第十二話 海を漂う井戸
ユーフェミアは仮面をつけたゼロをじっと凝視していたが、やがて確信を持って叫んだ。
「ルルーシュ、ルルーシュなのでしょう?!」
「!!!」
一同は内心で驚愕したが何とかそれを態度には出さず、代表してジークフリードが銃を彼女のこめかみに突きつけて言った。
「発言を許した覚えはありませんぞ、ユーフェミア皇女。貴女の今の立場は捕虜です・・・それをお忘れきように」
低い声で牽制されてユーフェミアが黙りこくった隙に、エトランジュがギアスでルルーシュに尋ねた。
《あの様子では、確信がおありのようですよゼロ。どうなさいますか?》
《全く、彼女は無駄に勘が鋭かったからな・・・このまましらばっくれても、どこかでまた何か言いだすに決まっている》
この前のスザクによる電話での行動がいい例だ。彼女は自分の情だけで動いて、結果相手を追いつめる。
失敗しても“そんなつもりじゃなかった”と泣きごとだけを言って、反省しないのだ。
《それに、私もいろいろと覚悟を決めましたのでね。もういいですよ》
《と、申しますと?》
エトランジュが尋ねると、ルルーシュは仮面に手をかけてそれを外した。
チューリップ形の仮面の下から、黒い髪と紫電の瞳を持った少年の顔が現れると、ユーフェミアは涙を流して喜ぶ。
「やっぱり・・・ルルーシュ・・・!」
「ああ、お前達が使い捨てにした皇子だよユフィ。そして俺がゼロだ。
それで、よく喜べるなユフィ・・・お前の姉が俺を殺そうとして、俺がコーネリアを半殺しの目に遭わせたというのに」
感動の再会とは程遠い台詞を叩きつけられて、ユーフェミアの表情が凍りついた。
そう、ルルーシュとコーネリアが幾度も殺し合っていたのは事実であり、またコーネリアを意識不明の重体に追いやったのは自分であると、彼は認めたのだ。
「ルルーシュが、お姉様を?本当に?」
「正確にはコーネリアを襲撃したのは私どもですが、その作戦を考案して下さったのは間違いなくその方です」
エトランジュが淡々と事実を述べると、ユーフェミアは身体を震わせた。
「本来なら、そこで仕留めたかったのですが・・・さすがはブリタニアの指揮官機、頑丈すぎてとどめはさせなかったですね」
死ねばよかったのに、と裏に隠された台詞を感じ取ったユーフェミアは、ルルーシュの横に当然のように立つ少女を見つめた。
外見は金髪碧眼といった、典型的な白人である。いつもは青いケープをまとっているのだが、日本の夏の湿度と暑さに負けて脱ぎ捨て、大きな青いパラソルを周囲にさして陽射しを防いでいる。
「あの・・・貴女は?日本人ではないようですけど、ブリタニア人、ですか?」
「白人が皆ブリタニア人ではありませんよ。私達は貴女の姉によって故郷を滅ぼされた国の者です」
「・・・そう、ですか。その・・・ごめんなさい」
ユーフェミアが謝罪するが、エトランジュは首を横に振った。
「別に貴女のせいではないので、謝って貰っても困ります」
「で、でも私の父と姉のせいで・・・!」
「ええ、確かに貴女の父君と姉君のせいですが、貴女のせいではありません。
貴女が謝罪したからといって私の家族は蘇りませんし、故郷が戻ってくるわけでもないので、無意味なことはおやめになったほうがよろしいかと」
自分の謝罪は無意味と言われ、ユーフェミアは傷ついた表情になった。そこへルルーシュが冷たい声で尋ねた。
「では聞くが、謝ってどうするんだ君は?それでレジーナ様が喜ぶと思ったのか?」
「え・・・?でも、私の家族のせいだから謝るのは当然では」
「謝るだけで解決する問題じゃないと言っているんだ」
ルルーシュの指摘に、ユーフェミアはまたしても己の考えのなさに気づいた。ルルーシュは溜息をついて、異母兄として最後に異母妹に現在の状況を教えてやろうと思った。
過去、仲の良かった彼女だからこそだ。そして、二度と異母兄としてユーフェミアには会わない。それが、ルルーシュの覚悟でありけじめだった。
「ユフィ、これが君の兄としての君への最後の言葉だ。どう捉えるかは君の自由だ」
「ルルーシュ・・・最後って・・・どうして・・・せっかく会えたのに」
目を潤ませたユーフェミアに対して、ルルーシュは大きく溜息をつく。
「では聞くが、俺がどうしてブリタニア皇族として復帰しなかったのか、何故俺がブリタニアに反逆しているのか、解っているか?」
「それは、ブリタニアに戻ったらまた政治の道具にされるからで・・・」
「それもあるが、一番の理由は“俺達がブリタニアに殺されかけた”からだよユフィ。
あの時日本への開戦理由は俺達が日本人に殺されたというものだった・・・そんな中でのこのこと現われてみろ、言いがかりで国を滅ぼしたなどブリタニアが認めると思うのか?」
「実際、言いがかりをつけて各国を植民地にしているので、ルルーシュ様のご生存が知れても世界的にはブリタニアらしいと思われて終わるのではないでしょうか」
「ふふ、レジーナ様もなかなかおっしゃるものだ」
マグヌスファミリアが占領された際も、“何であんな僻地を植民地にしたのだろう”と疑問に思われただけで、もはやブリタニアが植民地を増やすための開戦理由については議論すら起こらなかった。
「だから俺達が生きるには、ブリタニアが邪魔なんだよ。
いつまでもあの学園の箱庭にいられないからな・・・もっとも、その箱庭ももう壊れたが」
「どうして?!私もスザクも、誰にも言って!!」
「誰も言ってなくても、お前のことだ・・・自重出来ず会いに来るに決まっている!
