まだ朝も早いというのに、オルベの村人達の大半は、既に畑へと出ていた。
夏穀の収穫が終わってからまだそんなには経っていないが、この時期の農民達は、もう冬穀を作る準備をしなければならないのだ。
「ふわ~ぁ」
そんな中、一人の村娘が眠気を隠そうともせずに、大口を開けてだらしない欠伸を一つした。
「こらぁ、まぁた、おめぇはさぼってやがるな!」
だらけた様子で手を休めている村娘に向かって、同じくらいの年頃であろう少年が声を荒げて怒りつける。
しかし、彼女はその怒鳴り声にびくつく様子もなく、ただ彼の顔を見て「はぁ」と残念そうに溜息を吐いた。
「なっ、なんだい、その溜息はっ?」
「どうしてこの村には、こんな不細工しかおらんね……。やっぱおらみてぇな美人は都会に住む方が似合っとるわなぁ」
村娘は熱っぽい瞳で、ケルンの方角を見ながら言う。
彼女は村から外へは出たことはあまりなかったが、この村にやって来る都市民の多くは、いつもそちらの方向からやって来ることを知っているのだった。
「……もしかして、昨日、ケルンから来たってぇ、商社の使いっぱしりか?」
「使いっぱしり、だなんて失礼な奴だね。ま、やっぱおらみてぇな美人には、あの位の男でねぇといかんだろ?」
「けけ、おめぇみたいなブス相手にされるかい。鏡くらい見ろってぇ……。や、やめっ」
少年は軽口を中断して身構えた。
なぜなら、村娘が無言のまま、彼の顔面に向かって無慈悲に腕を振り下ろしたから。
「ひぶっ」
ごきゃ、と潰れた鼻をさらに潰されながら、少年は空中を泳ぐように3メイルくらい後ろに吹き飛んだ。
腰の入った良いパンチだ。鍛えれば世界を狙う事も可能かもしれない。
「わ、悪かったっ!もう言わんで、許してくれぇっ!」
「かぁっ、情けない男だて。こういう男は性根を叩き直してやらないかんね……ん?」
地に頭を着けて許しを乞う少年を押さえつけ、さらに追い込もうとした所で、村娘はいつも静かな村に似つかわしくない、お祭りのような喧騒が聴こえる事に気付いた。
尻もちをついた少年もそれに気付いたらしく、その騒ぎの出所となっている方向に目を向ける。
「ありゃあ、村長さんの家の方かや?」
「ようけ人が集まってんなぁ。何かあったんだろか?」
彼らが視線を向けたのは、村で一番大きな家である村長宅の方向だった。
その方向にわらわらと、子供から大人まで、かなりな数の村人達が集まっている。
大人達ですら仕事を放棄してまで集まっているとは、よほど珍しい事があったのだろう。
「行ってみっか?」
「……だな」
少年の問いに、村娘は少し考えてから、こくりと頷く。
将来の夫婦は、灯りに釣られた羽虫のように、村長宅の方へ走り出した。
*
村長宅前の広場。
突如現れた詐欺師達と、私達、カシミール商会の面子は睨み合っていた。
とはいっても、エンリコについてはそれほどの敵意を持ってはいないようだが……。
私は刃傷沙汰になる可能性まで考慮して、クロスボウの入った旅行鞄を大急ぎで村長宅の寝室から持ってきたというのに。
まぁ、これは私の考え過ぎかな……。
村長達はどうしていいのかわからず、おろおろとしながらそれを見守る。
長閑な村では、外部の者同士の諍いなど珍しいのだろう、作業に出ていた他の村人達までもが、何事かと、野次馬をしに集まって来ていた。
「酷いと思いませんか、みなさん。人様を捕まえて詐欺師、ペテン師だなんて」
詐欺師二人組の片割れ、額を横一文字に走る深い古傷を残した疵面の男が集まった野次馬に向き、両手を広げてアピールする。
「そうね、詐欺師に失礼だったわ。今時“愚者の黄金”なんて、時代遅れな手口を使う馬鹿な詐欺師はいないもの」
私はふ、と勝ち気に微笑み、皮肉で返した。
「けぇっ、あの黄金がニセモノだっていう証拠はあるのかよ?」
「商人であれば、すぐに見分けはつくわよ、あんなもの」
「……つまり、ここにいるみなさんには証明できない訳だ! お前みたいな子供の出まかせを誰が信じるか! ねぇ、みなさん、そうでしょう?」
さらに疵面の男が聴衆へと問いかけると、ざわ、と村人達が騒がしくなる。
どうやらあちらは、金塊と称して自分たちが村人に掴ませた物がニセモノである事を、この場ではっきりとは証明できないと踏んで、こちらが若年である事による信用の出来無さを突いてくるつもりらしい。
確かに、私達が単なる見た目で金ではないと理論を並べ立てても、村人にはそれが本当かどうかは実際の所わからないだろう。
詐欺師達は、コレは黄金だと主張している訳で、誰にでも一目でわかるような方法で証明をしない限り、私達と彼等、どちらが村人に信用されるか、という勝負になってしまうのだ。
「ふん、貴方達みたいなどこの野盗ともしれない人間の考える事なんて、すぐに──!」
「ストップ、アリアちゃん」
言い返しかけた所で、私のすぐ後ろで様子を見ていたエンリコが待ったをかけて、詐欺師達に向かって頭を垂れた。
「申し訳ありません。弊社の従業員が大変失礼な事を」
ちょっと、何を考えてるの! こんな奴らに頭を下げるだなんて!
