遍歴の旅、初日。
もぉ~。
昼下がり、土に染みいる、牛の声。
「ん~、いい天気」
御者台の上、胸一杯に濃厚な土の匂いを吸い込む。
一面に広がるのどかな農村風景の中、ごとんごとんと荷馬車が揺れる。可哀想な子牛は載せていない。
「そろそろ着くよ」
後ろの荷台でお休み中の姉に声をかける。
がさ、と幌布を乱雑に引っ張る音がした。了解した、という合図だろう。
そのまましばらく馬を走らせると、いつか見た事のある村の入り口が見えてきた。
丁度昼時なのか、民家の煙突からは白い煙が上がっていて、小さな子供達が元気に遊んでいる様子が見えた。
本当、元気だなぁ、と安心する。
子供が元気な農村は、それなりに潤っていると判断できる。村に経済的な余裕がなければ、弱者の立場である彼らが真っ先に被害を受けるのだ。
近づくにつれ、子供達の姿がだんだんとはっきりと見えてくる。どうやら男女入り混じっての遊びらしい。
各々が自らの手で作ったのだろう、不格好な木の杖や木の剣、そして木の弓などを携えていた。戦争ごっこ、というやつだろうか?
ん? ちょっと待った。杖や剣はいい。粗悪な造りのソレは殴っても青痣がつくくらいで済むだろうから。
しかし、弓はないだろう、弓は。刺さったらどうするのよ! あぁ、もう。
私は慌てて馬に鞭を入れ、馬車の速度をあげた。怪我をしてしまってからでは遅い。
村の人間ではなくとも、“大人”として、このような危険な遊びは止めなければ!
しかし、そんな私の義務感は、弓を掲げた女の子達の言葉によってあっさりと霧散した。
「私が、“毒殺姫”の役をやるの!」
「エルちゃん、ずるい! 昨日もやったのに! そんなにずるい事ばっかりいうエルちゃんは、正義の味方より卑怯な女メイジ役の方がぴったり!」
「何よ、メイちゃんだって一昨日“毒殺のアリア”をやったくせに~!」
子供達の顔が見えるくらいまで近づいた時、聞こえてきたのは少女達の口論。
うん。
これはどうやらこれは戦争ごっこではなく、何かの、そうナニかの役柄を決めてそれを演じる遊びらしい。
そして女の子達はどちらが“毒殺姫”もしくは“毒殺のアリア”という役をやるかで揉めているという。
握っていた手綱が思わず手から落ちる。
「なんでさ……」
停止した馬車の上、思考も停止させた毒殺姫は口の橋をひくつかせながら呟いた。
*
始め良ければ終わり良し、という金言がある。
物事の始めが上手くいけば、最後に良い結果を得る事が出来る。
つまり、何事も最初のとっかかりは大事なのだ、という意味だ。
実際には、商売の最初だけ上手くいって、その後ポシャる、なんてことはままあるのだけれど……。
とはいっても、やはり最初から躓きたくないのは事実なワケで。
そこで、私なりに考えた結果、第一の目的地であるハノーファーには少し遠回りではあるが、最初の逗留地には此処、オルベの村を選ぶ事にした。
オルベの村と言えば、一年半程前、私が村全体をペテンにかけようとしていたマルグリッド詐欺師団(だっけ?)をけちょんけちょんにした場所である。
その働きはこの村にとってかなりのものだったはず。何せ、もう少しで一年分の稼ぎがパーになってしまう所だったのだから。
ならば、その恩義をすぐに忘れてしまうような薄情者でない限り、私が遍歴商人として顔を出せば、その商品をたくさん買ってくれるはず!
そう思ってここを初めての行商場所に選んだのだった。
下心丸出し? 褒め言葉ね。立っている物は親でも使うっていうのが商人なのよ?
しかし!
