ギーシュ・ド・グラモン率いる近衛騎士隊――水精霊騎士隊(オンディーヌ)は、彼らの主君である“深淵”のアンリエッタらと共に、教皇の『世界扉』を潜ってアルビオンの土地へと降り立った。 瘴気に覆われたアルビオンは昏く、上を見れば遠くには空を歩く巨人や人面竜の姿が見える。 大地の其処此処には、生物の絨毛のような得体のしれないものが生えている。 行く先は白い霧が広がり、その霧は流動する際にまるで怨嗟のゴーストのような模様を浮かび上がらせている。ここでは霧や風ですら敵なのだろう。 唾棄すべき光景を前にしても顔色一つ変えずに、ギーシュは隊の状況を確認する。「全員いるな?」「ああ、確認済みだよ、ギーシュ隊長。欠員なし、装備にも不具合なしだ」「確認ご苦労、レイナール副隊長」 手早く隊伍を整えた副隊長のレイナールの言葉に、ギーシュは鋭く頷きを返す。 その様子を見て、一体誰が彼らを学生のおままごと騎士隊などと揶揄できようか。 夢の国での地獄の調練を経た水精霊騎士隊は、年若い見た目とは裏腹に、トリステイン軍の最精鋭の名をほしいままにしているのだ。 そして彼らの後ろから、『世界扉』の銀鏡を通って彼らの主君夫妻が姿を現す。 “深淵”のアンリエッタと、“黒騎士”のウェールズだ。 アンリエッタの持つ水晶を嵌め込んだ杖が輝き、周囲の霧を晴らし、黒い騎士鎧のウェールズを中心に巻き起こる清冽な風が、瘴気で淀んだ空気を吹き散らした。 アンリエッタが憤然として宣告する。「……このような邪悪、許すわけにはいきません。アルビオンを、本来の主の手に取り戻すのです。そう、ウェールズ、貴方の手に」「そうだね、アンリエッタ。しかし美しき白の国も、今は見る影もなし――か。復興には時間がかかりそうだ」「私たち二人で力を合わせれば、如何な困難でも取るに足りませんわ。そうでしょう? ウェールズ」「ああ、そうだね、アンリエッタ」 嘆き、だがそして決意をあらたにするアンリエッタとウェールズ。 女王夫妻の周囲には、アルビオンへの先鋒を切った水精霊騎士隊とは別に、選りすぐりの衛士たちが付き添っている。 グリフォン隊、ヒポグリフ隊、マンティコア隊、アルビオンからの亡命部隊から選抜された精鋭たちだ。 その中には当然“閃光”のワルドや、“氷餓”のアニエスなどの腕利きの姿が見える。「ワルド隊長、混成近衛衛士隊、全員揃いました」「ご苦労アニエス」「は。――っ、『彼女』らもお出ましのようです」 その女王夫妻とお付きの衛士たちの後ろ――『世界扉』の方――から、恐ろしい魔力の風が吹き抜けた。 『世界扉』の銀鏡が、強大すぎる干渉力によって撓むのが分かる。 虚無使い、ルイズ・フランソワーズだ。「……もう後戻りはできないわね。行くわよ、サイト」「……」 ルイズとその使い魔サイトが通ったのを最後に、教皇の『世界扉』がフッと消えた。 浮遊大陸に満ちる瘴気に屈し、繋がりを維持できなくなったのだ。 退路は絶たれた。 道はもはや前にしかない。「でも元から退却なんてありえませんもの。そうでしょう? ルイズ・フランソワーズ」「グッド! そうその意気ですわ、アンリエッタ姫様。そうでなくてはいけません、そうでなくては」 貞淑そうな笑みを交わすルイズとアンリエッタだが、その笑みからは隠し切れない獰猛さが感じられた。 だがそれがいい。それこそが良い。大体、このくらい強くなくては外宇宙からの脅威に対抗しようなどとは思わないだろう。 可憐とは言いがたいが、強かな美しさがある。彼女らは戦場でこそ輝く花なのだ。「この場所はロサイス近郊かな」「ロンディニウムまでは繋がんなかったみたいですね、殿下。流石に瘴気が濃すぎたんでしょう」「しかしまあこれ以上は望むべくもないだろう。それよりここまで運んでくれた教皇殿には感謝せねばなるまい、そうだろう、サイトくん」「そうですね。さすがは虚無というか……」 ここは軍港ロサイスだった場所。 アルビオン大陸の空の玄関口の一つだったが、今はその廃墟の様子からかろうじてそれと分かるくらいだ。 アルビオン大陸の落下とそれ以降の戦いによって、ほとんどの建造物は崩壊して瓦礫になっている。 そしてロサイスの港のさらに向こう側には、巨大な光の柱が突き立っていた。聖なるものを感じさせる戒めの光の柱だ。「あれが教皇の『世界隔壁』……。間近で見ると凄い迫力ですね」「それ以上に私は畏怖を感じるよ。始祖の御力を目の当たりにして、やはり魂の奥底に感じるものがあるのだろうね」 よく目を凝らせば、アルビオン大陸をぐるりと囲むように巨大な光の柱が聳えている。 アルビオン大陸を囲む、虚無の力による光の檻。 これが教皇ヴィットーリオによる『世界隔壁』だ。 “移動と遮断”を司る教皇の力がアルビオン大陸からハルケギニア世界全体へと広がろうとする瘴気を押し込めて封印しているのだ。「ぼさっとしてる時間はないわよ。準備しなさい、水精霊騎士隊! そうじゃなきゃ光の檻に瘴気が充満して破裂するわよ!」「分かってるよ、ルイズ。でも命令するのは君じゃあない、水精霊騎士隊は君の近衛じゃあないんだ、いいね? 近衛はあくまで陛下の騎士なんだから」「そんな細かいこと気にしてんじゃないわよ、ちっさい男ね、モンモランシーに嫌われるわよ」「細かいことではないし、モンモランシーはこんなことで嫌ったりしないよ。あと小さくないし。――それよりルイズ、君の方こそ準備を手伝ってくれないかい? この辺の土は、どうにも精神力の通りが悪い」 そう言ってギーシュが周囲の土を示す。 彼は先程からゴーレムを作ろうとしているのだが、どうにも上手くいかないのだった。 恐らくは系統魔法以上の干渉力を持った何かの邪神の力がアルビオンの大地を縛っているせいだろう。 そういった汚染地域をまっさらな状態に戻すには、虚無の力で消毒するというのが効果的だとギーシュは事前に説明を受けていた。「ああ、アイホートの迷宮概念が大地を縛ってるのね。それと――<黒糸>が張り巡らされているみたいね……つまり――」 ふむふむと分析すると、ルイズば唐突に地面に向かって杖を向けた。「【チクタクマン】ッ、貴様ッ! 見ているなッ! 『エクスプロージョン』ッ」 杖を向けた先からカッと迸った白い波動が、周囲を焼きつくす。 ルイズが放った『エクスプロージョン』は正確に邪神たちの影響のみを取り除き、一時的にではあるが周囲を清めた。清浄な気配が瘴気を晴らす。 これなら系統魔法も効くだろう、土を操りゴーレムを作ることも。「どう、これでいいでしょう、ギーシュ」「ああ、助かったよルイズ。それじゃあ早速だけど、乗り物を作るよ」「別にいちいち土から作らなくても、【夢のクリスタライザー】の力で現実に結晶化させればいいじゃない」 そう言うルイズに、ギーシュは呆れた視線を向ける。「そりゃあ君みたいな夢の女王様ならそれで良いだろうよ。でも、僕たちにとっては系統魔法を介した方が効率がいいんだよ。慣れ親しんでるしね」「そう。まあどっちでも良いわ、結果を出してくれるんならね」「任せてくれたまえ、期待は裏切らないさ」 イル・アース・デル、とギーシュがルーンを唱える。 同時にギーシュの持つ造花の杖から薔薇の花弁が舞ったかと思うと、散った花弁が地面に落ちた所から土が何かの金属に変化しながら伸び上がり、互いに絡み合いながら大きな輸送機のようなものを形作っていく。傍で見ていたサイトはそれを、翼のないジャンボジェットのようだと思った。 銀色の光沢を持った流線型円筒は、いかにも空を飛びそうな形をしている。大きさはここにいる全員を収容できるほどだろうか、ギーシュの魔法の実力も呪法『夢の国のアリス』によって底上げされておりスクウェアクラスに達しているのだ。「なかなかやるわね、ギーシュ。これは……アルミニウム系の合金? それともマグネシウム系かしら」「アルミニウム系だよ、マグネシウム系はまだ安定的な合金を研究中でね。夢の国にいる間、僕は何も身体の鍛錬ばかりをやっていたわけじゃあ無いんだ。ちゃんと頭の方も鍛えてたのさ、お陰でこうやっていろんな合金を作れるようになった」「造形も見事なものね、さすがセンスが有るわ」「そんなに褒めないでくれよ、惚れたらどうするんだ、モンモランシーに言い訳が立たないし、サイトにはもっと言い訳が立たない。――ああもう、君は自分の魅力を自覚するべきだ。さあっ、それよりさっさと乗り込んでくれ。時間が惜しいんだろう?」 ◆◇◆ 派遣人員が全員乗り込んだ飛空船が、水精霊騎士隊の風メイジによる『レビテーション』の魔法によって垂直に離陸する。「機関部! マリコルヌ、行けるかッ!?」「ああ、任せろ! いつでも行けるぞ、ギーシュ!」 レビテーションによって浮遊する飛空船の周囲に風の流れが出来る。 巨大な流線型円筒の飛空船は、その前面に空気を取り入れるための吸気口が大きく開いている。 機関部で精神を集中するマリコルヌを始めとする風メイジたちの魔法によって、前面の吸気口から内部へと空気が吸い込まれる。「よし、では目標ロンディニウム! 発進だ!」「アイアイサー!!」 飛空船の前面から吸入された空気は、吸気口から管を通って飛空船の背後へと排出される構造になっている。 風メイジはその管を通る空気を高圧縮し、ジェット噴流として背後へと吐き出させるのだ。 火メイジたちもそこに加わり、圧縮空気を加熱して膨張させる役をこなす。 