「なんや優喜君、今戻ってきたんかい。」
「はやてたちも、散歩終わったところ?」
ジョギングコースを回り終え、宿の玄関に来たところで、散歩組とはち合わせる。会った瞬間すずかに対して違和感を感じた三人だが、暗黙の了解ですぐには触れない。
「うん。綺麗な庭やったで。」
「ここのお勧めのジョギングコース、走るのにちょうどいい、気持ちいい気候と風景だった。」
互いの感想を言い合い、和気藹々と宿に入っていく。その間も、表面上は何気ないふりを装いながらも、優喜はすずかから注意をそらさない。
(ユーノ、アルフ。)
(なに、優喜?)
(何かあったのかい?)
(どうも、すずかがジュエルシードを持ってるみたいだ。なのはとフェイトも気が付いてる。こっちでもいろいろ考えてみるから、そっちでも回収のための知恵を絞っておいて。)
((了解。))
念話で連絡を済ませ、すずかの持つジュエルシードに意識を集中する。幸い、まだ暴走には至っていないが、高槻君が持っていた時と違い、やや活性化している感じはする。
「そういえばすずか。さっき拾った石、フロントに届けておいた方がいいんじゃない?」
「あ、そうだね。」
言われてポケットを探り始めるすずか。石、という単語にやはり、という思いがよぎるが、下手に話を振るのも不自然だ。フェイトが探し物をしている、という話はしてあるが、それがすずかが拾った石、というのはいかにも胡散臭い。
(いっそ、いい機会だし、アリサ達にも全部話してしまった方がいいんじゃないかな?)
(僕としては、あまり事情を知る人間を増やしたくない。一応、法的にも知られる人間は最小限にしないといけないし。)
(私も、出来るだけ知られるのは避けたい。)
優喜の提案に、ユーノとフェイトが反対を表明する。なのはも、別の観点から気が進まないらしい。そうこうしていると、すずかが戸惑ったように言う。
「あれ? どこかで落としたのかな?」
「確か、拾った後、右のポケットに入れてたはずよね?」
「うん。でも、どこのポケットにも入って無いの。」
あせった様子でポケットをひっくり返すすずか。無い、というあり得ない状況に、内心ひどくあせる優喜。なにしろ、ジュエルシードの気配は、すずかから消えていないのだ。むしろ、徐々に活性化し始めている。
「落したんだったら、探すのは明日にした方がいいかもね。ご飯の時間もあるし、そろそろ日が落ち始めるころだから、すぐに暗くなる。」
「うん、そうだね。そうする。」
探したところで見つからないのを承知している優喜が、あせっているすずかに提案する。すずかも、この場の人間で人海戦術で探すにしても、時間が乏しいという認識はあるらしく、素直に受け入れる。
「で、ご飯は何時からだっけ?」
「七時から宴会場で、だって。」
「じゃあ、お風呂行ってから、だね。」
現在五時半。女性の入浴や身づくろいが長いといっても、十分時間はある。それに、温泉に来たからには、食前に一回、寝る前に一回、朝風呂を一回、ぐらい堪能するのが筋だろう。
(前の高槻君の時もそうだけど、すずかの事も、状況的に今すぐどうこうできないから、お風呂入ってる間に皆で対策を考えよう。彼のケースも考えたら、多分いきなり発動してってことは無いと思う。)
(でも、すずかちゃんがひどい目にあうのは嫌だから、出来るだけ早く何とかしないと!)
(うん。私も、すずかに何かあったら、絶対後悔する。)
(だから、がんばって考えよう。でも、焦っちゃダメだからね。焦ると碌なことが無いし、焦ろうが何しようが、状況が良くならない時はどうしたってよくならない。)
念話で話をまとめつつ、目の前の会話を誘導する優喜。最悪、ジュエルシードが暴走することも覚悟しながら、表面上は普通に対応する。
「優喜君、私らと一緒に入る?」
「怖い事言わないでよ。そんなことしたら、冗談抜きでアリサに殺される。」
「賢明な判断ね。もし、うんって言ってたら、一生目が覚めないほど熱烈に愛してあげるつもりだったし。」
冗談ですまない雰囲気で、アリサが言いきる。
「その愛するって言うのは、夕日をバックに友情を確認する、とか、肉体言語で語り合う、とかと同義語だよね。」
「ええ、もちろんよ。」
アリサの言い分に、苦笑しか出ない優喜。
「とりあえず、着替えを取りに行くついでにユーノ君も回収しないとね。」
とりあえず、話が常識的な位置に落ち着いたところで、なのはが話を変える。
「あ、なのは。こういう公共のお風呂では、基本的にペットの入浴は禁止だから。」
「え? そうなの?」
「うん。衛生上の問題だからね。テレビとかで温泉にカワウソだのフェレットだのが入ってるのは、ちゃんと許可を取ってるはずだし。」
「なんだ、残念。」
本気で残念そうにしている女性陣に、ユーノの正体を知っている優喜は苦笑するしかない。ちなみに基本が動物型のアルフだが、今回は人型で最後まで行動する。ゆえにお風呂に入るのも一切問題無い。
(ユーノ、一応風呂場に連れ込まれるのは阻止しておいたよ。)
(あ、ありがとう優喜。あの空間は居心地が悪くて……。)
(因みに少しでも残念とか思ってたら、容赦なく淫獣と呼ばせてもらうから。)
(思ってないよ! って言うか淫獣って何さ!!)