「何ですか、この仕打ちは」
オルベ村の村長宅。
1年半前と同じ席に座った私は、対面に座る村長に肩をすくめてみせた。
辺境で商いをする場合、都市部とは違って特に難しい決まりごとはないので、誰かに断りを入れる必要はあまりない。
しかし、それは飽くまで規則上の事であって、商いを“させてもらう”集落の長に挨拶がてら話を通す、というのはごく当然の感性ではないだろうか。
「ははは、すまんなぁ。だが、村のみんなも決して悪気があるわけじゃないからよ。ちゃ~んと、あんたに感謝はしとるんだて」
「むぅ。しかし“毒殺姫” というのはあまりにも……その、ひどいです」
悪びれる様子もないオルベ村の村長に、私は頬を膨らませて抗議する。
“姫”という単語も、前に物騒な単語がついては台無しだ。
これではまるで私がルール無用の残虐ファイターのようではないか。
もっと色々あるでしょ? ほら……華麗なる妖精とか! 赫々たる天使とか! 燦爛たる戦女神とかさ!
…………。
ま、まぁ、商いをすることは二つ返事でOKしてくれたし、「この村、宿ってありませんでしたっけ?」と聞けば、村長の家にタダで泊めてくれる事になったし、感謝している、というのは本当なのだろうけれど……。
「ぷっ……、くふっ。何度聞いても似合いすぎておる……っ! 極悪非道の毒殺姫! ぶはっ」
隣に座るこいつはうるせーし……。
腹を抱えて笑い転げるロッテ。
先程子供達の会話を聞いた時からずっとこの調子だ。
他人事だと思っていい気なものである。
「何がそんなにおかしいんだか。私はまったくもって面白くないっての」
「まぁまぁ、いいじゃないかい。メイジ殺し、毒殺のアリアといえば、ここらの村じゃ有名なんだで? 商人さんにとっちゃ、有名になることは悪いことじゃあるめぇよ」
横目で、じと、ロッテを睨みつける私に、村長はおどけた調子でそんな事を言った。
私はそれには答えず、呆れたように大きく息を吐き、額を押さえて俯いた。
だからまだ誰も殺してねえし。
……人っぽいモノは殺したというか、ボウボウと燃やしたり、プチッと潰したりしたことはあるけど。
まったく何つうハタ迷惑。
まぁ、これで一つの謎は氷解した。
私の名前を聞いただけで震えあがって逃げ出した、あの無礼な三人組。
噂というのは、えてして尾ひれをつけて広まるものだ。
三人組の反応から見るに、既に“毒殺姫”の都市伝説は面白おかしく誇張され、ゴテゴテに装飾され、聞くに堪えないモノになって広まってしまっているのだろう。
解きたくもない謎が解けてしまったところで、私はもう一つ「はぁ」と溜息を吐いた。
「あのぅ、どうかしたんかね?」
とぼけた顔で覗き込むようにして問う村長。
どうかした、って、そりゃフツー、イヤでしょ? 自分の預かり知らぬ所で益体もない噂が一人歩きしているなんて。
「くはは、思ったより噂が広まっていなかったので落ち込んでおるのじゃろう? ケルンにはそのような愉快な噂は届いておらんかったものな。この目立ちがり屋め!」
「おぉ、なるほど! そういうことかぁ。いやぁ、さすが姉妹だねぇ」
私の背中を、ばんばん、と叩く上機嫌なロッテ。
村長は得心がいったように、ぽん、と手を叩く。
「何、心配せずとも栄誉ある“毒殺”の名は妾が責任を持って、各国各地の旅先で広めてやる。くはは、安心せい!」
「出来るかっ! この馬鹿っ!」
渾身の右ストレートが、とてもいい表情をしたバカの顔面にめり込んだ。
*
「さあさあ、お立合い! 老いも若きも、男子も女子も、ご用とお急ぎのない方はゆっくりと聞いて行ってくださいな!」
長袖のワンピースを豪快に肩までたくしあげ、腹の底から威勢のいい声を絞り出す。
村の中心に位置する広場には、野良仕事を早めに切り上げた村人達がぽつりぽつりと集まり始めていた。
傾いた陽の光が、立派な店に化けた馬車の荷台をスポットライトのように照らす。
判りやすく、見やすく、手に取りやすく、選びやすくの精神で古今東西の品々が陳列されたそこは、ヴァルハラの宝具殿すら凌ぐ私達の宝箱。
「生まれも知らずに、こちらの姉と流されたるはライン川! そうして辿り着いたは商い道ってぇ修羅の道! 石の上にも三年、親父の浮気、許されるのも三年目! ようやく皆々様の前に不細工な面を晒すことができるようになったのでございます。……おっと、たった三年と馬鹿にしたもんじゃあありません。三年もありゃ、隣の婆さん墓の中! 乳飲み童女も乳出す母親になるってなもんでさぁ!」
まだまだ人が少ない広場だけでなく、村の隅から隅まで響かせるくらいのつもりで啖呵を切る。
これが行商人としての初商い。もっともっと、村中の人達をここに掻き集めなければ!
