地平に沈むオレンジの夕日が、収穫が終わった後の、丸裸になった広大な畑を照らしている。
カァと一つ、寂しげに鳴くカラスの声が、ぴゅうと吹く木枯らしに乗って聴こえてきた。
「はぁ、ぎりぎり……」
「陽が落ちる前には着けたね」
私が安堵の溜息を漏らすと、隣の御者席に座るエンリコが合いの手を入れる。
私達が目的地であるオルベに着いたのは、出立した日の夕刻もぎりぎりと言った所だった。
本来ならば、もう少し早く着く予定だったのだが……。
「こんの阿呆馬……。何で言う事聞かないのっ!」
村の中程、道が狭くなって来た所で馬車から降り、私は正面から鹿毛の巨体に向かって怒鳴りつけた。
「……ぶるるっ」
「あっ、こ、コイツ……」
阿呆馬は私の叱責を馬鹿にしたようにぷい、と横を向いて、糞(ボロ)をぼとりと尻からひり出す。
そう、道中で私が馬車の運転を替わった時、この馬が言う事を全く聞かないせいで、到着が遅れてしまったのだ。
結局、ここまで馬車を運転してきたのは、殆どがエンリコだったのである。
「まぁまぁ、アリアちゃん。馬にそんな事を言っても仕方ないよ」
「ぐむ……」
同じく馬車から下り、手綱を引くエンリコが怒り心頭の私を宥める。
馬は人を見るというが、まさかここまで馬鹿にされるとはね……。
ふ、ふふ……後でシメてやる。
「ま、何にしても今日中に到着出来て良かったよ。完全に暗くなったら馬車を走らせるのは厳しいからね」
「そうですねぇ。さすがに野宿は、ね」
いくら安全と言われている辺境伯領内とは言え、護衛も無しに野宿するのはあまり良い事とは言えない。
一応、簡易の寝具は馬車に積んではいるけれども、野生の獣なんかが出る可能性もあるし……。
「はは、女の子に野宿はきついか。……でも行商人になれば、野宿なんていうのは日常茶飯事だからなぁ」
私が野宿を嫌がっているのは、環境的な問題であると勘違いしたのか、エンリコは小さな子に言い聞かせるように呟いた。
「あ~、そうですね。その時までには慣れるようにします」
私はそれに対して、苦笑いしながら曖昧な返事を返した。
野宿自体は構わないんだけど、戦力的な問題が……。
別にエンリコが頼りない、と言いたい訳ではないが、ロッテとかと比べると、ね?
「うん、いい心掛けだね。……じゃ、とりあえず村長さんの所に向かおうか」
「はい」
白い歯を見せて笑うエンリコの提案に、私は無表情に頷く。
村長宅を訪ねるのは、まず村に入った事を報告せねばならないのと、この村に宿があるわけではないので、適当な寝床を見繕ってもらうためだ。
具体的な契約については明日から、という事になるだろう。上手くいけば明日中には帰れるんだけど、ねぇ。
ちなみに今回この村で買い付けるのは、小麦、テンサイ、それとザワークラフト(キャベツの漬物)の三種。
小麦は言わずもがなであろう。
パンの材料、その他いろいろな料理に使われる、ハルケギニアにおいて、最も重要な穀物だ。
テンサイに関しては、葉の部分が人間の食用であり、根の部分は家畜の飼料用となる。
テンサイを元にした砂糖というのは、このセカイではまだ(?)生産されていない。
その理由は、テンサイから砂糖を作るには、製造初期の段階から高度な化学的処理が必要とされるからであろうと推測される。
よって、このセカイで砂糖といえば、イベリア半島を始めとした地中海沿岸の気候でしか栽培が不可能なサトウキビを原料としたものであり、それは同じく地中海沿岸でしか生産できないコショウ・ナグメグ・クローブなどを始めとした種々の香辛料(中には他の地域で栽培できるモノもあるため、全てではない)と並んで、ロマリア連合皇国一の特産品である。
海域に存在する水竜を始めとした幻獣種のせいで、東方との海上貿易がほぼ不可能なセカイにおいて、これは圧倒的なアドバンテージであり、これこそが国土的にはそれほど広くも無いロマリアが、ガリア・ゲルマニアの二大国に劣らない程の商業力を持っている大きな理由の一つなのだ。
勿論、ロマリアには、その他にも、塩、硝石、石英、乾燥麺類、魚介類の瓶詰、油類(オリーブ、ハシバミ)、ハーブ、ガラス細工、染料・顔料(サフラン、インディゴ、オルテル石、ミョウバン、虫瘤、鶏冠石、石黄)、嗜好品、宗教関係用品(ロマリア)、柑橘系果実、果実酒、楽器、服飾(ジェノヴァ、ミラノ、フィレンツェ、カンヌ)、美術品、ロマリア・チーズ、陶磁器(マヨルカ)などなど、様々な特産が存在しているし、ブリミル教の総本山である、という政治的な強さも絡んではいるのだが。
