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No.20306の一覧
[0] 【世界観クロス:Cthulhu神話TRPG】蜘蛛の糸の繋がる先は【完結】[へびさんマン](2013/05/04 16:34)
[1] 蜘蛛の糸の繋がる先は 1.死をくぐり抜けてなお残るもの[へびさんマン](2012/12/25 21:19)
[2] 蜘蛛の糸の繋がる先は 2.王道に勝る近道なし[へびさんマン](2010/09/26 14:00)
[3] 蜘蛛の糸の繋がる先は 3.命の尊さを実感しながらジェノサイド[へびさんマン](2012/12/25 21:22)
[4] 蜘蛛の糸の繋がる先は 4.著作権はまだ存在しない[へびさんマン](2012/12/25 21:24)
[5]   外伝1.ご先祖様の日記[へびさんマン](2010/10/05 19:07)
[6] 蜘蛛の糸の繋がる先は 5.レベルアップは唐突に[へびさんマン](2012/12/30 23:40)
[7] 蜘蛛の糸の繋がる先は 6.召喚執行中 家畜化進行中[へびさんマン](2012/12/30 23:40)
[8] 蜘蛛の糸の繋がる先は 7.肉林と人面樹[へびさんマン](2012/12/30 23:41)
[9] 蜘蛛の糸の繋がる先は 8.弱肉強食テュラリルラ[へびさんマン](2012/12/30 23:42)
[10] 蜘蛛の糸の繋がる先は 9.イニシエーション[へびさんマン](2012/12/30 23:45)
[11] 蜘蛛の糸の繋がる先は 10.因縁はまるでダンゴムシのように[へびさんマン](2010/10/06 19:06)
[12]   外伝2.知り合いの知り合いって誰だろう[へびさんマン](2010/10/05 18:54)
[13] 蜘蛛の糸の繋がる先は 11.魔法学院とは言うものの[へびさんマン](2010/10/09 09:20)
[14] 蜘蛛の糸の繋がる先は 12.ぐはあん ふたぐん しゃっど-める[へびさんマン](2010/11/01 14:42)
[15] 蜘蛛の糸の繋がる先は 13.呪いの侵食[へびさんマン](2010/10/13 20:54)
[16] 蜘蛛の糸の繋がる先は 14.命短し、奔走せよ[へびさんマン](2010/10/16 00:08)
[17]   外伝3.『聖地下都市・シャンリット』探訪記 ~『取り残された人面樹』の噂~[へびさんマン](2010/08/15 00:03)
[18]   外伝4.アルビオンはセヴァーンにてリアルラックが尽きるの事[へびさんマン](2010/08/20 00:22)
[19] 蜘蛛の糸の繋がる先は 15.宇宙に逃げれば良い[へびさんマン](2011/08/16 06:40)
[20] 蜘蛛の糸の繋がる先は 16.時を翔ける種族[へびさんマン](2010/10/21 21:36)
[21] 蜘蛛の糸の繋がる先は 17.植民地に支えられる帝国[へびさんマン](2010/10/25 14:07)
[22] 蜘蛛の糸の繋がる先は 18.シャンリット防衛戦・前編[へびさんマン](2010/10/26 22:58)
[23] 蜘蛛の糸の繋がる先は 19.シャンリット防衛戦・後編[へびさんマン](2010/10/30 18:36)
[24]   外伝5.ガリアとトリステインを分かつ虹[へびさんマン](2010/10/30 18:59)
[25]   外伝6.ビヤーキーは急に止まれない[へびさんマン](2010/11/02 17:37)
[26] 蜘蛛の糸の繋がる先は 20.私立ミスカトニック学院[へびさんマン](2010/11/03 15:43)
[27] 蜘蛛の糸の繋がる先は 21.バイオハザード[へびさんマン](2010/11/09 20:21)
[28] 蜘蛛の糸の繋がる先は 22.異端認定(第一部最終話)[へびさんマン](2010/11/16 22:50)
[29]    第一部終了時点の用語・人物などの覚書[へびさんマン](2010/11/16 17:24)
[30]   外伝7.シャンリットの七不思議 その1『グールズ・サバト』[へびさんマン](2010/11/09 19:58)
[31]   外伝7.シャンリットの七不思議 その2『大図書館の開かずの扉』[へびさんマン](2010/09/29 12:29)
[32]   外伝7.シャンリットの七不思議 その3『エリザの歌声』[へびさんマン](2010/11/13 20:58)
[33]   外伝7.シャンリットの七不思議 その4『特務機関“蜘蛛の糸”』[へびさんマン](2010/11/23 00:24)
[34]   外伝7.シャンリットの七不思議 その5『朽ち果てた部屋』[へびさんマン](2011/08/16 06:41)
[35]   外伝7.シャンリットの七不思議 その6『消える留年生』[へびさんマン](2010/12/09 19:59)
[36]   外伝7.シャンリットの七不思議 その7『千年教師長』[へびさんマン](2010/12/12 23:48)
[37]    外伝7の各話に登場する神性などのまとめ[へびさんマン](2011/08/16 06:41)
[38]   【再掲】嘘予告1&2[へびさんマン](2011/05/04 14:27)
[39] 蜘蛛の巣から逃れる為に 1.召喚(ゼロ魔原作時間軸編開始)[へびさんマン](2011/01/19 19:33)
[40] 蜘蛛の巣から逃れる為に 2.使い魔[へびさんマン](2011/01/19 19:32)
[41] 蜘蛛の巣から逃れる為に 3.魔法[へびさんマン](2011/01/19 19:34)
[42] 蜘蛛の巣から逃れる為に 4.嫉妬[へびさんマン](2014/01/23 21:27)
[43] 蜘蛛の巣から逃れる為に 5.跳梁[へびさんマン](2014/01/27 17:06)
[44] 蜘蛛の巣から逃れる為に 6.本分[へびさんマン](2011/01/19 19:56)
[45] 蜘蛛の巣から逃れる為に 7.始末[へびさんマン](2011/01/23 20:36)
[46] 蜘蛛の巣から逃れる為に 8.夢[へびさんマン](2011/01/28 18:35)
[47] 蜘蛛の巣から逃れる為に 9.訓練[へびさんマン](2011/02/01 21:25)
[48] 蜘蛛の巣から逃れる為に 10.王都[へびさんマン](2011/02/05 13:59)
[49] 蜘蛛の巣から逃れる為に 11.地下水路[へびさんマン](2011/02/08 21:18)
[50] 蜘蛛の巣から逃れる為に 12.アラクネーと翼蛇[へびさんマン](2011/02/11 10:59)
[51]   クトゥルフ神話用語解説・後書きなど(12話まで)[へびさんマン](2011/02/18 22:50)
[52] 蜘蛛の巣から逃れる為に 13.嵐の前[へびさんマン](2011/02/13 22:53)
[53]  外伝8.グラーキの黙示録[へびさんマン](2011/02/18 23:36)
[54] 蜘蛛の巣から逃れる為に 14.黒山羊さん[へびさんマン](2011/02/21 18:33)
[55] 蜘蛛の巣から逃れる為に 15.王子様[へびさんマン](2011/02/26 18:27)
[56] 蜘蛛の巣から逃れる為に 16.会議[へびさんマン](2011/03/02 19:28)
[57] 蜘蛛の巣から逃れる為に 17.ニューカッスル(※残酷表現注意)[へびさんマン](2011/03/08 00:20)
[58]   クトゥルフ神話用語解説・後書きなど(13~17話)[へびさんマン](2011/03/22 08:17)
[59] 蜘蛛の巣から逃れる為に 18.タルブ[へびさんマン](2011/04/19 19:39)
[60] 蜘蛛の巣から逃れる為に 19.Crystallizer[へびさんマン](2011/04/08 19:26)
[61] 蜘蛛の巣から逃れる為に 20.桜吹雪[へびさんマン](2011/04/19 20:18)
[62] 蜘蛛の巣から逃れる為に 21.時の流れ[へびさんマン](2011/04/27 08:04)
[63] 蜘蛛の巣から逃れる為に 22.赤[へびさんマン](2011/05/04 16:58)
[64] 蜘蛛の巣から逃れる為に 23.幕間[へびさんマン](2011/05/10 21:26)
[65]   クトゥルフ神話用語解説・後書きなど(18~23話)[へびさんマン](2011/05/10 21:21)
[66] 蜘蛛の巣から逃れる為に 24.陽動[へびさんマン](2011/05/22 22:31)
[67]  外伝9.ダングルテールの虐殺[へびさんマン](2011/06/12 19:47)
[68] 蜘蛛の巣から逃れる為に 25.水鉄砲[へびさんマン](2011/06/23 12:44)
[69] 蜘蛛の巣から逃れる為に 26.梔(クチナシ)[へびさんマン](2011/07/11 20:47)
[70] 蜘蛛の巣から逃れる為に 27.白炎と灰塵(前編)[へびさんマン](2011/08/06 10:14)
[71] 蜘蛛の巣から逃れる為に 28.白炎と灰塵(後編)[へびさんマン](2011/08/15 20:35)
[72]  外伝.10_1 ヴァリエール家の人々(1.烈風カリン)[へびさんマン](2011/10/15 08:20)
[73]  外伝.10_2 ヴァリエール家の人々(2.カリンと蜘蛛とルイズ)[へびさんマン](2011/10/26 03:46)
[74]  外伝.10_3 ヴァリエール家の人々(3.公爵、エレオノールとカトレア)[へびさんマン](2011/11/05 12:24)
[75] 蜘蛛の巣から逃れる為に 29.アルビオンの失墜[へびさんマン](2011/12/07 20:51)
[76]   クトゥルフ神話用語解説・後書きなど(24~29話)[へびさんマン](2011/12/07 20:54)
[77] 蜘蛛の巣から逃れる為に 30.傍迷惑[へびさんマン](2011/12/27 21:26)
[78] 蜘蛛の巣から逃れる為に 31.蠢く者たち[へびさんマン](2012/01/29 21:37)
[79]  外伝.11 六千年前の真実[へびさんマン](2012/05/05 18:13)
[80] 蜘蛛の巣から逃れる為に 32.開戦前夜[へびさんマン](2012/03/25 11:57)
[81] 蜘蛛の巣から逃れる為に 33.開戦の狼煙[へびさんマン](2012/05/08 00:30)
[82] 蜘蛛の巣から逃れる為に 34.混ざって渾沌[へびさんマン](2012/09/07 21:20)
[83] 蜘蛛の巣から逃れる為に 35.裏返るアルビオン、動き出す虚無たち[へびさんマン](2013/03/11 18:39)
[84] 蜘蛛の巣から逃れる為に 36.目覚めよ英霊、輝け虚無の光[へびさんマン](2014/03/22 18:50)
[85] 蜘蛛の巣から逃れる為に 37.退散の呪文[へびさんマン](2013/04/30 13:58)
[86] 蜘蛛の巣から逃れる為に 38.神話の終わり (最終話)[へびさんマン](2013/05/04 16:24)
[87]  あとがきと、登場人物のその後など[へびさんマン](2013/05/04 16:38)
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[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 10.因縁はまるでダンゴムシのように
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/10/06 19:06
 蜘蛛神教のイニシエーションの後に意識を失ったウードはゴブリンたちの手によって運ばれて、丁重に治療を受ける。
 治療と言っても、蜘蛛化の呪いが活性化した影響で変容した右肩部分は手の付けようがないので、安静にして栄養点滴を行うくらいであるが。