商売人や貴族でもない市井の人々を相手にする時は、しゃちほこばった態度や気取った態度よりも、客を楽しませるくらいの気持ちで商いをするのが吉、と私は考えている。
だから、服装も旅着である無地のワンピースのままドレスアップはしていない。
そういうのは都市部の商人や貴族が相手の時だけで十分。こういう所では、ケバケバするよりもチャキチャキした方がウケがいいはず。
商売人にも様々な人がいて、考え方も色々だから、これが正しいとは言い切れない。
しかし、今までの経験上、出来る商人ほど人懐こく、他人を楽しませる術に長けているように思えるのだ。特に、一般の消費者を相手にする小売商にはそういうタイプの人が多かった。
そして行商というのは二面性を持つ商売である。
都市の商社にモノを売る卸売商であり、また、農村の消費者にモノを売る小売商でもあるという二面性だ。
だからそれを行う遍歴商人にもまた、そういう二面性、言いかえれば様々な状況に対応する能力が必要なのではないだろうか、と思うワケで。
「おいおい、いくらなんでもそれは、言い過ぎってものじゃろう? ほらみい、お集まりの皆様も、とんだホラ吹きだ、と呆れてしまっておる」
控えていたロッテが、私の啖呵に大げさなリアクションを取りながら合いの手を入れた。
よしよし、打ち合わせ通り。後で飴ちゃんでもあげようか。
「いえいえ、そんなこたぁございません! 忘れちゃいけねぇ、あんな色っぽい後ろ姿の別嬪さんを」
そう言うと、私は手近にあった民家の畜舎を指差した。広場に集まった聴衆は、その動きにつられて首を振る。
そこには飼葉を食むのに夢中になっている雌牛の大きな尻。
くすり、と広場に微かな笑い声が響く。
「なるほど、アレは確かに主と同類じゃな」
「な、ばっ」
ロッテはそう言うと、突如私の胸をばいん、と乱暴に叩いて揺らした。
そこで、どっ、と大きな笑いが巻き起こった。
変なアドリブ入れるな! 痛いっての! しかも完全な下ネタだしさぁ。
ほら、あそこの娘なんて、親の仇を見るようにめっさ睨んでるし。
まぁ、掴みとしては上等だからいいかな?
