白の国アルビオン。 風石の生み出す効果によって大地を離れて周遊する大陸を統べる空中国家である。 その白の国の南西部に位置するセヴァーンはなだらかな緑の丘陵地帯の只中にある美しい渓谷である。 しかしある種の波長、或いは適正、はたまた特定の角度を秘める人物は、この渓谷の牧歌的な光景の中に、妙な違和感を感じ取ることが出来るかも知れない。 そしてその違和感はその地に暮らす人々と話した時により顕著なものになるだろう。 即ち根本的な思想のズレ。 異教の香り。異端の兆し。 始祖よりももっと宇宙的で神秘的な存在を彼らは知っているのだ。 真に崇めるべきものを彼らはその心の裡に常識として持っているのだ。◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 外伝4.アルビオンはセヴァーンにてリアルラックが尽きるの事 ◆ 数年前、気球に乗ってこの地に一つの種が辿り着いた。 それはある新興の知的な種族を生み出す樹の種であった。 幸運にも種は芽吹き、数年掛けてセヴァーンの豊かな水に支えられて成長し、ついに実を生らすに至ったのであった。 革袋のようなゴツゴツとした一抱えもある実が地面に落ち、それを破って5~6歳の児童に見える人影が生まれ出る。 内容物の成長に従って薄くなっていた皮は、濡れ紙を引き裂くように破られる。 辺りに漿液と血の咽返るような匂いが広がる。 幸いなことに、豊かな土地であるにも関わらず、この周辺には生まれたばかりの脆弱な存在を喰らうような大きな獣は居ない。 ――それは裏返せば、大型の獣すら避ける、畏怖すべき存在がこの土地の周囲に存在するということであるが。 生まれた小柄な人影らしきものは、痙攣し、最初の一息を何とか吸い込むと、咽て肺腑の中の漿液を残らず吐き出し、肺胞の一つ一つに酸素を行き渡らせる。 吐瀉物の落ちる水音と、苦悶の息遣いが続く。「げほっ、げはぁっ! げほっげほっ! ぐ……ぶあぁっはぁあ! はぁっ、はぁっ、はあぁあぅっ。うぅぅ~~」 この樹から生まれるのは、あるメイジがその身の内に吹き荒ぶ狂気にかけて生み出した奴隷種族である。 ゴブリンを元に魔法を使えるように品種改良され、バロメッツに組み込まれて樹から生まれて殖えるようになり、さらには記憶を喰らう人面樹の性質をその母樹に与えることで、擬似的な転生すら可能になった種族である。 樹の実から生まれる彼ら彼女らは、そのメイジの版図を広げるために様々な方法で惑星中に送り出されたのである。 その中でも今生まれ出た彼女は、気球によって胚種を手当たり次第にばら蒔くという乱暴な方法によってこの地にやってきたのであった。 恐らくは同じ方法でばら蒔かれた兄弟姉妹たちは、その殆どが芽吹くこと無く干からび、はたまた芽吹いたとしても実を結ぶこと無く枯れていっただろう。 無事に生まれることが出来た彼女は、非常に幸運な部類に入る。 実際、成功率の余りの低さから、彼女たち第一陣以降は気球ではなく、肥料生成・成長促進の魔道具を搭載した世話役の飛行型ガーゴイルが運ぶ方法に変更された。 気球によって運ばれた種は他の一般的な品種のそれと異なり、中の生物が完全に自立できる程度に成熟するまでは実の中から生まれさせないように調整されている。 より正確にはその種は自然な種というよりは人工種子であり、生まれてくるモノに植え付けるための記憶を内蔵したある程度の大きさのカルス(未分化な培養細胞)を核に、それを種子の皮のような物質で覆ったものである。 自然に出来る樹の種では、中の生物に対して記憶を引き継がせることが出来ない――引き継がせるべき記憶を持たない――ために、記憶を持ったカルスを封入するという方法を取っているのである。 その為、今、一糸纏わぬ姿で母樹の根元に蹲っている幼女は、生まれたばかりではあるが、自分が何をするべきなのか、そしてどうやって生き残るべきかを知っているのだ。 彼女の知識によると、地面に張り巡らされている〈黒糸〉という彼女の種族特有の魔法の杖と契約し、他の地域の同種たちと連絡を取り、身の回りの物を『錬金』の魔法によって作り出すべし、となっているのだが……。「げほっ……。うぅ~っ。なによ~。〈黒糸〉無いじゃないのよぉ。