ギーシュの号令の直後に轟音が響き、大出力のジェットが飛空体の背後から噴出する。 スクウェアメイジたちの共同作業による人力ジェットエンジンが、巨大な船体をぐんぐんと加速させる。 瘴気を切り裂いて空を飛ぶ船は、今のところ快調だ。この調子ならば、何の妨害もなければ、一時間も経たずにロンディニウムへと突入できるだろう。 だが、この魔界と化したアルビオンの空には、それに相応しい異形たちが跋扈している。 そう簡単にはいかないだろうと、アルビオンに突入した全ての人員は予感していた。 ――――上手く行きすぎている。 そんな懸念がある。 敵の【チクタクマン】もルイズらの侵入は先刻承知の上だろうに、全く何のアプローチがないのも気にかかる。 機を伺っているのか、それとも既に何か仕掛けてきているのか、それは分からないが、このまま何事もないということはあるまい。 今はアルビオンのどの辺りだろうか。 瘴気の濃い方向へと一直線に飛んでいるから、航路を間違うことはないはずなのだが、ギーシュはふと不安になった。 そして外の地形を見ようと、『錬金』の魔法によって船体に嵌め込み式の窓を作る。 ――それが功を奏した。 いや、ギーシュ個人にとってみればとんだ災難ではあったが、この行軍において彼の行動はまさに僥倖であり、ギリギリのタイミングで皆の命を救うことになったのだ。「なっ!?」 目が合った。眼が在った。 窓の向こうには巨大な瞳。飛行体と並走して飛ぶナニモノかと、目が合ったのだ。「取舵いっぱい! マリコルヌ、出力上げてくれ! 敵に張り付かれてる!!」「! 機関部、了解した!」 異常事態に驚く暇があればこそ、ギーシュは瞬時に命令を下した。 機関部のマリコルヌたちは推力を上昇させ、操舵手は舵を切る。 船体に衝撃がなかったことから、窓から見えた巨大な眼を持つ敵は、まだ並行して飛行しているだけであり、接触はしていないのだと知れる。 今のうちに逃げなくてはならない。「ぐぅっ」 「きゃあっ」 機体が急加速と方向転換を繰り返す。 内部は風メイジの『レビテーション』によって慣性が幾分か緩和されているが、それでも凄まじい加速度がかかる。 艦橋にいるルイズやギーシュなどは、機体の手すりなどに掴まっている。ここには居ないアンリエッタなども個室の手すりなどに掴まって体勢を保持していることだろう。 それでもアンノウンの敵は振りきれていない。 今や敵も並行するだけではなく、体当たりを仕掛けてきているようだ。 ガンガンと加速や方向転換とは異なった揺れが船体を襲っている。「くそっ、探知には引っかからなかったぞ! 一体どうなってるんだ」「私の方にも引っかからなかったわ。……転移でも使われたのかもしれないわね」「転移だって!? ルイズ! 向こうも虚無属性の魔法が使えるのかっ?」 ギーシュは次々と指示を出しながら、ルイズに問い質す。 ルイズは忌々しげに口を歪めて、それに答える。 ――否、と。「アルビオンにはもう虚無は居ないわ。でも、転移の術式は虚無だけじゃあない、世の中には系統魔法でも精霊魔法でもない術があるのよ」「なるほど、邪悪な術というわけか……」「まあそんな感じの理解でいいわ。それで、相手は振り切れたの――きゃぁっ」 ルイズがギーシュに問いかけたその瞬間、船体がバラバラにならんばかりに激しく揺れた。 バランスを崩したルイズを、咄嗟にサイトが支える。「ルイズ!」 もちろん腰を抱いてだ。「ありがと、サイト。……さて、振り切れてないみたいね、っていうか敵は一体何なのかしら、これだけ近づかれても何も感じないなんて異常だわ」「……瘴気が強すぎて感覚が馬鹿になってるってことはないか、ルイズ」「……いえ、それはないでしょ。気配を感じられないだけじゃなくて、この船の観測機器にも全く映らないんだから……」 敵を感知できないという不可解な現象にルイズは首を傾げる。 が、恐らくは位相でもずらして亜空間かどこかに隠れて攻撃してきているのだろうと推測する。 それとも高度な偽装か、幻術か。「亜空間潜行タイプか、ステルスかしら。まあ何でもいいわ、とりあえず『エクスプロージョン』で周囲を吹き飛ばせば一時の安全は確保できるでしょ」「……こんな序盤から飛ばしていたんじゃ保たないんじゃないか。ルイズの精神力が膨大で、その回復力もスゲエってのは知ってるが、ドリームランド降臨の呪法『夢の国のアリス』を維持してトリステイン軍に精神力を分配してるんだろ? その上今は、周囲に狂気を弱めるフィールドまで張って……」「まあそれはそうなんだけど、持久戦は不利なんだから最初から全力で電撃戦仕掛けるしか無いのよ。出し惜しみなんてしてられないわ」 現状の敵である【チクタクマン】は、惑星表面をびっしりと覆った<黒糸>というネットワーク状の魔道具を依り代にしている。 ジョゼフとミョズニトニルンによって<黒糸>の大半の制御を一時的に奪い返し、ヴィットーリオの虚無魔法『世界隔壁』によってその弱体化状態を留めているとはいえ、【チクタクマン ver.Eudes】は未だに一国家を上回る勢力圏(=クルデンホルフ+アルビオン大陸)を確保している。 さらには無尽蔵の神気を供給する心臓部――痴愚神の宮殿への滅びの門『アザトース・エンジン』だって擁している。ルイズだって幾らかそこからの神気を吸収できるとはいえ、そもそも痴愚神の神官でもある混沌の【チクタクマン】とはキャパシティが違う。「だから一気に最大の力で仕掛けるしか無いわ」 【チクタクマン ver.Eudes】を真っ当に滅ぼすためには、惑星そのものを破壊するくらいの力を以って当たらなければならないだろう。 だが、半神ブリミル・ヴァルトリの片割れを取り込んだとはいえ、ルイズの力はまだ惑星ひとつを滅ぼせるほどには至っていない。 ならば狙うのは、動力炉である擬神機関(アザトース・エンジン)の停止。そして神気の供給を絶った上で、外なる神の【退散】術式を【チクタクマン】に叩きこみ再び外宇宙へとはじき出すことだ。ひょっとしたら、神の炉を何とかしなくても、退散させること自体は可能かもしれないが。「でも……」 ……しかしここでルイズはふと少し不安になった。「上手くいくのかしら、本当に」 外なる神を【退散】させる術というのは、それはもう覿面に効果を発揮する。 少し前にアルビオンの行く手を阻んだ北落師門(フォーマルハウト)の火神【クトゥグア】だって、ゴブリンたちによる【退散】の術によって僅かな残滓も残さずに消え去った。 あの太陽すら上回る熱量が、一瞬にして、だ。それほどに【退散】の術というのは強力なのだ。 なぜしかるべき【退散】の手順を踏めば、邪神たちは簡単に消え去ってくれるのか。それは邪神の顕現が、非常に不安定なものだからだ、とルイズは認識している。 すなわち『邪神は本来この世界にあるべきでない存在だから、少しの力で外宇宙へとはじき出されてしまう』のだという理解だ。 かつて六千年前に、マギ族がハルケギニア世界から拒絶されてゆるやかに衰亡しかけたように、世界には異物を拒絶する復元力がある。 邪神の退散術式はその復元力を利用しているから、少ない労力で効果を発揮するのだとルイズは考えている。世界(システム)を味方につけているから、人間の力でも神を退けられるのだ。 では現在、痴愚神の宮殿への門が開き、世界(システム)そのものが邪神にとって居心地よく改変されつつある今、【退散】の術式は正常に機能するのだろうか? ルイズの懸念はそれだ。「いえ、心配したってしょうがないわ」 そう、今はそんなことを心配している場合ではない。そんな段階は通り過ぎた、彼女は全てをこの戦いに賭けたのだ。 もっと目の前の脅威についての心配をしなくてはいけないのだ。 例えばそれは、飛空船の外の存在だ。 船体を叩くような衝撃が強くなっている、ナニモノかが追い縋ってぶつかってきている。 とりあえずは――、とルイズは杖を振るう。「『エクスプロージョン』ッ!」 轟然と空間に清徹な波動が響いた。「これでっ、船体周辺を消毒(・・)したわ!」 無色の爆発が虚空を渡り、弾丸飛行をするルイズたちの機体周辺を虚無の力が満たした。 虚無のエクスプロージョンによる選択破壊。味方に影響を与えずに敵のみを廃する力だ。「相手が何かわからないけど、これで直近の敵は退けられたはずだし、もしまだ生き残っていても、ステルス術式は剥ぎ取れたはずっ。ギーシュ、確認してちょうだい。私の方でも『エクスプロージョン』の反射波を解析するわ」「分かった、そっちは任せる。――魔探手ッ、敵の影は確認できたか!?」「敵影確認! 相手は――触手、無数の触手ですッ! ……ッ、表面にびっしりと眼玉が浮き上がっています!」 機体内部に外の様子が投影される。 空中スクリーンに映しだされたのは、流線型の飛行体を追いかける無数の触手だ。百目のお化けのように、至る所に巨大な眼玉が覗いている触手たちだ。 誘導ミサイルが航跡を描くように、ルイズたちの飛行体を追って目玉模様の触手が空中を駆けていた。 その様子をモニターで見たサイトは「リアル板野サーカスとか……」とちょっと感銘を受けたように呟いた。 そんなこと言ってる場合ではないのだが。 高速高機動によってルイズたちが乗る飛行体は触手の追跡を振り切れているが、ルイズはどうにも嫌な予感が拭えなかった。