「さて、雌牛と見まがわれる私でございますが、一応、人としての名があるのでございます。もちろん、姓などありゃしませんが、名をアリア、人呼んで“毒殺姫”と発します」
深々と頭を下げて名乗りをあげ、久々に装着したリピーティング・クロスボウを聴衆に見せつけるように腕をかざした。
どよどよ、とお客達がざわめく。
「あれ? 毒殺姫ってあんな顔してたっけぇ? 何かもうちょっと田舎臭かったようなイメージがあるんだけんどなぁ」
「いんや、それよりもあの娘って12,3だろ? その年であれは……巨乳ならぬ、嘘乳ってやつかいな」
ひそひそと訝しげに囁き合うのは若いカップル。
……ちょっと、聞こえてるんだけど。
ふふ、四六時中いつも一緒なんて、なんか腹が立つわねぇ。何なら貴方達の身体で実演してあげましょうか、毒殺姫の実力を。
「あんなほっそい腕で、1秒に16発射撃できるって、ほんとかなぁ?」
「あの変な形した黒い弓がすごいんじゃない? それより、口から毒の霧を吐くって方が嘘臭いなぁ」
訳のわからない事を口走っているのは村の子供達である。
……やっぱり、悪気があるわけじゃないってのはウソかもしれない。
ま、それは置いといて。
敢えて“毒殺姫”を名乗ったのは、私の顔は忘れていても“毒殺姫”の名はここにいる全員が知っているだろうから。
もちろん、気に食わない、というか出来れば記憶からも、世の中からも抹消してしまいたいほどの二つ名ではある。
しかし、この村でその名を使うのは、どう考えても効果的なのだから使わない手はないでしょう。
「そしてこちらは私はおろか、エルフよりも恐ろしいと噂の姉リーゼロッテ。何が恐ろしいって、一度唾をつけた男は骨まで噛み砕くってなもんで。二人でやっと一人前な私共の貧乏露店、一世一代の大勝負! 皆様、どうかご贔屓のほどを」
私が意趣返しを含めた他己紹介をすると、ロッテは引き攣りながらも聴衆の声援に手を振ってこたえる。
ちなみに黄色とは程遠い声援を送っているのはやはり鼻の下を伸ばした男共である。
あ~あ、私もそこそこイケてる女になったかな~、なんて勝手に思っていたんだけど。
フーゴのような特殊な趣味の人だけか、私の方に好意を持つのは。まぁ、それでいいけどさ。
にしても、かなり人が増えて来たわね。
こういう主街道から外れた農村では、狭い範囲で決まったルートを営業しているような行商人(ジグマ)しか来ないだろうし、ちょっとしたイベントみたいな感じなのかも。
「ではそろそろ商いのお話などもさせていただきたく」
名乗りを終え、かなりの人数が集まった事を確認した所で、私は懐から真新しい商業組合≪アルテ≫の組合員証を引っ張り出し、お客へと提示し、そう切り出した。
組合員証の提示には商いを始めます、という合図の意味がある。
商談の時、取引の時、何かしらの許可を得たい時などは、組合員証を提示して名乗る、というのが商人の作法なのだ。
ちなみに私達が所有している組合員証はこれ一つだけ。
私の分だけ、という訳ではなく、それには私とロッテ二人分の名前と経歴が載っている。
私とロッテの商売は、お金を出し合って一つの事業を共同経営する商社のような形態の事業。
なので、二人の個人でなく、一つの共同体(『僕』のセカイで言う“法人”みたいなもの?)として組合に登録する事も出来たのだ。
こうすれば、組合に納める加入費や年会費は一人分で済むし、商売をする上で必要な諸手続も一括して行えたりと、個別登録するよりも利点が多いのである。
「さて、まず取りだしましたるは、遥かガリアの彼方からやって参りました乙女にございます。さあさ、皆様買ってやって下さいませ」
ざわめく聴衆に差しだすように荷台から取りだすのは、アキテーヌ産のノンヴィンテージワイン。さほど高級なものではない。仕入価格は一本あたり38スゥ。
同じガリアのワインでも、ボルドー1級などは6エキュー近い仕入値になってしまうから、ワインというのは偽物に対してかなり注意が必要な商品である。