 そうして、数時間してから、夜半にウードは目を覚ました。

 目を覚ました彼が思ったのは、無事に生き残ることが出来たのだという感慨と、もはや後戻りできない所まで来たのだという諦観にも似た思いであった。
 そして、ボーっとする頭で、黒い甲殻に覆われて節が目立つ右腕と、首筋から生えた大顎を撫でたり眺めたりする。

 背中側は右肩から背骨まで半ば甲殻化しており、右脇腹は抉れた形で固まっている。……どうやらこの右脇腹の抉れた部分に大顎を折り畳めそうだ。指は、2本しか無い。二つの節足が癒合した所為だろう。手はザリガニのハサミのようになってしまっていて、細かな感覚毛に覆われ、さらに先端には鋭いカギ爪が3本ずつ付いている。
 右腕は、全体的に鋭角な印象で、黒っぽい色で濃淡があり、見方によっては縞があるようにも見える。所々にやはり感覚毛がピンと生えている。
 ウードは右手を様々に動かしてその動作を確かめながら、先程彼自身の身に起きた『変容』の急進行について考察する。

「おそらく、繰り返すうちに儀式自体が“ホンモノ”になってしまっていたんだろう。
 そして、それに加えて他にも様々な要因があった。シャンリットの血脈に宿る『蜘蛛化の大変容』の呪い、私が生まれ変わるときにアトラク=ナクア様に行き遭った事、私が地下に蜘蛛の巣のように〈黒糸〉を張り巡らさせているというアトラク=ナクア様との相同性……この辺りも重なったんだろうな。
 変容の呪いを抑えこむことが出来たのは、偶然か、はたまた私のメイジとしての格がトライアングルにでも上がったのか、それともアトラク=ナクア様が願いを聞き届けてくださったのか……」

 最後に呪いと精神力が鬩ぎ合いをしていた時に、ふっと呪いの抵抗が弱まったことを思い出す。
 神の呪いに、一個人の精神力が勝てようはずもない。あれは、呪いが自らその行き先を変えたような感触であった。果たして、それは神の思し召しなのか……。偶然であるなら、またいつ呪いが再発するか分からない。
 もしもイニシエーションを切っ掛けにトライアングルに昇格したというのであれば、それは喜ばしいことだが。あとで魔法を試してみよう、とウードは心に留めておく。

 ウードはまた眼を閉じて、眠ることにする。
 さて、この腕を家族にどう言い訳しようか、それとも隠し通せるだろうか、取り敢えず水使いである母上にバレるのは時間の問題だとして、矢張りこれを隠すような義手を作るべきだろうか、と延々考えながら。
 その考え事のお陰で、眠っている間、彼の妹のメイリーンが涙目で「お兄様、この薬を飲めばその腕もバッチリ治りますわっ! 飲んでくださいましっ!」と言って紫の煙の出るどう見ても毒薬なブツを勧めてくるという悪夢に魘されることとなる。充分あり得る事態であるため、妙なリアリティがあった。





 結局教会に一晩泊まったウードは、翌朝起きて直ぐに右腕を覆い隠すための義手を『錬金』して、一応の体裁を整える。鏡を見て『錬金』した義手を確認する。
 左手と比べてアンバランスだが、一見して不自然に見えない程度にはなっている。
 右手の代わりに器用に『念力』で食器を操って朝食を摂り、教会を出て再びこの村の中央に位置する城砦へと歩く。朝露に濡れた路傍の花も、日が昇ればその花びらを広げるだろう。城砦に向かう道すがらチラホラと農作業に出てくる村人やゴブリンとすれ違い、挨拶を交わす。

「ふむ、やはりトライアングルに昇格したかな? 精神力への負担が少なっているようだ。まあアレだけの精神の鬩ぎ合いを経験してランクアップしていなかったら、それはそれで凹むが」

 右手の義手の感触を確かめながら、ウードはそう独り言ちる。
 肌色の膜を上から被せ、指きちんと5本つけられた義手だ。各指の操作は『念力』で行うようになっている。義手の上には白手袋をしており、また服もゆったりしたものに替えているから、そうそう義手だとは気づかれないだろう。
 水メイジに“診られた”ら、直ぐに右腕に異常があることが知られるだろうから、こちらの対策も考えなくてはならない。

 城の者たちには、昨晩、ウードが教会から帰らなかった理由は、神父と宗教談義で盛り上がってしまっていたからだと言うことにしておいた。
 過去からの奇行の積み重ねで、こう言った時もさほど怪しまれないのは、何と言うべきか。
 村で栽培している新品種をふんだんに使った昼食を城で名代の男と食べ、村を辞する。
 再びユウレイグモのようなシルエットのゴーレムに乗り込むと、花畑、バロメッツの果樹園、森林地帯を越えて一路シャンリット家の本邸へ。

「ああ、この腕のこと、どう説明しようかな。気が重い……」





 ウードは帰るやいなや家族への挨拶もそこそこに、庭の隅の自分の研究室“グロッタ”へ引っ込んだ。
 そうしてグロッタに母エリーゼと家宰の老爺を呼び寄せると、自分の身の呪いが進行したことを義手を外して示してみせた。

 様々な標本が並ぶ中で、3人は今後のことを話し合う。

「母上、このままでは私は早晩、ヒトでなくなってしまうと思います」
「……肩ごと切って、他の誰かの肩と入れ替えてしまうとか出来ないの?」
「一度右腕を切り落とそうとしたのですが、そうすると、大顎の毒袋に凝縮された呪いが他の場所へ移ろうとしました。根本的解決にはならなさそうですし、次は脳も含めて頭ごと変異するかもしれません」