優喜のあんまりな言い分に、本気で抗議するユーノ。とはいえど、入浴中に桃子と美由紀のペアが乱入してきたのを阻止できなかった優喜も、自分であんまり人の事は言えない気はしているのだが。
なお、何故桃子が乱入してきたのか、は、本当に男の子かどうか確認したかったのと、新しい家族と裸で親交を深めあいたかった、という二つの理由かららしい。美由紀は単に巻き添えになっただけだが、本気で抵抗する気も無かったようなので同罪だろう。というか、優喜がちゃんと掛けてあった鍵を外したのが美由紀だから、むしろこっちの方が罪は重いかもしれない。
「とりあえず、あんまりうだうだやってるとお風呂入る時間なくなるし、いったん戻ろうか。」
とりあえず、お風呂上りに大浴場の休憩所で集合、という話になり、入浴準備にぞろぞろと戻る一同であった。
「おや、優喜だけかい?」
「うん。ちなみに今出たところ。士郎さんも恭也さんも部屋にいったん戻るって。」
風呂上りにコーヒー牛乳を嗜んでいると、子どもたちより先に出てきたアルフが声をかけてきた。アルフ以外の大人の女性陣は、全員先に風呂に入っていて、士郎達と一緒にすでに部屋に戻っている。因みにアルフは、いつものようにそのグラマラスな体型を見せつけるような、露出の多いラフな格好だ。浴衣を着る気は無いらしい。
「アタシも大概カラスの行水だけど、やっぱり男どもは早いねえ。」
「そうかな? これでも三十分は入ってたんだけど。」
「フェイトとか、何気に長風呂だからねえ。油断したら一時間ぐらいは入ってるんじゃないかい?」
やはり、幼くても女は女、ということだろう。なのはも、基本的に風呂は長い。しかも考えてみれば、はやて以外は皆、髪を長く伸ばしている。特にフェイトなんかは髪のボリュームが凄いので、その手入れまで考えたら、風呂に時間がかかるのも当然だろう。
「それはそうとアルフ、カラスの行水なんて日本語、知ってたんだ。」
「……優喜、アンタの中でのアタシの立ち位置を、一度よく話し合いたいもんだね。」
「いや、フェイトは明らかに知らない言葉だろうから、それで驚いたんだよ。」
今となっては、日本人でもあまり使わない言葉だ。下手をすれば、なのはも知らないかもしれない。
「それで、ずいぶんと風呂に来るのが遅かったみたいだけど、何してたんだい?」
「ん? ああ、ユーノを宿の人に預けたりとか、いろいろ細かい用事を、ね。」
すっかりペット扱いが板についてしまっているユーノを思い、思わず苦笑するアルフ。しょうがない事だとはいえ、彼の人としてのプライドは日々擦り減っていることだろう。
「今、ペット用の粉シャンプーでブラシしてもらってるんだとさ。気持ち良さが屈辱的だってぼやいてた。」
「だったら今すぐ人型に戻ればいいのにねえ。」
アルフの言葉に苦笑を返す優喜。いまさら、切っ掛けが無いと人型に戻るのは無理だろう。彼の一族だか種族だかが、負傷に対して強い姿として動物になる、という能力を持っていた事を呪ってもらおう。
「しかし、なんていうか、アタシがここでこうやって牛乳飲んでるのも、不思議な気分だよ。」
「それはまた何故に?」
「いや、なんていうかさ。本来アタシの役目って、もっと別だったんじゃないかなあ、って思うんだ。」
「まあ、あのまま僕とかちあわずに収集を続けてたら、ここで呑気に牛乳を飲んでる余裕なんてなかっただろうしね。」
優喜の言葉に、縁というものの不思議さを思ってしまうアルフ。
(それで優喜、ジュエルシードについて、何か考えついたかい?)
とりあえず周囲にはだれもいないが、例の監視者をはばかって念話で話しかけるアルフ。
(悪いけど、やっぱり最善は、事情を全部話して回収させてもらうことだと考えてる。)
(アタシもさ。前の時は、拾った坊やも気絶してたし、どうとでもごまかしがきいたけどね。今回はアリサにはやてもそばにいるんだ。どうやったってごまかせやしないよ。)
(多分、なのは達も分かってはいるんだろうとは思う。そもそも、フェイトはともかくなのはは、このままずっと魔法にかかわるんだったら、いつかは家族やアリサ達に話す必要が出てくる。この事件が終わった後魔法を捨てるならともかく、いつまでも隠し通せるもんじゃないし。)
結局、事情を黙ったまま親友たちから問題のものを回収するなどという、そんな都合のいい方法は無いということを確信するだけだったようだ。
(とりあえず、今は小康状態だけど、すずかのジュエルシードは確実に発動してる。むしろ、暴走した時の対処を考えた方がいい。)
(本当かい?)
(ああ。すずかが、ポケットにあったはずなのに出てこない、って言ってるし、そもそも今お風呂に入ってるんだったら、持ってるはずがない。なのに、すずかの気配とジュエルシードの気配が重なってるんだ。だったら、発動してすずかの体の中に入ってる、と考える方が自然だ。)
(それはまずいねえ。)
待合の椅子にどかっと座り、難しい顔で唸るアルフ。
「それで、なのは達はいつごろ出てくるんだろうね。」
「さあね。ただ、さすがにそろそろ出てくるはずだよ。」
「まだご飯まで時間はあるけど、あんまりゆっくりはできないんじゃないかな。っと、気配がまとまって動き始めたから、そろそろ出てくるかな?」
「今回は仕方ないけどさ、あんまりそれやるのはプライバシーとかデリカシーの部分で感心しないよ。」
「分かってるって。普段は必要が無い限りはやって無いから、今回は大目に見て。」
優喜の言葉に苦笑を返すアルフ。優喜とて、好きでこんなデバガメみたいなことをやっているわけではない。すずかがジュエルシードを拾っていなければ、普通になのは達遅いなあなどと言いながら牛乳飲んで終わり、だったはずなのだ。
(そういえばさ、例の監視者とやら、こっちまで付いてきてるんだよね?)
(うん。視線はばっちり。ただ、ランニングのついでに気配を探ってみたけど、それっぽい気配は引っ掛からなかった。もしかしたら、魔法か何かで監視してるのかもしれない。)
(なるほどね。でまあ、思ったんだけど、あたしたちの入浴シーンも、そいつらに監視されてるんじゃないかい?)
(あり得ないとは言えないね。少なくとも、今現在と男湯では視線の類は感じなかったけどね。まあ、はやてが出てきたら分かるだろう。)
などと、念話でこそこそやってるうちに、待ち人たちが女湯の暖簾の向こうから現れる。アルフと違って、さすがに全員浴衣姿だ。不意に気配がして振り向くと、毛艶がよくなった感じのするユーノが、とことこと歩いてきていた。とりあえず全員集合のようだ。
(うん。視線を感じる。どうやら監視してる連中は、きっちり風呂をデバガメしてたらしいね。)
(アタシやフェイトの裸を断りも無く見てるんだ。男だったら、三回ぐらい死なせないといけないね。)
(それと、さっきから気になってたんだけど、別口っぽい視線が一つ。心当たりは?)