「エンリコさん!」
「大丈夫、任せておいて」
私が怒ったように言うと、エンリコはぱちり、と片目を瞑って、私にしか聞こえないようにそう呟く。
どうやら彼も、この詐欺師達が真っ当な商人であるとは思っていないらしく、何か考えがあるようだ。
となれば、“とりあえずは”エンリコに任せておくべきだろう。これは私に任された取引ではなく、彼に任された取引であるのだから。
「今更謝られてもなぁ」
「しかし、貴方にもこれ以上当方を侮辱する事は控えて頂きたいのですよ。私達は確かに若いですが、ゲルマニアに名高いフッガー商会の代理店である、カシミール商店の代表としてここにやってきているのでね」
「む……」
「信用を得たいというのなら、醜い罵り合いを始める前に、商人としてまずやるべきことがあるのでは?」
疵面の男は謝罪から一転、突如強気に出たエンリコにたじろいだ。
そこに、エンリコは含みを持たせた問いを投げかける。
「……何だ、そりゃぁ?」
「組合員証の提示ですよ。……商人同士の取引や話し合いでは当然、最初に行われるべきことなのですがね」
「ぐ……」
痛い所を突かれたのか、疵面の男は若干顔を歪めて息を漏らした。
そして私もまたエンリコの後ろで、「う……」と小さく唸った。
そうだった……。
私は頭から相手が詐欺師であり、まともな商人ではない、と考えていたので、そんな当たり前の事も忘れていたのだ。
確かに、彼の言うとおり、それは一番先に確認する事だったわね。反省、反省。
「……私達は見習い《ガルツォーネ》の身ですので、この証書が身分証となります。そちらの組合員証も拝見したいのですが」
エンリコはいつの間にかテーブルの上から持って来ていた、商店の主人代理である事を証明する証書を、右手で前に突き出して提示する。
……成程、エンリコの手というのはこれか。
商人としての流儀を知らないだけでなく、組合員証を持っていないとすれば、奴らの信用など吹き飛ぶだろう。
モグリで商売をやっている人間に、まともな人間なんていないからね。それくらいは村人だって分かっているはず。
そんなのは、背景を持たないド素人か、組合を追放された元商人、それか法外の商人(闇屋、暴利金融、詐欺師とかね)くらいなものなのだ。
「そ、それはだな──」
「……お前はもう喋るな」
エンリコの指摘を受けて、疵面の男が目を泳がせて言い訳をしようとする。
それを受けて、今まで黙していた、二人組の片割れ、眼のくぼんだ小男が呆れたような物言いで疵面の男を押しのけた。
「いや、こちらこそ連れが失礼をしたね。組合員証の提示も忘れているとは、全く、どうかしているよ。……っと、これでいいかな?」
小男はこちらに向けて軽く会釈をすると、懐からそれなりの年季が入って、いい感じにくたびれているベラム皮製の組合員証を取り出した。
……持っていたのか。
商業組合員証の構造は、どこの国、どの地域でも似たようなものであり、ぱっと見は皮製の折りたたみ財布のような構造をしている。
その内側に、その商人が所属するアルテの印章細工と、商人個人の履歴(どこで何年見習いをやった、とか)が書かれている小型の羊皮紙が縫いつけられているわけだ。
組合印章の形は千差万別であり、覚えきれない程のパターンがある。
ゲルマニアにおいての商業組合は、東西南北中央、と巨大な5つの組合しかないために覚えやすいが、国外に出れば、都市毎、または扱う商品毎の組合が存在しているからである。
例えば、ケルン交易商会アルテの印章は、交易商を中心とする組合だけあって、馬と車輪をモチーフにした(といっても、大口の輸送においてはフネを使うことの方が多いが)銀細工の中央に、オニキスをはめ込んだ印章となっている。
土台の細工は銀であったり、銅であったり、はたまた他の金属であったりするが、印章の中央にはめ込まれる石の種類は国によって決まっており、水の国トリステインは青のラピスラズリ、風の国アルビオンは白のクォーツ、火の国ロマリアは赤のガーネット、土の国ガリアは黄のアンバー、そして新興国とされるゲルマニアでは黒のオニキスが使用されている。
金やあまり高い石を使わないのは、悪戯に組合員証の商品価値を上げてしまうと、それを狙った盗難が起こりやすくなってしまうため、と言われているが、その真偽は定かではない。
