「おはよう、はやてちゃん。」
「おはよう、なのはちゃん。さすがに今日は優喜君、普通の服やねんね。」
「さすがに、ジャージで旅行には行かないよ。」
黒いTシャツの上に赤いサマージャケットを羽織った優喜が、はやての言い分に苦笑しながら言い返す。旅行初日の十時半。はやてが返却期限の本を返し忘れた、ということで、集合前に図書館に行くことになったのだ。まあ、温泉自体は車で地道を一時間ちょっと走れば到着するぐらいの、いわゆる近場の温泉地なので、出発が遅くてもチェックインには十分間に合う。
「そういえば、今日の日程って、どうなってるん?」
「えっとね、宿には一時間ぐらいで着くから、温泉街でご飯食べてうろうろして、チェックインしてから温泉堪能して宴会だって。」
「へぇ、割と近いんやね。」
「大概の県には温泉ってあるから、近場で済ませるんだったらこんなもんだと思うよ。」
優喜の言うとおり、大体どこの都道府県にも、一番大きな市街地から車で一時間程度の場所に温泉がある。全国いたるところに活断層があり、最近は採掘技術も上がってきていることもあって、一部の例外を除いて、温泉街とまでは行かなくとも、温泉宿ぐらいはあちらこちらにある。
「で、後はフェイトちゃんを駅前で回収したら出発、と。」
「ん。因みに、今回は人数が多いから、ちょっと大きめの車二台なんだ。」
「ほほう、割り振りは?」
「士郎さんが運転する車に、桃子さん、忍さん、恭也さん、美由希さん、僕。ノエルさんが運転する車に、ファリンさんとアルフ、それから僕以外の小学生組、だそうな。」
「え~? 優喜君、別なん?」
「ちょうどいい機会だし、僕抜きで親睦を深めようよ。僕は大人組と話すこともあるし、ご飯と温泉街は一緒だし、ね。」
優喜が別行動と聞いて、ブーイングを飛ばすはやて。なのはも本音は優喜と一緒がいいのだが、まあ、彼女とフェイトは念話で会話も出来るので、とりあえずおとなしく引くことにした。大人組と話すこと、というのが何かを知っているのも理由だ。
「そういえば、ユーノも一緒に行くん?」
「うん。ペットもOKなんだって。」
(僕はいつまでペット扱いなんだろう……。)
しょうがないとはいえ、ペット扱いされてへこむユーノ。念話でのぼやきに、内心苦笑するしかない優喜となのは。そこに、一台の大きめのワンボックスの車が入ってくる。ノエルが運転する、割と高い車種のレンタカーだ。月村家もバニングス家も、一台ぐらい余分な車を買う余裕ぐらいはあるのだが、出番が年に二度か三度となると、維持の手間が面倒なのだ。
三人のそばに、静かに車が停車する。後部座席の窓が開き、アリサが顔を出す。助手席にはファリンが座り、奥には忍とすずかの姿も見える。窓が全部開いたところで、怒りともあきれともつかない表情で、アリサが文句を口にする。
「はやての家に行こうとしたら、こんなところを歩いてるからびっくりしたわよ。」
「あはは、ごめんな、アリサちゃん。本の返却期限の事忘れとってな。二人に無理言うて迎えに来てもらったんよ。」
「それならそうと言ってくれれば、図書館に寄っていくのに。」
「私も大概浮かれとったみたいで、今頃その事に気がついたんよ。」
ちなみに、優喜は気が付いていたが、別段それならそれでいいか、と気にしない事にしていたのだ。
「で、気がつかないはずがない優喜は、何故それを指摘しなかったの?」
「別に、少しは運動になるし構わないかな、って思った。」
「優喜君がそれ以上鍛えて、どうするの……?」
「ちなみに、運動になるってのは主になのはの事。」
優喜の台詞に、思わず納得する一同。ちなみに、はやての旅行用の大荷物は、優喜が全部持っている。大して重くはないが、軽いわけでもない。
「まあ、せっかく合流したんだしさ。とりあえず、手伝うから二人とも乗って。」
優喜が、なのはとはやてを促す。
「うん。」
「手伝いお願いするわ。」
後ろのトランクルームにはやての荷物を積み、なのはが乗り込んだのを確認する。ノエルとファリンが介助のしやすい場所にはやてを下し、車椅子を積み込む。後でフェイトが乗り込むことや、降ろす時の動線も考えた配置だ。
「優喜君、ありがとう。」
「気にしないで。大したことじゃないし。」
「いやいや、その車椅子、モーターにバッテリーもついてるから結構重いねん。多分私やったら、仮に足が大丈夫でも、よう持ちあげへんと思うわ。」
「その辺は、この旅行中はあまり気にしなくてもいいと思う。違う車だけど、士郎さんと恭也さんもいるし、重いと言ってもノエルさんとファリンさんだったら、二人がかりなら十分下せるぐらいだし。」
使用人という仕事柄、ノエルもファリンも日常的に結構な重量物を運ぶ。特に、猫天国の月村家の場合、猫の餌やトイレの砂はかなりの重量になる。そういったものを毎日運搬し掃除し廃棄していれば、自然と体力も腕力もつく。メイドというのは何気に、かなりハードな肉体労働なのだ。もっとも、この二人の場合、それ以外の事情もあるのだが。
「へえ~、ノエルさんもファリンさんも、力持ちなんや。」
「月村家ほどの大きさの家と猫の数ともなると、使用人ってのもハードな仕事になるからね。」
「「「あ、あははははは。」」」