 あーでもない、こーでもないと母子が意見を戦わせる中、家宰の老爺が口を開く。

「私にいい考えがございます」
「ん、爺や、言ってみなさい」

 エリーゼが促す。そして老人は信じがたいことを言う。

「呪いを私に移してくださいまし。そうすれば収まるのでしょう?」

 2人が息を呑む。
 正気なのかと老爺の瞳を見遣るが、狂気の色は伺えない。
 そこに見えたのは決然とした覚悟のみである。

 確かにそれはウードも考えたことだ。誰かに呪いを移すことで、呪いの進行を押さえられるのは既に実証済みだ。
 だが、今回もまたそれをやってしまっては、今後段々と歯止めが効かなくなるのではないか、と彼は危惧し、躊躇っていたのだ。

「それは……、出来ない」
「何故ですか。もう既に一度、同じ事をされていらっしゃるでしょう」

 そう、毒牙で呪いを移すというのは、既に経験している。捕縛した盗賊を生贄にしたことがある。その事もこの場に居る2人には話してしまっている。

「確かに、それが一番確実で合理的だ。呪いを誰かを生贄にして移すのが、現状では最も手っ取り早く確実だ。安易な手段だとも言えるが」
「では、その生贄には私をお使いください。私ももう長く生き過ぎました」

 それに、と老爺は続ける。

「蜘蛛になれば、先代様の下へと向かい、再びお仕えすることも出来るでしょう」
「爺や……」

 彼は蜘蛛に変化してしてしまった先代シャンリット伯爵、ウードの祖父の下に行きたいというのだ。
 先代当主の変容に気が付かず、何も出来なかった事をこの老いた家宰は自責しているのだろうか。
 そこにエリーゼが口を挟む。

「ウード。実は爺やはもう長くないのよ。全身に腫瘍が出来ているの」
「何ですって。本当なのか、爺や?」

 ウードは爺やに確認する。

「はい、ウード様。本当でございます」

 ウードが念のために診察用の『ディテクトマジック』を用いる。
 確かに、不自然に血流が集まっている場所が幾つかあると分かった。それが恐らく腫瘍だろう。
 ウードであれば、老爺の体内に〈黒糸〉を侵入させてその腫瘍を切除する事もできるだろうが、それをこの家宰は望むだろうか。

「……そうか。私なら、治せるかも知れんが……、良いのか、治さなくて」
「もう、充分に生きました。それに、フィリップ様にこれ以上、先代様のことを隠し立てするのにも疲れましたので」

 ウードの父フィリップは、シャンリットの血脈に宿る蜘蛛の呪いのことや、フィリップの父である先代伯爵の最期など、何も知らない。
 フィリップにも様々な症状は表れているだろうが、その都度、彼の妻であるエリーゼが体調を調整したり呪いの捌け口になっているのだ。エリーゼの胎内に移された呪いは、月のものと一緒に流れていくそうだ。

「――本当に、良いんだな?」

 ウードが家宰の老人に、あまりにも重い秘密を抱えてきた忠臣に確認をする。

「お願いいたします」

 老爺の返事を聞くと、ウードは立ち上がり、服を肌蹴る。そして同じく立ち上がっていた爺やを抱きしめる。

「母上、爺やが痛みを感じないように、魔法でサポートをお願いいたします」
「分かったわ」

 エリーゼが杖を構え、痛みを和らげる魔法を使い始める。

「爺や……」
「ウード様も大きくなられて……」
「今まで、ありがとう。そして済まない」

 自然とこれまでの事が思い出され、ウードの目から涙が溢れる。初めて魔法を教えてもらったこと、礼法の授業で怒られたこと、一緒に執務をしたこと……。
 別れを惜しむように一層強く抱きしめると、爺やもそれに応える。爺やの身体はまさに折れそうなほどに細く脆く、重病人のそれであった。その事にウードは一層切なくなると同時に、まだそんな感傷を感じることが出来る部分が自分に残っていたことに安堵する。

「いえ、良いのです」
「もしも会えたなら、お祖父様に宜しく頼む」
「はい」
「本当に、済まない。そしてありがとう」

 この場に居る皆の頬を涙が伝う。

「――いただきます」

 そう言うと、普段はウードの右の脇腹に隠されていた毒牙が鎌首をもたげる。
 大きな毒牙。それは躊躇うように数瞬、切っ先を揺らし、老人の背中へと打ち込まれた。
 毒牙の付け根の関節部にある毒袋から、侵された者を蜘蛛に変えてしまう毒が送り込まれる。

 泣いて歯を食いしばりながら、ウードは爺やに食らいついた。

 濃縮された強力な毒は、あっという間に爺やの体内を大小様々な蜘蛛に変えながら、侵食していく。
 エリーゼが唱えるヒーリングの光が、老爺の痛みを和らげる。
 やがて毒牙を撃ちこまれた背中を起点に、主に胴体から下半身が無数の蜘蛛に変わって、老いた忠臣は絶命した。
 幸い、エリーゼが血流を操作したことと、毒があまりに強すぎて上半身に回る前に触れた場所を片っ端から蜘蛛に変えてしまったため、老人の胸から上の部分は蜘蛛にならずに原型を留めている。

 死に顔は安らかであった。例えそれが筋肉の弛緩によって齎された偽りの安らかさだったとしても。

「爺や……。お祖父様に宜しく」

 ウードが毒牙を抜き取り、再び自らの脇腹の窪みへと折り畳む。
 ウードの大顎の毒袋は家宰の老人の献身の甲斐あって、殆ど空になってしまっている。
 老爺の体内から生まれいでた無数の蜘蛛たちは、ウードのグロッタからめいめいに這い出して、外へと散らばっていった。
 アトラク=ナクアが橋を架けている深淵の谷にいるであろうウードの祖父に、この小蜘蛛たちは会えるであろうか。


 翌日、爺やの葬儀が密やかに行われた。
 屋敷のものはウードの父フィリップを始めとして皆、この長年の忠臣の死に涙し、悲嘆に暮れた。

 これはウードを含めて誰も知らない事だが、後日、埋葬された爺やの遺体からは密かに首が刈り取られて、棺桶の中には精巧な人形が残されることとなる。
 そして爺やの首は他の死体たちの首と同じように人面樹に捧げられてしまった。
 ゴブリンたちの知識収奪のための墓暴きは、ウードの身内であるとかそういったことは考慮されていないためであった……。

 その事実をウードが知った時に、果たして彼はどう思うであろうか?
 その非情さに憤り、死してなお弄ばれた者を悼むほどの人間性は彼に残されているだろうか?
 それとも爺やの経験がそのまま失われずに、蒐集され蓄積されたことを喜ぶだろうか?





 日差しの強い夏が去り、小蜘蛛の遊糸の漂う秋が過ぎ、静かな冬も越えて、季節は巡り春がやって来ようとしていた。

 ここはシャンリット領のとある村。

「はーい、トマトを育てる方はこっちの苗を取って行ってくださいねー。小麦は、こっちの種籾を使ってください、新しい品種です。育て方はこちらに書いてあります。読めない方は、読める方に読んでもらうか、文字教室に行って文字を習って下さーい。勿論、僕に聞いてもらってもいいですよー」
「おーい、坊主、こっちの苗はなんだ?」

 村の広場に作物の苗や種が所狭しと並べられている。7~8歳の丁稚と思われる少年少女たちがパタパタと忙しなく動いては、やって来る農民たちに対応し、苗や種を配っている。良く日に焼けた肌をした少年少女たちは皆、蜘蛛の意匠をあしらったエプロンを付けている。同じエプロンを付けている大人もチラホラと目につき、やはり対応を行っている。

「それはカボチャですねー。害虫や病気に強くて、甘くて美味しいものです」
「ホントにタダで持って行っていいのか? しかも肥料まで貰って……」

 若干遠慮がちな農民を前にして、丁稚の少年はにっこりと笑って応対する。

「ええ、持って行ってもらって構いません。まあ、作ってもらった分はうちの商会の方で適正な値段で買い取らせてもらいます。売るときに他の商会に売らないようにしてもらえば、それで充分です。あ、持って行く時は、台帳に名前書いてくださいね。書けなければ代筆しますけど」
「ん、じゃあ代筆を頼む。ブラン通りのトーマスだ」

 丁稚の少年は蜘蛛の絵柄のエプロンのポケットから台帳を取り出すと、聞き取った名前を書き記す。

「ブラン通りのトーマスさんですね。カボチャを20本、と。あ、別に全部が全部アトラナート商会で配った奴に替える必要は無いですよ。少しずつ試して行ってもらえれば良いので」
「ああ、流石に初めての作物を畑全部に植えつけるような博打打ちは居ないだろうよ」