(それは誰に向いてるんだい?)
(主にフェイト、だけど僕やなのはにも随分御執心の模様。)
優喜の指摘に、監視者の心当たりが思い浮かぶ。フェイトを監視する、と言えばあの女しかいないだろう。
(多分、それはプレシアだね。)
(プレシア?)
(ああ。フェイトの母親さ。認めたくはないけどね。)
(ふむ。まあ、ちょっとその話は後回しにしよう。)
優喜が話を切り上げる。今気にすべきは、監視者の正体ではない。今は注意すべきなのは、すずかのジュエルシードだ。そのために、デバガメ一歩手前のようなことまでしていたのだから。
「やっと出てきた。」
「優喜君が早すぎるんだよ。」
「男と一緒にしないでほしいわね。」
一時間ほどの長風呂に対して、まったく悪びれる様子の無いなのは達。まあ、まだ食事には時間がある。風呂上りの水分補給ぐらいは問題ないだろう。
「あれ? フェイトとすずかは?」
「フェイトはまだ、髪を乾かしてるわ。すずかは脱衣所に忘れもの、だって。」
さすがにフェイトの髪のボリュームでは、ドライヤーを当てるのにも一苦労のようだ。
「忘れ物? 何を?」
「アンタからもらったペンダント。わざわざ風呂場にまで持ってこなくてもいいのに、本気で気にいったのね。」
「それは光栄だけど、すずかがそういう忘れ物って珍しいね。誰かせかした?」
優喜の質問に、少しきまり悪げに苦笑しつつ、自己申告をするはやて。
「あ~、私がすずかちゃんの手を煩わせてしもたんよ。この足やし、さすがになのはちゃんはもとより、フェイトちゃんとかアリサちゃんでも、一人で私を抱えるのはしんどいみたいやし。」
「……アルフ、中で待ってなきゃ駄目だったんじゃない?」
「……あ~、ごめん。」
「まあ、この件に関しては、アルフさんを先に上がらせた私たちも迂闊だった訳だし。」
すずかがいるから、ということですっかり油断していたらしい。因みに大人組は、アルフが残ったからという理由で、これまた油断していたようだ。本来介助すべきであろうノエルとファリンは、宴会の段取りやら何やらで宿の人と相談しており、そもそも風呂場自体に来ていない。彼女たちの慰安旅行も兼ねているはずなのだが……。
「まあ、もうすぐ出てくると思うわよ。」
「かな。」
などと話していると、フェイトと一緒にすずかが出てくる。優喜たちがたむろしているのを見て、速足でとてとて近づいてくるフェイト。
「ごめん、待たせた。」
「ん。とりあえずご飯には間に合いそうだから、まずはお茶なり牛乳なりで水分補給を……。」
と言いかけて、優喜の顔つきが変わる。いつの間にかそばに来て、優喜に抱きつこうとしていたすずかを振り払うと、何を思ったか、フェイトを抱えていきなりその場から飛び退く。唐突な行動に一瞬頭が真っ白になるフェイト。だが、一拍置いて状況を認識する。優喜の頬に、血がにじんでいる。
「もしかして……!」
さっきまで自分たちが立っていた位置には、忍によく似たグラマラスな女性が、妖しげな雰囲気を発散しながら、己の腕を見て立ちすくんでいた。忍との違いは、白いヘアバンドをしていることと、犬歯が嫌に長いこと。忍に似ているが、むしろすずかの面影の方が強い。どこか陶然とした様子で優喜の血が付いた指をなめる姿が、どこか退廃的でひどく艶めかしい。
「ユーノ! アルフ! 結界をお願い! なのはとフェイトは、アリサ達を守って!」
「え? え?」
「優喜はどうするんだい!?」
「すずかを止める!」
自分の体がどこかおかしい。すずかは入浴中、ずっと違和感にとらわれていた。違和感を覚えたのは、拾ったはずの石がどこにも無かった、そのあたりからだ。もっとも、そんな違和感も入浴中のおしゃべりと、風呂から上がった後のごたごたで、あまり強く意識することは無かったのだが。
「すずか?」
「ちょっと、忘れもの。」
「あのペンダント?」
「うん。フェイトちゃんは、そろそろ髪、終わりそう?」
「もう終る。」
ならばいっしょに出ようかとフェイトを待ち、並んで脱衣所を後にする。外に出ると、皆が自分たちを待っていた。待たせてしまって申し訳ない、そう思って優喜達の方へ歩を進めようとして……。
(え?)
