「ティアナの様子はどう?」
「相変わらず、ですね。」
ある日の昼休み。珍しく隊舎の食堂で一緒にご飯を食べているフェイトの問いかけに、困ったように答えるエリオ。訓練内容を変えてから一週間、ティアナの顔はずっと土気色のままだ。
「やっぱり、まだ無理があったのかな?」
「でも、優喜さんは元に戻すつもりはないみたいです。」
「フォルクの時もそうだったものね。」
竜岡式の関係は、何事においても効果が出るのが時間がかかる。ジュエルシード事件の時も、結局竜岡式そのものの効果は全て終わるころになって、ようやく少しは感じられる程度だったのだ。ティアナにしても、駄目だと判断するにはまだ、時期尚早ではある。
「問題なのは、明日か明後日ぐらいに、竜司の身内が来る、って言う事なんだよね……。」
「竜司さんの?」
「どんな人なんですか?」
「私も、詳しくは聞いてないんだ。三期生の子たちと同じぐらいの年の女の子、としか知らない。」
つまり、エリオ達よりは年上になる。とはいえ、それなりに年が近い相手が増えるのは嬉しい事だ。特に、出動が多い三期生や合同訓練が主体の二期生とはあまり接点がないので、空き時間はどうしても、自分達のチームとヤマトナデシコの三人で、固まって行動する事になりがちなのだ。
「ただ、すごい対人恐怖症だって言ってたから、エリオ達には悪いんだけど、すぐに仲良くなれるかどうかは難しいんだ。」
「そうなんですか……。」
「それで、これは優喜からのお願いなんだけど、フリードにいろいろと手伝ってもらいたいんだって。」
「フリードに、ですか?」
フリード、という言葉に首をかしげるキャロ。対人恐怖症と子竜のつながりがよく分からない。
「うん。その娘、動物は大丈夫らしいから。」
「あ、なるほど。」
人に囲まれて育ったせいか、フリードは竜とは思えないほど人懐っこい。子供ゆえかずんぐりした体型には竜という威圧感はなく、その性質は言う事を聞く猫、という感じである。好奇心の赴くままにいたずらしては大人達に叱られ、誤魔化すように甘えて見せては忘れたころに仕返しをするさまは、飼い猫の行動原理そのものだ。
「アルフさんとかは駄目なんでしょうか?」
「どうなんだろう? 子犬モードと子供モードならどうにかなるのかな?」
少し考え込む三人。アルフは思いやりのある気のいい女性だが、どうにも口調がきつい。対人恐怖症でおどおどしている子供にぶつけるのは、いささかリスキーだ。
「しばらく普通の犬の振りをしてもらって、様子を見てからにした方がよさそう、かな。」
「そうですね。」
「それまでは、フリードに頑張ってもらいます。いいよね?」
「キュイ!」
キャロの言葉に、任せておけとばかりに胸を張り、元気よく返事をするフリード。それを見て少し和んだ後、少々表情を引き締めて重要な事を告げる。
「とりあえず、間違っても今のティアナと一対一で会わせちゃいけないよね。」
フェイトの言葉に、真面目な顔で頷くエリオとキャロ。これに関しては、別段相手が対人恐怖症だから、というだけではない。今のティアナは、フォルクがそうであったように非常に心が荒んでおり、言動がやたらと攻撃的なのだ。しかも、当人がその事を気にしているため、誰かにいらだちをぶつけた後落ち込んで余計に心が荒み、と、見事な悪循環に陥ってしまうのである。
そんな人間を、心が未熟な対人恐怖症の少女と接触させて、勢いで致命的な一言を言い放ってしまった日には、双方にとってどうにもならないほど深い傷を与えかねない。正直、いろいろと繊細な問題が多すぎて、基本的に力押ししかできない広報六課のメンバーには厳しいものがある。
「フェイトさん。」
「何?」
「ティアナさんの事、どうにかできないんでしょうか?」
エリオの言葉に、いつになく難しい顔で顔を左右に振る。この件に関しては、フェイトは完全に部外者だ。しかも立場としては誰がどう見ても優喜やなのはの味方であり、ティアナとは対立する立ち位置に居る。出来る事はせいぜいシャマルの手伝いとして、フォルクの時に培った、今のティアナでも美味しく食べられる体に優しい食事を用意する事ぐらいである。
「私たちじゃ多分、駄目なんだと思う。」
「駄目、なんですか?」
「うん。私もなのはも、ティアナから見たら、才能がある人間だから。」
フェイトの言葉に、思わず黙ってしまうエリオとキャロ。当人達に言わせると、なのはもフェイトも本当の意味での天才ではない、という事ではあるが、それでも生れ持った能力を評価するのであれば、凡人とは口が裂けても言えない。
「だから、誰か私達の代わりに、話を聞いてくれる人が必要。それに、今回の件に関しては、最初から最後まで私は蚊帳の外だと思う。根本の問題は、優喜やなのはの教育方針に対するティアナの不信だから、カリキュラムには一切関わってなくて、週に二回の実戦訓練もほとんど顔を見せてない私が口をはさんでも、説得力がなくてこじらせるだけじゃないかな?」
