ウードがラインメイジ昇格してから2年。 ウードが数年前から〈黒糸〉を介して秘密裏に行ってきた領地の土壌改良や街道整備、害獣の駆逐の結果、シャンリット領の税収は増加傾向にある。 何とかウードとメイリーンを魔法学院に通わせることが出来そうだと、納められた税の帳簿を見ながら、フィリップと爺やは胸をなで下ろしている。 ウードの妹メイリーンは4歳を過ぎ、フィリップが撮った彼女の写真のアルバムもそろそろ40冊近い数になっている。 実はウードのアルバムも既に10冊くらいあるそうだ。 フィリップの使い魔である大蜘蛛、ノワールの腹を枕にして兄妹で眠っている様を収めた写真などは会心の出来だ、とは母エリーゼの評価である。 その内、写真のコンテストでもやろう、とかフィリップが言い始めるかも知れない。 ウードはラインメイジに昇格した日を境にますます精力的に動くようになった。 例えば、シャンリット家の発明として世に出ている〈カメラ〉について、『ライト』を強化したフラッシュを搭載したり、独自の非銀塩系感光剤を開発したり、精神力を供給することで印画紙の作成から写真の固定化までを自動で行う無補給式のポラロイドカメラを開発したりした。 これらのカメラは、ウードの魔道具作りの師匠が所属する工房から製品化されて世に出され、売上の一部をシャンリット家がパテント料として頂く形を取っている。 特に水晶の『錬金』を得意とするフィリップが手がけたレンズを搭載したものは、極々少数しか出まわらないため最高級品となっている。元々、フィリップが趣味で始めたレンズづくりの上、社交会でフィリップに親しい者でないと譲り受けることはないのだから当然、価値など付けられないものとなる。 その他にも公表はしていないが、ウードは自分の為に、書庫や標本庫内の温度・湿度を一定に保つ魔道具を作ったりもした。 風魔法による空気撹拌、『ディテクトマジック』による温度・湿度の感知、それを元にして火魔法による加熱、水魔法による加湿・吸湿と冷却を行う優れものである。 この動力源としては風石から抽出する魔力を用いている。 動力源の風石であるが、地下深くの風石溜りまで〈黒糸〉を伸ばして、採掘せずに魔力のみを抽出する方法を確立している。 これはウードのここ2年間の一番の成果と言っていいだろう。 何度か魔力抽出実験に失敗して、地下深くで風石の魔力が開放されて地層が浮力によって断裂し、中規模な地震が起こったが、現在では安定した出力を得ることが可能になっている。 風石の鉱脈から魔力を抽出する魔道具を地下に『錬金』で生成し、風石鉱脈に植物の根のように張り巡らされた〈黒糸〉から魔力を抽出して地上に送るという仕組みだ。 風石の魔力の伝達をどうするか懸念だったが、精神力を伝わらせるのと同様に、杖として契約した〈黒糸〉を伝導路として用いることが出来たのは行幸だった。 〈黒糸〉から周りの岩石に魔力が拡散しないように、周囲を魔力を通しづらい物質で覆って、地中から部屋の空調魔道具まで配線している。 エネルギー伝達の際の効率や、風属性から他の属性を発動させる際の効率など、改善の余地は大いにある。しかし、風石は腐るほどあるのだ。現段階では多少のロスは問題ない。効率化は将来の課題だ。 そして、大規模な風石鉱脈を使えるようになったことで、ウードの研究は更に一層の飛躍を見せることになる。 現状を例えれば、大規模な油田を掘り当て、それを利用する火力発電所や精製施設を造ったような状況だと言えば、そのとんでもなさが想像付くだろうか。 一個人の枠を越えたエネルギーが利用可能になったのだ。しかも、“魔力”という強力かつ非常に汎用的な形で。◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 6.召喚執行中 家畜化進行中◆「ふむ、ゴブリンの品種改良も随分と進んできたが……、まだ系統魔法の発現に至ったモノは出ないな」 庭の一角の研究室“グロッタ”の地下室にて、ウードは唸る。 