「……拝見しても?」
「構わんよ」
エンリコがそう言うと、小男は組合員証をこちらに放って寄越した。
私は緩やかな放物線を描く組合員証を見て、ますますこいつらが商人などではない、という事を確信した。
遍歴商人にとって、組合員証は自分の身分を保障する唯一と言っていいほどの大事な品。
それを人に簡単に渡すだろうか? しかも扱いがぞんざい過ぎるだろう。
「……なるほど、東部の方ですか。お二人とも?」
「あぁ」
エンリコはそれをぱし、と掴み、中身を確認しながら言うと、小男がそれに答える。
疵面の男の方はばつが悪そうにそっぽを向いていた。
「東部ドレスデンの交易商で見習いを5年の後、遍歴商人となり、今に至る……か」
「どうやら組合員証は本物、みたいですね……」
エンリコと私は、その組合員証を覗き込みながら唸る。
東部の、ドレスデン資材商会アルテの鉄を基調とした、ツルハシと犬を模した印章細工にも特に怪しい点がなく、経歴も全く普通のものだった。
偽造品、というセンは薄いだろう。
「うぅん、参ったな……。あの人達の雰囲気や物腰から見て、まともな商人じゃないと踏んで、カマをかけてみたんだけど……」
「まだ商人だと決まったわけじゃないですよ。もしかしたら盗んだものかもしれないし。それに、商人だとしても、詐欺を働いている事がバレていないだけで、追放を免れているだけかも」
こそこそと二人でそんな話し合いをする私達。
その様子を、村人達と詐欺師達は胡散臭げに眺めている。
「まぁ、確かにそういう可能性はあるけど。それを立証するのは難しいね……。こうなると、結局、あの黄鉄鋼が金ではない、という事を証明するしかないかもしれないな。誰にでもわかる方法でね」
「うん、やっぱり、それですよね」
「全く知識の無い人に、それを分からせるというのも難しいけど……」
「いえ、少し乱暴な方法ですけど、やり方はあるにはあります」
「えっ?」
私がさも簡単だ、というように言うと、エンリコは驚いた顔で聞き返す。
「すいませんが、ここからは私に任せてもらってもいいですか?」
「う、うん。でも、本当に大丈夫かい?」
「えぇ。あ、金貨を持っているなら、1枚貸してくれませんか? ドール金貨(新金貨)でもエキュー金貨でもいいですから」
「金貨? えぇっと……はい」
エンリコは言われるがままに財布からエキュー金貨を1枚取り出す。
「お~い、待ちくたびれたんだけどよぉ」
「……お前は黙れと言っているだろう」
疵面の男が厭味ったらしくいい、小男がそれを窘める。
どうやら、一時はうろたえていた疵面の男も、私達が相談している間にすっかり回復してしまったらしい。
にやりと、歪んだ笑みを顔に張り付け、こちらを見下している。
見てなさい。その余裕の表情、凍りつかせてやるわ。
*
「では、挨拶も済んだ所で本題に移りましょうか」
エンリコから金貨を受け取ると、私は一歩前に出て、そう宣言した。
「挨拶に、本題、だと?」
「えぇ、さっきまでのは単なる商人としての挨拶だもの。まさかあれだけのやり取りで私達が参るとでも?」
「おいら達が本物の商人である、という事は証明されたはずだろ?」
「何を言っているのかしら。本題は、あの金塊とやらが本物かどうかという事じゃなくて? 本物の商人だって、詐欺を始めとした違法行為を行う者はいるのよ?」
「てめぇ、まだ言うか……」
私がさらりと毒を吐くと、疵面の男は顔を真っ赤にして、腰に下げた短刀に手を伸ばすが、小男はそれを無言で制する。
短刀を持っていること自体は別におかしくはない。
賊だけでなく亜人が跋扈するハルケギニアでは特に、遍歴商人の旅路は危険に満ちており、彼らが身を守るために、何らかの武器を携帯している事は普通だからだ。
もっとも、それに出くわしたならば、無謀に戦いを挑むよりも、火急的速やかに逃げることが優先されるが。
「やめておけ。ここで抜くのはまずい。というか、お前は黙っていろ、と何度言ったら分かるんだ」
「けっ……。証明できるものならしてみるんだな」
再び窘められ、不愉快な顔で吐き捨てる疵面の男。
窘めた小男も、アレが黄鉄鋼だと、全くの素人である村人達に証明できるとは思っていないのだろう。
