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No.20306の一覧
[0] 【世界観クロス:Cthulhu神話TRPG】蜘蛛の糸の繋がる先は【完結】[へびさんマン](2013/05/04 16:34)
[1] 蜘蛛の糸の繋がる先は 1.死をくぐり抜けてなお残るもの[へびさんマン](2012/12/25 21:19)
[2] 蜘蛛の糸の繋がる先は 2.王道に勝る近道なし[へびさんマン](2010/09/26 14:00)
[3] 蜘蛛の糸の繋がる先は 3.命の尊さを実感しながらジェノサイド[へびさんマン](2012/12/25 21:22)
[4] 蜘蛛の糸の繋がる先は 4.著作権はまだ存在しない[へびさんマン](2012/12/25 21:24)
[5]   外伝1.ご先祖様の日記[へびさんマン](2010/10/05 19:07)
[6] 蜘蛛の糸の繋がる先は 5.レベルアップは唐突に[へびさんマン](2012/12/30 23:40)
[7] 蜘蛛の糸の繋がる先は 6.召喚執行中 家畜化進行中[へびさんマン](2012/12/30 23:40)
[8] 蜘蛛の糸の繋がる先は 7.肉林と人面樹[へびさんマン](2012/12/30 23:41)
[9] 蜘蛛の糸の繋がる先は 8.弱肉強食テュラリルラ[へびさんマン](2012/12/30 23:42)
[10] 蜘蛛の糸の繋がる先は 9.イニシエーション[へびさんマン](2012/12/30 23:45)
[11] 蜘蛛の糸の繋がる先は 10.因縁はまるでダンゴムシのように[へびさんマン](2010/10/06 19:06)
[12]   外伝2.知り合いの知り合いって誰だろう[へびさんマン](2010/10/05 18:54)
[13] 蜘蛛の糸の繋がる先は 11.魔法学院とは言うものの[へびさんマン](2010/10/09 09:20)
[14] 蜘蛛の糸の繋がる先は 12.ぐはあん ふたぐん しゃっど-める[へびさんマン](2010/11/01 14:42)
[15] 蜘蛛の糸の繋がる先は 13.呪いの侵食[へびさんマン](2010/10/13 20:54)
[16] 蜘蛛の糸の繋がる先は 14.命短し、奔走せよ[へびさんマン](2010/10/16 00:08)
[17]   外伝3.『聖地下都市・シャンリット』探訪記 ~『取り残された人面樹』の噂~[へびさんマン](2010/08/15 00:03)
[18]   外伝4.アルビオンはセヴァーンにてリアルラックが尽きるの事[へびさんマン](2010/08/20 00:22)
[19] 蜘蛛の糸の繋がる先は 15.宇宙に逃げれば良い[へびさんマン](2011/08/16 06:40)
[20] 蜘蛛の糸の繋がる先は 16.時を翔ける種族[へびさんマン](2010/10/21 21:36)
[21] 蜘蛛の糸の繋がる先は 17.植民地に支えられる帝国[へびさんマン](2010/10/25 14:07)
[22] 蜘蛛の糸の繋がる先は 18.シャンリット防衛戦・前編[へびさんマン](2010/10/26 22:58)
[23] 蜘蛛の糸の繋がる先は 19.シャンリット防衛戦・後編[へびさんマン](2010/10/30 18:36)
[24]   外伝5.ガリアとトリステインを分かつ虹[へびさんマン](2010/10/30 18:59)
[25]   外伝6.ビヤーキーは急に止まれない[へびさんマン](2010/11/02 17:37)
[26] 蜘蛛の糸の繋がる先は 20.私立ミスカトニック学院[へびさんマン](2010/11/03 15:43)
[27] 蜘蛛の糸の繋がる先は 21.バイオハザード[へびさんマン](2010/11/09 20:21)
[28] 蜘蛛の糸の繋がる先は 22.異端認定(第一部最終話)[へびさんマン](2010/11/16 22:50)
[29]    第一部終了時点の用語・人物などの覚書[へびさんマン](2010/11/16 17:24)
[30]   外伝7.シャンリットの七不思議 その1『グールズ・サバト』[へびさんマン](2010/11/09 19:58)
[31]   外伝7.シャンリットの七不思議 その2『大図書館の開かずの扉』[へびさんマン](2010/09/29 12:29)
[32]   外伝7.シャンリットの七不思議 その3『エリザの歌声』[へびさんマン](2010/11/13 20:58)
[33]   外伝7.シャンリットの七不思議 その4『特務機関“蜘蛛の糸”』[へびさんマン](2010/11/23 00:24)
[34]   外伝7.シャンリットの七不思議 その5『朽ち果てた部屋』[へびさんマン](2011/08/16 06:41)
[35]   外伝7.シャンリットの七不思議 その6『消える留年生』[へびさんマン](2010/12/09 19:59)
[36]   外伝7.シャンリットの七不思議 その7『千年教師長』[へびさんマン](2010/12/12 23:48)
[37]    外伝7の各話に登場する神性などのまとめ[へびさんマン](2011/08/16 06:41)
[38]   【再掲】嘘予告1&2[へびさんマン](2011/05/04 14:27)
[39] 蜘蛛の巣から逃れる為に 1.召喚(ゼロ魔原作時間軸編開始)[へびさんマン](2011/01/19 19:33)
[40] 蜘蛛の巣から逃れる為に 2.使い魔[へびさんマン](2011/01/19 19:32)
[41] 蜘蛛の巣から逃れる為に 3.魔法[へびさんマン](2011/01/19 19:34)
[42] 蜘蛛の巣から逃れる為に 4.嫉妬[へびさんマン](2014/01/23 21:27)
[43] 蜘蛛の巣から逃れる為に 5.跳梁[へびさんマン](2014/01/27 17:06)
[44] 蜘蛛の巣から逃れる為に 6.本分[へびさんマン](2011/01/19 19:56)
[45] 蜘蛛の巣から逃れる為に 7.始末[へびさんマン](2011/01/23 20:36)
[46] 蜘蛛の巣から逃れる為に 8.夢[へびさんマン](2011/01/28 18:35)
[47] 蜘蛛の巣から逃れる為に 9.訓練[へびさんマン](2011/02/01 21:25)
[48] 蜘蛛の巣から逃れる為に 10.王都[へびさんマン](2011/02/05 13:59)
[49] 蜘蛛の巣から逃れる為に 11.地下水路[へびさんマン](2011/02/08 21:18)
[50] 蜘蛛の巣から逃れる為に 12.アラクネーと翼蛇[へびさんマン](2011/02/11 10:59)
[51]   クトゥルフ神話用語解説・後書きなど(12話まで)[へびさんマン](2011/02/18 22:50)
[52] 蜘蛛の巣から逃れる為に 13.嵐の前[へびさんマン](2011/02/13 22:53)
[53]  外伝8.グラーキの黙示録[へびさんマン](2011/02/18 23:36)
[54] 蜘蛛の巣から逃れる為に 14.黒山羊さん[へびさんマン](2011/02/21 18:33)
[55] 蜘蛛の巣から逃れる為に 15.王子様[へびさんマン](2011/02/26 18:27)
[56] 蜘蛛の巣から逃れる為に 16.会議[へびさんマン](2011/03/02 19:28)
[57] 蜘蛛の巣から逃れる為に 17.ニューカッスル(※残酷表現注意)[へびさんマン](2011/03/08 00:20)
[58]   クトゥルフ神話用語解説・後書きなど(13~17話)[へびさんマン](2011/03/22 08:17)
[59] 蜘蛛の巣から逃れる為に 18.タルブ[へびさんマン](2011/04/19 19:39)
[60] 蜘蛛の巣から逃れる為に 19.Crystallizer[へびさんマン](2011/04/08 19:26)
[61] 蜘蛛の巣から逃れる為に 20.桜吹雪[へびさんマン](2011/04/19 20:18)
[62] 蜘蛛の巣から逃れる為に 21.時の流れ[へびさんマン](2011/04/27 08:04)
[63] 蜘蛛の巣から逃れる為に 22.赤[へびさんマン](2011/05/04 16:58)
[64] 蜘蛛の巣から逃れる為に 23.幕間[へびさんマン](2011/05/10 21:26)
[65]   クトゥルフ神話用語解説・後書きなど(18~23話)[へびさんマン](2011/05/10 21:21)
[66] 蜘蛛の巣から逃れる為に 24.陽動[へびさんマン](2011/05/22 22:31)
[67]  外伝9.ダングルテールの虐殺[へびさんマン](2011/06/12 19:47)
[68] 蜘蛛の巣から逃れる為に 25.水鉄砲[へびさんマン](2011/06/23 12:44)
[69] 蜘蛛の巣から逃れる為に 26.梔(クチナシ)[へびさんマン](2011/07/11 20:47)
[70] 蜘蛛の巣から逃れる為に 27.白炎と灰塵(前編)[へびさんマン](2011/08/06 10:14)
[71] 蜘蛛の巣から逃れる為に 28.白炎と灰塵(後編)[へびさんマン](2011/08/15 20:35)
[72]  外伝.10_1 ヴァリエール家の人々(1.烈風カリン)[へびさんマン](2011/10/15 08:20)
[73]  外伝.10_2 ヴァリエール家の人々(2.カリンと蜘蛛とルイズ)[へびさんマン](2011/10/26 03:46)
[74]  外伝.10_3 ヴァリエール家の人々(3.公爵、エレオノールとカトレア)[へびさんマン](2011/11/05 12:24)
[75] 蜘蛛の巣から逃れる為に 29.アルビオンの失墜[へびさんマン](2011/12/07 20:51)
[76]   クトゥルフ神話用語解説・後書きなど(24~29話)[へびさんマン](2011/12/07 20:54)
[77] 蜘蛛の巣から逃れる為に 30.傍迷惑[へびさんマン](2011/12/27 21:26)
[78] 蜘蛛の巣から逃れる為に 31.蠢く者たち[へびさんマン](2012/01/29 21:37)
[79]  外伝.11 六千年前の真実[へびさんマン](2012/05/05 18:13)
[80] 蜘蛛の巣から逃れる為に 32.開戦前夜[へびさんマン](2012/03/25 11:57)
[81] 蜘蛛の巣から逃れる為に 33.開戦の狼煙[へびさんマン](2012/05/08 00:30)
[82] 蜘蛛の巣から逃れる為に 34.混ざって渾沌[へびさんマン](2012/09/07 21:20)
[83] 蜘蛛の巣から逃れる為に 35.裏返るアルビオン、動き出す虚無たち[へびさんマン](2013/03/11 18:39)
[84] 蜘蛛の巣から逃れる為に 36.目覚めよ英霊、輝け虚無の光[へびさんマン](2014/03/22 18:50)
[85] 蜘蛛の巣から逃れる為に 37.退散の呪文[へびさんマン](2013/04/30 13:58)
[86] 蜘蛛の巣から逃れる為に 38.神話の終わり (最終話)[へびさんマン](2013/05/04 16:24)
[87]  あとがきと、登場人物のその後など[へびさんマン](2013/05/04 16:38)
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[20306] 蜘蛛の巣から逃れる為に 29.アルビオンの失墜
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/12/07 20:51
常若の国――『ティル・ナ・ノーグ』。
 アルビオン内部に存在すると伝説で謳われる、死者の国。黄泉の国。妖精郷と言い換えても良いだろう。伝説のアーサー王が眠っているアレだ。
 命を散らした者は、いつか来たる祖国の危難に応じ、常若の国ティル・ナ・ノーグより復活するのだという。