月村家が猫天国になってしまった原因の大部分を占める聖祥三人組が、思わず乾いた笑い声をあげる。すずかは少しぐらい世話もするが、トイレ掃除などのハードな作業は、ノエルとファリンの仕事になってしまっている。そのくせ、猫たちはなぜか、すずかに一番なついているのだから、世の中不公平だ。
「それで、優喜君は乗らんの?」
「先に、高町家に戻るよ。返却手続きとかあるから、多分僕の方が先に着くと思うし。」
「確かに優喜君の脚だったら、それぐらいの時間だよね。」
図書館での用事というのは、何気に時間がかかる。さすがに旅行前に新しい本を借りるとか、そんなチャレンジャーな真似をすることはなかろうが、返却手続きだけでも、こまごまとしたタイムロスを考えると、思っているほどは早く終わらない。その程度の時間があれば、優喜の健脚なら余裕で高町家に着く。
「うん。それに、もしかしたらそのまま、フェイトを迎えに行くことになるかもしれないし。」
「分かったわ。じゃあ、またあとで。」
その言葉を残して、車が走り去っていく。それを見送ると、優喜は一路高町家へ、なのは達がいる時には不可能な、本来のペースで戻り始めた。
プレシア・テスタロッサはいら立っていた。理由は簡単だ。あの役に立たない出来そこないが最近、本来は敵であるはずの協力者どもと、明らかに慣れ合っているのだ。
「まったく、終わるまで手を組むのはいいけど、旅行まで行くのはどういうことよ……。」
苛立ちを紛らわせるため、昨日転送魔法で送りつけてきた翠屋のシュークリームにかぶりつく。相変わらず上品で程よい、優しい甘さが口の中に広がり、少しだけイライラした気分がおさまる。いろいろダメなところが目立つ出来そこないだが、このシュークリームを定期的に送ってくるところだけは、評価してもいいかもしれない。最近そんなことを思ってしまう。
プレシアは、翠屋のシュークリームにはまってしまった自分を自覚している。自覚していてもやめられないから、はまるというのだ。さすがに、当時まだピリピリしていた高町士朗を撃墜しただけの事はある。一度食べたら、ほかのシュークリームは食べられないほどの逸品だ。長いこと総合栄養食などで空腹をごまかしてきたプレシアが、抵抗できるような代物ではないのだ。
「シュークリームは送りつけてくるのに、ジュエルシードは一つもこちらによこさないし……。」
出来そこないいわく、全部集まった時の取り合いで、自分が持っているはずのジュエルシードが手元になかったら、怪しまれるからだそうだ。最近あの人形は反論が無駄に筋が通っていて、やりづらいことこの上ない。
他にも不満はある。監視と、ジュエルシードの探知の両方を兼ねてサーチャーを飛ばしているが、どうもあれは無様な行動を繰り返している気がする。最後に見つけてから一週間以上が経過しているが、空振りを繰り返してちっとも捜索は進んでいないし、最後に見つけたジュエルシードの時も、思い出したくない状況になっていた。
封印すべきジュエルシードの暴走体を見つけておきながら、とろけそうな笑顔で猫に頬擦りするとはいったいどういう事だ。しかもその見事な笑顔ときたら、娘・アリシアでさえ一度も見せたことがないほどの極上の笑顔で、思わず我を忘れて見入りそうになった。忌々しいことだ。
「最近夢見も悪いし、まったく忌々しい限りね。」
舌打ちしながら、もうひとつのシュークリームにかぶりつく。だんだん、このシュークリームが精神安定剤のようになってきているのが、妙に腹が立つ。かといって、この苛立ちをあの失敗作にぶつけると、また夢の中でアリシアが悲しそうな顔をするに決まっている。
あの失敗作は、アリシアへの愛情を奪い去ろうとする悪魔だ。なのに、優しくすれば夢の中のアリシアは嬉しそうに、辛く当たると悲しそうにする。あの子は心優しいから、だまされているのだと思い込もうとして、どうしても出来ない。このままではまずい。それほどこの体には時間が残されていない、というのに、あの出来損ないで妥協してしまいかねない。
プレシア・テスタロッサは、すでに今までの自分を、無条件に正しいと思えなくなってきていた。
「とりあえず、今朝のうちに徹底的に盗聴器の類はチェックしてあるから、安心してね。」
「お手間をおかけします。」
「いいのよ。私も楽しかったから。」
車が出発してから開口一発、忍が懸念事項を解決してくれる。
「まあ、別にそのままにしておいて、恭也と忍ちゃんの甘~いラブラブトークを徹底的に聞かせてやる、っていうのも考えたんだけどね。」
「やめてくれ、俺が死ぬ。」
「またまた、恭也だってまんざらでもないくせに。」
「ふむ、だったら桃子。忍さんに負けずに、こちらも全力でラブラブトークに行こうか。」
「アンタ達はいつでもそうだろうが、高町夫妻……。」
優喜が突っ込む前に、律儀に恭也がすべての戯言を切り捨ててくれる。ぶっちゃけ、そうなってしまった場合、この空間で一番えらい目を見るのは、優喜と美由希に違いないわけだが。
「とりあえず、話を戻すと、はやてちゃんの監視者の話だな。」
「だね。」
安全運転を心掛けながら、士郎が調べた範囲の事を話す。この場にいる人間は、ある程度の腹芸が出来る人間ばかりなので、少々黒い話も平気だ。普段はドジでポンコツな美由紀ですら、こういう話を腹に収めて表に出さないぐらいの事は、普通にやってのける。御神流を学ぶ、というのはそういうことだ。