風呂の余熱でやや火照った優喜の体を見た瞬間、全身をよくない衝動が駆け巡る。喉が猛烈に渇き、血が騒ぐ。傍らにいたフェイトが小走りで優喜のもとへ進んだが、そんなことはどうでもいい。
(血が……、ほしい……。ダメ……、なのに……、優喜君……。)
体がおかしい。衝動を止められない。
「ごめん、待たせた。」
「ん。とりあえずご飯には間に合いそうだから、まずはお茶なり牛乳なりで水分補給を……。」
優喜とフェイトが、何かを話している。だが、それに注意を払う余裕などない。なぜならこの瞬間、すずかは衝動に屈したのだから。
「ユーノ! アルフ! 結界をお願い! なのはとフェイトは、アリサ達を守って!」
「え? え?」
「優喜はどうするんだい!?」
「すずかを止める!」
抱きついたはずの腕に軽い衝撃が加わり、少しの間腕がしびれる。あと少しで優喜の首筋に牙を立てられる、というところで優喜を捕まえそこなった。いろいろな理由で呆然としていると、優喜がいつの間にか、自分のそばに立っていた。
「ゆ、う、き、君……?」
「すずか、大丈夫?」
「ダメ……、こっちに来ちゃダメ……。」
「ごめん。僕たちの事情に巻き込んだ。」
申し訳なさそうな顔で、優喜が構えを取る。視界内では、いつの間に着替えたのか、なのはが聖祥の制服によく似た衣装に、フェイトが露出の多い死神風の衣装に代わっている。二人とも、両手で杖のようなものを構えており、顔をゆがめてすずかの方を向いている。その後ろには、状況についていけないアリサとはやての姿が。
「優喜君……、逃げて……。私……、あなたの血が……。」
外したことで戻った自制心が、どんどん削られていく。目の前の少年の血がほしい。あれはきっと、どんなものより美味なはずだ。本能に根ざした欲求が、すずかの理性を壊していく。必死の抵抗もむなしく、徐々に徐々に優喜の方に腕が伸びて行く。狂いそうなほど、喉が渇く。
「ごめん、すずか。元に戻すために、今から君を殴る。」
「ちょっと、優喜! どういうことよ!?」
「優喜君、女に子に手をあげるんは最低やで!?」
後ろのアリサとはやての抗議の声を無視し、優喜はすずかの気の流れを探る。丹田のあたりに妙なエネルギー。そこを崩せば、ジュエルシードは外に出て行くはずだ。
「いいよ優喜君! 私がやるから、私たちがやらなきゃいけない事だから!!」
「なのはやフェイトに、友達を攻撃させるなんて、僕が我慢できないんだ。こういう汚れ役は、男の仕事だって思って。」
そんなことは無い、と言いかけたなのはを制し、全身の気を活性化させる。狙う技は一つ。気脈崩し、その発展技。ジュエルシードの封印に付き合い続けた優喜が、仮に単独で暴走体を元に戻すには、と考え続け、対抗策として見つけた回答である。
「いくよ!」
「うん……、お願い……。私が……、私のうちに……。」
すずかの丹田に、すべての気をこめた一撃を入れる。当てる角度、タイミング、深さ、すべてを慎重に調整し、接触した瞬間に全力で気を流し込む。肉体に傷をつけないとはいえ、普通にやれば命にかかわる一撃だ。それをジュエルシードにじかに叩き込む。
アリサとすずか、二人と初めて会った時には、体の調子が悪くてうまくいかなかった技、それを発展させた一撃だ。あの時と違って、他の選択肢はない。ミスは一切許されない。
「破ぁ!!」
気合の声と共に、さらに左手を右手の上からたたきつける。すずかの体からジュエルシードが飛びだす。すずかの体が急速に小さくなり、瞬く間に元の小学生の体格に戻る。吐き出されたジュエルシードは、封印されたことを示す青い色に変わっていたが、シリアルナンバーが刻み込まれていない。
「なのは、フェイト、封印お願い。」
「うん。」
すずかの様子を気にしているなのはの代わりに、フェイトが封印作業を行う。いつものように表面にシリアルナンバーが刻み込まれ、封印作業が完了する。すべてがうまく行ったことを察して、全身の緊張を解く優喜。場を覆っていた異様な空気が完全に払拭され、後には奇妙な沈黙がその場を覆ったのであった。
「すずか、大丈夫?」
崩れ落ちたすずかを支え、待合の椅子に座らせる。ようやく目の焦点があったすずかが、ゆっくりと優喜の顔を見上げる。
「ちょっと、ごめん。」
すずかの額に指を当て、目を閉じる優喜。優喜の指先から、温かい何かが流れ込んでくる。すずかにとっては永遠にも感じられる数秒の後、優喜が指を離す。心地よいぬくもりが消え、思わず小さく、残念そうな声をあげてしまうすずか。
「うん。体におかしなところは無いみたいだ。急に元に戻ったから、ちょっとの間体がだるいかもしれないけど、すぐにいつもどおりになるから。」
「……要するに、全部終わったってことでええん?」
「この場は、ね。」
優喜の言葉に、アリサが冷たい怒りをたたえた視線を向ける。ようやく体からだるさが抜けてきたすずかが、不安げな表情で優喜とアリサを交互に見る。
「とりあえず、隠してる事を全部、洗いざらい話しなさい。」
「僕の方は異存はない。ただ、なのはとフェイト、それからユーノがどちらかと言うと言いたくないらしいから、そっちにも許可を取って。」
「だそうよ、なのは、フェイト。この期に及んで、隠し事が出来るとは思ってるのなら、あなた達との友情を考え直そうと思うんだけど?」
アリサの言葉に、なぜかすずかがびくりと体を震わせる。いろいろ察するところのある優喜は、実はこの状況で一番きついのは、すずかじゃないかと思ってしまう。
「……そうだね。友達に、隠し事はよくないよね。」
「……でも、なのは。アリサもすずかも普通の人間。はやてに至っては足が動かない。関わらせるのは危なすぎる。」
「もう関わってるって言ってるのよ、フェイト!!」
「……アリサちゃん、なのはちゃん達の話の前に、私の話を聞いてくれるかな……?」
怒髪天を突く勢いのアリサに、おずおずとすずかが声をかける。その言葉に気勢をそがれたアリサが、見たことも無いほど悲しげに顔をゆがめる。
「なによ、なんなのよ……。すずかまで、私に隠し事してるって言うの? そんなに、私は信用されてないっていうの? 親友だと思ってたの、私の一方的な思い込みだったの?」
「親しい人間だからこそ、言えない事も言いたくない事もあるんだよ。アリサだって、覚えがあるでしょ?」