『ライト』によって照らされる室内は、壁が薄緑色をしている。血の赤に対する補色だ。 部屋の端に設けられた机には、ゴブリンの血統図が広げられている。 風石鉱脈の活用によってゴブリンの選別及び品種改良も大きく進んでいる。 風石の魔力を動力源に魔道具を動かし、それによって『活性』の魔法をゴブリンの集落全体に常時かけ続けることで、成長を早め、誕生~次世代の出産までを大体60日くらいに短縮した結果、品種改良の速度が上がったのだ。 もともと最初から早熟なゴブリンばかり選んで品種を形成してきたと言うのもあるが。 『活性』の魔法によって、ゴブリンたちの成熟速度は通常の15倍くらいに加速されている。 この成長速度に対して食料生産と栄養摂取が間に合わないため、人工飼料として、糖やアミノ酸、脂質を、やはり風石の魔力から『錬金』で作って賄っている状態だ。 改造ゴブリンの腸内細菌の構成なども、この人工飼料に適応したものに変化しているだろう。胃や腸も退化しているに違いない。 生まれてくる胎児はかなり未熟な状態で生まれてくる。親ゴブリンの身体が大きくないため、胎児もそこまで大きくなれないのだ。 生まれたら直ぐに全身に点滴を刺して、栄養を注入させる。また、胃にチューブを突っ込んで流動食も食べさせる。 『活性』の魔道具を導入した当初は、栄養摂取が成長速度についていかなくて餓死する個体が続出したものだった。「うーむ。次に掛け合わせる血統はどれが良いだろうか……」 血統図と最近生まれた世代のゴブリンらのデータを見ながら、ウードは悩む。 どの個体を残し、どれを切り捨てるのか……。育種の素人であるウードは、手探りでここまで進めてきた。 ちなみに現在資料を見ている部屋は解剖後の標本を収める部屋である。ここ2年はゴブリンの品種改良による奴隷種族作成を主眼に行っているので、周囲もゴブリンの標本で溢れかえっている。 ゴブリンがある程度育ってくると、その中から望む形質を持ったもの同士――例えば脳が大きく、発語可能な喉の構造を持っているゴブリンを選んで、それぞれを掛け合わせて長所を兼ね備えた品種を作成する。 繁殖は自然受精の場合もあるし、〈黒糸〉を使って卵子と精子を取り出して人工授精させる場合もある。 その他、成長が早いように特化させたグループや、病気に強くなるように特化したグループなど、原種となる集団を幾つも作成する。 時には血統が濁らないように野生種の血統を戻し交配したりもする。 ここ半年は2世代ほど前に作った発語・知能特化の原種をベースに品種改良を行っている。 そのため、どの群れでも全体の知性も上がり、素の状態で言語を理解し、抽象的な概念も理解出来るようになった。 群れの統率は、ゴブリンに扮したゴーレムに行わせている。もちろん、そのゴーレムの操作はウードが行っている。 足掛け4年半の品種改良の結果、拙いながらも、ゴブリンたちは言葉を話せるようになっている。 言葉を話せるようになることは、『魔法を使うゴブリン』を作るにあたって、非常に大事なファクターである。 品種改良で知性を高める一方で、もともと存在していていた遺伝的多様性の大部分が失われてしまったかも知れない。 その中には、非常に有用な形質もあったかも知れない……。選ぶこととは、選ばれなかったものを捨てることなのだ。 しかし、ゴブリンの野生種はハルケギニア中に存在するのだから、有用な形質を取り込むのは、知性が高く成長と繁殖が早い品種を確立させてからでも遅くないだろう。 一応、これまでに作成してきたゴブリンの品種は没になったものも含めて、卵子と精子を冷凍して保存している。 品種が確立される頃には、ウードのメイジとしてのランクも上がって、受精卵を遺伝子レベルで任意に改良可能な水魔法を扱えるようになっているだろう。 ……水魔法で遺伝子改良が可能なのかどうかというのは、前例がないので不明だ。