「まず、はやてちゃん自身の経歴からは、今のところ監視されるような理由は見つかっていない。ご両親は事故で亡くなったそうだが、その死因も不自然なところはない。遺産についても、無いわけではないようだが、ここまで手間をかけるほどのものではない。」
「今の生活費は、ご両親の遺産から?」
「いや、後見人がいて、資金援助をしている。もっとも、その後見人が、飛びきり胡散臭いわけだがね。」
「胡散臭い?」
なんだか、嫌な雲行きになってきた。
「ああ。後見人の名前は、ギルバート・グレアム。イギリス在住。職業は分からなかったが、飛び切りの資産家らしい。」
「なんか、その人とはやてとのつながりが、全然見えない。」
「だろうな。一応、聞いた話でははやてちゃんのご両親の古い友人、ということになっているんだが……。」
「足取りをたどっても、はやての両親とそのグレアムって人との接点がない、と。」
「ああ。付け加えると、はやてちゃんが幼いころに亡くなっている祖父母の方たちとも、彼は全く接点がない。」
確かに胡散臭い。これ以上ないぐらいキナ臭い。はやての今の生活費やら何やらを考えると、慈善事業で支援するには額が大きすぎる。
「まあ、それだけなら、はやての性格も考えて、支援を受け入れやすいように嘘をついた、とも言えるんだろうけど……。」
「そこで、私が逆探知をかけて調べた事実が出てくるわけよ。」
「……もしかして。」
「うん。盗聴器や監視カメラで記録した内容は、インターネット回線を通じて、イギリスのドメインに送られてるわ。で、イギリスの親戚や士郎さんの伝手を頼って、送り先のドメインやアドレスから、監視している人間を割り出した結果が……。」
「ギルバート・グレアムだった、と。」
「ご名答。まあ、ここまで情報が出そろっていれば、誰でもその結論にはたどり着くか。」
忍の言う通り、情報の送り先がイギリスのドメインで、後見人がイギリス人ときたら、嫌でもその結論にたどり着く。わざわざ伝手を使って割り出したのも、答え合わせ以上の意味はないのだろう。
「問題は、本質的には接点の無い、しかも物理的にも社会的にもなんの力もない障害を持った小学生に、なぜそこまでの監視をつけるのか、だ。」
恭也の指摘。それも、この場にいる人間全員が気になっていたところだ。
「多分、直接監視してるのも、そのグレアムさんの関係者だろうし、ね。」
「あの視線か。正直、車椅子の小学生に向けるようなものではなかったぞ。」
優喜の言う視線、それを思い出しうめく士郎。誰かの敵を見てるような、許されるなら今すぐにでも殺してしまいたい、そんな負の感情がぎっしり詰まった視線。そういう方面には素人の桃子と忍には、視線そのものの存在が分からなかったが、御神流を習得している三人は、あまりに濃縮された憎悪とはやてとのつながりが分からず、内心非常に戸惑っていたりする。
「ただ、あの視線も、はやて自身はどうでもいい、見たいな印象もなくもないんだよね。」
「あ、優もそう思ったんだ。」
優喜の感想に、なんと美由希が食いついてくる。士郎と恭也には、濃厚な憎悪と殺意以上のものは感じられなかったのだ。
「ふむ、どういうことだ?」
「変な言い方だけど、監視者が憎むなにかを、たまたまはやてが持ってたから憎んでる、って感じ。別にはやて自身の人格や経歴はどうでもいいんじゃないかな、って。」
「それだけで、あそこまでの殺意を持てるものなのか?」
「分かんないよ。歴史を紐解けば、洋の東西関係なく、そういう話はいくらでも出てくるし。」
肌の色から痣の位置、果ては生まれたタイミングまで、本人の人格とは関係なく、迷信の類に踊らされて徹底的に憎まれる、なんていう話はそれこそごろごろ転がっている。そもそも、歴史を紐解くまでもなく、今現在、国や人種、宗教と言った、人格も何も関係ない要素で憎しみ合っている事例など、枚挙に暇がない。
「そうだね。私も優喜君に賛成かな。」
「忍?」
「恭也も知ってるでしょ? 生まれだけで相手を排除するべき異物だと判断する集団を。」
「……そうだな。」
忍と深い仲になってから、恭也が二度ほど遭遇した集団。己の正義を疑わない狂信者の群れ。現代社会まで、あんな連中が生き延びるぐらいだ。はやてがどんな理由で憎まれ、どんな理由で監視されていてもおかしくもなんともない。
「まあ、話を変えよう。楽しい旅行の最中に議論することじゃない。」
「それを言い出したら、そもそもこの話自体、旅行の最中の車でするような内容じゃないけど。」
恭也の話題転換に、苦笑しながら突っ込む優喜。むう、と唸る恭也の反応に、思わず全員、笑みがこぼれる。
「あ、そうだ、忘れてたわ。」
「どうしたの、桃子さん?」
「商店街の皆さんにそれとなく、最近変わったことはないか、って聞いてみたんだけど。」
「かーさん、何か引っかかることがあったの?」
「多分、美由希も美緒ちゃんから聞いてるんじゃないかしら。」
「ああ、あの話。」
話の内容が見えないその他一同。とりあえず、話を持ち込んだ元凶である優喜が、代表して質問を飛ばす。
「えっと、美緒さんって?」
「優喜君も知ってるはずよ? ペットショップのアルバイトの、陣内美緒ちゃん。」
「えっと、ああ。あの、なのはとは違った意味で猫っぽいお姉さん。」
「そう、そのお姉さん。その美緒ちゃんがね、最近変な猫を見かける、って。」
「変って?」