 去年の秋頃から、シャンリット内の村落に、アトラナート商会という新しい商会が店を構えるようになった。
 冬に入る頃には、行商も通らないような寒村から、大きな街まで、何処に行ってもアトラナート商会の店が軒を出すようになった。
 冬の農閑期にも商店の軒先には野菜や肉が並び、貧しくて飢えた村人には暖かなスープやパンを出す代わりとして、彼らの時間を貰って文字や計算を教えたりした。食べ物をあげる代わりに、他にも畑を開墾するのを手伝ってもらったり、井戸を掘るのを手伝ってもらったり。
 また、夜も明るくなる永続『ライト』の魔道具を各家庭に絵本や教材とセットで無償で配ったり、病人を無償で診たりもしている。

 そして、春。アトラナート商会は農民たちに商会の新種の作物を配っている。

「それもそうですね。あ、どんなモノが取れるかイメージ湧かないかも知れないので、去年商会で採れた野菜を使った試食用の料理も向こうに用意していますよ。是非食べてください。自信作なんですから!」
「おお、相変わらず気前がいいねえ、坊主のところは」
「いえいえ、皆さんが良い作物を作って、私たちが皆さんから作物を買う。そして、その皆さんに払ったお金で、またウチの商会で買い物してもらえれば良いんです!」

 そう言って、少年は胸を張る。農民の男――トーマスは愉快そうに笑って、少年の頭を撫でてやる。

「ははは、その成りでも一端に商人な訳だな! しかし、学もあって魔法も使えて、ってお前ら一体何でこんな辺鄙なトコで商人やってるんだ? もっと貴族の召使でも何でも、良い職もあるだろうに」
「うーん、まあ、今でも貴族の召使みたいなもんですよ。この商会はウード様……伯爵家の若様の肝入りですからねー。領民が豊かになるようにって、若様が作った新品種をこうやって配ってるのも、井戸掘ったり、畑広げたり、下水道を作ったり、計算や文字を教えたり、『ライト』を配ったりってのも、全部そうです」
「へぇ! そりゃあ素晴らしい若様じゃないか!」

 こうやって口コミで領民のウード人気(伯爵家に対する好感度)を上げることも、アトラナート商会の業務の一環である。

「『知ることの喜びを多くの人に味わってもらいたい。その為には先ず、生活に余裕が必要だ』というのが口癖だそうです。領民皆に、広く教育を行き渡らせたいんだそうですよ」
「へえ、えらいことを考えるお人だね。まあ、生活に余裕が必要ってのは、同意するよ」
「ああ、そうだ、もし職に困ってる人がいたらうちの商会に言ってもらえれば、斡旋するので、そちらも宜しくお願いしますね」
「ははは、随分手広いな。えーと何処だっけ、花畑が綺麗で大きな建物が沢山あるって言う、そうだ確かダレニエ村ってとこで働き手を募集してるんだっけか」

 ゴブリンの商会の拠点となっている村――ダレニエ村(蜘蛛の村という意味)の方は順調に発展しており、およそ一年前に村の商品を捌くために立ち上げた商会はかなりの利益を上げ、多くの税を伯爵領にもたらしているそうだ。

 そのゴブリンたちの商会の名前は“アトラナート商会”。
 蜘蛛の意匠をトレードマークにした商会である。蜘蛛は豊穣のシンボルでもあるため、別にトレードマークとして用いても不思議な話ではない。
 ゴブリンが中枢を占める商会であるのは秘中の秘である。というか中枢の主要構成人員はゴブリンかゴーレムかガーゴイルである。
 この村でトーマスに応対した少年もゴブリンであるし、周りの蜘蛛のエプロンを着けているのはゴブリンか、でなければガーゴイルである。

 ちなみに商会構成員のガーゴイルはほぼ人間と変わらない動作・思考が出来る。
 領内の汚職神官たちと入れ替わっているガーゴイルと同じで、ゴブリンメイジ達が命と引き換えに作り出した分身とも言えるガーゴイルだ。
 最近はアトラナート商会の売上から幾らかを『土石』の購入に充て、それを用いさせることで更にガーゴイルの精度を向上させている。

 アトラナート商会は『サモン・サーヴァント』のゲートを利用した輸送網を構築しており、シャンリット領内ではどの村にもアトラナート商会の商店が節操なく出店している。

 商っているのは食料品や高性能で安価な日用品や、新種の作物の種、肥料、病気によく効く薬などなど。
 地域への浸透や新作物の普及のために結構無料で商品を配ったりもしている。
 正直、採算は度外視である。これは将来への投資であるからして。『シャンリット領の流通改善、産業育成、雇用創出に民間と領主とが協力して当たるための新しい形の事業主体』というの商会であるため、これで良いのだ。

 アトラナート商会の事業の中でも特に新種の作物の普及は非常に重要だ。
 文明の発展には食料供給の余剰とそれに伴う労働力の余剰が不可欠だからだ。

 収穫量が多くなるように改良した作物を普及させれば、それによって余剰が発生する。
 そして、税や自家使用分以外の余剰分は適正価格で商会が買い取りすることとなっている。
 買取の際は全商店で共通規格の升や秤を使っている。度量衡の普及も商会の一つの仕事である。

 また、農村の方では商会が銀行も兼ねている。口座を作って作物買取の代金を振り込むのだ。
 辺境の村まで貨幣経済に組み込むこともアトラナート商会拡大の目的の一端である。

 商店には各種商品のカタログも取り揃えており取寄も行っている。
 一両日中には大抵のものが届くということで評判は大変よろしい。
 召喚ゲートを使った流通網は、世界最速だろう。

 商会の店員は基本的には全てゴブリンメイジである。背格好の問題から名目上は丁稚とか小間使いと言うことになっている。
 ちなみに店長はゴブリンの人格を焼き付けた大人型ガーゴイルである。

 店員のゴブリンメイジは村のインフラ整備なども暇を見て、時には村人と協力して行っている。
 ガーゴイル店長はガーゴイルゆえに魔法を使えない為、魔法を使うのは丁稚役のゴブリンメイジの仕事だ。
 その奉仕活動の中でも井戸と揚水機の製作は村人にかなり喜ばれた。

 それで、お近づきの印としてお守りと称して商会の紋――蜘蛛の意匠をあしらい、アトラク=ナクアの文字を刻んだもの――を村人に配るのだ。
 『ほら、領主サマの使い魔にあやかってね。身につけてると悪いことから守ってくれるんだ』とか言って。
 何気に地道に蜘蛛神教の普及活動を行っているゴブリンたちであった。

 他にもキャラクター戦略として、取り敢えずは始祖の使い魔であるヴィンダールヴと共に蜘蛛の幻獣がブリミルを助ける話なんかを捏ぞ…げふん。発掘して絵本にして配っている。
 配った絵本を利用して農閑期には、村人に読み書きや計算を教える教室を開いたりもしている。

 教室に来てくれた人たちに、お菓子や料理を出すのも忘れない。
 農民は基本的に時間が無いのだから、来てくれたお礼はしないといけないからだ。この時に出す料理は新種の作物の試食も兼ねている。
 読み書き出来るようになれば、養蚕や養蜂、新技術、新作物の育成方法の普及もマニュアルを配って行えるようになるから、大分楽になるはずだ。

 教育や情報戦はこのハルケギニアでは大抵の場合は教会が抑えてしまっているものだが、シャンリットの領内に限っては神官たちをガーゴイルに入れ替えてしまっているから、教会のネットワークとの軋轢も無い。
 教会の神父に入れ替わったガーゴイルと、商会の各村落の支店が構成するネットワークで、流通のみならず情報網もアトラナート商会が握っている。
 本格的に私立学院を設立するという事態になれば、王宮の許可も必要になるかも知れないが、現状は全て伯爵家の裁量で行えている。

 ここまで様々な事業に手を出してもアトラナート商会が破綻していない。
 それ所か大きく利益を上げている。
 アトラナート商会が大きな利益を上げることが出来たのは、何より、奴隷扱いのゴブリンたちを使っているので人件費が抑えられるという理由が大きい。ゴブリンはバロメッツからポコポコ生まれさせることが出来るし、知識経験を引き継いでいる状態で生まれるから即戦力になるし。
 あとは地下の風石からほぼ無尽蔵にエネルギーをタダで取り出すことができるからというのもある。

 アトラナート商会は勿論、トリステインの王都、トリスタニアや各地の大都市にも支店を構えている。こちらで商っているのは、セレブ向けに、シャンリット伯爵が発明したとされる〈カメラ〉や、香水、婦人向けのスパイダーシルクや新素材によるドレスなどなど。また、庶民向けには新鮮で旨みたっぷりの野菜を売り出している。
 最初は売り先の確保が難しかったが、地道な営業と品質の高さからあっという間にシェアに食い込んだ。この際に人面樹に吸わせた商人たちの知識・ノウハウも大いに役に立った。
 召喚ゲートを用いた物流では関所を通らないため関税が掛からず、他の商人に比べて圧倒的な安さを誇っているのも大きな勝因である。