電話に関してもそうだ・・・政庁の電話からかけてくるなど何の冗談だ!!」
エトランジュはそのやりとりを聞いて、ユーフェミアがルルーシュの生存を知って政庁の電話からルルーシュに連絡したことを知った。
「それは駄目ですねユーフェミア皇女。バレるきっかけは充分でしょう」
「どうして?!」
「だって、政庁の電話って記録が残るのでしょう?
アッシュフォード学園にユーフェミア皇女が何の用事でかけたんだろうって調べられたら、すぐに解ってしまうのでは」
「総督の許可がなければ、皇族が使う電話の通話記録は公開出来ません」
「その総督は意識不明の重体だが、助かる可能性は高いと聞いた。意識が戻ったら、真っ先にやるのはお前の行動調査だろうな。
当然通話記録も見るだろうな、姉上なら確実に」
ルルーシュの姉をよく理解している指摘に、ユーフェミアは青くなった。
コーネリアはいつも過保護で、本国にいた時でさえそういう行為がたびたびあったことを思い出したのである。
「君の性格は信頼している。だが、はっきり言おう・・・君の能力が信用出来ないんだよユフィ。
君は嘘をつくことに向いていなさ過ぎる・・・コーネリアに問い詰められれば、いずれ確実にボロが出る」
「ルルーシュ・・・!じゃあ、もしかして」
「ああ、ここから脱出したら、すぐに俺とナナリーはアッシュフォードを出る。アッシュフォードに咎めがないようにしてやってくれ」
それだけ頼む、とルルーシュに頭を下げられて、ユーフェミアは慌てて止めにかかる。
「で、でもあそこを出てどこへ行くの?」
「予定地はいくつかあるが、君には言えない。スザクが騎士になった時点で、準備はしてあったからな」
「どういうこと?」
「名誉ブリタニア人が皇族の騎士になったというので、その座からスザクを引きずり下ろそうといろいろ調べている連中がいてな。
幸い奴は素行は真面目だったしアッシュフォードが俺達を守るために厳重な警備を敷いていたからバレなかったが、もし俺とスザクが一緒にいるところをスクープされていたら“生きていた皇族の生存を隠していた”とバッシングの対象にされて、芋づる式に俺達も戻らされていたさ」
自分がよかれと思ってしていたことが大好きな異母兄を追いつめていたことを知って、ユーフェミアは砂浜に座り込む。
「それは君のせいじゃない・・・その時点で君は俺の生存を知らなかったんだからな。
だが、経過はともかく結果はそういうことになったので、引っ越しの準備はしてあったんだよ」
それに加えてユーフェミアに生存が発覚したため、すでにルルーシュはナナリーに近日中にアッシュフォードから出ることになるかもしれないと伝えていた。
ナナリーは残念がったが、このままではミレイ達に迷惑がかかると言うと仕方ないですねと寂しそうだった。
「そんな・・・そんな・・・私のせいで・・・」
「ああ、君の不用意な行動のせいだなユフィ。
それに、さっきも言ったが日本人の生活をよくしたいと言っていたあれだ・・・あれも最悪だぞ」
ルルーシュは幼い頃のユーフェミアをよく知っていたから、彼女は善意で日本を良くしようとしていることを理解していた。
しかし、それはあくまでも彼女を知っていればの話だ。会ったこともない人間を理解しようとすれば、それは今現在の行動によって推し測るしか術はないのである。
「俺が君の異母兄じゃなかったら、間違いなく君をそんな目で見ていた。ただの理想だけで生きている馬鹿なお姫様だ、しょせんは弱肉強食の国是の皇族だとな。
そちらにいらっしゃるレジーナ様に聞いてみるといい・・・君がどんなふうに見られているかが解る」
ユーフェミアが恐る恐る無表情で立っている少女に視線を向けると、エトランジュはすっとその場から歩きだした。
「あの・・・!」
「少々お待ち下さい。準備して参りますので」
エトランジュはそう言うと持って来ていた簡易テーブルと椅子を準備し、ユーフェミアに座るように促した。
「海で流されて立つのもお辛いでしょう、どうぞお座り下さい」
「あ、ありがとうございます」
お礼を言ってユーフェミアが席につくと、エトランジュはヤカンからお湯を注ぎ、インスタントのスープを作って彼女に差し出す。
そのユーフェミアの背後には、銃を持ったままのジークフリードが立つ。
「毒は入っておりませんので、よろしければどうぞ」
「・・・ありがたく頂きます」