これまでにフェイトが実戦訓練に顔を出したのは二回だけ。朝と晩の基礎鍛錬は毎日一緒にやっているが、それ以外の時間は大学に行っていたり、執務官としてなにがしかの調査を行っていたり、なのはと一緒にテレビやラジオの収録をしていたりと、隊舎に居る時間の方が圧倒的に短い有様である。そんな忙しい合間を縫って、朝昼晩とティアナのために薬膳粥をはじめとした体に優しい食事を用意しているのだから、これ以上の事をしろというのは無茶振りかもしれない。
もっとも、食事に関してはなのはや紫苑がやる、と言っているのを無理を言って用意させてもらっている、というのが実態であり、本人に言わせると
「部外者の自己満足。」
という事になる。
「結局、私達に出来る事は、ティアナが完全に壊れないようにフォローしながら、あの娘と話が出来るきっかけを待つ事だけ、なんだよね。」
ため息交じりのフェイトの言葉に、何も言えずに沈んだ顔になるエリオとキャロ。残念ながら、見た目の上では関係者は全員優喜の側についてしまっている事もあり、新カリキュラムに対する結論が出るまでは身動きが取れない。
ティアナの問題は誰にも結論を出せぬまま、広報六課全体を沈みこませていた。
「なあ、なのは。」
「……なに?」
「あの馬鹿、乗り越えられると思うか?」
「……何ともいえない。フォルク君の時より、ずっと条件が悪いし。」
なのはの返事にため息をつき、月組の訓練評価に戻るヴィータ。正直、予想以上にひどい状況に、どう評価すればいいのか頭が痛い。ティアナの事も厄介だが、こっちの問題も厄介である。
「いきなりその手の無理をしねーで、あいつの要望通り芸能活動の時間を訓練に当ててたら良かったんじゃねーのか?」
「無意味だって、分かってるくせに。」
「だよなあ……。」
それで解決できるのであれば、そもそも勝手にいろいろやっている時に、オーバーワークになって体を壊しそうになどならない。そもそも、結構な運動量のダンスレッスンにしたところで、竜岡式の訓練に比べれば遊びのようなものであり、同程度の強度の訓練をいくら増やしたところで、戦闘面で得るものはほとんどない。
むしろ、リズム感や他人との呼吸の合わせ方など、基礎訓練をいくら積んでもそう簡単に身につかない、だが実戦ではかなり重要な要素を鍛える、という面では、下手な戦闘訓練などよりよほど実りが多い。演劇の練習など、筋書きを維持しながら臨機応変に細部を変えなければいけない状況はしょっちゅうで、チーム単位での突発事態に対する応用力を磨くには格好の訓練だったりする。
「勉強や訓練って、一定のラインから上は、一見関係ない事柄から、いかに自分の目指すものに役立つ部分を見つけるか、って言うのがかなり大事になって来るんだけど……。」
「だよなあ。実際のところ、芸事と戦闘って、お互いに応用がきく部分が結構あるんだよなー。」
「うん。でも、そう言う部分って見えにくいし、遊んでるように見えてもおかしくないんだよね。」
「遊びってのも、馬鹿に出来ねえぞ?」
ヴィータの言葉に、真面目な顔で一つ頷くなのは。
「でもね、それをティアナに理解しろ、って言うのも、酷な話だとも思うんだ。」
「そうか?」
「私だって、そう言う事が分かるようになったのは高校に入ってからだし、勉強の仕方も中学までは漫然と授業を受けて、テスト前に分かんないところを教えてもらって、次のテストの頃には半分以上忘れて、って言う無駄な事を繰り返してたし。フェイトちゃんとかすずかちゃんも、結構そう言う感じだったんだよね。」
「ユーキのやつは違ったのか?」
その質問に、苦笑しながら肯定して言葉を続けるなのは。
「優喜君、基本的に宿題以外はほとんど勉強とかしてなかったけど、ずっと成績は学年トップをアリサちゃんと競ってたよ。中等部までは一度やった内容を覚えてるからだと思ってたけど、実はそうじゃなくて。」
「あいつ、どんなやり方をしてたんだ?」
「授業をね、全部一言一句聞き逃すまいって感じで一時限まるまる集中して内容を聞いて、それを休み時間の間にノートにまとめてたの。小学校の頃はさすがにそういうやり方はしてなかったけど、ね。」
「それって、ちゃんと内容理解できてねーと、頓珍漢なノートを作るよな?」
「うん。だから、授業をちゃんと聞いてないと駄目なんだって。で、その上で、空き時間で本当にその内容は正しいのか、っていろんな方法で確認したうえで、理数系や歴史なんかだったら、最新の学説はどんなものがあるのか、なんてことまで調べてたらしくて。」
むやみやたらと濃い勉強法で学んでいたらしい優喜に、思わず呆れたため息を漏らすヴィータ。
「で、オメーらもそれを実践してんのか?」
「高等部からはしてるよ。友達にノートを見せたら、かなり引かれちゃったけど。」
「……なのは、オメーにいつもの面子以外の友達がいたのか……。」
「居るよ、それぐらい。」
あまりにも失礼なヴィータの言い分に、再び苦笑が漏れるなのは。これが彼女やフェイトだから苦笑で済むが、アリサだったら手も足も出る種類の大げんかに発展しかねない。
「まあ、それは置いておくとして。やっぱり、訓練とかに関しては、どうしても誤解される部分はあるよね。」
「そうだよな。惰性でやってる三時間と、集中して限界まで密度を上げた一時間じゃ、段違いに密度を上げた一時間の方が効果があるんだけどなあ……。」
「でも、ティアナもそうだけど、一般的に効果がありそうに見えるのって、三時間かけて量だけこなしてる訓練なんだよね。」