ザワークラフトに関しては、キャベツをすっぱくなるまで漬けこんだもので、肉料理などの付け合わせに使用される事の多い、ゲルマニアでは最も愛されている漬物である。
食品の加工に関しては、都市部の工場ではなく、農村の家内制手工業として行うのが一般的なのだ(小売店で作る、もしくは消費者が自分の家で作るという事も多いが)。
「契約、上手くいきますかね」
「ま、今回は殆ど決まっている取引だから、大して心配はいらないさ」
村長の家までへの道すがら、私が何となく言った一言に、エンリコが自信ありげに答える。
いつもの優しい顔とはまた違った、精悍なその横顔に、少しの間見惚れてしまう私なのであった。
*
しかし、何故こうも私はトラブルに見舞われるのか。
どうにも私はブリミルの野郎に嫌われているらしい。
無駄に眩しい朝日が、東側の窓から差し込む村長宅の食卓。
組合員証書と契約書が置かれた食卓机兼会議机になっているテーブル。
私とエンリコは、その内容を読む事が出来る村長を含めた、村の主要な人物数名と、そのテーブル越しに睨み合っていた。
「だから、足りないって一体どういう事っ……むぐ?」
「こら、アリアちゃん、落ちついて」
どん、とテーブルを叩きながらの剣幕に、エンリコが慌てて私の口を塞ぐ。
はっ。いかんいかん、冷静にならなければ……。
しかし、これは怒っていいレベルの事だとも思うんだけれども。
「本当にすまんなぁ、とは思っとるんだわぁ、こっちも」
村長がのらりくらりと謝罪の言葉を述べるが、その言葉にあまり誠意は感じられない。
私達が村に到着した晩は、それなりの歓待を受けながら迎えられ、これならば問題ないだろうなぁ、と勝手に思っていたのだが。
夜が明けて、質素ながらも温かい朝食を恐縮しながらも頂き、さぁいよいよ契約だ、という時になって、風向きが変わってしまった。
何でも、今になって取引する産物の量が足りない、というのだ。それも大量に。
「しかしですね、今になって足りないと言われましても。こちらにも購入と販売の計画というものがありますし……。一月前に、弊社から確認を入れた時は問題ない、という回答を頂いたはずなのですが?」
私の剣幕を止めたとはいえ、流石に人のいいエンリコでも黙ってはいない。
言葉は丁寧ではあるが、明らかに相手側の失態を責めている口調だ。
「いや、それがだなぁ……」
「村長、はっきり言ったれ」
額の汗を拭いながら、しどろもどろに言う村長に、一人の村人が野次を飛ばすと、周りの村人からも、「そうだ、そうだ」と続けて野次が飛ぶ。
「確かに、隠しても仕方ないかぁ。……実は、ウチの作物をお宅よりも高値で買ってくれる、という御仁が居ってなぁ」
「そんな馬鹿な……? この村での取引は、私共、カシミール商店という事に決まっていたはず。一体どこの商社です、そんな無法を行っているのは? まさか、また東部の嫌がらせじゃあ……」
村長の告白に、エンリコは信じられない、といった表情と声色で言う。
ゲルマニア西部と東部の組合、というか商人同士はあまり仲がよろしくない。
一見すると派手で華やかな交易業を中心とする(農業も盛んではあるけれど)西部と、地味で堅実な鉱業(金銀でも出れば大きいのだろうけれども、東の鉱山は銅、鉄、黄鉄鋼、その他貴金属以外の金属が中心)や林業などを中心とする東部の商人では、その性格が合わないのだろう。
風の噂によると、クリスティアン、つまりツェルプストー辺境伯と、東部の大貴族であるザクセン=ヴァイマル辺境伯も犬猿の仲らしい。
「商社? いや、行商の人達なんだぁ、二人組の」
「えぇ?!」「はぁ?!」
やや困った顔をした村長の返答に、口を閉じていた私も思わず間抜けな声を上げた。
「ぎょ、行商人が、たった二人でこの量の商品を買い付けた、ですって?!」
「しかも、ウチよりいい値で、なんて……」
「有り得ない……っ」
あまりの驚きに口を揃えて言うエンリコと私。
纏まりかけていた契約を反故にした相手方への憤りよりも、横槍を入れた相手が遍歴商人である事に対しての驚きが上回ったのだ。
基本的に遍歴商人が行う取引というのは、商社の取引に支障を来たすような心配がないからこそ、農村部での取引についてはお目こぼしされている。
