者が見れば、この建物で発生した大雑把な経緯は、予測が付く。立てこもった建物で人間が襲撃。内部を荒らし、目ぼしい物を奪った後に放火をして去って行ったのだ。
 世界が狂い始めている、まさに証拠の様な建物だった。

 (……死ンダ、人)

 建物を進むと、ゆらりと死者が現れる。体が燃えていない所を見るに、元々ここに住んでいた者だ。ピアノの音に惹かれているが、音源まで到達できていない。

 『彼』の歩く音を聞きつけたのか、近くの開いた扉から、ぞろぞろと亡者が湧いて出る。
 どれも全てが子供。上は高校生くらい、下は幼稚園児まで。無残な顔で、うあー、と呻く子供の《奴ら》は、火よりも大きな音の鳴る方向に――――つまり『彼』の方向に、歩いてくる。

 (……邪マ)

 生前はさぞかし、可愛かったのだろう、幼子の《奴ら》を。
 暴君は、容赦なく叩き潰した。
 そしてそのまま、音の鳴る方に、進んでいく。




 『彼』は、死者の区別が出来ない。

 生きている人間を殺す気は、『彼』の意識としては、無かった。巨体と外見からは全く想像できないが、心は優しいのだ。優しいし、紳士的(表現とすれば、だ)になろうとしているし、礼儀正しい。少なくとも、そうあろうとしている。
 助けてと言われれば助けに行く。生者を傷つけるつもりはない。行動と内面だけで言うならば、この世界で『彼』ほど“普通”の精神状態を持つ者はいないだろう。

 だがしかし。
 『彼』は色々な意味で純粋だった。外の常識も、普通の感性も、全く違うのだ。

 暴君は、死者に抱くものが無い。純粋で子供であるがゆえに、無邪気で残酷だった。
 《奴ら》になってしまった者ならば、誰であろうとも殺しまえる。例え生前が子供でも、美女でも、赤子でも、そんな事は何も関係が無い。《奴ら》は《奴ら》だ。流石に顔見知りを“殺し直す”ことは、抵抗が生まれるかもしれないが、生前の《奴ら》を思わない。人を知らない『彼』にとって、想像が全く及ばなかったのだ。
 亡者は亡者。死者だ。そして、とびきりの餌である。其れを異常だと疑わない。事実さえ確固として有れば良い。小室孝らのように、『もう人間ではない』と言い聞かせて倒しているのではない。最初から、そんな葛藤を考えたこともなかった。

 「――――ガ」

 腕の一振りで、建物を徘徊していた一体を殴り潰した。可愛い桃色の服を着た少女の亡者だったが、それを躊躇すらしない。
 酷いとは思わない。何に比べて酷いのか。“何”が“どう”酷いのかが、彼には分からないから。

 (……ドイ、テ)

 《奴ら》を倒すという行動“それ自体”は間違っていない。しかし行動倫理は、余りにも稚拙で幼稚。そして盲目的だった。

 『彼』は、想像力が不足している。
 『彼』の世界は、非常に閉じられていた。閉じられる前の世界を覚えていなかった。世界が異常でも「まあ、そんなものか」で受け入れてしまう。死者が動く非常識にも、「そうだったの?」で済ませてしまう。悲しい事に、異常も通常も知らないのだから。
 考える力はあっても、人生経験はない。判断力も無ければ、想像力も未熟。いわゆる空想は出来ても「人間の裏」を読むことは出来ない。そもそも、人間を疑うことだって無い。そんな『彼』にとって最も重要なのは、自分を愛した“お姉さん”と、その言葉。あるいは自分に関わった生者の言葉だけ。

 主体性が無いのだ。
 頼まれたから。こうしなさいと言われたから。とどのつまり、命令を受けたから動いている。
 「兵器のような化物」と言われるのも、無理のないことだった。

 『彼』自身が何をしたいのか。『彼』自身が、何のために動いて、こうして存在しているのか。それが想像できない。考えたこともない。実年齢として見れば、第二次性徴すら迎えていないし、そこまで考える心に育っていない。
 子供のような倫理観。子供のような判断基準。知識も思考も子供でしかない。それでいて身体は、この世界で最も優秀な状態だ。歪な状態で、まともな結果が生まれるはずもない。