そこが、竜岡式の考え方と相いれない部分であろう。その上、優喜自身が、基本的に鍛錬の量と質と時間と熱意と集中力がダイレクトに力量に跳ね返ってくる、と言ってしまっているため、強くなるためには量を増やさないと効果がない、とティアナが誤解してしまっているのだ。
「全く、ガンナーが視野狭窄起こしてちゃ、話にならねーだろうに……。」
「あははははは……。」
いろいろと、人の事を言えない前科があるなのはは、思わず笑ってごまかしてしまう。
「そういや、明日実戦訓練だったよな?」
「うん。」
「何事もなきゃいいんだがな……。」
「だよね……。」
手間のかかる教え子に、思わずため息が漏れる二人であった。
「なのはさん、お願いがあります。」
その日の晩。晩の訓練も夕食も終え、後は風呂を済ませて寝るのみとなったところで、ティアナが真剣な顔で切りだしてくる。
「何?」
「明日の実戦訓練、私にも受けさせてください。」
ティアナの申し出に、渋い顔を隠そうともしないなのは。いまだに顔色も悪く、気の流れも安定していない。状態が状態だけに、下手に軟気功や治癒魔法をかける訳にもいかず、現状シャマルの医者としての能力に頼り切っている。そんな彼女を実戦訓練に参加させるなど、死ねと言っているようなものだ。
「駄目。」
「どうしてですか?」
「私は、訓練で死人を出すつもりはないから。」
「何故そう言いきれるんですか!?」
ティアナが声を荒げ、上司であるなのはの胸ぐらをつかんで詰め寄る。その瞬間、食堂に派手な音が響き渡る。
「テメー、いい加減にしやがれ!」
ふらつきながらなのはに詰め寄るティアナを見て、ついにヴィータが切れた。力いっぱいテーブルを叩いて注意を引いた後、なのは達の間に割り込んでティアナを睨みつける。
「テメーはガンナーだろうが! センターガードだろうが! そのテメーが視野狭窄起こして自分の状態も理解できねーで、どうするつもりだよ!」
「自分の状態ぐらい、ちゃんと理解できています!!」
「だったら、自分が真っすぐ歩けねーほど弱ってる事も、当然分かってんだろーな!? そんな体で戦場に出てきて、仲間を殺す気か!? 冷静な判断ができねー司令塔なんざ、本気で存在価値ねーぞ!」
基本的に口が悪く口調も荒いヴィータだが、実のところ本気で怒る事はほとんどない。なんだかんだ言ったところで、彼女も何百年も生きているヴォルケンリッターの一員だ。そんなヴィータがここまで怒りをあらわにするのだから、相当腹にすえかねたらしい。
「それで死んだところで、テメーは満足だろうがよ! そうなったとき、残されたスバル達をどうするつもりだ!? 相方を守り切れなかったって傷は、オメーが考えてる以上に後に引くんだぞ!!」
もはやこれ以上、甘い顔は出来ない。ヴィータが全身でそう語る。
「オメーの自己満足で、たかが訓練で相方壊すような真似すんな!」
「だから、どうしてそうなると言いきれるんですか!?」
「分かんねえんだったら、体に直接教えてやるよ!!」
そう言って、ヴィータが容赦なく拳を振り抜く。それは、たとえレベルで劣る地上部隊といえども、普通に訓練を受けていれば確実にかわせるスピードの攻撃だった。だが、反応は出来ているのに体が全くついていかなかったティアナは、なすすべもなく腹にその一撃をもらってしまう。
「ヴィータちゃん!」
「後で営倉にでも何でも入ってやるから、今は何も言うな!」
「でも!」
「こうでもしねーと、この馬鹿の頭は冷えねーよ!」
薄れゆく意識の端で、なのはとヴィータのそんなやり取りを拾うティアナ。あの速度のパンチをよけられなかったショックと、思った以上に全身に響いたダメージに、これは本当に死ぬかもしれないと他人事のように考えながら、ティアナの意識はそこで途絶えた。
「ごめん、ヴィータちゃん……。」
結局、一晩反省室に入る事になってしまったヴィータに、しょげた顔で謝るなのは。
「いいって。あたしが勝手に切れてやらかしちまった事だ。」
「本当は、私がちゃんと向き合わなきゃいけなかったのに……。」
「まあ、それ言い出したら、ユーキの奴が中途半端な事をやらかした、ってのが一番マジーんだし。」
「でも、一応スターズの隊長は私なんだから、私がちゃんと部下の事を把握してなきゃいけなかったの……。」
どっちが反省室に入っているのか分からないなのはの態度に、思わず苦笑が漏れる。確かに、分隊長はチームメンバーの隊長や心理状態を把握し、何かあった時にはきっちりフォローする役割も担っているが、現実にはそこまで部下の事を慮って行動する分隊長はそれほどいない。
大体、たかが二等陸士が一等空尉や三等空佐待遇の人間に食ってかかった挙句、用意された訓練メニューを否定して勝手な行動を取る、などという事は本来許されない。他の部隊なら自主訓練という言い分も通じるが、広報六課に限っては故障のリスクが高いため、上司と教官の許可を取らずに勝手に訓練をすることは許されていない。体調の問題でここにはいないが、現実にはティアナの方がここに入らなければいけないのである。