何故なら、彼らは取引量が少ないだけではなく、商社よりも良い値段でモノを仕入れるような事はしないからだ。
当然、商社の買付が決まっているような中大規模の農村では、もし彼らが取引したいと訪ねてきたとしても、彼らにモノを卸す量は必然的に少なくなる。
遍歴商人が農村や辺境で仕入れたモノを、何処に売り捌くのかを考えれば分かる事だ。
そう、それは大抵の場合、都市部の商社なのである。
遍歴商人、というか余所の商人が都市部で小売を行う事は、特定の歳市(その時期は各々の都市による)期間以外は許されていない。
それ以外の時期には、必ず地元商社に卸さねばならない決まりとなっているのだ。
例を挙げると、丁度、私がケルンに来たばかりの時期も歳市であった。
なので普段は存在しない露店が道端に沢山並んでいたのだ。
あれは定期的なものではなく、ツェルプストー家の第一子であるキュルケの誕生を祝って、臨時で開かれていたものだが。
と、まぁ、そういう事で、遍歴商人が、商社が提示する値段以上でモノを仕入れていては、ほぼ確実に赤字になってしまう。
単純な競争力では、資本と組織力の差で商社に及ばない彼らは、小回りが効くからこそのニッチな商売を行うべきであり、商社と直に競争するなど自殺行為なのである。
例えば、商社の買付が殺到する、この時期に農産物を手に入れたいのであれば、商社の積極的な買付の対象となる中大規模の農村を避け、比較的小規模な農村で取引を行う事を選択するとかね。
「参考までに、弊社よりも高値を付けた、とは具体的にどの程度の?」
「ふむ、大体だけんども、3割増しくらいかね」
「3割?!」
村長の発言に、エンリコが再度目を丸くして驚く。
そりゃそうだ。
カシミール商店の仕入れ価格は、買付担当員の収穫前の交渉によって、多少値引かれてはいたが、今年度の仕入れ相場から大きく外れてはおらず、極めて真っ当な価格なのである。
そこから3割増し、という事は……。
「そんな値段で買いつけて、儲けが出るわけが……。というか、何処に持って言っても赤字になるはず……」
「そんな事、ワシ等に言われても、なぁ?」
そう、常識外れに高すぎるのだ。
穀物や野菜類というのは種類や質、そして量は違えど、どの地域でも生産されているものであり、どこに持って行っても2割以上の利益など普通は望めない代物である。
飢饉や戦争などの理由があれば出るのかもしれないが、少なくともケルンにそんな情報は入って来ていない。
にも拘らず、ウチが提示した価格よりも3割以上も高い価格を提示するなんて、頭が狂っているとしか思えない所業である。
「……取引対価は何で支払われたのですか?貨幣ですか、それとも物々交換?」
「はぁ、金塊、だけんども?」
「金、塊……?それはリーブル金板ですか?」
エンリコは疑わしげな表情のまま、村長へと疑問をぶつける。
リーブル金板、というのは、1リーブル(トロイリーブルではなく、通常のリーブル単位)の重さのゴールドバーである。
極めて純度の高い黄金の塊であり、その価値はエキュー金貨にしておよそ120枚分。
これは通常、極めて大きな取引にしか使用されないものだし、勿論、一介の遍歴商人が持ち歩くようなものではない。
「いんや、重さは不揃いだったがなぁ。ただ、きちんと村の量りで全体の重さは量ったから、間違いはないはずだぁ」
「重さが不揃い? ……となると、少なくとも、正規に認められたモノではないですね。実際に見てみない事には何とも言えませんが」
ますます怪しいなぁ。
金が正規のルートを通じて市場に流れる時は、リーブル金板として、重さと形が統一され、その上で王家や教会の刻印が打たれているのが普通だ。
それが不揃いとなると、本物の金であったとしても、まともなルートで手に入れたものではないだろう。
「村長、実際みてもらうのが良いんでねえ?このままじゃ、こん人達も納得いかんだろう」
「そうだなぁ。それならこの人達も納得するかねぇ。……おい、誰かいくつかちょっと持ってきてくれんか」
そう言って村長は村人に目配せをする。
村人の一人は、無言でそれに頷くと、がちゃ、と玄関の扉を開けて外へ出て行った。
何しろ金塊というのだから、それをまだ村人に分配はできないはず。
なので、換金するまでは、村の公共の場所で厳重に保管されているのだろう。
「まぁ……実はまだモノ自体はぁ、あるはずなんだがね」
村人が出て行った後、思いだしたようにぽつりと村長が独り言のように呟き、僅かに口角を上げる。