初めて飲むインスタント特有の濃い味にユーフェミアは瞬きしたが、好意で作って貰ったのだからとユーフェミアは半分飲み干してカップをテーブルに置く。
温かいスープのおかげで、海で体温が奪われた上にルルーシュの糾弾に血の気が引いた顔に赤みが戻る。
「それ、あんまり美味しくないですよね、ユーフェミア皇女」
突然にそう言われて、ユーフェミアはどう答えたらいいか分からず口ごもる。
作って貰っておいてまずいとは言えないし、かといって美味しいというのも嘘を言っているような気がしたのだ。
「私も国を追われた先で初めてインスタントを口にしたのですが・・・お湯を注ぐだけで食べられる便利さなのに、味が濃くて美味しい印象はなかったんですよ」
もちろん質がいい物はインスタントでも美味しくて、ブリタニアの高級軍人などが野営で食べる物はそう言う代物である。
「でも、今トウキョウ近辺のゲットーの方々は、そういうものですら滅多に食べられないんですよユーフェミア皇女。どうしてだと思います?」
「え・・・どうしてって・・・ごめんなさい、解りません」
素直にユーフェミアが答えると、エトランジュは怒ることなく答えた。
「ブリタニアがブリタニア人や名誉ブリタニア人のゲットーへの立ち入りを禁じた上、各ゲットーからの移動も禁じたせいです。
東京近辺には畑などございませんし、あったとしても既に日本占領時に壊滅状態になったのでとてもそこで作物を作れる状況ではないんです。
ではあそこに住む方々は、どこから食料を手にすればいいのでしょうか?」
「あ・・・!」
「もちろん最低限の食料は送られてはいますが、全員を賄えるには至っていませんでした。
しかもその食料を買うためのお金もないんです・・・租界での仕事が制限されましたからね」
ユーフェミアはレジスタンス狩りを防ぐことばかりに目が行って、その他についてまるで見ていなかったことに気づかされた。
言われてみれば租界とゲットーの行き来を分断するということはさらなる区別化に続くものであり、ブリタニアの国是にまことにふさわしい行為でしかないと。
「人間食べ物がなければ死ぬしかありません。つまり日本人は飢えて死ねと態度で表明したことになってしまうのです」
「そんなつもりはありません!!ただ、レジスタンス狩りを止めたくて、その法案に許可を出してしまったのです」
ユーフェミアが叫ぶと、エトランジュはなるほどそういう意味もあったのかと納得した。
「確かにブリタニア人が来なかったのでゲットーでは私どもも動きやすかったですが、残念ながらそれは伝わっていませんでした。伝わらない善意は無意味でしかありません。
軍に殺されるか餓えに殺されるかという違いに収まっただけと言えるでしょう」
じわじわと襲ってくる分、飢えの方が恐ろしい。目に見える軍なら反撃のしようもあるが、全ての生物が歴史上飢餓に勝てた例は一つもないのだ。
「すぐに戻って、食糧の配給を・・・!」
ユーフェミアは慌てたように立ち上がるが、それをエトランジュがやんわりと止めた。
「落ち着いて下さい、ユーフェミア皇女。やめたほうがいいです・・・反対されますから」
「え・・・?」
「今戻ってゲットーに食料を配布すると言ったとしましょう。
まず周囲が止めるでしょうね・・・そもそもゲットーを封鎖したのはスパイを探すためなのですから、それが見つかっていない以上そんなことをすればスパイが動きかねないと」
原因があって結果がある。
この場合ブリタニアの行動理由である“スパイ活動防止”のために“ゲットー封鎖”をしたのだから、それを止めるためには“スパイ発見”をしなければならないのだ。
「そして私達に要求しますか?スパイ活動を止めて欲しいと・・・そうすればゲットーに食料が配布出来るからと」
ユーフェミアはまさに言おうとしていた台詞を先に言われて、ぐっと押し黙る。
そしてエトランジュははっきりとした口調で詰問する。
「貴女は説得する相手を間違えています。どうして彼らを説得しないのです?貴女は副総督であり、皇族です。
私どもに戦いをやめて協力して欲しいと説得はするのに、どうして周囲の文官や姉であるコーネリア総督を動かそうとはしないのですか?」
「それは・・・・誰もわたくしの言葉など聞いてくれなくて・・・」
小さな声で答えるユーフェミアに、エトランジュはまた尋ねた。
「日本人の方々や私達も、貴方の説得に耳を貸してはいませんよ・・・同じですよね?