人間関係、という面に関して言えば、今回の件は全員に問題がある。だが、組織の一員としての行動を見ると、明らかにティアナ一人が間違っているのだ。しかも、再三注意しても改まっていないのだから、分隊長が責任を果たしていない、という評価は出来ない。
「ま、取り合えずだ。折角あたしが反省室に入ってまで憎まれ役を買って出たんだから、ちゃんとあの馬鹿をどうにかしてやってくださいよ、高町隊長。」
「分かってるよ。ありがとう。」
冗談めかして言うヴィータに対して、目じりに涙を浮かべながら、どうにか無理やり微笑んで返事を返す。
「しっかし、竜岡三等空佐殿も、肝心な時に店に缶詰めとはねえ……。」
「しょうがないよ。元々無理言ってこっちの手伝いをしてもらってるんだから。」
人間一人に出来ることなど、たかが知れている。だと言うのに、優喜以外に出来ない事が多すぎて、明らかに手が回っていない。流石に三佐待遇になるだけあって、これまでやっていた仕事内容も管理局にとって非常に重要な物ばかりだ。ぶっちゃけた話、朝晩の訓練をみる程度ならともかく、日中にティアナの面倒をみるような余裕はないのである。
「ま、はやてとフェイトが何か考えてるみたいだし、何にしても、まずはシオンのお手並み拝見、ってことにしておこう。」
ヴィータの言葉に情けない顔で一つ頷くと、明日のために引き上げる事にするなのはであった。
まだ生きていたのか。それが目が覚めた時、最初に頭をよぎった言葉であった。
「……私の部屋?」
「ええ。申し訳ないのだけど、アイナさんにマスターキーを借りて、勝手に入らせていただいたの。」
「……琴月さん?」
「紫苑でいいわ。その代わり、私もティアナさんと呼ばせていただいてもよろしいかしら?」
おっとりと微笑みながらそう告げる紫苑に、思わず顔を赤くしながら頷くティアナ。ふと見ると、窓際に今までなかった一輪刺しが置かれ、薄紅の可憐な花が飾られている。
「このお部屋があまりに殺風景だったから、少しは居心地が良くなるかと思って飾ってみたの。頂き物を勝手に飾って申し訳ないのだけど。」
「いえ。ありがとうございます。」
紫苑の心遣いに感謝し、頭を下げる。いくら心がささくれ立っていると言っても、流石に花を勝手に飾ったぐらいで怒るほど余裕を失ってはいない。
「何か食べられそう?」
「……正直、食欲はほとんどありません。」
顔色をうかがいながらの問いかけに、正直に答える。はっきり言ってほとんど接点のなかった相手なので、どう対応していいかが分からない。しかも今更の話ながら、一応彼女も階級的には自分達より上である。優喜やなのは、ヴィータなんかにあれだけ突っかかっておいて、本当に今更ではあるが。
「そう。だったら点滴かしら?」
そう言って医務室に連絡を取り、転送魔法で届けられた点滴を手際よくティアナの腕に打つ。妙に手慣れた動きに目を丸くしていると、こういう時のためについ最近研修を受けたのだと言う返事が。
「研修を受けた程度で、こんなに手際よく出来るものなんですか?」
「それなりに練習はしたし、三年ほど前まで下宿していた従姉が発作持ちだったから、注射には慣れているの。」
何でもないように言ってのけるが、発作を起こした人間に注射を打つ、というのは結構大変だ。それに、優喜も昔は目が見えなかったと言う。そう言った厄介な身内を複数抱えていても、多分彼女は何でもないように振舞っていたのだろう。魔導師ではないが、強い女性だ。
「シャマルさんが、点滴が終わったらこれを飲んでおくようにって。」
「はい。」
この一週間、ずっとお世話になりっぱなしの、ドリンクタイプの高カロリー総合栄養食だ。一本二百五十キロカロリー、一日六本で最低限の基礎代謝に必要なカロリーと栄養をほぼまかなえる代物である。
「いろいろと手間をかけてしまって……。」
「気にしないで。こういうことも、私の仕事だから。」
「そう言えば、紫苑さんは普段はどんな事を?」
「そうね。いろいろな事をしているわ。」
優喜を手伝って商談をまとめたり、アクセサリのデザインをいくつか代わりにやったり。どうしても多忙ゆえ何かと目配りが行き届かない隊長達に代って、隊員達の様子をチェックし、必要ならば相談に乗るのも彼女の仕事だ。時には、はやてを手伝って、たまりすぎて決済が追い付かない書類の処理を済ませたり、出入りのスタイリストと一緒に、なのは達の衣装を決めたりなどもしている。
要するに、足りないところ、回っていないところをサポートするために六課にきているのが紫苑なのだ。ただし、訓練メニューを決めたり、その内容を評価したりといった専門的な部分は触っていない。せいぜいがヤマトナデシコのメンバーの戦闘面以外の教育を任されている事と、デバイスをはじめとした新装備について、感想や意見を軽く求められる程度である。
「本当に、いろいろな事をしているんですね。」
「どれも、大した仕事はしていないのだけど。」
ティアナの関心と尊敬の混ざった言葉に、柔らかく苦笑しながら謙遜してのける。そんな紫苑の様子に謎の感動を覚えながら、折角の機会だからとしんどくない程度にいろいろと雑談をする。紫苑は実に聞き上手で、気がつけばあれこれ余計なことまで話してしまっているティアナ。
「……紫苑さんは、竜岡教官の……。」
