季節は巡り、茹だるような酷暑が続くニイドの月。
午前の来客がほぼ終了し、手持無沙汰になった私は、箒をもって商店の外に出る。
ふと外に目をやれば、街頭で半裸の男が、じゃきじゃきと涼しげな音をさせながら、大きな鋸で氷を挽いている。
子供達は蜜に群がる虫のように、その周りに集って、シャーベット状になった氷を頬張っていく。
ごくりと喉を鳴らして、遠目でその景色を眺めていると、昔よりもちょっぴり長くなった前髪から滴り落ちた汗が目に入り、ぐにゃりと視界が歪んだ。
ふぅ、と大仰に溜息をついて、作業服の裾で顔を拭う。
憎らしい太陽を睨みつけながら、大きく息を吸い込むと、胸一杯に、夏の匂いがした。
当然ながら、私達に夏のバカンスなど存在しない。
11歳の夏。
私は思春期の淡い思い出作りなどする暇も無く、相も変わらず仕事に明け暮れていたのであった。
「あづぃ……」
昼。
私は好物の馬肉が入った賄いには目もくれず、休憩室に入って来るなり、べちゃぁ、と融けたチーズの如く、机に突っ伏した。
「お前、食わねーの?」
「いらない……。食べていいよ」
融けかけている私に、いつの間にか隣の席に移動していたフーゴが話しかける。
ただでさえ暑いので、もうちょっと離れてほしいのだが、それを口にだして無益な争いになるのも面倒くさい。
ヴェルヘルミーナの一件で、他の見習い達にも、彼が貴族という事がバレてしまった訳だが、見習い同士の関係はあまり変わっていない。
これは、エンリコや双子達の性格的なものが幸いしている事もあるが、何より、バレてしまった事を知っても、フーゴ自身がその態度を崩さなかった事にあるだろう。
目上、というか、年上に対しては、それなりに礼義正しいのよね、こいつは。
相当な親馬鹿であるはずのヴェルヘルミーナだが、決して甘やかしているだけではなかった、という事かな。
「そんだけダレてるって事は、またとんでもない鍛錬でもやらされたのか」
「まぁね……」
私がダレているのは、何も暑さのせいだけではない。
前日の、というか連日の無茶な運動によって、全身を酷い疲労感が支配しているからなのだ。
そう、ロッテの思いつきで始まった、私の改造計画は依然として続いていたのである。
当初はすぐに飽きるだろう、とタカを括っていたのだが、その見積もりは全く持って甘く、時が経つほどに、その鍛錬の内容はエスカレートしていた。
蟲惑の妖精亭の仕事も続いているし、貯金レースも未だに続いている事から省みるに、彼女は根っからの飽き性という訳でもないらしい。
「ちなみに、どんな事をしたんだよ、昨日は」
「生肉を体中に括りつけられた状態で、飢えた野犬の群れの中に放り込まれて、レース・スタート。まさに生存競争よ」
「悪魔の所業だな……。つーか、無事だったのか、それで?どっか怪我とかしてるんじゃねーだろうな?!」
「……近い、顔が近いから」
「うっ、わ、悪ィ」
ぐい、と私の肩を掴んで真剣な顔を近づけるフーゴ。私は眉を顰めてそれを拒絶する。
心配してくれるのは有難いが、さすがにそんな顔でまじまじと見詰められると対応に困ってしまう。それに暑苦しいし。
「……何とか逃げ切ったわよ」
「は……はは、そうだよな。出来ないと分かっていたら、あの人もそんなことさせねーよな。鬼じゃあるまいし」
いや、させるんだけどね。実際に、(吸血)鬼な訳で。
課される鍛錬内容の過酷さに、私が涙ながらに、無理だ、無茶だ、無謀だ、だと訴えても、ロッテは、頑張れ、出来る、気持ちの問題じゃ、の一点張り。
彼女の考えた鍛錬が中止された試しは一度もない。
まさに頑固一徹、聞く耳を持たないとはこの事である。
で、結局昨日は、野犬達から逃げ切れずに、計4箇所をこっ酷く噛まれた。