「ではお言葉に甘えて。……村長さん、ハンマーか、無ければチャート(火打石)でも良いですが。それと先程の黄鉄鋼を一つ、使わせて下さい」
「ハンマー……? あ、そうか!」
どうやらエンリコも気付いたらしく、素っ頓狂な声をあげた。
乱暴な見分け方(調査対象に傷が付く)なので、あまりこういうやり方はしないはずなんだけど、さすがに知識豊富なエンリコは知っていたか。
私も、武器選びの時に色々と調べて知ったんだよね、この事は。
「あ、あぁ。んでも、金槌って、一体何する気なんだ?」
「すぐにわかります」
「……それではっきりするのかや?」
「えぇ、間違いなく、みなさんにもあの金塊がニセモノだと分かるはずですよ」
「ふむ……。じゃあ、誰か用意してやってくれんか」
村長は私の自信ありげな言葉に頷き、近くに居た村人の一人に指示を出す。
村人達からは一層大きなどよめきが起こる。
「かっ、何を言い出すかと思えばハンマーだと? 金塊を叩き割りでもする気かよ?」
「あら、一端の遍歴商人にしては、随分と無知だ事。黄鉄鋼、と言えば古くは何の部品に使われていたかも知らないのかしら?」
疵面の男は馬鹿にしたように言い、私はそれをさらに馬鹿にしたように返した。
「何?」
「銃がまだホイールロック式だった頃、火薬に点火する火種を起こすのに使われていたのよね、黄鉄鋼って。今はその代わりにチャートと、鋼を使っているんだけれども」
「そ、それがどうしたってんだ?」
「その火花が散る時、臭うのよね」
そこで私は村人が持ってきたハンマーと黄鉄鋼を無言で受け取り、黄鉄鋼を地面へと転がした。
「丁度こんな風に、ねっ!」
叫びながら、地面に向けて思い切りハンマーを振り下ろす。
ばちっ。
ハンマーと黄鉄鋼の接触面から派手に火花が飛び散った。
金ではありえないのだが、黄鉄鋼は硫黄分を多量に含むために、ハンマーで叩いただけでも火花が飛び散るのだ。
先に私が言及したホイールロック式の銃では、回転するドラムに黄鉄鋼を噛ませることで火花を散らしていたらしい。
「な、なんか……臭う?卵が腐ったみたいな……」
「やだぁ、誰かおならしたんでねえの?」
「お、俺じゃないでよ?」
ややあって、村人達が、辺りにほんのりと立ち込め出した異臭に騒ぎ出す。
彼らが火山地帯まで旅をするような事はないだろうから、これが何の臭いかの判断はつかないだろう。
しかし、その臭いが異常だという事、それだけは気付くはず。
「みなさん、それが硫黄の、この黄鉄鋼の臭いです! これこそが、この金塊がニセモノだという証拠なのです!」
「うっ、嘘だ! そんな出鱈目を──」
「村長、試しに、この金貨を思い切り叩いてみてください。臭いどころか火花すら出ませんから。……ちなみに、エキュー金貨は純金とは言えませんが、金含有率はほぼ9割ありますので、十分比較対象としては成り立つを思います」
疵面の男の見苦しい言葉を遮って、私は村長にエキュー金貨とハンマーを渡す。
「……いや、叩くまでも無い。あんたらは色々と理論付けて説明をしてくれているが、こん人達は感情論を説いとるだけだもの。なぁ、行商人さん達よぉ、こりゃどういう事だがね?」
村長は鋭い視線で詐欺師達を睨みつける。
さすがに金からあんな臭いがするわけがない、と納得してくれたのだろう、集まった村人達も、殺気を帯びた視線を送っている。
「い、いや、これは……」
「……ちっ、ここまでだな」
「え、おいっ」
小男の方が、未だに言い訳をしようとする疵面の男を引っ張って逃げようとする。
どうやら小男の方が少しは頭が回るらしい。
しかし、その判断は遅すぎた。
「逃がす訳ねーだろがやっ!」
「そうだっ、おら達が一生懸命作ったモノをだまし取ろうとしやがって!」
「ブッ殺しちゃる!」
村人達は、怒りの形相で、手に持った様々な農具を構えて、すでに二人の詐欺師をまるっと囲んでいた。
怖……。
もし金塊をニセモノだという事を証明できなかえれば、今頃あの輪の中に居たのは私達かもしれない。
そう思うと、私は背筋が少しぞっとした。怒りにまみれた群衆ほど恐ろしいモノはないのだ。
「な、や、やめろって……」
「ぐむ……。クソ、だから俺はこんなのは反対だって言ったんだ!」