「おや、この儚げな姿を見てもまだ財布の紐が緩んでこない? こうなりゃ仕方ない、聞くも涙、語るも涙、お嬢様の因縁聞かせましょうか」
広場全体を見回すように問いかけると、ぽかん、と口を開ける聴衆達。まだまだ購買意欲は湧いていないようだ。
そりゃ、いくらで売るかも言ってないのに買う人はいないわよね。
「彼女の生まれはアキテーヌ、いいとこ育ちのお嬢様。しかぁししかし、幸せは長くは続かないのが世の無情ってわけでございまして。甘く熟したイイ女を放っておくようなブドウ農家はおりやせん。そうして彼女は無残にも彼らの手によって、家(樹)から攫われ、足で嬲られ、裸に剥かれ、木の樽ってぇオリに繋がれてしまったのでございます。それから暗く湿った牢獄で過ごす事幾数年、幾数十年、やぁっとお天道様の元に出てみりゃ、そこは見ず知らずのゲルマニアでしたって、これで買い手がつかなくちゃ、そりゃああんまりってもんだ!」
そこまで言い切って、私はおよよ、と泣き真似をする。
「はは、値段によっちゃあ買ってやるで、お嬢様!」
「エールはよく飲むけど、ワインってあんまり飲んだことねぇなぁ。どんな味がするんかね?」
「あはは、いつも来る商人さんより面白いわ、この娘。よぅ口が回るねぇ」
反応は上々。
結構な割合で興味を持ってくれた人がいるようだ。
「さあ、気になるお嬢様のお値段は、いつもニコニコ現金払いは52スゥ! もちろん、現金以外も歓迎! 小麦であれば、14リーブルと4オンス、乾燥豆なら47リーブルと6オンス! その他の物と交換したい方はどんなものでも応相談、安心な相場価格で対応します!」
私が売値を発表していると、ロッテが村の倉庫から借りてきた大きな秤をどん、と私の前に置く。
「この秤は村のモノじゃ! 何が言いたいかといえば、量のごまかし、計算のごまかしは一切せんという事じゃ! その辺の心配はせんように!」
ロッテは聴衆のざわつきに負けないよう、手でメガホンを作り、声を張り上げて言う。
これは、私達が持っている秤を使うよりも、村の秤の方が彼らの信用が得られるだろうという配慮。一応、目盛が狂ってないかはチェック済み。
勿論、現金で買った方がお得ではあるのだが、こういう農村ではまず物々交換が普通で、通貨による取引は殆どないと思っていい。
……え? 仕入値の3割増しで客に売りつけるなんて暴利だ、詐欺だって?
それは大きなミステイクというやつだ。イヤっていうほど信用の大切さを叩きこまれた私が、そんな商売するわけないでしょ?
これでも普通の小売相場価格と大きくは外れていない。むしろ行商人が扱う価格としては少し安いくらい。
確かに、粗利(売値-仕入値)だけを見れば暴利かもしれない。
しかし、これらの品を売りさばくために私達は、長い旅をしてお金を使う。
ワインは割物だから、運んでいるうちに必ず売り物にならなくなるモノも多く出てくる。
都市部に入る時には最低3パーセントから最高1割近くの税金(ゲルマニア内)も取られてしまうし、国境を渡る際には関税がとられる。
何者かに盗まれてしまう危険性だってあるし、売れなかった分は丸損になってしまう。
そういうリスクを考慮した上での利益(純利益)で考えると、最終的には一割強程度の儲けにしかならないのだ。
ちなみに、商人が“利益”といった場合は、粗利ではなくこの純利益の事を指す。
そういうわけで、決して私はアコギな商売をしているわけではないのだ。
「はは、仕方ねぇ、村の恩人の頼みだからな。そのくらいなら一本買ってやるよ」
「ちょっと待っててくれや、ひとっ走り納屋に行って麦を取ってくるからよ」
「ねぇ、蜂蜜漬けのリンゴでも交換できる? ウチでつくったものなんだけどさ」
「か、買ったら、その、握手してもらっていいですか?」
「そんなことより弓教えてくれよ! 弓! 僕もメイジ殺しになりたい!」
おぅ……これは予想以上の反響!
やはり毒殺のネームバリューが効いたのか、それともこれが私の実力か!?