「そうだけど、そうだけどね……!!」
再び怒りに火がつきかけたアリサを、すずかが目で制す。唯一、事情を察している優喜が、気遣うような目線をすずかに向けるが、首を小さく横に振って、力無い笑顔で優喜の気遣いを拒絶する。
「心配してくれて、ありがとう。でも、隠してるのにも疲れちゃった。」
「ん。すずかがいいなら、僕は何も言わない。」
「優喜、アンタ、すずかの事まで片棒を担いでたの?」
「いや。すずかの事は、薄々気がついてただけ。本人の口から詳しい事を聞くのはこれが初めてだ。」
一度にいろいろあって、明らかに疑心暗鬼になっているアリサ。特に、すべての話が優喜が現れてから出てきたうえ、すべての事情に彼が噛んでいるときてはなおさらだろう。
「一応弁解しておくと、僕が海鳴に来た時にはなのは達の探し物は始まってたし、すずかの事情に至っては生まれつきの話のはずだよ?」
「どうだか。」
「まあまあ、アリサちゃん。優喜君を怒るんは、まずはすずかちゃんの話を聞いてからや。」
「何度も言うけど、私の事は、優喜君は何も悪くないの。」
アリサが、不機嫌ながらも話を聞く態勢になったのを確認し、すべてを話し始める。
「私ね、人間じゃなくて、実は吸血鬼なんだ。」
「は?」
「正確にはちょっと違うんだけど、分かりやすく言うとそうなるの。」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。すずかアンタ、吸血鬼って言うけど、鏡に映ってるしにんにく大丈夫だし、大体太陽の下で堂々と動いてるじゃない!」
「うん。だからちょっと違うの。」
そう言って、すずかは己の一族について語る。夜の一族という、血を吸うことでさまざまな特殊能力を使うことができる一族がいる。その寿命と身体能力は人間の数倍であり、そのうえ家系ごとにいろいろな特殊能力まで持っている、個としては人間のはるか上を行く種族だ。
吸血鬼と言っても彼らの場合、普通の食事で生命維持は可能だ。ただ、体を健全に成長させるには人の血をある程度飲む必要がある。また、ひどく子供が生まれにくく、種族としては緩やかに滅びに向かっている感は否めない。少なくとも、人間の血の入らない純血の夜の一族は、多分すずかたちの代で終わるだろう、とのこと。
「……優喜、どこまで知ってたの?」
「人間じゃないってのは、初対面の時から気がついてた。気の流れとか気配とかが、明らかに普通の人間の個人差に入らない種類の違いだったし。吸血鬼ってのは、お茶会で僕の血をなめた時にそんな気はしてた。」
「……やっぱり、優喜君は大体知ってたんだ。どうして黙ってたの?」
「別にどうでもいいことだったし、言い出せば僕だって、この場だとなのはとユーノにしか話してない事もあるし、ね。」
「私、人の血を吸うんだよ? 優喜君だけじゃなくて、この場にいる皆の血を、とてもおいしそうだって感じてるんだよ? 私は皆の事を、言ってしまえば食べ物と同じように見てるんだよ? 怖くないの? 気持ち悪くないの?」
すずかの言葉に、苦笑を浮かべるしかない優喜。問題の根源は、結局その言葉に集約される。
「怖いって、すずかが? 変な言い方だけど、物騒さで言うなら僕とかなのはとかフェイトの方が上だよ? それに、本当に友達を食料だと思ってるんだったら、悩まずにがぶっと行くでしょ。」
自分たちの方が吸血鬼より物騒、と言われて、抗議の声をあげそうになるなのはとフェイト。思い当たる節が無いわけでもなく、ただひたすら苦笑するしかないユーノとアルフ。
「ただ、血を吸う、というより、血が美味しい、ってのは、好き嫌いの観点で気持ち悪い趣味だ、とは思わなくもないけど。」
「やっぱり気持ち悪いんだ……。」
「だってすずか、考えても見てよ。すずかだって、芋虫とかアリとか蜘蛛とか食べてるの見ると、やっぱりちょっと気持ち悪いって思うでしょ? 食文化とか好みとかは否定しないにしても、それを気持ち悪い、って思ってしまうのはどうしようもないと思うよ。」
「えっと、気持ち悪いって、そういう話?」
人間の血を吸うという、倫理的にタブー視されそうなことを、単なる食文化や好き嫌いの話にすり替えられて、どう反応していいかが決められないすずか。何というか、そう言われると、本当に大したことじゃないような気がしてくるのだから困る。
「少なくとも僕にとっては、ね。まあ、芋虫も蜘蛛も平気で食べる僕が、人の好き嫌いにケチ付けるのはさすがにどうかと思うんだけどね。」
優喜の告白に、思いっきり引いた顔をするアルフ以外の女性陣。彼女たちにとっては、それは食べ物ではない。悪食にもほどがあるだろう、と言いたくなるのだが、昔士郎も恭也もそうだったらしいと聞いているなのはには、優喜の食生活に対して何も言えない。
「まあ、すずかの身の上話はこれでおしまいらしいけど、感想は?」
「……言えないわけよね。多分、こんなことでもなければ、言われても信じなかった。」
「せやな。こういうファンタジーな話って、あったらええなあとは思うけど、現実やと結構困るんやって、目の前に突きつけられてようやく実感したわ。」
「でもすずかちゃん、別に信じてもらえないから、とかそれだけの理由で黙ってたわけじゃないんだよね?」
なのはの質問に、すずかがゆっくりうなずく。すずかが黙っていた一番大きな理由を言う前に、アリサが口を開く。
「それで、今までの誘拐とか襲撃事件のうちどれぐらいの割合が、その程度のくだらない理由でアンタを狙った連中なの?」
「この三年間だと一回だけ。私が生まれてからでも三回ぐらい、って言ってた。」
アリサとすずかの会話が、夜の一族が秘密主義を貫かざるを得ない理由である。人間同士ですら、人種や宗教はもとより、ほんの少しの生活習慣の違いですら喧嘩の、どころか下手を打てば戦争の火種になる。
「で、僕から質問、いい?」
とりあえず、全員が大体のところを納得したと判断した優喜が、自身の気になっていることを質問することにする。
「……なに?」
「一つ目、血を吸われた側に、貧血以外で何か変化があるの?」
「基本的には何も。ただ、私たちの血を送り込むと、すごく低い確率で夜の一族の体質に近くなることがある、って長老は言ってた。」