場合によっては新しく遺伝子改造用の魔法が必要になるだろう。 成長したゴブリンは、一旦、『活性』の魔道具の効果範囲から離して、労働力として扱ったり、実験動物として使ったりしている。 例えば統率用のゴブリンゴーレムの指導のもと、人語を解するゴブリンたちには杖との契約を試させてみたりなど。 しかし残念ながら、素の状態では杖の契約が出来るゴブリンはいなかった。 犬頭の魔物であるコボルトの中に稀にコボルトシャーマンというのがいるように、知性が高くなれば精霊魔法が使えるのかも知れないが、残念なことにそちらの兆候もなさそうである。「やはり脳改造しか無いか」 それならば、とウードはかねてから構想していた脳改造によるゴブリンのメイジ化を試みることにした。 幸いにして、これまでの私自身や父母、家臣団に対してこっそり行った魔法使用時の脳の働きの調査から大まかなヴィジョンは見えている。「改造に際しては結構な数の失敗作が生じるだろうが、まあ、仕方ない。犠牲はつきものだということにしておこう」 ウードは予め作っておいた、ヒトの脳とゴブリンの脳の機能領域の対応表を取り出すと、ゴブリンのどの部分をどのように改造するのかプランを練り始めた。◆ 数ヵ月後、100体に迫ろうかという失敗を経て、漸くゴブリンのメイジ化は成功した。 〈黒糸〉によって脳の一部に無理やり人間のメイジと同様の回路を作り、それを水魔法によって馴染ませ、徐々に〈黒糸〉からゴブリン自身の脳細胞に置き換える。 この方法によって、後天的に系統魔法の才能を発現させることができたのだ。 ゴブリンの脳の中で傷つけてはいけない部位の見極めや、水魔法による脳回路の回復などで失敗を繰り返した。「知性と言語機能を損なわずに、魔法を身につけさせるのは本当に骨が折れたな。 だが、まあ、これで第一段階クリアーだ」 〈黒糸〉と水魔法で脳の一部をメイジの脳と同じように改造したゴブリン達で、杖の契約を試させたところ、契約はうまく行った。 そのゴブリンらの魔法の実力は、ドットにも満たないくらいであるが、これからウードが行おうとする実験にはこれで充分である。 その実験は、ウードの中でも非常に関心度が高い実験である。「『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』の仕組みの解明のための実験……。 四大系統以外の方法。その先鞭をつける実験の準備が漸く整った」 このコモンマジックの中でも特異な魔法仕組みを解明し、それらの魔法を他の魔法に応用出来れば、もっと多くのことが出来るようになるだろう。 もっと多くの事を知ることが出来るようになるだろう。 さて、これら二つの魔法はセットで扱われているが、実際はかなり異なった魔法である。 しかも、それぞれが非常に複雑な魔法であり、どのようなメイジでも行使可能だという事実が奇跡だと思える。 この魔法を形式化したブリミルは、確かに“始祖”と崇められるに相応しい天才だったのだろう。 まず『サモン・サーヴァント』は、大まかに“探査”と“ゲート作成”の2つのプロセスから成り立っている。 詳しく言うと、最初に、呪文を唱える術者の適性の分析。 次に、術者に最適な使い魔をハルケギニア中から探すための、大規模かつ精細で複合的な探査。 位置情報はおろか、種族・性別・性格まで把握可能という恐ろしい精度の探査術式が組み込まれているはずだ。 そして探査結果に様々な観点から順位付けを行い、その総合的上位に位置する対象の付近に転移ゲートを作成する。 これらのプロセスが組み合わさって初めて、『サモン・サーヴァント』は成功するのだ。「『サモン・サーヴァント』か。 ……『運命に従いし』とかいう文言があるから、ひょっとしたら本当にアカシックレコード的な何かから『運命』を読んでるのかも知れないが。 それはそれで興味深い。