その傷は【再生】によって、既に塞がっているわけだが、まさか、精霊魔法で治してもらったから大丈夫なのよ、などとはフーゴには言えない。
鍛錬を行う時間には、以前は読み書きの勉強に使っていた時間を充てている。
即ち、仕事が終わってから、私が寝るまでの時間である。
まぁ、この時間帯くらいしか、仕事の関係上都合がつかない、という理由もあるのだが、人通りが滅多にない時間帯である、というのも一つの理由だ。
鍛錬の内容は、今のところ、主にというかほとんどが、走る事を基本にしたものだ。
彼女が言うには、まず何をやるにしても、走は全ての基本という事らしい。
その理論は強ち間違いとは言えないのかもしれない。
彼女の言うとおり、賊やら亜人やらに襲われた時の事を考えると、これまでの経験からして、戦えないにしても、最低限逃げ足くらいはつけておいた方が良さそうだし。
それに、いつまた変な事件に巻き込まれるか分かった物じゃないからね。備えあれば憂いなし、と言うやつだ。
ま、そういう考えもあり、私は渋々ながら、彼女の暇つぶしに付き合っているわけだ。
「にしても、少しは腹に何か入れといた方がいいんじゃね?お前、今日の午後からは経理の研修だろう」
「経理は事務仕事でしょ?大丈夫、大丈夫。楽勝だって」
フーゴの弱気な忠告に、私は肩を竦めて軽口を叩く。
そう、今日から私は研修という事で、経理の仕事を勉強をさせて貰う事になっていた。
ただ、勉強するだけではなく、実践的に仕事をしながら覚えていく、俗に言う、オン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)というやつだね。
経理、と聞いて多くの人がイメージするのは、帳簿付け、というか簿記論だろう。
それはまぁ、正解ではあるのだが、何も経理の仕事というのは、簿記論だけ知っていれば出来るような代物ではない。
ならば、どんな仕事なのかというと、商店における経理の仕事は、大まかに分けて三つに大別できる。
一つ目が出納業務。これは、商店全体の資産管理、必要な予算や経費の調達、取引方への支払い業務など、いわゆる、店の金庫番のような仕事がこれだ。
二つ目に会計業務。これがすなわち、帳簿付けであったり、決算書の作成などの簿記論が必要な業務に当たる。
最後に、付随業務。経営状態の分析、税金の申告とその対策、取引の違法性・リスクに関する監査と報告、従業員の給与計算などである。
この多岐に渡る仕事をこなすにあたり、身につけられる知識や技術は非常に多い。
資産の運用技術、経営学、経済学、簿記論(財務会計・管理会計)、計算能力、国際的な税制の仕組みや法(租税法)に関する理解、などなど。
当然だが、これらは、経営者(私が目指す所の遍歴商人もまた経営者である)としても、必要な知識や技術になってくる。
なので、この研修は独立を目指している見習いには必修とされている。
ただ、本来であれば、3年程度は勤めた後に実施されるようなレベルのものらしい。
私はまだここに来て1年半。経理に適正アリ、とでも親方に判断されたのかもしれない。
ま、計算だけは得意だしなぁ。
「あ~、お前知らないのか……。いや、俺も実際に受けた事はないんだけど、経理の研修ってすげぇキツイらしいぞ」
「え、ヤスミンさんって厳しいの?ほとんど話した事はないけど、優しそうじゃない?」
研修を担当するのは、親方、ではなく、カシミール商店の経理を一人で切り盛りしている正規の駐在員、ヤスミンである。
彼女は、鉛色にくすんだブロンドをポニーテールにしている、おっとりとした喋り方をする妙齢の女性で、近所によくいる感じのお姉さんといった感じの人だ。
「いや、それがだな、エンリコさん達の話によると……」