「む……」
「行商人さん達は二人組だから、少しずつしか荷を運べん。だから、ちょこちょこと往復でどこかの倉庫に運んどる。後で纏めて売り捌くつもりとも言っておったなぁ」
「つまり?」
「不満があるなら行商人さん達と話合ってくれんかねっちゅうこっちゃ。丁度今日、あの人らが最後の荷を取りに来る予定だから、都合は合うはず。こっちとしては高い方に売りたいんでなぁ」
村長の身勝手な言い草に、流石のエンリコも呆れたような表情を浮かべる。
はぁ、つまり両者を競わせて値を釣り上げようと言う魂胆か。
これだからその場だけの短絡的な利益しか考えられない農民は……。まぁ、私もその一員だったわけだけどもね、昔は。いや、大昔だな、うん。
既に決まりかけた契約を反故にして、こんな事をしたら、たちまち組合中に話が広まって、翌年からこの村の扱いが悪くなるっつうの。
どちらにせよ、そんな値段では引き取れないから、もしその行商人達というのが本気で、その狂気とも言える値段を提示しているのであれば、取引は中止せざるを得ないわね……。
なるべく先方の機嫌を損ねないための配慮か、歯に衣を着せて村長とのやり取りを続けているエンリコ。
それを横目で見て若干のイラつきを覚えながらも、私は黙ってふぅ、と一つ悩ましげな溜息を吐いた。
*
「持ってきたで」
暫くして、先程の村人が小脇に金塊(?)を抱えて戻ってきた。
「戻ったか。じゃ、見せてやりなぁ」
「ほらよ」
村長が村人へと命じると、ごとり、と板状にカッティングされた金塊(?)がいくつか、テーブルへと置かれた。
「どうだ、見事なもんだろう」
村長が自信ありげな顔で、ふふん、と鼻を鳴らす。
うん、確かにぱっと見は見事としか言いようがないほどの黄金である。
「エンリコさん、これは……」
「うん……」
しかし私は、その金塊(?)を見た瞬間に、眉を顰めてエンリコに呼び掛ける。
エンリコの何とも微妙な反応を確認すると、私は可哀想なものをみるような目で村長と村人達を眺める。
「……あ?どうしたんだぁ?」
その視線にむず痒さを感じたのか、村長は不可解な顔で私に尋ねる。
「えぇとですね……。非常に言いにくいんですけども」
「なんだ、はっきり言ってくれんか」
「これ、金じゃありませんよ」
「はっ……?」
お望み通りにはっきりと事実を告げてやると、村長は何を言っているのかわからない、といった顔で返す。
「な、何を証拠にそんな事をっ……?大体金じゃないなら、一体何だって言うんだ?」
目が点になった村長に代わって、村人の一人が喧嘩腰に言う。
「えぇと、じゃあまずコレの正体ですけど。黄鉄鋼、といわれる硫黄や硫酸の元になる鉱物ですね。勿論、金とは比べ物にならない価値しかありませんが」
「お、黄鉄鋼?」
「そうです、別名“愚者の黄金”。見た目が金とよく間違えられる事から名づけられた名前です」
「お、俺達が愚かだったと言いたいんか?」
村人はもう、私に掴みかかりそうな勢いで詰め寄って来る。
うーむ、混じりモノが結構してある金貨の金と純金はかなり違うから、これが純金と言われてしまえば信じてしまうのかな……。
「いえ、そうは言いませんが。ただ、これはかなり古典的な手口ではありますけどね。……実際に金と並べれば光沢は違いますし、単体での見分け方も色々とあります。この場合、一目で分かりやすいのは、ここです、この部分」
私は黄鉄鋼の塊に浮かび出た、やや褐色がかった部分を指して言う。
「む……。その染みみたいのがどうかしたんか?」
「黄鉄鋼はとても劣化しやすい金属で、劣化が始まると褐鉄鋼と呼ばれるものに変化します。つまり、表面から赤みが掛かって来るんです。……丁度こんな風に。逆に金は凄く劣化しにくい金属ですから、そんな変化は起こしません。以上の理由でこの金塊はニセモノです」
「そ、そんな……」
私のわかりやすい(?)講義に、村長達はがっくりと肩を落とす。
そう、これは昔から詐欺に使われる手法で、カシミール商店の勉強会でも取りあげられた事があったのだ。
商人相手では通用すべくはずもないが、あまりモノを知らぬ農民であれば騙くらかせる、という事だろうか。
しかしそれにしても、こんな金塊もどきを農村の仕入れに使うなど、不自然すぎる、と疑うと思うんだけど、普通は。
最低でも、モノを売る前に、これを街の商人の所へ持って行って調べて貰おうとか考えなかったのか?