 そして、伝説通りのことが、今、アルビオンでは起こっていた。


 内乱で荒れ果てた国土、戦争に駆り出されて死んでいった若い衆、天候不順、空賊の横行による物価高騰、新政権に纏わり付く恐ろしい噂の数々……。これを祖国の危難と呼ばずして、何を危難と呼べばいいだろうか。
 そして、民の願いに応えるように、新しい教会は奇跡を配布しだした。旧来のブリミル教会を廃し、速やかに成り代わった天空教会は、貴族に対しては父なる天空神ハスターを全面に押し出し、民衆に対しては地母神シュブ=ニグラスを奨めている。荒廃した国土の再生と、労働力の増強、徴兵による国軍力の増強は、新政府にとっても、喫緊の課題であった。
 故に彼らは、いともたやすく、禁忌に手を染めた。祖先を蘇らせ、奴隷種族を召喚する魔術(まほう)を――禁断の知識を、民衆に配りだしたのだ。



 青い空の下、アルビオンの辺境農村。
 虹色に茫洋と輝く広大な農地が広がっている。
 村の外れには、雑多な石造りの円環が見える。

「いやあ、国母様サマだねえー」
【ぎぃー】
「父さんと兄さんが戦争に駆り出されて、今年の税はどうしようと考えてたけど、お前たちのおかげで何とかなりそうだよ」
【ぎじゅるる、る!】
「爺さんや曾祖父さんや曾祖母さんも、ティル・ナ・ノーグ(むこう)から帰ってきてくれたしね」

 農地を耕しているのは、奇妙な異形だ。傍らには監督する農婦らしき中年女性が居る。
 高さ5メイルほどの黒沃の肉樹。
 それが五、六本の触手の先にそれぞれ農具を持って、それぞれの触手を忙しなく動かしている。畑のあちこちに、そんな異形が散見される。

 戦争に取られた若者たちの代わりに、国母シャジャル妃の加護の下、巨象の上半分を捻くれた大樹に置き換えたような異形――黒い仔山羊たちが、その触手の先端に器用に鍬やツルハシを持って、農作業や灌漑工事などを行なっているのだ。
 荒廃した大地には、虹色に輝く植物が茂り、黒沃土色の仔山羊が、教会の指導のもとで即席呪術師となった村人たちの指示で働いている。家々の補強工事も行われているようだ。まるで大地が大きく揺れるのに備えているようだ。
 老人たちの姿も多く見られる。……彼らがやけに土気色をしているのと、墓地だった場所が掘り返されて青々とした畑になっているのが気にかかる。彼らは土の下――ティル・ナ・ノーグから、黄泉帰ったのだろうか?

 村の外には、用済みになった墓石で作られたストーンサークルがある。
 よく見れば、その中心は、不気味に胎動し、不可思議な色彩を放っている。
 大陸の中心に据えられた擬神機関(アザトース・エンジン)から地脈を通じて配賦される神気が、ストーンサークルを通じて溢れ出しているのだ。

 その神気が、奴隷種族たる黒い仔山羊たちの腹を満たし、死者を動かし、植物や家畜の成長を早めているのだ。
 当然、生身の人間にも影響がないわけではない。熟達したメイジのように、精神を鍛えていないと、一瞬で正気を失うだろう。だが村人たちは、死者が甦ることも、使役する新しい異形の家畜たちのことも、何ら疑問には思っていないようであった。
 そう、皆が狂えば、その狂気は、もはや正気と差異が無いのではないか? 狂った中、ただ一人狂えないのは、逆に狂気ではないのか? ……まあ、これらの光景に疑問を呈するような正気の輩は、教会を通じて護国卿クロムウェルの元へと連れて行かれるので、アルビオンの辺境には、狂い狂って一周して狂気に適応した(・・・・・・・)人間しか残っていないのであるが。

 死者が蘇り、神話的生物で満ちる国、アルビオン。
 何が狂ってこうなったのか。
 何も狂わなければ、こうはならなかったのか?

 誰が狂っているのか。
 誰も狂っていないのか。
 それすらも、この国では曖昧だ。

 茫漠だ。
 空のように、広漠としている。
 ――そうだここは空の国なのだから。

 暗中模索に五里霧中。
 ――そうともここは霧の国なのだから。

 白痴蒙昧、狂気乱舞。
 ――いかにもここは白の国なのだから。



 視点を辺境の農村から、首都である霧の街ロンディニウムに視線を移そう。

「酷いもんだ」
「全くだね。自重しろって感じだ」
「諜報員排除には、有効だろうけどな。この気狂わせ風も」
「おかげで、残ってるのは、僕らくらいなものだものねー」

 人気のない通りを闊歩するのは、トリステイン諜報員のワルド子爵と、ロマリア密偵のジュリオだ。
 羽帽子のヒゲ貴族に、月眼の神官というのは、かなり目立つはずなのだが、誰も彼らに目を留めない。機械的に日常生活を淡々とこなす市民の目には、何も映っていない。ただ時折、茫漠とした空を映すだけだ。
 無人の荒野を往くように、二人のスパイは大通りを歩く。

「……俺の国では、これ以上の情報収集は無用と判断された。じきに白の国から撤収する」
「うん? この国をウェールズ殿下の下に取り戻すんじゃなかったのかい?」
「新生アルビオンの狙いがシャンリットだと分かったからな。女王陛下曰く、『真正面から戦う必要は無いわ。私たちがやることは、最高のタイミングで横合いから殴りつけることよ』ということらしい」
「なるほど。撤退ってことは、どうせシャンリットと戦ったら、アルビオン国内なんてぐちゃぐちゃになっちゃうだろうから、今情報収集しても、直ぐに役に立たなくなると判断したのか。しかしウェールズ殿下は、それを許可したのかい?」
「さてな。殿下が何を考えていても関係あるまいよ。彼は既にアンリエッタ陛下の“モノ”だし、女王陛下がそうと決めたなら、俺たち下々の者は反対できぬ。俺はトリステインの狗であって、アルビオン亡命政権の狗ではないのだから」

 ワルドは、以前に近衛の魔法衛士隊長として、アンリエッタ女王夫妻を護衛した時のことを思い出す。
 アンリエッタの『魅了』の魔法を至近で浴びすぎた亡国の王子の、あの死んだ魚のような瞳を。夫婦揃って同じような、深淵の泥濘の瞳をしていた。
 あれでは、ウェールズにマトモな思考が残っているかも怪しいものだ。そういえば、実際ワルドは、「そうだね、アンリエッタ」という台詞以外に、ウェールズの声を聞いたことがない。

「まあ撤退するのは、その辺の戦略的判断だけじゃなくて、上の人達が、君から送られてくる情報の扱いに手を焼いていたってのもあるんじゃないか?」
「そうらしい。事実をありのままに書いただけなのだがな。何度も上層部が気を病んで入れ替わるお陰で繰り上がって、いつの間にか俺は女王陛下の直轄だ」
「ああ、なるほど。『深淵』のアン陛下なら、錯乱する心配もないというわけか」
「陛下が直々にアルビオン情勢を知りたいと願ったのも理由だ。だが、それも終わりだ」
「――まあ、頃合いだね。シャンリットと開戦する前に引き払うってのは、正しい判断だと思うよ」

 二人の歩みは、王城の前で止まる。
 ロンディニウムの、ハヴィランド宮殿。王の居城。
 無用心なことに、門を守護する兵もおらず、不気味な風が渦巻いているだけであった。

「貴様の顔を見なくて良くなると思うと、せいせいするな」
「そうかい? 僕はもっと仲良くしときたかったけどね、ジャン=ジャック」
「言ってろ。……ヘマはするなよ? ジュリオ。――折角最後に俺が手伝ってやろうというのだから」

 そう言って、ワルド子爵の身体がぶれて蜃気楼のように霞み、揺らぎ、重なり、分かれる。
 風の『偏在』。遍く広がる風を、束ね、偏らせ、実体を与える。故に『遍在』にして、『偏在』。風の『ユビキタス』。
 ワルド特製の、十数年に及ぶ、全系統魔法における練磨と執念の結晶である、実体を持った分身だ。それが4体。本体――といっても、この本体も遠くトリステインに居る“本体の本体”による実体ある分身の一つに過ぎないのだが――と合わせて5体。

「じゃあ、手筈通りに頼むよ。ジャン=ジャック」
「ああ。じゃあな、ジュリオ」
「――それと、ありがとうな」
「……。気持ち悪い。鳥肌が立ったぞ」
「そう言うなよ。これでも感謝してるんだぜ?」
「じゃあ、いつか借りを返してくれ。――死ぬなよ、ジュリオ」
「勿論さ、ジャン=ジャック」