それが、どうおかしいのかが分からない一同に、苦笑しながら桃子の話を受け継ぐ美由希。
「美緒ちゃんがね、どうも普通の猫とは根本的に気配が違う子が、最近商店街をうろうろしてるんだって。」
「……引っ掛かる話だ。それ、いつごろからって言ってた?」
「優が来てちょっとしてからぐらい、って言ってたね。ちなみに、毎日じゃないらしいよ。」
「大体、はやてが翠屋に顔を出すようになったころからか。」
「でも、猫が人間を監視したりできるの?」
「さあ、何とも言えない。手段に心当たりはあるけど、絶対とは言い切れない。」
とりあえず、現状監視者関係の情報は、これで全部出そろった模様だ。これ以上となると、あとははやて自身を直接調べる以外は、新しいピースは出てこないだろう。はやて自身の事、となると、一応優喜も一つ、気が付いていることがあるが、その事実が監視者たちとどうつながっているのか、となるとお手上げだ。どうにも、大きなピースが一つか二つ、完全に抜け落ちている。
「優喜の方では、何か気がついたことは?」
「はやての病気について、ちょっと不自然なところに気がついたんだけど、まだ確認はしてない。」
「不自然なところ?」
「気の流れが、明らかにおかしいんだ。気の乱れそのものは無いのに、発生してる生命力と循環している生命力の総量が合わない。普通、四肢の麻痺って言うと、大体どこかで気の流れが詰まってるんだけど、そういうのが一切ない。なのに、足に行ってるエネルギーがえらく小さいんだ。」
それがどうおかしいのかがピンとこないらしい。コメントに困っているという風情の沈黙が車内を覆う。
「多分、あれは病気じゃない。呪いの一種だ。一度ちゃんと軟気功を通してみないとはっきりとは言えないけど、どうにも、はやての生命力が、どこかに吸い取られてる。」
「それと、足の麻痺とどう関係するんだ?」
「多分、生命力が持っていかれてるから、生命活動に影響が少ない部位を切り捨ててるんだと思う。胴体や頭の中の臓器と違って、手足はエネルギーをカットしても死ぬわけじゃない。ただ、最低限、壊死しない程度には生命力を通しておかないと、全体の循環が狂う。その結果が、あの不自然な麻痺なんだと思う。」
「……で、はやてちゃんの生命力は、どこに持っていかれてるんだ?」
「それを、一度軟気功を通して確認したいんだけど、いまいち機会がなくて困ってる。」
機会がない理由を察して、苦笑するしかない一同。ぶっちゃけた話、気功だの何だのというのは、一般人にとっては漫画の世界の話である。気功教室にでも通っている人間ならともかく、普通の神経をしていたら、優喜の言い分はトンデモ理論だ。
「まあ、はやての関係の話は、こんなところかな?」
「だな。これ以上は、推測をするにも情報が足りん。」
優喜の言葉に、士郎が頷く。ここで気分を切り替えて、旅行の話を、と思ったところで、忍が違う話題を提供してきた。
「話は変わるけど、優喜君、元の世界に戻るための情報、少しは集まった?」
「手掛かりを集める段階から絶望的、というのだけは。」
「だよね。私も親戚の、その筋の情報に詳しい人とかにも聞いてみたんだけど、収穫らしいものはほとんどなかったわ。」
「まあ、最悪でも、老衰で死ぬ前には、師匠が迎えには来てくれると思ってるけど、忍さんの伝手でも手掛かりなしは厳しいなあ……。」
さすがに、前途の多難さにぼやくしかない優喜。せいぜい手掛かりに出来そうなものが、優喜の携帯に入っていた遺跡の写真ぐらいなのだ。
「とりあえず、一つだけ収穫があったのは、考古学をやってるいとこが昔、優喜君が飛ばされるきっかけになったとみられる遺跡と、よく似たものを見たことがある、って言うだけ。」
「大収穫のような気がするけど、ほとんど無かったといった以上は、期待できる話じゃないんだよね?」
「ごめんね。見たのは、完全に崩壊した遺跡の一部分だったんだって。それも、修復が出来るような壊れ方じゃ無かったみたいだから、同じものかどうかも断定できないみたい。」
「まあ、遺跡ってそういうものだし。そもそも、ああいう感じで生きてたこと自体、奇跡もいいところだし。」
忍の様子から、期待はしていなかった優喜が、苦笑しながら本音を漏らす。正直、遺跡の発掘にかかわっているのに、油断していた自分が悪いのだ。今まで、自分も含めたほとんどの考古学者や発掘関係者が、特殊な機能を持つ生きた遺跡と一度も遭遇しなかった、なんていうのは言い訳に過ぎない。
「まあ、私としては、ちょっと申し訳ないんだけど、ホッとしてる部分もあるんだ。」
「またなぜに?」
「すずかの事、任せられるかもしれない男の子が、こっちに居付いてくれそうだから。」
「気の早い話をするね、忍さん。」
「気も早くなるわよ。私が恭也と出会えたのも、奇跡みたいなものなんだから。私たちの事、なんとなく察してるんでしょ?」
「……ノーコメントで。」
言わんとしていることを察した優喜が、この場をごまかす。月村家の事については、当事者とはいえ、聞くべき相手も言うべき相手も、忍ではない。優喜が何かを聞き、何かを言う必要があるのは、あくまですずかだ。
「そういうところを買って、君のことを信用したんだからね、優喜君。」
「向こうに残してきた人もいるし、出来ればこっちの人たちの事情には、あんまり深入りしたくないんだけど。」