「そういう関係、ではあるわ。」
いくつかの雑談の後、栄養剤を飲みほしてから思い切って切り出した言葉に、少し困った顔をしながら正直に答えてくれる紫苑。そういった表情も上品で華があり、そういう性癖がないはずのティアナですら、思わずくらっときそうになる色気がある。
「だけど、優君の事を全て肯定するつもりはないのよ?」
「……意外ですね。」
「愛しているからこそ、間違っている時にはちゃんと指摘しなければいけないの。間違っていると分かっていて、どうあっても変える事が出来ない事情があるのであれば、そしてその事情が本当にどうにもできない事であるのなら、一緒に地獄の底まで落ちることもやぶさかではないのだけど、ね。」
穏やかな表情で、思いのほか強い言葉を告げてくる紫苑に、思わず唖然としてしまう。人を愛すると言う事は、これほどの覚悟が必要なのだろうか。
「ティアナさん。優君やなのはさんに対して思っている事を、正直にすべて話してくれないかしら?」
「……。」
「もちろん、外に漏らす事はないわ。告げ口のような真似は絶対しない。」
真剣な表情で、ティアナの目を真正面から見つめながら、今日初めて強い口調で告げる紫苑。その視線の強さに、小さく首を縦に振る。そのまま、ぽつぽつとこれまでたまっていた不安や不満をすべて吐き出す。その言葉に対し、何一つ口をはさまずに最後まで聞き役に徹する紫苑。
「……ティアナさん。」
「……なんでしょうか?」
「急がば回れ、という言葉を御存じかしら?」
「……いいえ。」
話が終わって、最初に紫苑が口にしたのは、聞きなれない慣用句であった。
「あえて回り道をした方が、結果として目的地に早くつく、という言う意味よ。」
訳の分からない言葉に、何が言いたいのかという気持ちが顔に出てしまったのだろう。紫苑が苦笑を浮かべるのを見て、不躾すぎたらしいと反省する。
「そうね。例えば目的地が山の向こうだったとする。目的地にたどり着くルートとして、距離は短いけど舗装されていなくて、その上急で険しい山越えの道と、山をぐるっと迂回する、距離は長いけどきちっと舗装されて歩きやすい道があったとして、必ずしも最短距離を歩く方が、早く到着するとは限らないでしょう?」
「……そうですね。」
「どんな事でもね、最短ルートを行くのが早く結果を出せるとは限らないの。それに、私たちが最短だと思っている道が、実はかなり遠回りしている、なんてことも珍しくないわ。」
何かを思い出したらしい。本当に苦い笑みを浮かべながら、そんな事を告げる。どうやら、完璧そうに見える紫苑とて、焦って早くことを済ませようとして、回り道をしたり目的を達成できなかったりという失敗をした事があるらしい。
「私は訓練のカリキュラムについてはそれほど詳しくはないけど、優君もなのはさんも、多分本当の最短ルートを通らせるために、わざと遠回りさせていた部分もあるのではないかしら?」
「本当にそう思いますか?」
「少なくとも、今みたいに体を壊して長い間停滞するよりは、回り道でも少しずつ前に進んでいる方が、最終的には早く上にいけるような気はするわ。」
自分でも思っていた事を指摘されて、思わず顔を真っ赤にしてしまう。そのティアナの様子に構わず、思うところを告げる紫苑。
「一番の問題は、優君もなのはさんもティアナさんにそう言う話をちゃんとして、納得させる事を怠った事でしょうね。」
「……。」
「納得していたら、少なくとも体を壊すような無理はしなかったでしょう?」
「……どうでしょう。」
よもや、ここで紫苑が自分の肩を持つとは思わなかったティアナは、思わず目の前の美女の顔をまじまじと見つめてしまう。
「少なくとも、私はティアナさんが、自分で納得した事に文句をつける人だとは思わない。」
「ですが、ちゃんと真意を確認せず、何度も言われていたのに聞く耳を持たずに突っ走って、結果として体を壊して周囲の足を引っ張ったのは私自身の責任です。」
「もちろん、ティアナさんに全く問題がなかったとは言わないわ。少なくとも、体調を崩しているのに無理に訓練に参加しようとして、許可が出なかったからって上司に食ってかかるのは褒められたことではないし。」
「……はい……、……反省しています……。」
「でも、最初の段階で納得していなかった事ぐらい優君達ならすぐに分かったはずなのに、そこでちゃんと不信感を取り除こうとしなかったのは上司の怠慢。たとえティアナさんが意固地になってしまっていたとしても、優君達の方が年も経験も実力も上なのだから、自分達から歩み寄って時間を割いて関係を改善しなきゃいけなかったのよ。」
そこまで口にして、深々と頭を下げる。紫苑の突然の行動に、思考が止まり完全に固まってしまうティアナ。
「ごめんなさい。ここまでこじれる前に、私がちゃんとティアナさんの事を見て、優君達に釘を刺さなきゃいけなかった。それも私の仕事だったのに、全うすべき役割をちゃんとこなせなかった。」
「そ、そんな! 紫苑さんが悪い訳では……。」
正直なところ、紫苑はフェイトとは別の意味で、今回の件については部外者だ。確かにフェイトに比べれば隊舎に居る時間は長いが、それでも不在になる事も多い。顔を合わせる機会など朝のトレーニングの時間か夕食時ぐらい、しかも今日まで会話をする切っ掛けもなかった。