もしも読み取ることが可能ならば、全知全能にも至るだろう」 次に『コントラクト・サーヴァント』だが、非常に強力な肉体および精神の改造術式であるのは疑いの余地がない。 効果としては使い魔となる対象への知性の付与や、主への服従の刷り込み、その他の特殊能力の付与が挙げられる。 また、『コントラクト・サーヴァント』は術者の体にも影響しているはずだ。 使い魔との感覚共有というのは、使い魔側と術者側の両方で、相互の送受信体制が整わなければ実現できないのだから。「『コントラクト・サーヴァント』の性能がどの程度か分からないが、ひょっとすればこの血脈に潜む『蜘蛛化の大変容』という呪いをどうにか出来るかも知れない……」 『サモン・サーヴァント』や『コントラクト・サーヴァント』を構成するこれらの探査魔法やゲート魔法、精神・肉体改造魔法を自在に使いこなすことが出来れば、この世界についての知識の習得や、各地の探索、それに必要な労働力の獲得などに大きな力を発揮することが出来るだろう。 呪文の効果も強力であるが、加えてこれらの術式自体も大変興味深いものであるし。 いままでウードが自分で実験を行わなかったのは、何か危険な生物が出てくるかもしれない、という危惧もあるが、「使い魔は一人に一つ」、「契約解除はどちらかの死をもってのみ」ということで、彼一人だけでは数をこなせなかったせいでもある。 メイジとしてのランクが上がらないと、上位の幻獣などは召喚されない、という事情もあるのだが。 なんにしても一生モノなのだから、慎重になってしまったのだ。「しかし、下手をしたら、『コントラクトサーヴァント』を切っ掛けにして私自身の『大変容』の呪いが一気に進む危険もある……。 出来れば、自分で召喚を行う際には、トライアングルメイジ以上の実力を身につけて、抵抗力を増してからにすべきだろうな」 というわけで、ゴブリンたちの一部が『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』を使用出来るようになって初めて実験が出来るようになったのだ。 ゴブリンたちなら、術式後の影響をいくら調べても文句を言わないし、誰からも文句は言われない。 ちなみに、ゴブリンの集落は、ウードの操るゴブリンゴーレムを、神託を受ける巫女として頂点に置くという宗教的権威に基づく社会構成となっている。 もちろん、この場合の神託とは巫女ゴブリンを介したウードの言葉である。 メイジ化の脳改造も、一種の成人の儀式のようなものとしてゴブリンたちには教育してある。 そのためメイジ化技術のために犠牲になった……殉教したゴブリンたちには、宗教的な名誉が与えられているし、彼ら自身も喜んで礎になった。 成人の儀式を行えるのは技術的にも、宗教上の位階的にも、巫女であるゴブリンゴーレムのみである。 このメイジ化を行うようになってから、さらに巫女としての権威は上昇したため、品種改良中のゴブリンたちは一種の狂信的集団に成っている。 ゴブリンゴーレムはまさに作り物のような美しさ(ゴブリンの美的感覚で)をしているため、カリスマ性も更にアップである。 ゴブリンとはいえ、ウードが品種改良を行った集落のゴブリンは、その早熟化の影響かどうか知らないが、本来の醜悪なしわくちゃの顔ではなく、人間の子供のような、割と見れる顔つきになってきている。 幼形成熟(ネオテニー)という現象だろう。 つまり、その中で美人に位置する巫女ゴーレムは見た目は褐色の5~6歳の幼児に見えるのである。 ちなみにゴブリンたちが信仰する宗教の詔は「いあいあ」という感じで、信仰神は奈落の底の更に下に住まうという大蜘蛛神と言う設定だ。 領地に広がる〈黒糸〉の杖を深淵の谷にかかる蜘蛛の巣に見立てたのだ。 なぜ、ウードがこの神性を信仰神にあげたのかと言うと、信仰させることで、少しでも深淵の蜘蛛神を慰撫し、シャンリット家の呪いの進行を抑えられないかと藁にも縋る気持ちがあったからだ。 