「もう、とっくの昔に手遅れだよ?」
気が付いていながらあえて目をそらしていたことを突き付けられ、苦笑しながらコメントを避ける優喜。そのまま結局、優喜は五人の女の子それぞれについて、どういう関係でどういう感情を持っているのか、ということを、根掘り葉掘り聞かれ続けるのであった。
一方、女性陣の車中。
「あ、そうだ、忘れてた。」
「どうしたん、なのはちゃん?」
「これ、優喜君から、預かってたんだ。」
なのはがポシェットから、新聞紙にくるまれた小さな包みを取り出す。
「あ、もしかして。」
「うん。はやてちゃんのが子狸で、フェイトちゃんのがツバメだって。」
優喜、新聞紙の包み、という組み合わせから察したアリサに、正解を告げるなのは。
「とりあえず置物のつもりで作ったけど、キーホルダーとかにしたいんだったら言って、だって。」
「へえ、可愛いやん、これ。」
「皆ももらったの?」
「うん。私はフェレット、アリサちゃんは子犬、すずかちゃんは子猫。」
そのつながりだと、フェイトも犬になりそうなものだが、アリサとかぶるから避けたのだろう。多分ツバメというのは、優喜がフェイトに持っているイメージではなかろうか。
「そういえば、アクセサリの試作品、とかいうの、本当に作ってるの?」
「うん。一応、預かってきたから車の中で渡そうと思ったんだけど、トランクの荷物に入れちゃったから、後で渡すね。」
優喜のまめさと作業の速さに、感心すればいいのか呆れればいいのか迷うアリサ。皆の分、それぞれ違うものを作るあたりの優喜の細かさに、やっぱり同年代とは思えないと思ってしまうすずか。
「あ、そういえば、フェイトちゃんの分は、こっちに入ったままだったんだっけ。」
「へえ、それはまたどうして?」
「一足先に完成してて、昨日探し物の時に渡すつもりだったの。フェイトちゃんとお揃いにしてもらったんだ。」
と言って、これまた新聞紙に包まれた、小さな何かを二つ取り出す。包みの表面には、なのは・フェイトとマジックでメモが書かれている。フェイトの分を渡したのち、自分の分を包みをはがして取り出して見せるなのは。
「……指輪?」
出てきたのは、シンプルなデザインラインながら、細部に細かい彫刻が入った、よく見れば非常に凝った指輪だった。模様を左右対称にしてある以外は、まったく同じものである。
「うん、効き手と反対の手の、小指につけろって言ってた。」
「「……小指か。」」
指輪が出てきたときに何かを期待していたらしいアリサとはやてが、期待を裏切られたという風情でため息をつく。逆に、どこか安心したような風情で、同じようにため息をついていたすずかが印象的だ。
「本当にお揃いなのね。」
「なんか、なのはちゃんとフェイトちゃんは仲ええなあ。」
「そうかな?」
「普通、お揃いとかやらへんやん。」
「作るとしたら何がいい? って聞かれた時に、私とフェイトちゃんの希望が一緒だったから、デザインも同じにしてもらっただけだよ?」
そう言って、右手の小指に指輪をつけて見せるなのは。なのはにならって、左手の小指につけるフェイト。
「あの坊主、さすがだね。よく似合ってるじゃないか、フェイト。」
「……うん、ありがとう、アルフ。」
「同級生が作ったと思うとなんか癪だけど、いいデザインよね、それ。」
「そう、かな?」
どことなく嬉しそうに、左手の指輪を眺めるフェイト。その様子をにこにこしながら眺め、自分の右手をフェイトの隣に並べてみるなのは。それに気がつき、なのはの顔を見て、小さく微笑むフェイト。まだ表情の変化に乏しいきらいはあるが、出会ったころの硬さがずいぶんと抜け、すっかり仲良しさんだ。
「なんか、なのはとフェイトの間に、割り込めない何かを感じるんだけど。」
「ほんまや。フェイトちゃんと友達になったんは私のほうが先やのに、いつの間になのはちゃん、そんなにフェイトちゃんと仲ようなってんの?」
はやての僻みともからかいとも取れる言葉に、思わず顔を見合わせる二人。そこまで仲良くなっていた自覚はあまりないが、やはり塾もアリサたちとの予定もない日は全て一緒に探し物をし、まだ片手で数えられる程度の回数とはいえ、背中を預けて共に戦っているのが効いている。今のなのはの場合、下手をすると、付き合いの長いアリサやすずかよりも、フェイトと行動している時間のほうが長い。
そしてフェイトはフェイトで、初めて出来た友達が優喜なら、初めて出来た互角ぐらいの力量を持つ戦友がなのはなのだ。このメンバーの中では、優喜を除くと一番長く行動を共にしているのだから、仲が深まるのは当然である。
「なんだか、なのはちゃんを優喜君とフェイトちゃんに取られたような気分だよね。」
「うんうん。」
「私にとっては、この足になってはじめて出来た女の子の友達を、なのはちゃんに取られた形やねんけどね。」
三人の言い分に、どう答えようか迷うなのはとフェイト。とりあえず、せめてジュエルシードの回収が片付かない限り、フェイトが気軽にほかの皆と遊ぶのは難しい。
「まあまあ。しばらくフェイトは探し物でそんなに手があかないから、全部終わったらまた、遊びに誘ってあげておくれよ。」
アルフがとりなすように、三人にお願いする。そんな風に頭を下げられると、嫌とはいえないアリサ達。
「まあ、アルフさんに言われるまでもなく、思いっきりひっぱりまわしてあげるつもりだし。」