 五人のワルドが、それぞれ別方向に向かう。
 一人は元来た道を戻り、残りの四人のうち三人は城壁に沿って音も無く走り出す。
 暫くして、最後の一人が、風の魔法を使う。鋭くもない、だが、力強い押し出すような風だ。そしてその風が、傍らに立つジュリオを取り巻く。

「行ってこい!」
「おう!」

 旋風。ワルドの魔法で、ジュリオが城壁を越えて、宮殿内へと投入される。
 魔法の使えない人間とは思えない身のこなしで、猫のように靭やかに、ジュリオは城内に着地する。
 ヴィンダールヴのルーンは、ひょっとしたら獣としての動きをルーンの主人に教えてくれるのかも知れない。

 直後に城壁の四方で轟音と火の手が上がる。
 ワルドの分身による陽動だ。
 情報を持ち帰るために踵を返した一体以外の『偏在』が、死兵となって王城に攻め込んでいるのだ。全属性を鍛えた凄腕の風のスクウェアメイジ四人による特攻だ。

「大盤振る舞いも良いところだ。風のスクウェア四人がかりとは豪勢なこと――いや、計算上は一人で良いのか? ジャン=ジャックの『偏在』はズルいよな――ま、トリステインも本気でロマリアに協力する気があるということだね。あるいは、ゲルマニア簒奪の時の恩返しか」

 ニヤリと、ジュリオは口の端を歪める。あの“深淵”の女王陛下がゲルマニアを喰い荒らして呑み込む時は、ロマリアも各地の教会から随分手を回したものだ。
 人の悪そうな野卑な笑みは、彼の美貌を台無しにしていた。
 だが、それがとても――とても似合っていた。

 城壁の向こうで、巨大な気配が動き出していた。
 狂気に駆られた市民たちが、王城を守るために、軍隊蟻のように一つの群れとして動き出したのだ。彼らは、王城から溢れる神気と、【赤の女王】オルレアン夫人の魅了のオーラによって統率されている、個人の意志を失った防御機構の一つに過ぎなくなっている。
 これからジャン=ジャックの分身たちは、陽動のために、その幾万とも知れない狂人の群れを相手にすることだろう。

「さて、じゃあ、囚われのお姫様たちを助けに行くかねー。――あ、片方は半分くらい王子様になってるんだっけ?」

 軽薄に、この世の全てを楽しむように、飄々とヴィンダールヴ(風の妖精)は往く。
 だが、その身の全ては主人のために。邪神の腹わたの中にすら嬉々として飛び込む忠誠を、彼は持っている。
 ただひたすら主人のために。それこそが、使い魔の在り方なのだから。

 そしてロマリアの行動原理は単純だ。
 “全ては始祖の御心のままに”。
 その原則のもとに、虚無を希求する。

「ま、蜘蛛の御大がアルビオンに取り立て(・・・・)にやって来る前に、さっさと攫って(救って)しまわないとねー」


◆◇◆




 蜘蛛の巣から逃れる為に 29.アルビオンの失墜




◆◇◆


 ラグドリアン湖底にて。

「おおおおおおおおおおっ!!」

 何度も刀を振るい、鞭を轟かせ、その度に、敵の腐肉が飛び散る。
 だがしかし、相手は汲めども尽きぬ悪夢の軍勢。
 全く数が減った気がしない。

 七万の悪鬼を前に、サイトは獅子奮迅の活躍を見せていた。

 いや、正確に言えば、数は減っている。
 人の形をしたモノは、減っている。
 ――しかし、

「量が、減らねぇっ!!」

 エキドナが変化した長大な鞭(大木以上の円周がある)で挽き潰しても、潰された敵兵は、潰されたままに、向かってくるのだった。
 潰された肉は、潰されたままに、水が吸い上げられた湖底の谷間を、ナメクジのように這って襲いかかってきた。砕かれた骨は、ひとりでに組み上がり、その破片を狙撃するように飛ばしてくる。体積が、減らない。
 そして周囲は魔術<レレイの霧の創造>によって造られた霧によって、見通しが効かない。

「ちくしょう! キリがねえな! いつもなら、何かしらの“核”を潰せばこの手の輩は一掃出来るはずなんだが――」

 探索者として経験豊富なサイトであったが、流石に小都市に匹敵する兵隊を前にして、その中から術者を探ることはできないでいた。
 いや、一応、想像はついているのだ。
 ――この軍勢の中に核となるような魔術師個人など居ない(・・・)だろうということくらいは。

 もはや眼の前の腐肉と魔霧による悪夢じみた“現象”は、只人の身には余るように、彼の目には映った。
 ――ああ、彼の主君たる虚無の娘は別だ。あれは既に、人間の枠を超えている。
 ……七万の軍勢に単身で抗し得る彼自身もまた、彼の主人と同様に人外と評され得ることに、彼はまだ気づいていない。

 さて、魔術師による魔術ではないのなら、目の前の肉津波は、何か。
 簡単だ。何らかの儀式回路によって喚起された、地脈だとか異次元のカミサマの力の欠片だかを用いるような大規模魔術なのだ。
 その繊細にして大規模な術式は、いくら隠しても強固にしても、避けられない構造上の欠陥というものがあるはずなのだ。サイトはその弱点を、便宜上“核”と呼んでいる。

 例えば、強力な力を秘めたアーティファクト。文字通りの力の源泉となるそれを失えば、魔術は消滅する。
 例えば、魔法陣の円陣。真円でなければ効果がないとされる外縁部を破壊すれば、力が暴走して、魔術は所定の効果を現さなくなる。
 それらの妨害方法は、機械で言えば電源コードを引きちぎるような方法だったり、あるいはラジエーターを壊して意図的にオーバーヒートを起こさせるようなものだったりもする。馬鹿正直に中枢を破壊せずとも、微妙なある種の芸術とも言えるバランスで成り立っている魔術の何処かを崩してやれば良いのだ。

 大規模な魔術になればなるほど、そういった急所が、どこかに生じてしまうのである。
 特に、神の意志そのままに顕現させるのではなく、人の意思で顕れる現象を制御しようと思うのならば、何処かに無理が生じるのは当然にして尚更のことであった。神の力は人の身に余るのだ。虚無の魔法が術者の命すら削るように、超常の力は、代償無しに扱えはしない。
 だから、目の前の(推定)アルビオン軍を操っている魔術も、どこかに核(弱点)があるはずなのだが……。

「さて、その核も、一体何処にあるのやら。チッ、危なっ」

 考え事をするサイト目掛けて、人の背丈の倍ほどもある銛が何本も、蠢く白い腐肉の塊から、骨細工を跡に引きながら、バリスタの如き勢いで射出される。サイトはそれをバックステップで避け、避け切れない分はデルフリンガーで弾き落とす。そして銛の出所を一掃させるべく、自律する巨鞭に意志を伝える。
 毒を滴らせるその銛は、湖底の蛞蝓神グラーキの背から採られたものだろう。並の人間なら一撃で即死し、かの神性のアンデッドの奴隷として生まれ変わることになる。
 後から銛に絡みつく骨細工にはあっという間に水死体のようなブヨブヨとした肉がまとわりつき、銛を中心に、まるで切り落とされた毒蜂の腹部のように蠕動する。その蜂の腹ような、芋虫のような肉塊が、一拍遅れてサイトの意思を汲んだ巨鞭によって弾き飛ばされる。その途上、ペースト状にされた屍肉から人骨を中心にして不恰好ながら復活しようとしていた骸骨たちが、吹き飛ばされて転がった肉団子によって粉砕される。

「よっしゃ、ストライク! でもどうせ直ぐ復活するんだろうなー」

 サイトは素早く周囲を見回すが、“核”らしきものは見えない。かといって“核”は、あの無駄に目立つ歪に捻くれた、毒水を垂れ流す“葬礼のヤグラ”に在るわけでもないだろう。
 大規模魔術の際には、少しでも頭の回る魔術師なら、核は、一見そうと分からない場所に隠しておくのが定石だ。それが幾多の修羅場を潜ってきた探索者としてのサイトの勘であった。
 それゆえに、今回のような大規模魔術には、少人数のパーティによる核の直接破壊が有効な手段であり、それによって邪悪な企てを潰えさせることが出来るのだ。サイトも故郷では(不本意ながら・巻き込まれて・不可抗力で)幾度と無くそうやって怪異を退治してきた。

 さて、今回の敵は、核を隠蔽する程度には狡猾そうだ。核は一体何処にあるものか。

「エキドナ! デルフ! 核の場所って、分かるか!?」
【んー、やっぱりあの不恰好なヤグラじゃないかしら? 如何にもって感じだし、生意気に障壁に囲まれてて守り堅いし。ね、サイト】
【俺っちは、やっぱりゾンビどもの中に混ざってると思うぜ! 木を隠すには森の中ってやつだぜ、相棒】

 サイトは両手で振るう武器たちに語りかける。
 湖を一周するような長大な鞭に変化した翼蛇エキドナは、湖底に聳えた、瘴気立ち上る塔を怪しいと踏んだ。彼女を練り上げる元となったルイズの知識と、もう半分であるサイトの経験から、そう判断したのだ。実際、何度か蛇身のエキドナがヤグラを崩そうと迫ったが、その度に不可視の力場で弾き返されている。何かの要になっているのは間違い無いだろう。
 一方、腐肉を切り払うのにもウンザリしてきた魔刀デルフリンガーは、木を隠すなら森の中だと、目の前の半ばミンチになった者たちを指す。

 だが、不意に。
 途端に。
 唐突に。

『げぇぁああはははははははははははっはははははああああ!!』

 不快な嗤い声が響き渡った。


◆◇◆


 腐肉が盛り上がって形を成す。
 ペースト状に広がった湖底の腐肉から、二つの塔が立ち上がった。
 腐った竜と、骨の竜。それらを表すならば、そのふた言で事足りた。

『があははははははははっ! 死ねトリステイン人よ! 天空を統べる我がアルビオンの権威に平伏すが良い!』
『全くです! キャプテン! このまま挽き潰してしまいましょう!』
「……」