この世に、受け身で掴める美味い話などないんですぜ……。
「で、でもよ、これは旅の貴族様が太鼓判を押してくれたんだで?!」
「旅の、貴族、ですか?」
「おぅ、“丁度”その行商人さん達が来た時に、“たまたま”この村に立ち寄っていた貴族様が居ったんだ。そん人が『これは見事な黄金だ』って目を丸くしていたんだから間違いねえだろうがや!」
「うぅん……」
先程とは別の村人が思いだしたように叫ぶと、エンリコは考え込むように顎に手をやる。
成程、それで碌に確認もしないままに金だと信じ込んでしまったのか。
それにしても、旅の貴族、ねぇ?
「おぉ、そうだった、そうだったなや!」
「おめぇらが嘘ついてんじゃねぇのかい?貴族様が嘘吐くわけねーべ!」
「いくら金が惜しいからって言っていい事と悪いことがあんぞ!」
一人の雄叫びを皮切りに、不安を打ち消すかのように、やんややんやと村人達が騒ぎだす。
まぁ、その気持ちは分かる。誰だって騙されたとは認めたくない物なのだ。
ただ、それが詐欺師を蔓延らせる原因の一つだと思うんだけれども。
「ちょ、ちょっと皆さん、落ちついて……」
「これが落ちついてられるかいっ!」
エンリコが宥めようとするが、村人達はさらにヒートアップして騒ぎたて始める。
「うっるさーいっ!」
このままでは埒があかないと判断した私は、腹の底から出来る限りの大きな声を絞り出す。
その耳をつんざく大音量に、村人一同だけでなく、エンリコまでもきょとんとした顔でこちらを見る。
「……はぁ。少し落ち着いて下さい。皆さんの言いたい事は分かります。しかし、私共カシミール商店はそのような嘘は決して吐きません。……商人の誇りに賭けて、誓いましょう」
「ぬ、じゃあ、無関係の貴族様が嘘を吐いているとでも言うんかい?それこそ何の得もないんじゃないんか?」
私の断言に対し、村人はもっともな疑問を吐きだす。
確かにそう。
本当に“無関係”であればの話だが。
「その旅の貴族、とやらは一人でこの村を訪ねていたんですよね?」
「あっ、あぁ……そうだなぁ。何でも、魔法修行中の身だとか。中々の別嬪さんでな、マントも着けていたし、杖も持っていたから、間違いなく貴族だと思うけどもね、おそらく」
私が村長に向き直って訪ねると、何とも頼りない答えが返ってきた。
あ、怪しい……。限りなく怪しい。
そんなに放蕩する貴族がいるんだろうか。フーゴじゃあるまいし。
しかも女と来た。
下級貴族、だとしてもなぁ。平民の平均賃金の5倍はあるであろう家のお嬢様がそんな事するか、普通?
「……落ちついてよく考えてみて下さい。旅の女貴族、なんてそうそう居るものじゃありません。それに、この村へのルートは、主要な街道からは外れている脇道ですから、普通、旅する人は通りませんよ」
「しかし、実際に来たんだから、そんな事いっても始まらんのじゃあ……?」
「……私が言いたいのはですね。その貴族も、行商人、いえ詐欺師達とグルなんじゃないかと。つまり元より三人組なんじゃないですかね」
「な、なぬ?!」
そんな事は考えてもいなかったのか、ひっくり返るようにのけ反る村長。
いや、ちょっとは人を疑おうよ……。善良すぎるのも考えものだなぁ。
やるなら旅のメイジくらいにしとけばいいのにねぇ。でもそれじゃ、金と断じる説得力が少ないか?