「あれ?そう言えば、そのエンリコさんは?」
私は長くなりそうなフーゴの話を途中で切って、辺りをきょろきょろと見回す。
同じくここに居ない双子達に関しては、一足先に休憩室から出て行ったのを見かけていたが、エンリコは昼休憩に入ってからその姿を見ていなかった。
「……あれだよ、ほら、例の独立の件。多分、親方の部屋に居ると思う」
「あぁ……それかぁ。ま、エンリコさんもそろそろ独立してもいい歳だもんねぇ。お金はとっくに貯まっているだろうし」
「だよなぁ」
声のトーンを一段落としてそんな会話をする私とフーゴ。
近頃、エンリコと親方の間に、ちょっとした溝が出来てしまっているらしいのだ。
なんでも、エンリコは、来春あたりには遍歴商人として、独立をするというプランを立てているらしいのだが、親方はそれに反対して、この店の正規駐在員になる事を勧めているらしい。
何故親方がエンリコの独立に反対しているのかは分からない。
単純に、彼が有能だから手離したくないだけなのか、それとももっと別の理由があるのか。
しかし、エンリコの気持ちは分かる。
彼はもうこの店に勤めて5年半。年齢もすでに18歳と、遍歴商人として独立するには丁度いい年頃である。
商人を目指す者であれば、誰だって早く独立したい、と考えるのは至極当然の事。
と、言う事で、もし何かあれば、私はエンリコに味方する事に決めていた。
親方に大変な恩義は感じているが、今回ばかりは、その意図がわからないし、エンリコにだって、相当お世話にはなっているからね。
「そろそろ時間か。しかし、お前、結局何も食わね-のな」
「ま、大丈夫でしょ。水分だけは摂ったし」
「……ほれ、これやるよ。舐めとけ」
フーゴはズボンのポケットから茶色いガラス玉のようなものを何個か取り出す。
「何これ?」
「果物を絞った汁をアメに混ぜて固めたやつ。甘いぞ?」
「へぇ、アメか。一つ貰おうかな」
「全部やるよ、俺、甘いモノ嫌いだし」
「へ?じゃあ、何でこんなの持ってるワケ?」
「……お袋が実家から大量に送って来やがった。餓鬼じゃねーんだっての」
フーゴはうんざりした顔で言う。
どうやら、息子を連れ戻す事はやめたものの、完全には放っておけないらしい。
「ふぅん、あの人らしいねぇ。フーゴちゃん?」
「あっ、てめ……!その呼び名はやめろって言ってんだろ!」
「はい、休憩終わりー。これは有難く貰っとくね」
「げっ、何時の間に……」
掴みかかろうとするフーゴを軽くいなして、くすねとった飴玉を見せると、さっ、と踵を返して、休憩室を後にする。
「ぐむぅ……」
背から聞こえる、不完全燃焼と言った感じの唸り声に、私はクスリ、と笑いを漏らして、甘酸っぱい匂いのする飴玉を口の中に、ぽい、と放り入れた。
*
『経理は事務仕事でしょ?大丈夫、大丈夫。楽勝だって』
そんな風に考えていた時期が、私にもありました……。
「ほら、また手が止まってるっ!」
「すっ、すいません」
目を吊り上げて、ぴしぃっ、と手にした教鞭で机を引っぱたくヤスミン。
仕事中の彼女からは、いつものおっとりとした感じは消え失せていた。
成程、元算術教師という触れ込みは伊達ではない。
インテリ眼鏡をかけたその姿は、まさにイメージ通りのスパルタ女教師である。
「遅いっ、遅すぎるわっ!それじゃ時間内になんて終わらないよっ!さぁ、さぁ急いで急いで、ハリー、ハリー、ハリィっ!」
ヤスミンは、教鞭をしならせて、激しい口調で煽りたてる。
全然優しくない……。この人は、オフの時と仕事の時の性格が別物らしい。
それにしても……これは、キツイ。
もう既に陽も傾きかけているというのに、正午からずっとぶっ通しで机に齧りついている。