「さっき言ったわよね。愛しているからこそ、間違っている時は間違っていると言わなければいけない、って。」
「……竜岡教官は、なにも間違った事は言っていません。」
紫苑の態度にすっかり頭が冷えたティアナは、これ以上目の前の美女に頭を下げさせないために、自身の反省を口にする。実際、ミッドチルダの常識からするなら、優喜は何一つ間違った事は言っていない。ティアナの年ならば、少なくともトレーニングに問題があるなら、客観的な事実を持って内容の是正を求める必要があったのだ。
大体、いつも終わるころには体を動かすのも億劫になるほど疲弊すると言うのに、それ以上の増量を求めるなど、壊してください、と言っているようなものだ。それを受け入れられないからと言って勝手に水増しするなど、自殺行為もいいところである。それで体を壊そうが自己責任だ、と言われても反論の余地などない。
「正論が、常に正しい訳ではないわ。」
だが、紫苑はそうは思っていないようだ。彼女からすると、いくら正しい事を言っていようと、状況を悪化させていては意味がないのだ。
「二人には私の方から釘をさしておくから、もう一度思っている事を優君達に話してほしい。」
「……分かりました。」
「では、この話はこれでおしまい。お茶を淹れようかと思うのだけど、飲めそうかしら?」
「……頂きます。」
ティアナの返事ににっこり微笑むと、心地よい不思議な香りのするハーブティを淹れてくれる。その香りと優しい渋みに、恥ずかしさと情けなさにのたうちまわりそうになっていたティアナの心は、静かに落ち着いて行くのであった。
「ここ、であってるのよね?」
「うん……。多分……。」
スバルに背負われて、はやてに指定された場所にやってきたティアナは、何ともいえぬうらぶれた雰囲気に、思わず疑問形でつぶやいてしまう。連れてきたスバル自身も、マッハキャリバーに何度も確認をしたにもかかわらず、どうにも自信なさげだ。
「クロスミラージュ?」
『指定されたポイントは、ここで間違いありません。』
「そっか……。」
頼りになる相棒にまでそう言われてしまった以上、間違いなくここしかない。いくら場所が郊外に近いとはいえ、六課の隊舎の敷地内に、こんな微妙な雰囲気の場所があるとは思わなかった。電車のレールを見上げながら、思わず内心でそんな事を想いつつ、スバルの背中から降りる。
思えば、こうして彼女に背負われて移動するのは、これで何度目になるのだろう? 普段は魔導師の中では足が遅いティアナを、素早く所定の位置に運ぶ事を目的としておこなわれるが、今回は病人の運搬だ。作戦上必要な事なら負い目もないが、今回の場合はティアナがいろいろやらかしたことで余計な負担をかけている訳で、流石に気心の知れた相棒といえども申し訳なさを感じる。
「ごめんね、スバル。ありがとう。」
「気にしないで。いつもあたしの方が迷惑かけてるし。」
久しぶりに見たティアナの柔らかい表情に、どうやら精神的な意味での嵐は過ぎ去ったらしいと判断し、内心でほっとするスバル。
「じゃあ、一旦戻るから、終わったら呼んで。」
「ええ。ありがとう。」
ティアナの言葉に右手を上げると、夕食のために寮に戻るスバル。オフィスまでは結構な距離があるが、寮まではそれほどでもない。体調がこうでなければ、ティアナも自分で歩いてきただろう。
「さて、こんな場所に何の用なのやら……。」
明らかに何か企んでいたチビ狸に、どうにも不安を感じて仕方がない。多分、指し手が胃がある事ではないだろうが、それでもまず間違いなく、碌な事を企画していないだろう。
「あ、ティアナ……。」
「なのはさん……。」
もしかしてと予想はしていたが、こんな形で対面しても気まずいだけだ。自分達を話し合わせたいのであれば、別に寮の談話室で十分ではないか。妙なセッティングをしたはやてに対して、内心そんな風に毒づく。いろいろ反省しているティアナだが、今回に関してはこれぐらいは許してほしい、などとそうと知りつつ身勝手な事を考えてしまう。
「えっとね。はやてちゃんがガード下に行けば分かる、って言ってたんだけど……。」
「ガード下、ですか……。」
なのはの言葉に釣られ、鉄道の高架下を見る。日が落ちて暗いためにはっきりとは分からなかったが、薄暗い明りの下に、何か小さな構造物があるようだ。どうも、なのはもはやてがなにを企んでいるのかを聞かされていないらしく、どことなく自信なさげである。
「まあ、行ってみれば分かる、かな。」
そう呟いて、ティアナをかばうようにさりげなく前面に出て、一見無造作に見える歩調で構造物に近付いていく。ガンナーの視力ならある程度細部が確認できる距離まで近づいたところで、目に見えて脱力するなのは。
「はやてちゃん、いろいろ冗談きついよ……。」
なのはがすっかり警戒を解いてしまったのを見て、どうやら害のあるものではないらしいと判断するティアナ。不調ゆえあまりよく見えていない事もあり、あれが何なのかをとりあえず確認する事に。
「なのはさん、あれは一体?」
「日本の屋台。今じゃめっきり見かけなくなったんだけどなあ……。」