 それぞれに吠える、腐った竜と、骨の竜。二匹の頭頂部からは、人間らしきものの上半身が生えていた。竜人ではなく、人竜とでも呼べば良いだろうか。水死体をこねて出来上がった“腐肉の人竜”と、死神の乗り物を思わせるような“白骨の人竜”。腐肉の人竜の方は手に、不気味に闇を纏うフルートを持っている。
 腐った竜の方は、巨大な水竜をベースにしたのだろうか。全高十五メイルはあるように見える。ネッシーのような首長竜の腐乱死体に蛞蝓を掛けあわせたような気色悪い外見をしている。腹部は轢き潰された死体の残骸に埋もれているが、地面に接しており、貝のように這って移動するようだ。腐り落ちかけた頸部の先には、竜の頭部が付いており、その上から屍蝋色した中年男性らしきヒトガタが生えている。だが、身体の各部にも、爛れた人面瘡らしきものがあり、それぞれが戦慄いて霧の呪言を唱えているようだ。陽光を遮るレレイの霧と共に、クチナシの花のような、強烈な甘ったるい匂いがしている。
 白骨の竜は、大部分が人骨で出来ており、それぞれが出鱈目に組み合わされて、巨大な風竜を模した様な形を作り上げている。腐乱竜とは違い、無数のムカデのような骨脚によって支えられている。こちらの頭部からは、白骨死体が生えており、その髑髏をカタカタと震わせている。白骨竜のその背中からは、毒液を滴らせる3メイルほどの銛のようなものが、まるで針鼠のように何百本も生えている。それぞれの毒銛は、それ自体が意思を持っているかのように動いている。その様子は、ウニの棘を思い出させる。

 それらを見て、サイトたちは異形に動じずに、一言。

「馬鹿だ。馬鹿が来た」
【バカね、間違いなく。このまま消耗戦してた方が良かったでしょうに】
【阿呆だな。わざわざ出てきやがってご苦労なこった。こっちとして助かって良いがね】

 彼らは動きを止めたまま、立ち上がった二頭の竜に向き直る。

「きっと、あいつらが“核”ってことだよな。魔力が篭ったっぽいフルート持ってるし、あれ、霧が出る前まで、闇を全体に纏わせてた魔術の触媒だよな」
【ええ、多分】 【多分な。少なくともアイツらが指揮官――群体意識の結節点ってこたぁ、確かだろ】

 【レレイの霧】の魔術が陽光を遮る前は、魔力を込められた金管楽器によって喚起された暗闇が、【緑の崩壊】からグラーキの従者を守っていたのだ。
 腐肉の人竜が持っているフルートは、そのための触媒なのだろう。
 つまり、それを持っている腐肉の人竜は、“核”の可能性が高い。

『うむ? 何を言っておるか!? いざ尋常に勝負せよ!! トリステインの盾よ!』
「……寝言言ってるけど、きっとあいつらが狂ってるせいだよな?」
【ええ、多分そうだと思うわ】
「だいたい何で今頃出てきやがったのか……」
【奴らに尋常の理屈を求めるのは意味ないぜ】
『何だ! 怖気づいたのか!? ならばこちらは進撃を開始するとしよう!! 総員突撃!!』
「……エキドナ。ヨルムンガンド(世界蛇鞭)モードから、フェンリール(狼王砲)モードへ」
【了解、サイト!】

 腐肉の人竜の掛け声に合わせて、再び、あたり一面に広がった屍肉が、肉津波となって押し寄せる。

 サイトたちはそれに備えて迎撃準備。
 湖を巡るくらいの巨大な綱鞭だったのが、しゅるしゅると縮んで解けて、サイトの右手を中心に巻きつく。蛇の鱗が、サイトの右腕を伝い、右肩から右半身を覆っていく。
 それはちょうど、最初にエキドナがタルブの密林結界の中で、異界の超鋼から立ち現れたのを、逆回しにするような光景であった。さらさらと速やかにエキドナはサイトの半身を包み、鎧へと『変化』する。鱗は互いに融合し、より大きな単位の頑丈な外骨格となる。
 サイトの右半身が超鋼の滑らかな鎧に覆われる。ただ、腕の先は、通常の強化外骨格とは異なっていた。鎧の右腕の先は、今にも獲物を食い千切ろうとガチガチ噛み合わされる、狼を象った大顎となっている。遠距離攻撃の手段を有さないサイトに、その手段を与えるための顎だ。全てを焼き尽くす炎を吐き出す狼だ。狼砲の歯の間から、獄炎の舌がチロチロと漏れる。

【流石に一回ルイズ(本体)に喰われた時に、力の殆どは再吸収されちゃったけど、でも強化外骨格(エクゾスカル)を四分の一くらいは再現できるくらいには回復したわ!】
「うん、スゲエな。エキドナ。それにやはり、……よく馴染む」
【うふふ、当然よ。ここまで力を取り戻せたのは、ダーリンの愛のおかげだもの! 愛ほど此の世で強いものはないわ! ……まあ、触手を喰わせてくれたあの触手竜のヴィルカンにも少しは感謝しても良いかもね! ふふふふふっ】
「力が漲って来るぜ。まさかファンタジー世界で“ロックマン”になれるとは思わなかったが……いや、どっちかってぇと、“王ドロボウ”か?」

 狼の頭をかたどった意匠の右篭手の眼の部分に、妖しい光が灯る。
 サイトは右腕のその砲口(咆口)を、腐肉の人竜の方へと向ける。
 甲高い音を立てながら、光の粒子が収束する。

「“キールロワイヤル”っ!! ってなぁ!! はははははっ」
【昇華弾・弾種【エンチャント】、発射―!!】
『ぎょばっ!?』
「汚ねえ花火だぜ!」

 轟然と発射された禍々しい白炎の弾幕が、肉津波を蒸発させ、そのうちの一発が腐肉の人竜に直撃する。
 サイトはノリノリで“キールロワイヤル!”とか“バスターショット!”とか言ってるが、実際は強化外骨格(エクゾスカル)の昇華弾のバージョン違い(魔力上乗せ)である。まあ、ポテトチップスの紙筒缶でロックマンごっこは、みんなやるよね。
 昇華弾は直撃し、奇声と共に、腐肉の人竜の人体部分が吹き飛び、中身の骨格が剥き出しになる。

『か……カカカカかかカカか!! 不意打ちとはさすがトリステイン人、トリステイン人流石汚い。名乗りくらい待たぬか、コレだから下界人は……』
【あら、呪法を上乗せしたのに、また直ぐ回復したわね。虚無の『解除』でも上乗せするべきだったかしら】
「不意打ちも何もねえだろ、そっちから仕掛けてきたくせに……。思考が支離滅裂な奴だな」

 うじゅるうじゅると、残った骨格に再び腐肉がまとわりついて、腐肉の人竜の人体部分を再構成する。

『さて、では紳士らしく名乗らせて頂こう。私はアルビオン海軍少将、ホーキンスだ』 『その部下、テリーだ』
【アルビオンに海軍なんてあったかしら?】
『新設されたのさ。湖底から下界の各地へ逆上陸するための、専用の軍隊だ。君たちにさんざっぱら轢き潰されてしまったが、その程度でグラーキ様の加護を受けた護国戦士たちの魂を葬れると思うなよ。我々は、ティル・ナ・ノーグから、祖国の危難の為に蘇ったのだ』
「ふん。どうせ最初から死んでるんだろうから、それ以上殺すことは出来ないってことか。そして“グラーキ様”か。やっぱりアルビオンのセヴァン渓谷に居るんだろうな……」
『ふはは、改心する気になったか? 今ならこの栄誉在る信仰の末端に加えてやっても良いぞ! ――いや、駄目だな。大人しく、この一番槍のホーキンスの手柄となるがいい!』

 腐肉の人竜『ホーキンス』と、白骨の人竜『テリー』が、じりじりズリズリかしゃかしゃワシャワシャと、一方は蛞蝓のように這って、もう一方は骨の集まりをムカデのように動かして、巨体の割には機敏な動きでサイトたちに迫ってくる。
 アルビオンは邪法によって魚人化させた国民たちを、さらにグラーキの毒で傀儡にしたり、アイホートの雛の苗床にしたりして尖兵としているのだ。

「……つか、何であいつら割りと正気なんだ? グラーキとかアイホートの意識を直接投影されているようにも見えんし」
【相棒、多分あいつら、もっと強力な魔法か魔術で上書きされてるぜ】
「うわあ……。まさかそっちの大元から断たなきゃならねえとか?」
【いや、そんな事はねぇだろ。嬢ちゃんの魔法が完成するまで耐えりゃあ、何とか成るはずだ】

 さて、普通ならば、それらの邪法によって造られた尖兵たちは、それぞれの神の下僕となるのであるが、……どうやら目の前のホーキンスとテリーは、神のためだけでなく、きちんとアルビオンのために働いているようにも見える。
 彼らを縛っているのは、彼らが仕える神への信仰心だけではなく、また別のベットリとした悪意のようだ。
 サイトたちには知るべくもないが、おそらくは、【赤の女王】オルレアン夫人による神域の魅了が、グラーキやアイホートなどの邪神による支配を上書きしているのだ。

『……うん? 何やら耳障りな詠唱が聞こえると思えば――音源はそこか』
「……っ」

 サイトの背後ではルイズが魔力を滾らせている。
 高まる虚無の魔力に惹かれて、二頭の巨竜が、じろりとルイズの方を見る。
 詠唱はいよいよ佳境であり、彼女の足元に置かれた<夢のクリスタライザー>も激しく明滅している。
 有翼半魚の夢の女王となったルイズは、その豊満な肉体から、その身に納まりきらなかった魔力を放散している。