どういうコトよ~!?」 彼女の前途は多難なようである。 何せ、このアルビオン、空中大陸であるが故に惑星の地面に張り巡らされている〈黒糸〉の網から切り離されているのだ。 ……実は現在では空間を超越する〈ゲートの鏡〉という魔道具を通って、浮遊大陸にも〈黒糸〉は張り巡らされつつあるのだが、彼女の居る土地にはその網は何らかの原因で届いていない。 幸運にも無事生まれることが出来た時点で、彼女はそのツキを使い果たしてしまったようだ。「うわぁぁぁん! 助けてアトラク=ナクア様ーーーー!!」◆ 目から鼻から口から色々と体液やら弱音やらを垂れ流しつつも、お腹が空いたので母樹の濃密な樹液を啜り、彼女は自分がぶら下がっていた枝を折り取ったものを杖として、それと数時間掛けて契約した。 本来ならば数日単位の時間が掛かるメイジの杖の契約だが、その対象は今まで自分と共にあった母樹の一部であるため、これだけの短時間で契約できたのだ。 杖というものの、それは生木の枝を折っただけのものであり、まるでゴミにしか見えなかったが、これこそが彼女の生命をつなぐ唯一の命綱なのである。 贅沢は言っていられない。 何せ彼女の状況を一言で表すなら『得体の知れない森の中で、マッパ』なのである。 猛獣に美味しく頂かれるかも知れないし、ペドな人物に見つかって陵辱された挙句に人買いに売られるかも知れないし、それ以前に季節によっては一夜明かす前に凍え死ぬかも知れない。(……少なくとも早急に服だけは整える必要があります) そう決意した彼女は、自分の中に備わっている知識を元に、もっとも契約に時間が掛からないものを杖として選んで契約を執行したのは当然だろう。「うぅ~っ。ぐすっ……。良かった……杖の契約も出来なかったらどうしようかと……」 安心したらまた色々と体液が溢れてきてしまうのであった。「先ずは、服とか靴とか。いや、身体を洗うのが先でしょうか。……とりあえず、服を準備しましょう」 周辺の草木を『エアカッター』で刈り取り、一箇所に集めて『錬金』の呪文でセルロース繊維を操作して抽出連結させて布を作る。 先ずは急場凌ぎの為に、貫頭衣で我慢する心算のようだ。「服は、これで良し。次は身体ですね。ベトベトで土塗れですし……」 『凝縮』で水を集めて、それを身体に浴びせて漿液塗れの身体の汚れを洗い流し、『凝縮』の応用で体表に残った水分を一箇所に集めて体を乾かす。 身も心も心機一転。うんしょ、うんしょと貫頭衣を着て、細かいところを『錬金』で調整し、なんとかマッパという色々危機的な状況からは脱出できたようだ。 ……森の中でノーパン幼女が一人きりという不自然極まりない状況には然程変わりないのだが。 本来であればこの場にある程度の拠点を築き、母樹を守り、次々に樹の実から生まれてくる姉妹を育てて人数を増やしつつ、人数が揃ってから周辺の探索などを行うのである。 当然彼女もマニュアル通りにそう考え、索敵と領域確保の為に、自身の杖からカーボンナノチューブを『錬金』して伸ばし、蜘蛛の糸のように周囲に張り巡らさせてゆく。 このカーボンナノチューブを杖として契約するには、まだ数日の時間が必要だ。 取り敢えずは侵入者を防ぎ、察知する為にカーボンナノチューブを張り巡らせていく。 一通り、周囲を囲った段階で、彼女の精神力は尽きてしまったようだ。「ふぅー。いい仕事しました! 生後0日にしては頑張りました!」 ばたんきゅー、とか言いつつ、彼女は母樹の根元で丸くなる。 そこは服を作るのに使った草木の残骸で辛うじて寝床の体を成しているだけであったが、彼女は初日の疲れもあってあっという間に眠ってしまった。◆『……――。 羽音。蟲の羽音。甲高い振動音。 それは近づき、私の頭の周りを飛び回る。 羽音はもっと近づいてくる。 そうする内に、やがて、羽音はどこから聞こえるかわからなくなる。 まるで頭の中で蠅が羽ばたいているかのようだ。全周から羽音が聞こえてくる。 ……蟲が頭の中を這いずり回っているような不快感がする。 ザリザリ。ザリザリ。ザリザリ。 五月蝿い、うるさい、ウルサイ。やめてくれませんか。 ――……』◆「うーあーーー!! がぁあーー!」 彼女は朝から不機嫌だった。 寝不足のせいだ。 