「触手ってことは、根元があるのよね」「まあ、多分」「じゃあ、その根元ってどこなのよ」 根元から離れて触手が無限に伸びるとは考えにくい。 だが、根元の本体から離れるのではなく、逆に本体の方に絡め取っているとすればどうだろう? それならば、触手がずっと追いすがっていることにも納得がいくだろう。 自分の方へと巻き取っているだけならば、触手を無尽蔵に伸ばす必要はないのだから。「ってことは、多分追い詰められた先には、この眼玉だらけの触手の本体が居るはずなんだけど――」 ルイズの予想は正解だ。 ルイズのつぶやきに呼応したわけではないだろうが、アンリエッタらを乗せた飛行体の行く手に“山”が立ち上がる。大地を揺らし、空気を轟かせて。「そう、取り込まれていたんだったわね……シャンリットの邪龍!」 ――<黒糸>を通じて【チクタクマン】の手で作り変えられたシャンリットのかつての小神兵器、触手邪龍『イリス』。 大山脈に匹敵する巨龍が、アルビオン大陸を揺らしながら、地面から起き上がった。 と同時に、全くの視覚外からステルス化された新手の触手が超音速でムチのように襲いかかり、ルイズたちが乗る飛行体を打ち据え、バラバラに吹き飛ばした!「うわぁあああああああああああっ!!!?」「ルイズっ! 手を!」「っ! 呪法『夢の国のアリス』出力強化! 総員、死と蘇りに備えよ!」 ◆◇◆ ルイズたちが『レビテーション』しながら落ちた先は、森のような場所。墜落前に確認した航路図では、ロンディニウムにも程近い場所のようである。 ……しかし森の“ような”場所であって、決して森ではなかった。 何故ならそこに生えているのは、普通の樹ではないからだ。「ぐう、おい、みんな無事か?!」「ボーッとしてるんじゃないわ、構えなさい、ギーシュ!」 ――――オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォオオオオオオオ…… 恐ろしい鳴き声が森のあちこちから響く。 獣の声ではない。 森の樹々それ自体が蠢き、叫んでいるのだ。 六本の腕を幹から放射状に生やした怪物樹――シャンの奴隷【ザイクロトルの肉食樹】。 象のような下半身から何本もの太い触手を天に向かって生やし、至る所に開いた無数の口からよだれを垂らす化け物――シュブ=ニグラスの落とし子【黒い仔山羊】。 この森にはそれぞれが数百本は生えており、身の毛もよだつ鳴き声を上げながら、墜落したルイズたちを取り囲み、押し寄せていた。 それだけではない。恐らくは元は人間だったのだろうと思われる、苦悶の人面疽を浮かべた触手が、下生えの代わりにびっしりと生えている。 それらもまた口々に呻き声を上げながら、にょろにょろゆらゆらと揺れている。 今はまだ遠景としてしか見えないが、文字通りに山のように巨大な触手邪龍イリスが近づいてきているのも分かる。その縦揺れの地響きが徐々に大きくなっている。「……やっぱりでかいわね、邪龍イリス。全くシャンリットの蜘蛛どもめ、厄介なもん残してくれちゃって」「でかいのだけじゃないな。アレの周り飛んでるの全部が敵かよ、多すぎる」 トリステイン一行が触手邪龍の方の空を見上げれば、当然他の景色も目に入る。 イリスの顔の横辺りの上空には元アルビオン国民の人面竜たちが、まるでムクドリの群れのように塊を作って飛んでいる。 そして元ウェンディゴ・ワルドの集合体である巨人レッサー・イタクァも、まるでハゲタカのようにトリステイン一行の墜落地点へと空を踏んで歩いてきているのが分かる。 それを見て“閃光”のワルドは眉をひそめ、“氷餓”のアニエスは首元の聖火教の鳥十字を握り締める。「……あれがワルド隊長の偏在分身だった奴らですか」「ああそうだろうな、見てると胸糞悪くなるから分かる。さっさと灰にしたいところだ、我が不肖の分身たちに引導を渡してやらねば」「げ、人面竜だけじゃなくて触手竜まで出て来ましたよ、隊長!」 さらには浮遊大陸に突き刺さった軌道エレベータ『イェール=ザレム』から、空賊たちの恐怖の代名詞、シャンリットの触手竜たちがわらわらと雲霞のように無数に飛び出してくる。 軌道エレベータは触手竜たちを用いるクルデンホルフの騎士団『ルフト・フゥラー・リッター(空中触手竜騎士団)』の発着ポートだった。そこに格納されていた竜たちも【チクタクマン】の手に落ちていたのだ。 ……ルイズたちにとっては悪いことに、イェール=ザレム内に残っていたゴブリンメイジたちが触手竜に融合されているようだ。人竜一体となった彼らは慣性制御術式を駆使して宙を鋭角に駈けて来る。「おいおい、空が見えないぞ。どんだけ居るんだ……」「森の方にも隙間も何もない。地響きもだんだん近くなっているし」「というか……さっきからの地響きのリズムに違うのが混ざってないか……?」 巨大な触手邪龍イリスが大地を踏みしめる音に混ざって、より細かい微震がBGMのように混ざっていることに、ギーシュたちは気がついた。 それはまるで何かが地面を掘り進んでいるかのような――。《――け・はいいえ えぷ-んぐふ ふる・ふうる ぐはあん ふたぐん け・はいいえ ふたぐん んぐふ しゃっど-める――》 不気味な詠唱のような音が、地響きに混ざって聞こえてくる。 精神の死角から入り込んでくる囁きに、皆が皆悍ましさを覚え、鳥肌を立てた。「まさかこれはっ!」 サイトが血相を変える。 かつてサイトは地球に居た時に大学の調査でアフリカに行った時に、この不気味な声を聞いたのだ。 あのグハーンの地でこの声を聞いたのだ。 そうこれは、グハーンの魔蟲――クトーニアンの声だ! 「クトーニアン」と青白い顔で呟いたサイトの声に、ルイズはなにか思い当たったようだ。 シャンリットのクトーニアンと言えば――。「教師長の使い魔『ルマゴ=マダリ』――!?」 気づいたとて、もう遅い。 その地響きはもう足元直下に迫っていた。《――はい ぐはあん おるる・え えぷ ふる・ふうる しゃっど-める いかん-いかんいかす ふる・ふうる おるる・え ぐはあん――!》 一行の足元の土砂がまるで間欠泉のように吹き上がる!「ぅわあーーーーっ!!!?」 土砂とともに一行が空に吹き上げられる。 そのうちの何人かは、まるで火山弾のような勢いの土石によってミンチにされてしまい、実体化を保てずに光と消える。また何人かは空中に吹き飛ばされた時に周囲の化け物の触手に絡み取られて咀嚼されてしまったようだった。 ……まあルイズが生きている限りは、呪法『夢の国のアリス』の効果によって彼らは即座に再構成されるわけだが……。 轢き潰された死体が光の粒子に解け、少し離れた場所にまた集まる。幻夢郷の魔術による自己の再結晶化(ドリームクリスタライズ)だ。「――ぐっ、ああ! 死んだ! 死んじまった! だが生き返ったっ」「死ぬのは何度やっても慣れねーな」「まあ正気を保っていられるようになっただけマシさ。同輩には未だに夢の国で療養中の奴らもいるし」 光の中から蘇った輩がかんらかんらと笑う。 そんなふうに死を笑い飛ばせる彼らも、ある意味既に正気ではないのだろう。 彼らの目に宿る光は剣呑に淀んでいる。 蘇った彼らの目の前には、天高く屹立するクトーニアン『ルマゴ=マダリ』の巨体がある。 それはぬらぬらとした粘液にまみれていた。粘液の下の表皮はまるで岩肌のように頑強そうだ。妖しく光を照り返す表面は、ゆるやかなリズムで脈動しており、それが無機物ではなく生物的な存在であることを強く主張してくる。硫黄のような、腐敗物のような、吐き気を催す臭気が鼻を突く。地の底から響くような詠唱音は相変わらずに聞こえており、それに応じて巨体が身を捩る度に地面がまるでバターを溶かすように不自然に融解する。 巨体はもはや壁としか認識できないくらいに大きく、また頭の方は見上げても霞んでいて見えないほどに高い。このような巨大な生物があり得るのだろうか、あり得たとして果たしてこれを退けることなど出来るのだろうか。トリステイン一行は慄然とする。「……デカけりゃいいってもんじゃないって言いたいけど、これは壮観ね」「余裕ぶっこいてる場合じゃないぜ、ルイズ」 状況は悪化の一途を辿っている。 触手邪龍の無数の触手に叩き落され、森は肉樹が完全包囲、空は竜の化生が埋め尽くし、地の底からは巨大魔蟲が聳えて立つ。 どうしろというのか……! と、その時だった。 周りを囲む異形たちの動きが不自然に停止した。 ――いったい何が。「やあ、間に合ったようだね」 キザったらしい声とともに、森を埋め尽くすザイクロトランや黒い仔山羊たちが一斉に道を空けた。 同時に、今にも倒れて周囲を蹂躙しそうだった巨大クトーニアン『ルマゴ=マダリ』も、金縛りに遭ったように動きを止め、瘧でも患ったかのようにブルブルと震え始める。それは金縛りに抵抗しているようでもあった。 見れば空の人面竜や触手竜、レッサー・イタクァの軍勢も近づかずに遠巻きに旋回しているだけだ。……いや、旋回させられている?「お前は――!」「どこにいるかと思ったら……」 異形たちが不自然に動きを止める戦場で、触手を掻き分けて森の中から現れたのは――「ヴィンダールヴ!」 「ジュリオ・チェザーレ!」 教皇の使い魔、神の笛、天使の塵(エンジェルダスト)、首切り判事、月眼の伊達男――ヴィンダールヴのジュリオだった。