「――おい」

 ホーキンスがルイズを見ていることに気づいたサイトが低い声を出す。
 左手に握ったデルフリンガーを威嚇するように振る。
 己の主人へ向かう敵意の視線を切断する。

「おいおい、テメエら。どっち見てやがる? テメエらの相手は、俺だっ!」
【圧縮分裂昇華弾・弾種【エンチャント】、発射!!】

 サイトが、睨む。
 と同時に、右手の狼砲が火を噴く。

「ルイズは俺が守る」

 広域に広がる炎がミンチになった腐肉を蒸発させ、骨を炭化させる。
 凝縮された昇華弾がホーキンスに激突する。しかし、やはりすぐに再生する。
 白骨の人竜テリーが何本も毒の銛をミサイルのように上空に発射して曲射させ雨のように降らせるが、その悉くをサイトはデルフリンガーで弾く。

「テメエらは、哀れだ」

 腐肉が蒸発して発生した毒霧がサイトを圧し包もうとするが、それは右腕から吐き出された昇華弾によって押し返される。
 ルイズの虚無の因子を持つエキドナによって虚無の『爆発』の要素を付加(エンチャント)された昇華弾は、毒霧を無効化する。

「だが死ね。だから死ね。いや死すらもテメエらを救わない。救えない」

 サイトの背後で、ルイズの詠唱が高まる。
 ルイズの声が、サイトに力を与える。

「救いが欲しけりゃ、少しばかり待ってろ。俺のご主人様が、きっちり冥土に送ってくれるからよ」

 運が良ければ、強欲で傲慢な、彼のご主人様は、彼女の領地である夢の彼方で、滅ぼした者共を召し上げてくれるかも知れない。
 それは、人外に堕ちた者共に対しては、過分な救いであるようにサイトには思えた。
 残り数分も時間を稼げば、ルイズの虚無は――救世の業は、その一切合財を救い尽くすはずだ。

 だが、だからと言って、サイトが何もしない訳には行かない。

「テメエらは、哀れだ。そして、愚かだ。そのまま木偶みたいに待ってりゃ良かったのによ。のこのこ出てきやがって――」

 主人に仇なす者は、このガンダールヴが許しておく訳には行かないのだ。

「エキドナ、『解除』をデルフに」
【了解】
「デルフは、『解除』を刃に」
【おうよ、相棒】

 エキドナが虚無の『解除』を唱え、それをデルフリンガーに纏わせる。デルフリンガーは、自分にかけられた『解除』を圧縮して、密度を高め、刃とする。
 研ぎ澄まされた虚無のオーラが、巨大な刃のようにして、デルフを中心に5メイルは伸び、それによって周囲に展開されていた【レレイの霧】を消滅させる。
 部分的に霧が消え、切り抜きのように虚空に透明な虚無の刀が現れる。それは周囲の魔術の霧と相殺して沸騰しながらも、邪神の魔術的な加護によって縛られた敵手を、その呪いのみ貪らんとしている。圧縮された『解除』は、ルイズが唱える本式の虚無にも劣らない。これであれば、相手に触れれば、そこを中心にして呪いに囚われた魂を解放する非実体の刃として作用するだろう。

『げぁははははははは! 貴様一人で止められるものか! テリー、行くぞ』
『サー、イエスサー!』

 腐肉と白骨の人竜が、それぞれに襲いかかる。
 当然、サイトなど気にせずに、その後ろでやばいオーラを醸し出しているルイズの方へとだ。彼らの邪神の使徒としての本能が、ルイズから溢れ出す圧倒的な魔力に警鐘を鳴らしていた。
 だがそれを黙って見過ごすサイトではない。彼こそは当代ガンダールヴ。伝説に歌われる神の盾。

 右手からは呪法付加の昇華弾を放ち、左手では虚無の大剣を振るって、サイトは二匹のアンデッドの竜をルイズに近づけさせない。
 白熱の炎が腐肉を蒸発させ、無色の魔刃が白骨を撫で斬りにすれば加護を失った竜体が崩れ落ちる。サイトも多少は負傷するが、戦闘前にルイズから与えられた加護(装甲)が、生半なダメージは通さないし、通ったとしてもエキドナが使う先住の『解毒』と『治癒』がそれを癒す。
 しかし二匹の巨竜は、何度その身を崩壊させられても、湖底に広がる屍肉のカーペットから復活する。サイトによって滅ぼされた分、屍肉のカーペットが、若干ではあるが薄くなっているようだ。サイトの攻撃は無意味ではない。

 そして、人竜たちも、何もそのままやられるがままになっている訳ではない。
 彼らの身体は無数の屍体で構成されており、体中に出鱈目に開いた屍人の口は絶え間なく詠唱を垂れ流し、魔術や魔法を放ってくる。サイトは何パーセントか被弾しつつも、射程が伸びたデルフを神速で振るい、それらを一切後ろに通さなかった。
 竜らしいブレスも健在である。毒霧のブレスが何度もサイトを襲ったが、サイトはエキドナの狼砲でそれらを迎え撃ち、霧散させた。狼王砲は、屍肉を霧散させるどころか、貫通して腐肉を熔かし尽くして炎の道を残すくらいだった。

 獅子奮迅の働きを見せるサイトだが、二匹の人竜と戦っていたのは、一体どれほどの時間だっただろうか。いや、戦えていた(・・・・・)のはどれほどの時間だっただろうか。
 何度となく本体を滅ぼし、押し寄せる肉津波を焼き、骨の銛を叩き折り、数限りない魔法の嵐を消し去って、時にそれらを体を張って受け止め、傷付き、治し、あるいは自ら関節を破壊して超人的で殺人的な機動をして、撃って撃って、斬って斬って斬って斬って――。
 それは十数秒だったかも知れないし、数十秒あるいは、数分だったかも知れない。だが、5分を超えなかったことは確実であろう。


 均衡が崩れるのは一瞬であった。


 サイトが斬り漏らした一発のマジックアローが、彼の目の前の地面に着弾し、炸裂し、その破片が、斬撃と昇華弾の合間を縫い彼を襲ったのだ。
 たった一つの石礫はキッカケに過ぎなかった。
 今や人竜たちは、ルイズよりも先に完全に排除すべき敵としてサイトを認識していた。
 その隙を逃す訳は無い。

 足元から水死体のような白い腕が伸びて掴もうとするのを、デルフリンガーで斬り裂き、背後へと避け、昇華弾で焼き払う。
 しかし行く先には、人竜の表面の人面疽の口々から吐き出された魔法の矢が上空から曲射して降り注いでいた。
 滝のような魔法の弾雨に晒され、サイトは釘付けにされる。
 デルフリンガーで捌くが、間に合わない。
 幾つも傷を負い、エキドナの『治癒』も間に合わずドンドンと重傷化していく。

 そして遂に、白骨の人竜の本命である、【グラーキの毒棘銛】がサイトへと射出される。

 エキドナが変化した超鋼の鎧に覆われていない左半身を狙ったそれは、サイトの左の二の腕を貫き、背後の地面へと突き抜ける。
 手首ほどもある太さの銛が貫通したあとサイトの左腕は、骨が砕け肉が抉れ皮一枚と幾本かの筋を残して繋がった状態となる。

 そして侵食。

 【グラーキの毒棘銛】から、傀儡アンデッド化の毒素が伝播しようとする。

 サイトは即断。

 ほとんど破壊された左腕に握られたデルフリンガーを、破断した左腕と合わせて一つの武器と見なすことで、ガンダールヴのルーンを発動。
 ルーンが彼の意思を汲んだのか、左手の甲から左肩まで、ムカデのように皮膚の上を滑るように蠢いて一瞬で移動する。ガンダールヴのルーンは移植された。
 サイトは体幹の捻りだけを用いて力を伝え、デルフリンガーを内向きに回転させる。
 左手から回転力を伝えられ、弾かれるように離れたデルフが、内向きに風車のように回る。

 切断。

 毒に侵された左腕が、肩口から切り離されて宙を舞う。

 未だ空中で回転し続けるデルフを、サイトはガチリと口で銜える。

 その瞬間も追加の毒銛と魔法や魔術がサイトを圧殺せんと飛んでくる。

 宙に取り残されていた左腕が魔法の雨で叩き潰されて消滅する。

 サイトは残った右掌を翳し、『解除』の魔法を追加で載せた昇華弾を上空や前方に激射。
 弾幕で弾幕に対抗する。
 だが、元は七万の軍勢だった敵の、至る所に開いたその口から生み出される圧倒的な魔法攻撃に押し潰される。

 手数が足りない。
 サイトは、首を捻って引き絞り、歯で銜えたデルフリンガーを上空に投射。
 ヘリコプターの回転翼のように勢い良く回ったデルフは、一時的にサイトを守る傘となった。
 その隙に右半身を覆っていたエキドナが剥離。
 流血する左肩を覆い、失われた左腕の断面に癒合する。

「ぐっ!?」

 神経を侵される激痛がサイトを襲うが、耐える。

 ――融合完了。

 半身がサイトに由来する翼蛇エキドナは、超鋼の鱗と羽毛が斑になった表皮を持つ、恐竜か悪魔を思わせるような義腕へと変化した。

 両腕を取り戻したサイトは空中で回転するデルフを右手で掴み、肩越しに大きく構え、音すら追い越して、敵の腐肉人竜ホーキンスの元へと駆ける。
 攻勢。
 駆け出したその神速に、降り注ぐ魔弾の雨は追いつけない。

 ホーキンスを守ろうと動く白骨人竜テリー。
 竜の顎が、サイトを喰おうと迫る。
 だが、サイトはそれを踏み台にした。

『俺を踏み台にしたー!?』

 タタン、と軽快な音と共にサイトの身体が白骨竜の背を撫でるように駆ける。
 腐肉の人竜ホーキンスは目前である。
 肩に担いだデルフリンガーを、両手に持ち替える。

 踏み込み、さらに加速。
 腰だめにデルフリンガーを構え直す。
 そのまま弾丸のようにして、踏み切る。バチンと足の腱が切れる音がした。
 左肩に癒合したエキドナの背部から、虚無の『爆発』が連発され、空中でも加速する。

「――ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
『なぁっ!?』

 腰だめにしたデルフリンガーと、加速の中心となった左肩を中心に、サイトがホーキンスが生えている腐肉人竜に激突する。
 運動エネルギーを余さず伝えられ、ホーキンスが大きく仰け反り、サイトの着弾点を中心に腐肉が弾ける。