つい先ほどのゼロに対する説得を聞いて、私の従姉様は自分より下の人間にしか“説得”をしない自己保身に長けたお姫様だとおっしゃっておいででしたよ。
なら何故貴女の言葉を聞かないのか、考えたことはございますか?」
「お姉様はこのエリア11を平定したくて、テロリストを壊滅するのが一番の早道だとお考えだからわたくしの政策は駄目だとおっしゃるばかりで・・・。
そんなお姉様に反発して、騎士団の方々が力ずくで日本を取り戻そうとしていると考えていました。
だから和平などあり得ないと・・・そう思っているとばかり」
「その通りです。
何故かと申しますと、戦いをやめる条件がコーネリア総督は“日本人が服従すること”であり、日本人は“日本人を虐げるブリタニアの排除”だからです」
ユーフェミアはその通りだと頷くと、エトランジュは小さく息を吐いた。
「なら、どうすれば双方が矛を収められると思いますか?」
その質問に、ユーフェミアはルルーシュから何もしてないのに要求だけするなと指摘されたばかりだから、“日本人がテロをやめること”とは言えなかった。
となるとコーネリアを止めるべきなのだろうが、それが出来るならすでにやっている。
「・・・解りません。もう、どうすればいいのか・・・」
夏の暑い日差しの中、肩を震わせて小さな声で答えるユーフェミアにエトランジュは言った。
「勘違いなさっているようなので言っておきましょう。赴任当初、貴女は日本人からそれなりの支持があったのです」
あの戦姫と名高く植民地を増やすコーネリアと違い、妹姫は穏やかな性格でナンバーズでも差別しないという風評があったからだ。
そのため多少なりと期待を寄せていたのだが、サイタマゲットーの虐殺についても何も言わず、その他のゲットーについても何らの政策を講じなかった上、トウキョウ租界とゲットーを封鎖してしまった。
これでユーフェミアの評判は確定した、と言っていい。
「ユーフェミア・リ・ブリタニアは口だけの皇女であり、ナンバーズを憐れむ自分が素晴らしい人物だと思い込んでいるお姫様だというのが私が聞く限り日本人最多のご意見です。
貴女には貴女なりの思惑と善意はあったのでしょうが、それは為されなければ無意味なのです。
政治とは結果あってのものだと、言われたことはございませんか?」
自分に対する酷評を聞いてユーフェミアはうなだれたが、エトランジュの問いにはい、と小さな声で答えた。
政治は結果を上げなければ認められない、失敗は己の死を意味する。
だから余計なことはしてはならない、自分達がするから無理はするなと、副総督に就任してからは毎日のように言われていた。
「貴女は自分を信用して欲しいと訴えましたが、それも間違いです。
信用とはして貰うものではなく積み上げていくものだと、お父様は私におっしゃいました。
ある程度日本人の生活を良くしてからならともかく、貴女は日本人に対して結果を上げることが出来ませんでした。だから貴女の言葉を聞く方がいなかったのです。
それは逆に、ブリタニアの政治家や軍人の方も同じでしょうね。自分達の目的が達成出来ない政策なら、無視するのが当然です。
そして、貴女の最大の間違い・・・それは“味方作りを怠ったこと”です」
「味方作り・・・でも、そんなのわたくしに」
「いたんですよ、それも大勢。主義者、と呼ばれている方々・・・ご存知ですよね?
私いくつかのブリタニア植民地を回っていましたが、そう言う方々が政治家の中にも結構いらっしゃいました」
「え・・・政治家にも?」
「誰とは言えませんが、日本にもいましたよ?
ユーフェミア皇女なら穏健な政策を打ち出している自分達をお呼びしてくれると思ったのに、結局何も言われなかったとおっしゃっておいででしたが」
主義者とはブリタニア人でありながらブリタニアの政策に反対する人間のことを指し、ブリタニアでは国是に反するとして投獄対象にされることすらある者達のことだ。
侵略に対する反対運動、ナンバーズの待遇改善を訴えただけで国家反逆罪になりかねないため、表だった活動が出来ない者達である。
「主張が主張でしたので中間管理職以下の方々でしたからご存じないのも無理はないのですが、それでも穏健な政策を訴えた方はいらっしゃったのです。
貴女と言う主義者がいたのですから、他にもいると思わなかったのですか?」
周囲は全て姉の子飼いの者達ばかりだったから、当然国是を肯定する人間で構成されていた。
だが、言われてみれば確かにその輪の外に主義者がいてもおかしくはない。
地球上に68億人以上いると言われる人間である。当然様々な思想があり、考えがある。
その中で、当人のみしか通用しない思想や考えというものはない。
どれほど異常な思想であろうと、同調する人間が一人や二人必ずいるものである。
ましてやユーフェミアのように穏健で平和を訴える思想なら、数え切れないほどいる。たとえ弱肉強食を唱える国のもとで生まれ育とうとも、己の判断でそれは間違っていると言えるブリタニア人もまたいるのだ。
始め彼らはユーフェミアを旗頭として自分達の穏健政策を通して貰おうと考えていたが、幾度となく提出した提案書に対する返答もなく、ユーフェミアが語る政策を支持する者を探す気配もなかったので、諦めざるを得なかったのだ。
「あ・・・わ、わたくし・・・そんなこと、想像もしていなかった・・・」