ウードの先祖の日記によれば、実際にこの土地の地下からはアトラク=ナクアやツァトゥグアのいる場所へ通じる道があるらしいので、信仰対象として不適当ということはあるまい。「アトラク=ナクア様、か。 毎日毎日、夢枕に立たれるものだから、私自身も信仰してしまいそうだ。 実際、このハルケギニアに生まれ変わる前の“蜘蛛の糸のヴィジョン”は、アトラク=ナクアの張った糸に引っかかったのだろうし、な」 何らかの理由で、次元の狭間の深淵の谷を墜ちていくウードの前世の魂を、蜘蛛神が気まぐれに拾いあげて、眷属の身体に押し込んだということなのだろう。 そういう点では、ウードはアトラク=ナクアに感謝を捧げている。「生まれ変わった先の身体が呪われているとかいうのは、二度目の人生という圧倒的な恩恵を前にすれば、些細な事だとも言える。 実際、今のところは何とかなっているわけだし」 最近、急に伸びだした四肢を眺めてウードは溜め息をつく。 何とか呪いの進行は抑えているが、それでも魂自体がアトラク=ナクアの眷属と化している影響を受けて、まるで蜘蛛の様にアンバランスに四肢が伸びているのだ。 ゴブリンたちの衣装はウードが操る巫女の指導のもと作らせており、メスは生成風のワンピース、オスは同じく生成風の短パンにシャツとしている。 材料は主に、風石の魔力を動力源に『錬金』で作成した合成高分子である。 他にも農場で生産中の綿や麻、家畜化の研究中の蚕や蜘蛛などの絹糸も材料として用いている。 機織りはこの時代の機織り機を使って、ゴブリンたちに行わせている。 布地や糸にまつわる仕事は、アトラク=ナクアの信徒であるゴブリンの中では宗教儀式的側面もあるため、メイジ化ゴブリン社会内での地位は高い。 ゴブリンたちには、衣服の生産の他にも、農場・家畜の管理を行わせている。 知性はまだまだだし魔法を使える者も多くないが、指示されたことは忠実にこなしてくれるので、そのくらいの労働はこなせるのだ。 ゴブリンの品種改良とともに、作物や家畜の品種改良も行っている。 こちらも『活性』の魔道具のおかげでかなり効率が上がったものだ。 最初は手探りでやり方を探していたが、現在では収量の増加や耐病性などの面で従来品種を上回る品種を幾つか生み出すことが出来た。 将来的にはシャンリットの領地でこれらを生産させて、税収を更にアップさせるつもりだ。「『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』の実験だが、まあ、しばらくは事例収集と、それぞれの呪文の際の魔力の流れをディテクトマジックで解析する作業になるか。 どうせ、ドットにも満たない行使者ではそんなに大した使い魔も召喚されないだろうが、万一に備えて、召喚の儀式場は〈黒糸〉で念入りに封鎖しておこう。 あと、水中の生き物が召喚されたときに備えて水場も要るか」 これまでメイジ化改造済みのゴブリンに召喚されたのは、ほとんど全てが蟲系の動物であった。 信仰対象がアトラク=ナクアであることと関係があるのかも知れない。 一例のみ半獣半植物のバロメッツが召喚されたが、これも実は枝葉に付いていた蟲を召喚した弾みに出てきたのかも知れない。 その辺りの様々なパラメータとの相関は事例収集してからの分析が待たれる。◆ 私がゴブリンの召喚の儀式を観察しつつ、呼び出した使い魔の観察記録をつけるようにと、巫女としてゴブリンたちに“神託”を出したりしているうちに、妹、メイリーンの5歳の誕生日が近づいてきている。 初夏の頃、メイリーンの名前の元となった蔓植物が花を付け始める時期。 誕生日ということで、父上は杖をプレゼントするらしい。妹も魔法に興味を持ち出したので良い頃合だろう。 ……そういえば、私が父上にもらった杖はあっという間に鞭に改造してしまったのだったな。悪いことをしたなあ。 母上は、メイリーンにオパールのネックレスをあげるらしい。 