 『彼』は、子供だ。他人の行動の裏にある真意や目的を伺おうと、思考が向かなくとも当然だった。見るのは事象だけ。それ以外は、直感と感覚で掴むだけ。
 哀れだと、不憫だと、世界がまともならば誰かが言ってくれたのだろうか。

 鞠川静香と希里ありす。彼女達が今どこで何をしているか。彼女を追う為にはどちらに行けば良いか。それは身体能力で把握できる。そして、分かるから追いかける。
 けれども、その「先」が、分からない。



 そもそも『彼』は、彼女達に会って何をするのだろう?



 彼女達の現状も、彼女達の邪魔になるかもしれないということも、邪険に扱われるかもしれないということも、思い浮かべることが出来ない。……最後だけはもっと、丁寧に優しく接しよう、と一発目で盛大に攻撃を受けたから思っていたが、それだけだ。

 『あの少女は、人を見かけで判断してはいけない、と言って自分を恐れなかった。だから、他の人間も同じだ。皆と、僕と、同じだ』

 未熟な、霧で覆われた思考を纏めると、そうなる。
 経験が無い。人間の心が、そんな単純な物ではないことを『彼』は知らない。
 人間と言う存在を、知らない。この世界で、ある意味もっとも子供の心を持っているのが、彼だ。
 純粋であるが故に――迷惑で、災厄的な存在意外の何物でもない。

 「――――オ、オ」

 焔よりも尚大きく響く、『彼』の音に建物内部の亡者が寄り集まる。中には既に服や足が燃え、まともに歩く事も難しそうな者もいる。彼らを払いのけ、時折喰い殺し、たった一人の行軍は続く。
 人間が重機を止めるよりも、尚も圧倒的なまでの馬力差で。
 背後に残る物は、無残な挽肉と、骨や血と混ざりあった塊と、どんな屠殺現場でも此処まで滅茶苦茶ではないだろうと思えるほどに、力技による死体。
 ぐしゃぐしゃぐしゃ、と施設内の《奴ら》を駆逐しながら、『追跡者』は歩く。

 その姿は不吉な程に強く――。
 そしてきっと不幸だった。




     ●




 ならば。

 「……あの、会長」

 「どうした、土井」

 「歌声がします。――――生存者だと思うのですが」

 「なに?」

 周辺を警戒し、特性の車で外を回っていた男たちが、その調べに気が付いた事は、幸か不幸か。




     ●




 息が苦しい。空気が熱い。額に滲む汗が、顎を伝って落ちて行く。バキ、という建物が崩れる音。何処かで破裂する家電製品。割れた窓ガラスから空気が入り、勢いをますます強めて行く。
 見えないから、全ては想像だ。硝子も家電も、そして火すらも私は覚えがない。ただ、形だけは何となくイメージが出来ている。焔は熱くて危ない物。硝子は割れやすくて刺さる物。硝子が割れると、燃える為の酸素が補充されて、より激しく燃える……という話を、何処かで聞いた覚えが有る。

 私はこれでも頭が良い(らしい)。死んだ両親も頭が良かったそうだ。視覚情報が無い分、役に立たない知識の量は自慢できるほど多い。……馬鹿だったら、何も考えず、分からないまま死んでいたのだろうか。その方が、あるいは幸福だったのだろうか。

 ――――指が、もう時期に止まる。

 指が止まった時。それがきっと、私の最後だ。折角だから、死ぬまで指を動かしてみよう。上半身で息をしながら、それでも指を止めない。何故か止めてはいけない気がしていた。

 ガダンと扉の外で大きな音がする。
 亡者の足音よりも、ずっと重い音だ。焔で焼けて、扉の前の遮蔽物が崩れたのだろうか。

 目が見えない私は、その分、耳や肌の感覚が鋭くなった。気配を感じ取れるし、遠く離れた音でも拾えてしまう。その分、施設内での心無い言葉も聞こえていたのは、残念な思い出だけど。
 静かに扉の方向を向く。足元には展示パネルが有るし、位置取りは頭の中に出来ている。ピアノから右を向けば、出入り口の方面だ。防音機能も有している扉は、頑丈で結構重い。鍵もしっかり懸かっている。先も言ったが、園長先生が命懸けで扉の外に重い物でバリケードを築いてくれたから、入って来れない(出れもしないけど)。