 このカラクリに気づいたら関税に意味が無いと悟って、所得税や法人税に切り替えてくるだろうがそれまでは好き勝手やる算段である。
 ちなみにシャンリット領内では既に関税は撤廃済みである。懇切丁寧にシャンリット伯爵に関税撤廃後の流通の活発化の予想と法人税による税収増加を説いたためだ。
 まあ、最後には、関税撤廃後の税収減については、向こう二十年間は減った分をアトラナート商会が保証するということを確約する、という切り札を切らざるを得なかったのだが……。
 とは言っても元から流通は活発ではなかったので、関税収入はたかが知れた金額でしか無い。仮に減税分を補填するとしても、アトラナート商会の大きな負担にはならないだろう。

 アトラナート商会はゲート輸送による関税無視の輸送のカラクリで結構な利益を確保している。最初は他の商会からの輸送を一手に請け負ったりして荒稼ぎした。お陰で商会の馬車の護衛を生業にしていた傭兵たちの仕事がガクッと減ったとかで、嫌がらせを受けたこともあったが、まあそのような輩は闇から闇に葬られ、人面樹の餌となった。
 他にも、内緒であるが、裏ルートからゴブリンメイジを娼館や各商店の丁稚として割安で人足として提供している。

 商会の利益は各村のインフラ整備や教育、新品種や新商品の研究開発などの投資に振り分けられている。


 あまり派手に儲けていると、各所から目をつけられるかも知れないので、不穏な動きが無いか、周囲の動きには気を配るようにゴブリンたちは気を付けている。娼館や貴族の館で奉公させられているゴブリンたちとも、連絡を取り続け、様々な情報を取得している。
 また、人的なネットワークだけでなく、ウードはゴブリンメイジ達にも〈黒糸〉の杖の秘密を教え、それを用いた諜報活動もさせている。

 どうやら、複数のメイジが一つの杖を用いることは問題ないようで、ゴブリンたちも問題なく〈黒糸〉を使えている。
 〈黒糸〉を教えたのは蜘蛛神教に対する貢献の一環でもある。
 蜘蛛の糸のように大地を覆った〈黒糸〉は、ゴブリンメイジたちの信仰対象であるアトラク=ナクアともイメージが被るため、ウードは更にゴブリンたちの社会の中で尊敬を集めるようになった。

 〈黒糸〉をきちんと杖として認識出来るのも、ゴブリンたちが蜘蛛神教の信徒であるということが大きいのかもしれない。
 だが、もしも、ゴブリンが捕まって拷問されて〈黒糸〉の秘密が漏れたらまずいので、現在、使用者認証機能を〈黒糸〉に付加できないかウードが思案中である。

 ウードの杖であるカーボンナノチューブ集合体〈黒糸〉はもはやトリステイン全土を隈なく覆っており、現在は世界中に張り巡らせるべく拡大中である。
 カバー範囲拡大に際しては地下の風石の魔力を用いており、魔道具によって自動で〈黒糸〉を伸展させている。
 また、広げた先に風石の鉱脈があればそこから魔力を補給するというエンドレスループを形成させているので、幾何級数的に拡大スピードが上がっており、試算ではあと2年も掛からずにこの惑星を一通り覆えると出ている。
 そこから得られる情報を解析するには何十年と、いや百年単位で時間がかかるだろうが。

 〈黒糸〉の伸展と同時にそこから得られた情報の解析をゴブリンたちが急いでいるが、このままでは確実に百年単位で時間がかかる。
 地底からだけではなくて空からの情報も、つまりボトムアップだけではなくてトップダウンの情報も取得し、両面からの解析が必要だと思われる。
 そのためゴブリンたちは空から様々な情報を観測できるような、飛行型のガーゴイルを開発しようと躍起になっている。最終的には静止衛星軌道に拠点を作ろうと画策しているようだ。

 同時にコンピュータもしくは、それに類するインテリジェントアイテムの開発も行っている。
 情報処理速度の向上もまた急務であった。
 半導体素子の作成も研究させているが、まだまだ時間がかかりそうだ。

 なにせ、電気関係の物理法則の実証から入ったのだ。
 まあ、これまで、各種の数学的公理の証明だとか微積分法の開発だとか、精確な単位の設定だとかをやっていたのに比べれば、格段の進歩ではある。
 現在はモノの加工精度がまだまだであるので、加工精度や測定器の精度の向上を重点的に行っている。
 取り敢えず、電磁誘導やコンデンサや抵抗器、トランジスタ、モーター、電池など基本的な概念はウードからゴブリンたちに伝えてあるので、その内に実用化されるだろう。







 蜘蛛の糸の繋がる先は 10.過去の因縁はまるでダンゴムシのように隙間から這い出してくるのだ



 



 さてウード・ド・シャンリット15歳、いよいよ魔法学院入学の年である。
 彼は現在、自分の研究室“グロッタ”で学院に持っていくものを準備している。

「あー、これとこれは別に『錬金』で作り直せば良いか。
 こっちの書類はまだ見てないから、行きの道程で読むか」

 名門トリステイン魔法学院。王都近くの閑静な場所にあるその学び舎に通うことは貴族嫡子のステータスである。
 また学院在籍中の恋愛関係は、既に婚約していても関係なく優先されるという暗黙の了解により、玉の輿を狙う女子学生の狩場ともなっている。
 ウードは片腕が半ば不具になってしまったが、それでも父母の熱心な勧めで学院に入学する運びとなった。

 学院を卒業するまでのウードの主な目標は、学院に集まる貴族子弟とのコネクションの確立である。
 あとは〈黒糸〉の使用において使用者認証機能を設ける為に、学院の教師陣から教えを請うことである。方法としては例えば杖自体に知性を付加して使用者を判断させるというのが出来ないかと、ウードは考えている。

「研究は何処ででも出来る。折角学院に行くんだから、コネクション作りを頑張らなくては。アトラナート商会の拡大、ひいては総合大学の設立のためにも、コネは必要だ。
 母上を見ていて思ったが、学院時代のコネクションはやはり非常に有効だ。アトラナート商会が発足するまでシャンリット領が保ったのは実質、母上のコネクションのお陰だし」

 ウードの父母が身分違いの恋の末に駆け落ちしたことに端を発して、シャンリット領はウードの母エリーゼの実家である公爵家の意向で経済的な封鎖が行われていた。
 アトラナート商会も有形無形の妨害を受けているが、アトラナート商会でしか商っていない商品や作物も多いことや、品質や精度の高いモノを扱っているということで、徐々に信頼を獲得し、他領にも食い込んでいっている。

「そういえばいい感じにお金が集まってきてるから、商会には魔道具やインテリジェンスアイテムの蒐集を更に強化するように指示を出すか。
 今はもう製法が失われた古の魔道具を研究解析して、その機能を再現出来るようにしたい。
 特に〈ゲートの鏡〉が欲しい。ゴブリンからの報告によると、2つの鏡同士を繋ぐという魔道具があるらしいんだが……。これが手に入れば、今は〈サモン・サーヴァント〉の召喚ゲートで行ってるのをもっと安定させることも出来るし、生物の輸送も出来るようになるだろうし……」

 荷物纏めの最中に見つけた書類を読み返しながらウードは呟く。
 今読んでいるのは、現在ゴブリンたちが捜索している古い魔道具についての目録だ。
 それらが手に入ることによる恩恵について、荷造りを中断してウードはあれやこれやと頭を巡らせ始める。

「マジックアイテムといえば、王都には師匠も居るし、学院に行く途中には挨拶しとかないとなー。
 色々と相談したいこともあるし、3年は何かとお世話になるかも知れないし、きちんとしとかないと。
 お土産は何がいいだろうか、やはりお菓子か何かだろうか? マジックアイテム作成に使える精霊石の類?
 ……家事手伝い用にゴブリンメイジでも一匹連れて行って行った方が喜ばれる気がするなあ」

 師匠は家事が徹底的にダメだから、などと師匠について思い出しつつ、読んでいた目録を放り出して、荷造りに戻る。
 マジックアイテム作りの師匠のことを思い出すと、連想で、ウードの魔法の師匠であった老爺のことも思い出される。

 そう、ウードが呪いを移して殺したあの老人だ。
 彼のお陰で、ウードは今の所、呪いに苛まれることなく普段通りに振舞えている。
 だが、何分やむを得ず緊急であり、そして老爺も望んでいたという事情があったとしても、身内に等しい人間を殺すという体験は、ウードの箍を確実に緩めてしまっている。