ラプンツェルのように高い塔に住んでいるユーフェミアは、自分の状況を知らず己の髪を垂らすことをしなかった結果がこれである、
もしほんの一筋でも髪の毛を垂らしていたら、それを伝って彼女の元へ来る者はいただろう・・・そう、スザクのように。
「仲間はいないと思いこみ、一人でやろうとしたことが貴女の最大の失敗です。
山火事を一人で消すことがどうして出来ましょう?」
エトランジュはさらに説いた。
シンジュクゲットーの荒廃ぶりはクロヴィスの虐殺のせいで確かに悲惨だったが、その他のゲットーもまったく開発が進んでいないこと、もしそれを見ていたらそれらを比較して問題点に気づけただろう、と。
「たったひとつのゲットーだけを見てそれで判断してしまったのも駄目です。それに貴女は、日本人のご意見を伺った事はおありですか?」
「スザクの意見しか・・・他の日本人は、わたくしを見るなり逃げてしまわれるので」
「それでおしまいにしたのもいけなかったですね。
貴女に伺いましょう・・・貴女はある日風邪を引きました。そしてお医者様が呼ばれて病状について伺ってきました。
・・・それを貴女にではなくその横にいたコーネリア総督に尋ねていたら、貴女はそのお医者様がうまく治療してくれると安心出来ますか?」
「・・・いいえ、そうは思いません」
風邪を引いて苦しんでいるのはユーフェミアなのだから、自分が喋れない状態でもない限り本人に病状を尋ねるのが当然である。
ましてコーネリアが頭痛がしているのに推測で『お腹をさすっていたから腹痛かも』などと伝えて腹痛の薬を処方されでもしたら、それで治るわけがない。
つまりゲットーの状態をよくしたいのならゲットーの住民の意見を聞くべきなのであって、また各ゲットーの不満もそれぞれなのでシンジュクゲットーを見ただけで満足すべきではなかったということだ。
ユーフェミアは的確な指摘をしてくれるエトランジュを尊敬の目で見つめたが、エトランジュはそれほど独創的なことを言ってはいない。
そのどれもがかつて名君として名をはせた指導者達が行ったもので、彼女はそれを口にしているに過ぎないのだ。
ルルーシュはそんな二人のやりとりを見て、大きくため気を吐いた。
客観的に見て、能力値だけを見るならユーフェミアの方がはるかに優れている。
エトランジュは国立のポンティキュラス学園(七歳から十五歳までの一貫教育を行う。マグヌスファミリアにある学校はここだけである)の勉学を国が攻め落とされた十二歳の時に中断されたままで、その後はひたすら戦争を終わらせるために費やし時間が空いた時にアルカディアなどから教わっているだけなので、学力は非常に低い。
農耕馬の扱いに慣れているし移動手段として主に馬を使っていたので乗馬は得意だが、危険なスピードを出す競馬などは苦手らしい。
さらに言えば、ナイトメアどころか車の運転すら出来ない。
しかも女王といえど国力もブリタニアの地方男爵にすら劣り、他人の力を借りなければこうしてブリタニアと対抗することすら出来ないのだ。
彼女がユーフェミアに優っている点と言えば、自活能力と語学能力くらいなものである。
エトランジュは基本的に“失敗しない”ことを前提にして己の能力のほどを理解しているため、周囲をよく観察して考えてから動く。
これまで守られ愛されてきたのはユーフェミアと同じだが、それ故に彼女は周囲の人間を信じて愛されているという自信があるからこそ、己の意見を伝えることをためらわない。
そしてその分相手の意見を聞く耳を持っているから、周囲も安心して自分の言葉を伝えてくるのである。
たとえばゲットーの日本人を移住させる際、彼女は必要なもののリストや計画書を作成し、それを一度扇や藤堂、キョウト六家に見せてこれでいいだろうかと確認していた。
もちろん穴はいくつもあったが彼らも時間を割いて不足を指摘し、協力していた。
他人の助力がなければ何も出来なくても、協力を得られるそれは間違いなく彼女の力であり、武器だろうとルルーシュは考えている。
何故ならやっていることは確かに小さいが、そういうことの積み重ねが信頼を生み出し、その信頼のもと協力を得てその協力で物事を行うのが政治だからだ。
「これで解っただろう、ユフィ。君が日本人からどう思われていたのか」
「ルルーシュ・・・・ええ、本当、馬鹿です私」
ユーフェミアは笑った。それは全く周囲を見ていなかったのだと理解した、自分への嘲りだった。
エトランジュの話を聞く限り、彼女が来たのはナリタ連山戦の後だったという。
自分より後に来たのに日本人を理解し、その信頼を得ているのは黒の騎士団に所属していることからも解る。
また、彼女の言葉が事実なら既に主義者達とも親交があるのだろう。
自分はいったい、これまで何をして来たのか。
何も行っておらず、ただ理想を語りそれが受け入れられないと嘆いてばかり。
それなのに目の前の少女は国を父と姉に滅ぼされ、知らない国でこうして国を取り戻すための戦いに身を投じている。
常に考え、行動し、成果を上げているエトランジュの年齢を聞いてみると、自分より一つとはいえ年下の少女だった。
だが、自分の父と姉に国を滅ぼされたという彼女がどうして自分のために話をしてくれるのか不思議に思い、おそるおそる尋ねた。
「あの、どうして貴女はわたくしにそんなお話をして下さるのですか?