 ガダン! と、更に何かが崩れる音がする。ギギィ、という床が軋む音。

 ――――う、そ。

 火事で崩れたのではない。間違いなく、扉の向こうに誰かがいる。……いや、何かかもしれない。
 此処で救援が来ると思えるほど、私は楽観的な人間ではない。目が見えず、足が動かない。それでも悲観的には成らないが、同時に油断は絶対にしない。油断をすれば、即座に車に撥ねられるかもしれない。其れほど、私は――――自分が満足に動けない事を知っている。

 十歳の癖に達観しすぎだろうか。でも、そうなってしまったのだ。何も無い私は、自分で自分を大人にするしかなかった。園長先生曰く『君の家は何時もそうだ』と言っていたから、きっと親の血に違いない。頭の良さも、外見も、才能の代価にも思える不幸も。

 そんな私だ。こんな時に、助けが来るとは思えない。ならば、何だろう。緊張し、身体を強張らせる私は、次なる音を捉えた。ガキャ、と何かが引っかかる音の後に。
 ゆっくりと、扉が開く音がした。




 最初に肌に感じ取ったのは、熱さ。
 吹き付ける熱気と共に姿を現した「それ」の熱だ。燃える廊下を抜け、序にゾンビ達も倒して来た。見えないけれども、きっとそんな感じがした。

 次に感じた物は、威圧感と圧迫感だ。
 思わず指を止めて、頭を上げてしまった私の前に、「それ」は静かにやって来た。静かに、と言うには語弊が有る。足音は重く、火災の焔は強く燃えているし、私は息苦しかったし、「それ」も不気味な呼吸音を響かせていたからだ。
 鈍い挙動。どことなく普通よりも、歩き方は鈍いし、バランスも悪そうだ。

 ズズ、と音を立てて目の前に来た「それ」は、大きかった。座る私の倍以上はあるのではないだろうか。天上に頭を擦りそうな巨体。野生の獣より、もっと獰猛で、もっと危ない、そんなイメージを私に伝えてきた。車よりももっと危険な存在なのだろう。直感的にそう思った。
 けれども、不思議な事に。

 ――――怖く、なかった。

 本当に不思議だ。
 私は、こんな身体だから、人を空気で判断できる才能を持っている。雰囲気や態度、話し方や口調。それらは内容よりも、より確実に私に、その人の内面を教えてくれる。見えないままの私が感じ取れる「それ」の情報は、今迄接触してきたあらゆる人間よりも、恐ろしいのに。
 なぜか、私は――――恐怖を感じなかった。

 「……あなた、は――――ッ」

 息を吸って言葉を発した瞬間に、ゴホゴホと噎せる。しまった。煙が既に部屋にも充満して来ていた。息苦しいし、熱気もかなりの物。よくも普通に今迄生きていた物だ。防音性が高い部屋だったからか。
 身体は弱くないが、劣る部分がある事も自覚している。

 「ゴ、ホ」

 ゲホゲホ、と咳が止まらない。鍵盤が、指が跳ねるとともに音を刻む。何とか普通の呼吸に戻ったのは、不協和音が、より強い焔の音で覆い隠された頃だ。
 その間、私の前にいるらしい『それ』は、静かに待っていた。混乱、困惑、躊躇。私を如何して良いのか、分からない。そんな空気だ。想像出来る外見とは余りにも違う行動に、何故か少し笑いそうになってしまった。実際は、息が苦しくて笑うどころではなかったが。

 「――――■■g、■ア」

 人の声ではない。むしろ獣の声だ。人間の形をしてはいるようだが、外見は随分と違うだろう。
 車椅子の上で身を低くして、煙から逃れる。何とか普通に話が出来る状態に成った私は――。
 私の前にいる『それ』に、声をかけてみた。
 どの道、逃げる事は出来ないのだし。