オパールは輝きを維持するために水が必要という宝石である。水属性の母上らしいプレゼントだ。 また、水を内部に含む特性上、水の秘薬を染み込ませておく事も出来るため、いざという時の備えになるとか。……覚えておこう。 プレイ・オブ・カラーの虹の輝きは妹もきっと気に入るだろう。 さて、リサーチの結果以上のようなことが分かったのだが、私は何をあげるべきだろうか。 まずは普段のメイリーンの様子を見てみよう。 普段、メイリーンが何をしているかというと、午前は文字と礼法の勉強をして、昼寝して、午後は趣味の秘薬の勉強をしたり、世話係の侍女とともに庭を駆け回ったりして遊んでいる。 午後の遊びには、暇なときは私も参加している。実際はメイリーンに『変容』の兆候が現れないかどうかをこっそり診察するという目的もあるのだが。 内容はおままごと、というかイーヴァルディごっこなんかをしている。 イーヴァルディ役がメイリーンで、敵役が私、侍女は囚われのヒロイン役で大体固定されている。 敵役をやるときは、割と本気でドラゴン型のゴーレムを作ったりして相手をしている。 オークやゴブリンの解剖経験や自分の体内調査の経験、また、趣味の物質研究でいろんな色素を作った経験から、骨格を考慮したリアルな動きをする、肌の色まで本物に見えるようなドラゴンゴーレムを作ってやると、非常に喜ばれた。 怖がられなかったのはちょっとショックだったので、怖くなかったのか聞いてみたところ、「にーさまのごーれむなら、ぜったいわたしをきずつけないから、こわくないよっ」 ということであった。 可愛いな、こいつめ! と思わず撫で回してしまったのは不可抗力である。 妹は母上譲りの銀糸のようなサラサラ髪に、父上譲りのブラウンの瞳をしている。 顔立ちは全体的に母上に似ていて、将来は美人系の顔立ちになりそうだ。 夜寝る前に読んでもらう本は、『イーヴァルディの勇者』シリーズか、始祖ブリミル関連の逸話が多いらしく、中でも、イーヴァルディが単身で竜に挑む話がお気に入りだとは、母上の弁である。 昼間のママゴトもその話の再現ごっこである。 うーむ、ずいぶん勇ましい娘になりつつあるようだ。 おそらく、〈黒糸〉を妹の体内に這わせて筋力や骨格を若干強化させているのが響いているのだろう。 ……妹相手に鬼畜なことやってると言うな。 自分自身に対して実験し、ゴブリンにも何十体、何百体と施術した術式だから危険はないぞ。 というか、肉体強化は母上からも頼まれたことなのだ。 小さな子供はちょっとした風邪なんかで死ぬことも多いし、体を強くさせたいのだろう。 母上からは、アトラク=ナクアの呪いによる『大変容』を抑えるためにも、私自身に施している処置と同じ処置をするようにと、強くお願いされたのだ。 さて、一応、プレゼント案は二つある。 一つはドレスで、もう一つは武器にもなる魔道具だ。 今は男勝りとはいえ、それは周囲の誘導でどうにでもなるだろうし、兄としてはせめて公式の場ではおしとやかに見えるようになって欲しいという思いもある。 武器は危ないし、これはまだ大きくなってからだな。 よし、ではドレスを作るとしよう。今の私の技術の粋を凝らしたものを作るとしよう!◆ というわけで誕生日会当日。 食事も一段落し、いよいよプレゼントタイムである。 先ずは私のプレゼントからである。気に入ってくれるだろうか。「メイリーン、これは私からだ。改めて、お誕生日おめでとう」「ありがとう、にーさま! あけていい?」「ああ、開けてくれ。気に入ってくれると嬉しいのだがね」 そして、メイリーンは手渡された箱を開けていく。中から現れたのは一着のドレスである。 フリフリで女の子らしい衣装だ。 色は鮮やかな青を基調とし、アクセントにモルフォ蝶の模様を、実物と同じように構造色を使って再現している。 ダンスをすれば構造色による反射が青や虹に煌めき、幾匹もの蝶が乱舞しているような華やかさと神秘性を醸しだすだろう。 