「仮に、その貴族が本物だとしても、見間違えというものはありますし。とにかく、これはニセモノ、120%の確率でニセモノです!」
「む、ぐぅ。しかし……」
事実を突きつけられると、悔しそうに顔を歪め、未だに何か言いたそうな村人達。
「落ち込まなくても大丈夫です。……その行商人達、いえ、詐欺師達は、今日もこの村に来るんでしょう?それに今まで彼らが持って行った産物も、まだ売り捌いてはいないはず、と仰っていませんでしたか?」
「おっ、おお、そうだった……!」
ついさっき村長から聞いたばかりの事なのだが、気が動転した彼らはすっかり忘れていたらしい。
どよどよ、と再び村人達が騒がしくなる。
「じゃあ、その時に私達と皆さんで、彼らをとっ捕まえて、荷のありかを吐かせれば……」
「ちょっと待って、アリアちゃん」
「はい?」
私が声高に、村人達を扇動しようとした所で、エンリコから待ったがかかる。
「こういう場合は、まず組合の方に相談しないと。それに親方にも報告してからの方が……」
エンリコの意見は至極正しい。
それは普通であれば、当然、真っ先にするべきことである。
しかし……。
「何を悠長な事を言ってるんです?そんな事してるうちに逃げられてしまいますよ?」
今は非常時、緊急時なのだ。
残念ながら今からケルンに戻っている暇はない。ここは、私達と村の人達だけで何とかするしかない。
「でも、なぁ。その行商人の人達だって、もしかしたら本当に金だと思っていたのかもしれないし……。ここはやっぱり、組合に判断を仰いだ方が」
忘れていた。
エンリコもまた、“善良”過ぎるんだった……。
「エンリコさん、相手に悪意があろうがなかろうが、これはれっきとした詐欺行為です。それに、相手はたった二人、多くても三人なんですから、ここで捕まえておいて、改めて組合に判断を仰げばいいのでは?」
「そ、そうかな?」
「そうですよ、多分ですけど」
「多分って。僕らは役人でも自警団でもないし、なぁ。やっぱり勝手にそういう事をするのは……」
確かに、私達が詐欺師を捕まえる、なんていうのは、はっきりいって専門外だし、今回の業務にそんなものは含まれてはいないけれど。
ただ、ケルンに報告に戻るとすると、一日この事態を放置してしまう事になる。
そうなれば今回の買付は失敗、モノをまともに仕入れられなかったという結果がだけが残る。
村人達が今回の分は産物を渡さないにしても、詐欺師達は既に大部分の産物を騙し取ってしまっているのだから。
「ですから、その余裕が無いんです!私も時間さえあるなら、組合なり、商店の主である親方に報告なり相談しますが……。詐欺師達は今日が最後なんでしたよね、この村に来るのは?」
私が話を村長に振ると、黙って村長が頷く。村人達もそれにつられて頷いた。
「ね、今は時間が無いんですよ。ここは私達で判断するしかありません。他に手は……」
「うぅん……」
私が捲し立てるように言うが、それでもなおエンリコは判断がつかないらしく、頭を抱えて悩み出す。
もう!堅実なのはいいけど、慎重すぎるのが玉に瑕という奴だなぁ、エンリコは……。
「とにかく、今は身内で言い争っている場合じゃなくて、詐欺師共を……」
「……詐欺師っていうのは、おいら達のことかい、クソチビィ?」
ドスの聞いた低い声が突然、私達の会話に割り込んで来た。
「……っ?!」
私は声の主を探して、玄関の方に向き直る。
何時の間にか村長宅の玄関扉が開きっぱなしになっている。
開いた扉の向こうには、商人風の格好をした目つきの悪い二人組が、腕を組んで、不愉快そうな表情で立っていた。
格好だけはそれっぽくしてあるが、私の目には彼らがまともな商人には映らなかった。
なんというか、ヤクザな商売をする方特有の、殺気、というか瘴気というか、そういうものがピリピリと感じ取れたのだ。
「……えぇ、そうよ。ペテン師の方がよかったかしら?」
私は大きく息を吸い込んだ後、そんな彼らの威嚇するような睨みに臆する事もなく、きっぱりとそう言い放った。
つづけ