どどっ、と一斉に押し寄せてくる聴衆からお客様にグレードアップした村人達が、口々に購買の意思を示す。
あぁ、これは嬉しい。
もしかするとあの大告白よりも嬉しいかも(……ってこれはフーゴが可哀想か)。
『僕』風にいうと、βエンドルフィンが大量分泌、脳汁の大バーゲンって感じ!
これよ、この臨場感よ、これこそ行商の醍醐味だわ!
「あハ、慌てなくても大丈夫ですよぉ、順番に計量するので、列に並んでくださいねぇ」
怒涛の勢いで迫るお客達に緩んだ声で言うが、あまり効果はなかったようだ。
私とロッテはお客の中心でもみくちゃになってしまった。
だが、それもいい。
「お、おい……っ! これではモノ売るってレベルではないぞ! いたっ、こら、落ち着け!」
「あらあら、困ったわねぇ。嬉しい悲鳴とはこのことかしら」
「何を悠長な事を……ひっ?!」
文句を言いかけたロッテは、突如びくん、と体を震わせたかと思うと、顔を紅潮させた。
「だっ、誰じゃ! し、尻を触られたぞ、今っ!」
「ふふ、いいじゃない、減るもんじゃないんだし。……あ、お買い上げですね、ありがとうございます! はい、対価は小麦ですね? では計量しますのでこちらへどうぞ!」
どうでもいい事を気にしているロッテを尻目に、雪崩のようなお客の波を捌いていく私。
「無視するな、このたわけ!」
「何よ、くだらない事気にしている暇があったら仕事しなさいって! ほら、私は計量をするから、あんたは品出しやって! それと、ニーズの調査も! 次来る時に欲しい物をお客様に聞いてリストに纏めておく事!」
「ぐ……」
「ほらほら、スマイルを忘れているわよ、スマイル!」
私はぱんぱん、と手を叩いて矢次早に指示を出す。
ロッテは不貞腐れたようにしながらも、渋々、持ち場につこうとする。
「あ、いいこと考えちゃった」
「ぬ……?」
それを引きとめるように、アハ、と指を鳴らす私。
「商品を買うと、もれなくお触りできる権利をお付けします! って、よくない? これなら売り上げ倍増も夢じゃ──」
「させるかっ! この阿呆っ!」
光の速度で放たれた手刀が、私の脳天を直撃した。
*
ホゥ、窓の外でフクロウが鳴く声がした。
「つ、疲れた……」
ぼふっ、と力なくベッドに倒れこむロッテ。
「うふ、うふふふふ! 天才よ、やっぱり私、商売の才能があったんだわ!」
それとは対照的に、同じベッドで足をばたばたとさせながら一人で盛り上がる私。
夜も更け、店じまいした私達は、村長宅の客間でくつろいでいた。
「まったく、いい気なもんじゃ。なぁにがお触りオッケーじゃ。この淫売め」
「ま~だ言ってるの? というか、触らせるのはあんただけのつもりだったし、淫売でもなんでもないわ。まだ、フーゴにだって触らせてないんだからね!」
「余計に性質が悪いわっ!」
「いっ、いだだあっ! ご、ごめん! すいません! 私が悪かったです!」
まだ痛みの残る脳天をグーでぐりぐりとされ、私は涙目になって謝罪の言葉を述べた。
うん、あの時は私もちょっとおかしかった。今考えればあり得ない発想でした。
でも、仕方ないでしょ、初の行商であれだけお客がついたら、遍歴商人なら誰だって興奮してしまうだろう。
実際、あの後、他の商品も飛ぶように売れたのだ。
いやぁ、実にありがたい事です。やっぱり商売にコネというのは重要だな、と再確認。
売った商品は、ワイン、麻布、麻糸、安価な染料、あと意外だったのは香水を欲しがる人が多かったことかな。
ハノーファーというか、都市の商社向けに買いこんだ商品はあまり売りには出さなかったし、実際売れなかった。麦酒なんかはここで作っているくらいだしねぇ。