「如何にも、僕が教皇様の忠勇なるしもべ、ヴィンダールヴだ。いやあ、遅くなって済まないね」 ジュリオはふぁさっとキザったらしく髪を掻き上げて、自分の名前を叫んだルイズとサイトに答えた。「そういえば教皇が言ってたわね、ヴィンダールヴをアルビオンに向かわせたとか」「助かったぜ、ジュリオ! 化け物どもの動きが止まっているのは、ヴィンダールヴの多種族支配の力か?」「まあそんなところさ。じゃあやっぱりこの場はあの台詞を言わせてもらおうか――」 ジュリオの様子にサイトはなにか気づいたようだ。 慌てて制止する。「ま、まさかお前――! やめろ! 言うんじゃない! そういうのは死亡フラグって――」「嫌だね、一度は言ってみたかったのさ、君も男なら分かるだろう? ……ごほん」 ジュリオはニヤリと口の端を歪めると、大きく息を吸った。「『さあっ、ここは僕に任せて先に行けーー!!』」「い、言いおったーー!?」 そして堂々と死亡フラグを口走ったのだった。 ◆◇◆ その数十分後。 人気のないロンディニウムの市街地を高速で移動するトリステイン一行の姿があった。 彼らはアンリエッタが操るスライム状の水塊の上に乗って滑るように移動していた。 その様子は丘でサーフィンをしているようであった。 ただしここには水精霊騎士隊の面々とジュリオは同行していない。 ハヴィランド宮殿へと向かっているのは、ルイズとサイト、アンリエッタとウェールズ、そしてワルドらを中心とした混成近衛衛士隊であった。 スイスイと無人の街を滑る水塊の上で、サイトがルイズに話しかける。「……ギーシュたちに任せてきて良かったのか?」「まあ大丈夫でしょう。何にしても誰かが後続を存分に引きつけて貰わないといけないのよ、化け物に挟撃されるのはゴメンだわ」「そりゃあいつらなら大丈夫だろうけど」 サイトは遠くの巨大な異形を見る。 視界に映る巨大異形の数は、三体(・・)だった。 一体は、触手邪龍イリス。 もう一体は、地底魔蟲ルマゴ=マダリ。 では三体目は――?「『マチコさん』頑張ってるなー」「かすかに正気を残してる元アルビオン貴族……だったかしら。なかなかやるわね」 後ろを振り返るサイトたちの視線の先には、邪龍イリスとがっぷり四つに組み合う、巨大な影が見えた。 これが三体目の異形だ。 その姿はまるで歪な巨人を思わせるものであり、表面はゾワゾワと絶えず動いている。その様子は皮膚一面に蟻がたかっているようであった。軍隊アリは自らの身体を絡み合わせて即席の巣を作るというが、それにも似ていた。いや、実はまさしくその通りの有様だった。 そう、イリスと組み合うその巨人は、無数のバケモノが寄せ集められて出来ているのだ。「確か全部終わった後にロマリアに居る義妹(のような主君)の下に連れて行くって条件で、ジュリオが味方につけたんだっけか」「慕われてるわねー、その義妹殿下も」 その群体型の巨人『マチコさん』は、周囲の異形を組み込みながら未だに膨張を続けていた。ロンディニウムのかつての市民たちは皆、ヴィンダールヴの能力によってマチコさんの方へと誘引されているのだ。ロンディニウムが無人なのはそれ故であった。 空から見ればマチコさんを中心として広がる異形の絨毯が見えただろう。異形の洪水を、ヴィンダールヴとマチコさんは吸い上げていく。群体の巨人は、イリスと闘って身体を削られながらも、それでも次々と押し寄せる異形を吸い上げて徐々にシルエットを肥大化させていく。 ヴィンダールヴは主である教皇の命令のとおりに、幾千幾万となって戦場へと帰参したのだった。「ヴィンダールヴが異形どもを集めて、マチコさんがそれを取り込んで接着融合して、暴走しそうになるのをヴィンダールヴの異能とマチコさんの根性で制御して……か。ジュリオも半端ねえけど、おマチさんも何気にパネエのな」 サイトがそう言って、端的に彼らの素敵なコラボレーションを評する。だが揶揄してるわけでもなく、素直に感謝していた。 マチコさんがイリスを抑えてくれたおかげで、ワルドら混成近衛衛士隊をこっちに引っ張ってこれたのだ。 そうでなければロンディニウム市街に突入する人員はもっと少なくなっていただろう。 ではヴィンダールヴと群体巨人のマチコさんがイリスを抑えている間、もう一体の小神兵器である地底魔蟲『ルマゴ=マダリ』は誰が抑えているのか。「頼んだぜ、ギーシュ、レイナール、マリコルヌ……!」 そう、水精霊騎士隊がその任にあたっているのだ。 彼らは自ら殿軍を買って出たのだ。 細長いイソギンチャクを思わせる造形の巨大な魔蟲が地面をのたうちまわっているのが、サイトが居るロンディニウムの市街地からでもはっきり見える。 ルマゴ=マダリの巨体は、ただそれ自体が凶器なのだ。目を凝らせば、のたうち回ってバウンドするルマゴ=マダリの巨体の周囲で燐光が瞬くのが見える。呪法『夢の国のアリス』による復活再生の燐光だ、あそこでギーシュたち水精霊騎士隊の誰かが轢き潰され、そしてまた蘇っては巨大な魔蟲へと戦いを挑んでいるのだ。無間地獄に等しい苦痛の中、それでも彼らは戦い続ける。主君のために、未来のために、民のために、世界のために戦い続けている。 鉄を溶かすような系統魔法の炎で出来た龍がルマゴ=マダリへと落ちる。だが、地核でのたうつクトーニアンにはぬるま湯のようなものだろう。炎は虚しく吹き消える。 地面からは鋼鉄の縛鎖が伸びてルマゴ=マダリへと絡みつく。しかし地殻を溶かすクトーニアンの詠唱によって簡単に溶け落ちる。拘束することは叶わない。 クトーニアンの弱点属性である水が、巨大だが鋭く尖った竜巻として天から伸びる。だがそれも、ルマゴ=マダリに埋め込まれた水流操作の魔道具によって干渉され、あろうことか制御を奪われてしまう。制御を奪われた竜巻は、無数の水の鞭になって水精霊騎士隊へと襲いかかる。 そのルマゴ=マダリが奪った水の鞭を、台風よりも強い突風が吹き散らした。系統魔法の風だ。しかし風では軽すぎる、ルマゴ=マダリの巨体の前にはあまりに無力だ。 系統魔法の単体では、ルマゴ=マダリに何の痛痒も与えられない。 ならば、全てを合わせればどうか。 地面からルマゴ=マダリの半分ほどの太さの(それでも数十メイルは優に超える)鋭角な物体が鎌首をもたげた。 それはまさに『ドリル』であった。 超硬金属の穂先を持って回転する巨大なドリルが、ルマゴ=マダリを穿たんと地から伸びて飛びかかる。 土魔法によって形成され、風魔法によって動作を補助され、火魔法によって高温を纏った必殺のドリル。 地を穿つ魔(バロワーズ・ビニース)には、同じく地を穿つドリルを。 それは確かに効果的だったようで、巨大なドリルの穂先は僅かだがルマゴ=マダリの分厚い表皮を貫いた。 そして次の瞬間、ルマゴ=マダリが弾かれるように躍動し、ドリルの穂先から逃れた。よく見れば、ドリルによって穿たれた場所が、まるで猛悪な毒物をぶちまけられたかのように爛れていた。 クトーニアンの弱点である水と放射性物質による作用だった。それがルマゴ=マダリを溶かしたのだ。ドリルの内部には、錬金された放射性の重金属粉を充満させた水が充填されていたのだ。それが水魔法によってドリルの穂先より注入され、ルマゴ=マダリを冒したのだ。 この高度な連携は、即席の混成衛士隊では難しいだろう。混成衛士隊にはトリステインの近衛だけではなく、ウェールズ麾下のアルビオン軍人も混ざっているのだから。 夢の国で長い時間を共に過ごしてきた水精霊騎士隊だからこそ、このような高度な連携魔法が可能なのだ。 水精霊騎士隊は捨て駒として残ったのではなく、他の人員がやるよりも勝算がわずかでも高いからこそ残ったのだ。負けるつもりなど毛頭無いのだ。 巨大な魔蟲と人造のドリルの蛇が互いに絡み合い、地をのたうつ。 一方のロンディニウム市内。「見えてきたわ、ハヴィランド宮殿!」 気づけば城門はもう眼前に迫っていた。滑る水塊の上で、彼らは気を引き締める。 この戦争の趨勢は、いかにしてルイズを消耗させずに【チクタクマン ver.Eudes】の元に送り届けられるかにかかっている。 少なくともサイトはそう思っているし、他の人間もそうだろう。 混沌ナイアルラァトホテプの化身をこのハルケギニアから放逐できるのは、ルイズしかいないのだ。 そう信じているから、縋っているから、アンリエッタもウェールズも彼女に全てを賭けた。 彼ら王族夫妻がこのような死地に同行しているのは、その覚悟の表れである。 勿論彼ら王族がマギ族の戦士として最高級の実力を持っていることが一番の理由であるが。彼ら王族のみが為せる完全に波長が一致したヘクサゴンスペル、いや今はオクタゴンスペルに成長しているが、その力は他のメイジとは一線を画している。恐らくは生命要塞となったハヴィランド宮殿を根こそぎ吹き飛ばすことも出来るだろう。 そして閉じた城門へと、その力が振るわれる。「ウェールズ!」 「アンリエッタ!」「いきますわ!」 「勿論だ!」 アンリエッタとウェールズが杖を前方へと翳す。 二人の精神力のうねりが淫靡に絡み合い、巨大な現象を形作る。「「 水と風のオクタゴンスペル――レーヴァテイン(害為す魔杖)! 」」 それは水の竜巻で出来た巨大な破城槌。渦巻くそれが城門に突き立ち――破壊する。 