 「……あなたは、なんで、ここに来たの?」

 「――■■」

 返事は無い。無い……のではないか。きっと上手に言葉を話せないのだ。
 私の周囲には、耳が不自由だった子もいた。言葉を上手に話せない子もいた。そんな子達と交流していたから、なんとなく目の前にいる『それ』の状態も、把握できた。

 「……言葉が、上手に話せないのね。……ねえ、じゃあ、手をつないで下さらない?」

 目が見えていたら、怖がったかもしれない。でも仮定の話だ。見えない私に取って、外見など副次的な産物でしかない。相手がどんなに大きくても、どんなに変な形をしていても、人の心を持っている事は分かる。そして、持っているなら自分から手を差し出そう。
 そうやって私は、自分の世界を今迄築いてきたのだから。

 「――ゴ、■、■■ア」

 静かに前に差し伸べた掌に。
 ゆっくりと『それ』は、触ってくれた。
 固い骨と、分厚い皮膚。鋭い爪。その気になれば私の細い腕など、指の力だけで折れそうな、物を壊すことに特化したような掌だ。でも、私を壊そうとはしなかった。その事実が、やっぱりと私を納得させる。

 「あなたは、優しいのね」

 「■■、ヤ、z、■■……?」

 私の言葉に、『それ』はやっぱり惑うような反応をする。
 今迄、そんな言葉を告げて貰った事がないのかもしれない。だとしても、目の前にいる『それ』――いいや、『この人』は優しく、そして、とっても強いと思う。
 私は告げた。期待と感謝と、そしてほんの少しの打算に心を痛めながら。

 「ねえ。……もし良かったら――私を、運んで下さらない?」




     ●




 燃える建物の中では、女の子が“ぴあの”――黒と白の大きな楽器は、確かそんなような名前だった筈だ――を弾いていた。

 可愛い子だ。小柄で細い、昔の僕みたいな身体つきだけど、もっと健康そう。なんとなく仲間のような物を感じ取った。彼女は両目が閉じられていて、車椅子に乗って、そのまま曲を奏でていた。
 聞き覚えのある、でも何処で聞いたのかが思い出せない曲。昔、僕がまだ元気だった頃に聞いた気がする。そんな曲だ。彼女はそれを演奏している。両目を閉じれば目は見えない。見えない筈なのに、指を動かすと、とても綺麗な音が出る。

 「あなたは、優しいのね」

 静かに近寄って、その女の子と握手をすると、彼女はそんな事を言ってくれた。
 優しい。そんな言葉を言ってくれたのは、お姉ちゃん以来だ。不覚にも、感動してしまった。
 女の子は、目は見えないようだったけれど、きっと他の物で、僕を見てくれたのだろう。

 「ねえ。……もし良かったら――私を、運んで下さらない?」

 静かに微笑んで、そう言ってくれた。
 火が強い。僕はそんなに熱くないけれど、女の子は苦しそうだ。最初に入った時は咳をしたし、今も息苦しいのを我慢しているように思える。なんとなくその顔の中に、僕はお姉ちゃんに似た物を感じ取った。

 何処が、と言える訳ではない。なんとなく、どことなく、この子の顔を見た覚えが有った。
 だから僕は、良いよ、と言おうとして手を差し出して――。




 唐突に、白い煙が周囲を覆った。




 『彼』が見た眼で損をしている事は、言うまでもない事実だ。

 今回も、そうだった。
 燃え盛る建物の中。寂しく曲を鳴らす少女。そこに辿り着いた巨人――――しかも大橋で大暴れをした人類の敵。それらが揃っている状態で、まさか『彼』が少女を助けようと思っていると、誰が考える。誰が何処から見ても、今にも少女を殺そうとする、醜悪な怪物以外の何物でもない。

 同じ状況に成った先日。小室孝ら高校生の一団と、全く同じ認識を周囲に与えてしまった。『彼』は、その責が自分「にも」ある事を理解できていなかった。

 不運の連鎖だ。
 轟々と燃える炎は少女の細い声を消していた。

 そして、『憂国一心会』の一員・土井哲太郎は――――その強い正義感、少々強すぎる気もする正義感ゆえに、目の前の光景を見過ごす事が出来なかった。この場に、先程まで同乗していた会長がいれば、見捨てるべきだと叱責を受けたに違いない。
 少なくとも彼の行動は、『彼』を悪戯に刺激するだけの行動だ。だが、その光景を目にして、動いてしまったのだから、仕方がない。