わたくしは何もしていないとはいえ、わたくしの父と姉は・・・貴女の故郷を・・・」
「はい、貴女の父親と姉のせいで、私の家族が93人も亡くなりました。
現在は数字をつけられ管理された、私の大事な国です」
「なら、どうして・・・わたくしを殺そうとは思わないのですか?」
「理由はいくつかございますが、まずは無関係の方を殺してブリタニアと同じ人種にはなりたくないからですね。
貴女は皇族ですから全くの無関係ではありませんが、侵略には関わっていない以上それを理由に殺すのは理不尽です」
テロリストと同じ人種だからとサイタマやシンジュクのように利用し殺すような真似はしたくないというエトランジュに、ユーフェミアは姉の行為を何としてでも止めればよかったと後悔した。
シュナイゼルのミサイルからスザクを庇おうとした時のように、サイタマに飛び込み虐殺を止めていれば、きっとエトランジュの言うところの“信用を積み上げる”ことになり、日本人の信用を得ることが出来ていたかもしれなかったのに。
「そしてもう一つの理由は、私の最終目的がブリタニアを滅ぼすことではないからです」
「え・・・でも、貴女は姉を」
ユーフェミアが驚いたようにエトランジュを見つめると、彼女は頷いた。
「ブリタニアを滅ぼすことは、手段であって目的ではないんですよユーフェミア皇女。
私の最終目的はたった一つ、“占領された我が国を取り戻して帰国し、みんなで仲良く暮らすこと”なので」
「みんなで、仲良く暮らす・・・」
自分も幾度となく見た夢。
EUも中華連邦もブリタニアもみんななくなって、世界が一つになって仲良く暮らせますように。
最後のブリタニアもなくなっての部分がみんなに咎められたけれど、その夢を亡きマリアンヌだけが素晴らしい夢だと褒めてくれた。
「そのためにはブリタニアが滅ぶか、国是を変えて植民地を解放するかのどちらかですが、あの皇帝が玉座に座っている限り不可能でしょうね」
だからブリタニアを滅ぼすことにしたのだというエトランジュに、ユーフェミアはさらに尋ねてみた。
「姉を殺そうとしたのも、そのためだと?」
「ええ、あの人はブリタニアの国是を肯定しそのための侵略を現在進行形で行い、過去の所業も全く反省していませんからね。
復讐心も消えようがありません・・・この状態で殺す以外どうしろと?」
「ですよ、ね・・・」
自分ですら無理だった説得に、他人である彼女が可能とは思えない。
そして自分を殺さなかった理由も、姉と自分が別個の人間であると認めてくれたからこそだという彼女に、ユーフェミアは嬉しくなると同時に悲しくなった。
(戦時下ではなかったなら、いいお友達になってくれたかもしれないのに・・・どうしてこんなことに)
「こんな状況ではなかったなら、貴女とはいいお付き合いが出来たかもしれませんね。
それだけに、とても残念です」
「?!」
エトランジュが自分と同じことを思っていてくれたと聞いて、ユーフェミアは思わず顔を上げた。
「ブリタニアの皇族の中で、私の話を聞いてくれたのはルルーシュ様を除いては貴女だけなんですよユーフェミア皇女。
コーネリアは都合のいい質問には答えてくれましたが、それ以外については答えになっていない答えしか返してくれませんでしたから」
「・・・ええ、聞きましたレジーナ様。貴女とお姉様のやりとりを全て」
「そう、ですか。もしかして、その通信からルルーシュ様がゼロだと?」
ふと思い当たったエトランジュに、ユーフェミアはこくりと頷く。
「最初に会った時から、ゼロには懐かしいものを感じていましたから。確信を持ったのはついさっきですが、レジーナ様の仲間の女性の言葉でそうじゃないかなって・・・」
「その通信とは、どういうことですかレジーナ様」
怒りを若干滲ませたルルーシュの声に、エトランジュは謝罪しながら答えた。
「申し訳ございませんルルーシュ様。実はですね」
『違う!いや、それもそうだが、その前に殺したのだ!留学していた幼い我が末の弟妹のルルーシュとナナリーを!!
私はイレヴンだけは許さん!我らに逆らうなら、徹底的に殲滅するまでだ!!』
と言ったコーネリアに対して、アルカディアがうっかり『ゼロが聞いたら怒り狂うか、笑いだすかのどっちかだろうねえ』と応じてしまったことを伝えると、ルルーシュは目を見開いた後そうですか、とだけ言い、案の定笑いだした。
「クックック・・・確かに笑うか怒るかしかないですねこれは・・・ハハハハハ!」
「ルルーシュ・・・」
「あの時日本に送り出される俺達に、何の言葉もなかったくせに、よく言う・・・!せめて傷を負ったナナリーだけでも守ってくれていたらな!!」
ダン、とテーブルを叩いたルルーシュにエトランジュとユーフェミアはびくりと肩を竦ませたが、何も言わなかった。
「ああ、解っているさ下手に口出ししてその役目が己とユフィに来るのを恐れただけだということはな!!