 そんなこんなで時に思索に暮れ、時に感傷に浸りつつもウードは準備を進めていく。
 片腕が上手く使えないので、『念力』を器用に使って物をドンドンと移していく。



 数日後。出立の日。門前に家族が並び、ウードを見送る。ウードの前にはユウレイグモ型の足長のゴーレムが待機している。ゴーレムの胴体部分にはシャンリット家の紋章が刻印されている。

「では、行ってきます、父上、母上」
「ああ、しっかりと学んでくるのだぞ」
「他の貴族の方に粗相のないようにね~」

 商会による領内開発のテコ入れによって税収増の見込みが立ったため、魔法学院に入学するにあたっての金銭的問題は解消されている。
 魔法学院のある王都周辺まではシャンリット領から馬車で10日。竜籠でも2日はかかっていた。こんな辺境では、魔法学院に入学するのも一苦労なのである。
 学費もバカにならないし、物価の差もあるし、やたら舞踏会系の学校行事が多かったりして見栄を張るお金も必要だし……。まあ、諸侯以上の嫡子は魔法学院で学ぶことが半ば義務になっているのでウードの場合は通わないという選択肢は無いのだが。

 「片腕が不具になったので廃嫡して下さい。魔法学院にも通わせて貰わなくて結構です」とウードは父母に伝えたのだが、フィリップの「家計に余裕はあるから取り敢えず魔法学院は出ておけ。廃嫡云々はその後はっきりさせる」という言葉で魔法学院行きが決定したのだ。
 一昔前のシャンリット家の収入では、嫡男のウードはともかく、妹のメイリーンや弟のロベールを入学させるお金は無かっただろう。
 アトラナート商会の尽力により、領地収入が増える見通しが立った今なら、ウードの弟妹を魔法学院に入学させても財政的に何の痛痒もない。

「じゃあ、またな、メイリーン、ロベール」
「はい、お兄様。長期休暇の折には、必ず帰ってきて下さいね」
「おにーちゃん、どこかいくのー?」

 弟のロベールは2歳半ばで、まだまだウードが何処かに行くことが良く分かっていないようだ。まあ、メイリーンがいるからウードが居なくなっても寂しい思いはしないだろう。
 帰ってきたら弟に忘れられていた、なんてことが無いように、必ず長期休暇は帰るようにしよう、とウードは思う。

「ああ、帰って来るさ。ロベールに忘れられても困るしな」
「ぼく、わすれないよー!」
「ふふ、帰ってらっしゃるのを心待ちにしてますわ」

 妹のメイリーンは最近ますます母のエリーゼに似てその美貌に磨きをかけている。
 メイリーンはエリーゼの水メイジの才能を受け継いだらしく、霧を操って虹を作ってはロベールをあやしている。あの対軍魔法『集光(ソーラーレイ)』を継承する日もそう遠くはないかも知れない。
 母のエリーゼは体術が苦手だったため接近戦に弱かったが、メイリーンは幼い頃からの筋力強化もあり、父フィリップから格闘の手解きも受けているので恐らく接近戦にも強くなるだろう。末恐ろしい話である。

 また、水メイジらしく、メイリーンは秘薬にも興味があるようだ。ウードのグロッタの地下にある秘密標本庫には、メイリーンの興味を惹きそうな劇薬の類も多数保管されている。
 今更手遅れの感はあるが、それらが見つけられて、今以上にメイリーンのマッド・アルケミストの方面への技能が向上するのも恐ろしいので、厳重に封印が施してある。
 液体を操る水メイジが、ニトログリセリンの『錬金』を覚えたらと思うと恐ろしいものがある。王水の鞭でも充分怖いが。きっとメイリーンは将来は、近距離では格闘、中距離では劇物で出来た『ウォーター・ウィップ』、遠距離では『集光(ソーラーレイ)』と無敵の性能を誇るメイジになるだろう。

 グロッタの傍を離れる以上、地下の秘密倉庫の隠蔽にはこれまでより一層注意せねば、とウードは心に誓う。あの中には見られると不味いものが多すぎるのだ。『錬金』で出入口は完全に密閉しているから、滅多なことではバレないだろうけれども。

「夏期休暇の折には、帰郷します。
 アトラナート商会に、遠隔地を繋ぐ魔道具が無いか探させていますし、多分、夏期休暇にはそれで王都とウチの領地を繋げるでしょう」
「おお、そうか、そんなものがあるのか。全く、彼らの手は本当に長いのだな」

 だが、とフィリップは渋面を作って言葉を続ける。

「まあ、今の伯爵家があるのは彼らに依る部分も大きいのだが、本当に得体の知れない連中だ。
 ウードからの紹介じゃなければ、付き合ったりはしなかっただろう」
「まあまあ、いいじゃないですか、あなた。
 彼らもシャンリット領の為に動いているのですから」

 伯爵家内のアトラナート商会に対する評価は、『得体が知れないが便利』、『若様のお気に入り』、『財政の救世主』、『矮人ども』といったところだ。
 アトラナート商会が領内から排除されるほど険悪ではないし、そもそも排除するには伯爵家が受けている利益が大きくなりすぎている。アトラナート商会も、上手くニッチを突くことで既存の商会との軋轢を避けたり、あるいは吸収合併したりしているようだ。

 ちなみに、2地点を繋ぐ鏡の魔道具というのは、人面樹に吸わせた貴族の記憶から在処が判明したものだ。さる貴族が愛人(大貴族の未亡人)との逢引に使っていたらしい。緊急避難路の意味合いもあるのだろうが。
 つまり、逢引用の別荘と貴族宅を繋ぐものと、その逢引用の別荘と愛人宅を繋ぐものの2組の鏡があるのだ。2組あれば、王都とシャンリット領を繋ぐ分と、複製を作るための研究用の分も確保出来る。

 現在、ゴブリンたちは、手段を問わず鏡の確保を急いでいるところである。
 この鏡を解析すれば、行き詰まっている『サモン・サーヴァント』のゲート術式の研究も進展するだろう。

「では、名残惜しいですが、行って参ります」
「ああ、気をつけてな、ウード」

 ウードは蜘蛛型ゴーレムの背にあるキャノピーを開けて、手荷物を放り込み、『レビテーション』を使って自身も内部のリクライニングシートに乗り込むと、ゴーレムを操って王都へ向けて街路を進ませる。
 その他の大きな荷物は商会の宅配サービスを用いて学院まで届けてもらう手筈になっている。

 ユウレイグモ型のゴーレムはその長い脚をゆらゆらと大きく揺らしながら街路を進み、徐々に屋敷から遠ざかっていく。
 ゴーレムはガーゴイル化されており、王都までの街路は自動操縦で進むことが出来るようになっている。馬車を操る御者ゴーレムの応用である。
 これでウードが寝てる間も蜘蛛型ゴーレムを行軍させることが出来る。恐らく丸2日も動かし続ければ王都まで着くだろう。

 ウードは手荷物の中から、今日中に目を通さなければいけない書類を取り出して読み始める。
 移動中も〈黒糸〉を通じて商会のゴブリンメイジたちとは連絡を取れるし、商売は水物であるので決裁を滞らせる訳にはいかないのであった。新しい書類も〈黒糸〉を通じて『遠見』の魔法で手元に映される。必要なら写真の要領で紙に焼き付けることも可能だ。
 その他にも日々新しい研究成果が報告されるので、ウードとしてはそれを読むのが純粋に楽しみだということもある。





 葡萄畑や田園地帯を通り抜けて、到着したのはトリスタニア。
 遠目から見ても王城が目立つその街は、トリステインの王都。王のお膝元である。
 シャンリット家の別邸もあり、何名か家臣が詰めている。今後は商会関連や総合大学開設のための根回しに、パーティを開催したりなどでよく利用するようになるだろう。

「うーむ、目ぼしい古道具屋とかはもうゴブリンたちが見て回っているし、王立図書館の本も必要なものは粗方は写本しているし。
 師匠に会いに来たり、商会関連の折衝を行うときに来るくらいかな。たまにはウチの別邸に顔を出すのもいいかも知れない」

 アトラナート商会トリスタニア支店は郊外に建設してある。全体的に鋭角が少なく、円や球を連想させる建物で、巨大な倉庫を併設している。
 そこでウードは預けていた荷物を受け取る。『サモン・サーヴァント』の召喚ゲートを利用した輸送によって、シャンリット領で預けた荷物はウードのゴーレムより早く王都に着いていたのだ

「ウード様、お預かりしていたお荷物はこちらです」
「ああ、ありがとう」

 王都の支店に詰めているゴブリンは、特に身体が大きい氏族が多い。
 系統魔法の才能はそれほどでもないが、成長の調整や、様々な幻獣の遺伝子をキメラ技術で混ぜることで強靭な肉体を得ている氏族だ。
 あまり小柄すぎると、王都の衛兵から補導を受けたりするので、10歳くらいに見える氏族が外回り要員として主に配置されている。内勤は様々な氏族が入り交じっているが。