また、要所要所に下品にならない程度に金糸や小さな宝石をあしらっている。 きっと母上が贈るオパールのネックレスも似合うはずだ。 メイリーンは目を丸くしていたが、やがて、満面の笑みになると、こちらに駆け寄ってきた。「にーさま、ありがとう! だいすき!」 私の腰に抱きつく妹を見ていると、幸せな気分になってくる。 私や母上が存命な間は、この子が蜘蛛へと変じてしまうことはないだろうが、その後のことを考えると気が重い。 メイリーンだけではなく、子孫全てに対して呪いを抑えるための何らかの装置を残しておく必要があるだろう。「メイリーン、父上と母上からプレゼントをもらったら着て見せてくれるかい?」「はいっ、にーさま!」 母上が待っているので、そちらに促す。「メイちゃん、お母さんからはこれよ~。水の精霊様が守ってくださるように願いを込めたネックレス。 お兄ちゃんのドレスにもきっと似合うわ」 そう言って、メイリーンの首にネックレスを掛ける。 なるほど、あれには水の精霊の涙が染み込ませてあるようだ。 神秘的な光を放っていて美しいし、危急の備えとしても最適だ。「ありがとう、かあさま! きらきらしててきれいねっ!」「気に入ってくれて嬉しいわ。メイちゃんは私に似て美人さんだから、きっと似合うわよ~」 さて、最後に父上の番である。「メイリーン、私からは杖をプレゼントだ。貴族としての最初の一歩だな」「ありがとう、とうさま! これからはわたしにもまほうをおしえてくださいねっ」 父上が贈ったのは、父上が使っているのと同じような木製の杖……ではなく、ユニコーンの角から削り出した高級品だった。 ずいぶん奮発したなあ、父上。流石、親馬鹿。まあ、メイリーンは可愛いから仕方ない。 最後に、私が贈ったドレスを着て、ネックレスを付けて杖を構えるメイリーンを中心にして写真撮影をした。 最近新しく作った、フルカラーバージョンのカメラである。 シャッターは爺やに頼んだ。 ドレスに着替えたメイリーンは非常に可憐だった。まさに妖精の如し。 将来間違いなくシスコンに成っているだろう自分が容易に想像できてしまう。 ……今もシスコンだろうって? 否定出来ないな。◆ メイリーンの誕生会後、メイリーンを寝かしつけるのをフィリップに押し付けて(フィリップは嬉々として引き受けた)、ウードとその母エリーゼはある部屋で膝を詰めていた。「母上、メイリーンには『大変容』のことを伝えるおつもりですか?」「伝えないならそれに越したことはないわね」「それはそうなのですが……」 『サイレント』も掛けている上に部屋の扉は爺やが見張っており、誰か聞き耳を立てている者が居るわけでも無いのだが、自然とヒソヒソ声になる母子。「第一、メイリーンに伝えるなら、フィリップにも伝えないといけないでしょう? 私は嫌よ、あの人が狂ったりするのを見るのは。 義父様と義母様、義兄様が亡くなった時も取り乱して大変だったんだから」「ああ、確かにそれは大変そうですね……」 まあ、肉親が全員残らず皮だけの死体になったというのは、通常の人間にとっては発狂モノである。 フィリップが息子娘を溺愛するのは、実は肉親を亡くした反動であったりする。「大変なんてものじゃなかったわよ。 その時ちょうど、あなたがお腹に居ることが分かったから持ち直したようなものの」「じゃあ、父上にはずっと秘密にするしかありませんね……。 でも、メイリーンが嫁いでいって私たちの手の届かないところに行ったらどうするんです?」「それは……あなたが何とかしなさい。兄でしょう」 ウードは自分の魔法使用媒介である〈黒糸〉をハルケギニア中に拡張しようとしているので、確かにウードならばメイリーンが何処にいても『大変容』の抑制が出来るだろう。 ウードとしても妹にはきちんとヒトとしての一生を送ってもらいたいので、そうするつもりである。「それは、勿論。杖に賭けて」「頼んだわよ?」「任されました。 