なら俺がナナリーと自分のために姉上を殺したとしても、文句はないはずだ・・・そうだなユフィ?」
「・・・筋は通っていますわ」
ユーフェミアは苦渋に満ちた返答をしながら、ルルーシュが姉を喜んで殺そうとしたわけではないことを悟った。
そしておそらくクロヴィスを殺したことも、仕方ないと思いつつも苦しんでいるということも。
「なら、もういいだろうユフィ。これ以上俺達を振り回すな」
もうあの日々は戻ってこない。
それを知って、七年前に自分の異母兄妹であったヴィ家の兄妹は死に、今戦っているのはブリタニア皇家に反旗を翻すゼロなのだと割り切るがいい。
「その覚悟が出来ないなら・・・ユフィ、ブリタニア首都へ帰れ」
何も知らなかったことにしてスザクとともに自分の箱庭に戻り、どちらが勝つにせよ全てが終わるのを見届けろと言い聞かせるルルーシュに、ユーフェミアは首を何度も横に振る。
「嫌です、ルルーシュ!!どうして、どうしてこんなことに!!」
とうとう泣きだしたユーフェミアに、エトランジュが静かに問いかける。
「ではユーフェミア皇女、私からの最後の質問です。貴女の一番大切な物は、何ですか?」
「・・・一番、大切なもの」
「人でも物でも、主義でも構いません。貴女が一番に守りたいものをお答え下さいませんか?」
「・・・私の一番」
改めて問われると、何と難しい問いだろう。
大切なものならたくさんある。
優しく守ってくれた姉に、育ててくれた母に、自分を補佐してくれるダールトン。
今は敵対する立場になっているのに、厳しくても忠告をしてくれたルルーシュに、幼い頃共に楽しく遊んだナナリーも大切だ。
お飾り程度の力しかないのにそんな自分の騎士になってくれたスザクに、彼と同じみんなで仲良く暮らす夢も捨てられない。
「私、大切なものがたくさんあって・・・決められないのです・・・!」
「そうでしょうね、私自身こんな状況下でなければ同じ答えを返していたと思いますから・・・私と貴女は、よく似ていると思います」
平和な状況なら、あれもこれもとたくさんの望むものが出てくる。
エトランジュも大切なものがたくさんあって、どれが一番など考えたことはなかった。ユーフェミアと同様、世界中のみんなが仲良く暮らせる世界なら幸せだと夢見たこともある。
マグヌスファミリアは小さな国で、国民がみんなで仲良く暮らしていた。
そうでなければ国自体が成り立たないという事情があっても、家に鍵をかける習慣がないほど平和だった。
王族と国民の垣根などないに等しく、誰でも挨拶一つで入れる城に、気軽に会える王族達。
国民二千人のうち国王の姿を見たことがない人間などおらず、また声をかけたりかけられたりしたことがない者のほうが珍しいほどだ。
それが普通だったから、国を追われ避難した先の外の国はエトランジュにとっては衝撃の連続だった。
家族でさえ別々に住むことが珍しくなくて、王族や皇族の間では王位継承で互いに殺し合うという話を聞いた時は目を丸くしたし、ブリタニアではそれを皇帝自ら奨励していると知った時の衝撃は生半可なものではなかった。
イギリスにあるマグヌスファミリアのコミュティの外へ、エトランジュが自転車を借りて買い物に行った時の話である。
鍵をかける習慣がない彼女はうっかり自転車に鍵をかけないまま店に入り、用事を済ませて帰ろうとするとまさにそれを盗もうとした少年少女と遭遇した。
たまたま通りかかった警官が彼らを補導したが、警官に叱られたのだ。『きちんと鍵はかけておかないと、盗まれても仕方ないぞ』と。
「その言葉を聞いた時、心底怖かったですよ。だって、盗んだ方が悪いけど鍵をかけてない方も悪いという理論が本当に理解出来ませんでしたから」
マグヌスファミリアでも窃盗事件が全く起こっていなかったわけではないが、何があろうが盗った方が悪いとなって被害者を叱るということはまずなかった。
この出来事があって以降、エトランジュは早く故郷に戻りたいとそれだけを願ってきた。マグヌスファミリア以外の国で生きていける自信がなかったから。
「私がこの・・・マグヌスファミリアの女王に収まったのは、私が前王の娘だからでした。
国民は私がただのお飾りと理解していましたから、何の期待もされませんでしたけど」
自分の出自が明らかにならないよう、そう言い繕ったエトランジュは遠い目をした。
父・アドリスが祖母のエマから王座を譲り受けたのは、エトランジュが四歳の時だった。
アドリスはエマの15人の子供達のうちでも最も優秀と言われ、事実彼は外交で多大な成果を上げていたこともあり、三男であるにも関わらず不安定な世界情勢では彼の方がいいと推され望まれて王になった。
その即位式の日、幼い自分を抱いてバルコニーに立つ父に期待の歓声を上げた国民達を見て、お父様は凄いんだと目を輝かせていたのを憶えている。
けれどその娘が即位したとき、周囲から言われた言葉は。
『大丈夫だからねエディ!僕達がついてる。無理しないで』
『貴女は怖いことをしなくていいのよ。伯母さん達に任せて、お勉強していなさい。
貴女に何かあったら、戻ってきたアドリスに叱られちゃうわ』
急きょ造られた王座の上、エトランジュはぽつんとそこに置き去りにされたような気がした。
解っている、自分は愛されているからこそそう言われたのだということを。
だけど、戦争中の中まず叔父の一人が亡くなった。
それと前後して、自分もブリタニア軍人を一人、手にかけた。
その時思ったのだ。今は伯父達が政治を司ってくれているから自分は玉座のお人形でいいけれど、もしもみんな死んでしまったら?