 むしろ貫通した。

「がっ!?」
【『治癒』、『治癒』、『治癒』ーー!! サイト、死なないで!】

 人間大の弾丸が激突したため、腐肉人竜の首の付け根あたりが根こそぎになる。
 湖底の底の底に居た腐肉人竜を貫いたサイトは、そのまま傾斜している湖底に着弾。
 骨格も何もかもグシャグシャになるが、拮抗してエキドナによる再生作用が働き、辛うじて人の形を保つ。治癒治癒治癒。

「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 しかしサイトはそこで止まらない。

 反転。
 肉体の再生も間に合わない速度で、即座に。
 人外の所業である。
 仰け反った腐肉人竜の頭部――そこから生えるホーキンスへと、光が反射するように斬り掛かる。




 斬。


 辛うじてまだ『解除』の魔法の残滓を纏っていたデルフは、背後から強襲する形で、ホーキンスを袈裟懸けに斬った。

『かぁ……っ!? は、はっははははは、よもや、この身になって、ブレイドで死ねるとは思わなんだ……』
「せめてもの慈悲だ。武人として死ね」

 死の間際に正気を取り戻したのだろうか。
 それだけ呟いて、袈裟斬りに切断されたホーキンスは、口を笑みの形に歪めながら、切断面からずり落ち、湖底へと落下する。
 統括していたホーキンスの意識が、デルフの刀身に圧縮された『解除』の直撃で消滅したことで、腐肉の人竜が溶け始める。

『キャプテーン!?』

 残った白骨人竜テリーが、慌てて全体の指揮統括を引き継ぐが、もう遅い。

「時間稼ぎご苦労。よくやったわ、サイト。流石は、私の従僕」

 『加速』と並列詠唱して短縮しても、その詠唱は20分余りにも及ぶ。
 ルイズの切り札である虚無の上級呪文の詠唱は、今、完了した。

「これでお終いよ、アルビオンからの刺客……」

 杖を構え、ルイズが宣言する。

「虚無遣い、“極零(ゼロ)”のルイズ、その名の下に、全ての邪悪は消えて去れ!!」


◆◇◆


 虚無の魔力が、干上がったラグドリアンの湖底を覆う。

 ルイズが使った魔法は、虚無の上級魔法。
 虚無の上の中の上。
 遙か古の呪文。6000年来使われることの無かった、対邪神の切り札。

「局地消毒用呪文――『聖別』!」

 それは、『解除』の如く、邪法の全てを分解し尽くす。
 それは、『加速』の逆呪の作用によって、ブラックホールの事象の地平線に張り付く物質のように、対象の魂を永劫に囚える。
 それは、『幻影』によって、救われぬはずの魂を、永久に引き延ばされた時間の中で、有情で幸せな夢へと誘う。
 それは、『世界扉』の逆呪の作用で、あらゆる空間の繋がりを、絶対の世界隔壁によって遮断し、邪神の侵入経路を否定する。
 それは、『爆発』の如く、邪悪に汚染されたあらゆる物を消して去る。


 それは、文字通り世界を『聖別』する呪文。


 穢れた世界は、清められ。
 救われぬ魂は、引き延ばされた夢の中で束の間の極楽を感じ、幸福のままに消えて去る。
 永劫に邪悪を排した結界が、出来上がる。


 世界を歪める力。

 それが、それこそが!

 ――虚無の本質。


 邪神と何も違わない、歪んだ力。
 人の身に余る力。
 世界を侵す力。
 法則を排する力。

「だけど。だけれど。これしか、ないのよ」

 彼女は自分の全てを捧げると誓ったのだ。
 あの始祖のように。
 全ての才能を、捧げるのだ。

 世界のために。
 人間のために。
 自分の意地を通すために。

 そして彼女には、これしかなかった。
 虚無の才能しか、無かった。

 呪われた才能しか無かった。

 才能に呪われていた彼女には、しかし、その才能しか寄る辺が無かったのだ。

「運が良ければ、私の夢の王国で、魂を拾ってあげるわ。せめてもの情けよ」

 全てを救うことはできないけれど、ひょっとしたら、魂の欠片くらいは、救えるかも知れない。

 そして、精神力を使い果たし、ルイズは倒れ込む。
 途中で姿がブレ、有翼半魚の幻夢郷の女王の姿から、もとの可愛らしい華奢な姿に戻る。

「ルイズ!!」

 サイトが壊れた身体を引きずって駆ける。
 それでも流石はガンダールヴ。
 主人の下に駆ける時に、その能力はより一層強さを増す。

 ルイズが泥濘に倒れて泥に塗れる前に、彼は彼女を掬い上げる。
 勿論、お姫様抱っこだ。

【サイト! 夢のクリスタライザーも!】
「分かってる!」

 ルイズの足元に転がっていた、琥珀色の卵円形の【夢のクリスタライザー】を、まるでサッカー選手のように器用に、そして割らないように優しく蹴り上げる。
 それは綺麗に放物線を描いて、サイトが抱えるルイズの胸元に落ちる。
 彼女はほとんど意識を失って朦朧としていつつも、大事な宝物を抱え込むように、夢のクリスタライザーを抱きしめる。

【おい、相棒、急げ! 津波が来るぞ!】
「急いでるっつの!」

 サイトの背後には、もはやあの吐き気のする屍肉の海は存在していない。
 ルイズの『聖別』の魔法によって一切合切消毒され焼却されて消滅した。
 そして、『聖別』の魔法が消し去ったのは、邪悪な呪法だけではなかった。

 水精霊が湖を割って作っていた百メイル以上はある水の壁。
 湖の底に溜まっていた腐水を汲み上げて保持していた、タバサの竜巻。
 それぞれを構成していた魔力も全て、ルイズの『聖別』は根こそぎにしてしまった。

 水精霊の本体は無事だが、彼女が保っていた水の壁は、重力に従って崩落してきている。
 タバサの竜巻が吸い上げていた腐水は浄化されたが、魔力が消されたために、やはり形を保てず、遠心力によって弾けて広がりながら崩れ落ちる。
 怒濤。

「ひぃいいいいい!? 死ぬ! 死ぬ! 死んでしまう!」

 サイトはぐるぐると足を動かすが、それよりも水が迫るほうが速い。

「エキドナ! 魔法のアシストは出来ねえか!?」
【さっきの治癒で打ち止めよ! 周りの精霊力もルイズの『聖別』の魔法で根こそぎのすっからかん! 先住のワザも使えないわ!】

 左手の義手の肩の部分から、細い胴の蛇が伸びて、少女の声で返事を返す。
 サイトの左手に融合したエキドナだ。
 左の肩口で、ガンダールヴのルーンが輝いて、サイトに力を与えるが、それでも開戦当初の力は望むべくもない。

「デルフ! 吸収した魔力を還流して、肉体強化は――」
【もうやってる! 後は相棒次第だ!】
「そうか、ありがとよ!」
【頑張れ、相棒! ここで波に呑まれて死ぬなんて、しまらねえぞ!】

 ボスを倒した後に『帰るまでが戦闘です』と言わんばかりに、難解悪辣な地形を逆走させられる某STGみたいなものか。
 切羽詰まったサイトの脳裏に、走馬灯の様に、昔プレイしたゲームの一画面が流れる。よほど混乱しているのだろう。
 そういえば奇しくも、あの鬼畜ゲーの開発会社の名前は、沙漠の円柱都市アイレムと同名だった。開発者は何か計り知れない宇宙の悪意を受信していたのではなかろうか……?

【相棒! ボーっとするな!!】
「はっ!?」

 愛剣の叱咤で彼は己を取り戻す。

 デルフリンガーは、生身の右手に握ったままだ。
 吸収した魔力を使い手に還流する機能も、今は、いや既に人竜たちとの戦闘中からフルドライブであった。
 泥濘を駆け、砂利を蹴飛ばし、岩を飛び越し、サイトはラグドリアンの湖底を駆ける。

 両腕で抱えたルイズは、大呪文の疲労で、寝息を立てている。
 それは信頼の証。
 魂を交わした強き従僕――いや、信頼できる男の腕の中で、安心できぬ乙女がいるだろうか?

 そして、その愛おしい女の顔を見て、奮起しない男がいるだろうか?

「ぬぅおおおおおお!!」

 どどどどどどど、と目の前の泥地が、崩れ落ちる瀑布によって閉ざされていく。
 だがそれがどうした。
 愛するルイズのためならば、たとえ火の中水の中――否、水の上すらも走って見せよう!

「バックステッポーー!! 背をボードに見立て、思いっきり水を蹴り飛ばすことで、この水の斜面を乗り切ってやるァ!!」

 背面跳びのように踏み切り、そのまま滝となって崩れ落ちる水壁へ、背中から沿って滑るように入射。
 サイトは、水壁を叩くように蹴って浮力を得て、時々は片足ずつ伸び上がるように水を蹴って推力を得ている。不器用なバタフライ(背面逆転ドルフィンキックのみ)みたいな感じ。いや、それは死ぬだろっていうのは、人外の脚力でカバー。爬虫類だって水の上を走れるのだ、伝説の使い魔が滝を上れないわけがない。ほら、ここに史上初めての、ガンダールヴの滝登りが実現しました! 腕を使わずに変速背泳ぎで水面を駆ける様子は、ラッコを思わせる。随分アグレッシブなラッコである。
 ……まあ、タバサに回収されるまでは、水に沈まないで済むだろう、おそらく。


◆◇◆


 曇り時々突風(ダウンバースト)のち晴れで、常態は冷たい霧。
 白の国の霧の都はロンディニウム。
 その中心はハヴィランド宮殿だ。

「……。さて、忍び込んだのは良いが、お目当てのお姫様たちは何処に居るのかねー」

 こそこそと宮殿を這い回るネズミが一匹。
 ロマリアの密偵にして、対“人外”では、ほぼ無敵を誇るヴィンダールヴ――ジュリオ・チェザーレである。
 同種以外の生物に対して、意志力を以って捩じ伏せて隷属・無力化する彼のルーンの能力は、非常に強力だ。