「そんな事おいらに言うなよっ!」
詐欺師達は、身を寄せ合いながら、仕方なし、と言った風に短剣を抜いた。
しかし怒れる村人達は、その刃に怯える事もなく、じりじりと詐欺師達に近づいて行く。
その時、ぶわ、と突風が吹いた。
「うわぁっ……」「きゃぁっ!」「ぐえっ!」
村人達の何人かが、横殴りの突風に吹き飛ばされる。
不意に突風が吹いてきた方向、つまり、詐欺師達の乗って来た、黒い幌のついた頑丈そうな馬車を停めてある方向を見ると。
「全く、ほんっとうに、使えないクソ部下共だっ! あたいの出番を増やしてるんじゃないよっ!」
烈火の如く怒りを露わにした形相の女が。御者台の上で手綱を握っていた。
口にはキセルを咥え、長めのアッシュヘアをざっくばらんに髪留めで止めており、露出の高いチューブトップの上にダマスク織りの外衣《ジョルネア》を合わせ、下はぴちっとしたパンツスタイル。
左手には遠目だと本物かどうかはわからないが、大量の宝石のようなもので、ゴテゴテに装飾された杖を携えている。
何と言うか、ワイルド(?)な風貌をした女である。年齢の方はちょっと行き遅れている感じもしないでもないが。
「あ、あんたは、あの時の貴族様っ!やっぱり、こん人達の言うとおり、詐欺師共とグルだったんだな?」
村長が女を指さして唾を飛ばす。
成程、これが村長の言っていた女貴族とやらか。まぁ、貴族ではなく、平民メイジだろうけれど。
貴族の割合が多過ぎるハルケギニアでは、官吏の職に炙れた元下級貴族の平民メイジというのがそれなりに、いや、結構な数で存在する。
その中で、いつまでもプライドを捨て切れず、市井に馴染めない者は傭兵や賊などの無法者(傭兵と言っても色々だが、傭兵と名乗る者の半数は賊に近いチンピラなのだ)に成り下がる事も多いのだ。
にしても、やはりグルだったのね。
おそらく馬車の中にでも潜んで様子を伺っていたのだろう。
緊急時の秘密兵器といったところか。
「あっ、姐御!」
「見ていたんなら早く助けて下さいよ」
「ごちゃごちゃ言ってるような暇があるなら、さっさと走れっ! クソ共っ!」
「へいっ」
鋭く指示を飛ばす女メイジの言うとおりに、二人の詐欺師が馬車の方へと走り出す。
どうやら女メイジはこの3人の中ではボス格であるらしい。ただ一人のメイジっぽいし、当然といえば当然か。
「待てぇっ、この詐欺師共っ」
そう簡単に逃がすかと、大柄な村人の男が鍬を持って、詐欺師達の前へと立ちふさがろうとする。
「【風鎚】《エアハンマー》」
女はそれを見て、すかさず風の魔法を詠唱すると、村人の男は見えない何かに派手に吹き飛ばされ、積んであった薪に、派手な音をさせながら激突した。
気は失ったようだが、ぴくぴくと体は動いているので、死んではいないらしい。
見えない攻撃、系統魔法にそれほど詳しい訳ではないが、おそらく風の系統だろう。
「次にふざけたことをしたクソは三枚にオロしてやるからねっ!」
女はそう叫ぶと、いつでも魔法が放てる、という事を誇示するように、杖をこちらに向けながら睨みを効かせる。
すると、村人達の怒りは怯えに変わり始め、詐欺師達を取り囲んでいた隊列が乱れ始めた。
多くの平民達は、杖を向けられる、というそれだけの行為で恐怖を掻きたてられるのだ。
無理もない。
確かに魔法は脅威だものね。
しかし、私はもっと恐ろしいモノを知っている、というか一緒に暮らしている。
この程度の恐怖など、何の問題もない。
「へへっ、じゃ、あばよっ」
「はぁ、また姐御にどやされるな」
疵面の男は頬を緩ませながら、小男は溜息を吐きながら。
彼等は既に勝ち誇っていた。
ここには役人も自警団もおらず、メイジに対抗できるような者はいないと思っているのだろう。
「勝ち誇った瞬間、そいつは既に負けている、ってね」
そう呟いて私は素早く鞄からクロスボウを取り出した。
ボックスに矢《ボルト》は装填済み、勿論布を被せていない実戦用の矢束だ。
「ちょ、ちょっと、アリアちゃん、何を……」
村人と同じく、杖を向けられて固まっていたエンリコは、私の様子を見て声を掛ける。
私はそれに答えず、足早に去ろうとする詐欺師達を片目で睨みつけ、照準を定めた。
この程度で怖気づいてちゃ、商人なんてやってられないのよ!