 「……! させるか!」

 彼は、咄嗟に手近にあった、消火器を噴出させ、部屋に乗り込んだ。
 一瞬にして拡散した白い消火粉末。それは、部屋の中に充満し、視界と喉を覆い尽くす。無論『彼』には微々たるダメージだ。息苦しかった少女への被害の方が大きかったくらいだ。
 だが、視界は確実に塞がれた。闇夜を見通す『彼』の瞳は、赤外線をとらえる事が出来る。だが、燃え盛る建物の中だ。空気が熱せられた状態で、相手を容易く捉えられるはずもない。しかもその時、突然の消火剤に驚いて、素直に目元を覆ってしまった。暴君が行うとシュールだったが。

 初めから視界が塞がれることを覚悟していた土井と、目が見えない少女。彼女達に比較して、『彼』の立ち直りが若干遅れたのも無理が無い。 その隙に、土井は――少女を拾い上げていた。

 車椅子から抱え上げ、巨大だが動きは緩慢な『彼』の懐をすり抜ける。
 そして。

 「じゃあな、化物!」

 言葉と共に、置き土産を一つ、残して行った。




 目が見えない中。必死に手を伸ばしたら、目の前で女の子は攫われてしまった。

 顔や姿形は良く見えなかった。けど、黒い服を着た男の人だったと思う。その人は、素早く女の子を抱え上げて、『彼』の脇を抜けて、白い煙の中を逃げて行った。道中の死んだ人を始末していたから、きっと建物からは逃げられるだろう。
 鼻は余り利いていない。建物には、燃えやすい油の強い匂いが漂っていて、鋭敏な『彼』の嗅覚は機能を一旦停止していた。その尋常ではない身体能力故に、命に危険は無かったが――――嗅覚と赤外線の判断を奪う程度には、火災は激しかった。

 「…………」

 『彼』は、床を見る。男の人は、逃げる寸前に、何かを床に放り投げていった。それは、油紙に包装された塊で、その先端には燃えやすい糸が飛び出ていて、全体としては丸い棒の形だった。

 無論、その存在を『彼』が知っている筈もない。
 土井哲太郎が去り際、置き土産として投げて行ったのは――――高城邸に保管されていた一つの道具。
 いざとなったら体に巻きつけ、特攻し、亡者と共に果てる為の道具だった。

 『彼』の至近距離で、ダイナマイトは破裂した。




     ●




 エンジンを切った車で静かに瞑想をしていた高城壮一郎は、唐突に響いた爆発音に目を向けた。
 建物の奥、派手な音と共に一気に孤児院が崩れ落ちる。土井が、支給したダイナマイトを使ったらしい。

 音が聞こえると言って、彼は車から飛び出して行った。もう30を当に越えている年の癖に、無鉄砲さと熱血さと、勇気と履き違えた無謀さは変わっていない。この状況で助けに行って、それで戻って来れる確証は無い。最も、その勇敢さを――――壮一郎は買っていたのだが。
 立ち昇る煙と、音を立てて崩落していく館を見る。中にいた者は全滅だろう。音に惹かれて集まった死人も、火の中に突入して焼けている。集団火葬場だ。
 一瞬、目を閉じて、部下に車を出せと命令しようとした――その時だった。

 「お待たせして申し訳ありません! 会長!」

 ガチャリ、と扉を空けて、服に焦げ跡を付けた土井が、乗り込んで来た。

 「……生きていたか」

 「は。幸いにも死人の数が少なかったので」

 乗り込んで来た彼の腕には、一人の少女が抱き抱えられている。
 まあ、無謀が偶然、形を成す事もあるだろう。
 生きて帰って来た以上、叱ってやろう。そして人間を救って来た以上、その説教も後回しだ。