夢見が悪かったのだろう。深く刻まれた隈からも、その深刻さが垣間見える。「だけど仕事は頑張らなきゃ~ぁっ! 杖を片手に一生懸命~、っとっぁああ!」 何かの歌の一節を口ずさみながら、杖を振るい『エアカッター』をばら撒く。 風の刃で断ち切られて、上から太い木の枝が落ちてくる。 じゃらん、と地面に落ちた勢いで枝々が擦れる音が出る。 今日は母樹の枝の剪定と、周辺の森を切り開くことで陽の光をもっと取り入れるようにしようとしているようだ。 決してストレス発散のためではない。 土の魔法で肥料を施して更に土壌を改質し、水魔法で水を与えるのも忘れない。 切り落とした枝々は、水魔法で水分を抜いて乾かす。 一部は昨日と同じように繊維を操って布に『錬金』しておく。これでシーツが出来た。 周囲の一部の平らな葉を付けた6方放射相称の木々が『エアカッター』から逃れるように枝を捩らせたように見えたが、気のせいだろう。 「今日は眠れるといいんですが……」 母樹の樹液を啜りながら彼女は日当たりの良くなった場所に座り込む。(ぽかぽかして気持ち良い~) 日向ぼっこは此処まで気持ちの良いものだっただろうか。 まるで彼女自身の身体が、エネルギー源として光を必要としているようだ。 (他の同種よりも樹の胎内に居た時間が長いから、その影響かも知れませんね) 彼女の頭から、あたかもウサギの耳のように、三角形の細かな鱗粉に覆われた半月状の蟲の羽が伸びて、光を浴びていることには彼女は気付けなかった。 日を浴びながら少し休むと、使い果たした精神力が多少回復したようだ。 明日は使い魔の召喚を行って、少しでも労働力を確保するべきだろう、と考えて明日のための準備を行う。 彼女の魔法能力はハルケギニア人基準では精々ドット程度だから大したモノは呼び出されないだろうが、不測の事態に備えて明日は万全の状態で召喚に臨みたい。 朝から余計な精神力を消費しないように、明日の朝食の準備などは今日のうちに済ませておくべきだろう。 土を操作して甕を『錬金』し、中に『凝縮』で集めた水を蓄えておく。主食としては樹液を啜れば良いから、取り敢えず準備はこれで良いだろう。 日が傾き、周囲をオレンジ色に染める。あと少しすれば日は更に傾いて夕闇は更に藍を深め、夜が来るだろう。◆ ザリザリ。ザリザリ。ザリザリ。『……――。 エメラルド色の二連太陽の輝き。 眼下にある球形の不思議な灰色の金属で作られた建物。 周囲を見渡せば、円形の建物の中で一際目立つ四角錐型の神殿があるのに気づく。 そのピラミッドには、多次元の門を越えて召喚された、原初の痴愚神の一部が息づいているのだ。 周囲の球形の建物の頂天から、蟲が飛び出してくる。 大きな複眼。蛆のようなブヨブヨした生白い腹部。 胸部からは十本の節足が生え、さらにそれぞれから黒光りする触毛が伸びている。 細かな三角形の鱗粉に覆われ、エメラルドの太陽光を反射して輝く半円形の羽が周囲の空気を震わせる。 頭部には幾本もの螺旋状に巻いた触覚が生えており、痴愚神の従者の奏でるフルートの宇宙的なリズムに合わせてか、ゆらゆらと揺れているようだ。 三つある口からは触手が伸び縮みしている。 幾百の蟲が神殿へと向かう。 夢の中の私――シャッガイを支配する昆虫族――も、これから痴愚神【アザとーth】の神殿に礼拝に行くようだ。 その後は適当に日向ぼっこして光合成した後に、奴隷種族を神経ムチ――神経に直接作用する光線を発する武器――でいたぶって遊ぶのも良いだろう。 今日はザイクロトルの肉食植物どもで遊ぶことにしよう。あの木偶の坊の六本腕どもで。 ――……』 ざりざり。ざりざり。ざりざり。◆ 今日の彼女は機嫌が良いようだ。 よく眠れたのだろうか。はたまた夢見が良かったのか。「さて、では『サモン・サーヴァント』をやりましょうか!」 彼女は甕に貯めておいた水で顔を洗い、身体を布で拭き、服を着て、朝食がわりの樹液を啜り、杖を構え直す。「ん~、ここはやっぱり何か空を飛べる使い魔がいいですかね。 それともアトラク=ナクア様の信徒としては蜘蛛を望むべきでしょうか。 ……まあ、なるようにしかなりませんね」 深呼吸一つ。「『五つの力を司るペンタゴン。