だというのに、目の前に積まれた、大量の伝票や、請求書、納付書、報告書などが一向に減っている気がしない。勘定に移すところか、未だ仕訳すら切れていない(複式簿記において取引の内容を借方貸方に分ける作業……、つまるところ簿記の基本)状態である。
その事実がまた精神的苦痛となり、疲労感をさらに倍増させている。
「あの、少し休憩とか」
「駄目よ、駄目。そんなことしたら、アタシが定時で帰れないじゃない」
なんという……。そういえば、この人は年末のくそ忙しい時期でも定時アガリしていた気がする。
いや、これこそ正しいOLの姿ですよね。
とはいえ、彼女の処理能力は凄まじい。
私が10を処理する間に、彼女は30を終わらせている。
まさにプロフィッショナルだ。
まぁ、この規模の商店の経理を一人でこなしている、という時点で、相当有能なのはわかっていた事なのだけれど。
それに、彼女は会計《コンターピレ》だけではなく、商社公証人(証書や契約書を作成したり、時には裁判で商社を弁護したりする役割)も兼ねており、机上での商業知識は半端ではない。
「ほら、そこ! 摘要を間違ってるわ。商業税の方はケルン側でいいけれど、法人税はアスグスブルグ側に支払うの」
自分の作業をしながらも、目ざとく私の間違いを発見し、指摘するヤスミン。
「え、それって一緒じゃないんですか?」
「商業税はその土地で商売を行うための許可税、つまりショバ代ね。これは業種とその規模によって額が変わるわ。法人税の方は具体的な収入に掛かる税で、その法人が設立された場所に支払うのよ。教えていなかったっけ?」
「いえ」
「そう。じゃあ、今覚えて。……ここの仕事はね、速くて雑は論外だし、遅くて綺麗というのも、てんで話にならないの。速くて綺麗でないと駄目なのよ」
「は、はい。わかりました」
単純な計算能力だけなら、私も負けない自信はあるのだけれど、専門的な知識を要求するもの(保険・金融関係、税金関係、資産管理・運用など)は、どうしても調べたり、聞いたりしながらの作業になってしまい、とてもじゃないがついていけるスピードではない。
でも、何となく、彼女の有無を言わせぬ雰囲気に引っ張られて、ついついこちらも無理をしてしまう。
これをあと何カ月間か続けるのかと思うと、ちょっと気が滅入ってきてしまうけれど、研修が終わる頃には、私の血肉となっているに違いないと思えば……。
「ぐぇ……」
しかし、そう思ってもキツイものはキツイ。
陽が完全に落ちた頃、ついに限界に達した私は、ぐちゃ、と潰れた蛙のように、ごちゃごちゃに物が散乱した机に倒れこんだ。
そりゃ、こんなにキツくちゃ、仕事が終わった後に、部屋を整理する気にはとてもじゃないけど、なれないわね……。
「ありゃ、ついにダウンかな」
「……すいません」
未だ高速で動かしている手を休めずに言うヤスミンに。突っ伏したままで謝る。
「いや、初日にしては頑張った方だよ、君は」
「……他の人はどうだったんですか?」
「エンリコは君の半分くらい、双子君達も陽が落ちる前にはダウンしていたよ」
「は、はは……」
最初から潰れる事前提のペースでやっていたのか……。
まぁ、これが普段の彼女のペースなんだろうけども。
あれ……?そう言えば、何でエンリコだけ、呼び捨てなんだろう。
「そういえば、エンリコ、今度、独立するんだって?」
「あ、はい。そうらしいです」
「ふーん。そうなんだ。あのお人好しが、ねぇ」
そう言って考え込むように顎を撫でるヤスミン。
「あの、ヤスミンさんって、エンリコさんと何か関係が?」
「ん、知らなかったの?エンリコとアタシは幼馴染だよ。ま、アタシの方がお姉さんだけどね」
「あ~、そうなんですか」