三人を代表して、アリサがどこか意地の悪い顔で応じる。その顔に苦笑しているはやてとすずかを差し置いて、なのはがなんだか驚いた顔をしている。
「どうしたの、なのは?」
「アルフさんが、まるでお母さんみたいなことを言ったから、ちょっとびっくりしたの。」
「ちょい待ち、なのは! あんた、アタシを何だと思ってんのさ!!」
「え、あ、その、ごめんなさい!!」
あまりに失礼ななのはの言い分に、思わず噛みつくアルフ。なのはの驚きも納得できる、と、これまたさっきから苦笑がおさまらない蚊帳の外三人組。
「てかさ、なのはちゃん。」
「何、はやてちゃん?」
「フェイトちゃんの保護者って、優喜君と違ったん?」
「あ~、そうかも……。」
言われてみればそうかもしれない、と、これまでの事を思い出しながら納得するなのは。その結論に苦笑しながら、どこか安心している感じのすずか。そこに、アリサが重大な事実を突っ込んでおく。
「なのは、アンタも人の事言えないわよ?」
「ふぇ!? 私、そんなに優喜君に頼り切ってた!?」
「友達って言うより、面倒見のいいお兄さんと甘えん坊な妹?」
「せやなあ。さすがに子煩悩な父親とファザコンな娘、っちゅうんは優喜君に失礼やし。」
「にゃー! なのはは、なのはは!!」
アリサの突っ込みだけでなく、すずかとはやての追い打ちまで飛んできて、頭から湯気でも吹きだしそうなほどもだえるなのは。それを呆然と見ていたフェイトは、保護者、という単語を頭の中で反芻する。優喜が保護者、という意見には、自分でも納得してしまうところがある。だが……。
「……優喜が保護者、って言うのはなんだか嫌だ。」
「へ?」
「確かに私は、優喜に頼り切ってるんだと思う。だけど……。」
「あ~、フェイトちゃん、あんまりそう難しく考えんでもええよ?」
フェイトがぽつりと漏らした言葉に、戸惑いながらなだめに回るはやて。フェイトの言いたいことを敏感に察し、意図して穏やかな笑顔を浮かべるすずか。
「フェイトちゃん、今まであまり友達とかいなかったんだよね?」
「……うん。同年代の子供と話をしたの自体、優喜が初めて。」
だから、どう接していいか分からず、優喜の厚意につい甘え切ってしまう。困ったことはすべて優喜に判断を仰ぎ、一人では心細い時も、優喜となのはがいれば、その頼りなさを忘れてしまう。いつの間にか、自分の絶対の味方であるアルフより、優喜の方に依存している。
「多分優喜君も分かってると思うから、今は頼り切ってもいいと思うよ?」
「でも、私は……、こんなにいろいろしてもらってるのに……。」
自分の中の、未分化の感情。まだ甘えていたい自分と、対等でありたい自分。優喜に保護されている、という言葉から、二人の自分に気がつく。フェイトは後になって思う。この時の会話が、フェイト・テスタロッサの自我と女の部分を確立する、本当の意味での第一歩だったのだ、と。
「うん。私も、そうなんだ。優喜君には、いろいろしてもらってばかり。」
「すずか、アンタのしてもらってばかり、は、半分ぐらいは優喜の責任もあると思うわよ?」
「そうかもしれないけど、私もアリサちゃんも、一番最初にしてもらったことに対して、なにも返せてないんだよ?」
「……まあ、そうなんだけどさ。」
散々なのはをからかっていたが、結局のところ、世話になりっぱなしという点では、自分たちは五十歩百歩なのだろう。ただ単に、接する時間が長い分、なのはとフェイトの依存度合いが高いだけだ。その場にいた小学生たちは、全員その事を自覚してしまう。
「返せてない私がこんなことを言うのもなんだけど、あいつが好きでやってる事なんだし、やらせてあげるのが今できる恩返しなんじゃないかな。」
人をからかうときの表情が消え、真剣な顔でポツリと漏らすアリサ。
「……え?」
「だって、あいつ、事故で家族が一人もいないんでしょ? しかも、海鳴はあいつにとっては本質的に見知らぬ土地だし。」
「うん。知ってる人、一人もいないって言ってた。」
正確には、この世界のどこにも「あの優喜」の知人はいないのだが、そこは伏せて答えるなのは。
「だからさ、優喜が子供のくせに他人の面倒をいろいろ見るのって、まあ性分もあるんでしょうけど、そうやって、居場所を作ってるんじゃないかな、って。」
「……そうなのかな。」
「私は、アリサちゃんに賛成。甘えっぱなしでいいかはともかく、私たちが優喜君が根を下せる場所になれれば、それが一番の恩返しになると思う。」
アリサの言い分に、本当にそれでいいのかと疑問をにじませるフェイト。自分が感じていた事を代弁してもらった形になり、全面的に賛成するすずか。
「私は、難しい事は分からないけど、優喜君がさびしくないら、いまは私の保護者でもいいかな、って思う。」
アリサの、優喜が居場所を作ろうとしているという発言は、なのはにはピンとこない。そもそも、こちらの世界に居場所を作る、などということを、優喜が考えているかどうか、その時点であやしい。向こうに帰るつもりなのであれば、優喜はこちらに居場所など作るまい。
だが、それはそれとして、自分の事にかかわることで、優喜が孤独を感じずに済んでいるのであれば、手間のかかる妹と見られているという、人としてのプライドに大きくかかわる問題も、黙って受け入れようかと思うなのは。