王族のオクタゴンスペルは、他の者の使うオクタゴンスペルを圧倒し、追随を許さない。 連綿と受け継がれた血脈と、そこに降り積もった歴史概念が為せる至高の一撃なのだ。 障害の全てを薙ぎ倒す水の竜巻が、ハヴィランド宮殿の肉壁を抉り取る。 害為す魔杖レーヴァテインの名の通り、それは目の前に立ちはだかる障碍の一切合財を傷つけて抉り取る魔法だった。 生命要塞の城門は削り取られ、生々しい傷痕がまるで赤絨毯のように彼らの道を彩る。「このまま突入しますよ、ルイズ・フランソワーズ! ワルド隊長、風を。皆を運んで下さい、私は攻撃に専念します」「はっ、陛下。風の加護を皆に、『フライ』」 アンリエッタはここまで皆の足となっていたスライム状の水塊を解き、全ての力をオクタゴンスペルに注ぎ込むと、後の移動手段をワルドに一任する。 ワルドの『フライ』の力場が全員を包み、先行する水流の竜巻に追従する。ふわりと浮き上がった一行は、抉れて捲れて血の滲む生命要塞の破壊跡の上を行く。 吐き気を催すような鉄臭い空気をかき分けて飛ぶ彼らの後ろで、めりめりと音を立てて宮殿の壁が修復されていく。 すると――治っていく宮殿の隔壁に、一瞬だけ人面疽のようなものが浮かんだ。にやけた面の、愉快犯めいたそれ。 壁の中に仕込まれていた<黒糸>の魔道具が縒り集められて、まるで黒髪のようになっている。その顔立ちは少女のようにも見えた。 だがきっとそれよりももっと悍ましいものだった。 アニエスが後ろを振り返りつつワルドへと提案する。その時、アニエスはその人面疽らしきものを見てしまった。「治癒も早いですね、流石は生命要塞――しかし一瞬何か見えたような、黒髪の少女? ――そうだワルド隊長、私の冷気で後ろを凍らせて退路を確保しておきましょうか?」「いやそれには及ぶまい。宮殿自体がアザトース・エンジンと直結してるだろうから、凍らせても回復能力のほうが上回ってしまうだろう」「む、そうですか」「ああ。それにここでアニエスに抜けられるのも痛い。凍結能力はまだ温存だ、あるいはその鳥十字の首飾りに宿る炎神の加護もな」「はっ、了解です」 風を操るワルドは風メイジとしてのその鋭敏な感覚で、今から向かう先の瘴気を感じ取っていた。 触手邪龍イリスや地底魔蟲ルマゴ=マダリに負けず劣らず悍ましい、墓地のような暗黒の冷気を。邪悪な魂に刻まれた冷たき刻印(コールド・プリント)から発せられる死の気配が行く先に蹲っているのを感知したのだ。 同じく風メイジである黒太子のウェールズが、その墓所の冷気に反応して獰猛に牙を向いて笑う。「この気配には覚えがあるぞ――ここで父王の仇を討てるとは、混沌にしてはなんとも粋な計らいではないか!」 そして香るのは墓所の冷気だけではない。 加えて嗅覚を刺激するのは、トリステイン魔法学院の学院長室を思い出す乾いた塵埃の香り。 思わぬプレイヤー(参加者)に、ルイズは思わず顔をしかめる。「あのエロ学院長……クトゥグアの化身を抑えた後どこに行ってたかと思ったら――シャンリットに居たの? ……ま、まさか取り込まれてないわよね」 さらにもうひとつ別の香りも。ワルドが衛士時代に警備を勤めたトリステインの王宮の――前王妃マリアンヌの居室の前を思い出す香水の香り。 ワルドがチラリとアンリエッタの方を伺えば、そこには口を固く結んだ能面のような女王陛下の顔があった。 アンリエッタもこの、懐かしくも因縁のある香りに気づいているのだろう、その顔(かんばせ)を引き攣らせていた。「これは、まさか――」「陛下、アンリエッタ陛下。いまや我々の陛下はあなただけです、我らが忠誠はあなたの下に」「――ええ、分かっています、ワルド。これもいい機会なのでしょう、過去からの亡霊を滅ぼし、未来を掴むための。親不孝者として、簒奪者として、そして何よりも王として、決着をつけましょう」 だがこの先に何が待つにしても、進むしか道はないのだ。 アンリエッタとウェールズが杖を掲げる。「オクタゴンスペル『レーヴァテイン(害為す魔杖)』、前へ!」 「中枢へ一直線だ! ゴー・アヘッド!!」 捻くれた巨大な水竜巻が、ハヴィランド宮殿の隔壁を粉砕する。水の竜巻は宮殿を構成する肉片を巻き込んで、どんどんと破壊力を増しながら突き進む。 行く先に待つのは因縁の相手、『首なし護国卿』と『喪服の先妃』。そして敵か味方か『灰塵の学院長』。 水と風のオクタゴンスペル『レーヴァテイン(害為す魔杖)』がぶち抜いた先の大広間に、それらは居た。 ◆◇◆ ルイズたちを待ち構えていたのは、見覚えのある三つの人影。 『首無しの護国卿』――イゴローナクの走狗、オリバー・クロムウェル。 『喪服の先妃』――売り払われた女、マリアンヌ・ド・トリステイン。 『灰塵の学院長』――クァチル・ウタウスの神官、オールド・オスマン。 それぞれが、今この広間に入ったトリステイン一行と少なからず因縁がある相手だ。 どうも空間が捻じ曲がっているのか、この広間は建造物の構造から想像できる以上の広さがある。 野外だと錯覚しそうなほどに幅と奥行が広いが、天井はそこまで高くない、せいぜい6メイルくらいか。 ウェールズが、アルビオン出身の近衛たちを率いて、首のない僧服の男の前へと向かう。「クロムウェル!」「「 ……おお、これはこれは、ウェールズ殿下じゃぁございませんか 」」 首のない僧服の男、クロムウェルがウェールズの呼びかけに答える。 顔もないのに何処から声を出しているのかと思えば、その言葉はクロムウェルの両掌に開いた『イゴローナクの口』から、魂まで凍るような冷気とともに漏れ出たものだった。 クロムウェルの僧服は、【チクタクマン】の<黒糸>に侵蝕された影響か、真っ黒に染まっている。彼の得物であるハンマーとペンチは見当たらない。「父の仇を、討たせてもらうぞ、先王ジェームズの!」「「 ああ、そうしてくれるというのなら、私は喜んでその刃に身を委ねましょう 」」「……なんだ、随分と殊勝だな」「「 ああ、ああ、ああ。もはや私の仕える主はおらず、この身は混沌に染まった蜘蛛糸の操り人形。生きる意味などありはしない―― 」」「……なんだと?」「「 私の役目は余興の道化。殿下の役目は対の道化。ただ場を混沌に、過去の感情をかき混ぜて、悶え苦しむ葛藤を 」」「何のことだ? 聞いているのか、クロムウェル!?」 訥々と心ここにあらずという様子で言葉を漏らすクロムウェル。その様子にウェールズは訝る。「「 因縁を、いま此処に 」」「――っ!」 そう言って開いたクロムウェルの掌の口から、何か人魂のようなものが次々と吐き出されていく。 何処か懐かしい感覚を覚えるそれは徐々に人の姿を取り……。「なっ、父上!? 皆も!?」『……』 吐き出された人魂は、アルビオンの先王ジェームズや、そのかつての側近たちの姿を作り上げる。 かつてクロムウェルによって邪神イゴローナクへと捧げられた魂が、再び現世に舞い戻ってきたのだ。邪神の食べ残しだ。「――おのれっ、クロムウェル! この期に及んでなおも死者を愚弄する気か!!」 ウェールズの叫びにクロムウェルもジェームズ王の亡霊も応えず、ただ静かに構えを取った。「くっ、私に父を手にかけろというのか――」 ウェールズと、彼に従う旧アルビオンからの亡命衛士たちも、それに呼応して杖を構えた。 アンリエッタはウェールズと離れ、蹲って泣いている喪服の女の前に、ワルドら近衛を率いて立つ。「久しいですわね、お母様」「あああああああああアンリエッタあああああああああ、なぜなぜなぜ私を売ったのです――」「国のためですわ、お母様。無能者のお母様と、王才にあふれた私――国のためならどちらを犠牲にするべきかなど自明でしょう?」「ああああああああああああ、ああああああああああああ、なぜ、なぜなぜなぜえええええええええぇぇぇえええええ――」「この期に及んでもそれがわからない無能だからですわ、お母様。嘆くだけしか出来ない亡国の女、だいたい貴女はいつもそう、いつもいつも泣いてばかり。――見るに耐えないその魂を、今こそ始祖の御許に送って差し上げますわ、それが情けというものでしょう」 喪服に身を包んだマリアンヌ。黒いヴェールの下で、彼女は顔を覆って嘆き続ける。 アンリエッタがゲルマニアに嫁ぐ日に彼女の策略に嵌められてシャンリットに売られたマリアンヌは、どうやら今までシャンリットで生き延びていたらしい。 とはいえ、言動を見るに、頭の方はもう既に正気ではないようだが。いや、身体の方もどうせ碌でもない改造が施されているのだろう、シャンリットの狂科学者たちの手によって。「あああああ、あああアあンんリえエえっタぁああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」 ばっ、とマリアンヌが伏せていた顔を上げる。それは嘆きと憎悪に染まっていた。「来なさい、無用者。この私、トリステイン王国国王、アンリエッタ・ド・トリステインがきっちり介錯してあげましょう」 アンリエッタが杖を構え、彼女に付き従うワルドら近衛たちもかつての主君に杖を向ける。 それを見て、マリアンヌの顔が更に歪む。お前たちまで裏切るのか、と。 歪み、歪み、歪み――ひび割れる。顔がひび割れていく。ひび割れて剥がれていく。「あら、それが本性ですの?」「あああああああああっ、あああああああああああああっ、ああああああああああああああああああああっ!!」 