そう言って、のれんにおでんと書かれた、昔懐かしい昭和の香りがする木製の屋台に近付いていく。多分ここで何かをしろ、という事なのだろうと判断し、もう何があっても驚くまいと覚悟を決めてのれんをくぐると……。
「いらっしゃい。」
「……予想はしてたけど、予想はしてたけど……。」
割烹着に身を包み、三角巾をしたフェイトが笑顔で迎え入れてくれる。どうやら他にスタッフの類はいないらしい。もっとも、サーチャーの類で収録をしていたとしても、何らおかしくはないのだが。
「フェイトちゃん、何やってるの……。」
「えっとね。はやてが『隊員が気軽に愚痴をこぼせる企画がいる』って言いだして、ね。」
「それとフェイトちゃんがおでんを煮込んでる理由とがつながらないよ……。」
「はやてが言うには、愚痴をこぼす場所って言ったら場末の居酒屋かガード下のおでん屋台と相場が決まってるんだって。」
「いやまあ、確かにそうかもしれないけど……。」
フェイトが語るはやての理由に、完全に力が抜けて座り込むなのは。丁度タイミングを合わせて、ガタンゴトン、ガタンゴトンと哀愁を感じさせる列車の通過音が聞こえてくる。移動する列車の影が無駄にいい仕事をしていて、ここだけいろんな意味で別世界である。
因みに言うまでもないが、ミッドチルダの鉄道はリニアレールをはじめとしたさまざまな手段で騒音対策を進めており、こんな派手な音が鳴る事はない。明らかに、屋台にそう言う余計な機能を仕込んである。
「というか、さっきの答え、やっぱりフェイトちゃんがおでんを煮込んでる理由にはなってないと思うんだ。」
「ん~。なんかね、私は部隊の中ではちょっと他の人と距離を置いてるから、愚痴の聞き役にちょうどいいんじゃないか、って。あと、部隊の中で一番おでんを煮込むのが上手だ、って言うのもあるみたい。」
分かるような分からないような理由と明らかに関係ない理由を告げて、小皿に手際よくおでんを取り分ける。
「なのはは確か、卵が好きだったよね?」
「うん。」
本当におでんが出てくると思っていなかったなのはが苦笑しながら答えると、大根とちくわ、昆布に卵が盛られた皿が出てくる。ティアナの方には大根が二切れ。大根も卵も実にいい色で、出汁の香りが食欲をそそる。
「一応消化によさそうなものを出したけど、ティアナは無理しなくてもいいからね。」
「はい。」
フェイトの言葉に頷き、恐る恐る箸をつけてみる。大根は実に柔らかく煮込まれており、箸でつかめるのに口の中で溶けるように崩れる。味も良く染みていて、実にうまい。
「美味しい……。」
「そっか、良かった。なのは、スジもあるけどどうする?」
「あ、頂戴。」
「はーい。」
当初の目的を忘れて、ついついおでんを堪能しそうになるなのはとティアナに対し、そうはさせじとフェイトがコップを取り出す。
「フェイトちゃん……?」
「まあ、とりあえずなのはは一杯いっとこうか。」
「あの、私未成年……。」
「ここはミッドチルダだから大丈夫。とりあえずお神酒ってことにして、今日だけは日本の法律には目をつぶってもらおう。」
法の番人がそれでいいのか、と思わず突っ込みそうになるティアナ。実際、確かにミッドチルダの法律では、飲酒は十八歳から認められるのではあるが、だからと言って出身世界のそれを堂々と無視するのはいかがなものか。
「それに、全員素面じゃ、言いづらい事もあるでしょ?」
「……そうですね……。」
つまるところ、企画の趣旨を果たすために、なのはを生贄にすることにしたらしい。大吟醸「時の庭」というラベルの一升瓶をカウンターから取り出し、容赦なくなみなみとコップに注ぐ。よく見ると、瓶の中身が最初から満タンではなかった。どうやら、なのは達の前に、誰か飲んだらしい。
「という訳で、なのは。」
「……分かったよ。」
差し出されたコップを受け取り、覚悟を決めて一気にあおる。慌てて止めようとするフェイトを無視して、あっという間に最初の一杯が空になる。まともに酒を飲んだ経験などない人間がやるにはあまりにも危なっかしい飲み方に、自分がけしかけた事も忘れてハラハラするフェイト。
「あのね、ティアナ……。」
景気づけに最初の一杯を飲み干し、フェイトに次を要求しながら口を開く。速攻で酔っ払ったのか、と思ったがそうでもないらしい。どうやら、酔っ払った、という事にして話を進める事にしたようだ。
「はい……。」
その様子に、自分がたまっていたぐらいには、なのはもいろいろため込んでいたらしい事を悟るティアナ。絡み酒的説教を覚悟していると、なのはの口を突いて出てきた言葉は驚くべきものであった。
「私、そんなに頼りないかな……。」
「え?」
「ティアナが注意されても言う事を聞かなかったのって、結局私達の説明を信用できなかったから、だよね。」
そっと差し出された二杯目を、今度は普通にちびちびとやりながら、自身の事を心底情けなさそうに続ける。
「私達は、優喜君が言ってた事をずっと守ってきた。優喜君がこういうことで嘘をつくはずがないって、心の底から信頼出来てたんだ。三キロ走れるようになるまで結構かかったし、本当に走れるようになるのか自信はなかったけど、でも、優喜君の言葉は疑わなかった。」
「……。」