「小さい頃はよく、からかって遊んだなぁ。ほら、あの子って女みたいな顔してるでしょう。だからアタシの服を着せてみたり、化粧させてみたりして。それでも、あの子ってほとんど怒った事がなかったなぁ。で、ついた仇名が“お人好しのエンリコ”。ぴったりでしょ?」
「は、はぁ」
なるほど、以前に、ヤスミンさんの事を聞いて、エンリコが顔を顰めたのはそういう事か……。
「でも、親方は独立に反対しているらしいです。ちょっと理由はわからないんですけど」
「理由、ねぇ……」
「エンリコさんって仕事ができるから、手元においておきたいのかもしれないですね」
「ウチは買付担当の駐在員はころころ変わるからね。そこにエンリコをどっしりと挿げたいってのはあるんだろうけど……」
「ヤスミンさんは、他の理由がある、と?」
「ま、アタシの主観でしかないから、明言は避けとく」
「えぇ~」
そこまで思わせぶりにしておいて、生殺しですか。
何か、幼馴染にしか分からないような理由があるのだろうか。
「しかし、そうなると、一番先にこの商店を卒業する見習いは、エンリコではないかもね」
「他に、近々独立するような人がいるんですか?」
「さぁ、ね?君はどうなの?」
「私はまだまだですよ。金銭的な問題もあるし、実力も不足していますし……」
「おや?意外と謙虚だね。親方さんからは、強欲で自分勝手な女の子って聞いたけど」
「な、なんです、それ?!」
「あっ、これ、秘密だっけ。ごめんごめん、聞かなかった事にして」
むぅ……。結構私の評価は高いと思っていたのに、これはちょっとショックだ。
そんな風に思われていたのか。
でも、それを他の人に言いふらさなくてもいいじゃないか。おのれ、親方めぇ……。
「ちょっと、文句言ってきます!」
「あ、待って──」
ムカっ腹を立てた私には、がたん、と席を立つと、そのままドアを勢いよく開けて、3階の事務室に向かう。
ヤスミンが何か言っていたが、それは耳に入っていなかった。
、
「全く、まだアガリには少し早いのに。やっぱり自分勝手ね……。それに、親方さんは、十年に一人の期待株だ。とも言っていたんだけど、ねぇ」
ヤスミンは、閉め忘れられて宙ぶらりんになったドアを見ながら、溜息を漏らして苦笑した。
*
「失礼しますっ!…………あ」
肩を怒らせて、事務室のドアを叩きつけるように開けた私は、次の瞬間に、間の抜けたような表情で声を漏らした。
「あ~、と、お客様が来ているとは……。失礼しましたぁ……」
部屋の中には、頑固な皺を額に浮かべて、腕を組む、褐色肌の中年男がいたからだ。
何故かギーナとゴーロも、何やら不貞腐れた表情で男に向かい合って座っている。
親方は、私の姿を認めるやいなや、眉を吊り上げ罵声を飛ばす。
「馬鹿たれ、ノックぐらいしねェか!」
「カシミール……この子は?お前の娘か?」
「そんな訳ねェだろう……俺に家族はいねェよ。ただの出来の悪い見習いだ。すまんな、話の途中で」
中年男から問われると、親方は親しげな態度で言う。
む……。敬語を使わない所をみると、商売関係の人ではなく、個人的な知り合いだろうか。
しかしひどい言われようだ。まぁ、私が全面的に悪いのは確かだけど。
「こんな小さな女の子がか?」
「あぁ、こいつはちょっと雇った経緯が特殊でな」
「ふむ……」
「おい、いつまでボサっと突っ立ってんだ。もう行っていいぞ」
「あ、はい」
親方はこちらを見ることなく、しっしっ、と手を外側に振る。
「別にかまわんぞ、聞かれて困るような話でもないし。それに、こいつらの同僚であれば、是非とも話を聞きたいもんだ」
「そうか?よし、アリア、来い」
ギーナとゴーロを横柄に見渡して言う中年男に、今度は一転して、ちょいちょい、と手を内側に振る親方。
私は犬か!