それでは、『大変容』を起こすくらいにシャンリットの血を色濃く引く分家が無いかどうか調べた結果なのですが……」 夜の会合は続く。 ウードは持ち込んだ炭を『錬金』でシート状にすると、その表面の色彩を細かく調整して頭の中に仕舞っていた情報をシート上に転写する。 即席のディスプレイになったシートに『硬化』を掛けて固めると、髪の毛の幅より薄いシートは一本の皺もない平面となった。 それにはハルケギニアの地図と家系図、関連する幾つかのデータが示されていた。「現在の所は、そこまで色濃くシャンリットの血を残す家はありません。 150年ほど前に“皮だけ残して死ぬ奇病”が出た際には、他の土地でも一斉に同様の病が流行したと記録に残っていました。 恐らくはその時に、領外の家系は断絶したものと考えられます」「そう。でも、それだとおかしくないかしら? シャンリットの歴史は2000年。何度か“奇病”の流行があったのでしょう? それだと血が途絶えてしまうわ」「私もそれは考えました。 これは仮説ですが、恐らくは“奇病”――『大変容』の呪いの進行を止める何らかの儀式が本家には継承されていたのだと思われます。 実際、シャンリット家の本家に連なる血筋で当時の当主以外に“奇病”の犠牲者が出たのは実は150年前が初めてでした。ついでに言えば、領外で“奇病”が確認されたのも150年前が初めてです。 そして150年前に生き残ったのは、その当時の本家の血筋……私や父上の直系の赤ん坊が一人だけです」 ウードが述べた仮説の意味するところは何か。 エリーゼがウードの言葉を理解するのを待って、ウードは話を続ける。「これは、あくまで私の考えに過ぎませんが、“奇病”自体が、その呪いを遅らせる儀式によって引き起こされるものではないかと」「……続けて頂戴」「はい。考えられるのは“生贄”です。 自分たちが『変容』する代わりに、村人たちを神に捧げ、呪いを肩代わりさせる。それを“奇病”として公式には記録させたのではないかと思います また、100年から200年に一度、何らかの原因で呪いが強まる時期があるのだと思います。 “奇病”の流行の際に当主が亡くなっているのは、当主の死がトリガーなのか、呪いの強度の目安になっているのか、儀式に必要なのか、それは不明ですが」 空中に『レビテーション』で浮かべた表に書かれた情報を示しながら、ウードは続ける。 その中でも150年前の“奇病”の流行を示す点は、シャンリットを中心としてトリステイン各地に大きく広がっている。 同時に各地で大蜘蛛を見かけたという報告もある。「そして150年前の、シャンリット家の血筋の“一斉発症”ですが、恐らくは儀式の逆転です。 故意か事故かは分かりませんが」「成程、遅らせる儀式を逆転させれば、“呪い”を受け継いでいる者は“呪い”が急激に進行して一斉に変化するというわけね? 一応の筋は通っているわね……」 しかし、これは所詮仮説に過ぎない。 何ら裏付けはないのだ。「ただ単にこれら全ては、神の気まぐれ、偶然の一致という可能性もあります。 この仮説では私と父の直系の先祖が150年前に一人生き残った理由が説明出来ていませんし。 どちらにしても、生贄を必要とするような儀式を使用するつもりはありませんし、既に口伝は失われているので意味はないですが」「まあ、呪いを抑えることが出来そうだというのが分かっただけでも収穫よ。何とか方法を探しましょう」 エリーゼのその言葉を皮切りに、データを示していた資料は一瞬で灰も残さず燃え上がり、『サイレント』は解除された。 母子はめいめいの寝室へと引き上げていった。==================================2010.07.18 初出2010.09.27 修正・追記2010.09.29 修正・追記蜘蛛化の呪いは、マレウス・モンストロルム掲載の“アトラック=ナチャの娘”からインスピレーションを得て。後は感染呪術とか形代とかをイメージ。