 中でも、人ならざる者たちが闊歩する、この魔瘴の宮殿では、特に。

「いやあ、それにしても、人間とは全く遭遇しないってどうなのよ」

 ジュリオは、この宮殿――いや、魔術的には神殿といったほうが適当だろう。
 しかも複数邪神の高度な複合式の。
 人間業とは思えない精度での芸術的なバランスで、ハヴィランド宮殿は、邪神の祭壇となっていた。

 いや、コレは本当に、人間の業ではないのかも知れない。
 もっと本質的な、祭司レベルではなく化身レベルの、強力な作用が働いているに違いなかった。
 それは彼らが忌避する混沌の化身かも知れないし、全く別の邪悪の具現化も知れなかった。

「ああ、ホント、さっさと教皇様のもとに帰りたい」

 結局使い魔が一番安心できるのは、その主の元でなのだ。
 そういう意味では、ジュリオは相当に苦労している部類だろう。
 動けない主人の代わりに、大陸中を飛び回らなければならないのだから。

 そう言う彼の足元には、何だか知れぬ、“人らしきモノ”が転がっている。
 ヴィンダールヴの力で無力化した、王宮の侍女である。侍女というには、ジュリオの美意識が許しはしなかったが。
 まあ、中身は全て、“アイホートの雛”に置き換わっていたのだ。それを蟲とは呼べても、到底、人とは言えまい。

「とりあえず、謁見の間にでも行ってみるか。国王チャールズ・スチュアートに着いて行けば、自然と二人の姫の居場所も知れるだろう」

 人外の迷宮で、誰に邪魔されることもなく、ヴィンダールヴは走る。
 そうだ、ここは風の国。
 風の妖精(ヴィンダールヴ)を邪魔できる道理など存在しないのだ。


◆◇◆


 王宮。
 謁見の間。
 居並ぶ諸侯。

 中心に立つのは、勿論、王以外には、ありえない。
 もちろん、そこに居るのは、王だけではない。

「陛下。さあ、号令を!」
「うむ」

 白の国の実権を握る、ガリアからの亡命摂政シャルル・ドルレアンも、当然、そこに居る。



 そして、その後ろには、彼の夫人も。
 赤い、紅い、朱い、アカイ――【赤の女王】が。
 混沌の、最悪の、廃滅した、その彼女が居るのだ。

「……見なかったことにしよう」

 ジュリオは直ぐさま謁見の間を後にした。

 確かに、謁見の間で行われる『宣言』のあとにまで着いて行けば、目当ての姫君たちには会えるだろう。むしろティファニア王女も、シャルロット=カミーユ王太子も、あの場に居たかも知れない。
 だが。
 だがその前に、あの畏るべき混沌の化身、カオティック“N”に見つかってしまう可能性は?

「冗談じゃない……。ほんと、“アレ”と遭遇するのだけは、回避しないと――」

 主人が傍に居て、主人から勇気の加護を貰えるならまだしも、孤立無援では、勝ち目が無い。

「まあ、あの【赤の女王】の始末は、シャンリットがつけてくれるだろうし、俺は、虱潰しに探して回るかね。いや、シャンリットの始末を、あのカオティック“N”がつけてくれるのか?」

 そう呟いて、ジュリオは墓所の冷気に包まれた王宮の奥へと歩を進める。

「それこそ、どっちでも良いけどね。どっちが滅びるにせよ、それは、良いことだ。世界にとって。それは、それだけは、間違いない」

 月眼の刺客が、墓所のような気配の王宮を走る。獲物の棲家を突き止め、連れ去るために。


◆◇◆


 ジュリオが覗いただけで逃げ出した謁見の間。
 玉座の前で、国王チャールズ・スチュアートは、煌びやかな杖を掲げていた。
 見るものが見れば、その杖に向かって王城中から――いや、アルビオン中から魔力の糸(ライン)が繋がっているのが見えたはずだ。

「ふむ。これが」
「ええ、それこそが、アルビオンの王権の新しい象徴――<天空の理(ルール・フォァ・アルビオン)>」

 別に、ルール・オブ・アルビオンでも、ルール・バイ・アルビオンでも、どちらでも良かったのですがね。
 王に王杖を渡した男は、声にせず口の中だけで呟く。
 彼は、ガリアから流れてきた没落貴族――摂政シャルル・ドルレアン。

 ちなみに、純正の人間は、この謁見の間では、国王チャールズと摂政シャルルだけだ。
 居並ぶ貴族たちは、皆、少なからず何かしらの改良を施されているし、シャルルの後ろに控えるオルレアン夫人などは天上の存在である。
 最近は、日頃の“信仰”の賜物か、護国卿オリヴァー・クロムウェルも、徐々に真正の人外じみた雰囲気を纏いつつある。彼に付けられた摂政からの監視人が目撃している――クロムウェルの姿がちらつくようにブレて、白熱した首無の名状しがたき存在と重なるのを。

 後宮に引っ込んでいる、黒沃のシャジャル皇后、王女ティファニア殿下、王太子シャルロット=カミーユ殿下。
 その三者の何れも、只人ではない。
 エルフ、ハーフエルフ、アンドロギュヌス。
 皆、何処かニンゲンとは違ってしまっている。

「では、陛下。いざ、号令を!」
「……うむ」

 摂政シャルルの声に従い、国王チャールズが、王杖に魔力を込める。

 途端に、シャルルの眼前に、幾つもの“窓”が開く。
 それはアルビオンの隅々を映している。
 王都を、街道を、農村を、河川を、湖沼を、丘陵を、山岳を。
 アルビオン全土を見渡す窓(ウィンドウ)が展開される。



 そして同様に、アルビオンの全ての場所に、チャールズの姿が映し出されていた。

「おお――陛下……」
「陛下!」
「王さま!」
「国王様!」

 未だ人間性を残している国民皆が空を見上げる。
 空こそは父なる存在。
 国教の守護者たる天空教の教皇にして、全天の支配者であるアルビオン国王の姿が空に映し出されているのは、非常に心強い思いを国民にもたらした。

 宙に浮かぶ国王の幻影映像が、口を開く。

『祈れ』 

 皆が跪き、天へと、父なる空へと祈りを捧げる。

『祈りこそが、臣民諸君に出来る最善だ』

 天空の最高司祭として、チャールズが命じる。

『これより我がアルビオンは、ハルケギニア統一のための戦争に突入する!』

 略奪空賊国家であるアルビオンは、他国を侵略しなくては、国家が成り立たない。
 いくら神話生物を使役して、食料生産などを龍脈賦活して促成して、無理な徴兵(屍体含む)で国民を目減りさせても、邪悪な洗脳で国民不満をキャンセルしても、富と豊かさの追求のためには、空から攻め降りる他ないのだ。
 ゆえに、アルビオンは闘争を欲する。無限の闘争を。

『第一目標は、クルデンホルフ大公国首都、シャンリット!』

 オペレーション「大陸落とし(フォーリング・アルビオン)」。
 乾坤一擲、一撃必殺の、大作戦である。

『アルビオンに栄光を! アルビオン万歳!!』
「アルビオン万歳!!」 「アルビオン万歳!!」 「アルビオン万歳!!」

 一斉に、国を揺るがすような万歳の声が上がり、チャールズの幻影映像はそれに応えるように手を振って、やがて消えた。





「ふう。これで良かったかな、シャルル」
「充分です、陛下」
「では、役目も済んだことだし、私は後宮に引っ込むとするよ」
「はい、お疲れ様でした」

 チャールズは、王杖を持って、足早に謁見の間を後にする。
 妻であるシャジャル、娘ティファニア、娘婿シャルロット=カミーユが待つ、後宮へ。
 後宮は女人禁制だからシャルロット=カミーユは入れないのではないかって? アンドロギュヌス(両性具有)だから問題ない。

 そして彼を付け回し美姫を攫わんと、ロマリアからの月眼の刺客が、途中からこっそりと猟犬のように追跡する。

 既に断続的な微震が、王城を――いや、アルビオン全土を揺るがしている。
 大陸中枢にあるアザトース機関が唸りを上げ、大陸を運び始めているのだ。
 龍脈(レイライン)を通じて溢れ出す原初の混沌の神気が、この謁見の間にも立ち昇り、居並ぶ人外共を活性化させる。

「ラグドリアン湖底に送り込んだホーキンス将軍がやられたようだな……」
「何、あ奴は所詮、捨石よ……」
「だが、ガリアやクルデンホルフへ各地の湖経由で派遣した連中も、消息を絶っているぞ」
「ガリアの方は、どうせ元素の兄弟とかいう傭兵連中にでも殺られたんだろう。摂政閣下の姪御は有能だからな」
「北花壇騎士団長殿か、有能らしいな。クルデンホルフは……、まあ、仕方あるまい」
「トリステイン魔法学院への浸透攻撃は、今、進行中か。メンヌヴィルが上手くオスマンを抑えてくれれば良いのだが」
「こちらが動き出すまで手出しさせねば良いのだ。そして既に、この大陸は加速を始めた――忌まわしの蜘蛛の巣を突き破るためにな」
「そう、我々は蜘蛛の巣に囚われる蝶ではなく、蜘蛛の巣すら突き破る竜であるのだ」

 そして、そそくさと邪悪に溢れた部屋から退出するチャールズを侮蔑するように、シャルルは鼻を鳴らす。

「ふん」
「まあまあ、摂政閣下。奴はヤツで、傀儡らしく自分の分際を弁えているということでしょう」
「アレはあれで、自分の正気を守れる程度には、優秀だということか。いっその事、狂ってくれれば私も楽なのだがな」
「シャジャル王妃のメンタルケアが万全ですからね。そう簡単には行かないでしょう」

 頭からシャッガイの昆虫の玉虫色の鞘羽を、まるでウサギの耳のように生やした男がシャルルに答える。
 そのボディはサウスゴータ太守の娘婿であり、だが、頭の中身は星辰の果てより飛来したシャッガイの宇宙昆虫であり、大陸要塞アルビオン動かすエネルギー炉であるアザトース機関の開発主任なのだ。
 確か名前は――なんだっけ。まあ、コナン・オブ・サウスゴータだったはず、恐らく……。いつもは“主任さん”とか“開発主任”とか呼ばれている。