 「……その娘か」

 「はい。一人だけ生き延びておりました。……他の子供は、残念ながら」

 「そうか。――――む?」

 壮一郎は、後部座席に丁寧に座らされた少女を見る。
 足が細く、目が開いていない。確証は無いが、恐らく身体に障害を負っている。助けた土井の性根は買うが、はっきり言ってこの状況では足手纏いだ。此処で車から降ろすつもりは無いが――――自宅に運んで以降、面倒を見る事は出来るまい。
 自分の感傷を入れず、純然たる事実のみで、そう判断した。

 「……君は」

 だが、それとは別に。

 「何処かで、会った事が有るか?」

 その娘を、知っているような気がした。

 「会長。車を出します」

 「……ああ」

 考えるのを一回止める。ともあれ今は、周囲を見回っておかなければならない。テレビで放映されたあの『怪物』が近くにいる可能性も十分にあるのだ。腕に自信が有る高城壮一郎と言えど、流石に相手にするのは遠慮したかった。

 黒塗りの車は発進する。背後に燃える孤児院から助け出された、一人の少女を乗客に加えて。

 この時、土井は間違いを犯していた。土井は『何故ダイナマイトを使用したのか』を、直ぐに説明しなかった。
 高城壮一郎は、少女に気を取られ、理由を尋ねる事を失念してしまった。

 仮に説明していれば、高城壮一郎は、間違いなく二人を車に乗せる事はしなかっただろう。二人の命運は尽きていた。だが、様々な理由が重なった結果、土井は『たった今、孤児院の中で、巨人のような怪物と出会った』情報を伝えそびれてしまい、高城は尋ね損ねてしまった。

 どんな人間も完全ではない。必ずミスはある。その一回のミスが、偶然、今回だったと言うだけの話。
 二日後。土井は、再度の蛮勇を奮って失敗。死人に噛まれて連中の仲間入りを果たすこととなる。




 幾つもの偶然が重なった結果。
 少女・七崎永海は――――高城邸にその身を移された。




     ●




 孤児院全焼と、崩落から、一時間。

 「■■■、ア、ガ、■■■g、――ッ!!」

 名状し難い咆哮と共に残骸を払いのけ、焼け跡から『彼』は姿を現した。

 蒸し焼きにされた皮膚は、煤と炭、彼自身の体液で斑模様を構成している。ケロイド状の肌は、今迄以上に見る物に嫌悪感を与えるだろう。そのうち治るとはいえ、余り良い気分ではない。
 別に体に異常は無い。ダイナマイトの爆発と衝撃も回復済みだ。焼けた《奴ら》の何体かは、既に胃の中に納まってしまっている。

 その動きは呪い。身体よりも、心が、何か痛みを発していた。
 頭の中に、少女を掠め取って行った男の言葉が、繰り返されていた。

 『じゃあな、“化物”!』




 幼い『彼』が生まれて初めて受ける、侮蔑の言葉だった。




     ●




 その頃。

 「ねえ、みんな。これは、冗談でも何でもない。本気で、真面目な、話なんだけれど」

 高城沙耶は、河を渡りきる、その前に――――ハンヴィーの中の、皆へと話しかけた。
 小室、宮本、毒島、平野、鞠川、そして希里親子と、子犬。その七人と一体の視線を受けながら、彼女は静かに、そして悲しく張り詰めた様な表情で、言った。




 「もしも、あの怪物に――まともな、人間としての思考回路と、理性が有るかもしれないと言ったら、……どうする?」
















 お待たせしました。
 ネメシス無双は次回にご期待下さい。

 今回は、少女がメインです。ゾンビ世界では足手纏い以外の何物でもない、盲目で車椅子のヒロイン。でも、彼女は主人公がハッピーエンドを迎える為に、絶対に必要な存在。詳しくは次回以降。
 そして、かなりはっきりと正面から化物呼ばわりされる主人公。さあ、ここから「人格」と「心」にダメージが積み重なっていきます。人を傷つける一番の物が、人の悪意であると学ぶまでもう少し。
 小室達に、なんか良い感じのフラグが立っていますが、「持ち上げて落とす」も物語の鉄則でしょう。誰かがもう直に噛まれますし。……まあ、お楽しみに。

 ではまた次回。
 なるべく早くお届けしたいです。


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