「はぁ、まぁ良い。暴走しがちなお主を止めるのも妾の仕事であるしな」
「え? 逆じゃない?」
「ほぅ、まだやられたりんか?」
「いえ、もう十分です……」
はぁ、と拳に息を吹きかけて私の首根っこを掴むロッテ。
「……で、結局、今日はどのくらい儲かったんじゃ? あれだけ客がいたんじゃし、かなりのものになったと思うが」
「まぁ、全部足すと、全部で150エキューは売れたと思う。新米の遍歴商人が一度に稼ぎ出す額としては相当ね」
「なんと! 一日でそんなに儲かったのか! すごいな、行商というのは!」
ロッテは目を輝かせて、花咲く笑みを見せた。
おいおい、ちょこっと移動するだけでそんなに儲かったら、今頃みんな大商家になってるっての。
「待った、勘違いしないで。売上、つまり“収益”が150エキューなのよ。“粗利”としては、仕入と諸掛(仕入時にかかる諸費用)、つまり“売上原価”を差し引いて、大体30エキューちょっとってところかしら」
「専門用語ばかりでよくわからんのじゃが? えぇと、つまり、実際に儲かったのは30エキューということか? まぁ、それでも上々ではないか。妾の給金1か月分くらいが一日で儲かったのじゃし」
ロッテはくるくると円らな瞳を動かしながら言う。
「えぇとね、まず、“粗利”というのは純粋な利益じゃなくてね。今回、旅に出る時に色々お金つかったでしょう?」
「あぁ、そうじゃな。服とか、寝具とかな」
「……で、喜んでくれているところ、非常に言いにくいんだけどね? そういうのを考えると、実はまだ儲かっちゃいないのよね。むしろ今持っている資産は初期の1009エキューよりマイナスなわけよ(※1)」
「何っ?! あれだけ頑張ったのに?! ふ、ふざけるなっ!」
怒髪天を突くと言った感じで怒りをあらわにして立ち上がるロッテ。
ですよね~。
そりゃ、めちゃくちゃ売れた~って喜んでいた所に、実は損してますよ、なんて言われたらね。
「もちろん、今日の商売ではちゃんと儲けは出ているわよ? ただ、まだまだ初期投資を埋めるだけの儲けはでていないってこと。でも、大丈夫よ、この調子ならすぐ取り返せるわ」
「ぬぅ……、そう、か。はぁ」
私は努めて明るい調子で言うが、ロッテはがっくりと肩を落とす。
「ん? ……しかし、売り上げ自体は相当に良かったのじゃろう? では、ケルンとこの村を往復するのはどうじゃ? それならばすぐに初期投資分など取り返せるのでは?」
思い出したようにロッテが意見を言う。
うん、意見を出すのはいいことよ、お姉様。
でも、もう少し考えて発言しましょう、50点。
「ダメダメ、今回は“毒殺姫が初めて行商に訪れた”、っていう物珍しさで売れたってのもあるから、次からはそれほどの売り上げは期待できないし。それに、短期間で何度も同じ村を訪れたって、ニーズがどんどん減少していって何も売れなくなるだけよ。まぁ、そういう商売をしてる行商人もいるけど、あんまり儲かりはしないわね」
「ふぅむ。なるほどのぅ……。あぁ、ニーズといえば、村娘共が、流行りの服や化粧品はないのか、と言っておったぞ」
「え? 農村の娘達がそんなオシャレっ気あるの? 私とか妖精亭で買ったドレス以外、ほとんどお古で買ったやつなんだけど」
「そりゃ、女なら誰でも綺麗になる努力をするじゃろ。ま、妾くらいになると放っておいてもこの通りじゃがなっ、くはははっ」
「服と化粧品ねぇ。正直、行商では扱いが難しいのよね、個人の趣向に左右される商品ってのは」
もうちょっとニーズの傾向がわかったら、商品のラインナップも再考してみようか。
オルベの村は割と裕福な方だし、余裕があまりない村や、他の地方ではそういった嗜好品はあまりニーズがないかもしれない。