我が呼びかけに応え、我が運命に従いし使い魔を召喚せよ』」 彼女が召喚の祝詞を唱えると、杖の先に拳大の銀色に輝くゲートが現れる。 そこから何が飛び出してくるのかと今か今かと待ち構える。 ……少ししても何も出てこない。 怪訝に思った彼女は、銀鏡に顔を近づける。 その時、何かが出てきて彼女の顔にぶつかる! 「うわっ!」 ぶつかったのはぶよぶよした青白い塊から細い足が八本ほど生えている、蜘蛛っぽい何か。 それは素早く彼女の顔を這い回る。「わぁ! 離れろ! このっ!」 頭を振って、手を振り回すが、蟲は離れない。 それどころか、耳の穴を探り当てると。「うわぁっ、ああっ、このっ! 入ってくるな! やめろっ!」 ずるりとその中に入っていってしまった。「ぁぁぁぁああああっ!」 叫び声を上げた彼女の眼が、ぐるりと裏返る。 膝から力が抜け、とさりと地面に倒れる。 彼女はそのまま意識を失ってしまう。◆ ざりざり。ガリガリ。ザリザリ。カサコソ。『……――。 崩壊のビジョン。真紅の放射光に覆われて、夢の中の私の故郷シャッガイは崩壊していく。 あの妖星【ぐろうす】がここに訪れたのが、この終わりの始まりなのだ。 巨大な妖星が奏でる宇宙的リズムが星辰を崩壊の位置に導き、このシャッガイさえもその赤い崩壊に巻き込んで滅ぼさんとしているのだ。 辛うじて神殿に逃げ込んだ私は、この悪夢のような崩壊から適当な植民惑星に転移するべく機械を動かしている。 精神を集中させて念力を発揮し、アザとーth様の神殿の転移装置を稼働させる。 この惑星が完全に崩壊し切る前に、何処か近くの惑星に――。 ――……』 かさこそ。カサコソ。ガリガリ。ぶちぶち。 何かが二つくらい、頭の中で這いずり回っているようだ。 そのうちの大きな方が負けて追い出される。 蟲の羽音が遠ざかる。 がりがり、がりがり、がりがり、がりがり。 相変わらず、何かが頭の中を這い回る音が聞こえる。◆ 変なところで寝た所為か、身体の節々が痛いです。 昨日は何をしようとしたのでしょうか。 思い出そうとすると、頭の中を何かが蠢くような得体の知れない不快感が浮かんできて、それ以上何も考えることが出来ません。◆ 夢見が本当に悪いです。 最初の頃に見た、エメラルドの太陽が空に2つ浮かぶ何処とも知れない惑星の光景は見ませんが、とても恐ろしい夢を見ます。 母樹の世話はなんとか続けていますが、とてもじゃないですがこのままでは早晩に限界が来そうです。 妹たちは実の成長状況を見るに、あと6ヶ月はしないと生まれそうにありません。 それまで持つでしょうか……。 ◆ いよいよ限界のようです。 今日は気づかない間に、見知らぬ洞窟の前に立っていました。 自分の身体が思うように動かせません。 頭の中に棲み付いた何かが、私を操っているようです。 ……この洞窟ですが、とてもとても深いようです。 ここから母樹のある辺りまでは結構離れているのですが、母樹のある場所から〈黒糸〉を真下に広げようとしたら、この洞窟の一部と思われる壁面に行き当たってしまいます。 更に不思議なことにこの洞窟に〈黒糸〉が近付くと、それ以上は〈黒糸〉を伸ばすことが出来なくなります。 何か魔法を打ち消すような力、あるいは系統魔法では太刀打ち出来ないもっと強力な力がその洞窟に掛かっているのかも知れません。◆ 頭だけではなく、身体にも異常が目立ってきました。 何かが皮膚の下を這いずり回っているのです。 もう私が意識を保っていられるのは、一日の内に四分の一もありません。 何とか、これから生まれる妹達にはこの危機を伝えなくては……。 ……手記を書かなくては。 頭の中に何かが居る以上、母樹の虚に自分を捧げて、記憶の継承を行うことは危険なように思われます。 母樹に取り込まれた危険な知識を取り除いたりなどのメンテナンスが出来る人材――〈レゴソフィア〉氏族も今は居ませんし。 ……手記を書かなくてはなりません。◆ 洞窟の奥深くでずっと過ごしています。意識の無いうちに此処まで迷い込んだようです。私の中に居るモノにとっては単なる帰巣本能に過ぎないのかも知れませんが。 もはや自分で身体を動かすことが出来るのは、一日のうちで一時間にも満たないようです。 そんな短い時間では、迷宮のようなこの洞窟を脱出することもままなりません。 