その叫びを皮切りに、喪服のマリアンヌの顔に一際大きく亀裂が入り、まるで陶器の仮面が砕けるように割れ落ちた。「これは――」 その下にあったのは、宇宙空間を思わせる暗黒に浮かぶ大小無数の歯車。 精密な時計の内部を思わせるそれは、自らの意思を持たない機械の有様。 混沌の化身たる【チクタクマン】に冒されたその結果。 言うなれば今の彼女はさしづめ――、「メカ・マリアンヌ、というところかしらねぇ」「ぁアあああンんんんんリぃいいいいエぇええええッタぁぁぁあああっ!!」 【チクタクマン】の権能の一部を譲り受けて、嘆きの女『喪服の先妃』マリアンヌがその歯車をキリキリと鳴かせている。 同時に手足もひび割れ、銃器やミサイルや何かの工具めいたアームが内側から生えてくる。 シャンリットの改造手術によってその身に仕込まれた無数の兵器を展開し、メカ・マリアンヌは立ち上がる。 ウェールズとアンリエッタがそれぞれの因縁と対峙する横で、ルイズとサイトはカサカサに風化した空気の源へと足を進める。「おうおう、ミス・ヴァリエール、いいところに来たのう!」「オールド・オスマン……」 ルイズとサイトの目の前に、灰色の光を纏ったオスマンが立っている。 二メイルに近い長身の老爺は、飄々とした調子でルイズに語りかける。 それに対してルイズは、広間のクロムウェルやマリアンヌの様子を横目で確認しつつ、問いを返す。「あなたは敵か味方か? 答えてちょうだい、オールド・オスマン。向こうのアレらと同じように、私達の行く手を阻むというの?」 ルイズが指し示す先では、それぞれ肉親同士が対峙していた。 一つは首無し護国卿に従えられた亡霊のジェームズたち。それに対するはウェールズとアルビオンの亡命衛士たち。 またもう一つは、蜘蛛に身体を改造されて嘆きの果てに機械の身で蘇ったマリアンヌ。そして彼女をその境遇に追いやった娘であるアンリエッタと新たな主に忠誠を誓い先妃に杖を向ける近衛衛士たち。 一方は望まずに、そしてもう一方は望んで対峙している。 恐らくこれは、この状況は、ナイアルラァトホテプによる余興なのだろう。 混沌の化身らしい、随分と悪趣味な余興だ。 さて、それならオスマンが此処に居るのは何故なのか。「いやそれがの、クトゥグアの化身の【生ける漆黒の炎】を抑えてたご褒美にシャンリットで酒池肉林の接待受けてたら、いつの間にかシャンリットが負けてて<黒糸>に捕まっちゃったんじゃよー。そしたら身体の自由が効かなくなってのぅ、今マリオネットって感じなんじゃよー」 テヘペロッ!「『テヘペロッ!』っじゃねぇわよーー!! 何油断してんのよ、学院長っ!」「って言ってものぅ……、過ぎてしまったことは仕方なかろう? 愛用の杖はシャンリットのウードが作った物だったから、影響から逃れられんかったのじゃよ。まあお主とサイトくんは先に行って良いらしいから、適当に儂の相手をするやつを招いてくれんかの?」 でないと勝手に身体が加勢して、アンリエッタやウェールズを塵に還すかもしれないからのぅ。とオスマンは嘯く。「……くっ、仕方ないわね。余計な力は使いたくなかったのだけど――結晶化(クリスタライズ)」 ルイズがつぶやくと、虚空から二人の少女が現れる。「出番ですか、ルイズ様」 「ようやく喚んでくれましたのね、お姉さま!」「ええ、そうよ、シエスタ、トリス」 一人は黒髪のメイドであるシエスタで、手にはよく磨かれた金属鏡を持っている。 もう一人は金髪ツインテールの貴族の少女、ルイズのスールを自認するベアトリス・フォン・クルデンホルフ(魂の方)だ。 ルイズと彼女らの間にある深い関係は、この瘴気の中でも断ち切られることはない。それゆえこうやってアザトース・エンジンの至近――敵の領域であるにも関わらず【夢のクリスタライザー】の作用によって具現化できたのだ。「じゃあシエスタ、悪いけどこのご老人のご相手をお願いね」「はい、承りました、ルイズ様。――――開け桜の九段坂、おいでませ超鋼の軍団よ。……おじいちゃん、私に力を貸して……」 シエスタが金属鏡に祈りを込めると、一瞬桜吹雪が舞い、次の瞬間には超鋼の鎧を纏った軍団が現れていた。 護鬼・佐々木武雄が残した超鋼の磨き鏡を媒介にして、強化外骨格を纏う軍勢を具現化したのだ。 ただこれは、異世界から佐々木武雄を直接召喚している訳ではない。これは磨き鏡の残留思念とシエスタの血から無理やり絞り出した式神のようなものであり、実質的には中身はほぼ空っぽである。しかしそれでも恐るべき軍団であるのに変わりはない。「ベアトリスも、頼りにしてるわ」「はい! お姉さまのためなら、私、なんでもしますわ。――――来なさいササガネ、レンの蜘蛛と共に、祖神アトラク=ナクアの威光を示せ」 ベアトリスの詠唱の直後、大広間の天上が銀色に輝くと、そこには巨大な蜘蛛の巣と、その巣にぶら下がる人の背よりも大きな蜘蛛たちの群れが現れていた。 彼女の使い魔であるアラクネーのササガネと、ベアトリスがドリームランドのレン高原で調伏した異界の蜘蛛たちだ。 アルビオンを覆う<黒糸>の蜘蛛の巣は、千年教師長ウードが崇める蜘蛛神アトラク=ナクアの加護を今なお強く受けている。その血筋に連なるベアトリスはこの地において大いに恩恵を受けており、限定的にだがアザトース・エンジンの瘴気の中でも高いパフォーマンスを発揮できるのだった。「……本当はシエスタもトリスも、伏せ札として温存しときたかったんだけどね」「ひょひょひょ、その伏せ札はナイアルラァトホテプもお見通しじゃったということじゃろう。残念じゃったのー」「オールド・オスマン、あんたはどっちの味方よ。あと手加減しなさいよね? 二人の魂を塵にでもしたら、ただじゃ置かないわよ」「さあて、そうしたい気持ちは山々じゃが、何せ身体の自由がロクに効かぬのでのう」 オスマンが心なしか楽しそうなのは、相手がうら若き乙女だからだろうか。流石エロジジイはブレない。 逆に言えば、時の魔神【クァチル・ウタウス】の加護による風化攻撃での一撃必殺は来ないと考えられる。美少女は世界の財産ですゆえ、老化させてはいけません。 ……仮にシエスタとベアトリスが敗北した場合の末路が恐ろしいが、もちろん乙女の純潔的な意味で。「おい、私もそっちに加勢するぞ!」「アニエス?」 さらに意外な相手がこちらに来るのを見て、ルイズが目を丸くする。 そういえば、アニエスの義父――火炎の使徒メンヌヴィルは、オスマンに返り討ちに遭ったのだった。メンヌヴィルは部下たちの魂を塵にされ、最終的には自身を生贄に捧げてクトゥグアを不完全ながらも招来して果てたのだった。 オスマンと因縁があるという意味では、アニエスが一番かもしれない。「逆恨みだという理解はあるが、我が義父の無念を晴らしたいのだ。それにダングルテールを燃やした炎蛇を長年匿っていたのもそこの男だしな」「ひょひょひょ、おなごが増えるのは歓迎じゃぞー」「……ふざけたジジイだな、こんなヤツに義父(ちち)は――」 ルイズは少し考えるが、問題は無さそうだと結論した。 アニエスの首から下がっている鳥十字は、メンヌヴィルから贈られたものだという。 それを媒介にして呪法『夢の国のアリス』によって英霊召喚すれば、きっとそれはメンヌヴィルの形を取るだろう。十分に戦えるはずだ。「あー、まあ良いんじゃないの? ワルドの許可は得てきてるんでしょ?」「もちろん隊長には許可を頂いている」「ほっほっほ、話は決まったようじゃの」 すると、ナイアルラァトホテプが用意したと思われる三人の刺客の対戦相手が決まったせいだろうか。 それともルイズとサイト以外の随行者が場に拘束され、奥に進めるのがルイズとサイトだけになったせいか。 オスマンが(というかオスマンを操っているだろう【チクタクマン】がオスマンの)身体をずらし、道を空ける。「それじゃあミス・ヴァリエールとサイトくんは、先に進むと良い」 オスマンが指し示す先で、何がトリガーになったかは知らないが、部屋の奥の床が動き、地下へと向かう階段が現れる。 こうもタイミング良く進路が開くということは、おそらくは【チクタクマン】はこの大広間をモニターしていたのだろう。 まあ、【チクタクマン】の本体である<黒糸>はこの宮殿を全て覆っているからそれも当然か。 ルイズはちらりとアンリエッタらに視線を送る。 ――この場は任せたわ。 ウェールズ、アンリエッタ、シエスタ、ベアトリスはその視線に頷く。 ――任せて頂戴。 目と目で通じ合うと、ルイズはサイトを伴って地下への階段へと進む。 二人が階段に辿り着くと、空間自体が陽炎のように歪み、歩みを進めてもいないのに大広間が急速に遠ざかっていく。 ルイズの虚無魔法使いとしての鋭敏な感覚が、大広間の空間が切り離されるのを捉えていた。 あからさまな分断工作ではあったが、ルイズの感覚はまた、目的地であるアザトース・エンジンが近いことも感じていた。 既に『ルイズをできるだけ消耗させずに敵の中枢まで届ける』という、随行員の任務は叶えられている。あとはそれぞれの戦いだ。 アザトース・エンジンのある地下へ通じる階段を降りる二人の後ろで、捻じ曲げられた空間さえも超えて閃光と轟音が漏れ響いた。 それほどに過酷な戦いが、あの大広間で始まったのだ。 そして過酷な戦いと言えば、それは当然ルイズとサイトにも言えること。 