とりあえず、一つ目の問題は気にする必要はなさそうだ。もう一つ、優喜としてはこっちの方が致命的な問題を聞いてみる。
「二つ目。血を吸うのって、首筋からじゃないと駄目? 例えば腕とかは無し?」
「別に、どこからでもいいんだけど、やっぱり心臓に近い首筋から貰うのが、一番おいしいの……。」
「あ~、なるほど。個人的には血をあげるのはいいんだけど、首筋はいろんな理由でやめてほしいから、一応確認したかったんだ。」
「いろんな理由?」
「主に生存本能の問題で、首筋を狙われると反射的に反撃しそうになるんだ。まあ、他にも見た目の上でも勘弁願いたいのはあるけど。」
見た目の上で、というのも説得力のある理由だ。言ってしまえばある意味では食物的な意味で捕食されているのに、傍目には濃厚なラブシーンを演じているだけにしか見えないのである。いくらすずかが美少女だと言っても、まだ小学校三年生だ。マセガキのラブシーン何ぞと思われるのは勘弁してほしい、という優喜の言い分は実に理解できる。
「まあ、そういうわけで、首筋は勘弁してほしいんだけど、腕からでよければ、死なない程度に好きなだけ飲んで。」
「え? いいの? こんなことで、気を遣わなくても……。」
「だって、見てたらまだ結構しんどそうだし、僕の体は頑丈だし、ね。今回のはさっきの宝石のせいだとしても、あんまり我慢しすぎて心が折れたら、また同じことをやらかすわけだし。我慢しすぎて一回に必要な量が増えたら、それこそ命にかかわるから、お互い妥協できる範囲で、ね。」
「……うん。じゃあ、遠慮なくもらうね。」
そう言って、優喜に近寄り、腕を取ろうとしたところで……。
「腕から、とか何風情の無い事言ってんのよ。」
「せやで、優喜君。すずかちゃんの初めてなんやから、恥ずかしがらんとちゃんと正統派に首筋からあげやんと、視聴者の皆さんが納得せえへんで。」
アリサが優喜を後ろからはがいじめにし、はやてが優喜の浴衣の前をがばっと開く。ボディビルダーのようなボリュームでこそないが、実に鍛え上げられた実用的な大胸筋と腹筋が、少女たちの前であらわになる。
「あら、いい体してるじゃないの。」
「ほんまやな。これで乗っかってる顔が美少女やのうてイケメンやったら完璧やのになあ。」
などと、照れもせずに勝手なことを言っている二人。突然の事に真っ赤になりながら、食い入るように見つめているフェイトと、見せつけられた「強い雄」の匂いに酔っ払った様子で、ふらふら近寄っていくすずか。その手の情緒面では幼いなのは一人だけが、素のままである。
「すずか、このトーヘンボクから、死なない程度に好きなだけもらいなさい。」
「あの……、優喜君……?」
「あ~、もう今回は好きにして。」
「……うん。」
さっきよりよほど強い誘惑と衝動に素直に屈したすずかは、容赦なく優喜の首筋に牙を立てる。すずかの喉が小さく鳴る。それなりの時間をかけ、それなりの量を飲み込む。
「……ご馳走さま。」
「満足した?」
「これ以上は、ゆうくんの体が持たないと思うから、来月ぐらいまで我慢するね。」
そう言って、離れる前に、ほぼ渇いている頬の血を舐める。
「すずか! いくら血をもらったからって、それはサービスをしすぎよ!!」
「そうだよ、すずかちゃん!! そういうことは恋人同士がすることだとなのはは思うの!!」
「すずか、ずるい……。」
「すずかちゃん、いくら足らんから言うても、もうちょっと場所と状況を考えや……。」
「最近の子供は大胆だねえ。」
「って、ちょい待ち。フェイトちゃん、ずるいって何なん?」
「え……? なんだろう……?」
あまりの行動に、さすがのなのはですら色めき立つ。ここで終われば綺麗に話がまとまるところだったのだが……。
「あらあら、すずかちゃん。優喜君は確かにお買い得商品だとは思うけど、そういうことはさすがに中学を卒業してからじゃないといろいろとまずいと、桃子さん思うのよ。」
「すずかも大胆ね。さすがに自分から襲いにいくとはお姉ちゃん想像しなかったわ~。」
「……うう、私は彼氏が出来ないのに、すずかちゃんは小学三年生の身の上で男を作ってるし……。」
年長の女性陣が三人、あまりに遅い子供たちを心配して様子を見に来た挙句、一番見られて困るシーンを目撃してしまったのだ。優喜の浴衣が派手に乱れているうえ、アリサとはやてが、優喜が抵抗しないように腕を抱え込んでいるのが致命的だ。しかも、フェイトは顔どころか全身がのぼせている。何をどう頑張っても、言い訳できるような状況ではない。
(ねえ、ユーノ、アルフ……。)
(どうしたの?)
(なんだい?)
(結界は、どうなってるの……?)
((……桃子(さん)達を除外設定してなかった……。))
いろいろどうにもならない状況を察して、とりあえずしがみついている三人を引き剥がして身なりを整える優喜。どうせこの後、士郎達にも全部話す必要もあるだろうし、ここでとっとと、確認しておくことだけ確認しておくことにする。
「忍さん。」
「ん? なに?」
「一族の事、今日来てる中でどのぐらいの人が知ってる?」
「アリサちゃん達も知っちゃったんだよね? だったら知らないのは美由紀ちゃんだけかな?」
唐突に自分の名前が出てきたため、状況が分からずにきょときょとする美由紀。美由紀とセットでハブられていたことに、地味にショックを受けるなのは。
「で、美由紀さんに話すのは?」
「ちょうどいい機会だし、話しちゃうわ。」
これで、話を進めるのは問題なさそうだ。
「それですずか、一族の掟の話はした?」
「これからするつもりだったの。」
「そっか。じゃあ、美由紀ちゃんに事情を話して、全部まとめて済ましちゃいましょう。」
どうやら、夜の一族組も話がまとまったようだ。全く話についていけない美由紀には申し訳ないが、もう少しこちら側の事情を詰めてしまおう。
「なのは、フェイト。」
「やっぱり、話すの?」
「う~、私は出来れば、アリサちゃん達だけにしておきたいんだけど……。」
「駄目。すずかが巻き込まれたんだし、最低限忍さんには話すのが筋だし、それにすずかじゃないけど、いい加減黙ってるのも限界だと思うよ?」
「「そうだけど……。」」
優喜達の話に、ピンと来るものがある桃子と美由紀。