 幻獣とゴブリンメイジのキメラは幾つかの氏族系統が存在し、身体能力強化に特化したものや魔法能力強化に特化したものなどがある。血統によっては翼人のように翼があったり、ミノタウロスのように蹄や角があったりする者も居る。
 彼らはあまりに遺伝子が混ざりすぎていて子どもが残せないため、一代限りの宿命だが、バロメッツによる量産によって子どもが産めない欠点は気にする必要が無くなっている。

 ゴブリンたちの量産にあたって、伝染病の発生には特に気をつけさせている。アトラナート商会の本拠地であるダレニエ村でも、公衆衛生の徹底をしている。都市化による人口の過密化は常に疫病の流行と隣合わせであるからだ。
 今のところ、天然痘や結核、ペストやエイズ、インフルエンザなどの致命的な流行は起こっていないが、将来的にそういったことが起こらないとも限らない。
 品種改良によって遺伝的多様性に乏しくなっているから、伝染病はゴブリンたちにとって致命的になりかねない。
 ひとつの対策として、使い魔の寄生虫と融合する〈バオー〉氏族の研究によって、氏族以外のゴブリンでも免疫力や生命力を強化出来る融合共生虫も開発中である。

 ゴブリンの伝染病だけでなく、バロメッツや人面樹の伝染病や害虫の発生にも気を使っている。
 特に人面樹が全滅すると、大きな知的財産の損失である。

 動物同士、植物同士のキメラが可能な以上、病原体のキメラというのもゴブリンの研究所では研究されている。
 強毒型インフルエンザやエボラ出血熱、天然痘、ペストなど、前世の世界にあったような病原菌やウィルスはこの世界にも存在する。
 それらを蒐集し、研究し、対抗策を考えたりする研究施設なのだが、その過程で超強力なキメラウィルスが出来たりもする。

 何かの拍子にバイオハザードが起こったりしないように、危機管理だけはしっかり行っているが……いつか何かをやらかしそうである。ウードの性質は“迂闊”であるからして。
 まあ、それも含めた対策(フェイルセーフ)は考えられてはいるのだが……。

 街並みは郊外の田園風景から、雑多で活気あふれる居住区へと変貌していた。
 公衆衛生について考えを巡らせつつも、従者姿の荷物持ちゴーレムを引き連れてウードは歩く。

 やがて、職人たちが軒を連ねる通りに入り、ウードの師匠のアトリエに到着する。
 ドアノッカーを鳴らす。
 中で『サイレント』を掛けていなければ誰かが応対するだろう。

「……どちらさまで」
「ウード・ド・シャンリットと申します。こちらの親方に世話になったものです。この度、魔法学院に入学することになったのでそのご挨拶に」
「ああ、これは失礼を。確かに親方から伺っております。こちらへどうぞ」

 師匠の徒弟と思われる少年に促されて、工房に併設された事務所に通される。
 ここの工房はカメラの製造でかなり儲けておりそのお金で拡張したのだという。現在もアトラナート商会から委託されてカメラの製造を行っている。
 王都にアトラナート商会が進出する際には、職人同士のつながりを通じて色々と口を利いてもらったりしている。

「おーおー、ウード君、久しぶり」
「師匠も壮健そうで何よりです。あ、こちらはつまらないものですが」

 事務所に通されたウードは師匠と向き合い、ずっしりと精霊石や金銀など何やらいろいろ詰まった箱を渡すと、簡単に挨拶をして近況について話し合う。
 カメラの価格をどうするかとか新商品の開発とか色々と。

「では師匠、今日はこれくらいでお暇します。また近くに来たときは寄らせてもらいます」
「なーに、君ならいつでも大歓迎だよ。
 それより、その腕は大丈夫かい? 吊っているけど、それ、利き腕だろう?」
「ああ、この右腕ですか。ちょっと幻獣討伐の時にやらかしてズタズタになっちゃいまして……。いやはやお恥ずかしい。
 普段は『念力』を使って身の回りの事をしているから支障はないですよ」

 今では『念力』の方が手よりも器用なくらいです、などと、ウードはあらかじめ考えていた言い訳を口にする。
 蜘蛛に変容した右腕は、いつもは三角巾で吊り下げた形に固定しているのだ。
 対外的には幻獣討伐の時に負った傷が元で不具になったと言うことにしている。

「ふーん、君が傷を負うトコなんか想像できないけどね」
「まあ、慢心していたんでしょう。では失礼します」
「あー、じゃあ、また今度な。ウード君」

 師匠の工房を後にしたウードは少しトリスタニアの街並みを見て回る。
 日が傾き始め、夕飯を提供する食堂などは早速仕込みを初めているようだ。料理の匂いがそこかしこから風に乗ってやって来る。

 また、忙しく荷車を引いて動いているゴブリンたちもちらほら見かける。
 アトラナート商会の宅配サービスのゴブリンたちであったり、他の商会の人足として割安で雇われているゴブリンたちだろう。
 もっと日が傾いて、夜が深まってから色町の方へ行けば、ひょっとすれば特殊な嗜好を満たすために娼館で働いているゴブリンたちの姿も見られるかも知れない。

「ふむふむ、ゴブリンたちの浸透も順調? かな」

 再び郊外まで来たウードはアトラナート商会トリスタニア支店の前に停めていたユウレイグモ型ゴーレムに乗り込む。
 ゴーレムの後ろには商会で受け取った荷物を詰めたコンテナを結わえ付けている。
 コンテナを『レビテーション』で浮かすと、そのままゴーレムを魔法学院の方へと進ませる。

「まあ、夕日が沈むまでには着けるだろう」

 道すがら、何台かの馬車とすれ違う。恐らくは王都から魔法学院に今季入学する生徒やその荷物を運んでいった帰りだろう。
 行き交ったり追い抜いた者たちは、ウードの大きな異形のゴーレムを見て、驚いたり眉を潜めたりなど様々な反応を返してきた。

 中には護衛のメイジが牽制のために杖を向けてきたものもあった。

「おいおい、蜘蛛の異形で驚いていたら、ドラゴンなんかに行き遭った時はどうするつもりだよ。心構えが足りないんじゃないか?」

 蜘蛛の足は8本。ゴーレムを歩かせていても4本は常に地面に付いている。重心を安定させるには3本接地していれば充分だ。つまり、その気になれば5本を迎撃に回すことが出来る。
 ウードは、8本ある脚のうちの1本を振るって、ある馬車の護衛のメイジが生み出した『火球』を振り払い、霧散させる。
 そして直ぐに残りの脚を使って跳躍する。『火球』を放ってきた護衛メイジを飛び越して、街道を跳ねて魔法学院に向かう。

 まあ、5メイルはある蜘蛛の化け物みたいなのが向こうからやって来たらビックリするという気持ちも分からないわけではない。
 だが、このハルケギニアに暮らす以上はどんな異形の使い魔に遭っても吃驚しない度量を身に付けておくべきだろう、とウードは思う。ウードの乗るゴーレムは確かに悪趣味ではあるが、決して非常識な姿形ではない。このハルケギニアの動物として充分にあり得る形をしている。

「ああ、もう、王都で普通の馬車に乗り換えてくるべきだったか」

 跳躍に伴ってダイナミックに揺れるコックピット内で、そうやって後悔する。ゴーレム後部に結わえた浮遊コンテナがゴーレムにぶつかってガツンガツンと衝撃を伝えてくる。

 その時、跳躍した方向から夕闇を払わんばかりの眩い火の手が迫る。
 先程霧散させた牽制目的の『火球』を上回る勢いの――明らかにトライアングルクラスの炎がウードのゴーレムを襲わんとする。

「う、わ! 何だ!?」
「あああああああ! 蜘蛛! 蜘蛛! こっち来るな! あっち行けええええぇぇええ!」

 キャノピーの向こうから、恐慌に駆られた絶叫が聞こえる。
 若い男の声だ。学院の生徒だろうか?
 鉄をも溶かす炎が次々とウードの乗る蜘蛛型ゴーレムに発射される。発射元はウードの前を行く馬車のようだ。

「あああああああ! キモイ! どっか行けええええ!!」
「ちょ、おま、やめ! 当たる当たる! うわあああ!」

 その連射される高温『火球』をウードはぴょんぴょんとゴーレムを跳躍させ、風を纏わせた脚で振り払って逸らして避ける。
 幾ら何でもトライアングルスペルが直撃すればタダでは済まない。
 その回避の挙動がまた何か癇に障ったのだろうか。飛んでくる『火球』の勢いが増す。