「危ない所だったぜ」
「全く、だから俺は反対だと……」
詐欺師達が、好き勝手な軽口を叩きながら馬車のへりへと足を掛ける。
「煩い、お前らがクソなせいでこのあたいの完璧な作戦が失敗し……っ?!」
リーダー格の女メイジは、最後まで言葉を紡げなかった。
「ぐわあぁっ」
「うぎゃ」
部下の詐欺師達が私のクロスボウの的となり倒れたからだ。
いくら威力に問題があるとはいえ、30メイル程度の距離で、武装もしていない相手ならば簡単に矢は突き刺さる。
疵面の男は尻に、小男は肩に矢が深く埋まり、悲鳴を上げながら地面を転げ回る。
ま、一応急所は外したと思うけれど、もし死んじゃったらゴメンネ、という事で。
「な、何だい、こりゃあ?! クソッ、誰だっ、こんな事をしやがった奴はっ! クソっ、クソォっ!」
倒れた詐欺師達に駆け寄り、狂乱したように言う女メイジ。
姐御などと呼ばれているだけあって、それなりに仁義はあるらしい。
今は杖を向けられた状態ではないが、メイジへの畏怖は消えないのか、村人達は「俺じゃない」「私じゃない」と口にしながら、犯人を突きだすように、すぅ、と道を開ける。
クロスボウを構えたままの私と女メイジの間から遮蔽物が消え、二人の視線は直線で交わった。
「クソ娘、お前かい……? あたいの部下にふざけた真似をしたのはっ!?」
「ふふ、ご名答。どう? 貴方も的になってみる?」
ゆらり、と立ち上がって言う女メイジに、私は不敵に微笑みながら言う。
「そういえば、お前だったねぇ、このマルグリッド様のかんっぺきな作戦を叩き潰してくれたのは。幌の隙間からだが、ちらりと見させてもらったよ。クソ娘の分際で『時代遅れ』だの、『馬鹿な詐欺師』だの、随分と馬鹿にしてくれたじゃないか。えぇ?」
「ぷっ、ぷくく」
「何がおかしいっ!」
「いえね、あれが『完璧な作戦』って、脳味噌を医者に診てもらった方がいいんじゃないかしら、年増さん」
「……なるほど。口の減らないクソ娘って訳だ。こりゃ是非とも年長者であるあたいが躾してやらなきゃいけないね」
額に青筋を浮かべながら、凄惨な笑みを浮かべた女メイジ改め、マルグリッドが、趣味の悪い杖を私へと向ける。
うーむ、ヴェルヘルミーナもそうだったけど、年増の女メイジというのは、どうにも教育したがりが多いみたいね。
まずは己を省みるべきだと思うのだけれども。
「へぇ、やる気? 照準はもう、あんたの眉間に付けてあるんだけど」
「はっ、トロいクソ弓なんざ当たる前に、あたいの魔法でお前を刺身にしてやるよ」
「あんたの蠅が止まりそうな詠唱と、私のクロスボウ、どちらが速いかは明白だと思うけど? 大人しくお縄に付きなさい」
「舐めるんじゃないよっ! このクソがっ」
マルグリッドが叫ぶのと同時に、私は宣言通り、彼女の頭部目掛けて矢を一つ射出した。
メイジ相手に余計な遠慮などいらないだろう。
「【魔法剣】《ブレイド》!」
マルグリッドは、真横に素早く跳んで、短い詠唱によって薄い白色の刃を創り出し、矢を躱しつつ、横あいから叩き斬った。
中々に軽やかな動きだ。
なるほど、少し魔法が使えるだけの愚図ではないらしい。
「ふん、こんなもので……っ!?」
私は矢をいなして安心したように言うマルグリッドへ向けて、ひゅん、ともう一発矢を放つ。
通常のクロスボウは、一発防げば暫くは飛んでこないのだから、彼女がそういった反応をしたのも無理はない。
「……っく!」
それはマルグリッドの頬を掠め、薄く化粧の乗った日焼けした肌に、真っ赤な筋を滴らせただけに終わった。
私の狙いが外れたわけではない、彼女は咄嗟に首を捻って矢が顔面に直撃する事を回避したのだ。
「ち、そういえば連射式だったか……」
「やれやれ、今ので当たらないかぁ」
私は言いながら、たん、と軽くステップを踏んで左右へ激しく動き始めた。
なぜなら、マルグリッドは既に新たな魔法の詠唱を始めていたからだ。
本格的な戦いの火蓋が、切って落とされた。
*
マルグリッドは素早さと燃費を重視して、風の基本魔法である【突風】を連発していた。
というのも、見えない風の攻撃にも関わらず、アリアが右へ左へと激しく、猫のように飛び回って撹乱を行ってくるために、何とも狙いがつけにくいのだ。
ドットの上位程度である彼女の精神力では、大技(と言ってもドットスペルだが)を連発することなど不可能なのであった。
(ちっ、このクソ娘……。どこかのサーカスから来たのかい?!)