体中を這いずり回っている“雛”の親の力なのか、この洞窟は『錬金』で壁を崩すことも出来ませんし。 せめてもの幸いは、これまでの経過を手記にしたためて母樹の傍に残せたことでしょうか。 妹達には、こんな結末は迎えて欲しくはないです。◆ ああっ、雛が! 私の身体を! 食い破って! ああ、雛が、雛が!◆「……。この状況って、かなり詰んでませんかね?」 半年ほど先に生まれていたであろう姉に当たるゴブリンの残した手記を読み返して、彼女はそう呟いた。 手記は徐々に身体の支配権を奪われたことと、その原因となった寄生生物が、詳しくは思い出せないが、『サモン・サーヴァント』に起因するだろうことが書かれていた。おそらく、同じ遺伝情報を持つ妹達も同じ生物を召喚してしまうだろうとも。 他にも、この足元の地下にはその雛の親が棲んでいると思われる洞窟が広がっており、その親が洞窟に与える加護の力によって妨害されているのか〈黒糸〉を一定以上に伸ばせないことなども記されていた。「しかも……」 彼女は傍に転がる死体に目を向けて、溜息をつく。 死んでしまった姉の世話が良かったのか、今回は母樹に二つの実が生って、それぞれからゴブリンが生まれた。 その双子の姉妹と言える片割れは、現在物言わぬ屍になってあらぬ方向に関節を向けて転がっているが。 彼女は、自分の双子の姉(妹?)を葬った下手人に目を向ける。 それは五メイル程の樹であった。 そのアンバランスに太い幹の先の梢にはのっぺりした白い仮面のような丸い頭部があり、牙の並んだ大きな口が開いている。 6本の腕が放射状に生え、それぞれの先にうちわのような平べったい葉が枝分かれして十数枚付いている。 姉の残した手記を読んだ双子は『フライ』で森を強行突破し、地上へ降りて救援を呼ぶことを考えたのだ。 一人は救援に、一人は母樹の世話に残るという役割分担をして、早速救援を呼びに出る方は『フライ』で飛び上がったのだが――。 そこをあの樹に叩き落とされたのだ。 怪物樹は二股に別れた幹を器用に動かして仕留めた獲物に近寄り、その枝に付いた幾枚もの平たい葉で包むように死体を掴み、持ち上げて梢から出ている丸い頭に開いた口へと運ぶ。 咀嚼音。骨や肉の千切れる音。嚥下。げっぷの音。 「どうしろと」 取り敢えず、契約したばかりの杖で土を操り、怪物樹の足元に落とし穴を造って身動きを取れなくする。 半年のうちに伸びた周囲の樹の枝や下草を風の刃で刈り取り、母樹の日当たりを確保する。 そして怪物樹が落とし穴に嵌っている内に、姉の手記に急いで現在の状況を追記する。 もはや彼女は逃げ切ることを諦めており、次に生まれる妹達に全てを託すことにしたようだ。 彼女は自分の命を使い切る覚悟で、土の魔法を用い、ガーゴイルを創り出す。 彼女らの種族に伝わる、自分の人格を写した魔法人形の練成である。 「……」 創り出した魔法人形の手には、姉が残して逝った母樹の世話道具の一つである鎌が握られている。 自分で作った魔法人形に対して、彼女は、精神力と命を燃やし尽くして朦朧とする意識で頷きを一つ。 意図を汲み取った魔法人形は、彼女の首を掻き切る。辺りに鮮血が撒き散らされ、その匂いに刺激されて怪物樹の動きが慌しくなる。 ガーゴイルは自らの造物主の頭部を抱え、記憶を継承させるために母樹の虚に投げ込む。 残った身体は囮にするために、怪物樹の頭上を通り越させて向こう側に。 落とし穴から這い出た、6方放射相称の怪物樹は血の匂いに惹かれて彼女の首から下の方が投げられた方へと、どたどたと移動する。 陽の当たるようになった森の中の広場にはマネキン人形のようなガーゴイルだけが残された。◆ セヴァーン渓谷で生まれた彼女らが、下の大陸のシャンリットの同種達と接触し合流するまで、あと数年の月日を要する……。=====================================セヴァーン渓谷は魔窟。主なキャストは以下。【シャッガイからの昆虫】シャン【ザイクロトルの肉食樹】ザイクロトラン【迷宮の主の落とし子】アイホートの雛気になった人はラムゼイ・キャンベルさんの『妖虫』とか読むと良いですよ。2010.08.15 初投稿2010.08.17 誤字など修正