その時は、自分が王だ。父が、祖母が、さらにその先祖がしてきたように、二千人の国民を守る役をする王だ。
一番高いところに設えられた自分の部屋から、二千人が住むマグヌスファミリアのコミュティを見た。形式上自分が治める、自分の家族を見た。
怖かった。二千人だけなのに、他の国では村と称されるほどの人数なのに、彼女にはそれが大きく見えた。
「いつまでもお飾り人形でいるわけにはいかないと、その時悟りました。
だから、出来るだけのことをしていこう、今伯父達が健在なうちに学べるものは学ぼうと思ったのです」
それ以来自分が出来ることはなんだろうと常に考え、EUから依頼された反ブリタニア同盟を築く使者となるために語学を、さらに政治や軍事について寝る間も惜しんで学んだ。
何かをしていないと不安でならなかったし、何より自分はあんまり出来がいいとは言えなかったから、思いつく限りのことを全力でするしか出来なくて。
「お父様は私にこうおっしゃられました。“大人になるということは、やりたいことをするためにやりたくないことをする”ということだと」
「・・・だから、こうして戦争をする、と?」
「そうです。私自身この手で既に何人も殺していますが、人を殺して愉快になった覚えはありません。
それでもブリタニア軍人を殺し、死んでいくのを見て心のどこかで喜んでいる自分を自覚することがありますし、それは日を追うごとに多くなっているのです。
いずれはブリタニア軍人のように、敵を殺して笑うようになるかもしれません」
別にこれは皮肉ではなく、エトランジュの本心である。
ブリタニアも黒の騎士団も人を殺すたびに快哉の声を上げ、戻ってきたらその成果を誇らしげに報告する。
それをおかしいと思った時もあったがそれは既に過去のものとなり、自分自身素晴らしいことだと言うようになったのはいつからだったか。
「変わっていく自分が怖い。だから早く戦いを終わらせて、私はみんなで家に戻りたいのです。私達のあの平和な箱庭へ」
みんなで仲良くいつまでも。
家族で怖いことや嫌なことを考えずに暮らせる、あの場所へ。
それがエトランジュの一番の望みで、守りたいものだった。
「矛盾しているとお思いでしょうね。
だけど、そのために私はブリタニアの軍人を殺す策をゼロに求め、その軍人を指揮するブリタニア皇族を殺します」
「・・・・」
「平和な時代であれば一番など考えなくても許されますが、追い詰められれば大事なものに順位をつけて選ばなければならないのですよユーフェミア皇女。
シャルル皇帝の言うとおり、人は平等ではありません。私は私の家族を守るために、他の誰かの一番を殺すのです」
ユーフェミアはルルーシュを見た。彼自身もまた、順位をつけて選んだのだ。
ナナリーを一番の座に据え、それ以外のものを下にして。
ナナリーと自分が幸福に生きる道のため、仲が良かったクロヴィスを殺しコーネリアを殺そうと謀った。
ルルーシュやエトランジュだけではない・・・今戦っている者すべてが、自分の一番のために。
椅子から立ち上がって砂浜の方へと歩き出したエトランジュが、歌うように言った。
「・・・井の中の蛙、大海を知らず。されど空の蒼さを知る」
「それは・・・どういう意味ですか?」
ユーフェミアが尋ねると、エトランジュは波の中に足を浸しながら静かに答えた。
「井の中の蛙は外の大海原を知ることはないけれど、井戸の中からだからこそ“空の蒼さ”を誰よりも知ることが出来るかもしれない。
空しか見ることの出来ない井戸の蛙だからこそ、憧憬とともにその“空の蒼さ”を心に刻むことだってあるかもしれない、という意味です。
私はずっと、小さな島国の中で生まれ育ちました。こうやって海を眺めてその先にたくさんの国があることを知っていても、そこを見ようとしたことはありません」
みんなから愛されて、何の不安もない幸福な気持ちだったから。
楽園に住んでいる人間は、新天地など夢にもみない。
「けれど海原の先を知ることはなくても、こうして太陽が輝く青空が美しいことを知っていました。
貴女は何を見て、そして何を知ろうと思いましたか?」
「・・・解りません。考えたことが、なかったですから。でも」
ユーフェミアは波の音と、風が吹いて揺れる葉の音を聞いた。
そして、エトランジュの問いに小さな声で答える。
「今からでもこれからいろんなものを見て、いろんなものを知って、そして考えていきたいと思います」
「・・・時間はそうないと思いますよ?」
「解って・・・います。でも、私はこれまで行動することこそが大事だと思っていましたが、何の考えもないまま動くことの愚かさを教えて頂きましたから」
「考えるだけ考えて、動かないというのも無意味なのですけどね」
かつての自分がそうでした、とつくづく両極端な過去の自分とユーフェミアを思い浮かべたエトランジュは小さく笑うと、空を見た。
灼熱の太陽が光り輝き、雲一つない蒼天の夏空。
「綺麗ですね、空」
「・・・ええ」
抜けるような青い空と、冷たい波の音と、涼しい風がそよぐ砂浜で。
井戸の中へ戻りたい蛙の女王様と、井戸の外へ飛び出すことを望んだお姫様が小さく涙を流していた。