目的地までもうすぐだ。 決戦はもうすぐだ。 彼女らの敵はすぐそこだ。 彼女と彼の二人はもはや振り返らず、階段を降りていく。 ◆◇◆ 階段は途中からスロープになっていた。 延々と浮遊大陸の中を下っている。「この先にアザトース・エンジンと【チクタクマン】が待ってるってことか」「そうなんでしょうね。そして進んでいいのは私たちだけ、と――まあ、願ったり叶ったりだけれど」 しかしどうも遊ばれている感が否めない。「だけどよ、ナイアルラァトホテプなら遊びに興じてこそってもんじゃないか?」「確かにサイトの言うとおり、単なる愉快犯なだけかもね」「今もこうして――お遊び程度の敵に襲われてるが、はっきり言って本気を感じねえんだよな」 そう言ってサイトはルイズを守るように先行し、障害物を斬り倒す。 その障害物は、人のような形をしていた。「……出来損ないの、成り損ないね。次から次へと、全く」「元が何だったのかなんて考えたくないけどな」 まさしく鎧袖一触という有様で、サイトは右手に握ったデルフリンガーを振るい、ヒトのようなバケモノを微塵に刻む。あるいはヒトだったバケモノか。 刻んで吹き散らして空気と混ぜ、左腕に義腕として融合した翼蛇エキドナがから放つ火炎――昇華弾で焼却する。そうまでしなくては安心できない、そうまでしても安心できない。 バケモノの残留思念からなる亡霊が襲ってこないかと後ろを気にしつつも足は止めない。早く決戦を、決着を。そうでなければきっと敵は力をためて強大になる一方で、足止めに残してきた味方は消耗して劣勢になるばかりだろうから。「ねえサイト」「何だよ、ルイズ」「ここまで来てくれてありがとうね」「――どうした、急に。熱でもあるのか? それとも実は精神の消耗が限界か?」 急にしおらしいことを言い出したルイズを、サイトは心配する。 だがルイズは心外だという具合に肩を竦めた。 二人とも足は止めない。「別に、そんなんじゃないわ。ただ、この戦いの後もお互い無事とは限らないと思って」「はっ、またらしくねえこと言ってんのな。けど心配すんなよ」「何よ」「ルイズが負けるわけねえだろ」「……」「そうだろう? 俺はお前がどれだけこのハルケギニアを愛してるか知ってる。どれだけの人間に頼りにされてるか知ってる。どれだけ頑張って来たかも――魂を磨り減らして、血反吐を吐いて、それでも負けずに立ち上がって来たことを知っている」 たとえ夢の国で女王になっても、ルイズの心にはいつもこのハルケギニアのことがあった。 世界に愛されたいと願ったかつての小舟の中の少女は、まず自分から世界を愛することを学んだのだ。 愛とは、惜しみなく与えるものなのだ。彼女は世界(ハルケギニア)を愛している、人間を愛している。 だからここまでやって来た。 やって来れた。 自分に流れる虚無の血脈を受け入れて、力をつけるために夢の世界に散らばった秘宝を蒐め、世界の真実を知るために六千年前の始祖の片割れすら喰らってみせた。 その全ては、このハルケギニアを邪神から守るというただその為だ。 彼女の、ルイズ・フランソワーズの半生は、いま、ここ、この時のためにあったのだ!「だから大丈夫さ。 さあ、言ってやろうぜ、いつもの様に。啖呵を切ろう、邪神に向かって。 “ゼロのルイズ、その名の下に、全ての邪悪は消えて去れ!”ってな」「――そうね、そうよ、そうだったわ。私はゼロのルイズ」「そうだ。人類の守護者、生き神、虚無使い――そして何より、この平賀才人のご主人様だ! 負けるわけがあるかよ! 俺のご主人様はそりゃあもうスゲエんだからよ!」「ふふっ、そうね」「美人で可憐で可愛らしくって、何より強く、そして何よりも気高く誇り高い、そんな自慢のご主人様だ。俺のご主人様は、ここぞってところで決める女だ。だから俺は全く心配していない。あんな邪神程度(・・・・)に、俺のルイズが負けるはずがない、断じて、決して」「何しれっと“俺のモノ”扱いしてるのよ……。でも、まあ良いわ。いい加減付き合いも長いしね、忠誠には報いるところが必要、よね」「あん? なんだ、期待しても良いのかよ? ご褒美を」「ふふふ、さあ、どうかしら」「……って、今更じゃね? 幻夢郷で連れ添ってもう何百年だよ。――まあ、良いさ。微かに期待しとくぜ、ご褒美ってやつをさ。 で、これだけ言っても、それでもまだ不安なら、そん時ゃ俺の背中を見てりゃいいんだよ」 サイトは背中越しにルイズに言う。「お前が負けるかよ、ルイズ。何しろ俺がついてるんだぜ? このゼロの使い魔の平賀才人がな」 自信満々にサイトは言う。「俺がルイズを勝たせる」のだと。 邪神に怒っているのは、サイトも同じなのだ。地球に居た頃には逃げるだけしか出来なかったあの人外のものたちに立ち向かえるだけの力を、勇気をくれたのは、他ならぬルイズなのだった。 今の彼の中に弱気の虫など居るはずもない。だって彼はルイズの使い魔で、そして何より自らの背を見つめる女の子を一等に愛しているのだから。 そして今、このアルビオンはアザトース・エンジンによる世界法則の改竄によって、意志こそがモノを言う世界へと変貌している。 心を強く持てば勝てるというのは、間違いではないのだ。「大体ドリームランドでもルルイエでもセラエノでも地獄でも、何処までだってついてくに決まってんだろ。今更何を『ついてきてありがとう』だとか当たり前のことにお礼なんて言ってるんだよ、ルイズ。置いてかれたって探し出して追い付いて、閉じ込められてたら助け出して、たとえ死んでたって生き返してやらあ」 もう目前にまで、最後の門は迫っていた。アザトース・エンジンのある機関部に通じる巨大な扉だ。 一瞬だけサイトは後ろを振り返り、ルイズを見た。お互いに淡く自然に微笑んでいる。まるで陽だまりの中に居るかのような、笑み。「だからさ、安心してくれよ。何があっても俺が守るよ。お前を慕う一人の人間として、そして、お前を――ルイズ・フランソワーズを愛する一人の人間として」 そして彼らは最後の大扉を開けた。 それはまるで地獄門。 あらゆる絶望の詰まったその場所へと、それらすべてを吹き飛ばすために、彼らは往くのだ。 ◆◇◆ 地獄門をくぐった先は、まさに奈落。 底の見えない巨大な井戸を思わせるような穴だった。 無限の落下を思わせるその奈落、しかしその先には宇宙に浮かぶ恒星のように、煌々と輝く球体が浮かんでいた。あるいは本当に宇宙空間に繋がっているのかもしれないと、見る者に思わせる。 暗黒の陥穽に浮かんでいるそれは、アザトース・エンジンの成れの果てだ。 【チクタクマン】の手によって暴走して、痴愚神の坐す(まします)宇宙の玉座へと繋がる門を顕現させたアザトース・エンジンそのものだ。 沸騰する混沌の核とも称される痴愚神【アザトース】の玉座から漏れ出るエネルギーが、恒星のような白色として知覚されているに過ぎない。 そしてそれを見下ろす位置、この機関部への出入り口である地獄門を出たルイズたちの直ぐ足元には、よく目を凝らせば何か細い綱のようなものが張られているのが分かった。同じようなものはその下に何百重にも張り巡らされているようだ。 幾何学的に多角形を何重にも描くそれは、アザトース・エンジンに蓋をするように張られた、漆黒の糸でできた蜘蛛の巣であった。その蜘蛛の巣は、奈落の穴を何百層にも連なって覆っていた。数百の蜘蛛の巣が、この陥穽に蓋をしている。 おそらくは<黒糸>によって編まれたその水平の蜘蛛の巣の層は、アザトース・エンジンからの神気を吸収するためのソーラーパネルのような役割を果たしているのではないだろうか。下からの神気の圧力によって、蜘蛛の巣の層は布をはためかせるように波打っていた。 そしてその蜘蛛の巣の第一層の中心に――ルイズたちの視線の先に、ソレは佇んでいた。 可愛らしい少女の格好をして、吹き上がる神気の風に黒髪をなびかせて、佇んでいた。 まるで獲物を待ち構える蜘蛛のように、笑みを浮かべて舌なめずりして佇んでいた。「【チクタクマン】――ナイアルラァトホテプッ!」「如何にも、ようこそ虚無の娘、幻夢郷の女王、極と零の魔女。よくぞよくぞ参られたっ!」「はっ、手加減して調整して招いたくせによく言うわ」「いやいやいや、全ては君たちの実力さあ」 果たして本当にそうだろうか。 享楽家で有名なナイアルラァトホテプのことだ、こうなるように演出したに違いない、とルイズは考えている。 【チクタクマン】――機械の神、デウス・エクス・マキーナ。その名の通り、舞台演出にかけてはお手のものだろう。「クリスタライズっ! 夢の国の現身よ、此処に」 ルイズは銀色(・・)と虹色(・・)が混ざったような美しい光をその身から発散させながら、自らの身体を作り変える。 朱鷺色の羽、翡翠の鱗。有翼半魚のセイレーンのようなその姿は、ドリームランドでの彼女の本性だ。「エキドナ、デルフっ! 行くぞ!」 【了解、サイト!】 【任せろ相棒っ!】 左肩からは、左の義腕へと変化している翼蛇エキドナが、自在に動く砲門の役目をこなすためにちょろりと顔を出す。ルイズの魂を分けたエキドナは、虚無の力の一端すら使いこなす、心強い味方だ。 そして魔刀デルフリンガーと、神刀『夢守』を八双に構える。六千年前からガンダールヴの相棒を務めるデルフリンガー(ただし依代は代替わりして日本刀風になっている)と、夢神の尖兵を封じた佐々木武雄の忘れ形見の奉納刀。 