マルグリッドは内心舌うちをするが、暇なく詠唱を行っているため、それを口に出すことはなかった。
それなりに戦い慣れたメイジであるマルグリッドすら舌を巻くほどにアリアの動きは鋭かったのだ。
「【突風】《ウィンド》」
低姿勢をさらに低くして、右前方へと大きく跳びはね、それを躱すアリア。
迅い。
まるで俊敏な野生の獣のような動き。
見てから、というより、殺気を感知して体を先に動かしているような。
アリアは、有難い、実に有難い師(ロッテ)の扱きにより、強い足腰と、戦闘における直感を手に入れつつあったのだ。
師曰く、才能のかけらもない、という事らしいが、普通の人間にしては相当なスピードで上達、いや、進化していると言えるだろう。
【再生】による超回復の連続が、その最も大きな要因の一つなのだが、アリアも、それを使っているロッテですらもそんな嬉しい副作用はあまり考えていなかった。
まさに偶然の産物、と言ったところか。
「ぐぅっ……!」
魔法の相間を縫って、無言で連発される矢、矢、矢。
素早く連射しているために、狙いはそれほど正確ではないが、それほどの距離であるわけではないので、殆どの矢はマルグリッドの体のどこかには突き刺さるような軌道で放たれていた。
その一つを風で逸らしきれずに、マルグリッドは体を回してなんとか回避する。
(あたいらメイジにとって、クソ厄介なスピードタイプ、それも連射できる遠距離武器持ちかいっ! なんでこんなクソ娘に、ここまでのクソ恐ろしい技能があるんだい?! 子供にこんな物騒な事を仕込むなんて、頭がおかしいよ! どこのクソ野郎だ!)
マルグリッドはまだ見ぬロッテを呪う。
まぁ、ある意味彼女の指摘は当たっている。
メイジがメイジでないものに対する、戦闘においてのアドバンテージで最も大きいのは、先ずは距離だろう。
剣や槍が届かない距離で、強力な一撃を叩き込めるからこそメイジは恐れられているのだ。
故に、メイジ殺しと呼ばれる者の大半は、暗器使いなどの暗殺者タイプか、または弓の名手などの狙撃手タイプが多いのだ。
ごくまれに、素手やら剣で、真っ向から魔法に対抗できるような特異的な存在もいるらしいが。
(さすがに風メイジ……。まともに射撃しても殆ど風で流されてしまうわね)
アリアはそう考えつつ、足を動かしながら、がしゃん、とボックスを開いて、白い紐で縛った矢束を素早く装填する。
これで2回目の入れ替えだ。つまり、アリアはすでに20発の矢を放った事になる。
(いえ、これ以上続けても千日手。あちらの精神力が尽きる前に、こっちが参ってしまうわ。というか、もう限界……。よし、ここで、勝負をかけましょうか)
ロッテの扱きの内容はこんなものではないが、実戦というのは、訓練の何倍も疲れるものなのだ。
アリアは決心を固めると、先程の矢束をボックスから投げ捨てて、黒い紐で縛ってある矢束と入れ替えた。
「隙ありぃっ、【風刃】《エア・カッター》!」
その一瞬の隙をついて、マルグリッドは、彼女が使える中では最強のスペル、《エア・カッター》を放つ。
真空の刃を飛ばすこの魔法は、彼女が先程村人に使用した《エア・ハンマー》よりも遥かに殺傷力に優れている。
「はぁっ!」
風の刃は不可視だが、アリアはそれを的確に避けて、全速力でマルグリッドへと駆ける。
「焦ったね! クソ娘っ! スライストマトみたいになっちまいな! 【風刃】《エア・カッター》!」
アリアがここにきてやっと単純な直線の動きを見せた事を受け、獰猛な笑みを浮かべて、必殺の攻撃をもう一つ繰り出すマルグリッド。
彼女の精神力もそろそろ限界か、と言ったところだったのだ。
向こうから勝負を賭けに来てくれたのは願っても無い好機だった。
これだけのスピードで駆けてくれば、急な方向転換など出来るはずもない。
馬車が急に止まれないのと同様に、全速力で駆ける人間の体もそうは急に止まらないのだ。
しかし、アリアはマルグリッドの想像を超えるやり方でそれを回避して見せる。
「せっ!」
飛んだ。
いや、跳んだ。
アリアは空中を歩くように大きく飛翔し、宙返りをしながら、マルグリッドの上空をも飛び超える。
着地の直前、慌てて振り返るマルグリッドの足元を背後からの射撃が襲った。
「うあっ」