「うわあああああ! 避けんな! あああああああ! その動きがキモイ! 当たれよ! クソッ!!」
「おおお!?」

 轟々と『火球』がコックピットを掠める度にウードは冷や汗を流す。既にゴーレムの脚のうち3本は『火球』を迎撃するうちに熔け落ちてしまっている。

「やってられん! 全速前進!!」
「うをおおおおおお! 死にさらせええええ! 蜘蛛めえええ!」

 ウードは残った5本の脚をグッと縮ませると、そこに蓄積させた弾性エネルギーを一気に開放する!
 急加速による凄まじい加速度がウードの身体にかかる。
 体内の〈黒糸〉によってウードの肉体強度は大きく上がっているが、それでも耐え難い加速度だ。

「うあ、きつい……! 気持ち悪い、酔いそう」

 着地して、再び跳躍。着地、跳躍、着地、跳躍、着地、跳躍……。
 前後左右上下に揺れるゴーレムの中で、ウードは先程の魔法を放った馬車について考える。追い越すときにちらりと見えた馬車の紋章にウードは見覚えがあった。

「あのトライアングルクラスの『火球』を撃ってきた馬車の紋章には覚えがある。
 確か、母上の元婚約者の家系の紋章だったハズだ。そう、父上が昔、母上を賭けた決闘で下した相手の紋章だ。
 名前はなんと言ったか……ドラクロワ、だったか、確か」

 シャンリット家に恨みを持っている家は幾つもあるが、ウードの両親絡みでは二つの家が主に敵となる。
 一つは母方の実家である公爵家。
 もう一つがウードの母エリーゼの元婚約者であるドラクロワ家。

「まさか父上にノされた本人が乗っていたって事はあるまいが、話に尾鰭がついて一族でウチのことを敵視しているという可能性はある、か?
 まあ向こうの家にしてみれば、メンツを潰されたのだから順当か。
 しかも、母上の実家は、未だにあっちの家に肩入れしているから調子づいてるんだろう。
 というか、肩入れも何も母方の実家の公爵家の一門だからな、ドラクロワ家って」

 本来であれば、ドラクロワ家としては公爵令嬢と婚姻関係を結んで家臣団の中での地位を磐石にするという腹積もりだったのだろう。
 しかし、ウードの父フィリップに略奪愛されたことによってそれもご破算になったというわけだ。

「先程の絶叫を聞くに、こっちがシャンリット家と知って魔法を放ってきたわけではなさそうだが……。
 何だったんだ? 蜘蛛になんかトラウマでもあるのか? 蜘蛛恐怖症(アラクノフォビア)?」

 顔はウードの方からは見えなかったが、最悪の初対面であったことは間違いないだろう。

「本当にアラクノフォビアだったら、絶対に俺とは相容れないな。蜘蛛の可愛さが分からんとか、永久に分かり合える気がしない。
 まあ、色々因縁もあるし、ともかく関わらないようにしよう。そうしよう」

 ウードの行く先に漸く魔法学院の塔と城壁が見え始めた。





 学院に到着したウードが案内された寮の部屋は4階の角部屋だった。
 図書室まで遠いのが玉に瑕だが、まあ、『フライ』の魔法を使えば問題なさそうだ。

 ウードは着いて早々、寮の部屋と言わず、学院の建物全てに〈黒糸〉を浸透させていく。
 学院の敷地には元々〈黒糸〉を張り巡らせてあったが、その上に更に濃密に張り巡らせる。
 いつ、何処に居ても瞬時に〈黒糸〉にアクセス出来るようにしておかないとウードは安心できないのだ。体内の〈黒糸〉を媒介にすれば無手でも魔法は使えるとは言え、やはり周りも〈黒糸〉に覆われているかそうでないかでは安心感が違うらしい。

「勘の良い人間は、〈黒糸〉が張り巡らされたことに気づくかもしれんが……、構うものか。
 何かが張り巡らされていることには気づくだろうが、それが私の〈黒糸〉の杖だとは気がつくまい」

 〈黒糸〉がウードのものだと気づいたところで、それはそれで問題ないだろう。
 そうなれば、学院は既にウードの腹の中も同然だという慄然たる事実に気が付き、決してウードに近づこうとはしないだろうから。

 日は沈み、夜は更けて、明けて、日は昇り、また傾いて、再び夕日。
 ウードは丸一日かけて〈黒糸〉を学院中に偏執的なまでに張り巡らせた。これで、この学院でのウードの死角は無くなった。
 奇襲に完全に対応できるとは言いきれないが、この〈黒糸〉の結界の中ではそうそう死ぬことも無いだろう。

「うむ、これで安心だ。この〈黒糸〉による蜘蛛の巣の中で無いと、もはや落ち着かないからな。
 あとは研究室作りかな。何処か学院の隅の地下にでも造ろう」

 もはや〈黒糸〉を張り巡らせるのは習性と言って良いレベルではないだろうか。
 そして巣を張った後、ウードは、誰にも見られない場所に“洞窟(グロッタ)”を造ろうと決意する。
 〈黒糸〉に認証機能を付ける研究をしなくてはならないのだ。

「研究室を造ったら、まずはインテリジェンスアイテムの作製と、それを杖として使用しようとした際に、そもそも契約出来るのか否かの検証。
 また、杖として契約出来るとして、インテリジェンスアイテム側から契約拒否や魔法行使の制限が可能かどうか……」

 越してきたばかりの寮の一室を歩き回るウード。丸一日ずっと〈黒糸〉を錬金し続けていたのでお腹がすいているが、そんなものは炭の塊と空気から最低限、糖とアミノ酸と脂肪酸を錬金して、塩分とかリン酸類を原子核変換の『錬金』で作って血管に点滴すれば解決だ。因みに排泄物も体内の〈黒糸〉で『錬金』すれば綺麗サッパリ無くなる。研究生活十数年、このウード、引きこもりの為の魔法は既に完成させている!
 標本群も写本の類も置かれていないので、書類が山と積まれている実家の研究室と違い、彼の歩みを邪魔するものは無い。シャンリットの屋敷のグロッタでは、そこかしこに置いてある標本群と目が合ったり、積み上げられた書類の影から滲み出る名状しがたい気配があったりして、またそれが彼にブレークスルーを齎したりするのだが、それもこの部屋にはない。

 歩き回るウードは、吊っていた右手を自由にし、嵌めていた義手を外すと、黒々とした甲殻を矯めつ眇めつ眺める。
 ヒトで言うならば手首の辺りから、それは二股に別れている。
 ウードは丁寧に、その鋏のような形の指を曲げて開いて動作を確認し、そこにびっしりと生えている感覚毛をゆっくりと逆立てていく。

 長い間誰も使っていなかったために淀んだ空気の、その埃っぽい匂いを、ウードは右手で感じた。埃だけではない。此処の前の住人の残り香さえも感じられる。この指先は嗅覚も兼ね備えているのだ。
 敏感な感覚毛は、部屋の中の些細な風の動きを伝えて来る。風メイジもかくやという精度があるのかも知れない。
 ぐっ、と3爪の生えた2つの指を握り締めると、思考は別のところに向かう。

「あの『火球』……、ドラクロワ家のメイジは同学年だろうか? 家紋入りの馬車だったから、入学準備だろうし。
 ……一悶着起きなければ良いんだけれど」

 だがそれきり同級生(推定)についての思考を打ち切る。杞憂していても始まらないし、家同士で対立しているからこそ篭絡する価値はあるとも言えたが、実際に会ってみなくては話しは始まらないだろう。

 もう一度研究室の場所の策定に思考を戻す
 ウードが漏れ聞く限りでは、この学院には〈遠見の鏡〉という魔道具があるようなので、その範囲に入らないような場所に造らなくてはならない。
 〈黒糸〉によってマッピングした学院地図を頭に浮かべながら、ウードは地下研究室の設計図を描くべく寮部屋に備え付けの机に向かう。

「入学式までには研究室を完成させたいな。突貫作業になるが、どうせ他にやることもないし。人足としてゴブリンを幾つか借りてくるべきだろうか……」

 その日から入学式当日まで一週間あまり、ウードの部屋の明かりは消えることがなかった。

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馬車で1日に進める距離を約70KMと仮定。(巡航速度15KM/h 一日5時間稼働)
王都までは700KMくらい。
竜籠は、時速70KMが巡航速度で、一日に5時間乗ったとして2日かかると計算。

多脚戦車的な蜘蛛型ゴーレムは足の長さもあり、巡航速度25Km/hで、24時間稼働とした

2010.07.18 初出
2010.07.21 誤字修正
2010.10.05 ユウレイグモ≒エヴァンゲリヲン(テレビ版)第9使徒マトリエルみたいなイメージです
2010.10.06 修正 


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