「それは結局、私たちにとって、優喜君は凄く頼りになる人で、教わった事を無条件で受け入れられる相手だった、って事だから……。」
もう一口、グラスの中身に口をつける。
「そう考えると、ティアナは私達を頼りない、って考えてたんだろうな、って思い知っちゃって……。」
「そ、そんな事は……。」
「頼りにしてくれてるんだったら、カリキュラムの事で悩んでても、ちゃんと相談してくれたよね?」
なのはの言葉に、反論できずに口ごもる。実際、少なくともなのはは、機会があるたびに声をかけては、悩み事とかカリキュラムの問題点とかを聞き出そうとしていた。最初の頃は一杯一杯で答える余裕が無かっただけではあるが、結成記念公演が始まる頃には、自身の焦りもあって、なのは達になにを言っても無駄だと決めつけていた。なのは達を信用していなかった、というのは間違いない。
「本当に、私は自分が情けないよ。」
残り四分の一程度を一気に飲み干すと、無言でフェイトの方に差し出す。中々のペースだが、どうやら無意識のレベルで行っている軟気功が、アルコールを高速で分解して外に排除しているらしい。この分では、一升瓶を空にした程度では酔いもしないだろう。
「なのはさん……、ごめんなさい……。」
「ティアナだけが悪い事じゃないんだ……。後輩が間違えたのなら、ちゃんと注意して理解させて、正しい道に戻すのも私達の仕事なのに、結局ティアナをそこまで追い詰めちゃって……。」
深くため息をつくなのはに、罪悪感が胸を締め上げる。自分でもどちらが間違っているのか分かっていたのに、結局ちっぽけなプライドとくだらない反抗心に任せて反発し、チーム全体に迷惑をかけてしまった。紫苑に味方されて初めてその事を素直に認められるとか、自分はいったいどれほど子供なのか。これでセンターガードなど片腹痛い。今のティアナは、心底そう考えている。
「紫苑さんにも叱られたよ……。」
「本当に、ごめんなさい……。」
なのはと優喜に謝罪するつもりだったのに、相手に先に謝られる。これほど居心地の悪い事もない。分かってやったのであれば、紫苑は相当な策士だ。かわした言葉には真心が込められていたので、悪意を持ってやっている訳ではないのは断言できるのだが。
「ティアナ。」
「はい。」
「頼りにならない分隊長かもしれないけど、これからは出来るだけ、ちゃんと言葉にしてほしいんだ。」
「はい。」
「反発してもいい。ただ、せめてちゃんと話しあいはさせてほしい。」
「分かっています。今まで、申し訳ありませんでした。」
「こっちこそ、至らない上司でごめんなさい。」
どうやら、話がまとまったらしい。後はエンドレスで謝りあうだけだと判断したらしいフェイトが、ここで口をはさむ。
「二人とも、ご飯食べてないでしょ?」
「うん。」
「ええ。」
「じゃあ、ここでたくさん食べて行って。」
そう言って、なのはの皿に彼女の好物を手際よく盛り付ける。
「ティアナ、まだ食べられそう?」
「はい。なんだか、今日は食欲があります。」
「じゃあ、これなんかどうかな?」
「これは?」
「餅入り巾着。普通のお米よりは消化がいいはず。お餅だから、のどに詰まらせないように注意してね。」
「あ、フェイトちゃん。私にもお願い。」
「はい。」
後は、普通におでんを食べるだけだ。こうして、今後定期的に行われる事になる特別企画、「愚痴聞きます。おでん屋フェイト」は狙い通りの成果を上げ、スターズはようやくチームとして、本当の意味でスタートを切る事が出来たのであった。
なお、この時不在だった優喜はというと……
「竜岡教官、これは一体?」
「ティアナの移動補助用品。ホバー移動ができるようになるブレスレットと、ホバー中に高速ダッシュができるペンダント。昨日夜なべして作っておいたんだ。」
「えっ?」
「そろそろ、カリキュラムを増やしてもいけると思ってね。」
ティアナの底上げのために、弱点のうち、資質の問題でカバーが難しかった部分を埋めるアクセサリーを作っていたのだ。なんやかんやであれこれバタバタしていたのは、最初からこのためだったらしい。紫苑に釘を刺された割には態度が変わっていないが、これに関してはそう言うフォローは役割分担の一部、という事で、上司達の間では話がついている。無論、スバル達平局員は知らない話である。
「カリキュラムを増やす?」
「ん。多分、今日は先週こなせなかった内容をこなせるはずだから。」
「本当に?」
「本当だよ。言うなれば、先週はずっと脱皮してる最中だったんだ。本当ならまだかなり早いところを無理やり進めてたから、上手くいくかどうかはかなり際どかったんだけどね。」
自分で望んだ事とはいえ、本当にリスクの大きな真似をしていたらしい。
「次からは、こういう心臓に悪い真似は頼まれても絶対しないから。いいね?」
「はい。申し訳ありませんでした。」
「今回はこっちも反省しなきゃいけない部分があるから、お互いさまってことにしておこう。」
以前ほど優喜に対する不信感を感じなくなり、少しずつ相手に歩み寄れそうな気がするティアナ。自業自得で死の淵に立たされた彼女は、こうして一つ大人になったのであった。
あとがき
日本人の皆様は、お酒は二十歳になってからです。