マルグリッドは尻餅を突いて、間一髪で難を逃れた。
アリアも着地の時に尻餅を着いたらしく、肩で息をしながらのろのろと立ち上がる所だった。
「くっ……」
どうやらアリアの体力はもう限界らしい。立ち上がりはしたものの、足がガクガクと震えている。
「はっはぁ、このクソサーカス娘が、手間を取らせてくれたじゃないか。だが、もう動けないようだね?」
マルグリッドは座ったままの姿勢で、アリアに杖を向けて言う。
「本日の天気は、晴れ」
アリアはマルグリッドの問いには答えず、ぼそり、と下を向いたまま、意味不明な言葉を呟いた。
「何言ってるんだい、恐怖のあまりおかしくなったか。すぐトドメを指してやるよ、このクソ娘め。イル──」
「……時々、矢の雨。お出掛けの際は、重装鎧の装備をお忘れなく」
アリアが詠唱を遮って、さらに呟く。
ただならぬ空気に気付いたマルグリッドが上を見上げると。
アリアの予報通りに、ひゅひゅひゅん、と頭上から矢が降り注ごうとしている。
矢の数は9本。矢束は一つで10本の矢がまとめられたもの。
つまりアリアが先程、マルグリッドの足元に放った矢以外の、全ての矢だった。
アリアが着地の際に放ったのは、足元に注意を向けさせるためのオトリ。
本命は、アリアが跳んだ直後、マルグリッドの視界から消えた時、天に向けて放たれた、この矢の群れだったのである。
「なぁっ……、クソおぉっ!」
逃げ場はない、かと言って、咄嗟すぎて、魔法での迎撃はできない。
結果、マルグリッドは亀のように頭を隠して縮こまった。
この判断は正しい。
矢、といっても、強力なクロスボウではなく、比較的威力の低いリピーティングクロスボウの、しかも打ちあげたひょろひょろの矢なのだから、急所を守りさえしていれば、致命的な傷を負う可能性は低いからだ。
「ぐぅ……っ」
マルグリッドの背にちくちくと矢が刺さっていく。
彼女は呻きを上げながらその激痛に耐える。
アリアはその様子を、新たにクロスボウへと矢を装填する事もなく見守っていた。
「……はっは、耐えた、耐えたよっ! あたいは耐えた! あははっ、何だい、もう、打ち止めかい?!」
マルグリッドは立ちつくしているアリアに向けて叫ぶ。
「えぇ、そうね。矢束はさっき捨てたのが最後だったから」
「そうかい、そうかい。じゃぁ、終わりにす……う……?」
上機嫌に最後の魔法を唱えようとしたマルグリッドは突如、息苦しさと吐き気に襲われ、口が回らなくなった。
「えぇ、もう終わっているのよ。矢がカスった時点で私の勝ちだもの」
「はぁ、はぁ……。ど、毒か……?」
「ご明察。ま、人間相手に使うのは初めてね。あんたが被害者第一号。誇っていいわよ?」
そう、白い紐で括られた矢束は、普通の矢。
黒い紐で括られた矢束は、アリアが実験的に作成した毒矢だったのだ。
吸血鬼であるロッテ相手には気分を悪くさせる程度の効果しかないが、人間相手であれば、殺傷力はないにしても、中々すさまじい効果があるようだ。
「く、そ、ひ、きょうな……」
「卑怯? 負けた者が何を言うんだか。勝利の何処が悪いのよ?」
マルグリッドが気をやる直前、最後に見たアリアの表情は、まるで天使のように無垢で、そして悪魔のように厳しかった。
(次は、絶対、潰れたトマトみたいにして、や、る……)
マルグリッドはアリアを最後まで睨みつけながら、意識を手離す。
マルグリットが地に伏した瞬間、おぉっ、と片唾を飲んで見守っていた村人から歓声があがる。
「え……」
それと同時に、どどっ、とアリアの方へと村人達が一斉に駆け寄ってきた。
エンリコはほっ、としたような、それでいて気まずそうな、何とも言えない表情で、その様子を見守っている。
「あ、あの、落ちついて……っ」
制止の声もむなしく、アリアは歓喜の村人達によって、手荒い祝福を受けて、もみくちゃにされてしまう。
「さぁっ、村の英雄を讃えるんだっ!」
「や、やめろぉおおっ!」
何人かの村人によって担ぎあげられたアリアの体が天高く舞う。
そのたびに村人の笑い声と、アリアの悲鳴が村に木霊する。
村人達の胴上げリレーは、それから1時間程、一度も中断される事なく続いたのだった。
この出来事が発端で、後にアリアは妙な二つ名を付けられる事になるのだが、それはまた別の話。
つづけ