「あ~、この間からなのはがこっそり深夜徘徊してるあれ?」
「うん。」
「フェイトちゃんも関係者だったんだ。」
「正確に言うと、そこのユーノも関係者、というか事の発端。」
優喜の台詞に、いきなり焦り始める魔法関係者。
「ちょっと待って優喜君!!」
「ユーノの事も話すの?」
「そうなると、当然アタシの正体も話すことになるよねえ。」
「それこそいい機会だし、隠し事は全部なしにしよう。それにいい加減、ユーノもちゃんとアリサ達との会話に参加したいだろうし。」
事情が事情だけにしょうがないとはいえ、ユーノはいつも連れまわされるだけ連れまわされて、会話にも参加できずに放置される役回りになってしまっている。なのはがいない時に散々愚痴られている身の上としては、とっととこの問題も解決してしまいたい。それに、このままほったらかしにしたら、またいつか女湯に連れ込まれて、淫獣扱いされかねない。
「というわけで、士郎さん達を結構待たせてると思うし、さっさと宴会場に行こうか。」
「そうね。どうも話が全部終わったら、私たちの新しい門出、みたいな感じになりそうだし、ちょうどいいわね。」
「桃子さん、桃子さん。だったら今日はこの宿の一番いいお酒頼みましょうよ。というか、月村家にとって喜ばしいことになりそうだから、むしろ振舞わせてください。」
「あら、いいの? だったら遠慮なく。」
結構ヘビーな話が待っているというのに、大人組はマイペースだ。とりあえず、この旅行で一番の修羅場は、どうにか無事に大したことも無く終わった。
「なんか、いろいろヘビーやったんやなあ……。」
「とりあえず、アンタ達の秘密主義については、納得しきれてはいないけど理解はしたわ。」
「実際のところ、アリサがこっちの立場だったら、友達にだって迂闊に話せないでしょ?」
「まあ、ね……。」
夜の一族の掟、とやらの前に立場と状況を話し終えた優喜。御神流の関係者が、話の内容を聞いて渋い顔をしていたのが印象的だ。
「それで、一族の掟の話なんだけど……。」
「掟、ねえ。」
「ねえ、すずか。アンタ達の一族の掟なのに、私たちにも適用されるの?」
「うん。皆に、一族との立ち位置を決めてもらうわけだから……。」
すずかの言葉に、顔を見合わせる小学生組と美由紀。多分、秘密をどう守らせるか、という話なのだろが……。
「一族の事を忘れて今まで通りの関係に戻るか、忘れずに私たちと特別な関係になるか、それを選んでほしいの。」
「忘れるって、どうやって?」
「記憶を消すのよ。」
なのはの素朴な疑問に、かなりシビアな回答を突き付けてくる忍。
「夜の一族という単語と、その内容、誰がそうなのか、どういう状況で聞いたのか、全部忘れてもらう。そのための秘術が、私たちの一族にはあるのよ。」
「まあ、吸血鬼の一族やし、それぐらいあってもおかしないわなあ。で、特別な関係の方は?」
「それは簡単よ。はやてちゃん達は女の子だし、自分の言葉ですずか相手に生涯親友であることを誓ってくれればいいわ。優喜君は男の子だし、恋人って言う選択肢でもいいけどね。」
忍の説明に、渋い顔をする優喜。その顔を見て、自分と恋人というのは嫌なのかとショックを受け、泣きそうな顔になるすずか。
「優喜、アンタその顔はいくらなんでも失礼よ。」
「分かってるよ。分かってるんだけどね……。」
「すずかじゃそんなに不満?」
「それ以前の問題。親友だの恋人だの、そんなもん、秘密を知った知らないぐらいの事で決めるようなもんじゃないでしょ?」
大人組以外は、優喜の言い分がピンとこないらしい。逆に、優喜の言葉を聞いて苦笑する士郎。
「まあ、そもそも、普通この話が出てる時点で、基本的に親友かそれに類する存在にはなってるだろうしな。」
「第一さ、生涯の親友だの恋人だのっていうけどさ、親友だったからこそこじれることもあるし、恋愛関係なんて生涯維持してたら、そっちの方が不健全な気がしなくもないし。」
「おいおい、いくら中身が二十歳でも、それは夢も希望もなさすぎるぞ。」
「うん。だから、掟だの契約だので、そういう人間関係を決めるってのは気に食わないって話。まあ、なのは達は大丈夫だと思うから、わざわざこういうこじれる言いがかりをつけないで、普通に契約しちゃっていいとは思うけどね。」
優喜の言いたいことを理解して、結構真剣な顔で考え込む小学生組。が、結論は最初から出ているので、割と悩む時間は短かった。すぐに口々に、誓いの言葉を告げていく。
「それで優喜君はどうするの?」
「ぶっちゃけると、記憶を消してもらうのが一番手っ取り早いとは思ってるんだけど、すずかとクラスメイトだから、どうせまた気がつくだろうしなあ……。」
「本当に、優はよけいなことを難しく考える子だよね。」
「ごめんね、難儀な性格してて。」
美由紀の言葉に苦笑を返しながら、とりあえず妥協できる範囲を示すことにする。
「じゃあさ、こういう誓いはどう?」
「ん?」
「月村すずかが月村すずかである限り、我が身と魂の持てる限りをつくし、可能な限り汝を守る盾となろう。」
「……可能な限り、なんだ……。」
格好をつけている割には情けない内容に、思わず苦笑が漏れるすずか。
「だってさ、うちの師匠とかみたいにね、何をどうやってもどうにもならない相手とか、世の中には結構ごろごろいるんだよ。そういうのを相手に絶対守る、みたいなことを言うような誠意に欠ける真似は、僕には死んでも出来ません。」
「……本当に、余計なところで現実的ね。」
「……うん、でも、出来る範囲では、守ってくれるんでしょう?」
「それはもちろん。まあ、その場にいない時に起こった出来事、とかは大目に見てもらうしかないけど。」
「それは、出来る範囲じゃないから、約束を守らなかったことにはならないよ。」
どうやら、お姫様は優喜の誓いを受け入れてくれたようだ。一番の難題をクリアしたことで、思わず安堵のため息が漏れる優喜。
「フェイトちゃん、すずかちゃん、いろいろ難儀やなあ。」
「そうだね。私はともかく、フェイトちゃんは自分のことでもいろいろ難儀なことになってるみたいだし。」
「私、難儀なことになってるの?」
「多分、なってるんだと思うよ。」