「これを」
「ああ」

 その虹色鞘羽がウサ耳風のコナンは、シャルルのもとに膝を付き、一本の錫杖を献上する。
 それはシャルルがチャールズに献上した<天空の理(ルール・フォァ・アルビオン)>とそっくり同じような杖であった。
 スペアキーだ。いや、チャールズが持っていった方が、スペアなのだろう。権力欲の権化のような摂政が、大陸の象徴である王杖<ルール・フォァ・アルビオン>のオリジナルを、傀儡の王に渡すわけがないのだ。

 受け取るシャルルの顔が、喜悦に歪む。

「ふ、ふふ、ふふふ。ふふふふふふふふ、はっはははははっははは! そうだ、これこそがっ!! 力(パワー)! 力(パワー)! 力(パワー)! 我が覇道の第一歩、いや、一里塚である!!」
「よくお似合いです、摂政閣下」
「ええ、貴方。流石ですわ」

 ほんとうによくおにあいですわ。
 赤い女の口が三日月を形作る。
 その笑みに、部屋中の男は釘付けになる。魔性の笑み。

 その熱に浮かされたような空気の中、シャルル・ドルレアンは歓喜に打ち震えていた。
 彼の手中にあるのは、アルビオン大陸のマスターキーとも言えるもの。王杖<ルール・フォァ・アルビオン>の原本。
 祖国ガリアで“出がらし”と蔑まれてきた彼が、異国で手にした権力の象徴である。

 シャルルは、兄であるジョゼフに対して、魔法以外は勝てなかった。
 そしてそれも、ジョゼフが十六の時のある日を境に勝てなくなった。
 魔法に関しては全くの無能であったはずの兄が、いかなる奇跡か魔法か――ガリア宮廷に潜む怪老サン=ジェルマン伯爵の秘術によるとも、シャンリットの外法だとも噂される――真相は分からないが、一夜にしてスクウェアの使い手に化けたのだ。
 そして兄は、つまらなそうに呟いた。

 ――これが魔法か。何だ、使えてみると、案外大したことないな。


 クソ、クソクソクソッ、クソッ!!
 何だそれは、何なんだよそれは!?
 俺の十余年に渡る努力を何だと思っていやがる!?

 シャルルは荒れた。
 劣等感に苛まれて荒れた。
 正道で勝てぬなら、邪道で勝てば良いと、汚いことにも手を出した。

 だがそれも、ジョゼフの手下であった北花壇騎士団の手の上でしかなかったし、やがては聡明な父王の知るところとなった。
 ゆえに立太子したのは、シャルルではなくジョゼフであり、それが覆ることはなかった。
 そして、父王が死んでジョゼフが王位を継承した後、いよいよシャルルの腐敗を見逃せなくなったのだろう。ジョゼフはシャルルの訴追に踏み切った。

 逃げた。逃げた。逃げた。
 家族を連れて、部下を連れて、命からがら邪教都市シャンリットへと。この身が持つ血統の価値は高く、しかし政争の具になるガリア王弟の身柄を引き受けてくれたのは、蒐集狂のシャンリットのみであった。
 シャンリットの手引きで、ガリアを脱出した頃からだろうか、彼の妻の様子がおかしくなったのは。

 いや、あの時は彼もおかしかったのだ。兄に国を追われたことで、参っていた。
 そして落ち延びた先で、あの千年教師長に“小僧”と侮辱され……。
 辛うじて、兄と同じ“無能”な娘に八つ当たりすることはなかったものの、あの時の家族の雰囲気は過去最悪だっただろう。

 妻が赤い服を着るようになったのは、その頃からだ。


 ――家庭内の雰囲気が少しでも明るくなるように、そう思って。ほら、赤の方が、元気が出るでしょう?


 確かに、蒼い髪と赤い服のコントラストは、新鮮でとても美しかった。
 そして、彼女は今まで以上に魅力的で、聡明になった。
 彼の野心の実現のために、何度も何度もその智慧を貸してくれた。

 アルビオン行きを奨めてくれたのも妻だ。
 そのための渡りを付けたのも彼女だ。
 あの悪徳のクロムウェルを見出したも彼女だ。

 その時から、アルビオンの失墜は始まったのだ。
 彼女が赤を纏うようになってから。

 そしていよいよ、それはクライマックスを迎える。
 大陸は墜落し、シャルルの野望成就の礎と成るのだ。

「さあ始めよう! アルビオンの失墜<Falling Albion>を!!」

 王杖を手に、シャルルが叫ぶ。
 ルール・フォァ・アルビオンが輝き、指令を下す。
 アルビオン大陸が、静かに軌道を外れて加速し始めた。


◆◇◆


 未だに波が荒いラグドリアンの湖畔。
 ゼイゼイと荒い息を吐いて、ルイズを抱いて波打ち際からほど近い樹の根元で、サイトは幹に身体を預けていた。
 ガンダールヴは、ラッコのようにして、なんとか津波を乗り切っていた。

「はー、死ぬかと思った」

 水の精霊は、湖底の毒が無くなったことに礼を言い、直ぐに湖へと帰っていった。
 もうしばらくすれば、タバサがサイトたちを回収しにやって来てくれるだろう。
 ラッコ風に背泳ぎしていた時も、遠くからレビテーションでサポートしてくれてたし。

 期せずして隻腕になってしまったが、後悔はない。
 あそこで決断しなければ、サイトはグラーキのアンデッドの従者になってしまっていただろう。
 ……ルイズなら、そこからでも蘇生させられそうな気がするが、試す気は起きなかった。


「……っ」
「あ、起きちまったか、ルイズ。多分もうすぐタバサが来るから、もう寝てろよ」

 未だに半分は夢の国を映しているルイズの眼が、はるか遠く茫洋とした空の果てを映す。

「――来るわ」
「あ? 何が……――っ!?」

 サイトも気付いたのだろう。
 弾かれるようにして、顔を上げ、空に向ける。
 今はまだ影すら見えない。だが、確実に、ソレは迫ってきている。

「狂気が。悪徳が。混沌が。死臭が。恐怖が。――決して許せないものが、やって来る」
「最悪だ……」
「……まあ、狙いは蜘蛛の巣でしょうから、そこまで気にしなくてもいいでしょ」

 一先ずは、学院に置いてきたアニエスを拾って、ラグドリアンの顛末を女王陛下に報告するのが先だろう。
 その陛下が狂気に囚われていないか見極めるのもあわせて。
 いや、それよりも、夢の国で、ほぼスッカラカンになった精神力を回復させるのが先だ。

 ルイズはサイトに背中を預けて、『夢のクリスタライザー』を掻き抱く。

(横合いから思い切り殴りつけてあげる。蜘蛛も、アルビオンも、今はせいぜい潰しあうがいいわ……)

 ちなみにその夜、学院方面から盛大な火柱が上がり、地上に太陽が現れたかのごとくなり――メンヌヴィル渾身のクトゥグア招来である――、ルイズたち一行の心胆を寒からしめた。


◆◇◆


 一方、クルデンホルフ大公国首都、学術都市シャンリットにて、感嘆の声を上げる男がいた。

「なんだ!」

 ウードの手元の空間投影型ウィンドウには、レーダーで捉えられた、軌道を外れたアルビオン大陸が映っている。

「あの“小僧”! やれば出来る子じゃないか!」

 楽しげに口の端を歪める。良い暇つぶしが出来て、彼は上機嫌だ。力を振るう口実が出来て、彼は上機嫌だ。

「そうだ、世界の終わりには、空が落ちてくるものと相場が決まっている! なかなか気が利くじゃあないか、見直したぞ! シャルル・ドルレアン!」

 だが、千年も生きてきて、杞憂の一つも抱かないほどには、ウードは楽天家ではなかった。空の一つや二つ落ちてきても平気なように、準備はしてある。

「ま、終わらせはしないがな。まだまだ探求すべき未知が、未練があるのだから。ではアルビオンには随分と貸付があることだし――」

 そして、“こんなこともあろうかと!!”と言うために、無駄な機能を搭載するのは、狂科学者の華である。学術都市シャンリットには、千年かけて積み上げられた浪漫が搭載されている。

「――さあ、取り立てを、始めよう」


=================================

詰め込んでみた。場合によってはアルビオンの失墜(前編)に改題するかも知れません。だってまだ大陸が落ちてないし。
ワルドとジュリオのコンビは何か動かしやすい。アルビオンで正気を保ってるのが彼らだけってのはありますが。
サイトの格好は、最終的にシェルブリットの左右反転というか、左腕だけGガンのドラゴンガンダム(龍じゃなくて狼だけど)というかまあ、そんな感じ。とあるの竜王の顎? そのイメージも混ざってます。エキドナはその義腕からちょろっと生える蛇に変化。EAT-MANのテロメアという喩えで分かる人はいるだろうか。冒頭のケルト神話繋がりで、銀腕のヌァザを意識してみた結果、サイトの左腕は超鋼の義腕に生え変わりました。ちなみにルイズは自身の片目を抉っているので、これはこれで北欧神話のオーディンのオマージュだったりする。
オリジナル虚無魔法(笑)。まあ、邪神封殺用の切り札ということで堪忍を。6000年前には、きっとこういう反則的な魔法もあったはず。しかし詠唱時間は20分(しかも『加速』と並列詠唱で短縮して20分。短縮無しなら……三日三晩くらい)。拠点作成用。本当は世界扉の逆呪文(世界隔壁?)で湖底の回廊を閉鎖して、神気の提供経路を遮断してから、ちくちく掃討戦に移る展開だったのですが、見せ場的な意味で派手にやってみた。
次回は……アルビオンがいよいよシャンリットに墜ちるかな? 深淵の女王陛下とゼロのルイズのOHANASHIが先か。それとも黒い炎神の化身がカオティック“N”を検知しちゃうのが先か。それか6000年前の話で、『生命』とリーヴスラシルについてか。書きたいシーンは割とあるのですのよねー。

2011.12.03 初投稿
2011.12.07 誤字修正


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