「ナチュラルに無視か」
「ん? 何が?」
「いや、何でもない。やれやれ、人間というのは成長が早いものじゃな」
ロッテは感慨深げによくわからない事を言う。
まぁ、吸血鬼に比べれば年を取るのは早いわよね。
「……ま、気を抜けるような段階じゃないけど、最初の商いとしては、上々って事で!」
「ふむ、お主がそういうならそうなんじゃろうな。……ふぁ、頭を使ったら余計に疲れたわ」
「そ、じゃ、そろそろ寝ましょうか。明日も早いし」
「むぅ。早起きは苦手じゃ」
枕元のランプを消し、二人でもそもそと布団に潜る。
「これからよろしくね、パートナーさん」
呟きながら、こつん、とおでこを寝ころぶロッテの背中にぶつけてみるけれど、既に寝入っているのか反応はなかった。
やれやれ、何とも寝付きのいいヤツだなぁ、などと思いつつ、私もまた、胸に抱いた確かな手応えと自信と共に、幸せな眠りに着くのだった。
あ゛、でも“毒殺姫”っていう二つ名だけはなんとかしないと、なぁ……。
アリアのメモ書き
毒殺姫の商店(?)、初日
(スゥ以下切り捨て。1エキュー未満は切り上げ)
評価 まだまだ駆け出しってところね
道程 ケルン→オルベ
今回の費用 売上原価(売れた分の仕入額、諸掛を含む) 119エキュー
(※1) 租税公課、組合費(入市税、関税、組合費とか)50エキュー
通信費(郵便代とか) 1エキュー
旅費交通費(運賃、宿泊費とか)0エキュー タダで泊まれた、ラッキー♪
消耗品費・雑費(紙代、文具代、衣料費、食費など)133エキュー
給料(お小遣い)10エキュー(私3エキュー、ロッテ7エキュー)
計 313エキュー
今回の収益 売上 152エキュー
★今回の利益(=収益-費用) ▲161エキュー
資産 固定資産 乗物 ペルシュロン種馬×2(耐用10年、定額法による年単位の減価償却)
中古大型幌馬車、固定化済み
(付加価値 ラインメイジによる固定化 △5エキュー)
(固定化されているため減価償却しない)
(その他、消耗品や生活雑貨などは消耗してしまったものとして費用に計上するものとする)
土地建物 なし(……まだまだ先の話ね)
商品 (ガ)アキテーヌ産赤ワイン ▲
(ロ)染料(サフラン、インディゴ)
(ロ)香料(シナモン、ショウガ)
(ゲ)デュッセルドルフ産エール
(ゲ)ケルン産香水オーデ・ケルン ▲
(ゲ)南部産牛皮革(油なめし済)
(ゲ)南部産麻布 ▲
(ゲ)南部産麻糸 ▲
(ゲ)南部産細葉大青(染料) ▲
(ゲ)西部産小麦 △
(ゲ)西部産乾燥豆類 △
(ゲ)西部産瓶詰め果実類 △
計・843エキュー(商品単価は最も新しく取得された時の評価基準、先入先出の原則にのっとる)
現金 50エキュー(小切手、期限到来後債利札など通貨代用証券を含む)
預金 なし(どこの商会に預けようか?)
債権 なし(前渡金、貸付金、未収金、売掛金、受取手形とか)
有価証券 なし(公債など、まだまだ縁がないね)
計・893エキュー
負債 なし
★資本(=資産-負債) 893エキュー
★目標達成率 893エキュー/30,000エキュー(2,9%)
つづけ
○文末のメモ書きについて
ストーリーには関係ないので読み飛ばしても問題なし。
★のついている項目だけ拾えば、今回どれだけ儲かって、今までの蓄積がいくらあるのか、がわかるかも。
※1 今回は独立の準備に掛かった費用を計上。
※2 △=プラス ▲=マイナス 設定的には2章に書き記した通り、複式簿記が完成していることになっているが、ここでは、家計簿式、つまり単式に近い書き方で。