二刀流で敵を睨みつけるさまは、まさに歴戦の戦士の風格。「はっ!」 さらにサイトは空中に多角形型の足場をクリスタライズし、跳躍してその上に立つ。 ……【チクタクマン】が用意した蜘蛛の巣状の足場になど、何が仕掛けてあるかわからないから乗れやしないということだ。「ひひひゃは、準備はできたようだねえ。それじゃあ藁の光に交わる紐の結び目が固まって蛭を生むように、始めようじゃあないかね」「何言ってるかわからないわよ」「まともに相手すると精神汚染されるんじゃ」「失敬な。いつでもあちきはデンデンムシムシで正気なんて欠片もないぞっ、まともに相手にしなきゃあ平気みたいな言い方で侮辱するのも大概にしてもらおうかっ」 いや今は蜘蛛だったっ! などと意味不明の供述をしつつ【チクタクマン】は戦端を開く。 ゆらゆらふわりと蜘蛛の糸が辺りを漂い始める。「ここは蜘蛛の巣、捕食者の檻。機械のように君の運命を織り込めてあげよう!」 少女の姿の【チクタクマン】が、まるで悪夢の指揮者かのように腕を振るう。 その繊手の先は、周囲に浮かぶ蜘蛛の糸――<黒糸>に繋がっている。 【チクタクマン】の指揮に従って、<黒糸>が空中のルイズとサイトへと幾重にも輪を描いて殺到する。「っ!」 「チィっ!」 ルイズとサイトは、キラキラと光りを反射させる<黒糸>を見切ると、空を泳ぎ、あるいは足場を作って跳ねまわって回避する。「あっはっはっはっ! 上手い上手い! まるで猛獣の火くぐりだ! それとも貴様は蝶か、蜂か、蝿かっ?」 虚無の主従の行く先に、チクタクマンは罠の網を広げて待ち構える。 しかしルイズたちも負けたものではない。 サイトが行く手を遮る蜘蛛の糸を斬り払い、ルイズが飛ぶための空間を確保。 その間にルイズは詠唱を続けている。邪なるものを祓うために。「アド オズ、■ド オズ、ダ ァナアト アズ ■ットァン――」「むむむ、そうやって縮こまって居られては詰まらんぞ。もっともっと果敢に攻めてこいよぅ! へいへいへい、ほらほらほら、さあさあさあ、いざいざいざァ!」「そんなに攻められたきゃあ、攻めてやるよっ! この詐術師っ、道化めいた悪意の塊め!」 朗々と詠うルイズから注意を逸らすために、サイトは単身で突撃を行う。「くはっ、そう来なくてはなあ!」「おおおおおおおおおおおおっ!!」「避けられるかな? 避けちゃうかな? ミサイルっ! レーザーっ! ワイヤーカッターっ!」 チクタクマンの黒いイブニングドレスのスカートから、無数のミサイルが明らかに物理法則を無視した量が放出される。 ゆらりと浮かび上がった無数の<黒糸>の先に光が灯り、光条が走る。 そして引き続きワイヤーが幾重にも張り巡らされて、サイトを輪切りにせんと迫る。 逃げ場など無い。 ――――だから何だというのだ! 未来とは斬り拓くもの。 活路とは斬り拓くもの。 いつだってサイトはそうしてきた。 ガンダールヴはそうしてきた! いつの時代でも――六千年の昔から! 主人の詠唱を背後に聞いて、敵を切り裂いてきたのだ!「うぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」 忠誠に胸を浸し、 勇気を脚に込め、 愛に背中を押されて――「はぁっ!!」 ガンダールヴは立ちはだかる全てを微塵に斬り飛ばす。 それこそが、『ゼロの使い魔』平賀才人の在り方だ。「ひゅう♪ やるじゃん、人間!」「他愛無いぜ、カミサマ! このまま斬って斬って――斬り捨てる!」 斬り捨てたミサイルの群れが背後で爆発。 それに押されてサイトが加速。 一足一刀の間合いにまで迫る。 チクタクマンは、まるで愛しい人を迎えるみたいに腕を広げる。 サイトは二刀を振りかぶり、竜巻のように勢いをつけて叩きつけた! チクタクマンが袈裟懸けに両断される。 二つに分かれて離れる黒髪の少女の姿。 空中に作り出した自前の足場を、突撃の勢いのまま滑るサイト。「ルイズ! 今だっ!」 そしてこれ以上無いチクタクマンのその隙に合わせて、遂にルイズの詠唱が完成した。 ◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 37.退散の呪文 : 【チクタクマンの退散】 ◆◇◆「――ゼロのルイズ、その名のもとにっ! 全ての邪悪は消えて去れっ!」 常人にありうべからざる言語による詠唱の後、ルイズはそう宣言する。 同時に、肩口から袈裟に分かたれたチクタクマンの身体が、薄れて消えていく。「お? おっ? おっ?」 まるで位相がズレたかのように、チクタクマンが世界から弾き出されていく。「おおおおおおお? 退散の呪文?」 チクタクマンのその顔は、いかにも意外そうにポカンとしていた。「それが、切り札? この、これが?」 ――そして、憎々しげに歪む。「この程度が、切り札だと?」 いや、そこに現れているのは、憎悪と言うよりも――――軽蔑。 チクタクマンは、まるでつまらないものでも見るかのように、ルイズ・フランソワーズを見下していた。「二番煎じの猿真似で――この享楽家が、ナイアルラァトホテプがっ! 大人しく満足して立ち去ると思っているのかっ! 貴様っ、馬鹿にするのもいいかげんにしろよっ、ルイズ・フランソワーズ!!」「確かにこの手は千年教師長の二番煎じ、だけどそれでも勝てばいいのよ。――ここから去れ、ナイアルラァトホテプ、永劫に、このハルケギニアから!」 ルイズが更に退散の術式に力を注ぐ。 それに応じて、チクタクマンの姿が薄れていく。 ――――だが。「 い や だ ね 」「何!?」 バキン、と何かが砕ける音がして、ルイズの身体が弾き飛ばされた。「日和りやがって、怖気づきやがって! もっともっと楽しい、もっともっと命懸けの、もっともっとギリギリのっ、そんな戦いじゃなきゃあ消えてやるもんかよ!」「……っ!」「つまらない、つまらない、つまらない女に成り下がったものだな! ルイズ・フランソワーズ!」 薄れていたチクタクマンの姿が戻る。 サイトに斬られた断面から<黒糸>が伸び、分かたれた身体をじゅくじゅくと繋ぐ。「所詮お前もただの人外にすぎんのか――……。ならば人外(・)らしく、世界の外(・)へと消えるが良い――」 チクタクマンの口から、不吉な詠唱が漏れる。 それはまるでクリスマスプレゼントを開けて期待はずれだった子供のような表情で……。 嫌な予感を感じたサイトが再び斬りかかる。「やめろ、ナイアルラァトホテプーー!!」 その刃は届く。 だが、チクタクマンの詠唱は止まらない。 細切れにされても、次から次にその断面に口が現れて詠唱を紡ぐ。(ああ……) 同時にルイズは、これまで感じたことのないような寂寥感と孤独感を感じていた。 ――まるで世界から拒絶されたかのような、圧倒的な孤独感、心もとなさ。 この次元から弾かれるような、抗うことすら許されない斥力を、ルイズ・フランソワーズは全身全霊で感じていた。(世界が、サイトの背中が、遠い――) そしてサイトの妨害虚しく、チクタクマンの詠唱は完成する。 ◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 37.退散の呪文 : ×【チクタクマンの退散】 → ○【ルイズ・フランソワーズの退散】 ◆◇◆ ――ルイズ? サイトが振り返る。 だがそこには、誰も、何も、居なかった。 この瞬間、虚無の半神ルイズ・フランソワーズは、ハルケギニアから――――消失した。=========================ニャル様「邪神に同じ技は二度通用しない!(ドヤ顔)」魔術:【ルイズ・フランソワーズの退散】 かつてウードが研究していた退散の呪文のレパートリーの一つで、ナイアルラァトホテプの化身を退散させる呪文の研究過程で作り出したもの。ルイズ・フランソワーズ用の特製魔術で、対象を次元から放逐する。 ウードの研究の時点では、ルイズに対してはせいぜい嫌がらせで動きを止めたり力を削ぐくらいしか出来ない不完全なものだったが、その後ナイアルラァトホテプが完成させた。また、ルイズ自身も、虚無の半神ヴァルトリを喰って人外化(神格化)が進行していたため、退散の魔術が効きやすくなっていたという事情もある。↓前話の追記(2013.04.14)からこちらに移動。ヤマグチノボル先生の訃報に際して。色んな意味でゼロの使い魔に対して冒涜的な二次創作を書いている身ではありますが、先生が亡くなられて非常に残念でなりません。ゼロの使い魔は、私の大好きな作品です。この作品に出会ったから、私はSS書きになりました。訃報に接し、非常に驚き、また悲しくなりました。ヤマグチノボル先生のご冥福をお祈りいたします。ラストまで後少し(多分次回で最終話)なので、最後までお付き合いいただけると嬉しく思います。次回、世界の外側で、ルイズはかつての恩師にして仇敵に出会う――かもしれない。その世界の外側から伸びる蜘蛛の糸の繋がる先は? 運命という糸が織り成す蜘蛛の巣から逃れる為に、ルイズは、そしてサイトは、何を選択するのか。GW中に投稿できたらいいなあー(願望)2013.04.24 初投稿2013.04.25 誤字訂正、一部修正2013.04.30 あとがきの一部変更