全く、人を何だと思っているんだ。
「忙しい所、悪いな、お嬢ちゃん」
「いえ、こちらこそお騒がせして申し訳ありません」
「さすが、カシミールの所は、中々に教育が行き届いているな」
私がこれ以上失礼のないように頭をさげると、中年男は感心したように言う。
「……アリア」「……こんな分からず屋に頭を下げなくても良い」
「あぁ、何だと?」
「……さっさと帰れ」「……クソ親父」
「こんの、馬鹿息子どもっ!」
双子の敵意剥き出しの言葉に、中年男は、だんっ、と机を叩いて激昂する。
あれ?
というか、親父?息子?
この中年男が、双子の父親……?
でも、この人、どうみても商人という感じではない。どちらかと言えば、職人気質の頑固親父、といった風情がある。
「とにかく、お前らのどっちが継ぐのか、さっさと決めやがれ!」
「……だからどっちか一人じゃ」「……継ぐ気はないっていってるだろ」
声を荒げる中年男と、それを冷めた目で見る双子。
うーん、全く話が見えない。
「あの、親方、どういう事なんですか。というか、誰なんです?」
完全に蚊帳の外である私は、声を顰めて困り顔の親方に耳打ちする。
「北部の、ハノーファーのベネディクト工房は知っているか?」
「えぇと、確か……。そうそう、あのシュペー卿が在籍しているっていう、北部でも有数の金物工房でしたっけ。あ、武器も作ってたかな」
「そうだ。で、あの頑固そうな岩親父が、そこの代表のベネディクトだな」
ハノーファーのベネディクト工房、といえば、ゲルマニア国内ではそこそこ有名な鍛冶屋集団、つまり金属製品メーカーである。
その工房が抱える、数多く職人《マイスター》の中でも、有名なのが、高名な錬金術師と言われているシュペー卿だ。
そこの代表の息子、と言う事は。
貴族ではないにしても、フーゴと同じで、この双子もいいとこのボンボンなのか……。
それにしても、また親と子の関係かぁ。
私にはあまり縁のない事なはずなのに……。
「職人家系だったんですね、あの二人。どおりで手先が器用で、口が不器用な訳だ。でも、それならどうして交易商の修行に来ているんです?」
「あぁ、話せば長くなるんだが──」
「てめぇらっ、いい加減にしやがれっ!」
ベネディクトの怒声が私達のひそひそ声を掻き消す。
何事か、と視線を戻すと、一触即発、といった感じでピリピリとした空気を放つ、3人の父子。
「いい加減にするのは」「“アンタ”の方だろうが」
「親父に向かって、アンタ、だとっ?!」
「アンタでも上等なくらいさ」「てめぇ、で十分か」
ベネディクトは、そこまで聞くと、す、と立ち上がって双子の方につかつかと近づいて行く。
双子もそれに呼応するように立ちあがり、ギン、とベネディクトを睨みつける。
両者、目が据わっている。こりゃまずい。親子喧嘩は余所でやっておくれ。
「おい、アリア」
「わかってます、商店内で喧嘩はご法度、ですよね(まぁ、人の事は言えないけどね、私は)」
商店内で血の雨を降らす訳にはいかない。
親方と私は、父子の間に分け入って、仲裁を買って出た。
「親子喧嘩もいいがな、そういうのは、余所でやりな」
「どけ、カシミール!あの親不幸者共を成敗しなけりゃいかんのだ!」
「落ち着け、いい歳してみっともねェ!」
「ぐ、離せっ」
「アリア、さっさとそいつら摘まみだせっ!話はまた明日だ!」
親方がいきり立つベネディクトを羽咬い締めにして叫ぶ。
「ギーナさんと、ゴーロさんも落ちつきましょう、ね?暴力はいけません」
「アリアに言われても……なぁ?」「あのムカツク伯爵夫人をぶん殴った強者だからな」
いや、そんな、強者認定されても。照れるなぁ、はは。
「って、私の事はいいんです!さ、行きましょう」
「……まぁいいか」「……相手にするのも馬鹿らしいしね」
そう言って肩を竦める双子達の背中を押しながら、私は、また厄介な事に巻き込まれてしまった気がするなぁ、と心の中で溜息をつくのであった。
後半につづく