「ん~、私が見たところ、優喜君は居場所云々やなくて、居候として家の空気を悪くせんために、なのはちゃんの面倒を見てると思ってるんやけど……。」
「え?」
「優喜君な、翠屋さんにご飯食べに行くんにしても、ピークタイムを外そうとしたりとか、ものすごく気遣ってるねん。多分優喜君、暇な時間に家の掃除とかしてるんちゃう?」
「あ、うん。玄関周りとかトイレとか、すごく丁寧に掃除してるよ。庭の草むしりとかも、気がついたら優喜君がやってくれてるし。」
「せやろ? 多分やけど、結局のところ、優喜君がなのはちゃんの面倒を見てるのって、言うたら世話になってる恩返しの延長線上で、恩を売ってるとかそういう話やないんちゃうかな、って思うねん。」
はやての言葉が、むしろ一番納得がいくなのは。表面上高町家に溶け込んではいるが、優喜はまだ精神的には、自分も含めて全員と距離を置いている。家事の手伝いを率先してやるのも、なのはの体力作りにつきあうのも、優喜の中では、高町家が自分に負担したコストを、労働力の形で返そうとしているだけなのではないか、と思う。
多分優喜は、いつか自分が属する世界に戻るときのために、あまりこちらでの人間関係に、深入りしたくはないはずだ。しかし、中身はともかく見た目は小学生の身の上だ。出来ることと出来ない事があると何度も言っている以上、誰の世話にもならずに生きて行くのは非常に困難な事は、誰よりも理解しているだろう。なのははそこまではっきりと理解しているわけではないが、それでも態度の端々から、自分がなついているほどには優喜が心を許していない事は感じていた。
「なのはに対してはそれでいいとして、私たちについてはどうなのよ?」
「そんなん、性分と成り行きに決まってるやん。ああいう気の使い方する人間が、目の前でトラブルに巻き込まれてる人を、ほったらかしに出来るわけあらへんやんか。」
「……なんか大いに納得できるような、無償に腹立たしいようなこの気持ちは何かしら。」
「まあ、どっちにしても、や。優喜君は、雨宿りのために縁側までは貸してくれるけど、なかなか母屋には上げてくれへんタイプやと思うし、ええか悪いかは別として、居場所がどうとかいう考えはあんまりなさそうや。見た目はともかく精神的には私らより上みたいやし、こっちはともかく向こうに腹割って話させようと思ったら、相当がんばらんとあかんと思うで。」
そこまで一息に言った後、フェイトを見つめて苦笑気味に声をかけるはやて。
「そういうわけやからフェイトちゃん。あんじょう気張ってええ女にならへんと、多分フェイトちゃんが思ってるようにはなられへんと思うで。」
「……うん、頑張ってみる。」
今のフェイトの事だから、多分惚れた晴れたの範疇の話ではないだろう。そもそも、フェイトは非常にちぐはぐな面がある。この場の誰よりも精神的に成熟した面があるかと思えば、自我という部分ではひどく幼い面も見受けられる。だから、頑張るといっても、具体的に何をどう頑張ればいいのかも、おそらく分かってはいまい。
(ねえ、アルフ。)
(なんだい、ユーノ?)
(なんだか、非常に居づらい空気になってるんだけど……。)
(安心しなよ。あたしも、あの会話からなんでこんな重い話につながってるのか、正直ついていけてないから。)
小学生の会話とは思えない内容にぼやくユーノと、居心地の悪さを愚痴るアルフ。ノエルやファリンも含めて、外見上は年長の女性たちが、誰一人割って入れないませた会話は、目的地に到着するまで続いたのであった。
「まったく、旅行先に来てまで、何でわざわざジョギングなんてするのよ。」
「あれはさすがに、いろいろフォローできんわ……。」
お昼を済ませ、温泉街で思いっきり遊んだ後の事。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いて落ち着くや否や、優喜はジャージに着替えて宿の周りを走りに行ったのだ。しかも、わざわざロビーでジョギングコースを教えてもらい、ちゃんと地図までもらって、だ。
「なのはちゃんにフェイトちゃんまで、しっかりジャージ持参とか、何ぼなんでもあり得へん。」
「いっそ、私たちも朝のジョギングとやらに混ざるべきかしら。」
「私はそれ、どないしても無理やからなあ。」
「あ、ごめん、はやて。」
「ええって、気にせんといて。」
とはいえ、優喜にしては珍しく、気の利かない行動に見える。アリサ達をほったらかしにしているのもそうだが、足の不自由なはやてがいるのに、普通にジョギングするあたりとか、優喜の行動としては疑問符がつく。
「ん?」
「アリサちゃん、携帯なってるよ。」
「メールみたいね。」
優喜からのメール。内容は監視の視線が途切れていないので、ジョギングのふりをして下手人を探してみる、ということ。それをはやてに見られてもいいように、暗号たっぷりで告げてくる。ついでにこちらはストレートに、車椅子でもちょうどよさげな散歩コースがあるので、少し回ってみては、という勧め。
「誰から?」
「優喜から。ちょうどいい散歩コースがあるから行ってみたら、だって。」
「へえ? どんな感じなん?」
「さあ? 短文のメールだし、そこまでは書いてないわ。」
とりあえず、ここでくすぶっていてもしょうがない。せっかくだし、自分たちも普段見る事の無い景色を見て回るとしよう。あちらこちらを散歩するのも、旅行の醍醐味のようなものだし。