とりあえず、この一件だけを見ても、優喜が人当たりの柔らかさに比べて、人間関係には難儀な考え方を持っていることははっきりしている。そこに、望み薄とはいえ元の世界に帰るという目的も持っているのだ。それらの壁を突破しないと、多分彼女たちの本心からの願いは叶わない。
しかも、これはなのはにも言えることだが、フェイトは自身の感情をよく分かっていない。魔法少女組は幸か不幸か、女としての感性や情緒が同年代から見ても未成熟だ。フェイトはそれでも、優喜に対する好きと、なのはやユーノに対する好きが別物だということに気がつき始めてはいるが、なのははそもそも、好きの種類がどうという話にすら至っていない。
「まあ、難しい話は全部方がついたし、せっかくの宴会なんだから、盛り上がっていきましょう。」
「カラオケセットはちゃんと手配できています。二時間、歌い放題だそうです。」
「だったら、桃子さん歌っちゃう!」
手慣れた動きで十八番の歌を速攻で入力する桃子。次二番、とノリよく番号を突っ込んでいくはやて。
「優喜君らも最低一曲はノルマやからな。」
「はいはい。」
適当に知っている曲を入力していく優喜達と、操作が分からずおたおたしているフェイト。見かねた士郎が歌いたい曲を聴いて、苦笑しながら代わりに入力する。
「とりあえず、士郎さん、恭也さん。」
自分の番が当分先なのを見越して、優喜が士郎達に話を振る。
「分かってる。なのは達を鍛えればいいんだろう?」
「うん。何しろ我流で実戦をこなしてるようなものだし、危なっかしくてしょうがないんだよ。しかも、ガンナーのなのははともかく、前衛のフェイトはそのあおりをもろに受けて、結構碌な目にあってないし。」
優喜の言葉にうつむくなのはとフェイト。なのははそもそも、運動神経に恐ろしく難があったため、性格うんぬん以前の理由で御神流を教えられなかったし(しかも、それが原因で家族との間に小さくない溝が出来ている)、フェイトの戦闘訓練も、長柄の武器の基本的な振り方と、初歩的な戦闘機動しかやっていない。ちゃんとした師匠について、他人を指導出来るほどのレベルまで鍛えられている恭也や優喜と比べると、どうしてもいろいろな面で危なっかしい。
「優喜もどうせ、二人にいろいろ仕込むんだろう? せっかくだから、俺たちにもそっちの武術を教えてくれ。代わりに、なのは達の訓練相手がやりやすいように、御神流を教える。」
「了解。せっかくだから、フェイト相手に空中戦が出来るぐらいには、技を磨いてもらうよ?」
「望むところだ。」
「魔法使いごときに、御神の剣士は負けないと証明して見せる。」
桃子の歌をBGMに、物騒なことを非常にいい笑顔で言い切る剣士たち。
「多分、空を飛ばない限り、なのはとフェイトは余裕で落とせると思うから、そんなに力まないで、ね。」
優喜が苦笑しながらたしなめる。そのまま、なのはたちをどうしごくか、とか現状どういう感じか、とか、当人が聞いていたら顔が蒼くなりそうな話で盛り上がっていると、順調にカラオケの順番が消化されていく。因みに優喜を含む男性陣は、特に語るところのない程度の下手さで、盛り上げもしないが盛り下げもしなかった。
「おや、次はフェイトか。」
「ああ、フェイトちゃん、な。」
そろそろ宴会もカラオケも佳境と言うところらしい。最後のほうに入力したフェイトの番が回ってくる。曲目を知っている士郎が、苦笑ともニヤニヤ笑いとも付かない表情で実に楽しそうに状況を見ている。
「こっちの曲なんてほとんど知らないだろうに、一体何を入れたのやら……。」
「まあ、すぐ分かるさ。」
確かにすぐに分かった。日本人ならおおよそ誰もが知っているであろう前奏と共に、女性の歌う演歌でも十指に入る有名な曲名がモニターに表示される。天城越え。全体的に難しい演歌の中でも、特に難易度の高い一曲である。フェイトと演歌、というだけでもミスマッチがひどいのに、天城越えとはまた、コメントに困る組み合わせだ。
「天城越えとか、どこで覚えたんだか……。」
しかも異様にうまいし、と、内心でつぶやく優喜。演歌の何が、フェイトの心の琴線に触れたのかは不明だが、えらく熱の入った歌いようだ。
「こりゃたまげたな。」
「フェイトちゃん、歌が得意なのか。」
「得意かどうかは知らないけど、演歌が気に入ったのは確からしい。」
宿の浴衣、というのがまた、無駄にはまっている。最後まで朗々と情熱的に歌い上げた後、マイクを丁寧にカラオケセットに戻して自分の席に戻る。
「ねえ、フェイト。」
「何、アリサ?」
「アンタ、歌詞の意味分かってる?」
アリサの質問に、きょとんとした顔で見つめ返すことで答えるフェイト。予想してはいたが、どうやらまったく理解していないらしい。それでよく、あそこまで真に迫った歌い方が出来るものだ。一種の才能に違いない。本当に天は二物どころかいくつも与えるものである。
「とりあえず、フェイトちゃんと演歌ってのが、ミスマッチなようでえらくしっくり来る、言うんはよう分かった。」
「やっぱり、桃子さんのカンは正しかったようね!」
元祖演歌好きが、自身の犯行を告白する。何でも、CDプレイヤーとセットで、演歌のコレクションを大量に貸し付けたらしい。
「そんで、参考までに、フェイトちゃんほかに何が歌えるん?」
「えっと、津軽海峡冬景色に夜桜お七に帰ってこいよに……。」
「見事に演歌ばっかりやん!!」
「演歌以外も歌えるよ。なごり雪とか。」
「フェイトちゃん、年偽ってるやろ!」
とまあ、最後はそれなりににぎやかに和やかに宴会を終え、いろいろありながら、総じて旅行そのものは最後まで楽しくいい思い出を作ることが出来た一行であった。
おまけ(没ネタ)
「こっちの曲なんてほとんど知らないだろうに、一体何を入れたのやら……。」
「まあ、すぐ分かるさ。」
確かにすぐに分かった。日本人ならおおよそ誰もが知っているであろう前奏と共に、女性の歌う演歌でも十指に入る有名な曲名がモニターに表示される。天城越え。全体的に難しい演歌の中でも、特に難易度の高い一曲である。
「サム可愛いと人は言う。暑さ寒さも彼岸まで。僻む女の彼岸花……。」
「フェイト、それ中の人が違う!!」
没理由
いくらなんでもここまでメタなネタは作風に会わないにも程があるから。
分からない人はようつべあたりで「たかはし 智秋」「天城越え」で検索してみよう。