「しかしすずか、本当にご機嫌ね。」
「うん。だってこれ、すごくかわいいしお洒落だし。」
首からぶら下げたペンダントを、にこにこしながら見つめるすずかに、あきれたという目を向けるアリサ。確かに優喜が作ったそのペンダントは、可愛らしい猫をモチーフにしたよく出来た代物で、フォーマルな衣装でも決して浮く事が無く、かといってカジュアルな衣装とミスマッチになる事もない、可愛らしさとシックな印象とを両立させた、見事な逸品ではある。アリサがもらった髪飾りも、はやてがもらったブローチも、それぞれに趣向を凝らした見事な代物で、冗談抜きで、今のレベルで十分商売ができるのではないか、とアリサは睨んでいる。
だが、それとすずかの喜びようとはまた、別問題だ。確かに優喜の作品は見事な代物だが、すずかの家にはもっといい物もいっぱいある。作った本人が練習用の試作品と言っているぐらいで、造形はともかく、材質やら品質やらは大したものではない。だというのに、すずかの喜びようときたら、まるで……。
「もしかしてすずか、優喜の事……。」
「まだ、男の子として好きかどうかははっきり言えないけど、お茶会の時から意識はしてる、かな。」
「ほー、すずかちゃん、ああいうヅカ系みたいなのがタイプやったんか。」
「別に、見た目が好み、って言う理由でもないけど……。」
とりあえず、散歩に行くという話ではまとまっているようなので、はやてを抱えあげて車椅子に乗せるすずか。口の悪い同級生にゴリラ女などと散々囃したてられるだけあって、すずかは見た目の線の細さに似合わず、実に力持ちだ。
「見た目やないって、そしたらなんで?」
「なんで、って言われても……。はやてちゃんだって、どんなにかっこいい人でも、暴力的で冷酷で、女の人をアクセサリか何かみたいにとっかえひっかえするような男の人は、願い下げでしょ?」
「そらまあ、そうやけど……。」
「すずか、それ答えになって無いって。」
旅館の入り口で、館内用のものから普段使っている車椅子へはやてを乗せ換え、ゆっくり周囲の景色を楽しみながら遊歩道へ入っていく。
「なんか、すずかちゃん、恭也さんみたいなイケメンでクールなタイプが好みかと思ってたんやけど……。」
「ん~、恭也さんの事を、そういう風に見たことはないかな。」
「へえ、意外ね。」
「初対面の時から、恭也さんは男の人じゃなくて、お兄ちゃんだったの。多分、年が離れてるって言うのも、あったんだと思うけど、ね。」
新緑の生き生きとした生命力を瞳に刻み込みながら、車の中でさんざんしたはずのガールズトークを続ける三人。主に攻撃対象になっているのはすずかだが、折を見ては反撃を直撃させているので、実際のところ戦況は五分五分だろう。
「は~、何というか、すずかちゃん、大人やなあ。」
「はやてちゃんも、人の事は言えないと思うけど……。」
「いやいや。私とか、こういう話はしてても、男の子を好きになるとか、まったくピンとけえへんし。」
「私だって、ピンと来てるわけじゃないよ? ただ、ちょっとだけ意識してるだけ。」
すずか自身は、正直まだこの感情が恋愛感情と呼べる領域のものではない、とはっきり断言できる。優喜を意識しているのだって、自分の体にまつわる事情からだし、本当に恋愛感情に至っているのなら、自分たちをほったらかしにして、なのはとフェイトを侍らせてジョギングしていることに対して、もっとむっとするはずだろう。その事に特に腹が立たない以上、まだそういう感情にまでは至っていないはずだ。
「傍から見てると、そうは思えないのよね。」
「やなあ。」
「多分、私たちにはまだ早いんだと思うよ。」
苦笑しながら、穏やかに二人を窘めるすずか。せっかくだし、もっとちゃんと庭を見よう、と周囲に視線を走らせて……。
「あれ?」
「どうしたん?」
「あそこ、何かが光ってる。」
赤く光る、不確定名宝石のようなものを発見する。見ているうちに、背筋に寒いものを感じ始める。理性が、本能が告げる。あれにかかわるな、かかわったら後悔する、と。
「へえ? 確かに何ぞ光ってるなあ。」
「凄く綺麗だけど、誰かの落し物かしら?」
「落し物、にしては不自然だよね?」
「そうね。宝石だとしたら、ここまで加工しておいて裸で持ち歩くって、変な話よね。」
近づくと、頭の中の警告音が大きくなる。理性が必死になってブレーキをかけている、というのに、理性も本能も超えた何かが、それに手を伸ばそうとする。
「とりあえず預かっておいて、後で宿の人か警察かに届けよっか。」
「そうね。不自然な場所に落ちてたけど、本当にただの落し物かもしれないし。」
「まあ、散歩行ってからでもええんちゃうかな? 朝にお客さんが落としはったんやったら完全に手おくれやし、今さっきぐらいやったらまだ、気がついてすらおらんやろうし。」
「だよね。」
とりあえず、後で宿の人に忘れずに届けよう、とポケットに宝石をしまうすずか。貰っておいて優喜に加工させる、とかそんなことは一切考えないのは、育ちの良さだろう。
「さて、優喜君らより遅く戻るぐらいの勢いで、庭をじっくり堪能しようか。」
「うん。」
この時のこの判断が、後ですずかの体の秘密と相まってややこしい事態に発展するのだが、この時の彼女たちには、そんなことは知る由もなかった。